神代石の収集

内田 好昭(うちだ よしあき)
京都市埋蔵文化財研究所
主著等: 「変遷概念の形成」『考古学史研究』7号(1997年)
「日本の集成図」『考古学史研究』5号(1995年)

 遠い過去の製作物が、新たな意味を与えられ後代に再び登場する一つの事例として、「神代石」をとりあげる。神代石とは、近世日本の弄石家たちの用語で、『古事記』、『日本書紀』等に記された神代(神武天皇による建国以前の時代、すなわち神の時代)に製作された石製品の意である。具体的には、独鈷石、石刀、石棒、石冠、青龍刀形石器などの新石器時代の石製品や、車輪石、鍬形石、琴柱形石製品などの前期古墳(3〜5世紀)に副葬される石製の腕飾類や模造品などを指す。製作が巧妙で地中から出土することが全体に共通する特徴である。神代石は江戸時代後期(18世紀後半〜19世期半ば)の日本で興味の対象となり、弄石家たちは採集、恵与、交換、購入などの方法で、これらを収集した。同好者の間では頻繁な知見の交換がなされ、移動に不便な所蔵品を遠方の同好者に示すために模写が作られた。神代石概念は19世紀後半の近代考古学の出現によって姿を消す。ところで、神代石は近世弄石家が与えた表象であり、時間を移動したのは神代石なるカテゴリーではなく、かつてそれぞれ別個の機能を有した石器時代や古墳時代の石製品である。したがって、重要なのは神代石なる概念の誕生であり、その後退である。そこからモノの時間的な移動と新たな価値の付与について考える。
 神代石に対する興味は、本草学を背景とする奇石趣味の中から出てくる。本草学は主として医療に有用な動植物、鉱物の実学研究であるのに対し、奇石趣味は珍奇な石の収集と愛玩に目的があった。奇石収集の同好者たちは緊密なネットワークでつながり、その中心が木内石亭であった。石亭は膨大な奇石コレクションと多くの見聞に基づいて、夥しい種類の奇石の中から、神代石なる名称で一群の石製品を括った。奇石のなかで一定の造形を示すものに対しては、まず「天工(自然のもの)」か「人工(人間が加工したもの)」かという判断がなされたが、他方で太古の製作物とみなされるもののうち、精巧な作りで用途が全く不明の一群の遺物の存在が注意された。石亭はこれを、「神工」、「神物」、「神作」と表現し、古代文献に記された神代の遺物と見なした。「天工」、「人工」に次ぐ第三の範疇である「神工」は曖昧な概念であり、それ以上の考証を拒むような不可知論的性質を持っていた。しかし、これを徴すれば、太古の日本人の製作にかかるものの意であるようである。神代石の属性の一つである精巧さが神=日本人に帰され、用途を推し量れない形状の異様さは太古=現在からの時間の長さで説明された。やがて成立する日本の近代考古学は、西欧人類学の時代区分を導入し、その最初の段階である石器時代を日本人渡来以前の先住民の時代と規定する。原始古代の石製品は、それを製作・使用した人種の違いに基づいて再分類されることになり、神代石なる用語は用いられなくなる。