研究所の業務の一部をご紹介します。各年度の活動を網羅的に記載する『年報』や、研究所の組織や年次計画にもとづいた研究活動を視覚的にわかりやすくお知らせする『概要』、そしてさまざまな研究活動と関連するニュースの中から、速報性と公共性の高い情報を記事にしてお知らせする『TOBUNKEN NEWS (東文研ニュース)』と合わせてご覧いだければ幸いです。なおタイトルの下線は、それぞれの部のイメージカラーを表しています。

東京文化財研究所 保存科学研究センター
文化財情報資料部 文化遺産国際協力センター
無形文化遺産部


清宮質文資料の受贈

清宮質文《早春の静物》 1977年 茨城県近代美術館蔵
今回寄贈された清宮質文資料の一部

 清宮質文(1917~1991)は、静謐で詩的な心象世界を木版画やガラス絵で表現した作家として知られています。その抒情豊かな作品に魅了される方も多いことでしょう。
 この度、清宮が遺した手記・日記および写真等の資料を、ご遺族より東京文化財研究所にご寄贈いただきました。手記の中には、作家自製のノートである「雑記帖」「雑感録」「画題控」が含まれています。それらは制作の合間になかば息抜きのように作られ、綴られたもので、清宮の器用で几帳面な一面をしのばせるとともに、作品にひそむ思索の軌跡をたどる上で貴重な一次資料といえるでしょう。整理のため、公開までしばらくお時間をいただきますが、今回の資料受贈が清宮質文研究の進展に大きく寄与することを願っています。

WordCamp Kansai 2024への参加

WordPress.org(https://ja.wordpress.org/
WordPressで構築した「東文研 総合検索」(https://www.tobunken.go.jp/archives/

 東京文化財研究所では、平成26(2014)年にウェブコンテンツ管理システムであるWordPress(https://ja.wordpress.org/)を利用した文化財情報データベースを開発し、運用を継続しております(https://www.tobunken.go.jp/archives/)。WordPressはブログ管理システムとして開発されましたが、当研究所では開発や運用の柔軟性を評価し、データベースを公開するシステムとして利用しています。
 そのWordPressの開発者や利用者が一堂に会するカンファレンスとして2006年に始まったWordCamp(https://central.wordcamp.org/)は、現在までに65ヶ国で、1,200回を超えて開催されています。この度、令和6(2024)年2月24日に神戸で開催されたWordCamp Kansai 2024(https://kansai.wordcamp.org/2024/)にて、「WordPressコンテンツのリニューアルと採用システムの選定について」と題し、当研究所のWordPressの10年間の運用で生じた課題とリニューアルに向けた要件の整理などについて文化財情報資料部主任研究員・小山田智寛が発表を行いました。
 インターネット上で情報公開を行うことが当たり前となった今、当研究所で運用しているシステムについての課題や運用のノウハウなどは、分野を超えて広く共有できるものと考えております。今後も、このような情報を発信することそのもので得た知見について共有する機会を持つように努めてまいります。

韓国近代美術のなかの女性―—令和5年度第8回文化財情報資料部研究会の開催

金素延氏発表風景
金素延氏ディスカッションの様子

 美術の世界では、今日でこそ女性の活躍は目覚ましいものがありますが、かつては男性優位の社会のなかで、女性の美術家はほんのひと握りの存在だったことは周知のとおりです。一方近年では、そうした日本近代の女性美術家の営みが研究によって徐々に明らかにされています。では近代の韓国美術界において、女性はどのような位置を占めていたのか――令和6(2024)年1月17日の文化財情報資料部研究会での金素延氏(梨花女子大学校)による発表「韓国近代の女性美術 「韓国近代になぜ女性美術家はいなかったのか」」は、韓国近代美術史における女性作家研究の最新の成果がうかがえる内容でした。
 金氏によれば、20世紀前半の韓国では女子美術教育の最初の享受者として、妓生(芸妓)の存在が大きかったといいます。ただその制作は、書芸や四君子画(竹、梅、菊、蘭を高潔な君子に例えて描いた画)といった伝統の範疇に留まるものでした。その一方で鄭燦英のような近代日本画の流れを汲む女性画家が登場、また植民地朝鮮で美術教師を務め、あるいは画塾を運営して弟子を育てた在朝日本人女性画家の存在にも金氏は注目し、日韓の研究協力の必要性を示されました。
 金氏による発表の後、コメンテーターとして田所泰氏(実践女子大学香雪記念資料館)から日本の近代女性美術家、とくに日本画家をめぐる研究の現状について報告があり、これを受けてフロアも交え、ディスカッションが行われました。今回の研究会は日韓双方による研究が望まれる領域であり、ささやかながら歴史的な検証に向けての貴重な交流の場となったのではないかと思います。
 なおこの研究会では日本語と韓国語を使用、通訳を文化財情報資料部研究員・田代裕一朗が務めました。

