植民地朝鮮に〈日本の古代〉を収集する―東京人類学会と比較文化的枠組み―

炯逸(ペイ ヒュンイル)
カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校
主著等: "The Creation of National Treasures and Monuments: The 1916 Japanese Laws on the Preservation of Korean Remains and Relics and their Colonial Legacies," The Journal of Korean Studies Vol. 25 No. 1 (2001)
Consulting "Korean Origins": a Critical Review of Archaeology, Historiography, and Racial Myth in Korean State Formation Theories, (Harvard/Hallym Series, Cambridge: Harvard University Asia Center, 2000)
"Japanese Anthropology and the Discovery of 'Prehistoric Korea',"Journal of East Asian Archaeology Vol. 1 (1999)
"Nationalism and Preserving Korea's Buried Past: The Office of Cultural Properties and Archaeological Heritage Management in South Korea," Antiquity 73 (281) (1999)

 本発表は鳥居龍蔵・八木奘三郎・関野貞といった、日本の人類学・考古学・美術史学の開拓者たちによって主導された最初期のフィールドワークの制度的・学問的・方法論的背景を明らかにしようとするものである。これらの開拓者たちは、美術・考古学的遺跡遺物を組織的に調査し、アジア大陸の民族誌学的データを蒐集した最初の日本人研究者としてよく知られている。より意義のあることは、彼らの海外調査が(イギリス人E.タイラー、フランス人P.トピナールなど)西洋の学問から移入による、英国ヴィクトリア王朝時代(1837〜1901年)の人類学を背景とし、「比較文化的」方法に依拠するものであったことである。19世紀末、日本の知識人の多くは、英仏の社会科学者たちを敬い、彼らの著作を読み、彼らに師事さえした。当時の英仏の社会科学者たちは同時代の世界中の土着・未開人たちの風俗習慣・生活様式・宗教・道徳・口伝・神話や伝説などを詳細に比較することこそ、人類の進化、人種や文化の起源、先史時代の人々と風俗習慣の拡散を理解する鍵であると提唱していた。そのため、日本の考古学・民族誌学・美術史学は西洋の学問と同様に、原始的造形物・古代遺跡・遺物・文献史料の組織的蒐集・分類・研究に直接に寄与する主な学問であったのであり、そうして集められた資料は、現在でも日本の国立博物館(旧帝室博物館)や以前日本の植民地であった満州・朝鮮・台湾の博物館で展示されている。
 1884年に東京人類学会を創立した人々は、坪井正五郎を主宰者とし、彼の学友あるいは研究同人であった白井光太郎・佐藤勇太郎・福家梅太郎たちであり、その後小金井良精・三宅米吉・八木奘三郎らが加わることになる。彼ら全員が19世紀・明治時代の「科学的」人々であった。そのため、彼らは日本が1895年の日清戦争、1905年の日露戦争に軍事的勝利を収めたことが、当時議論を巻き起こしていた日本人種、文化、およびその文明の起源に関して、彼らが机上の論として提唱してきた論理を試す絶好の機会であることを明確に意識していた。こうして東京人類学会は若い学徒である鳥居龍蔵を満州・遼東半島(1895年)、台湾(1896年)、千島列島(1899年)、西南中国(1902〜3年)、モンゴル(1906〜7年)、そして朝鮮半島(1910年)へと海外調査を指揮すべく送り出す、初めての私的団体となったのである。鳥居の調査以前には、日本の人種論(日本人とは誰か)は概ね『古事記』『日本書紀』といった古代の史料から派生した神話や伝説を細かく分析するという作業に終始していた。しかし、鳥居がアジア大陸の異郷から毎月送ってよこす手紙には、現地で発見した貝塚・石器・ドルメン・古墳がすべて日本のものに「類似」していることが報告されており、そうしたニュースは東京人類学会の会員に熱望されたのである。それ以後、シベリア・中国・朝鮮での美術上、あるいは考古学、民族誌学的発見は最も重要な物的資料とされ、まもなく日本文明の混合した起源は、原(旧)アジア人・ツングース人・モンゴル人といった遊牧民の先史時代の祖先たち、そして青銅器時代の中国と三国時代の朝鮮の古代文明から伝わったものとする新たな人種論に組み込まれていくようになった。
 本発表は1890年代から1910年代の東京人類学会の会誌(『東京人類学会雑誌』)に発表された最初期の調査報告・民族誌学的人物写真・先史の造形物と出土遺物の蒐集品を紹介し、叙述し、分析しようとするものである。本発表では特に、日本人によるアジア大陸への踏査の開始および1910年の日韓併合が、どのようにして最初期の組織的な美術および考古学的調査・発掘、および先史時代の土器・居住形態・埋葬を分類するための分析を可能にしたのか、そしてそれが、今日なお日本の古代遺跡・遺物の年代決定をするために、最も重要な編年的枠組みとして提供されてきたことに焦点を絞りたい。

(山梨絵美子訳)

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