金薄

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
   帛一丈二尺[鏡磬等宝調度]
   調綿七両[鏡磬等宝并金薄抑料]
   調布三丈七尺[鏡磬等磨巾□下料]
   商布一〓三尺[鈴等磨布并雑用料]
   蘇芳四両[染珊瑚〓≪王+車≫〓≪王+巨+木≫料]
   象牙一杖[長七寸、五斤八両、珊瑚〓≪王+車≫〓≪王+巨+木≫料]
   膠□両□□[裁銅文繪并金薄抑料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(560頁~571頁の内563頁~564頁)(『正倉院文書』続修33)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
     金薄二百卅三枚
     銀薄十四枚
     鏡七面
     水精玉十五枚
     琥碧玉廿三枚
     琉璃雜色玉廿四万三千五百九十枚
     真珠四千三百七枚
     石玉六枚
     鈴玉九十六枚
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内575頁~576頁)(『正倉院文書』續修34)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月11日付

記事

寫書所解 申請厨子料雜丹事
合【參拾陸】〓≪よんじゅう≫五斤九兩參分貳銖
 用【卅二】〓≪よんじゅう≫斤五<七>兩二<二>分二<一>銖
 【殘四】五斤四<二>兩一分 「(別筆)一朱」
  朱沙十五兩三分二銖[用十兩三分二朱 殘五兩二朱]      金靑一斤六兩[用十一兩二分 殘十兩二分]
  丹三斤二兩[用一斤十五【<四>】)兩一分 殘一斤二兩三分] 緑靑六斤[用四斤九兩一分 殘一斤六兩三分]
  白緑十二兩[用二兩一分 殘九兩三分]            白靑九兩[用八兩 殘一兩]
  同黄一兩二分[用一兩一分 殘一分先日進返了]        紫土一斤八兩[盡用]
  胡粉廿二斤一兩二分[盡用]                 靑代二兩[盡用]
  [膠九斤[用八斤殘一斤]] 
 金薄二百廿三枚[用二百十一<三>枚 殘十【二】枚]
 烟子卅三枚[一枚大卅二枚中盡用]
 遍一舛一合[盡用]
 膠九斤[用八斤 殘一斤]
  右、采色厨子之料、所用并遺數、顯注如前、以解、
           天平勝寳四年五月十一日呉原生人

出典

『大日本古文書』3(573頁~574頁)(『正倉院文書』続修29)

「充厨子画所雑物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

一厨子 廿六日金薄十枚 廿七日十枚 銅盤一口 廿八日金十枚[大]
 廿九日朱沙三分又一兩一分三朱 四月一日朱沙二分 烟子三枚金十枚
 四日烟子二枚 靑代二分 胡粉三分

出典

『大日本古文書』3(592頁~593頁の内592頁)(『正倉院文書』續々修第46帙第2巻 )

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

 八月七日納色紙漆伯漆拾捌張
     金薄敷青褐紙百四十七張[八巻金光明料]金薄敷白紙二百六張[法花経并理趣経料]
     金薄敷滅紫紙百七十九張[最勝王経料]銀薄敷紅紙二百張[十輪経料]
     銀薄敷青褐紙四十六張[弥勒経并薬師料]
      右為奉寫八巻金光明経一部 法花経一部 最勝王経一部
      十輪経一部 理趣経一巻  弥勒経一部 薬師経一巻料
                     収呉原生人 他田
   十二日納縹紙三十二張[三嶋宗方万呂奉寫六十花厳経一部表紙料従内裏所請者]
                     収呉原生人
   十三日納凡紙廿七[七部経端継料]
   十四日自内裏納紙三百九十九張
     麻紙二百張[寫八十花厳経第二帙料]
     檀紙伯九十九張
      右依善光尼師宣為故信勝尼師奉寫法花経一部
        奉宣大蔵判官
                     知他田水主

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内594頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

七月九日
  金薄敷紫<紙>伍張[緑紙花嚴表紙料]受能登忍人
                   検充呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内613頁~614頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

金薄敷三張<緑紙>[充忍人 六十花嚴料者依大蔵判官宣用]
  右十二仏経等表紙料且充如前   知生人
金敷緑紙二張[六十花嚴料]
  右依大蔵判官宣為十二仏名等表紙所充如前
            十一月廿八日他田

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内615頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

金薄敷緑紙五百五十張[六十花嚴料]受能登忍人
  五年五月<廿九日>上二百張[収生人]
           十二月九日呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内615頁~616頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)3月3日

記事

政所符 繪所領等
  白緑廿三斤十兩二分   同黄十三斤五兩一分
  胡粉七斤十兩[唐]   丹二百九斤三兩二分
  銀薄四百〓≪よんじゅう≫枚      金薄三百七十五枚
  膠十八斤六兩      墨四廷[三廷唐 大一 小二 一廷鹿角小]
  烟子百六十枚[中]   金靑廿斤
  藍花壷并五斤[大]   白靑十一斤六兩三分五朱
  朱沙十斤六兩二分三朱  同黄十三斤三兩
  鹿毛一斤[小]     辛櫃二合[一合在鎖子]
   右、彩色大仏殿廂之天井并須理等板料、下充如件、冝〓≪様の旁≫知此状、到奉行、
次官高麗朝臣          判官川内恵師
                 主典美努連 奥 万 呂
            天平寳字二年三月三日

出典

『大日本古文書』4(262頁~263頁)(『正倉院文書』続修43)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760)

記事

  二匹八尺七寸雜用料[一匹八尺帛 一匹生〓≪あしぎぬ≫]
    二丈五尺八寸金薄打料
    三丈四尺九寸雜篩料
    一匹八尺帛〓≪あしぎぬ≫
     六尺充作菩薩寳冠所
     一丈三尺作堂天井鏡三面料
     四丈九尺塗金雜物拭収料

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内462頁~463頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

