黄蘗

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)正月30日付

記事

合経師六十人[二十四人充官浄衣、十三人既无、二十三人充般若浄衣]疏師十人[一人充官浄衣 九人既无]
校生十二人[二人充官浄衣 十人既无] 案主二人[一充般若浄衣 一充官、両浄既破、]
装〓≪さんずい+黄≫六人[五人充官浄衣、但一人既破、一人充般若浄衣]
今見請浄衣五十九具[三十六経師 二具装〓≪さんずい+黄≫][九疏師 二具案主][十具校生]
合請疊七十七枚[見七十三枚、又古十九枚、失四枚、知阿刀息人、]今請三十六枚
又請櫃五合[且後経料]筆六十七筒[三十先経料 三十後経料][七疏料]
墨六十七廷[加筆法]鹿毛筆十筒 黄蘗六十連
薪五十束[已上二物、般若料、] 硯一面[通用 充了、即充秦小廣、]
  更請校生四人
   右物等、所請如前、謹解、[十八年正月三十日]

出典

『大日本古文書』2(491頁~492頁)(『正倉院文書』正集15裏書)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)5月7日付

  「(題箋)自私所来案」
應奉寫法花経一部 可用料銭并食米等事
 合銭二貫六百十七文
 紙百八十張[正用百六十張 表紙空破等文廿張]直銭五百四十文[張別三文]
 筆二箇 直銭一百文[箇別五十文受山下老、采女国嶋、]
 墨一挺 直五十文 黄檗一連
 橡二升 直銭四文
 布施銭一貫九百八文[一貫六百文、経師料、百八十文、装〓≪さんずい+黄≫料、]
食米五斗【二升五合】
 五斗経師廿人料[人別二升五合]
 七升五合装〓≪さんずい+黄≫三人料[人別二升五合]酢二人一合 塩別人五合
 五升校生二人料[人別二升五合] 未醤醤各別一合
 海藻雑菜等
        天平十九年五月七日
                  行 了
    河内先生所願経

出典

『大日本古文書』2(670頁~671頁)(『正倉院文書』大橋本7)

「造東大寺司解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳2年(西暦750年)10月12日付

記事

造東大寺司解 申應奉寫大般若経用度事
(中略)
 黄蘗貳伯漆拾肆斤伍両[以一斤染紙三十張]
 橡子貳斗壹升[以一升染表紙十五張]
(中略)
以前、應奉寫大般若経一部料、可用雑物、顕注如前、謹解、
         天平勝寳二年十月十二日

出典

『大日本古文書』3(463頁~466頁の内465頁)(『正倉院文書』続修別集15)

「寫経布施校生勘出装■作物法例」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳3年(西暦751年)2月8日付

記事

布施法
(中略)
装〓≪さんずい+黄≫作物法
一日継紙六百張   界三百張  打二百張  漆一千張
端切四百張     竹削表紙着六十六巻  軸緒着八十巻
黄蘗一斤染紙三十五張
           天平勝寳三年二月八日

出典

『大日本古文書』3(487頁~489頁の内489頁)(『正倉院文書』続々修第46帙第6巻裏書)

「東寺寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)1月15日付

記事

東寺寫経所解 申請應奉寫経用度物事
合経壹伯參拾伍部[四百五十卷]
(中略)
  菟毛筆六拾四管[以一管寫紙百五十張]
  墨參拾貳廷[以一廷寫紙三百張]
  ■料鹿毛筆拾管
  ■八十丈一尺
   七十二丈九尺 法花経三百六十卷 理趣経■五卷料[卷別一尺八寸]
   七丈二尺金剛般若経■五卷料[卷別一尺六寸]
  帙五十四枚[各長一尺七寸]
  軸肆伯伍拾枚
  黄蘖貳伯肆拾伍斤[以一斤染紙■張]
  橡壹斗伍升[以一升漆表紙十五張]
  荒炭六十八斛[卅四斛堂料日別五斗 卅四斛料理供養料日別五斗]
  薪參伯肆拾荷[百卅六荷湯沸料日別二荷 二百四荷料理供養料日別三荷]
  錢壹拾七貫五伯■六文[且八貫以三月五日請八千五百■六文]
   二千五百六十文 菟毛筆六十四管直[管別■文]
   九百六十文 墨卅二廷直[廷別卅文]
   十文■料 鹿毛筆十管直
   六貫八百七十六文 生菜直
    四貫二百■文経師装■一千五百六十人料[人別四文]
    六百■六文 校生三百十八人料[人別二文]
   三貫六十文 荒炭六十八斛直[斛別■五文]
   四貫八十文 薪三百■荷直[荷別十二文]
(後略)

