「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

用黒鉛九百八十三斤[熬得小一千一百五十八斤]
 朱沙小八両[赤玉料]
 緑青小十七斤九両[青玉并黒玉料]
 麒麟皿小七両一分[赤刺玉染料]
 漆九合[黒刺玉染料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(571頁~581頁の内571頁)(『正倉院文書』続修34)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
 用黒鉛一百九十九斤[熬得小二百三十四斤]
  緑青小十七斤八両[和合料]
  赤土小一斤四両[一升和合料]
  白石六十斤[和合料]
  猪脂一升[鉛熬調度]
  塩二升七合[鉛〓≪月+昔≫料]
  膠二斤四両[并緑青等和合料]
  紗四尺[〓≪草冠+師≫料]
  〓≪あしぎぬ≫三尺[石篩料]
  葛布六尺[土〓≪草冠+師≫料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(571頁~581頁の内573頁~574頁)(『正倉院文書』続修34)

「雑物検納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745年)5月21日

記事

合見検納雑物事
 画牙挑子貳伯玖枚[九裹]
 未用始紫挑子紐緒四條[二条斑二条〓≪あしぎぬ≫一色]
 又用始七條[一条長七尺 一条二尺四寸 一条長六尺 一条二尺 二条各五尺五寸 一条長五尺三寸]
 染色糸一條[半目許 長四尺二寸] 斑綺緒一條[長二尺五寸]
 荒紙三張            筆一箇
 納草白筥一合[封]
                  天平十七年五月廿一日辛韓國人成
                          勘高屋赤万呂
                            志斐万呂

出典

『大日本古文書』2(439頁~440頁)(『正倉院文書』続々修第35帙第3巻背)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
  合綵色物壹拾参種
   佛分弐種[同黄九両 四両]
   通三宝分二種[朱砂十三両二分 緑青卅三両]
   塔分陸種[朱砂六十二両一分 胡粉ニ百八十両一分 黄卅五両二分
       ニ百八両 烟子一百〓≪よんじゅう≫八枚 雌黄卅七両]
   通分参種[五百五十五両 朱砂六百二分 緑青三千ニ百九十六一分]
  合漆泥机伍足
   佛分一足
   法分三足
   聖僧分一足
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(下略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内603頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合朱沙壹伯参拾貳斤壹分 [佛物一百廿三斤十二両 通物八斤四両一分]
合金青玖斤玖両 [佛物二斤八両 通物七斤一両]
合緑青貳拾伍斤拾両参分 [佛物]
合白緑肆斤陸両 [通分]
合空青壹拾壹両 [通分]
合胡粉玖拾漆斤壹拾貳両参分 [佛物九十斤十四両 通物六斤十四両三分]
参斤漆両 [佛物二斤四両 之中六両唐 通物一斤三両]
合烟紫貳拾枚 [佛物]
合雌黄壹両 [佛物]
合紺青壹斤肆両 [佛物]
合甘草壹伯参拾斤 [見前僧物]
合太黄壹斤貳両壹分 [見前僧物]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内635頁~636頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
参斤漆両 [佛物二斤四両 之中六両唐 通物一斤三両]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち636頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺造佛所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平感寳元年(西暦749年)潤5月11日付

記事

大安寺造佛所解  申請
 白青七両
  右既未給
 緑青一斤十四両
不 右依荒不用
 白緑八両
  右依色悪不用
以前、奉造  盧舎那仏像料、今應請、員如前、謹解、
     天平感寳元年潤五月十一日中務少録従七位下中臣丸連諸麻呂
玄蕃頭従五位上市原王
外従五位下行画書助守部連牛養

出典

『大日本古文書』3(237頁~238頁)(『正倉院文書』続修29)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月11日付

記事

寫書所解 申請厨子料雜丹事
合【參拾陸】〓≪よんじゅう≫五斤九兩參分貳銖
 用【卅二】〓≪よんじゅう≫斤五<七>兩二<二>分二<一>銖
 【殘四】五斤四<二>兩一分 「(別筆)一朱」
  朱沙十五兩三分二銖[用十兩三分二朱 殘五兩二朱]      金靑一斤六兩[用十一兩二分 殘十兩二分]
  三斤二兩[用一斤十五【<四>】)兩一分 殘一斤二兩三分] 緑靑六斤[用四斤九兩一分 殘一斤六兩三分]
  白緑十二兩[用二兩一分 殘九兩三分]            白靑九兩[用八兩 殘一兩]
  同黄一兩二分[用一兩一分 殘一分先日進返了]        紫土一斤八兩[盡用]
  胡粉廿二斤一兩二分[盡用]                 靑代二兩[盡用]
  [膠九斤[用八斤殘一斤]] 
 金薄二百廿三枚[用二百十一<三>枚 殘十【二】枚]
 烟子卅三枚[一枚大卅二枚中盡用]
 遍一舛一合[盡用]
 膠九斤[用八斤 殘一斤]
  右、采色厨子之料、所用并遺數、顯注如前、以解、
           天平勝寳四年五月十一日呉原生人

出典

『大日本古文書』3(573頁~574頁)(『正倉院文書』続修29)

「買物申請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)6月16日付

記事

(紙端)
(前略)
  胡粉     黄    同黄    烟子
  雌黄     畢拔    臘蜜    松子
  緋氈     花氈    □裁氈   黒作鞍具
  〓≪草+?の近似文字≫面     勒鞦    白銅香爐  五重鋺[大]
  箸匕     五四寸鏡  燭臺    蘓芳
  熟布
         天平勝寳四年六月廿四日事業従八位上日置酒持
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(579頁~581頁の内580頁~581頁)(『正倉院文書』續修後集52)

「充厨子画所雑物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

(紙端)
充厨子畫所雜物帳
天平勝寳四年潤三月廿二日充阿膠二兩 廿三日二兩 胡粉一〓≪果+衣≫[未検兩數]
廿四日白緑五兩又七兩 阿膠四兩 胡粉一〓≪果+衣≫ 白靑六兩 一斤二兩
 金靑十兩 朱沙三兩二分
廿五日緑靑三斤 阿膠十兩三分 烟子二枚[中] 銅盤三口 銅黄一分
(後略)

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内592頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東大寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部 之中拾參部請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺緑表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙十七枚[並緋裏錦縁綴組帶 納漆塗小辛櫃一合並机敷布一條]
   右、依今日牒旨、<令>奉請如前、
               天平勝寳五年三月廿七日 上馬養
                           呉原

出典

『大日本古文書』3(621頁~622頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部[二百巻]之中拾參部<便>請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺縁(緑カ)表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙拾漆枚[並緋裏錦縁綴組帶]
   右、依今日牒旨、奉請如前、
                  天平勝寳五年三月廿七日 
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(622頁~623頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)4月13日

