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白馬会関係新聞記事 第1回白馬会展

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| 伯楽 | 国民新聞 | 1896/11/03 | 8頁 | 展評 |
曰く新派曰く「アムプレツシヨニスト」曰く紫派曰く南派曰く何々何ぞ其名目の夥多なるや或は褒するあり或は貶するあり讃するあり罵るあり何ぞ其世評の紛々たるや此夥多なる名目を有する否寧ろ附せられたる此紛々たる世評を受けたる其是非當不當は兎も角も現今美術界批評界の一問題となれる白馬会は此秋晴の候を卜し其展覧会を東台紅錦黄繍の裏に開きぬ友と相拉して之を観たるの日互に相論じ相語れる妄言妄評一にして足らず今茲に之を書連らねて貴白を汚さんとす該会に就きては世已に定評あるべし我が望む処は唯該会を観覧せんとする人の栞にもならばなさんとの酔狂に過ぎざる而巳@白馬会の展覧会(てんらんくわい)を開きたるは今回を以て第一回となす如何なる体裁(たいさい)を以て如何なる趣致(しゆち)を以て我等を迎(むか)へんとするかとは我も人も只管(ひたすら)知らんと欲するものなりき場に入りて先づ驚(おどろ)かるゝもの多し装(そう)飾は華麗(くわれい)にして併も鄙野(やひ)ならず四壁海老色(えびいろ)に染めなしたる布(ぬの)を以て張り廻はし錺(かざ)るに国旗(こくき)及び較色板(パレツト)を以てしたる等蓋し他の会場(くわいぢやう)に於て見るべからざるものあり或は少数(せうすう)の会員を以て斯(か)く迄夥多(くわた)の出品をなし敢て他に遜色(そんしよく)なきが如き洋風画と東洋画と同一時に同建築(けんちく)の下に互に相聯絡(あひれんらく)して展覧会を開きたる等の如き従来(じうらい)の展覧会(てんらんくわい)共進会等に於て嘗(かつ)て見ざる処なり@是等は単に外形上(ぐわいけいじやう)他の者に異(ことな)れる点に過ぎず猶悉さに各自の出品につき親(した)しく観察(くわんさつ)するに画其者も已に従来の者とは非常(ひじやう)なる差違(さゐ)あるを見るべし我邦今日に至るまで世に行はれたる油画(あぶらゑ)なるものを見るに概(おほむ)ね皆同一なる画風(ぐわふう)にして一面の画を採(と)つて他の画に比(ひ)するも其画風に於て毫(がう)も異れる点あるを見ざるのみならず一画家(がか)の筆に成(な)れる一製作を見て他の同画家(どうぐわか)の製作物を想像(さうざう)するさへ敢て至難(しなん)の事なりとも覚えざりき此回白馬会(はくばくわい)に出陳せられたる製作品(せいさくひん)を見るに事頗(すこぶ)る意外ならざるを得ず十数名の画家(ぐわか)各々其画風を異(こと)にせるは云ふ迄も無く一画家の筆(ふで)に成れるさへ非常(ひじやう)なる差違(さゐ)あるを見る@例せば黒田清輝氏の散歩(さんぽ)の図と箱根(はこね)の宿(やど)とを比するに一は明快(めいくわい)に一は温雅に一は細心(さいしん)に一は豪放に又其自然を解釈せる方法(はうはふ)に於ても亦著しき相違あり更に箱根二子山(はこねふたこやま)と松林の図とを対照し樺山伯の肖像と鴫立沢とを比較(ひこう)せば猶其相違(そうゐ)非常なるを知るべし久米桂一郎氏の製作(せいさく)に於ても亦然り雨後(うご)の牧野と夏(なつ)の村落(そんらく)の図とを比(ひ)し仏国ムーズ河流と果園の春とを較べ見(み)なば設色にも筆意にも又構成(コムポジシヨン)の点に於ても著しき相違(そうゐ)あり猶青年画家中(なをせいねんぐわかちう)につきて之を見れば岡田三郎助氏のゆるぎ浜の晩暉とゆるぎ浜の砂原(すなはら)和田英作氏の麦の秋(あき)と霧雨(むう)玉川の落暉と大道の雨(あめ)湯浅一郎氏の品海の晩雲(ばんうん)と清見寺の図(づ)との如き皆然り@此画家各々は勿論(もちろん)一画家の製作品(せいさくひん)さへ非常なる差違(さゐ)を生じたる所以のものこそ実に画家が狭隘(けふあい)なる形式に拘泥(こうでい)せず一定の法則に束縛(そくばく)せられず自