「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

用黑鉛九百八十三斤[熬得丹小一千一百五十六斤]
  朱沙小八兩[赤玉料]
  靑小十七斤九兩[靑玉并黑玉料]
  騏驎血小七兩一分[赤刺玉染料]
  漆九合[黑刺玉染料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内571頁~572頁)(『正倉院文書』續修34)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
  用黑鉛一百九十九斤[熬得丹小二百卅四斤]
   靑小十七斤八兩[丹和合料]
   赤土小一斤四兩[一舛丹和合料]
   白石六十斤[丹和合料]
   猪脂一舛[鉛熬調度]
   塩二舛七合[鉛〓≪月+昔≫料]
   膠二斤四兩[丹并靑等和合料]
   紗四尺[丹篩料]
   〓≪あしぎぬ≫三尺[石篩料]
   葛布六尺[土篩料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内573頁~574頁)(『正倉院文書』續修34)

「安拝常麻呂解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平7年(西暦735年)閏11月5日付

記事

謹解 申所盗物事

 麻朝服一領 葛布半臂一領 帛褌一要 麻糸抜一箇 帛被一盖
 紵悵一張 調布悵一張 被?一合 裳一要 靑裳一要 〓≪金偏+斗≫一面[枝継
 所管作、口左方均、右方於往疵、枝所継於中藁可挟入穴、] 赤漆真弓一枝[小ゝ削黑漆端] 幌二具
 右等物、六條二坊安拝常麻呂之家、以去八月廿八日夜所盗、注状以解、  
           天平七年閏十一月五日
             中宮職舎人少初位上中臣酒人宿祢久治良
             左大舎人寮少属大初位下安拝朝臣常麻呂
職符 東市司
 件所盗物、父以去八月廿八日申送如前、
        大進大津連船人
         少属衣縫連人君

出典

『大日本古文書』1(634~635頁)(『正倉院文書』正集4)

「筑後國正税帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738年)

記事

(上略)
   依太政官天平十年七月十一日符、買白玉壹伯壹拾参枚、直稲漆拾壹
    束壹把分
    紺玉漆伯壹枚 直稲肆拾壹束壹把捌分
    縹玉玖伯参拾参枚 直稲肆拾漆束漆把捌分
    玉肆拾貳枚 直稲参束壹把漆分
    赤勾玉漆枚 直稲壹拾陸束捌把
    丸玉壹枚 直稲壹把貳分、
    竹玉貳枚 直稲参把肆分、
    勾縹玉壹枚 直稲壹束捌把、
(紙端)

出典

『大日本古文書』2(146頁~149頁の内147頁~149頁)(『正倉院文書』正集43)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
 合褥参拾陸床
  法分雑色壹拾壹床[一長七尺四寸 廣四尺七寸 一長八尺三寸 廣四尺二寸]
    [一長七尺五寸 廣四尺 一長八尺四寸 廣四尺 一長六尺九寸]
    [廣五尺五寸 四各長四尺九寸 廣三尺 二各長四尺 廣四尺]
  通三寳壹床[表紫葛形綾、裏 長八尺 廣四(三 北浦本)尺]
(中略)
  塔分肆床[二表花形錦、裏赤、 二表紫紺、裏
  阿弥陀佛分壹床[表赤紫羅綾、裏結幡、 長八尺六寸 廣二幅]
   右、天平五年歳次癸酉、納賜平城宮 皇后宮者、
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578~662頁の内593~594頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合袈裟壹拾壹領 陰脊肆領
  裳壹腰 坐具玖枚
 丈六分袈裟貳領 一領綿納
  壹領白牒[高五尺 廣八尺三寸 蘇比色、大唐玄奘三蔵者、]
 佛分袈裟伍領[一領、麻七條、一領、赤色、 一領、紫羅綾、 二領、橡七條、]
  陰脊壹領 坐具参枚[二枚、紫結幡、一枚、赤錦、]
 弥勒佛分麻納袈裟一領
 聖僧分坐具貳枚[一枚、紫綾、 一枚、表綾、裏赤綾、]
 通分坐具貳枚[一枚、表碁磐科子錦、裏赤錦、 一枚表雲幡、裏縹、]
 木叉分坐具貳枚[二領、黄褐、 一領、青褐七條、]
  陰脊参領[一領、黄褐、 一領、紫羅綾 一領、青褐、]
  裳壹腰[鳩染色]
  坐具貳枚[一枚、橡、在中氈、一枚、紅染]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内596頁~597頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
  合布單帳漆拾陸張
(中略)
   法分花香具陸具 帳肆張 褥貳枚
    黒紫沙(紗)花覆貳張[長各九尺 廣五幅半]
    赤紫紗花覆貳張[長各八尺九寸 廣五幅]
    縹机敷貳張[長各七尺 廣三幅]
    縹机敷貳張[長各七尺 廣三幅](一行衍カ)
    右、養老五年歳次辛酉、寺造者、
    黄帳壹帳[長九尺六寸 廣二幅半]
    帳壹張[長九尺八寸 廣 幅]
        [長八尺三寸 廣二幅]
    右、癸巳年十月廿六日仁王會、納賜飛鳥宮御宇 天皇者、
    紫沙(花脱カ)覆壹張[長八尺四寸 廣三幅]
    浅沙机敷壹張[長七尺五寸 廣二幅半]
    右、天平元年歳次己巳、為仁王會、納賜平城宮御宇 天皇者、
    香机褥壹枚[表秘錦 裏緋花形綾]
    経机褥壹枚[表科子錦 裏緋葛形綾]
    紫羅[長一丈 高□□]
    紫羅綾花覆帳[一長九尺七寸 廣三幅 一長八尺 廣二幅]
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内598頁~601頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
  合綵色物壹拾参種
   佛分弐種[同黄九両 丹四両]
   通三宝分二種[朱砂十三両二分 青卅三両]
   塔分陸種[朱砂六十二両一分 胡粉ニ百八十両一分 黄卅五両二分
       丹ニ百八両 烟子一百〓≪よんじゅう≫八枚 雌黄卅七両]
   通分参種[丹五百五十五両 朱砂六百二分 青三千ニ百九十六一分]
  合漆泥机伍足
   佛分一足
   法分三足
   聖僧分一足
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(下略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内603頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
 合通分雑物参拾伍種
  繍八部帳壹張[長七尺 廣五尺]
  帳壹張[表紫、裏、在緒]
  呉人錦帳壹張[帳六尺二寸 廣五尺]
  秘錦(帳脱カ)貳張[一長七尺九寸 廣四尺九寸 一長七尺五寸 廣四尺九寸]
  毛錦帳貳張[一長九尺一寸 廣四尺四寸 一長九尺 廣四尺四寸]
  紫籠目紗垣代帳壹張[廣廿二幅]
  紫紗貳端[一長十三丈八寸 一長六丈三尺五寸]
  紺布幕肆張[各十六幅]
  紺布垣代帳肆張[各三幅]
  綵色画屏風貳牒
  牒子陸拾伍口
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~623頁の内607頁~608頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合通分雑物参拾伍種
繍八部帳壹張[長七尺 廣五尺]
帳壹張[表紫、裏、在緒]
呉人錦帳壹張[帳六尺二寸 廣五尺]
秘錦(帳脱カ)貳張[一長七尺九寸 廣四尺九寸 一長七尺五寸 廣四尺九寸]
毛錦帳貳張[一長九尺一寸 廣四尺四寸 一長九尺 廣四尺四寸]
紫籠目紗垣代帳壹張[廣廿二幅]
紫紗貳端[一長十三丈八寸 一長六丈三尺五寸]
紺布幕肆張[各十六幅]
紺布垣代帳肆張[各三幅]
綵色画屏風貳牒
牒子陸拾伍口
(中略)
黒葛編簀陸拾枚  串簀伍枚
簾壹伯貳拾壹枚[一枚錦端 四枚端 一枚黄端 五枚上野]
長畳漆拾捌枚[二枚錦端 一枚端 六枚黄端 卅二枚紺布端 十六枚白布端 八枚折薦]
半畳玖拾参枚[一枚錦端 五枚紫端 十三枚緑端 十七枚黄端 卅枚白布端 廿五枚折薦]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~623頁の内607頁~608頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
青貳拾伍斤拾兩参分[佛物]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち635頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合白肆斤陸兩[通分]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち635頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合寳帳肆張 [佛物紫羅一張 菩薩物横寳帳一看牟畑 通物二帳 之中一魯帳 一班帳]
合蓋貳具 [各着小幡四頭 並法物]
合小幡貳伯壹拾参頭
   佛物八十五 之中廿八羅 一唐綿 廿八紫 廿八 法物百廿八 之中一百唐羅 廿八四色綾]
合机敷物漆條 [佛物五條 之中一表 裏浅緑 四表裏布 法物錦褥一 通物紫羅一]
合花覆壹拾参條 [佛物四足(之カ)中 三紫紗 一羅 法物九 之中五紫 一赤 一黄 一 一浅
合机帯貳拾條 [佛物二條 法物十八條 之中十二 二紫 二縹 二帛]
合佛張柱〓≪果+衣≫布参端 [二長各五丈 一長四丈 並佛物]
合火爐坐敷物二條 [佛物一條 表錦裏 法物一條秘錦]
合袈裟壹拾壹領 [佛物六領 之中一納 四七條 一五條 法物五領 之中二納 三七條]
合坐具貳拾伍枚 [佛物十八枚 法物五枚 菩薩物一枚 聖僧物一枚]
合衣陸領 [男三領 之中一衿綾 二単高機緋 女三領 之中一斑綾 二緋綾 並佛物]
合織経纒貳條 [佛物]
合綵帛肆匹三丈捌尺 [三丈八尺唐 緋綾 三匹黄 一疋浅緑 並佛像]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内640頁~641頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合雑〓≪あしぎぬ≫端壹拾壹條
   [佛物五條 之中紫綾 長五尺三寸 四帛〓≪あしぎぬ≫ 法物五條之中一紫〓≪あしぎぬ≫ 長五尺七寸
    三〓≪あしぎぬ≫長各二丈 一帛〓≪あしぎぬ≫長一丈五尺 一悲田分物〓≪あしぎぬ≫端長二丈四尺]
合織〓≪糸偏+成≫并氈貳拾捌床
   [佛物織〓≪糸偏+成≫一床 法物高麗織〓≪糸偏+成≫一床 通物廿六床 之中三床織〓≪糸偏+成≫六吉氈十七悪氈]
合種種物覆貳拾参條
  [佛物十五條 之中一黒 七紫 七 法物七條 之中一切経 覆五條 交縫紗帳二條 菩薩赤綾一條]
合種種物袋貳拾捌口 [佛物廿口 之中坐袋二口 屏風袋十六口 寳頂袋二口 温室分屏風袋八口]
合衣屏肆條 [二條各三十副表紺裏緋 二條各七副半 表裏如上 並通物]
合垣代帳陸條 [四條表紺裏緋 一條 十一副 一條廿三副 並通物]
合綱漆拾玖條 [佛物布綱一法物八條 之中一赤糸縄 七緋〓≪糸偏+思≫(綱) 燈爐廿条 通物布綱五十條]
合〓≪あしぎぬ≫帳貳拾張 [佛物十張 之中二張 帛八張 温室分物赤帛一張 常住僧一張 通物 橡帳一張]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内643頁~644頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
 合大般若會調度
  額八條[一條仏殿前繍 一條中門 二條東西左右小門 四條東西廡廊]
  佛懸綱肆條     緋〓≪あしぎぬ≫帳壹條
  紺布帳陸張      細布帳壹張 
  布縄壱拾参條     佛懸横木貳枝
  経臺貳足       高坐貳具
  机陸足        礼盤坐貳具
  火爐机貳足      布巾参條
  簾貳枚
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内646頁~647頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「千部法華経料納物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)正月11日付

記事

千部法花経料納物帳    天平廿年正月十一日
正月十日自内裏給出紙肆仟貳伯張[千部法花経料 使春宮舎人出師浄道]
    便充能登忍人        検納阿刀酒主
十一日自内裏給出鹿毛筆廿箇 墨伍拾廷[並千部料]
                  検納阿刀酒主
二月十日自内裏給出画軸十六枚斑綺緒二丈八尺[千部之内且請二部料]
                  検納阿刀酒主
十三日自宮給出斑綺緒八條[惣長六十九丈六尺]
  竹帙肆拾伍枚[緋裏錦淵井拾組緒][已上並千部料且所給如前]
                  検納阿刀酒主
廿六日自政所来朱頂軸捌拾枚[千部之内且請八部料]
(中略)

出典

『大日本古文書』3(1~9頁の内1~2頁)(『正倉院文書』正集39裏書)

「千部法華經料納物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平感寶元年(西暦749年)5月1日

記事

(紙端)
千部料紙并緒軸帙雜物納帳[天平廿年正月十一日]
 正月十日自内裏給出紙四千二百張[既經紙 使春宮舎人土師浄道]受装〓≪さんずい+黄≫能登忍人
                    檢阿刀酒主
 二月十日自内裏給書軸十六枝 斑綺緒二丈八尺
      千部之内且請二部料     檢阿刀酒主
   十三日自宮給出斑綺緒八條[惣長六十九丈六尺]竹帙〓≪よんじゅう≫五枚[緋裏錦縁 拾組緒]
      已上並千部料且所給     檢阿刀酒主
   廿六日自政所来朱頂軸八十枝[千部之内且請八部料]
                    檢阿刀酒主
   廿九日自圖書寮来紙三千九百七十張[經紙]
      又自政所請凡紙一百卅八張[九十九張端継料 卅九張〓≪果+衣≫紙料]並千部料 酒主
 四月廿四日納朱軸二百枝[市買者]   檢阿刀酒主
(中略)
 十月一日自圖書寮請来紙一万五千三百張[経紙者]
      又〓≪凡≫紙五百卅六張[百五十三張〓≪果+衣≫紙断 三百八十三張端継料]即受能登忍人
                    檢阿刀酒主
   三日自政所請〓≪凡≫紙百廿張[六十張式料 六十張敷紙料]並六十人料[人別二枚]
                    檢阿刀酒主
   廿二日自宮給出緒邉小靑中既紫十條[惣長四百五十一丈三尺]
      右、依犬甘命婦今日宣、其色分定如前、[先來靑斑緒並可用、]
                    檢阿刀酒主
(後略)
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(216頁~220頁)(『正倉院文書』大橋本7)

「大安寺造佛所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平感寶元年(西暦749年)閏5月11日

記事

大安寺造仏所解  申請丹事
 白靑七兩
  右既未給
 靑一斤十四兩
不 右依荒不用
 白緑八兩
  右依色悪不用
以前、奉造 盧舎那仏像料、今應請丹、員如前、謹解、
     天平感寳元年潤五月十一日中務少録從七位下中臣丸連諸麻呂
玄蕃頭從五位上市原王
外從五位下行圖書助守部連牛養

出典

『大日本古文書』3(237頁~238頁)(『正倉院文書』續修29)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)5月11日

記事

寫書所解 申請厨子料雜丹事
合【參拾陸】〓≪よんじゅう≫五斤九兩參分貳銖
 用【卅二】〓≪よんじゅう≫斤五<七>兩二<二>分二<一>銖
 【殘四】五斤四<二>兩一分 「(別筆)一朱」
   朱沙十五兩三分二銖[用十兩三分二朱 殘五兩二朱]      金靑一斤六兩[用十一兩二分 殘十兩二分]
   丹三斤二兩[用一斤十五【<四>】)兩一分 殘一斤二兩三分] 靑六斤[用四斤九兩一分 殘一斤六兩三分]
   白十二兩[用二兩一分 殘九兩三分]            白靑九兩[用八兩 殘一兩]
   同黄一兩二分[用一兩一分 殘一分先日進返了]        紫土一斤八兩[盡用]
   胡粉廿二斤一兩二分[盡用]                 靑代二兩[盡用]
   [膠九斤[用八斤殘一斤]] 
 金薄二百廿三枚[用二百十一<三>枚 殘十【二】枚]
 烟子卅三枚[一枚大卅二枚中盡用]
 遍一舛一合[盡用]
 膠九斤[用八斤 殘一斤]
  右、采色厨子之料、所用并遺數、顯注如前、以解、
            天平勝寳四年五月十一日呉原生人

出典

『大日本古文書』3(573頁~574頁)(『正倉院文書』續修29 )

「充厨子畫所雜物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

(紙端)
充厨子畫所雜物帳
天平勝寳四年潤三月廿二日充阿膠二兩 廿三日二兩 胡粉一〓≪果+衣≫[未検兩數]
廿四日白五兩又七兩 阿膠四兩 胡粉一〓≪果+衣≫ 白靑六兩 丹一斤二兩
 金靑十兩 朱沙三兩二分
廿五日緑靑三斤 阿膠十兩三分 烟子二枚[中] 銅盤三口 銅黄一分
(後略)

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内592頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

七月廿九日用淺敷銀薄紙六張[最勝王経并仁王経表紙料]
                        収他田水主

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内594頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

九月十四日納色紙<金敷>參拾張[自内裏来]
       右依少僧都良弁師宣奉寫藥王菩薩本事品觀世音菩薩普門品
       安樂行品  如来壽量品料
                   知呉原生人 他田水主

  十九日納敷金紙壹伯玖拾漆張
       右依飯高命婦宣奉寫六十花嚴経一部且納如前
           奉宣判官大蔵伊美吉
                      檢納他田水主
  廿二日納白布紙拾張[白紙法花経料所欠]
                      収他田水主

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内595頁~596頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2 )

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

 十月廿一日納敷金紙貳伯玖拾伍張 納漆辛櫃着足无〓≪金偏+巣≫
      右奉寫六十花嚴経料如前[先請之類者]
                      収呉原生人
     漆辛櫃一合[着足]
      右依上毛野判官阿刀主典宣付紫微(中脱カ)臺舎人山老万呂進納如
      前
                十一月十九日他田水主
                     呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内596頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

 十一月廿七日納敷金紙貳伯陸拾張[六十花嚴経料]
                      収他田水主

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内596頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

 十ニ月十一日納壇紙壹仟伯陸拾張[納明櫃一合之中四百五十四張以十ニ日進返内 裏便納其櫃 〓七百六張]
      右依飯高内侍宣奉寫薬師経〓≪よんじゅう≫九巻料
                            収呉原生人

    廿二日納縹紙參拾張[藥師経〓≪よんじゅう≫九卷表紙料]
                            収上馬甘

     廿八日納敷金紙貳伯玖拾張[六十花嚴料]
                            収上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内597頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

天平勝宝五年

(中略)
 
  二月八日納<敷金>色紙肆伯伍拾捌張[三百十八張靑褐 百〓≪よんじゅう≫張滅紫]
       右依飯高笠目天平勝寳五年二月七日宣奉寫最勝王経一部
       仁王経一部 解深密経一部之料
                      収呉原生人
                      上馬甘
  以二月廿日進返内裏色紙<敷金>壹伯伍拾張[九十八張靑褐 五十二張滅紫]
       右依次官佐伯宿祢宣進返如前[付秦原守工石主]
                      知呉原生人
    廿四日納色紙貳伯伍拾參張
     深十一張 深縹廿張  淺縹廿張  淺廿張
     蘇芳廿張  深紅廿張  淺紅廿二張 白廿張
     淺波自〓≪よんじゅう≫張 深苅安廿張 淺苅安廿張 胡桃廿張
      右<依善光尼師宣>奉寫種々観世音経廿一卷判者
                            受呉原生人
     又納深紅<金敷>紙壹伯拾伍張
       右依錦部内侍天平勝寳五年二月七日宣奉寫楞伽
                      収上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内597頁~598頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

七月六日納敷金紫紙參拾貳張[卅張紙花嚴経表紙料  二張心経二卷料]
                        収呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内600頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

十六日納色紙壹仟伯張[五十張表紙料]
      藍色百張  深縹百張  白百張  深紅百張  中紅百張
      淺紅百張  深橡百張  淺波自百張 深波自百張
      淺苅安百張 淺百張  凡紙九十八張[端継等料]
       右依奉寫觀世音経一百卷料
                     収呉原生人 上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内600頁~601頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

合  廿一日納敷金【靑褐】紙壹伯伍拾張[辛浄足之奉寫花嚴料 自紫微中臺来]
                      知上馬養
                      呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内604頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

 四月十四日納黄紙一千九百張[大僧都所]
    十九日納金塵紙肆拾陸張[辛浄足奉寫花嚴料者]
                       知上馬養

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内605頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

六月
    二日納金塵紙參伯參拾捌張[辛浄足奉寫花嚴料]
                       上馬養

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内605頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

二月廿四日納色紙貳伯伍拾參張
  深十一張 深縹廿張  淺縹廿張  淺廿張
  蘇芳廿張  深紅廿張  淺紅廿二張 白廿張
  淺波自〓≪よんじゅう≫張 深刈安廿張 淺刈安廿張 胡桃廿張
   右種々觀世音経廿一卷料
             受呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内612頁~613頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

七月九日
  金薄敷紫<紙>伍張[紙花嚴表紙料]受能登忍人
                   検充呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内613頁~614頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

十六日納色紙壹仟伯張[一千十張見寫料  五十張表紙料 〓≪よんじゅう≫張儲料]
  藍色百張 深縹百張 白百張 深紅百張 中紅百張
  淺紅百張 深橡百張 淺波自百張 深波自百張
  淺刈安百張 淺百張 凡紙九十八張[式敷紙下纒等料]
  右奉寫觀世音経一百卷料
            七月十六日上馬甘
               呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内614頁~615頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

廿八日充淺金敷紙八十八張[寫十二仏名経等類三卷料 充水主]受忍人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内615頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

金薄敷三張<紙>[充忍人 六十花嚴料者依大蔵判官宣用]
  右十二仏経等表紙料且充如前   知生人
金敷紙二張[六十花嚴料]
  右依大蔵判官宣為十二仏名等表紙所充如前
            十一月廿八日他田

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内615頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

金薄敷紙五百五十張[六十花嚴料]受能登忍人
  五年五月<廿九日>上二百張[収生人]
           十二月九日呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内615頁~616頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東大寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部 之中拾參部請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙十七枚[並緋裏錦綴組帶 納漆塗小辛櫃一合並机敷布一條]
   右、依今日牒旨、<令>奉請如前、
               天平勝寳五年三月廿七日 上馬養
                           呉原

出典

『大日本古文書』3(621頁~622頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部[二百巻]之中拾參部<便>請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺(カ)表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙拾漆枚[並緋裏錦綴組帶]
   右、依今日牒旨、奉請如前、
                  天平勝寳五年三月廿七日 
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(622頁~623頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東大寺司牒 僧綱務所
 奉請仁王経壹伯部 之中拾参部請■東大寺
 見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒]
  [九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙浅表綺緒]
  [三部胡桃紙縹表綺緒 以上三十一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸]
  [一部黄紙及表綺緒紫檀軸 一部黄紙及表綺緒梨軸]
 竹綵帙十七枚[並緋裏錦縁綴組帯 納漆塗小韓櫃一合並机敷布一條]
  右、依今日牒旨(令)、奉請如前、
              天平勝宝五年三月廿七日 上馬養
                           呉原
次官佐伯宿祢
「右、以四月七日、依先■奉納如前、
 又自三綱所、奉請仁王経廿三巻、[上馬甘 只上二巻下一巻]」(別筆)
造東寺司牒 僧綱務所
 奉請仁王経壹伯部[二百巻]之中拾参部(便)請■東大寺
 見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒]
  [九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒]
  [六部縹紙浅縁(ヵ)表綺緒 三部胡桃紙縹表綺緒 以上三十一部丹軸]
  [三部黄紙及表綺緒漆塗軸 一部黄紙及表綺緒紫檀軸 一部黄紙及表綺緒梨軸]
 竹綵帙十七枚[並緋裏錦縁綴組帯]
  右、依今日牒旨、奉請如前、
              天平勝宝五年三月廿七日 上馬養
                           呉原
次官正五位上兼行下総負外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(621~623頁)(『正倉院文書』続修32)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)12月10日

記事

寫書所解 申請経師等布施事
合奉寫六十花嚴経九十卷[六十卷波和羅紙 卅卷紙]並第一第二第三帙者
  用紙壹仟玖伯貳拾張
(後略)

出典

『大日本古文書』3(638~641頁の内638)(『正倉院文書』續修別集23)

「紫微中臺牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)12月21日

記事

紫微中臺牒造東寺司
  畫〓≪あしぎぬ≫壹條[三副]   朱沙貳分     金靑壹兩貳分
  白靑壹兩貳分    靑貳分     白肆兩[見二兩一分 欠一兩三分]
  同黄半分      胡粉參兩     丹貳兩
  烟子參枚[大]    膠拾兩
    右、為奉造阿弥陀仏像、送如件、故牒、
          天平勝寳五月(年カ)十二日(月カ)廿一日少疏上毛野君牛養
                      大忠土師宿祢

「(別筆)上件雜彩檢納已訖、但欠白者、付返抄申送、可更送状、
  次官佐伯宿祢           判官上野君眞人」

出典

『大日本古文書』3(640~641頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第4卷)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

外嶋院 牒東大寺寫経所
  奉請花嚴経一卷六帙第三卷者
   牒、件依他卷未校、不〓≪さんずい+「得」の旁≫奉寫、其所以勘定三卷、請返如前、仍事状注、故牒、
  一先奉送金塵紙肆拾陸張者[未]
   其紙装横(〓≪さんずい+黄≫)畢在者、欲請件二條、辞注如前、
                 五月十日田口兄人
                            使人奴東人

出典

『大日本古文書』3(642~656頁の内655~656頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「寫經請本状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)7月28日

記事

外嶋院
  梵網経九卷
   一部黄紙 黑黄〓≪衣偏+票≫ 緋綺帶 黑漆軸
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 綵綺帶 白檀軸
   一部[上卷黄紙及縹 淡綺帶 赤漆軸 故 下卷黄紙及縹 紫淡綺帶 朱頂軸 新]
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 紫淡綺帶 黑漆軸
   一下卷白紙 黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 〓≪木偏+聖≫軸
以前経、付工石主、令奉請如件、
             天平勝寳六年七月廿八日上毛野君 粟 守 

出典

『大日本古文書』4(14頁)(『正倉院文書』続修42)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)4月20日

記事

(継目)
外嶋院 牒東大寺寫経所
  敷金紙壹伯伍拾張 舊花嚴経第五帙第二卷
   右、依来員、檢納已訖、
更合奉請<舊>花嚴経第<五>帙之第三四并二卷[付使奉度如前]
又葉藁紙參伯肆拾張 不過今日欲請
  以前三條事、具状如件、故牒、
             天平勝寳六年四月廿日田口 兄 人
(継目)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内35頁)(『正倉院文書』塵芥35 裏書)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)5月17日

記事

(継目)
外嶋院 東大寺寫経所
  花嚴経貳箇卷[第五帙[第七卷]第六帙[第四卷等者]]
  金塵紙肆拾陸張者
   右、件経并紙等来、依數檢納如前、
更奉度経五箇卷 [第六帙[第三五六七卷者 證本一卷者七]]
   右、依牒旨、合奉請如件、辞状注、故牒、
                    五月十七日田口 兄 人
(継目)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内40頁)(『正倉院文書』塵芥10 裏書)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)6月1日

記事

(継目)
外嶋院  牒東大寺寫経所
  以三月廿一日従内給金塵紙一百五十張
  又廿五日給〓≪よんじゅう≫六張[已上九十六枚者先奉度[支]]
■今送奉金塵紙參伯拾捌張者
   牒、件金塵紙、所申依數奉送已訖、仍辞状、故牒、
           天平勝寳六年六月一日田口 兄 人
                   付使奴東人
(後略)
(継目)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内41頁~42頁)(『正倉院文書』塵芥10 裏書)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)5月27日

