銀墨

「寫經及紙墨注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)12月27日

記事

可奉寫経二部
   梵網経一部[ニ巻]
   観無量寿経一部[一巻]
可用紙六十七張
   六十三張見所寫[〓≪よんじゅう≫四張梵網経料 十九張観無量寿経料]
   二張表紙料
   二張儲料
  銀墨二兩一分
   二兩寫經料[以一分寫紙八張]
   一分題并界料
以前、應奉寫経并應用紙墨、顯注如前、
            天平勝寳二年十二月廿七日

出典

『大日本古文書』3(476~477頁)(『正倉院文書』小杉本畫所外3)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶二年(西暦750年)2月28日

記事

(前略)
  天平勝寳三年二月十九日自寺政所來紫紙一百八十張[寫大徳私法花經一部无量義經一卷料]
    凡紙十六張 納明櫃一合  即充装〓≪さんずい+黄≫能登忍人
   又同日自政所請銀墨四兩

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内160頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶二年(西暦750年)2月28日

記事

(前略)
  同廿一日自政所請銀墨二分二朱[界料 充装〓≪さんずい+黄≫等忍人石万呂 知水主]

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内162頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「僧敎輪經論疏返送状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶二年(西暦750年)12月26日

記事

(右紙背)
可奉寫經二部[梵網經二卷〓≪よんじゅう≫四張 觀无量壽經一卷用十九]
  今可用紫紙六十三張 可用銀墨二兩一分[一分界料]

出典

『大日本古文書』11(454頁)(『正倉院文書』續々修十六帙七)

「僧敎輪經論疏返送状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶三年(西暦751年)3月11日~22日

記事

(題籤表)
請金字花嚴料紫紙并<墨等>充裝〓≪さんずい+黄≫帳

 天平勝寳三年三月十一日納紫紙
  同日充繼千四百九十六張 凡紙卅張 受治田石万呂
                   知書手
  十三日繼上〓≪よんじゅう≫四卷[七百〓≪よんじゅう≫八張 知書手]同日充[能登忍人 知書手]打界上廿九日[知書手]

 三月廿二日納銀墨二分二朱[界料且所請] 知他田水主
                     呉原「(自署)生人」

出典

『大日本古文書』11(496頁~497頁)(『正倉院文書』續々修六帙三)

「寫經奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)3月13日

記事

奉請經合壹伯玖卷[帙十一枚各着占 納漆塗辛櫃一合 敷布一条]
   法華經十一部八十八卷[十部八十卷黄紙百部之内 一部八卷紫紙以銀墨奉寫者]
   无量義經廿一卷[廿卷黄紙百部之内 一卷紫紙以銀墨奉寫]
             天平勝寳三年三月十三日

出典

『大日本古文書』11(499頁~500頁)(『正倉院文書』續々修十六帙九)

「僧敎輪經論疏返送状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)5月15日~6月3日

記事

(前略)
建部廣足 五月十五日[紙十七又二 金墨一兩]合十九張第十卷料 十七日[十七]十九日紙七張(用廿三空一) 又金一兩又紙十七[正用十五 返上一[已上空一]第二卷料 廿一日[十七]廿三日[金一兩 紙二張]【合十九張】廿四日[紙十五]廿【七】六日[十七]廿七日[金一兩]廿八日[紙廿]卅日[金一兩 紙十七返上二]六月二日[金一兩紙六 又廿四] 金六兩[返上一朱]用百九十張

三年五月十五日充界料銀墨一分[受能登忍人 充他田水主]

出典

『大日本古文書』11(552頁~555頁の内555頁)(『正倉院文書』續々修六帙四)

「僧敎輪經論疏返送状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)5月15日~6月3日

記事

請丹合十【二】三種
  緑靑一斤   白緑二兩   丹十兩
  同黄一分   烟子九枚   胡粉一斤
  金薄三百枚  金墨半分   銀墨半分〈膠三斤八兩〉[已上九〈十〉種並盡用]
  金靑十四兩[用十一兩二分殘二兩二分] 朱沙五兩[用四兩三分四朱殘二朱]
  白靑十二兩[用八兩二分殘三兩二分]

出典

『大日本古文書』12(254頁)(『正倉院文書』續修29)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
法花經一部八卷[黄紙及表綺緒紫檀軸〈木繪〉竹帙淺緑裏及帶錦縁]
梵網經一卷 頭陀經一卷[並縹絹外淺紫錦表及綺牙軸用銀墨寫 表裏坐仏像]
  右以天平勝寳四年六月廿二日新羅國使人等所奉請者
             六月廿二日呉原生人
法花經疏十卷[白紙黄表綺緒漆軸]基法師
  右依定戒尼宣自日置〓《草冠+衣》万呂所請收納間櫃
           五年十一月廿六日呉原生人
前件疏以十一月廿八日付小塞弓張奉請内裏
                  呉原生人
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内288頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

七月六日納金薄敷紫紙參拾貳張[三十張緑紙花嚴經表紙料 二張心經二卷料之中一卷銀墨色深者]
                   受呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内339頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)