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イラン南ホラーサーン州カレ・クブ遺跡の発掘調査

カレ・クブ遺跡は、イラン南ホラーサーン州の州都ビールジャンドから北西140kmにあるアイ・アスク村、その西方800mに位置する7ha程度の遺丘です。

2018年より、科学研究費にて、この遺跡の発掘調査を実施しています。まだ、簡単な試掘を行っただけですが、この遺跡はイラン高原における文明形成を研究するうえで、非常に有望な遺跡であることがわかってきています。

試掘調査によって、カレ・クブ遺跡の最上層から、ベベルド・リム・ボウル(外傾口縁鉢)など、1000km以上離れた南メソポタミアのウルク文化に典型的な土器群が大量に出土したのです。では、なぜ南メソポタミアのウルク文化の土器群が、南メソポタミアから1000km以上離れたこの地で発見されたのでしょうか?

前4千年紀(ウルク期)、南メソポタミア(現在のイラク南部)に世界最古の文明が誕生します。しかし、南メソポタミアは、ユーフラテス河、ティグリス河が運んだ泥が堆積してできた広大な沖積平野であるため、文明生活を営むうえで必要不可欠な資源(銅や鉛、金、銀、木材、ラピスラズリなど)が存在せず、こうした資源を周辺地域(イラン高原や南東トルコ、イラク北部、シリア)から獲得する必要がありました。この結果、交易ルートを抑えるため、南メソポタミアの都市国家群は競って周辺地域に進出し、交易拠点を形成していきます。その結果、ウルク文化の物質文化は、南メソポタミアを超え、周辺地域にも拡散していきます。

いままでウルク文化の物質文化が確認された最北東の遺跡は、イラン高原西部のタペ・シアルク遺跡やテペ・ソファリン遺跡でした。従来、ウルク文化は、カビール沙漠を超えることはなかったと考えられてきました。しかし、今回の発見により、カレ・クブ遺跡がウルク文化の物質文化が確認された最北東の遺跡となり、ウルク文化の広がりはカビール沙漠を超え、従来考えられていたよりもさらに600kmも東に広がることになったのです。

カレ・クブ遺跡には、南メソポタミアの勢力が築いた最果ての交易拠点があった可能性が高いと考えています。カレ・クブ遺跡周辺は、銅鉱石や円筒印章の材料として利用された玉髄を産出します。銅鉱石と玉髄、これが、この地に南メソポタミアの勢力を引き寄せた最大の理由であったと考えています。今後の調査によって、この交易拠点の性格を明らかにしていきたいと思います。

(安倍 雅史、ホセイン・アジジ・ハラナギ[イラン国立博物館])

トップ画像:カレ・クブ遺跡全景

カレ・クブ遺跡発掘調査_左.jpg
関連する遺跡地図

 

カレ・クブ遺跡発掘調査_中央.jpg
カレ・クブ遺跡から出土したベベルド・リム・ボウル(外傾口縁鉢)

 

カレ・クブ遺跡発掘調査_右.jpg
発掘調査団メンバー

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