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白馬会関係新聞記事 第11回白馬会展

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白馬会展覧会評(五)
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| 破裂刀 | 日本 | 1907(明治40)/10/28 | 1頁 | 展評 |
△窪川某氏@△加藤某氏@△アイ・エス氏 三氏共(しとも)に森林(しんりん)を描(か)いたものが同場所(どうばしよ)に出(で)て居(ゐ)る、出来栄(できば)えも殆(ほとん)ど同位(どうゐ)。其中(そのなか)で窪川氏(くぼかはし)のは力量(りきりやう)があつてドツシリして居(ゐ)る。加藤氏(かとうし)のは艶(えい)に優(やさ)しい、アイ・エス氏(し)のは古蒼(こさう)だ、尤(もつと)も欠点(けつてん)は何(いづ)れにもある。窪川氏(くぼかはし)の如(ごと)きモツト遠近(ゑんきん)を研究(けんきう)せずばなるまい。兎(と)に角斯(かくか)ういふ風(ふう)に真面目(まじめ)に描(か)くと、自分(じぶん)の有(いう)するだけの技倆(ぎりやう)は充分出(じうぶんで)るものである。此(この)三枚(まい)の向側(むかふがは)に何人(なにびと)の作(さく)か、田舎家(ゐなかや)の夜景(やけい)がある、暗(くら)いのならよいが、黒(くろ)いのだから困(こま)る。基礎(きそ)の無(な)いのに好(この)んで難(むづか)しいことをやる必要(ひつえう)はあるまい。@△鈴木某氏 富士(ふじ)の裾野(すその)、未(いま)だ遠近(ゑんきん)の呼吸(こきう)が呑込(のみこ)めぬらしい、雲(くも)も綿(わた)のやうだ。然(しか)し真面目(まじめ)の研究(けんきう)を多(た)とする。@△窪田某氏 ヒヨツトコの面(めん)二ツ、之(これ)を写生(しやせい)して居(ゐ)る時(とき)のヒヨツトコ面(づら)が見(み)たいものだ。@△高木誠一氏 数(かず)は余程(よほど)ある、中(なか)にも海岸(かいがん)の夕照(ゆうせう)は大作(たいさく)で、骨(ほね)を折(を)つたものらしい、が気(き)の毒(どく)、成功(せいこう)とは云(い)へぬ。@△未(ま)だ此外(このほか)に相當(さうたう)なもので、批評(ひゝやう)に漏(も)れたものがあるかも知(し)れぬが、先(ま)づ是(こ)れ位(くらゐ)にして置(お)かう。全部引(ぜんぶひつ)くるめて此会(このくわい)を批評(ひゝやう)すると、前年(ぜんねん)に較(くら)ぶれば、研究(けんきう)が余程真面目(よほどまじめ)になつて来(き)たことを認(みと)める。然(しか)し中(なか)にはアンリー・マダン裡足(りそく)てふものもないではない基礎(きそ)も無(な)いのに、がらでも無(な)いことは廃(よ)したがよからう。一言(げん)にして白馬会(はくばくわい)を評(ひやう)すれば優美(ビユチー)の方面(はうめん)にのみ走(はし)り、壮美(サブライム)の認(みと)むべきものが無(な)い。妄評多罪(まうひやうたざい)。(終り)

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