「但馬國正税帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平9年(西暦737年)

記事

(前略)
  〓≪あしぎぬ≫一廷貳丈捌尺[以六丈 為一廷]置稲玖拾捌束[一匹充六十八束]
  綿壹拾肆斤捌両[小]直稲漆拾貳束[斤別五束]
  絲肆拾玖斤[小]直稲肆伯玖拾束[斤別十束]
  布肆端[端別四丈]直稲壹伯束[端別廿五束]
  金漆塗〓≪木偏+豆≫甲壹拾参領
   貳領[各用八尺八寸 糸四斤十一兩 鹿皮三張]
   參領[各用七尺六寸 糸三斤十四兩 鹿皮三]
   參領[各用八尺 糸三斤九兩 布一丈二尺 鹿皮三張 綿十三兩]
   參領[各用四尺七寸 糸三斤六兩 鹿皮二張 布一丈一尺五寸 綿十三兩]
   壹領[用四尺八寸 糸三斤六兩 鹿皮二張 布九尺七寸 綿十三兩 馬皮長二尺六寸廣一尺八寸 ]
   壹領无膊覆行縢[用四尺七寸 糸二斤十四兩 布九尺五寸 鹿皮一張 綿十三兩 馬皮二尺一寸廣一尺]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(55頁~66頁の内59頁)(『正倉院文書』正集29)

「駿河国正税帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738年)2月18日

記事

(前略)
  桂甲三領〓≪米偏+斤≫端裏〓≪あしぎぬ≫壹丈貳尺陸寸、織糸捌両、一領別四尺二寸、一両別 織得一尺五寸四分之三、]
  大刀漆口〓≪米偏+斤≫糸伍両[一具別三〓≪金偏+朱≫]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(67~74頁の内69頁)(『正倉院文書』正集17)

「写経司解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738年)5月9日

記事

帙二料 用銭二百十文
 綾〓≪あしぎぬ≫三尺四寸  直銭七十五文
 紫綾〓≪あしぎぬ≫五尺七寸  直銭百十四文
 黄〓≪あしぎぬ≫三尺四寸   直銭廿一文
  遺銭六十文          〓≪人偏+失≫(帙カ)縫料四十、五月十一日、
                 天平十年五月九日

出典

『大日本古文書』2(98頁)(『正倉院文書』続修後集37)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
 合八部玖枚
  法分陸枚[一長六尺八寸 廣四尺三寸 一長六尺五寸 廣四尺八寸 魯人者一長八尺三寸 廣五尺五寸]
    [魯人者一長八尺八寸 廣四尺五寸 一長八尺五寸 廣四尺二寸]
    [赤毛、一長八尺五寸 廣四尺二寸、赤毛、]
  通分参枚[一長八尺八寸 廣四尺八寸 長八尺五寸 廣四尺九寸 一長八尺四寸 廣四尺九寸]
 合法分小幡壹伯肆拾捌首 綱肆條
   綱肆條 壹伯首
   右 養老六年歳次壬戌十二月四日 納賜平城宮御宇 天皇者
   五色絲交幡肆首
   右 天平六年歳次甲戌二月 納賜平城宮 皇后宮者
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578~623頁の内595~596頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
  合布單帳漆拾陸張
(中略)
   法分花香具陸具 帳肆張 褥貳枚
    黒紫沙(紗)花覆貳張[長各九尺 廣五幅半]
    赤紫紗花覆貳張[長各八尺九寸 廣五幅]
    縹机敷貳張[長各七尺 廣三幅]
    縹机敷貳張[長各七尺 廣三幅](一行衍カ)
    右、養老五年歳次辛酉、寺造者、
    黄帳壹帳[長九尺六寸 廣二幅半]
    緑帳壹張[長九尺八寸 廣 幅]
        [長八尺三寸 廣二幅]
    右、癸巳年十月廿六日仁王會、納賜飛鳥宮御宇 天皇者、
    紫沙(花脱カ)覆壹張[長八尺四寸 廣三幅]
    浅緑沙机敷壹張[長七尺五寸 廣二幅半]
    右、天平元年歳次己巳、為仁王會、納賜平城宮御宇 天皇者、
    香机褥壹枚[表秘錦 裏花形綾]
    経机褥壹枚[表科子錦 裏葛形綾]
    紫羅[長一丈 高□□]
    紫羅綾花覆帳[一長九尺七寸 廣三幅 一長八尺 廣二幅]
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578~624頁の内598頁~601頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合衣陸領 [男三領 之中一衿緑綾 二単高機 女三領 之中一斑綾 二綾 並佛物]
合織経纒貳條 [佛物]
合綵帛肆匹三丈捌尺 [三丈八尺唐 綾 三匹黄 一疋浅緑 並佛像]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内641頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合沓貳足 [佛物一足 線鞋 法物一足 
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内643頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合衣屏肆條 [二條各三十副表紺裏 二條各七副半 表裏如上 並通物]
合垣代帳陸條 [四條表紺裏 一條 十一副 一條廿三副 並通物]
合綱漆拾玖條 [佛物布綱一法物八條 之中一赤糸縄 七〓≪糸偏+思≫(綱) 燈爐廿条 通物布綱五十條]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624~662頁の内644頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合大般若會調度
  額八條[一條仏殿前繍 一條中門 二條東西左右小門 四條東西廡廊]
  佛懸緑綱肆條     〓≪あしぎぬ≫帳壹條
  紺布帳陸張      細布帳壹張 
  布縄壱拾参條     佛懸横木貳枝
  経臺貳足       高坐貳具
  机陸足        礼盤坐貳具
  火爐机貳足      布巾参條
  簾貳枚
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内646頁~647頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「千部法華経料納物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)正月11日付

記事

千部法花経料納物帳    天平廿年正月十一日
正月十日自内裏給出紙肆仟貳伯張[千部法花経料 使春宮舎人出師浄道]
    便充能登忍人        検納阿刀酒主
十一日自内裏給出鹿毛筆廿箇 墨伍拾廷[並千部料]
                  検納阿刀酒主
二月十日自内裏給出画軸十六枚緑斑綺緒二丈八尺[千部之内且請二部料]
                  検納阿刀酒主
十三日自宮給出緑斑綺緒八條[惣長六十九丈六尺]
  竹帙肆拾伍枚[裏錦淵井拾組緒][已上並千部料且所給如前]
                  検納阿刀酒主
廿六日自政所来朱頂軸捌拾枚[千部之内且請八部料]
(中略)

出典

『大日本古文書』3(1~9頁の内1~2頁)(『正倉院文書』正集39裏書)

「千部法華経料納物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平感寶元年(西暦749年)5月1日付

記事

(紙端)
千部料紙并緒軸帙雜物納帳[天平廿年正月十一日]
 正月十日自内裏給出紙四千二百張[既經紙 使春宮舎人土師浄道]受装〓≪さんずい+黄≫能登忍人
                   檢阿刀酒主
 二月十日自内裏給書軸十六枝 緑斑綺緒二丈八尺
     千部之内且請二部料     檢阿刀酒主
   十三日自宮給出綠斑綺緒八條[惣長六十九丈六尺]竹帙〓≪よんじゅう≫五枚[裏錦縁 拾組緒]
     已上並千部料且所給     檢阿刀酒主
   廿六日自政所来朱頂軸八十枝[千部之内且請八部料]
                   檢阿刀酒主
   廿九日自圖書寮来紙三千九百七十張[經紙]
     又自政所請凡紙一百卅八張[九十九張端継料 卅九張〓≪果+衣≫紙料]並千部料 酒主
 四月廿四日納朱軸二百枝[市買者]   檢阿刀酒主
(中略)
 十月一日自圖書寮請来紙一万五千三百張[経紙者]
     又〓≪凡≫紙五百卅六張[百五十三張〓≪果+衣≫紙断 三百八十三張端継料]即受能登忍人
                   檢阿刀酒主
   三日自政所請〓≪凡≫紙百廿張[六十張式料 六十張敷紙料]並六十人料[人別二枚]
                   檢阿刀酒主
   廿二日自宮給出緒邉小靑中既紫十條[惣長四百五十一丈三尺]
     右、依犬甘命婦今日宣、其色分定如前、[先來靑斑緒並可用、]
                   檢阿刀酒主
(後略)
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(216頁~220頁)(『正倉院文書』大橋本7)

「造東大寺所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日付

記事

如法経
合壹拾貳部貳伯參拾卷[黄紙及表〓≪木偏+聖≫軸紫緒萩〓≪竹冠+處の異体字≫帙紅深染 裏紫縁並紵者]
(中略)
荘嚴物合十七種
 墟三具 [並彩色]
 盖三覆 [並表紫裏別副二條]
 經覆六條 [三條表紫裏紅 三條紅]
 敷布六條 [並紅]
 経櫃三合 [並塗黒漆]
 小幡十〓≪「施」の也が「流」の旁≫ [並紅]
以前、以天平勝寳四年五月十五日、従珎努宮奉請如前、
           天平勝寳四年五月十六日主典従七位上阿刀連
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢 判官正六位上勲十二等大蔵伊美吉
                  判官従六位下阿倍朝臣
                  主典従七位下美努連
                  主典従七位下紀朝臣

出典

『大日本古文書』3(574頁~576頁のうち575~576頁)(『正倉院文書』續々修第15帙第8卷 )

「買物申請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)6月16日付

記事

(紙端)
(前略)
 胡粉    黄丹   同黄   烟子
 雌黄    畢拔   臘蜜   松子
 氈    花氈   □裁氈  黒作鞍具
 〓≪草+?の近似文字≫面    勒鞦    白銅香爐  五重鋺[大]
 箸匕    五四寸鏡 燭臺   蘓芳
 熟布
      天平勝宝四年六月廿四日事業従八位上日置酒持
 □     □    丁香   青木香
 □     □    雲陵香  甘松香
 牙笏    沈香   龍腦香  ■衣香
 薫陸香   □    桂心   大黄
 □     □    蜜汁   朱沙
 □     八■十匹      糸廿斤
 □     □沙   同黄   烟子
 □太黄   □    八寸鏡  蘇芳
            天平勝寳□月□
                散位寮

出典

『大日本古文書』3(578頁~581頁の内580頁~581頁)(『正倉院文書』續修後集52)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東大寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部 之中拾參部請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺緑表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙十七枚[並裏錦縁綴組帶 納漆塗小辛櫃一合並机敷布一條]
   右、依今日牒旨、<令>奉請如前、
               天平勝寳五年三月廿七日 上馬養
                           呉原

出典

『大日本古文書』3(621頁~622頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部[二百巻]之中拾參部<便>請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺縁(緑カ)表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙拾漆枚[並裏錦縁綴組帶]
   右、依今日牒旨、奉請如前、
                  天平勝寳五年三月廿七日 
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(622頁~623頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)9月4日

記事

「(又別筆)合參拾貳<肆>卷
  花嚴論□□(長方形抜け)帙十卷[黄紙及表綺(紫)緒赤木軸]十地論十(二)卷 疏七卷(已上黄紙及緒帶紫檀軸)
  十地論□七卷
  花嚴□□(長方形抜け)五卷[間寫]已上白紙黄表梨軸緒綺
  □□□(長方形抜け)[並 二枚綾裏組帶 一枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦帶] 牙籤二枚
   右、依阿刀主典五年九月九日牒、付便使沙養満枕、令奉請如前、
                     呉原生人

出典

『大日本古文書』3(630頁~631頁)(『正倉院文書』續修50)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)

記事 

大納言藤原家  牒造東大寺司務所
対法論疏一部十三卷[白紙黄表綺緒軸梨繍帙一枚裏組帶 以七歳五月六日返来]
右件書、為寫家中、所請如前、仍録事状、以牒、
           天平勝寳五年十一月十日従七位下行大書(吏脱カ)徳廉進
                       正六位下行家令古頼比〓≪さんずい+「得」の旁≫萬侶
「(別筆)判令請
次官佐伯宿祢 今毛人    判官石川朝臣豊麻呂」
「(又別筆)右件疏、以十一月十日、付便使要髙沙弥万呂、令奉請如前、
                    知呉原生人   上馬甘」

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内643頁~644頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)

記事 

倶舎論疏合伍拾卷[一部廿卷神泰師  一部十五卷光法師 一部十五卷<未上帙第一卷>法寳師並白紙黄表綺緒梨軸]
綵帙陸枚[並錦縁<綴>裏組帶之中五枚繍一枚雲間
      以寳字元年十一月廿三日且納〓≪よんじゅう≫卷七卷 未返三箇卷]
   右、依判官上毛野君六年四月一日宣、奉請脩多羅宗、所付維那僧珎宅、
                       知呉原生人

最勝王経一部[間寫] 陀羅集経一部[一切経内者] 納小明櫃一合又足別机敷本
又繪櫃二合[副錦覆]
   右、以五月一日奉請大才弁天女壇、
                        知呉原生人

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内649頁~650頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)

記事 

遺教経論一卷
   右、依次官佐伯宿祢天平勝寳六年四月五日宣、奉請唐和上(鑑真)所、使ユ石主
                            上馬甘呉原
経論疏合壹伯貳拾卷   綵帙捌枚[並緩裏錦縁之中 二枚紫緒七枚拾組帶]
起信論疏二卷      温室経疏一卷[已上黄紙及表紫緒梨軸]
(中略)
弥勒経述賛三卷[已上並白紙黄表紫緒梨軸]
「(別筆)右、以七歳五月六日、返送已訖、」
五門實相論五卷[審詳師書]   馬鳴論疏一卷[已上白紙未装〓≪さんずい+黄≫]
  右、依判官上毛野君天平勝寳六年八月十二日宣、令奉請大納言藤原家、[付高橋朝臣八雲、髙丘三重万呂、]

「(別筆)上件二部疏、以二年五月七日返納如件、  収上馬養
                呉原生人
  涅槃経疏貳部貳拾伍卷
   一部十五卷[法寳師撰]一部十卷[遠法師撰 以廿二日返了] 並白紙黄表梨軸紫緒
   綵帙壹枚[並錦縁緩裏拾組帶]
(継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内650頁~652頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)

記事 

成實章貳拾參卷[黄紙及表綺緒梨軸 第二卷下端二所小破] 綵帙貳枚[緩裏錦並拾組帶]
  「(別筆)八歳八月十六日返了」
   右、依判官(石川)朝臣天平勝寳六年八月廿二日宣、奉請成實宗、[付僧憬寵、]
                        知呉原生人

 慈恩三蔵法師傳一部十卷[黄紙及表綺緒赤木軸綵帙緩裏錦紫帶 牙籤]
   右、依次官佐伯宿祢天平勝寳六年十月廿三日宣、令請脩多羅宗所、使僧花敏、
「(別筆)以七歳十二月十六日返納如件 収上馬甘」
                       上 馬 甘

 涅槃経疏廿卷[吉蔵師]     最勝王経疏八卷[勝荘師]
  掌珎論疏二卷[已上並白紙黄表紫緒梨軸] 綵帙參枚[二枚各錦縁緩裏組帶
                          一枚錦縁裏紫帶]
   右、依判官大蔵伊養吉天平勝寳六年十月廿九(日)宣、令請大納言藤原家、[付韓國形見、]
  「(別筆)已上以八歳六月四日返納如件」         上 馬 養

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内652頁~653頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「寫經請本状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)7月28日

記事

外嶋院
  梵網経九卷
   一部黄紙 黑黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 黑漆軸
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 綵綺帶 白檀軸
   一部[上卷黄紙及縹 緑淡綺帶 赤漆軸 故 下卷黄紙及縹 紫淡綺帶 朱頂軸 新]
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 紫淡綺帶 黑漆軸
   一下卷白紙 黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 〓≪木偏+聖≫軸
以前経、付工石主、令奉請如件、
             天平勝寳六年七月廿八日上毛野君 粟 守 

出典

 『大日本古文書』4(14頁)(『正倉院文書』続修42)

「大安寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)8月9日

記事

大安寺三綱  牒造東大寺司
  梵網経一部二卷[銀塵縹紙及表綺緒繪軸綵帙綾裏錦縁拾組帶]
   右、依奉請數、檢納如件、仍録事状牒、
             天平勝寳六年八月九日小都維那 常 孝
上座 玄 景                大都維那 平 燭
寺主 玄 蔵                小寺主 玄 融

出典

『大日本古文書』4(27頁~28頁)(『正倉院文書』続修別集10)

「下野寺鎭三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)8月9日

記事

下野寺鎮三綱牒  造東大寺司務所
  梵網経一部[二巻 銀塵縹紙及表綺緒繪軸綵帙綾裏錦縁拾組帶]
右、件経、以今月九日、奉請已訖、仍即附還使、返抄如前、具録事状、以牒、
              天平勝寳六年八月九日都維那僧 □ □
                        寺主僧 善 達
                        上坐僧 信 應
                        大 鎭 法 慧
                        少 鎭 永 覺

出典

『大日本古文書』4(28頁)(『正倉院文書』続修別集10)

「圖書寮移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)12月13日

記事

圖書寮移 造東大寺司 
  藥師経玖拾卷[〓≪よんじゅう≫卷白紙縹表紫檀軸綺緒 五十卷黄紙及表梨軸綺緒]綵帙玖拾枚[裏錦縁紫帶]納明櫃一合
   右、件経、依板野命婦宣、奉請如件、故移、
         天平勝寳六年十二月十三日従七位上行少属土師宿祢 國 勝
  又奩貳拾口 返上

出典

『大日本古文書』4(32頁)(『正倉院文書』続修16)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)4月20日

記事

(継目)
花嚴講師所
菩薩蔵経疏十卷[白紙 黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 梨軸 綵〓≪鍋蓋+矢+衣の近似文字≫裏錦縁 牙籤 未題]
  右疏、検領已訖、即付還使報知、
           天平勝寳六年二月廿七日遠江員外少目上毛野君 粟 守
            使 丸 馬 主
(継目)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内35頁~36頁)(『正倉院文書』塵芥35 裏書)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)3月1日

記事

(継目)
大灌頂経一部[十二卷 黄紙及表綺紫檀軸 綵帙縁紫緒]
  右、依上毛野判官天平勝寳七歳三月一日、<宣>奉請故茨田大夫家、付使古麻
  呂、
                        呉原 生 人
(後略)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内37頁)(『正倉院文書』塵芥35 裏書)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)

記事

(継目)
造東大寺司 牒藤原夫人家務所
合経律集傳漆拾陸卷      綵帙陸枚[並綾裏錦縁二枚組帶四枚紫帶 牙籤四枚 五枚繍帙 一枚縫物]
  注涅槃経卅卷        注維摩経八卷
  慧印経一卷         異出菩薩本起経一卷
  優婆塞戒経一卷[已上黄紙及表綺緒紫檀柚(軸)]
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内38頁)(『正倉院文書』塵芥35 裏書)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)5月27日

記事

造東大寺司 牒大安寺三綱務所
合経参伯貳拾壹卷
  帙肆拾陸枚 牙籤拾漆枚
   廿八枚綵帙
    廿枚繍[十一枚綾裏錦縁組帶 九枚〓≪あしぎぬ≫裏錦縁之中七枚紫綾帶二枚組帶]
    八枚織[並〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫綾帶]
   十八枚麁帙[之中二枚綾裏錦縁紫帶 一枚白綾裏錦縁帛帶 十五枚緑綾裏紫綾縁組帶]
(中略) 
   右四経十卷同帙[已(上)黄紙及表綺緒紫檀軸]
    合経壹伯伍卷[臺一切経内者]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪経十卷[一帙紙] 大乗悲分陀利経八卷[一帙]
  正法華経十卷[一帙]      十住経四卷[已上並黄紙及表紫斑緒朱軸 紙帙]
  金光明経八卷[黄紙及表紫緒朱軸 一帙] 大哀経八卷[黄紙及淺緑斑緒朱頂軸漢手 一帙]
  維摩経三卷[黄紙縹綾表淺緑斑緒水精軸唐手 紙帙]
  十輪経八卷[黄紙及表橡緒朱軸 一帙] 已上圖書寮[経并帙大唐者]
以前、依今月廿六日牒、付迴使少内記正八位下林連廣野、令奉請如件、以
牒、[又僧等鏡、]
         天平勝寳七歳五月廿七日主典正七位上葛井連
             判官正六位上兼下野員外掾上毛野君

出典

『大日本古文書』4(61頁~66頁)(『正倉院文書』続修別集43)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
雜集論一部十六卷[黄紙同表綺緒紫檀軸綵帙錦縁綾裏組帶牙籤 「(別筆)八歳八月十六旨返送了」]
藥師経疏一卷[白紙黄表綺緒梨軸 靖邁師] 又雜集論疏一部十三卷[霊〓≪隹+乃≫師白紙黄表 綺緒梨輪(軸)以綵帙]
  右、依長官佐伯宿祢七歳四月十九日宣、令請明一師所、[御使、]
                      上 馬 養
                      呉原 生 人
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内85頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
【成實論一部十六卷[黄紙及表]
  右、依長官佐伯宿祢七歳四月廿八日】宣、令請大脩多羅宗所、[使、]
花嚴経壹部捌拾卷[黄紙及表綺緒紫檀軸織帙綾裏錦縁拾組帶牙籤 納韓櫃漆一合圖書寮]
  右、依次官大蔵伊美吉并判官石川朝臣天平勝寳七歳五月二日宣、令請
  奉延慶師所、[使石角万呂、]
                     上 馬 甘
                     呉原
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内86頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
    成實宗所[使少維那〓≪穴冠+龍≫〓≪人偏+葉≫]
(中略)
         「(別筆)以六年五月十六日返 収呉原生人」 「(別筆)以八歳三月十二日[収上馬甘]」
正法華経一部十卷    唯識寳生論一部五卷  唯識論一部[十卷]
              【唯識論疏一部一卷】[基法師]
  成唯識論第一卷    唯識論一疏部十卷[基法師 並一切経内者 「(別筆)以八歳三月十二日 収上馬甘」]
又了義燈[七卷「(別筆)以三年八月十日使玄愷又歳三月十六日納却」]
  帙二枚[縁(緑カ)地錦縁裏紫帶]
   右、依少僧都良弁師天平勝寳四年八月十三日宣、奉請法性宗所、[使元愷師、]
  判 判官大蔵伊美吉
                  知呉原 生 人
(後略)
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内89頁~91頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)

合経拾漆卷
  帙伍枚
   三枚繍[並綾裏錦縁組帶]
   二枚麁帙[一枚深緑綾裏赤紫縁組帶 一枚綾裏黒紫縁組帶]
  勝思惟梵天所問経六卷  阿惟越致経三卷
  大乗問性経二卷     縁生初勝□□(長方形後半抜け)
   右四部十三卷[並黄紙及表綺緒朱軸]
  楞伽阿跋多羅寳経四卷[黄紙及表綺緒漆軸]
  前、依次官大蔵伊美吉天平勝寳七□□□□(長方形抜け)七日宣、今奉請元興寺如件、[付]
   [使□□(長方形抜け)
          天平勝寳七歳四月廿七日呉□ □ □(原 生 人)
  □□□(長方形抜け)
   「(別筆)大蔵伊美吉□□□(長方形抜け)       主典美努連□□□(長方形抜け)」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内99頁~100頁)(『正倉院文書』塵芥25裏書)

「佛像雜具請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(紙端)
  佛像一百鋪[別二副 鋪別裹帛〓≪あしぎぬ≫一條]納辛櫃二合[一合繪黒柿色 一合白木]
   右、仁王會時奉造、并自寺々奉請御像者、
  毘盧舎那仏一躯[屏風者] 〓≪木偏+聖≫臺一基〓≪木偏+聖≫榻足机一前[敷紫綾褥]
   紫羅盖一覆 納枌厨子一基
   右、天平勝寳七歳十一月廿六日、自外嶋院請来、
  觀世音菩薩像一躯[同黄像三副] 仏臺一基  白盖一覆[二副]
   帛袷褥一條[二副]  敷布三條    緑糸丸組二條 
   右、天平勝寳八歳四月廿三日、自中嶋院請来、
  純金觀世音菩薩像一躯[自座至御頂髙一寸六分半 有居身光] 御座二階[一階琥碧 一階水精]
   納殿五重[一重琥碧 一重白檀一重沈 一重白檀 一重雕交白檀] 納珠縄嚢一口[以金糸堺]
   着紫丸組緒以眞珠瑪瑙及紫石造鎖納玉數惣四百十六丸[三百九十六丸]
   [真珠 十四丸瑪瑙 六丸紫石]
   納漆黒葛筥一合  紫細布袷袋一口
    右、自 御陵所請来、
  牙籤       系丸組
   納漆草筥一合
    右、臺一切経料、
  銀銘三枚[一枚充常陸國 一枚充武藏國 見一枚]
  繪漆函四具[別二重 一具充常陸国 一具充武藏國見二具之中一具繪了一具繪始未畢]
  白銅小佐良九口[一口依判官上毛野君去天平勝寳五年三月廿八日宣、進政所、付他田水主 一口納金墨以天平勝寳七歳六月十七日進政所、使呉原生人檢納判官石川朝臣]
   見七口
  綵帙〓≪よんじゅう≫枚

厨 子 覆
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(106頁~108頁)(『正倉院文書』続修後集6裏書)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  檜木倭琴二張[頭尾枕脚並着赤木 上面着縹紙記 五言詩 並納臈纈袋緑裏]
   銀平文琴一張[軫足並象牙 腹内有司兵韋家造此琴字 納紫綾袋綾裏]
   漆琴一張[紫檀軫 牛角足 腹内有〓≪山偏+「澤」の旁≫山之岫幽人所玩等字 納紫綾袋綾裏]
「(附箋)紅牙撥鏤撥」螺鈿紫檀琵琶一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   紫檀琵琶一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋綾裏]
   螺鈿紫檀五絃琵琶一面[龜甲鈿捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   螺鈿紫檀阮咸一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈(裏脱カ)]
   桐木箏一張[木畫兼玳瑁 納臈纈袋緑裏]
「(附箋)无絃」楸木瑟一張[木畫兼玳瑁 上足紫檀 下足黒柿 納臈纈袋緑裏]
   甘竹簫一口[楸木帶 納紫綾袋綾裏]
   呉竹笙一口[漆〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   呉竹竿一口[漆〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋綾裏]
   雕石横笛一口[納髙麗錦袋淺緑臈纈裏]
   雕石尺八一口[納髙麗錦袋淺緑綾裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並染木 緑地畫月形 納臈纈袋緑裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並桐木 緋地畫月形 納紫地錦袋裏]
   木畫紫檀棊局一具[牙界花形眼牙床脚局兩邊着環局内 蔵納棊子龜形器納金銀龜甲龕]
   木畫紫檀雙六局一具[牙床脚 納漆縁縁〓≪竹冠+遽≫龕々裏悉漆]

出典

『大日本古文書』4(121~171頁の内130~132頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

 御大刀壹佰口
「(附箋)除物」陽寳劔一口
「(附箋)除物」陰寳劔一口[並刃長二尺六寸九分 鋒者偏刃 各銘寳劔字 紫檀把頭 鮫皮裏把 眼并鞘口帶執及鞘尾把押縫]
             [皆用純金莊帶執鞘尾以金漆塗金上 紫組懸 紫皮帶執 黒紫綾帶 紅地錦袋綾裏]
    金銅莊唐大刀八口[並刃長二丈六寸 鋒者偏刃 鮫皮裹把作山形 葛形裁文 白皮懸 四口赤紫組帶執 赤紫羅帶]
            [三口黒紫組帶執黒紫羅帶 一口黒紫組帶執 赤紫羅帶 並緑地髙麗錦袋綾裏]
    金銀鈿莊唐大刀一口[刃長二尺六寸四分 鋒者兩刃 鮫皮把作山形 葛形裁文 鞘上未金鏤作 白皮懸 紫皮帶執]
             [黒紫羅帶 地髙麗錦袋淺緑綾裏]
    金銅鈿莊唐大刀一口[刃長二尺四寸三分 鋒者兩刃 偃尾 鮫皮裹把 作山形葛形裁文 白皮懸 紫皮帶執]
             [赤紫羅帶 地錦袋綾裏]
    銀莊鈿作大刀一口[上 刃長二尺六寸二分 金漆塗刃 鋒者兩刃 鮫皮裹把 白皮懸 籐纏鞘 銀作山形葛形]
            [文 紫皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋綾裏]
    金銀鈿作唐様大刀一口[刃長二尺九寸四分 鋒者兩刃 銀鏤雲龍星形 鮫皮裹把 銀作山形葛]
              [形獸草形平文 白皮懸 吉〓≪革+莫≫帶執 黒紫綾帶 緑地髙麗錦袋綾裹]
    銀莊鈿作唐様大刀一口[刃長二尺五寸七分 鋒者兩刃 銀鏤龍星形 鮫皮裹把 銀作山形葛形]
              [獸形平文 白皮懸 臈油皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋綾裹]
    金銀鈿作唐大刀一口[刃長二尺九寸五分 鋒者兩刃 銀鏤龍星形 鮫皮裹把 金銀作山形葛獸形平]
             [文 白皮懸 白皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋綾裏]
「(附箋)白皮懸」金銀莊唐大刀一口[刃長二尺七寸二分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形龍鱗葛形平文 白皮帶執 黒紫]
                  [綾帶 緑地髙麗錦袋綾裏]
    金銅莊唐大刀一口[刃長二尺八寸五分 鋒者兩刃 偃尾 鮫皮裹把 金銀作山形龍鱗葛形平文 白皮懸]
             [白皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋綾裹]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内132頁~133頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金銀荘唐様大刀一口[刃長二尺三寸 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形葛形裁文 白皮懸]
             [紫皮帯執 黒紫綾帯 白地高麗錦袋淺緑綾纈裏]
    金銀荘唐様大刀一口[刃長二尺二寸九分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形葛形裁文 白皮懸]
             [紫皮帯執 黒紫綾帯 地秘錦袋綾裏]
    銀荘唐様大刀一口[刃長二尺四寸 鋒者偏刃 鮫皮裹把 銀作山形葛形裁文 白皮懸 黒皮帯執]
            [黒紫綾帯 地秘錦袋綾裏]
    銀荘髙麗様大刀一口[刃長二尺五分 鋒者偏刃 銀作環頭 玳瑁裹把 銀作葛形纒把 又作山形龍鱗荘]
             [鞘 白皮帯執 黒紫綾帯 緑地高麗錦袋綾裏]
    金銅荘唐様大刀一口[刃長二尺六寸 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金作山形葛形裁文 但鞘尾及約以金漆塗]
             [銅 白皮懸 黒皮帯執 黒紫綾帯 白地髙麗錦袋綾裏 新乙治四]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺二寸六分 鋒者偏刃 有溝 洗皮懸 鮫皮裹把 扼闊有窓 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 緑地髙麗錦「(附箋)袋」綾裏]
    銀荘髙麗様大刀一口[刃長二尺七分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 環頭 銀作山形葛形平文 洗皮帯執]
             [黒紫綾帯 紫系絡結袋]
    金銅荘劔一口[刃長二尺八寸二分 兩刃刃中兩溝 銀線纒把 但頭及帯執鞘尾並以金漆塗 紫皮懸 紫皮帯]
          [執 黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺三寸八分 鋒者偏刃 銀線纒把 但頭及帯執鞘尾並以金漆塗 紫皮懸 紫皮帯執]
           [黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長三尺二寸二分 鋒者偏刃 線纒漆把 金漆塗銅作山形 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋綾裏]
    銀銅作大刀一口[刃長二尺三寸一分 鋒者兩刃 紫檀把 銀銅作山形 紫組懸 紫皮帯執 赤紫綾帯]
           [地錦袋緋綾裏]
    銀銅作大刀一口[刃長二尺五寸二分 鋒者偏刃 牟久木把 眼及目約扼下約並用銅金漆塗 餘並用銀]
           [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 白地髙麗錦 袋綾裏 新乙治十二]
    銀作大刀一口[刃長二尺二寸五分 鋒者偏刃 有溝 木根把 樺纒 鞘纒籐 紫皮懸 紫皮帯執 黒紫綾帯]
          [緑地髙麗錦袋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内134頁~135頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   銀銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 有二溝 牟久木把 眼及目約扼下約鞘尾並用銅以金漆塗]
           [餘並用銀 紫組懸 紫皮帯執 黒紫綾帯 緑地高麗錦袋綾裏 新乙治七]
    銀漆作大刀一口[刃長二尺六寸三分 鋒者偏刃 鮫皮裹把 銀目但以金漆塗扼 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
           [緑地髙麗錦袋綾裏]
    銅金漆作大刀一口[刃長二尺六寸一分 有雙溝 鋒者偏刃 赤檀把 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [緑地髙麗錦袋綾裏]
    銅金漆作大刀一口[刃長二尺三寸七分 鋒者鏤刃 金鏤日月 星龍雲形 牟久木把 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銀銅作大刀一口[刃長二尺六寸七分 鋒者偏刃 黒柿把 銀眼及約 餘並用銅以金漆塗 紫組懸]
             [洗皮帯執 區斑織帯 白地高麗錦袋綾裏 新乙治二 「(附箋)金漆塗者」]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺二寸六分 鋒者兩刃 赤木把纒樺 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [緑地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺三寸七分 鋒者偏刃 牟久木杷 撥鏤扼 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [緑地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺四寸三分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 鞘纒籐樺 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [白地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺三寸一分 鋒者兩刃 赤木把纒樺 撥鏤扼 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 有一溝 赤木把 撥鏤扼 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾]
            [又以銅作葛形裹之 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 地錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 牟久木把 紫組懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地髙麗]
            [錦袋綾裏 新乙治三]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸八分 鋒者偏刃 木根把 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作葛形裹之]
            [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地高麗錦袋綾裹]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸八刃 鋒者偏刃 木根把樺纒 撥鏤扼 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内136頁~137頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作葛形裹之]
            [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 白地高麗錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 撥鏤扼 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作]
            [葛形裹之 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 地綿袋綾裏]
    黒作大刀一口[刃長二尺七寸 鋒者偏刃 牟久木把 但眼及目約并扼並用銅以金漆塗之 洗皮懸 洗皮帯執]
          [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺二寸二分 鋒者偏刃 有溝 金銀鏤作日月星雲形符 赤檀把 洗皮懸]
            [洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内138頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

「(附箋)除物」 横刀一口[刃長一尺四寸七分 鋒者偏刃 紫檀把以犀角裹頭 又以鐵約其上以金鏤鐵上 眼及扼鞘尾以鐵裹金]
              [鏤之 但帯執用銀作以金鏤之 鞘纒籐 紫組懸 紫皮帯執 黒紫羅帯 黒紫紬袋綾裏]
     右一口者、太政太臣(不比等)之家設新室宴之日、天皇親臨、皇太子奉
     舞、太臣寿贈[彼日 皇太子者、即平城宮御宇 後太上天皇也、] 

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内138頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

「(附箋)除物」 黒作懸珮刀一口[刃長一尺一寸九分 鋒者偏刃 木杷 陰漆樺纒 紫板絛懸 紫皮帯執 黒紫羅帯 紫地錦袋綾裏]
     右、日並皇子常所佩持、賜太政太臣、大行天皇即位之時、便
     献 大行天皇、崩時亦賜太臣、太臣薨日、更献 後太上天皇、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内138頁~139 頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