記事

造東大寺司
奉請法華経十部[一部蘇芳軸 十五部軸]
  无量義経十六卷[一卷蘇芳軸 十五卷丹軸]並黄紙及表綺緒
   右、以今月十三日奉請如前、
               天平勝寳五年四月十三日判官上毛野君

出典

『大日本古文書』3(626頁)(『正倉院文書』續修42)

「紫微中臺牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)12月21日

記事

紫微中臺牒造東寺司
  畫〓≪あしぎぬ≫壹條[三副]   朱沙貳分     金靑壹兩貳分
  白靑壹兩貳分    緑靑貳分     白緑肆兩[見二兩一分 欠一兩三分]
  同黄半分      胡粉參兩     貳兩
  烟子參枚[大]    膠拾兩
    右、為奉造阿弥陀仏像、送如件、故牒、
          天平勝寳五月(年カ)十二日(月カ)廿一日少疏上毛野君牛養
                      大忠土師宿祢

「(別筆)上件雜彩檢納已訖、但欠白緑者、付返抄申送、可更送状、
  次官佐伯宿祢           判官上野君眞人」

出典

『大日本古文書』3(640頁~641頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第4卷)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)3月3日

記事

政所符 繪所領等
  白緑廿三斤十兩二分   同黄十三斤五兩一分
  胡粉七斤十兩[唐]   二百九斤三兩二分
  銀薄四百〓≪よんじゅう≫枚      金薄三百七十五枚
  膠十八斤六兩      墨四廷[三廷唐 大一 小二 一廷鹿角小]
  烟子百六十枚[中]   金靑廿斤
  藍花壷并五斤[大]   白靑十一斤六兩三分五朱
  朱沙十斤六兩二分三朱  同黄十三斤三兩
  鹿毛一斤[小]     辛櫃二合[一合在鎖子]
   右、彩色大仏殿廂之天井并須理等板料、下充如件、冝〓≪様の旁≫知此状、到奉行、
次官高麗朝臣          判官川内恵師
                 主典美努連 奥 万 呂
            天平寳字二年三月三日

出典

『大日本古文書』4(262頁~263頁)(『正倉院文書』続修43)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

 速袖八領[布]用廝仕丁等料
  櫛借七十二領[雜色袷]
  東裳一腰[給料□□□ 養□(優)婆夷]
  被卅<「*廿九」>一領[已上自内裏給出]
   二領白帛         一領赤帛  
   一領橡          廿七領布[一領細布 十六領調布 十領祖]
   用廿二<「*三」>領[大工并雜工等料]
   殘九<「*六」>領
    一領赤帛        一領橡
    七<「*六」>領布[四領調 三<「*二」>領祖]
  堂幌九條[自内裏給出]
   三條細布         六條祖布[已上殘]
  金靑九斤          朱沙六斤四兩
  同黄二斤六兩        烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
  白靑四斤十兩一分[四斤八兩自外嶋坊請 二兩一分買] 胡粉十五斤八兩[十斤八兩自外嶋坊請五斤買]
  緑靑百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進
                 「*七十九斤四兩二分」]
  白緑十五斤十三兩三分[買]  廿一斤[十六斤自外嶋坊少僧都所請 五斤文部省少録内蔵全成所進]
                    [「*七十八斤四兩二分黑錫大廿八斤二兩三分[給]」]
  靑黛三斤六         蘓芳卞二升[已上自内裏給]
  空靑□斤          紫土四兩[已上買]
  金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三兩打得]
  膠一百五斤         墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
                 [七十廷塗架後料]
                 [十二廷作雜公文料]
                 [卅一廷畫料]

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内477頁~478頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二板[各長一丈二尺 廣一尺]花五百六區[各方一尺]
     金靑一斤    白靑八兩三分 朱沙一斤二兩二分
     胡粉三斤五兩二分 同黄九兩一分 烟紫八十六枚
     紅靑十一斤四兩 白緑二斤三兩 一斤六兩二分<「*五十五斤二兩三分」>
     靑黛七兩二分  空靑十兩   卞三合
     金薄一千八十四枚  膠七斤  墨四廷
     (長方形前半抜け)□□板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
     (長方形前半抜け)□□□別坐□□□(長方形抜け)[各立髙一尺七寸]
      六十八□□□(長方形抜け)花一根[各髙三尺六寸]
     靑金一斤三兩  白靑三兩   朱沙十二兩一分
     胡粉十一兩   同黄三兩三分三朱 烟紫卅枚
     緑靑五斤六兩二分 白緑一斤十二兩三分 一斤三兩一分
     空靑六兩     卞三合       金薄四百五十枚
     膠六斤五兩    靑黛七兩      墨五廷
    □□□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 廣一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
     □(金)靑一斤十四兩二分 白靑四兩三分 朱沙十四兩
     □□□(長方形抜け)(胡粉カ)一分 同黄□□二分 烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
     緑□□□(長方形抜け) 白緑二斤六兩二分 二<「*六」>斤三兩三分
     金薄八十□□(長方形後半抜け)    (長方形前半抜け)□□□ 七兩 空靑十兩
     卞六合          靑黛八兩二分 墨五廷
    外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸]板別在花一根[各髙二尺]
     金靑二斤七兩  白靑十兩  朱沙十一兩三分
     □□□(胡粉カ)斤三兩  同黄二兩  烟子〓≪よんじゅう≫三枚
     □□□(長方形抜け)  白緑十兩
     (長方形前半抜け)□□□兩一分 空靑十一兩
         (長方形前半抜け)□□□花茎三百廿八根[々別三枚]
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内478頁~480頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

(紙端)
          (長方形前半抜け)□□□墨二廷
(長方形前半抜け)□□□靑四兩三分    朱沙三兩
   (長方形前半抜け)□□同黄三分      烟子五枚
    (長方形前半抜け)□□白緑十兩     一斤六兩
      (長方形前半抜け)□□□七十二枚  膠六兩 墨一廷
(紙端)
(紙端)
          (長方形前半抜け)□□□朱沙四兩
          (長方形前半抜け)□□□烟子九枚
          (長方形前半抜け)□□□一斤六兩
          (長方形前半抜け)□□□一分 墨一廷

 (長方形前半抜け)□□□一斤九兩二分 膠六兩
(長方形前半抜け)□三百八十六兩□□□(長方形後半抜け)
   (長方形前半抜け)□□□斤十四□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□斤六兩
    □□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□□
    金靑七兩□□□(長方形後半抜け)
    胡□□□(長方形抜け)五兩一分□□□(長方形後半抜け)
    烟□□□(長方形抜け)緑靑□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□膠十五斤
    一斤十四兩三分□□□(長方形後半抜け)
(長方形前半抜け)□□□六兩□□□(長方形後半抜け)
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内480頁~482頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)10月1日