記事

造東大寺司 牒大安寺三綱務所
合経参伯貳拾壹卷
  帙肆拾陸枚 牙籤拾漆枚
   廿八枚綵帙
    廿枚繍[十一枚緋綾裏錦縁組帶 九枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁之中七枚紫綾帶二枚組帶]
    八枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫綾帶]
   十八枚麁帙[之中二枚緋綾裏錦縁紫帶 一枚白綾裏錦縁帛帶 十五枚綾裏紫綾縁組帶]
(中略) 
   右四経十卷同帙[已(上)黄紙及表綺緒紫檀軸]
    合経壹伯伍卷[臺一切経内者]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪経十卷[一帙紙] 大乗悲分陀利経八卷[一帙]
  正法華経十卷[一帙]      十住経四卷[已上並黄紙及表紫斑緒朱軸 紙帙]
  金光明経八卷[黄紙及表紫緒朱軸 一帙] 大哀経八卷[黄紙及淺斑緒朱頂軸漢手 一帙]
  維摩経三卷[黄紙縹綾表淺斑緒水精軸唐手 紙帙]
  十輪経八卷[黄紙及表橡緒朱軸 一帙] 已上圖書寮[経并帙大唐者]
以前、依今月廿六日牒、付迴使少内記正八位下林連廣野、令奉請如件、以
牒、[又僧等鏡、]
         天平勝寳七歳五月廿七日主典正七位上葛井連
             判官正六位上兼下野員外掾上毛野君

出典

『大日本古文書』4(61頁~66頁)(『正倉院文書』続修別集43)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)7月12日

記事

政所符 寫経所領呉原生人等
合玉軸漆伯枚
  白百枚 黒百枚 浅縹百枚 深百枚 赤百枚
  浅百枚深縹五十枚 黄五十枚 紺卅枚
   右、奉着中宮省 御願十部花嚴経料、充遣如件、故符、
                判官上毛野君
                  石川朝臣 豊 万 呂
          天平勝寳七歳七月十二日 即 付 生 人

出典

『大日本古文書』4(69頁)(『正倉院文書』続修別集47裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
    成實宗所[使少維那〓≪穴冠+龍≫〓≪人偏+葉≫]
(中略)
         「(別筆)以六年五月十六日返 収呉原生人」 「(別筆)以八歳三月十二日[収上馬甘]」
正法華経一部十卷    唯識寳生論一部五卷  唯識論一部[十卷]
              【唯識論疏一部一卷】[基法師]
  成唯識論第一卷    唯識論一疏部十卷[基法師 並一切経内者 「(別筆)以八歳三月十二日 収上馬甘」]
又了義燈[七卷「(別筆)以三年八月十日使玄愷又歳三月十六日納却」]
  帙二枚[縁(カ)地錦縁緋裏紫帶]
   右、依少僧都良弁師天平勝寳四年八月十三日宣、奉請法性宗所、[使元愷師、]
  判 判官大蔵伊美吉
                  知呉原 生 人
(後略)
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内89頁~91頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)

合経拾漆卷
  帙伍枚
   三枚繍[並緋綾裏錦縁組帶]
   二枚麁帙[一枚深綾裏赤紫縁組帶 一枚緋綾裏黒紫縁組帶]
  勝思惟梵天所問経六卷  阿惟越致経三卷
  大乗問性経二卷     縁生初勝□□(長方形後半抜け)
   右四部十三卷[並黄紙及表綺緒朱軸]
  楞伽阿跋多羅寳経四卷[黄紙及表綺緒漆軸]
  前、依次官大蔵伊美吉天平勝寳七□□□□(長方形抜け)七日宣、今奉請元興寺如件、[付]
   [使□□(長方形抜け)
          天平勝寳七歳四月廿七日呉□ □ □(原 生 人)
  □□□(長方形抜け)
   「(別筆)大蔵伊美吉□□□(長方形抜け)       主典美努連□□□(長方形抜け)」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内99頁~100頁)(『正倉院文書』塵芥25裏書)

「佛像雜具請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(紙端)
  佛像一百鋪[別二副 鋪別裹帛〓≪あしぎぬ≫一條]納辛櫃二合[一合繪黒柿色 一合白木]
   右、仁王會時奉造、并自寺々奉請御像者、
  毘盧舎那仏一躯[屏風者] 〓≪木偏+聖≫臺一基〓≪木偏+聖≫榻足机一前[敷紫綾褥]
   紫羅盖一覆 納枌厨子一基
   右、天平勝寳七歳十一月廿六日、自外嶋院請来、
  觀世音菩薩像一躯[同黄像三副] 仏臺一基  白盖一覆[二副]
   帛袷褥一條[二副]  敷布三條    糸丸組二條 
   右、天平勝寳八歳四月廿三日、自中嶋院請来、
  純金觀世音菩薩像一躯[自座至御頂髙一寸六分半 有居身光] 御座二階[一階琥碧 一階水精]
   納殿五重[一重琥碧 一重白檀一重沈 一重白檀 一重雕交白檀] 納珠縄嚢一口[以金糸堺]
   着紫丸組緒以眞珠瑪瑙及紫石造鎖納玉數惣四百十六丸[三百九十六丸]
   [真珠 十四丸瑪瑙 六丸紫石]
   納漆黒葛筥一合  紫細布袷袋一口
    右、自 御陵所請来、
  牙籤       緋系丸組
   納漆草筥一合
    右、臺一切経料、
  銀銘三枚[一枚充常陸國 一枚充武藏國 見一枚]
  繪漆函四具[別二重 一具充常陸国 一具充武藏國見二具之中一具繪了一具繪始未畢]
  白銅小佐良九口[一口依判官上毛野君去天平勝寳五年三月廿八日宣、進政所、付他田水主 一口納金墨以天平勝寳七歳六月十七日進政所、使呉原生人檢納判官石川朝臣]
   見七口
  綵帙〓≪よんじゅう≫枚

厨 子 覆
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(106頁~108頁)(『正倉院文書』続修後集6裏書)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)6月21日

記事

獻  盧舎那佛
   御袈裟合玖領
    九條刺納樹皮色袈裟一領[碧綾裏皂絹縁]
    七條褐色紬袈裟一領[金剛智三蔵袈裟]
    七條織成樹皮色袈裟一領[紺綾裏皂綾縁]
    七條刺納樹皮色袈裟六領[二領碧綾裏皂絹縁 二領紺絹裏皂絹縁 一領紺綾裏皂綾縁 一領紺〓≪あしぎぬ≫裏皂綾縁]
     右、納漆皮箱三合、箱別納以碧綾〓≪巾+「僕」の旁≫袷裹三領、箱亦納有﨟纈
     袋「(附箋)惣納漆櫃一合着鎖」

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内122頁~123頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金銀作小刀一口[刃長一尺四寸七分 赤檀把 紅白絛綬帶 紫組懸 紅羅袋]
   斑犀偃鼠皮御帶一條
   御刀子六口[大一口 斑犀把 紫檀鞘並金銀鏤鈿作雜采寳珠 縄三條垂飾雜采組係]
        [小二口並斑犀把白犀鞘金銀飾雜采組係 小一口紅牙撥鏤把鞘金銀作白組係]
        [小一口牙撥鏤把鞘金銀作 小一口斑犀把白牙鞘白組係]
   御袋一口[地碧地錦間縫黑紫赤紫組係 納訶黎勒]
    右御刀子御袋者、並繋着偃鼠皮帶、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内126頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

「(附箋)无實 疑重載」御帶一條[斑貝鉸具 吉膜〓≪革+呈≫]
   牙笏一枚[長一尺三寸二分 本廣一寸九分]
   通天牙笏一枚[長一尺一寸三「(附箋)*八」分 本廣一寸六分]
   大魚骨笏一枚[長一尺二寸一分 本廣一寸九分]
   紅牙撥鏤尺二枚
   牙撥鏤尺二枚
   白牙尺二枚
   紅牙撥鏤算子百枚[納白柳箱]
   犀角杯二口[一白 一黒]
   雙六頭一百一十六具一隻未造了二具[納小皮箱]「(附箋)*欠一具」
   雜玉雙子「(附箋)*雙六子」六百六十九[水精卅五 琥碧卅五 黄琉璃廿 藍色琉璃廿 淺琉璃十五 琉璃十五]
                   [白碁子十四 黑碁子十五 納小皮箱]
   貝〓≪王+夬≫拾二箇

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内127頁~128頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  檜木倭琴二張[頭尾枕脚並着赤木 上面着縹紙記 五言詩 並納臈纈袋裏]
   銀平文琴一張[軫足並象牙 腹内有司兵韋家造此琴字 納紫綾袋緋綾裏]
   漆琴一張[紫檀軫 牛角足 腹内有〓≪山偏+「澤」の旁≫山之岫幽人所玩等字 納紫綾袋緋綾裏]
「(附箋)紅牙撥鏤撥」螺鈿紫檀琵琶一面[地畫捍撥 納紫綾袋淺臈纈裏]
   紫檀琵琶一面[地畫捍撥 納紫綾袋緋綾裏]
   螺鈿紫檀五絃琵琶一面[龜甲鈿捍撥 納紫綾袋淺臈纈裏]
   螺鈿紫檀阮咸一面[地畫捍撥 納紫綾袋淺臈纈(裏脱カ)]
   桐木箏一張[木畫兼玳瑁 納臈纈袋裏]
「(附箋)无絃」楸木瑟一張[木畫兼玳瑁 上足紫檀 下足黒柿 納臈纈袋裏]
   甘竹簫一口[楸木帶 納紫綾袋緋綾裏]
   呉竹笙一口[漆〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋淺臈纈裏]
   呉竹竿一口[漆〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋緋綾裏]
   雕石横笛一口[納髙麗錦袋淺臈纈裏]
   雕石尺八一口[納髙麗錦袋淺綾裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並染木 地畫月形 納臈纈袋裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並桐木 緋地畫月形 納紫地錦袋緋裏]
   木畫紫檀棊局一具[牙界花形眼牙床脚局兩邊着環局内 蔵納棊子龜形器納金銀龜甲龕]
   木畫紫檀雙六局一具[牙床脚 納漆縁縁〓≪竹冠+遽≫龕々裏悉漆]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内130頁~132頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

 御大刀壹佰口
「(附箋)除物」陽寳劔一口
「(附箋)除物」陰寳劔一口[並刃長二尺六寸九分 鋒者偏刃 各銘寳劔字 紫檀把頭 鮫皮裏把 眼并鞘口帶執及鞘尾把押縫]
             [皆用純金莊帶執鞘尾以金漆塗金上 紫組懸 紫皮帶執 黒紫綾帶 紅地錦袋緋綾裏]
    金銅莊唐大刀八口[並刃長二丈六寸 鋒者偏刃 鮫皮裹把作山形 葛形裁文 白皮懸 四口赤紫組帶執 赤紫羅帶]
            [三口黒紫組帶執黒紫羅帶 一口黒紫組帶執 赤紫羅帶 並地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銀鈿莊唐大刀一口[刃長二尺六寸四分 鋒者兩刃 鮫皮把作山形 葛形裁文 鞘上未金鏤作 白皮懸 紫皮帶執]
             [黒紫羅帶 緋地髙麗錦袋淺綾裏]
    金銅鈿莊唐大刀一口[刃長二尺四寸三分 鋒者兩刃 偃尾 鮫皮裹把 作山形葛形裁文 白皮懸 紫皮帶執]
             [赤紫羅帶 緋地錦袋緋綾裏]
    銀莊鈿作大刀一口[上 刃長二尺六寸二分 金漆塗刃 鋒者兩刃 鮫皮裹把 白皮懸 籐纏鞘 銀作山形葛形]
            [文 紫皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銀鈿作唐様大刀一口[刃長二尺九寸四分 鋒者兩刃 銀鏤雲龍星形 鮫皮裹把 銀作山形葛]
              [形獸草形平文 白皮懸 吉〓≪革+莫≫帶執 黒紫綾帶 地髙麗錦袋緋綾裹]
    銀莊鈿作唐様大刀一口[刃長二尺五寸七分 鋒者兩刃 銀鏤龍星形 鮫皮裹把 銀作山形葛形]
              [獸形平文 白皮懸 臈油皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裹]
    金銀鈿作唐大刀一口[刃長二尺九寸五分 鋒者兩刃 銀鏤龍星形 鮫皮裹把 金銀作山形葛獸形平]
             [文 白皮懸 白皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裏]
「(附箋)白皮懸」金銀莊唐大刀一口[刃長二尺七寸二分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形龍鱗葛形平文 白皮帶執 黒紫]
                  [綾帶 地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅莊唐大刀一口[刃長二尺八寸五分 鋒者兩刃 偃尾 鮫皮裹把 金銀作山形龍鱗葛形平文 白皮懸]
             [白皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裹]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内132頁~133頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金銀荘唐様大刀一口[刃長二尺三寸 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形葛形裁文 白皮懸]
             [紫皮帯執 黒紫綾帯 白地高麗錦袋淺綾纈裏]
    金銀荘唐様大刀一口[刃長二尺二寸九分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形葛形裁文 白皮懸]
             [紫皮帯執 黒紫綾帯 緋地秘錦袋緋綾裏]
    銀荘唐様大刀一口[刃長二尺四寸 鋒者偏刃 鮫皮裹把 銀作山形葛形裁文 白皮懸 黒皮帯執]
            [黒紫綾帯 緋地秘錦袋緋綾裏]
    銀荘髙麗様大刀一口[刃長二尺五分 鋒者偏刃 銀作環頭 玳瑁裹把 銀作葛形纒把 又作山形龍鱗荘]
             [鞘 白皮帯執 黒紫綾帯 地高麗錦袋緋綾裏]
    金銅荘唐様大刀一口[刃長二尺六寸 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金作山形葛形裁文 但鞘尾及約以金漆塗]
             [銅 白皮懸 黒皮帯執 黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏 新乙治四]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺二寸六分 鋒者偏刃 有溝 洗皮懸 鮫皮裹把 扼闊有窓 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 地髙麗錦「(附箋)袋」緋綾裏]
    銀荘髙麗様大刀一口[刃長二尺七分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 環頭 銀作山形葛形平文 洗皮帯執]
             [黒紫綾帯 紫系絡結袋]
    金銅荘劔一口[刃長二尺八寸二分 兩刃刃中兩溝 銀線纒把 但頭及帯執鞘尾並以金漆塗 紫皮懸 紫皮帯]
          [執 黒紫綾帯 地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺三寸八分 鋒者偏刃 銀線纒把 但頭及帯執鞘尾並以金漆塗 紫皮懸 紫皮帯執]
           [黒紫綾帯 地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長三尺二寸二分 鋒者偏刃 線纒漆把 金漆塗銅作山形 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 地髙麗錦袋緋綾裏]
    銀銅作大刀一口[刃長二尺三寸一分 鋒者兩刃 紫檀把 銀銅作山形 紫組懸 紫皮帯執 赤紫綾帯]
           [緋地錦袋緋綾裏]
    銀銅作大刀一口[刃長二尺五寸二分 鋒者偏刃 牟久木把 眼及目約扼下約並用銅金漆塗 餘並用銀]
           [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 白地髙麗錦 袋緋綾裏 新乙治十二]
    銀作大刀一口[刃長二尺二寸五分 鋒者偏刃 有溝 木根把 樺纒 鞘纒籐 紫皮懸 紫皮帯執 黒紫綾帯]
          [地髙麗錦袋緋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内134頁~135頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   銀銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 有二溝 牟久木把 眼及目約扼下約鞘尾並用銅以金漆塗]
           [餘並用銀 紫組懸 紫皮帯執 黒紫綾帯 地高麗錦袋緋綾裏 新乙治七]
    銀漆作大刀一口[刃長二尺六寸三分 鋒者偏刃 鮫皮裹把 銀目但以金漆塗扼 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
           [地髙麗錦袋緋綾裏]
    銅金漆作大刀一口[刃長二尺六寸一分 有雙溝 鋒者偏刃 赤檀把 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [地髙麗錦袋緋綾裏]
    銅金漆作大刀一口[刃長二尺三寸七分 鋒者鏤刃 金鏤日月 星龍雲形 牟久木把 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銀銅作大刀一口[刃長二尺六寸七分 鋒者偏刃 黒柿把 銀眼及約 餘並用銅以金漆塗 紫組懸]
             [洗皮帯執 區斑織帯 白地高麗錦袋緋綾裏 新乙治二 「(附箋)金漆塗者」]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺二寸六分 鋒者兩刃 赤木把纒樺 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺三寸七分 鋒者偏刃 牟久木杷 撥鏤扼 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺四寸三分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 鞘纒籐樺 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺三寸一分 鋒者兩刃 赤木把纒樺 撥鏤扼 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 有一溝 赤木把 撥鏤扼 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾]
            [又以銅作葛形裹之 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緋地錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 牟久木把 紫組懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地髙麗]
            [錦袋緋綾裏 新乙治三]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸八分 鋒者偏刃 木根把 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作葛形裹之]
            [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 地高麗錦袋緋綾裹]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸八刃 鋒者偏刃 木根把樺纒 撥鏤扼 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内136頁~137頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作葛形裹之]
            [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 白地高麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 撥鏤扼 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作]
            [葛形裹之 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緋地綿袋緋綾裏]
    黒作大刀一口[刃長二尺七寸 鋒者偏刃 牟久木把 但眼及目約并扼並用銅以金漆塗之 洗皮懸 洗皮帯執]
          [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺二寸二分 鋒者偏刃 有溝 金銀鏤作日月星雲形符 赤檀把 洗皮懸]
            [洗皮帯執 黒紫綾帯 地髙麗錦袋緋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内138頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   寳荘懸佩刀一口[刃長一尺四寸五分 鋒者偏刃刃右 邊有溝 鮫皮裹把 紫檀頭]
           [玳琩鞘 眼及扼鞘尾用銀作 又以琉璃覆其上 緋紫板絛懸 赤紫綾帯]
           [地錦袋淺緑綾裏]
    金銅作懸佩刀一口[刃長二尺一寸九分 鋒者偏刃 鮫皮裹把其上又漆 以紫皮縫裹鞘]
            [身 紫組懸 紫皮帯執 赤紫綾帯 緋地錦袋緋綾裏]
    金銀作懸珮刀一口[刃長一尺八寸四分 鋒者偏刃 金鏤龍星雲形 金銀線纒把]
            [獣頭鼻 紫皮帯執 紫綾帯 地髙麗錦袋緋綾裏]
    銀作懸珮刀一口[刃長二尺四分 鋒者偏刃 金鏤龍星雲形 鮫皮裹把以琉璃鈿之 銀裹]
           [頭以金漆塗之 紫板絛懸 紫皮帯執 赤紫綾帯 地髙麗錦袋緋綾裏 二列]
    銀作懸佩刀一口[刃長二尺八分 鋒者偏刃 鮫皮裹把紫檀頭 紫皮懸 紫皮帯執 赤紫綾帯]
           [地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作懸佩刀一口[刃長一尺八寸一分 鋒者偏刃 牟久木把 緋組懸 紫皮帯執]
             [黒紫綾帯 但帯執環及鞘尾約以銀作之 地髙麗錦袋緋綾裏]
             [新乙治八]
    金漆銅作懸珮刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 有溝 牟久木把 緋組懸 紫皮帯執]
             [赤紫綾帯 緋地綿袋緋綾裏]
    金銀作懸佩刀一口[刃長一尺八寸 鋒者偏「(附箋)兩」刃 金鏤星龍形 木皮裹把 紫檀頭 紫皮懸]
            [紫皮帯執 赤紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]
     右、納第一櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内139頁~140 頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   杖刀一口[刃長一尺九寸 鋒者偏刃 鮫皮杷金銀線押縫 以牙作頭以漆塗鞘 以鐵裹鞘尾 銀鏤其上]
        [長四尺六分 黒紫紬袋 緋綾裏以紫皮裹袋尾]
    杖刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 金鏤星雲形 紫檀樺纒 眼及把並用銀 紫組懸 呉竹鞘樺纒 長五尺]
        [三寸四分 口盖尾並用鹿角作 又以鐵接尾端 地髙麗錦袋緋綾裏]
     右、納第三細櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内140頁~141頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御弓壹佰張
    梓御弓八十四張
     一張[長六尺九寸]
     一張[長六尺九寸七分]
     二張[長七尺二寸三分]
     二張[長七尺一寸八分]
     二張[長七尺一寸七分]
     三張[長六尺九寸一分 一末少曲]
     一張[長七尺一寸九分]
     一張[長七尺二寸六分 末節]
     一張[長七尺一寸五分]
     一張[長七尺五分]
     一張[長七尺六分]
     一張[長七尺一寸四分 末節]
     一張[長七尺三寸二分]
     一張[長七尺二寸]
     一張[長七尺三寸]
      右廿張、並赤漆樺纒黒紫組纒弓把、以羽莖捍箭十五張、紫袋緋
      綾裏、<「(附箋)五」>十張紫袋絹裏、  已上、納第一櫃、 

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内141頁~142頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    二張[長七尺三寸五分 赤漆 一紫皮纒弓把 一黄皮纒弓把]
     二張[長六尺七寸七分 赤漆 一本 紫皮纒弓把]
     三張[長七尺四寸六分 一赤漆紫皮纒弓把 一赤漆黄皮纒弓把 一背黒腹赤組纒弓把]
     一張[長七尺五寸 赤漆 黄皮纒弓把]
     一張[長七尺五寸四分 赤漆 黄皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸九分 赤漆 黄皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸七分 赤漆 黄皮纒弓把]
     三張[長七尺四寸八分 一赤漆 一鹿毛漆並目刺紫皮纒弓把 一赤漆黄皮纒弓把]
     一張[長六尺八寸七分 赤漆鮎皮斑 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸 鹿毛漆 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺三寸六分 鮎皮斑 目刺 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸 赤漆 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸五分 鹿毛漆 紫皮纒弓把]
     一張[長七尺五寸七分 赤漆 洗皮纒弓把]
      已上、納第四櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内145頁~146頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一張[長六尺九寸一分 赤漆 処々纒糸 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺九寸七分 黒斑 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺一寸 赤漆微彫如纒絃 腹斑 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二守三分 赤漆纒樺籐 紫皮纒弓把]
      右〓≪よんじゅう≫二張、並臈纈袋絹裏、 

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内146頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   槻御弓六張
     一張[長六尺六寸六分 纒樺籐 末曲 紫皮纒弓把 黄紬袋緋綾裏 大伴淡等]
     一張[長七尺 黒漆鮎皮斑 洗皮纒弓把]
     二張[長六尺九寸八分 一鹿毛漆鮎皮斑 一赤漆<「(附箋)見長七尺五分」>洗皮纒弓把]
     一張[長六尺五寸五分 赤漆 腹削 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸 黒漆 既纒糸 紫皮纒弓把 佐伯清麻呂]
      右五張、並臈纈袋絹裏、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内147頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

阿恵御弓一張[長七尺五分 鹿毛漆 鮫皮斑 洗皮纒弓把 臈纈袋絹裏]
    檀御弓八張
     一張[長六尺三寸五分 赤漆 処々纒樺 組纒弓把]
     一張[長六尺八寸 赤漆鮎皮斑 洗皮纒弓把 坂上犬養]
     一張[長七尺三寸 赤漆鮎皮斑 紫皮纒弓把]
     一張[長六尺四寸六分 背黒 腹赤 処々纒樺 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺三寸 赤漆斑 末二俣 布細縫纒弓把]
     一張[長七尺五分 黒漆 既纒糸 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺八寸四分 赤漆 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺五寸五分 黒斑 弓把上節三 紫皮纒弓把 大伴淡等]
      右八張、並臈纈袋絹裏、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内147頁~148頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   肥美御弓一張[長五尺九寸 赤漆鮎皮斑 弓把上纒筋 臈纈袋絹裏]
   別色御弓參張
    蘇芳御弓一張[長七尺二寸五分 腹小白 紫皮纒弓把 錦袋緋〓≪あしぎぬ≫裏]
    水牛純角御弓一張[長三尺九寸 无弓把 「(附箋)帛錦袋」 「(附箋)紫袋帛裏」]
    小檀御弓一張[長四尺七寸五分 赤漆二処纒絲 末二俣 洗皮纒弓把]
      <「(附箋)以上納第五櫃」>

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内148頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   圓鏡一面重大七斤五兩[径一尺二寸九<「(附箋)五」>分 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大六斤一兩[径一尺二寸五<「(附箋)六」>分 漆背金銀平脱 緋〓≪あしぎぬ≫帶漆木匣緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大五斤一兩[径一尺一寸 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤三兩[径一尺平螺鈿背 紅羅繍帶 漆皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大三斤十三兩[径九寸一分 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱緋<「(附箋)綾〓≪口+親≫盛」>]
    圓鏡一面重大三斤八「(附箋)七」兩[径九寸 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大三斤十二兩[径九寸一分 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤二<「(附箋)一」>兩[径九寸六分 <「(附箋)*漆箱暫留借盛綾<〓≪口+親≫>箱」> 漆背 金銀平脱 緋〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
     右、納第二櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内159頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御屏風壹佰疊[盡屏風廿一疊 鳥毛屏風三疊 鳥畫屏風一疊 夾纈六十五疊 臈纈十疊]
    山水畫屏風一具兩疊十二扇[並髙七尺二寸 闊二尺三寸半 赤紫綾縁以檜木假作斑]
     [竹帖鐵釘黒漆碧〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    國圖屏風六扇[髙六尺 廣二尺二<「(附箋)一」>寸 紫綾縁 前面及 兩端碧牙撥鏤帖 金銅隠起釘 上頭縁木]
     [帖金銅浮〓≪さんずい+「謳」の旁≫釘 下頭縁木帖黒漆釘 背後紅牙撥鏤帖]
     [金銅浮〓≪さんずい+「謳」の旁≫釘 碧綾背紫皮<「(附箋)〓≪あしぎぬ≫」>接扇 縁綾〓≪巾+「僕」の旁≫淺縁<「(附箋)」>裏]
    大唐勤政樓前觀樂圖屏風六扇[装束及〓≪巾+「僕」の旁≫並同前國圖屏風]
    大唐古様宮殿畫屏風[髙五尺四寸五分 廣一尺七寸五分 緋地錦縁 漆木]
     [帖前後金銅釘 碧綾背 緋皮接扇 揩布袋]
    大唐古様宮殿畫宮殿畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 装束与前同]
    古様山水畫屏風六扇[髙五尺八分 廣一尺九寸 緋地錦縁 漆木帖金銅釘 碧綾背 緋皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    古様本草畫屏風一具兩疊十二扇[一髙五尺三寸 一髙五尺二寸]
     [緋地錦縁漆木帖金銅釘 碧綾背 緋皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛裏 <「(附箋)但五尺二寸碧地錦縁碧〓≪あしぎぬ≫背」>]
「(附箋)可謂古様宮殿騎獵」子女畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 緋地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背]
     [緋皮接扇 揩布袋]
    古人畫屏風一具兩疊八扇[並髙五尺三寸 廣一尺九寸 緋<「(附箋)碧」>地錦縁]
     [漆木帖 金銅釘 碧〓≪あしぎぬ≫<「(附箋)綾」>背 紫皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋 帛〓≪あしぎぬ≫裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内160頁~161頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