「(附箋)除物」 黒作懸珮刀一口[刃長一尺一寸九分 鋒者偏刃 木杷 陰漆樺纒 紫板絛懸 紫皮帯執 黒紫羅帯 紫地錦袋綾裏]
右、日並皇子常所佩持、賜太政太臣、大行天皇即位之時、便
献 大行天皇、崩時亦賜太臣、太臣薨日、更献 後太上天皇、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内139頁~140 頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   寳荘懸佩刀一口[刃長一尺四寸五分 鋒者偏刃刃右 邊有溝 鮫皮裹把 紫檀頭]
           [玳琩鞘 眼及扼鞘尾用銀作 又以緑琉璃覆其上 紫板絛懸 赤紫綾帯]
           [緑地錦袋淺緑綾裏]
    金銅作懸佩刀一口[刃長二尺一寸九分 鋒者偏刃 鮫皮裹把其上又漆 以紫皮縫裹鞘]
            [身 紫組懸 紫皮帯執 赤紫綾帯 緋地錦袋綾裏]
    金銀作懸珮刀一口[刃長一尺八寸四分 鋒者偏刃 金鏤龍星雲形 金銀線纒把]
            [獣頭鼻 紫皮帯執 紫綾帯 緑地髙麗錦袋綾裏]
    銀作懸珮刀一口[刃長二尺四分 鋒者偏刃 金鏤龍星雲形 鮫皮裹把以緑琉璃鈿之 銀裹]
           [頭以金漆塗之 紫板絛懸 紫皮帯執 赤紫綾帯 緑地髙麗錦袋綾裏 二列]
    銀作懸佩刀一口[刃長二尺八分 鋒者偏刃 鮫皮裹把紫檀頭 紫皮懸 紫皮帯執 赤紫綾帯]
           [緑地髙麗錦袋綾裏]
    金漆銅作懸佩刀一口[刃長一尺八寸一分 鋒者偏刃 牟久木把 緋組懸 紫皮帯執]
             [黒紫綾帯 但帯執環及鞘尾約以銀作之 緑地髙麗錦袋綾裏]
             [新乙治八]
    金漆銅作懸珮刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 有溝 牟久木把 緋組懸 紫皮帯執]
             [赤紫綾帯 地綿袋綾裏]
    金銀作懸佩刀一口[刃長一尺八寸 鋒者偏「(附箋)兩」刃 金鏤星龍形 木皮裹把 紫檀頭 紫皮懸]
            [紫皮帯執 赤紫綾帯 白地髙麗錦袋綾裏]
     右、納第一櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内139頁~140 頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   杖刀一口[刃長一尺九寸 鋒者偏刃 鮫皮杷金銀線押縫 以牙作頭以漆塗鞘 以鐵裹鞘尾 銀鏤其上]
        [長四尺六分 黒紫紬袋 綾裏以紫皮裹袋尾]
    杖刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 金鏤星雲形 紫檀樺纒 眼及把並用銀 紫組懸 呉竹鞘樺纒 長五尺]
        [三寸四分 口盖尾並用鹿角作 又以鐵接尾端 緑地髙麗錦袋綾裏]
     右、納第三細櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内140頁~141頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御弓壹佰張
    梓御弓八十四張
     一張[長六尺九寸]
     一張[長六尺九寸七分]
     二張[長七尺二寸三分]
     二張[長七尺一寸八分]
     二張[長七尺一寸七分]
     三張[長六尺九寸一分 一末少曲]
     一張[長七尺一寸九分]
     一張[長七尺二寸六分 末節]
     一張[長七尺一寸五分]
     一張[長七尺五分]
     一張[長七尺六分]
     一張[長七尺一寸四分 末節]
     一張[長七尺三寸二分]
     一張[長七尺二寸]
     一張[長七尺三寸]
      右廿張、並赤漆樺纒黒紫組纒弓把、以羽莖捍箭十五張、紫袋
      綾裏、<「(附箋)五」>十張紫袋緑絹裏、  已上、納第一櫃、 

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内141頁~142頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月24日

記事

    一張[長七尺一寸三分 末少曲]
     一張[長七尺五分]
     二張[長七尺一寸]
     一張[長七尺二寸九分 末少曲]
     二張[長七尺一寸九分]
     一張[長七尺一寸二分]
     一張[長七尺四寸五分]
     一張[長七尺四寸一分]
     一張[長七尺三寸二分]
     一張[長七尺三寸六分]
     一張[長七尺二寸七分 末少曲]
     一張[長七尺二寸五分]
     一張[長七尺三寸八分]
     一張[長七尺三寸三分]
     一張[長七尺二寸]
     一張[長七尺三寸]
     一張[長七尺一寸二分 末三所曲]
     一張[長七尺一寸六分]
      右廿張、並黒漆樺纒赤紫組纒弓把、以羽莖捍箭、紫袋綾裏、
      已上、納第二櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内142頁~144頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一張[長七尺二寸七分 鹿毛漆 末弭継銅 目刺 紫皮纒弓把 名金<「(附箋)銅」>弭 錦袋綾裏]
     一張[長七尺四寸 色白 紫皮纒弓把 名佐伯 紫紬袋縹纈綾裏]
     一張[長七尺二寸 黒漆纒系 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸一分 黒漆 処々樺<「(附箋)籐」>纒 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺一寸二分 背黒漆 腹赤漆 末曲 本曲節 黒紫組纒弓把]
     二張[長七尺三寸三分 一背黒腹赤洗皮纒弓把 一赤漆紫皮纒弓把]
     一張[長七尺九分 背黒 腹鹿毛漆 目刺 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸二分 背黒 腹赤 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺五<「(附箋)七」>分 赤漆 本末纒樺 処々節 黒紫組纒弓把]
     一張[長七尺三寸 赤漆 紫皮纒弓把]
     二張[長七尺二寸四分 赤漆 紫皮纒弓把]
     三張[長七尺三寸一分 赤漆 一黄皮纒弓把 二紫皮纒弓把]
     一張[長七尺三寸四分 赤漆 黄皮纒弓把]
     二張[長七尺二寸五分 赤漆 一紫皮纒弓把 一黄皮纒弓把]
     一張[長六尺七寸九分 赤漆 末節 紫皮纒弓把]
      已上、納第三櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内144頁~146頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   槻御弓六張
     一張[長六尺六寸六分 纒樺籐 末曲 紫皮纒弓把 黄紬袋綾裏 大伴淡等]
     一張[長七尺 黒漆鮎皮斑 洗皮纒弓把]
     二張[長六尺九寸八分 一鹿毛漆鮎皮斑 一赤漆<「(附箋)見長七尺五分」>洗皮纒弓把]
     一張[長六尺五寸五分 赤漆 腹削 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸 黒漆 既纒糸 紫皮纒弓把 佐伯清麻呂]
      右五張、並臈纈袋緑絹裏、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内147頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   肥美御弓一張[長五尺九寸 赤漆鮎皮斑 弓把上纒筋 臈纈袋緑絹裏]
   別色御弓參張
    蘇芳御弓一張[長七尺二寸五分 腹小白 紫皮纒弓把 錦袋〓≪あしぎぬ≫裏]
    水牛純角御弓一張[長三尺九寸 无弓把 「(附箋)帛錦袋」 「(附箋)紫袋帛裏」]
    小檀御弓一張[長四尺七寸五分 赤漆二処纒絲 末二俣 洗皮纒弓把]
      <「(附箋)以上納第五櫃」>

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内148頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御甲壹佰領[短甲十具 挂甲九十領]
    短甲十具[々別冑一口 甲一領 行縢一具 覆臂一具]
     一具[冑縁甲領縁行縢覆臂縁〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領裏緋〓≪あしぎぬ≫]
     一具[冑縁白斑錦甲領碧地堕目形錦〓≪あしぎぬ≫裏縁物口錦行 縢覆臂縁地錦]
     一具[冑縁疑鳥錦甲領〓≪糸偏+熏≫地菱形錦〓≪あしぎぬ≫裏縁皮行縢覆臂縁黒地錦]
     一具[冑縁〓≪あしぎぬ≫甲領行縢覆臂縁〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領裏〓≪あしぎぬ≫]
     一具[冑縁甲領白地葛形錦甲領緋皮領裏行縢覆臂縁〓≪あしぎぬ≫ 已上並白磨白線組貫盛紺布袋帛裏
      右、納第一櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内152頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   挂甲九十領
     二領[並龜甲錦領縁]
     一領[疑鳥錦領紫皮縁]
     一領[町形錦領白皮縁]
     一領[車訓<「(附箋)*菱形」>錦領縁]
     一領[車訓<「(附箋)*菱形」>錦領皮縁]
     一領[物口錦領縁]
     一領[白地葛形錦領縁]
「(附箋)除物」 一領[紫地錦領紫皮縁納帛袋又納漆小櫃]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地花形錦領縁 已上並白磨白線組貫〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第三櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内153頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[縹地錦領〓≪あしぎぬ≫縁]
     一領[紫地雲幡錦領紫皮縁]
     一領[黄地錦領縁]
     一領[黄地錦領<「(附箋)*黄」>白地錦縁]
     三領[並龜甲錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地小花錦領縁]
     一領[黄地古錦領地錦縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁 已上並白磨白線組貫〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第四櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内153頁~154頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    二領[並白地錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地錦領物口錦縁]
     一領[疑鳥錦領縁]
     二領[並物口錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地田次形錦領縁]
     一領[並縹地錦領縁]
     一領[縹地堕目形錦領物口錦縁 已上並白磨白線組貫〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第五櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内154頁~155頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[縹地錦領〓≪糸偏+熏≫地錦縁]
     二領[並龜甲錦領縁]
     三領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁 但一領緋皮縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地錦領縁帛裹<「(附箋)*裏」>]
     二領[並物口錦領縁]
     一領[黒地錦領縁 已上並白磨白線組〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第六櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内155頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[〓≪糸偏+熏≫地錦領物口錦縁]
     一領[黄地錦領縁]
     四領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁]
     一領[龜甲錦領縁]
     一領[縹地錦領物口錦縁]
     一領[縹地錦領<「(附箋)*縁」>白橡〓≪あしぎぬ≫縁<「(附箋)*裏」>]
     一領[疑鳥錦領〓≪あしぎぬ≫縁 已上並白磨白線組貫〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第七櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内155頁~156頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[龜甲錦領〓≪あしぎぬ≫縁]
     二領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁]
     三領[並物口錦領縁]
     一領[白地錦領縁]
     一領[縹地錦領〓≪糸偏+熏≫地錦縁]
     一領[疑鳥錦領縁]
     一領[黒地錦領縁 已上並白磨白線組〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第八櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内156頁~157頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[白地葛形錦領縁黄糸組<「(附箋)〓≪あしぎぬ≫裏」> 白磨]
     一領[龜甲錦領白地錦縁<「(附箋)〓≪あしぎぬ≫裏」>]
     一領[地錦領紫地織成縁<「(附箋)綾裏」> 已上白磨白線組]
     四領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁〓≪あしぎぬ≫裏橡線組]
     一領[疑鳥錦領縁〓≪あしぎぬ≫裏 白線組]
     一領[紺<「(附箋)縹」>地錦領縁〓≪あしぎぬ≫裏 橡線組]
     一領[龜甲錦領〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組 已上並金漆塗 紺布袋帛裏]
      右、納第九櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内157頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[縹地錦領縁白〓≪あしぎぬ≫裏 白線縄貫]
     二領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁〓≪あしぎぬ≫裏 橡線組]
     二領[並深緋地錦領〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組]
     一領[緋地錦領〓≪あしぎぬ≫裏〓≪あしぎぬ≫縁白線縄]
     一領[縹地錦領〓≪あしぎぬ≫裏 洗皮縁 橡線組]
     二領[並龜甲錦領〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組]
     一領[龜甲錦領縁〓≪あしぎぬ≫裏白線縄 已上並金漆塗 紺布袋帛裏]
      右、納第十櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内157頁~158頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    六領[並〓≪あしぎぬ≫領縁裏 白線縄]
     一領[〓≪あしぎぬ≫領裏 洗皮縁 白線組]
     一領[〓≪あしぎぬ≫領縁白〓≪あしぎぬ≫裏 白線縄 已上並金漆塗 紺布袋帛裏]
     一領[〓≪あしぎぬ≫領縁裏 白線縄]
     一領[〓≪あしぎぬ≫領裏緋皮縁 白線縄 已上並白磨 紺布袋帛裏]
      右、納第十一櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内158頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

 [全淺香一村重大卅四斤「(附箋)寺〓≪手偏+六+隹≫秤定卅三斤五兩」]
   御鏡貳拾面
    八角鏡一面重大〓≪よんじゅう≫八斤八兩[径二尺一寸七分 鳥獣花背 〓≪あしぎぬ≫帶 八角榲匣盛]
    圓鏡一面重大〓≪よんじゅう≫三斤八兩[径一尺五寸八分 鳥花背 〓≪あしぎぬ≫帶 八角榲匣盛]
    八角鏡一面重大十三斤十五兩[径一尺四寸五分半 鳥獣花背 〓≪あしぎぬ≫帶 八角榲匣盛]
    八角鏡一面重大十四斤十五兩[径一尺四寸七分 漫背 〓≪あしぎぬ≫帶 八角榲匣盛 「(附箋)已上並綾〓≪口+親≫」]
     右、納第一櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内158頁~159頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   圓鏡一面重大七斤五兩[径一尺二寸九<「(附箋)五」>分 平螺鈿背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大六斤一兩[径一尺二寸五<「(附箋)六」>分 漆背金銀平脱 〓≪あしぎぬ≫帶漆木匣綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大五斤一兩[径一尺一寸 平螺鈿背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤三兩[径一尺平螺鈿背 紅羅繍帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大三斤十三兩[径九寸一分 平螺鈿背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱<「(附箋)綾〓≪口+親≫盛」>]
    圓鏡一面重大三斤八「(附箋)七」兩[径九寸 平螺鈿背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大三斤十二兩[径九寸一分 平螺鈿背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤二<「(附箋)一」>兩[径九寸六分 <「(附箋)*漆箱暫留借盛緑綾<〓≪口+親≫>箱」> 漆背 金銀平脱 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
     右、納第二櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内159頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   八角鏡一面重大三斤四兩[径九寸二分 平螺鈿背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大五斤十三兩[径一尺一寸三分 花鳥背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大六斤五兩[径一尺七分 花鳥背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大六斤一分[径一尺七分 槃龍背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大五斤一兩二分[径一尺一分花鳥背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤七兩一分[径一尺二分 鳥獣花背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大四斤十二兩[径九寸三分 花<「(附箋)雲」>鳥背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大四斤十五兩[径九寸二分 山水花虫背 〓≪あしぎぬ≫帶 漆皮箱綾〓≪口+親≫盛]
    漆胡瓶一口[銀平脱花鳥形銀細鎖連繋鳥頭盖 受三升半]
      右、納第三櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内159頁~160頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御屏風壹佰疊[盡屏風廿一疊 鳥毛屏風三疊 鳥畫屏風一疊 夾纈六十五疊 臈纈十疊]
    山水畫屏風一具兩疊十二扇[並髙七尺二寸 闊二尺三寸半 赤紫綾縁以檜木假作斑]
     [竹帖鐵釘黒漆碧〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    國圖屏風六扇[髙六尺 廣二尺二<「(附箋)一」>寸 紫綾縁 前面及 兩端碧牙撥鏤帖 金銅隠起釘 上頭縁木]
     [帖金銅浮〓≪さんずい+「謳」の旁≫釘 下頭縁木帖黒漆釘 背後紅牙撥鏤帖]
     [金銅浮〓≪さんずい+「謳」の旁≫釘 碧綾背紫皮<「(附箋)〓≪あしぎぬ≫」>接扇 縁綾〓≪巾+「僕」の旁≫淺縁<「(附箋)緑」>裏]
    大唐勤政樓前觀樂圖屏風六扇[装束及〓≪巾+「僕」の旁≫並同前國圖屏風]
    大唐古様宮殿畫屏風[髙五尺四寸五分 廣一尺七寸五分 地錦縁 漆木]
     [帖前後金銅釘 碧綾背 皮接扇 揩布袋]
    大唐古様宮殿畫宮殿畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 装束与前同]
    古様山水畫屏風六扇[髙五尺八分 廣一尺九寸 地錦縁 漆木帖金銅釘 碧綾背 皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    古様本草畫屏風一具兩疊十二扇[一髙五尺三寸 一髙五尺二寸]
     [地錦縁漆木帖金銅釘 碧綾背 皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛裏 <「(附箋)但五尺二寸碧地錦縁碧〓≪あしぎぬ≫背」>]
「(附箋)可謂古様宮殿騎獵」子女畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背]
     [皮接扇 揩布袋]
    古人畫屏風一具兩疊八扇[並髙五尺三寸 廣一尺九寸 <「(附箋)碧」>地錦縁]
     [漆木帖 金銅釘 碧〓≪あしぎぬ≫<「(附箋)綾」>背 紫皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋 帛〓≪あしぎぬ≫裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内160頁~161頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