記事

合獸尾貮枚
  壹枚深泥[茎呉竹形端銀継并櫃一合表漆泥裏泥]
    右、上宮聖徳法皇御持物者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内513頁)(大和国法隆寺所蔵)

「造東大寺司告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)1月3日

記事

(中略)
造香山藥師寺所別當二人[史生従七位下麻柄滕毘登全麻呂 左大舎人正七位下玉手朝臣道兄]
   単功四百五十四人[六十七人将領 二百卅三人新工 八十七人仕丁 六十七人自進]
   作物
     押金薄藥師佛侠侍菩薩寶冠八具[各高一尺四寸 廣一尺二寸]功十六人
     押銀薄同侠侍菩薩寶冠月形四枚[各径七寸]
       順六十枚[長二尺三寸己下一尺九寸己上 一寸己下四分己上]功十人
    彫作并押金薄飛天菩薩寶冠十六具  功九人
    搆着侠侍菩薩寶冠八具         功廿五人
    塗金青侠侍菩薩五躯御髪       功三人
    塗同菩薩光柱十一根[各長一丈三尺 径六寸]功十一人
    搆作佛光一具木縄二枝        功六人
    作佛菩薩眉間玉形廿一丸       功七人
    作佛一躯菩薩十一躯麻柱       功八十六人
    解治佛四駆菩薩十躯麻柱       功〓≪よんじゅう≫五人
    作菩薩并神王料釘五百廿隻[長二尺己上 一寸己上] 功廿九人
    採柴〓≪よんじゅう≫荷                  功八人
    作政所院柴垣廿丈            功六人 
    掃浄守壇院                功廿九人
    駈使奉造丈六像所            功廿九人
    料理新工食物并採薪           功五十八人
(後略)

出典

『大日本古文書』5(375頁~383頁のうち379頁~380頁)(『正倉院文書』)(續修別集33)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)4月15日

記事

奉寫  御執經所
仁王波若經五十部[一百巻]
  右、被弓削禪師宣稱、夏安居間、為奉轉讀内裏、奉請於東大寺者、
  仍老内裏葛木毘登立人、奉請如件、
                天平寶字七年四月十四日朝政官吏生因幡国造田作
  「(別筆)行       判官葛井蓮根道
               主典阿刀連酒主
  令奉請仁王經参拾部[六十巻地檜軸]並帙六枚[竹鹿帙緋綾裏錦緑紫綾帯]
    六部縹紙黄表 <見ニ部 「*未四部」七卷>五部黄紙及表 <見四部【又上卷】一>三部呉桃紙縹表
    七部紅紙縹表[見四部 又下「*未三部」]九部檀紙及表[白 見七部 又上卷「*未三(二ヵ)部」] 納明櫃一合
                付内竪葛木毘登立人           」

出典

『大日本古文書』5(434頁~435頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
  花厳經一部[八十巻石軸] 帙八枚[雑綵]
  法花經一部[八巻金字 紫紙水精軸] 帙一枚[表畫山水形]
  梵網經二巻[色紙石軸]
  随願藥師經一巻[色紙沈軸]
  十一面經一巻[色紙琥碧軸] 以上〓≪果+衣≫帛一条
  華厳經疏一部[本末廿四巻 慧苑師] 帙二枚[雑綵]
  法花疏一部[十巻基法師] 帙一枚[受使沙弥戒兄]
  最勝王經疏一部[慧照師 六巻] 帙一枚[雑綵]
  薫香四〓≪人偏+戓の口が巾≫[一衣香一霍香 一甘松香]
  [「*堂」]厨子二基[並漆 各高二尺 長二尺五寸 廣一尺三寸]
          表畫山水鳥獣等 作以金銅辟金釘 各着鉄
          裏畫菩薩并花等 在紫褥二枚
        〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表錦 裏紫纈] 榻一前[漆敷紫褥]
      檀像観音菩薩一躯[金蓮花坐 基紫檀 臺上在礒]
  [「*堂」]水精塔二基[各餝金雑玉等 基黑柿 臺上在沈磯]
  [「*堂」]厨子一基[漆 高二尺三寸 長二尺三寸 廣一尺三寸]
          表畫山水着金銅辟金釘等 裏胡粉在願文
          扇畫帝釈二像、 在錦褥
       〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表紫地錦 裏緋臈纈]、榻一前[漆 在紫褥]
    琥碧念珠一貫[水精即]、納草箱一合[小]樸子二條[表合纈 裏淺緑]
    錫杖一柄[白銅長五尺二寸五分]、在錦褥
  机一前[漆] 褥一枚[表錦 裏淺緑纈]
    覆一條[合纈 長八尺六寸「*二副」] 
    牙水角一口[ゝ径三寸五分 長一尺六寸] 納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[紫繍組緒]
     [「別筆」「以寶亀九年十二月四日、依法花寺上座宣、稲人内親王官奉入、」
    畫木箱一合[表紫檀裏白檀 高五寸八分 廣長各五寸]
     納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[繍]
    願文一巻  納草箱一合  僕(?)子一條[表緑裏浅緑合纈]
    香水器二具[漆] 納布〓≪人偏+戓の口が巾≫二合[「*居白木榻兄二前]
    楊花箱〓≪よんじゅう≫口[漆 欠二口] 
    漆韓櫃一合[長三尺一寸形釘在鉄 廣二尺五分 深一尺三寸五分 着金銅花]
     覆一枚[紫綾]    居白木榻
    出墻二條[交副赤黒紫合纈 裏浅緑 長二丈九尺五寸 高七尺]
     白木柱八枝之中[柱弐枝 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫四條[各二副長各二丈 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫端七條之中[六条各三丈 一條一丈]
    縹綱端七條[六條長各三丈 【一條一丈】 「*各長三丈」]
    縹綱六條[二各長六丈 四各長四丈]  帛<「*佐」>衾十六領
    敷布卅條[「*見廿<条」]   布枚綱六條[各長一丈二尺ヽ在見二条 四条欠物]
      右、以時ヽ従家奉納、
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち678頁~681頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「奉寫一切經料紙墨納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年(西暦770年)5月12日

記事

 十四日納黄紙陸万玖仟陸佰貳拾伍張[納辛十六合] [「(別筆)以二年十二月十四日返上一合」白木十二合 漆塗四合]
    軸肆仟伍佰肆拾參枝    布綱拾參條[「(別筆)二年十二月十四日返上了」]
      一千五百〓≪よんじゅう≫三枝塗胡粉[納白木辛櫃一合]
      一千伍五百枝塗  一千五百枝塗白縁
   右自一切経司所請如件  使案主上 馬 養
少鎮大法師 實 忠        案主上 馬 養  味酒廣成
               別當大判官美努連
                  法師

