「壁画」という言葉を聞いて、みなさんは何を思い浮かべますか?極彩色に彩られた飛鳥美人などで知られる高松塚古墳壁画(奈良県)でしょうか。西洋美術が好きなら、システィーナ礼拝堂(バチカン市国)にミケランジェロが描いた天井&祭壇壁画を思い浮かべる人もいるかもしれません。このように壁画は、制作の意図や目的は異なりますが、世界中の様々な場所に描かれています。
これらの壁画を比較していくと、時代や地域によって様々な種類があることが分かってきます。よく壁画の話をしていると、あらゆる壁画をまとめて「フレスコ画」と呼ぶ人がいますが、正確にはこれは間違いです。壁画技法は大きく2つに分類することができます。ひとつはフレスコ画技法。もうひとつはセッコ画法と呼ばれる技法です。これら2つの技法にはどのような違いがあるのでしょう。
まずフレスコ画技法ですが、「フレスコ」という言葉はイタリア語で“新鮮な”、“フレッシュな”を意味します。これは消石灰を練り込んだ漆喰を下地にして、それが乾燥するまでの間に、つまりフレッシュなうちに作品を描き上げる技法であることからこう呼ばれるようになりました。それでは、なぜ漆喰が乾燥するまでの間に描かなくてはならないのでしょうか。少し専門的な話になってしまいますが、消石灰とはカルシウムの水酸化物、つまり水酸化カルシウムのことをいいます。水酸化カルシウムは、空気中の二酸化炭素と化合すると炭酸カルシウムを生成する「結晶化」を起こします。フレスコ画技法はまさにこの化学反応を利用した絵画技法であり、次第に形成される炭酸カルシウムの結晶内に顔料が閉じ込められることで定着していきます。この化学反応が、漆喰の中に含まれる水分が蒸発する過程において集中して起きることから、乾燥までに描き上げなくてはならないのです。
つづいてセッコ画法ですが、「セッコ」とはイタリア語で“乾燥”を意味します。その名の通り、乾燥した下地の上に描画する技法であることからこう呼ばれます。樹脂や膠などをバインダー(接着剤)に顔料と混ぜ合わせて描いていきますから、乾燥した漆喰であっても、土壁の上であっても、壁画を制作することが可能です。高松塚古墳壁画やキトラ古墳壁画はこのセッコ画法で描かれています。また、世界的に有名な芸術家であるレオナルド・ダ・ヴィンチが、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院(イタリア)の食堂に描いた「最後の晩餐」もセッコ画法で描かれています。納得のいく作品づくりに強いこだわりを持っていたダ・ヴィンチは、時間の制約があるフレスコ画技法を嫌ったとか。壁画技法の仕組みが分かれば、こんなエピソードも楽しく感じられます。
これまで何となく見てきた文化財も、ちょっとした知識を得ることでガラっと見方が変わり、愛おしくさえ思えてくることがあります。そんなひとりひとりの気持ちの変化が文化財を守り、後世に伝えるための原動力になると考えます。ひとりでも多くの方に文化財への興味や関心を持ってもらえるよう、壁画の保存修復や研究活動を通じて、様々な情報を発信していきたいと思います。
(前川佳文)
トップ画像:サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院「最後の晩餐」
システィーナ礼拝堂「最後の審判」