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白馬会関係新聞記事 第11回白馬会展

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白馬会覗(はくばくわいのぞ)き
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| 一記者 | 東京毎日新聞 | 1907(明治40)/10/15 | 1頁 | 展評 |
△今秋(こんしう)の画会(ぐわくわい)は洋画(やうぐわ)と日本画(にほんぐわ)とを問(と)はず凡(す)べて公設展覧会開設(こうせつてんらんくわいかいせつ)の声(こゑ)に喰(く)はれた容(すがた)で、日本画(にほんぐわ)の美術協会(びじゆつけふくわい)と洋画(やうぐわ)の白馬会(はくばくわい)は已(すで)に例会(れいくわい)を開(ひら)いて江湖(かうこ)の観覧(くわんらん)を待(ま)つて居(を)るのに世間(せけん)の音沙汰(おとさた)が無(な)い、前者(ぜんしや)は来月下旬迄(らいげつげじゆんまで)の開期(かいき)だが、後者(こうしや)は本月(ほんげつ)廿五日限(にちかぎ)りと云(い)ふ短期(たんき)なれば、極(きは)めてザツト紹介(せうかい)を致(いた)しましよう、会場(くわいぜう)は旧博覧会(きうはくらんくわい)二号館跡(がうくわんあと)で、光線(かうせん)の工合案外良(ぐあひあんぐわいよ)く場中(ぜうちう)△最も作品の多い 人達(ひとたち)は高木誠一、山本森之助、三宅克巳、中沢弘光の諸氏(しよし)で、黒田清輝氏(くろだきよてるし)の絵(ゑ)が七八点(てん)あるのは、近頃(ちかごろ)の異例(いれい)である、殊(こと)に点数(てんすう)の上(うへ)から云(い)へば、三宅氏(やけし)、高木氏等(たかぎしら)一位(ゐ)にて「海岩(かいがん)の夕日(ゆふひ)」を描(えが)いた大作(たいさく)があり、又概(またがい)して今回(こんくわい)は非常(ひぜう)の奮励(ふんれい)と云(い)はねばならぬ、殊(こと)に奈良の写生は甚(はなは)だ上出来(ぜうでき)である、又(また)△最も出来不出来 のある人(ひと)は氏(し)と岡田(をかだ)三郎助氏(らうすけし)である岡田氏(をかだし)の「女(をんな)の顏(かほ)」の方(はう)は一寸(ちよつと)したスケツチなれど、人(ひと)の眼(め)を曳(ひ)くに足(た)るものだが、「園中逍遥(えんちうせうえう)の婦人(ふじん)」の絵(ゑ)に至(いた)つては、全(まつた)く畸形(きけい)と云(い)はねばならぬ。また高木君(たかきくん)に譲(ゆづ)らぬ程沢山出品(ほどたくさんしゆつぴん)されたのは山本森之助氏(やまもともりのすけし)で如例(れいのごとし)、△海岸の景色 二点(てん)の大作(たいさく)は、優(いう)に場(ぜう)を圧(あつ)する傑作(けつさく)、又大(またおほ)きさこそ劣(おと)れ此(これ)にも優(まさ)る作(さく)がスケツチの中(うち)に一ツ二ツ見(み)える三宅克己氏(やけこくきし)の作(さく)は皆(みな)スケツチで例(れい)に依(よ)つて鮮(あざ)やかな腕前角帽連(うでまへかくばうれん)の群集(ぐんしゆう)が常(つね)に其前(そのまへ)を離(はな)れない、其(そ)の中(うち)で特(とく)に佳(よ)いと思(おも)はれたのは、山下君(やましたくん)に送(おく)るとか書(か)いてあつた(一七七号(がう))夕日の森の極(きは)めて小(ちい)さな景色(けしき)である。中沢弘光氏(なかざはひろみつし)の作(さく)には裸体(らたい)の大作(たいさく)(二六六番(ばん))が一点(てん)ある何(なん)とか題(だい)があるのであろう、分(わか)らないながら場中傑作(ぜうちうけつさく)の一ツと思(おも)はる、尚氏(なほし)の作(さく)は例(れい)によつて△水彩画「スケツチ」の中(うち)に号(がう)は忘(わす)れたが、老人の肖像、市街の絵(ゑ)など捨(す)て難(がた)き独特(どくとく)の妙味(めうみ)のあるのが多(おほ)い、尚此外(なほこのほか)、九里(くのり)四郎氏(らうし)、久米福衛氏等(くめふくゑしら)のに優(いう)に先輩(せんぱい)を凌(しの)ぐに足(た)る佳作(かさく)があるのに反(はん)し、大家(たいか)を以(もつ)て目(もく)せらるゝ人達(ひとたち)は、公設展覧会(こうせつてんらんくわい)の出品(しゆつぴん)が忙(いそ)がしかつたか一向(かう)に振(ふる)つて居(ゐ)ない兎(と)に角今度(かくこんど)の白馬会(はくばくわい)は、旧年青年画家(きうねんせいねんぐわか)の競技会(けうぎくわい)で、突進(とつしん)、向上(かうぜう)の意気溢(いきあふれ)て居(を)るかの如(ごと)く甚(はなは)だ快(こゝろよ)い画会(ぐわくわい)であつた。(一記者)

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