出典

『大日本古文書』6(2頁~6頁の内5頁)(『正倉院文書』續修後集18)

「奉寫一切經所請用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(紙端)
  四匹五丈三尺二寸端〓≪よんじゅう≫三條積
   三丈七尺三寸調〓≪あしぎぬ≫廿四條積[長八尺以下四寸以上]
   四匹一丈五尺九寸東〓≪あしぎぬ≫端十九條積[長四尺以下一尺以上]
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五〓≪暇の旁≫
商布廿〓≪暇の旁≫          黄紙卅万四千二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚緑青地 八百二枚白緑地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地]
   [六百七十七枚地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三兩一分[太]
木綿二斤          調布單衣二領
同布袴三腰         温帳四條
布綱〓≪よんじゅう≫四條         熟麻一斤
鍬一十四口         米一十四石[白七石 黒七石]
醤三斛二斗七升[悪]     酢四斛一斗二升[交糟]
滑海藻七百十四斤      大豆四斛七斗
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[廿八<〓≪よんじゅう≫五>合漆塗 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
折櫃一百十七合       長折櫃廿六口
大笥八十八口        小明櫃〓≪よんじゅう≫一合
水麻笥廿四口[九口太 十五口小] 枚麻笥八口[一口破]
(中略)
  右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如前、
           寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
(紙端)

出典

『大日本古文書』6(252頁~254頁)(『正倉院文書』史館本6)

「寫經所雜物收納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)7月4日

記事

(紙端)
雜物收納    天平十五年七月四日
七月廿日[受]研八口[疏料]圓坐八枚[反上七枚]机十前<十五年十二月廿四日反上> 已上疏料  酒主
八月四日受研十口 坏六口 下纒十箇 手巾一條 [長四尺 失[四月] 知余馬甘辛國人成]
   紙十【四】三張[式并敷紙下纒料]〓≪竹冠+青≫三枚<反上十月十二日> 蓆長一枚<十月十二日反上> 盆一口 水麻笥一口
   韓櫃二合[并着鎖子]又〓≪竹冠+青≫(簀)八枚(十月十二日反上) 短蓆八枚[十月十二日反上 一枚失知辛國人成]
    右、爲僧正、奉寫法華經五十部<料>、所請如前、酒主
  十六日納白紙八枚[疏料紙料]酒主 又韓櫃一合[着鎖子 納紙并本料]酒主
(中略)
天平十七年五月十三日受黄生衣三領[充古能善 鳥取益万呂 丸部嶋守]
  又同<日>受紙十五枚[古能善 鳥取益万呂 安曇廣万呂 王廣万呂 丸部嶋守 山部花 阿刀酒主 弓消佐比止 漢淨万呂 蜂田在人 難万君 辛國人成 己知蟻石 忍坂成]
   已上受物者、一切經疏寫料、所請如前、人成
八月五日受朱沙一兩[於御<櫃>在者依封請政所 判充田邊史生]<紫黄二分>阿膠三兩 [ 並法花疏寫料 受酒主]
  十九日受朱沙二分[法花玄賛料 受酒主]廿六日受紫綺八丈八寸[法花玄廿卷 起信論別記二卷 法門名義集一卷 三昧論疏二卷 六卷抄六卷并五部料]
九月
  二日受雌黄五兩 阿膠一節 陶坏一口 並受阿刀酒主
   八日受朱沙一分 阿膠一兩 廿日受阿膠二節[息人]
(紙端)

出典

『大日本古文書』8(216頁~219頁)(『正倉院文書』正集45裏書)

「常疏寫納并櫃乗次第帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)3月7日

記事

(前略)
公文第五櫃[法花經牧賛(枚替カ)分充九張受爪工家万呂四月六日又肇論料〓≪よんじゅう≫五枚他田水主]
黄紙打卅六卷[別廿枚繼] 黄破紙一〓≪果+衣≫[封]
白打紙不用一裹[封] l高僧傳二卷 法顯傳一卷
(中略)
銅盤三【合】[以十九年七月十一日高屋令史受取了]白打紙八卷[百六十枚常疏了]黄表紙[十枚各着竹并題]
鑞子十四[納白小筥并練袋此者一切經〓≪≫鑞子]古筆五十三筒(箇)[一者筆曹司下]<以十九年五月六日返送下政所知他田水主>
膠少々[少一寸者下政所用]雌黄二分[少一寸者下政所用]墨頭十[一者曹司用半廷者秦在石充]【雜】新筆三[一者充水主一者充秦在石]
常疏充装〓≪さんずい+黄≫文 常疏〓≪手偏+交≫文 荒紙充装〓≪さんずい+黄≫文
勘題文 筆墨納并用文 常疏料紙納文
雜物外借用文 以筆墨寫定紙并更請文
(中略)
間本借置第六櫃
  一切經要集卅一卷[廣瀬寺知阿刀縄万呂志斐万呂]唯識論九卷[唐本也竹帙着占也藤原寺書 以十九年七月十日高屋令史受取了]
法花經八卷[唐本竹帙着占也藤原寺書也【以十九年七月十日高屋令史受取了 知阿刀縄 志斐万呂】] 觀無量<壽>經一卷[白紙黄<紅>表紙以天平十九年五月四日奉請南堂知志斐水主受阿刀酒主]
(中略)
花嚴經疏廿卷[白紙也未知主也遺三卷者置校櫃内]未校了飛鳥寺疏本十九卷
一切經音議(義)十卷[五者<卷>黄唐本也五卷今所寫也]
(中略)
間新寫納第七櫃
大鳥高人寫始最勝王經四卷[縹紙] 最勝王經十卷[此又縹紙大石廣万呂寫]
唯識論樞要四卷 十一面經疏一卷 尊勝称珠林序一卷
起信論一卷 肇論一卷[已上二卷者高屋令史書]又黄紙尊勝珠林序一卷
金光明經疏八卷 四分律鈔六卷
             天平十九年三月七日校授志斐麻呂
                           校験【授】受他田水主

出典

『大日本古文書』9(343頁~348頁の内345頁)(『正倉院文書』續々修12帙4)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
(紙端)
                      上馬甘
                      呉原「(自著)生人」
  九月八日納漆牀六前
    右、自造物所齋來如前、
                   収呉原生人
   廿四日納朱沙三兩 金靑四兩 白靑一兩 四兩 同黄一分
    白緑一兩 胡粉十兩 紫土五兩 膠廿兩 烟子四枚[中]
     右、爲奉造七仏藥師像、納如前、
                 受呉原    上馬甘
   廿五日納緑靑十兩 金薄壹伯枚 銀薄伍拾枚
                   受呉原生人
   廿六日納二兩 白靑一兩 白緑一兩
                   受呉原生人
   廿七日納金薄廿枚
               受呉原生人 上「(自著)馬甘」
   廿八日納金薄貳拾枚
                   受上馬甘
   廿九日納烟子六枚[小]
                   受上馬甘

