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8 L'Amour de I'Art
 1920年創刊の仏語による美術・文芸雑誌。パリで発刊。1939年からPromethee N.S.に誌名変遷。フランスの美術批評家Louis Vauxcelles が創刊し、1923年までは編集にも携わった。誌面の大半は美術関連の記事が占めるが、文学と音楽に関する記事も掲載する。
  47 Art Studies:Medieval,Renaissance and Modern
 1923年創刊の英語による美術史研究誌。終刊時期は不明。ハーバード、プリンストン両大学の美術史研究者が編者となり、発刊された。The Amerikan Journal of archaeologyの号外として、年刊で刊行されたものとみられる。諮問協議員として、Bernard Berenson、Emile Male、Roger Fry、矢代幸雄らも関与した。4巻(1926年)では、Langdon Warnerが、8世紀の仏教彫刻に関する論考を執筆し、フォッグ美術館の蔵品や、法隆寺五重塔塔本塑像などの写真図版も掲載されている。

     
 
     
49 L'Arte
 1898年にAdolfo Venturiによって創刊された、伊語の美術研究誌。ミラノで発刊。1930年以降はNuova serieに誌名変遷。中断を挟み、1972年に終刊した。伊語による最初のイタリア美術研究専門誌Archivio storico dell'arte(1888年創刊)を改題して、本誌の刊行が開始されたとされる。編集は当初、A.Venturiが担ったが、のちに Lionello Venturiも携わる。主に、A.Venturi、L.Venturi、Wilhelm von Bodeらの論考を掲載。
  85 Bulletin of Eastern Art
 1940年創刊の英語による日本・東洋美術史研究誌。同年創設の東洋美術国際研究会により、東京で発刊。1944年の38号まで、月刊で刊行されたものとみられる。同研究会には、会長に細川護立、理事として上野直昭、児島喜久雄、団伊能、藤懸四静也、矢代幸雄、柳宗悦らが携わった。日本・東洋美術 研究の進展、研究上の国際協力、日本文化の海外宣揚、国際親善などを目的とし、外務省、文部省、鉄道省国際観光局なども関与して運営された。

     
 
     
195 The Burlington Magazine for Connoisseur
 1903年に、R.Fry、B.Berenson、H.Horneなどの美術史研究者らにより創刊された、英語の総合美術雑誌。ロンドンで発刊。月刊誌として、現在 まで刊行が続く。美術の各分野にわたる専門研究と、展覧会評・書評などを掲載。編者にH.Readら、寄稿者には、K.Clark、E.H.Gombrich、L.Binyonら がいた。265号(1925年)には、矢代幸雄が、ボッティチェリに関する論考を執筆している。当資料閲覧室所蔵のものには、同論考の各箇所に、黒のインクによる手書きの加筆・修正がある。
  174 L'Illustration : Journal Universel
 1843年創刊の仏語による絵入り週刊紙。パリで刊行され、1944年に終刊。主要な購読層であった富裕層を対象として、 美術界の動向などを扱った文芸欄や、非ヨーロッパ地域の諸情報などが充実した挿絵(または写真)とともに掲載された。日本文化に 関する記事が充実していることでも知られる。1890年代以降にはGeorges F.Bigotが挿絵を寄せている。

     
 
     
149 Eastern art : An Annual
 1928年創刊の英語による東洋美術史研究誌。Langdon Warnerらを編者として、フィラデルフィアで発刊された。当所は季刊、二年目 からは年刊となり、1931年には終刊したものとみられる。1巻2号(1928年)には、富田幸次郎の論考「光悦・宗達・光琳の波」などを掲載。 矢代幸雄との親交も知られるWarnerは、当時、同地のペンシルバニア大学美術館に勤務していた。2巻(1930年)の表紙には、Warnerの妻 Lorraineからの、矢代に宛てた献辞がある。なお、Warnerは、ハーバード大学フォッグ美術館に在籍した経歴もある。当資料閲覧室では、 日本国内では稀少な、ペンシルバニア大学、フォッグ両美術館の刊行物も所蔵する。

     
 
