「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
     帛一丈二尺[鏡磬等瑩調度]
     調綿七兩[鏡磬等瑩并金薄抑料]

     調布三丈七尺[鏡磬等磨巾□下料]
     商布一■三尺[鈴等磨巾雜用料]
 
     蘇芳四兩[染珊瑚■■料]
     象牙一杖[長七寸、五斤八兩、珊瑚■■料、]
     膠□兩□□[裁銅文繪并金薄抑料]

   用漆六舛五合二勺     掃墨二舛三合
  高座寳盖幡十二首[ゝ別長六尺五寸]
   用幡頭裁銅十二枚[各高二寸七分廣六寸]料銅三斤五兩四鉢

    鈴九百廿二口
     沙小一分三鉢
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内563頁~564頁)(『正倉院文書』續修33)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

用黑鉛九百八十三斤[熬得丹小一千一百五十六斤]
  沙小八兩[赤玉料]
  緑靑小十七斤九兩[靑玉并黑玉料]
  騏驎血小七兩一分[赤刺玉染料]
  漆九合[黑刺玉染料]
  胡麻油一舛[刺玉形土作調度]
  猪脂九舛三合[鉛熬調度]
  塩一斗三舛五合[鉛〓≪月+昔≫料]
  墨六十四廷[刺玉形泥料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内571頁~572頁)(『正倉院文書』續修34)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
  合綵色物壹拾参種
   佛分弐種[同黄九両 丹四両]
   通三宝分二種[砂十三両二分 緑青卅三両]
   塔分陸種[砂六十二両一分 胡粉ニ百八十両一分 黄卅五両二分
       丹ニ百八両 烟子一百〓≪よんじゅう≫八枚 雌黄卅七両]
   通分参種[丹五百五十五両 砂六百二分 緑青三千ニ百九十六一分]
  合漆泥机伍足
   佛分一足
   法分三足
   聖僧分一足
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(下略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内571頁~572頁)(『正倉院文書』續修34)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
  合塔分雑物伍種[芳帳一張、長一丈、廣二幅、小刀三柄 水精三丸 芳三百八十八斤 小赤玉一丸]
(下略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内607頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
沙壹佰参拾貳斤壹分[佛物一百廿三斤十二兩 通物八斤四兩一分]
(下略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち635頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
芳貳伯壹斤 [佛物四斤二両 通物一百九十六斤十四両]
(下略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち638頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)10月9日

記事

(前略)
(紙端)
 天地□□□(長方形後半抜け)       観□□□(長方形後半抜け)
 明三階仏法二巻[上下无軸]       略名「*明」法界衆生根機浅深法一巻[信行部无軸]
 仏性論四巻[天親菩薩造]        維摩疏六巻[白表无軸少ゝ破]
 菩提資粮論六巻[无軸雑(龍カ)樹菩薩]  寶性論四巻[〓≪草冠+獣偏+「温」の旁≫流支譯]
 廣百論十巻[白紙无軸]         中邊分別論二巻
 十地経論十二巻             「*【重】」十二因縁経疏一巻[實十二因縁論]
 [*重]妙法蓮華経優婆提全一巻      法集経五巻[白紙方一五六 二巻无題]
 百字論一巻、准中論義入大般若波羅蜜経初亦法門翻之記二巻[白紙]
 无相思塵論一巻[无軸]         入大乗論三号[白紙无軸]
 大業攝論十巻              三法度二巻[白紙]
 登論十五巻               无相礼仏文一巻[白]
 一切経抄三巻[白紙漆軸无緒]      曇无徳鞨摩一巻[无軸少ゝ破 入律所]

 沙弥〓≪さんずい+底≫部論二巻[上下白] 随相論一局[白]  「*可寫」
 赦弟子傅一巻[白紙漆軸]        請濱頭慮法一巻[白紙檜軸]
 傅論一巻[白]             涅槃五種仏性義一巻[白]
 優婆夷浄行法門一巻[白軸]      大論疏十一巻[白]
 「*重」勝鬘経疏三巻[白 上宮王製]   大方等如来蔵経疏二□
 分別功徳論一巻[白]          仏跡図一巻[一条紅袋一条□ 一条錦袋]
 管一合[着漆]
従禅院寺奉請疏論寺、歴名如件、
              天平十九年十月九日知他水主
  伹自仏説正□(齋)経至雑集論十六巻者、皆収納於阿刀縄万呂所也、又□此
  疏論等中、以丹點□□□(長方形後半抜け)
(紙端)

出典

『大日本古文書』2(707頁~711頁の内709頁~711頁)(『正倉院文書』正集1裏書)

「千部法華経料納物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(748年)正月11日付

記事

千部法花経料納物帳    天平廿年正月十一日
正月十日自内裏給出紙肆仟貳伯張[千部法花経料 使春宮舎人出師浄道]
    便充能登忍人        検納阿刀酒主
十一日自内裏給出鹿毛筆廿箇 墨伍拾廷[並千部料]
                  検納阿刀酒主
二月十日自内裏給出画軸十六枚緑斑綺緒二丈八尺[千部之内且請二部料]
                  検納阿刀酒主
十三日自宮給出緑斑綺緒八條[惣長六十九丈六尺]
   竹帙肆拾伍枚[緋裏錦淵井拾組緒][已上並千部料且所給如前]
                  検納阿刀酒主
廿六日自政所来頂軸捌拾枚[千部之内且請八部料]
(中略)
廿四日納軸二百枚[買者 千部料]        収酒主
(後略)

出典

『大日本古文書』3(1頁~9頁の内1頁~3頁)(『正倉院文書』正集39裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)

記事

(紙端)
  廿年二月六日奉請疏本[市原宮本者]白紙无表緒 荒紙者
(中略)
  法花經吉蔵師疏一部[十二卷 漆軸白紙黄表綺緒]四匁戒本一卷[軸黄紙表綺緒]
   大安寺本者[使子部公万呂]
   右、以天平十九年九月十五日奉請、以廿年二月十一日返奉如前、使他
   田水主、大伴蓑万呂、           知他田水主
                         志斐
  勝鬘経疏三卷[白紙黄表漆軸无緒   花嚴講師敬俊師書者]
   右、以十九年十一月廿八日奉請、以廿年二月廿四日返奉如前、使壬生
   君長、
                             他田水主
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(161頁~163頁)(『正倉院文書』続修8裏書)

「千部法華經料納物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平感寶元年(西暦749年)5月

記事

千部料紙并緒軸帙雜物納帳[天平廿年正月十一日]
 正月十日自内裏給出紙四千二百張[既經紙 使春宮舎人土師浄道]受装〓≪さんずい+黄≫能登忍人
                   檢阿刀酒主
 二月十日自内裏給書軸十六枝 緑斑綺緒二丈八尺
     千部之内且請二部料     檢阿刀酒主
   十三日自宮給出綠斑綺緒八條[惣長六十九丈六尺]竹帙〓≪よんじゅう≫五枚[緋裏錦縁 拾組緒]
     已上並千部料且所給     檢阿刀酒主
   廿六日自政所来頂軸八十枝[千部之内且請八部料]
                   檢阿刀酒主
   廿九日自圖書寮来紙三千九百七十張[經紙]
     又自政所請凡紙一百卅八張[九十九張端継料 卅九張〓≪果+衣≫紙料]並千部料 酒主
 四月廿四日納軸二百枝[市買者]   檢阿刀酒主
(中略)
 十月一日自圖書寮請来紙一万五千三百張[経紙者]
     又〓≪凡≫紙五百卅六張[百五十三張〓≪果+衣≫紙断 三百八十三張端継料]即受能登忍人
                   檢阿刀酒主
   三日自政所請〓≪凡≫紙百廿張[六十張式料 六十張敷紙料]並六十人料[人別二枚]
                   檢阿刀酒主
   廿二日自宮給出緒邉小靑中既紫十條[惣長四百五十一丈三尺]
     右、依犬甘命婦今日宣、其色分定如前、[先來靑斑緒並可用、]
                   檢阿刀酒主
(後略)
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(216頁~220頁)(『正倉院文書』大橋本7)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)6月1日

記事

月中請物
(中略)
  沙二分[間法花經疏料]
  金泥〓≪よんじゅう≫五兩[之中返上一兩]
  錢六百〓≪よんじゅう≫四文[六百〓≪よんじゅう≫文菟毛筆十六箇料箇別〓≪よんじゅう≫文 四文界料鹿毛筆二箇宣箇別二文]
  阿膠二斤 綿一屯
  猪牙十七隻 銅佐良六口
  炭八籠[納五十 温阿膠料]
    已上奉寫金字経料
(中略)
以前、月中行事、顕注如件、以解、
           天平勝寳三年六月一日紫微中臺舎人他田水主
                       史生阿刀酒主
                       散位三嶋宗麿
                        呉原生人
                        鴨書手

出典

『大日本古文書』3(505頁~510頁の内507頁~510頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)5月11日

記事

寫書所解 申請厨子料雜丹事
合【參拾陸】〓≪よんじゅう≫五斤九兩參分貳銖
 用【卅二】〓≪よんじゅう≫斤五<七>兩二<二>分二<一>銖
 【殘四】五斤四<二>兩一分 「(別筆)一朱」
  沙十五兩三分二銖[用十兩三分二朱 殘五兩二朱]      金靑一斤六兩[用十一兩二分 殘十兩二分]
  丹三斤二兩[用一斤十五【<四>】)兩一分 殘一斤二兩三分] 緑靑六斤[用四斤九兩一分 殘一斤六兩三分]
  白緑十二兩[用二兩一分 殘九兩三分]            白靑九兩[用八兩 殘一兩]
  同黄一兩二分[用一兩一分 殘一分先日進返了]        紫土一斤八兩[盡用]
  胡粉廿二斤一兩二分[盡用]                 靑代二兩[盡用]
  [膠九斤[用八斤殘一斤]] 
 金薄二百廿三枚[用二百十一<三>枚 殘十【二】枚]
 烟子卅三枚[一枚大卅二枚中盡用]
 遍一舛一合[盡用]
 膠九斤[用八斤 殘一斤]
  右、采色厨子之料、所用并遺數、顯注如前、以解、
           天平勝寳四年五月十一日呉原生人

出典

『大日本古文書』3(573頁~574頁)(『正倉院文書』續修29 )

「買物申請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)6月16日付

記事

(紙端)
  □□(長方形後半抜け)     □□(長方形後半抜け)     丁香     靑木香
  □□(長方形後半抜け)     □□(長方形後半抜け)     雲陵香    甘松香
  牙笏             沈香             龍脳香    〓≪なべぶた+邑+衣近似文字≫衣香
  董(薫)陸香          □              桂心     大黄
  □□(長方形後半抜け)     □□□(長方形後半抜け)    蜜汁     
(紙端)
(紙端)
  □□(長方形後半抜け)     八〓≪あしぎぬ≫十匹     糸廿斤
  □□(長方形後半抜け)     (長方形前半抜け)□□沙   同黄    烟子
  □太黄            □□□(長方形抜け)     八寸鏡   蘓芳
                               天平勝寳□□□(長方形抜け)月□□(長方形後半抜け)
                                   散位寮□□□(長方形後半抜け)
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(579頁~581頁の内581頁)(『正倉院文書』續修後集52)

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

(紙端)
充厨子畫所雜物帳
天平勝寳四年潤三月廿二日充阿膠二兩 廿三日二兩 胡粉一〓≪果+衣≫[未検兩數]
廿四日白緑五兩又七兩 阿膠四兩 胡粉一〓≪果+衣≫ 白靑六兩 丹一斤二兩
 金靑十兩 沙三兩二分
廿五日緑靑三斤 阿膠十兩三分 烟子二枚[中] 銅盤三口 銅黄一分
(後略)

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内592頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

一厨子 廿六日金薄十枚 廿七日十枚 銅盤一口 廿八日金十枚[大]
 廿九日沙三分又一兩一分三 四月一日沙二分 烟子三枚金十枚
 四日烟子二枚 靑代二分 胡粉三分

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内592頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

二厨子 廿八日金十枚[小]又十枚 廿九日金十枚[大] 靑代七分[許]
 四月一日金盤二口[返] 沙二分 烟子三枚 白靑一分 金靑二分
 二日同黄一分 五日烟子一枚 胡粉一兩

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内592頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

三厨子 廿八日金十枚 廿九日十枚 四月一日沙二分 烟子三枚
 金十枚 銅盤一口 二日白靑一分

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内593頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

四厨子 廿七日金十枚[小] 廿八日十枚 沙一兩 廿九日金十枚[大]
 廿九日沙一兩 四月一日沙二分 烟子三枚 金十枚 二日白靑
 二分 三日烟子二枚 五日烟子一枚

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内593頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

五厨子 廿九日金十枚[二寸三分] 四月一日沙二分 烟子三枚 金十枚
 金靑二分 二日白靑一分 同黄一分 四日烟子三枚 四日沙一分

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内593頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

六厨子 廿九日靑代二分[許ノ] 廿九日金十枚[小] 四月一日沙二分
 烟子三枚 金十枚 銅盤一口 二日同黄半分 金一枚 五日烟子二枚
 白靑一分 六日烟子一枚

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内593頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)付

記事

三月十二日納色紙玖伯壹張
     淺縹九十九張  深縹百五十四張 白百廿九張
     芳百張  深紅百一張 淺紅百張  深胡桃百二張
     淺胡桃九十六張  中胡桃廿張

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内599頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東大寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部 之中拾參部請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺緑表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙十七枚[並緋裏錦縁綴組帶 納漆塗小辛櫃一合並机敷布一條]
   右、依今日牒旨、<令>奉請如前、
               天平勝寳五年三月廿七日 上馬養
                           呉原

出典

『大日本古文書』3(621頁~622頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部[二百巻]之中拾參部<便>請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺縁(緑カ)表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙拾漆枚[並緋裏錦縁綴組帶]
   右、依今日牒旨、奉請如前、
                  天平勝寳五年三月廿七日 
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(622頁~623頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「紫微中臺牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)12月21日

記事

紫微中臺牒造東寺司
  畫〓≪あしぎぬ≫壹條[三副]   沙貳分     金靑壹兩貳分
  白靑壹兩貳分    緑靑貳分     白緑肆兩[見二兩一分 欠一兩三分]
  同黄半分      胡粉參兩     丹貳兩
  烟子參枚[大]    膠拾兩
    右、為奉造阿弥陀仏像、送如件、故牒、
          天平勝寳五月(年カ)十二日(月カ)廿一日少疏上毛野君牛養
                      大忠土師宿祢

「(別筆)上件雜彩檢納已訖、但欠白緑者、付返抄申送、可更送状、
  次官佐伯宿祢           判官上野君眞人」

出典

『大日本古文書』3(640頁~641頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第4卷)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

北家謹牒 東大寺政所
合返請経論壹伯肆拾參卷
   注大品経五十卷[黄紙及表綺緒軸紙帙帛結緒] 文殊師利現寳蔵経二卷
   提謂経二卷                 善臂菩薩経二卷
   毘羅三昧経二卷[已上五十八卷水主親王宮之経者黄紙及表綺緒漆軸紙帙]
   花嚴論〓≪よんじゅう≫八卷                顯宗論卅七卷[已上八十五卷自寺家奉請者]
(中略)
以前、経律論等、返請并奉請如件、仍養資人川原堅魚充使、謹牒、
               天平勝寳六年二月廿三日
  正六位上行家令大田臣廣人

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内647頁~648頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「寫經請本状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)7月28日

記事

外嶋院
  梵網経九卷
   一部黄紙 黑黄〓≪衣偏+票≫ 緋綺帶 黑漆軸
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 綵綺帶 白檀軸
   一部[上卷黄紙及縹 緑淡綺帶 赤漆軸 故 下卷黄紙及縹 紫淡綺帶 頂軸 新]
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 紫淡綺帶 黑漆軸
   一下卷白紙 黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 〓≪木偏+聖≫軸
以前経、付工石主、令奉請如件、
             天平勝寳六年七月廿八日上毛野君 粟 守 

出典

『大日本古文書』4(14頁)(『正倉院文書』続修42)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)5月27日

記事

造東大寺司 牒大安寺三綱務所
合経参伯貳拾壹卷
  帙肆拾陸枚 牙籤拾漆枚
   廿八枚綵帙
    廿枚繍[十一枚緋綾裏錦縁組帶 九枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁之中七枚紫綾帶二枚組帶]
    八枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫綾帶]
   十八枚麁帙[之中二枚緋綾裏錦縁紫帶 一枚白綾裏錦縁帛帶 十五枚緑綾裏紫綾縁組帶]
(中略) 
   右四経十卷同帙[已(上)黄紙及表綺緒紫檀軸]
    合経壹伯伍卷[臺一切経内者]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪経十卷[一帙紙] 大乗悲分陀利経八卷[一帙]
  正法華経十卷[一帙]      十住経四卷[已上並黄紙及表紫斑緒軸 紙帙]
  金光明経八卷[黄紙及表紫緒軸 一帙] 大哀経八卷[黄紙及淺緑斑緒頂軸漢手 一帙]
  維摩経三卷[黄紙縹綾表淺緑斑緒水精軸唐手 紙帙]
  十輪経八卷[黄紙及表橡緒軸 一帙] 已上圖書寮[経并帙大唐者]
以前、依今月廿六日牒、付迴使少内記正八位下林連廣野、令奉請如件、以
牒、[又僧等鏡、]
         天平勝寳七歳五月廿七日主典正七位上葛井連
             判官正六位上兼下野員外掾上毛野君

出典

『大日本古文書』4(61頁~66頁)(『正倉院文書』続修別集43)

「外島院返抄」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)8月18日

記事

外嶋院
  合奉還経二卷
   弥勒菩薩所問本願經一卷[黄紙及表綺緒軸]
   弥勒来時經一卷[黄紙及表綺緒紫檀花軸]
    納白木函一合
   右、今月十一日差舎人都保大人所請、今奉還如件、
              天平勝寳七歳八月十八日 丸 馬 主
                         日置 蓑 麿

出典

『大日本古文書』4(73頁~74頁)(『正倉院文書』続修42)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(紙端)
文殊師利仏土嚴浄経二卷  毘耶沙問経二卷[在帙] 決定毘尼□(經)
大方廣三戒経三巻[在帙] 已上経、充寳積経校所、
                   四月十六日上 馬 養
寳梁経一部二卷[若紙同表綺緒軸綵帙]
  充寳積経校所、
                 四月廿六日上 馬 養
(継目)          

出典 

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内98頁~99頁)(『正倉院文書』塵芥25裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)

合経拾漆卷
  帙伍枚
   三枚繍[並緋綾裏錦縁組帶]
   二枚麁帙[一枚深緑綾裏赤紫縁組帶 一枚緋綾裏黒紫縁組帶]
  勝思惟梵天所問経六卷  阿惟越致経三卷
  大乗問性経二卷     縁生初勝□□(長方形後半抜け)
   右四部十三卷[並黄紙及表綺緒軸]
  楞伽阿跋多羅寳経四卷[黄紙及表綺緒漆軸]
  前、依次官大蔵伊美吉天平勝寳七□□□□(長方形抜け)七日宣、今奉請元興寺如件、[付]
   [使□□(長方形抜け)
          天平勝寳七歳四月廿七日呉□ □ □(原 生 人)
  □□□(長方形抜け)
   「(別筆)大蔵伊美吉□□□(長方形抜け)       主典美努連□□□(長方形抜け)」
(継目)

出典 

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内99頁~100頁)(『正倉院文書』塵芥25裏書)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)3月3日

記事

政所符 繪所領等
  白緑廿三斤十兩二分   同黄十三斤五兩一分
  胡粉七斤十兩[唐]   丹二百九斤三兩二分
  銀薄四百〓≪よんじゅう≫枚      金薄三百七十五枚
  膠十八斤六兩      墨四廷[三廷唐 大一 小二 一廷鹿角小]
  烟子百六十枚[中]   金靑廿斤
  藍花壷并五斤[大]   白靑十一斤六兩三分五
  沙十斤六兩二分三  同黄十三斤三兩
  鹿毛一斤[小]     辛櫃二合[一合在鎖子]
   右、彩色大仏殿廂之天井并須理等板料、下充如件、冝〓≪様の旁≫知此状、到奉行、
次官高麗朝臣          判官川内恵師
                 主典美努連 奥 万 呂
            天平寳字二年三月三日

出典

『大日本古文書』4(262頁~263頁)(『正倉院文書』続修43)

「畫師行事功錢注進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)4月9日

記事

(紙端)
右方花實壹拾肆果之中 [花枚貳伯貳伯拾肆枚 花枚長各二尺 廣一尺一寸 花實廣度四尺方 高二尺]
   合恵師貳拾壹人之中[彩色十六人 堺一人 塗白土緑青并同黄三人 花實沙堺一人 花枚木畫一人]
[彩色]             
  山廣万呂  三枚[功廿四文]   上道人足<「*錢一貫七百六十二文」>   十四枚[功百十二文]
  牛鹿足嶋  廿枚[功百六十文]  大原祖父万呂 十枚[功八十文]
  勝若万呂  十九枚[功百五十二文]大宅廣足   廿二枚[功百七十六文]
  勝 継 人  十八枚[功百〓≪よんじゅう≫四文] 雀部浄人   十六枚[功百廿八文]
  息長廣長  廿四枚[功百九十二文]忌部諸公   十九枚[功百五十二枚]
  丈部山守  六枚[功〓≪よんじゅう≫八文]   下道吉備   七枚[功五十六枚]
  柏原秋人  十五枚[功百廿文]  茨田建麻呂  十二枚[功九十六文]
  〓≪草冠+意≫原毛人  十枚[功八十文]   秦朝万呂   九枚[功七十二文]
堺畫工              上楯万呂二百廿四枚[功五十六文]
塗白土緑靑并同黄三人       「*錢六十文」
   穴大石勝  四果[【一果充功五文】功十七文]<白土花枚百五十四枚[功十四文]> 大伴子松  四果[功十七文]<白土花枚五十枚>
   私部安万呂 六果[功廿六文]   <白土花枚廿枚>     
堺畫沙花實一人         雀部浄人  十四果[一果充別十五文 功二百廿文]
   右、始四月、自四日九日至干作恵師等行事、注進上如前、
花枚木畫一人 丈部山守二百二十四枚
             天平寳字二年四月九日息長 常 人
                畫工司畫部従八位上牛鹿 足 嶋
          「*惣銭二貫一百七十八文
                勘 下 道 主」

