天平19年(西暦747年)2月11日付
(前略)
合綵色物壹拾参種
佛分弐種[同黄九両 丹四両]
通三宝分二種[朱砂十三両二分 緑青卅三両]
塔分陸種[朱砂六十二両一分 胡粉ニ百八十両一分 黄卅五両二分
丹ニ百八両 烟子一百〓≪よんじゅう≫八枚 雌黄卅七両]
通分参種[丹五百五十五両 朱砂六百二分 緑青三千ニ百九十六一分]
合漆泥机伍足
佛分一足
法分三足
聖僧分一足
右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(下略)
『大日本古文書』2(578頁~624頁の内603頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)
天平19年(西暦747年)2月11日付
(前略)
合〓≪木+聖≫筥捌拾貳合
丈六分白筥貳合
右、天平八年歳次丙子十二月廿二日、納賜平城宮 皇后宮者、
佛分漆泥筥参合
法分漆泥(筥脱カ)漆拾漆合[廿合、寺造者、]
伍合
右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
貳合
右、天平元年歳次己巳仁王會、納賜平城宮御宇 天皇者、
伍拾合
右、天平六年歳次甲戌三月、納賜平城宮 皇后宮者
(下略)
『大日本古文書』2(578頁~624頁の内603頁~604頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)
天平19年(西暦747年)2月11日付
(前略)
合赤檀小櫃一合 [着金泥鎖子 佛物]
合四角機匣壹牒 [佛物]
合漆泥圓牒子壹合 [壷二口 之中一瑪瑙、 一瑠璃 入白玉四丸如椹實 佛物]
(後略)
『大日本古文書』2(624~662頁の内641頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)
天平19年(西暦747年)2月11日付
(前略)
合鎧参具[一具漆泥 二具白作 並通物]
(後略)
『大日本古文書』2(624頁~662頁の内645頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)
天平寶字5年(西暦761)10月1日
合獸貮枚
壹枚漆泥[茎呉竹形端銀継并櫃一合表漆泥裏丹泥]
右、上宮聖徳法皇御持物者、
『大日本古文書』4(510頁~519頁の内513頁)(大和国法隆寺所蔵)
天平寶字5年(西暦761)10月1日
合獸尾貮枚
壹枚深泥[茎呉竹形端銀継并櫃一合表漆泥裏丹泥]
右、上宮聖徳法皇御持物者、
『大日本古文書』4(510頁~519頁の内513頁)(大和国法隆寺所蔵)
天平11年(西暦739)4月30日
寫經所啓
奉請大般若經五十六帙[无四帙 第〓≪よんじゅう≫帙欠三巻]受漆泥辛櫃二合[白布綱四條]
右、縁奉請數、検納如件、以啓、
天平十一年四月卅日五百井「(自署)小宗」
『大日本古文書』7(255頁)(『正倉院文書』續々修4帙20)
神護景雲4年5月20日付(西暦770年)
(前略)
四月
一日下黄紙玖仟枚[繼料充氏男勝「*五月七日上了」納辛櫃二合布綱二條〔一合漆泥 一合白〕] 案主上馬養
別當法師「(自署)奉榮」
七日下充黄紙伍仟張[繼料充上毛野眞依 納辛櫃一合布綱一條「*五月十六日上了」]
七月
九日下充黄紙参仟伍伯張[繼了充氏男勝「*繼了」 納辛櫃一合布綱一條]
案主上馬養
別當法師「(自署)奉榮」
八月
廿三日【収納】下充黄紙弐仟(マヽ)[繼料充丈部廣嶋]
案主上馬養
別當法師
(後略)
『大日本古文書』17(154頁~160頁のうち158頁~160頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)
延暦18年(799)11月11日~弘仁5年(814)6月17日
(紙継)
以延暦十八年十一月十一日下 、大黄弐伯斤 [□(、カ)]甘草弐□□<拾斤>[□□](並大カ)
、小草弐斤肆両 、檳榔子漆拾肆丸 、桂心捌□(拾)斤
、呵梨勒弐伯顆 麝香伍剤 已上物、納漆泥韓(櫃脱カ)弐合、
右物、依今月八日官符旨、進上如件、
三綱上座法師
寺主法師「(自署)修哲」
都維那住位僧「(自署)伍浄」
勅使宮内卿正四位下石上朝臣「(自署)家成」
中監物正六位上穂積朝臣「(自署)道長」
侍医正六位上吉水連「(自署)唐」
「(異筆1)以延暦廿一年十一月廿一日下 、大黄弐拾斤 、甘草弐拾斤[並大]
、人心一斤[小] 、呵梨勒一<伯>顆 、宍継容一拾肆[小]
右物、依今月十八日官符旨、進上如件、
三綱上座主満位僧
寺主大法師「(自署)修哲」
都維那住位僧「(自署)伍浄」
勅使左京大夫従四位下藤原朝臣「(自署)大継」
小監持紀朝臣「(自署)大足」
「(異筆2)以延暦廿二年正月廿三日下、大黄弐斤[大]」
(紙継)
『大日本古文書』25附録(1頁~8頁の内2頁~4頁)(『正倉院御物出納文書』)