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白馬会関係新聞記事 第6回白馬会展

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パレツトと剣(けん)
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| 小欒生 | 二六新報 | 1901(明治34)/10/24 | 2頁 | 雑 |
(白馬会(はくばくわい)=警察(けいさつ))@抑裸体の芸術上に於て最高の価値を有するものなることは今更繰返せざるべし、新に起りたる白馬会の一珍事に就ては遂に一言せずんば非らず。@筆者上野に開会中の白馬会展覧会に於て、邦人の手に成りし裸体画は言ふに及ばず、舶載の名画彫刻物に至るまで苟も裸体のものは風俗壊乱の処ありと為し、警察署は盡く布片を以て腰部を纏はしめたり、是れ疑もなく裸体美と春画とを混視するもの、彼鯨■を魚族とし蝙蝠を鳥類となすと一説、其愚笑ふに勝へたり、夫れ区々の警察に対しては吾輩殆ど教誨の道を絶つ、独り世の風教を司る内務文部並に美術工芸の発達を図る農商務の當局者が如何に此事件を裁決せむとするかは我輩の尤も聞かんと欲する所なり。@往年京都博覧会の節、裸体画に付端なくも世論を喚起し可否の説頗る喧々たるものありしも、當時の事務官は能く時運の推移を察し美術の何物たるを解し、敢て一派の迷論を排破し裸体画は安全に博覧会を通過せり、於是乎一幅の名画幸に玉石同焚の厄を遁れ裸体可否の議論も亦茲に一段落を結びたる姿なりし、尋で昨年巴里博覧会の開かるゝや、我政府亦裸体画の出品を為すに至れり、既往の事実寔に如斯、警察は今更何の思量する所ありて以上の干渉を行ひたる乎、之を行ふと同時に何故に帝室博物館に■■して同一の検束を加へざる乎、我輩は警官に対して審美上博大の見識なきを責むるものに非ずと雖も国家の尊栄を増進する神聖なる美術展覧会を、浅草公園の見世物と一般に見倣すに至ては轉た憤歎に堪へざるなり、論者或は曰く、仮令美術品と雖も、卑猥の意思を含蓄するもの若くは其技の劣等なるものは勢取締らざる可からずと、然り、我輩と雖も裸体は盡く美術なりと言ふに非ず、彼の妖艶なる東錦絵の如きは大に戒めざる可からず、然も今回白馬会の出陳に至ては何も現代の逸品にして之を公衆に示すも毫も悪感を催起せざるなり、論者又曰警察官に美の鑑賞力なきを奈何と、然らば何故に最高の監査府を設けて慎重の取扱をなさゞる歟、想ふに當局者此際必ず周到の調査を遂げ正當の見地を啓き、遠からず布片を撤去するに躊躇せざる可し職務の範域を超越したる警察官に至ては之を処断するの外なかる可し、@昔者ミケロアンジエロ羅馬のパチカンに最終裁判の図を描くや、時の廷臣は裸体画を忌避し、後人をして盡く腰部布片を描かしめたり、後世伝へて褌画と云ふ、爾来星霜三百有余年、東洋の一角突然同一珍事を惹起す、美術界の一奇観として永く後世の話題は登るならん、ヴイナスの神は■■に時ならぬ微笑を漏らし玉はん

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