《ゲルニカ》のオデュッセイア―20世紀のイコン―

林 道郎(はやし みちお)
武蔵大学
主著等: 「演劇性(劇場性)をめぐって」『セゾンアートプログラム・ジャーナル』7号(2001年)
「移植されたヴェール―シュルレアリスムから抽象表現主義へ―」『現代詩手帖』44巻4号(2001年)
"The Occupied Subject: Painting and Body in Postwar Japan," A Rebours: The Informal Rebellion, exh. cat. (Las Palmas de Gran Canaria: Centro Atlantico de Arte Moderno, 1999)
"Listen to Your Portrait," No Beginning, No End: Aiko Miyawaki 1958-1998, exh. cat. (Kamakura: The Museum of Modern Art, 1998)
“A Reconsideration of Picasso's La Toilette: Mallarmé's Shadow,” Word & Image 8.1 (1991)

 美術史における受容論的方法はここ10年ほどの間に端緒についたばかりである。これまでの日本におけるその展開の中では、海外の作品や作家あるいは動向が日本においてどのように受け入れられたかということに焦点をあてた研究が主流をなしてきた。本発表では、視点を日本という足場に固定するのではなく、ピカソの《ゲルニカ》(1937)という一作品の側に置き、その移動にともなって作品が複数の異なる社会的・文化的コンテクストの中で被ってきた意味、機能の変容を考察する。
 20世紀に生産された美術作品の中でも最もよく知られたものと言ってもいいこのピカソの作品は、1937年のパリ万国博覧会で初めて公開されて以来、紆余曲折をへて、現在は、マドリッドの王妃ソフィア美術館に所蔵されている。そのイメージは、もともとその制作の動機となったゲルニカ爆撃の記録というだけではなく、20世紀的大量虐殺の象徴として、その後の様々な「政治的危機」の瞬間に再々歴史の舞台に引き戻され、その目撃者となってきた。そのすべてを網羅して論じることは不可能だが、これまでの調査から、下に記す5つの期を画する重要な舞台があったことがわかっている。
(1)30年代後半におけるパリからニューヨークへの移動
(2)50年代における世界巡回
(3)60年代から70年代にかけてのヴェトナム反戦運動
(4)80年代におけるスペインへの「返還」
(5)複製メディアを通しての世界伝播―ことに日本における反戦、反核運動
 本発表では、この5つの再演の舞台に注目し、それぞれのシナリオの中で、《ゲルニカ》がどのような役割を演じ(演じさせられ)、どのように新しい衣装をまとってきたのかを、多元的な資料―学術論文、マスメディアにおける報道、証人達へのインタビューなど―を使って分析する。そしてその過程全体を通じて、《ゲルニカ》が世界的な反戦平和運動のシンボルとして普遍化・抽象化していったプロセスを吟味し、それと反比例するかのように、その起源にあったゲルニカ爆撃をめぐる具体的な歴史が忘却されていったことの意味を考察する。さらに、この受容の変遷(再演のヴァリエーション)の問題を、単に言説の問題として作品と機械的に切り離して考えるのではなく、《ゲルニカ》という絵画が持つ演劇的空間構造や図像のアレゴリー的な性格などに照らし合わせて分析する。
 全体として、ピカソ研究、そして《ゲルニカ》研究における新地平を拓くことを目指すと同時に、一枚の絵画に寄り添った視点から20世紀史―ことにイメージの利用が政治の場において空前の重大事となった20世紀―を考察するという意味で、美術史と社会史の間に有意義な関係を打ち立てるための一歩となることを目指している。