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内390頁~392頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月5日

記事

  廿日請  折櫃三合  杯六口  塩杯六口  水〓《土偏+宛》六口
     笥六号  由加一口  水麻笥一口  杓二柄[【已上食備料】]
     杯百廿口  水〓《土偏+宛》十二口  折櫃六合
     〓《「分」下に「凡」》六口「(異筆)返上【四】口」 佐良卅口「(異筆)返上廿五口」〓《草冠+夸+包》四柄
     莒形一  長壘六枚[不着席] 蓆六枚

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内239頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月5日

記事

  廿三日 淨依捌具[單<布>袍袴者【麻者】]綿二屯[小]
   「(異筆)反」胡粉十■斤[倭]金靑一斤二兩 白靑六兩
     唐胡粉十二兩「又十斤【二兩】烟子一枚[太]「(異筆)又廿二枚[中]」〈「(異筆)返上十八枚更請十八枚[小]〉一斤二兩
     緑靑三斤             白緑十二兩
     石灰五升 陶〓《土偏+宛》十口 布單衣十六領[別副袴袴十六]之中
   「(擦消)廿」[四領雜使料二領駈使料]布十三端四尺之中[八端湯帳冠襪巾料「(異筆)反」五端敷堂料 納志貴]鹿毛小(少)々

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内239頁~240頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月5日

記事

   廿四日紙五十張   濫二斤 朱沙五兩三分
     同黄一分

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内240頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

合綵色料十三種
朱沙二兩  金靑三兩  白靑二兩二分  同黄二分
胡粉【六】七兩三分[盡用] 六兩 大烟子〈十【六】〉三枚〈【十】三小〉[大盡用] 金薄七〈八〉十五〈三〉枚[盡用]
已上【銀薄五枚】見送
緑靑三兩[直卅文盡用]白緑一兩二分[六文盡用]紫土一兩二分[六文盡用]
銀薄十二〈七〉枚[廿四文盡用]膠九〈十四〉兩[廿七文盡用]合九十三文
  右奉造僧慎〓《人偏+尓》耶藥叉大將像一鋪料如前
又請胡粉一兩 【白靑二分】 烟子[十三小 八枚] 膠四兩
又銀薄五枚  金薄五枚 烟子五枚[小] 膠一兩
白靑二分[市]
又金薄三枚[受馬甘]
以前奉造藥叉〈僧慎〉【大將像】并大弁才天〈女〉像之料所殘如前
所殘返上政所[検受上毛野判官藏人下道主]          

出典

『大日本古文書』12(252頁~254頁の内253頁~254頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

合十【二】三種
  緑靑一斤   白緑二兩   十兩
  同黄一分   烟子九枚   胡粉一斤
  金薄三百枚  金墨半分   銀墨半分〈膠三斤八兩〉[已上九〈十〉種並盡用]
  金靑十四兩[用十一兩二分殘二兩二分] 朱沙五兩[用四兩三分四朱殘二朱]
  白靑十二兩[用八兩二分殘三兩二分]

出典

『大日本古文書』12(254頁)(『正倉院文書』續修29)

「佛像彩色料并布施等注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

單巧十二人 阿弥陀仏一鋪[二副]
貳布副用
金靑一兩[直錢七百文]    洙(朱)沙一兩[直錢一千文]
同黄半分[直錢一百五十文]  胡粉二兩[直錢八十文]
白靑一分[直二百文]   「(追筆)中」烟子一牧(枚)半[直七百五十文]
二兩[直六十文]      緑靑二兩[直八十文]
紫土二分[直五文]      白(緑)六二分[直五文]
     阿膠六兩[直廿四文]
         合三千五十四文
可充布施錢一貫六百文
  米二斗四升 塩七合二夕 海藻滑(海脱)藻各一斤八兩
  醤末醬一升二合 酢六合 「(追筆)止」生菜直錢廿四文

出典

『大日本古文書』12(254頁~255頁の内255頁)(『正倉院文書』續々修24帙6裏)

「阿彌陀浄土圖彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

阿弥陀浄土一鋪[三副]高八尺
可用白〓《あしぎぬ》二丈四尺 「(追筆)【商】〈祖〉布一丈[縁料]苧太一斤」
  金靑三兩 洙〈朱〉沙二兩 胡粉四兩  白靑四兩
  緑靑四兩 同黄一分 三兩   中烟子六枚
  白緑一兩 紫土一兩 金薄一百枚 阿膠一斤
  炭二石  「(追筆)單五十人[日別六十文]
又【懷温石借】事

出典

『大日本古文書』12(256頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

 藥師像壹軀    千手千眼〓《ボサツ》一躯
妙見〓《ボサツ》一躯[並彩色者]
可用珠(朱)一兩   金靑三分    白靑三分
   緑靑一兩二分 二兩     胡粉二兩
   紫土一兩   中烟子四枚   金薄〓《よんじゅう》枚
   銀薄十枚   阿膠十兩    同黄三分
   白緑一兩二分
  畫師一人  單十二日   

出典

『大日本古文書』12(256頁~257頁の内257頁)(『正倉院文書』續修別集34裏)

「納仁王經紙并装〓《さんずい+黄》充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月9日類收

記事

廿一日納軸六十枚

出典

『大日本古文書』12(421頁~423頁の内422頁)(『正倉院文書』續々修9帙6)

「雑用銭并丹直銭等注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)2月4日

記事

(前略)
直銭壱拾伍貫
   大烟子五十枚 計銭五貫[枚別一百文]
   中烟子五十枚 計銭一貫[枚別廿文]
   上口朱沙廿□(両) 計銭三貫【八】(六)百文[両別百八十文]
   □(中)口朱沙廿両 計銭二貫八百文[両別百〓≪よんじゅう≫文]
   下朱沙十両   計一貫[両別百文]
   〓≪草冠+同≫黄十両    計銭銭一貫六百文[両別百六十文]
又請自大朗所銭□□(長方形抜け)貫
   黑綿弐伯□(斤)  計銭壱拾貫[斤別五十文]
     右銭以□并綿等 准銭進如件
                     二月四日

出典

『大日本古文書』15(350頁~351頁の内351頁)(『正倉院文書』続修後集32)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月

