本データベースは東京文化財研究所刊行の『日本美術年鑑』に掲載された物故者記事を網羅したものです。(記事総数 2,907 件)





須山計一

没年月日:1975/04/17

読み:スヤマ, ケイイチ*、 Suyama, Keiichi*  一水会会員、日本美術会員の洋画家、また漫画家、漫画研究家の須山計一は、4月17日午後11時58分、脳出血のため東京世田谷奥沢の大脇病院で死去した。享年69歳。須山は、明治38年(1905)7月17日、長野県下伊那郡に生まれ、昭和5年(1930)東京美術学校西洋画科を卒業。在学中は藤島武二教室に属し、一方、松山文雄にさそわれて麻生豊、柳瀬正夢らの日本漫画連盟に参加、昭和2年(1927)、柳瀬、松山の紹介でプロレタリア文芸連盟美術部に加盟し、学内では研究会五月会にはいって活躍した。その間に発表した作品には宇野計の名で出品した昭和3年(1928)第1回プロレタリア美術展「トーマを排撃せよ」、翌4年第2回プロ美術展「戦争」「宗教」「社会民主主義者A、B、C」、5年第3回展には無産者新聞連載の漫画「アジ太プロ吉世界漫遊記」、6年第4回展「アムステルダムの手先共」、7年第5回展「祖国」「村」などがある。美術学校卒業制作は「労働者」(のち、昭和38年“昭和初期洋画展”神奈川県立近代美術館、昭和46年4月“近代日本美術における1930年”展に出品された)であった。昭和8年ヤップ(日本プロレタリア美術家同盟)書記長、コップ(日本プロレタリア文化連盟)書記局員などをつとめ、同年12月検挙され、治安維持法違反で起訴、約1年間の未決生活をおくり、懲役3年執行猶予5年の判決をうけた。昭和16年(1941)第5回一水会展に「宿駅」入選、その後毎年出品し、昭和21年一水会会員となった。また、昭和12年には満州・朝鮮旅行、また、昭和17年には石井柏亭が主宰した双台社の同人となっている。戦後は、一水会展に出品すると同時に、昭和22年日本美術会会員となり同会主催日本アンデパンダン展に毎回出品、昭和34年には同志と草炎会を結成した。昭和36年にモスクア、レニングラードで開催された現代日本美術展に「伊那の山村」「出漁の朝」を出品、同40年には招待されて新中国を旅行した。一水会展への出品は一時中断したが、昭和46年以後再出品している。漫画評論、漫画史研究にもたづさわり、『現代世界漫画集』(昭和11年)、『ドーミエ、政治風俗漫画』(昭和28年、青木書店)、『漫画の歴史』(昭和30年、美術出版社)、『日本漫画100年』(昭和31年、鱒書房)、『日本の戯画』(昭和35年、社会思想社)、『漫画博物誌・世界、日本』2冊(昭和47年、番町書房)などの著書がある。一水会展出品作品略年譜昭和16年(1941)5回展「宿駅」、17年6回展「山の道」、18年7回展「仕上げの女達」「伊那谷の初夏」、22年9回展「志賀の渓流」「山池」、23年10回展「街」、24年11回展「ミシンをかける妻」、25年12回展「焼跡工場から」、26年13回展「姨捨駅」、27年14回展「絵をかく子供」「伊那谷の生家」、28年15回展「六郷橋畔」「造船所付近」、29年16回展「瓦斯橋の辺り」「南信駒場の宿」、30年17回展「南信の夏」「伊那の山村」、31年18回展「峠の部落」「大平街道」、32年19回展「馬籠への道」、33年20回展「荷揚げ場」、46年33回展「竜門石窟」、47年34回展「奥信濃の火祭」、48年35回展「天竜渓谷の村」、49年36回展「白樺林とつつじ」。

清水崑

没年月日:1974/03/27

読み:シミズ, コン*、 Shimizu, Kon*  漫画家、清水崑(本名幸雄)は3月27日午後8寺30分、ロク膜炎のため東京都文京区の東京医科歯科大学附属病院で死去した。享年61歳。大正元年9月長崎県に生まれた。長崎商業在学中から漫画に情熱をもやし、昭和5年、画家を志して上京、街頭で似顔絵かきをやるうち岡本一平に認められ弟子入りし漫画家への道を踏み出した。戦後、横山隆一、近藤日出造らと漫画集団をつくり、新聞、雑誌に政治漫画を連載、一躍人気作家となった。毛筆による鳥羽絵風の軽妙な絵が得意で、漫画では「かっぱ天国」「かっぱ川太郎」などの“かっぱもの”の代表作に多くの支持者を得たが、とくに優れた技を似顔絵に発揮したといえる。