     
186 L'Italiano
 1931年創刊の伊語による総合雑誌。終刊時期は不明。編者はイタリアのジャーナリストLeo Longanesi。ボローニャで刊行されたものとみられる。副題で、「ファシスト革命のための月刊誌」を謳う。Longanesi本人の作による 油彩画・素描のほか、シャガールやモディリアーニらの作品など、美術作品の図版を多数掲載。
  200 The Journal of the Royal Society of Arts
 18世紀に創刊された、英国王立技芸協会の機関誌。本文は英語。誌名変遷を繰り返しつつ、現在まで刊行が続く。1754年創立の同協会は、 芸術・商工業などの振興を目的とした団体。1908年に王立となる。会員は、自然・社会・人文諸科学の研究者のほか、画家・文学者など、きわめて多岐にわたった。4339号(1936年)では、矢代幸雄による講演「中国絵画における鑑定」の抄録や、Nikolaus Pevsnerによる「ドイツの美術学校における第一次大戦後の傾向」などを掲載する。

     
 
     
413 The Kokka
 すでに1889年に創刊され、海外でも購読者を獲得していたとされる日本語版『国華』の英語版。まず1902年に、日本語版133号(1901年刊行)以降分が、英語の中表紙・目次・挿図解説などを加えて刊行しなおされた。さらに1905年になると、182号以降分が、the New English Editionとして刊行され始める。左綴じによる英語版独自の装丁で、掲載論文を含む本文全文が英語であった。初期の号には、日本の美術商による英語の宣伝広告も掲載されている。第一次大戦を機に、1918年に終刊したとされる。
  446 Nippon
 1934年創刊の欧米むけ日本文化宣伝グラフ誌。本文は英・仏・独・スペイン・日本語。名取洋之助が編者となり、日本工房から季刊で発刊された。1944年の36号が最終号とされ、ほかに特別編集版5号がある。古代から現代までの日本文化、近代日本の建築や産業など、幅広い分野で日本紹介が行われた。写真は名取、土門拳、藤本四八ら、デザインには山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策らが携わった。刊行には、外務省の外郭団体、財団法人国際文化振興会の支援があったとされる。

     
 
     
261 Ostasiatische Zeitschrift
 1912年創刊の独・英・仏語による東洋文化研究誌。ベルリンで発刊。1924年以降はNeue Folgeに誌名変遷し、1943年まで継続した。 矢代幸雄との親交が知られるOtto Kummelが編者として参加している。寄稿者には、勝固、Osvald Sirenらもいた。日本美術史関連の記事も多く 、創刊号ではKummelによる君台観左右帳記についての論考を掲載する。Kummelは、Neue Folge 8巻(1932年)で『国華』に関する紹介記事、11巻 (1935年)では関野貞についても執筆している。
  280 Revue Francaise du Japon;Nouv.Ser.
 1892年に、フランスの法学者Gustave Emile Boissonadeが創刊した、仏語による月刊の総合雑誌。和仏法律学校の機関誌として、 1898年まで刊行された。政治・法律・経済・社会・文化など、他分野にわたる記事を掲載。4巻(1895年)には、日本の美術教育・ 安南美術・第7回明治美術会展覧会・色彩論などに関する諸論考が含まれる。Georges F.Bigotによる挿絵も掲載されている。

     
 
     
307 Tavol Kelet
 1936年創刊の英・ハンガリー語による日本研究誌。終刊時期は不明。1924年創設の日洪協会の機関誌として 、ブダペストで発刊。同会は、日本とハンガリーの文化・経済面での交流推進を目的とした。本誌は、 社会・経済・外交など、他分野にわたる記事を扱う。1~2巻(1936年)では、フレンツ・ポップ東洋美術館 の蔵品に関する論考を掲載。なお、日本とハンガリーは、1939年に日洪文化協定を批准している。本誌からは 、貫戦期の日本の文化外交と、日本の美術史学史との関わりがうかがわれる。
  192 Transaction and proceedings of the Japan Society
 1892年創刊の英語による日本研究誌。1891年に創設された倫敦日本協会の機関誌として、ロンドンで発刊。誌名変遷を 繰り返して、現在まで刊行が続く。同協会には、William Andersonが初代理事長となったほか、副会長には Erneset M.Satowら、名誉会員にはFrank Brinkley、Basil Hall Chamberlain、岡倉覚三らが名を連ね、とくに その草創期には、日本美術史研究の関係者が多く携わった。33巻(1936年)では、矢代幸雄渡英時の 「極東の絵巻」の講演録を掲載する。

     
 