出典

『大日本古文書』4(399~407頁の内399~402頁)(『正倉院文書』續修後集5)

石山院奉寫大般若経用度新物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦726年)12月16日付

記事

応奉寫大般若経二部一千二百巻
(中略)
菟毛筆一百■四管[以一管寫紙百五十帳]
墨七十二挺[挺別寫紙三百帳]
堺料鹿毛筆十四管[以一管堺紙一千六百帳]
綺二百四丈[以一尺七寸着一巻]
軸一千二百枚
帙一百廿枚
橡汁四斗[以一升染表紙十五帳]
黄蘗五百五十二斤[以一斤染紙■帳]
銭卅九貫三百七十八文
(中略)
以前、応奉寫大般若経二部、用度新物、所請如件、謹解、
            天平寶字六年十二月十六日

出典

『大日本古文書』5(290頁~294頁)(『正倉院文書』續々修4帙7)

「奉寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727)2月25日付

記事

(見返シ書)
「二部法花經用度文案」
奉寫經所解 申可奉寫經用受事
合法花經二部[十六巻]
(中略)
 兎毛筆二管[以一管寫紙一百五十張]
 墨一挺[以一挺寫紙三百張]
 綺二丈七尺二寸[以一尺七寸着一巻]
 軸十六枚
 帙二枚[張各一尺七寸]
  橡汁一舛
  黄蘗八斤[以一斤染紙■張]
  銭一千一百八十四文
   六百八十八文經紙三百■四張置[張別二文]
   六十八文凡紙六十八張置[張別一文]
   八十文兎毛筆二管置[管別■文]
   卅文墨一挺置
   六十文木履四兩置[兩別十五文]
   卅文菲四兩置[兩別十文]
(中略)
以前、依今月廿五日宣、可奉寫法花經二部用度如件、
               天平寶字七年二月廿五日

出典

『大日本古文書』5(388頁~394頁)(『正倉院文書』續修別集17)

「造東大寺司解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727)3月11日

記事

造東大寺司
(中略)
兎毛筆六十二管[以一管寫紙百五十張]
墨卅一張[以一張寫紙三百張]
堺料鹿毛筆六管[以一管堺紙一千六百張]
題料狸筆七管[管別題百巻]
綺一百廿四丈四尺四寸[以一尺七寸]
軸七百卅二枚
帙七十五枚[各長一尺七寸]
橡汁二斗四舛[以一升染表紙十五張]
黄蘗二百五十七斤[以一斤染紙■張]
調布二百九十五端二丈二尺
(中略)
以前、依三月十日宣、応奉寫經用度、所請如前、謹解、
            天平寶字七年三月十一日

出典

『大日本古文書』5(404頁~411頁)(『正倉院文書』續修別集33裏書)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)4月

記事

(前略)
黄蘗壹伯陸拾捌斤[大]
炭伍斛伍豆
(中略)
机玖拾壹前
四前漆
八十七前白木
[用物 請紙壹萬漆仟伯陸張]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(255頁~262頁の内257頁~258頁)(『正倉院文書』續々修17帙3)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)4月