ポルトガルで「発見」された2基のキリスト教書見台について―桃山・江戸初期の日葡関係と禁教実相を映す新出資料―令和5年度第9回文化財情報資料部研究会の開催

当研究所での書見台調査風景
研究会発表の様子
研究会後の書見台実見観察の様子

 令和6(2024)年1月23日に開催した文化財情報資料部研究会では、リスボン新大学のウルリケ・ケルバー氏と文化財情報資料部特任研究員・小林公治が、「ポルトガルで「発見」された2基のキリスト教書見台について―桃山・江戸初期の日葡関係と禁教実相を映す新出資料―」というテーマで発表しました。
 ここで報告した2基の書見台はキリスト教で聖書(ミサ典書)を置くためのもので、近年ポルトガルで確認された新出の資料です。ひとつは琉球、あるいはポルトガルの中国拠点であったマカオとの関係が指摘されてきたポルトガル・アジア様式のものですが、漆塗下の木胎面に墨書漢字が多数書かれています。もうひとつは1630年代に京都で造られヨーロッパに輸出された南蛮漆器ですが、通常イエズス会のシンボルマークIHSが表される中央部にはなぜか黒い漆が厚く塗られ松の木が描かれています。これまでにない特徴を持つこれらの書見台は歴史的な重要資料だと考えられたため、このたび日本まで持ち運び奈良文化財研究所と東京文化財研究所などで学術調査と研究報告を行うことになりました。
 発表者2名の研究と今回国内で実施した調査により、ポルトガル・アジア様式の書見台は1600年頃の製作で、七言律詩で書かれた漢字文には「マカオから離れ難い」という一文があるため、この漆塗螺鈿装飾がマカオでなされたこと、またこの頃の日本での書見台製作がマカオと密接に関係していたことを示しています。もう一方の南蛮漆器書見台は奈良国立博物館でX線CT調査を実施した結果、松の木の下からIHS紋の螺鈿痕跡が見つかったことから、迫り来る禁教圧力の中キリスト教器物であることを隠すため、中央部からキリスト教文様だけをはぎ取り松文様に塗り変えたことが判明しました。
 この研究会ではこうした事実を速報的に報告すると同時に、参加者にこれらの書見台を直接観察していただく機会にもなりました。今後は、両書見台に対するさらなる調査と研究を進め、その成果をできるだけ早く報告していきたいと考えています。

(NHK報道ウェブリンク: https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240218/k10014362331000.html

第2回韓国美術史コロキアムの開催

コロキアム当日の様子

 文化財アーカイブズ研究室では現在、韓国絵画調査資料(戦前期のガラス乾板・台紙貼写真)の整理を進めています(※)。資料整理にあたって、日本国内の研究者だけでなく、韓国の研究者とも意見交換をおこなっており、令和6(2024)年1月には韓国の代表的な近代美術史研究者である睦秀炫氏(モク・スヒョン、韓国近現代美術史学会附設近現代美術史研究所所長)を研究所に招へいしました。資料に関する検討会議と合わせて、1月26日には来日を記念した「第2回 韓国美術史コロキアム」(※第1回は、張辰城氏を招いて前年11月18日に実施)を東京文化財研究所地下セミナー室にて開催しました。これは日本国内の研究者・学生が、韓国美術史研究の動向と現状に触れる機会として企画したものです。今回は「韓国における「博物館」の設立」という題で博物館制度史に関するお話をしていただき、司会通訳を企画者の文化財情報資料部研究員・田代裕一朗が務めました。コロキアムには、大谷大学教授・喜多恵美子氏、東京藝術大学准教授・李美那氏をはじめ、関連分野の研究者・大学院生が参加し、小規模な集まりならではの忌憚のない学術的議論が行われました。今後も当研究所が蓄積してきた資料の整理を進めつつ、同時に海外と日本の研究者を繋ぐ架け橋としての役割を果たしていければ幸いです。

(※) 国外所在文化財財団助成「韓国絵画調査写真(東京文化財研究所所蔵)の研究」(令和5<2023>年9月~令和6<2024>年8月、研究代表者:田代裕一朗)