    五百七十屯賣料奉送丹波宅[寳字三年中]
      一百屯[筑紫調]十一月廿九日
      二百〓≪よんじゅう≫屯但馬庸[二百屯十一月八日 〓≪よんじゅう≫屯同月十九日]
      二百卅屯因幡庸[百屯十一月廿九日 百卅屯十二月二日]
     四百卅八屯院中賣  價錢廿六貫九百八十八文
      百七十八屯因幡庸 直錢十一貫七百〓≪よんじゅう≫八文[屯別六十六文]
      卅六屯但馬庸   直錢二貫三百〓≪よんじゅう≫文[屯別六十五文]
      百屯筑紫調    直錢六貫七百文[屯別六十七文]
      百廿四屯因幡商  直錢六貫二百文[斤(屯カ)別五十文]
    五百五十屯雜用料[国交]
     四百卅七屯雜工等衣服料
      六十八屯朝服料
      三百六十九屯衣服料[三四年<冬>衣服]
     廿二屯仕丁十一人養料[人別二屯]
     三屯堂天井倒蓮花々枚二百廿八枚押金薄
     廿四屯絞漆二石八斗六升四合料
     一屯八兩天井鏡三面磨料
     一屯八兩塞雜鑄物温口料
     八屯桴工八人頓給料
     五十三屯山作所司工五十三人頓給料
    殘六屯[越中]在院中檜皮葺正蔵

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内467頁~468頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)
     

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

 速袖八領[布]用廝仕丁等料
  櫛借七十二領[雜色袷]
  東裳一腰[給料□□□ 養□(優)婆夷]
  被卅<「*廿九」>一領[已上自内裏給出]
   二領白帛         一領赤帛  
   一領橡          廿七領布[一領細布 十六領調布 十領祖]
   用廿二<「*三」>領[大工并雜工等料]
   殘九<「*六」>領
    一領赤帛        一領橡
    七<「*六」>領布[四領調 三<「*二」>領祖]
  堂幌九條[自内裏給出]
   三條細布         六條祖布[已上殘]
  金靑九斤          朱沙六斤四兩
  同黄二斤六兩        烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
  白靑四斤十兩一分[四斤八兩自外嶋坊請 二兩一分買] 胡粉十五斤八兩[十斤八兩自外嶋坊請五斤買]
  緑靑百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進
                 「*七十九斤四兩二分」]
  白緑十五斤十三兩三分[買]  丹廿一斤[十六斤自外嶋坊少僧都所請 五斤文部省少録内蔵全成所進]
                    [「*七十八斤四兩二分黑錫大廿八斤二兩三分[給]」]
  靑黛三斤六         蘓芳卞二升[已上自内裏給]
  空靑□斤          紫土四兩[已上買]
  金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三兩打得]
  膠一百五斤         墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
                 [七十廷塗架後料]
                 [十二廷作雜公文料]
                 [卅一廷畫料]

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内477頁~478頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二板[各長一丈二尺 廣一尺]花五百六區[各方一尺]
     金靑一斤    白靑八兩三分 朱沙一斤二兩二分
     胡粉三斤五兩二分 同黄九兩一分 烟紫八十六枚
     紅靑十一斤四兩 白緑二斤三兩 丹一斤六兩二分<「*五十五斤二兩三分」>
     靑黛七兩二分  空靑十兩   卞三合
     金薄一千八十四枚  膠七斤  墨四廷
     (長方形前半抜け)□□板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
     (長方形前半抜け)□□□別坐□□□(長方形抜け)[各立髙一尺七寸]
      六十八□□□(長方形抜け)花一根[各髙三尺六寸]
     靑金一斤三兩  白靑三兩   朱沙十二兩一分
     胡粉十一兩   同黄三兩三分三朱 烟紫卅枚
     緑靑五斤六兩二分 白緑一斤十二兩三分 丹一斤三兩一分
     空靑六兩     卞三合       金薄四百五十枚
     膠六斤五兩    靑黛七兩      墨五廷
    □□□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 廣一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
     □(金)靑一斤十四兩二分 白靑四兩三分 朱沙十四兩
     □□□(長方形抜け)(胡粉カ)一分 同黄□□二分 烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
     緑□□□(長方形抜け) 白緑二斤六兩二分 丹二<「*六」>斤三兩三分
     金薄八十□□(長方形後半抜け)    (長方形前半抜け)□□□ 七兩 空靑十兩
     卞六合          靑黛八兩二分 墨五廷
    外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸]板別在花一根[各髙二尺]
     金靑二斤七兩  白靑十兩  朱沙十一兩三分
     □□□(胡粉カ)斤三兩  同黄二兩  烟子〓≪よんじゅう≫三枚
     □□□(長方形抜け)  白緑十兩
     (長方形前半抜け)□□□兩一分 空靑十一兩
         (長方形前半抜け)□□□花茎三百廿八根[々別三枚]
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内478頁~480頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

(紙端)
                 (長方形前半抜け)□□□墨六廷
       (長方形前半抜け)□□□[々別在花十二枚]
   (長方形前半抜け)□□□[径各二尺 廻各六尺]
   (長方形前半抜け)□□□迴天井花[實径一尺七寸 廻五尺八寸]
   (長方形前半抜け)□花枚二百廿八枚[六十枚各長二尺 廣一尺二寸 百六十八枚各長一尺七寸廣一尺]
    金薄一万六百九十二枚押花枚三百廿八枚料
    膠十三兩
(長方形前半抜け)□□□[各径二尺 廻各六尺]
              (長方形前半抜け)□□□兩 朱沙三兩
             (長方形前半抜け)□□□二分三朱
    烟子□□□(長方形抜け)緑靑六斤二兩
    白緑三兩□□□(長方形抜け)二兩    靑黛一兩三分
    空靑五兩□□□(長方形抜け)卞一合    膠八兩 墨三廷
  壁内隔上迴樂天廿八躯[各居髙二尺]
    雲形九十烟[各長二尺五寸 廣四寸]
       (長方形前半抜け)□□二兩   朱沙十四兩
          (長方形前半抜け)□□  同黄三兩一分
         (長方形前半抜け)□□兩  白緑十一兩
          (長方形前半抜け)□□  靑黛二兩
          (長方形前半抜け)□□  金薄五十六枚
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内482頁~483頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761)10月1日

記事

(紙端)
  五副畫像霊山浄土壹鋪[具佛臺 奉請坐法隆寺法師臨照]
  二副畫像補陀落山浄土壹補[具佛臺 奉請坐曽祢連□□]
  上宮王等身観世音菩薩木像壹躯[金薄押]
合経漆伯漆拾玖卷
    右、上宮聖徳法皇御持物[矣]、天平九(年脱カ)歳次丁丑二月廿日、藤氏皇后宮
    推覓奉請坐者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内510頁)(大和国法隆寺所蔵)