出典

『大日本古文書』4(269頁~270頁)(『正倉院文書』続々修45帙6)

「畫師行事功錢注進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)4月10日

記事

左方蓮華枚貳伯貳拾肆枚 *「功淺二貫四百四十八文」
彩色畫師壹拾人   *「錢十貫七百九十二文」
  河内石嶋廿四枚[功百九十二文] 秦虫足廿五枚[功二百文] 河内古万呂廿四枚[功百九十二文]
  息長川守廿四枚[功百九十二文] 委文浄當廿二枚[功百七十六文] 委文大宅廿二枚[功百七十六文]
  河内廣川廿二枚[功百七十六文] 辛国廣山廿四枚[功百九十二枚] 坂田國益十五枚[功百廿文]
  上宮万呂廿二枚[功百七十六文]
堺畫師貳人     *「錢五十六文」
  上牛養百十二枚[功廿八文]  秦稲守百十二枚[功廿八文]
木畫師貳人     *「錢廿八文」
  上牛養百十二枚[功十四文]  河内石嶋百十二枚[功十四文]
塗白土畫師貳人   *「錢廿二文」
  上牛養百十二枚[功十一文]  河内石嶋百十二枚[功十一文]
花實壹拾肆果
沙并墨畫師貳人 *「錢二百廿文」
  上牛養七果[功百廿五(*「十」)文]  秦虫足七果[功百廿五(*「十」)文]
塗白土緑靑同黄畫師貳人 *「錢六十文」
  私部安万呂七果[功卅五文]  穴太石勝七果[功卅五文]
以前 自四月二日至十日 畫師等行事如前
          天平寳字二年四月十日散位従七位下坂合部 蓑 万 呂
                 畫師司長上従七位下上村主 牛 甘
                   畫部正八位上河内畫師 石 嶋
                 *「勘 下 道 主」

出典

『大日本古文書』4(270頁~272頁)(『正倉院文書』続々修45帙6)

「藥師寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)8月9日

記事

藥師寺三綱 牒造東寺司務所
  所請千手千眼経伍拾卷[黄紙黄表綺帶頂軸 並斐紙]
   右、件経依所請數、領納如前、仍録事状、故牒、
                 天平寳字二年八月九日都維那 永 仁
上座
寺主 穎 教

出典

『大日本古文書』4(286頁~287頁)(『正倉院文書』続修別集3)

「山階寺返抄」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)8月19日

記事

山階寺
  金剛般若経一百二十卷
    五十卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
    七十卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫帶綺頂軸]
  上件之経、具如来數収納已畢、今注此状、以附使還、故牒、
             天平寳字二年八月十九日大都維那僧 守 護
上坐法師 永 興
寺主法師 延 豊

出典

『大日本古文書』4(289頁~290頁)(『正倉院文書』正集45)

「山階寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)9月10日

記事

山階□□(寺三)綱  牒造東大寺司務所
  金剛般若経壹伯捌拾卷[一百卅卷黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帶頂軸 五十卷黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   右、依數檢納如件、以牒、
           天平寳字二年九月十日都維那僧 守 護
上坐法師 永 興
寺主法師 延 豊

出典

『大日本古文書』4(312頁~313頁)(『正倉院文書』続々修18帙6裏書)

「香山藥師寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)9月10日

記事

香山藥師寺三綱  牒造東寺司寫経務所
藥師経壹伯捌卷
   九十五卷[麻紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶□軸]
   五卷[斐紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶頂軸]
   八卷[□紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶]
以前、依奉請數檢納已畢、
           天平寳字二年九月十日□□□(長方形後半抜け)
                寺主僧 智 明
                上坐僧 善 勝

出典

『大日本古文書』4(313頁~314頁)(『正倉院文書』続々修18帙6裏書)

「東大寺寫經所請錢注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)10月12日

記事

東大寺寫經所
  請錢五貫四百文
   三貫六百文〓≪糸偏+竒≫一百八十丈直料[丈別二文]
   一貫八百文頂軸一千二百枚直料[以二枚充錢三文]
    右、将奉着金剛般若經一千二百卷料〓≪糸偏+竒≫并軸等直、所請如件、
       天平寳字二年十月十二日主典正八位上安都宿祢 雄 足

出典

『大日本古文書』4(345頁~346頁)(『正倉院文書』續修43)

「奉造丈六觀世音菩薩料雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)6月25日

記事

奉造一丈六尺観世音菩薩料雜物等自諸司請来事
合參拾壹種
  〓≪あしぎぬ≫一百匹[八十匹讃岐調 廿匹甲斐調] 調布一百端[武蔵]
  鐵〓≪よんじゅう≫廷           伊豫砥三果
  蘗五連           木賊一把
  綿一百十七         細布六端
  糸三〓≪糸偏+勹中にム≫           庸布九段
  祖布廿五段         漆斛八斗
    右十二種、自節部省請来、
  錢五十貫
    右物、自左平準署請、
  白米一百斛         糯米四斗
  小麦五斗
    右三種、自大炊司請、
  塩三斛           海藻三百六十斤
  滑海藻三百六十斤
    右三種、自大膳職請来、
  末醤三斛六升五合      醤三斛六升五合
  酢一斛五斗三升二合五夕
    右三種、自醤司請、
  紙一百張          本古紙九百廿五張
  掃墨一斗
    右三種、自内史局請来、
  油六斗九升三合
    右、自油司請来、
  麻紙八十張         沙一分
  胡粉一分          薫陸一分
  雌黄一分
    右五種、自内裏請来、
(後略)

出典

『大日本古文書』4(420頁~425頁の内420頁~422頁)(『正倉院文書』正集5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

 速袖八領[布]用廝仕丁等料
  櫛借七十二領[雜色袷]
  東裳一腰[給料□□□ 養□(優)婆夷]
  被卅<「*廿九」>一領[已上自内裏給出]
   二領白帛         一領赤帛  
   一領橡          廿七領布[一領細布 十六領調布 十領祖]
   用廿二<「*三」>領[大工并雜工等料]
   殘九<「*六」>領
    一領赤帛        一領橡
    七<「*六」>領布[四領調 三<「*二」>領祖]
  堂幌九條[自内裏給出]
   三條細布         六條祖布[已上殘]
  金靑九斤          沙六斤四兩
  同黄二斤六兩        烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
  白靑四斤十兩一分[四斤八兩自外嶋坊請 二兩一分買] 胡粉十五斤八兩[十斤八兩自外嶋坊請五斤買]
  緑靑百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進
                 「*七十九斤四兩二分」]
  白緑十五斤十三兩三分[買]  丹廿一斤[十六斤自外嶋坊少僧都所請 五斤文部省少録内蔵全成所進]
                    [「*七十八斤四兩二分黑錫大廿八斤二兩三分[給]」]
  靑黛三斤六         蘓芳卞二升[已上自内裏給]
  空靑□斤          紫土四兩[已上買]
  金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三兩打得]
  膠一百五斤         墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
                 [七十廷塗架後料]
                 [十二廷作雜公文料]
                 [卅一廷畫料]

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内477頁~478頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二板[各長一丈二尺 廣一尺]花五百六區[各方一尺]
     金靑一斤    白靑八兩三分 朱沙一斤二兩二分
     胡粉三斤五兩二分 同黄九兩一分 烟紫八十六枚
     紅靑十一斤四兩 白緑二斤三兩 丹一斤六兩二分<「*五十五斤二兩三分」>
     靑黛七兩二分  空靑十兩   卞三合
     金薄一千八十四枚  膠七斤  墨四廷
     (長方形前半抜け)□□板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
     (長方形前半抜け)□□□別坐□□□(長方形抜け)[各立髙一尺七寸]
      六十八□□□(長方形抜け)花一根[各髙三尺六寸]
     靑金一斤三兩  白靑三兩   沙十二兩一分
     胡粉十一兩   同黄三兩三分三朱 烟紫卅枚
     緑靑五斤六兩二分 白緑一斤十二兩三分 丹一斤三兩一分
     空靑六兩     卞三合       金薄四百五十枚
     膠六斤五兩    靑黛七兩      墨五廷
    □□□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 廣一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
     □(金)靑一斤十四兩二分 白靑四兩三分 朱沙十四兩
     □□□(長方形抜け)(胡粉カ)一分 同黄□□二分 烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
     緑□□□(長方形抜け) 白緑二斤六兩二分 丹二<「*六」>斤三兩三分
     金薄八十□□(長方形後半抜け)    (長方形前半抜け)□□□ 七兩 空靑十兩
     卞六合          靑黛八兩二分 墨五廷
    外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸]板別在花一根[各髙二尺]
     金靑二斤七兩  白靑十兩  朱沙十一兩三分
     □□□(胡粉カ)斤三兩  同黄二兩  烟子〓≪よんじゅう≫三枚
     □□□(長方形抜け)  白緑十兩
     (長方形前半抜け)□□□兩一分 空靑十一兩
         (長方形前半抜け)□□□花茎三百廿八根[々別三枚]
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内478頁~480頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

(紙端)
          (長方形前半抜け)□□□墨二廷
(長方形前半抜け)□□□靑四兩三分    沙三兩
   (長方形前半抜け)□□同黄三分      烟子五枚
    (長方形前半抜け)□□白緑十兩     丹一斤六兩
      (長方形前半抜け)□□□七十二枚  膠六兩 墨一廷
(紙端)
(紙端)
          (長方形前半抜け)□□□沙四兩
          (長方形前半抜け)□□□烟子九枚
          (長方形前半抜け)□□□丹一斤六兩
          (長方形前半抜け)□□□一分 墨一廷

 (長方形前半抜け)□□□丹一斤九兩二分 膠六兩
(長方形前半抜け)□三百八十六兩□□□(長方形後半抜け)
   (長方形前半抜け)□□□斤十四□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□斤六兩
    □□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□□
    金靑七兩□□□(長方形後半抜け)
    胡□□□(長方形抜け)五兩一分□□□(長方形後半抜け)
    烟□□□(長方形抜け)緑靑□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□膠十五斤
    丹一斤十四兩三分□□□(長方形後半抜け)
(長方形前半抜け)□□□六兩□□□(長方形後半抜け)
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内480頁~482頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

(紙端)
                 (長方形前半抜け)□□□墨六廷
       (長方形前半抜け)□□□[々別在花十二枚]
   (長方形前半抜け)□□□[径各二尺 廻各六尺]
   (長方形前半抜け)□□□迴天井花[實径一尺七寸 廻五尺八寸]
   (長方形前半抜け)□花枚二百廿八枚[六十枚各長二尺 廣一尺二寸 百六十八枚各長一尺七寸廣一尺]
    金薄一万六百九十二枚押花枚三百廿八枚料
    膠十三兩
(長方形前半抜け)□□□[各径二尺 廻各六尺]
              (長方形前半抜け)□□□兩 沙三兩
             (長方形前半抜け)□□□二分三
    烟子□□□(長方形抜け)緑靑六斤二兩
    白緑三兩□□□(長方形抜け)二兩    靑黛一兩三分
    空靑五兩□□□(長方形抜け)卞一合    膠八兩 墨三廷
  壁内隔上迴樂天廿八躯[各居髙二尺]
    雲形九十烟[各長二尺五寸 廣四寸]
       (長方形前半抜け)□□二兩   沙十四兩
          (長方形前半抜け)□□  同黄三兩一分
         (長方形前半抜け)□□兩  白緑十一兩
          (長方形前半抜け)□□  靑黛二兩
          (長方形前半抜け)□□  金薄五十六枚
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内482頁~483頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「寫經所注進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)4月14日

記事

寫経所
一請帙并畫籤人
   右、今日以往所題経九百余卷、仍且所請如件、
一畫籤事【一】者【用哉墨用哉】若墨之
   右、應用色定符遣、若可用者、早速欲請、其員不得申送、
一装横(〓≪さんずい+黄≫)期限事
   能登忍人[今月十七日去了]     長江田越万呂
   秦東人[已上二人廿日]       荊嶋足
   禾田五百足            秦百足[已上三人廿五日]
   難千依              石田嶋足[廿九日]
    右、依宣旨勘注如前、
以前等状、附勇山内主、申送如件、
               天平寳字五年四月十四日賀茂朝臣
                       主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』4(501頁~502頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)10月1日

記事

 壹足綾槻[長五尺九寸 廣一尺七寸 髙四尺九寸 若金泥鎖子一具并床子一足錦〓≪≫一枚]
   裹衾壹領[表赤紫 裏緋綾角別秘錦 領以綺為界]
   鈎納革箱壹合[長六寸一分 廣三寸四分 深一寸三分 納錦袋内在白綾〓≪≫]
  壹足枌[長三尺三寸 廣一尺九寸 髙三尺一寸五分]
合経副香參種[一〓≪≫香一斤十兩一甘松香二斤十三兩 一苓〓≪≫香九斤二兩納袋六口并表赤紫羅裏赤
合白木高座貮具[并机橋礼盤二足]
合高座寳頂貮具[身黑紫綾秘錦領地古錦交錺頂木金 塗鏤銅錺着小鏡二面]
合寳頂懸木錦袋貮口[二〓≪≫秘錦 長各一丈三尺]
合高座〓≪≫肆枚[二表紺花錦裏〓≪≫緑綾 紫花錦領二席錦領]
合高座〓≪≫貮枚[並表白錦 裏緑綾 紫錦領]
合高座橋〓≪≫肆枚[並表縹錦裏]
合礼盤〓≪≫肆枚[二表紫二科錦裏緑綾 二席錦領]
合高座茵貮枚[黑紫綾領]
合礼盤茵貮枚[赤紫綾領]
合糸交幡陸拾貳流
合白綾綱貮條[一長十四丈 一長八丈]
合佛座地代帳貮條[並表薄二科綾裏淺緑長二丈九尺 廣各四幅一條]
合漆塗机參足[一経(徑)三尺八寸 廣一尺八寸 髙二尺五寸]
    [一香長三尺廣一尺五寸五分髙三尺寸一香長各三尺 三寸廣一尺六寸五分髙三尺一寸五分]
合机〓≪≫參枚[一秘錦領兩面錦一赤紫都牟岐白錦領 一赤紫綾並裏緑綾]
合黒紫羅花覆貮條[長各九尺二寸 廣各三幅以金黑繪]
合赤紫綾帶貮條
合経覆壹條[表赤紫羅裏赤蜂子指長七尺五寸]
合漆塗香水器壹具[并手洗移二口]
合韓櫃參合[一長三尺廣二尺(脱字アルカ)寸一長三尺寸 廣二尺六分一長三尺四寸廣二尺]
    右、天平十四年歳次壬午二月十六日、正三位橘夫人宅奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内514頁~516頁)(大和国法隆寺所蔵)

「僧綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)4月13日付

記事

僧綱 牒東大寺三綱
  奉請經事
法花經四部[便奉請在彼寺者][尤]最勝王經四部[寶字四年自之中者
                         内裏奉請■部]
右件經等 有 内裏可奉被讀 仍須曵間奉請如前 三綱耒知 牒到准状
故牒
          天平寶字七年四月十三日史生僧 仙勝
少僧都賢太法師 慈訓
(別筆)[行      判官葛井蓮根道
            主典安都宿祢
     [令奉請法華經四部[三部水主官之中 一部黄紙及 一部黄紙及表綺緒
     一部黄紙及表綺緒漆軸 一部審詳師第二■黄紙及表綺緒木繪軸漢手]
         惣在印
上件經四部 以五月一日返納如件
又同日 令請法華經四部卅二巻 [並黄紙及表間之]上馬養

出典

『大日本古文書』5(432頁~433頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)5月25日

記事

 御執經所
  奉請長阿含經一部廿二巻 <請>増一阿含經一部五十巻
  中阿含經一部六十巻[請 【欠牙四帙二】]<請>新阿含經一部五十巻
    右、被勝延尼師宣云、上件經等、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪
    岐子松充使、令奉請如前、
          天平寶字七年五月廿五日乾政官吏生因幡国造田作
「(別筆)行
       大僧都法師    主典志斐連麻呂
   上件四部<百>八十二巻[並黄紙及表緒帯軸在印綵帙錦縁緋綾裏但帯 可當東寺内堂經内之]
     納赤染辛櫃一合[寮乙八之]敷帛袷帳一条[四塩朱] 上馬養 」

出典

『大日本古文書』5(442頁~443頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)8月12日

記事

 奉寫  御執經所
  請般若理趣經拾卷
   右、少僧都并弓(削脱カ)禪師宣云、件經、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪林
   大梶宛使、令請如前、
              天平寶字七年八月十二日〓≪様の旁の近似文字≫宣日置 浄足
  「(別筆)行       主典阿刀連
   令奉請壱巻[黄紙黄表及綺帯軸 水主宮第四櫃 雜第一〓≪衣偏+失≫〔在捺印〕 景雲二年八月十三日返]
   又壱巻[三綱所]
                    付使即林大梶」

出典

『大日本古文書』5(456頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)10月5日

記事

奉寫  御執經所
請无垢稱經三部
  右、定戒尼師宣云、件經、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪六人部嶋
  継宛使、令請如前、
            天平寶字七年十月五日乾政史生因幡田作
「(別筆)行        主典志斐連 麻呂
  上件經三部[以景雲二年十月十二日返了 一部黄紙及表綺帯軸 一部白紙未装〓≪さんずい+黄≫ 一部漢手黄紙及表綺帯白檀軸審詳師經内 己上水主内親王經並有印      ]
 

出典

『大日本古文書』5(459頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「殖欟寺鎮三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護元年(西暦765年)4月5日

記事

 殖欟寺鎮三綱謹上 奉請經事
  合奉請經一百八十五巻
   大寶積經一百廿巻[紫檀軸 牙着占綵帙十二枚]
   大集經六十巻[軸 綵帙六枚] 解深密經五巻[紫檀軸綵帙一枚]
    己上經、見奉請、[納白木辛櫃一合、居榻兄机一前、]
   最勝王經一部  大楼炭經八巻
   摩鄧女形中六事經一巻 摩鄧伽經二巻
    己上經者、自検収時不坐、
  右、被僧綱今月五日牒〓≪人偏+采の木が冓の下≫、被 内宣、〓≪差の近似文字の工がヒ≫正八位上上村主馬養充使、
  欟寺、仲万呂等平生之日、借請東大寺經等類、令求探取者、三綱等依牒置、
  令奉請件經如前、以謹牒上、
             天平神護元年四月七日都維那僧 奉圓
                       上坐僧  正恵
                      鎮兼寺主法師[暇]

出典

『大日本古文書』5(519頁~520頁)(『正倉院文書』續修別集9)

「奉寫御執經所移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)4月24日

記事

 奉寫 御執經所移造東大寺司并三綱所
  奉請大般若經一部[水主内親王者]信行師音義一部
   右依内裏宣、為勘經證本、所奉請如件、以移、
      天平神護三年四月廿四日圖書少属従八位上大隅忌寸   公足
                 正六位上行大允三嶋縣主 崇麻呂
「(別筆)司判許                    判官美努連 奥麿
                             主典阿刀造 与佐弥
  上件、依請、令奉請如件、[並黄紙及表綺帯有印、]
   以景雲二年八月十一日、奉請四百巻、[自第廿帙迄第五十帙]
                   使六人部嶋継
   以同月十二日、請一百七十九巻、欠十一巻[初帙■■(長方形塗りつぶし)又五十八帙第八]
                   行 上馬養          」

