植民地朝鮮に〈日本の古代〉を収集する―東京人類学会と比較文化的枠組み―
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本発表は鳥居龍蔵・八木奘三郎・関野貞といった、日本の人類学・考古学・美術史学の開拓者たちによって主導された最初期のフィールドワークの制度的・学問的・方法論的背景を明らかにしようとするものである。これらの開拓者たちは、美術・考古学的遺跡遺物を組織的に調査し、アジア大陸の民族誌学的データを蒐集した最初の日本人研究者としてよく知られている。より意義のあることは、彼らの海外調査が(イギリス人E.タイラー、フランス人P.トピナールなど)西洋の学問から移入による、英国ヴィクトリア王朝時代(1837〜1901年)の人類学を背景とし、「比較文化的」方法に依拠するものであったことである。19世紀末、日本の知識人の多くは、英仏の社会科学者たちを敬い、彼らの著作を読み、彼らに師事さえした。当時の英仏の社会科学者たちは同時代の世界中の土着・未開人たちの風俗習慣・生活様式・宗教・道徳・口伝・神話や伝説などを詳細に比較することこそ、人類の進化、人種や文化の起源、先史時代の人々と風俗習慣の拡散を理解する鍵であると提唱していた。そのため、日本の考古学・民族誌学・美術史学は西洋の学問と同様に、原始的造形物・古代遺跡・遺物・文献史料の組織的蒐集・分類・研究に直接に寄与する主な学問であったのであり、そうして集められた資料は、現在でも日本の国立博物館(旧帝室博物館)や以前日本の植民地であった満州・朝鮮・台湾の博物館で展示されている。 |