SOAS(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)での講演会

レクチャーの様子

 文化財情報資料部主任研究員・米沢玲は、昨年10月からイギリス・ノリッチのセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)に客員研究員として滞在し、現地での作品調査や研究活動に取り組んでいます(参考:https://www.tobunken.go.jp/materials/katudo/2056681.html)。令和6(2024)年1月25日には、そのような活動の一環としてSOAS(ロンドン大学東洋アフリカ研究学院)のCenter for the Study of Japanese Religionsで“The Arhat Painting at Kōmyōji Temple: Iconography, Style, and the Worship of Buddha in East Asia”(邦訳:光明寺の羅漢図―その図像と様式、東アジアにおける釈迦信仰に関してー)と題した講演会を英語で行いました。SOASはアフリカとアジア、そして中近東の地域研究の学術機関として世界的に知られており、ヨーロッパにおける日本研究を牽引してきた場所でもあります。
 今回の講演会では東京・光明寺が所蔵する羅漢図についてその絵画様式と図像を詳しく紹介した上で、本羅漢図の宗教的な制作背景を論じました。当日はSOAS教授Lucia Dolce氏が司会を務め、日本宗教学を専攻する学生のほか、SOASの卒業生や現地の研究者など約70名の聴衆が参加しました。講演会の終了後には質疑応答の時間が設けられ、中国美術や韓国美術の専門家からも意見が寄せられ、有意義な意見交換の場となりました。当日の会場はほぼ満席で、イギリス国内における仏教絵画研究に対する関心の高さが窺えました。

郭店楚簡の用字避複調査に関する中間報告―令和5年度第7回文化財情報資料部研究会の開催

質疑応答の様子

 文化財を調査するためには、文化財に関係する過去の資料を読み解くことが欠かせません。しかし資料が劣化している場合や、文字や単語の意味が現代とは異なる場合も多く、資料を読むことそのものにも十分な注意が必要です。
 令和5(2003)年12月11日の研究会では、片倉峻平氏(東北大学史料館)に「郭店楚簡の用字避複調査に関する中間報告」と題して上古中国の文字資料に見られる「用字避複」についてご発表いただきました。用字避複とは、一定範囲内に同じ漢字が重複した場合に異体字が用いられる現象で、ある種の修辞法と見なされてきましたが、その発生理由は判然としていません。片倉氏からは、この問題に対して、客観的に議論できるよう資料に記載された文字を一文字ずつ表に整理し、用字避複が発生している間隔や割合を明らかにする、という手法を糸口に調査していることをご報告いただきました。
 結論のまだ出ていない中間段階でのご発表でしたが、資料に記述された表現や文字の使い方をどのように解釈すれば良いのか、コメンテーターの宮島和也氏(成蹊大学)を中心に活発な議論が行われ、示唆に富む研究会となりました。
 なお、片倉氏はこれまでの調査の過程で作成された中国出土資料の文字データをデータ論文という形で公開されています(https://doi.org/10.24576/jadh.3.1_27)。東京文化財研究所でもこれまでに様々な資料を読み解く過程で得られた文字や単語に関するデータに注目したデータベースが構築できないか、検討して参ります。

文化財アーカイブに関するレクチャー実施―学習院大学の学生を迎えて

レクチャーの様子:会議室でのプレゼンテーション
レクチャーの様子:書庫での資料紹介

 令和5(2023)年10月16日、学習院大学の学生約40名(担当:学習院大学教授・京谷啓徳氏、皿井舞氏)が東京文化財研究所を来訪し、同大学の「博物館情報・メディア論」の授業の一環で、当研究所の文化財アーカイブズに関する活動を紹介しました。
 最初に、当研究所会議室で、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長・橘川英規が当研究所の概要・沿革を説明し、将来美術館博物館で学芸員として活動をおこなう上で役立つ資料、あるいは博物館活動の中で作り出された資料の収集・公開について紹介しました。また、当研究所の資料閲覧室を例に、専門図書館での研究活動の支援のあり方についても解説しました。その後、資料閲覧室と書庫に移動し、2つのグループに分かれて、橘川と文化財情報資料部研究員・田代裕一朗が、それぞれデジタルアーカイブや文化財調査写真を実際に見せながら、その意義や活用方法について紹介しました。
 今回のレクチャーには、美術史専攻のみならず他学部の学生も数多く参加しており、当研究所の活動の一端を知ってもらうよい機会となりました。
 文化財アーカイブズ研究室は、研究プロジェクト「専門的アーカイブと総合的レファレンスの拡充」において、今後も学生や専門家を対象とした利用ガイダンスを、積極的に実施していきます。受講を希望する方は、「利用ガイダンス」(対象:大学・大学院生、博物館・美術館職員、https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/guidance.html)をご参照の上、お申込みください。

