黒田記念館 > 研究資料 > 黒田清輝関係文献目録 > IV 定期刊行物

◎仏国四季の追懐

戻る
 私は永らく仏蘭西に留学して居たが、その当時と今とは状況が違つて居るであらうが、仏蘭西で感じた春から夏、秋、冬と四季を通じての追懐、仮令人々で感情を異にして居ても、私だけは嘘のない感情、勿論男子と婦人或は年齢の差、境遇によつて感情を異にするであらうが、私は若い時から可なりな年になるまで仏蘭西に居た、さうして境遇は何うであつたかと云ふと貧乏書生である、さうした所謂学生で、交際場裡に出て居るものではないのであるから、随つて交際する範囲も違ひ、さういふ学生生活の間に感じた事である。
  春の気分
 日本で春門に出て、一番先に眼につくのは桜花である、是は一種の習慣もあらう、日本では歌にしても桜花のが多く、桜の名所といふものも沢山ある、さうして桜の種類も沢山ある、所が仏蘭西では此桜といふものも余りなく、春の花は非常に淋しく思うた、日本のやうに花を見て楽むやうな名所といふものもない、日本で桜といへば、私ども毎年殆んど桜の花見などに行くことはないが、併し子供の時分から飛鳥山がどうだとか、斯うだとか花見の噂を聞いて居るので、春に桜花のないのは淋しい、仏蘭西の春は桜が全然ないではないが、彼方では桜とは云はぬ、日本で言ふ桜を仏蘭西ではスリージエと云つて、是は実を結ぶ桜である、山などにあるのはメリージエといひ、花も桜のやうな一寸単弁の白つぽい花である、然し一向花として見る人はない、唯杖などになつて此方に来て居る、それで桜花はないと云つてもよい、春の気分は何うであるかと云ふと、やはり春には鳥の声は大変佳く聞える、尤も巴里に居ると、殆んど家続きで、樹木などのある所は少いから、巴里ではさういふ鳥や花と云ふやうな楽みはないが、その代り日曜には市中の人が皆近郊に遊びに出る、日本では唯学校が休みになる位で、あまり日曜だといふ気分を感じないが、向ふでは日曜は非常に愉快な日である、他の国の事は知らぬが、英吉利や亜米利加などでは噂に聞くと、日曜日はお寺に行く外は家に引込んで居るが、仏蘭西では日曜は遊びの日になつて居る、尤も学校時代は、学校の生徒は朝早くお寺に行く、さうしてお寺で一通り儀式が済むと外出を許される、我々留学生は、学校に入つて居た時分は、学校の規定でお寺に行くこともあるが、特別に外国人であるといふので許されて行かぬこともあつた、先づ朝から遊ぶことになつて居る。
  静かに春を楽む
 春の殊に天気のよい日などは、非常に近郊は雑踏するが、併し日本のやうに酔漢や何かゞ喧嘩すると云ふやうな事はない、先づ静かに春を楽む、併し前に云ふやうに桜の花はないが、新緑が非常に快い気持である、向ふには常磐木が少くて落葉樹が多いので、新緑が誠に柔い華麗な色をして居る、北欧であるから空は少しどんよりして、矢張り花曇りと云ふやうな曇りの日が多い、さうして都の周囲には製造場などもあるから、煙のやうなものも多少は漂つて居るが、兎に角五、六里も離れた所に行くと、空は唯地平線の上が少し許り紅味を帯びたやうな曇りになつて居て、空の高い処は青空とは行かぬが白いやうに晴れて居る、それで日の当り工合が日本の春の陽は、仏蘭西の先づ夏の初め位な日に相当しはせぬかと思ふ位に激しい強い明りである、それに日本では常磐木が多く、葉の広いやうな、例へば椿とか八つ手のやうなものが沢山あるから、大変光度が強く当つて居るが、仏蘭西は落葉樹が多いので、非常に陽の当たりが柔かい、さうして野に出ると蒲公英や菫が一番沢山ある、菫などは日本よりも大変多い、私共子供の時分には乱暴書生であつたので、菫などの事は気が付かなかつたが、彼方では菫を尊重するせいか、田舎娘なども菫を摘んで居る、又此方で谷間の姫百合といふ大変優美な名が付いて居る花がある、蘭のやうな種類のものも、矢張野生で沢山ある、さういふものを非常に尊重する、それは仏蘭西にしても、土地柄によるが、南と北とは大変状況が違ふが、私の話は北の方に就てゞある、さういふやうに春の気持と云ふものは、要するに柔らかな温かさであつて、頭痛のするやうな、激しい咽せるやうな気持ではない。