「造東大寺司告朔解」『正倉院文書』

撰述日

天平寶字六年(西暦726年)3月1日

記事

(前略)
  造香山藥師寺所別当弐人[主典正六位上弥努連奥麿 史生従七位下麻
                   柄勝比登全麿]
    単口陸伯四拾伍人[〓≪よんじゅう≫九人将領 卅三人自進 四百卅九人雜工  四
                 人雇夫 一百廿人 仕丁]
   作物
     押金薄仏光飛天菩薩卅三?  功五十八人
     押金薄仏光塔形一基     功七人
     着仏光一枚之玉形八百丸  功四人
     遷立仏光一枚          功〓≪よんじゅう≫四人
     押金薄脇侍菩薩寶冠緒三條   功三人
     押金薄同菩薩光二枚       功廿七人
(中略)
     書飛天菩薩四?御目髪并塗金青  功二人
     作延菩薩懸玉貫料銅筋廿六丈  功二十六人
     穿立菩薩光柱四根         功四人
     作仏光遷立麻柱         功廿六人
     遷立壇所辛碓一具       功六人
     修理金堂所葺凡         功〓≪よんじゅう≫三人
     作新釘七百五十隻[長三尺己下 二寸己上] 功廿八人
     奉守金堂并掃淨         功卅三人
     料理新工等食物         功六十人
     採温室湯涌料薪         功卅人
(中略)

出典

『大日本古文書』5(125頁~131頁のうち128頁~130頁)(『正倉院文書』續々修38帙9)

「造東大寺司告朔解」『正倉院文書』

撰述日

天平寶字六年(西暦726年)4月1日

記事

(前略)
木工所別当弐人[判官正六位上葛井連根道 主典正六位上弥努連奥麻呂]
  単口弐什壱伯壱拾弐人[二百卅八人将領 一千八十五人雇人 五百〓≪よんじゅう≫三人雑工五人調丁 二百〓≪よんじゅう≫一人仕丁]
  作物
   搆作東塔出廊材五十二物[柱并柱貫肬木之類]                功七十四人
   搆作食堂近廊材一百〓≪よんじゅう≫物[柱并柱貫鴨柄肬木之類]              功百七十人
   搆作同堂食堂材一百八十物[丸桁架之類]                  功二百〓≪よんじゅう≫八人
   作客房院塗垣                               功七十八人
   塗同院板殿白土                              功七十八人
   作同房間慶并棧                              功六十三人
   引治泉津材并荒作                             功八十六人
   作埴穴屋并塗壁                              功六十七人
   塗南西門白土                               功八十二人
   作敷西南門閾下白石                            功十五人
   作鉄釘并修理刃器二千六百七十物                      功百〓≪よんじゅう≫八人
   採間度二百十六枝                             功百八人
   採?一百卅八束                              功百卅八人
   採柴一百五十荷                              功卅人
   春?白土并赤土                              功百六十五人
   所ゝ山作所木守                              功六十人
   積収寺裏散材并掃浄                            功百十六人
   雑工等廝                                 功百廿五人
造瓦所別当弐人[判官正六位上葛井連根道 散位従八位下坂本朝臣上麿]
単口捌伯拾参人[五十五人将領 五百廿八人仕丁 二百卅人瓦工]
作物
   作瓦一万一千四百八十五枚                         功百卅五人
   打埴十三万七千八百斤                           功三百五十一人
   開埴穴并堀積埴                              功卅五人
   修理瓦屋三宇[別長八丈]                         功卅三人
   掃浄瓦屋四宇[一宇長〓≪よんじゅう≫五丈 三宇別長八丈]                功廿六人
   奉請弥勒観世音菩薩像二?珎努官                      功百廿八人
   雑工等廝                                 功五十人                               
造香山藥師寺所別当弐人[主典正六位上弥努連奥麻呂 史生従七位下麻抦勝全麻呂]
  単口捌伯四拾四人[八十五人将領 百〓≪よんじゅう≫八人仕丁 五百八十二人雑工廿九人雇人]
作物
   押金薄仏光一枚                              功百九人
   押着仏光飛天菩薩十七?                           功十四人
   捻作菩薩縵四枚                               功八人
   雕并捻作菩薩寶冠八枚                            功廿七人
   雕作菩薩懸玉十二枚                             功廿七人
   押金薄菩薩光順并懸玉                            功廿一人
   塗金青飛天菩薩十八?花仏十五?御髪                     功廿一人
   搆着菩薩六?光順                              功十八人
   作仏光麻柱                                功八十四人
   搆立仏光一枚                               功卅九人
   磨塗仏光一枚                               功〓≪よんじゅう≫二人
   磨塗菩薩懸玉                                功十七人
   搆作仏光二枚木綱                             功十人
   搆作菩薩光柱五枝                              功十人
   修理金堂瓦                                功〓≪よんじゅう≫五人
   作新釘一千二隻[長三尺以下二寸己上]                   功五十六人
   作菩薩懸玉緒料銅?十七條                          功十七人
   雑工等廝                                 功六十人
   掃浄工壇院                                功八人
   金堂守并供養造仏所                            功廿四人
   供奉藥師悔過所                              功六十三人
  官人上日
   長官正四位上坂上忌寸犬養            上日拾伍
     正六位上志靡連麻呂              上日弐拾捌  夕七
     正六位上阿刀連酒主              上日弐拾七  夕弐拾四
     正八位上安都宿祢雄兄             上日参拾   夕弐拾
以前、三月中作物、并雑工等散〓≪人偏+口+又≫、及官人上日、具件如前、謹解、
                  天平寶字六年四月一日主典従六位上阿刀連酒主
長官正四位上兼左勇士誉坂上忌犬養       判官外従五位以下上毛野抗真人  
次官正五位以下国中連[假]             判官正六位上葛井連根道
                                主典正六位上弥努連
                                主典正六位上志斐連麻呂
                                主典正八位上安都宿祢 雄兄

出典

『大日本古文書』5(188頁~195頁のうち190頁~195頁)『正倉院文書』(續修35)