アート・ドキュメンテーション学会秋季研究集会での見学会開催(資料閲覧室)

見学会の様子:当研究所資料閲覧室の活動の説明(撮影/アート・ドキュメンテーション学会・寺師太郎氏)
見学会の様子:資料閲覧室での文化財写真についての解説(撮影/アート・ドキュメンテーション学会・寺師太郎氏)

 令和5(2023)年10月28日、アート・ドキュメンテーション学会第16回秋季研究集会が東京文化財研究所を会場として開催され、併せて資料閲覧室の見学会が行われました。
 同学会は、ひろく芸術一般に関する資料を記録・管理・情報化する方法論の研究と、その実践的運用の追究に携わっている団体で、図書館司書、学芸員、アーキヴィスト、情報科学研究者、美術史研究者など、約350名の会員が所属していて、今回の見学会には、13名の会員が参加しました。
 見学会では、まず当研究所2階の研究会室で、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長・橘川英規が当研究所の概要と資料閲覧室の活動や蔵書構成について紹介し、資料閲覧室と書庫に移動して、デジタルアーカイブや文化財調査写真などの意義や活用の実際を解説しました。文化財資料の専門家も参加しており、資料の収集・整理・公開・保存に関する実務者の視点からの質問や、ユーザーとしての視点からの要望などもあり、充実した意見交換の場ともなりました。
 文化財アーカイブズ研究室は、文化財に関する資料情報を専門家や学生に提供し、資料を有効に活用するための環境を整備することをひとつの任務としております。今後も、このような専門家に向けた見学や利用ガイダンスを行い、ひろく当研究所の所蔵資料を知っていただく機会をふやしていきたいと考えております。
 受講を希望する方は、「利用ガイダンス」(対象:大学・大学院生、博物館・美術館職員、https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/guidance.html)をご参照の上、お申込みください。

セインズベリー日本藝術研究所での協議と講演会、ロンドンにおける関連施設の視察

ヴィクトリア&アルバート美術館National Art Libraryの視察
セインズベリー・センターでのギャラリートーク

 東京文化財研究所とイギリス・ノリッチ(Norwich)に所在するセインズベリー日本藝術研究所(Sainsbury Institute for the Study of Japanese Arts and Cultures; SISJAC)は平成25(2013)年に共同事業の覚書を交わしました。SISJACの職員から日本国外における日本美術の研究に関する文献や展覧会情報を定期的に提供してもらうほか、例年は文化財情報資料部の研究員が渡英し現地での研究協議や講演会を行ってきました。令和2(2020)年から昨年までは現地への訪問が叶わずオンラインでの協議を実施してきましたが、この度、文化財情報資料部文化財アーカイブズ研究室長・橘川英規と文化財情報資料部主任研究員・米沢玲の2名が3年ぶりに渡英し現地の視察や協議、講演会を行いました。
 11月14日、15日、17日にはロンドンで美術図書や資料の専門施設を視察しました。ナショナル・ギャラリー、ナショナル・ポートレート・ギャラリー、ロンドン大学コート―ルド美術研究所、ヴィクトリア&アルバート美術館の各施設に付設する美術専門図書室や写真アーカイブ、さらに大英図書館、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)といった充実した日本資料のコレクションを所蔵する図書館を訪れ、担当者から施設の案内や資料を紹介してもらい、一部の機関とは共同プロジェクトの可能性について協議しました。この一連の視察は、SISJACの平野明氏にご調整いただき、同氏と林美和子氏にもご同行いただきました。
 11月16日にはSISJACにおいて研究協議を実施したのち、午後からは米沢がセインズベリー視覚芸術センター(Sainsbury Center for Visual Arts)においてギャラリー・トークと講演会を行いました。イーストアングリア大学に付属しているセインズベリー・センターには、SISJACの創設者であるロバート・セインズベリーとリサ・セインズベリー夫妻のコレクションが収蔵されており、日本の古美術作品も含まれています。展示室では仏像と神像に関するギャラリー・トークを行い、続いて地下の会議室で「東京文化財研究所の活動と羅漢図の調査研究」と題した講演会を行いました。現地の一般聴衆のほか、SISJACを来訪していた日本の関係者も参加し熱心に耳を傾けていました。米沢は10月から客員研究員としてSISJACに滞在しており、令和6(2024)年2月まで現地での調査研究に取り組む予定です。

