滅紫

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

 八月七日納色紙漆伯漆拾捌帳
     金薄敷靑褐紙百〓≪よんじゅう≫七張[八卷金光明料]金薄敷白紙二百六張[法花経并理趣経料]
     金薄敷滅紫紙百七十九張[最勝王経料]銀薄敷紅紙二百張[十輪経料]
     銀薄敷靑褐紙〓≪よんじゅう≫六張[弥勒経并藥師料]
      右為奉寫八卷金光明経一部 法花経一部 最勝王経一部
      十輪経一部 理趣経一卷  弥勒経一部 藥師経一卷料
                     収呉原生人 他田

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内594頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

天平勝寳五年
 正月十二日納敷金縹紙拾張[七部内最勝王経表紙料]
                      収上馬甘
 二月八日納色(敷金)紙肆伯伍拾捌張[三百十八張青褐 百四十張滅紫
       右依飯高笠目天平勝寳五年二月七宣奉寫最勝王経一部
       仁王経一部 解深密経一部之料
                      収呉原生人
                      上馬甘
 以二月廿日進返内裏色(敷金)紙壹伯伍拾張[九十八張青褐 五十二張滅紫
       右依次官佐伯宿祢宣進返如前[付秦原守工石主]
                      知呉原生人
   廿四日納色紙貳伯伍拾参張
     深緑十一張 深縹廿張  浅縹廿張  浅緑廿張
     蘇芳廿張  深紅廿張  浅紅廿二張 白廿張
     浅皮自四十張 深苅安廿張 浅苅安廿張 胡桃廿張
      右奉寫種々(依善光尼師宣)観世音経廿一巻判者
                      受呉原生人
    又納深紅(金敷)紙壹伯拾伍張
      右依錦部内侍天平勝寳五年二月七日宣奉寫楞伽
                      収上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内597頁~599頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

(前略) 
  合 十月四日納敷金滅紫紙壹伯伍拾參張[欠四]
         右依錦(部脱カ)命婦宣奉寫寳星陀羅尼経一部料
       又白紙伍張[敷金]
         右七部内法花経并理趣経等表紙料
                        収呉原生人
  合    又納敷金紫紙貳拾肆[二張六十花嚴表紙料進内裏之代 廿二張令帝 御願雜経表紙料]
                        収呉原生人 上馬甘
(後略)

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内602頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

 八月七日納色紙漆伯漆拾捌張
     金薄敷青褐紙百四十七張[八巻金光明料]金薄敷白紙二百六張[法花経并理趣経料]
     金薄敷滅紫紙百七十九張[最勝王経料]銀薄敷紅紙二百張[十輪経料]
     銀薄敷青褐紙四十六張[弥勒経并薬師料]
      右為奉寫八巻金光明経一部 法花経一部 最勝王経一部
      十輪経一部 理趣経一巻  弥勒経一部 薬師経一巻料
                     収呉原生人 他田
   十二日納縹紙三十二張[三嶋宗方万呂奉寫六十花厳経一部表紙料従内裏所請者]
                     収呉原生人
   十三日納凡紙廿七[七部経端継料]
   十四日自内裏納紙三百九十九張
     麻紙二百張[寫八十花厳経第二帙料]
     檀紙伯九十九張
      右依善光尼師宣為故信勝尼師奉寫法花経一部
        奉宣大蔵判官
                      知他田水主

出典

『大日本古文書』3(594~612頁の内594~595頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

天平勝宝五年
(中略)
  二月八日納<敷金>色紙肆伯伍拾捌張[三百十八張靑褐 百〓≪よんじゅう≫張滅紫]
       右依飯高笠目天平勝寳五年二月七日宣奉寫最勝王経一部
       仁王経一部 解深密経一部之料
                      収呉原生人
                      上馬甘
   以二月廿日進返内裏色紙<敷金>壹伯伍拾張[九十八張靑褐 五十二張滅紫]
      右依次官佐伯宿祢宣進返如前[付秦原守工石主]
                      知呉原生人
     廿四日納色紙貳伯伍拾參張
       深緑十一張 深縹廿張  淺縹廿張  淺緑廿張
       蘇芳廿張  深紅廿張  淺紅廿二張 白廿張
       淺波自〓≪よんじゅう≫張 深苅安廿張 淺苅安廿張 胡桃廿張
        右<依善光尼師宣>奉寫種々観世音経廿一卷判者
                      受呉原生人
      又納深紅<金敷>紙壹伯拾伍張
        右依錦部内侍天平勝寳五年二月七日宣奉寫楞伽
                      収上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内597頁~598頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

