本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。(記事総数 2,961 件)





大塚稔

没年月日:1951/10/13

読み:オオツカ, ミノル*、 Otsuka, Minoru*  美術印刷業者として著名だつた大塚巧芸社々長大塚稔(号、鈍重)は病を得て10月13日伊豆網代の療養先にて逝去した。享年64歳。明治21年1月1日長野県浅間山麓に生れ、幼にして両親を喪い、12歳にて単身上京、具さに辛酸を嘗めつつ克苦勉励、写真技術及びコロタイプ印刷術を習得した。大正8年神田裏に大塚巧芸社を創業、同年日本美術院関係の出版物一切の依嘱を受けた。続いて宮内省、内務省、文部省等より美術印刷物及び貴重な文献類多種の複製を下命され、同18年文部省より技術保存証を受領した。同16年より3年を費し、郷里上田郊外に独力にて信州夢殿を建立し宝蔵の国宝救世観音像を安置した。美術を深く愛好し、名画の複製、美術図書の出版多数に亘つた。戦後株式会社大塚巧芸社を復興し、没後なほ遺業が続けられている。

芳川赳

没年月日:1951/07/09

読み:ヨシカワ, タケシ*、 Yoshikawa, Takeshi*  美術出版界に名のあつた芳川赳は7月9日脳溢血のため豊島区の自宅で逝去した。享年55歳。明治28年10月20日長崎県島原市に生れ、県立島原中学を経て明治大学卒業、出版界に入り各種の著書を発行したが、雑誌「美術春秋(月刊)」「日本画傑作年鑑」等の編輯発行者として知られ、戦後は「美術鑑賞」を発行した。

飯田新太郎

没年月日:1951/05/03

 高島屋取締役飯田新太郎は5月3日京都市に於て逝去した。享年67歳。明治17年飯田新七の長男として京都市に生れた。同42年早稲田大学商科を卒業、家業に就き、大正15年取締役に就任、同年より2ケ年の間欧米を巡遊した。晩年居を京都に定め、美術工芸の技術向上に意を用い、斯界に貢献した。

松方幸次郎

没年月日:1950/06/27

読み:マツカタ, コウジロウ*、 Matsukata, Kojiro*  かつて世界的に有名であつた松方コレクシヨンの主松方幸次郎は、6月27日鎌倉市の自宅で逝去した。享年84。公爵松方正義の三男で川崎造船社長、松方日ソ石油社長、衆議院議員として実業界、政界に活躍した。第一次世界大戦後ヨーロツパ各国に於て、多くの西洋絵画及び彫刻、工芸品を購入し、松方美術館を計画したが、完成を見ずその蒐集品は四散した。しかし、わが近代美術の発達に与えた功績は極めて大きい。又彼の蒐集した浮世絵は戦時中帝室へ献上し今日国立博物館に移管されて、その量と質に世界有数のものとして知られている。

尾川藤十郎

没年月日:1950/04/24

 東京都美術館長尾川藤十郎は東京杉並の自宅で4月24日脳溢血のため死去した。享年64。明治20年群馬県に生れ、大正3年東京美術学校師範科を、更に広島高等師範学校教育科を卒業した。東京都美術館主事を経て館長をつとめた。

野上豊一郎

没年月日:1950/02/23

読み:ノガミ, トヨイチロウ*、 Nogami, Toyoichiro*  能楽研究家として知られた野上豊一郎は2月23日東京世田谷の自宅で脳出血のため死去した。享年68。明治16年大分県に生れ、同41年東大文学部英文科を卒業、法政大学教授を経て昭和21年法政大学総長となつた。「能・研究と発見」「幽玄と花」等の著書があり、能の海外紹介に活躍した。能面に関する造詣も深く、重要美術調査委員会の嘱託であつた。

芝田徹心

没年月日:1950/02/06

読み:シバタ, テッシン*、 Shibata, Tesshin*  元東京美術学校長芝田徹心は2月6日三重県の自宅で心臓弁塞のため死去した。享年82。明治12年三重県に生れ、同36年東大哲学科を卒業、八高校長 女子学習院長等を歴任した。昭和11年から15年迄東京美術学校長をつとめた。

田中松太郎

没年月日:1949/03/10

 美術印刷に功労のあつた田中松太郎は3月10日死去した。享年87。号を半七・★籟といい、文久3年富山県に生れた。印刷研究のために西洋を巡り、日本の印刷技術及び三色版印刷に一進歩をもたらし、昭和16年毎日新聞社から印刷功労賞を受けた。パンの会の会員でもあつた。

牧野伸顕

没年月日:1949/01/25

読み:マキノ, ノブアキ*、 Makino, Nobuaki*  元内大臣牧野伸顕は1月25日千葉県葛飾郡の自宅に於て逝去。享年89。維新の元勲大久保利通の次男として生れ、外務書記官を出発点として官界に入り、内政外交の要職を経て、第一次大戦後講和全権委員、宮内大臣、内大臣を歴任した。美術行政にも関心を持ち、明治39年西園寺内閣の文相に任ぜられかねての抱負に従い、美術行政家、美術家とはかつて同40年文部省に美術審査委員会を創立し、文部省美術展覧会を開設して美術の発展に貢献した。また大正13年黒田清輝の逝去に際し、その遺言執行人となり久米桂一郎、正木直彦、矢代幸雄等と協議して、わが国唯一の美術研究所(現在文化財保護委員会所管)を創立した。