韓国美術史コロキアムの開催

コロキアム当日の様子

 文化財アーカイブズ研究室では現在、韓国絵画調査資料(戦前期のガラス乾板・台紙貼写真)の整理を進めています(※)。資料整理にあたって、日本国内の研究者だけでなく、韓国の研究者とも意見交換をおこなっており、令和5(2023)年11月には韓国の代表的な絵画史研究者であるソウル大学校人文大学考古美術史学科教授・張辰城氏(ジャン・ジンソン)を研究所に招へいしました。資料に関する検討会議と合わせて、11月18日には来日を記念した「韓国美術史コロキアム」を当研究所地下セミナー室にて開催しました。これは日本国内の研究者・学生が、韓国美術史研究の動向と現状に触れる機会として企画したものです。今回は「安堅筆《夢遊桃源図》をよむ」という題で朝鮮時代前期の絵画に関するお話をしていただき、司会通訳を企画者の文化財情報資料部研究員・田代裕一朗が務めました。コロキアムには、東京大学教授・板倉聖哲氏、筑波大学教授・菅野智明氏をはじめ、関連分野の研究者・大学院生が参加し、小規模な集まりならではの忌憚のない学術的議論が行われました。今後も当研究所が蓄積してきた資料の整理を進めつつ、同時に海外と日本の研究者を繋ぐ架け橋としての役割を果たしていければ幸いです。

(※) 国外所在文化財財団助成「韓国絵画調査写真(東京文化財研究所所蔵)の研究」(2023年9月~2024年8月、研究代表者:田代裕一朗)

森岡柳蔵旧蔵資料の寄贈

森岡柳蔵資料の一部(カルロ・クリヴェッリ《聖母子》1482年、バチカン絵画館所蔵の複製写真)

 画家・黒田清輝(1866~1924)に師事した画家である森岡柳蔵(1878~1961)による旧蔵資料を、令和5(2023)年11月8日付でご遺族よりご寄贈頂き、感謝状をお送りしました。資料は、森岡柳蔵が海外で収集したアリナーリ兄弟社(イタリア)による西洋絵画の複製写真85点です。
 森岡柳蔵は鳥取県出身の画家で、20歳で上京し、黒田清輝の率いる画塾の天心道場に学んだ後、明治34(1901)年に東京美術学校に入学し、更に黒田家の書生となるなど黒田の知遇を得ました。大正11(1922)年より3年間にわたりパリに留学してアメリカ経由で帰国しますが、その折に今回寄贈頂いた資料を収集したと考えられています。平成23(2011)年に鳥取県立博物館で開催された展覧会「没後50年 森岡柳蔵展:大正の抒情、パリの夢」の図録には、当時東京文化財研究所に在籍されていた山梨絵美子氏(千葉市美術館館長、客員研究員)が寄稿され、ご遺族から資料寄贈について相談を受けた山梨氏の仲介により、この度のご寄贈へと至りました。
 資料はジョット(1267頃~1337)、ラファエッロ(1483~1520)などルネッサンス期の画家による宗教絵画を中心とする複製写真で、嘉永5(1852)年に創業した世界最古の写真企業であり、現在までイタリア国内の美術館や博物館の所蔵する美術品の写真を数多く取り扱うアリナーリ兄弟社の手掛けたものです。森岡は帰国後にそれらを画友などに貸し出すこともあったといいますが、ほぼ全ての裏面に紛失を防ぐための所蔵印が捺されており、貴重な資料として珍重されていたことが窺えます。
 今回ご寄贈頂いた資料は当研究所資料閲覧室に保存し、デジタル画像として、資料に負担を掛けず、多くの研究者の目に触れる形で公開していく予定です。

