倫雅美術奨励賞受賞者決定

1995年11月

優れた美術評論や美術史研究および創作活動に贈られる倫雅美術奨励賞の第7回受賞者が決まり、美術評論・美術研究部門では世田谷美術館の勅使河原純(47)の『美術館からの逃走』(現代企画室)と東京国立近代美術館工芸館の樋田豊次郎(44)「素材の領分」展の企画とカタログ論文、創作活動部門では車季南(チャ・ケナム)(42)の「染織を通じての最近の創作活動」が選ばれた。顕呈式は12月4日、赤坂プリンスホテルで行われた。

第6回倫雅美術奨励賞

1994年11月

優れた美術評論や美術史研究、創作活動に贈られる、河北倫明夫妻の基金による倫雅美術奨励賞の第6回受賞者が決定。美術評論・美術史研究部門で東京大学助教授佐藤康宏の『湯女図―視線のドラマ』(平凡社刊)、滋賀県立陶芸の森学芸員三浦弘子の「熊倉順吉とその仲間たち―近代思潮とクラフトデザイン」(同館展覧会図録)、創作活動部門(今回は、彫刻・立体造形が対象)に井田彪の「Circulation―93―air to air」に決定。授賞式は、赤坂プリンスホテルで12月2日におこなわれた。

第5回倫雅美術奨励賞決定

1993年11月

優れた美術評論や美術史研究、創作活動に贈られる、河北倫明夫妻の基金による倫雅美術奨励賞の第5回受賞者が決定。美術評論部門で妹尾克己(岡山県立美術館)の「国吉康雄の『祭は終わった』について」(『美術史六つの断面』所載 美術出版社刊)、美術史研究部門で前川公秀(千葉県立美術館)著『水仙の影-浅井忠と京都画壇』(京都新聞社刊)、創作活動部門で洋画家池口史子が受賞した。授賞式は12月3日赤坂プリンスホテルで行なわれた。

第4回倫雅美術奨励賞決定

1992年11月

優れた美術評論や美術史研究、創作活動に贈られる、河北倫明夫妻の基金による倫雅美術奨励賞の第4回受賞者が決定。美術評論・美術史研究部門で岡泰正著『めがね絵新考-浮世絵師たちがのぞいた西洋』(筑摩書房)、大熊敏之・浜本聡「日本のリアリズム1992S-50S」展の企画構成、創作部門で服部峻昇・宮崎光二(最近の工芸創作活動に対して)が受賞した。授賞式は12月2日赤坂プリンスホテルで行なわれた。

第3回倫雅美術奨励賞決定

1991年11月

優れた美術評論、美術活動に対して贈られる倫雅美術奨励賞(公益法人倫雅美術奨励基金運営委員会主催)の第3回受賞者は、美術評論・美術史研究部門=島田康寛『京都の日本画-近代の揺籃』(京都新聞社)、木下直之「日本美術の19世紀」展の企画・構成およびカタログ中の論文、創作活動部門(本年度は彫刻・立体造形対象)=城下るり子「欲望シリーズ-野へ-」(1990年5月、ギャラリーかねこあーとG1)に決定。贈呈式は12月3日に行なわれる。

第2回倫雅美術奨励賞受賞者決定

1990年11月

優れた美術館活動、評論、創作活動に対して贈られる倫雅美術奨励賞の第2回目の受賞者選考が行なわれ、美術評論・美術史研究部門-山梨俊夫『絵画の身振り』、田中淳「写実の系譜3 明治中期の洋画」展(東京国立近代美術館)の企画、構成およびカタログ論文、創作活動部門-深沢軍治の最近の創作活動、伝益瑶の社寺における障壁画が受賞することに決定した。

濱本聰 (はまもとさとし)

