山路真護

没年月日:1969/10/04
分野:, (洋)

一陽会会員の洋画家、山路真護は、10月4日死去した。本名壱太郎、号真護、逃水亭。山路真護は、明治33年(1900)埼玉県所沢市に生まれ、同町工業学校を卒業、京都絵画専門学校に進んだが中退し、昭和4年第一美術展に入選、昭和5年~7年パリに留学し、アカデミー・ジュリアンに学び、ルーヴルで素描を研究、サロン・ドートンヌに出品入選した。昭和7年第19回二科展に出品入選、以後昭和30年退会するまで、ほとんど毎回出品、昭和18年会友となり、戦後二科展再建に参加して昭和23年会員となった。その間、昭和13年には陸軍航空部隊に従軍、同18年には朝日新聞航空朝日特派員、海軍報道班員としてラバウル、ブーゲンビル島に派遣された。昭和30年野間仁根鈴木信太郎らと二科会を脱退して一陽会を設立した。昭和41年以降毎年日動サロンで個展を開催した。
作品略年譜
二科展:昭和7年「マルヌの記念」「マリオネット」「MALSON des OISEAUN」、同8年「ノアジルグロンの思い出」「みなと」「シュマン・ド・フェール・ド・サンチュール」、同9年「ブリー村の7月14日祭」「南遊情趣」「サン・マリタン近くの小鳥を売る店」、同10年「ペナン入港」、同11年「夏の地中海岸」、同13年「灰色の闘士」「夏の夜の構想」、同14年「制空の記録」、同18年「ソロモン画稿より」、同21年「巴里1931年」、同22年「或る性の分離」「花」、同23年「山口村風景」「月の前奏」、同24年「野鳥」「魚族」、同25年「青春」、同26年「白昼」、同27年「漂流」「月に唄う」、同28年「受胎告知」「月を売る」、同29年「サンドニへの思慕」。
一陽会展:昭和30年「ピカソ恋す」「受胎告知」「天使と貝殻」、同31年「晩鐘」「ジス・イズ・ジャパン」「白昼」、同32年「追想の果て」「水を汲む人」、同33年「二人の天使」「殉教」、同34年「胎生魚」、同35年「継承のエスプリ」「慕情」、同36年「横臥せる」「トルソ」、同37年「古風な神殿」「王様よ歯医者に行こう」、同38年「白い猫」「泣くなピエロ」、同39年「ANIMAL-1」、同40年「異人」「洋裁師」、同41年「テレビタレント」「靴を磨く」、同42年「忘却の祖国」「夜のコーラス」、同43年「VIVE ROI」「消える栄光」、同44年「赤い帽子」。

出 典:『日本美術年鑑』昭和45年版(85頁)
登録日:2014年04月14日
更新日:2023年09月13日 (更新履歴)

引用の際は、クレジットを明記ください。
例)「山路真護」『日本美術年鑑』昭和45年版(85頁)
例)「山路真護 日本美術年鑑所載物故者記事」(東京文化財研究所)https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9212.html(閲覧日 2024-04-19)

外部サイトを探す
to page top