薬師寺金堂薬師三尊像について―令和5年度第6回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 奈良・薬師寺金堂に安置される薬師三尊像の制作年代は、7世紀末とする説と、8世紀初頭とする説とで意見が分かれ、いまだ定説をみていません。また、本像のような優れた造形性を示す作例が、当時の日本においてどのように実現されたかという、制作背景をめぐる問題も十分に検討されたとは言えない状況です。
 令和5(2023)年11月28日に開催された文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部アソシエイトフェロー・黒﨑夏央が「薬師寺金堂薬師三尊像について―中尊台座異形像に見る薬師寺と韓国・慶州四天王寺の関係から―」と題して発表を行いました。
 薬師寺像は、写実的な身体表現と同様に、その中尊が座す箱型の台座に施された様々な文様も注目を集めてきました。本発表ではこれらの文様のうち、巻髪で牙を表した異形人物像を取り上げ、韓国・慶州四天王寺址から出土した緑釉神将壁塼に付随する邪鬼像との共通性に改めて着目しました。慶州四天王寺が7世紀末に創建されていることから、薬師寺像の制作年代も7世紀末と想定し、同時代の新羅の寺院と薬師寺との関係性を検討することで薬師寺像の制作背景について考察しました、
 研究会は会場とオンラインでのハイブリッド形式で開催されました。所外からも仏教美術史を専門とする方々にご参加いただき、同時代の他作例との更なる比較検討が必要であることなどをご指摘いただきました。今後はより広い視野を持って、台座がどのような構想のもとに制作されたのかについて考察を深めたいと思います。

「第57回オープンレクチャー かたちを見る、かたちを読む」開催

講演風景(春木晶子)
講演風景(岡村幸宣)

 文化財情報資料部では、毎年秋に、広く一般から聴衆を募り、研究者の研究成果を講演する「オープンレクチャー」を開催しています。令和2(2020)年から令和4(2022)年の間は、新型コロナウイルス感染防止の観点から聴講者を減らして規模を縮小し、内部講師のみによる1日間の開催としてきましたが、今年は4年ぶりにコロナ以前の状態に戻り、外部講師を招いて2日間の開催となりました。
 1日目の令和5(2023)年10月20日は、「西洞院時慶の庭 ―長谷川派の藤花図屏風をめぐって―」(文化財情報資料部 日本東洋美術史研究室長・小野真由美)と「アイヌの肖像画「夷酋列像」にこめられた 国家守護の願い」(江戸東京博物館 学芸員・春木晶子氏)の講演がおこなわれ、江戸時代の絵画に関する最新の知見や解釈が披露されました。一方、2日目の10月21日には、「「画廊資料」をいかに残し、活用するか」(文化財情報資料部 文化財アーカイブズ研究室長・橘川英規)と「「原爆の図」の歴史をつなぐ」(原爆の図丸木美術館 学芸員・専務理事・岡村幸宣氏)の講演がおこなわれ、近・現代の資料や作品を伝えていくあり方が具体的に示されました。
 両日合わせて一般から139名の参加者があり、聴衆へのアンケートの結果、回答者の86パーセントの方々から「大変満足した」、「おおむね満足だった」との回答を得ることができました。

昭和5(1930)年、ローマでの日本美術展をめぐって―令和5年度第5回文化財情報資料部研究会の開催

ローマ展の会場となったパラッツオ・デッレ・エスポジツィオーニの外観
展示風景

 今日でも日本の美術や文化を紹介する海外での展覧会は折々に開かれていますが、昭和5(1930)年にイタリア、ローマで開催された羅馬日本美術展覧会(通称ローマ展)は、まさに“伝説”といえるものでしょう。大倉財閥二代目の大倉喜七郎男爵の全面出資により実現したこの展覧会では、168件もの近代日本画が出品され、しかもそれらが日本画本来の姿で鑑賞できるよう、大小さまざまの16の床の間を会場内に設えたことで知られています。
 9月22日の文化財情報資料部研究会では、このローマでの展覧会について、ポーラ美術振興財団助成による研究成果として3名の研究者による発表が行なわれました。田中知佐子氏(大倉集古館)による発表「1930年ローマ「日本美術展覧会」開催を巡る諸相」では、ローマ展の開催決定までの推移やイタリア人関係者の動向等について詳細な報告がなされました。吉井大門氏(横浜市歴史博物館)の発表「大倉集古館所蔵「羅馬日本美術展覧会関係資料」について」では、大倉集古館に伝えられた議事録や報告書簡等、展覧会開催にまつわる諸資料の全容が示されました。そして篠原聰氏(東海大学ティーチングクオリフィケーションセンター/松前記念館)は「日本画シンドローム 羅馬日本美術展覧会における鏑木清方の作例を中心に」の題で発表、出品作家の傾向を分析した上で、とくに鏑木清方の作品からその海外戦略について論じました。
 ローマ展については、その重要性からたびたび先行研究でも取り上げられてきましたが、今回の研究はこれまで知られてこなかった大倉集古館の関連資料の数々を明らかにしたという点で、大きな進展をもたらすことでしょう。ローマ展の開催をめぐる貴重な資料群の、今後ますますの活用が期待されます。

