紫土

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
    銅鐵工所已下料
   右件用練金小一百六十六兩一分五鉢
   銀一両
   鐵精小五両
   〓≪人偏+フ内にス≫沙小三分
   臈蜜小十斤
   紫土三斤四両小
   水銀小三斤一分
   白鑞三斤四両
   銅二百六四両
   鐵三斤八両
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の568頁~569頁)(『正倉院文書』続修33)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月11日付

記事

寫書所解 申請厨子料雑丹事
合参拾陸(四十五)斤九両参分貳銖
 用三十(四十)二斤五(七)両二(二)分二(一)銖
 残四(五)斤四(二)両一分「一朱」(別筆)
    朱沙十五両三分二銖[用十両三分二朱 残五両二朱]  金青一斤六両[用十一両二分 残十両二分]
  丹三斤二両[用一斤十五(四)両一分 残一斤二両三分]  緑青六斤[用四斤九両一分 残一斤六両三分]
  白緑十二両[用二両一分 残九両三分]         白青九両[用八両 残一両]
  同黄一両二分[一両一分 残一分先日進返了]      紫土一斤八両[盡用]
  胡粉廿二斤一両二分[盡用]              青代二両[盡用]
  [膠九斤〔用八斤残一斤〕]
 金薄二百廿三枚[用二百十一(三)枚 残十二枚]
 烟子三十三枚[一枚大三十二枚中盡用]
 遍一升一合[盡用]
 膠九斤[用八斤 残一斤]
  右、采色厨子之料、所用并遺数、顕注如前、以解、
           天平勝寳四年五月十一日呉原生人

出典

『大日本古文書』3(573頁~574頁)(『正倉院文書』続修29)

「奉寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字元年(西暦757年)9月26日

記事

奉寫經所解  申請應繪軸用度事
合軸一千枚[之中二百枚繪畢 八百枚未繪]
  應用 紫土二斤[小]     雌黄二兩
    金漆二合      阿膠三斤[小]
  畫師三人 漆工一人   瑩生一人
   惣單捌拾貳人
    五十四人畫師[人別畫軸十五枚]
    八人漆工[人別塗軸一百枚]
    廿人瑩生[人別瑩軸〓≪よんじゅう≫枚]
  浄衣五具
    三具畫師三人料    一具漆工一人料
    一具瑩生一人料[未]
以前、應繪軸用度之雜物、顯注如件、謹解、
  【請胡麻油一斗四】六【升】七合二夕
  【一斗四升七合二夕経師装〓≪さんずい+黄≫單七百卅六人料[人別二夕]
   二升燈堂料】
               
           天平寳字元年九月廿六日
                治部大輔正五位下 王(市原王)

出典

『大日本古文書』4(240頁~241頁)(『正倉院文書』続々修18帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

 速袖八領[布]用廝仕丁等料
  櫛借七十二領[雜色袷]
  東裳一腰[給料□□□ 養□(優)婆夷]
  被卅<「*廿九」>一領[已上自内裏給出]
   二領白帛         一領赤帛  
   一領橡          廿七領布[一領細布 十六領調布 十領祖]
   用廿二<「*三」>領[大工并雜工等料]
   殘九<「*六」>領
    一領赤帛        一領橡
    七<「*六」>領布[四領調 三<「*二」>領祖]
  堂幌九條[自内裏給出]
   三條細布         六條祖布[已上殘]
  金靑九斤          朱沙六斤四兩
  同黄二斤六兩        烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
  白靑四斤十兩一分[四斤八兩自外嶋坊請 二兩一分買] 胡粉十五斤八兩[十斤八兩自外嶋坊請五斤買]
  緑靑百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進
                 「*七十九斤四兩二分」]
  白緑十五斤十三兩三分[買]  丹廿一斤[十六斤自外嶋坊少僧都所請 五斤文部省少録内蔵全成所進]
                    [「*七十八斤四兩二分黑錫大廿八斤二兩三分[給]」]
  靑黛三斤六         蘓芳卞二升[已上自内裏給]
  空靑□斤          紫土四兩[已上買]
  金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三兩打得]
  膠一百五斤         墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
                 [七十廷塗架後料]
                 [十二廷作雜公文料]
                 [卅一廷畫料]

