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白馬会関係新聞記事 第9回白馬会展

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白馬会展覧会(はくばくわいてんらんくわい)(上)
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| O生記 | 東京朝日新聞 | 1904(明治37)/10/22 | 7頁 | 展評 |
第(だい)九回白馬会展覧会(くわいはくばくわいてんらんくわい)は目下上野公園(もくかうへのこうゑん)五号館(がうくわん)に於(おい)て開催(かいさいちう)なるが、本年(ほんねん)は時節柄(じせつがら)にや入口(いりくち)の装飾(さうしよく)を極(きは)めて簡素(かんそ)にされて、昨年(さくねん)の如(ごと)き結構壮大(けつこうそうだい)の観(くわん)はなけれど、その趣向(そのしゆかう)に於(おい)ては他(た)の展覧会(てんらんくわい)に比(ひ)し優(いう)に一頭地(とうち)を抜(ぬ)いて居(ゐ)る。さて其作品(そのさくひん)は都合(つがふ)二百余点(よてん)あつて各其特長(おのおのそのとくちやう)を発揮(はつき)されて居(ゐ)るが、今(いま)は一々之(いちいちこれ)に評言(ひやうげん)を加(くは)ふる遑(いとま)がないから、観覧(くわんらん)の際記憶(さいきおく)に留(と)まつたものを左(さ)に列記(れつき)して紹介(せうかい)の労(らう)を取(と)ることゝした。@先入口(まづいりくち)の左(ひだり)なる第(だい)一室(しつ)から始(はじ)めて見(み)やう。斎藤五百枝氏(さいとういおえし)の「畑(はたけ)」は中景(ちうけい)のあたりが佳(い)い、又同氏(またどうし)の風景(ふうけい)は前景(ぜんけい)の森(もり)の樹木(じゆもく)が描(ゑが)いてある、双方(さうほう)とも風景画(ふうけいぐわ)として見(み)るべき作(さく)であらう。岡野栄氏(をかのえいし)の「赤(あか)い野菜(やさい)」は壺(つぼ)といひ赤茄子(あかなす)といひ物質(ぶつしつ)が現(あら)はれて居(ゐ)る。人見雪彦氏(ひとみゆきひこし)の風景(ふうけい)(九番(ばん))は右方(うはう)の森(もり)の中(うち)の描方(かきかた)が一寸善(ちよつとよ)く出来(でき)て居(ゐ)る。郡司卯之助氏(ぐんじうのすけし)の作品(さくひん)は数枚(すまい)ある中(なか)で「山家(やまが)」と題(だい)する画(ぐわ)がよく整(とゝの)つて居(ゐ)ると思(おも)ふ。伊藤直和氏(いとうちよくわし)の「霜月(しもつき)の半(なかば)」は風景画(ふうけいぐわ)として見(みい)るべきもの。橋口清氏(はしぐちきよしゝ)の「蟲干(むしぼし)」はなかなか巧(たくみ)に描(か)いてあるが、此上欲(このうへほ)しいのは明暗(めいあん)の統(とう)一である。近藤浩氏(こんどうこうし)の「新緑(しんりよく)の夕(ゆふべ)」は忠実(ちうじつ)な写生(しやせい)である。@第二室にある榎本彦氏(えのもとひこし)の「月見草(つきみさう)」は花弁(くわべん)の描(か)き方(かた)が面白(おもしろ)い。和田(わだ)三造氏(ざうし)の「為朝百合(ためともゆり)」、「雨(あめ)の波(なみ)」共(とも)に佳(よ)い小品(せうひん)、「暮(くれ)の務(つと)め」は大島土人(おほしまどじん)の風俗(ふうぞく)を窺(うかゞ)ひ知(し)るべき作品(さくひん)にて、「三原山(みはらやま)」は前景(ぜんけい)の土坡(どは)が甘(うま)く描(か)いてある。マリイ、イーストレーキの「鎌倉八幡宮(かまくらはちまんぐう)」は外国人(ぐわいこくじん)の作(さく)として場内(ぢやうない)の一隅(ぐう)を飾(かざ)られて居(ゐ)る。