記事

(前略)
   □□□(長方形抜け)料
   □□□(長方形抜け) 朱沙七両二分 胡粉二斤十四両
   □□□(長方形抜け) 縁(緑)青二斤十三両
   □□□(長方形抜け) 烟子廿一枚
   □□□(長方形抜け) 墨四廷
(中略)
   □□□(長方形抜け) 朱沙十二両 胡粉一斤九両
   □□□(長方形抜け)四両 六斤十五両 緑青卅四斤九両
   □□□(長方形抜け)   □□□(長方形抜け)両 烟子八十二枚

出典

『大日本古文書』16(219頁~226頁の内223頁)(『正倉院文書』続々修45帙裏)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寳亀4年2月13日

記事

(前略)
廿七日収納黄紙壹萬捌仟玖佰漆拾張  納白木辛櫃参合
  軸貳仟貳百枚[白緑塗五百枚 金青二百枚 緑青二百枚  三百枚]〓≪果+衣≫〓≪席の近似文字≫貳枚
                 [(自署)史生小治田「(自署)年足」]

                      案主上「(自署)馬養」
司収           大判官美努連
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち125頁~126頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寳亀4年2月13日

記事

(前略)
廿八日収黄紙肆萬貳仟捌佰壹拾張 納白木辛櫃漆合
  軸伍仟玖佰捌拾参枚[金青塗八枚 白緑二百九十九枚 胡粉十枚 一百七十七枚 白木五千四百八十九枚]
                勘[史生小治田「(自署)年足」 案主上「(自署)馬養」]
司収           大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち126頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寳亀4年2月13日

記事

(前略)
廿九日収納軸壹萬伍佰肆拾壹枚[塗金青一百七十枚 二百十枚 胡粉四百十六枚 白木九千七百〓≪よんじゅう≫五枚]
                 勘[史生小治田「(自署)年足」 案主上「(自署)馬養」]
司収           大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち126頁~127頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「奉寫一切経所請物文案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(前略)
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五段+
商布廿段          黄紙卅万四千【三】二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚緑青地 八百二枚白緑地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地 六百七十七枚地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三両一分[太]
(中略)
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[【十八】〓≪よんじゅう≫五合漆塗] 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
(中略)
石四顆           標(縹)紙料竹卅五株
(中略)
   右<件>雜物等 従奉寫一切経司 所請如件
              寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
                    □□□□(大判官外)従五位美努連

出典

『大日本古文書』19(244頁~247頁)(『正倉院文書』続々修43帙21裏)

「画所解案(尾闕」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀8(西暦777年)(月日闕)

記事

画所解  申請用雑物并残及人散事
合請物参拾捌種
   金青伍拾七斤拾参両参分[五十五斤十五両一分自政所請 一斤自内裏給出]
    [二両自内大臣藤原(良継カ)卿家進]
    [十二両二分人々知識進]
   白青壹拾斤捌両弐分肆銖[自政所請]
   朱沙捌斤拾両参銖[七斤十四両三分三朱自政所請 五両自内裏給出]
    [六両自内大臣藤原卿家進]
    [一分人知識進]
同黄壹拾参斤陸両参分[十三斤六両二分自政所請 一分人知識進]
   烟子壹伯肆拾肆枚半[大三枚 中九十五枚半 小〓≪よんじゅう≫六枚]
    百〓≪よんじゅう≫一枚半自政所請 三枚人知識進
胡粉七拾壹斤拾伍両壹分[倭卅二斤十五両一分 唐卅九斤]
  七十一斤十一両一分[倭卅二斤十五両一分 唐卅八斤十二両]自政所請
  三両唐[自内大臣藤原卿家進]
  一両唐[人知識進]
緑青参仟玖拾参斤壹両弐分[自政所請]
  依〓≪夕+鹿≫更作四百卅一斤二両[作得白緑〓≪よんじゅう≫三斤八両三分 全得緑青三百六十九斤四両]
  依作損十八斤五両一分
  見緑青三千卅一斤三両二分
白緑肆拾七斤三両[三斤十両一分自政所請 〓≪よんじゅう≫三斤八両三分請緑青之内、便令作得所]
参伯斤拾五両壹分[三百斤十二両一分自政所請 三両人知識進]

出典

『大日本古文書』23(621~622頁)(『正倉院文書』續修17裏)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(包表)
三斤六両[小]
[(勝宝)【五年六月十五日定】]
【下一斤大】

出典

『大日本古文書』25(64頁)(『正倉院文書』第壹號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(内包表)
三斤三両
 【下一斤太】
[(勝宝)五年六月十五日定]

出典

『大日本古文書』25(66頁)(『正倉院文書』第三號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
太一斤一両
【中三斤
三斤三両
中下一斤大
下一斤大
[(勝宝)五年六月十五日定]】

出典

『大日本古文書』25(73頁)(『正倉院文書』第三號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
大十二両二分
【中二斤四両[小]
   両大一斤
[(勝宝)五年六月十五日定]
中丹二斤五両二分】

出典

『大日本古文書』25(85頁)(『正倉院文書』第参拾壹號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包括紙紐)
七両小
(外包表)
[「(異筆)(勝宝)五年六月十五日定」]
中一斤

出典

『大日本古文書』25(102頁~103頁)(『正倉院文書』第四拾四號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

「(異筆)大一斤一両
【定一斤一両大
 中下一斤大
 (勝宝)五年六月十五日定
 中三斤小三両小】」

出典

『大日本古文書』25(106頁)(『正倉院文書』第四拾九號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
【中三斤三両小
 一斤一両大
 (勝宝)五年六月十五日定】
 大一斤一両

出典

『大日本古文書』25(106頁)(『正倉院文書』第四拾九號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
【中三斤五両
 (勝宝)五年六月十五日定
 中下一斤大
 定一斤■■】
大一斤一両

出典

『大日本古文書』25(108頁)(『正倉院文書』第五拾貳號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包外)
【定■斤■両大
  中一斤大
 (勝宝)五年六月十五日定
   中三斤一両■】
大一斤二両

出典

『大日本古文書』25(109頁)(『正倉院文書』第五拾参號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包外)
大一斤一両
【中三斤三両
 中三斤】

出典

『大日本古文書』25(110頁)(『正倉院文書』第五拾四號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(内包表)
【(勝宝)五年六月十五日定
 中下一斤大
 定一斤一両大】
三斤三両小

出典

『大日本古文書』25(110頁~111頁)(『正倉院文書』第五拾四號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
  【中三斤三両小
    定一斤一両
   中下一斤大
(勝宝)五年六月十五日定
   中三斤】
大一斤一両

出典

『大日本古文書』25(111頁~112頁)(『正倉院文書』第五拾五號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(内包面)
 