舞馬屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 金銅釘 漆木帖 碧綾背 皮]
     [接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋<「(附箋)帛〓≪あしぎぬ≫」>白練裏]
    子女屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背 皮接扇]
     [揩布袋]
    古様宮殿畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背]
     [皮接扇 揩布袋]
    素畫夜遊屏風一具兩疊十二扇[並髙五尺 廣一尺八寸二分 紫綾縁]
     [赤漆木帖 黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    鳥毛篆書屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫綾縁 赤漆木帖 黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背]
     [<「(附箋)紅臈」> 夾纈〓≪あしぎぬ≫接扇 揩布袋]
    鳥毛立女屏風六[髙四尺六寸 廣一尺九寸一分 紗縁 <「(附箋)臈」> 以木假作斑竹帖 黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 夾]
     [纈接扇 揩布袋]
    山水畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 紫綾縁 白帖木 金銅釘 紫皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋] 
     [帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    鳥毛帖成攵書屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 紫綾縁 木假作斑竹帖]
     [黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 黄臈纈接扇 揩布袋]
    鳥書屏風六扇[髙四尺一寸 廣一尺六寸七分 紫縁 漆木帖前面 金銅釘 上頭下頭]
     [背後並黒漆釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 〓≪あしぎぬ≫接扇 緑〓≪あしぎぬ≫袋 帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    百濟畫屏風六扇[髙四尺七寸 廣一尺七寸 地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背]
     [皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    古人宮殿屏風六扇[髙五尺一寸 廣一尺八寸 紫綾縁 白木帖 金銅釘 碧]
     [〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    古人畫屏風六扇[髙五尺一寸 廣一尺八寸五分 紫綾縁 白木帖 金銅釘 碧〓≪≫背 紫皮]
     [接扇 揩布袋]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内162頁~163頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   山水夾纈屏風十二疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 烏油釘 揩布袋]
     一疊[面紫目交縁背紅夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅夾纈接扇]
     一疊[面紫目交夾纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背白橡臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背紅臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背皂目交臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背滅紫臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈紅縁臈纈接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内163頁~164頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   菴室草木鶴夾纈屏風七疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木]
     [畫帖 烏油釘 楷布袋]
     一疊[面白橡目交臈纈縁背皂臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾臈纈〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面背白橡臈纈(縁脱カ)紅臈纈接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内164頁~165頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

「(附箋)今検[驎鹿草木十二疊 鹿草木五疊]」驎鹿草木夾纈屏風十七疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖]
      [烏油釘 揩布袋]
「(附箋)鹿」 一疊[面白橡臈纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面白橡臈纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背皂目交臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面背滅紫臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面滅紫臈纈縁背紅臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面背紅臈纈縁背〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁紅臈纈接扇]
「(附箋)鹿」 一疊[面背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背滅紫目交臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面雲繝綾縁<「(附箋)背」>白橡目交臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈縁背紅臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内165頁~166頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   鳥木石夾纈屏風九疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫〓≪人偏+占≫<「(附箋)帖」>烏油釘]
     [揩布袋]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面滅紫目交臈纈縁背白橡目交臈纈縁緋〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫目交臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面白<「(附箋)赤」>橡臈纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面夾纈背皂目交臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面雲繝綾縁背白橡臈纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面白<「(附箋)赤」>橡臈纈縁背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内167頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   鷹木石夾纈屏風一疊[六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 烏油釘]
     [面背夾纈縁〓≪あしぎぬ≫接扇 揩布袋]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内167頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   鷹鳥夾纈屏風四疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 烏油釘]
     [揩布袋]
「(附箋)鳥木」 一疊[面夾纈縁背紫目交臈纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
「(附箋)鳥木」 一疊[面山納縁背白<「(附箋)赤」>橡臈纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面夾纈縁背白橡臈纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内168頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   鷹鶴夾纈屏風一疊[六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 烏油釘]
     [面夾纈縁背皂臈纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇 揩布袋]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内168頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   古人鳥夾纈屏風四疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖]
     [烏油釘 揩布袋]
     一疊[面紫臈纈縁背夾纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背山納縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背夾纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面背滅紫臈纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内168頁~169頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   鳥草夾纈屏風十疊[各六扇 髙五尺 廣一尺八寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 烏油釘]
     [揩布袋]
     一疊[面紫山納縁背臈纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫山納背緋臈纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面雲納<「(附箋)繝」>綾縁背夾纈縁 〓≪あしぎぬ≫接扇]
     一疊[面紫臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫臈纈縁背夾纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面背夾纈縁紅臈纈接扇]
     二疊[並面背紫<(附箋)□>夾纈縁紅臈纈接扇]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内169頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   臈纈屏風十疊[各六扇 髙五尺五寸 廣一尺九寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 漆鐵打揩布袋]
     一疊[面背紅<「(附箋)白橡」>臈纈縁紫山納接扇]
     二疊[並面背紅臈纈縁紫山納接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背青<「(附箋)褐」>臈纈縁紫山納接扇]
     一疊[面背青臈纈<「(附箋)面白橡臈纈背靑褐臈纈」>縁紫山納接扇(五字付紙)]
     一疊[面背臈纈縁紅臈纈接扇]
     二疊[並面背臈纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫臈纈縁背青<「(附箋)褐」>臈纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面背□<(付紙)><「(附箋)白橡」>臈纈縁<「(附箋)紅臈纈」>接扇]
     白練綾大枕一枚[着夾纈羅帶三條]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内169頁~170頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    御軾二枚[一枚紫地鳳形錦 一枚長斑錦]
     紫檀木畫挾軾一枚[着白羅褥]
     右、納漆櫃二合、[並居榻足机]
    御床二張[並塗胡粉具<「(附箋)黒」>地錦端疊褐色地錦 褥一張廣長亘兩床緑〓≪あしぎぬ≫袷覆一條]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内170頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)7月26日

記事

 「(表題)東大寺献物帳」
献東大寺
  屏風一具十二扇[並髙四尺八寸半 廣一尺七寸半 白碧牋紙歐陽詢真跡皂綾縁白絹背烏漆銅葉帖角]
   [其下端八寸半無物但 漆木骨耳白<「(附箋)皂」>綾接扇]
  屏風一具十二扇[並髙四尺八寸廣一尺八寸半黄白碧緑等絹臨王義之緒帖書碧綾縁白紙背烏漆]
   [木<「(附箋)帖」>金銅釘葉帖角紫皮接扇其下端六寸半塗胡粉別録書傳]
  花氈陸拾床[一床舞〓≪しんにょう+竹+衣近似文字≫方一丈三尺 二床各長九尺三寸 廣四尺六寸 〓≪よんじゅう≫七床各長八尺廣四尺 七床各方四]
   [尺 三床各長四尺廣一尺四寸]
  繍線鞋捌兩
  紫糸結鞋壹兩
  糸刺納鞋壹兩
  銀薫爐壹合
  銀平脱梳箱壹合盛[阮咸絃四條 琴絃十四條 箏絃十三條 琵琶絃四條 五絃琵琶絃]
   [五條中絃五條 小絃五條]
  瑁瑰箸兩雙[盛黒柿筒]
  靑斑鎮石拾廷
右件、今月十七日奉   勅、献納東大寺、具如前件、
      天平勝寳八歳七月廿六日
(後略)

出典

『大日本古文書』4(177頁~179頁)(『正倉院御物』)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)9月1日

記事

政所符 写経所領等
麁帙參伯伍拾漆枚
  二百五十五枚錦縁[二百廿三枚紫緒卅二枚検但緒]並緋裏
  一百二枚紫縁裏紫緒
   右、奉写間、雑経帙料充遣如件、
                           主典阿刀連 酒 主
                           散位八多真人 蓑 麿
                     天平勝寳八歳九月一日付上馬甘
(後略)

出典

『大日本古文書』4(183頁~184頁(『正倉院文書』正集7 裏書)

「雙倉北雜物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)10月

記事

寶龜九年五月十八日下琵琶貳面
止 螺鈿紫檀琵琶一面[緑地畫桿撥納紫綾袋淺緑臈纈裏紅牙撥鏤撥]
  紫檀琵琶一面[緑地畫桿撥納紫綾袋綾裏]
   右、献内裏如件、[「(別筆)十年十二月六日返上已了 使従四位上行右衛士督兼常陸守藤原朝臣小黒麿」]
使従四位上行右衛士督兼常陸守藤原朝臣小黒麻呂
  右少弁従五位下守紀朝臣 古 佐 美
                造寺司大判官正六位上山口忌寸 嶋 足
                    少判官正六位上柿本朝臣 猪 養
                    少判官正六位上勲十一等高松連 内 弓
                    主典従六位下勲十一等大和連虫麻呂
三綱
  大都維那 滿 植
  可信 〓≪様の旁≫ 天

出典

『大日本古文書』4(186頁~205頁の内198頁)(『正倉院文書』御物目録)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)10月1日

記事

獻東大寺
   書屏風貳帖[十二扇并高四尺六寸五分廣一尺九寸五分面五色紙有真草雜書碧綾背地花錦縁班竹帖金銅釘金銅鏤葉帖角紫韋接扇盛赤漆櫃着鎖]
  右件屏風書者、是 先考正一位太政太臣藤原公(不比等)之真跡也、妾之珎財、莫過於此、仰以奉獻盧舎那佛、願因妙善、奉薫冥資、早遊花蔵之界、恒對芳閣之尊、
          天平寳字二年十月一日
          太保従二位兼行鎮国太尉藤原恵美 朝 臣(押勝)
          参議従三位行武部卿兼坤宮大弼侍従下総守巨勢朝臣 關 麿

出典

『大日本古文書』4(337頁)(『正倉院御物』)

「經嚢注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)3月19日

記事

合經嚢壹伯口
  廿三口白羅表[之中五口以雜玉餝]
  十八口龜甲錦表[之中六口以雜玉餝]
  五口地錦表[之中四口以雜玉餝]
  八口雲繝錦表[一口以雜玉餝]
  八口紅羅刺物表
  廿三口高麗小町錦表
  六口赤紫羅表
  七口白地交表
  二口赤紫綾表
白袷〓≪≫子一条    納皮〓≪≫一合
              四年三月十九日
「(別筆)以廿三日、返上如件、  收[可信正善師 目代侍行 寺司上毛判官]
                     倉人物部廣繩」

出典

『大日本古文書』4(413頁~414頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761)10月1日

記事

 新様錫杖壹枝[奉納法隆寺僧延豊]
  鍮石香爐壹具[花形錦坐具一枚〓≪草冠+褥≫一枚表科子錦裏 綾奉納講法花経料大僧都行信]
合経櫃肆合
  壹合淺合[長一尺一分 凡廻六寸六分]
  壹合赤檀[長一尺五寸 廣一尺二寸三分 髙身并足八寸二分打金 泥釘角別打泥樓時金着金泥鎖子一具内敷白綾〓≪草冠+褥≫一枚]
  櫃納丁子香壹袋[一領表裏帛 一領表秘錦裏綾]
  櫃裹衾貮領
  櫃覆貮條[一條表緑綾裏淺緑綾長六尺三寸廣三副 一條表黑紫二科綾裏赤紫花形綾長六尺三寸廣三副]
  櫃座漆机貮足[一長一尺八寸五分廣一尺四寸髙一尺五寸 敷錦〓≪草冠+褥≫一枚一長二尺八寸廣一尺六寸]
  櫃鈎□□□(長方形抜け)[髙二尺七寸 敷秘錦〓≪草冠+褥≫一枚]
  櫃鈎納革箱壹合[長六寸廣二寸八分深一寸]
    右、爲敬重坐上宮聖徳法王御持物法花経、天平九年歳次丁丑二月
    廿日、藤原氏皇后宮奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内511頁~512頁)(大和国法隆寺所蔵)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761)10月1日

記事

 壹合木繪[長一尺一寸 廣四寸五分 髙四寸五分 大唐者小々破 奉納法隆寺僧法延]
合案机貮足[身斑色足二折在錦裹]
  覆衾壹條[長一丈二寸 廣三副]
    右、上宮聖徳法皇御持物者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内513頁)(大和国法隆寺所蔵)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761)10月1日

記事

 壹足綾槻[長五尺九寸 廣一尺七寸 髙四尺九寸 若金泥鎖子一具并床子一足錦〓≪≫一枚]
   裹衾壹領[表赤紫 裏綾角別秘錦 領以綺為界]
   鈎納革箱壹合[長六寸一分 廣三寸四分 深一寸三分 納錦袋内在白綾〓≪≫]
  壹足枌[長三尺三寸 廣一尺九寸 髙三尺一寸五分]
合経副香參種[一〓≪≫香一斤十兩一甘松香二斤十三兩 一苓〓≪≫香九斤二兩納袋六口并表赤紫羅裏赤
合白木高座貮具[并机橋礼盤二足]
合高座寳頂貮具[身黑紫綾秘錦領地古錦交錺頂木金 塗鏤銅錺着小鏡二面]
合寳頂懸木錦袋貮口[二〓≪≫秘錦 長各一丈三尺]
合高座〓≪≫肆枚[二表紺花錦裏〓≪≫緑綾 紫花錦領二席錦領]
合高座〓≪≫貮枚[並表白錦 裏緑綾 紫錦領]
合高座橋〓≪≫肆枚[並表縹錦裏]
合礼盤〓≪≫肆枚[二表紫二科錦裏緑綾 二席錦領]
合高座茵貮枚[黑紫綾領]
合礼盤茵貮枚[赤紫綾領]
合糸交幡陸拾貳流
合白綾綱貮條[一長十四丈 一長八丈]
合佛座地代帳貮條[並表薄朱二科綾裏淺緑長二丈九尺 廣各四幅一條]
合漆塗机參足[一経(徑)三尺八寸 廣一尺八寸 髙二尺五寸]
    [一香長三尺廣一尺五寸五分髙三尺寸一香長各三尺 三寸廣一尺六寸五分髙三尺一寸五分]
合机〓≪≫參枚[一秘錦領兩面錦一赤紫都牟岐白錦領 一赤紫綾並裏緑綾]
合黒紫羅花覆貮條[長各九尺二寸 廣各三幅以金黑繪]
合赤紫綾帶貮條
合経覆壹條[表赤紫羅裏赤蜂子指長七尺五寸]
合漆塗香水器壹具[并手洗移二口]
合韓櫃參合[一長三尺廣二尺(脱字アルカ)寸一長三尺寸 廣二尺六分一長三尺四寸廣二尺]
    右、天平十四年歳次壬午二月十六日、正三位橘夫人宅奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内514頁~516頁)(大和国法隆寺所蔵)

「東大寺政所牒」『正倉院文書』

撰述日

天平寶字6年(西暦726年)7月9日

記事

改所 牒石山院
一阿弥(陀脱カ)浄土一鋪[〓≪果+衣≫帛一匹 枚縄一条 細布二丈一尺 縹〓≪あしぎぬ≫三丈]
      擔夫六人[四人着浄衣] 部領四人[己知帯成長屋波多 采女山守 波多稲持]
       右、為坤宮官七七 御斎宮會所奉造也、
       今依牒状、奉請者、唯仏室者、依不載文留置、若有可用者、早
       速報知、
一白鑞小一斤直百六十文[此去年四五月之間買價也 自〓≪玄+玄≫以後司申無買]
一鉄生直者、由来無買、仍不得不章、
一銭壱拾貫[且] 黒葛百了 末醤六斗
     右、便附回使、
以前、依今月八日牒、施行如件、故牒、
                  天平寶字六年七月九日卯時主典阿刀連酒主
                                 判官葛井蓮根道
一新工人等食禄異法、頃者之使皆是新工、冝更不可然、
     

出典

『大日本古文書』5(243頁~244頁)(『正倉院文書』正集5)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)4月15日

記事

奉寫  御執經所
仁王波若經五十部[一百巻]
  右、被弓削禪師宣稱、夏安居間、為奉轉讀内裏、奉請於東大寺者、
  仍老内裏葛木毘登立人、奉請如件、
                天平寶字七年四月十四日朝政官吏生因幡国造田作
  「(別筆)行       判官葛井蓮根道
               主典阿刀連酒主
  令奉請仁王經参拾部[六十巻丹地檜軸]並帙六枚[竹鹿帙綾裏錦緑紫綾帯]
    六部縹紙黄表 <見ニ部 「*未四部」七卷>五部黄紙及表 <見四部【又上卷】一>三部呉桃紙縹表
    七部紅紙縹表[見四部 又下「*未三部」]九部檀紙及表[白 見七部 又上卷「*未三(二ヵ)部」] 納明櫃一合
                付内竪葛木毘登立人           」

出典

『大日本古文書』5(434頁~435頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)5月25日

記事

 御執經所
  奉請長阿含經一部廿二巻 <請>増一阿含經一部五十巻
  中阿含經一部六十巻[請 【欠牙四帙二】]<請>新阿含經一部五十巻
    右、被勝延尼師宣云、上件經等、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪
    岐子松充使、令奉請如前、
          天平寶字七年五月廿五日乾政官吏生因幡国造田作
「(別筆)行
       大僧都法師    主典志斐連麻呂
   上件四部<百>八十二巻[並黄紙及表緒帯朱軸在印綵帙錦縁綾裏但帯 可當東寺内堂經内之]
     納赤染辛櫃一合[寮乙八之]敷帛袷帳一条[四塩朱] 上馬養 」

出典

『大日本古文書』5(442頁~443頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「香山藥師寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦728年)4月11日

記事


  香山藥師寺三綱牒 造寺司務所
  返上借物事
    灌仏大壺壱合[金塗] 花形菓盤壱兄[金塗]
    握(幄カ)壱具[在綱十條即便充 桂廿根西塔所]
    浄衣弐拾領[在袴廿腰 在帯廿條]
    龍頭拾弐枝
  右件物等、天平寶字八年四月十四日小寺主勝貴
           都維那 慚教

出典

『大日本古文書』5(481頁~482頁)(『正倉院文書』續修別集10)

「楽具欠失物注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護2年(西暦766年)4月23日

記事


  欠失物伍種
   呉女従帛〓≪ネ偏+末≫壱片  鉦盤撃〓≪ネ偏+末≫壱両[布]
   酔胡帛汗〓≪衣偏+久≫壱領[己上三種前一具]
   崑崙胚裳壱具  金剛桙≫持[己上二種後二具 〓≪≫壱片]
    右、為用月八日斉會、自倉代請下呉楽二具之内、所欠如件、但以後日成
    求将進、
                 天平神護二年四月廿三日呉服息人 
                       史生大和 虫麻呂
                     