記事

(前略)
残物[黄蘗壹伯陸拾捌斤 大 漆紙壹萬伍仟漆伯玖拾陸張 
以大一斤染 紙九十六張]
紙肆拾張[白紙 炭伍斛伍豆燥紙壹萬伍仟七百九十六張
以炭一斗燥紙二百八十七張]
金泥壹兩壹分 薪壹拾束[黄蘗煮料]
銭筆肆拾箇
墨伍廷
(中略)
机玖拾壹前
四前漆
八十七前白木
以前、所請調度并用遺物等、具状如件、以解、
天平十一年四月 史生大初位下高屋連
大初位上小野朝臣
舎人

出典

『大日本古文書』7(255頁~262頁の内261頁~261頁)(『正倉院文書』續々修17帙3)

「寫經料錢經師布施等注文案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)9月3日付

記事

○コノ注文案帳ハ、二月二十七日葛野古万呂状ヲ除クノ外、既刊卷ニ二収メタレドモ、更ニ原本ト對校シ、多少ノ誤謬ヲ發見セラルヲ以テ、今
(題籤〔表裏同文〕)
自私所來案
○コノ文書、紙繼目ゴトニ、志斐麻呂ノ裏封「■」アリ、
應奉寫法花經一部 可用料錢并食米事
合錢二貫六百十七文
紙百八十張[正用百六十張 表紙空破等分廿張] 直錢五百■文[張別三文受能登忍人]
筆二箇 直錢一百文[筒<箇>別五十文受山下老 采女國嶋]
墨一廷 直五十文 黄蘖一連 直錢十五文
橡二升 直錢四文
  布施錢一貫九百八文[一貫六百文經師料八十文校生料受荒田井鳥甘百八十文装■料卅八文題師料受丸部嶋守]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(191頁~199頁の内191頁~192頁)(『正倉院文書』續々修11帙5)

「造東大寺司(?)寫經用度申請解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)4月28日類收

記事

(前略)
  沓九十五兩
  綺緒一百卅六丈[卷別着一尺七寸]
  軸八百枚
  黄蘗三百五十七斤[以一斤染■張]
  ■【子】二斗九升[以一升染表紙十五張]
  銭十六貫五百廿八文
(後略)

出典

『大日本古文書』12(272頁~277頁のうち275頁)(『正倉院文書』續々修42帙3)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)9月3日

記事

黄蘗参拾伍連  橡参升
  右 奉染花嚴經料 充遣如件 [付上馬甘]
次官佐伯宿祢「今毛人」  申上史生志斐万呂
         天平勝寳五年九月三日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内4頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「造東寺司解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)

記事

(前略)
黄檗參伯伍拾【捌】玖斤[以一斤染〈紙〉■張 「八十斤前受」(追筆)
橡【子】汁貳斗陸弁[以一升染表紙十五張]
(中略)
「各各」(楽書)
   橡参斗
(後略)

出典

『大日本古文書』13(50~60頁)(『正倉院文書』続々修10帙26)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)

記事

寫經司解 申奉寫法華(經脱)所請用物事
  寫法華經一百〈壹伯〉部[八百巻]  一部[紫紙]
(中略)
  黄檗【一百六十八斤】壹伯陸拾捌斤[大]
(後略))

出典

『大日本古文書』13(87~91頁)(『正倉院文書』続々修3帙1裏)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)

記事

「法華經時案文」(異筆)
「寫經司解」(楽書)
寫經司解 申奉寫法華經所請用物事
    寫法華經壹伯部[八百巻]
     九十九部白紙
     一分紫紙
請經紙壹萬陸仟貳伯漆拾張
     一万六千一百張白紙
     一百七十張紫紙
  用紙壹萬伍仟玖伯陸拾張
     一万五千七百九十六張白紙
     一百六十四張紫紙
  破并空紙貳伯陸拾漆張
     二百六十四張白紙
     三張紫紙
  遺紙肆拾参張
     ■張白紙
     三張紫紙
(中略)
  黄檗壹伯陸拾捌斤[大]
(中略)
薪壹拾束 黄檗煮料
(後略)

出典

『大日本古文書』13(92~97頁)(『正倉院文書』続々修17帙3裏)