「造石山院所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦726年)12月29日

記事

(前略)
土工壱伯七拾人[司工九十四人 雇工七十六人]
   塗殿六宇
    仏堂一宇[木間下塗中塗 壁十四間内外中塗] 工六十四人
    僧房四宇
      一宇[木間下塗 壁七間内外下塗]       工四「*七」人
      三宇[木間下塗 壁十九間内外下塗]     工七十八「*五」人
    経蔵一宇[木間下塗 上下階壁廿六間内外中塗] 工十五人
  仏堂南宇木間七間塗白土  工二人
  白土取遺滋賀郡真野村   工六人[三箇日単]
  事畢奈良返向         工一人
(中略)
仏工伍拾捌人[院三綱所遷受以来役単]
   捻菩薩并神王御座[長三丈 廣一丈二尺]
   捻神王二躯[各高六尺]
   画工壱伯陸拾四人[司工九十三人 雇工七十一人]
     奉彩色捻観世音菩薩一躯[高一丈六尺] 工九十四人
     彩色神王二躯[各高六尺]
     彩色菩薩并神王御座着礒形一條[長三丈 廣一丈五尺]
   押金薄工陸人[雇工]
     奉押金薄菩薩宝冠一具
   漆工壱人[雇工]
     花漆塗同宝冠一具
   散役壱萬弐參仟「*貳千玖伯」【貳伯拾貳人】【「*漆拾參」】「*參拾貳人」
     不役二百廿二人
      木工卅三人[十四人病 八人同心假 十一人請衣服向奈良]
      鉄工六人[五人病 一人請衣服向奈良]
      仕丁一百八十三人[廿人田上山作所 三人甲賀山作所
                   百六十人兄庭作所 並病]
   見役一万二千九百【九】「*七」百【九】【「*五」】十【「*一」】人
     僧一百八十人[依大僧都宣信楽買板殿二宇料材自筑紫藤原殿運夜〓≪さんずい+頁≫潮夫等領    「*本所」]
              [「*右依僧大僧都宣信楽買板殿二宇料自筑紫先師藤原殿運漕夜?潮夫等領」]
     官人一百廿一人
     長上一百十五人
     案主一百九十九人
     舎人一千一百〓≪よんじゅう≫三人
(中略)
     土工一百七十人[司工九十四人 雇工七十六人]
       六十四人塗仏堂一宇  二人仏堂塗南宇木間白土
       十五人塗経蔵一宇    八十二人塗僧房四宇
       六人滋賀郡真野村白土取遺[三箇日単]
       一人事畢返向奈良
     鉄工一百廿一人
       〓≪よんじゅう≫五人作新釘二千六百〓≪よんじゅう≫二隻 五十七人作鉄物二百六物
       十九人修理新刃器等
     仏工五十六人
       〓≪よんじゅう≫八人〓≪土偏+念≫礒坐
     畫師一百六十四人[司工九十三人 雇工七十一人]
       九十四人奉彩色菩薩像  〓≪よんじゅう≫六人彩色神王
       十四人彩色磯
    押金薄工六人[雇工] 押菩薩寶冠金薄
    漆工一人[雇工] 塗同寶冠花漆
    堂童子五十六人[奉彩色菩薩所新使]
(中略)
       三千五百九十六人兄挺作夫[仕丁九百廿七人 御輿四人 雇夫二千六百六十五人]
         三百九十二人作仏堂一宇
            九十三人堂所土堀平并北方塀堀土運捨
            廿八人壁桟  九人麻柱作
            一百卅三人壁料土作運并壁下塗
            卅人中塗料黄土自瓦(屋脱カ)以南運院川津
            六十七人同黄土自川津運并作打
            十八人白土十三石取遺滋賀郡真野村[三箇日単]
            四人白土春〓≪草冠+師≫作
            十人赤土春〓≪草冠+師≫作
(中略)
         六十四人作信楽買五丈一宇[廿六人柱穴堀 卅八人運肌倚枝等]
         五十三人作国師奉入三丈板殿一宇[五人麻柱 〓≪よんじゅう≫八人運衣倚枝]
         卅二人作五丈黒木借板屋三宇[柱穴堀地平壁并]
         九十四人古板屋八間遷竪并地平[七宇院中竪 一宇庄中]
         廿二人修理板古屋等
         六百十一人仏堂北岸土堀運捨
         九人壇殿一宇壊収
         十三人屏政所廻垣百五十丈[人別十一丈]
         五十九人焼和炭七十八斛七斗[廿三人々別一石三斗四升 卅六人々別一石三斗三升]
         二百卅五人作院北山川副道一條[長五百七十八丈 廣六尺人別二丈五尺]
         一百卅八人採黒木六百十六物[柱桁古万比間度等類]
(中略)
以前、起天平寶字五年十二月十四日、畫六年八月五日、請用新物并作物及
散役等如件、以解、
             天平寶字六年閏十二月廿九日案主下
                             別當主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』5(335頁~354頁)(『正倉院文書』續修後集43裏書)

「造東大寺司告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)1月3日

記事

(中略)
造香山藥師寺所別當二人[史生従七位下麻柄滕毘登全麻呂 左大舎人正七位下玉手朝臣道兄]
   単功四百五十四人[六十七人将領 二百卅三人新工 八十七人仕丁 六十七人自進]
   作物
     押金薄藥師佛侠侍菩薩寶冠八具[各高一尺四寸 廣一尺二寸]功十六人
     押銀薄同侠侍菩薩寶冠月形四枚[各径七寸]
       順六十枚[長二尺三寸己下一尺九寸己上 一寸己下四分己上]功十人
    彫作并押金薄飛天菩薩寶冠十六具  功九人
    搆着侠侍菩薩寶冠八具         功廿五人
    塗金青侠侍菩薩五躯御髪       功三人
    塗丹同菩薩光柱十一根[各長一丈三尺 径六寸]功十一人
    搆作佛光一具木縄二枝        功六人
    作佛菩薩眉間玉形廿一丸       功七人
    作佛一躯菩薩十一躯麻柱       功八十六人
    解治佛四駆菩薩十躯麻柱       功〓≪よんじゅう≫五人
    作菩薩并神王料釘五百廿隻[長二尺己上 一寸己上] 功廿九人
    採柴〓≪よんじゅう≫荷                  功八人
    作政所院柴垣廿丈            功六人 
    掃浄守壇院                功廿九人
    駈使奉造丈六像所            功廿九人
    料理新工食物并採薪           功五十八人
(後略)

出典

『大日本古文書』5(375頁~383頁のうち379頁~380頁)(『正倉院文書』)(續修別集33)

「金光明寺造物所告朔解案」『正倉院文書』

撰述日

天平18年(西暦746年)11月1日

記事

(紙端)
   塩漆〓≪豆偏+斗≫陸升壹合陸[七升一合六夕去月殘六斗九升月中所謂]
     用伍豆壹升參合貳夕[仏師已下銅工已上人別六夕舎人已下優婆夷以上人別二夕]
(紙端)
(紙端)
     残貳豆肆升捌合肆夕
   芥子壹豆[月中所謂]
     用伍仟伍合參夕[仏師已下金薄工以上人別一夕]
     殘肆升肆合漆夕
  海藻壹佰肆拾漆斤伍兩[十七斤五兩去月所謂一百卅斤月中所謂]
   用壹佰陸斤壹兩[仏師已下金薄工以上別二兩木工已下優婆夷已上別一兩]
   殘肆拾壹斤肆兩
  生菜直錢參貫參佰陸拾肆文[一百六十文去月殘三貫二百四文月中所謂]
   用貳貫玖拾捌文[仏師已下金薄工以上四百九十六人々別四文校生五十七人々別二文]
   殘壹貫貳佰陸拾陸文
以前、起十月一日、迄廿九日、用物并所殘、勘注申送、以解、
          天平十八年十一月一日史生大初位上田邊史
(後略)