     
325 Yamato:Zeitschrift der Deutsh-Japanischen Gesellschaft
 1929年創刊の独語による日本文化研究・宣伝誌。大アジア主義の思想家・鹿子木員信を編者として、ベルリンで発刊された。 隔月で、1932年まで刊行されたものとみられる。矢代幸雄との親交が知られるWilhelm Solfらが刊行に協力。創刊号では、 「日本精神」・「やまと心」・天皇などについての論考を掲載、当時の鹿子木の思想を顕著に示す。また、日本美術史関連 の記事も充実している。1930-3号(1930年)では、滞独経験のあった黒田源次が、日本の摺仏に関する論考を寄稿。さらに、各号で 、中宮寺菩薩半跏像、興福寺北円堂無著菩薩立像などの鮮明な写真図版も掲載する。本誌からは、ワイマール期の日独文化交流と、 日本の美術史学史との、多様な接点がうかがわれる。1930-5号では、帝国美術院附属美術研究所創設と同年の1930年に竣工した、 東京博物館上野新館(現国立科学博物館日本館)を、外観写真とともに紹介している。

     
 
     
c34 中国営造学社彙栞
 1930円創刊の中国・英語による建築研究誌。中国営造学社が編者となり、北平で発刊。終刊は1945年とみられる。本誌はとくに、梁思成、林徽音らの論考を積極的に掲載する。梁は、ペンシルベニア、ハーバート両大学で、建築学・建築史学を専攻し、林とともに中国における近代建築学の基礎を築いた。本誌はほかに、田邊泰、濱田耕作らの論文も収録。また、1巻2冊(1930年)では伊東忠太「支那建築之研究」、3巻2期(1932年)では関野貞「日本古建築物之保護」の講演録も掲載する。
  c94 申報図画週刊
 1930年創刊のグラビア総合紙。週刊で刊行、終刊は1932年とみられる。紙面の過半を、時事問題・スポーツ・女性アイドルの写真が占め、中国・英語の解説文を併載。香水・煙草などの商品広告も頻繁に掲載する。一方で、国立中央研究院の発掘調査記事や、日本で開催の中日絵画展覧会を扱う号もあり、美術関連の情報がきわめて充実。当時の美術と、文化消費・国民国家・インターナショナリズムとの共存関係がうかがえる。

     
 
     
c95 申報図画特刊
 1934年創刊のグラビア総合紙。不定期で刊行、終刊は1937年とみられる。紙面は時事問題に関する写真が多く、ほかに スポーツ・女性アイドルなどの写真に、中国語の解説文を併載する。1934年元旦号では、中国美術史上の重要作品を紹介。 106号(1935年)などでは、倫敦中国現代美術展・倫敦中国芸術国際展覧会について大きく取り上げている。国画を扱う 展覧会を中心に、各地の展覧会の解説も頻繁に掲載する。173号(同年)では、林森や蒋介石らの肖像彫刻を特集。
  c53 田野考古報告
 1936年創刊の中国語による考古学研究誌。1928年に創設された国立中央研究院歴史語言研究所が編集・刊行。同所は、 1949年に台湾に移転するまで、10年にわたる殷墟の発掘のほか、80数回に及ぶ発掘調査を行って、中国考古学史上に重要な 役割を果たした。本誌は、2冊から『中国考古学報』に誌名を変遷。さらに1950年、中国考古学研究の中枢として中国科学院 考古研究所が開設されると、『考古学報』と誌名を変更した。以降は同所が刊者となり、刊行は現在も続く。

     
 
     
c6 芸林月刊
 『芸林旬刊』の継続後誌として1930年に創刊された。中国語による月刊の東洋美術専門誌。編者は中国画学研究会。 北平で発刊、終刊は1942年とみられる。同会は、金紹城、周肇祥らが、1920年に北京で設立した美術団体で、国画の振興が 目的とされた。金はケンブリッジ大学に留学後、中華民国で衆議院議員などを歴任し、古物陳列所の創設などにも関わった画家。 1921年以降は、日華(中日)絵画連合展覧会の企画にも携わり、第4回展では周とともに来日している。大村西崖との交流でも知られ、 同時代の日本との関わりも深い。
  c97 芸林旬刊
 1928年創刊の中国語による東洋美術専門紙。編者は中国画学研究会。北京で発刊、旬刊で刊行され、終刊は1929年。4頁で紙面を構成、10点 前後の作品図版に、簡潔な解説文を併載する。掲載図版は、古代から当代までの中国絵画・彫刻・工芸・建築のほか、古代ギリシア彫刻・当代フランス絵画なども扱う。さらに、フランスの文化財保護法制などについての連載がある。1期(1928年)では、前年に訪中した正木直彦・溝口禎治郎らの写真も掲載している。継続後誌は『芸林月刊』。