「造東大寺司牒案并寫千巻經所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)6月23日

記事

〈奉〉寫千卷經所解  申請雜物事
  黄檗參佰貳拾伍斤[以一斤染紙■張]
  橡汁參斗參升[以一斤染表紙十五張]
   右 〈爲〉奉染一千卷經 所請如件 以解
              天平寳字二年六月廿三日主典正八位上安都宿祢

出典

『大日本古文書』13(240~242頁の内242頁)(『正倉院文書』続々修34帙10裏)

「寫千卷經所錢并紙衣等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)6月28日

記事

(前略)
廿八日収納黄檗參伯貳拾伍斤 橡汁參斗參升
  右 依員■納如件
                     主典案都宿祢「雄足」
                     案主建部廣足
(後略)

出典

『大日本古文書』13(243~252頁の内246頁)(『正倉院文書』続々修43帙5)

「造東大寺司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)7月6日

記事

(前略)
   墨【壹伯貳拾漆■】*「七十九■」[以一■寫紙【二】*「三」百張]
   鹿毛筆參拾管
   綺壹伯漆拾陸丈捌尺[以一尺七寸着一卷]
   軸壹仟肆伯枚
   黄檗【陸伯參拾漆】*「五百九十一」斤[以一斤漆紙■張]
   橡【五斗】*「四斗七升」[以一升漆表紙十五張]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(373~381頁の内371~373頁)(『正倉院文書』続々修8帙6)

 

「東寺寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)1月15日

記事

 東寺寫經所解 申請應奉寫經用度物事
(中略)
墨參拾貳廷[以一廷寫紙三百張]
界料鹿毛筆拾管
【綺漆拾陸丈伍寸】八十丈一尺
【六十八丈八尺五寸】七十二丈九尺法花經三百六十卷理趣經■五卷料[卷別一尺七<八>寸]
七丈二尺金剛般若經■五卷料[卷別一尺六寸]
【扶壹佰參拾伍枚】帙五十四枚[各長一尺七寸]
軸肆佰伍拾枚
黄檗貳佰肆拾伍斤[以一斤染紙■張]
橡壹■伍升[以一升染表紙十五張]
荒炭【參拾】六十八斛[【十五】卅四斛堂料日別五斗 【十五】卅四斛料理供養料日別五斗]
薪參佰肆拾斤[【九十】百卅六荷湯沸料日別【三】二荷 二百四荷料理供養料日別【七】三荷]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(294頁)(『正倉院文書』續修後集五)

「奉寫忌日御齋會一切經所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761)正月6日類収

記事

(前略)
  軸伍仟貳伯漆拾壹枚
内綺捌伯玖拾陸【丈】<丈>七寸[以一尺七寸着一卷]
  帙肆伯玖拾玖枚[六十枚別長二尺二寸 三百八十枚別長一尺八寸 五十九枚別長一尺四寸]
  黄蘗貳仟伍伯肆拾肆斤[以一斤染紙■張]
  右紙經九万九千百廿張 ■紙二千六百卅六張并十万一千七百五十六張料
  橡壹斛漆斗【別】<伍>升[以一升染紙十五張]
  右■紙二千六百卅六張料
  ■肆顆
  刀子貳拾柄[十柄造紙料 十柄料理食物料]
  竹壹伯株[最大【表】<■>料]
  【辛】<韓>■參拾合[別著鎖 納收經料]
  淨衣貳伯貳拾壹具[一百卅具經師料 十具裝■料 廿具■生料 十二具雜使料  四具膳部料 卅五具駈使丁料]
    經師裝■■生     已上寒時料
    一百七十【具】<人>々別綿袍袴被<單【橡】衫帛汗衫【褌】<下袴>細布袴冠調布湯帳<帷>巾■[已上熱時料]>
    膳部雜使
    十六具々別細布衫袴
    <駈使>卅五具<人々別>庸布衫袴
   ■伍伯【捌匹一丈】玖拾參匹壹丈
(後略)

