東文研トップ > 文化財情報資料部 > 所蔵目録紹介 > 蔵書目録7 外国雑誌編
戻る
所蔵目録2画像 『東京文化財研究所蔵書目録7 外国雑誌編』
   2007年12月末日現在(2008年3月31日発行)
1. 刊行にあたって   鈴木 規夫
2. 序   坂本 満
3. 口絵
1. 刊行にあたって

 独立行政法人国立文化財機構東京文化財研究所は、その前身である帝国美術院附属美術研究所が昭和5年(1930)に設立されましてから、昭和27年(1952)には東京文化財研究所、さらに平成19年(2007)の法人統合化により今日のかたちとなり、77年余りの歴史を有しております。この間、努めてまいりました文化財に関する調査研究と関係する資料の収集成果は、現在、文化財に関する資料群として国内でも有数な質量となりました。これらを広く活用していただくため、当所では、平成14年(2002)より企画情報部資料閲覧室で利用者に提供する一方、所蔵図書資料や展覧会情報などのデータベースを外部公開するとともに、独立行政法人における研究プロジェクトの一環として蔵書目録を作成しております。
 このたび刊行します『東京文化財研究所蔵書目録7 外国雑誌編』は、同第一編『西洋美術関係 欧文編・和文編』(2002年3月)、同第二編『日本東洋近現代美術関係』(2003年3月)、同第三編『日本東洋古美術関係 和文編』(2004年3月)、同第四編『日本東洋古美術関係 欧文編』(2004年6月)、同第五編『和雑誌編』(上)(下)(2005年3月)同第六編『展覧会カタログ編』(上)(下)(2006年3月)につづく第七編にあたります。
 本編には、所蔵する610種約17,400冊の外国雑誌を収録しております。イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、アメリカの雑誌と中国、韓国の雑誌で約六割を占めていますが、中にはブルガリアやハンガリーなど東欧諸国や、キューバ、メキシコなど南米の雑誌も含まれています。その多くは海外の美術館・博物館からの寄贈によるものですが、昭和20年(1945)以前の刊行物が多く見られることも特色の1つです。
 これらの雑誌には、刊行当時の当所所員や国内の研究者の名前も見受けられ、研究分野での国際交流の様子が見て取れます。このような縁が現在の外国雑誌の蓄積につながったものと考えられ、蔵書の形成にご尽力いただいた多くの機関や関係者の皆様に、改めて謝意を表します。今後も文化財に関する資料の収集に努め、蔵書の充実を図り、広汎な利用に供してまいる所存です。皆様の一層のご理解、ご支援をいただけますれば幸いです。
平成20年3月