舞馬屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 金銅釘 漆木帖 碧綾背 緋皮]
     [接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋<「(附箋)帛〓≪あしぎぬ≫」>白練裏]
    子女屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背 緋皮接扇]
     [揩布袋]
    古様宮殿畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背]
     [緋皮接扇 揩布袋]
    素畫夜遊屏風一具兩疊十二扇[並髙五尺 廣一尺八寸二分 紫綾縁]
     [赤漆木帖 黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    鳥毛篆書屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫綾縁 赤漆木帖 黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背]
     [<「(附箋)紅臈」> 夾纈〓≪あしぎぬ≫接扇 揩布袋]
    鳥毛立女屏風六[髙四尺六寸 廣一尺九寸一分 緋紗縁 <「(附箋)臈」> 以木假作斑竹帖 黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 緋夾]
     [纈接扇 揩布袋]
    山水畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 紫綾縁 白帖木 金銅釘 紫皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋] 
     [帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    鳥毛帖成攵書屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 紫綾縁 木假作斑竹帖]
     [黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 黄臈纈接扇 揩布袋]
    鳥書屏風六扇[髙四尺一寸 廣一尺六寸七分 紫緋縁 漆木帖前面 金銅釘 上頭下頭]
     [背後並黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 緋〓≪あしぎぬ≫接扇 〓≪あしぎぬ≫袋 帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    百濟畫屏風六扇[髙四尺七寸 廣一尺七寸 緋地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背]
     [緋皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    古人宮殿屏風六扇[髙五尺一寸 廣一尺八寸 紫綾縁 白木帖 金銅釘 碧]
     [〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    古人畫屏風六扇[髙五尺一寸 廣一尺八寸五分 紫綾縁 白木帖 金銅釘 碧〓≪≫背 紫皮]
     [接扇 揩布袋]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内162頁~163頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    御軾二枚[一枚紫地鳳形錦 一枚長斑錦]
     紫檀木畫挾軾一枚[着白羅褥]
     右、納漆櫃二合、[並居榻足机]
    御床二張[並塗胡粉具<「(附箋)黒」>緋地錦端疊褐色地錦 褥一張廣長亘兩床〓≪あしぎぬ≫袷覆一條]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内170頁)(『正倉院御物』)

「法隆寺獻物帳」(『御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)7月8日

記事

 「(表題)□□寺獻物帳」
獻法隆寺
  御帶壹條[緊膜斑犀角金銅裏鉸具以碧〓≪あしぎぬ≫纒]
  御刀子壹口[大沈香把斑竹鞘金銀荘口及鞘口尾以金鏤口邊刃赤紫黒紫繝絛係]
  御刀子壹口[犀角把白牙鞘金銀荘口及鞘口尾以金鏤口邊刃白組係]
  御刀子壹口[犀角把金銀荘口水牛角鞘白組係]
  青木香貳拾節
   右並盛漆革箱又盛紅繝地髙麗錦淺臈纈裏袋又地髙麗錦
   裏〓≪巾+巴≫敷机又羅夾纈單〓≪巾+巴≫覆[二幅 長六尺八寸]綾帶貳條結束[帶長一丈]
奉今月八日  勅、前件、並是
先帝翫弄之珎、内司供擬之物、各分數種、
謹獻金光明等十八寺、冝令常置
佛前、長為供養、所願、用此善因、奉資冥助、早遊十聖、普濟三途、然後鳴鑾花
蔵之宮、住蹕涅槃之岸、
       天平勝寳八歳七月八日
      従二位行大納言兼紫微令中衛大将近江守藤原朝臣 仲 麻 呂
      従三位行中務卿兼左京大夫侍従藤原朝臣 永 手
      従四位上行紫微少弼兼武蔵守巨萬朝臣 福 信
      紫微大忠正五位下兼行左兵衛率左右馬監賀茂朝臣 角 足
      従五位上行紫微少忠葛木連 戸 主

出典

『大日本古文書』4(176頁~177頁)(『御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)7月26日

記事

 「(表題)東大寺献物帳」
献東大寺
  屏風一具十二扇[並髙四尺八寸半 廣一尺七寸半 白碧牋紙歐陽詢真跡皂綾縁白絹背烏漆銅葉帖角]
   [其下端八寸半無物但 漆木骨耳白<「(附箋)皂」>綾接扇]
  屏風一具十二扇[並髙四尺八寸廣一尺八寸半黄白碧等絹臨王義之緒帖書碧綾縁白紙背烏漆]
   [木<「(附箋)帖」>金銅釘葉帖角紫皮接扇其下端六寸半塗胡粉別書傳]
  花氈陸拾床[一床舞〓≪しんにょう+竹+衣近似文字≫方一丈三尺 二床各長九尺三寸 廣四尺六寸 〓≪よんじゅう≫七床各長八尺廣四尺 七床各方四]
   [尺 三床各長四尺廣一尺四寸]
  繍線鞋捌兩
  紫糸結鞋壹兩
  緋糸刺納鞋壹兩
  銀薫爐壹合
  銀平脱梳箱壹合盛[阮咸絃四條 琴絃十四條 箏絃十三條 琵琶絃四條 五絃琵琶絃]
   [五條中絃五條 小絃五條]
  瑁瑰箸兩雙[盛黒柿筒]
  靑斑鎮石拾廷
右件、今月十七日奉   勅、献納東大寺、具如前件、
      天平勝寳八歳七月廿六日
(後略)

出典

『大日本古文書』4(177頁~179頁)(『正倉院御物』)

「雙倉北雜物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)10月

記事

寶龜九年五月十八日下琵琶貳面
止 螺鈿紫檀琵琶一面[地畫桿撥納紫綾袋淺臈纈裏紅牙撥鏤撥]
  紫檀琵琶一面[地畫桿撥納紫綾袋緋綾裏]
   右、献内裏如件、[「(別筆)十年十二月六日返上已了 使従四位上行右衛士督兼常陸守藤原朝臣小黒麿」]
使従四位上行右衛士督兼常陸守藤原朝臣小黒麻呂
  右少弁従五位下守紀朝臣 古 佐 美
                造寺司大判官正六位上山口忌寸 嶋 足
                    少判官正六位上柿本朝臣 猪 養
                    少判官正六位上勲十一等高松連 内 弓
                    主典従六位下勲十一等大和連虫麻呂
三綱
  大都維那 滿 植
  可信 〓≪様の旁≫ 天

出典

『大日本古文書』4(186頁~205頁の内198頁)(『正倉院文書』御物目録)

「造東寺司定文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9歳(西暦757年)3月9日

記事

造東寺司
合定靑壹仟壹伯玖拾捌斤拾壹兩
    四百廿三斤九兩司家
    六百十六斤八兩自巨萬朝臣所来
    一百五十八斤十兩自大納言殿来
    □(一)千七百〓≪よんじゅう≫斤[大仏殿院歩廊一百十六間〃別十五斤]
     見一千一百九十八斤十一兩
     欠五百〓≪よんじゅう≫一斤五兩
膠六百十七斤八兩
           天平勝寳九歳三月九日

出典

『大日本古文書』4(223頁)(『正倉院文書』続々修46帙4)

「寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字元年(西暦757年)10月14日

記事

寫經所解 申奉寫經事
合一千廿五卷[並繪軸綺帶]
  金剛壽命陀羅尼經六百廿五卷
   六百卷波和良紙[同表]十卷雜色紙[縹表]十五巻長麻紙[波和良表]
  諸仏集會陀羅尼經四百卷
   二百九十二卷紙[縹表]  一百八卷波和良紙[同表]
以前、起去九月廿三日盡今月十一日奉寫經、具件前如、謹解、
      天平寳字元年十月十四日 紫微史生正八位上葛井連
  治部大輔正五位下  王  造東大寺司主典従六位上阿刀連

出典

『大日本古文書』4(242頁)(『正倉院文書』続々修18帙5)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)3月3日

記事

政所符 繪所領等
  白廿三斤十兩二分   同黄十三斤五兩一分
  胡粉七斤十兩[唐]   丹二百九斤三兩二分
  銀薄四百〓≪よんじゅう≫枚      金薄三百七十五枚
  膠十八斤六兩      墨四廷[三廷唐 大一 小二 一廷鹿角小]
  烟子百六十枚[中]   金靑廿斤
  藍花壷并五斤[大]   白靑十一斤六兩三分五朱
  朱沙十斤六兩二分三朱  同黄十三斤三兩
  鹿毛一斤[小]     辛櫃二合[一合在鎖子]
   右、彩色大仏殿廂之天井并須理等板料、下充如件、冝〓≪様の旁≫知此状、到奉行、
次官高麗朝臣          判官川内恵師
                 主典美努連 奥 万 呂
            天平寳字二年三月三日

出典

『大日本古文書』4(262頁~263頁)(『正倉院文書』続修43)

「畫師行事功錢注進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)4月9日

記事

(紙端)
右方花實壹拾肆果之中 [花枚貳伯貳伯拾肆枚 花枚長各二尺 廣一尺一寸 花實廣度四尺方 高二尺]
   合恵師貳拾壹人之中[彩色十六人 堺一人 塗白土青并同黄三人 花實朱沙堺一人 花枚木畫一人]
[彩色]             
  山廣万呂  三枚[功廿四文]   上道人足<「*錢一貫七百六十二文」>   十四枚[功百十二文]
  牛鹿足嶋  廿枚[功百六十文]  大原祖父万呂 十枚[功八十文]
  勝若万呂  十九枚[功百五十二文]大宅廣足   廿二枚[功百七十六文]
  勝 継 人  十八枚[功百〓≪よんじゅう≫四文] 雀部浄人   十六枚[功百廿八文]
  息長廣長  廿四枚[功百九十二文]忌部諸公   十九枚[功百五十二枚]
  丈部山守  六枚[功〓≪よんじゅう≫八文]   下道吉備   七枚[功五十六枚]
  柏原秋人  十五枚[功百廿文]  茨田建麻呂  十二枚[功九十六文]
  〓≪草冠+意≫原毛人  十枚[功八十文]   秦朝万呂   九枚[功七十二文]
堺畫工              上楯万呂二百廿四枚[功五十六文]
塗白土靑并同黄三人       「*錢六十文」
   穴大石勝  四果[【一果充功五文】功十七文]<白土花枚百五十四枚[功十四文]> 大伴子松  四果[功十七文]<白土花枚五十枚>
   私部安万呂 六果[功廿六文]   <白土花枚廿枚>     
堺畫朱沙花實一人         雀部浄人  十四果[一果充別十五文 功二百廿文]
   右、始四月、自四日九日至干作恵師等行事、注進上如前、
花枚木畫一人 丈部山守二百二十四枚
             天平寳字二年四月九日息長 常 人
                畫工司畫部従八位上牛鹿 足 嶋
          「*惣銭二貫一百七十八文
                勘 下 道 主」

『大日本古文書』4(269頁~270頁)(『正倉院文書』続々修45帙6)

「畫師行事功錢注進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)4月10日

記事

左方蓮華枚貳伯貳拾肆枚 「*功淺二貫四百四十八文」
彩色畫師壹拾人   「*錢十貫七百九十二文」
  河内石嶋廿四枚[功百九十二文] 秦虫足廿五枚[功二百文] 河内古万呂廿四枚[功百九十二文]
  息長川守廿四枚[功百九十二文] 委文浄當廿二枚[功百七十六文] 委文大宅廿二枚[功百七十六文]
  河内廣川廿二枚[功百七十六文] 辛国廣山廿四枚[功百九十二枚] 坂田國益十五枚[功百廿文]
  上宮万呂廿二枚[功百七十六文]
堺畫師貳人     「*錢五十六文」
  上牛養百十二枚[功廿八文]  秦稲守百十二枚[功廿八文]
木畫師貳人     「*錢廿八文」
  上牛養百十二枚[功十四文]  河内石嶋百十二枚[功十四文]
塗白土畫師貳人   「*錢廿二文」
  上牛養百十二枚[功十一文]  河内石嶋百十二枚[功十一文]
花實壹拾肆果
堺朱沙并墨畫師貳人 「*錢二百廿文」
  上牛養七果[功百【廿五】「*十」文]  秦虫足七果[功百【廿五】「*十」文]
塗白土靑同黄畫師貳人 「*錢六十文」
  私部安万呂七果[功【卅五】文]  穴太石勝七果[功卅五文]
以前、自四月二日至十日、畫師等行事如前、
          天平寳字二年四月十日散位従七位下坂合部 蓑 万 呂
                 畫師司長上従七位下上村主 牛 甘
                   畫部正八位上河内畫師 石 嶋
                 「*勘 下 道 主」

出典

『大日本古文書』4(270頁~272頁)(『正倉院文書』続々修45帙6)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

 速袖八領[布]用廝仕丁等料
  櫛借七十二領[雜色袷]
  東裳一腰[給料□□□ 養□(優)婆夷]
  被卅<「*廿九」>一領[已上自内裏給出]
   二領白帛         一領赤帛  
   一領橡          廿七領布[一領細布 十六領調布 十領祖]
   用廿二<「*三」>領[大工并雜工等料]
   殘九<「*六」>領
    一領赤帛        一領橡
    七<「*六」>領布[四領調 三<「*二」>領祖]
  堂幌九條[自内裏給出]
   三條細布         六條祖布[已上殘]
  金靑九斤          朱沙六斤四兩
  同黄二斤六兩        烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
  白靑四斤十兩一分[四斤八兩自外嶋坊請 二兩一分買] 胡粉十五斤八兩[十斤八兩自外嶋坊請五斤買]
  靑百五斤[百斤文部省少内蔵全成所進
                 「*七十九斤四兩二分」]
  白十五斤十三兩三分[買]  丹廿一斤[十六斤自外嶋坊少僧都所請 五斤文部省少内蔵全成所進]
                    [「*七十八斤四兩二分黑錫大廿八斤二兩三分[給]」]
  靑黛三斤六         蘓芳卞二升[已上自内裏給]
  空靑□斤          紫土四兩[已上買]
  金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三兩打得]
  膠一百五斤         墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
                 [七十廷塗架後料]
                 [十二廷作雜公文料]
                 [卅一廷畫料]

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内477頁~478頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

 速袖八領[布]用廝仕丁等料
   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二板[各長一丈二尺 廣一尺]花五百六區[各方一尺]
     金靑一斤    白靑八兩三分 朱沙一斤二兩二分
     胡粉三斤五兩二分 同黄九兩一分 烟紫八十六枚
     紅靑十一斤四兩 白緑二斤三兩 丹一斤六兩二分<「*五十五斤二兩三分」>
     靑黛七兩二分  空靑十兩   卞三合
     金薄一千八十四枚  膠七斤  墨四廷
     (長方形前半抜け)□□板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
     (長方形前半抜け)□□□別坐□□□(長方形抜け)[各立髙一尺七寸]
      六十八□□□(長方形抜け)花一根[各髙三尺六寸]
     靑金一斤三兩  白靑三兩   朱沙十二兩一分
     胡粉十一兩   同黄三兩三分三朱 烟紫卅枚
     靑五斤六兩二分 白一斤十二兩三分 丹一斤三兩一分
     空靑六兩     卞三合       金薄四百五十枚
     膠六斤五兩    靑黛七兩      墨五廷
    □□□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 廣一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
     □(金)靑一斤十四兩二分 白靑四兩三分 朱沙十四兩
     □□□(長方形抜け)(胡粉カ)一分 同黄□□二分 烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
     □□□(長方形抜け) 白緑二斤六兩二分 丹二<「*六」>斤三兩三分
     金薄八十□□(長方形後半抜け)    (長方形前半抜け)□□□ 七兩 空靑十兩
     卞六合          靑黛八兩二分 墨五廷
    外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸]板別在花一根[各髙二尺]
     金靑二斤七兩  白靑十兩  朱沙十一兩三分
     □□□(胡粉カ)斤三兩  同黄二兩  烟子〓≪よんじゅう≫三枚
     □□□(長方形抜け)  白緑十兩
     (長方形前半抜け)□□□兩一分 空靑十一兩
         (長方形前半抜け)□□□花茎三百廿八根[々別三枚]
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内478頁~480頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

(紙端)
          (長方形前半抜け)□□□墨二廷
(長方形前半抜け)□□□靑四兩三分    朱沙三兩
   (長方形前半抜け)□□同黄三分      烟子五枚
    (長方形前半抜け)□□白十兩     丹一斤六兩
      (長方形前半抜け)□□□七十二枚  膠六兩 墨一廷
(紙端)
(紙端)
          (長方形前半抜け)□□□朱沙四兩
          (長方形前半抜け)□□□烟子九枚
          (長方形前半抜け)□□□丹一斤六兩
          (長方形前半抜け)□□□一分 墨一廷

 (長方形前半抜け)□□□丹一斤九兩二分 膠六兩
(長方形前半抜け)□三百八十六兩□□□(長方形後半抜け)
   (長方形前半抜け)□□□斤十四□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□斤六兩
    □□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□□
    金靑七兩□□□(長方形後半抜け)
    胡□□□(長方形抜け)五兩一分□□□(長方形後半抜け)
    烟□□□(長方形抜け)靑□□(長方形後半抜け)  (長方形前半抜け)□□膠十五斤
    丹一斤十四兩三分□□□(長方形後半抜け)
(長方形前半抜け)□□□六兩□□□(長方形後半抜け)
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内480頁~482頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

(紙端)
                 (長方形前半抜け)□□□墨六廷
       (長方形前半抜け)□□□[々別在花十二枚]
   (長方形前半抜け)□□□[径各二尺 廻各六尺]
   (長方形前半抜け)□□□迴天井花[實径一尺七寸 廻五尺八寸]
   (長方形前半抜け)□花枚二百廿八枚[六十枚各長二尺 廣一尺二寸 百六十八枚各長一尺七寸廣一尺]
    金薄一万六百九十二枚押花枚三百廿八枚料
    膠十三兩
(長方形前半抜け)□□□[各径二尺 廻各六尺]
              (長方形前半抜け)□□□兩 朱沙三兩
             (長方形前半抜け)□□□二分三朱
    烟子□□□(長方形抜け)靑六斤二兩
    白三兩□□□(長方形抜け)二兩    靑黛一兩三分
    空靑五兩□□□(長方形抜け)卞一合    膠八兩 墨三廷
  壁内隔上迴樂天廿八躯[各居髙二尺]
    雲形九十烟[各長二尺五寸 廣四寸]
       (長方形前半抜け)□□二兩   朱沙十四兩
          (長方形前半抜け)□□  同黄三兩一分
         (長方形前半抜け)□□兩  白十一兩
          (長方形前半抜け)□□  靑黛二兩
          (長方形前半抜け)□□  金薄五十六枚
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内482頁~483頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761)10月1日

記事

 新様錫杖壹枝[奉納法隆寺僧延豊]
  鍮石香爐壹具[花形錦坐具一枚〓≪草冠+褥≫一枚表科子錦裏 緋綾奉納講法花経料大僧都行信]
合経櫃肆合
  壹合淺合[長一尺一分 凡廻六寸六分]
  壹合赤檀[長一尺五寸 廣一尺二寸三分 髙身并足八寸二分打金 泥釘角別打泥樓時金着金泥鎖子一具内敷白綾〓≪草冠+褥≫一枚]
  櫃納丁子香壹袋[一領表裏帛 一領表秘錦裏緋綾]
  櫃裹衾貮領
  櫃覆貮條[一條表綾裏淺綾長六尺三寸廣三副 一條表黑紫二科綾裏赤紫花形綾長六尺三寸廣三副]
  櫃座漆机貮足[一長一尺八寸五分廣一尺四寸髙一尺五寸 敷錦〓≪草冠+褥≫一枚一長二尺八寸廣一尺六寸]
  櫃鈎□□□(長方形抜け)[髙二尺七寸 敷秘錦〓≪草冠+褥≫一枚]
  櫃鈎納革箱壹合[長六寸廣二寸八分深一寸]
    右、爲敬重坐上宮聖徳法王御持物法花経、天平九年歳次丁丑二月
    廿日、藤原氏皇后宮奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内511頁~512頁)(大和国法隆寺所蔵)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761)10月1日

記事

 壹足綾槻[長五尺九寸 廣一尺七寸 髙四尺九寸 若金泥鎖子一具并床子一足錦〓≪≫一枚]
   裹衾壹領[表赤紫 裏緋綾角別秘錦 領以綺為界]
   鈎納革箱壹合[長六寸一分 廣三寸四分 深一寸三分 納錦袋内在白綾〓≪≫]
  壹足枌[長三尺三寸 廣一尺九寸 髙三尺一寸五分]
合経副香參種[一〓≪≫香一斤十兩一甘松香二斤十三兩 一苓〓≪≫香九斤二兩納袋六口并表赤紫羅裏赤
合白木高座貮具[并机橋礼盤二足]
合高座寳頂貮具[身黑紫綾秘錦領地古錦交錺頂木金 塗鏤銅錺着小鏡二面]
合寳頂懸木錦袋貮口[二〓≪≫秘錦 長各一丈三尺]
合高座〓≪≫肆枚[二表紺花錦裏〓≪≫綾 紫花錦領二席錦領]
合高座〓≪≫貮枚[並表白錦 裏綾 紫錦領]
合高座橋〓≪≫肆枚[並表縹錦裏]
合礼盤〓≪≫肆枚[二表紫二科錦裏綾 二席錦領]
合高座茵貮枚[黑紫綾領]
合礼盤茵貮枚[赤紫綾領]
合糸交幡陸拾貳流
合白綾綱貮條[一長十四丈 一長八丈]
合佛座地代帳貮條[並表薄朱二科綾裏淺長二丈九尺 廣各四幅一條]
合漆塗机參足[一経(徑)三尺八寸 廣一尺八寸 髙二尺五寸]
    [一香長三尺廣一尺五寸五分髙三尺寸一香長各三尺 三寸廣一尺六寸五分髙三尺一寸五分]
合机〓≪≫參枚[一秘錦領兩面錦一赤紫都牟岐白錦領 一赤紫綾並裏綾]
合黒紫羅花覆貮條[長各九尺二寸 廣各三幅以金黑繪]
合赤紫綾帶貮條
合経覆壹條[表赤紫羅裏赤蜂子指長七尺五寸]
合漆塗香水器壹具[并手洗移二口]
合韓櫃參合[一長三尺廣二尺(脱字アルカ)寸一長三尺寸 廣二尺六分一長三尺四寸廣二尺]
    右、天平十四年歳次壬午二月十六日、正三位橘夫人宅奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内514頁~516頁)(大和国法隆寺所蔵)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)4月15日付

記事

奉寫  御執經所
仁王波若經五十部[一百巻]
  右、被弓削禪師宣稱、夏安居間、為奉轉讀内裏、奉請於東大寺者、仍老内
  豎葛木■登立人、奉請如件、
        天平寶字七年四月十四日乾政官吏生因幡国造田作
(別筆)「行           判官葛井蓮根道
                  主典阿刀連酒主
令奉請仁王經参拾部[六十巻丹地檜軸]並帙六枚[竹鹿帙緋綾裏錦紫綾帯]
 六部縹紙黄表 五部黄紙及表 三部呉桃紙縹表
 七部紅紙縹表[見四部]九部檀紙及表[白 見七部] 納明■一合
   付内竪葛木■登立人

出典

『大日本古文書』5(434頁~435頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)5月25日付

記事

御執經所
奉請長阿含經一部廿二巻 [請]増一阿含經一部五十巻
  中阿含經一部六十巻[請 欠■四帙二][請]新阿含經一部五十巻
   右、被勝延尼師宣云、上件經等、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪
   岐子松充使、令奉請如前、
         天平寶字七年五月廿五日乾政官吏生因幡国造田作
(別筆)「行
     大僧都法師        主典志斐連麻呂
上件四部八十二巻[並黄紙及表緒帯朱軸在印綵帙錦緋綾裏但帯 可當東寺内堂經内之]
 納赤染辛■一合[寮乙八之]敷帛袷帳一条[四塩朱] 上馬養

出典

『大日本古文書』5(442頁~443頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

阿弥陀院寶物目録    神護景雲元年[無印正文]
阿弥陀悔過□□(長方形後半抜け)
   寶殿一基        □□(長方形後半抜け)
   阿弥陀仏像一躯   □□(長方形後半抜け)
   音聲菩薩十躯     □□(長方形後半抜け)
   檀像観音菩薩一躯  □□(長方形後半抜け)  
   花厳經一部[八十巻] 法花經□□(長方形後半抜け)
   阿弥陀經九十六巻  觀无量□□(長方形後半抜け)
   叟觀无量壽經二巻  梵網經二巻
   随願藥師經一巻  十一面經一巻
   花厳經疏一部[本末廿四巻] 法花經疏一部[十巻]
   最勝王經疏一部[六巻]    經嚢一口
(中略)
   香櫃一合   香印坐花二?
   褥九<「*七」>枚     覆八條
   帯八條     出墻二條
   ?七條   縹?七條
   縹綱六條   綱五條
   帛衾十六領  布単衣七領
   敷布卅枚    布枚綱六<「*二」>枚
   漆韓櫃一合  白木韓櫃二合
   畳廿三枚    願文一巻
   巻文一巻[載田卅四町]
       以上目録
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~673頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
阿弥陀浄土變一鋪
  寶殿一基[漆 八角 高一丈六尺三寸]
  蓋[頂居金花形一〓≪手偏+求≫ 八角居金凰形八口 各作雑玉幡 裏着大蓮花形一枚 並以金銀墨畫飛菩薩鳥雲花等形]
  柱八枝[並以金銀墨畫鳥花等形]
  基二階[上階池礒敷瑠琉(璃カ)地邊着金銅鏤辟金并畫飛井等形 下階在連子着金銅鏤辟端〓≪果+衣≫等高欄上居金花八〓≪手偏+求≫]
  阿弥陀仏像一躯
  觀世音菩薩一躯
  得大勢菩薩像一躯[以上二并在雑玉寶冠]
     右三坐仏菩薩、並塞金色、
  音聲菩薩像十躯[並在雑玉寶冠各持楽器]
  羅漢像二躯[各持香炉]
     右十二菩薩等、塞宍色、
  阿弥陀經卅八巻
  觀无量壽經二巻[以上白紙 紫表 赤木軸]
   [「*失」]納黒櫃一合  [「*失」]机一前[漆]失物
   [「*失」]褥一枚[表錦 裏淺纈]       失物
   [「*失」]香印坐花二〓≪手偏+求≫              失物
   [「*堂」]白銅火爐一口 
   [「*堂」]白銅〓≪金偏+林≫二合       机二前[漆]
         褥二枚[並表白綾 裏淺緑纈]
   [「*堂」]白銅磬一枚  磬基花木二枚[金銅]
        灌頂四具[二紫繍身 二緋繍身 並雑色兄 各在小幡四首]
   [「*堂」]堂幡廿七首[十四白綾身 十三雑色身 並繍]
        小幡〓≪よんじゅう≫四首[廿二赤紫身 廿二黑紫身 並繍]
        綱六條[五条各長六丈 一条長二丈五尺]
        悵二條[一條七副 一條八副 長二丈二尺三寸]
        〓≪あしぎぬ≫端二條[一条五副 一条六副]
        布悵三條[二条各八副 長二丈一尺七寸 一条四副 長三丈二尺]
        布端一條[五副長四尺] 納韓櫃一合[白木]
        琴一面[純金目]     納錦〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[裏緋]
        筝一面[桐和作]     [「*堂」]納黒紫櫃一口[裏緋 着柱〓≪人偏+戓の口が巾≫]
    [「*堂」]琵琶一面[桐面 後漢 紫檀橿并輪手及頚 ?伏手横返手 大唐]
                  納赤紫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[裏淺甲纈]
    [「*堂」]新羅琴一面[桐畫「以金塗 在〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 表黑紫綾 裏緑纈]
         和琴三面之中[一面桐 納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 一面檜 一面気美納緑斑〓≪人偏+戓の口が巾≫一口]
    [「*失」]合笙一管[斑竹 長一尺七寸 「失」納沙合纈〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 長四尺]失物
    [「*失」]横笛一管[唐長一尺三寸]
                 [「*失」]納紫交縫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[長三尺三寸]失物
    [「*堂」]床二前[各以胡粉畫水形 裏浅 錦]
         貫〓≪竹冠+青≫二枚
         覆二條[各申纈沙 三副 長各八尺五寸 一見在一失物]
       聖僧榻一前[作以水精并金塗花形釘 高一尺二寸二五分 廣四尺一寸 長四尺六寸]
    [「*堂」]褥一枚[表臈纈 裏淺纈]
    [「*堂」]貫〓≪竹冠+青≫一枚
    [「*堂」]覆一條[表合纈羅 裏淺纈]
    [「*堂」]道師榻一前[作以水精并金塗花形釘 高一尺二寸二分 廣四尺一寸 長四尺五寸八分]
         褥一枚[表紫綾 黑紫綾 四角貴錦 裏臈纈]
    [「*堂」]短畳一枚[錦錦]      [「*堂」]貫〓≪竹冠+青≫一枚
          右、以天平十三年三月造作畢、安置浄土并來集物等如件、
(後略)   
      

