ボストンにおける羅漢―大徳寺五百羅漢図の旅―

グレゴリー・P・レヴィン
カリフォルニア大学バークレー校
主著等: "Switching Sites and Identities: The Founder's Statue at the Japanese Zen Buddhist Temple Kôrin'in," The Art Bulletin, Vol. LXXXIII(2001)
Daitokuji: Narratives of Visual Culture at a Zen Monastery Book, (Seattle: The University of Washington Press, forthcoming)

 1894年12月から1895年3月にかけて、ボストンの人々は、西洋世界ではそれまで決して見せられることのなかった、驚きにみちた図像と描写による仏画たちを目の当たりにすることになった。44幅の中国の羅漢図がそれである。この羅漢図は、周季常と林庭珪という画家が1178年から1188年頃までに完成させ、16世紀以来、日本の寺院、大徳寺に伝来してきた100幅一具で構成される五百羅漢図の一部であった。大徳寺の仏画たちは、19世紀後半、日本から海外に送られてボストン美術館で陳列され、アメリカの都市でビクトリア朝の時代精神を有していた知識人をはじめ、鑑定家、仏教信者たちの間で、センセーショナルな波紋を巻き起こしたのである。羅漢図は、さらにフィラデルフィアの美術アカデミー(5月3日〜11日)で陳列され、ついで19世紀協会(the Century Association)(5月25日〜30日)によってニューヨークでも展観されており、その後は、ヨーロッパに旅した可能性もある。
 ボストン美術館における展覧会は、壮大な見世物を創出したばかりか、素晴らしい収蔵品へと結びつくことになった。宋代中国仏教美術の傑作と褒めちぎられた10幅は、展覧会を企画したアーネスト・フェノロサによって選別され、美術館の支援者であったデンマン.W.ロスによって一万ドルの金額で購入されることになり、彼らは、ボストン美術館を永久に住処とし、故郷の京都へ帰ることはなくなってしまった。(20世紀の最初の10年間、さらに2幅が、アメリカ人の億万長者チャールズ.L.フリーアのコレクションに加えられている。)
 この発表では、19世紀後半における大徳寺五百羅漢図のボストンへの旅を検証し、あわせて、当時における彼らの寺院からの旅立ち、ボストンにおける彼らの受容(一般的および美術史的コンテクストの双方における)、四散ともいえる彼らの住処の分裂、大徳寺における彼らの再構成(100幅一具の仕立て直し)などについて、それらの事情をさらに理解する手助けとなる資料を紹介したい。

(井手誠之輔訳)

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