 納物
    雜集一卷[白麻紙 紫檀軸 紫羅〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
     右、平城宮御宇  後太上天皇御書、
    孝經一卷[麻紙 瑪瑙軸 滅紫紙〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
     右、平城宮御宇  中太上天皇御書、
        「(附箋)*樂毅論」
    頭陀寺碑文并杜家立成一卷[麻紙 紫檀軸 紫羅〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    樂毅論一卷[白麻紙 瑪瑙軸 紫紙〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
     右二卷、    皇太后御書、
   以前四卷、〓≪鍋蓋+邑+衣近似文字≫衣香二袋、[一重六兩二分 一重十一兩二分]並納白葛箱、

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内123頁~124頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   山水夾纈屏風十二疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 烏油釘 揩布袋]
     一疊[面紫目交縁背紅夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅夾纈接扇]
     一疊[面紫目交夾纈縁背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背白橡臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背紅臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背皂目交臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背滅紫臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈紅縁臈纈接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内163頁~164頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

「(附箋)今検[驎鹿草木十二疊 鹿草木五疊]」驎鹿草木夾纈屏風十七疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖]
      [烏油釘 揩布袋]
「(附箋)鹿」 一疊[面白橡臈纈縁背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面白橡臈纈縁背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背皂目交臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面背滅紫臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面滅紫臈纈縁背紅臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面背紅臈纈縁背緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁紅臈纈接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背滅紫目交臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面雲繝綾縁<「(附箋)背」>白橡目交臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内165頁~166頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   鳥木石夾纈屏風九疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫〓≪人偏+占≫<「(附箋)帖」>烏油釘]
     [揩布袋]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面滅紫目交臈纈縁背白橡目交臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面白<「(附箋)赤」>橡臈纈縁背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈背皂目交臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面雲繝綾縁背白橡臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面白<「(附箋)赤」>橡臈纈縁背夾纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内167頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)6月21日

記事

   古人鳥夾纈屏風四疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖]
     [烏油釘 揩布袋]
     一疊[面紫臈纈縁背夾纈縁 緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背山納縁 緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁 緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背滅紫臈纈縁 緋〓≪あしぎぬ≫接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内168頁~169頁)(『正倉院御物』)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
   弥勒經一部三巻[花軸 十年十四月(日カ)為本經請高屋赤万呂 果安(マヽ)]
   請觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸 十年五月廿六日借請中宅大道藤原大夫 万呂]
(中略)
   法華經一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 竹帙 錦縁 請東宮御所付延信尼十二年四月廿三日善人]
   金剛般若經一巻奉出[十二年十月四日付秦岡万呂 添万呂]
   无垢稱經一部六巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 无帙]
   勝鬘經一巻[黄紙滅紫表 綺緒 金字題 花軸]
   弥勒經一部三巻[黄紙及表 緑緒 朱軸 已上三經請敎勝所 十五年二月廿四日万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内219~220頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
勝寶三年十月十四日胡桃紙一千二百張 充能登忍人
四年九月二日上七百張[収呉原生人]
  十月十二日上四百張[収生人]
五年五月廿【七】九日上六十七張[欠十三収馬甘]
  六月十二日胡桃上一千張        充能登忍人
  九月二日上四百張[収生人]
  十月十二(日脱)上六百張[収生人]
  八月廿四日充上三百六十張[二百張檀] 受能登忍人
  以九月二日上二百張[檀紙] 又十月一日上一百六十張[収水主]
  八月十日充靑褐紙百〓≪よんじゅう≫七張[「*七部」]白紙二百九張[「*七部」]受能登忍人
  九月二日造上
  八月十二日縹紙五張[六十花嚴經初帙表紙料] 受能登忍人
   十九日紅紙二百張[「*七部」]滅紫紙百七十九張[並受春日虫万呂「*七部」]
  以九月六日上如先員[収生人]
  九月十五日縹紙五張[六十花嚴經初帙表紙料] 受能登忍人
   十六日色紙卅張[先繼了雜經三卷料者]     受能登忍人
                                 知水主
以五年二月十【二】一日上如先員[収員人]
   廿日金敷綠紙一百九十七張[六十花嚴經料者] 受能登忍人
                                 知水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内518頁~519頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
  勝寶五年正月十三日充金薄敷縹紙五張[最勝王經一部之表紙料「*七部」]受能登忍人
                                                知上馬甘
   二月八日充靑褐金薄紙二百十張[最勝王經一部仁王經一部料]     受能登忍人
   以三月十五日造上如先員[収生人]                       知上馬甘
    又同日充滅紫紙八十張[解深蜜經一部料]                 受能登忍人
    [依先員、造上如前]                               知生人
    廿五日充深紅紙百十五張[楞伽經一部料]    受能登忍人 上馬甘
    以六月廿七日造上百十三張[一張用法花品所欠 又一張充竹志]   収上馬甘
   三月八日充靑褐紙六十張[六十花嚴料 造上如員]  受能登忍人 上馬甘
     十五日充麻紙一千九十二張[法花經八部 无量義(經脱)八卷料] 受春日虫万呂
(中略)
   廿六日充麻紙一千六百張[法花經并无料義經料]             受能登忍人
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内520頁~521頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装■帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日付