出典

『大日本古文書』5(659頁~660頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

   大方等大集經六帙[六十巻白色及〓≪衣偏+票≫綺緒紫檀軸竹帙秘錦縁紫裏
             唐【紙】短麻紙  今用紙一千一百八十七]
  [(異筆以下同ジ)「合」]大品般若經〓≪よんじゅう≫帙[〓≪よんじゅう≫巻白色及〓≪よんじゅう≫綺緒紫檀軸竹帙【秘】錦縁紫裏
              唐長紙     今用紙六百〓≪よんじゅう≫]
  [「合」]大威徳經二帙[廿巻黄色及〓≪衣偏+票≫綺緒紫檀軸竹帙【秘】紫縁錦裏
              朽布紙     用紙二百七十八張]
  [「合」]大法矩陀羅(尼脱カ)經二帙[廿巻黄色及〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫錦裏
              朽布紙     用紙三百十二張]
  [「合」]見實三昧經一帙[十四巻紫檀軸綺羅〓≪衣偏+票≫竹帙錦裏紫縁
              呉桃紙     用紙二百六十]
  [「合」]賢刧經一帙[十三巻羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
              呉桃紙     用紙一百九十二]
  [「合」]悲華經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
             呉桃紙         用紙一百九十五]
  [「合」]菩薩瓔珞經二帙[十六巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙【紫】錦縁【錦】紫裏
             呉桃紙         用紙三百〓≪よんじゅう≫]
  [「合」]解深蜜經五巻[朽布黄色及〓≪衣偏+票≫紫檀軸綺竹帙紫縁錦裏
             紙           用紙七十三<今六十一>張]
  [「合」]大灌頂經一帙[十二巻白色及〓≪衣偏+票≫紫檀軸綺竹帙紫錦裏
             【朽布紙】         用紙一百十五]
  [「合」]薩遮尼乾子經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦裏紫縁
             呉桃紙         用紙一百五十]
  [「合」]十住断結經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫【縁】裏【錦】紫縁
             呉桃          用紙二百五十五]
  [「合」]入楞伽經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
             呉桃          用紙一百七十一]
  [「合」]華手經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺緒〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦裏紫縁
             呉桃紙         用紙二百〓≪よんじゅう≫五]
  [「合」]大菩薩藏經二帙[廿巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
               呉桃         用紙四百卅五]
  [「合」]大方廣佛花嚴經八十巻[呉桃漆紙紫〓≪衣偏+票≫<羅>綺〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦縁紫裏
                           千五百卅]
  [「合」]大般涅槃經四帙[〓≪よんじゅう≫二巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙【秘】錦縁紫裏
               呉桃染紙       用紙七百十五]
       正法華經一部[十巻黄紙黄〓≪衣偏+票≫赤木軸綺帯
              納進     大進   用紙一百九十二]
         法華疏四巻[色黄同〓≪衣偏+票≫漆軸綺帯   用紙一百卅五]
         維摩經疏三巻[色黄同〓≪衣偏+票≫漆軸綺帯  用紙八十五張]
         弁中辨論三巻[黄紙黄〓≪衣偏+票≫頂軸 
                綺帯内進五年四月七日 用紙〓≪よんじゅう≫張]
         又弁中論三巻[呉桃染紙      用〓≪よんじゅう≫一張]
  [「合」]大【方】乗【廣】十輪經十巻[胡桃紙紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
                             用紙百八十]
       楞伽經四巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫            用紙九十四]
         [心經抄一巻 黄紙頂軸綺帯 五年八月廿八内進 用廿
          七巻章
          仏名經一巻 用紙八張 七倶胝仏母心經一巻 紙四
                     八名經一巻 紙二
          六時行道一巻 紙卅  八月内進大進]
  以前經部巻數、專所 御願訖、[廐坂寺僧四百口
                 講説 斎會]

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内6頁~8頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

二月卅日、内堂進納、
(前略)
    七年三月寫宮經四部
     海龍王經四巻[唐色紙及〓≪衣偏+票≫紫綺水清<赤檀>(精)軸]    用九十四
     最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百六十八
     金光明經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百卅一
     千手千眼經七巻[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺【赤】水清(精)軸]   用 [一巻百]
       右件經、大宮寫貢、四月大進
[宮院]最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫〓≪さんずい+冗≫水軸紫綺帯 右宮院御]    用一百七十
[内親王御]最勝王經一部[紅紙及〓≪衣偏+票≫班(斑)綺赤木軸]       用百七十
[后御]唯識論十巻[胡桃紙及〓≪衣偏+票≫赤木軸紫綺帯]           用百九十六
       [右件御所]
     大灌頂經十二巻[穀紙及〓≪衣偏+票≫軸 右件眞咋寫<未>給]    用一百廿七
     法花經疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫漆軸緑綺]             用
     【[又法華疏十巻 〔比佐木紙〕]】
  疏廿巻尼等房進 七月十四日付大伴部勇人[大進用万赤呂]
   又廿巻 右安宿家佐弥等所給
    【法華疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫緑綺漆]】
    御法花疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯赤木軸(八年正月十五日内進)]
    无垢稱經疏六巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫緑綺漆軸 未進
            天平九年十月卅日内進納 大属大藏赤万呂]   用二百九十八
    疏抄一巻[白紙]                       用十七
    圓弘章四巻[縹紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]               用百〓≪よんじゅう≫
     右件書、【王御】沙弥御進、六月八日大進
    法花疏十巻[黄麻紙及〓≪衣偏+票≫綺<帯>赤木軸]            用五百〓≪よんじゅう≫一
     右書<為>、宮院御進、六月六日大進
    [千手千眼經一巻]
    因明論六巻[三黄 三白]【疏】    
    因明論疏三巻[白紙及〓≪衣偏+票≫緑綺]          用一百卅五
    彌勒疏二巻[白紙]               用〓≪よんじゅう≫ゝ
    維摩宗要一巻[白紙]              用七
    五薀論一巻[黄紙]               用十五
     右書、安宿宅佐弥等寫給、
   法華疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯赤木軸 用]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内21頁~22頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

(前略)
  八年三月<廿五日>右件書、沙弥御所進、[付丈部宮足、]即僧等施給、
    圓弘章四巻[穀紙]七巻章七巻[赤万呂]
    弁中論疏三巻[穀紙黄]
    右書、安宿殿沙弥等所進、
               [九年十月卅日内進納 尼信勝 大属大藏赤万呂]
   唯識疏廿巻[法苑林章十四巻    未進
          四月廿九日付大原大依内進]
     右書、人給料、
  金剛般若一巻[〓≪さんずい+黄≫麻紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯 大進 赤木軸]    用十三[赤万呂]
     右<為>件書、宮御所寫進納、[【丈部宮足 赤万呂】]
            四月廿五日付丈部宮足 赤万呂
    金剛般若經一巻[黄紙及〓≪衣偏+黄≫綺帯赤木軸]           用十三
      右件書、親王御寫、[未進]
    藥師經一巻[白紙 五月]                 用十二
    千手經一巻[白紙]                    用十六
      右件書、親王御所寫宣、即井[【未進】]上王施、
   大寶積經十二帙一百廿巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫]             用二千二百卅二
    右經、宮一切經内寫、
   法花疏十巻[黄紙]
     右件疏、親王 御書、[自内施靈智師施、]
    新翻藥(師脱カ)經四巻[二色 紙二黄]本願藥師經三巻[二色 一黄]
    [皆頂軸紫綺四巻緑〓≪衣偏+票≫三黄〓≪衣偏+票≫]
     右、奉為 大上天皇(元正天皇)御寫敬、
            八月十三日大進宣[廿日山寺<房>請 知秦万呂]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内23~25頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

 九月一日最勝王經十巻[唐長麻紙水精軸白羅〓≪衣偏+票≫白綺帯竹帙]  用九十三半
    法花經八巻[唐短麻紙白羅〓≪衣偏+票≫白綺帯水精軸竹帙      用一百八十二
           右經、以正月十一日、内堂斎會讀轉、 大進丈部赤万呂]    
[雜]理趣經一巻[胡桃紙]                 【用】紙廿一
    曼殊室理分二巻[胡桃]                紙卅一
    那伽室理分一巻[胡桃]                紙十八
    不空羂索經一巻[胡桃]                紙十四
    本願藥師經一巻[胡桃]                紙十三
    新翻藥師經二巻[胡桃]                紙卅七
    能断般若一巻[胡桃]                 紙廿二
    千手千眼經一巻                    紙十七   
     右、為 内親王御寫、
    [基法師]
       唯識疏十巻[黄紙]
     [【基法師】  右為  【内親王】  御所寫]
    [【基】測法師]唯識疏十巻[敷紙 【黄〓≪衣偏+票≫頂軸无緒即惠哲師施九年廿八日付 大属大藏赤万呂 山口東女]
           弁中邊論三巻[〓≪衣偏+票≫紙]
            右、為内親王御、

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内25頁~26頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

 九月一日最勝王經十巻[唐長麻紙水精軸白羅〓≪衣偏+票≫白綺帯竹帙]  用九十三半
    法花經八巻[唐短麻紙白羅〓≪衣偏+票≫白綺帯水精軸竹帙      用一百八十二
           右經、以正月十一日、内堂斎會讀轉、 大進丈部赤万呂]    
[雜]理趣經一巻[胡桃紙]                 【用】紙廿一
    曼殊室理分二巻[胡桃]                紙卅一
    那伽室理分一巻[胡桃]                紙十八
    不空羂索經一巻[胡桃]                紙十四
    本願藥師經一巻[胡桃]                紙十三
    新翻藥師經二巻[胡桃]                紙卅七
    能断般若一巻[胡桃]                 紙廿二
    千手千眼經一巻                    紙十七   
     右、為 内親王御寫、
    [基法師]
       唯識疏十巻[黄紙]
     [【基法師】  右為  【内親王】  御所寫]
    [【基】測法師]唯識疏十巻[敷紙 【黄〓≪衣偏+票≫頂軸无緒即惠哲師施九年廿八日付 大属大藏赤万呂 山口東女]
           弁中邊論三巻[〓≪衣偏+票≫紙]
            右、為内親王御、

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内26頁~27頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

甲櫃
   涅槃經一部〓≪よんじゅう≫二巻[二巻後分 呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 紫綾裏]
   法華經十一部八十八巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 町形綵帙 緑綾裏]
    丁香二袋 青木一袋 草香二袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内197頁~198頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丙櫃
  涅槃經一部〓≪よんじゅう≫二巻[二巻後分 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 緋綾裏]
   又一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 紫綾縁 緑裏]
   又卅六巻[黄紙及表 綺緒 軸 竹帙 紫綾縁 緑裏]
  法華經一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 緋綾裏]
   又一部八巻[白麻紙 緑表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏]
   又廿九部[各八巻 黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦緋綾裏]
    丁香二袋 草香一袋
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内199頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丁櫃
  金光明經一部八巻[白麻紙 〓≪衣偏+票≫表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部八巻[黄紙橡表 綺緒 紫檀軸 印 无帙]
   又一部四巻[黄紙橡表 綺緒 漆軸]
   又一部四巻[黄紙及表 印 无緒軸]
  華嚴經一部八十巻[欠第七帙 黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹綵帙 錦裏 錦綾裏 印]
   大乗十輪經一部十巻[黄紙及綺緒 白檀軸 竹帙綵 綾裏 印]
   佛名經一部十三巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁 緋綾裏 印]
   維摩詰經一部三巻[黄紙 紫表 綺緒 花軸 金字題 印]
    又一部三巻[黄紙及表 綺緒 軸 印 无帙]
    又一部三巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 漆軸]
  維摩詰經一部十巻[欠第六巻 橡麻紙及表 紫綾緒 頂軸 竹帙 錦縁 綾裏 印]
  虚空孕菩薩經一部二巻[一巻无軸 黄紙及表 綺緒 頂軸 印]
  摩登伽經一部二巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 印]
  思益經一部四巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
   又一部四巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 印]
  虚空藏經八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  僧伽咤經一部四巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  禪秘要經一部四巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 印]
  摩訶般若波羅蜜呪一部二巻[欠一巻 白紙橡表 綺緒 漆軸 印]
  孔雀王經一部二巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  佛頂尊勝陀羅尼經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 馬脳軸 金泥字 印]
   又三巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  理趣經一巻[白麻紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
  金剛般若經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  金剛般若注序一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  文殊般若一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
  藥師經一巻[色紙黄表 綺緒 漆軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
   又一巻[上同但无軸印]
   又三巻[上同但軸印]
  子注多心經一巻[上同]
  心經十四巻[色紙及表 綺緒 十巻頂軸 一巻軸 一巻白檀軸 二巻漆軸 皆印]
  大方等如來藏經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  温室經一巻[白麻紙 黄表 綺緒 玉軸 印]
  十一面經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
  仏名經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  光讃般若經十五巻[黄紙及表 綺緒 軸 印 无帙]
  弥勒上生經一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  无畏徳女經一巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 印]
  随願往生經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  疾病經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  千手千眼經〓≪よんじゅう≫九巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  遺敎敎一巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 印]
  觀世音經十一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
  寶結菩薩經二巻[黄紙及表 緋緒 頂軸 印 上下]
  梵網經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  般若波羅蜜多大心經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
   丁香一袋 生木香一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内200頁~203頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 戊櫃
   法華經一部八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙綵 錦縁 緋綾裏 印]
    又二部十六巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 竹綵帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏]
    又三部廿四巻[白紙 黄表 緑綺緒 軸]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 竹帙 錦縁 緋裏]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 黑柿花軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 軸]
    正法華經一部十巻[黄紙及表 綺緒赤木軸]
   最勝王經一部十巻[黄紙及表 綺緒 軸 穀皮紙帙]
   仁王經一部二巻[上下黄紙及表 綺緒 軸]
   金剛般若經五十四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又五巻[黄紙及表 綺緒 頂軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 紫緒 花軸]
    又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
    又一巻[白紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
    又二巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 一巻 印]
   觀佛三昧經一部十巻[黄紙及表 綺緒 頂軸]
   大灌頂經一部十二巻[欠八巻 黄紙 橡表 紫綺緒 軸]
    又一巻[〓≪衣偏+票≫紙及表 綺緒 白檀軸 金泥字]
    又三巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   灌頂經一部十二巻[欠第五七八九十十二 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又五巻[並第九巻 黄紙及表 綺緒漆軸]
    又三巻[第五七八 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 漆軸 印]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   藥師經卅七巻[黄紙及表 綺緒 軸]
    又六十九巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 軸 印]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 軸]
    又一巻[黄紙及表 紫綺緒 白檀軸]
    又一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   新藥師經二部四巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
    又三部六巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 馬脳軸]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内204頁~207頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
  能断般若經百巻[黄紙及表 緑綺緒 〓≪木偏+聖≫軸]
  不空羂索經九巻[呉桃紙及表 紫綺緒 頂軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
   又一巻[白麻紙及表 緑綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
  觀世音菩薩陀羅尼經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  觀世音經百廿二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又廿一巻[白紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[呉桃紙 紫羅表 紫綺緒 〓≪さんずい+冗≫水軸]
   又一巻[赤紙呉桃紙表 綺緒 花軸 銀泥字]
   又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
   又一巻[橡〓≪あしぎぬ≫ 紫羅表 綺緒 漆軸]
   又一巻[白麻紙 黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
  觀世音菩薩受記經一巻[白麻紙 橡表 綺緒 紫檀軸]
  請觀世音經二巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
  十一面神呪心經二巻[黄紙及表 緑綺緒軸]
   又一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  高王觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  千手千眼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 花軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
  无垢稱經一部六巻[欠第一巻 呉桃紙 橡表 紫綺緒 赤木軸]
  海龍王經一部四巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  維摩詰經一部三巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  大通方廣經三部九巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
  无量義經一部二巻[黄紙及表 緑綺緒 黑柿軸]
  理趣經一巻[黄紙及表 緑綺緒 漆軸]
  弥勒經六部十八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  弥勒成佛經一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  弥勒下生經一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  弥勒上生經三巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   又一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  又弥勒成佛經二巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  又弥勒下生經六巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  弥勒菩薩所問本願經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  最无比經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  右繞佛塔經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  摩訶摩耶經一巻[色紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  灌佛經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  甚希有經一巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 紫檀軸]
  造立形像福報經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  浄飯王般若經一巻[呉桃紙及表 綺緒 紫檀軸]
  天請問經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  四天王經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  金光明經并喩伽論抄一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  呪〓≪女偏+屓≫經一巻[白紙 黄表 綺緒 花軸]
  无常經一巻[縹紙 紺表 紫檀軸 金泥字]
  雜呪一巻[黄紙 緑羅表 紫緒 紫檀軸]
  神符經一巻[縹紙 紫表 綺緒 軸 金銀交字]
  出家功徳經一巻[縹紙 紫檀軸 金字]
  觀藥王上佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  地藏菩薩經一部二巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 頂軸]
  十无盡戒經一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  七倶胝母佛心經一巻[黄紙及表 綺緒 頂軸]
  六門陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  度世經一巻[黄紙及表 綺緒 軸頂]
  護諸童子經六巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  八名普蜜陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 頂軸]
  金光明懺悔品一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  心經廿七巻[黄紙及表 綺緒 頂軸]
   又五巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又四巻[色紙及表 綺緒 頂軸]
   又二巻[白麻紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[色紙及表 綺緒 軸]
  壽延經八十七巻[白麻紙及表 緑綺緒 軸]
   丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内207頁~212頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 庚櫃
   喩伽論百巻[黄紙及表 紫綺緒 軸 竹帙 紫綾縁 緋裏 緑拾組帯]
   大智度論百巻[黄紙及表 緋緒 頂軸 錦縁]
   唯識論十巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁]
   唯識述義二巻[白紙及表 无緒軸]
   大般涅槃經疏二巻[白紙及表 无緒軸]
    又十五巻[白紙 黄表 緑綺緒 漆軸]
   成唯識論疏十三巻[白紙及表 无緒軸]
   願文一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
   又雜願文一巻[白紙及表 无軸緒]
   二諦義一巻[白紙]
   供養文一巻[白紙]
   佛印一巻[白紙黄表 綺緒 赤木軸 印]
   維摩經一巻[黄紙及表 无軸緒]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内212頁~213頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

辛櫃
  喩伽論百巻[黄紙及表 綺緒 軸 竹帙 緋縁 緋裏 緋帯]
  廣百論十巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  佛地論七巻[黄紙及表 綺緒 軸 竹綵帙 錦縁 緋裏]
  成唯識論七巻[白紙 无緒軸]
  金剛般若論四巻[白紙 无緒軸]
  大乗起信論一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
  大乗五薀論一巻[白紙及表 竹軸]
  一切經音義十一巻[白紙及表 无緒軸]
   又十二巻[六黄紙及表 六白紙及表]
  -五明論一巻[白紙及表 頂軸]
  -法華玄讃四巻[白紙及表 无緒軸]
  解讃阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 金泥軸 印]
  彌勒成佛下生論疏一巻[白紙及表 漆軸]
  羯磨文一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  大般涅槃經疏一巻[白紙及表 无軸緒 印]
   丁香一袋 草香一袋 青木一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内214頁~215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 壬櫃
   随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
   多心經七十巻[黄紙及表 綺緒 六十三巻漆軸 七巻軸]
   大雲經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
   大吉義呪經四巻[白紙及表并无軸緒 印]
   法華經卅(巻)[黄紙及表 頂軸 班綵帙 緋綾裏]
   海龍王經四巻[黄紙及表 赤木軸 无緒]
    丁香三袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 〓≪さんずい+冗≫厨子
   十論經十巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏 拾組帯]
   華嚴經八十巻[欠第一巻 又四帙第卅四卅五卅六卅七卅八卅九 呉桃紙 紫羅表 綺緒 〓≪さんずい+冗≫軸 竹帙 錦縁 紫綾裏 拾組帯]
   法華經八巻[紫紺錦表 綺緒 以玉錺軸 竹帙 錦縁 緋綾裏 金字題]
    又八巻[紫紙 紫羅表 綺緒 琥珀軸 金字題]
   稱讚浄土經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 以金錺軸 金字]
   最勝王經一巻[複 黄紙 紺表 綺緒 花軸 金字題]
    又一部十巻[白麻紙 白綾表 白綺緒 水精軸 无帙]
   能〓≪米偏+斤≫(断)金剛般若經一巻那伽室利般若經一巻
   曼殊室利般若經上巻 又下
   不空羂索神呪心經一巻[已上並呉桃紙及表 緑綺緒 軸]
   理趣經一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   千手千眼觀世音經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   觀普賢菩薩行法經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   佛頂尊勝陀羅尼經一巻

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内215頁~217頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 丙櫃
(中略)
   法華經八巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 竹帙綵 錦縁 緋裏 十五年二月廿四日奉請敎勝所万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内217頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 丁櫃
(中略)
   法華經八巻[漢手黄紙及表 綺緒 白檀軸 无帙]
   最勝王經十巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 白檀軸 无帙]
   楞伽經四巻[黄紙及表 軸]
   維摩經三巻[黄紙及表 軸]
   藥師經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸
         十五年二月廿四日請敎勝所万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内218頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
   弥勒經一部三巻[花軸 十年十四月(日カ)為本經請高屋赤万呂 果安(マヽ)]
   請觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸 十年五月廿六日借請中宅大道藤原大夫 万呂]
(中略)
   法華經一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 竹帙 錦縁 請東宮御所付延信尼十二年四月廿三日善人]
   金剛般若經一巻奉出[十二年十月四日付秦岡万呂 添万呂]
   无垢稱經一部六巻[黄紙及表 綺緒 頂軸 无帙]
   勝鬘經一巻[黄紙滅紫表 綺緒 金字題 花軸]
   弥勒經一部三巻[黄紙及表 緑緒 軸 已上三經請敎勝所 十五年二月廿四日万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内219~220頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)4月

記事

寫經司解 申奉請法華經所請用物事
惣所請物貳拾種
  紙壹萬漆仟肆伯貳張
   一万六千一百(張)白紙
   一百【七十】六十六張紫紙
   四百張 黄麻紙
   五百卅六張調紙
  筆<貳伯>壹拾箇
  墨陸拾玖廷
  金泥捌兩壹分
  銭陸貫
  頂軸捌伯枝
(中略)
  黄蘗壹伯陸拾捌斤[大]
  炭伍斛伍豆
(中略)
  机玖拾壹前
    四前漆
    八十七前白木
[用物 請紙壹萬漆仟伯陸張]
寫法華經壹伯部[八百巻]
   九十九部白紙
   一部紫紙
[紙壹萬]
  用紙壹萬伍仟玖伯陸拾張
   一万五千七百九十六張白紙
   一百六十四張紫紙
  破并空紙貳伯陸拾陸張
   二百六十四張白紙
   二張紫紙
(中略)
  請筆壹拾箇
  合用筆壹伯漆拾箇
   一百箇五十部別二箇[料充一部]
   五十箇五十部別一箇[料充一部]
   廿箇鹿毛[書堺料]
   墨陸拾玖廷
   用墨陸拾肆廷
  頂軸捌伯枝[即用]
(中略)
   残物[黄蘗壹伯陸拾捌斤 大 漆紙壹萬伍仟漆伯玖拾陸張 〔以大一斤染 紙九十六張〕]
   紙肆拾張[白紙 炭伍斛伍豆燥紙壹萬伍仟七百九十六張 以炭一斗燥紙二百八十七張]
    金泥壹兩壹分 薪壹拾束[黄蘗煮料]
    【銭】筆肆拾箇
    墨伍廷
(中略)
   机玖拾壹前
    四前漆
    八十七前白木
  以前、所請調度并用遺物等、具状如件、以解、
             天平十一年四月 史生大初位下高屋連
                      大初位上小野朝臣
                      舎人