 下関市立美術館長で、美術史研究者の濱本聰は、3月13日に死去した。享年60。 1954(昭和29)年8月1日山口県萩市に生まれる。岡山大学大学院文学研究科修士課程(日本近現代美術史専攻)を修了後、84年に下関市立美術館学芸員に採用される。1992(平成4)年11月には、第4回倫雅美術奨励賞の「美術評論・美術史研究部門」において、展覧会「日本のリアリズム 1920s-50s」の企画及びカタログ中の論文によって、共同企画者である大熊敏之とともに受賞した。97年、同美術館学芸係長に昇任。2004年に館長補佐、10年から館長となった。同美術館在職中は、香月泰男をはじめとして地域出身の美術家の回顧展等を企画担当して顕彰につとめ、美術、文化振興のために美術館の運営にあたった。近代美術の研究にあたっては、岸田劉生、香月泰男、桂ゆき、殿敷侃等の作家研究を中心に、作品に対して冷静な観察と的確な分析に基づく論考を多く残しており、これらは今なお参考にすべき業績である。主要な研究業績並びに担当した展覧会は下記の通りである。主要論文並びに担当展覧会:「岸田劉生と草土社」(「岸田劉生と草土社」展、下関市立美術館、1985年)「香月泰男-1940年代の作品から-」(「香月泰男」展、下関市立美術館、1987年)「長谷川三郎とその時代概説」(「長谷川三郎とその時代」展、下関市立美術館、1988年)「日常的な呼吸の中の版画」(『香月泰男全版画集』、阿部出版、1990年)「桂ゆきの作品をめぐる螺旋的な記述の試み」(「桂ゆき展」、下関市立美術館、1991年)「新しいリアリズムへ―1940年代以降の展開」(「日本のリアリズム 1920s-50s」展、北海道立近代美術館、下関市立美術館巡回、1992年)「殿敷侃・現代の語り部」(「殿敷侃展 遺されたメッセージ・アートから社会へ」、下関市立美術館、1993年)解説「宮崎進-透過する眼差し-」(「宮崎進展」、下関市立美術館、笠間日動美術館、平塚市美術館、三重県立美術館、新潟市美術館巡回、1994-95年)「香月泰男の造型的模索―1950年代の作品を中心に―」(「香月泰男展」、愛知県美術館、下関市立美術館、そごう美術館(横浜)巡回、1994-95年)「『初年兵哀歌』が語るもの」(「浜田知明の全容」展、小田急美術館(東京新宿)、富山県立近代美術館、下関市立美術館、伊丹市立美術館巡回、1996年)「岸田劉生試論-静物・風景・人物- 所蔵油彩作品を中心に」(『研究紀要』8、下関市立美術館、2001年)「作品解説-画風の展開とその特質-」(『香月泰男画集 生命の讃歌』、小学館、2004年、同書では安井雄一郎とともに編集委員をつとめる)「下関の戦後美術(洋画篇)」(「戦後美術と下関」展、下関市立美術館、2005年)「香月泰男・1940-50年代の展開~モダニズムから新たな地平へ~」(「没後35年 香月泰男と1940-50年代の絵画」展、下関市立美術館、2009年)「桂ゆきの眼差し-その批評精神をめぐって-」(「生誕百年 桂ゆき-ある寓話-」展、東京都現代美術館、下関市立美術館巡回、2013年)

河北倫明

 美術評論家で文化功労者の河北倫明は10月30日午前3時45分心不全のため、東京都文京区の順天堂病院で死去した。享年80。大正3(1914)年12月14日福岡県浮羽郡山春村に生まれる。久留米市立篠山尋常小学校を経て、昭和6(1931)年福岡県立明善校を修了。同10年旧制第五高等学校を卒業して京都帝国大学文学部に進学し、同13年同大哲学科を卒業して同大学院に進学する。同18年帝国美術院付属美術研究所(現・東京国立文化財研所)助手となり、日本近代画家の調査・研究に取り組む。戦後、同23年ころより日本近代美術史に立脚した現代美術評論活動を盛んに行うようになった。同23年同郷の洋画家青木繁の調査・研究成果として『青木繁』(養徳社)を刊行。また、同年『近代日本画論』(高桐書院)を刊行して、個々の作家、作品についての調査・研究に基づぎながら、史的流れのうえにそれらを位置づける日本近代絵画史の新たな方向を提起した。同27年国立近代美術館(現・東京国立近代美術館)事業課長となり、日本で最初の近代美術館の運営に尽力。また、美術評論の分野でもその活性化と相互の連絡を目的として同29年美術評論家連盟を結成し、事務局長に就任した。同38年3月東京国立近代美術館次長となる。同42年5月美術交流展覧会のためソヴィエト連邦を訪れる。以後も、美術による国際交流のため中国、西欧、アメリカ、南米等を訪れる。同44年2月京都国立近代美術館館長となって、関西方面の美術館活動にも深く関わるようになり、同45年大阪万博では同博覧会美術館委員をつとめた。同57年美術館連絡協議会理事長に就任し、歿するまで全国の美術館運営、学芸員の調査・研究の奨励に寄与した。同61年10月より平成6(1994)年まで美術評論家連盟会長をつとめる。昭和61年京都国立近代美術館館長を退き、京都芸術短期大学の設立に尽力して翌62年6月同大学学長となった。平成元(1989)年1月より同4年6月まで横浜美術館館長をつとめ、この間同3年より同7年3月まで京都造形芸術大学学長をもつとめた。また、平成元年私財を投じて全国の若手の美術館学芸員、美術研究者の活動を支援すべく「倫雅美術奨励賞」を創設。同5年より式年遷宮記念神宮美術館館長、同7年より京都造形芸術大学名誉学長となった。主要著書に『日本の美術』(昭和33年 社会思想研究社出版部)、『大観』(同37年 平凡社)、『村上華岳』(同44年 中央公論美術出版)、『坂本繁三郎』(同49年 中央公論美術出版)、『河北倫明美術論集』全5巻(昭和52-53年 講談社)、『近代日本絵画史』(高階秀爾と共著 昭和53年中央公論美術出版)、『河北倫明美術時評集』全5巻(平成4-6年 思文閣出版)がある。

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