記事

(前略)
勝寶五年正月十三日充金薄敷縹紙五張[最勝王經一部之表紙料「七部」]受能登忍人
知上馬甘
二月八日充靑褐金薄紙二百十張[最勝王經一部仁王經一部料]     受能登忍人
以三月十五日造上如先員[収生人]                       知上馬甘
又同日充滅紫紙八十張[解深蜜經一部料]                 受能登忍人
[依先員、造上如前]                               知生人
廿五日充深紅紙百十五張[■(楞)伽經一部料]    受能登忍人 上馬甘
以六月廿七日造上百十三張[一張用法花品所欠 又一張充竹志]   収上馬甘
三月八日充靑褐紙六十張[六十花嚴料 造上如員]  受能登忍人 上馬甘
十五日充麻紙一千九十二張[法花經八部 无量義(經脱)八卷料] 受春日虫万呂
(中略)
廿六日充麻紙一千六百張[法花經并无料義經料]             受能登忍人
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内520頁~521頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「經師等紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平21年(749)3月27日~天平勝寳7年(755)2月28日 

記事

筑志常人
四年九月廿三日充滅紫紙[廿八張] 筆一墨一廷 廿七日[十八] 十月十日銭百文 筆二 管直者
五年正月 二月 三月九日〔廿〕 十一月廿七日〔十四〕 墨一廷

出典

『大日本古文書』10(554頁~588頁の内561頁)(『正倉院文書』続々修三十四帙六)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

 
   十九日紅紙二百張 滅紫紙百七十九張[並充春日虫万呂]

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修28帙13)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

 又同日充滅紫紙八十八張[解深密經一部料]   受能登忍人
   「*依先員造上如前」                    知生人

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内168頁)(『正倉院文書』)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

二月八日納靑褐滅紫紙合肆伯伍捌張[三百十八靑褐百〓《よんじゅう》張滅紫]
  右依飯高笠目天平勝寳五年二月七日宣奉寫最勝王經一部仁王經一部〈解深經一部〉之料
                    收呉原生人
                     上馬甘

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内336頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

靑褐紙九十八張 滅紫紙五十二張[楞伽經薩遮尼〓《朝の偏+礼の旁》(乾)子經〈料〉依欠返上者]
  右依次官佐伯(今毛人)宿祢宣以二月廿日返進内裏[使秦嶋守工石主]
                   呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内336頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十月四日納金薄敷滅紫紙壹伯伍拾參張[欠四張]
  右依錦部命婦天平勝寳五年十月一日宣寳星陀羅尼經將奉寫料

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内342頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「七部經色紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)8月7日

記事

合色紙八百六十張
  金薄敷靑紙百〓《よんじゅう》七張
   右可用八卷金光明經一部料
  金薄敷白紙□□□(長方形抜け)張
   右可用法花經一部理趣經一卷料
  金薄敷滅紫紙百七十九張
   右可用最勝王經一部料
  銀薄敷紅紙□□□(長方形抜け)
   右可用十輪經一部料
  銀薄敷淺緑紙〓《よんじゅう》六張
   右可用弥勒經一部藥師經一卷料
可遺百八十二張
  靑褐紙百八十張[卅八張敷金銀薄 卅三張敷銀薄 百九張无敷物]
  縹紙二張[敷銀薄]
           天平勝寳四年八月七日

出典

『大日本古文書』12(350頁~351頁)(『正倉院文書』續々修38帙3裏)