東京文化財研究所所長規夫
鈴木 規夫
2. 序

  研究所所蔵の外国雑誌目録を刊行するので何か書いてみないか、というお誘いを受けたとき、何故か、子供のころの思い出に類する甘酸っぱいような思いが湧くのを覚えた。そのせいで、つい引き受けてしまった。一夜の夢のようなこの錯覚も、忘れるのに時間は要しない年令に私もなってしまったが、忘れ果てたころに研究所から30数ページのリストが届いた。
 見たことも聞いたこともない横文字の雑誌名が大部分で、覚えのあるものは十分の一もない。書庫にはよく出入りしていたつもりだったが、日本・東洋美術の研究所であるのに、私は西洋美術関係のものを漁っていたにすぎなかったことを、このリストを見て思い出した。やはり相当、脳機能変調を来していることを自覚せざるをえない。やむなく小一時間ずつ二度図書室の書架を調べさせていただいた。書庫は大きくなり、ボタンで書架が動くようになっていた。しかし二時間ではほとんど調べたことになるはずがない。ただ本を出し入れした手だけは、むかしと同じように眞黒になった。
 送られたリストには雑誌のタイトルと創刊年の外には、在庫冊数もそれらの年記も記されていなかった。それでも、タイトル数だけでも440種に近い。このうちの何種を私は手にとったことがあるのか、まるで心許ないことである。しかし、院生時代より前からこの図書室にはお世話になった記憶がある。東大の教養学科でディドロ(Denis Diderot)の美術論を卒論にしたあと、文学部で美学美術史学科に学士入学した私は、フランス語の秀才達の間では息苦しさに耐えられず、競争者のいないように見えたスペイン美術、それもゴヤ(Francisco Goya)を対象にすることにした。幸か不幸か、スペイン美術の研究所は非常に少なかった。東大と日仏会館と上智大学と、研究所との所蔵分を尋ね歩くのが精一杯だったが、グレコ(El Greco)やベラスケス(Diego Velazquez)などにまで対象を拡げると、研究所にはドイツのマイヤーのグレコのカタログ(注1)があり、日仏にはなぜかオルテガ・イ・ガセットのベラスケスのカタログ(注2)があったりした。エウヘニオ・ドールス(Eugenio D'ors)のエセーなどもそこにはあって、その他にも新しい雑誌が珍しかった。日仏会館がお茶の水にあったころだった。美術雑誌の目ぼしいもの、バーリントン・マガジン(The Burlington Magazine)やガゼット・デ・ボザール(Gazette des Beaux-Arts)は東大にもあったが、アート・ビュリテン(The Art Bulletin)は、4、5冊ながら、当時は、研究所にしかなかった。ここにはしかも1920~30年代の珍しい雑誌がいろいろと少部数ながらあった。上智大学にも美術の専門書はまだなかった時代であった。
 文献が少ないので、概説書でも、エセーの類でも、スペインやゴヤに関係のある文章なら、新旧を問わず、とにかく眼を通すことになった。これは現在の文献や視覚資料の洪水にあえぐ学生たちとは大きな違いだと思う。きわめて断片的で、年代もばらばらながら、それらを読むうちに研究の時代による変化などが感じられるようになるのは、あとになってよかったように思う。感性や解釈の相対性が不思議ではないことが理解し易いものになった。とりわけゴヤの版画の風刺や幻想を含むものについては、「真理はひとつ」と思いこんでいた当時の研究状況にあっては困惑以外のものではなかった。ほぼ同じころに吉川逸冶先生が九州大学からトルナイのブリューゲル論(注3)二冊本を借りてきて下さった。郵送で万一のことがあってはというのが先生のお考えで、重い他大冊を手で運んで下さったのである。この本の面白さは、膨大な文化的、歴史的、図像学的な資料を基礎に逆説的な解釈の目くるめくばかりの展開にあって、当時新しかったグロスマン(注4)の説明の実証的な手堅さとはまるで違うことに驚かされた。あれやこれやで、解釈が一義的ではないことは十分に感じられたが、しかし「真理はひとつ」の固定観念との矛盾は、その後も長く私の仕事につきまとう難題であった。
 専門書は自分で買わなければならなかった。研究所に私が入って最初の給料は8,000円台だった。(高校教師になっていた友人に同情された)が、その前に院生のころに丸善で注文したゴヤの、デスパルメ・フィッツジェラルドの絵画カタログ(注5)は7万余円のところを、友人に頼んで4万余円にしてもらったのは大感激だった。学者は金のことは言わないものです、と、あるとき原稿料のことでこぼしたら吉川先生にたしなめられたことがある。しかし引揚げで食うや食わずの生活の一方で、本は買わなければならない状況は、幸いにして私はなんとかやり過ごして来たけれども、一般的な問題として当時の学生や研究者にとって容易ではない課題だった。そういえば研究所でも、図書費が継続刊行の全集とか定期刊行物以外は、単行本が新しく買えない年度があった。旅費もでないときには、「逆汚職」だと苦笑いをしながら調査に行ったことが何年もあった。それは「文化国家」という言葉がまだ公然と使われていた時代のことだった。
 調査費や図書費は足りなかったものの、研究所の所蔵する東洋美術関係資料は何といっても膨大であったから、日本・東洋関係の研究者にとっては他に替えられない宝庫であった。ただ私は、その宝庫に入りながら、宝庫にないものを探すという愚行を止めなかった。マニエリスムの研究の紹介(注6)が中森義宗氏や吉川先生のお話にあった。私はそれに刺激されて、マニエリスムと洋風画の共通性を調べはじめた。そのときにはじめて研究所の有難さが身にしみた。目ぼしいキリシタンの洋風画の写真のかなりのものがそろっていて、その中のあるものは細部まで写真があったのである。矢代幸雄氏たちのもたらされた貴重な西洋絵画の四つ切写真のファイルは、残念ながらマニエリスム時代のものにほとんど関心がなかった時代のもののようであったが、洋風画の細部写真はモノクロであっても、実物を見るのにきわめて近いものがあることを実感させられたのである。研究所に20年近くお世話になったことは、日本と西洋との狭間でさ迷っている私のその後を決定するものであった。感謝し尽くせないものがあると思っている。


東京文化財研究所名誉研究員
坂本満

注1)August L Mayer,Dominico Theotocopuli El Greco,Munchen,1926.
注2)Jose Ortega y Gasset,Velazquez,Madrid,1963.
注3)Charles de Tolnay,Pierre Breugel l'Ancien,Brussels,1935.
注4)F.Grossmann,The Paintings of Breugel,London,1955.
注5)Xaviere Desparmet Fitzgerald,L'CEuvre Peint de Goya, Paris,1928-1950.
注6)先例としては徳川義寛『独墺の美術史家』(座右宝、1944)26頁に「ドヴォルシャック(Max Dvorak)の『精神史としての美術史』(1923年)。」と簡単な紹介がある。
 

戻る |  このページのトップへ