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白馬会関係新聞記事 第13回白馬会展

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白馬会(中)
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| 萬朝報| 1910(明治43)/06/15 | 1頁 | 展評 |
△第五室、こゝは場中の大■■である、内■■の珍品に洋行土産が取交ぜて■■してある所は■人の眼に甚だ心地よい、まづ入口の湯浅氏の油絵、その風景は大したものとも思はれぬが、人物は個性を現はして、物の本に見た西班牙の女は成程これらしい、その色のナマクラなのと■■■を見てしたかの如く見ゆる筆致とは、このしつこい■■と相待つて頗る奥行きのある■■を生じた、色の変化する調子からいへば「村娘」が面白く纏つてゐるのは「読書」で「休息」は西班牙の女を■■に■り■したものである、矢崎千代治氏のは子供の「肖像」がいい、但しバツクと主体とを殊更に■したのは画を卑くした、長原止水氏の「新聞」はモデルを十二社の茶店女に仕立てたやうなものが何となく薄つぺらな気がする、外光の研究も今少しする必要があらう@△中沢弘光氏の十一点は非常の進境を認める、余は氏の作品に山本氏の作に見るが如き心細い落付でない落付を認める、古画に対する時と同じ一種の気韻を認める、なつかしみを認める、中で「斜陽」は例の強烈な日光を研究したものだが、これまた昨年■氏が「思ひ出」を評して(余もまた同感と思つた)光明でなく黄色な物質を放射するやうだといつた悪口は當らない程に成功してゐる、しかもそのケバケバしくない処が目つけものである。これを藤島氏の「三五0」の夕陽に比すれば流石に顔色ないけれど、また注目すべき作品たるを失はぬ、「柿」「馬酔木の花」は純日本的風物を揃へて、日本的色彩を心ゆくばかり出したものである、余はうれしいと思ふ「李花」はその効果が水彩画と相似てゐる点が愉快である、油絵具を以て水画を描く、余の狭い観賞の範囲に於ては、これが始めてである。而してこの事はやがてまた何時の日か油絵具を駆使して日本画をも作り得るポツシビリチーを示すものではあるまいか、余は日本人が画けば西洋画も日本画といふ議論には■■する、日本画と西洋画とは接近し、更にまた温和融合しなければならぬ、この事に関しては太平洋画会の作品の或物を評する時に更に評言したいと思てゐる@△岡野栄氏の画は渋滞甚だしく、絵具のこぢり付いた醜さは最も不快の感を引く、小林鍾吉氏のでは「初夏の堤」がいゝ、跡見泰氏の「曇」と「船舶」と「朝凪」と「岬」とそれに山本森之助氏の「暮靄」の懸つた一角は陳列に於て最も人の気をそゝる所である、「岬」も或る距離を以て見れば色がいゝが「朝凪」の靄の面白しさに如かず「曇」と「船舶」は兄たり難く弟たり難い好調の小品で、後者の澄んだ空気と前者のポカポカと水蒸気を含んだ空気とは特筆に値する、たゞ「曇」りか照りか素人には一寸飲込めぬ節もあるけれど

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