「七部經紙所餘注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)8月7日類收

記事

七部經紙所餘
法華經〈理趣經〉料白紙儲料七張
最勝王經殘滅紫紙二張
金光明經料靑褐紙儲一張
十輪經料紅紙儲三張
藥師經 弥勒經料靑褐紙可餘八張

出典

『大日本古文書』12(351頁~352頁の内351頁)(『正倉院文書』續々修42帙3)

「呉原生人進納紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)2月20日

記事

先請靑褐紙三百十八張
  最勝王經一部十卷 仁王經一部二卷料二百廿張
  進納九十八張
滅紫紙百〓《よんじゅう》張
  解深密經一部五卷料八十八張 進納五十二張
            五年二月廿日呉原生人

出典

『大日本古文書』12(415頁~416頁の内416頁)(『正倉院文書』續々修37帙9)

「奉寫經并請雜物注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)2月20日類收

記事

楞伽經一部四卷[深紅紙]解深密經一部五卷[滅紫紙見寫三卷]
仁王經一部二卷[靑褐紙寫訖] 已上奉寫山邊諸公
法花經一部八卷[白紙] 最勝王經一部十卷[滅紫紙奉請内]
理趣經一卷[白紙] 藥師經一卷弥勒經三卷[靑褐紙已上寫訖]
十輪經一部十卷[深紅紙見寫九卷]八卷金光明經一部[靑褐紙見寫二卷]
  已上奉寫筑紫常人
應請表紙軸又深紅紙廿張[先請水精軸十枚最勝王經料又先請敷金縹紙十枚 着五張最勝王經表紙]
法花經一部[靑褐紙敷金見寫五卷]奉寫忍海廣次
應請綺緖軸并表紙

出典

『大日本古文書』12(416頁~418頁)(『正倉院文書』續々修27帙4)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)10月4日

記事

符  寫經所
  敷金滅紫紙壹伯伍拾参張[白表紙伍張綺伍丈陸尺]
   右 附彼領呉原生人 充如前
次官佐伯宿祢「(自署)今毛人」
            天平勝寳五年十月四日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内4頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「寫經料紙用殘帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)8月24日~6年(西暦754年)7月30日

記事

解深密經一部五卷料<金塵>滅紫紙八十八張[四部内]
  用八十六張[八十四張正用]
  殘二張[一張用法花品所欠]
                        呉原「(自署)生人」

出典

『大日本古文書』13(23頁~28頁の内24頁)(『正倉院文書』続々修26帙7裏)

「寫經料紙用殘帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)8月24日~6年(西暦754年)7月30日

記事

寳星陀羅尼經一部十卷料金塵滅紫紙壹伯陸拾貳張[之中欠四張]
  用百五十四張見所寫  三張破
  殘一張
                三月廿一日呉原「(自署)生人」

出典

『大日本古文書』13(23頁~28頁の内26頁~27頁)(『正倉院文書』続々修26帙7裏)

