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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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今年(ことし)の白馬会(はくばくわい)(二)
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| 毎日新聞 | 1904(明治37)/10/22 | 1頁 | 展評 |
和田三造氏(し)の作大小取混(さくだいせうとりま)ぜて都合(つがう)九枚(まい)、吾人(ごじん)は其(そ)の巧(たく)みなる技術(ぎじゆつ)に讃嘆(さんたん)の辞(じ)を惜(をし)まぬ者(もの)である、美術学校(びじゆつがくかう)の門由來秀才多(もんゆらいしうさいおほ)し、少壮画家(せうさうぐわか)として氏(し)は其(そ)の最(もつと)も多数(たすう)の一人(にん)であろう。為朝百合よりも静物の木槿(もくげ)の花(はな)の方(はう)が色(いろ)に落着(おちつ)きがあつて佳(い)い、霊岸島、及(およ)び雨の波共(とも)に面白(おもしろ)く、大島婦人(おほしまふじん)の肖像(せうぜう)、色(いろ)に癖(くせ)があるか様(やう)にも思(おも)はるゝが、顔面(かほ)の肉(にく)はよく著(あら)はれて居(ゐ)る、モデルの顔(かほ)が、屹(きつ)として雄々(をゝ)しく、夫坐(ふざ)して婦労働(ふらうどう)すてふ彼島(かのしま)の婦人(ふじん)の風(ふう)が忍(しの)ばるゝのは、実(じつ)に善(よ)い紀念(きねん)である、暮の務めは九点(てん)の内最大(うちさいだい)の作(さく)である褐色(かついろ)の斑(まだら)ある牛(うし)の側(そば)に夫(ふ)は踞(きよ)して乳(ちゝ)を搾(しぼ)り婦(ふ)の一人(にん)は桶(をけ)を頭上(とうぜう)に乗(の)せて側(そば)を過(す)きんとす納屋(なや)とも見(み)ゆる家(いへ)の内(うち)に他(た)の婦(ふ)は働(はたら)きつゝあり、葉鶏頭色付(はけいとういろづ)きたる園(その)も見(み)えて、夕(ゆふ)の色淡(いろあは)く靉(たなび)く、農家(のうか)の裏手(うらて)のさまで海上遠(かいぜうとほ)くはないが、本土(ほんど)との交通不便(かうつうふべん)なる大島島民(おほしまたうみん)の平和(へいわ)なる生活(せいくわつ)の状態(ぜうたい)がよく写(うつ)されて居(ゐ)る真(しん)に好田園詩(かうでんゑんし)と謂(い)ふべしである、総体(そうたい)に隈(くま)が明瞭過(めいれうす)ぎはせぬか、今少(いますこ)し夕(ゆふ)の光(ひかり)が柔(やわらか)く朦(おぼ)ろにあつたらば趣(おもむ)きが一層深(そうふか)くはあるまいか、又牛(またうし)と人(ひと)との間隔(かんかく)が判(わか)らぬ、無論狭(むろんせま)い近(ちか)い場所(ばしよ)なれば、距離(きより)はないが、牛(うし)と人(ひと)と平面(へいめん)をなして居(ゐ)る様(やう)に見(み)らるゝ、され共茲(どもこゝ)に多(おほ)くを需(もと)めない、吾人(ごじん)は此(し)の詩想(しさう)の下(もと)に此(こ)の作(さく)を成(な)したる氏(し)の勇気(ゆうき)と親切(しんせつ)に謝(しや)せざるを得(え)ない、和田氏(わだし)の作中否(さくちうい)な寧(むし)ろ今回(こんくわい)の出品中(しゆつぴんちう)にて最(もつと)も妙(めう)らしき処(ところ)を選(えら)びて描(えが)かれたるは三原山の絵(ゑ)である、此迄火山(これまでくわざん)の画(ぐわ)は多(おほ)く見當(みあた)らない此(こ)れ火山国(くわざんこく)と迄言(までい)はるゝ我国(わがくに)にして、実(じつ)に妙(めう)な現象(げんせう)と云(い)はなければならぬ、何故(なにゆゑ)であろうか、無論奇(むろんめづ)らしさと美(うつく)しさとが伴(ともな)はぬと云(い)ふ位(くらゐ)は誰(だれ)でも承知(せうち)して居(ゐ)るが、美(び)は火山(くわざん)にもあろう、否(い)な寧(むし)ろ吾人(ごじん)は火山質国土(くわざんしつこくど)の美(び)を誇(ほこ)り度(た)いと思(おも)ふ者(もの)である、看(み)よ世界(せかい)の人(ひと)の目(もく)して以(もつ)て美(び)の生地(せいち)をなす南欧伊太利(なんおういたりー)は何(ど)うであるか、エズイフの山古(やまいにし)へより幾何計(いかばか)りの感化(かんくわ)を人(ひと)の子(こ)に与(あた)へたか、言(い)ふ丈(た)け野暮(やぼ)である、吾人(ごじん)は技巧(ぎこう)の練磨(れんま)の大切(たいせつ)なるを知(し)らぬ者(もの)ではないが自然(しぜん)を描(か)くにも只徒(たゞいたづ)らに彼国(かのくに)の先輩(せんぱい)の写(うつ)す所(ところ)を看(み)て自(みづか)ら選題(せんだい)の上(うへ)に迄範囲(まではんゐ)を設(まう)くるの愚(ぐ)なるを思(おも)ふ一人(にん)である、尚氏(なほし)と同(おな)じく世(よ)の所謂平凡(いはゆるへいぼん)なる自然(しぜん)の内(うち)に多(おほ)く美(び)は見出(みいだ)さるゝとして、書(か)くもの毎(ごと)に野(の)、川(かは)、海辺(うみべ)、砂山(すなやま)、而(しか)も皆大同小異(みなだいどうせうい)な景色(けしき)を何処迄(どこまで)も墨守追従(ぼくしゆつゐじう)して居(ゐ)る事(こと)の甚(はなは)だ迂(う)なるを思(おも)ふのである、己(おのれ)の感(かん)じて以(もつ)て美(び)となせるものは其(そ)の何(なに)たるを問(と)ふ暇(ひま)があろうか、刷毛(はけ)を執(と)つては須(すべか)らく自由(じいう)なるべし、奔放(ほんぽう)なるべし、是(こ)れこそ芸術家(げいじゆつか)の勇気(ゆうき)であろうと思(おも)ふ。余談休題(よだんきうだい)。@三原山の絵(ゑ)、和田氏(わだし)の作中(さくちう)では暮れの務めに次(つ)ぐ大(おほき)さである、淡緑色(うすみどり)の高(たか)き空(そら)に焼(や)けたる赭色(あかいろ)の夏雲(なつぐも)は靉(たなび)き、噴火口(ふんくわこう)より昇(のぼ)る硫焔(りうえん)は白黄色(はくゝわうしよく)に怪(あや)しく末(すゑ)は小(ちいさ)き獣(けもの)めきたる形(かたち)に、フラフラと中空(なかぞら)に消(き)え行(ゆ)く様共(さまとも)に目(ま)のあたり見(み)るが如(ごと)く良(よ)く写(うつ)されて居(ゐ)る、又最(またもつと)も鮮(あざ)やかに認(みと)めらるゝは高(たか)き山(やま)の頂(いたゞき)が、空気(くうき)の清澄(せいてう)な工合(ぐあひ)である、稍平(やゝたいら)かに青草短(あをくさみぢか)く焼土(やけつち)の地(ち)に斑(まだら)をなし、■影早(ひかげは)や吾後(わがうし)ろに落(お)ちて只噴火口(たゞふんくわこう)の一角(かく)にのみ茜(あかね)を止(とゞ)めて居(ゐ)る、此(こ)の噴火口(ふんくわこう)の隆起(りうき)が、海面(かいめん)を抜(ぬ)く事(こと)二千尺(しやく)に近(ちか)き山(やま)の頂(いたゞき)であると誰(た)が目(め)にも承知(せうち)させるのは此(こ)れ即(すなは)ち氏(し)が空気(くうき)の描方(かきかた)に於(お)ける成効(せいかう)なのである、吾人(ごじん)は此(これ)を以(もつ)て、同氏作中(どうしさくちう)の傑作(けつさく)とし此(こ)の美(うる)はしき山(やま)の茲(こゝ)に初(はじ)めて紹介(せうかい)されたるの欣(よろこ)び禁(きん)せざる者(もの)である。

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