出典

『大日本古文書』15(67頁)(『正倉院文書』続々修十帙七裏)

「奉寫一切經所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761)正月6日類収

記事

(前略)
  錢十九貫八百七十六文
   三貫一百廿文菟毛筆七十八管直[管別■文]
   一貫八十文墨卅六■直[■別卅文]
   九貫八百廿二文生菜直
    九貫一百十六文經師裝■二千二百七十九人料人別四文
    七百六文■生三百五十三人料人別二文
   四貫八百十文薪三百七十荷直[荷別十三文]
   一貫■四文炭廿六斛一斗直[斗別四文]
  薪三百七十荷[廿日々別十二荷 十日々別十三荷]
  松九十村[日別三村]
  炭廿六斛一斗[廿一斛今月料日別七斗 五斛一斗去月借用寺家報納]
  黄蘗五百斤     橡六斗
(後略)

出典

『大日本古文書』15(73頁)(『正倉院文書』続修後集十三裏)

「奉寫一切經所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761)正月6日類収

記事

(前略)
  小豆漆斛[四斛請御齋會殘三斛請政所]並月中請
   用後斛二斗六升四合
   殘一斛七斗三升六合
  木綿菜捌拾斤[去月所定] 未用
  松貳伯玖拾漆村[去月所殘]
   用九十村
   殘二百七村
  黄蘗貳仟拾肆斤[去月所殘]
   用五百斤
   殘一仟五百十四斤
  橡一斛肆斗伍升[去月所殘]
   用六斗
   殘八斗五升

出典

『大日本古文書』15(78頁~79頁のうち78頁)(『正倉院文書』続修後集十三裏)

「安都雄足新令送状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)3月10日付

記事

送上新令十巻
   右、令染黄<以>欲横<?>装<之>但所用黄檗者、買替便用耳 然經分不欲用耳 今具状、附使白 
               三月十日雄足状
通 道守所 
[奥裏切封ウハ書]
通 經所安主

出典

『大日本古文書』15(438頁~439頁)(『正倉院文書』続々修46帙9)

「奉寫二部大般若経用度解案」(『正倉院文書』) 

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)12月16日

記事

 二部般若用度
應奉寫大般若経二部一千二百巻
(中略)
墨七十二■(挺下同ジ)[■別寫紙三百張]「一部料卅六■」
(中略)
橡汁四斗[以一升染表紙十五張]
黄檗五百五十二斤[以一斤染紙■張]
銭卅九貫三百七十九文
 五貫七百六十文?毛筆百■四管直[管別■文]
 二貫百六十文墨七十二■直[■別卅文]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(59~68頁のうち62頁)(『正倉院文書』続々修4帙7)

「造東大寺司解案」(『正倉院文書』) 

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)12月26日

記事

十二灌頂経用度
造東大寺司
合應奉寫十二灌頂経壹拾貳部[一百■四巻]
(中略)
墨伍■半[以一■寫紙三百張]
鹿毛筆一管[以一管堺紙千六百張]
綺貳拾壹丈陸尺[以一尺五寸着一巻]
軸壹伯肆枚
黄檗肆拾参拾伍文
四百■文兎毛筆十一管直料[管別■文]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(113~117頁のうち115頁)(『正倉院文書』続修後集8)

「造東寺司寫経律用度文案」(『正倉院文書』) 

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)2月

記事

(前略)
造東寺司
合應奉寫経律六十巻
(中略)
   橡(汁脱カ)二升七斤[以一升染表紙十五張]
   黄檗卅七斤 [以一斤染紙■張]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(341~343頁内342頁)(『正集』続々修5裏)

「奉寫梵網経并四分戒本料雜物帳」(『正倉院文書』) 

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)3月11日

記事

(前略)
四月廿二日収納麻紙参拾貳張[表紙料]
            上馬養
  廿七日収黄檗一百六十斤[四分律并七百卅巻料]
            上馬養
(後略)

出典

『大日本古文書』16(345~347頁)(『正倉院文書』続々修10帙14)

