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白馬会関係新聞記事 第3回白馬会展

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まり、かせつと(某美術批評家の談話)
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| 国民新聞 | 1898/11/29 | 6頁 | 雑 |
今度(こんど)の白馬会(はくばくわい)へ西園寺(さいをんじ)さんの出品(しゆつぴん)したマリ、カセツトの『母子(ぼし)』に就(つい)て世間(せけん)では啻情味掬(たゞじやうみきく)すべし位(ぐらゐ)の評(ひやう)しかして居(を)らんがアレは仲々(なかなか)の傑作(けつさく)である私(わたくし)は確(たし)かにコラン以上(いじやう)だと思(おも)ふ、@全体(ぜんたい)あの人(ひと)は亜米利加(アメリカ)の人(ひと)ではあるが長(なが)い間欧羅巴(ヨーロツパ)に居(ゐ)て充分(じうぶん)に腕(うで)を練(ね)つたのだから同(おな)じ亜米利加人(アメリカじん)の中(うち)でも余程様子(よほどやうす)が違(ちが)ふ其(そ)れに始(はじめ)は全(まつた)くの旧派(きふは)であつて現(げん)に一八七三年(ねん)に西班牙(スペーイン)で書(か)いた『露台(ろだい)』の如(ごと)き筆意色彩悉(ひついしきさいことごと)く今(いま)とは異(ちが)つて居(を)るが中頃新派(なかごろしんぱ)に転(てん)じ一八七八年巴里(ねんパリ)に開(ひら)かれた其(そ)の最初(さいしよ)の展覧会(てんらんくわい)にも種々出品(しゆじゆしゆつぴん)し以後人(いごひと)からは矢張(やはり)インプレツシヨニストと目指(めざゝ)れて居(を)る然(しか)し新派(しんぱ)の中(うち)でも亦憂(またいう)に一旗幟(きしき)を樹(た)てゝ居(をつ)て自分(じぶん)でも私(わたくし)は決(けつ)してインプレツシヨニツストではないと云(い)つとるそうだ、夫(それ)から一八九0年此(ねんこ)の方(かた)と云(い)ふものは全(まつた)く時俗的(コンベンシヨナル)の題目(だいもく)を離(はな)れて専(もつぱ)ら単純(たんじゆん)なる田園(ルーラル)的に移(うつ)り好(この)んで母子(ぼし)の像(ざう)を描(ゑが)いて居(を)る一八九四年(ねん)の紐育美術展会覧(ニユーヨークびじゆつてんらんくわい)へ出品(しゆつぴん)したものゝ如(ごと)き十二枚(まい)が十二枚皆母子(まいみなぼし)の像(ざう)であつた而(そ)して其(そ)の背景(バツクグラウンド)は何時(いつ)でも夏(なつ)で夏以外(なついぐわい)のものは殆(ほと)んどないと云(い)ふても宜(よ)い夫(そ)れ故従(ゆゑしたが)つて夏(なつ)の空気(くうき)を描(えが)く事(こと)に於(おい)て実(じつ)に現時世界(げんじせかい)での有数(いうすう)な書(か)き手(て)で描法(ゑはふ)の力強(ちからつよ)き事(こと)も亦非常(またひじやう)に有名(いうめい)である白馬会(はくばくわい)に出(で)て居(を)るのは小供(せうに)の形(かた)も母親(はゝおや)の形(かた)も善(よ)く釣合(つりあひ)が取(と)れて居(を)るがあの人(ひと)は一体釣合(たいつりあい)だのエツキスプレツシヨンだのと云(い)ふものには左(さ)まで重(おもき)を置(お)かないで直(たゞ)ちに其(そ)の後(うしろ)にある或物(サムシング)を描(えがこ)うとして勉(つと)めて居(を)る、だから小児(せうに)の頭(かしら)の格好(かつかう)がゆがんで居(ゐ)たり母親(はゝおや)の顔(かほ)が御(お)デコであつたりすることは屡々(しばしば)で是に就(つい)ては西洋(あつち)でもモ少(すこ)し何様(どう)かしたら善(よ)からふ此(こ)れでは在来(ざいらい)の画風(ぐわふう)を矯正(けうせい)しやうとして反反対(かへつてはんたい)の極端(きよくたん)に飛(と)んで行(い)つたものであるなぞと評(ひやう)するものもあるが自身(じゝん)は断々乎(だんだんこ)として一歩(ぽ)も其(そ)の主張(しゆちやう)を譲(ゆづ)らない@肉(にく)の色(いろ)を描(ゑが)くに就(つい)ては是(こ)れ迄(まで)に非常(ひじやう)の苦心(くしん)をして多年画板(たねんパレツト)の経験(けいけん)と熱心(ねつしん)なる実物(じつぶつ)の研究(けんきう)によつて遂(つ)ひに古名家(こめいか)の遺法(ゐはふ)の外(ほか)に一生面(せいめん)を開(ひら)いたルベン以来(いらい)レンブラン以来幾多(いらいいくた)の画家を苦(くるし)めた肉(にく)の色(いろ)は此(こ)の渺(びやう)たる一個(こ)の婦人(ふじん)により兎(と)も角(かく)も一端(たん)だけは発見(はつけん)せられたのである此(こ)れは斯道(しだう)のため確(たし)かに特筆大書(とくひつたいしよ)すべき値(ね)のある事(こと)だらうと思(おも)ふ又彼(またか)れが普通(ふつう)のインプレツシヨニストと違(ちが)つて居(を)るのは輪廓(アウトライン)に重(おもき)を置(お)く事(こと)で此(これ)に関(くわん)しては余程日本画(よほどにほんぐが)を研究(けんきう)したものと見(み)える今白馬会(いまはくばくわい)に出(で)て居(を)るのもパステル画(ゑ)ではあるが是(こ)れ丈(だ)けは誰(だ)れにでも容易(たやす)く解(わ)かる其(そ)れから又此(またこ)の人(ひと)の画の特点(とくてん)は遠近法(えんきんはふ)に一種(しゆ)の見識(けんしき)を抱(いだ)いて居(を)つて尋常(じんじやう)一様(やう)の方則(はうそく)に拘泥(かうでい)して居(ゐ)ないのである@数多(かずおほ)き作(さく)の中(うち)で何時(いつ)かのスクリプチー雑誌(ざつし)の口絵(くちゑ)に転載(てんさい)せらせた『小供(こども)の果物(くだもの)を摘(つ)む図(づ)』は少(すこ)しも可愛(かあい)らしい小児(せうに)ではないが何処(どこ)までも真実(ツルースフル)であつて先づ一代(だい)の傑作(けつさく)だらうと思(おも)ふ仏国政府(ふつこくせいふ)でルキセンプルに陳列(ちんれつ)したいからと云(い)ふて買上(かひあ)げ様(やう)と云(い)ふたが応(おう)じなかつたそうだ其(そ)れからシカゴの婦人矯風会(ふじんけうふうくわい)にある婦人(ふじん)と小児(せうに)の林檎(りんご)を拾(ひろ)ふて居(ゐ)る図も非常(ひじやう)の出来(でき)だと云(い)ふ事(こと)だ

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