出典

『大日本古文書』5(673頁~677頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
  花厳經一部[八十巻石軸] 帙八枚[雑綵]
  法花經一部[八巻金字 紫紙水精軸] 帙一枚[表畫山水形]
  梵網經二巻[色紙石軸]
  随願藥師經一巻[色紙沈軸]
  十一面經一巻[色紙琥碧軸] 以上〓≪果+衣≫帛一条
  華厳經疏一部[本末廿四巻 慧苑師] 帙二枚[雑綵]
  法花疏一部[十巻基法師] 帙一枚[受使沙弥戒兄]
  最勝王經疏一部[慧照師 六巻] 帙一枚[雑綵]
  薫香四〓≪人偏+戓の口が巾≫[一衣香一霍香 一甘松香]
  [「*堂」]厨子二基[並漆 各高二尺 長二尺五寸 廣一尺三寸]
          表畫山水鳥獣等 作以金銅辟金釘 各着鉄
          裏丹畫菩薩并花等 在紫褥二枚
        〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表錦 裏紫纈] 榻一前[漆敷紫褥]
      檀像観音菩薩一躯[金蓮花坐 基紫檀 臺上在礒]
  [「*堂」]水精塔二基[各餝金雑玉等 基黑柿 臺上在沈磯]
  [「*堂」]厨子一基[漆 高二尺三寸 長二尺三寸 廣一尺三寸]
          表畫山水着金銅辟金釘等 裏胡粉在願文
          扇畫帝釈二像、 在錦褥
       〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表紫地錦 裏緋臈纈]、榻一前[漆 在紫褥]
    琥碧念珠一貫[水精即]、納草箱一合[小]樸子二條[表合纈 裏淺
    錫杖一柄[白銅長五尺二寸五分]、在錦褥
  机一前[漆] 褥一枚[表錦 裏淺纈]
    覆一條[合纈 長八尺六寸「*二副」] 
    牙水角一口[ゝ径三寸五分 長一尺六寸] 納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[紫繍組緒]
     [「別筆」「以寶亀九年十二月四日、依法花寺上座宣、稲人内親王官奉入、」
    畫木箱一合[表紫檀裏白檀 高五寸八分 廣長各五寸]
     納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[繍]
    願文一巻  納草箱一合  僕(?)子一條[表裏浅合纈]
    香水器二具[漆] 納布〓≪人偏+戓の口が巾≫二合[「*居白木榻兄二前]
    楊花箱〓≪よんじゅう≫口[漆 欠二口] 
    漆韓櫃一合[長三尺一寸形釘在鉄 廣二尺五分 深一尺三寸五分 着金銅花]
     覆一枚[紫綾]    居白木榻
    出墻二條[交副赤黒紫合纈 裏浅 長二丈九尺五寸 高七尺]
     白木柱八枝之中[柱弐枝 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    〓≪あしぎぬ≫四條[各二副長各二丈 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    〓≪あしぎぬ≫端七條之中[六条各三丈 一條一丈]
    縹綱端七條[六條長各三丈 【一條一丈】 「*各長三丈」]
    縹綱六條[二各長六丈 四各長四丈]  帛<「*佐」>衾十六領
    敷布卅條[「*見廿<条」]   布枚綱六條[各長一丈二尺ヽ在見二条 四条欠物]
      右、以時ヽ従家奉納、
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち678頁~681頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

  [「*堂」]金銅切物幡八首[各長一丈一尺二寸 廣八寸 餝以鏡水精等]
   [「*堂」]金銅切〓≪虫+也≫舌〓≪よんじゅう≫枚[各長一尺六寸 廣一尺一寸 餝色如上]
   [「*金塗」]白銅火爐二口[一口ヽ径一尺四寸五分 兄五 一口ヽ径七寸 兄四]
   [「*金塗」]白銅〓≪金偏+林≫八合  金銅鉢二口[各口径八寸五分]
         白銅鉢一口[ヽ径八寸五分] [「*堂」]白銅燈杯一口[ヽ径三寸七分]
        [「*无」]在火枕
   [「*堂」]白銅燈臺一基[高三寸六分 兄三]
   [「*堂」]堂畳廿三枚之中[在見廿枚 破損三枚「端」]
      田畑券文一巻[十五紙]  載田卅四町
         右、時三綱等新造物并買田如件、

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち681頁~682頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

  破不用物
    悵二條[各八副 長二丈二尺三寸 一条七副 一条八副]
    〓≪あしぎぬ≫端二條[一条五副 一条六副]
    布悵三条[一条四副 長三丈二尺 二条各八副 長二丈一尺七寸]
    布端一条[六副長四尺] 以上四種堂土代敷料破懐(壊)不用
    楊花箱二口   堂畳三枚
    磬臺花木二枝 破損不用

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち682頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

  失物
    水精念珠一貫[以天平十七年三月所盗申送沙弥道隆]
    横笛一管[大唐]  納紫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[以天平十八年七月廿八日所盗]
    合笙一管[班竹長一尺七寸]
     納沙合纈〓≪人偏+戓の口が巾≫一合[長四尺 以寶亀四年所盗]
    机一前[漆]  褥一枚[表錦 裏浅纈]以天平十七年三月廿三日所盗
    褥一枚[表白綾 裏淺纈] 古破
    香印坐花二〓≪手偏+求≫  黒柿櫃一合
    布枚綱四條    以上四種時ヽ所矢
    堂幡一首     小幡一首[以上二種天平寶字六年三月 為用様奉入家之]
      右悔過料資材見物、并所矢状、注顕如件、
            神護景雲元年八月卅日別當僧 聞崇
               事知大法師 平瑩

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち683頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「奉寫一切經所請用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(紙端)
  四匹五丈三尺二寸端〓≪よんじゅう≫三條積
   三丈七尺三寸調〓≪あしぎぬ≫廿四條積[長八尺以下四寸以上]
   四匹一丈五尺九寸東〓≪あしぎぬ≫端十九條積[長四尺以下一尺以上]
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五〓≪暇の旁≫
商布廿〓≪暇の旁≫          黄紙卅万四千二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚青地 八百二枚白地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地]
   [六百七十七枚丹地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三兩一分[太]
木綿二斤          調布單衣二領
同布袴三腰         温帳四條
布綱〓≪よんじゅう≫四條         熟麻一斤
鍬一十四口         米一十四石[白七石 黒七石]
醤三斛二斗七升[悪]     酢四斛一斗二升[交糟]
滑海藻七百十四斤      大豆四斛七斗
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[廿八<〓≪よんじゅう≫五>合漆塗 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
折櫃一百十七合       長折櫃廿六口
大笥八十八口        小明櫃〓≪よんじゅう≫一合
水麻笥廿四口[九口太 十五口小] 枚麻笥八口[一口破]
(中略)
  右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如前、
           寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
(紙端)

出典

『大日本古文書』6(252頁~254頁)(『正倉院文書』史館本6)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)3月30日

記事

(前略)
  被〓≪よんじゅう≫九領
     四領經所殘[三領呉桃染 一領帛]
     〓≪よんじゅう≫五領請政所[十四領 廿領帛 十一領細布]
    十領正月廿四日請
    卅五領二月中請
     十一領十六日     廿四領廿四日
   用盡
    經師卅八人校生六人装〓≪さんずい+黄≫五人并〓≪よんじゅう≫九人料[人別一領]
(中略)
  菟毛筆八十五管[買]
   用盡奉寫二部之一切經且用料
  麁毛筆廿管[買]
   用盡堺料充装〓≪さんずい+黄≫等
  墨十廷[先殘]
   用盡奉寫二部一切經料
(中略)
  菁子二枝
   用盡
    經師等宿所料
  黒葛一了[三月十二日請]
   用盡
    經師等宿所固料
  刀子四柄[三月廿三日請]
   用盡
    充装〓≪さんずい+黄≫等
(後略)

出典

『大日本古文書』6(291頁~307頁の内297頁~307頁)(『正倉院文書』續修別集13)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)10月29日

記事

(前略)
  菟毛筆卅五管[買月中]
   用盡[奉寫二部一切経料且]
  帙一千二百九十五枚
    一千一百九十五枚去月殘
    一百枚月中請
     七百廿枚縫畢     二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
     二<三>百五十五枚未縫
  白木籤一千七百五十一枚[不動]
    九百廿一枚去月殘    八百卅枚月中請
  細布被四領[月中請]
   用盡[経師四人料]
  緋糸一斤[丸組卅六丈七尺料籤緒]
   用十一兩
   殘五兩
  生糸二〓≪糸偏+匂≫
   用一〓≪糸偏+匂≫六兩[縫帙三百五十枚料]
   殘六兩
  帛糸四兩
   用盡[縫畫師等浄衣料]
  錦五匹[匹別五丈]
   用四匹二丈二尺
    三匹二丈二尺二尺<九寸>縁三百五十二條料[三百五十条見用 二条殘]
     九十條長各六尺一寸  一百廿條長各五尺九寸
     一百卅條長各五尺七寸 十條長各五尺五寸[已上廣各一尺五寸]
   四丈九尺八寸<殘二條六尺>頭三百八十二條料[三百五十条見用 卅二條殘]
  紫綾〓≪あしぎぬ≫五匹[欠九尺 見四匹五丈一尺]
   用盡[表帶三百五十條料 長各四尺 廣各三寸六寸<分>]
  雜色〓≪あしぎぬ≫七十三匹四丈九尺
    七匹纈綾〓≪あしぎぬ≫      一匹縹纈綾〓≪あしぎぬ≫
    六匹緋〓≪あしぎぬ≫[欠一丈一尺 見五匹四丈九尺]
    廿匹東〓≪あしぎぬ≫
    十匹中〓≪あしぎぬ≫
    卅匹白橡〓≪あしぎぬ≫
   用盡
    八匹一丈裏三百五十四條料[廣各一尺二寸]
  <用三百五十条  殘四条>
     九十條長各二尺    二百五十條長各一尺九寸
     十條長各一尺八寸
    四匹三丈裏結緒三百五十條料[長各三尺八寸 廣各三寸]
    一匹九尺頭裏五百卅條料[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  <用三百五十条 殘一百八十条>
    六十匹経師装〓≪さんずい+黄≫校生等并六十人浄衣六十領料[領別一匹]
  庸綿一百廿屯
   用盡
    経師装〓≪さんずい+黄≫校生領等并六十人浄衣六十領料[領別二屯]
  細布一端二丈八尺
   用盡[縫帙單浄衣五領料領別一丈四尺]
  紅花十兩
   用盡[縫帙料糸染料]
  糯米五升[大炊]
  小麦三升[〓≪厨の寸がりっとう≫]
   用盡[已上〓≪りっしんべん+塞≫帙三百五十枚裏紙料]
(後略)

出典

『大日本古文書』6(407頁~415頁の内407頁~412頁)(『正倉院文書』續修別集13)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

  小乗經雜帙
(中略)
    第三帙八師經一巻[合廿巻紙八十三紅紙]      用四
(中略)
    第四帙長者子懊惚三處經一巻[合十九巻紙五十六赤紫紙]用三
(中略)
    第五帙大魚事經一巻[合廿三巻紙〓≪よんじゅう≫二]      用二
(中略)
     義足經壱帙[二巻白紙]            用〓≪よんじゅう≫四
     坐禪三昧經一帙[二巻縹紙]          用五十二
     禪法秘要經一帙[三巻]            用九十一
     毘邪婆問經一帙[二巻淺紙]         用卅五
     中本起經一帙二巻[【淺紫紙】]          用〓≪よんじゅう≫八
     摩登伽經一帙[【二巻黑紫紙】]          用卅四
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内8頁~19頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

二月卅日、内堂進納、
(前略)
    七年三月寫宮經四部
     海龍王經四巻[唐色紙及〓≪衣偏+票≫紫綺水清<赤檀>(精)軸]    用九十四
     最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百六十八
     金光明經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百卅一
     千手千眼經七巻[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺【赤】水清(精)軸]   用 [一巻百]
       右件經、大宮寫貢、四月大進
[宮院]最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫〓≪さんずい+冗≫水軸紫綺帯 右宮院御]    用一百七十
[内親王御]最勝王經一部[紅紙及〓≪衣偏+票≫班(斑)綺赤木軸]       用百七十
[后御]唯識論十巻[胡桃紙及〓≪衣偏+票≫赤木軸紫綺帯]           用百九十六
       [右件御所]
     大灌頂經十二巻[穀紙及〓≪衣偏+票≫朱軸 右件眞咋寫<未>給]    用一百廿七
     法花經疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫漆軸綺]             用
     【[又法華疏十巻 〔比佐木紙〕]】
  疏廿巻尼等房進 七月十四日付大伴部勇人[大進用万赤呂]
   又廿巻 右安宿家佐弥等所給
    【法華疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫綺漆]】
    御法花疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯赤木軸(八年正月十五日内進)]
    无垢稱經疏六巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺漆軸 未進
            天平九年十月卅日内進納 大属大藏赤万呂]   用二百九十八
    疏抄一巻[白紙]                       用十七
    圓弘章四巻[縹紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]               用百〓≪よんじゅう≫
     右件書、【王御】沙弥御進、六月八日大進
    法花疏十巻[黄麻紙及〓≪衣偏+票≫綺<帯>赤木軸]            用五百〓≪よんじゅう≫一
     右書<為>、宮院御進、六月六日大進
    [千手千眼經一巻]
    因明論六巻[三黄 三白]【疏】    
    因明論疏三巻[白紙及〓≪衣偏+票≫綺]          用一百卅五
    彌勒疏二巻[白紙]               用〓≪よんじゅう≫ゝ
    維摩宗要一巻[白紙]              用七
    五薀論一巻[黄紙]               用十五
     右書、安宿宅佐弥等寫給、
   法華疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯赤木軸 用]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内21頁~22頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

(前略)
  八年三月<廿五日>右件書、沙弥御所進、[付丈部宮足、]即僧等施給、
    圓弘章四巻[穀紙]七巻章七巻[赤万呂]
    弁中論疏三巻[穀紙黄]
    右書、安宿殿沙弥等所進、
               [九年十月卅日内進納 尼信勝 大属大藏赤万呂]
   唯識疏廿巻[法苑林章十四巻    未進
          四月廿九日付大原大依内進]
     右書、人給料、
  金剛般若一巻[〓≪さんずい+黄≫麻紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯 大進 赤木軸]    用十三[赤万呂]
     右<為>件書、宮御所寫進納、[【丈部宮足 赤万呂】]
            四月廿五日付丈部宮足 赤万呂
    金剛般若經一巻[黄紙及〓≪衣偏+黄≫綺帯赤木軸]           用十三
      右件書、親王御寫、[未進]
    藥師經一巻[白紙 五月]                 用十二
    千手經一巻[白紙]                    用十六
      右件書、親王御所寫宣、即井[【未進】]上王施、
   大寶積經十二帙一百廿巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫]             用二千二百卅二
    右經、宮一切經内寫、
   法花疏十巻[黄紙]
     右件疏、親王 御書、[自内施靈智師施、]
    新翻藥(師脱カ)經四巻[二色 紙二黄]本願藥師經三巻[二色 一黄]
    [皆朱頂軸紫綺四巻〓≪衣偏+票≫三黄〓≪衣偏+票≫]
     右、奉為 大上天皇(元正天皇)御寫敬、
            八月十三日大進宣[廿日山寺<房>請 知秦万呂]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内23頁~25頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

甲櫃
   涅槃經一部〓≪よんじゅう≫二巻[二巻後分 呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 紫綾裏]
   法華經十一部八十八巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 町形綵帙 綾裏]
    丁香二袋 青木一袋 草香二袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内197頁~198頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丙櫃
  涅槃經一部〓≪よんじゅう≫二巻[二巻後分 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 緋綾裏]
   又一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 紫綾縁 緑裏]
   又卅六巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹帙 紫綾縁 裏]
  法華經一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 緋綾裏]
   又一部八巻[白麻紙 表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏]
   又廿九部[各八巻 黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦緋綾裏]
    丁香二袋 草香一袋
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内199頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 戊櫃
   法華經一部八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙綵 錦縁 緋綾裏 印]
    又二部十六巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏]
    又三部廿四巻[白紙 黄表 綺緒 朱軸]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 竹帙 錦縁 緋裏]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 黑柿花軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    正法華經一部十巻[黄紙及表 綺緒赤木軸]
   最勝王經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 穀皮紙帙]
   仁王經一部二巻[上下黄紙及表 綺緒 朱軸]
   金剛般若經五十四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又五巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 紫緒 花軸]
    又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
    又一巻[白紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
    又二巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 一巻 印]
   觀佛三昧經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   大灌頂經一部十二巻[欠八巻 黄紙 橡表 紫綺緒 朱軸]
    又一巻[〓≪衣偏+票≫紙及表 綺緒 白檀軸 金泥字]
    又三巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   灌頂經一部十二巻[欠第五七八九十十二 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又五巻[並第九巻 黄紙及表 綺緒漆軸]
    又三巻[第五七八 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 漆軸 印]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   藥師經卅七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又六十九巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 朱軸 印]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 紫綺緒 白檀軸]
    又一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   新藥師經二部四巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
    又三部六巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 馬脳軸]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内204頁~207頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
  能断般若經百巻[黄紙及表 綺緒 〓≪木偏+聖≫軸]
  不空羂索經九巻[呉桃紙及表 紫綺緒 朱頂軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
   又一巻[白麻紙及表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩陀羅尼經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  觀世音經百廿二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又廿一巻[白紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[呉桃紙 紫羅表 紫綺緒 〓≪さんずい+冗≫水軸]
   又一巻[赤紙呉桃紙表 綺緒 花軸 銀泥字]
   又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
   又一巻[橡〓≪あしぎぬ≫ 紫羅表 綺緒 漆軸]
   又一巻[白麻紙 黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩受記經一巻[白麻紙 橡表 綺緒 紫檀軸]
  請觀世音經二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  十一面神呪心經二巻[黄紙及表 綺緒朱軸]
   又一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  高王觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  千手千眼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 花軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  无垢稱經一部六巻[欠第一巻 呉桃紙 橡表 紫綺緒 赤木軸]
  海龍王經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  維摩詰經一部三巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  大通方廣經三部九巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  无量義經一部二巻[黄紙及表 綺緒 黑柿軸]
  理趣經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  弥勒經六部十八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  弥勒成佛經一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒下生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒上生經三巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   又一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  又弥勒成佛經二巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  又弥勒下生經六巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  弥勒菩薩所問本願經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  最无比經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  右繞佛塔經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  摩訶摩耶經一巻[色紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  灌佛經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  甚希有經一巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 紫檀軸]
  造立形像福報經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  浄飯王般若經一巻[呉桃紙及表 綺緒 紫檀軸]
  天請問經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  四天王經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  金光明經并喩伽論抄一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  呪〓≪女偏+屓≫經一巻[白紙 黄表 綺緒 花軸]
  无常經一巻[縹紙 紺表 紫檀軸 金泥字]
  雜呪一巻[黄紙 羅表 紫緒 紫檀軸]
  神符經一巻[縹紙 紫表 綺緒 朱軸 金銀交字]
  出家功徳經一巻[縹紙 紫檀軸 金字]
  觀藥王上佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  地藏菩薩經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  十无盡戒經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  七倶胝母佛心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  六門陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  度世經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸頂]
  護諸童子經六巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  八名普蜜陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  金光明懺悔品一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  心經廿七巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又五巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又四巻[色紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又二巻[白麻紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[色紙及表 綺緒 朱軸]
  壽延經八十七巻[白麻紙及表 綺緒 朱軸]
   丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内207頁~212頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 庚櫃
   喩伽論百巻[黄紙及表 紫綺緒 朱軸 竹帙 紫綾縁 緋裏 緑拾組帯]
   大智度論百巻[黄紙及表 緋緒 朱頂軸 錦縁]
   唯識論十巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁]
   唯識述義二巻[白紙及表 无緒軸]
   大般涅槃經疏二巻[白紙及表 无緒軸]
    又十五巻[白紙 黄表 綺緒 漆軸]
   成唯識論疏十三巻[白紙及表 无緒軸]
   願文一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
   又雜願文一巻[白紙及表 无軸緒]
   二諦義一巻[白紙]
   供養文一巻[白紙]
   佛印一巻[白紙黄表 綺緒 赤木軸 印]
   維摩經一巻[黄紙及表 无軸緒]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内212頁~213頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 〓≪さんずい+冗≫厨子
   十論經十巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏 拾組帯]
   華嚴經八十巻[欠第一巻 又四帙第卅四卅五卅六卅七卅八卅九 呉桃紙 紫羅表 綺緒 〓≪さんずい+冗≫軸 竹帙 錦縁 紫綾裏 拾組帯]
   法華經八巻[紫紺錦表 綺緒 以玉錺軸 竹帙 錦縁 緋綾裏 金字題]
    又八巻[紫紙 紫羅表 綺緒 琥珀軸 金字題]
   稱讚浄土經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 以金錺軸 金字]
   最勝王經一巻[複 黄紙 紺表 綺緒 花軸 金字題]
    又一部十巻[白麻紙 白綾表 白綺緒 水精軸 无帙]
   能〓≪米偏+斤≫(断)金剛般若經一巻那伽室利般若經一巻
   曼殊室利般若經上巻 又下
   不空羂索神呪心經一巻[已上並呉桃紙及表 綺緒 朱軸]
   理趣經一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   千手千眼觀世音經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   觀普賢菩薩行法經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   佛頂尊勝陀羅尼經一巻

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内215頁~217頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 戊櫃
(中略)
   法華經一部八巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 无帙 十五年五月十七日奉請宮 山口東女]
   新翻藥師經一部二巻[黄紙及表 綺 緒朱軸 十五年月十七日請東宮御所 付東女并果女(マヽ)]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内218頁~219頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
   弥勒經一部三巻[花軸 十年十四月(日カ)為本經請高屋赤万呂 果安(マヽ)]
   請觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸 十年五月廿六日借請中宅大道藤原大夫 万呂]
(中略)
   法華經一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 竹帙 錦縁 請東宮御所付延信尼十二年四月廿三日善人]
   金剛般若經一巻奉出[十二年十月四日付秦岡万呂 添万呂]
   无垢稱經一部六巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 无帙]
   勝鬘經一巻[黄紙滅紫表 綺緒 金字題 花軸]
   弥勒經一部三巻[黄紙及表 緒 朱軸 已上三經請敎勝所 十五年二月廿四日万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内219~220頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
能登忍人
(中略)
四月七日<充>一千四百五十張
  十五日充金塵<>【靑褐】紙百五十張[花嚴料]又十九日充紙肆拾漆張[花嚴料上五月十四日]
  十六日充黄紙一千九百張[少僧都花嚴經二部料
[「(異筆)以天平勝寶七歳正月十九日造上一千四百張上馬甘廿日上五百張収生人]」
  廿二日充表紙<二>百張
五月十八日充百七十張[廿六日上了]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内526頁~527頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

「(異筆)同月廿三日付[【阿刀雄足返送了】村山首万呂返送了]」
自内裏奉請梵網經疏三巻 私記二卷 合五巻
    即【黄】白紙黄表松梠軸(マヽ)専紫緒[竹秩一枚着黄楊占裏浅紫緑及緒]
漆塗木筥一合
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内604頁~605頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6付

記事

(前略)
法花玄賛十六巻[黄紙及黄表紫緒梨柚(軸)]
右以天平勝寶三年六月十九日自内裏奉請如件[自内裏請本也]
知鴨筆 使常世人足
法花經十部[別帙在竹帙緋裏紫及帶之中四部朱軸六部白木軸]
右以天平勝寳四年正月十二日奉返於山階寺
使村山首万呂
知呉原生人
梵網經疏一部[二卷无帙黄<白>紙黄表无軸 无曉師撰【者】]
右爲用本自法花寺奉請使他田水主
天平勝寳四年二月廿六日檢納賀茂筆
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内606頁~607頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

自内裏奉請
   辨中邊論疏一部三卷[玄範師撰 白紙黄表漆塗軸綺緒]
   理趣經疏一部三卷[基法師撰 黄紙及表中紫邊小白綺緒黒柿繼軸 並納小漆塗筥一合 以七月二日納新寫送返]
以前、依飯高笠目天平勝寳四年四月廿五日宣、爲用本、奉寫所奉請如前、
   奉宣次官佐伯宿祢(今毛人)   檢三嶋宗麿
                        他田水主
前件疏本并新寫以七月二日奉請内裏納櫃如前[使次官佐伯宿祢]
                         知大鳥高人
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内608頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

八十花嚴經第二帙[十巻黄紙及表紫檀軸紫班綺緒竹簫(繍)帙黒紫黒錦裏緋緒]
   納塗赤漆小着足櫃一合[先納胡桃染紙自内裏來櫃者]
  右爲<用>今奉寫八十花嚴經第二帙様所謂如前、
             天平勝寳四年八月廿四日他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内609頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

(紙継目)
自内裏奉請經三巻
  十二仏名經一巻[黄紙及表室木軸无緒初坐阿弥陀仏像]
  鼓音聲陀羅尼經一巻[黄紙及表木繪軸綺緒已上二]
  花嚴修慈分一巻[黄紙【及表】紫羅裏浅羅表白檀軸无緒]
   右為用本經、依善光尼師宣奉請、[使大藏判官、]
           天平勝寶四年九月廿四日納他田水主

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内610頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

觀世音三昧經一巻[黄紙及表銀軸无緒]十一面經一巻[黄紙及表紫緒朱軸]
觀自在菩薩如意心陀羅尼咒經一巻
觀世音<菩薩>受記經一巻[已上三巻黄紙及緒朱軸]
  右、為證本、金光明寺奉請、使呉原生人、
                        五年二月十日

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内612頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

大般若經一部六百巻[黄紙及表綺緒白檀軸竹綵緋錦組帯 无帙六枚辛手者四帙第一巻初枚墨穢十四帙表并題異卅六帙第五巻落一張]
納漆辛櫃三合[〓≪果+衣≫布紺?]布綱三條
   右、為用本、自河内雪寺、奉請如前、[使志紀賣良万呂、]
           天平勝寶六年三月廿六日上馬養
                         呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内613頁~614頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