松島健旧蔵資料の寄贈と公開

感謝状贈呈の様子
資料の一部

 東京国立文化財研究所の文化財情報資料部長を務めた故・松島健氏(1944〜1998)の旧蔵資料を、この度、氏の義弟に当たる河合正朝氏(慶應義塾大学名誉教授)からご寄贈いただき、併せて資料の一部の公開を開始しました。長らく文化庁で文化財行政に携わり、生涯に亘って日本彫刻史の研究に取り組んだ松島氏の資料群には、全国各地の仏教彫刻の作品調書や写真、修理報告書等、極めて貴重な資料が含まれています。すでに平成27(2015)年から一部の資料が研究所に寄託されており、少しずつ整理を進めてきましたが、令和5(2023)年9月に全ての資料が寄贈されることとなり、10月2日には河合氏へ感謝状が贈呈されました。併せて、整理が済んだ資料の目録をウェブサイトで公開し、資料閲覧室での利用が可能となりました(https://www.tobunken.go.jp/materials/matsushima) 。その他の資料も整理を進め、随時公開していく予定です。ぜひご活用ください。

韓国伝統文化大学校の一行を迎えて (資料閲覧室)

書庫を見学する李基星教授ほか

 令和5(2023)年9月1日、李基星氏(韓国伝統文化大学校)をはじめとする韓国の研究者・大学院生一行が、東京文化財研究所の資料閲覧室を訪問しました。一行は日韓文化財フォーラム(8月31日に早稲田大学にて開催)で研究発表をするため来日しており、日本滞在中の見学先として当研究所が選ばれました。

 資料閲覧室を訪問した一行は、東京文化財研究所の沿革と資料閲覧室の蔵書構成について研究員から説明をうけたのち、書庫を見学しました。昭和5(1930)年以来集められてきた当研究所の蔵書には、韓国美術史・考古学に関する貴重な資料も含まれており、一行は興味深く資料を閲覧していきました。

 文化財アーカイブズ研究室は、文化財に関する資料情報を専門家や学生に提供し、資料を有効に活用するための環境を整備することをひとつの任務としております。それは海外の専門家や学生に対しても例外ではありません。世界的に見ても高い価値を誇る当研究所の貴重な資料が、広く活用され、人類共通の遺産である文化財の研究発展に寄与することを願っております。

 ※文化財アーカイブズ研究室では、大学・大学院生、博物館・美術館職員などを対象として「利用ガイダンス」を随時実施しています。ご興味のある方は、是非案内(https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/guidance.html) をご参照のうえ、お申込みください。

桑山玉洲の旧蔵資料に関する復原的考察―令和5年度第4回文化財情報資料部研究会の開催

研究会の様子

 令和5(2023)年7月25日に開催された第4回文化財情報資料部研究会では、文化財情報資料部広領域研究室長・安永拓世が「桑山玉洲の旧蔵資料に関する復原的考察」と題し、オンラインによる研究発表をおこないました。
 桑山玉洲(1746~99)は、江戸時代中期に和歌山で活躍した文人画家で、絵はほぼ独学ながら、京都の文人画家である池大雅(1723~76)などと交流し、独自の画風を確立した人物です。『絵事鄙言』などの優れた画論を著したことでも、高く評価されています。
 この玉洲の子孫にあたる和歌山の桑山家には、玉洲ゆかりの資料が伝来していましたが、一部は売却され、残っていた資料も、戦後、行方不明となっていました。しかし、近年、桑山家の縁戚の家から一部が再発見された経緯があります。再発見された桑山家旧蔵資料は、画材道具や印章、玉洲旧蔵の中国書画などを含む点で、貴重な資料とみなされるものです。加えて、東京文化財研究所には、昭和19(1944)年に桑山家で調査した際の写真が残されており、桑山家旧蔵資料の散逸前の状況を知ることができます。
 発表では、まず、現存する桑山家旧蔵資料の中から玉洲旧蔵資料を抽出し、美術史的な意義を考察しました。そのうえでおこなったのが、現在は失われた桑山家旧蔵資料を、当研究所の調査写真や売立目録から補い、桑山家旧蔵資料を復原的に提示する試みです。こうした復原的研究は、東文研アーカイブの活用に関する今後の可能性を探るものでもあります。
 発表後には、オンライン上で質疑応答がおこなわれ、キャビネット版台紙貼写真など東文研アーカイブ活用の展望や、昭和19(1944)年の当研究所による桑山家の調査について、議論が交わされました。こうした復原的研究により、残された資料のみならず、失われた資料の価値や意義が再検討されることで、資料が残される意図への考察も深まることが今後期待されるでしょう。