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内477頁~478頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
(紙端)
                      上馬甘
                      呉原「(自著)生人」
  九月八日納漆牀六前
    右、自造物所齋來如前、
                   収呉原生人
   廿四日納朱沙三兩 金靑四兩 白靑一兩 丹四兩 同黄一分
    白緑一兩 胡粉十兩 紫土五兩 膠廿兩 烟子四枚[中]
     右、爲奉造七仏藥師像、納如前、
                 受呉原    上馬甘
   廿五日納緑靑十兩 金薄壹伯枚 銀薄伍拾枚
                   受呉原生人
   廿六日納丹二兩 白靑一兩 白緑一兩
                   受呉原生人
   廿七日納金薄廿枚
               受呉原生人 上「(自著)馬甘」
   廿八日納金薄貳拾枚
                   受上馬甘
   廿九日納烟子六枚[小]
                   受上馬甘

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内390頁~392頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日

記事

(前略)
廿六日〈布〉淨衣四領[別副袴] 蓆十枚 阿膠四斤
朱沙六兩二銖  銅黄五分 紫土一斤八兩
折■一合  土師盤〈二〉口  塩杯二口  ■二合  片杯二口
前蓆一枚
廿七日 炭一石 胡粉二斤[唐] 卞六口
廿八日納 監(マヽ)紙廿張   席十枚
折■五合[「返上二合」](異筆) ■【五】四合   杯十口
佐良十口    塩杯十口  水■十口
廿九日緑靑三斤   生羂(絹)二尺 布綱一条[長八尋]
白布帳一条[四副 納志貴]綿二屯 金薄百枚 韋一枚[廣四寸長八寸]
靑代二兩
四月一日 帛巾三丈二尺[又八尺]布單衣六領[副袴]布二端九尺
湯帳【冠】秣等料 蓆十枚 布單衣四領[各副袴]
布一端二丈[湯帳襪冠等料] 折■二合  ■五合
片杯十口 塩杯十口[「返八口」](異筆)朱沙四兩 金靑四兩 白靑一兩
炭一石  阿膠三斤
二日布淨衣二領[副袴] 布三丈[湯帳冠襪]
三日胡粉二兩  【油】■【升】
四日油一升 烟子十枚[中] 胡粉三兩二分 五日白靑二兩

 四日料錢一貫[給半太稻村]
「合蓆七十四枚 疊十六枚[二着蓆]              「上讀題了」(異筆)」(奥裏書)

出典

『大日本古文書』12(240頁~242頁のうち240頁~241頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)6月18日

記事

符 奉寫經所 
   雌黄貳兩壹分  紫土捌兩  膠壹斤
   右 繪大般若壹部花嚴貳部軸七百〓≪よんじゅう≫枝料 即付呉原生人     
              判官石川朝臣豊麻呂 
          天平勝寳六年六月十八日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内9頁~10頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)9月9日

記事

梨軸漆伯枚  紫土壹斤  膠拾兩[並餝軸料]
  右 充花嚴經十部料如件 付呉原生人    
              判官上毛野君「(自署)眞人」
               天平勝寳六年九月九日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内11頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「呉原生人請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)3月18日

記事

               「(異筆)大唐」
花嚴經一部六十巻[黄紙及表綺緒紫土軸竹綵帙廿一部之内者]
大集經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表綺緒朱軸竹綵帙]
大品經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表漆軸竹綵帙]已上並面書寮者
  右 依少僧都(良辨)并次官佐伯宿祢(今毛人)天平勝寳六年三月十八日宣 令奉請鑒眞師所
                       知上馬養
                        呉原「(自署) 生人」

出典

『大日本古文書』13(63頁~64頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「奉作阿弥陀佛像并寫經用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760)4月26日

