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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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白馬会展覧会案内
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| 毎日新聞 | 1898/10/14 | 1頁 | 雑報 |
去(さる)六日来(らい)上野公園第(こうゑんだい)五号館(がうくわん)に開(ひら)ける白馬会第(はくばくわいだい)三回展覧会(くわいてんらんくわい)は作家(さくか)四十余名其多(よめいそのおほ)くは一人(にん)にて二十枚内外(まいないぐわい)を出(い)だしたれば点数(てんすう)三百六十と注(ちう)せらる海辺田間(かいへんでんかん)の小景(せうけい)は数(かぞ)ふべくもあらず景色人物(けいしよくじんぶつ)ともに大作亦多(たいさくまたおほ)し先(ま)づ観客(くわんかく)の眼(め)を惹(ひ)くは此等(これら)の大物(おほもの)にて美術学校学生中優等(びじゆつがくかうがくせいちういうとう)の評(へう)ある広瀬勝平氏(し)の磯(いそ)、和田英作氏(し)が今年(こんねん)の得意物(とくいもの)と聞(き)ける三保松原(みほのまつばら)と富士川(ふじかは)との両富岳(れうふがく)など入口近(いりぐちゝか)くに在(あ)り和田氏の美人(びじん)の物思(ものおもひ)いづれ技巧以外(ぎこういぐわい)の評判(へうばん)もあるべきにや湯浅一郎氏(し)の農家(のうか)と藤島武二氏の納涼(なふれう)とは今(いま)は其地(そのち)を余(あま)せるのみ十四五日の頃掲(ころかゝ)げらるべし此(この)二氏(し)に対(たい)する一方(ぱう)には小林萬吾氏(し)の農夫晩帰(のうふばんき)白瀧幾之助氏(し)の樵夫(せうふ)の小休(こやす)み相並(あひなら)んで竪長(たてなが)の大作(たいさく)なり此間(このあひだ)の一区画(くゝわく)は黒田清輝氏其主人(しそのしゆじん)たるが如(ごと)く例(れい)の小督物語正面(こがうものがたりせうめん)に懸(か)けられ物淋(ものさび)し樹下(じゅか)の涼其他(すずみそのた)の之(これ)に次(つ)ぐ者(もの)あり左右(さいう)の富士及海辺河辺夫々(ふじおよびかいへんかへんそれぞれ)の眺望(てふばう)五枚(まい)を連(つら)ねたる横長(よこなが)の額(がく)四個(こ)いづれもおもしろし此(この)一区画(くゝわく)の前後左右(ぜんごさいう)に菊池鋳太郎氏(し)の彫刻(てうこく)大島圭介(銅(どう))大倉喜八郎(石膏(せきかう))の半身像立(はんしんぞうた)てり共(とも)に久米民之助氏(し)が夫々(それぞれ)へ寄贈(きぞう)の為(た)め氏(し)に製造(せいぞう)を托(たく)したる者(もの)なり此中部(このちうぶ)を過(す)ぎて奥(おく)の方(かた)には久米桂一郎氏(し)が片瀬(かたせ)の残▲骨折(ざんくんほねを)られたる作(さく)と見(み)られ、小代為重長原孝太郎中村勝次郎氏等(しら)の景色画(けいしょくぐわ)あり安藤仲太郎氏(し)は大作(たいさく)ありと聞(き)けど未(いま)だ見(み)へず北連蔵氏(し)の葬(とむら)ひは下図(したづ)ながら出来(でき)の待(ま)たるゝ大作(たいさく)なり列品(れつぴん)の間(あひだ)に海外画伯(かいぐわいぐわはく)の新作(しんさく)七八個(こ)あり昨秋閉会間際(さくしうへいくわいまぎは)に着(ちやく)せし伯耳義ウイツトマン夫妻の画(ぐわ)を初(はじ)め仏国(ふつこく)の大家(たいか)コラン閨秀画家(けいしうぐわか)カセツト及ウオーター、グリフイン等(とう)の油絵(あぶらゑ)パステル木炭画等(もくたんぐわとう)あり此等(これら)は西園寺侯及(こうおよ)び過般仏国(くわはんふつこく)より帰(かへ)りし杉武二氏(し)(杉氏(し)の男(だん))会員(くわいゐん)久米氏等所蔵(しらしよざう)の秘幅(ひふく)にして同好者(だうかうしや)の足(あし)を停(とゞ)むる此(こゝ)にも少(すくな)からず

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