由の天地に悠々▲▲(いういうしやうよう)して種々の方面より時の光景(くわうけい)と其時の光景が与へたる感情(かんじやう)とを解釈(かいしやく)せんと力むるに起(おこ)る結果にして又白馬会々員等の製作(せいさく)に於て燃(も)ゆるが如き活気(くわつき)ある所以のものも蓋し茲にあつて存(そん)ずるならめ光線や空気(くうき)等に向つて種々の研究(けんきう)を試み前人未踏の方面に突進(とつしん)するは新派の一特色(とくしよく)なりとは予(かね)て聞及びたる処なるが今しも此展覧会場に入り初(はじ)めて其然る所以を知り又其技(ぎ)の殊に発達(はつたつ)せるをも知りぬいでや読者と共に種々なる方面(はうめん)より其製作品を観察(くわんさつ)し其目星(めぼ)しきものを挙げんか@光線@岡田三郎助氏の出品(しゆつぴん)せられたる麦藁細工(むぎわらざいく)の図 一少女あり屋内に向ひ土間の敷居(しきゐ)に腰掛(こしか)けたるが楽しげに麦藁の真田(さなた)を編(あ)める様を画けり筆軽く設色(せつしよく)亦佳(か)なり殊に光線の説明に至つては充分成功(せいこう)せるを見る春日暖(あたゝ)かなる日光の屋後の草叢(くさむら)に直射(ちよくしや)せる様面白し青空(せいくう)は画面内に見るを得ざるも少女の両鬢(れうびん)より肩の辺(ほと)りに懸け其和(やわら)かき反射を送りて明暗(めいあん)両箇の正反対なるものを直に并立(へいりつ)せしむるも図面穏(おだや)かに見らるゝ如きは画家最も苦心(くしん)の処なるべし@同氏夕陽の図 夕陽(せきやう)正さに落(お)ちんとして野も山も樹木も枯草も萬物皆実物(じつぶつ)が有せる自然の色を茜色(あかねいろ)に変ぜしめたる一瞬時(しゆんじ)に巧(たく)みに画きたり晩鴉両三声遥かに聴(きこ)ゆるが如きもおかしや@藤島武二氏の収穫(しふくわく)の図 調色に於て最も不便(ふべん)なる水彩(すいさい)の顔料を以て小春の濃和(のうわ)なる日光と空気とを巧(たくみ)に写(うつ)されたるは老手と謂(い)ふべし@白瀧幾之助氏の田甫(でんほ)の夕陽(せきやう) 春の末つ方なるべし水田草深(くさふか)く三四の稲村去年(こぞ)のかたみを残せり既に日斜(なゝめ)にして黄(き)ばみたる光波馳(は)せて稲村の背を輝(かゞや)かせ緑草の上を辷(すべ)り来る趣充分(じうぶん)に作されたり@湯浅一郎氏の佃島の暮色(ぼしよく) 墨江水漫々(まんまん)暮色海を蔽(おほ)ひ来つて漁舟(ぎよしう)にせまらんとす佳作(かさく)なり@和田英作氏の霧雨(むう) 是亦江辺暮色の図なり海潮(かいてう)正に満(み)ちて河岸を浸(ひた)し漁夫舟に在て網を掲(かゝ)ぐ何等の好景(かうけい)ぞ雨天暮色写(うつし)得て筆神に入る@黒田清輝氏の樺山伯肖像(せうぞう)衆議院書記官長肖像(せうぞう) 一は黒色に画(えが)き一は赤色に作(な)されたり未だ目慣(めな)れざる人々は不審(いぶか)しく思ひて画家が殊更物好(ものず)きにもかゝる不思議(ふしぎ)なる画を造り出でたりと謗(そし)る者もあるべし然れども親(した)しく両者につきて観察(くわんさつ)するに一は冷(ひやゝ)かなる光線を背後より受け一は暖(あたゝ)か光線を前面より受けたるを極(きは)めて真面目(しんめんもく)に着実に写されたるものにして肖像(せうぞう)画として其人物の性情骨格(せうじやうこつかく)を写さるゝと共にしかも斯る点に迄着目(ちやくもく)せられたる画家の苦心(くしん)宜ろしく想(おも)ふべきなり殊に書記官長の肖像は其意匠は斬新(ざんしん)に其布置は奇抜(きばつ)に其光線の説明に至つては感服(かんぷく)するの外なし彼の我邦在来の錦絵(にしくゑ)如きものより転化(てんくわ)し来り絵画の妙(みやう)は一に彼の辻占的意匠(つじうらてきいしやう)に在りとなし自然の如何をも顧(かへり)みず放縦(はうじう)に色形を弄(もてあそ)ぶ所謂油画かきなる族などの夢想(むそう)にだも及ぶべきに非ざるべし

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