ストックホルムから東京へ
―20世紀初頭、中国古画の国際市場におけるE.A.スツラヘルネクのふたつのコレクション―

洪 再新(ホン ツァイシン)
ピュージェット・サウンド大学
主著等: 「古画交易中的藝術理想:黄賓紅,呉昌碩與〈中華名画―史徳匿藏品影本〉始末」(Art and Market: Wu Changshou and Huang Binhong in the Making of Chinese Pictorial Art: E. A. Strehlneek Collection in Shanghai,1913-1914)『海派絵画研究論文集』(The Proceedings of International Symposium on Shanghai School Painting)(上海:上海書画出版社 2001年)
『中国美術史』(The Concise History of Chinese Art)(文化部中国美術教育大系―美術編 杭州:中国美術学院出版社 2000年)
「任公釣江海 世人不識之―元任仁發《張果見明皇図》研究」(No Matter Ho Diligently You (Mr. Ren) Serve the Country, No One in Society Can Truly Appreciate It: A Case Study of Ren Renfa’s The Immortal Zhang Guo visits Emperor Minghuang)『故宮博物院院刊』(Journal of the Palace Museum) 第89期(2000年)
"Pictorial Function and Constitutional Identity in the Painting Khubilia Khan Hunting," Arts of the Sung Yuan: Ritual, Ethnicity, and Style in Painting.(co-authored with Cao Yiqiang, Princeton: The Art Museum, Princeton University, 1999)

 20世紀初頭、美術品マーケットは世界的な規模で発展しつつあった。本発表は、このような状況下におかれた、一連の“古画”(古い時代の中国絵画)研究の一部をなす。1890年代から1940年代にかけて上海に在住したヨーロッパの美術商に、E.A.スツラヘルネクなる人物がいた。今回は、この謎につつまれたスツラヘルネクのふたつのコレクションにみる“古画”の移動に焦点を当てる。ユーラシア大陸の両極を移動するなかで、スツラヘルネクのコレクションは市場取引を促進し、国外における中国古画の理解を育んだ点で、“古画”の輸出にみる新たな潮流の好例といえるのである。
 スツラヘルネクの最初のコレクションは1913年、上海で密かにスウェーデンの収集家、クラス・ファーレウスの手に渡り、1926年のファーレウスの死後、ストックホルムで行われた中国美術オークションの折に再び売却されている。スウェーデン皇太子の後援による1914年の中国美術展、1918年のストックホルム大学での中国美術展への参加に加え、このオークションは中国の千年にもおよぶ絵画芸術の伝統への興味をスカンディナビアの人々にうながし、中国学と“古画”の収集熱をあおったのである。
 第二のコレクションはスツラヘルネクが1929年に、より広い市場に手をのばすべく入札―東京美術倶楽部でとりおこなわれる美術商の非公開競売組織―に参加する目的で上海から東京へと持ち込んだものである。排他的な入札には加われなかったものの、結局彼は展覧会を通じてコレクションを売却する。この手法は、早くも1908年に日本人が上海に持ち込んだ市場戦略でもあった。しかしながら日本ではこの展覧会が、日本人以外の収集家による東京美術倶楽部での中国美術、および骨董の個人コレクション展としては最初のものとなり、“古画”の国際取引における美術市場としての東京の重要性を認識させることとなった。
 上海では昔ながらの店頭売買を旨とする美術商がほとんどを占めていたが、これと対照的にストックホルムの公開オークション、および東京の閉ざされた入札の扉を叩き世界へ進出しようという企ては、“古画”の取引としては前代未聞のことであった。とりわけスツラヘルネクとつながりのあった東西の美術商やコレクターたちの精力的な連携活動が積み重ねられると、今度はこれが刺激となり、中国美術の市場はもはや地域限定の市場ではなくなった。しかもスツラヘルネクのふたつのコレクションによりまったく正反対の美意識、すなわち中国の文人の審美眼に基づく洗練された筆法と、彼ら文人が排除してきたジャンル―とりわけ美人画、遺容(故人の肖像画)、浙派の絵画―が西洋でも理解されるようになったのである。西洋に“古画”を知らしめた先駆者のなかでも、スツラヘルネクは中国絵画史の見取り図の再編に貢献した人物であった。しかも彼が西洋で育んできた“古画”理解は上海の国画の画家たちに、いや増す西欧化に直面していた伝統への自信を与えることにもなったのである。
 かくしてスツラヘルネクは、今日でこそ知る人は皆無に等しいものの、世界の変わりゆくさまざまな文化空間へ向けて“古画”の喧伝に大きく貢献したのである。

(塩谷純訳)

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