出典

『大日本古文書』7(255頁~262頁(『正倉院文書』續々修17帙3)

「經師校生等手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)7月1日

記事

 丸部麻呂 受寫千手經六巻[四巻各十七枚一巻十六枚 一巻十八枚]
   受紙百二枚[空四枚 破一枚]現用紙九十七枚 [「(異筆)紙墨事 可徴三枚墨【一】半【廷】
                               未書正用紙之正了後給」]
    [「*欠三」八月廿九日]「(異筆)勘人成」「(異筆)讀呉」
[(裏書)「千手經十六寫丸部麻呂」]     「*合」

出典

『大日本古文書』7(542頁~560頁の内550頁)(『正倉院文書』續々修7帙1)

「寫經所雜物收納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)7月4日

記事

(紙端)
雜物收納    天平十五年七月四日
七月廿日[受]研八口[疏料]圓坐八枚[反上七枚]机十前<十五年十二月廿四日反上> 已上疏料  酒主
八月四日受研十口 坏六口 下纒十箇 手巾一條 [長四尺 失[四月] 知余馬甘辛國人成]
   紙十【四】三張[式并敷紙下纒料]〓≪竹冠+青≫三枚<反上十月十二日> 蓆長一枚<十月十二日反上> 盆一口 水麻笥一口
   韓櫃二合[并着鎖子]又〓≪竹冠+青≫(簀)八枚(十月十二日反上) 短蓆八枚[十月十二日反上 一枚失知辛國人成]
    右、爲僧正、奉寫法華經五十部<料>、所請如前、酒主
  十六日納白紙八枚[疏料紙料]酒主 又韓櫃一合[着鎖子 納紙并本料]酒主
(中略)
天平十七年五月十三日受黄生衣三領[充古能善 鳥取益万呂 丸部嶋守]
  又同<日>受紙十五枚[古能善 鳥取益万呂 安曇廣万呂 王廣万呂 丸部嶋守 山部花 阿刀酒主 弓消佐比止 漢淨万呂 蜂田在人 難万君 辛國人成 己知蟻石 忍坂成]
   已上受物者、一切經疏寫料、所請如前、人成
八月五日受沙一兩[於御<櫃>在者依封請政所 判充田邊史生]<紫黄二分>阿膠三兩 [ 並法花疏丹寫料 受酒主]
  十九日受沙二分[法花玄賛料 受酒主]廿六日受紫綺八丈八寸[法花玄廿卷 起信論別記二卷 法門名義集一卷 三昧論疏二卷 六卷抄六卷并五部料]
九月
  二日受雌黄五兩 阿膠一節 陶坏一口 並受阿刀酒主
   八日受沙一分 阿膠一兩 廿日受阿膠二節[息人]
(紙端)

出典

『大日本古文書』8(216頁~219頁)(『正倉院文書』正集45裏書)

「冩經所大般若經本奉請分」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)4月16日~天平18年4月19日

記事

西宮奉請大般若經本三百卷[自初至卅帙帙卅枚]大般若寺經者
  黄紙黄表漆軸綺緒竹帙紫縁紫帯緋裏
(後略)

出典

『大日本古文書』8(458頁~459頁)(『正倉院文書』続々修19帙4)

「後寫一切經雜案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月13日

記事

(紙継目)
「(端裏書)法花玄贊五卷[沙交寫]」
寫後經所解 申見寫經事
合一百〓≪よんじゅう≫一卷[大般若]
用紙二千五百卅三枚
   右 始十八年正月廿四日 到三月四日 寫一切經卷數并用紙 具顯如前 以解
天平十八年三月四日男依

出典

『大日本古文書』9(1頁~7頁の内3頁)(『正倉院文書』續々修2帙4)

「間寫經本納返帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

(前略)
大僧頭「(自署)行信」
「(異筆)七月十三日奉請四巻[第三四五六者]使飽田石足」

「无量義經一巻[黄紙及表漆軸綺緒]大安寺經者」
   右為用本經、先奉請、今依了、以天平勝寶三年正月廿三日返奉使散位少初位
下飽田史石足、
                         知  他田水主
                             下道主
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内601頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

(前略)
(紙継目)
奉請金剛三昧本性清浄不壊不滅經一巻[黄紙及表 畫軸者]
   右為本經、差散位飽田石足、奉請已訖、
              勝寶三年正月廿三日道主 他田水主
[「(異筆)以同年二月廿三日奉返已訖【飽田石足】 小竹原乙万呂 長田浄濱」]
花嚴傳一部五巻[白紙橡表漆頂軸綺緒]
  右先<自>政所奉請、寫了、以天平勝寶三年二月四日、付舎人大伴宿祢蓑万呂
   返送了、
                         他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内602頁~603頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

法花經十部[別帙在竹帙緋裏紫緑及帶之中四部軸六部白木軸]
  右、以天平勝寳四年正月十二日、奉返於山階寺、
                      使村山首万呂
                      知呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内607頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

  [「(異筆)返送了但返抄者其失送書乞來之」]
花嚴經一部[六十巻]黄紙及表 軸 綺緒 漢手 竹帙六枚
(中略)
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内607頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

仁王經一部[黄紙及表綺緒軸]已上二巻本自内裏請[使阿刀小足工石主]
不空羂索經一巻           千手千眼經一巻
觀世音如意輪含藥品一巻請觀世音經一巻 請觀世音經一巻
觀世音如意陀羅尼經一巻[已上並黄紙及綺緒木繪軸]
  右五巻、為本、自山階寺奉請、[使上馬甘、「(異筆)以八歳二月八日奉返如件、使上馬甘」、]

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内611頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

觀世音三昧經一巻[黄紙及表銀軸无緒]十一面經一巻[黄紙及表紫緒軸]
觀自在菩薩如意心陀羅尼咒經一巻
觀世音<菩薩>受記經一巻[已上三巻黄紙及緑緒軸]
  右、為證本、金光明寺奉請、使呉原生人、
                        五年二月十日

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内612頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「千部法華經料紙緖軸帙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)1月10日~天平21年3月11日

記事

  廿六日政所來頂軸八十枝[千部之内且請八部料]
                 検納阿刀酒主

出典

『大日本古文書』10(6頁~10頁の内7頁)(『正倉院文書』續々修5帙6)

「千部法華經料紙緖軸帙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)1月10日~天平21年3月11日

記事

  四月廿四日納軸二百枝[買者 千部料] 検納阿刀酒主 

出典

『大日本古文書』10(6頁~10頁の内8頁)(『正倉院文書』續々修5帙6)

「經律奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)8月4日

記事

(前略)
可奉請經律「*合二百廿七卷」
(中略)
≪よんじゅう≫行方便境界神變化經上卷<「*内」无初并後題白紙軸> 淨度經三卷[「*別生」二卷表白]
仏説大集經二卷           无上童子經二卷
仏説須弥藏經二卷[白紙无表]  仏説毘羅三昧經二卷[<「*別生」>觀藥王藥上二菩薩經一卷]
(中略)
仏説濟法清淨經一卷[白无緒軸] 仏説慧定普遍國土神菩薩經一卷
寳印經一卷[白紙无表]       仏説荘嚴菩提心經一卷[【白軸】白无緒軸】
仏説恒小説戒經一卷
七仏呪經一卷[白紙]        放鉢經一卷
(中略)
菩薩行方便經二卷[「*可検」 无初并後題白紙軸]
仏説威施長者經一卷       請觀世音經一卷[「*可検」 白紙黄表」]
(中略)
菩提經一卷[「*可検」白紙]     胎藏經一卷[「*別生」]
(中略)
別譯雜阿含經[上帙第三五 下帙第四五十]<請二卷不知其次[白紙]> 楡伽遮復弥經六卷[白紙軸]
(中略)
四阿含經二卷[白紙一卷軸 一卷无軸]  毘耶婆問經二卷
大安般經二卷[「*別生」]       仏説阿含經一卷[白紙破]
(中略)
仏説淸淨法行經一卷       仏説輪轉五道經一卷[「*別生」白紙无表]
(中略)
仏説最妙初教經一卷[白紙]   仏説昔爲鹿王經「*一卷」[无緒]
(中略)
薩和擅經一卷           五王經一卷[副五天反覆經又玉瑯經 白紙无緒【軸】]
(中略)
仏説仏治身經一卷        迦葉結經一卷[白紙无軸]
(中略)
仏説壽促經一卷          寳登王太子經一卷[白无緒軸]
(中略) 
三階律同部九卷[无緒軸表]   三階律三卷[又秘要法二卷〔第二三 白紙〕]
禪經三卷              治禪病秘要法<一>二卷[白紙无軸]
【木叉一卷】[娑羅提木叉一卷〔白紙〕]   比丘尼木叉一卷[白紙无緒軸]
布薩文一卷[白紙无緒軸]    選比丘傳一卷[白无緒軸]
(後略)        

出典

『大日本古文書』10(319頁~326頁の内319頁~324頁)(『正倉院文書』續々修十四帙五)

「一切經散帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年12月7日~天平21年3月3日

記事

成唯識論九巻[第一局常欠] [具帙占黄紙白檀軸]
       唐書者]
  右書以十九年十二月七日、内裏奉請如前、使高屋古令史(赤麻呂)、
                知田邊史生
                 志斐
                  他田水主
廿年正月十八日來六巻鈔三巻[第一][第三] [第二]又後來三巻[第四五六 白紙黄表(表黄カ)花軸綺緒]
  右為本奉請、使即田邊史生、[以四月三日返奉了、知田邊史生
                      納小櫃一合 白筥一合
                       又白折櫃一合]
                知伊福部  阿刀  受水主[使沙弥]
  六巻鈔一部[十九巻]  [唐道宣師者]   先使奉家主
       黄紙表軸綺緒]

 右以十九年三月奉(請)、以廿年二月十二日返奉如前、使他田水主、
                天平廿年二月十二日他田水主
                        志斐
  又一之二一巻 右書、為図奉請、以天平廿一年三月三日返送、使他田水主、
   専受納慧雲師[即彼所書司者]

出典

『大日本古文書』10(553頁~554頁)(『正倉院文書』正集一裏書)

「經師等紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平21年(749)3月27日~天平勝寳7年(755)2月28日 

記事

 <紙継目>
「(異筆充)」法花玄贊紙
   忍海廣次[三年六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿四日〔廿〕廿五日〔筆〕廿六日〔廿二〕
  廿八日〔廿〕廿九日〔廿〕沙一両七月二日一両七月四日〔廿 筆〕六日〔廿〕十日〔廿〕十一
    日〔廿二〕十九日〔廿廿 十廿〕七日沙三分一銖 合請紙二百廿四張之中〔見用 二十四反上十〕]
   建部廣足[六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿三日〔廿〕十五日〔廿 筆〕七月一日〔廿二〕]
    八日〔廿 筆又鹿毛一〕五日〔廿〕七日〔廿〕十二日〔廿〕十三日〔廿〕十五日〔廿〕廿一日〔廿〕廿二日〔廿〕廿五
    日〔廿〕合請紙二百八十張之中〔見用二百六十四張 反上十四張 空二張〕]
   志紀久比万呂[六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿三日〔廿〕廿四〔廿七張〕廿五日〔筆〕
     沙先充〔二分〕次〔二分筆〕七月十一日〔十九〕十二日〔廿〕十三日〔廿〕十四日〔廿〕十六日〔廿一〕
     又〔廿〕十八日〔廿〕廿一日〔廿〕廿八日〔七十〕合請紙二百〓≪よんじゅう≫五〔見寫用二百二十五<六> 破八 空二 反上十〕]
   鴨筆[六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿三日〔廿〕廿五日〔九張〕廿七日〔廿〕筆又鹿毛一
    七月五日〔廿二〕十日〔廿〕十二日〔廿〕十九日〔十四〕卅日〔六〕]

     天平勝宝三年五月九日依善光尼公宣所奉寫料者
                      他田水主

出典

『大日本古文書』10(554頁~588頁の内558頁~559頁)(『正倉院文書』続々修三十四帙六)

寫經所經疏紙出納帳(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)7月16日

記事

此寺三剛(綱)借用黄麻紙四張[花法經一部料]
   右、依天平勝寳三年四月十三日佐伯(今毛人)次官宣、所借用者、
                        知他田 道主
    「(奥異筆)五用紙廿 久米 一校君足[件余堕定一]」

出典

『大日本古文書』11(1頁~2頁の内2頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙九)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

(前略)
   十八日自政所請黄麻紙一千二百張(一千張)[奉寫間法花玄賛料 凡紙五十張[端継料]]
              且充装〓≪さんずい+黄≫春日虫万呂
   同日請沙二分[法花玄賛料]      知他田水主
                      呉原「(自著)生人」
(後略)

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内162頁~163頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

  六月廿五日受沙一兩 膠二兩  [受鴨]

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内163頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

 廿七日請沙三兩
                   受他田水主
                    収三嶋

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内163頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

「(背紙 以七月廿九日云々 ヨリ知呉原ノトコロ) 
廿五日自政所沙一兩 膠二兩[法花玄賛料者]
              受鴨筆
   廿七日自政所請沙三兩[受水主]三嶋    」
(後略)

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内164頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

 八月七日自内裏請沙一兩
                 檢納他田水主

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内164頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「本經論返送注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月29日

記事

 合四百冊【一】三卷[以外目録一卷]
  花嚴經七帙[七十卷漢手黄紙及表【繍帙】竹綵帙緋<綾>裏錦縁紫檀軸<綺帶>新譯
   又五帙[五十卷漢手黄紙及表竹帙二枚緋裏頂軸] 舊譯
   又六帙[六十卷漢手黄紙及表竹帙<綺帶>錦縁緋裏軸  舊譯
  法花經一部[八卷漢手黄紙及表竹帙錦縁緋<綾>裏白檀軸綺帶]
  十輪經一帙[十卷漢手黄紙及表【繍】竹綵帙白檀軸綺帯]
  新翻藥師經二卷[黄紙及表紫綺緒黒柿軸]
  心經一卷[白紙及表漆軸 故兵部卿(大伴牛養)手]
 
  雜經四卷[藥師經一卷 大仏頂經一卷 觀世經一卷 並漆軸 觀世經一卷 軸]
  遺敎經一卷[漢手黄紙及表〓≪あしぎぬ≫帶頂軸]
  順正理論八帙[【七十九卷】漢手黄紙及表竹<綺帶>縫帙錦縁三枚緋裏【四】五枚縁裏花軸金字題 欠四帙第六卷 牙占]

 顯宗論四帙[【卅七卷】漢手黄紙及表竹帙錦縁三枚緋<綾>裏一枚縁裏花軸金字題牙占 欠一帙第三九十卷]

 大智度論十帙[百卷漢手黄紙及表【繍帙】綺帶竹綵帙錦縁緋<綾>裏白檀軸帙<牙占>一枚无占]
  梵網經一卷[漢手黄紙及表白(マヽ)檀軸綺帶印]
  内裏經
  花嚴經第一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒沈軸竹帙錦縁紫裏紫(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 十輪經一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒紫檀軸竹帙紫縁錦裏(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 經論目録一卷[白紙无表及緒軸]「(追筆)已上納櫃一合」

 以前、為將用本、奉請件經、今依先數、奉返如前、
            天平勝寳二年七月廿九日

出典

『大日本古文書』11(353頁~354頁)(『正倉院文書』續々修十六帙四)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
   六月三日請頂軸陸仟壹佰參枚
    紙漆佰帳[帙經料]木綿三斤       受他田水主
                       檢収呉原「(自著)生人」
                       三嶋「(自著)宗麻呂」
(後略)

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内388頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
   九月七日納頂軸二百卅枚
                   知呉原生人
                    三嶋「(自著)宗麻呂」
                    鴨「(自著)書手」
(後略)

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内389頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
(紙端)
                      上馬甘
                      呉原「(自著)生人」
  九月八日納漆牀六前
    右、自造物所齋來如前、
                   収呉原生人
   廿四日納沙三兩 金靑四兩 白靑一兩 丹四兩 同黄一分
    白緑一兩 胡粉十兩 紫土五兩 膠廿兩 烟子四枚[中]
     右、爲奉造七仏藥師像、納如前、
                 受呉原    上馬甘
   廿五日納緑靑十兩 金薄壹伯枚 銀薄伍拾枚
                   受呉原生人
   廿六日納丹二兩 白靑一兩 白緑一兩
                   受呉原生人
   廿七日納金薄廿枚
               受呉原生人 上「(自著)馬甘」
   廿八日納金薄貳拾枚
                   受上馬甘
   廿九日納烟子六枚[小]
                   受上馬甘

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内390頁~392頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「寫書所告朔案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)4月5日

記事

(前略)
(紙繼目)
  寫書所解 申五月告朔事
合奉寫經并疏壹伯捌拾壹卷
   六十九卷千部法花經
   五十一卷金字花嚴經
   十卷壽量品
   五十一卷宮一切經之内[十三卷經 卅八卷疏]
  用紙肆仟肆伯壹拾漆張
   一千三百十六張千部法花經料
   九百十二張金字花嚴經料紫紙[且瑩三百九十張]
   六十張壽量品料
   七張瑜伽論料
   二千一百廿二張宮一切經料[二百卅八張經料 一千八百八十四張疏料]
  校紙陸仟捌伯玖拾張
   一千五百〓≪よんじゅう≫四張
   一千五百廿張金字花嚴經
   三千八百廿六張宮一切經内[四百七十六張經 三千三百五十張疏]
  裝〓≪さんずい+黄≫紙貳仟伍伯伍拾張
   一千二百張千部法花經
   三百張金字花嚴經
   五十張壽量品
   八百五十張宮一切經[三百五十張經 五百張疏] 已上並繼打界端切
   一百五十張間法華玄賛紙[繼打界]
(中略)
   經師七百廿六人
    一百八十八人寫千部法花經
    五人寫壽量品
    一人寫瑜伽論[已上人別寫七張]
    三百〓≪よんじゅう≫八人寫宮一切經疏[卅四人寫經人別七張 三百十四人疏<人>別寫六張]
    一百五十二人寫金字花嚴經[人別寫六張]
    十六人檢智憬師所梵網經疏
    九人造政所公文
    七人遣使[遣所々奉請經之類]
   題使十五人[々別題經一百卷]
   裝〓≪さんずい+黄≫漆拾參人
    廿四人造千部法花經紙
    一人造壽量品紙
    十七人造宮一切經疏紙[七人經紙 十人疏]
    三人造間法華玄賛紙[已上人別造五十張]
    十二人造金字花嚴紙[五人界人別百六十張 七人端切別一百張]
    四人造智憬師所梵網經疏紙
    十二人造政所公文紙[繼打界者] 
(中略)
   校生壹伯伍拾參人
    卅四人校千部法花經
    〓≪よんじゅう≫八人校金字花嚴經[廿五人見校  廿三人瑩人別十張 已上人別校六十張]
    六十七人校一切經之内疏[已上人別校紙五十張]
    四人遣使  
(中略)
  月中請物
   蘇方軸一百八十枚[一百枚着瑜伽論一百卷料 八十枚着八十花嚴經一部料]
   菟毛筆十九箇  返上故筆廿【九】四箇
   墨三廷[已上一切經之内疏料所請]
   紙一万一千五百八十九張
    穀紙二百〓≪よんじゅう≫張[奉寫智憬師所梵網經疏料]
    黄麻紙一千八百〓≪よんじゅう≫張[六百〓≪よんじゅう≫張先寫殘<宮>一切經料 一千二百張寫間法花玄賛料]
    色紙二千三百廿九張
     一千三百廿九張奉寫壽量品料
     一千張壽量品表紙料
    斐紙七千五十張寫宮一切經之内疏料
    凡紙三百七十張[三百張一切經之内疏式敷紙并端繼等料 七十張壽量品料色紙端繼等料]
   沙二分[間法花經疏料]
   金泥〓≪よんじゅう≫五兩[之中返上一兩]
   錢六百〓≪よんじゅう≫四文[六百〓≪よんじゅう≫文菟毛筆十六箇料箇別〓≪よんじゅう≫文 四文界料鹿毛筆二箇直箇別二文]
   阿膠二斤     綿一屯
   猪牙十七隻    銅佐良六口
   炭八籠[納五斗温阿膠料]
    已上奉寫金字經料
   洗布三丈四尺   帛一丈一尺五寸[並手巾料]
(中略)
   墨葛一斤     縄十三了[三了針縄者]
    已上造經師息所料
  以前、月中行事、顯注如件、以解、
           天平勝寳三年六月一日紫微中臺舍人他田水主
                         史生阿刀「(自署)酒主」
                         散位三嶋「(自署)宗麻呂
                           呉原「(自署)生人」
                            鴨「(自署)書手」
(紙継目)