「奉寫経所解」(『正倉院文書』) 

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)3月12日

記事

黄檗五十八斤[以一斤染紙■張]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(347~352頁の内347頁)(『正倉院文書』続々修42帙4裏)

「東大寺奉寫大般若経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月23日

記事

東大寺奉寫大般若経所解 申請用雜物事
合奉寫大般若経貳部壹仟貳佰巻[黄紙及表綺緒朱頂軸]
  繍帙一百廿枚[浅縁(緑)裏紫綾縁及帯 各着黄楊籖]
  奉納白木辛櫃六合[敷布各一條 居各白木楊足机]
請綿壹萬陸仟肆拾屯
  ■祖(租下同ジ)布八十段
  納辛櫃卅五合
賣得價銭壹仟参拾伍貫漆伯壹拾参文
(中略)
     九貫二百廿文紫綾■二匹三丈直
     四貫七百卅文浅縁(緑)綾■二匹三丈五尺直
     二百文紫緑糸三両直
(中略)
残銭七貫五百文
  辛櫃七貫五百文
  紙四百五十張
  黄檗廿七斤[太]
  大豆一斛
  小麦一斛
(後略)

出典

『大日本古文書』16(376~382頁)(『正倉院文書』続々修4帙12)

「造東寺司寫経用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)12月25日

記事

造東寺
合可奉寫心経一千巻【[幅(マヽ)■{よんじゅう}巻] (異筆)以廿五張為一巻】
  應用紙一千二百十【四】張
   経紙一千一百廿張
    一千張見寫料
    廿張表紙料[以一張着二巻]
    一百張儲料
   凡紙九十【四】張
    廿五張端繼料[以一張繼料[以一張繼紙■{よんじゅう}張]
    廿四張式并下■{糸へん+厘}(纏)等料
    十一張■《果+衣》紙料[以一張■《果+衣》打紙一百張]
    【四張借経帙料】
    卅張雜用料
   菟(兎下同ジ)毛筆七管[以一管寫紙一百五十張]
   堺料鹿毛筆一管
   綺八丈[以二尺着一巻]
   軸■{よんじゅう}枚
   帙四枚[各長二尺]
   橡二升
   黄檗廿五斤[以一斤染紙■{よんじゅう}張]
   銭三百七十二文
    二百八十文兎毛筆七管直[管別■文]
    九十文墨三■{しんにょう+手}(挺下同ジ)直[■{しんにょう+手}別卅文]
    二文堺料料鹿毛筆一管直
   施卅【五】匹【三丈九尺】二丈四尺
    十【四】匹経師装■《さんずい+廣》■《手へん+交》生雜使膳部并十【四】人綿衣十【四】領料[領別一匹]
    八匹一丈五尺経師装■《さんずい+廣》■《手へん+交》生并十八人□□十八領料[領別四丈五尺]

出典

『大日本古文書』16(423~425頁)(『正倉院文書』続修後集42)

「造東寺司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)7月29日

記事

造東寺司解 申應奉寫経用度事
大般若経一部六百巻
(中略)
   綿三百■《よんじゅう》三屯[八月九日請了]
    七十六屯襖子卅八領料[領別二屯]
    二百六十六屯被卅八領料[領別七屯]
    一屯黄檗絞料
(中略)
   墨卅六■《しんにょう+手》(挺下同ジ)[以一■《しんにょう+手》寫紙三百張]
(中略)
   橡汁二斗[以一升染表紙十五張]
   黄檗二百七十六斤[以一斤染紙■《よんじゅう》張 一百■《よんじゅう》斤用寺家残]
   銭廿三貫六百廿文[八月十日請十貫文〔十五日返上一千十八文 定八千九百八十二文〕 十五日返上一千十八文]
    四貫三百廿文菟毛筆七十二管直[管別六十文]
    一貫四百■《よんじゅう》文墨卅六■《しんにょう+手》直[■《しんにょう+手》別■《よんじゅう》文]
(後略)
         