 都の巴里での春で、一番私どもの記憶にあるのは、春といつても少し遅れるが、季節から云ふと先づ五月で、三月の半過ぎから木の芽が出て、段々今頃は夏の初に近い為め、木の芽も新緑となる。
  春を飾る花
 それで五月十五日頃に、毎年絵の展覧会が開かれる、これは年中行事のやうになつて居る、その時から夏の姿になる、其前後に町などで色々な花を売つて居るが、其花は日本のやうに生花にする花でなく、女の人の胸に挿すとか、男のボタンの所に挿すとか云ふ花である、それから市場のやうな所で売る花は、鉢植の花もある、又切花で生花にする花も売つて居る、花は日本の椿のやうな立派な花はない、無論桜はなし、見た時には先づ非常に貧弱である、菫であるとか、小さな蘭のやうな種類、或は黄色のレゼダと云ふ花が多く見られる、一番奇麗な、春を飾る花はリラといふ花で、紫と白の二種類がある、紫のは少し紅味を帯びたのと、青味を帯びたのがある、いづれもよい匂ひのある花で、小さな丁字のやうで総がついて居る、先づ春を代表する花はこのリラである、総ての花に香はあるが、このリラの香は殊に穏やかで、非常に柔い感じがする。
  田舎で好かれる花
 田舎でどういふ花が春を代表するかと云ふと、梅の花の小さなやうな花で、日本では山査子という花がある、それと同じではないかと思ふ、それは矢張香があるやうに思つたが、此方で山査子を買つて植ゑて見たが余り匂はない、或は違ふかもしれぬ、が兎に角梅の花の小さなのがかたまつて咲いて居る、枝には刺がある、田舎などに行くと、麦圃の青くなつた中に咲いて居るのを見る、田舎の情趣はそれだけでも春の気分は十分ある、殊にさう云ふやうな事が、唯自然にさう云ふやうに感ずるかと云ふと、そこが自然であるが、或は他の物に影響を受けてさうなるかと云ふことの区別がつき悪い、先づ人間がヒヨツト自然の中に生れた、どういふ感じを起すかそれは分らないが、大抵の場合は、何かしら因縁があつて、そしてそれが起る、今の仏蘭西の春の山査子の花、オペーミンの花を、田舎の春の情趣として深い春らしい感じがする。
  都で好かれる花
 又リラの花を都の春の感じがするといふやうな事も、実は深く考へて見ると、仏蘭西の詩にさういふものがうたつてある、それを連想して殊更に深く春の感じが増すのかもしれぬ、是は単に春ばかりではない、四季総てに感ずる事が、多くは古人の名作から連想して、さういふ教へを受けて後に感じたのか分らない、先づ日本に例へて見ても、須磨明石といふやうな処の景色は、左程絵にある程には見えぬ、併し他の名もない浜や何かよりは、何となく優美な懐しい気がするのは、是は彼の辺に就ての名歌がある為ではないかと思ふ、さういふやうに、仏蘭西の四季に就いても、私どもが読んだ詩に依つて感ずる事が沢山ある。
  華やかな夏の姿
 五月の前後から、殊に十五、六日以後はキツパリ夏といふことになる、それは巴里の婦人の服装がすつかり変つてしまふ、それでサロンの招待日といふ日には、先づ巴里の一流の社会の人たちが、出揃ふやうな盛大なものである、その日から服装なども皆新らしくなり、其年の流行が其時から始まる、殊に夏の流行のことであるから、如何にも華やかである、さうして其姿は軽やかである、殊に彼方では毎年流行が変る所であるから、自然目新しく感じて、即ち其年のお正月と云ふやうなものである、夏の感じは何うであるかと云ふと、自然に対しての感じは、田舎では麦圃がひどい強い感じを与へます、何故かと云ふと、麦は畦を置いて蒔くのではなくして、皆平らかに蒔いて、そうして其麦の間に虞美人草と矢車草とか混つて咲く、一面麦の青いのに、赤の虞美人草、それに紫の矢車草が入乱れて咲くのであるから、実に何とも云へぬ奇麗さである、即ち仏蘭西の旗色そのまゝの色で、色として取合せも洵に激しく奇麗に感じられる、田舎に於ての夏の感じは麦圃が一等である、斯ういふ奇麗な色は、見やうと思うても日本などでは余り例がない、東洋にはない色合である。