出典

『大日本古文書』11(506頁~543頁の内515頁~523頁)(『正倉院文書』續々修三十八帙二)

「造東寺司請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)5月22日

記事

造東寺司
  雜阿含經一部五十卷[黄紙及表緑緒軸]紙帙
   納漆塗箱一合   帛巾一條[並岡寺]
    右、以大德宣、奉請如前、
         天平勝寳三年五月廿二日
             次官正五位上兼行大倭介佐伯宿祢「(自著)今毛人」
(後略)

出典

『大日本古文書』11(556頁~557頁)(『正倉院文書』續々修四十二帙五裏)

「借奉請經疏目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年付)8月3日

記事

借奉請經             
                                            「(異筆)竹帙一[錦縁緋綾裏]」「(異筆)奏了」
維摩<詰>經十卷[欠第六見九  「*九櫃」黄紙及表綺帶頂軸]十无盡〓經一卷[第□□□(長方形後半抜け)□□□(長方形後半抜け)]
仏説神符經一卷[紺紙金銀字赤紫綾表黑縁綾裏黄帶□□□(長方形後半抜け)「(異筆)奏了」       「(異筆)十櫃」]
子注般若經一卷[黄紙及綺帶朱軸「*十櫃」]
涅槃經〓《足+流の旁》二卷[竺道生 在印白紙无軸第十二]又仏性章一卷[□□□(長方形後半抜け)□□□(長方形後半抜け)]
弥勒成仏<下生>經〓《足偏+流の旁》一卷[在印白紙漆軸十二櫃]摩訶般若波羅蜜□□□(長方形後半抜け)
                            天平勝寶三年八月三日他田□□(水主)
      玄蕃頭王(市原王)                         阿□(刀)□□

出典

『大日本古文書』12(39頁~40頁(『正倉院文書』續々修16帙7)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日

記事

   廿四日紙五十張   濫丹二斤 沙五兩三分
     同黄一分

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内240頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月5日

記事

   廿六日〈布〉淨衣四領[別副袴] 蓆十枚 阿膠四斤
沙六兩二銖  銅黄五分 紫土一斤八兩
      折櫃一合  土師盤〈二〉口  塩杯二口  笥二合  片杯二口
     前蓆一枚

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内240頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月5日

記事

 四月一日 帛巾三丈二尺[又八尺]布單衣六領[副袴]布二端九尺
   湯帳【冠】秣等料 蓆十枚 布單衣四領[各副袴]
   布一端二丈[湯帳襪冠等料] 折櫃二合  笥五合
   片杯十口 塩杯十口[「返八口」](異筆)沙四兩 金靑四兩 白靑一兩
   炭一石  阿膠三斤

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内241頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

合綵色料十三種
沙二兩  金靑三兩  白靑二兩二分  同黄二分
胡粉【六】七兩三分[盡用] 丹六兩 大烟子〈十【六】〉三枚〈【十】三小〉[大盡用] 金薄七〈八〉十五〈三〉枚[盡用]
已上【銀薄五枚】見送
緑靑三兩[直卅文盡用]白緑一兩二分[六文盡用]紫土一兩二分[六文盡用]
銀薄十二〈七〉枚[廿四文盡用]膠九〈十四〉兩[廿七文盡用]合九十三文
  右奉造僧慎〓《人偏+尓》耶藥叉大將像一鋪料如前
又請胡粉一兩 【白靑二分】 烟子[十三小 八枚] 膠四兩
又銀薄五枚  金薄五枚 烟子五枚[小] 膠一兩
白靑二分[市]
又金薄三枚[受馬甘]
以前奉造藥叉〈僧慎〉【大將像】并大弁才天〈女〉像之料所殘如前
所殘丹返上政所[検受上毛野判官藏人下道主]

出典

『大日本古文書』12(252頁~254頁の内253頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

請丹合十【二】三種
  緑靑一斤   白緑二兩   丹十兩
  同黄一分   烟子九枚   胡粉一斤
  金薄三百枚  金墨半分   銀墨半分〈膠三斤八兩〉[已上九〈十〉種並盡用]
  金靑十四兩[用十一兩二分殘二兩二分] 沙五兩[用四兩三分四朱殘二朱]
  白靑十二兩[用八兩二分殘三兩二分]

出典

『大日本古文書』12(254頁)(『正倉院文書』續修29)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
注大品經五十卷[黄紙及表綺緒軸紙帙帛結緒]
文殊師利現寳藏經二卷  提謂經二卷
善辟〓《ボサツ》經二卷  毘羅三昧經二卷[黄紙及表綺緒漆軸紙帙已上水主親王宮經者]
  右以天平勝寳六年二月廿三日從藤原北家請來
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内289頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

法華經一部  最勝王經二部廿卷[並黄紙及表綺緒紫〈檀〉軸麁帙緋裏縁錦]
薩遮尼乾子經一部十卷[黄紙及表綺緒軸綵帙緋綾裏錦縁]
  右以二月廿七日自圖書寮請來[安置花嚴厨子]
             已上並收納呉原生人
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内290頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「仁王經奉請檢受注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月12日

記事

仁王經卅七部[卅六六部並黄紙及表綺緒軸一部黄紙及表綺緒无軸]
  竹綵帙十三枚[並緋裏錦縁〓《手+畷の旁》組帶]
   右自藥師寺奉請如前
              三月十二日検受呉原生人
「(馬養筆)仁王經一部[二卷]
  右以五年四月廿七日令<奉>請下毛寺付僧神裕 知上馬養」

出典

『大日本古文書』12(425頁)(『正倉院文書』續々修16帙6)

「呉原生人仁王經注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月23日

記事

仁王經十部廿卷[黄紙及表綺緒軸]又九部十七卷
  [十卷黄紙及表軸綺緒 七卷黄紙及表漆軸之中二卷□(紅カ)緒四卷綺緒]
            三月廿二日呉原生□(人)

出典

『大日本古文書』12(426頁~427頁の内427頁)(『正倉院文書』續々修14帙7)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

造東大寺司 牒〓《圖の国がまえなし》書寮
最勝王經拾部[一百卷【別部在帙】「(追筆)黄紙及表梨軸綺緒」]
觀世音經壹伯卷[並黄紙及表]【帙五枚】[【三枚着牙占】]
   八十卷漆塗軸      廿卷
    「(追筆)〓《果+衣》帙拾五枚三枚別在占 辛櫃一合布敷坐机<搨足>布綱二条」
以前依今日牒旨奉請如前以牒々至准状故牒[付從七位上阿世久人足]
          天平勝寳五年五月十三日主典阿刀(酒主)
次官佐伯宿祢(今毛人)         判官上毛野君(眞人)

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内433頁~434頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

仁王經十部廿卷[黄紙及表綺緒軸綵帙二枚緋裏組帶納明櫃一合又足別机一前 内堂經者]
  右依判官上毛野君主典阿刀連天平勝寳五年五月廿五日宣奉<請>〓《圖の国がまえなし》書寮
[使其寮仕丁守部荒國]
                    呉原生人
                    上「(自署)馬甘」
「(馬養筆)以已上六月十七日奉返了   收呉原      上馬養」

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内434頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

  稱揚諸佛功徳經三卷    沫眞天子經三卷
   摩訶摩耶經一卷      除恐〓《うかんむり+火》患經一卷
   孛經一卷          觀世音菩薩受記經一卷
    右六經十卷同帙[〓《よんじゅう》二帙]
   海龍王經四卷       首楞嚴三昧經三卷
   觀普賢菩薩行法經一卷    不思議光菩薩所問經一卷
   觀藥王藥上二菩薩經一卷[已上並黄紙及表綺緒紫檀軸]
    右五經十卷同〓《帙の異体字》(帙)[〓《よんじゅう》三帙]
   縁起聖道經一卷       稻芋經一卷
   自誓三昧經一卷       如来獨證自誓三昧經一卷
   龍施女經一卷        八吉祥神咒經一卷
   八陽神咒經一卷      八佛名号經一卷
   孔雀王咒經一卷[「一帙」]       咒五首經一卷
   七倶胝佛大心准提陀羅尼經一卷 無量門微密持經一卷
   舎利弗悔過經一卷      一向出生菩薩經一卷
   勝幢辟印陀羅尼經一卷     無崖際持法門經一卷
    「*右十五經十五卷同帙[紙帙]」
   金剛塲陀羅尼經一卷      華聚陀羅尼咒經一卷
   如來方便善巧咒經一卷     沫賴經一卷
   善巧方便陀羅尼咒經一卷   内藏百寳經一卷
   四不可得經一卷       温室洗浴衆僧經一卷
   私訶三昧經一卷       梵女首意經一卷
   寳網經一卷         菩薩修行經一卷
   諸德福田經一卷       大方等如來藏經一卷
    「*右十四經十四卷同帙[紙帙]」
   佛語經一卷         金色王經一卷
   〓《さんずい+うかんむり+ハ+田+ハ》道俗業經一卷       抹眞天子經二卷[「*一帙」]
   除恐〓《うかんむり+火》患經一卷       不思議光菩薩所問經一卷
   十住斷結經十卷[「*一帙」]     諸佛要集經二卷[「*一帙」]
   未曾有因縁經二卷[「*一帙」]     超日明三昧經二卷[「*一帙」]
   菩薩瓔珞經十六卷[「*二帙」]    大法炬陀羅尼經二十卷[「*二帙」]
   大威德陀羅尼経二十巻[「*二帙」]  東方最勝燈王如来經一卷
                           「*已上六經六卷同帙」
    已上黄紙及表綺緒[軸]
    灌洗佛形像經一卷[白紙黑紫羅表深綠綾裏綺緒白檀軸]報恩奉盆經一卷[黄紙及表銀軸]
    大金色孔雀王咒病結界文一卷[黄紙及表頂軸]佛頂尊勝陀羅尼經一卷[黄紙及表綺緖木黄檜(繪カ)軸]
    摩訶摩邪經一卷[黄紙及表頂軸綺緖]首楞嚴三昧經三卷[黄紙及表頂軸竹麁帙「*一帙」錦縁]
    觀藥王藥上菩薩(經脱)一巻[黄紙及表綺緖漆軸]賢劫經十三卷[黄紙及表頂軸紫緒竹麁帙「*一帙」錦縁破]
      「*右六經六卷同[紙帙]」
以前依今月十七日牒付便使膳大岡令奉請如件以牒

出典

『大日本古文書』12(470頁~473頁の内472頁~473頁)(『正倉院文書』續々修12帙2裏)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乘經
                「*黄紙及表軸綺帶」
放光般若波羅蜜經二部六十卷[【並綵】「*織」帙緋【綾】裏錦縁組帶 【可求第二帙】「*【一部唐手】 一部決【第】中【一】帙【一】」]
摩訶般若波羅蜜經【三】四部百廿<四>卷
  二部八十卷[並<「*黄紙」>綵帙緋【綾】裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[麁帙淺縁【綾】裏錦縁漆軸帛帶]
  一部四卷注[麁帙黄【綾】裏錦縁組帶]
又【第二帙】十卷[第二帙【綵】「織」帙緋【綾】裏錦縁組帶]
光讃般若波羅蜜經三部〓《よんじゅう》卷
  二部卅卷[並綵帙緋綾錦縁組帶「*【又音義一巻白紙无軸】]
  一部十卷[麁帙黄綾裏錦縁頂軸黄綾帶]
道行般若波羅蜜經【三】二部廿<【七】>卷[【二部廿卷 一部七卷无帙】【並】「*各」綵帙緋綾裏錦縁組帶]
小品般若波羅蜜經【三】「*四」部【廿七】「*卅四」卷
大明度無極經一部四卷无帙
  二部廿卷[並綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  【一】「*二」部七卷[「*一」麁帙緋綾裏錦縁組帶「*一无帙」]
勝天王般若波羅蜜經二部十四卷[並<「*各」>綵帙緋綾裏組帶<「*錦縁」>]
   「*已上第一櫃[敷帛<袷>帳一条四副]」
「*文殊般若經一巻  文殊所説般若經一巻已上二巻同帙麁帙紫縁緑裏組帶
濡首菩薩無上清浄淨分衛經一部二卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  「*百九十【七】「*八」巻舍衛國三巻婆伽婆〔之中二卷紫檀軸一軸〕」
金剛般若波羅蜜經二百部二百<一>卷[【並】麁帙【深】廿枚緑綾<裏>紫綾縁及帶漆軸]
「(擦消)【文殊般若經一巻」文殊所説般若經一巻】
能斷金剛般若波羅蜜<多>經廿部廿<一>巻[並麁帙緋綾裏錦縁組帶]
仁王護國般若波羅蜜經卅【一】五部六十<【三】五>卷[綵帙三枚緋綾裏錦縁組帶之中【二】四部漆軸一卷白木軸一卷軸]
  【廿九部軸】
  【二部漆軸】
般若波羅蜜多經理趣分【八】九十部【八】九十卷[麁帙八枚緋綾裏錦縁組帶]
   「*已上二櫃帛帳」
般若波羅蜜多心經三千七百卷[麁帙一枚緋綾裏錦縁]
大寳積經一部一百廿卷[无帙]
   「*已上三櫃」
大方廣三戒經一部三卷[綵帙]无量清淨平等覺經二卷[麁帙縁綾裏紫綾帶組]
无量壽經一部二卷[綵帙]  觀无量壽經九卷[麁帙]又二卷[銀軸无帙]
又四卷[一卷白紙无軸一卷白檀軸一卷頂軸]
阿〓≪門+人人人≫仏國經一部二卷[綵帙]
發覺浄心經一部二卷[綵<鹿>帙緑綾裏紫綾緑組帯]
[聖善住意佳意天子所問經三巻綵帙]
毘邪婆問經一部二卷[綵帙【已上緋綾裏錦縁組帯】]
大方等大集經二部百巻[【並】綵帙十枚【緋綾裏錦縁組帯】已上緋綾裏錦縁組帯]
大集【月】日藏經一部十巻[无帙]
大集月藏經一部十巻[无帙]
大乗大集地蔵十輪經十<二部廿>巻[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯「一部无帙」]
大方廣十輪經【三】四部【廿四】卅二巻
[一部八巻]
一部八巻[綵帙緋<上二部並>綾裏錦縁組帯]
一部八巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
一部八巻[欠第八巻 鹿帙黄綾裏錦縁 銀軸]
(中略)
寳星陀羅尼經二【十】部<十>廿巻[大方等大集菩薩念仏三昧經十巻〔无帙〕大哀經二部十六巻 奮迅王問經二卷〔綵帙〕]
   一部十巻[鹿帙黄綾裏破]    一部八巻[綵帙]  一部八巻[綵帙]
                      「*佛説无言菩薩一巻」
   一部十巻[帙形未詳]
(中略)
大般若涅槃經【〓《よんじゅう》卷】七部二百九十八卷
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第三帙第五卷白紙及表銀軸綵帙縹綾裏紫綾縁及帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻綵帙緋綾裏錦縁組帶金塗頂安靑玉軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[白檀軸綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻鹿帙緋綾裏錦縁組帶漆軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻无帙]
(中略)
大般泥〓≪さんずい+亘≫經二部十二卷
  一部六卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帶]
  一部六卷[无帙]
方等般泥洹經一部二巻[鹿帙緑綾裏紫綾緑組帶]
  四童子三昧(經脱)一部三卷[綵帙]
  大悲經一部五巻[綵帙]
  普曜經一部八卷[綵帙]
「妙」法<蓮>華經十七<八>部百【百六】卅四卷
  七巻法華經五部
    一部七巻[綵帙錦緑緋裏白玉軸]
    一部七巻[綵帙白橡〓《あしぎぬ》縁淺縁<緑>綾裏白玉軸]
    一部七巻[白檀軸綵帙錦縁緋綾裏]
    二部十四卷[綵帙錦縁緋綾裏]
觀世音經二百〓《よんじゅう》四卷[鹿帙八枚緋〓《あしぎぬ》裏錦縁紫〓《あしぎぬ》帶]
(中略)
  八部六十四卷[水精軸鹿帙牙籖]
   一部八卷[金鏤軸天人并獸形繍帙緋綾裏錦縁]
   一部八卷[繍帙緋□]
   一部八卷[鹿帙錦縁緋綾裏]
   一部八卷[梨軸无帙]
   一部八卷[紫檀軸鹿帙緋綾裏錦緑組帶]
正法花經二部廿卷[帙二枚 一枚鹿帙]
【維摩詰所説經三卷【≪二部六≫[【鹿帙緋綾裏錦縁組帶】一部黄【紙】縹綾表水精軸 鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
【注維摩詰經无垢称經六卷】[「*二部十二卷无帙」【无帙】] 大方等頂王經六卷[鹿帙(錦脱カ)縁綾裏紫綾縁組帶]
「(附紙[維摩詰所説經云々ノ上])
維摩詰所説經三分九卷[一部黄紙縹綾表水精軸一金塗銅軸<鹿帙緋綾裏錦縁組帶>〔无帙〕]
注維摩詰經二部十四卷[一部八卷欠一二三四卷一部六卷欠第一二三卷並頂軸无帙]
諸无垢称經二部十二卷[並无帙]
(中略)
金光明最勝王經四部〓《よんじゅう》卷
  二部廿卷[並紫檀軸鹿帙緋綾裏錦組帶]
  一部十卷[鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部十卷[无帙]
   「*已上第六櫃[帛帳]」
【金】合部金光明經【卅九】〓《よんじゅう》部三百【十二】廿卷[十九部漆軸綵帙一枚鹿帙卅九枚緑綾裏紫綾縁組帶]
金光明最勝王經懺悔品六十卷[五十二卷漆軸鹿帙五枚之中四枚緑綾裏紫綾縁一枚緋綾裏錦縁]
金光明經〓《よんじゅう》部百六十卷[廿部漆軸鹿帙〓《よんじゅう》枚緑綾裏紫綾組帶「*出別生所」]
    「*已上七櫃[帛帙]」
(中略)
道神足無極變化經四卷[綵帙]「(追筆)又二巻[靑玉軸无帙]」
寳雨經【五】十卷[欠第一六四三七巻 无帙]
寳雲經七巻[綵帙□]
阿惟越致經三卷[綵帙]
不退転法輪經【四卷】二部八卷[【无帙】一部四卷无帙 【鹿帙一帙】一部四卷鹿帙]
廣博嚴淨不退転法輪經六卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁組帶]
集一切福德三昧經三卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶]
持心梵天所問經四卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶一部无帙]
思益梵天所問經四卷[綵帙「鹿帙黄綾裏錦縁組帶」]
勝思惟梵天所問經<二部十>【六】二卷[无帙一部鹿帙深緑綾裏紫縁組帶]
(中略)
分別縁起初勝法門經二卷[鹿帙紫綾縁組帯]
楞伽阿跋多羅寳經四巻[鹿帙紫綾縁緋綾裏組帯]
入楞伽經三部廿八巻「(擦消)綵帙」[一部<十巻>綵帙一部十巻頂軸鹿帙緋綾裏錦縁組帯一部八巻鹿帙緋〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
(中略)
大方等大雲經二部十二卷[鹿帙]
  一部六巻[綵帙]
  一部六巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯頂軸]
(中略)
灌頂經八巻[鹿帙黄綾裏錦縁細組帯頂軸]
又第八巻廿卷[鹿帙二枚緋綾裏錦縁組帯]
藥師瑠璃光如来本願功徳經八十巻[鹿帙八枚緋綾裏錦<縁>組帯]
藥師瑠璃光【如来】七仏本願功徳經十八部卅六巻[三部漆軸鹿帙四枚緋綾裏錦縁組帯]
又三巻[二卷紫檀軸一巻漆軸无帙]
阿闍世王經二卷[鹿帙紫綾縁深縁(緑)綾組帯]
(中略)
【无量壽經二卷】[【銀軸无帙】]
弥勒下生經十巻[塗金軸端坐<靑>玉綵帙]
順權方便經二卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁帯組]
「*六度集經八巻[綵帙]文殊師利菩薩問菩薩經一巻」「*伽那頂經一巻」
無上依經二卷[綵帙]「*仏説乳光經一巻[頂軸]」
「*文殊師利問法身經一巻 文殊戸利菩薩行經一巻 佛説八陽經一巻」
千手千眼觀世音菩薩廣大圓満無碍大悲心陀羅尼經十<一>巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯「十一部」]
孔雀王咒經二卷[綵帙]「(追筆)又二卷[〓(カ)頂軸无帙]」
十一面神咒心經(「五十部」)五十巻[卅卷漆軸十巻紫檀軸鹿帙五枚二枚深縁(緑)綾裏錦縁組帯三枚緋綾裏錦縁組帯]
「*文殊師利菩薩六字咒功能法經一巻[无帙]」
仏頂尊勝陀羅尼經八十【六】「九」巻[木繪軸鹿帙九枚縁(緑)綾裏紫綾縁組帯「*八十九部」]
(中略)
仏名經三部卅六巻
  二部廿四巻[【並】綵帙二枚]
  一部十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁无帯]
三劫三千仏名經三巻[綵帙]「*又二部二卷<以三巻複為二卷>又四巻[之中一巻无軸并賢劫者]」
五千五百仏名經八巻[綵帙]「(追筆)不思議功徳經二卷[无軸及帙]又不思議功徳經二卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯]」
(中略)
又仏名經廿巻<二部(卷カ)>
  一部十巻[无帙鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
  一部十<【六】>巻[无帙] 【一部十六巻[无帙]】
又仏名經十二巻[紫紙金字經紫羅表繪軸綵帙緋綾糸]
(中略)
大吉義神咒經四巻[綵帙]已上綵帙緋綾裏錦縁組帯
(後略)