諸經要集一部廿卷[黄紙錦表綺緒紫檀軸綵帙錦縁浅裏緋羅帯之中一枚軸端折]
   右、自大唐法進師請來、
                  七歳六月廿五日上馬養
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内615頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「千部法華經料紙緖軸帙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)1月10日~天平21年3月11日

記事

  二月十日自内裏給出書(畫カ)軸十六枝 斑綺緖二丈八尺[千部之内且請 二部料]
                 検納阿刀酒主

出典

『大日本古文書』10(6頁~10頁の内7頁)(『正倉院文書』續々修5帙6)

「千部法華經料紙緖軸帙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)1月10日~天平21年3月11日

記事

  十三日自宮給出斑綺緖八條[惣長六十九丈六尺]
    竹帙四十五枚[緋裏錦拾組緖]已丈並千部料且所給
                 検納阿刀酒主

出典

『大日本古文書』10(6頁~10頁の内7頁)(『正倉院文書』續々修5帙6)

「經師等紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平21年(749)3月27日~天平勝寳7年(755)2月28日 

記事

辛浄足
十月十一日紙〔廿〕筆直五十文 墨半廷[已上雑九巻料]
六十花巌
五年二月十日上〔廿〕筆一 墨一廷 十二日〔廿〕十三日〔廿〕十四日〔廿〕十九日〔廿〕
廿一日〔〓≪よんじゅう≫〕廿五日〔廿〕三月八日〔〓≪よんじゅう≫〕九月四日〔廿〕十月十五日〔十一〕十六日〔廿〕
廿日〔六十〕十一月六日〔八十〕廿二日〔百廿〕

出典

『大日本古文書』10(554頁~588頁の内562頁)(『正倉院文書』続々修三十四帙六)

「經師等紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平21年(749)3月27日~天平勝寳7年(755)2月28日 

記事

山邊諸公
  五年二月廿二日充紙〔廿筆二管墨一廷直銭〓≪よんじゅう≫文〕廿四日〔廿〕九月廿六日〔六十〕
    十二月三日充紙十巻[最勝王經一部料]

出典

『大日本古文書』10(554頁~588頁の内564頁)(『正倉院文書』続々修三十四帙六)

「檢定經并雜物等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月19日

記事

(紙継目)
(前略)
依間仰給奉寫經納櫃
  多心經七百六十八卷[複廿六卷 天平廿一年料] 法花經十部
  千手經廿一卷                又法花經一部[唐本者]
  理趣經一卷                 新翻藥師經二卷[不知本□(主カ)]
  圖書寮經一【卷】帙[卅一卷]          浴像功德經二卷
  盂蘭飯經二卷                温室經二卷
  最勝王經二部[並未寫了 十四卷紙]     樞要四卷
  一切經音義二部十卷[一部唐本 一部今寫]   十輪經一部十卷[胡桃染紙帙□(占カ)具]
  唯識論測法師疏二卷             金光明經疏八卷[元暁師撰]
  三卷鈔三卷[一卷上 二卷下]         六卷鈔一部六卷
  十一面經疏一卷               尊勝琳(珠)林序二卷[一卷未装〓≪さんずい+黄≫]
  四分律鈔第二卷
(中略)
又雜經納經[第二者]
  雜經十二帙[百卅三卷 无表卅四卷 表破卅卷] 雜寳藏經十卷
  賢愚經十七卷                因果經五卷
  普耀經八卷[已上胡桃染紙者]         六門陀羅尼經十卷
  高王觀世音經十卷              多心經十卷
  无常經十卷                 千手經二卷[紙]
  法花經三部[欠一卷第三卷者]         增一阿含經二卷[重寫者未装]
  金剛般若經一卷[无緒軸]
  法花經一部八卷               摩訶摩耶經一卷
  千手經一卷                 淨飯王經一卷
(中略)
多心經遺紙納櫃             紙五十七張[黄表紙五十三張]
  合一千三百九張[此心經料]        白紙二百十六枚[放捨表百九十六枚]
                     宮一切經料黄紙九百八枚 胡桃染紙廿張

(中略)
間經遺紙納櫃
  最勝王殘一千百五十七(マヽ)張[三百五十七張未繼 百〓≪よんじゅう≫三張借用田邊判官]
  又打紙百廿六張[〓≪よんじゅう≫三張黄紙]      紫紙十五張
  軸六枚[梨]              廿一部花嚴經表料黄紙百六十八張
雜物納櫃
  厨子覆六【合】領[二領黑紫 二領練綿入 二領橡子綿入]  練帳一条[三副]
  布四条[一条長二丈五尺 一条長一丈七尺 二条各長一丈三尺] 布綱四条[長五尺]
  染塗軸二百五十枚         疏軸二百六十四枚
  經軸三百廿五枚          綺緒二百七十七丈二尺[十一丈一尺綺]
  占一百枚             帙三枚[一枚占在]
(後略)

出典

『大日本古文書』11(42頁~49頁の内43頁~47頁)(『正倉院文書』續々修十四帙八)

「檢定經并雜物等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月19日付

記事

(前略)
又雜經納經[第二者]
  雜經十二帙[百卅三卷 无表卅四卷 表破卅卷] 雜寳藏經十卷
  賢愚經十七卷                因果經五卷
  普耀經八卷[已上胡桃染紙者]         六門陀羅尼經十卷
  高王觀世音經十卷              多心經十卷
  无常經十卷                 千手經二卷[紙]
  法花經三部[欠一卷第三卷者]         增一阿含經二卷[重寫者未装]
  金剛般若經一卷[无緒軸]
  法花經一部八卷               摩訶摩耶經一卷
  千手經一卷                 淨飯王經一卷
(後略)

出典

『大日本古文書』11(45頁)(『正倉院文書』續々修14帙8)

「檢定經并雜物等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月19日付

記事

(前略)
多心經遺紙納櫃             紙五十七張[黄表紙五十三張]
  合一千三百九張[此心經料]        白紙二百十六枚[放捨表百九十六枚]
                     宮一切經料黄紙九百八枚 胡桃染紙廿張

(後略)

出典

『大日本古文書』11(46頁)(『正倉院文書』續々修14帙8)

「檢定經并雜物等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月19日付

記事

(前略)
雜物納櫃
  厨子覆六合(領)[二領黑紫 二領練綿入 二領橡子綿入]  練帳一条[三副]
  布四条[一条長二丈五尺 一条長一丈七尺 二条各長一丈三尺] 布綱四条[長五尺]
  染塗軸二百五十枚         疏軸二百六十四枚
  經軸三百廿五枚          綺緒二百七十七丈二尺[十一丈一尺綺]
  占一百枚             帙三枚[一枚占在]

(後略)

出典

『大日本古文書』11(47頁)(『正倉院文書』續々修14帙8)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
(紙端)
                      上馬甘
                      呉原「(自著)生人」
  九月八日納漆牀六前
    右、自造物所齋來如前、
                   収呉原生人
   廿四日納朱沙三兩 金靑四兩 白靑一兩 丹四兩 同黄一分
    白一兩 胡粉十兩 紫土五兩 膠廿兩 烟子四枚[中]
     右、爲奉造七仏藥師像、納如前、
                 受呉原    上馬甘
   廿五日納靑十兩 金薄壹伯枚 銀薄伍拾枚
                   受呉原生人
   廿六日納丹二兩 白靑一兩 白一兩
                   受呉原生人
   廿七日納金薄廿枚
               受呉原生人 上「(自著)馬甘」
   廿八日納金薄貳拾枚
                   受上馬甘
   廿九日納烟子六枚[小]
                   受上馬甘

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内390頁~392頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「造東寺司請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)5月22日

記事

造東寺司
  雜阿含經一部五十卷[黄紙及表緒朱軸]紙帙
   納漆塗箱一合   帛巾一條[並岡寺]
    右、以大德宣、奉請如前、
         天平勝寳三年五月廿二日
             次官正五位上兼行大倭介佐伯宿祢「(自著)今毛人」
(後略)

出典

『大日本古文書』11(556頁~557頁)(『正倉院文書』續々修四十二帙五裏)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

 廿日充能登忍人金敷紙一百九十七張[寫六十花嚴經料者 充水主]

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修28帙13)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

 廿八日充淺金敷紙八十八張[寫十二仏名經等類三卷料 充水主]受忍人
(後略)  

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修28帙13)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

十月十二日<胡桃紙>一千張[受能登忍人] 出充生人
金薄敷<紙>三張[充忍人 六十花嚴料者依大藏(萬里)判官宣用]
  右十二仏(名脱カ)經等表紙料且充如前知生人

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内167頁)(『正倉院文書』)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

金敷紙二張[六十花嚴料]
  右依大藏判官宣爲十二仏名等表紙、所充如前
                   十一月廿八日他田

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内167頁)(『正倉院文書』)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

金薄敷紙五百五十張[六十花嚴料]    受能登忍人
  五年五月<廿九日>上二百張  收生人 
                       十二月九日呉原生人

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内167頁)(『正倉院文書』)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

銀薄敷<淺>紙〓《よんじゅう》張[弥勒經一部藥師<經>一卷料]  受能登忍人
十二月十八日呉原「(自署)生人」

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内167頁)(『正倉院文書』)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

 <七月九日>金薄敷紫<紙>伍張[紙花嚴表紙料]   受能登忍人
                                      検充呉原生人

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内170頁)(『正倉院文書』)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月25日

記事

  廿三日 淨依捌具[單<布>袍袴者【麻者】]綿二屯[小]
   「(異筆)反」胡粉十■斤[倭]金靑一斤二兩 白靑六兩
     唐胡粉十二兩「又十斤【二兩】烟子一枚[太]「(異筆)又廿二枚[中]」〈「(異筆)返上十八枚更請十八枚[小]〉丹一斤二兩
     靑三斤             白十二兩
     石灰五升 陶〓《土偏+宛》十口 布單衣十六領[別副袴袴十六]之中
   「(擦消)廿」[四領雜使料二領駈使料]布十三端四尺之中[八端湯帳冠襪巾料「(異筆)反」五端敷堂料 納志貴]鹿毛小(少)々

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内239頁~240頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月25日

記事

  廿九日靑三斤   生羂(絹)二尺 布綱一条[長八尋]
     白布帳一条[四副 納志貴]綿二屯 金薄百枚 韋一枚[廣四寸長八寸]
     靑代二兩

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内241頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

合綵色料十三種
朱沙二兩  金靑三兩  白靑二兩二分  同黄二分
胡粉【六】七兩三分[盡用] 丹六兩 大烟子〈十【六】〉三枚〈【十】三小〉[大盡用] 金薄七〈八〉十五〈三〉枚[盡用]
已上【銀薄五枚】見送
靑三兩[直卅文盡用]白一兩二分[六文盡用]紫土一兩二分[六文盡用]
銀薄十二〈七〉枚[廿四文盡用]膠九〈十四〉兩[廿七文盡用]合九十三文
  右奉造僧慎〓《人偏+尓》耶藥叉大將像一鋪料如前
又請胡粉一兩 【白靑二分】 烟子[十三小 八枚] 膠四兩
又銀薄五枚  金薄五枚 烟子五枚[小] 膠一兩
白靑二分[市]
又金薄三枚[受馬甘]
以前奉造藥叉〈僧慎〉【大將像】并大弁才天〈女〉像之料所殘如前
所殘丹返上政所[検受上毛野判官藏人下道主]

出典

『大日本古文書』12(252頁~254頁の内253頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

請丹合十【二】三種
  靑一斤   白二兩   丹十兩
  同黄一分   烟子九枚   胡粉一斤
  金薄三百枚  金墨半分   銀墨半分〈膠三斤八兩〉[已上九〈十〉種並盡用]
  金靑十四兩[用十一兩二分殘二兩二分] 朱沙五兩[用四兩三分四朱殘二朱]
  白靑十二兩[用八兩二分殘三兩二分]

出典

『大日本古文書』12(254頁)(『正倉院文書』續修29)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

單巧十二人 阿弥陀仏一鋪[二副]
貳布副用丹事
金靑一兩[直錢七百文]    洙(朱)沙一兩[直錢一千文]
同黄半分[直錢一百五十文]  胡粉二兩[直錢八十文]
白靑一分[直二百文]   「(追筆)中」烟子一牧(枚)半[直七百五十文]
丹二兩[直六十文]      靑二兩[直八十文]
紫土二分[直五文]      白()六二分[直五文]
     阿膠六兩[直廿四文]
         合三千五十四文
可充布施錢一貫六百文
  米二斗四升 塩七合二夕 海藻滑(海脱)藻各一斤八兩
  醤末醬一升二合 酢六合 「(追筆)止」生菜直錢廿四文

出典

『大日本古文書』12(254頁~255頁の内255頁)(『正倉院文書』續々修24帙6裏)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

阿弥陀浄土一鋪[三副]高八尺
可用白〓《あしぎぬ》二丈四尺 「(追筆)【商】〈祖〉布一丈[縁料]苧太一斤」
  金靑三兩 洙〈朱〉沙二兩 胡粉四兩  白靑四兩
  靑四兩 同黄一分 丹三兩   中烟子六枚
  白一兩 紫土一兩 金薄一百枚 阿膠一斤
  炭二石  「(追筆)單五十人[日別六十文]
又【懷温石借】事

出典

『大日本古文書』12(256頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

 藥師像壹軀    千手千眼〓《ボサツ》一躯
妙見〓《ボサツ》一躯[並彩色者]
可用珠(朱)一兩   金靑三分    白靑三分
   靑一兩二分 丹二兩     胡粉二兩
   紫土一兩   中烟子四枚   金薄〓《よんじゅう》枚
   銀薄十枚   阿膠十兩    同黄三分
   白一兩二分
  畫師一人  單十二日   

出典

『大日本古文書』12(256頁~257頁の内257頁)(『正倉院文書』續修別集34裏)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
法花經一部八卷[黄紙及表綺緒紫檀軸〈木繪〉竹帙淺裏及帶錦縁]
梵網經一卷 頭陀經一卷[並縹絹外淺紫錦表及綺牙軸用銀墨寫 表裏坐仏像]
  右以天平勝寳四年六月廿二日新羅國使人等所奉請者
             六月廿二日呉原生人
法花經疏十卷[白紙黄表綺緒漆軸]基法師
  右依定戒尼宣自日置〓《草冠+衣》万呂所請收納間櫃
           五年十一月廿六日呉原生人
前件疏以十一月廿八日付小塞弓張奉請内裏
                  呉原生人
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内288頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
灌頂經一部十二卷[靑褐紙淺縹表綺緒繪軸]綵帙一枚[淺綾裏錦緑拾組帶]
  納漆函一合[敷白綾褥] 漆机一前  敷褥一床[袷纈表 細布裏]
  白羅印文覆一條[二副]   五色丸組四條
   右以天平勝寳八歳五月六日自内裏請來
                收納上馬養
(紙繼目)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内290頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「間經并疏文造充裝〓《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

六十花嚴經初帙十卷[紙]用紙二百〓《よんじゅう》六張    受能登忍人
             五月廿九日上馬甘

出典

『大日本古文書』12(317頁~319頁の内318頁)(『正倉院文書』續々修27帙4)

「間經并疏文造充裝〓《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

  廿九日六十花嚴經初帙十卷[紙]用二百〓《よんじゅう》六張受能登忍人
                      知上馬甘

出典

『大日本古文書』12(319頁~332頁の内321頁)(『正倉院文書』續々修28帙16)

「間經并疏文造充裝〓《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

  廿八日充花嚴經二帙[一帙葉藁紙一帙紙]並第三帙者[用紙四百卅二張布施給了受能登忍人]
     又縹紙伍張[葉藁經表紙料]         検充呉原生人

出典

『大日本古文書』12(319頁~332頁の内323頁)(『正倉院文書』續々修28帙16)

「間經并疏文造充裝〓《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

  廿九日充蘇芳軸伍拾枚[卅枚紙花嚴經料廿枚葉藁紙花嚴經料 魚次所奉寫]
     受能登忍人             呉原生人

出典

『大日本古文書』12(319頁~332頁の内323頁)(『正倉院文書』續々修28帙16)

「間經并疏文造充裝〓《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

 廿九日六十花嚴經初帙十卷[紙〔用二百〓《よんじゅう》六張〕]充能登忍人
                       知上馬甘

出典

『大日本古文書』12(319頁~332頁の内331頁)(『正倉院文書』續々修27帙4)

「間經并疏文造充裝〓《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

  廿二日充法花經一部[白紙八卷]用百七十八張 理趣經一卷[白紙] 用廿張
   解深蜜經一部五卷[滅紙]用八十四張 弥勒經一部三卷[綠紙]用廿六張
    藥師經一卷[紙]用十三張  已上受能登忍人
                知呉原    上馬甘

出典

『大日本古文書』12(319頁~332頁の内331頁)(『正倉院文書』續々修27帙4)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十九日自内裏來金敷(紙脱)壹伯玖拾漆張[奉寫六十花嚴經一部料且來者]
  右依飯高内侍宣所納如前
     奉宣判官大藏伊美吉    検納他田水主

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内334頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十月廿一日自内裏來金薄敷〈紙〉貳伯玖拾伍張[六十花嚴料 先請一百九十七張之類者 納漆韓櫃着足一合无鎖]
                     收呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内335頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

 漆塗着足韓櫃一合[六十花嚴料紙納者]
   右依上毛野判官(眞人)阿刀主典(酒主)宣付紫微舍人山老万呂進送如前
            天平勝寳四年十一月十九日他田水主
                         呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内335頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十一月廿七日自政所受金敷紙貳伯陸拾張[六十花嚴經料者]
                 検納他田水主

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内335頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

廿八日自内裏來金敷紙二百九十張〈六十〉花嚴經料者

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内336頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

二月廿四日納色紙貳伯伍拾參張
  深十一張 深縹廿張  淺縹廿張  淺廿張
  蘇芳廿張  深紅廿張  淺紅廿〈二〉張  白廿張
  淺波自〓《よんじゅう》張 深苅安廿張 淺苅安廿張 胡桃廿張
   右種々觀世音經廿一卷料
                  受呉原生人
又納深紅紙百十五張
  右依飯高笠目天平勝寳五年二月七日宣將奉寫〓《木+曼》(楞)伽經之料
                   納上馬養

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内337頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

七月六日納金薄敷紫紙參拾貳張[三十張紙花嚴經表紙料 二張心經二卷料之中一卷銀墨色深者]
                   受呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内339頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十六日納色紙壹仟伯張[一千十張見寫料 五十張表紙料〓《よんじゅう》張儲料]
  藍色百張  深縹百張  白百張  深紅百張  中紅百張
  淺紅百張  深橡百張  淺波自百張  深波自百張
  淺苅安百張 淺百張 凡紙九十八張[式敷紙下纏等料]
   右奉寫觀世音經一百卷料
              七月十六日上馬甘
                  呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内339頁~340頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「七部經色紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)8月7日

記事

合色紙八百六十張
  金薄敷靑紙百〓《よんじゅう》七張
   右可用八卷金光明經一部料
  金薄敷白紙□□□(長方形抜け)張
   右可用法花經一部理趣經一卷料
  金薄敷滅紫紙百七十九張
   右可用最勝王經一部料
  銀薄敷紅紙□□□(長方形抜け)
   右可用十輪經一部料
  銀薄敷淺紙〓《よんじゅう》六張
   右可用弥勒經一部藥師經一卷料
可遺百八十二張
  靑褐紙百八十張[卅八張敷金銀薄 卅三張敷銀薄 百九張无敷物]
  縹紙二張[敷銀薄]
           天平勝寳四年八月七日

出典

『大日本古文書』12(350頁~351頁)(『正倉院文書』續々修38帙3裏)

「寫經所請緑紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)9月19日

記事

紙 四年九月十九日□□□□□(百九十七張)
    十月廿一日二百九十五□(張)
    □□□(十一月)廿七日二百六十張  十二月廿八日□□□□(二百九十)張
      合千〓《よんじゅう》二張
應用□□□□(紙千五百)〓《よんじゅう》三張
  千四百八十三張見寫料
  六十張儲料
先請千〓《よんじゅう》□□(二張カ)  

  天平勝□□(寶四)年九月十九日百九十【五】七

出典

『大日本古文書』12(378頁~379頁の内378頁)(『正倉院文書』續々修37帙9)

「寫書所食口案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)1月30日

記事

寫書所解  申八月食口事
合貳伯漆拾捌人
  書生百廿七人
   廿二人寫法花經    廿一人寫七部經
   廿一人寫花嚴經    八人寫間花嚴經
   五十人寫常疏     四人寫公文<一人寫四部經>
  裝〓《さんずい+黄》貳拾漆人
   四人造法花經紙    二人造花嚴經紙
   二人造間花嚴紙    十四人造公文紙 三人造疏紙
   二人造考文紙     【二人造間花嚴紙】
  〓《手+交》生肆拾壹人
   【六】五人〓《手+交》法花經     三人〓《手+交》七部經
   三人〓《手+交》花嚴經     廿二人〓《手+交》常疏
   六人遣使       二人礼仏
  畫師拾人[塗靑經堂檻]
  案主拾伍人
  舍人伍拾捌人
   八人遣使       一人〓《手+交》疏
   八人供奉礼仏    十三人洗經堂
   廿七人雜使     一人造公文
以前八月食口顯注如前
           天平勝寳五年八月廿九日
                呉原伊美吉生人

(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(395頁~410頁の内406頁)(『正倉院文書』續々修38帙4)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乘經
                「*黄紙及表朱軸綺帶」
放光般若波羅蜜經二部六十卷[【並綵】「*織」帙緋【綾】裏錦縁組帶 【可求第二帙】「*【一部唐手】 一部決【第】中【一】帙【一】」]
摩訶般若波羅蜜經【三】四部百廿<四>卷
  二部八十卷[並<「*黄紙」>綵帙緋【綾】裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[麁帙淺縁【綾】裏錦縁漆軸帛帶]
  一部四卷注[麁帙黄【綾】裏錦縁組帶]
又【第二帙】十卷[第二帙【綵】「織」帙緋【綾】裏錦縁組帶]
光讃般若波羅蜜經三部〓《よんじゅう》卷
  二部卅卷[並綵帙緋綾錦縁組帶「*【又音義一巻白紙无軸】]
  一部十卷[麁帙黄綾裏錦縁朱頂軸黄綾帶]
道行般若波羅蜜經【三】二部廿<【七】>卷[【二部廿卷 一部七卷无帙】【並】「*各」綵帙緋綾裏錦縁組帶]
小品般若波羅蜜經【三】「*四」部【廿七】「*卅四」卷
大明度無極經一部四卷无帙
  二部廿卷[並綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  【一】「*二」部七卷[「*一」麁帙緋綾裏錦縁組帶「*一无帙」]
勝天王般若波羅蜜經二部十四卷[並<「*各」>綵帙緋綾裏組帶<「*錦縁」>]
   「*已上第一櫃[敷帛<袷>帳一条四副]」
「*文殊般若經一巻  文殊所説般若經一巻已上二巻同帙麁帙紫縁裏組帶
濡首菩薩無上清浄淨分衛經一部二卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  「*百九十【七】「*八」巻舍衛國三巻婆伽婆〔之中二卷紫檀軸一朱軸〕」
金剛般若波羅蜜經二百部二百<一>卷[【並】麁帙【深】廿枚綾<裏>紫綾縁及帶漆軸]
「(擦消)【文殊般若經一巻」文殊所説般若經一巻】
能斷金剛般若波羅蜜<多>經廿部廿<一>巻[並麁帙緋綾裏錦縁組帶]
仁王護國般若波羅蜜經卅【一】五部六十<【三】五>卷[綵帙三枚緋綾裏錦縁組帶之中【二】四部漆軸一卷白木軸一卷朱軸]
  【廿九部朱軸】
  【二部漆軸】
般若波羅蜜多經理趣分【八】九十部【八】九十卷[麁帙八枚緋綾裏錦縁組帶]
   「*已上二櫃帛帳」
般若波羅蜜多心經三千七百卷[麁帙一枚緋綾裏錦縁]
大寳積經一部一百廿卷[无帙]
   「*已上三櫃」
大方廣三戒經一部三卷[綵帙]无量清淨平等覺經二卷[麁帙縁綾裏紫綾帶組]
无量壽經一部二卷[綵帙]  觀无量壽經九卷[麁帙]又二卷[銀軸无帙]
又四卷[一卷白紙无軸一卷白檀軸一卷朱頂軸]
阿〓≪門+人人人≫仏國經一部二卷[綵帙]
發覺浄心經一部二卷[綵<鹿>帙綾裏紫綾組帯]
[聖善住意佳意天子所問經三巻綵帙]
毘邪婆問經一部二卷[綵帙【已上緋綾裏錦縁組帯】]
大方等大集經二部百巻[【並】綵帙十枚【緋綾裏錦縁組帯】已上緋綾裏錦縁組帯]
大集【月】日藏經一部十巻[无帙]
大集月藏經一部十巻[无帙]
大乗大集地蔵十輪經十<二部廿>巻[鹿帙綾裏紫綾縁組帯「一部无帙」]
大方廣十輪經【三】四部【廿四】卅二巻
[一部八巻]
一部八巻[綵帙緋<上二部並>綾裏錦縁組帯]
一部八巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
一部八巻[欠第八巻 鹿帙黄綾裏錦縁 銀軸]
(中略)
寳星陀羅尼經二【十】部<十>廿巻[大方等大集菩薩念仏三昧經十巻〔无帙〕大哀經二部十六巻 奮迅王問經二卷〔綵帙〕]
   一部十巻[鹿帙黄綾裏破]    一部八巻[綵帙]  一部八巻[綵帙]
                      「*佛説无言菩薩一巻」
   一部十巻[帙形未詳]
(中略)
大般若涅槃經【〓《よんじゅう》卷】七部二百九十八卷
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第三帙第五卷白紙及表銀軸綵帙縹綾裏紫綾縁及帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻綵帙緋綾裏錦縁組帶金塗頂安靑玉軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[白檀軸綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻鹿帙緋綾裏錦縁組帶漆軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻无帙]
(中略)
大般泥〓≪さんずい+亘≫經二部十二卷
  一部六卷[鹿帙綾裏紫綾縁組帶]
  一部六卷[无帙]
方等般泥洹經一部二巻[鹿帙綾裏紫綾組帶]
  四童子三昧(經脱)一部三卷[綵帙]
  大悲經一部五巻[綵帙]
  普曜經一部八卷[綵帙]
「妙」法<蓮>華經十七<八>部百【百六】卅四卷
  七巻法華經五部
    一部七巻[綵帙錦緋裏白玉軸]
    一部七巻[綵帙白橡〓《あしぎぬ》縁淺縁<>綾裏白玉軸]
    一部七巻[白檀軸綵帙錦縁緋綾裏]
    二部十四卷[綵帙錦縁緋綾裏]
觀世音經二百〓《よんじゅう》四卷[鹿帙八枚緋〓《あしぎぬ》裏錦縁紫〓《あしぎぬ》帶]
(中略)
  八部六十四卷[水精軸鹿帙牙籖]
   一部八卷[金鏤軸天人并獸形繍帙緋綾裏錦縁]
   一部八卷[繍帙緋□]
   一部八卷[鹿帙錦縁緋綾裏]
   一部八卷[梨軸无帙]
   一部八卷[紫檀軸鹿帙緋綾裏錦組帶]
正法花經二部廿卷[帙二枚 一枚鹿帙]
【維摩詰所説經三卷【≪二部六≫[【鹿帙緋綾裏錦縁組帶】一部黄【紙】縹綾表水精軸 鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
【注維摩詰經无垢称經六卷】[「*二部十二卷无帙」【无帙】] 大方等頂王經六卷[鹿帙(錦脱カ)縁綾裏紫綾縁組帶]
「(附紙[維摩詰所説經云々ノ上])
維摩詰所説經三分九卷[一部黄紙縹綾表水精軸一金塗銅軸<鹿帙緋綾裏錦縁組帶>〔无帙〕]
注維摩詰經二部十四卷[一部八卷欠一二三四卷一部六卷欠第一二三卷並朱頂軸无帙]
諸无垢称經二部十二卷[並无帙]
(中略)
金光明最勝王經四部〓《よんじゅう》卷
  二部廿卷[並紫檀軸鹿帙緋綾裏錦組帶]
  一部十卷[鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部十卷[无帙]
   「*已上第六櫃[帛帳]」
【金】合部金光明經【卅九】〓《よんじゅう》部三百【十二】廿卷[十九部漆軸綵帙一枚鹿帙卅九枚綾裏紫綾縁組帶]
金光明最勝王經懺悔品六十卷[五十二卷漆軸鹿帙五枚之中四枚綾裏紫綾縁一枚緋綾裏錦縁]
金光明經〓《よんじゅう》部百六十卷[廿部漆軸鹿帙〓《よんじゅう》枚綾裏紫綾組帶「*出別生所」]
    「*已上七櫃[帛帙]」
(中略)
道神足無極變化經四卷[綵帙]「(追筆)又二巻[靑玉軸无帙]」
寳雨經【五】十卷[欠第一六四三七巻 无帙]
寳雲經七巻[綵帙□]
阿惟越致經三卷[綵帙]
不退転法輪經【四卷】二部八卷[【无帙】一部四卷无帙 【鹿帙一帙】一部四卷鹿帙]
廣博嚴淨不退転法輪經六卷[鹿帙深縁()綾裏紫綾縁組帶]
集一切福德三昧經三卷[鹿帙深縁()綾裏紫綾組帶]
持心梵天所問經四卷[鹿帙深縁()綾裏紫綾組帶一部无帙]
思益梵天所問經四卷[綵帙「鹿帙黄綾裏錦縁組帶」]
勝思惟梵天所問經<二部十>【六】二卷[无帙一部鹿帙深綾裏紫縁組帶]
(中略)
分別縁起初勝法門經二卷[鹿帙紫綾縁組帯]
楞伽阿跋多羅寳經四巻[鹿帙紫綾縁緋綾裏組帯]
入楞伽經三部廿八巻「(擦消)綵帙」[一部<十巻>綵帙一部十巻朱頂軸鹿帙緋綾裏錦縁組帯一部八巻鹿帙緋〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
(中略)
大方等大雲經二部十二卷[鹿帙]
  一部六巻[綵帙]
  一部六巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]
(中略)
灌頂經八巻[鹿帙黄綾裏錦縁細組帯朱頂軸]
又第八巻廿卷[鹿帙二枚緋綾裏錦縁組帯]
藥師瑠璃光如来本願功徳經八十巻[鹿帙八枚緋綾裏錦<縁>組帯]
藥師瑠璃光【如来】七仏本願功徳經十八部卅六巻[三部漆軸鹿帙四枚緋綾裏錦縁組帯]
又三巻[二卷紫檀軸一巻漆軸无帙]
阿闍世王經二卷[鹿帙紫綾縁深縁()綾組帯]
(中略)
【无量壽經二卷】[【銀軸无帙】]
弥勒下生經十巻[塗金軸端坐<靑>玉綵帙]
順權方便經二卷[鹿帙深縁()綾裏紫綾縁帯組]
「*六度集經八巻[綵帙]文殊師利菩薩問菩薩經一巻」「*伽那頂經一巻」
無上依經二卷[綵帙]「*仏説乳光經一巻[朱頂軸]」
「*文殊師利問法身經一巻 文殊戸利菩薩行經一巻 佛説八陽經一巻」
千手千眼觀世音菩薩廣大圓満無碍大悲心陀羅尼經十<一>巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯「十一部」]
孔雀王咒經二卷[綵帙]「(追筆)又二卷[〓(朱カ)頂軸无帙]」
十一面神咒心經(「五十部」)五十巻[卅卷漆軸十巻紫檀軸鹿帙五枚二枚深縁()綾裏錦縁組帯三枚緋綾裏錦縁組帯]
「*文殊師利菩薩六字咒功能法經一巻[无帙]」
仏頂尊勝陀羅尼經八十【六】「九」巻[木繪軸鹿帙九枚縁()綾裏紫綾縁組帯「*八十九部」]
(中略)
仏名經三部卅六巻
  二部廿四巻[【並】綵帙二枚]
  一部十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁无帯]
三劫三千仏名經三巻[綵帙]「*又二部二卷<以三巻複為二卷>又四巻[之中一巻无軸并賢劫者]」
五千五百仏名經八巻[綵帙]「(追筆)不思議功徳經二卷[无軸及帙]又不思議功徳經二卷[鹿帙綾裏紫綾縁組帯]」
(中略)
又仏名經廿巻<二部(卷カ)>
  一部十巻[无帙鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
  一部十<【六】>巻[无帙] 【一部十六巻[无帙]】
又仏名經十二巻[紫紙金字經紫羅表繪軸綵帙緋綾糸]
(中略)
大吉義神咒經四巻[綵帙]已上綵帙緋綾裏錦縁組帯
(後略)