辻永氏(つじながし)の「瀬戸(せと)の微雨(びう)」は画面(ぐわめん)のある部分(ぶゞん)には雨中(うちう)の有様(ありさま)が現(あら)はれて居(ゐ)れど、屋上(をくぜう)から葡萄(ぶどう)の葉(は)のあたりに雨(あめ)の趣(おもむき)の少(すくな)いは遺憾(ゐかん)。大久保梅子(おほくぼうめこ)の静物(せいぶつ)(五十一番(ばん))は果実(くわじつ)が忠実(ちうじつ)に描(か)いてある、同(どう)(五十三番(ばん))は全体(ぜんたい)の調子(てうし)がよく整(とゝの)つて居(ゐ)る。熊谷守(くまがやもり)一氏(し)の自画像(じぐわぞう)は成功したもの。小林鍾吉氏(こばやししやうきちし)の雨後(うご)は画面(ぐわめん)の右半分(みぎはんぶ)が頗(すこぶ)るよく出来(でき)て居(ゐ)ると見受(みうけ)る、同氏(どうし)の「築地河岸(つきぢがし)」と「夕陽(せきやう)の海(うみ)」は共(とも)に佳作(かさく)である。斯波義辰氏(しばよしたつし)の静物(せいぶつ)は彼是批判(かれこれひはん)もある様(やう)だが、色(いろ)の調子(てうし)などは面白(おもしろ)く思(おも)ふ。平井武雄氏(ひらゐたけをし)の静物(せいぶつ)はなかなか骨(ほね)を折(を)つて描(か)いたものと見(み)える、同氏(どうし)の「稲村(いなむら)ケ岬(さき)」と「鎌倉海岸(かまくらかいがん)」も共(とも)に佳(よ)い作(さく)だが、前者(ぜんしや)の方(はう)が優(まさ)つて居(ゐ)る。@第三室に移(うつ)つて先(ま)づ目(め)に着(つ)くは中沢弘光氏(なかざはひろみつし)の「海辺(かいへん)」である、是(これ)は傅色鮮麗頗(ふしよくせんれいすこぶ)る心持(こゝろもち)のよい画(ぐわ)で、色彩(しきさい)の点(てん)に於(おい)ては確(たしか)に成功(せいこう)して居(ゐ)る、尤(もつと)も其趣向(そのしゆかう)に就(つい)ては種々批評(しゆじゆひゝやう)もあるやうだが、それは見(み)る人(ひと)の判断(はんだん)に任(まか)せる外(ほか)ない、同氏(どうし)の「夜(よる)」は多少(たせう)の欠点(けつてん)のあることは免(まぬが)れないが、夜(よる)の心持(こゝろもち)はよく描(ゑが)き出(だ)され、母子(おやこ)の情(じやう)も見(み)られる。長原孝太郎氏(ながはらかうたろうし)の「少女(せうぢよ)」は校内(かうない)に於(お)ける女生徒(ぢよせいと)の情態(じやうたい)をよく写(うつ)し出(だ)して居(ゐ)る、そして光(ひかり)の説明(せつめい)と色(いろ)の調和(てうわ)が大変(たいへん)に佳(よ)いと思(おも)ふ。大久保健児氏(おほくぼけんじし)の「斜陽(しややう)」は屋根(やね)から樹木(じゆもく)のあたりが甘(うま)い。湯浅(ゆあさ)一郎氏(ろうし)の「つれづれ」は着衣(ちやくい)の現(あら)はし方(かた)が写実(しやじつ)にて非常(ひじやう)によく描(か)かれ、又心持(またこゝろもち)もよく、場中優作(ぢやうちういうさく)の一である、同氏(どうし)の「薔薇花(しようびくわ)」は花(はな)も敷物(しきもの)も巧(たくみ)に描(か)いてある。安藤仲太郎氏(あんどうなかたろうし)の風景画(ふうけいが)四枚(まい)の中(うち)で九十番(ばん)が最(もつと)も面白(おもしろ)い。松林千里氏(まつばやしちさとし)の「夕(ゆふ)がすみ」上半部(じやうはんぶ)を取(と)る。松野清氏(まつのきよしし)の風景(ふうけい)は調子(てうし)は弱(よわ)いやうであるが画面(ぐわめん)は整(とゝの)つて居(ゐ)る。(O生記)

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