出典

『大日本古文書』9(300頁~301頁)(『正倉院文書』續々修37帙1裏書

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
   十月一日上了[収水主]
    廿八日充淺綠金敷紙八十八張[寫十二仏名經等類三卷料]受忍人[収水主]
  十月十二日胡桃紙一千[受能登忍人] 出充生人
[「(異筆)以五年十一月八日繼打界上 収呉原生人」]
     金薄敷綠紙三張[充忍人 六十花嚴料者依大藏判官宣用]
      右、十二仏名經等表紙料 且充如前、   知生人
     金敷綠紙二張[六十花嚴料]
      右、依大藏判官宣 爲十二仏名經等表紙 所如前、
                     十一月廿八日他田
     金敷綠紙五百五十張[六十花嚴料] 受忍人
五年五月廿九日上二百張[収生人] 十二月九日呉原生人
     檀紙六百八十六張[〓≪よんじゅう≫九卷藥師經料] 受能登忍人
                     十二月十八日呉原生人
     銀薄敷淺綠紙〓≪よんじゅう≫張[弥勒經三卷「*七部」藥師經一卷「*七部」]受能登忍人
                     十二月十八日呉原生人
     縹紙廿五張[〓≪よんじゅう≫九卷之藥師經表紙料] 受能登忍人
                     十二月廿三日上馬甘

(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内519頁~520頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
  勝寶五年正月十三日充金薄敷縹紙五張[最勝王經一部之表紙料「*七部」]受能登忍人
                                                知上馬甘
   二月八日充靑褐金薄紙二百十張[最勝王經一部仁王經一部料]     受能登忍人
   以三月十五日造上如先員[収生人]                       知上馬甘
    又同日充滅紫紙八十張[解深蜜經一部料]                 受能登忍人
    [依先員、造上如前]                               知生人
    廿五日充深紅紙百十五張[楞伽經一部料]    受能登忍人 上馬甘
    以六月廿七日造上百十三張[一張用法花品所欠 又一張充竹志]   収上馬甘
   三月八日充靑褐紙六十張[六十花嚴料 造上如員]  受能登忍人 上馬甘
     十五日充麻紙一千九十二張[法花經八部 无量義(經脱)八卷料] 受春日虫万呂
(中略)
   廿六日充麻紙一千六百張[法花經并无料義經料]             受能登忍人
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内520頁~521頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
    四月六日打界上廿卷[春日虫万呂]収生人 又同日上五十二卷[春日虫万呂]収上馬甘
     又同日充九十五張  受春日虫万呂  上馬甘
     以八日打界上了[収馬甘]
     同日充黄紙七十二張[十六部法花經表紙料]受春日虫万呂 呉原生人
   七月九日金薄敷紫紙伍張[綠紙花嚴表紙料] 受能登忍人 檢充呉原生人
    十一日紫紙二張[心經表紙料] 受能登忍人  呉原生人
    十六日色紙八十張[觀世音經料] 受川原繼万呂 呉原生人
    十七(日脱)色紙八十張[觀世音經料]受小治田人君 山部針間万呂
   八月七日靑褐紙壹伯陸拾張[法花經一部料] 受能登忍人
    十七日充靑褐紙〓≪よんじゅう≫張[受能登忍人] 呉原生人 上馬養
    以十九日繼打界上了[収上馬甘]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内522頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
    廿八日穀紙一千五百五十張[大尼<師>願八十花嚴料之中五十張端繼料]
    以九月二日造上三百張[収馬甘]又四百六十張[収馬甘]呉原生人
  九月二日充紅紙〓≪よんじゅう≫張[趣理經一卷料]呉原生人 上馬養
   七日充滅紙紫六張[解深密經料者]受能登忍人 呉原生人
(中略)
   以十月十六日造上八十張[収馬甘]呉原生人 上馬養
   廿九日充深紅紙十三張[楞伽經料]受能登忍人 上馬養
   以十月一日打界上了[収上馬養]
  十月十二日充紫紙廿二張[今帝御 願雜經之表紙料]受能登忍人
              知上馬養
   四日充敷金薄滅紫紙百五十三張[寶星陀羅尼經一(部脱)料欠四]受能登忍人
                                呉原生人
   以十六日造上如員[収上馬甘]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内523頁~524頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
(紙端)
                      上馬甘
                      呉原「(自著)生人」
  九月八日納漆牀六前
    右、自造物所齋來如前、
                   収呉原生人
   廿四日納朱沙三兩 金靑四兩 白靑一兩 丹四兩 同黄一分
    白緑一兩 胡粉十兩 紫土五兩 膠廿兩 烟子四枚[中]
     右、爲奉造七仏藥師像、納如前、
                 受呉原    上馬甘
   廿五日納緑靑十兩 金薄壹伯枚 銀薄伍拾枚
                   受呉原生人
   廿六日納丹二兩 白靑一兩 白緑一兩
                   受呉原生人
   廿七日納金薄廿枚
               受呉原生人 上「(自著)馬甘」
   廿八日納金薄貳拾枚
                   受上馬甘
   廿九日納烟子六枚[小]
                   受上馬甘

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内390頁~392頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月5日

記事

   廿五日納 黄〓《あしぎぬ》八返[帳二條料納志貴]布五端[帳料検入志貴]雜香二兩
     帛〓《あしぎぬ》四丈[巾料]金薄百廿三枚之中[六十枚方二寸三分六十三枚者方二寸]
     韋一枚[方八寸]〓《あしぎぬ》四尺 木履廿兩 麻繩五了
     被八〓《雨冠+復》[五帛三布 「(異筆)並請」〈「(異筆)検入志貴咋万呂」〉]長疊七枚[不着]蓆七枚
     〓《行書体》一合 油一升

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内240頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「書寫所雜物請納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月17日~4月25日

記事

  廿九日緑靑三斤   生羂(絹)二尺 布綱一条[長八尋]
     白布帳一条[四副 納志貴]綿二屯 金薄百枚 韋一枚[廣四寸長八寸]
     靑代二兩

出典

『大日本古文書』12(238頁~242頁の内241頁)(『正倉院文書』續々修44帙2)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日

