銀薄

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
   金薄二百三十三枚
   銀薄十四枚
   鏡七面
   水精玉十五枚
   琥碧玉廿三枚
   琉璃雑色玉廿四万三千五百九十枚
   真珠四千三百七枚
   石玉六枚
   鈴玉九十六枚
(後略)

出典

『大日本古文書』1(571~581頁の内575~576頁)(『正倉院文書』続修34)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

 七月廿九日用浅緑敷銀薄紙六張[最勝王経并仁王経表紙料]
                     収他田水主
 八月七日納色紙漆伯漆拾捌張
     金薄敷青褐紙百四十七張[八巻金光明料]金薄敷白紙二百六張[法花経并理趣経料]
     金薄敷滅紫紙百七十九張[最勝王経料]銀薄敷紅紙二百張[十輪経料]
     銀薄敷青褐紙四十六張[弥勒経并薬師料]
      右為奉寫八巻金光明経一部 法花経一部 最勝王経一部
      十輪経一部 理趣経一巻  弥勒経一部 薬師経一巻料
                     収呉原生人 他田
   十二日納縹紙三十二張[三嶋宗方万呂奉寫六十花厳経一部表紙料従内裏所請者]
                     収呉原生人
   十三日納凡紙廿七[七部経端継料]
   十四日自内裏納紙三百九十九張
     麻紙二百張[寫八十花厳経第二帙料]
     檀紙伯九十九張
      右依善光尼師宣為故信勝尼師奉寫法花経一部
        奉宣大蔵判官
                     知他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内594頁~595頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

二月五日納紅紙十七張[敷銀薄]
        右七部之内十輪経所欠料者
                       上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内603頁~604頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)3月3日

記事

政所符 繪所領等
  白緑廿三斤十兩二分   同黄十三斤五兩一分
  胡粉七斤十兩[唐]   丹二百九斤三兩二分
  銀薄四百〓≪よんじゅう≫枚      金薄三百七十五枚
  膠十八斤六兩      墨四廷[三廷唐 大一 小二 一廷鹿角小]
  烟子百六十枚[中]   金靑廿斤
  藍花壷并五斤[大]   白靑十一斤六兩三分五朱
  朱沙十斤六兩二分三朱  同黄十三斤三兩
  鹿毛一斤[小]     辛櫃二合[一合在鎖子]
   右、彩色大仏殿廂之天井并須理等板料、下充如件、冝〓≪様の旁≫知此状、到奉行、
次官高麗朝臣          判官川内恵師
                 主典美努連 奥 万 呂
            天平寳字二年三月三日

出典

『大日本古文書』4(262頁~263頁)(『正倉院文書』続修43)

「造東大寺司告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)1月3日

記事


(中略)
造香山藥師寺所別當二人[史生従七位下麻柄滕毘登全麻呂 左大舎人正七位下玉手朝臣道兄]
   単功四百五十四人[六十七人将領 二百卅三人新工 八十七人仕丁 六十七人自進]
   作物
     押金薄藥師佛侠侍菩薩寶冠八具[各高一尺四寸 廣一尺二寸]功十六人
     押銀薄同侠侍菩薩寶冠月形四枚[各径七寸]
       順六十枚[長二尺三寸己下一尺九寸己上 一寸己下四分己上]功十人
    彫作并押金薄飛天菩薩寶冠十六具  功九人
    搆着侠侍菩薩寶冠八具         功廿五人
    塗金青侠侍菩薩五躯御髪       功三人
    塗丹同菩薩光柱十一根[各長一丈三尺 径六寸]功十一人
    搆作佛光一具木縄二枝        功六人
    作佛菩薩眉間玉形廿一丸       功七人
    作佛一躯菩薩十一躯麻柱       功八十六人
    解治佛四駆菩薩十躯麻柱       功〓≪よんじゅう≫五人
    作菩薩并神王料釘五百廿隻[長二尺己上 一寸己上] 功廿九人
    採柴〓≪よんじゅう≫荷                  功八人
    作政所院柴垣廿丈            功六人 
    掃浄守壇院                功廿九人
    駈使奉造丈六像所            功廿九人
    料理新工食物并採薪           功五十八人
(後略)

出典

『大日本古文書』5(375頁~383頁のうち379頁~380頁)(『正倉院文書』)(續修別集33)

「寫經疏間紙充装■帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日付

記事

(前略)
五年五月廿九日上二百張[収生人] 十二月九日呉原生人
    檀紙六百八十六張[■九卷藥師經料] 受能登忍人
                    十二月十八日呉原生人
    銀薄敷淺綠紙■張[弥勒經三卷「七部」藥師經一卷「七部」]受能登忍人
                    十二月十八日呉原生人
    縹紙廿五張[■九卷之藥師經表紙料] 受能登忍人
                    十二月廿三日上馬甘
(後略)