「敷金銀塵雜色紙用殘注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753)8月24日類収

記事

請敷金銀<塵>雜色紙用并殘數事
合参仟参伯【捌拾参張】七十九張<欠四>[九十九張表紙料 之中五十三張金塵紫紙 六張銀塵縹紙 〓≪よんじゅう≫張金塵縹紙 三千二百【八】七十九張見寫料]
    用三千【八】百〓≪よんじゅう≫【九】【七】三張[二千六百【卅四】【五十三】五十三張見所寫 九十一張用表紙 八十八張破 十【四】五張空 二百九十六張進慈訓師所之中【三】卅張表紙料]
    殘【五百卅四】二百卅五張
   縹紙三百【卅】六張<二百九十六張銀塵>[〓≪よんじゅう≫<十四>張金塵「(追筆)表」]
   金塵滅紫紙四百廿九張
   金塵靑褐紙一千八百五十七張
   【銀】「*金」塵白紙二百六張
   銀塵靑褐紙〓≪よんじゅう≫六張
   銀塵紅紙二百十七張
   金塵深紅紙一百十五張
   金塵白橡紙〓≪よんじゅう≫三張
   銀塵淺緑紙六張[表紙料]  
   金塵【表】縹紙卅張[表紙料]
金塵【紫】紙五十三張[表紙料]
   金塵色紙卅張
   銀塵淺蘇芳紙〓≪よんじゅう≫張
   九十九張表紙料[六張銀塵浅綠 卅張金塵縹紙 五十三張金塵紫紙十張金塵綠]
合奉寫經廿六部一百卅【九】八卷
   用<紙>二千八百〓≪よんじゅう≫七張[二千六百五十三張見所寫 九十一<「*六」>張用表紙 十五張空 八十八張破]
   最勝王經一部 仁王經一部料銀塵縹紙二百九十六張
    用二百八十七張[一百七十七張最勝王經料 卅三張仁王經料 六張表紙 【一張用勝】 一張用勝鬘經表紙 一張用法花品 五十一張用瑜伽表紙 四張用法花經表紙 十四張破]
   殘九張
  法花品四篇料金塵色紙卅八張[卅張自内裏来 八張花嚴(「*法花」) 薬師 金<光>明経等料]
   卅五張見所寫[三張破]
  最勝王經一部料金塵紫紙一百七十<九>張[七十七張見所寫]
  [百]七十七張見所寫[二張破]
  十ニ仏明經三巻 華嚴脩慈分三巻 〓[壹+皮]音聲陁羅尼經三卷料【金】
   金塵綠紙九十八張
   用八十五張[八十四張見所寫 一張用勝鬘經表紙 五張破]
   残八張
  法花經一部 理趣經一巻料金塵白紙二百六張
   用二百【五】【六】五 [一百七十〔(擦消)九〕八張法花經一部料 廿張理趣經一卷料 七張破]
   殘一張[用法花品]
  薬師經一卷 弥勒經三卷料銀塵靑褐紙〓≪よんじゅう≫六張
   用〓≪よんじゅう≫五張[〓≪よんじゅう≫張見所寫 二張依定戒尼師宣進慈訓師所 一張用法花品 二張破]
   殘一張
  八卷金光明經料金塵靑褐紙一百〓≪よんじゅう≫張
  十輪經一部料銀塵紅紙二百十七張
   用二百十二張[一百九十一張見所寫 二張進山田命婦所 十五張破 四張空]
   殘五張
  法花經一部料金塵靑褐紙ニ百張
   用一百八十張[一百七<十>八張見所寫 二張破]殘廿張
  解深經蜜一部料金塵烕【縹】(マゝ)紫紙八十八張
   用八十六張[八十五張見所寫 一張用法花品]殘二張 
  楞伽經一部料金塵深紅紙一百十五張
   用一百十一張[一百九張見所寫 二張破]
(以下紙背連書)
   殘四張
  最勝王經一部 仁王經一部料金塵靑褐紙ニ百廿張
   用ニ百十七張[一百七十七張最勝王經一部料卅三張仁王經一部料 三張空 四張破]
   殘三張
  寶星陁羅尼經一部料金塵滅紫紙一百六十二張[欠四張]
   用一百五十【七】八張[一百五十四張見所寫 【三】張破]
   【殘一張】
  梵網經一部料白橡紙〓≪よんじゅう≫三張
   用〓≪よんじゅう≫【三】二[〓≪よんじゅう≫一張見所寫 一張破]
   殘一張
  六十花嚴經一部料金塵靑褐紙一千ニ百九十二張<廿二張〈九十二張〉>
   用七百七十六<一千五十七>張[七百〓≪よんじゅう≫張見所寫 五張十二仏【明】名經表紙 二張用法花品 廿二張破 七張空 ニ百八十一張【進】慈訓師所 【之中十五張表紙】]
   殘四百十六<一百五十>張[ニ百六十六張進慈訓師所 【留一百五十張】]
  表紙料九十九張[六張銀塵淺綠 卅張金塵縹 五十三張金塵紫 十張金塵綠]
   用五十八<八十八>張[紫紙<十五張>辛浄足寫花嚴經卅卷 又十六張着筑紫常人寫雑經等 一張着梵網經 浅綠紙五張着最勝王經表紙<十五張着大原魚次寫花嚴經卅卷> 縹紙六張着最勝王經一部 仁王經一部 【十五】卅張慈訓師所]
   殘【〓≪よんじゅう≫一張】十<五浅緑>[【紫紙十五】六【張】 【縹紙十五張進慈訓師】所 【留十一張緑五張】]
  一百五十張[九十八張金塵靑褐紙 五十二張金塵滅紙(マゝ)]
   右<依>薩遮尼乾子經料【依】欠 【少進返<【内〓≪鍋蓋+冂+一≫】内裏>如件

「(追筆)合殘金塵紙漆拾捌張」

出典

『大日本古文書』13(28頁~34頁)(『正倉院文書』続修31裏)

「寫經料紙注文」(首欠)(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

仁王經最勝王經一部靑褐紙二百廿張
解深蜜經一部料滅紫紙八十八張

出典

『大日本古文書』13(34頁)(『正倉院文書』続修31裏)