記事

合綵色料十三種
朱沙二兩  金靑三兩  白靑二兩二分  同黄二分
胡粉【六】七兩三分[盡用] 丹六兩 大烟子〈十【六】〉三枚〈【十】三小〉[大盡用] 金薄七〈八〉十五〈三〉枚[盡用]
已上【銀薄五枚】見送
緑靑三兩[直卅文盡用]白緑一兩二分[六文盡用]紫土一兩二分[六文盡用]
銀薄十二〈七〉枚[廿四文盡用]膠九〈十四〉兩[廿七文盡用]合九十三文
  右奉造僧慎〓《人偏+尓》耶藥叉大將像一鋪料如前
又請胡粉一兩 【白靑二分】 烟子[十三小 八枚] 膠四兩
銀薄五枚  金薄五枚 烟子五枚[小] 膠一兩
白靑二分[市]
金薄三枚[受馬甘]
以前奉造藥叉〈僧慎〉【大將像】并大弁才天〈女〉像之料所殘如前
所殘丹返上政所[検受上毛野判官藏人下道主]     

出典

『大日本古文書』12(252頁~254頁の内253頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

請丹合十【二】三種
  緑靑一斤   白緑二兩   丹十兩
  同黄一分   烟子九枚   胡粉一斤
  金薄三百枚  金墨半分   銀墨半分〈膠三斤八兩〉[已上九〈十〉種並盡用]
  金靑十四兩[用十一兩二分殘二兩二分] 朱沙五兩[用四兩三分四朱殘二朱]
  白靑十二兩[用八兩二分殘三兩二分]

出典

『大日本古文書』12(254頁)(『正倉院文書』續修29)

「阿彌陀浄土圖彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

阿弥陀浄土一鋪[三副]高八尺
可用白〓《あしぎぬ》二丈四尺 「(追筆)【商】〈祖〉布一丈[縁料]苧太一斤」
  金靑三兩 洙〈朱〉沙二兩 胡粉四兩  白靑四兩
  緑靑四兩 同黄一分 丹三兩   中烟子六枚
  白緑一兩 紫土一兩 金薄一百枚 阿膠一斤
  炭二石  「(追筆)單五十人[日別六十文]
又【懷温石借】事   

出典

『大日本古文書』12(256頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

 藥師像壹?    千手千眼〓《ボサツ》一躯
妙見〓《ボサツ》一躯[並彩色者]
可用珠(朱)一兩   金靑三分    白靑三分
   緑靑一兩二分 丹二兩     胡粉二兩
   紫土一兩   中烟子四枚   金薄〓《よんじゅう》枚
   銀薄十枚   阿膠十兩    同黄三分
   白緑一兩二分
  畫師一人  單十二日   

出典

『大日本古文書』12(256頁~257頁の内257頁)(『正倉院文書』續修別集34裏)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十月廿一日自内裏來金薄敷緑〈紙〉貳伯玖拾伍張[六十花嚴料 先請一百九十七張之類者 納漆韓櫃着足一合无鎖]
                     收呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内335頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

五年正月十二日自政所受金薄敷縹〈紙〉十張[七部雜經等表紙料且納者]
                     收上馬甘
「尼乾子料百七十八張    〓《木偏+曼》〈楞〉伽料百十五張」(裏書)

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内336頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

七月六日納金薄敷紫紙參拾貳張[三十張緑紙花嚴經表紙料 二張心經二卷料之中一卷銀墨色深者]
                   受呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内339頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

 十一日金薄敷紫紙二張[心經表紙并奥繼料]
                   受呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内339頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十月四日納金薄敷滅紫紙壹伯伍拾參張[欠四張]
  右依錦部命婦天平勝寳五年十月一日宣寳星陀羅尼經將奉寫料

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内342頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

又納敷金薄紫紙貳拾肆張[二張六十花嚴表紙進内裏之代 廿二張今帝 御願雜經等表紙者]
  右依錦部廣敷宣可用雜經表紙
                呉原生人 上馬甘

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内342頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「七部經色紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)8月7日

記事

合色紙八百六十張
  金薄敷靑紙百〓《よんじゅう》七張
   右可用八卷金光明經一部料
  金薄敷白紙□□□(長方形抜け)張
   右可用法花經一部理趣經一卷料
  金薄敷滅紫紙百七十九張
   右可用最勝王經一部料
  銀薄敷紅紙□□□(長方形抜け)
   右可用十輪經一部料
  銀薄敷淺緑紙〓《よんじゅう》六張
   右可用弥勒經一部藥師經一卷料
可遺百八十二張
  靑褐紙百八十張[卅八張敷金銀薄 卅三張敷銀薄 百九張无敷物]
  縹紙二張[敷銀薄]
           天平勝寳四年八月七日

出典

『大日本古文書』12(350頁~351頁)(『正倉院文書』續々修38帙3裏)

「寫書所食口」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)3月29日

記事

寫書所解 申三月食口事
合單玖拾陸人
  畫師貳拾伍人
   三人界大仏御産(座カ)   二人界銀花盤
   廿人押金薄木花盤
  舎人肆貳人
   十一人造公文紙      八人遣使
   五人供奉礼仏       十八人雑使
  仕丁貳拾玖人
   十五人廝        十人浄
   四人雑使
以前 起三月一日 盡廿九日 食口如前 以解
            天平勝寳九歳三月廿九日上村主

出典

『大日本古文書』13(212頁~216頁の内215頁~216頁)(『正倉院文書』続修14裏)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月

記事

(前略)
米貳伯陸〈「漆」〉拾捌〈肆〉斛捌〈参〉■[白一百卅三(五)石二(七)斗五升 黒一百卅五石五斗五升]
(中略)
  押金薄工六人「料」[雇工 別二升]   漆工一人「料」[雇工【二升】]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(232~252頁のうち246~248頁)(『正倉院文書』続々修45帙5裏)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月

記事

(前略)
塩肆〈「斛」〉貳升捌合捌夕[四升九合六夕 御鏡鋳料自内裏給出 六斗自院三鋼所進 三石三斗七升九合二夕買]
  盡用三石八斗二升六合四夕常食料
    官人長上案主舎人堂童子雇少子雇女并一千七百八十六人[別二夕]
    仏工畫師木工檜皮葺工土工■工押金薄工漆工■工仕丁雇夫
    正丁并八千六百七十三人[別四夕]
  二斗二合四夕漬芹五十一圍料[圍〈「別」〉四合] 
(後略)