香取秀真旧蔵資料の目録公開

香取秀真(『日本美術工芸』第185号、1954年3月から転載)
「香取秀真旧蔵資料」の一部

 文化財アーカイブズ研究室は、プロジェクト「専門的アーカイブと総合的レファレンスの拡充」の成果として、「香取秀真旧蔵資料」の情報をウェブサイトに公開しました。
 香取秀真(1874 – 1954)は、明治から昭和時代にかけて活動した金工家、金工史家、歌人で、金工界のみならず広く工芸界の中心的存在として工芸の発展振興に尽力しました。香炉・花器・釜・梵鐘など古典的モティーフを引きつぎながら、豊かな技術を生かした作風で知られ、また東洋金工史の研究に大きな業績を挙げました。「香取秀真旧蔵資料」は、氏の没後、昭和39(1964)年に遺族により東京文化財研究所に寄贈され、そのなかには、日記や作品制作のための意匠図案に加えて、日本各地の金工品に関する調査記録も含まれており、香取秀真研究だけでなく、日本金工史の研究においても有益な資料といえます。このたび、資料保全作業・目録整理などを行い、「香取秀真旧蔵資料」として公開いたしました。公開にあたっては、文化財情報資料部研究補佐員・田村彩子を中心に準備を進め、さらに旧職員の中村節子氏から、この資料群に関するさまざまな情報をご提供いただきました。
当研究所が長年にわたって蓄積してきた資料群を、文化財に関する研究課題の解決の糸口として、また幅広い分野の新たな研究を創出する契機として、ご活用いただければ幸いです。
※資料閲覧室利用案内
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/library.html
アーカイブズ(文書)情報は、このページの下方に掲載されています。実際の資料は資料閲覧室でご覧いただけます。
※香取秀真旧蔵資料
https://www.tobunken.go.jp/joho/japanese/library/pdf/archives_KATORI_Hotsuma.pdf

古郡家資料の受入

古郡良雄氏による直筆資料

 薩摩藩出身で明治政府の要職を務め、画家・黒田清輝(1866~1924)の養父でもあった黒田清綱(1830~1917)とゆかりのあった古郡家より、黒田家に関連する資料を令和5(2023)年5月9日付で東京文化財研究所へご寄贈頂き、6月15日に感謝状贈呈式を行いました。
 当研究所の前身は、画家、教育者などとして日本の近代絵画史に大きな足跡を残した黒田清輝の遺言執行の一環として、美術の研究を行うために設立された帝国美術院附属美術研究所でした。そのため設立当初から多様な使命を担うようになった現在まで、黒田清輝の絵画作品や彼の活動に関する調査研究を行っており、そのことが、この度の資料ご寄贈へとつながりました。
 古郡静子氏は、黒田清綱の麻布区笄町(現在の港区西麻布)の別邸で彼の身辺の世話をしており、そのご遺族である現在の古郡家では、黒田清輝本人から贈られた、彼の描いた絵画作品を所蔵しておられました。文化財情報資料部上席研究員・塩谷純、文化財情報資料部研究員・吉田暁子とでその調査に伺った折にご遺族からお示し頂いたのが、今回の古郡家資料です。
 和綴じ冊子、書籍、書類・印刷物の計23件から成る古郡家資料の核となるのは、古郡静子氏の養子であった古郡良雄氏による、直筆の和綴じ冊子10冊です。著者本人が個人的に接した黒田清綱及び黒田清輝の記憶と、同時代資料を博捜して得られた情報とを根拠とする『黒田清綱記事集』『黒田清輝記事集』、また黒田清輝の絵画作品にも登場する笄町の邸宅周辺をめぐる回想録と資料集の2冊組による『彼の頃の麻布』を含むこれらの資料は、当時の黒田家や周辺の環境について独自の視点から緻密に記録した、貴重な一次資料です。
 今回ご寄贈頂いた古郡家資料は、資料閲覧室にて保存・公開します。また今後、重要資料の翻刻・デジタル化などを通じてより広くアクセス可能な資料とし、多様な研究に寄与する資料として後世に伝えていければ幸いです。

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