   「(別筆)検察
   三綱  少都維那僧 聞崇
        目代僧 勝行  」
  欠失物事
   横笛壱箇[唐] 尺八一口[唐]
    右、四月八日欠物、注顕申送如前、以解、
             神護二年五月一日少菅麻呂
                   勘知史生大和 虫万呂
    篳〓≪竹冠+律≫ 一隻 付魚主  倉人呉服
  練汗〓≪衣偏+久≫一領  呉〓≪果+衣≫一条  李三綱少都維那法師 聞崇
  □□【魚主】■■[四月八日請内裏]   

出典

『大日本古文書』5(537頁~538頁)(『正倉院文書』續修別集35)

「花會唐樂所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)4月6日

記事

 花會唐<樂>所解 申餘并欠物事
   合弐種[餘臈纈袍一領 欠白練袷袴一領 四月五日下史生秦益倉之内]
    右件物、餘下并欠下二種、勘注申送如件、以解、
            天平神護三年四月六日 散位社下月足
                       倉人田邊
                       舎人村主村主(二字衍字ヵ)田□
                  □□(長方形抜け)史生下道 蔭麿
                   倉人田邊 田道
                   僧 満殖
   前二欠
    酔胡[布衫一〓≪衣偏+夢≫一片] 皷撃[〓≪衣偏+夢≫一両]
    大孤父〓≪衣偏+夢≫[一両] 鉦盤皷二両 勒肚巾二
                    主典志斐連 麻呂
                  史生賀陽 田主
                    少都維那 聞崇
  三綱
  可信正 仙
  酔胡〓≪衣偏+夢≫未返[付山代野守]

出典

『大日本古文書』5(657頁~659頁)(『正倉院文書』續々修44帙10)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
阿弥陀浄土變一鋪
  寶殿一基[漆 八角 高一丈六尺三寸]
  蓋[頂居金花形一〓≪手偏+求≫ 八角居金凰形八口 各作雑玉幡 裏着大蓮花形一枚 並以金銀墨畫飛菩薩鳥雲花等形]
  柱八枝[並以金銀墨畫鳥花等形]
  基二階[上階池礒敷瑠琉(璃カ)地邊着金銅鏤辟金并畫飛井等形 下階在連子着金銅鏤辟端〓≪果+衣≫等高欄上居金花八〓≪手偏+求≫]
  阿弥陀仏像一躯
  觀世音菩薩一躯
  得大勢菩薩像一躯[以上二并在雑玉寶冠]
     右三坐仏菩薩、並塞金色、
  音聲菩薩像十躯[並在雑玉寶冠各持楽器]
  羅漢像二躯[各持香炉]
     右十二菩薩等、塞宍色、
  阿弥陀經卅八巻
  觀无量壽經二巻[以上白紙 紫表 赤木軸]
   [「*失」]納黒櫃一合  [「*失」]机一前[漆]失物
   [「*失」]褥一枚[表錦 裏淺緑纈]       失物
   [「*失」]香印坐花二〓≪手偏+求≫              失物
   [「*堂」]白銅火爐一口 
   [「*堂」]白銅〓≪金偏+林≫二合       机二前[漆]
         褥二枚[並表白綾 裏淺緑纈]
   [「*堂」]白銅磬一枚  磬基花木二枚[金銅]
        灌頂四具[二紫繍身 二繍身 並雑色兄 各在小幡四首]
   [「*堂」]堂幡廿七首[十四白綾身 十三雑色身 並繍]
        小幡〓≪よんじゅう≫四首[廿二赤紫身 廿二黑紫身 並繍]
        緑綱六條[五条各長六丈 一条長二丈五尺]
        緑悵二條[一條七副 一條八副 長二丈二尺三寸]
        緑〓≪あしぎぬ≫端二條[一条五副 一条六副]
        布悵三條[二条各八副 長二丈一尺七寸 一条四副 長三丈二尺]
        布端一條[五副長四尺] 納韓櫃一合[白木]
        琴一面[純金目]     納錦〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[裏
        筝一面[桐和作]     [「*堂」]納黒紫櫃一口[裏 着柱〓≪人偏+戓の口が巾≫]
    [「*堂」]琵琶一面[桐面 後漢 紫檀橿并輪手及頚 ?伏手横返手 大唐]
                  納赤紫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[裏淺緑甲纈]
    [「*堂」]新羅琴一面[桐畫「以金塗 在〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 表黑紫綾 裏綾緑纈]
         和琴三面之中[一面桐 納緑〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 一面檜 一面気美納緑斑〓≪人偏+戓の口が巾≫一口]
    [「*失」]合笙一管[斑竹 長一尺七寸 「失」納沙合纈〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 長四尺]失物
    [「*失」]横笛一管[唐長一尺三寸]
                 [「*失」]納紫交縫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[長三尺三寸]失物
    [「*堂」]床二前[各以胡粉畫水形 裏浅緑 緑錦]
         貫〓≪竹冠+青≫二枚
         覆二條[各申纈沙 三副 長各八尺五寸 一見在一失物]
       聖僧榻一前[作以水精并金塗花形釘 高一尺二寸二五分 廣四尺一寸 長四尺六寸]
    [「*堂」]褥一枚[表臈纈 裏淺緑纈]
    [「*堂」]貫〓≪竹冠+青≫一枚
    [「*堂」]覆一條[表合纈羅 裏淺緑纈]
    [「*堂」]道師榻一前[作以水精并金塗花形釘 高一尺二寸二分 廣四尺一寸 長四尺五寸八分]
         褥一枚[表紫綾 緑黑紫綾 四角貴錦 裏臈纈]
    [「*堂」]短畳一枚[錦錦]      [「*堂」]貫〓≪竹冠+青≫一枚
          右、以天平十三年三月造作畢、安置浄土并來集物等如件、
(後略)   
      

『大日本古文書』5(673頁~677頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
  花厳經一部[八十巻石軸] 帙八枚[雑綵]
  法花經一部[八巻金字 紫紙水精軸] 帙一枚[表畫山水形]
  梵網經二巻[色紙石軸]
  随願藥師經一巻[色紙沈軸]
  十一面經一巻[色紙琥碧軸] 以上〓≪果+衣≫帛一条
  華厳經疏一部[本末廿四巻 慧苑師] 帙二枚[雑綵]
  法花疏一部[十巻基法師] 帙一枚[受使沙弥戒兄]
  最勝王經疏一部[慧照師 六巻] 帙一枚[雑綵]
  薫香四〓≪人偏+戓の口が巾≫[一衣香一霍香 一甘松香]
  [「*堂」]厨子二基[並漆 各高二尺 長二尺五寸 廣一尺三寸]
          表畫山水鳥獣等 作以金銅辟金釘 各着鉄
          裏丹畫菩薩并花等 在紫褥二枚
        〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表錦 裏紫纈] 榻一前[漆敷紫褥]
      檀像観音菩薩一躯[金蓮花坐 基紫檀 臺上在礒]
  [「*堂」]水精塔二基[各餝金雑玉等 基黑柿 臺上在沈磯]
  [「*堂」]厨子一基[漆 高二尺三寸 長二尺三寸 廣一尺三寸]
          表畫山水着金銅辟金釘等 裏胡粉在願文
          扇畫帝釈二像、 在錦褥
       〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表紫地錦 裏臈纈]、榻一前[漆 在紫褥]
    琥碧念珠一貫[水精即]、納草箱一合[小]樸子二條[表合纈 裏淺緑]
    錫杖一柄[白銅長五尺二寸五分]、在錦褥
  机一前[漆] 褥一枚[表錦 裏淺緑纈]
    覆一條[合纈 長八尺六寸「*二副」] 
    牙水角一口[ゝ径三寸五分 長一尺六寸] 納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[紫繍組緒]
     [「別筆」「以寶亀九年十二月四日、依法花寺上座宣、稲人内親王官奉入、」
    畫木箱一合[表紫檀裏白檀 高五寸八分 廣長各五寸]
     納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[繍]
    願文一巻  納草箱一合  僕(?)子一條[表緑裏浅緑合纈]
    香水器二具[漆] 納布〓≪人偏+戓の口が巾≫二合[「*居白木榻兄二前]
    楊花箱〓≪よんじゅう≫口[漆 欠二口] 
    漆韓櫃一合[長三尺一寸形釘在鉄 廣二尺五分 深一尺三寸五分 着金銅花]
     覆一枚[紫綾]    居白木榻
    出墻二條[交副赤黒紫合纈 裏浅緑 長二丈九尺五寸 高七尺]
     白木柱八枝之中[柱弐枝 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫四條[各二副長各二丈 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫端七條之中[六条各三丈 一條一丈]
    縹綱端七條[六條長各三丈 【一條一丈】 「*各長三丈」]
    縹綱六條[二各長六丈 四各長四丈]  帛<「*佐」>衾十六領
    敷布卅條[「*見廿<条」]   布枚綱六條[各長一丈二尺ヽ在見二条 四条欠物]
      右、以時ヽ従家奉納、
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち678頁~681頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

  [「*堂」]厨子一基[文欟長三尺 廣一尺五寸 高二尺三寸 着金銅辟金釘等内 臺二重敷紫褥三枚 在〓≪金偏+蔵≫]
   [「*堂」]香櫃一合[漆 長一尺五寸 廣一尺一寸 高五尺在〓≪≫]
          〓≪人偏+戓の口が巾≫一合[表紫 裏破 ] [「堂」]机一前[漆]
           右、時三綱等買

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち681頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)10月29日

記事

(前略)
  菟毛筆卅五管[買月中]
   用盡[奉寫二部一切経料且]
  帙一千二百九十五枚
    一千一百九十五枚去月殘
    一百枚月中請
     七百廿枚縫畢     二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
     二<三>百五十五枚未縫
  白木籤一千七百五十一枚[不動]
    九百廿一枚去月殘    八百卅枚月中請
  細布被四領[月中請]
   用盡[経師四人料]
  糸一斤[丸組卅六丈七尺料籤緒]
   用十一兩
   殘五兩
  生糸二〓≪糸偏+匂≫
   用一〓≪糸偏+匂≫六兩[縫帙三百五十枚料]
   殘六兩
  帛糸四兩
   用盡[縫畫師等浄衣料]
  錦五匹[匹別五丈]
   用四匹二丈二尺
    三匹二丈二尺二尺<九寸>縁三百五十二條料[三百五十条見用 二条殘]
     九十條長各六尺一寸  一百廿條長各五尺九寸
     一百卅條長各五尺七寸 十條長各五尺五寸[已上廣各一尺五寸]
   四丈九尺八寸<殘二條六尺>頭三百八十二條料[三百五十条見用 卅二條殘]
  紫綾〓≪あしぎぬ≫五匹[欠九尺 見四匹五丈一尺]
   用盡[表帶三百五十條料 長各四尺 廣各三寸六寸<分>]
  雜色〓≪あしぎぬ≫七十三匹四丈九尺
    七匹緑纈綾〓≪あしぎぬ≫      一匹縹纈綾〓≪あしぎぬ≫
    六匹緋〓≪あしぎぬ≫[欠一丈一尺 見五匹四丈九尺]
    廿匹緑東〓≪あしぎぬ≫
    十匹中緑〓≪あしぎぬ≫
    卅匹白橡〓≪あしぎぬ≫
   用盡
    八匹一丈裏三百五十四條料[廣各一尺二寸]
  <用三百五十条  殘四条>
     九十條長各二尺    二百五十條長各一尺九寸
     十條長各一尺八寸
    四匹三丈裏結緒三百五十條料[長各三尺八寸 廣各三寸]
    一匹九尺頭裏五百卅條料[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  <用三百五十条 殘一百八十条>
    六十匹経師装〓≪さんずい+黄≫校生等并六十人浄衣六十領料[領別一匹]
  庸綿一百廿屯
   用盡
    経師装〓≪さんずい+黄≫校生領等并六十人浄衣六十領料[領別二屯]
  細布一端二丈八尺
   用盡[縫帙單浄衣五領料領別一丈四尺]
  紅花十兩
   用盡[縫帙料糸染料]
  糯米五升[大炊]
  小麦三升[〓≪厨の寸がりっとう≫]
   用盡[已上〓≪りっしんべん+塞≫帙三百五十枚裏紙料]
(後略)

出典

『大日本古文書』6(407頁~415頁の内407頁~412頁)(『正倉院文書』續修別集13)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)11月30日

記事

(前略)
錦二丈八尺
頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
縁料錦二條[長各五尺九寸 廣各一寸五分]
頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺二寸]
    「*用組九丈三尺料」
糸五兩   生糸六兩[已上七種去月殘縫帙料]
籤二千六百九十二枚[不動 「*並白木」]
   一千七百五十一枚去月殘
(後略)

出典

『大日本古文書』6(417頁~422頁の内419頁)(『正倉院文書』續修別集13)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)12月30日

記事

(題籤表)寳 龜 三 年  (同裏)四年告朔案
(前略)
  錦二丈八尺
  頭料錦卅二条[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  縁料錦二条[長各五尺九寸]
  頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺七<「*五」>寸 廣各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺二寸]
  糸五兩
   用盡[丸組九丈三尺料]
  生糸六兩[已上七種去月殘 縫帙料]
  捺揩綿衣一兩[充経師一人浄衣料 請月中]
  袴十腰[月中請]
   一腰帛【合】綿袴   九腰緑合<「*袷」>袴
   用盡[充経師十人浄衣袴料]
  白橡〓≪あしぎぬ≫四匹三丈
   用盡[綿袴縫十一腰料即充経師十一人袴料]
(中略)
  庸并黒綿二百五十八屯
   用六十一屯
    経師装〓≪さんずい+黄≫校生領等六十一人綿袴六十一腰料[腰別一屯]
   殘一百九十七屯
  紺布端一條[長二丈五尺 代在調布二丈五尺]
  調布三端
(中略)
  黄紙卅七万五千八百卅一張
    廿<「*卅」>【七】万九<「*二」>千九「<*八」>百五十一張請経所[且用]
    九<「*七」>万九<「*二」>千八<「*九」>百八十張殘正倉
     右自〓≪あしぎぬ≫迄于黄紙十種自先奉寫一切経司請来
  〓≪糸偏+竒≫五百六十八丈五尺[【不動】]
    三百九十六丈五尺去月殘  一百七十二丈買月中
   用三百丈          殘二百六十八丈五尺
  丸組〓≪よんじゅう≫六丈[緋]
    卅六丈七尺去月殘     九丈三尺組月中
  帙一千四百九十三枚[去月殘]
    九百七十枚縫畢<「*三百三枚未縫」>  二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
  白木籤二千六百九十二枚[去月殘 不動]
(中略)
  墨五百九十二廷
   用一百七十七廷       殘四百十五廷
  膠三斤三両一分[太]
   用一斤[依政所料充四王彩色所]
   殘二斤三両一分
(中略)
  辛櫃一百六合
    〓≪よんじゅう≫五合漆塗        六十一合白木
    八十四合請経所      廿二合収正倉
  折櫃一百十七合
    十合請経所        一百七合収
(後略)

出典

『大日本古文書』6(446頁~463頁の内448頁~457頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「倉代四端雜物下用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773)1月7日

記事

 (題籤表)倉代西端     (同裏)寳龜四年
(紙端)
倉代西端     寳龜四年
正月
七日下端疊參拾枚 「(別筆)以同月廿一日返上」
  右為用吉祥悔過所借下付別當僧徳意
     僧 恵 〓≪王偏+揺の旁≫      史生小治田年足 倉人志斐枚万呂
廿八日下端疊漆拾枚 〓≪あしぎぬ≫紺帳伍條[別五副 裏]
       「(別筆)四月廿一日返上了」
  右件二種物為用上十一面悔過衆僧座料下充付法師實忠[見使参林師]
可信  本三綱 恵 〓≪王偏+揺の旁≫ 目代僧    [造寺史生大和虫麻呂 倉人志斐枚万呂]
二月二日下疊壹伯枚[端五十枚 大仏殿下充[付徳懿師 奉願師] 臈纈五十枚 歩廊下充[付鳥取国万呂 又同石狩]]
  紺帳<布袷>伍條[別四副 付鳥取国麻呂同石狩] [「(別筆)以四月廿七日且返〓≪よんじゅう≫九枚 未返一枚可進石狩」]
   右物者且三綱見度如件但未勘損破
寺主 玄 愷
可信 璟 〓≪りっしんべん+豈≫      造寺司
本三綱恵〓≪金偏+固≫       大判官美努連 奥 麻 呂
             主典葛井連 荒 海
             史生土師諸土 倉人志斐枚万呂
(紙端)
(後略) 

出典

『大日本古文書』6(465頁~468頁の内465頁~466頁)(『正倉院文書』續修後集49)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)1月29日

記事

奉寫一切經所解 申正月朔事
合奉寫一切經陸仟玖伯肆拾漆卷
    三千七百廿三卷先奉寫一切経司
    三千二百廿四卷奉寫寺家[自去寳龜三年二月十五日 迄于今年正月廿九日]
  錢陸貫参伯【陸拾漆文】<*「七十文」>[殘]
    一貫三百【六十七文】<*「七十文」>去月殘 五貫月中請
  綿(錦カ)二丈八尺      頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺五寸]
  生糸六両[已上去月殘 縫帙料] 〓≪あしぎぬ≫端卅七條[廿三条〓≪糸偏+ム+貝≫[「*〓≪あしぎぬ≫」]四条東[「*〓≪あしぎぬ≫」]]
  庸并黒綿一百九十七屯[殘]   紺布端一條[長二丈五尺 「*代有調布内」]
  調布一端一丈二尺       同布端四条[長各二丈]
  庸布十二段          同布端廿八条
  商布十九(段脱カ)[「*已上去月殘」]
  黄紙卅七万五千八百卅一張
    【廿七万九千九百五十一】<*「卅万二千八百五十一」>張請經所[且用]
    九<「*七」>万九<「*二」>千八<「*九」>百八十張殘正倉
  〓≪糸偏+竒≫二百六十八丈五尺[「*殘」]  丸組〓≪よんじゅう≫六丈[「*殘」]
  帙一千四百九十三枚[「*殘」]
    九百七十枚畢縫      二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
    三百三枚未縫
  白木籤二千六百九十二枚[不動]
  軸二万三千二百九十九枚
    六千二百五十九枚請經所[且用]
    一万七千〓≪よんじゅう≫枚収正倉
  墨四百十五廷
  膠二斤三両一分        布綱〓≪よんじゅう≫四條
  鍬十四口           米五斗
(後略)