  一斤一両三分
中一斤大

出典

『大日本古文書』25(112頁)(『正倉院文書』第五拾六號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
                 【中三斤[一両]
[中同黄三斤]】[合定【一斤十四両二分】]
                   大一斤一両

出典

『大日本古文書』25(116頁)(『正倉院文書』第五拾八號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(内包表)
   【[定一斤一両二分[大]]
  中下一斤大[大]
  [(勝宝)五年六月十五日定]】
三斤三両小

出典

『大日本古文書』25(117頁)(『正倉院文書』第五拾八號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(包表)
   定一斤(ママ)両大
   中下一斤大
【[(勝宝)五年六月十五日定]
  中三斤三両[小]】 
   一斤一両

出典

『大日本古文書』25(118頁)(『正倉院文書』第五拾九號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
【一両太】
【三】【斤】【三】一【両】
一斤一両大

出典

『大日本古文書』25(118頁)(『正倉院文書』第六拾壹號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
大一斤一両「(異筆)封」
 【定一斤三両一分大 
中下一斤大】
  [(勝宝)五年六月十五日定]
三斤三分小

出典

『大日本古文書』25(120頁)(『正倉院文書』第六拾貳號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

「(異筆1)伊賀山作所
  物部三乗[廿七 肥後] 丈部山[廿九 越中] 椋部千足[廿九 越中]
  【乎知金弓[廿四川内]】 丸部大名[廿三 尾張]」
「(異筆2)大一斤一両
[(勝宝)【五年六月十五日定】]
【中一斤大
[定■■■(長方形塗りつぶし)]
二斤二両[小]】」

出典

『大日本古文書』25(121頁)(『正倉院文書』第六拾貳號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(包表)
「(異筆1)下一斤」
【下二斤一両太】
[「(異筆)(勝宝)五年六月十五日定」]

出典

『大日本古文書』25(123頁)(『正倉院文書』第六拾六號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(包表)
  下三斤[小]【三両[小]】
「(異筆)下一斤大」
[(勝宝)五年六月十五日定]

出典

『大日本古文書』25(124頁)(『正倉院文書』第六拾九號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(包表)
三斤[小]【三両[小]】
「(異筆)下一斤大」
[(勝宝)五年六月十五日定]

出典

『大日本古文書』25(124頁)(『正倉院文書』第六拾九號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(包表)
[「(異筆)(勝宝)五年六月十五日定」]
【下一斤大】
三斤【三両】[小]

出典

『大日本古文書』25(125頁~126頁)(『正倉院文書』第七拾壹號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
「(異筆3)【下三斤小三両】」
「(異筆2)【下二斤■両小
 一斤一両太】」
「(異筆)[(勝宝)五年六月十五日定]」
「(異筆4)一斤一両太」

出典

『大日本古文書』25(127頁)(『正倉院文書』第七拾四號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
「(異筆)下三斤<小>【三斤[小]】」
【下一斤[大]】
   [「(異筆)(勝宝)【五年六月十五日定】」]

出典

『大日本古文書』25(132頁)(『正倉院文書』第八拾號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
[「(異筆)一斤下大 (勝宝)五年六月十五日定」]
三斤【三両】

出典

『大日本古文書』25(135頁)(『正倉院文書』第八拾壹號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(内包表)
一斤十一両[太下品]
   合玉瓦料

出典

『大日本古文書』25(136頁)(『正倉院文書』第八拾貳號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
大一斤一両
 【[(勝宝)五年六月十五日定]
        下一斤[太]
  中二斤[小]】

出典

『大日本古文書』25(136頁~137頁)(『正倉院文書』第八拾四號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

「(異筆2)【小[小]】[三]【[斤]】
【下三斤三両
太一斤一両
[(勝宝)五年六月十五日定]】」

出典

『大日本古文書』25(138頁)(『正倉院文書』第八拾六號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
【下三斤】<小>【二両】
【小三斤一両】
  下一斤大
[(勝宝)【五年六月十五日定】]
  一斤一両太

出典

『大日本古文書』25(139頁)(『正倉院文書』第八拾七號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

「(異筆)【二斤五】両
 [(勝宝)【五年六月十五日定】]
   九両二分太
   【一斤一分[大]】」
【下三斤二両[小]】
「(異筆)定一斤十一両」

出典

『大日本古文書』25(139頁~140頁)(『正倉院文書』第八拾八號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)6月15日

記事

(外包表)
「(異筆3)一斤一両[大]」
「(異筆2)【下一斤大
 [(勝宝)五年六月十五日定]】」
     【三両】
【下三斤五両小】
  「(異筆1)定三斤【二】三両」

出典

『大日本古文書』25(141頁)(『正倉院文書』第九拾壹號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(内包表)
下品二斤一両太
   合玉瓦料

出典

『大日本古文書』25(142頁~143頁)(『正倉院文書』第九拾貳號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
「(異筆)【下三斤六両[小]】」
【[一斤下[太]】
 (勝宝)【五年六月十五日定]】
   一斤二両
「(異筆)下三斤三両」

出典

『大日本古文書』25(143頁)(『正倉院文書』第九拾参號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
大一斤二両[小]
【定一斤二両■】
一斤下太[太]
[(勝宝)五年六月十五日定]
【中】下【三斤三両[小]】

出典

『大日本古文書』25(144頁)(『正倉院文書』第九拾四號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
三斤<小>【三両[小]

出典

『大日本古文書』25(145頁)(『正倉院文書』第九拾五號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

「(異筆)下三斤三両[小]
  大一斤一両」

出典

『大日本古文書』25(146頁)(『正倉院文書』第九拾六號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

「(異筆)下三斤[小]【三両】[小]」
一斤一両[大]

出典

『大日本古文書』25(147頁)(『正倉院文書』第八拾五號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
八両一部

出典

『大日本古文書』25(150頁)(『正倉院文書』第百七號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
【三斤】
 【定二】斤【四両】
五両二分[太]

出典

『大日本古文書』25(151頁)(『正倉院文書』第百拾號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(包表)
一<斤>二両
[重七両太]二斤四<吉>両

出典

『大日本古文書』25(153頁)(『正倉院文書』第百拾四號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(包表)
   【一斤[大]】
洗碎大一斤四両

出典

『大日本古文書』25(155頁)(『正倉院文書』第百拾五號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(包表)
【一斤[大]】
洗碎大一斤四両

出典

『大日本古文書』25(155頁)(『正倉院文書』第百拾五號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
十一両[大]
  広万呂(道守)[作]

出典

『大日本古文書』25(155頁)(『正倉院文書』第百拾六號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
十一両[大]
広万呂(道守)[作]

出典

『大日本古文書』25(155頁)(『正倉院文書』第百拾六號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
大一斤
道守廣万呂[作]

出典

『大日本古文書』25(157頁)(『正倉院文書』第百拾七號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