出典

『大日本古文書』12(473頁~489頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乗經雜
(中略)
胞胎經一巻   法鏡鏡【二】三巻[一巻漆軸]
(中略)
太子和休經一巻  慧上菩薩問(大脱カ)善權經二卷[鹿帙綾裏紫綾縁組帯]
(中略)
无量義經一巻[白玉軸]  大方等頂王經一巻
(中略)
大雲請雨經一巻[无軸]  諸法无行經<二>卷[漆軸]
(中略)
徳護長者經二卷[鹿帙縁()綾裏紫縁組帯] 伽耶頂經一巻
(中略)
犢子經一巻[黄表朱頂軸]  乳光佛經一巻
(中略)
不空羂索咒經【二】三巻[一巻漆軸]  不空羂索<神>咒心經【二】三巻
(中略)
尊勝菩薩所問一切諸法門經【一巻】四<三>巻銀軸  金剛上味陀羅尼經一巻
(中略)
温室經一巻[黄表白金軸]  〓≪さんずい+頁≫頼經一巻
菩薩生地經一巻         菩薩縁身五十事經一巻
大方等如來藏經一巻[白金軸] 百仏名經一巻
(中略)
【大寳積經一帙十巻[大乗經二寫]】
「*一」大乗律
菩薩持地經三部廿六巻[二部十六巻鹿帙二枚綾裏紫綾縁組帯一枚表綾裏及帯紫綾縁]
菩薩善戒經九巻[綵帙]  浄業鄣經二卷
優婆塞戒經二部十四巻
  一部七巻[綵帙]  一部七巻[鹿帙黄綾裏錦縁朱頂軸]
梵網經二巻[綵帙]  又二卷[綵帙]
菩薩瓔珞本業三部六巻  又一部二卷[朱頂軸无帙]
  一部二卷[綵帙]
  一部二卷[白紙及表靑玉軸鹿帙黄綾裏錦縁組帯]
  一部二卷[无帙]
(中略)
文殊師利浄律經一巻  清浄毘尼方廣經二巻[一巻朱頂軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(489頁~497頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
「(異筆)二」右同帙[綵帙]
(中略)
【四諦】轉法輪經【三】「*一」卷[【一巻漆軸】]  八正道經<「*二部」>二巻
(中略)
「(異筆)四」右同帙[綵帙]
「*太子本起經二卷」
過去見在因果經五巻[綵帙]        「*四十二章經一巻」
盡因果經二部十六巻[一部八巻鹿帙緋綾裏錦縁組帯 一部八卷无帙「*是不<列>可此次」]
捺女耆城國經一巻[「*依縁云是<不>正經仍出除」] 罪業応報教化地獄經二巻<「*二部」>[「(異筆)一巻出」]
(中略)
「(異筆)五」右同帙
(中略)
業報差別經一巻      陰持經二[(卷脱カ)綵帙綾裏紫綾縁組帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内502頁~504頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
(紙継目)
小乗律
僧祇律〓《よんじゅう》卷[綵帙]
【小乗律】
十誦六十一巻[綵帙六]
(中略)
五分律卅卷[綵帙]  又五分率十巻[第一帙鹿帙緋綾裏錦縁白木軸]
(中略)
根本薩婆多部律攝二部卅四巻[一部廿卷一部十四巻並无帙] 毘尼摩得勒伽<二部>廿卷[一部十巻鹿帙裏紫縁組帯一部十巻无帙]
毘奈耶律十巻[綵帙]  善見律毘婆沙卅<二部>六巻
                一部十八巻[鹿帙二縁()綾裏紫(綾)縁組帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内508頁~509頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
三 以上三巻同帙[鹿帙綾裏紫綾縁組帯] 一部十八巻[无帙]
  毘二母經二部十六巻[一部八巻鹿帙縁()綾裏紫綾縁裏組帯一部八巻无帙]
阿毘達磨發智論廿卷[二帙无帙]
阿毘達磨大毘沙論二部四百巻[一部二百巻无帙軸一部二百巻欠第三十二十三廿卷无帙]
        「*已上第十二櫃」
阿毘達磨倶舎論卅卷[鹿帙三枚緋綾裏錦縁組帯]
阿毘達磨顕宗論〓《よんじゅう》卷[四帙漆軸无帙]
        「*【已上第十二卷】」
雜阿毘曇心論三部廿六巻[一部十一巻鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸一部十一巻欠第二卷无表軸及帙白紙一部四巻漆軸无帙]
阿毘達磨順正理論八十巻[八帙漆軸无帙]
成實論十六巻[紫【皮】革朱頂軸]
立世阿毘曇論十巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]
  「*部執異論一巻」
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内510頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
脩行道地經二部十四巻[一部七巻鹿帙縁()綾裏紫綾裏縁組帯一部七巻无帙]
付法藏經六巻[綵帙]
坐禅三昧經二巻[綵帙] 「*仏醫經一巻 迦葉赴佛般涅槃經一巻」「*菩薩阿色欲法經一巻」
「*金剛力士哀戀經一巻 迦栴廷説法設書偈經三部三巻」[「*仏治身經一巻治意經一巻」「一巻无帙」]
雜寳藏經二部廿卷[一部十巻綵帙一部十巻鹿帙【並】緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]
   「*那先經<二部>二卷」
法句辟唯經四巻[无帙]  迦葉結經一巻
「*龍樹菩薩為禅陀迦王説法要偈万部」
釈迦譜五巻[鹿帙緋綾裏錦縁朱頂<无帯>軸]
(中略)
一切經音義廿六巻[二帙无軸及帙]「*受用三水要行法一巻」雜咒集三部卅卷[一部十巻无帙一部十巻欠第三十巻无軸破鹿帙一部十巻鹿帙綾裏紫綾縁及帯]
一切經目録五巻[无帙无軸] 六度集八巻[綵帙「*已上三部无開録」]
    「*已上第十三櫃[帛帷」
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内512頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)6月9日

記事

符  經所領等
  織綵〓≪木+失≫(帙)肆拾枚[緋〓≪あしぎぬ≫裏及内結緒紫綾表結緒]
   十二枚紫地錦縁  廿四枚緋地錦縁
   四枚地錦縁
   籖緒壹條[長一丈四尺七寸 緋糸組]
    右 充彼所 随冝可擇用 至冝検收
次官佐伯宿祢「(自署)今毛人」  主典阿刀連酒主
         天平勝寳五年六月九日付呉原生人

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内1頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「敷金銀塵雜色紙用殘注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753)8月24日類収

記事

請敷金銀<塵>雜色紙用并殘數事
合参仟参伯【捌拾参張】七十九張<欠四>[九十九張表紙料 之中五十三張金塵紫紙 六張銀塵縹紙 〓≪よんじゅう≫張金塵縹紙 三千二百【八】七十九張見寫料]
    用三千【八】百〓≪よんじゅう≫【九】【七】三張[二千六百【卅四】【五十三】五十三張見所寫 九十一張用表紙 八十八張破 十【四】五張空 二百九十六張進慈訓師所之中【三】卅張表紙料]
    殘【五百卅四】二百卅五張
   縹紙三百【卅】六張<二百九十六張銀塵>[〓≪よんじゅう≫<十四>張金塵「(追筆)表」]
   金塵滅紫紙四百廿九張
   金塵靑褐紙一千八百五十七張
   【銀】「*金」塵白紙二百六張
   銀塵靑褐紙〓≪よんじゅう≫六張
   銀塵紅紙二百十七張
   金塵深紅紙一百十五張
   金塵白橡紙〓≪よんじゅう≫三張
   銀塵淺紙六張[表紙料]  
   金塵【表】縹紙卅張[表紙料]
金塵【紫】紙五十三張[表紙料]
   金塵色紙卅張
   銀塵淺蘇芳紙〓≪よんじゅう≫張
   九十九張表紙料[六張銀塵浅 卅張金塵縹紙 五十三張金塵紫紙十張金塵
合奉寫經廿六部一百卅【九】八卷
   用<紙>二千八百〓≪よんじゅう≫七張[二千六百五十三張見所寫 九十一<「*六」>張用表紙 十五張空 八十八張破]
   最勝王經一部 仁王經一部料銀塵縹紙二百九十六張
    用二百八十七張[一百七十七張最勝王經料 卅三張仁王經料 六張表紙 【一張用勝】 一張用勝鬘經表紙 一張用法花品 五十一張用瑜伽表紙 四張用法花經表紙 十四張破]
   殘九張
  法花品四篇料金塵色紙卅八張[卅張自内裏来 八張花嚴(「*法花」) 薬師 金<光>明経等料]
   卅五張見所寫[三張破]
  最勝王經一部料金塵紫紙一百七十<九>張[七十七張見所寫]
  [百]七十七張見所寫[二張破]
  十ニ仏明經三巻 華嚴脩慈分三巻 〓[壹+皮]音聲陁羅尼經三卷料【金】
   金塵紙九十八張
   用八十五張[八十四張見所寫 一張用勝鬘經表紙 五張破]
   残八張
  法花經一部 理趣經一巻料金塵白紙二百六張
   用二百【五】【六】五 [一百七十〔(擦消)九〕八張法花經一部料 廿張理趣經一卷料 七張破]
   殘一張[用法花品]
  薬師經一卷 弥勒經三卷料銀塵靑褐紙〓≪よんじゅう≫六張
   用〓≪よんじゅう≫五張[〓≪よんじゅう≫張見所寫 二張依定戒尼師宣進慈訓師所 一張用法花品 二張破]
   殘一張
  八卷金光明經料金塵靑褐紙一百〓≪よんじゅう≫張
  十輪經一部料銀塵紅紙二百十七張
   用二百十二張[一百九十一張見所寫 二張進山田命婦所 十五張破 四張空]
   殘五張
  法花經一部料金塵靑褐紙ニ百張
   用一百八十張[一百七<十>八張見所寫 二張破]殘廿張
  解深經蜜一部料金塵烕【縹】(マゝ)紫紙八十八張
   用八十六張[八十五張見所寫 一張用法花品]殘二張 
  楞伽經一部料金塵深紅紙一百十五張
   用一百十一張[一百九張見所寫 二張破]
(以下紙背連書)
   殘四張
  最勝王經一部 仁王經一部料金塵靑褐紙ニ百廿張
   用ニ百十七張[一百七十七張最勝王經一部料卅三張仁王經一部料 三張空 四張破]
   殘三張
  寶星陁羅尼經一部料金塵滅紫紙一百六十二張[欠四張]
   用一百五十【七】八張[一百五十四張見所寫 【三】張破]
   【殘一張】
  梵網經一部料白橡紙〓≪よんじゅう≫三張
   用〓≪よんじゅう≫【三】二[〓≪よんじゅう≫一張見所寫 一張破]
   殘一張
  六十花嚴經一部料金塵靑褐紙一千ニ百九十二張<廿二張〈九十二張〉>
   用七百七十六<一千五十七>張[七百〓≪よんじゅう≫張見所寫 五張十二仏【明】名經表紙 二張用法花品 廿二張破 七張空 ニ百八十一張【進】慈訓師所 【之中十五張表紙】]
   殘四百十六<一百五十>張[ニ百六十六張進慈訓師所 【留一百五十張】]
  表紙料九十九張[六張銀塵淺 卅張金塵縹 五十三張金塵紫 十張金塵]
   用五十八<八十八>張[紫紙<十五張>辛浄足寫花嚴經卅卷 又十六張着筑紫常人寫雑經等 一張着梵網經 浅紙五張着最勝王經表紙<十五張着大原魚次寫花嚴經卅卷> 縹紙六張着最勝王經一部 仁王經一部 【十五】卅張慈訓師所]
   殘【〓≪よんじゅう≫一張】十<五浅>[【紫紙十五】六【張】 【縹紙十五張進慈訓師】所 【留十一張五張】]
  一百五十張[九十八張金塵靑褐紙 五十二張金塵滅紙(マゝ)]
   右<依>薩遮尼乾子經料【依】欠 【少進返<【内〓≪鍋蓋+冂+一≫】内裏>如件

「(追筆)合殘金塵紙漆拾捌張」

出典

『大日本古文書』13(28頁~34頁)(『正倉院文書』続修31裏)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753)8月類収

記事

寫書所解  申脩理經堂檻并用靑等事
合檻陸間[四間別高四尺四寸 廣八尺 二間別高六尺 廣八尺]
  連子九十二枝[〓≪よんじゅう≫八枝別長八尺 〓≪よんじゅう≫四枝別高六尺] 並四面廣別二寸
  連子邊面廿八面[八面別高四尺四寸 八面別長八尺 四面別長八尺 八面別高六尺] 並廣四寸五分
靑貳拾斤伍兩[大]
  用拾玖斤玖兩貳分
  残拾壹兩貳分[大]
膠貳拾斤[小 十三斤用靑塗料 七斤用赤土塗料]

出典

『大日本古文書』13(37頁~38頁)(『正倉院文書』続々修40帙1裏)

「呉原生人論疏奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)9月9日

記事

合論并疏参拾肆卷 綵帙参枚[二枚緋綾裏錦組帯 一枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦帯牙籖二]
  花嚴論初帙十卷[黄紙及表赤木軸紫綺緖]
  十地論十<二>卷[黄紙及表斑緖綺]
  花嚴傳五卷  十地論疏七卷[已上並白紙黄表梨軸]
   右 依今日牒旨 付便使令奉請如前 但除今奉請外 更不有異種 仍不勘作者名
          天平勝寶五年九月九日呉原伊美吉生人

出典

『大日本古文書』13(38頁~39頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「華嚴經紙并軸宮進帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)2月6日

記事

「(生人筆)金塵紙壹伯肆拾伍張[打界]
   右 以二月廿四日 付舎人工石主 進上如前
                     呉原生人」

出典

『大日本古文書』13(45頁~50頁の内47頁)(『正倉院文書』続々修16帙14)

「華嚴經紙并軸宮進帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)2月6日

記事

造東寺司
花嚴経一部[六十巻]
  應用縁()紙壹仟伍伯漆拾陸張[敷金]
   一千五百〓≪よんじゅう≫四張見寫料
   卅二張見儲料
  先請一千〓≪よんじゅう≫二張
   用七百七十六張[七百〓≪よんじゅう≫張見所寫 五張用十二仏名經表紙 二張用法華經品 七張空着後題 廿二張破]
   残二百六十【二】六張
    今月六日進〓≪よんじゅう≫一張
    十八日進八十張
    廿四日進一百〓≪よんじゅう≫五張
     右 依請員盡進訖
  今請五百卅四張[未請] 
              天平勝寳六年二月廿四日
              次官佐伯宿祢
                  「(自署)検出呉原伊美吉生人」

出典

『大日本古文書』13(45頁~50頁の内47頁~48頁)(『正倉院文書』続々修16帙14)

「華嚴經紙并軸宮進帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)2月6日

記事

十七日金塵縁(緑下同ジ)紙肆拾陸張[辛浄足奉寫花嚴料者]
 右件紙 付舎人飽田石足奉送如前
                        知上馬養
                        呉原

出典

『大日本古文書』13(45頁~50頁の内49頁~50頁)(『正倉院文書』続々修16帙14)

「華嚴經紙并軸宮進帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)2月6日

記事

十月廿五日金塵紙参拾捌張[辛浄足寫花嚴料]
   右 付三嶋岡万呂奉送如前
                   上馬甘

出典

『大日本古文書』13(45頁~50頁の内49頁~50頁)(『正倉院文書』続々修16帙14)

「造東寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7年(西暦755年)5月27日

記事

  十八枚麁帙[十五枚綺裏紫綾縁組帯]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪經十巻[紙帙「*无帙」]<已上並黄紙及表綺緒朱軸*「並漢手」>  大乗悲分陀利經七<「*八」>巻[「*一帙」]
  正法華經十巻[「*一帙」]  十往經四巻[已上並黄紙及表紫斑緒緒朱軸 「*无帙」]
  金光明經八巻[黄紙及表紫緒朱軸 *「一帙」]  大哀經八巻[黄紙及表浅斑緒朱頂軸*「漢手」「*一帙」]
  唯(維)摩經三巻[黄紙縹綾〓≪あしぎぬ≫表浅斑緒水精軸「*漢手」「*无帙」]
「*十輪經八巻黄紙及表橡緒朱軸一帙已上面書寮[經并帙大唐者]」
(後略)

出典

『大日本古文書』13(142頁~144頁)(『正倉院文書』続々修38帙6裏)

「圖書寮經散集」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756年)7月2日

記事

(前略)
  法花經十七部
   八巻法花經□□□(十二部)
    八部並黄紙及表綺□□(緒)軸□牙籖
    一部黄紙紺(マヽ)□表綺緒□□鏤軸天人并獣形繍帙緋綾裏錦縁
    一部黄紙及表綾緒朱軸□□緋錦裏
    一部黄紙及表朱軸麁帙錦縁緋綾裏
    一部黄紙及表綺緒梨軸綵帙緋綾裏錦縁籖牙
   七巻法花經五部
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙錦縁緋裏
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙白橡〓≪あしぎぬ≫浅緑綾裏
    一部黄紙及表綺緒白檀軸綵帙錦縁緋綾裏
    二部並黄紙及表綺緒朱軸綵帙錦縁緋綾裏
以前 依廿七日牒旨 付筆生大戸園万呂 令請図書寮
  七仏所説神咒經一部四巻[黄紙及表綺緒朱軸綵帙、緋綾裏錦縁組帯
   右 依定戒尼師七歳四月廿二日宣 令請因幡宮[付畠賢達]
  密跡金剛力士經一部八巻[黄紙及表綺緒朱軸]麁帙[赤紫綾縁深綾裏組帯]
   右 依來牒旨 付便使大隅公足 令請寳積經勘所
(後略)

出典

『大日本古文書』13(172頁~178頁)(『正倉院文書』続々修12帙6)

「畫師行事功銭注進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)4月9日

記事

右方花實壹拾肆果之中[花枚貳伯貳拾肆枚 花枚長<各>二尺 廣一尺一寸 花實廣度四尺方 高二尺]
   合惠師(マヽ)貳拾壹人之中[彩色十六人 堺一人 塗白土青并同黄三人 花實朱沙堺畫一人 花枚木畫一人]
(中略)
塗白土青并同黄三人    「*銭六十文」
   穴太石勝  四果[一果充功五文 功十七文]<白土花枚百五十四枚[功十四文]> 大伴子松  四果[功十七文]<白土花枚[塗りつぶし]<五十>枚>
   私部安万呂  六果[功廿六文]
堺畫朱沙花實一人<白土花枚廿枚>        雀部浄人  十四果[一果充別十五文 功二百廿文]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(234頁~236頁)(『正倉院文書』続々修45帙6裏)

「寫千卷經所錢并紙衣等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)6月21日~8月24日

記事

(前略)
十七日収納玉軸壹伯玖拾漆枚[淺黄六十七枚 深黄六十四枚 深廿六枚 墨十七枚 赤十五枚 白八枚]
   右 自政所請来 検納如件
右件玉釉(軸)如員「以九月一日返上既了」
                     主典案都宿祢
                     案主建部廣足
(後略)

出典

『大日本古文書』13(243頁~252頁の内248頁)(『正倉院文書』続々修43帙5)

「金剛般若千手千眼經料綺下充帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)9月2日類収

記事

(紙端)
               案主佐伯里足
  廿五日下綺廿三丈九尺四寸[紫十五丈四尺合(金カ)般若料卷別一尺四寸〔付綾(部脱) 靑八丈五尺四寸手千料別同〔付石田〕]
  廿八日下綺廿丈五尺[付宮門日野万呂]又下綺十三丈[付三國広山綺]
  又下綺廿七丈五尺[使三國綺]

出典

『大日本古文書』14(26頁)(『正倉院文書』續修別集1裏)

「奉作阿弥陀佛像并寫經用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)4月26日

記事

 □(寫)經所解 申奉□□□(長方形抜け)(【作阿彌陀佛并】ヵ)【法花經一部料】請用雜物事
  合請錢肆仟漆伯文[自内裏者]
   所用肆仟伍拾玖文
    卅文苧一斤八兩直 十六文〓≪分+凡≫二口直
    六十文靑四兩直 五文白一兩直「(裏書)用度文」
    十文紫土一兩直  卅文阿膠一斤直
    七十文荒炭十四籠直[籠別五文]
    廿二文木沓二兩直 六文杓三柄直
    七十文兎毛筆二管直
    〓≪よんじゅう≫文烟子二枚直  二百〓≪よんじゅう≫文薪廿荷直[荷別十二文]
    三千文畫師三人施料
    二百七十文木工等給料
    一百八十文仏臺料歩板并榑等直
   所<可>殘陸伯肆拾壹文
(後略)

出典

『大日本古文書』14(335頁)(『正倉院文書』續々修43帙15)

「奉作阿弥陀佛像并寫經用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)4月26日

記事

(前略)
    【一百<五>十五文雜丹等直[六十文靑兩直 五文白緑一兩直 十文紫土一兩直 〓≪よんじゅう≫文阿膠一斤直   〓≪よんじゅう≫文烟子二枚直]】
(後略)

出典

『大日本古文書』14(344頁)(『正倉院文書』續々修四十三帙十五)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月

記事

(前略)
   □□□(長方形抜け)料
   □□□(長方形抜け) 朱沙七両二分 胡粉二斤十四両
   □□□(長方形抜け) 縁(緑)青二斤十三両
   □□□(長方形抜け) 烟子廿一枚
   □□□(長方形抜け) 墨四廷
(中略)
   □□□(長方形抜け) 朱沙十二両 胡粉一斤九両
   □□□(長方形抜け)四両 丹六斤十五両 青卅四斤九両
   □□□(長方形抜け)   □□□(長方形抜け)両 烟子八十二枚(前略)
(中略)
   □□□(長方形抜け)後青下塗料

出典

『大日本古文書』16(219頁~226頁の内223頁~225頁)(『正倉院文書』続々修45帙裏)

「造金堂所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)

