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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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白馬会雑感(はくばくわいざつかん)
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| S生(投)| 読売新聞 | 1904(明治37)/10/06 | 1頁 | 展評 |
第(だい)一に目(め)に付(つ)くのハ入口(いりぐち)の装飾(さうしよく)だが聞(き)けバ某大家(ばうたいか)の設計(せつけい)だソーだがモ少(すこ)し面白(おもしろ)い意匠(いしやう)でやつて貰(もら)ひたい、此(こ)の春(はる)の太平洋画会(たいへいやうぐわくわい)の方(はう)が余程好(よほどよ)く出来(でき)て居(ゐ)た。@中(なか)の画(ぐわ)に就(つい)て思(おも)つた事(こと)を眼(め)に付(つ)く順(じゆん)に云(い)つて見様(みやう)と思(おも)ふ。入口(いりぐち)の淡暗(うすくら)い通(とほ)り路(みち)にハ先(ま)づ可(か)もなく不可(ふか)もなき作(さく)が並(なら)んで居(ゐ)る様(やう)だ。小林鐘吉氏の「何(なん)の景色(けしき)」と和田三蔵氏の「牛飼(うしかひ)」と大作(たいさく)が相対(あひたい)して居(ゐ)るが何(いづ)れも感心(かんしん)した作(さく)とも思(おも)はれなかつた。和田氏(わだし)の噴火山(ふんかざん)ハ壮大(さうだい)の感(かん)を与(あた)へるのハ嬉(うれ)しいが難(なん)を云(い)へば空(そら)がペンキ的(てき)ではあるまいか。中沢弘光氏の「船(ふね)の人(ひと)」湯浅氏(ゆあさし)の婦人何(ふじんいづ)れも面白(おもしろ)い。船(ふね)の人(ひと)は背景(はいけい)ハいゝ心持(こゝろもち)だが人(ひと)が蝋細工(らふざいく)の様(やう)な感(かん)じがする。婦人(ふじん)の画(ぐわ)ハ場中(ぢやうちう)で異彩(ゐさい)を放(はな)つて居(ゐ)ると思(おも)ふが之(こ)れも首(くび)から上(うへ)が土(つち)で造(つく)つた様(やう)でハあるまいか。中尾精十郎氏のモザイクハ看板(かんばん)として立派(りつぱ)なものだ之(これ)が益発達(ますますはつたつ)したならバ面白(おもしろ)いであらう。故河野通義氏の陣中実写(じんちうじつしや)の画(ぐわ)を見(み)る者(もの)ハ誰(たれ)しも一掬(きく)の涙(なみだ)を惜(お)しまぬであろう。岡田三郎助氏の「元禄美人(げんろくびじん)」ハ艶麗(えんれい)の姿(すがた)一見人(けんひと)をして恍惚(くわうこつ)たらしむるもの蓋(けだ)し画家(ぐわか)が苦心(くしん)の跡画面(あとぐわめん)に溢(あふ)れて居(ゐ)る。同氏(どうし)の「梅林(ばいりん)」ハ何(なん)だか分(わか)らないが自分(じぶん)も画中(ぐわちう)の人(ひと)である様(やう)に覚(おぼ)えて暫(しば)らく吾(わ)れを忘(わす)れた。数(すう)四並(なら)んで居(ゐ)る和田英作氏(わだえいさくし)の肖像画(せうざうぐわ)ハ何(いづ)れも面白(おもしろ)い様(やう)だが吾々素人(われわれしろうと)にハよく分(わか)らない。「八百屋(やをや)お七(しち)」に就(つ)いてハ暫(しば)らく世評(せひやう)に委(まか)して置(お)かうと思(おも)ふが唯自分(たゞじぶん)ハあれが「八百屋(やをや)お七(しち)」かと何(なん)だか気落(きおち)がした、黒田清輝氏の大隈伯(おほくまはく)の肖像(せうざう)は隈伯(わいはく)の隈伯(わいはく)たる性格(せいかく)に欠(か)けては居(ゐ)まいか。@藤島武二氏のヘンな女(をんな)の顔(かほ)ハ吾々(われわれ)には一向面白(かうおもしろ)くない。外国人(ぐわいこくじん)の筆(ふで)の風景画(ふうけいぐわ)ハ中々好(なかなかよ)く出来(でき)て居(ゐ)るソーだ。今年(ことし)も特別室(とくべつしつ)とか云(い)ふものが出来(でき)たソーで僕(ぼく)ハ或便宜(あるべんぎ)で入(い)れて貰(もら)つたが三四枚寂(まいさび)しげに並(なら)んで居(ゐ)る計(ばか)りであつた。青木繁氏の「鯖猟(さばれふ)」は実(じつ)に活発々天地(くわつぱつはつてんち)の正気(せいき)ハ一幅(ぷく)の画面(ぐわめん)に躍如(やくぢよ)として居(を)る。