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白馬会関係新聞記事 第11回白馬会展

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白馬会展覧会評
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| 黒眼生 | 東京日日新聞 | 1907(明治40)/10/21 | 7頁 | 展評 |
今回(こんくわい)の展覧会(てんらんくわい)には特(とく)に絵画(くわいぐわ)として趣味(しゆみ)あるものゝ多(おほ)くを陳列(ちんれつ)せられたるが其中(そのうち)にも黒田(くろだ)、安藤(あんどう)、中沢(なかざは)、山本(やまもと)、三宅等数氏(みやけらすうし)の作品(さくひん)を重(おも)なるものとすさて今秋(こんしう)は近(ちか)く公設展覧会開(こうせつてんらんくわいひら)かるれど察(さつ)するに同会出品(どうくわいしゆつぴん)の多(おほ)くは意外(いぐわい)に凝(こ)りたる否審査官(いなしんさくわん)に諂(へつら)ひたる見(み)るからに拙劣嘔吐(せつれつおうと)を催(もよほ)すべき絵画(くわいぐわ)の陳列(ちんれつ)せらるゝことなるべく恐(おそ)らくは生(せい)が此預言正(このよげんまさ)に的中(てきちう)すべしと信(しん)ずるなり@斯(か)く言(いへ)ば人或(ひとあるひ)は暴言(ばうげん)とせんもさきに公設展覧会開催(こうせつてんらんくわいかいさい)の事(こと)を発表(はつぺう)せらるゝや西洋画家(せいやうぐわか)も東洋画家(とうやうぐわか)も一斉(ひとし)く一時其挙(じそのきよ)を論難攻撃(ろんなんこうげき)し中(なか)にも文部省(もんぶしやう)に建言(けんげん)する者(もの)さへありし程(ほど)なるが其後西洋画家中(そのごせいやうぐわくわちう)一二の人(ひと)が審査官(しんさくわん)に選(えら)ばれしより以来不思議(いらいふしぎ)にも西洋画家(せいやうぐわか)の間(あひだ)には何等非難(なんらひなん)の声(こゑ)を聞(き)かざるに至(いた)りぬ斯(かく)して彼等(かれら)が心事(しんじ)の陋劣(ろうれつ)なる事遺憾(こといかん)なく表(あらは)れたりさて又東洋画家(またとうやうぐわか)の方(ほう)は如何(いか)にと云(いふ)に是亦多数(これまたゝすう)の人々騒立(ひとびとさわぎたて)しも文部省(もんぶしやう)は同画家中(どうぐわかちう)より特(とく)に多(おほ)くの審査官(しんさくわん)を出(いだ)す能(あた)はざれば止(や)むなく予定外(よていぐわい)に両(れう)三人(にん)の審査官(しんさくわん)を出(いだ)すに止(とゞ)まりしかば同画家間(どうぐわかゝん)には尚(な)ほも不平(ふへい)を唱(とな)ふる者(もの)あり之(こ)れを要(えう)するに文部省(もんぶしやう)も美術家(びじゆつか)も此(かく)の如(ごと)き有様(ありさま)にては人(ひと)をして満足(まんぞく)せしむべき展覧会(てんらんくわい)を開(ひら)かんこと猶(な)ほ木(き)に縁(より)て魚(うを)を求(もと)むる如(ごと)く到底不可能(たうていふかのう)と云(い)はざるべからずざれば今度(こんど)の公設展覧会出品(こうせつてんらんくわいしゆつぴん)の絵画(くわいぐわ)は一種不思議(しゆふしぎ)のものにして充分(じうぶん)に感情(かんじやう)を発揮(はつき)せし趣味(しゆみ)ある絵画(くわいぐわ)の出品(しゆつぴん)は之(こ)れを望(のぞ)むも得(う)べからず况(いわ)んや総花主義(そうはなしゆぎ)の審査官(しんさくわん)が審査(しんさ)をなすに於(おい)てをや生(せい)が如上(ぢよじやう)の言(げん)は敢(あへ)て妄評(もうひやう)に非(ある)ざるべしと信(しん)ず斯(か)くの如(ごと)き次第(しだい)なれば然(しか)るべき大家(たいか)は何(いづ)れも出品(しゆつぴん)を拒絶(きよぜつ)し又審査官(またしんさくわん)を辞(じ)する等是(とうこ)れ少(すこ)しも怪(あや)しむに足(た)らずかくて今回(こんくわい)の白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)は公設展覧会(こうせつてんらんくわい)に対(たい)して特(とく)に趣味(しゆみ)ある絵画(くわいぐわ)の多(おほ)くを陳列(ちんれつ)せられたるならんが之(こ)れの陳列画(ちんれつぐわ)に就(つい)て聊(いさゝ)か批評(ひゝやう)を試(こゝろ)みんに黒田氏(くろだし)の「日向(ひむき)の庭園(ていゑん)」は彩色鮮(さいしきあざや)かにして他(た)の洋画家(やうぐわか)の企(くはだ)て及所(およぶところ)に非(あら)ず又(また)「薔薇(ばら)」の如(ごと)きも最(もつと)も弱(よは)き調子(てうし)にて描上(ゑがきあげ)たる手際頗(てぎはすこぶ)るよし「半成肖像(はんせいせうぞう)」は最(もつと)も味(あぢは)ひあり此(こ)の侭(まゝ)に置(お)きたき心地(こゝち)す尚(な)ほ「野辺(のべ)」と題(だひ)する半裸体(はんらたい)の画(ぐわ)を公設展覧会(こうせつてんらんくわい)に出品(しゆつぴん)さるべしと聞(き)けど夫(そ)れよりも右半成肖像(みぎはんせいぜうぞう)の方却(はうかへ)つて趣味(しゆみ)ある画(ぐわ)なるべきか安藤氏の「大川大橋辺(おほかはおほはしへん)の景(けい)」は流石(さすが)に手(て)に入(い)りたる出来栄(できばえ)と評(ひやう)すべく両国橋(りやうごくはし)の夕空(ゆふぞら)に雲(くも)の峰(みね)の顕(あら)はれたる将(は)た夕陽(ゆふひ)の人家(じんか)に射(さ)し水(みづ)に映(えい)ずる工合(ぐあひ)など最(もつと)も佳(か)なり此(かく)の如(ごと)き景色(けしき)に於(おい)ては恐(おそ)らく氏(し)の右(みぎ)に出(い)づるものあらざるべし中沢氏は非常(ひじやう)の勉強家(べんきやうか)と聞(きこ)えて毎会多(まいくわいおほ)くの出品(しゆつぴん)を見(み)るも今回出品(こんくわいしゆつぴん)の「霧(きり)」と題(だい)せるものは失敗(しつぱい)の作(さく)と云(い)つて可(か)ならん小品(せうひん)には頗(すこぶ)る佳作(かさく)を見受(みう)けたるが就中(なかんづく)「塩原(しほばら)の景(けい)」は彼(か)のボツボツ流(りう)にて仕上(しあ)げたる工合色(ぐあひいろ)と云(い)ひ調子(てうし)と云(い)ひ殊(こと)に優(すぐ)れて見(み)ゆ水彩画(すゐさいぐわ)の中(なか)にては「伊香保温泉場(いかほおんせんば)」最(もつと)も佳(か)にして光線(くわうせん)の工合(ぐあひ)、遠近(えんきん)の調子(てうし)など感服(かんぷく)の外(ほか)なし山本氏の「朝凪(あさなぎ)」は景色専門家(けしきせんもんか)として最(もつと)も佳作品(かさくひん)なり色(いろ)の工合(ぐあひ)、水(みづ)、松共(まつとも)に申分(まをしぶん)なけれど少(すこ)し写真(しやしん)じみて活動(くわつどう)の趣(おもむき)なきを遺憾(いかん)とす「夕月(ゆふづき)」は色彩布置(しきさいふち)は佳(か)なれど画面(ぐわめん)が此画題(このぐわだい)としては大(だい)に過(す)ぎたるの感(かん)あり三宅氏の水彩画(すゐさいぐわ)は従来(じうらい)のものに比(ひ)して描(ゑが)き方(かた)の大(おほい)に変化(へんくわ)せしは評者(へうじや)の喜(よろこ)ぶ所(ところ)なり多(おほ)くの出品中(しゆつぴんちう)「夕暮(ゆふぐれ)の森(もり)」最(もつと)もよし跡見氏の「奈良(なら)の杉(すぎ)」は見(み)るべき作品(さくひん)なり杉(すぎ)も大木(たいぼく)に見(み)え色彩(しきさい)も重(おも)き調子(てうし)を以(もつ)て描上(ゑがきあ)げたる処大(ところおほい)に賞(しやう)すべし「庭(には)の日陰(ひかげ)」は余(あま)りに小部分(せうぶゞん)を選(えら)び過(す)ぎたるは遺憾(ゐかん)なり岡田氏の「人物(じんぶつ)」画(ぐわ)は不思議(ふしぎ)なる人物(じんぶつ)を撰(えら)びたるもの哉其上体(かなそのじやうたい)は横向(よこむ)きにて着衣(きもの)の袖(そで)は長(なが)く下(した)まで出(い)で額(ひたひ)は恐(おそ)ろしく長(なが)し何(なん)の積(つも)りにてかゝる画(ぐわ)を描(か)きしや其偶意(そのぐうい)を解(かい)すること能(あた)はず博覧会出品(はくらんくわいしゆつぴん)の婦人画(ふじんぐわ)も評者(ひやうしや)は其顎(そのあご)が気(き)になりしが今回(こんくわい)の女(をんな)のも亦頗(またすこぶ)る気(き)になる顎(あご)なり

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