出典

『大日本古文書』12(473頁~489頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乗經雜
(中略)
胞胎經一巻   法鏡鏡【二】三巻[一巻漆軸]
(中略)
太子和休經一巻  慧上菩薩問(大脱カ)善權經二卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯]
(中略)
无量義經一巻[白玉軸]  大方等頂王經一巻
(中略)
大雲請雨經一巻[无軸]  諸法无行經<二>卷[漆軸]
(中略)
徳護長者經二卷[鹿帙縁(緑)綾裏紫縁組帯] 伽耶頂經一巻
(中略)
犢子經一巻[黄表頂軸]  乳光佛經一巻
(中略)
不空羂索咒經【二】三巻[一巻漆軸]  不空羂索<神>咒心經【二】三巻
(中略)
尊勝菩薩所問一切諸法門經【一巻】四<三>巻銀軸  金剛上味陀羅尼經一巻
(中略)
温室經一巻[黄表白金軸]  〓≪さんずい+頁≫頼經一巻
菩薩生地經一巻         菩薩縁身五十事經一巻
大方等如來藏經一巻[白金軸] 百仏名經一巻
(中略)
【大寳積經一帙十巻[大乗經二寫]】
「*一」大乗律
菩薩持地經三部廿六巻[二部十六巻鹿帙二枚緑綾裏紫綾縁組帯一枚表綾裏及帯紫綾縁]
菩薩善戒經九巻[綵帙]  浄業鄣經二卷
優婆塞戒經二部十四巻
  一部七巻[綵帙]  一部七巻[鹿帙黄綾裏錦縁頂軸]
梵網經二巻[綵帙]  又二卷[綵帙]
菩薩瓔珞本業三部六巻  又一部二卷[頂軸无帙]
  一部二卷[綵帙]
  一部二卷[白紙及表靑玉軸鹿帙黄綾裏錦縁組帯]
  一部二卷[无帙]
(中略)
文殊師利浄律經一巻  清浄毘尼方廣經二巻[一巻頂軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(489頁~497頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

          「以上九櫃」(○コノ書左半ヲ存ス)
【大】大乗論
大智度論一百巻[鹿帙十枚緋〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
十地論十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁組帯]
金剛般若波羅蜜經論三巻[无帙頂軸]「(追筆)法華論一巻[漆軸]」
涅槃論〓《よんじゅう》<五十>卷[鹿帙<五枚>[緋綾裏錦縁綺帯]「*涅槃經本有今無偈論一巻」
瑜伽師地論一百巻[鹿帙<十枚>緋綾裏錦縁組帯]「(追筆)又瑜伽論第二帙十巻[无帙]」「*又四巻[第卅一卅二卅三卅四者]」
大乗阿毘達磨雜集論十六巻[綵帙染軸]「(追筆)中論五巻[靑玉軸]」「*中觀論一部五巻[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
十二門論一巻[靑玉軸] 「*又一部[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
顕楊聖教論廿卷[欠上帙无帙]「*又一部二卷[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
百論二卷[靑玉軸]   「(追筆)又一部十巻[綵帙]」
百法門明論一巻
大荘嚴論十巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯頂軸]「(追筆)又十三巻[无帙]」
順中論二卷[靑玉軸]
攝大乗論釋十五巻[綵帙紺〓《あしぎぬ》裏緋綾縁无帯]「(追筆)又一部十五巻[无帙頂軸]」
攝大乗論釋十巻[綵帙 世親]
攝大乗論釋十巻[鹿帙緋綾裏錦縁帯組白檀軸无性]「(追筆)又十巻[无性 染軸无帙]」
究竟一乗寳性論四巻[鹿帙緋綾裏錦縁頂軸]
攝大乗論廿卷[一部帙性白檀軸一部隠大業■並无【性】帙]
因明入正理論二卷
唯識論一巻[頂軸]
  【唯】唯識論<二部>廿卷[一部十巻綵帙紫檀軸一部十巻鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
  起信論一巻[頂軸]
「*一」右【九】十一論十七巻同帙[鹿帙綾〓≪糸+表≫(マヽ)裏紫綾縁〓≪糸+表≫(マヽ)綾帶]
「(追筆)大乗阿毘達磨集雜論十六巻[无帙]」
        「*【已上第十櫃[帛帷]】」
大乗成業論一巻 唯識廿論一巻 大乗五蘊論一巻
發菩提心論一巻[綵帙]
    「*以上二十櫃」

出典

『大日本古文書』12(498頁~499頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
三 以上三巻同帙[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯] 一部十八巻[无帙]
  毘二母經二部十六巻[一部八巻鹿帙縁(緑)綾裏紫綾縁裏組帯一部八巻无帙]
阿毘達磨發智論廿卷[二帙无帙]
阿毘達磨大毘沙論二部四百巻[一部二百巻无帙軸一部二百巻欠第三十二十三廿卷无帙]
        「*已上第十二櫃」
阿毘達磨倶舎論卅卷[鹿帙三枚緋綾裏錦縁組帯]
阿毘達磨顕宗論〓《よんじゅう》卷[四帙漆軸无帙]
        「*【已上第十二卷】」
雜阿毘曇心論三部廿六巻[一部十一巻鹿帙緋綾裏錦縁組帯頂軸一部十一巻欠第二卷无表軸及帙白紙一部四巻漆軸无帙]
阿毘達磨順正理論八十巻[八帙漆軸无帙]
成實論十六巻[紫【皮】革頂軸]
立世阿毘曇論十巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯頂軸]
  「*部執異論一巻」
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内510頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
脩行道地經二部十四巻[一部七巻鹿帙縁(緑)綾裏紫綾裏縁組帯一部七巻无帙]
付法藏經六巻[綵帙]
坐禅三昧經二巻[綵帙] 「*仏醫經一巻 迦葉赴佛般涅槃經一巻」「*菩薩阿色欲法經一巻」
「*金剛力士哀戀經一巻 迦栴廷説法設書偈經三部三巻」[「*仏治身經一巻治意經一巻」「一巻无帙」]
雜寳藏經二部廿卷[一部十巻綵帙一部十巻鹿帙【並】緋綾裏錦縁組帯頂軸]
   「*那先經<二部>二卷」
法句辟唯經四巻[无帙]  迦葉結經一巻
「*龍樹菩薩為禅陀迦王説法要偈万部」
釈迦譜五巻[鹿帙緋綾裏錦縁頂<无帯>軸]
(中略)
一切經音義廿六巻[二帙无軸及帙]「*受用三水要行法一巻」雜咒集三部卅卷[一部十巻无帙一部十巻欠第三十巻无軸破鹿帙一部十巻鹿帙緑綾裏紫綾縁及帯]
一切經目録五巻[无帙无軸] 六度集八巻[綵帙「*已上三部无開録」]
    「*已上第十三櫃[帛帷」
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内512頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「呉原生人請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)3月18日

記事

               「(異筆)大唐」
花嚴經一部六十巻[黄紙及表綺緒紫土軸竹綵帙廿一部之内者]
大集經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表綺緒軸竹綵帙]
大品經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表漆軸竹綵帙]已上並面書寮者
  右 依少僧都(良辨)并次官佐伯宿祢(今毛人)天平勝寳六年三月十八日宣 令奉請鑒眞師所
                       知上馬養
                        呉原「(自署) 生人」

出典

『大日本古文書』13(63頁~64頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)7月30日類収

記事

寫經司解 申奉寫法華(經脱)所請用物事
  寫法華經一百<壹伯>部[八百巻]  
請經紙一部[紫紙]【一万六千二百七十】壹萬陸仟貳伯漆拾張
   一万六千一百張白紙
   一百七十張紫紙
  用紙【一万五千九百六十】壹萬伍仟玖伯陸拾張
   一万五千七百九十六張白
   一百六十四紫
  破并空紙【二百六十七】貳伯陸拾漆張
   二百六十四張白
   三張紫
  遺【〓≪よんじゅう≫三】肆拾参張
   〓≪よんじゅう≫張白
   三張紫
  調【色紙七百卅六】漆伯参拾陸張
   五百卅六張端繼料[以二枚着三巻紙]
   二百張式并敷紙料
  〓《衣偏+票》紙【四百】肆伯張[以一枚着【二巻】經二巻]
  金泥【八】捌兩【一】壹分
  用【七】漆兩[以一分寫紙五枚七分之六]
(中略)
  【鹿毛筆廿箇】 墨六十九廷[用六十四廷 遺五廷]
  頂軸【八百】捌伯枝
(中略)
  黄檗【一百六十八斤】壹伯陸拾捌斤[大]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(87頁~91頁)(『正倉院文書』続々修3帙1裏)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)7月30日類収

記事

「(異筆)法華經時案文」
「(楽書)寫經司解」
寫經司解 申奉寫法華經所請用物事
    寫法華經壹伯部[八百巻]
     九十九部白紙
     一部紫紙
請經紙壹萬陸仟貳伯漆拾張
     一万六千一百張白紙
     一百七十張紫紙
  用紙壹萬伍仟玖伯陸拾張
     一万五千七百九十六張白紙
     一百六十四張紫紙
  破并空紙貳伯陸拾漆張
     二百六十四張白紙
     三張紫紙
  遺紙肆拾参張
     〓≪よんじゅう≫張白紙
     三張紫紙
(中略)
  金泥捌兩壹分
(中略)
  墨陸拾玖廷
     用墨六十四廷
     遺墨五廷
  頂軸捌伯枝
(中略)
  黄檗壹伯陸拾捌斤[大]
(中略)
薪壹拾束 黄檗煮料
(後略)

出典

『大日本古文書』13(92頁~97頁)(『正倉院文書』続々修17帙3裏)

「造東寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7年(西暦755年)5月27日

記事

  十八枚麁帙[十五枚緑綺裏紫綾縁組帯]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪經十巻[紙帙「*无帙」]<已上並黄紙及表綺緒朱軸*「並漢手」>  大乗悲分陀利經七<「*八」>巻[「*一帙」]
  正法華經十巻[「*一帙」]  十往經四巻[已上並黄紙及表紫斑緒緒軸 「*无帙」]
  金光明經八巻[黄紙及表紫緒軸 *「一帙」]  大哀經八巻[黄紙及表浅緑斑緒頂軸*「漢手」「*一帙」]
  唯(維)摩經三巻[黄紙縹綾〓≪あしぎぬ≫表浅緑斑緒水精軸「*漢手」「*无帙」]
「*十輪經八巻黄紙及表橡緒軸一帙已上面書寮[經并帙大唐者]」
(後略)

出典

『大日本古文書』13(142頁~144頁)(『正倉院文書』続々修38帙6裏)

「圖書寮經散集」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756年)7月2日

記事

(前略)
  法花經十七部
   八巻法花經□□□(十二部)
    八部並黄紙及表綺□(緒)□軸□牙籖
    一部黄紙紺(マヽ)□表綺緒□□鏤軸天人并獣形繍帙緋綾裏錦縁
    一部黄紙及表綾緒軸□□緋錦裏
    一部黄紙及表軸麁帙錦縁緋綾裏
    一部黄紙及表綺緒梨軸綵帙緋綾裏錦縁籖牙
   七巻法花經五部
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙錦縁緋裏
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙白橡〓≪あしぎぬ≫縁浅緑綾裏
    一部黄紙及表綺緒白檀軸綵帙錦縁緋綾裏
    二部並黄紙及表綺緒軸綵帙錦縁緋綾裏
以前 依廿七日牒旨 付筆生大戸園万呂 令請図書寮
  七仏所説神咒經一部四巻[黄紙及表綺緒軸綵帙緋綾裏錦縁組帯]
   右 依定戒尼師七歳四月廿二日宣 令請因幡宮 [付畠賢達]
  密跡金剛力士經一部八巻[黄紙及表綺緒軸]麁帙[赤紫綾縁深緑綾裏組帯]
   右 依來牒旨  付便使大隅公足 令請寳積經勘所
  善臂〓〓≪草冠二つ 菩薩≫(菩薩下同ジ)經二巻  護國〓〓≪菩薩≫所問經二巻
  寳梁經二巻[已上並黄紙及表綺緒軸綵帙]
   右 付舎人大隅公足 令請寳積經勘所 [【付】]
                七歳五月六日
(中略)
阿含正行經一巻 阿含口解十二因縁經一巻 泥犁經一巻[已上並黄紙及表綺帯軸]
(中略)
密嚴經三巻[已上並黄紙及表綺緒軸]菩薩地持經八巻
(中略)
解密經一部五巻[黄紙及表紫綺緒紫檀軸]
(中略)
大品般若經〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(172頁~178頁)(『正倉院文書』続々修12帙6)

「圖書寮經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756)7月2日類収

記事

 縁起聖道經一巻      稻芋經一巻
(中略)
  已上黄紙及表綺緒軸(以下九字擦消)
灌洗佛形像經一巻[白紙黒紫羅表深緑綾裏綺緒白檀軸] 報恩奉盆經一巻[黄紙及表銀軸无緒]
大金色孔雀王咒經一巻<「*病結界文」>[黄紙及表頂軸] 佛頂尊勝陀羅尼經一巻[黄紙及表綺緒木繪軸]
摩訶摩邪經一巻[黄紙及表頂軸綵緒經] 首楞嚴三昧經三巻[黄紙及表頂軸无緒「*一帙」]
觀薬王上菩薩<經>一巻[黄紙及表綺緒漆軸] 賢刧經十三巻[黄紙及表頂軸紫緒竹「*一帙」]
  已上一百卅四巻図書寮經者[經并帙大唐者]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(178頁~192頁の内178頁~181頁)(『正倉院文書』続々修12帙7)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

東大寺
奉請大般若經一部六百巻[並黄紙及表綺帯軸]麁帙六十枚
  納漆辛櫃三合[別敷三副帛袷帳 又緑三副半袷覆]別居榻(足脱カ)机 「(異筆)返請」
           天平勝寳九歳正月廿三日工石主
「已上以月廿八日奉返如件」      上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿六日奉請大乗經壹百八十三部壹千九十七巻[並黄紙及表軸綺帯]紙帙
  納漆辛櫃六合[別敷三副<袷>帛帳 乙二 丙一 丙二 丁一 皀三副袷覆一條 丁二 戊一櫃者]各居榻足机
                   使工石主
                    上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿八日奉請大并小乗經三百六十四部六百五十四部[並黄紙及表綺緒軸 紙帙]
  納漆<〓≪泥+土≫>辛櫃三合[二合別敷三副帛袷帳 別居榻足机 皀三副袷覆二條 又足別机一前 戊二己一櫃 无名櫃]
「(異筆)返請」           使上馬養
                    勝繼人

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内209頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

二月四日奉請<大>小乗經二百十<二>部四百廿【六】八巻[並黄紙及<表>綺帯軸]紙帙
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃二合[別敷三副帛袷帳 巳二 庚一櫃者] 別居榻足机
                         使工石主
                          上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内209頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

東大寺令奉請經
九歳正月廿三日 大般若經一部六百巻[並黄紙及表綺帯軸]麁帙六十枚
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃三合[別敷三副袷帛帳 又緑三副半袷覆]別居榻足机 
             「(自署)上坐尼敬稱」 「(自署)都維那尼善第」           
「(異筆)已上以月廿八日奉返如件  収」 「(自署)寺主善光尼」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿四日奉請大乗經二部二百巻[並黄紙及表綺帯軸]紙帙「(異筆)返請」
  納漆辛櫃一合[敷三副袷帛帳 又皀三副袷覆] 乙一櫃者 居榻足机
      「(自署)上坐尼敬稱」 「(自署)都維那尼善第」
「(自署)已上以二月四日奉返如件 検納」「(自署)上坐尼敬稱」「(自署)寺主尼善光」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿六日奉請大乗經一百八十三部一千九十七巻[並黄紙及表綺帯軸 紙帙]
   納漆〓≪泥+土≫辛櫃六合[別敷三副袷帛帳 皀三副袷覆一条 乙二 丙一 丙二 丁二 代(戊)一櫃者]
  別居漆〓≪泥+土≫榻足机
                  「(自署)上坐尼敬稱」
                  「(自署)都維那尼善第」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁~211頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿八日奉請大小乗經三百六十四部六百五十四部[並黄紙及表綺緒軸 並紙帙]
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃三合[二合戊二己一別敷三副帛帳各居榻足机 一合无名又皀<袷>覆二條三副足別机一前]
「(追筆)以二月四日奉返注經四部八十六巻   上坐尼「(自署)敬稱」 
            勘納都維那尼     寺主尼「(自署)善光」  
             「(自署)寺主尼善光」都維那尼「(自署)善第」
             「(自署)上坐尼敬稱」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内211頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

二月四日奉請<大>小乗經二百十<二>部四百廿六<八>巻[並黄紙及表綺帯軸 紙帙]
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃二合[別居漆〓≪泥+土≫榻足机 敷三副帛袷帳 巳二 庚一櫃者] 
                       都維那尼(善第)
上坐尼「(自署)敬稱」
寺主尼「(自署)善光」

天平勝寳九歳二月十日奉返一切經七百六十二部二千九百□□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内211頁~212頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「畫師行事功銭注進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)4月9日

記事

右方花實壹拾肆果之中[花枚貳伯貳拾肆枚 花枚長<各>二尺 廣一尺一寸 花實廣度四尺方 高二尺]
   合惠師(マヽ)貳拾壹人之中[彩色十六人 堺一人 塗白土緑青并同黄三人 花實沙堺畫一人 花枚木畫一人]
(中略)
塗白土緑青并同黄三人    「*銭六十文」
   穴太石勝  四果[一果充功五文 功十七文]<白土花枚百五十四枚[功十四文]> 大伴子松  四果[功十七文]<白土花枚[塗りつぶし]<五十>枚>
   私部安万呂  六果[功廿六文]
堺畫沙花實一人<白土花枚廿枚>        雀部浄人  十四果[一果充別十五文 功二百廿文]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(234頁~236頁)(『正倉院文書』続々修45帙6裏)

「寫千卷經所錢并紙衣等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)6月21日~8月24日

記事

(前略)
十三日収納頂軸四百枚
   右 東市庄領等買取進上 領納如件
                     主典案都宿祢
                     案主建部廣足
                      佐伯
(後略)

出典

『大日本古文書』13(243頁~252頁の内249頁)(『正倉院文書』続々修43帙5)

「東大寺寫經所食口帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)8月30日

記事

(前略)
所用錢參拾貳貫玖(捌カ)拾伍文
  三貫六百八十文菟毛筆九十二管直[管別〓≪よんじゅう≫文]
  六百卅文墨廿一廷直[廷別卅文]
  十文凡墨二廷直
(中略)
  卅文阿膠十兩直
  一貫四百文頂軸一千一百廿枚直
(後略)

出典

『大日本古文書』13(337頁~352頁の内346頁~352頁)(『正倉院文書』続々修38帙7)

「元興寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)8月9日

記事

元興寺三綱牒  造東大寺司
  千手千眼經伍拾卷[黄紙黄表綺帯頂軸並斐紙]
   右件經 依來數領納已訖 今具事状 以牒
         天平寳字二年八月九日少都維那「徳勝」(自著同ジ)
上〓「〓敎」
寺主「了行」

出典

『大日本古文書』13(483頁~484頁)(『正倉院文書』続々修39帙3裏)

「造東寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)8月17日

記事

造東寺司 牒菅原寺三綱務所
  千手千眼<經>伍拾卷[黄紙黄漂(マヽ)綺帯頂軸]
   右 得佐官平榮師今月八日口状云 被少僧都慈訓同日宣〓 件經寫轉讀千手千眼悔過所奉請者 今依宣旨 奉請如件 故牒
     天平寳字二年八月十七日主典正八位上安都宿祢「(自署)雄足」
次官從五位下高麗朝臣(大山)

出典

『大日本古文書』13(485頁~486頁)(『正倉院文書』続々修3帙8裏)

「後金剛般若經料錢下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758年)9月1日~11月

記事

十日下錢十文荼卅把直 又下錢三百九十六文「*封里足」
   頂軸二百五十枚直 又布一端菓子直料[買得錢二百七十文] 「*封里 里足」
   又下錢四百文藥四斗直 雇人功十文 「*封」
     「*里 足」
               主典安都宿祢
                 佐伯里足

出典

『大日本古文書』14(3頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙八)

「後金剛般若經料錢下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758年)9月1日~11月

記事

十九日下錢二百〓≪よんじゅう≫五文 二百十文〓≪竹冠+毛≫
            卅五文鹿毛〓≪竹冠+毛≫廿管朱頂軸十枚直 「*封里足」
               案主佐伯里足
                 上

出典

『大日本古文書』14(4頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙八)

「後金剛般若經料錢下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758年)9月1日~11月

記事

「(異筆)不」
  五日下錢二百卅文[八十文筆<二>直  五十文頂軸直 一百文油二升直]「*封里足」
                  主典安都宿祢「(自署)雄足」
                  案主佐伯里足
十月
五日下錢<壹伯捌拾文>貳伯參拾文[八十文菟毛筆二管直一百文油二升直 五十文頂軸五十枚直「*返油」]「*馬養」
                           主典安都「(自署)雄足」
                           案主上馬養

出典

『大日本古文書』14(8頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙八)

「後金剛般若經料錢下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758年)9月1日~11月

記事

(前略)
  □□□□(日下錢)壹伯參拾伍文[七十文岡大津返上筆并墨直 五十文頂軸 五十枚直返納者 十五文先殘内之]「*封馬」
(後略)

出典

『大日本古文書』14(14頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙八)