斯(こ)ふ云(い)ふ画(ぐわ)が一般公衆(ぱんこうしう)に見(み)られないとハ実(じつ)に残念(ざんねん)だ。此(こ)の画(ぐわ)が一つ場中(ぢやうちう)に躍(をど)り出(だ)したならバ此会(このくわい)ハ何(ど)れ程光彩(ほどくわうさい)を添(そ)えるか分(わか)らない。三宅氏(みやけし)の風景画(ふうけいぐわ)ハ皆心持(みなこゝろもち)が好(い)い、大(おほ)きな夕景(ゆふけい)ハ中(なか)に就(つい)て最(もつと)も異彩(ゐさい)を放(はな)つて居(ゐ)る。@森山松之助氏の「海(うみ)」ハ和田氏(わだし)の噴火口(ふんくわこう)と相対(あひたい)して壮大(さうだい)の気宇胸億(きうきようおく)に溢(あふ)るゝと云(い)ふ感(かん)がある蓋(けだ)し場中逸物(ぢやうちういつぶつ)の一つであらう。中沢氏(なかざはし)の静物岡田氏(せいぶつをかだし)の風景画(ふうけいぐわ)二点何(てんいづ)れも愉快(ゆくわい)に感(かん)じた。其(そ)の隅(すみ)の方(はう)に十四五枚水彩画(まいすゐさいぐわ)があるのハ素人天狗連(しろうとてんぐれん)の御作(ごさく)だソーだが何処(どこ)か素人(しろうと)ぬけのしない処(ところ)が好(い)い処(ところ)かも知(し)れない。青木氏(あをきし)の真黒(まつくろ)な画(ぐわ)は専門家(せんもんか)にハ面白(おもしろ)いのだろう。出口(でぐち)にある橋本邦助氏(はしもとくにすけし)の画(ゑ)はがき図案(づあん)ハ面白(おもしろ)いと思(おも)つた。@全体(ぜんたい)に就(つい)て出品(しゆつぴん)が去年(きよねん)に比(ひ)して少(すく)ない様(やう)だが之(こ)れも時局(じきよく)の影響(えいきやう)であらう。中(なか)で自分(じぶん)は三宅氏(みやけし)の風景画(ふうけいぐわ)が一番欲(ばんほ)しかつた悲(かな)しい事(こと)にハ自分(じぶん)の様(やう)な貧乏者(びんぼふもの)にハ何(なん)ともならず指(ゆび)をくはへて暫(しば)らく画(ぐわ)に対(たい)して恍惚(くわうこつ)として居(を)る計(ばか)りであつた。そこで自分(じぶん)ハ考(かんが)へた。水彩画(すゐさいぐわ)がほしいと云(い)ふのハ夫(そ)れを壁間(へきかん)に懸(か)けて朝夕(てうせき)の慰籍(ゐせき)としたいと云(い)ふのであるが、数多(かずおほ)き見物人(けんぶつにん)の中(なか)に大(おほ)きな油絵(あぶらゑ)を室(しつ)の一隅(ぐう)に置(お)いて楽(たの)しまうと云(い)ふ人(ひと)ハ先(ま)づあるまいと思(おも)ふ。之(これ)ハ今(いま)の一般(ぱん)の家(いへ)の構造上部屋(こうざうじやうへや)の装飾(さうしよく)として水彩画(すゐさいぐわ)の方(はう)が適當(てきたう)して居(ゐ)るからであらうと思(おも)ふ。斯(か)う云(い)ふ有様(ありさま)でハ画家(ぐわか)が快腕(くわいわん)を揮(ふる)ふ機会(きくわい)は到底得(たうていえ)られまいと思(おも)ふ。此(こ)の点(てん)に就(つい)て自分(じぶん)ハ現今(げんこん)の洋画家(やうぐわか)に対(たい)して同情(どうじやう)を寄(よ)せるのである。@時節柄(じせつがら)でも日曜(にちよう)であつた為(ため)か場内(ぢやうない)ハ立錐(りつすゐ)の地(ち)を余(あま)さない有様(ありさま)であつた。中(なか)に青年男女(せいねんだんぢよ)が大多数(だいたすう)を占(し)めて居(を)ツた。之(こ)れは普通教育(ふつうけういく)に絵画(くわいぐわ)が奨励(しやうれい)された結果(けつくわ)かと思(おも)はれる。兎(と)も角(かく)一般(ぱん)の嗜好(しかう)が斯(か)う云(い)ふ方面(はうめん)に向(むか)ふと云(い)ふ事(こと)ハ悦(よろこ)ばしい現象(げんしやう)で今後此(こんごこ)の傾向(けいかう)を益々増進(ますますざうしん)させたいと思(おも)ふ。@自分(じぶん)ハ画(ぐわ)を学(まな)んだのでも筆(ふで)を採(と)つて見(み)たのでもなく、唯思(たゞおも)つた侭(まま)を無暗(むやみ)に書(か)いて見(み)たが、画家(ぐわか)が彩筆(さいひつ)を採(と)つて茲迄(ここまで)に達(たつ)する苦心(くしん)と云(い)ふ者(もの)ハ想像(さうぞう)の外(ほか)であらうと思(おも)ふと自分(じぶん)の思(おも)つた事(こと)が済(す)まない様(やう)な気(き)がするので、終(をは)りに臨(のぞ)んで妄評(もうひやう)を謝(しや)するのである。

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