小島烏水

没年月日:1948/12/13

読み:コジマ, ウスイ*、 Kojima, Usui*  浮世絵版画の研究と蒐集家として知られた小島烏水は12月13日東京杉並の自宅で脳溢血のため死去した。享年74。本名を久太といい、明治8年高松市に生れ横浜商業を卒業後銀行員となつて外地にも勤務した。日本山岳会長として日本アルプスの紹介、紀行文の発表などと共に浮世絵の研究に努め、大正4年雑誌「浮世絵」を発刊主宰した。美術関係著書の主なものに「浮世絵と風景画」「江戸末期の浮世絵」等がある。

清水澄

没年月日:1947/09/25

読み:シミズ, トオル*、 Shimizu, Toru*  帝国芸術院長清水澄は9月25日熱海で死去した。享年80。明治元年金沢市に生れ、同27年東京帝大法学部を卒業した。法学博士で行政学の権威であり枢密院議長をつとめた。昭和13年初代帝国芸術院長となり、芸術振興にも力を尽した。

飯田新七

没年月日:1944/02/03

 高島屋前社長飯田新七は2月3日京都東山区呉竹庵本邸で逝去した。享年86。安政6年京都に生れ、高島屋四代目の当主として呉服貿易業に専念、今日の隆盛をなし、我国の染織業の指導者として大いなる功績を残した外、社会事業にも貢献する所が多かつた 第4回内国勧業博覧会に審査官となつて以来、しばしば各種博覧会の委員となり、昭和10年から大礼記念京都美術館の評議員でもあつた。

大原孫三郎

没年月日:1943/01/18

読み:オオハラ, マゴサブロウ*、 Oohara, Magosaburo*  大原孫三郎は1月18日狭心症のため倉敷市の自宅で逝去した。享年64。明治13年に生れ早稲田大学専門部を卒業、実業界に重きをなしたほか、社会問題研究所、労働科学研究所、美術館を創立し、文化事業にも大きい功績があつた。その西欧絵画の蒐集品は大原コレクシヨンとして知られるが、また児島虎次郎その他美術家のよい後援者でもあつた。

藤井善助

没年月日:1943/01/14

読み:フジイ, ゼンスケ*、 Fujii, Zensuke*  京都有隣館長藤井善助は急性肺炎のため1月14日自宅で逝去した。享年71。衆議院議員当選3回、育英事業につくした他、実業界で活躍するとともに東洋美術愛好者として知られ、支那古美術を主とする多年の蒐集品をあつめて京都岡崎に有隣館を設立していた。

金子堅太郎

没年月日:1942/05/16

読み:カネコ, ケンタロウ*、 Kaneko, Kentaro*  日本美術協会々頭、枢密顧問官従1位大勲位伯爵金子堅太郎は、5月16日相州葉山の恩賜松荘に於て薨去した。享年90。伯は嘉永6年福岡藩士金子清蔵の長男として生れ、明治3年東都に遊学し、同4年選ばれて渡米、ハーバード大学に法律を学び、帰朝後東京大学講師、元老院権大書記官、同17年太政官権大書記を兼ね、憲法草案作成に参与し、総理大臣秘書官、枢密院、貴族院の書記官長、農商務次官等を経て、同31年農商務大臣、同33年司法大臣に歴任した。後枢密顧問官となり、大正8年以降は維新資料編纂会総裁として尽瘁した。美術に理解を有し、明治34年日本美術協会副会頭に就任、大正8年同会々頭に推され今日に至つた。危篤の趣天聴に達するや特旨を以て従1位宣下、並に大勲位菊花大授章を賜つた。

清水真輔

没年月日:1942/05/14

 大阪三越美術部長清水真輔は盲腸炎のため5月14日逝去した。享年59。明治17年東京に生れ、同41年早稲田大学商科卒業後三越に入つた。「不断華楼画趣」等の出版物あり、日本画鑑賞会に活躍してゐた。

内藤三郎

没年月日:1941/08/08

 奈良帝室博物館長内藤三郎は胃潰瘍のため8月8日急逝した。享年51。山口県出身、皇宮警察部長、滋賀、福島両県経済部長等歴任後、本年3月奈良帝室博物館長に転じたものである。

阿部七五三吉

没年月日:1941/01/23

読み:アベ, シメキチ*、 Abe, Shimekichi*  図画手工教育に多数尽瘁した阿部七五三吉は1月23日逝去した。享年68。号見山。明治7年大分県に生れ、大分県師範学校を経て明治34年東京高等師範学校卒業、同年佐賀県師範学校教諭となり、38年東京高等師範学校助教授に転じた。大正14年同校教授となり、昭和10年退官、その後日本手工研究会々長、創作工芸会々長として斯界に貢献するところが大きかつた。著書多く「高等小学校手工科新指導」「小学校手工作方教方の実際」「手工作業工業、木材加工法」等々がある。

今井貫一

没年月日:1940/03/18

読み:イマイ, カンイチ*、 Imai, Kan’ichi*  大阪市立美術館前館長今井貫一は3月18日逝去した。明治3年徳島県に生れ、東大史学科を卒業後、教職、大阪市立図書館々長を経て、昭和10年予て創設に当りし市立美術館の館長に就任、同14年病の故退き、爾後同館の顧問であつた。

佐藤慶太郎

没年月日:1940/01/13

読み:サトウ, ケイタロウ*、 Sato, Keitaro*  佐藤慶太郎は1月13日別府の自宅に於て逝去した。享年73。佐藤新興生活館の創立者であり、又大正9年東京府美術館建設費として百万円を寄付する等美術界に貢献するところあつた。

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