本発表では、四百年の時空を旅した〈辻が花〉裂12点の複雑な伝歴を明らかにするものである。これらの裂は当初、16世紀の上流階級の衣裳であったと思われる。その衣裳がその後次第に端切れ(はぎれ)にされ、(寺院に奉納される打敷などの)神聖な布に仕立てかえられ、世俗の世界から聖なる世界へと境界線を越えていった。19世紀末から20世紀半ばまでに、これらの聖なる布はひきほどかれて、一片一片が個人コレクターの蒐集物となり、本来の衣裳とは別の存在として扱われるようになった。しかし、これらの裂は近代の学者によって〈辻が花〉という名の下に分類され、今日では再び共通の歴史の上で捉えられるようになっている。現在これらの裂は博物館や個人コレクションに収められているわけだが、衣裳という16世紀当初の機能からは切り離されて扱われているのである。本発表では、日本の裂の歴史をたどることにより、世俗の衣裳が洗練された美術品へと姿を変えていく選択的過程を検証する。
ここに取り上げる12点の裂は、同様な装飾技法を用いた16世紀の染織品との様式的・技術的類似性から、現在〈辻が花〉という詩的な名前で分類されている。これらの裂に現在与えられている価格や美術的価値は〈辻が花〉という名称と深く関係しており、〈辻が花〉のラベルを冠した裂や衣裳は、今日の美術市場においてきわめて人気が高い。現在〈辻が花〉とは染織技法のある特殊な組み合わせと解釈されているが、このような解釈は、謎めいた16世紀の用語に20世紀の意味を融合させてつくりあげられた近代の概念なのである。
本発表では異なる時空を移動するモノに焦点をあてて考察を行う。このような方法論によって、従来の日本染織史研究の方法論では明らかにされてこなかった事柄を提示し、これらの裂に新たな光をあてたいと思う。これらの裂やその分類用語を歴史の中で捉えると、〈辻が花〉という用語を著名な武将が着用した衣裳に結びつける、近代につくられた考え方に疑問が生じてくる。それどころか、このような裂をはぎ合わせて衣裳を復元すると、〈辻が花〉を本来着用していたのは実は女性や若者であったという、16世紀服飾史研究における新たな事実が明らかとなるのである。また、衣裳から裂への変遷をたどることによって、故人の衣裳を寺院に寄進するという、奉納物としての布の、実利的かつ神聖な特性が浮かび上がってくる。さらにこのようなモノ本位のアプローチは、〈辻が花〉を収集しこれらに〈辻が花〉いう名称を付して、ただの裂を文化的遺物へと変貌させることに尽力した近代の画家・染織家・商人たちの社会的関係をも明らかにする。これらの裂の移りゆく外形・機能・価値は、幾世代もの歴史に遺された重要な痕跡なのであり、〈辻が花〉が保存され文化的意義を獲得していった過程をあらわしているのである。
(綿田稔訳)
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