出典

『大日本古文書』5(375頁~383頁)(『正倉院文書』續修別集33)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
   十月一日上了[収水主]
    廿八日充淺綠金敷紙八十八張[寫十二仏名經等類三卷料]受忍人[収水主]
  十月十二日胡桃紙一千[受能登忍人] 出充生人
[「(異筆)以五年十一月八日繼打界上 収呉原生人」]
     金薄敷綠紙三張[充忍人 六十花嚴料者依大藏判官宣用]
      右、十二仏名經等表紙料 且充如前、   知生人
     金敷綠紙二張[六十花嚴料]
      右、依大藏判官宣 爲十二仏名經等表紙 所如前、
                     十一月廿八日他田
     金敷綠紙五百五十張[六十花嚴料] 受忍人
五年五月廿九日上二百張[収生人] 十二月九日呉原生人
     檀紙六百八十六張[〓≪よんじゅう≫九卷藥師經料] 受能登忍人
                     十二月十八日呉原生人
     銀薄敷淺綠紙〓≪よんじゅう≫張[弥勒經三卷「*七部」藥師經一卷「*七部」]受能登忍人
                     十二月十八日呉原生人
     縹紙廿五張[〓≪よんじゅう≫九卷之藥師經表紙料] 受能登忍人
                     十二月廿三日上馬甘

(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内519頁~520頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
(紙端)
                      上馬甘
                      呉原「(自著)生人」
  九月八日納漆牀六前
    右、自造物所齋來如前、
                   収呉原生人
   廿四日納朱沙三兩 金靑四兩 白靑一兩 丹四兩 同黄一分
    白緑一兩 胡粉十兩 紫土五兩 膠廿兩 烟子四枚[中]
     右、爲奉造七仏藥師像、納如前、
                 受呉原    上馬甘
   廿五日納緑靑十兩 金薄壹伯枚 銀薄伍拾枚
                   受呉原生人
   廿六日納丹二兩 白靑一兩 白緑一兩
                   受呉原生人
   廿七日納金薄廿枚
               受呉原生人 上「(自著)馬甘」
   廿八日納金薄貳拾枚
                   受上馬甘
   廿九日納烟子六枚[小]
                   受上馬甘

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内390頁~392頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

 

記事

合綵色料十三種
朱沙二兩  金靑三兩  白靑二兩二分  同黄二分
胡粉【六】七兩三分[盡用] 丹六兩 大烟子〈十【六】〉三枚〈【十】三小〉[大盡用] 金薄七〈八〉十五〈三〉枚[盡用]
已上【銀薄五枚】見送
緑靑三兩[直卅文盡用]白緑一兩二分[六文盡用]紫土一兩二分[六文盡用]
銀薄十二〈七〉枚[廿四文盡用]膠九〈十四〉兩[廿七文盡用]合九十三文
  右奉造僧慎〓《人偏+尓》耶藥叉大將像一鋪料如前
又請胡粉一兩 【白靑二分】 烟子[十三小 八枚] 膠四兩
又銀薄五枚  金薄五枚 烟子五枚[小] 膠一兩
白靑二分[市]
金薄三枚[受馬甘]
以前奉造藥叉〈僧慎〉【大將像】并大弁才天〈女〉像之料所殘如前
所殘丹返上政所[検受上毛野判官藏人下道主]

出典

『大日本古文書』12(252頁~254頁の内253頁)(『正倉院文書』續々修46帙4)

「佛像彩色料注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)閏3月18日類収

記事

 藥師像壹?    千手千眼〓《ボサツ》一躯
妙見〓《ボサツ》一躯[並彩色者]
可用珠(朱)一兩   金靑三分    白靑三分
   緑靑一兩二分 丹二兩     胡粉二兩
   紫土一兩   中烟子四枚   金薄〓《よんじゅう》枚
   銀薄十枚   阿膠十兩    同黄三分
   白緑一兩二分
  畫師一人  單十二日   

出典

『大日本古文書』12(256頁~257頁の内257頁)(『正倉院文書』續修別集34裏)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

九月二日自政所納紅紙〓《よんじゅう》張[敷銀薄
  右依氣多命婦天平勝寳五年九月二日宣理趣經一卷〈將〉奉寫料
「天平勝寳五年八月廿二日納赤土三斤 糯米四升[經堂脩理料](紙背)
                受呉原  上馬甘

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内341頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「七部經色紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)8月7日

記事

合色紙八百六十張
  金薄敷靑紙百〓《よんじゅう》七張
   右可用八卷金光明經一部料
  金薄敷白紙□□□(長方形抜け)張
   右可用法花經一部理趣經一卷料
  金薄敷滅紫紙百七十九張
   右可用最勝王經一部料
  銀薄敷紅紙□□□(長方形抜け)
   右可用十輪經一部料
  銀薄敷淺緑紙〓《よんじゅう》六張
   右可用弥勒經一部藥師經一卷料
可遺百八十二張
  靑褐紙百八十張[卅八張敷金銀薄 卅三張敷銀薄 百九張无敷物]
  縹紙二張[敷銀薄]
           天平勝寳四年八月七日

出典

『大日本古文書』12(350頁~351頁)(『正倉院文書』續々修38帙3裏)