「(異筆)一斤[大]
  二斤十二両[小]」

出典

『大日本古文書』25(158頁)(『正倉院文書』第百拾七號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
大一斤
 道守廣万呂[作]

出典

『大日本古文書』25(159頁)(『正倉院文書』第百拾八號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

「(異筆)廣万呂作 一斤太 【一斤二両太】」 判官石川朝臣(豊麻呂)
                       主典葛井連(根道)
                     五月一日専仰大石阿子万呂

出典

『大日本古文書』25(160頁)(『正倉院文書』第百拾八號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
大一斤
道守廣万呂[作]

出典

『大日本古文書』25(161頁)(『正倉院文書』第百拾八號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

「(異筆2)一斤[太]」

出典

『大日本古文書』25(162頁)(『正倉院文書』第百拾八號)

「丹裏古文書」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)(年月日闕)

記事

(外包表)
    「(異筆)虚空地蔵菩薩」
大九両一分
  【中緑一斤八両[小]
   一斤三両二分
   丹一斤六両一部[小]】
「(異筆)西北
  中門封」

出典

『大日本古文書』25(163頁)(『正倉院文書』第百貳拾壹號)

「僧慧常請彩色状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝8年(西暦756)6月9日

記事

謹請彩色事
胡粉一小斤 珠(朱)沙四両 金青七両
緑青十両 白青三両 銅黄一部
一小斤 烟■<支>三枚 白緑四両
紫土一両 膠二小斤
 右件之物、律師(法進カ)令就官、裏請来日、自進直銭、幸垂助為處分、不具謹状、
               (天平勝宝八歳)六月九日僧慧常状[上]
長官[執事]
      謹空
長板更請四條、今欲作之、幸願處分、

出典

『大日本古文書』25(198頁~199頁)(『正倉院文書』続々修38帙8裏)

「葛井清成状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝8年(西暦756)9月25日

記事

経軸二柄[画一 不画一]
 右軸画用<仰>已訖、乞可用、并絵師等数、子細注申文可【申】遣、今急、但可用絵師
 五人、先予計此、今仰絵師員咸日延耳、仰又可用油数、同牒注給来、
                 (天平勝宝八歳カ)九月廿五日 葛井清成
「(異筆)返上軸二具
  佐官御前
 又此被置即散給耳、経師等浄衣、今追将上、」
                                 「(異筆)【葛井】」

出典

『大日本古文書』25(202頁~203頁)(『正倉院文書』続々修46帙4)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

金青九斤                     朱沙六斤四両
同黄二斤六両                   烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
白青四斤十両一分[四斤八両自外嶋坊請 二両一分買] 胡粉十五斤八両[十斤八両自外嶋坊請 五斤買]
緑青百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進]
白緑十五斤十三両三分[買]             廿一斤<「*九十九斤四両二分」>[十六斤自外嶋坊少僧都所請 
                                           五斤文部省少録内蔵全成所進
                                          「*七十八斤四両二分黒蝋大廿八斤二両三分〔給〕」]
青薫三斤六(ママ)                 蘇芳変二斤[已上自内裏給]
空青□斤                     紫土四両[已上買]
(ママ)金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三両打得]
膠一百五斤                    墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二枚[各長一丈二尺 広一尺]花五百六區[各方一尺]
    金青一斤   白青八両三分  朱沙一斤二両二分
    胡粉三斤五両二分 同黄九両一分 烟紫八十六枚
    緑青十一斤四両  白緑二斤三両 一斤六両二分<「*五十五斤二両三分」>
    青薫七両二分   空青十両   変三合
    金薄一千八十四枚 膠七斤    墨四廷  
    □□(長方形抜け)板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
    □□□(長方形抜け)別坐飛□□□(菩薩像カ)[各立高一尺七寸]
     六十八□□□花一根[各高三尺六寸]
    青金一斤三両  白青三両  朱沙十二両一分
    胡粉十一両   同黄三両三分三朱 烟紫卅枚
    緑青五斤六両二分 白緑一斤十二両三分 一「*四」斤三【斤】両一分
    空青六両     変参合     金薄四百五十枚 
    膠六斤五両    青金七両    墨五廷
    □□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 広一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
    □(金)青一斤十四両二分 白青四両三分 朱沙十四両
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁~327頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□□(長方形抜け)(胡粉カ)八両一分 同黄□両二分   烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
    緑青□□□(長方形抜け)       白緑二斤六両二分  二<「*六」>斤三両三分
    金薄八十□□(長方形後半抜け)     □□□(長方形抜け)斤七両 空青十両
    変六合               青薫八両二分       墨五廷
   外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸] 板別在花一根[各高二尺]
    金青二斤七両          白青十両          朱沙十一両三分
    □□(胡粉カ)八斤三両      同黄二両          烟子〓≪よんじゅう≫三枚
    □□□(長方形抜け)                     白緑十両
    □□□(長方形抜け)両一分                  空青十一両
    □□□(長方形抜け)                     □花茎三百廿八根[ゝ別三枚]
(紙端)
    □□□(長方形抜け) 墨二廷
    □□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内328頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□(長方形抜け)一両   白青四両三分        朱沙三両
    □(胡カ)粉二両      同黄三分          烟子五枚
    □□□(長方形抜け)分   白緑十両           <「*一斤」>六両
    □□□(長方形抜け)     □□(長方形抜け)百七十二枚 膠六両 「(追筆)墨一廷」
    □□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)                  朱沙四両
    □□□(長方形抜け)                  烟子九枚
    □□□(長方形抜け)                  <「*一斤」>六両
    □□□(長方形抜け)                  変一分「(追筆)墨一廷」
    □□□(長方形後半抜け)
    緑青一斤□両       一斤九両二分       膠六両
    □後三百八十六両
    □□(長方形抜け)百十九斤十四両  膠四斤六両

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内329頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    金青七両  白青□□□(長方形抜け)両
    胡粉一斤五両一分
    烟子□枚  緑青四斤四□□□(長方形抜け) [「(追筆)膠廿五斤」]
    一<「*四」>斤十四両三分  □□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)六両  □□(長方形抜け)
(紙端)
       □□□(長方形前半抜け)  墨六廷
     □□□(長方形前半抜け)[ゝ別在花<枚>十二枚]
    □□□(長方形抜け)[□(実カ)〓≪人偏+坙≫各二尺 廻各六尺]
    □□廻天井花[実〓≪人偏+坙≫一尺七寸 廻五尺八寸]
    花枚二百廿八枚[六十枚各長二尺 廣一尺二寸 百六十八枚各長一尺七寸 廣一尺]
   金薄一万六百九十二枚押花枚三百廿八枚料
   膠十三両

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内330頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)