西川辰美

没年月日:1971/03/07

読み:ニシカワ, タツミ*、 Nishikawa, Tatsumi*  漫画家西川辰美は3月7日食道静脈癌破裂のため新宿区東京医大病院で死去した。享年54才。東京の四谷に生れ、昭和9年京華商業卒業後、味の素株式会社に入社し20年までその広告部に在籍したが、12年から徴兵され、幹部候補生として陸軍中尉となる。昭和6年から漫画の投稿欄に採用されていたというが、京華商業在校中に近藤日出造の下に出入した。戦争末期から胸部の難病に苦しみながら漫画を描き、22年から漫画集団に参加した。25年から「主婦之友」誌上に「おトラさん」を連載し「文芸春秋漫画読本」にも同じシリーズを載せ続け読売少年版に「ゲンキ中学」、産経時事夕刊に「おかあちゃん」を連載する一流の流行作家となった。テレビ番組のレギュラー司会者としても活躍する多彩な才能をもっていた。

清水対岳坊

没年月日:1970/06/19

 漫画家清水対岳坊は、6月19日心筋硬そくのため東京都北多摩郡の自宅で死去した。享年86歳。大正、昭和初期に活躍した漫画界の草分けで、講談社の「キング」「少年倶楽部」「講談倶楽部」のさし絵や、新聞の政治漫画などで知られた。

六浦光雄

没年月日:1969/06/12

読み:ムツウラ, ミツオ*、 Mutsuura, Mitsuo*  漫画家六浦光雄は6月12日脳出血のため東京都世田谷区の自宅で死去した。享年56才。大正2年2月23日東京の墨田区に生れ、前には漫画集団会員であった。昭和38年第9回文芸春秋漫画賞を受賞した。近年いわゆる漫画の概念が拡大されてきたが、彼の漫画も滑稽さを目的とする従来の漫画と異って、戦後の混乱期における庶民生活の哀歓をうたった一種の風俗画的な傾向が強く、社会派漫画に分類されることもあるが、銅版画のような線の交錯による陰影の濃いその画面は民衆的な正義感にデカダニスムの混り合った独特の雰囲気をもっていた。

宍戸左行

没年月日:1969/02/03

読み:シシド, サコウ*、 Shishido, Sako*  戦前漫画を描き、戦中より水墨画を主とした画家宍戸左行(本名嘉兵衛)は2月3日悪性腫瘍のため東京都世田谷区の自宅で死去。享年80。福島県伊達郡に生れ、20才ごろアメリカに渡り、自活しながらキャノンなる画家の画熟に通って油絵を学んだ。約8年間の滞米生活中の観察はユーモラスな絵と文で、(平凡社)に「アメリカの横腹」が描かれている。その後毎夕新聞、東京日日新聞(のちの毎日新聞)などに政治漫画を執筆、昭和5年には読売新聞漫画部に入社、15年11月婦人部に属し、18年4月に退社した。この間児童漫画では「スピード太郎」を創作している。第二次世界大戦中に郷里福島に疎開すると水墨による風景を描くことが多く、また晩年は山路閑古著「柳話的釈尊伝」や水野弘元著「経典物語」などの挿絵などの挿絵および雑誌「大法輪」には昭和6-7年来より未完成となった「玄奘三蔵絵伝」を連載して仏教関係の仕事が増加していた。日本漫画家協会名誉会員(参照昭和44年2月14日読売新聞記載、宍戸三沙子「父・宍戸左行のこと」)

麻生豊

没年月日:1961/09/12

読み:アソウ, ユタカ*、 Aso, Yutaka*  漫画家麻生豊は9月12日に心臓衰弱のため浦和市の自宅で死去した。64歳。彼は1898(明治31)年大分県宇佐郡に生れた。1923(大正12)年より5年にわたって報知新聞に勤務し、1924年から「ノンキナトウサン」を連載し好評を得た。1929(昭和4年)より読売新聞社、1932(昭和7)年より朝日新聞社勤。この間「人生勉強」「只野凡児」を連載し、わが国の新聞連載漫画の草分けの一人となった。

茂田井武

没年月日:1956/11/02

読み:モタイ, タケシ*、 Motai, Takeshi*  日本童画会々員茂田井武は、11月2日心臓喘息のため東京都練馬区の自宅で逝去した。享年48歳。明治41年9月29日東京に生れ、太平洋研究所、川端画塾に学んだ。昭和5年フランスに留学、スイス、英国を経て昭和8年帰国、挿絵をかきはじめた。第二次大戦中は報導部員として広東に駐留、のち入隊し中支に転戦、20年帰還した。作品は漫画、児童向絵本物語などで、昭和29年小学館児童文化賞、絵画賞をうけた。「絵本セロひきのゴーシュ」「三百六十五日の珍旅行」などの著書がある。