出典

『大日本古文書』16(232~252頁のうち249~250頁)(『正倉院文書』続々修45帙5裏)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月

記事

(前略)
滑海藻参伯陸拾参斤拾貳両
 二百五十斤請奈良[百斤五年十二月十四日 百斤六年二月七十日]
 十三斤十両 御鏡鑄料自内裏給出
 一百斤二両[買]
 仏工畫師木工檜皮葺工■工押金薄工漆工并二千九百十人【料】[人別二両]
 雇夫正丁二千六百廿四人[々別一両]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(232~252頁のうち250~251頁)(『正倉院文書』続々修45帙5裏)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月

記事

(前略)
酢陸■伍升請奈良[一斗五年十二月十四日 一斗六年正月 三斗三月 一斗五升六月]
 用盡仏工畫師木工土工■工押金薄工漆工檜皮葺工六十六人并三千
 二百五十人料[人別二夕]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(232~252頁のうち251~252頁)(『正倉院文書』続々修45帙5裏)

「造金堂所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)

記事

(前略)
造金堂所解 申請用銭并雜物等
合銭一千六百十二〈■九〉貫九〈七〉百五〈十〉十四〈三〉文
(中略)
三貫百廿文金泥工七十六人功[四人別■二文 七十二人別■一文]
(中略)
九貫四百一文金工二百卅九人功」
八百一文熨金工廿四人功[九人別卅四文 十五人別卅三人]
八貫六百文打金薄工二百十五人功[人別■文]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(290~305頁のうち293頁)(『正倉院文書』続修35)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
□□□(長方形前半抜け)新九□□□(長方形抜け)拾玖□□□(長方形抜け)拾領
□□□(長方形抜け)肆拾壹領[二領紫綾袷 四領紫單臂 □□(拾壹カ)領紫羅 一領臈纈 十九領緋臈纈〓≪あしぎぬ≫ 四領黄臈纈生〓≪あしぎぬ≫]
襖子拾領[四領浅緑綾 六領浅緑〓≪あしぎぬ≫]金銅銭革帯拾捌条[四条在〓≪巾偏+蝶の旁≫(マヽ)攝 十三条无牒攝 小一条木銭押金薄]
【綾冠□□(長方形抜け) 〓≪巾偏+蝶の旁≫笠貳頭 帽子冠飾肆頭 止利冠参頭 作頭貳口】
  補襠□□(長方形後半抜け)
【督幡□□(長方形抜け)[□□(長方形抜け)四足 勒肚巾四条 □□□(長方形抜け)壹条】靴拾<玖>両[□付九月 □□□(長方形抜け)]
              本三綱目代□(僧)「勝行」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち587頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「造仏所作物帳(?)断簡(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)(類収・年月日闕)

記事

   苧一斤九両[雑物〓(様カ)結料]
   紙廿八張[雑物形作料]
   〓≪石偏+弖≫□(一カ)顆[雑物磨料]
   青〓≪石偏+弖≫一顆[雑刀子等磨料]
  緑青洗料□(用カ)物
   〓≪あしぎぬ≫二尺[篩料]
   商布四尺[巾料]
   紙□□□(長方形抜け)(張カ)[緑青裏料]
   膠六斤[湯和合料]
   炭三百九十斤[湯作料]
  □(彩カ)色□□□(料用物)
   苧一斤六両[雑用料]
   紫土小三斤四両[雑用料]
   胡麻□(油)□升[紫土作料]
   石灰一斗二升
   炭ニ百六十斤[膠解温料]
  石炭壁料用物
   石炭六斛[塗壁十間、々別高七尺広一丈]
   商布一段一丈二尺[冠布〓≪代+巾≫等料]
   〓≪金+截≫□□□(斤八カ)両 [石炭春舟釘廿六隻料二斤六両 壁辺固木釘六十隻料□斤二両]
  金薄打料用物
   練金小一百五十三両[々別打得金薄六段]
   麻紙一百五十張[金薄打料]
   移紙□□百卅八張[々別裁移紙卅二枚]
   〓≪あしぎぬ≫一匹一丈三尺[五十三尺金薄打調度]
   糸三両[金薄束治料]
   □□□□(温石カ)[金薄打調度]
   □□□(長方形抜け)[麻紙煖料]
   石灰八斛[練金下料]
  □所用物
   紙一千九百〓≪よんじゅう≫八張[公文并雑用料]
   筆八十□(六カ)箇[鹿毛]
   □□□(長方形抜け)(墨)廷(丸墨)
   □□□(長方形抜け)[経櫃、玉幡櫃五、灌頂 □□□(長方形抜け)合布綱料]

出典

『大日本古文書』24(38頁~41頁)(『正倉院文書』塵芥26)

「後一切経料雑物下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字4年(西暦760)5月5日

記事

 五日下糯米一石伍斗[沽料]又白米壹石[金薄工料借用]
      [主典安都宿祢  史生下道]「(自署)福麻呂」領小治田「(自署)年足」

出典

『大日本古文書』25(271頁~300頁の内299頁)(『正倉院文書』続々修39帙1裏)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

(前略)
二匹八尺七寸雑用料[一匹八尺帛 一匹生〓≪あしぎぬ≫]
 二丈五尺八寸金薄打料

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内310頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

用一千五百五十八屯
(中略)
 五百五十屯雑用両[国交]
  四百卅七屯雑工等衣服料
   六十八屯朝服料
   三百六十九屯衣服料[三四年<冬>衣服]
  廿二屯仕丁十一人養料[人別二屯]
  三屯堂天井倒蓮花ゞ枚二百廿八枚押金薄
  廿四屯絞漆二石八斗六升四合料
  一屯八両天井鏡三面磨料
  八屯桴工八人頓給料
  五十三屯山作所司工五十三人頓給料

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内315頁~316頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

金青九斤                     朱沙六斤四両
同黄二斤六両                   烟紫三百六十五枚[中 已上自外嶋坊少僧都所請]
白青四斤十両一分[四斤八両自外嶋坊請 二両一分買] 胡粉十五斤八両[十斤八両自外嶋坊請 五斤買]
緑青百五斤[百斤文部省少録内蔵全成所進]
白緑十五斤十三両三分[買]             丹廿一斤<「*九十九斤四両二分」>[十六斤自外嶋坊少僧都所請 
                                           五斤文部省少録内蔵全成所進
                                          「*七十八斤四両二分黒蝋大廿八斤二両三分〔給〕」]
青薫三斤六(ママ)                 蘇芳変二斤[已上自内裏給]
空青□斤                     紫土四両[已上買]
(ママ)金薄一万七千八百五十枚[練金〓≪よんじゅう≫三両打得]
膠一百五斤                    墨一百十四<三>廷[中品二廷 下品百十二廷 已上買]
 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

