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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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白馬会展覧会(上)
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| 日本 | 1904(明治37)/11/03 | 15頁 | 展評 |
美術学校卒業生中新進気鋭の勢ひで十枚も三十枚も相応の作を揚げて居る者のあるのは何より心強い所謂斯道の大家の作は年々それら気鋭の士に押しつけられて殆んど見る影もない観がある。@一、浅間の秋(郡司卯之助) は同人作中の稍成功したものであるが、空が落着かぬ。前景の薄雑草などは荒涼とした感じがよく現はれて居るけれ共、惜むらくは浅間山の半腹以上が、殆ど別人の手になるかとも思はれる程拙である。此絵は胴切りにするとよい、などゝ評して居つた者もあつた。同人作は総て八枚あつたけれ共、其の他は総て浅間の秋の上半同様修熟の足らぬ感がある。@一、霜月の半ば(伊藤直和) 洒落た作だといふので評し盡してをる。之を同人作の「夕景」などに比ぶれば同じ筆者でかうも違ふものかと思はれる。布のカンバスに画いたのも■■■■■■■■よいけれ共、■■■■■■■■■と大差はない。■■■■いふ迄で更に大きい処、■■■■■■■。@一、■■■■■■たゞ美しいものを■■■■いふだけで何等の意味がない画■■らしても遠近もなければ厚みもない。■■■■■■■■■@一、■■■■(判読不能)■■■■た可なりの大作である。青年画家として望を属せられてをる一人であるさうだが、かゝる大作は何となく手に余るといふ観があつて処々に著しい欠点がある。例之ば、牛よりは前に居る■となく後ろに居るやうに見え、■■■■■■とて居る桶が、頭に乗■■■■ものとは見えず、又た牛の腹の■丸みがなくてベソリとして居るなど其一例である。大体に於て人物の配合も決して面白いとは言はれぬ。つまり渾然とした処がない。けれ共シャガンた老爺などは最も意を用ゐたらしくよく出来て居る。かゝる作は欠点は多からうとも成るべく其美処を上げて奨励するやうにしたい。@一、伊豆大島三原山(同人) 此絵に至つて作者の快腕は遺憾なく現はれて居るというてよい噴火口から一抹の噴烟を吐いた処、アンデサイトの赭黒色をなした処、総て噴火山といふ趣きが歴然として居る。殊に注意すべきは山の丸みである。半空に聳え立つた趣きが如何にも壮大な感じがして、空に張りつけられたやうな山とは全く異なつてをる。空の色も落着いて空らしく。雲も浮いて見える。兎に角場中佳作の一に押すべきものであることは何人も首肯する処であらう。

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