出典

『大日本古文書』16(505~514頁のうち509頁)(『正倉院文書』続々修4帙12)

「大般若経料銭絹綿布紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)8月9日

記事

(前略)
九日納調布十四端一丈二尺[二端三丈■《衣偏+末》卅八両料 十端三丈六尺湯帷卅八条料 三丈手巾六条料]
  ■《あしぎぬ》五十匹一丈二尺[廿八匹三丈襖子卅八両料 十三匹五丈五尺汗衫 卅八領料 七匹三丈六尺禪卅八■《「要」の下に「月」》料 一丈篩料
  綿三百■《よんじゅう》三屯[七十六屯襖子卅八領料 二百六十六屯被卅八領料 一屯黄檗絞料]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(515~517頁のうち516頁)(『正倉院文書』続々修4帙15)

「奉寫一切經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)6月類収

記事

(紙端)
帙陸拾枚
黄蘗参伯漆拾斤[以一斤染紙■《よんじゅう》張]
橡貳斗[以一斤染紙十五張]
銭壹拾肆貫壹伯伍拾文
  三貫二百文兎毛筆八十管直[管別■《よんじゅう》文]以一管寫紙一百五十張
  一貫二百文墨■《よんじゅう》挺直[挺別卅文]
  三百六十文木履卅六両直[両別十文]
  三百六十文斐卅六両直[両別十文]
  三百九十文小明櫃卅合直[両別十三文]
  八貫六百■《よんじゅう》文生菜直
   七貫八百■《よんじゅう》文經師装■《さんずい+黄の異体字》一千九百六十人料[人別四文]
   八百文校生四百人料[人別二文]
(後略)

出典

大日本古文書18巻(586頁~589頁のうち587頁)(『正倉院文書』続々修45帙4裏)

「写法華経并阿弥陀経用度注文」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀3年(西暦772年)8月17日付

記事

法花経一部八巻
阿弥陀経十巻
應用紙二百六十三張[「*二百七十張」]
二百四十三張経紙
二百廿五張見写料[一百七十五張法花経一部料 五十張阿弥陀経十巻料]
八張表紙料  十張儲料
廿張凡紙[端継并〓≪果+衣≫紙敷]
銭二貫八百十文[「*且来二貫七百文]
八十文菟毛筆二管直<「*筆二」> 卅文墨一〓≪しんにょう+手≫(挺)直[「*墨二〓≪しんにょう+手≫(挺)」]
二貫五百文布施料[一貫八百文経師料 四百文装〓≪さんずい+黄≫料 三百文〓≪手+交≫生料]
二百文生菜直
綺二丈八尺  軸十八枚  黄蘗廿枚
単口四十人[卅二人経師 四人装〓≪さんずい+黄≫ 四人〓≪手+交≫生]
米八斗[経師装〓≪さんずい+黄≫〓≪手+交≫生并四十人 人別二升]
塩二升[人別五夕] 醤末醤各四升[人別一合]
酢二升[人別五夕]海藻滑海藻大淑菜各五斤[人別二両]
大豆小豆各四升[人別一合]
芥子二升[人別五夕]
宝亀三年八月十七日

出典

『大日本古文書』20(225~227頁)(『正倉院文書』續々修40帙2裏)

「奉写一切経所用度文案」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀3年(西暦772年)11月14日付

記事

合應奉写経五箇巻
  二巻本願薬師経
  一巻随願薬師経
  二巻阿弥陀経
可用紙〓≪よんじゅう≫八張
  〓≪よんじゅう≫三張経紙[〓≪よんじゅう≫一張見写料 二張表紙料]
五張凡紙
錢五百六十文
  四百十文経師布施料
一百文装広〓≪手+交≫生布施料
  五十文生菜直
綺六尺六寸 軸五枚 黄檗五枚
米一斗六升[経師六人装広一人〓≪手+交≫生一人并八人料人別二升]
         宝亀三年十一月十四日案主上(馬養)

出典

『大日本古文書』20(327~328頁)(『正倉院文書』續々修40帙2裏)