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白馬会関係新聞記事 第11回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(下)
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| 都新聞 | 1907(明治40)/10/22 | 1頁 | 展評 |
会場内(くわいぢやうない)の奥座敷(おくざしき)とも見(み)るべき最後(さいご)の室(へや)には、小林鐘吉(こばやししやうきち)、山本森之助(やまもともりのすけ)、中沢弘光(なかざはひろみつ)の三氏(し)を始(はじ)めその他(た)の少壮画家(せうさうぐわか)の製作(せいさく)を陳列(ちんれつ)してある。その内(うち)でも、小林氏等(こばやしゝら)三人(にん)の作(さく)が、幅(ふく)も大(おほ)きく、努力(どりよく)も多(おほ)く、他(ほか)のに優(すぐ)れて最(もつと)も眼(め)を惹(ひ)く、今回(こんど)の展覧会(てんらんくわい)は此(この)三人(にん)に依(よ)りて重(おも)きをなす観(くわん)がある。此(この)三人(にん)がなかつたら、或(あるひ)は極(きは)めて淋(さび)しきものであつたかも知(し)れない。先進衰(せんしんおとろ)へて後進奮(こうしんふる)ふ、白馬会(はくばくわい)の内(うち)にも時勢(じせい)の影(かげ)が絶(た)えず射(さ)しつゝあることが認(みと)めらるゝ。@さて、此(この)三人(にん)の中(うち)で、中沢氏(なかざはし)のは谿間(たにま)に立(た)つた裸体少女(らたいせうぢよ)の図(づ)である、全体(ぜんたい)のシインから推(お)して何等(なんら)かの理想(りさう)を寓(よ)せたものであらうと思(おも)つたら霧(きり)と云(い)ふ画題(ぐわだい)で、現実(げんじつ)を描(かい)たのださうな。それにしては、何故(なぜ)こんな場所(ばしよ)を選(えら)んだのであらうそれに少女(せうぢよ)の形(かたち)、色(いろ)などにも難点(なんてん)があつて氏(し)の作(さく)としては称揚(しようよう)すべきものでない。これよりも風景(ふうけい)を描(ゑが)いた小幀(スケツチ)の方(はう)が氏(し)の本領(ほんりやう)を発揮(はつき)したものである。@小林氏(こばやしゝ)の波涛(なみ)は暴風後(ぼうふうご)の波涛(なみ)の変化(へんくわ)を描(ゑが)いたものである。其目的(そのもくてき)と結果(けつくわ)とが如何程迄(いかほどまで)一致(ち)して居(を)るかは解(わか)らぬが、忠実(ちうじつ)に自然(しぜん)を描(ゑが)くと云(い)ふ氏(し)の製作的態度(せいさくてきたいど)は此作(このさく)の上(うへ)にも充分(じうぶん)に現(あら)はれて居(を)る。@山本氏(やまもとし)の出品(しゆつぴん)は大作海辺(たいさくうみべ)の松(まつ)、燈台(とうだい)の外(ほか)に波(なみ)、雲等(くもとう)の小品(せうひん)がある。此種(このしゆ)の描写(べうしや)にかけては既(すで)に手腕(しゆわん)を認(みと)められて居(を)る人(ひと)であるだけに風景(ふうけい)に於(おい)ては場中第(ぢやうちうだい)一である。殊(こと)に海辺(うみべ)の松(まつ)の光線(くわうせん)の如(ごと)き、これ程周密(ほどしうみつ)に光線(くわうせん)を描(ゑが)いたものは恐(おそ)らくは従来(じうらい)にあるまい。

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