  淡泊な感覚
 絵を描いて非常に愉快に感じるのは牧場である。牧場の興味と云ふものは、矢張詩によつて感ずることが多いのである。実際牧場と云ふものは、先づ不潔な気持のものである、動物が居つて、百姓などでも汚い服装で余り良いものではない、昔から希臘から随つて基督文学の影響を受けた文学には、皆此牧童又は牧場と云ふものに就ての詩が沢山あつて、実に自ら神代とでも云はうか、極原始的の、さうして何とも云はれぬ淡泊な感覚の時代に立帰ると云ふやうな気持が、此牧場から得られるのである、それで仏蘭西の文学では、十九世紀の初め頃に、グラマルチーンと云ふ人があつて、詩集文集などが出来て居るが、是は仏蘭西の南の方の事を書いてあつて、或は蜜峰であるとか、牧場の牧童の生活と云ふやうな事が書いてある、さういふやうなものからも連想を得られる、殊に又革命の日に首を斬られたシエニエと云ふ詩人があるが、シエニエの詠つた牧童生活の状態などは、私の学生時代、田舎の牧場と云ふことに就ての良い感情を持つことを扶けた一つの種だと思ふ、兎に角野原などに臥転んで居ると、何ともいへぬ香がする、雑草の間に蜜のやうな香がする。日本の野原などにうつかり臥て居ると、蚊が刺したり病気を起したりするが、仏蘭西あたりではさういふ事はない、それで私共も能く絵の道具を持つて行つて、木の陰などの草原に、何時間となく臥転んで怠けた事も沢山ある、草原の状況などは、日本では得られぬ良い感じを持つて居る。
  自然を愛する心持
 それから又河の縁などは何うであるかと云ふと、私共がよく参つた処は、幅が此部屋より少し広い川があつて、水の深さも船漕の出来る位、底は無論沼のやうになつて居る、昼はよく船漕する者を見かける、西洋の絵などに、木の下に舟を繋いで、女が白いパラソルをさした所などを絵に描いたのがあるが、あゝ云ふのは此方で見ると、気取つた考へのやうで、画家が殊更に拵へたやうに思ふが、彼方には実際ある事である、併しこれは開けた都の人が田舎に行つて臨時にやる事で、私共田舎に居て見ると甚だ不自然のやうに見える、一向景色と人間との釣合が取れぬのであるが、さういふ事は日曜日などに能く見かけるのである、又田舎の人にしても、是が日本であると、子供などが入つて無闇に睡蓮などを取散らして、すぐ汚くしてしまふのであらうが、彼方では決してさういふ事はない、皆自然を愛する心持を有つて居るやうに思ふ。
  快い静かさ
 夏の夜などは洵に静かで、又日本のやうに暑くるしく、汗だらけになるといふことはないから、夏も川の縁などに出て居ると、洵によい気持である、日本人から見ると西洋人は出好きであるやうに思ふが、巴里あたりでは往来を歩く人が多く、外で食事をする人もあり、相当出好きがあるやうであるが、田舎の住居は矢張日本と同じやうで、先づ夜などぶらぶら散歩する人はない、家に居る人が多く夜は静かなやうに思ふ、私など夏の夜出掛けて橋の上に行くと、誰も他に居らず、全く一人で、何鳥か知らぬ鳥の声が聞えたりして非常に心持の好い寂しさを感じることがたびたびであつた。それで快い静かさを失はぬ為に、其時を限りに死んで、永久に其心持を留めたいと云ふやうな詩があるが、其通りに感じる、如何にも其通りの心持が始終続いたならば、どの位愉快か、之を続けるには其時限り命がなくなつたならば、何時までも続くのではなからうかと云ふやうな考へになる、さうした間に心持のよい夏の夜といふことを、彼方の田舎で感じる事がある。
  豊富な温み