     
 
     
c87 良友画報
 1926年創刊の中国・英語によるグラビア総合雑誌。上海で発刊、1945年に終刊。記事・写真の内容は多岐にわたり、時事問題や、 映画・演劇・文学・音楽など芸術、女性アイドル写真・漫画・スポーツなども扱う。美術関連記事が充実しており、各地の展覧会の紹介記事を頻繁に掲載、美術学校の授業風景のほか、西洋美術史の入門的概説も連載された。当代中国人作家による国画・油画の作品図版も、多数掲載されている。民国期の中国美術界を総覧する資料。
  c96 学部官報
 1906年創刊の中国語による学部の機関刊行物。終刊は1911年とみられる。清朝政府は、帝国主義諸国による再分割に対処するため、教育行政の近代化を模索して、科挙制度の廃止と、学校教育制度の確立を試みた。学部は、こうした清末の教育行政の中枢として、日本の文部省をモデルに、1905年に組織開設された行政機関。本資料も、これら清末の教育行政を反映する。本資料を史料として用いる研究には、鶴田武良「清末・民国初期の美術教育」(『美術研究』365、1996年)などがある。

     
 
     
c93 金石書画
 1934年創刊の中国語による東洋美術専門紙。杭州で発刊。当初は旬刊であったが、のちに半月刊となった。終刊は1937年とみられる。 毎期の紙面は4頁程度で構成され、書画や金石などの作品図版を10点前後掲載する。編者は余紹宋。余は、日本の和仏法律学校法政大学に留学し、 帰国後は中華民国で司法部などに出仕した。同時に、県史編纂や書画研究でも知られ、一時期、国立北京美術専門学校は、故宮博物館にも関わった。著作『画法要録』『書画書録解題』は、現在でも中国絵画史・書法史研究の基礎資料とされている。
  c21 国立中央博物館時報
 1939年創刊の満州帝国国立中央博物館の機関誌。本文は日本・中国・英語。隔月刊誌として、新京で発刊された。1944年終刊とみられる。満州帝国国立中央博物館は、1938年に発足した総合博物館で、自然科学部(新京本館)と人文科学部(奉天分館)の二部門からなり、1945年まで存続した。本誌は、同館の活動報告や論考、書評その他から誌面を構成。4号(1940年)では、奉天分館の全体像を概観。熱河離宮から接収した文物のほか、張学良旧蔵の書画類などからなる同館の陳列品を解説している。

     
 
     
c16 故宮週栞[北京]
 1929年創刊の中国語による故宮博物院の機関紙。週刊で刊行され、終刊は1936年とみられる。タブロイド判で、毎期4頁に、10点弱の 作品図版と、簡潔な解説文を併載する。故宮博物院は、1925年に北京で設立された。同院の文物は、日本軍の侵攻により華北が緊迫すると、1933年に上海に移送、その後、さらに南京へと転送されて、1937年には、同地で同院分院が設立される。本紙は、この時期に刊行され、1936年までに計510期が刊行された。105期などで取りあげられた同院所蔵の「懐素自叙帖」については、2004年に国立故宮博物院(台北)と当所とで共同研究を実施し、高精細、近赤外線および蛍光撮影による光学的調査を行った。

     
 
     
k14 朝鮮総督府博物館報
 1926年創刊の日本語による朝鮮総督府博物館の紀要。終刊は1934年とみられる。朝鮮総督府博物館は1915年に開設。朝鮮半島の美術・工芸品を中心に、総督府管轄の発掘調査による出土品などが、収集・保存・展示された。創刊号では、同館の蔵品や、館内の陳列室構成などを紹介する。2号以降は、 藤田亮策、榧本亀次郎らの論考や、数点の作品図版などから誌面を構成する。
  k11 震檀学報
 1934年に創刊された、震檀学会の紀要。本文はハングル・英・独・中国語など。数回の中断を挟み、現在も刊行は続く。震檀学会は、1934年に京城で創設され、現在もなおソウルで活動する学会。歴史・言語・文学・美術・文化など、他分野にわたる韓国・東アジア研究の研究者が参加する。


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