記事

(前略)
造金堂所解 申請用銭并雜物等
合銭一千六百十二<「*〓≪よんじゅう≫九」>貫九<「*七」>百五<「*十」>十四<「*三」>文
(中略)
   四百文白青二両一分直[【四分別〓≪よんじゅう≫五文】 「*両別二百文」 【五分四〓≪よんじゅう≫四文】]
   一貫十文買唐胡粉五斤直[斤別二百二文]
   四百文買縁(緑)青五斤直[斤別八十文]  
   二百卅八文買白縁(緑)三斤四両直[【卅両別五文】 「*斤別七十四文」 【廿二両別四文】]
   廿四文買紫土四両直[両別六文]
  二貫七百七文買阿膠百斤直[七斤別廿八文 九十三斤別廿七文]
  二貫七百八十文買銀卅四両三分直[両別八十文]
  七貫二百七文買水銀七十斤六両直[【四百五十両別六<七>文】 「*斤別百卅文」 【六百七十六両別六文】]
  六貫【三】<「*二」>百【卅】五<「*七十」>文買白鑞〓≪よんじゅう≫斤直[卅五斤別百五十七文 五斤別百五十六文] 
(後略)

出典

『大日本古文書』16(290頁~305頁の内301頁)(『正倉院文書』続修35)

「東大寺奉寫大般若経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月23日

記事

東大寺奉寫大般若経所解 申請用雜物事
合奉寫大般若経貳部壹仟貳佰巻[黄紙及表綺緒朱頂軸]
  繍帙一百廿枚[浅縁(緑)裏紫綾縁及帯 各着黄楊籖]
  奉納白木辛櫃六合[敷布各一條 居各白木楊足机]
請綿壹萬陸仟肆拾屯
  〓≪果+衣≫祖(租)布八十段
  納辛櫃卅五合
賣得價銭壹仟参拾伍貫漆伯壹拾参文
(中略)
     九貫二百廿文紫綾〓≪あしぎぬ≫二匹三丈直
     四貫七百卅文浅縁(緑)綾〓≪あしぎぬ≫二匹三丈五尺直
     二百文紫糸三両直
(中略)
残銭七貫五百文
  辛櫃七貫五百文
  紙四百五十張
  黄檗廿七斤[太]
  大豆一斛
  小麦一斛
(後略)

出典

『大日本古文書』16(376頁~382頁)(『正倉院文書』続々修4帙12)

「東大寺寫経所灌頂経奉請案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)5月13日

記事

東大寺
灌頂経十二局[黄紙及<綺緒>表胡粉塗〓≪木+聖≫軸葛形繍帙浅綾裏錦縁紫綾緒 黄楊籤納漆小櫃居白木猫足机覆并敷洗布]
  今奉請八部
  寺家奉留四部
   右 依今月十二日宣 奉請如件 於内裏[使主典安都宿祢]
       天平寳字七年五月十三日安都
(後略)

出典

『大日本古文書』16(382頁~384頁)(『正倉院文書』続々修47帙7裏)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
仁王経卅【三】四部六十五<七>巻[之中一部副 見五十六巻 欠二箇巻 並下巻]
  廿九部黄紙及表綺帯朱軸 一部黄紙及表帯漆軸
  一部黄紙及表蘇芳〓≪あしぎぬ≫帯漆軸[未上]
  一部黄紙及表緋〓≪あしぎぬ≫帯漆軸[已上可請嶋院寮経内之]
  一部黄紙及表綺帯梨軸[葛木寺了]
  一部黄紙及表綺帯紫檀軸[坤宮一切経内]
   右件経 除先奉請之外 司中随見在員 附廻使舎人今木稻持 令奉請如件
           天平神護二年四月六日上馬養
               主典他田
(後略)     

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内441頁~442頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
十一月
  □七日下帛汗衫陸領[反五領【未一領[知]】 合袍壹領[白橡﨟纈裏]
   〓≪巾偏+業≫子[呉桃染 反]    綿袴奴貳具[緋裏 反]
   勅吐巾貳条[緋於帛裏 反]    鈴参口[反(マヽ)  布襪拾漆具
   〓≪革偏+吉≫〓≪革偏+莫≫帯拾伍条[大一条 小十四条之中赤皮二条 反十四條 【未反小赤皮壹條知】]
    右 借充中鎮所 付僧勝行師
               造寺司主典雄橋公「(自署)石正」
               案主建部廣足 倉人呉服「(自署)息人」
「(満殖筆)中鎮         目代僧満殖」「(自署)勝行」
「(異筆)上件未返帛汗衫一<壹>領 小赤皮帯一<壹>条 知 史生秦盆倉 倉人呉服」「(自署)息人」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内568頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
   緋□(汗カ)衫□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け) 緋〓≪糸偏≫□□□(長方形抜け)
                      □□□(長方形抜け)「(自署)勝行」
   単袍貳拾□□(長方形抜け) □□(長方形抜け)伍拾枝[借充鋳所付春日安万呂]
   緋施綱貳□[□□□(長方形抜け)无頭八口 □□□(長方形後半抜け)] 付史生大和〓≪「虫」上に点≫万呂
    □□□(長方形抜け)春日安□□(万呂)
   納辛櫃壹□(合) □□□(長方形抜け) 納白木辛櫃壹合[已上□□(長方形後半抜け) 日安□□(長方形後半抜け)]
   □□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け)要[着鈴十口] 付史生大和〓≪「虫」上に点≫万呂
   玉□□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け)貳枚返上 □□□(長方形抜け)肆具
   □□□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形前半抜け)座金銅枚花陸枚 吹玉参□(丸カ)
              已上 借充少鎮實忠師
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内572頁~573頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
   □□□(長方形抜け)袴貳拾□□□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形抜け)條[一条長六丈二尺 一長(マヽ)五丈三尺五寸 □□□(長方形前半抜け)長二丈八尺五寸]
            □□□(長方形前半抜け)[□□□(長方形抜け) □領紫<生>〓≪あしぎぬ≫﨟纈 □□□(カ)生〓≪あしぎぬ≫﨟纈 四領黄生〓≪あしぎぬ≫﨟纈]
          [□□□(長方形前半抜け)一領錦表雜裏羅千納雲間等 □□□(長方形前半抜け)﨟纈羅□□□(長方形後半抜け)裏]
           □□□(長方形前半抜け)拾両[□□□(長方形抜け) □□(長方形抜け)革]之中一両无緒
   □(右) □(充)同會少鎮所 付小浄村山二人
       □□□(長方形前半抜け)着鈴六口<欠二> 糸幡壹條 狛幡壹條
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内573頁~574頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
   金銅昿金□(捌カ)□□□(長方形抜け)貳□□(長方形抜け)花臺
   蟹目釘壹佰拾参隻<返上分六隻> 金銅栽物貳枚[作炎形]
   銀□鏡形肆面[各有<金銅>順并坐 □□□(長方形抜け)] 青吹玉参丸□□(長方形後半抜け)
   青地﨟纈四□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形後半抜け)
   帯肆條[細如檢定帳 大床〓≪「虫」上に点+也≫舌壹條細如檢定帳
   〓≪あしぎぬ≫捌條[一長一丈一尺 七長八尺以下六尺以上] 白羅幌貳條[長各五尺四寸 二幅]
   擧幌黒赤紫帯肆條 障〓≪泥+土≫板黒紫綾漆條
    右 充経輿装束所 餝寳車料[付文智師圓智師廣〓師 □人]
   □□鏡形貳枚[各有<金銅>順并坐] 金銅□形貳枚[各□□(長方形後半抜け)]
    右 □□□(長方形抜け)料□(付カ) 沙弥□常
   大寳幢壹具 香幢壹具 並充六人部荒炭所[付木工□□(丸部カ)子公]
   香〓褥壹枚[錦表裏緋 聞智師所上]   主典葛井連
                             史生秦盆倉
                             蔵人田邊「(自署)田道」呉服「(自署)息人」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内575頁~576頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
八月
  □□日下□□(長方形後半抜け)[□□(長方形前半抜け)紫綾五領 入同色生合(マヽ)□ □□(長方形前半抜け)〓≪あしぎぬ≫合六領 緋生〓≪あしぎぬ≫合□]
[緋□□(長方形抜け)六具 白衫合纈四領〔之中二紫綾袖繼〕半臂参拾腰[緋地錦身 十三腰]
白地錦身五腰 縹地両面身一腰 呉桃染□(地カ)両面身一〓腰
地錦身二腰 浅地錦一腰 地鹿形両面身□腰
白綾縫物地一腰 黄地両面身一腰
縹地両面□□(長方形抜け) □□(長方形抜け)地錦身一腰 帛<合>□貳拾伍
□□□(長方形抜け)革帯貳拾□□(長方形抜け)
□□貳面各□□(長方形抜け)〓≪巾偏+「蝶」の旁≫笠貳口〓≪巾偏+「蝶」の旁≫子□口[梨大〔金口〕之中一条在牒世布]
皷伍面[大二 小三] 懸緒伍条 白子壹〓≪巾偏+「蝶」の旁≫
白盤壹口 作頭壹口 靴拾両[各在□□(長方形抜け) 又花帯一条]
横笛壹□(枝) □筝壹面 琵□(琶)壹面[紫檀]
□□□(長方形抜け)両 布襪□□(長方形後半抜け)
黒□(漆)辛櫃壹合
  右 以月二日 自隅寺奉請仏 粟津寺供奉料下充 <付>僧勝行 文廣前 魚主 小菅万呂 野長
又下小幡捌〓≪方偏+「流」の旁≫[付春日安万呂]
         主典建部廣足 倉人呉服「(自署)息人」
        本三綱少都維那僧「(自署)聞崇」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内580頁~581頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
  廿一日下□□□(長方形抜け)綾裏
    □□□(長方形後半抜け)
               □□□(長方形後半抜け)
               本三綱目代僧「(自署)勝行」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内583頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
   九日下□□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)料 下充□□(長方形後半抜け)
□□(長方形抜け)日下□□□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形抜け) 帛□肆腰 半臂肆領[一領鹿形錦 一領緋地錦]
   一領浅地錦 一領来纈紗身 袍肆領[一領紫紗二領来纈紗 一領来纈羅□□(長方形抜け)頭]
     右 □□(長方形抜け)■所 付正耀師
         史生六人部炭(マヽ) 倉人田邊「田道」
         □□□□□(史生六人部)炭(マヽ) 倉□□(人田)邊「田道」
             □□(長方形前半抜け)僧「勝行」□□(長方形後半抜け)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内586頁~587頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
□□□(長方形前半抜け)新九□□□(長方形抜け)拾玖□□□(長方形抜け)拾領
□□□(長方形抜け)肆拾壹領[二領紫綾袷 四領紫單臂 □□(拾壹カ)領紫羅 一領臈纈 十九領緋臈纈〓≪あしぎぬ≫ 四領黄臈纈生〓≪あしぎぬ≫]
襖子拾領[四領浅綾 六領浅〓≪あしぎぬ≫]金銅銭革帯拾捌条[四条在〓≪巾偏+蝶の旁≫(マヽ)攝 十三条无牒攝 小一条木銭押金薄]
【綾冠□□(長方形抜け) 〓≪巾偏+蝶の旁≫笠貳頭 帽子冠飾肆頭 止利冠参頭 作頭貳口】
  補襠□□(長方形後半抜け)
【督幡□□(長方形抜け)[□□(長方形抜け)四足 勒肚巾四条 □□□(長方形抜け)壹条】靴拾<玖>両[□付九月 □□□(長方形抜け)]
              本三綱目代□(僧)「勝行」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内587頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司移奉寫一切經司
<「*可」>合經論疏八十一<「*卅」>巻[帙四枚 牙籤一枚]
(中略)
  最勝王經六十巻「(異筆)以景雲二年八月十二日返五部」
   二部水主内親王經内[一部黄紙及表綺帯花軸 一部黄紙及表綺帯朱軸]並有印
   一部審詳師經内[漢手黄紙及表綺帯白檀軸織帙紫縁 浅綾裏有印]
   一部圖書寮一切經内[黄紙及表綺帯朱軸有印]
「*可」一部所請嶋<(院脱)>寮經内[黄紙及表綺帯紫檀軸]
   一部間寫[黄紙及表綺帯朱頂軸]
    右、依今月二日移文、随在司中令請如件、
  最勝王經慧沿師疏六巻
    右、以去天平廿一年二月八日、奉請内裏
以前經論疏等、附廻使舎人海犬甘連廣主、令奉請如件、以移、
        神護景雲二年潤六月三日主典阿刀造<(與美佐)>
                  少判官志斐連
                  案主上村主馬養
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁のうち88頁~90頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

 

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寳亀4年2月13日

記事

(前略)
廿七日収納黄紙壹萬捌仟玖佰漆拾張  納白木辛櫃参合
  軸貳仟貳百枚[白緑塗五百枚 金二百枚 青二百枚  丹三百枚]〓≪果+衣≫〓≪席の近似文字≫貳枚
                 [(自署)史生小治田「(自署)年足」]

                      案主上「(自署)馬養」
司収           大判官美努連
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち125頁~126頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寳亀4年2月13日

記事

(前略)
廿八日収黄紙肆萬貳仟捌佰壹拾張 納白木辛櫃漆合
  軸伍仟玖佰捌拾参枚[金青塗八枚 白二百九十九枚 胡粉十枚 丹一百七十七枚 白木五千四百八十九枚]
                勘[史生小治田「(自署)年足」 案主上「(自署)馬養」]
司収           大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち126頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「奉寫一切経所請物文案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(前略)
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五段
商布廿段          黄紙卅万四千【三】二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚青地 八百二枚白地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地 六百七十七枚丹地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三両一分[太]
(中略)
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[【十八】〓≪よんじゅう≫五合漆塗] 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
(中略)
石四顆           標(縹)紙料竹卅五株
(中略)
   右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如件、
               寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
                     □□□□(大判官外)従五位美努連

出典

『大日本古文書』19(244頁~247頁)(『正倉院文書』続々修43帙21裏)

「灌頂経料雑物納大判官帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀3年(西暦772年)11月3日付

記事

「(題籖)(表)灌頂料雑物納 
(裏)   大判官(美努奥麻呂)帳」
宝亀三年十一月
  三日納錦一匹[長五丈]
    紫綾〓≪あしぎぬ≫二匹
     一匹黒紫六丈  一匹赤紫五丈八(ママ)尺
     浅綾〓≪あしぎぬ≫一匹六丈
             案主上「*馬養」

出典

『『大日本古文書』20(326~327頁)(『正倉院文書』續々修10帙9裏)

「倉代西端雜物出入帳(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)正月7日~3月16日

記事

十三日下﨟纈端畳伍拾枚 﨟纈端短<畳>肆枚[二枚充鑄□(所カ) 二枚充□]
  屏風参拾帖[各有布衣「(異筆、下同ジ)且返□帖] 花机褥弐枚[「(異筆)且返一枚」] □□□(長方形抜け)弐條[各五幅 「(異筆)且返一条」]
  綾帯肆條[「(異筆)且返二条」] 聖僧褥□枚□□□(長方形抜け)□□□褥弐枚[□□□(長方形後半抜け) 「(異筆)且□□□(長方形抜け)」
  高座前机褥弐枚<「(異筆)且返一枚」> 覆弐條[各二幅半 「(異筆)且返一條」] 中火爐褥弐□□□(長方形後半抜け)
  経厨子蓋弐條<「(異筆)且返一条」> 帳弐條<「(異筆)且返一条」> 幌弐條<「(異筆)且返二条」> □□帯拾弐條[且返六□(条)]
  花筥陸拾合[□□□(長方形抜け)] 納墨□□□(長方形抜け)肆具[「(異筆)□(且)返上二具」
  漆塗中取弐前<「(異筆)且返上五合> 漆塗樽拾合 羅小幡捌〓≪方+流の旁≫[「(異筆)且返□□□(長方形抜け)」]
   右、為用月十四日花厳会、借下充、付[日置船守 矢田部□□]
都維那僧「(自署)寂雲」    □□□(長方形抜け)呂
可信「(自署)宝業」      史生呉服息人 倉人志斐連「(自署)枚万□(呂)」
本三綱「(自署)承天」

出典

『大日本古文書』21(234頁~238頁のうち236頁~237頁)(『正倉院文書』續修後集40)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申四月告朔事
合奉写一切経捌仟捌拾捌巻
   三千七百廿三巻先奉写一切<経>司
   四千三百六十五巻奉写寺家[四千九巻去月所定 三百五十六巻奉写月中]
   錢一伯漆拾<「*七」>肆文[去月残]
   錦二丈八尺
   料錦卅二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
   頭料錦卅二條[長各一寸五分 広各一寸五分]
   頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五寸]
  生糸三両[已上六種去月残 縫帙料]
  生〓≪あしぎぬ≫端三尺[月中請]
   用尽[胡〓≪草+師≫料]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 四條東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯[残]
  紺布端一條長二丈五尺[代在調布【之中】]
  庸布十段一丈二尺[残]
  同布端廿八條[残]
  商布十段一丈六尺[残]
  凡紙六百九十張[端継并雑用料自上経堂謂下 奉写時々御願経<之>残内]
「*間」綺三百〓≪よんじゅう≫五丈五尺[去月残]
  緋丸組〓≪よんじゅう≫六丈[去月残]
  綵帙一千四百九十三枚
   一千一百六十枚縫畢
   廿七枚未着表帯
   三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[去月残]
  墨三百五十四廷(梃 下同ジ)
   用廿廷     残三百卅四廷
   〓≪草冠+兔≫毛筆五十一菅[請月中]
   用尽[奉写二部一部切経料]
   膠二斤三両一分[去月残]
   〓≪秋+金≫十四口[去月残]
   米五斗[去月残]
   陶枚坏<【可進】>八十二口[残]
   陶盤ニ百廿口[去月残]
    用十ニ口     残ニ百八口
    土〓≪土偏+宛≫十ニ合[去月残]
土壺五口[去月残]
    土手洗五口[去月残]
    土枚坏六百八十口
    用卅口      残六百五十口
   土窪<坏>一百五十口[去月残]
   土鋺形一百六十口[去月残]
   小豆三斗二升

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち484頁~491頁)(『正倉院文書』續々修3帙10)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申五月告朔事
合奉写一切経八千六百七十五巻[「(擦消)三千七百廿三巻先奉写一切経司 四千九百五十ニ卷奉写月中」]
   三千七百廿三巻先奉写一切経司
   四千九百五十ニ巻奉写寺家[四千三百六十五巻去月所定 五百八十七巻奉写月中]
  錢一百七十七文
   用廿文[堺料鹿毛筆十菅直]
   残一百五十七文
   錦二丈八尺     料錦二条[長各五尺九寸 広各一寸五分]
   頭料錦卅二条[長各一尺五寸 広各一寸五分]
   頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十条[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四条[長各一尺九寸 広各一尺五分]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三条〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 四条東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯[残]
  紺布端一条長二丈五尺[代在調布]
  庸布十段一丈二尺[残]   同布端廿八條[残]
  商布十段一丈八尺
   用一丈八尺[打紙石拭料]
   残十段
  浄衣六十六具[月中請]
   用五十九具[領一人経師〓≪よんじゅう≫八人校生六人装〓≪さんずい+黄≫四人并五十九人料]
   残七具
  綺五百八十五丈五尺[三百〓≪よんじゅう≫五文五尺去月残 ニ百〓≪よんじゅう≫文月中請]
   用ニ百五丈五尺    残三百八十文
  綵丸組〓≪よんじゅう≫六文[去月残]
  又帙一千四百九十三枚[去月残]
   一千一百六十枚縫畢
   廿七枚未着表帯
   三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[去月残]
  墨三百卅四廷(梃)[去月残]
用〓≪よんじゅう≫四廷(梃)   [残ニ百九十廷(梃)]
  〓≪草冠+兔≫毛筆六十一菅[請月中]
   用尽[奉写二部一部一切経料]
  膠二斤三両一分
  布綱〓≪よんじゅう≫四条      〓≪秋+金≫十四口
  米五斗               陶枚八十ニ口
  陶盤ニ百八口
   用十四口            残一百九十四口
  土〓≪こざとへん+宛≫十ニ合
  土壺五口              土手洗五口
  土枚坏六百五(十脱)口
   用十口             残六百〓≪よんじゅう≫口
  土窪坏一百五十口[去月残]
  土鋺形一百六十口[去月残]
  小豆二斗七升[已上十三種去月残]
   用五升            残二斗二升[【已上十三種去月残】]
  大豆八升[月中請]
   用尽[経紙継并文作料]
  胡麻油二升[月中請]
   用尽[経師等曹司炬料]
  竹五十七株[月中請]
   用三株            残五十四枚
  薪十五荷[採仕丁等]
   用尽[仏温料]
惣単口二千五十三人
   卅人案主[別一升二合]
   一千三百十六人経師[一千三百八人別一升六合 八人別八合]
   一百十七人装〓≪さんずい+黄≫[一百十五人別一升六合 二人別八合]
   一百七十八人校生[一百七十七人別一升二合 一人六合]
   【一百】 
   一百十六人雑使[別八合]
   五十六人自進[別一升]
   ニ百〓≪よんじゅう≫人仕丁[別一升二合]
  散
   卅人案主
   一千三百十六人経師
   一百十七人装〓≪さんずい+黄≫      一百七十八人校生
   一百十六人雑使      五十六人自進[打紙]
   ニ百〓≪よんじゅう≫仕丁 九十人打紙
   一百廿人経師等廝     十五人仏温
   十五人採薪
以前、起今月一日、尽卅日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年五月卅日案主上
               主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち491頁~497頁)(『正倉院文書』續々修3帙10)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申六月告朔事
合奉写一切経二部九千ニ百十八巻[依員奉写畢 部別四千六百九巻]
   三千七百廿三巻先奉写一切経司
   五千四百九十五巻奉写寺家[四千九百五十二巻去月<所>定 五百〓≪よんじゅう≫三巻奉写月中]
  錢一百五十七文[去月残]
   用〓≪よんじゅう≫四文
   廿文堺料鹿毛筆十菅直[菅別二文]
   廿四文雇女三人巧[人別八文]
   残一百十三文
  錦二丈八尺      料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五寸]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三条〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 四条東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯
「*間」紺布端一條長二丈五尺[代在調布]
「*間」庸布十段一丈二尺
  同布端廿八條
  商布十段[已上六種去月残]
  浄衣七具[去月残]
   用尽
    六具経師六人料
    一具依政所判宛綵色大仏殿柱所
  綺三百八十文
  綵丸組〓≪よんじゅう≫六文
  綵帙一千四百九十三枚
    一千一百六十(三脱カ)枚縫畢
   
    廿七枚未着表帯
    三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[已上四種去月残]
  墨二百九十廷(梃)[去月残]
用十廷(梃)          残ニ百八十廷(梃)
  〓≪草冠+兔≫毛筆十ニ菅[月中請]
   用尽[奉写二部一部切経料]
  鹿毛筆十菅[買月中]       用尽[奉写二部一切経料(マヽ)紙界]
  膠二斤三両一分         布綱四十四條
  〓≪秋+金≫十四口       米五斗[已上四種去月残]
  陶枚坏八十ニ口[去月残]
   用廿口            残六十二口
  陶盤一百九十四口[去月残] 
   用廿口            残一百七十四口
  土〓≪こざとへん+宛≫十ニ合      土壺五口
  土手洗五口[已上三種去月残]
  土枚坏六百〓≪よんじゅう≫口[去月残]
   用【六百廿口】廿口      残六百廿口
  土窪坏一百五十口[去月残]
用【廿】卅口         残一百【卅】廿口
  土鋺形一百六十口[去月残]
   用十口            残一百五十口

  用五升            残一斗七升
  大豆七升[請月中]
   用尽[経紙継并文作料]
竹五十四株[去月残]
   用六株            残〓≪よんじゅう≫八株
  鋺四荷             間度木六枝
  藁十囲[已上三種請月中]
   用尽[塗温屋料]
  薪十【四】荷[採仕丁等]
   用尽[仏温料]
惣単口一千七百九十人
   廿九人案主[別一升二合]
   一千廿三人経師[一千十八人別一升六合 五人別八合]
   一百〓≪よんじゅう≫一人装〓≪さんずい+黄≫[別一升六合]
   一百八十八人校生[別一升二合]
   一百十四人雑使[別八合]
   六十人自進[別一升]
   ニ百卅二人仕丁[ニ百廿八人別一升二合 四人別八合]
   三人雇女[別一升]
  散
   廿九人案主           一千廿三人経師
   一百〓≪よんじゅう≫一人装〓≪さんずい+黄≫  一百八十八人校生
   一百十四人雑使         六十人自進[打紙]
   ニ百卅二人仕丁
    一百十六人打紙
    八十七人経師等廝
    十五人仏温          十【四】人採薪[四人病]
    三人雇女[洗経師等返上浄衣衾]
以前、起今月一日、尽廿九日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年六月廿九日案主上
                主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち497頁~503頁)(『正倉院文書』續々修3帙10・續修別集5裏)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申七月告朔事
応奉写一切経一部四千六百九巻
    四百〓≪よんじゅう≫三巻月中写
    四千一百六十六巻未写
  錢一百十三文
  錦二丈六尺
  料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈絶四條[長各一尺九寸 広各一尺五寸]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 積二丈九尺三寸 四條東〓≪あしぎぬ≫ 積四丈五尺九寸]
  庸并黒綿一百九十七屯[去月残]
  紺布端一條長二丈五尺[代在調布]
   用尽[経師浄衣一具]
    一丈八尺単衣一領料
    七尺袴一腰料
  庸布十段一丈二尺[去月残]
   用六段一丈八尺[経師四人校生一人并五人浄衣料]
    三段一丈一尺単衣五領料[領別一丈九尺]
    一段七尺単袴五腰領[腰別七尺]
    二段温帳四條料[條別一丈四尺]
   残三段二丈二尺 [「*一〓≪暇の旁≫校生一人浄衣」]
  同布端廿八條[去月残 長四尺五寸已下五寸已上]
  商布十段
  綺三百八十文
  綵丸組卅六文
  綵帙一千四百九十三枚
    一千一百六十枚縫畢
    廿七枚未着表帯
    三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[已上五種去月残]
  墨二百八十廷(梃)
用卅廷(梃)
   残ニ百五十廷(梃)
  〓≪草冠+兔≫毛筆〓≪よんじゅう≫ニ菅[請月中]
   用尽[奉写一部一切経料]
  膠二斤三両一分
  布綱〓≪よんじゅう≫四條
  〓≪秋+金≫十四口
  米五斗[已上四種去月残]
  陶枚坏六十ニ口[去月残]
  陶盤一百七十四口[去月残] 
   用廿口[備経師等供養料]
   残一百五十四口
  土〓≪土偏+完≫十ニ合
  土壺五口
  土手洗五口[已上三種去月残]
  土枚坏六百廿口[去月残]
   用十口[備経師等供養料]
   残六百十口
  土窪坏一百廿口[去月残]
用十口[備経師供養料]
   残一百十口
  土鋺形一百五十口[去月残]
  小豆一斗七升[去月残]
用五升[澡豆料]
   残一斗二升
  胡麻油一升[請月中]
   用尽[経師等曹司炬料]
竹〓≪よんじゅう≫八株[去月残]
  小明櫃一合[請月中 充経師一人]
葉薦六枚[請月中]
   用尽[経師等宿所料]
  薪十荷[採仕丁等]
   用尽[温仏料]
惣単口一千七百〓≪よんじゅう≫二人
    廿六人案主[別一升二合]
    一千六十一人経師[一千廿九人別一升六合 卅二人別八合]
    一百十人装〓≪さんずい+黄≫[一百六人別一升六合 四人別八合]
    九十八人校生[九十三人別一升二合 五人別六合]
    一百廿人雑使[別八合]
    八十七人自進[別一升]
    ニ百〓≪よんじゅう≫人仕丁[ニ百卅四人別一升二合 六人別八合]
  散
    廿六人案主
    一千六十一人経師
    一百十人装〓≪さんずい+黄≫
    九十八人校生
    一百廿人雑使
    八十七人自進[紙打]
    ニ百〓≪よんじゅう≫人仕丁    一百廿人打紙
    八十四人経師等厮
    十五人仏温
    十人薪採
    五人掃浄廁
     六人病
以前、起今月一日、尽卅日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年七月廿卅日案主上
                主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち503頁~510頁)(『正倉院文書』續々修3帙10)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申八月告朔事
奉写一切経一部四千六百九巻
    八百九十八巻見写[四百〓≪よんじゅう≫【二】「*三」二巻去月所定 四百五十五巻月中写]
    三千七百十一巻未写
  錢一百十三文
   用尽
    廿文鹿毛筆十管直[菅別二文]
    九十三文小明櫃五合直[三合別十九文 二合別十八文]
  錦二丈八尺
  料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭〓≪果+衣≫料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五分]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 積二丈九尺三寸 四條東〓≪あしぎぬ≫ 積四丈五尺九寸]
  庸并黒綿一百九十七屯[去月残]
  庸布三段二丈二尺
   用一段[経師一人浄衣<「*一具」>料]
   残二段二丈二尺
  同布端廿八條[去月残 長四尺五寸已下 五寸已上]
  商布十段
   残一百〓≪よんじゅう≫九口