 秋になると、秋は又決して日本のやうに賑かな秋ではない、極く短い単調な感じがする、彼方の牧場の周囲などに植ゑてある木が多くポプラであつて、それが十月十日の前後になると黄色くなり、さうして僅か一週間位の間に落葉してしまふ、其黄色くなつたのは、日本で云ふと一番銀杏の木が似て居る、一面に黄金色になり、非常に奇麗なものである。さうして秋は何となく寂しいと云ふ感じはするけれど、さう悲しいやうな感じは少いと云ふのは、矢張文章や詩の中に、日本のやうに無闇に悲しがつて居らぬのである、秋は物によつては収穫の時期であつて悪い時期として悲しむべき、又物皆が廃れて行く時期のやうに感じて居らぬやうに思ふ、又私共も左様に感じた、仏蘭西の秋は悲しい滅入つて行くやうなものでなく、唯寂しさを感ずる位の事、さうして物の熟して行く豊富な温みを感じる。又陽の強い光を秋に於て感じられる、秋の光線は木の葉が黄色くなるばかりでなく、陽の光が夏よりも余計に黄色味を帯びて来るやうに思ふ、絵に現はすと、絵の色彩の上からの温みといふことは、秋に於て多く感じるやうに思ふ、夏は強い感じはあるが温みが少い、絵などで秋の心地をよく出したと云ふのも沢山あるがミレーの絵に、山陰の牧場に木が五、六本あつて、少し高い方に羊が居り、羊飼が立つて居る、木の梢から二、三点、木の葉が散つて居る所の絵がある、これは仏蘭西のみならず、世界的にもよく秋を現はしたものではないかと思ふ、仏蘭西の秋は割合に悲しくなく、唯単調なのである。
  木の枝の白珊瑚
 冬になると、其寒さの具合が日本とは違つて一層強い、強いのであるが、余り寒いとは思はぬ、それは日本より湿気が少く、極く乾いた寒さの為か、体に強くは感じない、唯肌とか顔とか、耳等が少しピリピリするやうに感じる、落葉樹が多い為に、夏と冬とは大変な違ひで、山などは殆んど木の葉のない山になつて居る、畑などもまるで何もないやうである。併し雪或は霜は、土地の関係からして霜柱が少い、氷ることはひどく氷る、時々時ならぬ花が奇麗に咲くことがある、日本でもこの数年来に著しく見たのは一回か二回であらう、東京などには非常に少いが、巴里の近在などには非常に多い景色で、冬の間はよい慰みになり、好い感じのするものである。枝がすつかり夜のうちに凍つて、朝見るとまるで雪が降つたやうになつて居る、それは雪でなく氷である、又雪の降る事は大変少く、東京などの方が雪のふる事が多いやうである、それから珍らしい事は、巴里では度度はないが河の氷ることである、此方では殆んど見ない、初は上から見ると、木板位の大きさの氷の塊が段々流れ寄つて、それが密着して来て、やがてすべて大きな氷になつてしまふ、是は巴里に時々ある、又文学の方面から見ても、冬はまず冬蔵りで内輪の生活が多い、即ち家屋的の生活といふ方の感じが多い。
  冬の気分
 夜などは私どもの居つた時分は、矢張ラムプであつて、電燈や瓦斯はない、ラムプを点けて其周囲に家族が集つて、色々の話などをして夜を更す、又親類なり近所の人などが来て話しにふかすこともある、それで書生の一人の生活で、各面白く感じるのは、暖炉の近所、或は壁の一隅などに蟋蟀が出る、それは寒い時に火に当つて居る、能く妙な淋しさの感じを助けるものである、是は矢張田舎の感じである、巴里などの書生生活で、私どものやつた生活は随分乱暴なもので、夜など火を焚くのに石炭があまりないので能く薪を焚くのであるが、骨が折れて仕やうがない、そこで寒くなると外へ出て、無闇に歩いて温まつて帰るといふやうな事を度々やつた、冬は田舎に居るよりも、苦しくても都に居た方が勉強も為易いしかたがた都の冬の状態、例へば往来に焼栗を売つて居る有様などは、日本とさう変つた事はない、日本で焼芋を売つて居るのと気持は同じ事で、形式の上からは先づ別に特徴はない、唯気候の関係から天候上異つた事が少しある位である。
 兎に角すべての事が、それが例へば詩に詠つてあるといふ事によつて、それ自身が感ずると感じないとに無論よらうがさう云ふものゝ連想に依り大変面白く感じたことゝ、一向感覚なく済んだ事とが沢山ある、前に述べた名画によつて秋の感じを深くする場合もある、又佳い詩や何かを記憶して居る為に、思ひ掛けない寂しさが却つて好い感じを与へるといふ場合もある、大分其辺の関係は密着して、直接自然から私が得た感じばかりではないが、兎に角ある時代に感じた大体をお話申せば右のやうな次第である。
(「芸術」1-10・11  大正12年4・5月)
©独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所