記事

 □(寫)經所解 申奉□□□(長方形抜け)(【作阿彌陀佛并】ヵ)【法花經一部料】請用雜物事
  合請錢肆仟漆伯文[自内裏者]
   所用肆仟伍拾玖文
    卅文苧一斤八兩直 十六文〓≪分+凡≫二口直
    六十文緑靑四兩直 五文白緑一兩直「(裏書)用度文」
    十文紫土一兩直  卅文阿膠一斤直
    七十文荒炭十四籠直[籠別五文]
    廿二文木沓二兩直 六文杓三柄直
    七十文兎毛筆二管直
    〓≪よんじゅう≫文烟子二枚直  二百〓≪よんじゅう≫文薪廿荷直[荷別十二文]
    三千文畫師三人施料
    二百七十文木工等給料
    一百八十文仏臺料歩板并榑等直
   所<可>殘陸伯肆拾壹文
(後略)

出典

『大日本古文書』14(335頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙十五)

「奉作阿弥陀佛像并寫經用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760)4月26日

記事

(前略)
    【一百<五>十五文雜丹等直[六十文緑靑兩直 五文白緑一兩直 十文紫土一兩直 〓≪よんじゅう≫文阿膠一斤直   〓≪よんじゅう≫文烟子二枚直]】
(後略)

出典

『大日本古文書』14(344頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙十五)

「造金堂所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)収 年月日欠

記事

(前略)
造金堂所解 申請用銭并雜物等
合銭一千六百十二<「*〓≪よんじゅう≫九」>貫九<「*七」>百五<「*十」>十四<「*三」>文
(中略)
   四百文白青二両一分直[【四分別〓≪よんじゅう≫五文】 「*両別二百文」 【五分四〓≪よんじゅう≫四文】]
   一貫十文買唐胡粉五斤直[斤別二百二文]
   四百文買縁(緑)青五斤直[斤別八十文]  
   二百卅八文買白縁(緑)三斤四両直[【卅両別五文】 「*斤別七十四文」 【廿二両別四文】]
   廿四文買紫土四両直[両別六文]
  二貫七百七文買阿膠百斤直[七斤別廿八文 九十三斤別廿七文]
  二貫七百八十文買銀卅四両三分直[両別八十文]
  七貫二百七文買水銀七十斤六両直[【四百五十両別六<七>文】 「*斤別百卅文」 【六百七十六両別六文】]
  六貫【三】<「*二」>百【卅】五<「*七十」>文買白鑞〓≪よんじゅう≫斤直[卅五斤別百五十七文 五斤別百五十六文] 
(後略)

出典

『大日本古文書』16(290頁~305頁のうち301頁)(『正倉院文書』続修35)

「僧慧常請彩色状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝8年(西暦756)6月9日

記事

謹請彩色事
胡粉一小斤 珠(朱)沙四両 金青七両
緑青十両 白青三両 銅黄一部
□丹一小斤 烟■<支>三枚 白緑四両
紫土一両 膠二小斤
 右件之物、律師(法進カ)令就官、裏請来日、自進直銭、幸垂助為處分、不具謹状、
               (天平勝宝八歳)六月九日僧慧常状[上]
長官[執事]
      謹空
長板更請四條、今欲作之、幸願處分、

出典

『大日本古文書』25(198頁~199頁)(『正倉院文書』続々修38帙8裏)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

金青九斤                     朱沙六斤四両
同黄二斤六両                   烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
白青四斤十両一分[四斤八両自外嶋坊請 二両一分買] 胡粉十五斤八両[十斤八両自外嶋坊請 五斤買]
緑青百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進]
白緑十五斤十三両三分[買]             丹廿一斤<「*九十九斤四両二分」>[十六斤自外嶋坊少僧都所請 
                                           五斤文部省少録内蔵全成所進
                                          「*七十八斤四両二分黒蝋大廿八斤二両三分〔給〕」]
青薫三斤六(ママ)                 蘇芳変二斤[已上自内裏給]
空青□斤                     紫土四両[已上買]
(ママ)金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三両打得]
膠一百五斤                    墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)