出典

『大日本古文書』6(469頁~473頁の内469頁~471頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)2月30日

記事

奉寫一切經所解 申正月朔事
合奉寫一切經陸仟玖伯肆拾漆卷
    三千七百廿三卷先奉寫一切経司
    三千二百廿四卷奉寫寺家[自去寳龜三年二月十五日 迄于今年正月廿九日]
  錢陸貫参伯【陸拾漆文】<*「七十文」>[殘]
    一貫三百【六十七文】<*「七十文」>去月殘 五貫月中請
  綿(錦カ)二丈八尺      頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺五寸]
  生糸六両[已上去月殘 縫帙料] 〓≪あしぎぬ≫端卅七條[廿三条〓≪糸偏+ム+貝≫[「*〓≪あしぎぬ≫」]四条東[「*〓≪あしぎぬ≫」]]
  庸并黒綿一百九十七屯[殘]   紺布端一條[長二丈五尺 「*代有調布内」]
  調布一端一丈二尺       同布端四条[長各二丈]
  庸布十二段          同布端廿八条
  商布十九(段脱カ)[「*已上去月殘」]
  黄紙卅七万五千八百卅一張
    【廿七万九千九百五十一】<*「卅万二千八百五十一」>張請經所[且用]
    九<「*七」>万九<「*二」>千八<「*九」>百八十張殘正倉
  〓≪糸偏+竒≫二百六十八丈五尺[「*殘」]  丸組〓≪よんじゅう≫六丈[「*殘」]
  帙一千四百九十三枚[「*殘」]
    九百七十枚畢縫      二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
    三百三枚未縫
  白木籤二千六百九十二枚[不動]
  軸二万三千二百九十九枚
    六千二百五十九枚請經所[且用]
    一万七千〓≪よんじゅう≫枚収正倉
  墨四百十五廷
  膠二斤三両一分        布綱〓≪よんじゅう≫四條
  鍬十四口           米五斗
(後略)

出典

『大日本古文書』6(476頁~484頁の内476頁~480頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)3月30日

記事

奉寫一切経所解 申三月朔告事
合奉寫一切経漆仟漆伯拾<「*卅二」>卷
   三千七百廿三卷先奉寫一切司
   四千【三百八十七】<「*九」>卷奉寫寺家[自去年二月十五日 迄于今年三月卅日]
(中略)
  錦貳丈捌尺縁料錦二條[長各五尺九寸 廣各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  裏料纈四條[長各一尺九寸 廣各一尺五【分】寸]
  糸六両
   用三両[帙着一百九十二枚表帶料]
   殘三両[已上縫帙料]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸偏+ム+貝≫〓≪あしぎぬ≫ 四條東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯[殘]
  紺布端一條[長各二丈五尺 代在調布之中]
  細布衾五領[月中請]
   用盡[経(師脱カ)四人校生一人并五人料]
  調布一端一丈二尺[殘]
  同布端四尺[殘]
  庸布十段一丈二尺[殘]
  商布十段一丈八尺[殘]
  庸布端廿八條[殘]
  黄紙一十二万八千七十張
    五万九十張
     二万五千〓≪よんじゅう≫五張[去二月十三日請]
     二万五千〓≪よんじゅう≫五張[月中請]
      右奉寫十部一切經願文料自先奉寫一切經司請来
    七万二千九百八十張[自正倉請月中]
  納辛櫃廿六合
    十三合自先奉寫一切経司請[二合漆塗 十一合白木]
    十三合自正倉請[並白木]
  凡紙五百張
    三百五十張去二月十三日請
    一百五十張請月中
   用盡
    経紙二万張端継料
  〓≪糸偏+竒≫三百〓≪よんじゅう≫五丈五尺[殘]
    一百八丈五尺去月殘
    二百卅七丈買月中
  丸組〓≪よんじゅう≫六丈[去月殘]
(中略)
  白木籤二千六百九十二枚[去月殘]
  雜色軸一万七千〓≪よんじゅう≫枝[自正倉請月中]
  納白木辛櫃六合
  墨三百七十七廷
   用【盡】廿三廷
   殘三百五十四廷
「*問」菟毛筆〓≪よんじゅう≫管        【廿八管】
    廿八管去月殘
    十二管請月中
   用盡奉寫二部一切経料
  膠二斤三両一分[去月殘]
  布綱〓≪よんじゅう≫<四>條[去月殘]
  鍬十四口[去月殘]
  米五斗[去月殘 「*可進納味酒廣成」]
(中略)
  葛野蓆三枚
  葉薦八枚[已上二種用盡経師等宿所料]
  竹十株
   用盡[奉着二部一切経標紙料]
  釘一百七十四隻[五十隻長各<五>寸 一百廿四隻長各四寸]
  〓≪竹冠+青≫子廿七村        〓≪木偏+若≫〓≪よんじゅう≫荷
  針繩卅五了        榲榑五<十>村
  歩板二枚         藁七十圍
  黒葛一了         瓦四百七十枚[四百廿枚筒瓦 五十枚々瓦]
    已上九種用盡廁一宇作料
(後略)

出典

『大日本古文書』6(498頁~508頁の内498頁~506頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事


  六年【四】六月
    最勝王經十无一百巻[黄紙及綺帯木畫軸]
    法華經十五部一百廿巻[十二月角院讀 黄麻紙及〓≪衣偏+票≫紫綺水精軸竹帙鹿錦縁裏]
        右件經、宮 八月二日、 即七年六月七日飛鳥寺斎會、
    无垢稱經六巻[黄麻紙及紫綺赤木軸]
    注維摩經六巻[黄麻紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]
    理趣經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]
        右經、宮院 進御所、七年三月大進

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内20頁~21頁)(『正倉院文書』續々修12帙3)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丙櫃
  涅槃經一部〓≪よんじゅう≫二巻[二巻後分 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 綾裏]
   又一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 紫綾縁 緑裏]
   又卅六巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹帙 紫綾縁 緑裏]
  法華經一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 綾裏]
   又一部八巻[白麻紙 緑表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 綾裏]
   又廿九部[各八巻 黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦綾裏]
    丁香二袋 草香一袋
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内199頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丁櫃
  金光明經一部八巻[白麻紙 〓≪衣偏+票≫表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部八巻[黄紙橡表 綺緒 紫檀軸 印 无帙]
   又一部四巻[黄紙橡表 綺緒 漆軸]
   又一部四巻[黄紙及表 印 无緒軸]
  華嚴經一部八十巻[欠第七帙 黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹綵帙 錦裏 錦綾裏 印]
   大乗十輪經一部十巻[黄紙及綺緒 白檀軸 竹帙綵 綾裏 印]
   佛名經一部十三巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁 綾裏 印]
   維摩詰經一部三巻[黄紙 紫表 綺緒 花軸 金字題 印]
    又一部三巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印 无帙]
    又一部三巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 漆軸]
  維摩詰經一部十巻[欠第六巻 橡麻紙及表 紫綾緒 朱頂軸 竹帙 錦縁 綾裏 印]
  虚空孕菩薩經一部二巻[一巻无軸 黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  摩登伽經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  思益經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   又一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  虚空藏經八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  僧伽咤經一部四巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  禪秘要經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  摩訶般若波羅蜜呪一部二巻[欠一巻 白紙橡表 綺緒 漆軸 印]
  孔雀王經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  佛頂尊勝陀羅尼經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 馬脳軸 金泥字 印]
   又三巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  理趣經一巻[白麻紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
  金剛般若經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  金剛般若注序一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  文殊般若一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
  藥師經一巻[色紙黄表 綺緒 漆軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
   又一巻[上同但无軸印]
   又三巻[上同但朱軸印]
  子注多心經一巻[上同]
  心經十四巻[色紙及表 綺緒 十巻朱頂軸 一巻朱軸 一巻白檀軸 二巻漆軸 皆印]
  大方等如來藏經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  温室經一巻[白麻紙 黄表 綺緒 玉軸 印]
  十一面經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
  仏名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  光讃般若經十五巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印 无帙]
  弥勒上生經一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  无畏徳女經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  随願往生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  疾病經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  千手千眼經〓≪よんじゅう≫九巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  遺敎敎一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  觀世音經十一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
  寶結菩薩經二巻[黄紙及表 緒 朱頂軸 印 上下]
  梵網經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  般若波羅蜜多大心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   丁香一袋 生木香一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内200頁~203頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納■帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 戊櫃
   法華經一部八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 綾裏 印]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙綵 錦縁 綾裏 印]
    又二部十六巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦縁 綾裏 印]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 綾裏]
    又三部廿四巻[白紙 黄表 緑綺緒 朱軸]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 竹帙 錦縁 裏]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 黑柿花軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    正法華經一部十巻[黄紙及表 綺緒赤木軸]
   最勝王經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 穀皮紙帙]
   仁王經一部二巻[上下黄紙及表 綺緒 朱軸]
   金剛般若經五十四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又五巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 紫緒 花軸]
    又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
    又一巻[白紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
    又二巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 一巻 印]
   觀佛三昧經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   大灌頂經一部十二巻[欠八巻 黄紙 橡表 紫綺緒 朱軸]
    又一巻[〓≪衣偏+票≫紙及表 綺緒 白檀軸 金泥字]
    又三巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   灌頂經一部十二巻[欠第五七八九十十二 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又五巻[並第九巻 黄紙及表 綺緒漆軸]
    又三巻[第五七八 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 漆軸 印]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   藥師經卅七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又六十九巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 朱軸 印]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 紫綺緒 白檀軸]
    又一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   新藥師經二部四巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
    又三部六巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 馬脳軸]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内204頁~207頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 庚櫃
   喩伽論百巻[黄紙及表 紫綺緒 朱軸 竹帙 紫綾縁 裏 緑拾組帯]
   大智度論百巻[黄紙及表 緒 朱頂軸 錦縁]
   唯識論十巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁]
   唯識述義二巻[白紙及表 无緒軸]
   大般涅槃經疏二巻[白紙及表 无緒軸]
    又十五巻[白紙 黄表 緑綺緒 漆軸]
   成唯識論疏十三巻[白紙及表 无緒軸]
   願文一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
   又雜願文一巻[白紙及表 无軸緒]
   二諦義一巻[白紙]
   供養文一巻[白紙]
   佛印一巻[白紙黄表 綺緒 赤木軸 印]
   維摩經一巻[黄紙及表 无軸緒]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内212頁~213頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

辛櫃
  喩伽論百巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹帙 縁 裏 帯]
  廣百論十巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 裏]
  佛地論七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹綵帙 錦縁 裏]
  成唯識論七巻[白紙 无緒軸]
  金剛般若論四巻[白紙 无緒軸]
  大乗起信論一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
  大乗五薀論一巻[白紙及表 竹軸]
  一切經音義十一巻[白紙及表 无緒軸]
   又十二巻[六黄紙及表 六白紙及表]
  -五明論一巻[白紙及表 朱頂軸]
  -法華玄讃四巻[白紙及表 无緒軸]
  解讃阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 金泥軸 印]
  彌勒成佛下生論疏一巻[白紙及表 漆軸]
  羯磨文一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  大般涅槃經疏一巻[白紙及表 无軸緒 印]
   丁香一袋 草香一袋 青木一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内214頁~215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 壬櫃
   随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   多心經七十巻[黄紙及表 綺緒 六十三巻漆軸 七巻朱軸]
   大雲經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   大吉義呪經四巻[白紙及表并无軸緒 印]
   法華經卅(巻)[黄紙及表 朱頂軸 班綵帙 綾裏]
   海龍王經四巻[黄紙及表 赤木軸 无緒]
    丁香三袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 〓≪さんずい+冗≫厨子
   十論經十巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏 拾組帯]
   華嚴經八十巻[欠第一巻 又四帙第卅四卅五卅六卅七卅八卅九 呉桃紙 紫羅表 綺緒 〓≪さんずい+冗≫軸 竹帙 錦縁 紫綾裏 拾組帯]
   法華經八巻[紫紺錦表 綺緒 以玉錺軸 竹帙 錦縁 綾裏 金字題]
    又八巻[紫紙 紫羅表 綺緒 琥珀軸 金字題]
   稱讚浄土經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 以金錺軸 金字]
   最勝王經一巻[複 黄紙 紺表 綺緒 花軸 金字題]
    又一部十巻[白麻紙 白綾表 白綺緒 水精軸 无帙]
   能〓≪米偏+斤≫(断)金剛般若經一巻那伽室利般若經一巻
   曼殊室利般若經上巻 又下
   不空羂索神呪心經一巻[已上並呉桃紙及表 緑綺緒 朱軸]
   理趣經一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   千手千眼觀世音經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   觀普賢菩薩行法經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   佛頂尊勝陀羅尼經一巻

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内216頁~217頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 丙櫃
(中略)
   法華經八巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹帙綵 錦縁 裏 十五年二月廿四日奉請敎勝所万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内217頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「冩經所大般若經本奉請分」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)4月16日~天平18年4月19日

記事

西宮奉請大般若經本三百卷[自初至卅帙帙卅枚]大般若寺經者
  黄紙黄表朱漆軸綺緒竹帙紫縁紫帯
(後略)

出典

『大日本古文書』8(458頁~459頁)(『正倉院文書』続々修4帙24)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

法花經十部[別帙在竹帙裏紫緑及帶之中四部朱軸六部白木軸]
  右、以天平勝寳四年正月十二日、奉返於山階寺、
                      使村山首万呂
                      知呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内607頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

八十花嚴經第二帙[十巻黄紙及表紫檀軸紫班綺緒竹簫(繍)帙黒紫黒錦緑緑裏緒]
   納塗赤漆小着足櫃一合[先納胡桃染紙自内裏來櫃者]
  右爲<用>今奉寫八十花嚴經第二帙様所謂如前、
             天平勝寳四年八月廿四日他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内609頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

楞伽經一部四巻[金字紺紙紫<表>以金繪又以銀畫神王形綺緒瑪瑙軸无一端 竹綵帙在神王形裏組帯]
   納白檀函一合[以牙并雜玉餝]又小明櫃一合、足別机一、
    右、以天平勝寶五年二月十日、為本、自内裏奉請如前、[使阿部雄足、大伴蓑麻呂、]
                       収呉原生人
    「(異筆)【右以八月十八日依次官宣奉返岡本院使上馬甘又以廿日奉請】」

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内612頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

大般若經一部六百巻[黄紙及表綺緒白檀軸竹綵錦緑組帯 无帙六枚辛手者四帙第一巻初枚墨穢十四帙表并題異卅六帙第五巻落一張]
納漆辛櫃三合[〓≪果+衣≫布紺?]布綱三條
   右、為用本、自河内雪寺、奉請如前、[使志紀賣良万呂、]
           天平勝寶六年三月廿六日上馬養
                         呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内613頁~614頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

諸經要集一部廿卷[黄紙錦表綺緒紫檀軸綵帙錦縁浅緑裏羅帯之中一枚軸端折]
   右、自大唐法進師請來、
                  七歳六月廿五日上馬養
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内615頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「千部法華經料紙緖軸帙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)1月10日~天平21年3月11日

記事

  十三日自宮給出綠斑綺緖八條[惣長六十九丈六尺]
    竹帙四十五枚[裏錦綠拾組緖]已丈並千部料且所給
                 検納阿刀酒主

出典

『大日本古文書』10(6~10頁のうち7頁)(『正倉院文書』續々修5帙6)

「經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)5月27日

記事

大寶積經一部百廿卷
大集經一部卅卷[並黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙裏錦縁組帯牙籖十四枚 大集經第三帙无籖宮一切經者]
  納漆韓櫃一合敷布一條 又一經机一前 敷布二條[政所者]
   右、納少僧都良弁師天平勝寳五年四月十六日宣、奉請内裏[使上馬養、]

放光般若經一部[卅卷]大品般若經一部[〓《よんじゅう》卷]光讃般若經一部[十五巻]
又光讃般若經一部[十巻]摩訶般若鈔經一部[五卷]
道行般若經一部[十巻]小品般若經一部[十巻]勝天王般若經一部[七卷]
花嚴經一部[八十卷]已上黄紙及表綺緒紫檀軸竹繍帙裏錦縁組帶牙籖
花嚴經一部[六十卷]黄紙及表綺緒梨軸竹綵帙裏錦縁組帶
  納漆塗韓櫃二合敷布四條一切經机一前
   右、依少(良辨)僧都天平勝寳五年四月十八日宣、奉請内裏、
   使飽田石足 壹志豐人   知上馬甘

出典

『大日本古文書』10(275頁~284頁の内280頁~281頁)(『正倉院文書』續々修十五帙五)

「寫經所雜物借用并返納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)7月16日

記事

(前略)
  帙一枚[裏錦縁地白者町方織]
   右、以勝寳三年三月十七日、依葛井(根道)主典口状借遣、[使糸井谷万呂]
            返來了 知呉原生人

出典

『大日本古文書』11(3頁~9頁の内5頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙一)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)3月3日

記事

「(端裏書)千部用仁王疏反上」
  造東大寺司  牒岡本寺
   奉請法花經壹佰玖拾部[千部之内者 橡表【黄】紙漆塗軸]納〓≪木+貴≫六合<无〓≪金+巣≫>
    帙【壹】佰玖拾枚[【百卅二枚千部内 五十八枚以宮一切經料借用】]
     竹帙百卅二枚千部内[ 錦縁裏八十六枚拾組緒卅六枚紫緒]
     繍帙五十八枚一【二】切經料借着[錦縁緋<裏>紫緒]
  牒、依紫微中臺今月二日牒旨、奉請如前、故牒、
           天平勝寳二年三月三日主典從八位下美努連(奥麻呂)
                    判官正七位下田邊史(眞人)
(後略)