 用                         [七十廷塗架後料 十二廷作雑公文料 卅一廷画料]
   彩色宗屋天井板〓≪よんじゅう≫二枚[各長一丈二尺 広一尺]花五百六區[各方一尺]
    金青一斤   白青八両三分  朱沙一斤二両二分
    胡粉三斤五両二分 同黄九両一分 烟紫八十六枚
    緑青十一斤四両  白緑二斤三両 丹一斤六両二分<「*五十五斤二両三分」>
    青薫七両二分   空青十両   変三合
    金薄一千八十四枚 膠七斤    墨四廷  
    □□(長方形抜け)板一百卅四枚[百廿六枚各長四尺 八枚各長一尺七寸]
    □□□(長方形抜け)別坐飛□□□(菩薩像カ)[各立高一尺七寸]
     六十八□□□花一根[各高三尺六寸]
    青金一斤三両  白青三両  朱沙十二両一分
    胡粉十一両   同黄三両三分三朱 烟紫卅枚
    緑青五斤六両二分 白緑一斤十二両三分 丹一「*四」斤三【斤】両一分
    空青六両     変参合     金薄四百五十枚 
    膠六斤五両    青金七両    墨五廷
    □□(長方形抜け)天井板二百六十二枚[各長一丈四尺 広一尺]花三千二百八十八區[各方六寸]
    □(金)青一斤十四両二分 白青四両三分 朱沙十四両
(後略)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内326頁~327頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□□(長方形抜け)(胡粉カ)八両一分 同黄□両二分   烟紫〓≪よんじゅう≫九枚
    緑青□□□(長方形抜け)       白緑二斤六両二分  丹二<「*六」>斤三両三分
    金薄八十□□(長方形後半抜け)     □□□(長方形抜け)斤七両 空青十両
    変六合               青薫八両二分       墨五廷
   外修理板三百廿八枚[三百廿枚各長二尺五寸 八枚各長一尺五寸] 板別在花一根[各高二尺]
    金青二斤七両          白青十両          朱沙十一両三分
    □□(胡粉カ)八斤三両      同黄二両          烟子〓≪よんじゅう≫三枚
    □□□(長方形抜け)                     白緑十両
    □□□(長方形抜け)両一分                  空青十一両
    □□□(長方形抜け)                     □花茎三百廿八根[ゝ別三枚]
(紙端)
    □□□(長方形抜け) 墨二廷
    □□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内328頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    金青七両  白青□□□(長方形抜け)両
    胡粉一斤五両一分
    烟子□枚  緑青四斤四□□□(長方形抜け) [「(追筆)膠廿五斤」]
    丹一<「*四」>斤十四両三分  □□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)六両  □□(長方形抜け)
(紙端)
       □□□(長方形前半抜け)  墨六廷
     □□□(長方形前半抜け)[ゝ別在花<枚>十二枚]
    □□□(長方形抜け)[□(実カ)〓≪人偏+坙≫各二尺 廻各六尺]
    □□廻天井花[実〓≪人偏+坙≫一尺七寸 廻五尺八寸]
    花枚二百廿八枚[六十枚各長二尺 廣一尺二寸 百六十八枚各長一尺七寸 廣一尺]
   金薄一万六百九十二枚押花枚三百廿八枚料
   膠十三両

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内330頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「造寺雑物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字5年(西暦761)月日?

記事

    □□□(長方形抜け)[各〓≪人偏+坙≫二尺 廻各六尺]
    □□□(長方形後半抜け) □青二両  朱沙三両
    □□□(長方形後半抜け)  □□□(長方形前半抜け)二分三朱
    烟子□□(長方形抜け)   緑青六斤ニ両
    白緑三両         □□(長方形抜け)二両     青袋(薫)一両三分
    空青五両         変一合            膠八両「(追筆)墨三廷」
   壁内隔上廻楽天廿八躯[各居高二尺]
    雲形九十烟[各長二尺五寸 広四寸]
           □□□(長方形前半抜け)二両        朱沙十四両     
             □□□(長方形前半抜け)        同黄三両一分
            □□□(長方形前半抜け)両        白緑十一両
            □□□(長方形前半抜け)         青袋(薫)二両
            □□□(長方形前半抜け)         金薄五十六枚

出典

『大日本古文書』25(307頁~331頁の内331頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦6年(787)6月26日

記事

銅鉢四口[元盛沙金、今空]
屏風二帖[謳揚春真跡書]           又二帖[王義之諸牒書]
花氈六十七枚[天平宝字三年四月廿九日、装束御齋曾堂料出]
繍線鞋八両                 紫糸結鞋一両
緋糸〓≪狭の旁を偏に+りっとう≫納鞋一両  銀薫爐一合
銀平脱〓≪木偏+流の旁≫箱一合[盛琴笙琵琶等絃、]
〓≪王偏+毎≫瑰箸二雙           青斑鎮石十廷
金薄綵絵木鞘大刀子一口

出典

『大日本古文書』25附録(11頁~33頁の内31頁~32頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
   御書廿五巻                   記書五巻
   御袈裟九領                   人勝二枚
   念珠四具[一水晶 一琥珀 一紫瑠璃 一紺瑠璃]  銅鉢四口
   〓≪王偏+毎≫瑰箸二雙             御礼服冠三箇
   御凡冠一箇                   御帛袷袍一領
   襖子二領[一絮錦 一袷]             汗衫一領
   褶一條[羅襴]                  袴一腰[絮綿]
   常一條                     袷〓≪こざと偏+業≫子二條[各二幅]
   帛綾袷袍一領                  単衣一領
   絮錦褶一腰[羅襴]                単〓≪こざと偏+業≫子一條[二幅]
   青両面褥一床                  緑〓≪あしぎぬ≫三副帳一條
   白練綾大枕一枚                 御軾二枚
   紫檀木画〓≪狭の旁≫纈軾一枚          御床二枚
   御畳二枚[錦端]                 金薄綵絵木鞘大刀子一口

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁~35頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第廿二櫃収納
    白練綾大枕一枚    御軾一枚
    紫檀木画来纈一枚   金薄綵絵木鞘大刀子一口   
    人勝二枚

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・48頁)(『正倉院御物出納文書』)