(中略) 

以前、起今月一日、尽廿九日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年【九】八<「*八」>月廿九日案主上
                   主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち511頁~516頁)(『正倉院文書』續々修3帙10・續々修42帙5)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申九月告朔事
奉写一切経一部四千六百九巻
    一千ニ百九十五巻見写[八百九十八巻去月所定 三百九十七巻月中写]
    三千三百十四巻未写
  錦二丈八尺
  料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五寸]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  「*右[依]六種政所今月九日判、充縫帙所、」
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 積二丈九尺三寸 四條東〓≪あしぎぬ≫ 積四丈五尺九寸]
  庸并黒綿百九十七屯[去月残]
  庸布二段二丈二尺[去月残]
  同布端廿八條[去月残 長四尺五寸已下五寸已上]
  商布十段[去(マヽ)]
  綺四百七十丈
   用五十六丈
   残四百十四丈
  緋丸組〓≪よんじゅう≫六丈
  綵帙一千四百九十三枚
    一千一百六十<三>枚縫畢「*以十月九日、為用様、進上政所一枚、」
    廿七枚未着表帯
    三百三枚未縫[「*以十月九日、<「*充縫帙所」>【返上於政所】、]
 
  白木籖二千六百九十二枚[已上【四】五種去月残]
  墨ニ百十七廷
   用廿廷[奉写一切<経>料]
   残一百九十七廷
   膠二斤三両一分
   布綱〓≪よんじゅう≫四條
   〓≪秋+金≫十四口
「*間」米五斗[已上五種去月残]
   〓≪草冠+兔≫毛筆五十八管[請月中]
   用尽[奉写一部一切経料]

(中略)

以前、起今月一日、尽卅日、請用雑物及食口<等、>顕注如件、以解、
           宝亀四年九月卅日案主上 馬養
                  主典葛井連

以前、起今月一日、尽廿九日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年【九】八<「*八」>月廿九日案主上
                主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち516頁~524頁)(『正倉院文書』續々修3帙10・續々修16帙5裏・續修26裏)

「雑経目録」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

「(端裏)雑経六帙」
別生経
  密迹金剛力士経三部十一巻[一部二巻綵帙 一部二巻无軸及帙 一部七巻无帙]
  菩薩夢経二部四巻[一部二巻綵帙 一部二巻无帙漆軸]
  法界体性無分別経二巻[綵帙]
  大菩薩蔵経二部〓≪よんじゅう≫巻[一部廿巻〓≪夕+鹿≫帙綾裏紫綾縁組帯 一部廿巻无帙]
  菩薩見実三昧経十四巻[綵帙一]    郁伽長者所問経二部二巻
  迦葉経二部四巻[一部二巻綵帙 一部二巻无帙]    无畏徳女経一巻
  大乗方便経二巻[綵帙]    移識経二巻[綵帙]
  大宝積経一巻    宝髻菩薩所問経二巻[无帙]
   右十二経、並編入大宝積経蔵中、故無別本、
  金光明経〓≪よんじゅう≫部百六十巻[廿部八十巻漆軸 廿部八十巻朱軸]並〓≪夕+鹿≫帙紫綾縁綾裏組帯
   右一経、与蔵中、八巻者文勾不異、其八巻本品数〓≪人+各の口が田≫足、故留入蔵、此一本皆〓≪門+報≫、故除不載、[其八巻本有廿四品 此四巻本有十八品]
(後略)

出典

『大日本古文書』23(125~127頁)(『正倉院文書』續々修12帙11)

「画所解案(尾闕」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀8(西暦777年)(月日闕)

記事

画所解  申請用雑物并残及人散事
合請物参拾捌種
   金青伍拾七斤拾参両参分[五十五斤十五両一分自政所請 一斤自内裏給出]
    [二両自内大臣藤原(良継カ)卿家進]
    [十二両二分人々知識進]
   白青壹拾斤捌両弐分肆銖[自政所請]
   朱沙捌斤拾両参銖[七斤十四両三分三朱自政所請 五両自内裏給出]
    [六両自内大臣藤原卿家進]
    [一分人知識進]
同黄壹拾参斤陸両参分[十三斤六両二分自政所請 一分人知識進]
   烟子壹伯肆拾肆枚半[大三枚 中九十五枚半 小〓≪よんじゅう≫六枚]
    百〓≪よんじゅう≫一枚半自政所請 三枚人知識進
胡粉七拾壹斤拾伍両壹分[倭卅二斤十五両一分 唐卅九斤]
  七十一斤十一両一分[倭卅二斤十五両一分 唐卅八斤十二両]自政所請
  三両唐[自内大臣藤原卿家進]
  一両唐[人知識進]
青参仟玖拾参斤壹両弐分[自政所請]
  依〓≪夕+鹿≫更作四百卅一斤二両[作得白〓≪よんじゅう≫三斤八両三分 全得青三百六十九斤四両]
  依作損十八斤五両一分
  見青三千卅一斤三両二分
肆拾七斤三両[三斤十両一分自政所請 〓≪よんじゅう≫三斤八両三分請青之内、便令作得所]
丹参伯斤拾五両壹分[三百斤十二両一分自政所請 三両人知識進]

出典

『大日本古文書』23(621~622頁)(『正倉院文書』續修17裏)

「伯耆広国解」(『正倉院文書』)

神亀5年(西暦728年)4月21日

記事

□□□(長方形抜け)数〓≪糸+□≫□□
 右、設安居僧等坐、請件縁(カ)〓≪あしぎぬ≫如前、仍録□(状カ)、以謹解、
         神亀五年四月廿一日伯耆広国

出典

『大日本古文書』24(5頁)(『正倉院文書』續々修26帙2裏)

「造仏所作物帳(?)断簡(首尾闕)」(『正倉院文書』)

天平6年(西暦734年)(類収・年月日闕)

記事

   苧一斤九両[雑物〓(様カ)結料]
   紙廿八張[雑物形作料]
   〓≪石偏+弖≫□(一カ)顆[雑物磨料]
   青〓≪石偏+弖≫一顆[雑刀子等磨料]
  青洗料□(用カ)物
   〓≪あしぎぬ≫二尺[篩料]
   商布四尺[巾料]
   紙□□□(長方形抜け)(張カ)[青裏料]
   膠六斤[湯和合料]
   炭三百九十斤[湯作料]
  □(彩カ)色□□□(料用物)
   苧一斤六両[雑用料]
   紫土小三斤四両[雑用料]
   胡麻□(油)□升[紫土作料]
   石灰一斗二升
   炭ニ百六十斤[膠解温料]
  石炭壁料用物
   石炭六斛[塗壁十間、々別高七尺広一丈]
   商布一段一丈二尺[冠布〓≪代+巾≫等料]
   〓≪金+截≫□□□(斤八カ)両 [石炭春舟釘廿六隻料二斤六両 壁辺固木釘六十隻料□斤二両]
  金薄打料用物
   練金小一百五十三両[々別打得金薄六段]
   麻紙一百五十張[金薄打料]
   移紙□□百卅八張[々別裁移紙卅二枚]
   〓≪あしぎぬ≫一匹一丈三尺[五十三尺金薄打調度]
   糸三両[金薄束治料]
   □□□□(温石カ)[金薄打調度]
   □□□(長方形抜け)[麻紙煖料]
   石灰八斛[練金下料]
  □所用物
   紙一千九百〓≪よんじゅう≫八張[公文并雑用料]
   筆八十□(六カ)箇[鹿毛]
   □□□(長方形抜け)(墨)廷(丸墨)
   □□□(長方形抜け)[経櫃、玉幡櫃五、灌頂 □□□(長方形抜け)合布綱料]

出典

『大日本古文書』24(38頁~41頁)(『正倉院文書』塵芥26)

「雑経書写注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739年)10月18日

記事

「(端裏)春宮」
高王観世音経十巻   六文<門>多羅<尼>経十巻
無<常>生経十巻   多心経十巻
仏頂経一巻      千手千眼経一巻
理【修】趣経一巻   金剛般若経一巻[已上四巻料 紙者給出、]
  右〓≪よんじゅう≫四巻経、令写  宣光信尼、
                    (天平十一年カ)十月十八日【奉事高屋赤万呂】
給出紙八十張 [深十六張 浅卅張 垣津幡卅四張]

出典

『大日本古文書』24(109頁~110頁)(『正倉院文書』續々修37帙9)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

 右、以廿年十月十日、自寺政所奉請如□□□(長方形後半抜け)
                   知 他田水主
  「(異筆)以廿一年三月一日、返送了、[受宣教師] 知長□□□(長方形抜け) 他田□□(水主カ)」
解深密経疏一部十巻[永金師書者 使犬甘木積万呂 天平勝宝元年□(九カ)月(長方形後半抜け)
  「(異筆)以天平勝宝三年三月五日返送、使左京七條二坊丹比古勇万呂 知葛野人足 舎人伊香家成 史生阿刀 池田水主」
自元興寺奉請四分律■一部[六十巻 黄紙赤木軸赤表綺緒無帙占]
  右、依宮一切経之内律誤、為計会、以天平勝宝二年五月四日奉請、使舎
  人飽田石足、
  「(異筆)天平勝宝五年十一月十六日、付舎人大伴〓≪草冠+衣≫万呂返了、[史生阿刀 検納他田水主 知上馬甘]」
楞伽経疏一部八巻[社(社)行楷撰] 白紙朱頂軸
  右疏、自教輪師之所奉請、使村山首万呂、
              天平勝宝二年六月十七日納他田水主
  「(異筆)同年九月七日、付飽田石足返送如前、 池田水主」
□□(解深)密経範法師疏二巻
  右、以天平勝宝二年七月三日、<借>奉請仙徳師自所、
  「(異筆)以同年十ニ月二日返了、使聞訓師、 納他田水主」
成実論疏第一巻、以勝宝二年十一月【十】九日返上、使即
             十二月十ニ日返送第二巻使即「(自署)覆」

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち510頁~511頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

敬俊師所
 十地論疏一部七巻[恵遠師撰 白紙及表、漆軸、緒、留第□□□(長方形後半抜け)]
     以三年三月廿八日奉請、使田部乙成
「(異筆)右、以五月廿七日僧付明戒奉返 唯第七巻者、依未?留、請追将返、留第
 七巻、以廿八日奉返已訖、
                  知生人」

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち512頁~513頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

 金剛三昧論一部三巻[白紙及表、緒、漆軸、] 無量義経疏一部三巻[白紙□(及カ) 黄表 無緒軸、内外題上印]

  右、自智憬師所、以天平勝宝三年四月七日奉請、使上馬甘
     六月七日、付田部乙成返送、[水主] 検受他田水主


出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち513頁~514頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

自元興寺々主勝叡師所奉請疏
  合二部八巻
 中論疏六巻[元康師 白紙及表、無緒軸、] 仁王経疏二巻[吉蔵師 白紙黄表、青斑緒、]
  右疏、以天平勝宝三年四月十日奉請、使田部乙成、
  六月十日、付田部乙成返送了、
 四分律疏一部廿巻[智首師撰 白紙及表、□□□[長方形抜け]無軸、]
  右疏、自薬師寺三綱所奉講□□□[長方形後半抜け]
             三年四月十八日 収水主
 大涅槃経疏四巻[憬興師 白紙及表、無緒軸、]
  上帙三巻□□□[長方形後半抜け] 下帙四巻[第十一 十二 十三 十四]
 □□□[長方形抜け]経疏六巻[白紙及表、無緒軸、]
       第二巻

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち514頁~515頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「種々軸出用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝元年(天平感宝元年)(西暦749年) (類収・年月闕)19日

記事

十九日出軸卅八枚[廿枚(マヽ)青 十枚朱沙 八枚黒柿]

出典

『大日本古文書』24(585頁~586頁)(『正倉院文書』續々集40帙4裏)

「写経充紙并装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝2年(西暦750)5月15日

記事

(前略)
達沙分<白紙>受二巻納千部櫃 充佐太万呂紙三百八十張 遺直銭六十文
山足所千部料<在>一筒[借疎料者]千部紙四張 借二部法
【井上】帙入公文未上
(紙継)

出典

『大日本古文書』25(6頁~8頁の内7頁~8頁)(『正倉院文書』続々修37帙9)

「写経所仏像等収受注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)3月25日

記事

「(異筆)仏合五十七鋪」
帛帳一條[四副長八尺二寸] 敷布三條[長六尺 一長六尺六寸又一條五尺五寸]紫絞帳卅三條之中【四】五條羅
帳[十八條<緋>合結裏 又十條裏 又二條水橡裏 又一條浅黄裏 又一條蘇芳結幡裏 又一條浅裏 各副三納辛櫃二合 又仏櫃三合]
               (天平勝宝五年)三月廿五日使船連田主
                            受上「(自署)馬養」
「(裏)帛〓≪あしぎぬ≫四條」

出典

『大日本古文書』25(61頁~62頁)(『正倉院文書』続々修46帙4)

「経巻出入請軸等文書継文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月27日

記事

合経拾漆巻
帙五枚
  三枚繍(帙脱カ)[並緋綾裏、錦縁、組帯、]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[一枚深綾裏、赤紫縁、組帯、一枚緋綾裏、黒紫縁、組帯、]
勝思惟梵天所問経六巻 阿惟越致経三巻
大乗問性経二巻  縁生初勝□(分)法□□□□(経二巻)
 右、四部十三巻、[並黄紙及表、綺緒、朱軸、]
楞伽阿跋多羅宝経四巻[黄紙及表、綺緒、漆軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(178頁~179頁)(『正倉院文書』塵芥25裏)

「造東大寺司牒」(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月21日

記事

「(端裏)請山階<寺>帳」
造東大寺司 牒興福寺三綱務所
合経貳伯参拾巻
 帙貳拾壹枚  
  十九枚綵帙
   十七枚繍[之中十二枚緋綾裏錦縁組帯 五枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
   二枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[並黄〓≪あしぎぬ≫裏錦縁 一枚組帯 一枚錦帯]
(中略)
観薬王薬上二菩薩経一巻[已上並黄紙及表、綺緒、紫檀軸、]
(中略)
灌洗仏形像経一巻[白紙黒紫羅表 深(線)綾裏綺緒白檀軸] 報恩奉盆経一巻[黄紙及表銀軸无緒]
大金色孔雀王呪病結界文一巻[黄紙及表朱 頂軸无緒] 佛頂尊勝陀羅尼経一巻[黄紙及表綺 緒木絵軸]
摩訶摩邪経一巻[黄紙及表朱 頂軸綺緒] 観薬王薬上菩薩経一巻[黄紙及表綺 緒漆軸]
  右六経六巻同帙[紙帙]
首楞厳三昧経三巻[黄紙及表朱頂 軸 一帙] 賢劫経十三巻[黄紙及表朱頂 軸紫緒]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(185頁~193頁)(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

「僧慧常請彩色状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝8年(西暦756)6月9日

記事

謹請彩色事
胡粉一小斤 珠(朱)沙四両 金青七両
青十両 白青三両 銅黄一部
□丹一小斤 烟■<支>三枚 白緑四両
紫土一両 膠二小斤
 右件之物、律師(法進カ)令就官、裏請来日、自進直銭、幸垂助為處分、不具謹状、
               (天平勝宝八歳)六月九日僧慧常状[上]
長官[執事]
      謹空
長板更請四條、今欲作之、幸願處分、

出典

『大日本古文書』25(198頁~199頁)(『正倉院文書』続々修38帙8裏)

「安都雄足送銭等注文」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年闕)2月

記事

 日余令収納給耳、[「(異〓≪判読不可≫)以二月十二日□送□□□(長方形抜け)貫、十三日奉送一千文、付若万呂、」]
又作加即青小五斤、便附度給大原舎人於右花〓≪草冠+死≫、

出典

『大日本古文書』25(268頁)(『正倉院文書』続修44裏)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

金青九斤                     朱沙六斤四両
同黄二斤六両                   烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
白青四斤十両一分[四斤八両自外嶋坊請 二両一分買] 胡粉十五斤八両[十斤八両自外嶋坊請 五斤買]
青百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進]
十五斤十三両三分[買]             丹廿一斤<「*九十九斤四両二分」>[十六斤自外嶋坊少僧都所請 
                                           五斤文部省少録内蔵全成所進
                                          「*七十八斤四両二分黒蝋大廿八斤二両三分〔給〕」]
青薫三斤六(ママ)                 蘇芳変二斤[已上自内裏給]
空青□斤                     紫土四両[已上買]
(ママ)金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三両打得]
膠一百五斤                    墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

金青九斤                     朱沙六斤四両
同黄二斤六両                   烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
白青四斤十両一分[四斤八両自外嶋坊請 二両一分買] 胡粉十五斤八両[十斤八両自外嶋坊請 五斤買]
青百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進]
十五斤十三両三分[買]             丹廿一斤<「*九十九斤四両二分」>[十六斤自外嶋坊少僧都所請 
五斤文部省少録内蔵全成所進
「*七十八斤四両二分黒蝋大廿八斤二両三分〔給〕」]
青薫三斤六(ママ)                 蘇芳変二斤[已上自内裏給]
空青□斤                     紫土四両[已上買]
(ママ)金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三両打得]
膠一百五斤                    墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二枚[各長一丈二尺 広一尺]花五百六區[各方一尺]
    金青一斤   白青八両三分  朱沙一斤二両二分
    胡粉三斤五両二分 同黄九両一分 烟紫八十六枚
    青十一斤四両  白緑二斤三両 丹一斤六両二分<「*五十五斤二両三分」>
    青薫七両二分   空青十両   変三合
    金薄一千八十四枚 膠七斤    墨四廷  
    □□(長方形抜け)板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
    □□□(長方形抜け)別坐飛□□□(菩薩像カ)[各立高一尺七寸]
     六十八□□□花一根[各高三尺六寸]
    青金一斤三両  白青三両  朱沙十二両一分
    胡粉十一両   同黄三両三分三朱 烟紫卅枚
    青五斤六両二分 白一斤十二両三分 丹一「*四」斤三【斤】両一分
    空青六両     変参合     金薄四百五十枚 
    膠六斤五両    青金七両    墨五廷
    □□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 広一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
    □(金)青一斤十四両二分 白青四両三分 朱沙十四両
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁~327頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□□(長方形抜け)(胡粉カ)八両一分 同黄□両二分   烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
    青□□□(長方形抜け)       白二斤六両二分  丹二<「*六」>斤三両三分
    金薄八十□□(長方形後半抜け)     □□□(長方形抜け)斤七両 空青十両
    変六合               青薫八両二分       墨五廷
   外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸] 板別在花一根[各高二尺]
    金青二斤七両          白青十両          朱沙十一両三分
    □□(胡粉カ)八斤三両      同黄二両          烟子〓≪よんじゅう≫三枚
    □□□(長方形抜け)                     白十両
    □□□(長方形抜け)両一分                  空青十一両
    □□□(長方形抜け)                     □花茎三百廿八根[ゝ別三枚]
(紙端)
    □□□(長方形抜け) 墨二廷
    □□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内328頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□(長方形抜け)一両   白青四両三分        朱沙三両
    □(胡カ)粉二両      同黄三分          烟子五枚
    □□□(長方形抜け)分   白十両           丹<「*一斤」>六両
    □□□(長方形抜け)     □□(長方形抜け)百七十二枚 膠六両 「(追筆)墨一廷」
    □□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)                  朱沙四両
    □□□(長方形抜け)                  烟子九枚
    □□□(長方形抜け)                  丹<「*一斤」>六両
    □□□(長方形抜け)                  変一分「(追筆)墨一廷」
    □□□(長方形後半抜け)
    青一斤□両       丹一斤九両二分       膠六両
    □後三百八十六両
    □□(長方形抜け)百十九斤十四両  膠四斤六両

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内329頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    金青七両  白青□□□(長方形抜け)両
    胡粉一斤五両一分
    烟子□枚  青四斤四□□□(長方形抜け) [「(追筆)膠廿五斤」]
    丹一<「*四」>斤十四両三分  □□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)六両  □□(長方形抜け)
(紙端)
       □□□(長方形前半抜け)  墨六廷
     □□□(長方形前半抜け)[ゝ別在花<枚>十二枚]
    □□□(長方形抜け)[□(実カ)〓≪人偏+坙≫各二尺 廻各六尺]
    □□廻天井花[実〓≪人偏+坙≫一尺七寸 廻五尺八寸]
    花枚二百廿八枚[六十枚各長二尺 廣一尺二寸 百六十八枚各長一尺七寸 廣一尺]
   金薄一万六百九十二枚押花枚三百廿八枚料
   膠十三両

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内330頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□□(長方形抜け)[各〓≪人偏+坙≫二尺 廻各六尺]
    □□□(長方形後半抜け) □青二両  朱沙三両
    □□□(長方形後半抜け)  □□□(長方形前半抜け)二分三朱
    烟子□□(長方形抜け)   青六斤ニ両
    白三両         □□(長方形抜け)二両     青袋(薫)一両三分
    空青五両         変一合            膠八両「(追筆)墨三廷」
   壁内隔上廻楽天廿八躯[各居高二尺]
    雲形九十烟[各長二尺五寸 広四寸]
           □□□(長方形前半抜け)二両        朱沙十四両     
             □□□(長方形前半抜け)        同黄三両一分
            □□□(長方形前半抜け)両        白十一両
            □□□(長方形前半抜け)         青袋(薫)二両
            □□□(長方形前半抜け)         金薄五十六枚

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内331頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
   御書廿五巻                   記書五巻
   御袈裟九領                   人勝二枚
   念珠四具[一水晶 一琥珀 一紫瑠璃 一紺瑠璃]  銅鉢四口
   〓≪王偏+毎≫瑰箸二雙             御礼服冠三箇
   御凡冠一箇                   御帛袷袍一領
   襖子二領[一絮錦 一袷]             汗衫一領
   褶一條[羅襴]                  袴一腰[絮綿]
   常一條                     袷〓≪こざと偏+業≫子二條[各二幅]
   帛綾袷袍一領                  単衣一領
   絮錦褶一腰[羅襴]                単〓≪こざと偏+業≫子一條[二幅]
   青両面褥一床                  〓≪あしぎぬ≫三副帳一條
   白練綾大枕一枚                 御軾二枚
   紫檀木画〓≪狭の旁≫纈軾一枚          御床二枚
   御畳二枚[錦端]                 金薄綵絵木鞘大刀子一口

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁~35頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
   金銅作唐刀子二口             金作小刀一口
   金銀荘刀子六口              十合鞘刀子一口
   三合鞘刀子三口              水角鞘刀子一口
   犀角鞘刀子一口              斑犀偃鼠皮帯一條
   斑貝〓≪革+吉≫〓≪革+莫≫帯一條    赤紫黒紫稲綬帯一條
   錦袋一口[納麝香九両 二分、]       袋一口[盛呵梨勒卅六顆 雑玉〓≪よんじゅう≫丸]
   笏三枚[一牙 一通天牙 一大魚骨]     尺六枚[二紅牙撥鏤 二牙撥鏤 二白牙]
   木画紫檀碁局一具[局裏蔵 碁子壺]
   碁子六百枚[納銀平脱合 子三合]      木画紫檀雙六局一具
   雙六頭一百十七具一隻           雑玉雙六子一百六十九枚
   紅牙撥鏤〓≪竹冠+下≫子一百枚       紫檀琵琶二面[一螺鈿]
   紫檀五絃琵琶一面             紫檀阮咸一面[螺鈿]
   桐木箏一面[木画]             楸木瑟一面[木画]
   新羅琴二面[金鏤]             琴二面[一銀平文 一漆]
   檜木倭琴二面               銀平脱梳箱一合[納琴箏琵 琶等絃、]
   甘竹簫一口[虫喫]             呉竹笙一口
   呉竹〓≪竹冠+于≫             彫石横笛一口
   尺八四口[一玉 一竹 一種樺 一刻彫]   彫石尺八一口[析(折)]
   白石鎮子十六箇[師(獅)子兔牛等形]     青斑鎮石十廷
   銀薫爐一合                貝〓≪王偏+夬≫拾二箇
   漆胡瓶一口[銀平脱]        百索鏤一巻
   御鏡廿面[径二尺一寸七分已下九寸二分已上] 杖刀二口
   屏風一百四帖[廿一雑画 四書 三鳥毛 一鳥形 六十五〓≪狭の旁≫纈 十﨟纈]
   繍線鞋八両                紫糸結鞋一両
   合香二斤十二両[大 納帛袋一口、]     緋糸〓≪狭いの旁+りっとう≫納鞋一両
   〓≪鍋蓋+邑+衣≫衣香五斤十五両二分[小并袋五口]

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・36頁~37頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第一赤漆綾欟厨子収納
    御書廿五巻[雑集一巻 孝経一巻 頭陀寺碑文并 
         楽毅論杜家一巻 楽毅論一巻 大小王書共半紙背面書一巻
         王義之書法廿巻]
    金作小刀一口                 斑犀偃鼠皮御帯一條
    御刀子六口[金銀荘]              御袋一口[盛呵梨勒卅六顆 雑小玉〓≪よんじゅう≫丸、]
    斑貝〓≪革偏+吉≫〓≪革偏+莫≫御帯一條    十合鞘御刀子一口
    赤紫黒紫〓≪糸偏+蹈の旁≫綬御帯一條
    三合鞘音刀子三口               水角鞘御刀子一口
    犀角鞘御刀子一口               錦御袋一口[納麝香九両二分]
    〓≪鍋蓋+邑+衣≫衣香五袋[重五斤十五 両二分] 笏三枚[一牙 一通天牙 一大魚骨]
    尺六枚[二紅牙撥鏤 二牙撥鏤 二白牙]    紅牙撥鏤〓≪竹冠+下≫子一百枚
    犀角坏二口                  雙六頭一百十七具一隻
    雑玉雙六子一百六十九枚            念珠四具[一水精 一虎魄 一紫瑠璃 一碧瑠璃]
    貝〓≪王偏+夬≫拾二箇             金銅作唐刀子二口
    百索縷一巻                   尺八四箇[一玉 一竹 一樺纒 一刻雕]

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・40頁~41頁)(『正倉院御物出納文書』)