出典

『大日本古文書』11(176頁~177頁)(『正倉院文書』續々修十六帙三)

「經疏櫃帙等借用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)6月16日

記事

(紙端)
□□□(長方形抜け)枚賛紙用百部[三枚又一 六月十一日道主]以六月十六日借用千部料二部[百部者]
以七(月脱)廿一日請反起信論疏一卷[上卷者]右附舎人糸井谷万呂反、判官上毛野、
  □(漆)塗經櫃一合[以金墨畫 納小赤櫃一合]
          右依長官王(市原王)宣即宮舎人付闇智東人進送  六月十六日
教輪師借帙一枚[雲間裏 〓≪金+截≫縁拾組緒]右爲樣差寳進沙弥令請如件<以七月廿日反上已訖使寳進沙弥>[七月十三日]
  政所進下漆塗辛櫃一合[無〓≪金+巣≫者]
右依勝寳二年六月十四日次官佐伯(今毛人)大夫宣【差】付舎人長谷部馬甘進下如前[【八月七日借用百部料端繼紙六十一張】]
八月七日爲帙一切經借用百部料凡紙六十一張 阿含紙〓≪よんじゅう≫張伊(加脱カ)万呂所在
七月廿一日充唯識論疏六卷[受丈部]七月廿四日十一面經料借用百部料(從來報納)端繼紙卅三張
(紙端)

出典

『大日本古文書』11(255頁)(『正倉院文書』續々修四十二帙四裏)

「本經論返送注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月29日

記事

 合四百冊【一】三卷[以外目録一卷]
  花嚴經七帙[七十卷漢手黄紙及表【繍帙】竹綵帙<綾>裏錦縁紫檀軸<綺帶>新譯
   又五帙[五十卷漢手黄紙及表竹帙二枚裏朱頂軸] 舊譯
   又六帙[六十卷漢手黄紙及表竹帙<綺帶>錦縁裏朱軸  舊譯
  法花經一部[八卷漢手黄紙及表竹帙錦縁<綾>裏白檀軸綺帶]
  十輪經一帙[十卷漢手黄紙及表【繍】竹綵帙白檀軸綺帯]
  新翻藥師經二卷[黄紙及表紫綺緒黒柿軸]
  心經一卷[白紙及表漆軸 故兵部卿(大伴牛養)手]
 
  雜經四卷[藥師經一卷 大仏頂經一卷 觀世經一卷 並漆軸 觀世經一卷 朱軸]
  遺敎經一卷[漢手黄紙及表〓≪あしぎぬ≫帶朱頂軸]
  順正理論八帙[【七十九卷】漢手黄紙及表竹<綺帶>縫帙錦縁三枚裏【四】五枚縁裏花軸金字題 欠四帙第六卷 牙占]

 顯宗論四帙[【卅七卷】漢手黄紙及表竹帙錦縁三枚<綾>裏一枚縁裏花軸金字題牙占 欠一帙第三九十卷]

 大智度論十帙[百卷漢手黄紙及表【繍帙】綺帶竹綵帙錦縁<綾>裏白檀軸帙<牙占>一枚无占]
  梵網經一卷[漢手黄紙及表白(マヽ)檀軸綺帶印]
  内裏經
  花嚴經第一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒沈軸竹帙錦縁紫裏紫(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 十輪經一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒紫檀軸竹帙紫縁錦裏(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 經論目録一卷[白紙无表及緒軸]「(追筆)已上納櫃一合」

 以前、為將用本、奉請件經、今依先數、奉返如前、
            天平勝寳二年七月廿九日

出典

『大日本古文書』11(353頁~354頁)(『正倉院文書』續々修十六帙四)

「本經論返送注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月29日付

記事

(前略)
  十輪經一帙[十卷漢手黄紙及表【繍】竹綵帙白檀軸綺帯]
 
  新翻藥師經二卷[黄紙及表紫綺緒黒柿軸]
  心經一卷[白紙及表漆軸 故兵部卿(大伴牛養)手]
 
  雜經四卷[藥師經一卷 大仏頂經一卷 觀世經一卷 並漆軸 觀世經一卷 朱軸]
  遺敎經一卷[漢手黄紙及表■帶朱頂軸]
  順正理論八帙[【七十九卷】漢手黄紙及表竹(綺帶)縫帙錦縁三枚裏【四】五枚縁裏花軸金字題 欠四帙第六卷 牙占]

 顯宗論四帙[【卅七卷】漢手黄紙及表竹帙錦縁三枚(綾)裏一枚縁裏花軸金字題牙占 欠一帙第三九十卷]

 大智度論十帙[百卷漢手黄紙及表【繍帙】綺帶竹綵帙錦縁(綾)裏白檀軸帙(牙占)一枚无占]
  梵網經一卷[漢手黄紙及表白檀軸綺帶印]
  内裏經
  花嚴經第一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒沈軸竹帙錦縁紫裏紫(■)組帶

 十輪經一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒紫檀軸竹帙紫縁錦裏(■)組帶

 經論目録一卷[白紙无表及緒軸](追筆)「已上納櫃一合」

 以前 為將用本 奉請件經 今依先數 奉返如前
            天平勝寳二年七月廿九日

出典

『大日本古文書』11(354頁)(『正倉院文書』續々修16帙4)

「呉原生人藥師經奉請文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)6月8日

記事

藥師經百卷[〓《よんじゅう》巻花軸六十卷梨軸並黄紙及表〓《糸+六+可》緒[十巻新翻者]]
  綵帙十枚[町方錦縁地赤着裏]
以前依次官佐伯宿祢勝寶三年六月八日宣奉請如前[付臺舎人沼江道足并敦賀石川等]
                天平勝寶三年六月八日呉原生人
          「(異筆)判令請主典紀朝臣(池主)」
  「(又異筆)同日奉返了」                         

出典

『大日本古文書』12(1頁~2頁の内2頁)(『正倉院文書』續々修16帙2)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

「(題籖表裏同文)自所々請來經帳」
如法經
合壹拾貳部貳佰參拾卷[黄紙及表〓《木偏+聖》軸紫緒〓《竹冠+秋》〓《竹冠+處の異体字》帙紅深染裏紫縁並紵者]
  花嚴經二部[一部六十六卷 一部八十卷]
  法華經八部[六十四卷]
  最勝王經二部[廿卷]
荘嚴物合十七種
  墟三具[並彩色]
  盖三覆[並表紫裏別副二條]
  經覆六條[三條表紫裏紅 三條紅]
  敷布六條[並紅]
  經櫃三合[並塗黑漆]
  覆明櫃三口
  小幡十旒[並紅]
以前以天平勝寳四年五月十五日從珎努宮奉請如前
         天平勝寳四年五月十六日主典從七位上阿刀連(酒主)
次官正五位上兼行下總員外介佐伯宿祢(今毛人) 判官正六位上勲十二等大藏伊美吉(萬里)
                判官從六位下阿倍朝臣(眞道)
                主典從七位下美努連(奥麿)
                主典從七位下紀朝臣(池主)
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内287頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

法華經一部  最勝王經二部廿卷[並黄紙及表綺緒紫〈檀〉軸麁帙裏縁錦]
薩遮尼乾子經一部十卷[黄紙及表綺緒朱軸綵帙綾裏錦縁]
  右以二月廿七日自圖書寮請來[安置花嚴厨子]
             已上並收納呉原生人
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内290頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
仁王經卅三部[六十六卷]綵帙十三枚[錦縁綾裏]
  右仁王會時自藥師寺請來依仁王會裝束司宣收置此所者
           天平勝寳八歳八月十五日上
                    呉原「(自署)生人」
(紙繼目)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内291頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
「(忍人筆)灌頂經一部十二卷[黄紙及表綺帶木繪軸]
   綵帙壹枚[地臈纈裏紫縁及結緒]
    右以六月廿一日奉請如件
            願主越前國足羽郡江下郷生江臣家道女
  以前經并論等依來數検納如件
                   上村主「(自署)馬養」
                   能登忍人
             判官川内畫師(祖足)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内291頁~293頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「仁王經奉請檢受注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月12日

記事

仁王經卅七部[卅六六部並黄紙及表綺緒朱軸一部黄紙及表綺緒无軸]
  竹綵帙十三枚[並裏錦縁〓《手+畷の旁》組帶]
   右自藥師寺奉請如前
              三月十二日検受呉原生人
「(馬養筆)仁王經一部[二卷]
  右以五年四月廿七日令<奉>請下毛寺付僧神裕 知上馬養」

出典

『大日本古文書』12(425頁)(『正倉院文書』續々修16帙6)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

放光般若経一部[卅卷]      大品般若經一部[□□□(長方形抜け)]
光讚般若經一部[十五卷]     又光讚般若經一部[□□□(長方形抜け)]
摩訶般若鈔經一部[五卷]     道行般若經一部[十卷]
小品般若經一部[十卷]      勝天王般若經一部[七卷]
花嚴經一部[八十卷 已上黄紙及表綺緒紫檀軸竹繍帙裏錦縁組帶牙籤]
  「*右以廿一日奉返如前[收馬甘]」
花嚴經一部[六十卷黄紙及表綺緒梨軸竹綵帙裏錦縁組帶]
  納漆韓櫃二合敷布四條[政所者] 一切經机一前
   右依少僧都天平勝寳五年四月十八日(宣脱カ)奉請内裏[付飽田石足一志豊人]
                     知上馬甘

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内432頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

大灌頂經一部[十二卷 黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙裏錦縁紫帶牙籤 納小明櫃一合足別机一前敷布一條〔政所者〕]
  右依次官佐伯宿祢(今毛人)主典阿刀連(酒主)天平勝寳五年四月廿日宣奉請内裏[付大伴〓《草冠+衣》万呂]
                      上馬□(甘)

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内432頁~433頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

仁王經十部廿卷[黄紙及表綺緒朱軸綵帙二枚裏組帶納明櫃一合又足別机一前 内堂經者]
  右依判官上毛野君主典阿刀連天平勝寳五年五月廿五日宣奉<請>〓《圖の国がまえなし》書寮
[使其寮仕丁守部荒國]
                    呉原生人
                    上「(自署)馬甘」
「(馬養筆)以已上六月十七日奉返了   收呉原      上馬養」

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内434頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乘經
                「*黄紙及表朱軸綺帶」
放光般若波羅蜜經二部六十卷[【並綵】「*織」帙【綾】裏錦縁組帶 【可求第二帙】「*【一部唐手】 一部決【第】中【一】帙【一】」]
摩訶般若波羅蜜經【三】四部百廿<四>卷
  二部八十卷[並<「*黄紙」>綵帙【綾】裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[麁帙淺縁【綾】裏錦縁漆軸帛帶]
  一部四卷注[麁帙黄【綾】裏錦縁組帶]
又【第二帙】十卷[第二帙【綵】「織」帙【綾】裏錦縁組帶]
光讃般若波羅蜜經三部〓《よんじゅう》卷
  二部卅卷[並綵帙綾錦縁組帶「*【又音義一巻白紙无軸】]
  一部十卷[麁帙黄綾裏錦縁朱頂軸黄綾帶]
道行般若波羅蜜經【三】二部廿<【七】>卷[【二部廿卷 一部七卷无帙】【並】「*各」綵帙綾裏錦縁組帶]
小品般若波羅蜜經【三】「*四」部【廿七】「*卅四」卷
大明度無極經一部四卷无帙
  二部廿卷[並綵帙綾裏錦縁組帶]
  【一】「*二」部七卷[「*一」麁帙綾裏錦縁組帶「*一无帙」]
勝天王般若波羅蜜經二部十四卷[並<「*各」>綵帙綾裏組帶<「*錦縁」>]
   「*已上第一櫃[敷帛<袷>帳一条四副]」
「*文殊般若經一巻  文殊所説般若經一巻已上二巻同帙麁帙紫縁緑裏組帶
濡首菩薩無上清浄淨分衛經一部二卷[綵帙綾裏錦縁組帶]
  「*百九十【七】「*八」巻舍衛國三巻婆伽婆〔之中二卷紫檀軸一朱軸〕」
金剛般若波羅蜜經二百部二百<一>卷[【並】麁帙【深】廿枚緑綾<裏>紫綾縁及帶漆軸]
「(擦消)【文殊般若經一巻」文殊所説般若經一巻】
能斷金剛般若波羅蜜<多>經廿部廿<一>巻[並麁帙綾裏錦縁組帶]
仁王護國般若波羅蜜經卅【一】五部六十<【三】五>卷[綵帙三枚綾裏錦縁組帶之中【二】四部漆軸一卷白木軸一卷朱軸]
  【廿九部朱軸】
  【二部漆軸】
般若波羅蜜多經理趣分【八】九十部【八】九十卷[麁帙八枚綾裏錦縁組帶]
   「*已上二櫃帛帳」
般若波羅蜜多心經三千七百卷[麁帙一枚綾裏錦縁]
大寳積經一部一百廿卷[无帙]
   「*已上三櫃」
大方廣三戒經一部三卷[綵帙]无量清淨平等覺經二卷[麁帙縁綾裏紫綾帶組]
无量壽經一部二卷[綵帙]  觀无量壽經九卷[麁帙]又二卷[銀軸无帙]
又四卷[一卷白紙无軸一卷白檀軸一卷朱頂軸]
阿〓≪門+人人人≫仏國經一部二卷[綵帙]
發覺浄心經一部二卷[綵<鹿>帙緑綾裏紫綾緑組帯]
[聖善住意佳意天子所問經三巻綵帙]
毘邪婆問經一部二卷[綵帙【已上綾裏錦縁組帯】]
大方等大集經二部百巻[【並】綵帙十枚【綾裏錦縁組帯】已上綾裏錦縁組帯]
大集【月】日藏經一部十巻[无帙]
大集月藏經一部十巻[无帙]
大乗大集地蔵十輪經十<二部廿>巻[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯「一部无帙」]
大方廣十輪經【三】四部【廿四】卅二巻
[一部八巻]
一部八巻[綵帙<上二部並>綾裏錦縁組帯]
一部八巻[鹿帙綾裏錦縁組帯]
一部八巻[欠第八巻 鹿帙黄綾裏錦縁 銀軸]
(中略)
寳星陀羅尼經二【十】部<十>廿巻[大方等大集菩薩念仏三昧經十巻〔无帙〕大哀經二部十六巻 奮迅王問經二卷〔綵帙〕]
   一部十巻[鹿帙黄綾裏破]    一部八巻[綵帙]  一部八巻[綵帙]
                      「*佛説无言菩薩一巻」
   一部十巻[帙形未詳]
(中略)
大般若涅槃經【〓《よんじゅう》卷】七部二百九十八卷
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第三帙第五卷白紙及表銀軸綵帙縹綾裏紫綾縁及帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻綵帙綾裏錦縁組帶金塗頂安靑玉軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[白檀軸綵帙綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[綵帙綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻鹿帙綾裏錦縁組帶漆軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻无帙]
(中略)
大般泥〓≪さんずい+亘≫經二部十二卷
  一部六卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帶]
  一部六卷[无帙]
方等般泥洹經一部二巻[鹿帙緑綾裏紫綾緑組帶]
  四童子三昧(經脱)一部三卷[綵帙]
  大悲經一部五巻[綵帙]
  普曜經一部八卷[綵帙]
「妙」法<蓮>華經十七<八>部百【百六】卅四卷
  七巻法華經五部
    一部七巻[綵帙錦緑裏白玉軸]
    一部七巻[綵帙白橡〓《あしぎぬ》縁淺縁<緑>綾裏白玉軸]
    一部七巻[白檀軸綵帙錦縁綾裏]
    二部十四卷[綵帙錦縁綾裏]
觀世音經二百〓《よんじゅう》四卷[鹿帙八枚〓《あしぎぬ》裏錦縁紫〓《あしぎぬ》帶]
(中略)
  八部六十四卷[水精軸鹿帙牙籖]
   一部八卷[金鏤軸天人并獸形繍帙綾裏錦縁]
   一部八卷[繍帙□]
   一部八卷[鹿帙錦縁綾裏]
   一部八卷[梨軸无帙]
   一部八卷[紫檀軸鹿帙綾裏錦緑組帶]
正法花經二部廿卷[帙二枚 一枚鹿帙]
【維摩詰所説經三卷【≪二部六≫[【鹿帙綾裏錦縁組帶】一部黄【紙】縹綾表水精軸 鹿帙綾裏錦縁組帶]
【注維摩詰經无垢称經六卷】[「*二部十二卷无帙」【无帙】] 大方等頂王經六卷[鹿帙(錦脱カ)縁綾裏紫綾縁組帶]
「(附紙[維摩詰所説經云々ノ上])
維摩詰所説經三分九卷[一部黄紙縹綾表水精軸一金塗銅軸<鹿帙綾裏錦縁組帶>〔无帙〕]
注維摩詰經二部十四卷[一部八卷欠一二三四卷一部六卷欠第一二三卷並朱頂軸无帙]
諸无垢称經二部十二卷[並无帙]
(中略)
金光明最勝王經四部〓《よんじゅう》卷
  二部廿卷[並紫檀軸鹿帙綾裏錦組帶]
  一部十卷[鹿帙綾裏錦縁組帶]
  一部十卷[无帙]
   「*已上第六櫃[帛帳]」
【金】合部金光明經【卅九】〓《よんじゅう》部三百【十二】廿卷[十九部漆軸綵帙一枚鹿帙卅九枚緑綾裏紫綾縁組帶]
金光明最勝王經懺悔品六十卷[五十二卷漆軸鹿帙五枚之中四枚緑綾裏紫綾縁一枚綾裏錦縁]
金光明經〓《よんじゅう》部百六十卷[廿部漆軸鹿帙〓《よんじゅう》枚緑綾裏紫綾組帶「*出別生所」]
    「*已上七櫃[帛帙]」
(中略)
道神足無極變化經四卷[綵帙]「(追筆)又二巻[靑玉軸无帙]」
寳雨經【五】十卷[欠第一六四三七巻 无帙]
寳雲經七巻[綵帙□]
阿惟越致經三卷[綵帙]
不退転法輪經【四卷】二部八卷[【无帙】一部四卷无帙 【鹿帙一帙】一部四卷鹿帙]
廣博嚴淨不退転法輪經六卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁組帶]
集一切福德三昧經三卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶]
持心梵天所問經四卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶一部无帙]
思益梵天所問經四卷[綵帙「鹿帙黄綾裏錦縁組帶」]
勝思惟梵天所問經<二部十>【六】二卷[无帙一部鹿帙深緑綾裏紫縁組帶]
(中略)
分別縁起初勝法門經二卷[鹿帙紫綾縁組帯]
楞伽阿跋多羅寳經四巻[鹿帙紫綾縁綾裏組帯]
入楞伽經三部廿八巻「(擦消)綵帙」[一部<十巻>綵帙一部十巻朱頂軸鹿帙綾裏錦縁組帯一部八巻鹿帙〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
(中略)
大方等大雲經二部十二卷[鹿帙]
  一部六巻[綵帙]
  一部六巻[鹿帙綾裏錦縁組帯朱頂軸]
(中略)
灌頂經八巻[鹿帙黄綾裏錦縁細組帯朱頂軸]
又第八巻廿卷[鹿帙二枚綾裏錦縁組帯]
藥師瑠璃光如来本願功徳經八十巻[鹿帙八枚綾裏錦<縁>組帯]
藥師瑠璃光【如来】七仏本願功徳經十八部卅六巻[三部漆軸鹿帙四枚綾裏錦縁組帯]
又三巻[二卷紫檀軸一巻漆軸无帙]
阿闍世王經二卷[鹿帙紫綾縁深縁(緑)綾組帯]
(中略)
【无量壽經二卷】[【銀軸无帙】]
弥勒下生經十巻[塗金軸端坐<靑>玉綵帙]
順權方便經二卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁帯組]
「*六度集經八巻[綵帙]文殊師利菩薩問菩薩經一巻」「*伽那頂經一巻」
無上依經二卷[綵帙]「*仏説乳光經一巻[朱頂軸]」
「*文殊師利問法身經一巻 文殊戸利菩薩行經一巻 佛説八陽經一巻」
千手千眼觀世音菩薩廣大圓満無碍大悲心陀羅尼經十<一>巻[鹿帙綾裏錦縁組帯「十一部」]
孔雀王咒經二卷[綵帙]「(追筆)又二卷[〓(朱カ)頂軸无帙]」
十一面神咒心經(「五十部」)五十巻[卅卷漆軸十巻紫檀軸鹿帙五枚二枚深縁(緑)綾裏錦縁組帯三枚綾裏錦縁組帯]
「*文殊師利菩薩六字咒功能法經一巻[无帙]」
仏頂尊勝陀羅尼經八十【六】「九」巻[木繪軸鹿帙九枚縁(緑)綾裏紫綾縁組帯「*八十九部」]
(中略)
仏名經三部卅六巻
  二部廿四巻[【並】綵帙二枚]
  一部十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁无帯]
三劫三千仏名經三巻[綵帙]「*又二部二卷<以三巻複為二卷>又四巻[之中一巻无軸并賢劫者]」
五千五百仏名經八巻[綵帙]「(追筆)不思議功徳經二卷[无軸及帙]又不思議功徳經二卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯]」
(中略)
又仏名經廿巻<二部(卷カ)>
  一部十巻[无帙鹿帙綾裏錦縁組帯]
  一部十<【六】>巻[无帙] 【一部十六巻[无帙]】
又仏名經十二巻[紫紙金字經紫羅表繪軸綵帙綾糸]
(中略)
大吉義神咒經四巻[綵帙]已上綵帙綾裏錦縁組帯
(後略)