「後金剛般若經裝〓≪さんずい+黄の近似文字≫紙等下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758年)9月2日~11月24日

記事

(前略)
  又綺八丈<市>[司大般若并大唐僧等經料下充如件付宮門日野万呂 又頂軸卅〔六〕枚 繪軸卅四<五>枚〔用如上件〕又下紙五〔端繼料付阿刀水通〕]
               主典安都「(自署)雄足」案主上馬養

出典

『大日本古文書』14(22頁)(『正倉院文書』續々修二十八帙二十一)

「後金剛般若經料雜物收納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758年)9月17日~天平寳字3年4月26日

記事

(前略)
  十月五日自東市納頂軸五十枚[使仕丁佐伯金足]
    右、為着大唐僧等大般若并雑經、納如件、
   胡麻油二升[炬堂料]
                     主典安都「(自署)雄足」
                     案主上馬養
(後略)

出典

『大日本古文書』14(74頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙五)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758年)9月収

記事

造東寺司
合奉寫經二千四百卷
  金剛般若經一千卷
   五十卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶繪軸]
   六十<二>卷[社(杜)中紙縹〓≪衣偏+票≫綺帶黑柿軸]
   二百九十<五>卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   二百卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   四百<三百九十三>卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶頂軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(182頁~183頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙五裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)9月

記事

(前略)
  千手千眼經一千卷
   廿卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   一百卷[斐紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   二百卅卷[斐紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶頂軸]
   六百五十卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶頂軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(183頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙五裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758)9月

記事

(前略)
  新羂索經一十部二百八十卷
   五部一百〓≪よんじゅう≫卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶黒柿軸]
   五部一百〓≪よんじゅう≫卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
  藥師經一百廿卷
   一百卷[染麻紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶頂軸]
   廿卷[染麻紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(183頁~184頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙五裏)

「東大寺寫經所文書案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758)10月11日

記事

 東大寺寫經所
   請錢五貫四百文
    三貫六百文綺一百八十丈直料[尺別二文]
    一貫八百文頂軸【一百廿】一千二百枚直料[以二枚充錢三文]
    右【為】将奉着金剛般若經一千二百卷料綺軸<等>直、所請如件、
            天平寶字2年十月十一日主典正八位上安都宿祢
(後略)

出典

『大日本古文書』14(188頁~189頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「奉作阿弥陀佛像并寫經用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(760年)4月26日

記事

(前略)
    六百六十文墨廿二廷直[別卅文]
    一貫五十文綺七十丈直[以二尺充三文]
    二百八十八文頂軸三百六十枚直[以一百枚充八十文]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(337頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙十五)

「奉作阿弥陀佛像并寫經用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(760年)4月26日

記事

(前略)
    六百六十文墨廿二廷直[別卅文]
    一千五十文綺七十丈直  二百八十八文頂軸三百六十枚直
    廿五枚凡紙五十直 二百五十四文〓≪尸冠+非≫卅兩直[十四兩別九文 十六兩別八文]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(343頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙十五)

「御願經奉寫等雜文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)8月2日

記事

(前略)
  東寺寫經所
  請綺并朱頂軸直錢事
   合可用錢一千四百一十文[七百十文經所殘錢便用 七百文今可請所]
    一千五十文綺七十丈直[以三文充<綺>二尺]
    三百六十文頂軸四百五十枚直[以八十文充軸一百枚]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(380頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六)

「御願經奉寫等雜文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)8月2日

記事

(前略)
  東大寺奉寫經所牒 大和國寫經所
  合【奉】稱讃淨土經壹拾卷
    一卷[白紙 白〓≪衣偏+票≫破壊 漆塗軸 紫斑【緒】帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 軸 彩綺帯] 一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 靑綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 漆軸 靑綺帯] 二卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 漆軸 綺帯 以九月廿九日収了]
    一卷[黄黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 軸 綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 漆軸 紫組帯] 一卷[白紙靑〓≪衣偏+票≫ 軸 靑綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 軸 紫綺帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(399頁~400頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六)

「奉寫一切經所解牒案等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761年)正月6日

記事

(前略)
(紙継目)
奉寫一切經所
  合奉請經六卷[並黄紙及〓≪衣偏+票」≫綺帶]
   浄業障經一卷[軸内堂一切經内]
   菩薩戒本一卷   菩薩善戒經一卷
   菩薩内戒經一卷
   金剛三昧本性清浄不壞不滅經一卷
   虚空藏菩薩能滿諸願最勝心陀羅尼求聞持法一卷[已上五卷紫檀軸坤宮一切經内]
     右依昨日宣奉請如前[使山邊久沫万呂]
          天平寳字五年二月四日坤宮舎人他田水主
                史生下道朝臣
奉寫一切經所 申請銭事
合應奉寫經五千二百八十二卷
  用紙十万一千三百五十八張
   可請筆<菟毛>六百七十三管[六百七十二管々別寫紙百五十張一管寫紙五十八張]
(後略)

出典

『大日本古文書』15(7頁~8頁の内8頁)(『正倉院文書』續修20裏)

「奉寫一切經所解牒案等帳」 (『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761年)1月6日

記事

(前略)
(紙継目)
寫經所
一請帙并畫籤人
   右今日【已】以往所題經九百余卷仍且所請如件
一畫籤事【以】者【用哉以墨用哉】若墨之
   右應用色定符遣若可用者早速欲請其員不得申送
一裝〓≪さんずい+黄≫期限事
  能登忍人[今月十七日【造了】]   長江田越万呂
  秦【乙足】東人[已上二人廿日] 荊嶋足
  禾田五百足               秦百足[已上三人廿五日]
  難千依                  石田嶋足[廿九日]
   右依宣旨勘注如【件】前
以前等状附勇山内主申送如件
         天平寳字五年四月十四日賀茂朝臣
               主典安都宿祢
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』15(50~51頁の内51頁)(『正倉院文書』續々修3帙4)

「奉寫一切經所解牒案等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761年)1月6日

記事

(前略)
(紙継目)
奉寫一切經所解 申請物事
「(異筆)二」 漆塗辛櫃貳拾肆合[備筥形朸]
「(異筆)四」 調布<「(異筆)洗」>捌端[網并着朸料櫃別一丈四尺]
「(異筆)五」 淨衣【伍拾玖具】「(異筆)六十二具」[袍袴布帶頤懸襪菲者]
    〓≪よんじゅう≫八具持櫃夫〓≪よんじゅう≫八人料
    「(異筆)二具持香臺夫二人料 【一具】」
    二具持香水夫二人料
    「(異筆)一具燒香舎人一人料」
    一具灑香水舎人一人料
    八具御【辛】櫃長舎人八人料
「(異筆)〓」(前一カ)名香參斤「(異筆)捌兩」
    「(異筆)八両焼香料」
    四両香水料
    二斤十二兩薫【一切】經料
「(異筆)次三」帛袷帳貳拾肆條[敷櫃料各長一丈五尺三副]
以前奉請【一切】經日可用裝束之物所請如件以解
           天平寳字五年四月廿二日
      行大外記兼坤宮舍人池原公
外從五位下池原公        造東寺司主典正八位上安都宿祢
奉寫一切經所解 申請漆【部】工事
  【塗】造漆工壹人
   右爲畫經籤可作漆仍所請如件以解
          五年四月廿二日
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』15(60~61頁の内61頁)(『正倉院文書』續々修3帙4)

「奉寫一切經所解牒案等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)2月4日

記事

(前略)
請丹直銭壱拾伍貫
   大烟子五十枚 計銭五貫[枚別一百文]
   中烟子五十枚 計銭一貫[枚別廿文]
   上口沙廿□(両) 計銭三貫【八】(六)百文[両別百八十文]
   □(中)口沙廿両 計銭二貫八百文[両別百〓≪よんじゅう≫文]
   下沙十両   計一貫[両別百文]
   〓≪草冠+同≫黄十両    計銭銭一貫六百文[両別百六十文]
又請自大朗所銭□□(長方形抜け)貫
   黑綿弐伯□(斤)  計銭壱拾貫[斤別五十文]
     右銭以□丹并綿等 准銭進如件
                     二月四日

出典

『大日本古文書』15(350頁~351頁の内351頁)(『正倉院文書』続修後集32)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月

記事

(前略)
   □□□(長方形抜け)料
   □□□(長方形抜け) 沙七両二分 胡粉二斤十四両
   □□□(長方形抜け) 縁(緑)青二斤十三両
   □□□(長方形抜け) 烟子廿一枚
   □□□(長方形抜け) 墨四廷
(中略)
   □□□(長方形抜け) 沙十二両 胡粉一斤九両
   □□□(長方形抜け)四両 丹六斤十五両 緑青卅四斤九両
   □□□(長方形抜け)   □□□(長方形抜け)両 烟子八十二枚

出典

『大日本古文書』16(219頁~226頁の内223頁)(『正倉院文書』続々修45帙裏)

「東大寺奉寫大般若経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月23日

記事

東大寺奉寫大般若経所解 申請用雜物事
合奉寫大般若経貳部壹仟貳佰巻[黄紙及表綺緒頂軸]
  繍帙一百廿枚[浅縁(緑)裏紫綾縁及帯 各着黄楊籖]
  奉納白木辛櫃六合[敷布各一條 居各白木楊足机]
請綿壹萬陸仟肆拾屯
  〓≪果+衣≫祖(租)布八十段
  納辛櫃卅五合
賣得價銭壹仟参拾伍貫漆伯壹拾参文
(中略)
     九貫二百廿文紫綾〓≪あしぎぬ≫二匹三丈直
     四貫七百卅文浅縁(緑)綾〓≪あしぎぬ≫二匹三丈五尺直
     二百文紫緑糸三両直
(中略)
残銭七貫五百文
  辛櫃七貫五百文
  紙四百五十張
  黄檗廿七斤[太]
  大豆一斛
  小麦一斛
(後略)

出典

『大日本古文書』16(376頁~382頁)(『正倉院文書』続々修4帙12)

「奉寫経所本経論奉請并借充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)1月16日

記事

        八年正月十六日行上馬養
        八年正月十六日行上馬養
陀羅尼集経一部十二巻[黄紙及表綺帯紫檀軸先坤宮一切経内 「*返上」]
  右件経、〓≪さんずい+頁≫曳間令奉請上山寺悔過所 附僧瓊師
         八年三月九日出充上馬養
八十花嚴経初帙十巻[黄紙及表綺帯軸有印寮一切経内]
  右 令請元興寺僧満惠師所 [即付]
         八年三月十一日上馬養
真言要決六巻[黄紙及表軸綺帯有印竹麁帙一枚牙籤一枚 審詳師書之 「*返上」]
  右 令請佐伯判官曹司
         八年三月十三日上馬養
最勝王経七部七十巻[綵帙七枚 一百部内之 「*返了」]
  右 奉請南吉祥悔過所
         八年三月十六日上馬養
般若燈論一部十五巻[帙占 形如常]
廣百論一部十巻[帙]
  右 依三綱并造寺司判 借充智度講師洞眞師所 付僧隆歓
      天平寳字八年五月廿七日出充他田水主
一経臺一基借充洞□□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』16(433頁~434頁)(『正倉院文書』続々修17帙7裏)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
仁王経卅【三】四部六十五<七>巻[之中一部副 見五十六巻 欠二箇巻 並下巻]
  廿九部黄紙及表綺帯軸 一部黄紙及表緑帯漆軸
  一部黄紙及表蘇芳〓≪あしぎぬ≫帯漆軸[未上]
  一部黄紙及表緋〓≪あしぎぬ≫帯漆軸[已上可請嶋院寮経内之]
  一部黄紙及表綺帯梨軸[葛木寺了]
  一部黄紙及表綺帯紫檀軸[坤宮一切経内]
   右件経 除先奉請之外 司中随見在員 附廻使舎人今木稻持 令奉請如件
           天平神護二年四月六日上馬養
               主典他田
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内441頁~442頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「*法花経一部八巻[黄紙及表綺帯軸綵帙有印 内堂経内之]
   右 依來牒旨 附便使六人部嶋繼 令奉請如件
             元年三月廿日行上馬養」
(後略)      

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内451頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)大灌頂経一部十二巻[黄紙及表綺帯軸有印綵帙一枚 内堂経]
薬師経六十巻[黄紙及表綺帯軸可請嶋院寮経内之 血帙六枚見【十四】〓≪よんじゅう≫八巻帙六枚 欠十二巻]
   右 附阿〓≪さんずい+頁≫波人長 令請如件
            行上馬養」
(後略)      

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内452頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(異筆)百仏名経一巻 賢却経十三巻 十二仏名神咒経一巻
  右 三部十五巻 坤宮一切経内[黄紙及表綺帯紫檀軸在帙占]
三千仏名経三巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」 八仏名号経一巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」
  右 二部四巻 寮一切経内[黄紙及表綺帯軸有印]
五千五百仏名経八巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」 仏名経十二巻「(追筆)同日返了」
諸仏要集経二巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」
  右 三部廿二巻 水主内親王経内[黄紙及表綺帯有印]
施燈功徳経一巻[黄紙及表綺帯軸有印 返了]
  右 一部一巻 内堂経内之
            行上馬養
            使内竪葛木黒山」
(後略)    

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内454頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)令奉請貳巻[一巻黄紙黄表綺帯漆軸在印水主宮第五櫃 一巻黄紙黄表綺帯軸在印内堂第五櫃]
  右 付即使内竪葛木黒山
               出建部廣足」        

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内455頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(追筆一)開元釋教録一部十九巻[黄紙及表綺帯軸寮経内之]「(追筆二)以景雲二年八月十三日返了」]
  右 依今月廿六日宣 奉請如件
              寳字八年八月廿七日行上馬養」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内465頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
御執経所
奉請賢愚経一部[十七巻 黄紙及表綺帯軸自聞智師所 便奉請内裏即付掃守弟足 自第六櫃出内堂之経者納小明櫃一合]
  右 被少僧都(道鏡)宣云 先所奉請経下帙第一巻欠也 仍更奉請件経 今依宣旨 差内竪掃守弟足 令奉請如前
            天平寶字八年五月三日信部史生日置 浄足
「(異筆)行                    判官弥努連 「(自署)奥万呂」
                       主典志斐連 「(自署)麻呂」
                       案主建部 「(自署)廣足」」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内469頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
御執経所
奉請大佛頂首楞嚴経一部「*无」
「*請」 大方等大雲経一部[「*六巻黄紙及表綺帯軸有印 綵帙一枚錦縁緋綾裏拾組帯]内堂」
   大方等修多羅了義一部「*无」
    右 被少僧都(道鏡)今日宣 〓≪人偏+尓の異体字≫ 件経従東大寺速奉請内裏者 仍依宣旨 差内竪葛木黒山充使 令奉請如件
            天平寳字八年四月十八日信部史生日置 浄足
「(異筆) 司判行             判官弥努連 「(自署)奥麻呂」
                        主典志斐連 「(自署)麻呂」
                        領上」「(自署)馬養」        

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内470頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)以同日令請阿差末経一部五巻[黄紙及表綺帯軸有印 東寺可留寮経内麁帙一枚]
   即付廻使建部人成 「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」
                     出上馬養
又一部七巻[黄紙及表綺帯紫檀軸綵帙一枚着牙籤一枚 宮一切経内之]
           四月四日使大隅公足
                     行上馬養」     

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内471頁~472頁)(『正倉院文書』続々修17帙6)

「奉寫御執経所奉請文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)8月25日

記事

奉寫 御執経所
請開元釋教録一部[之中第十九 第廿 先請来]
  右 以同月二日 依少僧都(道鏡)宣 差六人部嶋継所請 迄今不来 更自内裏依明軌尼師宣 差建部人成令奉請如件 可有 御覧 勿廻日時
           天平寳字八年八月廿五日信部史生大隈公足
開元釋教録二巻[第十九 廿巻 自愷玄師所且返上者 黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯軸寮経内之]
  右 依今日宣旨 附尾張月足 令奉請如件
               行上馬養
判許      判官弥努連

出典

『大日本古文書』16(552頁~553頁)(『正倉院文書』続々修17帙5)

「僧興懌請書解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護2年(西暦768年)10月18日付

記事

(前略)
「(異筆)上件書一部六巻 白紙黄表綺帯軸有印鹿帙 紫縁牙籤審詳師之」
[(又異筆)「以三年二月十一日返上了 即奉請内裏使史生六人部荒角」]
[(以下異筆)]又最勝王經一部十巻[在帙黄楊籤 間]
          十二月卅日 使僧満松 上馬養

出典

『大日本古文書』17(21頁)(『正倉院文書』続々修17帙7裏)

 

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司移奉寫一切經司
<「*可」>合經論疏八十一<「*卅」>巻[帙四枚 牙籤一枚]
(中略)
  最勝王經六十巻「(異筆)以景雲二年八月十二日返五部」
   二部水主内親王經内[一部黄紙及表綺帯花軸 一部黄紙及表綺帯軸]並有印
   一部審詳師經内[漢手黄紙及表綺帯白檀軸織帙紫縁 浅緑綾裏有印]
   一部圖書寮一切經内[黄紙及表綺帯軸有印]
「*可」一部所請嶋<(院脱)>寮經内[黄紙及表綺帯紫檀軸]
   一部間寫[黄紙及表綺帯頂軸]
    右、依今月二日移文、随在司中令請如件、
  最勝王經慧沿師疏六巻
    右、以去天平廿一年二月八日、奉請内裏
以前經論疏等、附廻使舎人海犬甘連廣主、令奉請如件、以移、
        神護景雲二年潤六月三日主典阿刀造<(與美佐)>
                  少判官志斐連
                  案主上村主馬養
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁のうち88頁~90頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

 

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
(紙継目)
合經十四巻
  注維摩詰經六巻 注楞伽經七巻[已上並黄紙及表 綺帯軸有印]
    右十三巻、寮一切經之内、 [「(追筆)以二年正月十一日返了」]
  温室經一巻[黄紙及表綺帯紫檀軸]
    右經、坤宮一切經之内、
以前、依今日牒旨、奉請且如件、
             景雲元年九月廿六日上馬養
                    判官美努連
                    主典建部
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁のうち109頁~110頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

 

「「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司牒 奉寫一切經司
合論疏章「(異筆)四百六十二巻[帙卅枚 白木籤一枚]」
  智度論一部一百巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 軸 竹帙 錦縁 芳裏]
  涅槃論一部五十三巻[黄紙 及表 緋帯 頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  倶舎論一部卅巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 軸 竹帙 錦縁 緋裏]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち125頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
  摂論一部十五巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 軸 斑帙 緋縁 縹裏]
  无性摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 白檀軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  世親摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  地持論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 頂軸 竹帙 紫縁 縹裏]
  菩薩地持<論>一部八巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  无依无得大乗四論一部十二巻[白紙 黄表 帛帯 白木軸 无帙]
  釋迦譜一部五巻[黄紙 及表 綺帯 頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  成實論一部十六巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 頂軸 紫皮帙]
  雑阿毘曇心一部十一巻[漢手 黄紙及表 緋帯 頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  立世阿毘曇論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  法花經義疏一部十三巻[之中十二巻 百斎手 白紙 綺帯 无軸 吉蔵師 一巻 黄紙 及表 綺帯 頂軸]
  法花經疏一部七巻[新羅手 白紙 无帯 漆軸]
  新摂大乗論疏一部十一巻[白紙 紫帯 无軸 神廓師]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち126頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月16日付

記事

(前略)
  倶舎論疏一部廿六巻[白紙 无帯 漆軸 泰法師 「*欠中帙第四巻」]
  成實論議一部廿三巻[二帙 漢手 黄紙 緋綺帯 頂軸 紫縁 縹裏]
  阿毘曇論章一部十五巻[白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  雑阿毘曇章一部七巻[漢手 白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  毘曇章一部五巻[白紙 无帙]
  阿毘曇心一部四巻[呉手 黄紙及表 綺帯 漆軸]
  唱礼文八巻[白紙 綺帯 漆軸 五色〓≪あしぎぬ≫帙]
   右四百九巻、圖書寮經内之、
  大乗廣百論釋論一部十巻[漢手 黄紙及表 綺帯 軸]
  大乗荘厳經一部十三巻[黄紙及表 綺帯 軸]
  十佳毘婆沙論一巻[白紙未装〓≪さんずい+黄≫]
  因明入正理論一巻[漢手 黄紙及表 綺帯 軸]
  大乗百法明門論本事品中略録名數一巻[複大乗五〓≪草かんむり+温≫論]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち127頁)(『正倉院文書』続々修17帙14)

 

「奉寫一切經所出經文」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月9日付

記事

【菩薩善戒經一部九巻[黄紙及表綺帯軸有印无帙内堂經之内]
佛地経一巻[黄紙及表綺帯白木軸有印水主内親王經之内]】
                        四月九日案主上馬養
                          僧「(自署)廣寂」
【寳積經論四巻[黄紙及表綺帯紫檀軸无帙宮一切經内]】

出典

大日本古文書18巻(462頁)(『正倉院文書』続々修40帙3裏)