北沢楽天

没年月日:1955/08/25

読み:キタザワ, ラクテン*、 Kitazawa, Rakuten*  漫画界の長老北沢楽天は、8月25日大宮市の自宅で脳出血のため逝去した。享年79歳。明治9年7月20日生。本籍は埼玉県大宮市。大幸館絵画研究所において松室重剛、堀江正章に師事した。最初横浜の英字週刊誌ボクス・オブ・キューリアスに入社して絵画を担当したが、明治33年時事新報社に入つて漫画を描いて認められた。同38年4月漫画週刊誌「東京パック」を創刊し、漫画の普及につくした。昭和2年から同4年までヨーロッパを巡遊したが、この間も漫画を描いて毎週送り、またロンドンにおいて個展を開催した。帰国後「楽天全集」7巻、「楽天パック」を刊行し、また「家庭パック」を発行した。終戦後は大宮市郊外に隠棲し、筆硯を楽しんでいた。

小野佐世男

没年月日:1954/02/01

読み:オノ, サセオ*、 Ono, Saseo*  二科会所属の漫画家小野佐世男は2月1日心筋硬塞のため神田駿河台日大付属病院で急逝した。享年48歳、葬儀は漫画集団葬を以て、4日世田谷区の自宅で行われた。明治38年横浜市に生れ、東京美術学校に入学し岡田三郎助の教えをうけた。昭和5年同校卒業後は春台美術に加わつたが漫画の投書が縁で報知新聞に入り漫画で活躍した。戦時中は報道班員としてジャワに従軍し、戦後は女性姿態に独特の筆をふるい、ジヤーナリズムの人気を集めていた。新漫画派集団、出版美術家連盟二科会に属し、著書に「女体戯語」「サルサル合戦」「女神の絵本」等がある。

安本亮一

没年月日:1950/11/06

 漫画家安本亮一は食道癌のため11月6日長野市の自宅で死去した。享年50。明治34年東京浅草に人形師安本亀八の長男として生れ、大正13年東京美術学校彫刻科塑造部選科を卒業した。建畠大夢、池部鈞、岡本一平に師事し、春陽会展、帝展等に入選した。東京朝日新聞社学芸部に嘱託として紙上に漫画を画くなど主として漫画界に活躍した。

村山しげる

没年月日:1949/09/13

読み:ムラヤマ, シゲル*、 Murayama, Shigeru*  新漫画派集団同人村山しげるは9月13日東京麻布の実兄宅で心臓麻痺のため死去した。享年39。本名を繁といい、明治44年に東京に生れ、新鋭漫画グループ・新漫画派集団等によつて雑誌等に活躍した。

岡本一平

没年月日:1948/10/11

読み:オカモト, イッペイ*、 Okamoto, Ippei*  漫画家岡本一平は疎開先の岐阜県加茂郡に於て10月11日脳溢血のため死去した。享年63。明治19年6月11日北海道函館に生れ、22年大阪に、25年には更に東京に居を移した。36年に商工中学校を卒業し、武内桂舟、徳永柳州、又藤島武二に就き洋画の指導を受けた。39年東京美術学校西洋画科に入学、43年に卒業、尚在学中帝展へ「トンネル横町」を出品入選した。卒業後和田英作の傘下に入り帝国劇場天井画、舞台背景、装置の仕事に携り約1年余を過した。次で45年東京朝日新聞社に入社し、漫画を描き始め遂に漫画を専門とするようになり大正昭和に亘つて活躍した。著書に「世界漫遊」「弥次喜多」「岡本一平全集」がある。

小山内龍

没年月日:1946/11/01

読み:オサナイ, リュウ*、 Osanai, Ryu*  漫画家、童画家として親しまれていた小山内龍は11月1日疎開先の北海道亀田郡で心臓病のため死去した。享年43。本名を澤田鉄三郎といい、明治37年函館に生れた。上京独学して昭和7年新漫画派集団会員となり。以後漫画、童画にわたつて活躍していた。

谷脇素文

没年月日:1946/04/28

読み:タニワキ, ソブン*、 Taniwaki, Sobun*  漫画家谷脇素文は敗血症のため高知県高岡郡の自宅で死去した。享年69・本名を清澄といい、明治11年高知市に生れ、柳本素石に師事、漫画・挿画等を画いたが、特に川柳漫画に独特の画風を持つていた。

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