「雑経目録」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

「(端裏)雑経六帙」
別生経
  密迹金剛力士経三部十一巻[一部二巻綵帙 一部二巻无軸及帙 一部七巻无帙]
  菩薩夢経二部四巻[一部二巻綵帙 一部二巻无帙漆軸]
  法界体性無分別経二巻[綵帙]
  大菩薩蔵経二部〓≪よんじゅう≫巻[一部廿巻〓≪夕+鹿≫帙緑綾裏紫綾縁組帯 一部廿巻无帙]
  菩薩見実三昧経十四巻[綵帙一]    郁伽長者所問経二部二巻
  迦葉経二部四巻[一部二巻綵帙 一部二巻无帙]    无畏徳女経一巻
  大乗方便経二巻[綵帙]    移識経二巻[綵帙]
  大宝積経一巻    宝髻菩薩所問経二巻[无帙]
   右十二経、並編入大宝積経蔵中、故無別本、
  金光明経〓≪よんじゅう≫部百六十巻[廿部八十巻漆軸 廿部八十巻軸]並〓≪夕+鹿≫帙紫綾縁緑綾裏組帯
   右一経、与蔵中、八巻者文勾不異、其八巻本品数〓≪人+各の口が田≫足、故留入蔵、此一本皆〓≪門+報≫、故除不載、[其八巻本有廿四品 此四巻本有十八品]
(後略)

出典

『大日本古文書』23(125~127頁)(『正倉院文書』續々修12帙11)

「画所解案(尾闕」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀8(西暦777年)(月日闕)

記事

画所解  申請用雑物并残及人散事
合請物参拾捌種
   金青伍拾七斤拾参両参分[五十五斤十五両一分自政所請 一斤自内裏給出]
    [二両自内大臣藤原(良継カ)卿家進]
    [十二両二分人々知識進]
   白青壹拾斤捌両弐分肆銖[自政所請]
   沙捌斤拾両参銖[七斤十四両三分三朱自政所請 五両自内裏給出]
    [六両自内大臣藤原卿家進]
    [一分人知識進]
同黄壹拾参斤陸両参分[十三斤六両二分自政所請 一分人知識進]
   烟子壹伯肆拾肆枚半[大三枚 中九十五枚半 小〓≪よんじゅう≫六枚]
    百〓≪よんじゅう≫一枚半自政所請 三枚人知識進
胡粉七拾壹斤拾伍両壹分[倭卅二斤十五両一分 唐卅九斤]
  七十一斤十一両一分[倭卅二斤十五両一分 唐卅八斤十二両]自政所請
  三両唐[自内大臣藤原卿家進]
  一両唐[人知識進]
緑青参仟玖拾参斤壹両弐分[自政所請]
  依〓≪夕+鹿≫更作四百卅一斤二両[作得白緑〓≪よんじゅう≫三斤八両三分 全得緑青三百六十九斤四両]
  依作損十八斤五両一分
  見緑青三千卅一斤三両二分
白緑肆拾七斤三両[三斤十両一分自政所請 〓≪よんじゅう≫三斤八両三分請緑青之内、便令作得所]
丹参伯斤拾五両壹分[三百斤十二両一分自政所請 三両人知識進]

出典

『大日本古文書』23(621~622頁)(『正倉院文書』續修17裏)

「写一切経司本経返送文(尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)9月14日

記事

「(端裏)不用」
     「(異筆、下同ジ)写一切経司」
返送薬師寺本経惣十八部三百【三】四巻 帙卅一枚
大品般若経〓≪よんじゅう≫巻[帙【三】四枚]    光讃般若(経脱カ)十五巻[帙一枚]
放光般若経卅巻[帙一枚]              勝天<王>般若経七巻[帙一枚]
小品般若経十巻[帙一枚]              道行般若経十巻[帙一枚]
大集経六十巻[帙六枚]               大法炉陀羅尼経廿巻[帙二枚]
大威徳陀羅尼経廿巻[帙二枚]            瓔珞経十六巻[帙二枚]
華手経十巻[帙一枚]                十住断【経】結十巻[帙一枚]
悲華卿十巻[帙一枚]                観仏三昧経八巻[帙一枚]
宝星陀羅尼経十巻[帙一枚] 菩薩念仏三昧経六巻[帙一枚]
十二仏名経一部[十二巻 帙一枚]          入楞伽経一部【九】十巻[次第一巻留宮「返納已了」【承前所欠】]
 右、以天平十五年九月十四日所奉請、受使辛国人成料、
僧祇律第三帙[十巻 帙一枚]            大乗方弁経二巻[帙一枚]
般若三昧経[帙一枚]                宝雨経五巻[無帙 二巻軸三巻漆軸]

出典

『大日本古文書』24(221頁~223頁)(『正倉院文書』(續々修16帙6)

「写経所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)10月9日~

記事

「(端裏)白禅院寺奉請疏論□□□(等歴名カ)
  仏説正斎経一巻、                   薩婆多論八巻、
  十ニ明了論一巻、                   三階律周部九巻[無緒軸装]、
  禅経三巻、                      治禅病秘要法一巻[白紙無軸 「*可写」]、
  秘要法二巻[第二三 白紙]、              婆羅木叉一巻[白紙 「*可写」]、
  比丘尼木叉一巻[白紙無緒軸]、             布薩文一巻[白紙無緒軸]、
  選比丘伝一巻[白(紙脱カ)無緒軸 「*可写」]、      禅要経一巻、
  菩薩木叉一巻[漆軸]、                 雑集論十六巻[白紙無軸 「(異筆)已上経所納」]、
  梵天経<論>四巻、                  四宗論一巻[副涅槃論]、
【登】発智論廿巻、                    六度集八巻 
                             往生礼賛一巻[白紙]、
  讃釈迦弥勒二聖因果行一巻[白]、            本有今無偈一巻[「*可写」]、
  法花經疏二部廿巻[慧蔵師撰 白紙無軸「*一部重」]、  菩薩蔵経疏十巻[靖邁師撰 白紙無軸]、
  大品経疏五巻[白紙無軸 伝法師撰]、          天請問経疏一巻[白紙無軸 文備師]、
  略説経誡経疏一巻[白]、                倶舎論疏廿巻[白紙無軸少々破 神秦師疏]、
  唯識論疏十巻[白紙無軸 基法師]、           集論疏十三巻[白紙無軸 霊携師]
  摂大乗論疏十一巻[白紙無軸 神廓師]又五巻[白紙 無軸]、
  智度論疏五巻[白紙無軸 〓≪人偏+品≫法師]      観所縁々論疏二巻[神廓師 「*一巻重」]、
  又述本記一巻[並白紙]                 成業論疏一巻[白]、
  顕揚論抄一巻[白紙無軸]、               雑羯磨抄一巻[白紙]、
  六巻抄六巻[宣律師撰 白紙]、             花厳抄五巻[白少々破 「*依誤不写」]
  二障義一巻[白紙]                   大乗四善根章一巻[白紙]、
  大乗五法章一巻
  十ニ縁起義一巻[白]、                 中有章一巻[白]、
  雑(々脱カ)設難章一巻[白]、              六現観章一巻[白]、
  菩薩十章一巻[白]、                  末那四或(惑カ)章一巻[白]、
  道品章一巻[白]、                   五種衆生義一巻[白]、
  大乗三性義章一巻[白]、                五果章一巻[内有十因義四縁義 白]、
  大乗章一巻[白]、                   法花音義二巻[白]、
  大乗集論疏二巻[白 実大乗十論経疏二巻也、]       涅槃経疏〓≪よんじゅう≫巻[廿巻吉蔵師 白「*一巻重」]
  無垢称経疏六巻[白 基師]               觀経正宗不定善義四巻[黄 無軸]

(正集一裏)

  明三階仏法二巻[上下無軸]                略<「*明」>名法界衆生根機浅深法一巻[信行 無軸]
  仏性論四巻[天親菩薩造]                維摩疏六巻[白表無軸少々破]
  菩提資粮論六巻[無軸 龍樹菩薩]            宝性論四巻[蘊流支訳]
  広百論十巻[白紙 無軸]                中辺分別論ニ巻
  十地経論十ニ巻                  「*【重】」十二因縁経疏一巻[実十二因縁論]、
「*重」妙法蓮花経優婆提<「*可写」>全一巻       法集経五巻[白紙方一五六 二巻無題]
「*【重】」百字論一巻「*【重】」 <「*順」>准中論義入大般若波羅蜜経初品法門秘飜之記二巻[白紙]
  無明思塵論一巻[無軸]、                入大乗論三巻[白紙無軸]
  大業摂論十巻                     三法度二巻[白紙]
  登論十五巻                      無相礼文一巻[白]、
【在】一切経抄三巻[白紙漆軸無緒]            曇無徳羯磨一巻[無軸少々破 入律所]
  沙弥〓≪さんずい+底≫部論二巻[上下 白]       随相論一巻[白]
  赦弟子伝一巻[白紙漆軸]                請賓頭盧法一巻<「*可写」>[白紙檜軸]
  伝論一巻[白]                     涅槃五種仏性義一巻[白]
  優婆夷浄行法門一巻[白軸]              大論疏十一巻[白]
「*【重】」勝鬘経疏三巻[白 上宮王製]          大方等如来蔵経疏二□(巻)
  分別功徳論一巻[白]                   仏跡 一巻[一条紅袋 一条白袋]
  [一条錦袋]管一合[着漆]
従禅院寺奉請疏論等、歴名如件、
          天平十九年十月九日知他田水主
  但、自仏説正斎経至雑集論十六巻者、皆収納於阿刀縄万呂所也、又□(准カ)
  此疏論等中、以丹点(続々集四十七帙三)「(異筆)記件上者、亦収納於縄万呂所也、」


出典

『大日本古文書』24(443頁~447頁)(『正倉院文書』(正集2裏・正集一裏・続々集47帙3)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

 右、以廿年十月十日、自寺政所奉請如□□□(長方形後半抜け)
                   知 他田水主
  「(異筆)以廿一年三月一日、返送了、[受宣教師] 知長□□□(長方形抜け) 他田□□(水主カ)」
解深密経疏一部十巻[永金師書者 使犬甘木積万呂 天平勝宝元年□(九カ)月(長方形後半抜け)
  「(異筆)以天平勝宝三年三月五日返送、使左京七條二坊丹比古勇万呂 知葛野人足 舎人伊香家成 史生阿刀 池田水主」
自元興寺奉請四分律■一部[六十巻 黄紙赤木軸赤表綺緒無帙占]
  右、依宮一切経之内律誤、為計会、以天平勝宝二年五月四日奉請、使舎
  人飽田石足、
  「(異筆)天平勝宝五年十一月十六日、付舎人大伴〓≪草冠+衣≫万呂返了、[史生阿刀 検納他田水主 知上馬甘]」
楞伽経疏一部八巻[社(社)行楷撰] 白紙頂軸緑緒
  右疏、自教輪師之所奉請、使村山首万呂、
              天平勝宝二年六月十七日納他田水主
  「(異筆)同年九月七日、付飽田石足返送如前、 池田水主」
□□(解深)密経範法師疏二巻
  右、以天平勝宝二年七月三日、<借>奉請仙徳師自所、
  「(異筆)以同年十ニ月二日返了、使聞訓師、 納他田水主」
成実論疏第一巻、以勝宝二年十一月【十】九日返上、使即
             十二月十ニ日返送第二巻使即「(自署)覆」

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち510頁~511頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「種々軸出用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝元年(天平感宝元年)(西暦749年) (類収・年月闕)19日

記事

十九日出軸卅八枚[廿枚録(マヽ)青 十枚沙 八枚黒柿]

出典

『大日本古文書』24(585頁~586頁)(『正倉院文書』續々集40帙4裏)

 

「中臣伊勢連老人買物解」(『前田候爵家所蔵』)

撰述日

天平勝宝4年(西暦752)6月15日

記事

合壹拾陸種
 併風一具 鏡二面[一七寸已上 一五寸已下] 金鋺二具 麝香一齊(剤)
 沙   香爐二具 密抜 阿莉勒
 薫陸   衣香   丁子 枕香
 桂心   青木香  人参 蘇芳
□〓≪さんずい+頁≫綿壹伯捌□□(長方形抜け)□(斤)、此中黒綿貳拾斤、
       天平勝宝四年六月十五日右大舎人大初位上中臣伊勢連老人

出典

『大日本古文書』25(45頁)(『前田候爵家所蔵』)

「氏名闕買新羅物解」(『前田候爵家所蔵』)

撰述日

天平勝宝4年(西暦752)6月23日

記事

合二拾参種
 鏡参面[径六寸已下 五寸已上] 匝羅五重鋺参帖[口径五寸已下]
 白銅五重鋺貳帖[口径五寸已下] 白銅盤一帖[口径五六寸]
 □羅盤伍口[口径五六寸]    白銅匙箸貳具
 白銅香 一具         白銅錫杖一箇
 黄金五両           麝香参臍
 沙一斤           同黄壹斤
(中略)
 蘇芳貳伯肆拾斤
  儲買物綿伍伯斤       絲参拾斤
以前、可買新羅物并儲買等如前、謹解、
          天平勝宝四年六月廿三日

出典

『大日本古文書』25(48頁~50頁)(『前田候爵家所蔵』)

「飯高嶋足買物解」(『前田候爵家所蔵』)

撰述日

天平勝宝4年(西暦752)6月24日

記事

 合壹拾肆種
  鋺五畳[五重] 鍮石香爐□(参カ)口 鏡□□(長方形抜け)[□□(長方形抜け)寸] □□□(長方形抜け)
  麝香     蘇芳        阿〓≪利+「恭」の下≫□        丁子香
  帯二條    烟子        沙                  銅黄
  匙箸[二具]  雑香
  価直物 絹壹拾参匹[一匹白 十二匹赤] 糸壹伯貳拾斤 綿壹伯□拾斤
 以前応買物色并価値直物等敷、申送如件以□(解)
          天平勝宝四年□□□□(六月廿三カ)日「(自署)文奉飯高嶋□(足カ)」

「(異筆)以六月廿四日勘定」

出典

『大日本古文書』25(50頁~51頁)(『前田候爵家所蔵』)

「氏名闕買物解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝4年(西暦752)(類収・年月日闕)

記事

□□(長方形抜け)   □()沙   金青
同黄         烟子     花鏡
  右、念物□(并カ)価直物等、申送如前、

出典

『大日本古文書』25(51頁)(『正倉院文書』続修後集40 3)

「鼓吹司正大石某買物解」(『前田候爵家所蔵』)

撰述日

天平勝宝4年(西暦752)6月

記事

鼓吹司正外従五位下大石□□(長方形後半抜け)
  合八種 直綿四百斤
    鏡五面
    麝香
    烟子
    金青
    雑香
   
    同黄
    蘇芳
右、件念物、具録□□、□□、(如件以解カ)
        天平勝□□□□□(宝四年六月カ)□□□(長方形抜け)

出典

『大日本古文書』25(51頁~52頁)(『前田候爵家所蔵』)

「経巻出入請軸等文書継文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月16・26日

記事

文殊師利仏土厳浄経二巻 毘耶沙問経二巻[在帙]、決定毘尼経一巻
大方廣三戒経三巻[在帙]、已上経、充宝積経校所、
                          (天平勝宝七歳)四月十六日上馬養
宝梁経一部二巻[黄紙、同表 綺緒、軸、綵帙、]
 充宝積経校所、 
                      四月廿六日上馬養

出典

『大日本古文書』25(178頁)(『正倉院文書』塵芥25裏)

「経巻出入請軸等文書継文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月27日

記事

文合経拾漆巻
帙五枚
  三枚繍(帙脱カ)[並緋綾裏、錦縁、組帯、]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[一枚深緑綾裏、赤紫縁、組帯、一枚緋綾裏、黒紫縁、組帯、]
勝思惟梵天所問経六巻 阿惟越致経三巻
大乗問性経二巻  縁生初勝□(分)法□□□□(経二巻)
 右、四部十三巻、[並黄紙及表、綺緒、軸、]
楞伽阿跋多羅宝経四巻[黄紙及表、綺緒、漆軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(178頁~179頁)(『正倉院文書』塵芥25裏)

「造東大寺司牒」(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月21日

記事

「(端裏)請山階<寺>帳」
造東大寺司 牒興福寺三綱務所
合経貳伯参拾巻
 帙貳拾壹枚  
  十九枚綵帙
   十七枚繍[之中十二枚緋綾裏錦縁組帯 五枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
   二枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[並黄〓≪あしぎぬ≫裏錦縁 一枚組帯 一枚錦帯]
(中略)
観薬王薬上二菩薩経一巻[已上並黄紙及表、綺緒、紫檀軸、]
(中略)
灌洗仏形像経一巻[白紙黒紫羅表 深緑(線)綾裏綺緒白檀軸] 報恩奉盆経一巻[黄紙及表銀軸无緒]
大金色孔雀王呪病結界文一巻[黄紙及表 頂軸无緒] 佛頂尊勝陀羅尼経一巻[黄紙及表綺 緒木絵軸]
摩訶摩邪経一巻[黄紙及表朱 頂軸綺緒] 観薬王薬上菩薩経一巻[黄紙及表綺 緒漆軸]
  右六経六巻同帙[紙帙]
首楞厳三昧経三巻[黄紙及表頂 軸 一帙] 賢劫経十三巻[黄紙及表頂 軸紫緒]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(185頁~193頁)(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

「僧慧常請彩色状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝8年(西暦756)6月9日

記事

謹請彩色事
胡粉一小斤 珠()沙四両 金青七両
緑青十両 白青三両 銅黄一部
□丹一小斤 烟■<支>三枚 白緑四両
紫土一両 膠二小斤
 右件之物、律師(法進カ)令就官、裏請来日、自進直銭、幸垂助為處分、不具謹状、
               (天平勝宝八歳)六月九日僧慧常状[上]
長官[執事]
      謹空
長板更請四條、今欲作之、幸願處分、

出典

『大日本古文書』25(198頁~199頁)(『正倉院文書』続々修38帙8裏)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

金青九斤                     沙六斤四両
同黄二斤六両                   烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
白青四斤十両一分[四斤八両自外嶋坊請 二両一分買] 胡粉十五斤八両[十斤八両自外嶋坊請 五斤買]
緑青百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進]
白緑十五斤十三両三分[買]             丹廿一斤<「*九十九斤四両二分」>[十六斤自外嶋坊少僧都所請 
                                           五斤文部省少録内蔵全成所進
                                          「*七十八斤四両二分黒蝋大廿八斤二両三分〔給〕」]
青薫三斤六(ママ)                 蘇芳変二斤[已上自内裏給]
空青□斤                     紫土四両[已上買]
(ママ)金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三両打得]
膠一百五斤                    墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二枚[各長一丈二尺 広一尺]花五百六區[各方一尺]
    金青一斤   白青八両三分  沙一斤二両二分
    胡粉三斤五両二分 同黄九両一分 烟紫八十六枚
    緑青十一斤四両  白緑二斤三両 丹一斤六両二分<「*五十五斤二両三分」>
    青薫七両二分   空青十両   変三合
    金薄一千八十四枚 膠七斤    墨四廷  
    □□(長方形抜け)板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
    □□□(長方形抜け)別坐飛□□□(菩薩像カ)[各立高一尺七寸]
     六十八□□□花一根[各高三尺六寸]
    青金一斤三両  白青三両  沙十二両一分
    胡粉十一両   同黄三両三分三朱 烟紫卅枚
    緑青五斤六両二分 白緑一斤十二両三分 丹一「*四」斤三【斤】両一分
    空青六両     変参合     金薄四百五十枚 
    膠六斤五両    青金七両    墨五廷
    □□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 広一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
    □(金)青一斤十四両二分 白青四両三分 沙十四両
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁~327頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□□(長方形抜け)(胡粉カ)八両一分 同黄□両二分   烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
    緑青□□□(長方形抜け)       白緑二斤六両二分  丹二<「*六」>斤三両三分
    金薄八十□□(長方形後半抜け)     □□□(長方形抜け)斤七両 空青十両
    変六合               青薫八両二分       墨五廷
   外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸] 板別在花一根[各高二尺]
    金青二斤七両          白青十両          沙十一両三分
    □□(胡粉カ)八斤三両      同黄二両          烟子〓≪よんじゅう≫三枚
    □□□(長方形抜け)                     白緑十両
    □□□(長方形抜け)両一分                  空青十一両
    □□□(長方形抜け)                     □花茎三百廿八根[ゝ別三枚]
(紙端)
    □□□(長方形抜け) 墨二廷
    □□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内328頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□(長方形抜け)一両   白青四両三分        沙三両
    □(胡カ)粉二両      同黄三分          烟子五枚
    □□□(長方形抜け)分   白緑十両           丹<「*一斤」>六両
    □□□(長方形抜け)     □□(長方形抜け)百七十二枚 膠六両 「(追筆)墨一廷」
    □□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)                  沙四両
    □□□(長方形抜け)                  烟子九枚
    □□□(長方形抜け)                  丹<「*一斤」>六両
    □□□(長方形抜け)                  変一分「(追筆)墨一廷」
    □□□(長方形後半抜け)
    緑青一斤□両       丹一斤九両二分       膠六両
    □後三百八十六両
    □□(長方形抜け)百十九斤十四両  膠四斤六両

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内329頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□□(長方形抜け)[各〓≪人偏+坙≫二尺 廻各六尺]
    □□□(長方形後半抜け) □青二両  沙三両
    □□□(長方形後半抜け)  □□□(長方形前半抜け)二分三朱
    烟子□□(長方形抜け)   緑青六斤ニ両
    白緑三両         □□(長方形抜け)二両     青袋(薫)一両三分
    空青五両         変一合 膠          八両「(追筆)墨三廷」
   壁内隔上廻楽天廿八躯[各居高二尺]
    雲形九十烟[各長二尺五寸 広四寸]
           □□□(長方形前半抜け)二両        朱沙十四両     
             □□□(長方形前半抜け)        同黄三両一分
            □□□(長方形前半抜け)両        白緑十一両
            □□□(長方形前半抜け)         青袋(薫)二両
            □□□(長方形前半抜け)         金薄五十六枚

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内330頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)