出典

『大日本古文書』12(473頁~489頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

          「以上九櫃」(○コノ朱書左半ヲ存ス)
【大】大乗論
大智度論一百巻[鹿帙十枚〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
十地論十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁組帯]
金剛般若波羅蜜經論三巻[无帙朱頂軸]「(追筆)法華論一巻[漆軸]」
涅槃論〓《よんじゅう》<五十>卷[鹿帙<五枚>[綾裏錦縁綺帯]「*涅槃經本有今無偈論一巻」
瑜伽師地論一百巻[鹿帙<十枚>綾裏錦縁組帯]「(追筆)又瑜伽論第二帙十巻[无帙]」「*又四巻[第卅一卅二卅三卅四者]」
大乗阿毘達磨雜集論十六巻[綵帙染軸]「(追筆)中論五巻[靑玉軸]」「*中觀論一部五巻[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
十二門論一巻[靑玉軸] 「*又一部[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
顕楊聖教論廿卷[欠上帙无帙]「*又一部二卷[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
百論二卷[靑玉軸]   「(追筆)又一部十巻[綵帙]」
百法門明論一巻
大荘嚴論十巻[鹿帙綾裏錦縁組帯朱頂軸]「(追筆)又十三巻[无帙]」
順中論二卷[靑玉軸]
攝大乗論釋十五巻[綵帙紺〓《あしぎぬ》裏綾縁无帯]「(追筆)又一部十五巻[无帙朱頂軸]」
攝大乗論釋十巻[綵帙 世親]
攝大乗論釋十巻[鹿帙綾裏錦縁帯組白檀軸无性]「(追筆)又十巻[无性 染軸无帙]」
究竟一乗寳性論四巻[鹿帙綾裏錦縁朱頂軸]
攝大乗論廿卷[一部帙性白檀軸一部隠大業■並无【性】帙]
因明入正理論二卷
唯識論一巻[朱頂軸]
  【唯】唯識論<二部>廿卷[一部十巻綵帙紫檀軸一部十巻鹿帙綾裏錦縁組帯]
  起信論一巻[朱頂軸]
「*一」右【九】十一論十七巻同帙[鹿帙綾〓≪糸+表≫(マヽ)裏紫綾縁〓≪糸+表≫(マヽ)綾帶]
「(追筆)大乗阿毘達磨集雜論十六巻[无帙]」
        「*【已上第十櫃[帛帷]】」
大乗成業論一巻 唯識廿論一巻 大乗五蘊論一巻
發菩提心論一巻[綵帙]
    「*以上二十櫃」

出典

『大日本古文書』12(498頁~499頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
「(異筆)二」右同帙[綵帙]
(中略)
【四諦】轉法輪經【三】「*一」卷[【一巻漆軸】]  八正道經<「*二部」>二巻
(中略)
「(異筆)四」右同帙[綵帙]
「*太子本起經二卷」
過去見在因果經五巻[綵帙]        「*四十二章經一巻」
盡因果經二部十六巻[一部八巻鹿帙綾裏錦縁組帯 一部八卷无帙「*是不<列>可此次」]
捺女耆城國經一巻[「*依縁云是<不>正經仍出除」] 罪業応報教化地獄經二巻<「*二部」>[「(異筆)一巻出」]
(中略)
「(異筆)五」右同帙
(中略)
業報差別經一巻      陰持經二[(卷脱カ)綵帙緑綾裏紫綾縁組帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内502頁~504頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
(紙継目)
小乗律
僧祇律〓《よんじゅう》卷[綵帙]
【小乗律】
十誦六十一巻[綵帙六]
(中略)
五分律卅卷[綵帙]  又五分率十巻[第一帙鹿帙綾裏錦縁白木軸]
(中略)
根本薩婆多部律攝二部卅四巻[一部廿卷一部十四巻並无帙] 毘尼摩得勒伽<二部>廿卷[一部十巻鹿帙緑裏紫縁組帯一部十巻无帙]
毘奈耶律十巻[綵帙]  善見律毘婆沙卅<二部>六巻
                一部十八巻[鹿帙二縁(緑)綾裏紫(綾)縁組帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内508頁~509頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
三 以上三巻同帙[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯] 一部十八巻[无帙]
  毘二母經二部十六巻[一部八巻鹿帙縁(緑)綾裏紫綾縁裏組帯一部八巻无帙]
阿毘達磨發智論廿卷[二帙无帙]
阿毘達磨大毘沙論二部四百巻[一部二百巻无帙軸一部二百巻欠第三十二十三廿卷无帙]
        「*已上第十二櫃」
阿毘達磨倶舎論卅卷[鹿帙三枚綾裏錦縁組帯]
阿毘達磨顕宗論〓《よんじゅう》卷[四帙漆軸无帙]
        「*【已上第十二卷】」
雜阿毘曇心論三部廿六巻[一部十一巻鹿帙綾裏錦縁組帯朱頂軸一部十一巻欠第二卷无表軸及帙白紙一部四巻漆軸无帙]
阿毘達磨順正理論八十巻[八帙漆軸无帙]
成實論十六巻[紫【皮】革朱頂軸]
立世阿毘曇論十巻[鹿帙綾裏錦縁組帯朱頂軸]
  「*部執異論一巻」
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内510頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
脩行道地經二部十四巻[一部七巻鹿帙縁(緑)綾裏紫綾裏縁組帯一部七巻无帙]
付法藏經六巻[綵帙]
坐禅三昧經二巻[綵帙] 「*仏醫經一巻 迦葉赴佛般涅槃經一巻」「*菩薩阿色欲法經一巻」
「*金剛力士哀戀經一巻 迦栴廷説法設書偈經三部三巻」[「*仏治身經一巻治意經一巻」「一巻无帙」]
雜寳藏經二部廿卷[一部十巻綵帙一部十巻鹿帙【並】綾裏錦縁組帯朱頂軸]
   「*那先經<二部>二卷」
法句辟唯經四巻[无帙]  迦葉結經一巻
「*龍樹菩薩為禅陀迦王説法要偈万部」
釈迦譜五巻[鹿帙綾裏錦縁朱頂<无帯>軸]
(中略)
一切經音義廿六巻[二帙无軸及帙]「*受用三水要行法一巻」雜咒集三部卅卷[一部十巻无帙一部十巻欠第三十巻无軸破鹿帙一部十巻鹿帙緑綾裏紫綾縁及帯]
一切經目録五巻[无帙无軸] 六度集八巻[綵帙「*已上三部无開録」]
    「*已上第十三櫃[帛帷」
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内512頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)6月9日

記事

符  經所領等
  織綵〓≪木+失≫(帙)肆拾枚[緋〓≪あしぎぬ≫裏及内結緒紫綾表結緒]
   十二枚紫地錦縁  廿四枚地錦縁
   四枚綠地錦縁
   籖緒壹條[長一丈四尺七寸 緋糸組]
    右 充彼所 随冝可擇用 至冝検收
次官佐伯宿祢「(自署)今毛人」  主典阿刀連酒主
         天平勝寳五年六月九日付呉原生人

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内1頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)8月19日

記事

造東大寺司  牒岡院本
楞伽經一部四巻[金字紺紙紫表以金繪又銀畫神王形綺緒馬(瑪)瑙軸无一端 竹綵帙在神王形裏組帯]
  納白檀〓(函)一合[以牙并雜玉餝]
   右 依飯高命婦<【並】■並>錦部命婦之天平勝寳五年八月十八日宣 奉返如前 故牒
             天平勝寳五年八月十九日

出典

『大日本古文書』13(22頁~23頁)(『正倉院文書』続々修16帙3)

「呉原生人論疏奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)9月9日

記事

合論并疏参拾肆卷 綵帙参枚[二枚綾裏錦緑組帯 一枚〓≪あしぎぬ≫裏錦帯牙籖二]
  花嚴論初帙十卷[黄紙及表赤木軸紫綺緖]
  十地論十<二>卷[黄紙及表斑緖綺]
  花嚴傳五卷  十地論疏七卷[已上並白紙黄表梨軸]
   右 依今日牒旨 付便使令奉請如前 但除今奉請外 更不有異種 仍不勘作者名
          天平勝寶五年九月九日呉原伊美吉生人

出典

『大日本古文書』13(38頁~39頁)(『正倉院文書』続々修16帙4)

「薬師寺三鋼牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)8月9日

記事

梵網經一部二巻[銀塵縹紙及表綺緒繪軸綵帙綾裏錦縁拾組帯]
  牒 依今月九日牒旨 領納已訖 仍録事状 以牒
         天平勝寳六年八月九日都維那僧光俊牒
           寺主法師「(自署)弘耀」
           上坐法師「(自署)理鏡」

出典

『大日本古文書』13(100頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「東大寺政所瑜伽論帙籖奉請文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)11月26日

記事

「(端裏書)紫檀并屑在東公文櫃[北者]」
令奉請瑜伽論漆拾巻[第一二三四六八九帙者並黄紙及表綺緒紫檀軸]納明櫃一合
  織帙漆枚[並錦縁綾裏拾組帯]牙籖漆枚
   右 付大伴小伯 令奉請如件
           【天平勝寳六歳(マヽ)十一月廿六日】
              判官上毛野君【「(自署)眞人」】
              主典阿刀連【「(自署)酒主」】

出典

『大日本古文書』13(114頁~115頁)(『正倉院文書』続々修16帙4)

「寫經所經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7年(西暦755年)9月13日、20日

記事

花嚴經方軌五巻[智儼師]  一乗法界■一巻
起信論疏一巻[法藏師  已上並白紙黄表綺緒梨軸  一切經内者]
又起信論疏四巻[二巻惠遠師別記一巻元暁師 一巻无名審詳師者 已上並白紙及表綺緒]
  綵壹枚[錦縁綾裏組拾帯]
  右(帙脱カ) 依主典阿刀連(酒主)天平勝寳七歳九月十三日宣 令請山階寺善脩師所
付沙弥詮叡
                    上馬養
注維摩經一部六巻[■書寮重寫者]
維摩經疏一部四巻[惠遠師 白紙黄表白軸 一切經内者]納小明■一合
  右 依上毛野判官(眞人)七歳九月廿日牒 令請市原王所、付秦家主
                      九月廿日呉原生人

出典

『大日本古文書』13(155~156頁)(『正倉院文書』続々修16帙6)

「圖書寮經散集」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756年)7月2日

記事

(前略)
  法花經十七部
   八巻法花經□□□(十二部)
    八部並黄紙及表綺□□(緒)軸□牙籖
    一部黄紙紺□(マヽ)表綺緒□□鏤軸天人并獣形繍帙綾裏錦縁
    一部黄紙及表綾緒朱軸□□錦裏
    一部黄紙及表朱軸麁帙錦縁綾裏
    一部黄紙及表綺緒梨軸綵帙綾裏錦縁籖牙
   七巻法花經五部
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙錦縁
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙白橡■縁浅緑綾裏
    一部黄紙及表綺緒白檀軸綵帙錦縁綾裏
    二部並黄紙及表綺緒朱軸綵帙錦縁綾裏
以前 依廿七日牒旨 付筆生大戸園万呂 令請■書寮
  七仏所説神咒經一部四巻[黄紙及表綺緒朱軸綵帙、綾裏錦縁組帯
   右 依定戒尼師七歳四月廿二日宣 令請■幡宮[付畠賢達]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(172~178頁)(『正倉院文書』続々修12帙6)

「經疏帙籖等奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756年)7月

記事

 中論疏六巻
    右 依大倭少掾佐伯宿祢(今毛人)去天平十九年十月廿九日宣 奉請内裏
    使山口沙美万呂
(中略)
  最勝王經疏六巻[慧浄師撰 白紙黄表綺帯梨軸綵帙]
(中略)
  菩薩藏經疏十巻[白紙黄表綺帯梨軸綵帙錦縁裏牙籖]
(中略)
  大周刊定衆經目録一部一五卷[欠第十五卷 黄紙及表綺帯赤木軸 綵帙牙籖]
(中略)
  无畏徳女經一巻  大寳<積>經一巻[並黄紙及表綺帯紫檀軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(192頁~201頁の内192頁~197頁)(『正倉院文書』続々修15帙4)

「大小乗論奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)1月19日

記事

合大小乗論漆拾陸部 陸伯貳拾捌巻[並黄<紙>及表綺帯紫檀軸]
  七十四部五百廿六部巻大乗論
  二部二百十二巻小乗論
   綵帙陸拾壹枚[並錦縁裏組帯 〓≪よんじゅう≫八枚別着牙籖]
    納韓櫃貳合[一合塗漆 一合白木]並敷布
以前 依少僧都(慈訓)今月十八日宣 付便使 令奉請如件
               天平寳字二年正月十九日

出典

『大日本古文書』13(233頁)(『正倉院文書』続々修16帙6)

「經嚢目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)3月

記事

 經嚢壹伯口
   廿□□(三口)白羅表[之中五口依雜玉餝]
   十八口龜甲錦表[之中六口以雜玉餝]
   五口地錦表[之中四口以雜玉餝]
   八口雲繝錦表[一口以雜玉餝]
  八口紅羅縫物表
   □□□(廿三口)高麗小町錦表 六口赤紫羅表
   七口白地交表   二口赤紫綾表
   白袷〓≪巾偏+業≫子一条   納皮筥一合

出典

『大日本古文書』14(327頁~328頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙十)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護2年(西暦766年)4月6日

記事

(前略)
仁王経卅【三】四部六十五〈七〉巻[之中一部副 見五十六巻 欠二箇巻 並下巻]
  廿九部黄紙及表綺帯朱軸 一部黄紙及表緑帯漆軸
  一部黄紙及表蘇芳■《あしぎぬ》帯漆軸[未上]
  一部黄紙及表■《あしぎぬ》帯漆軸[已上可請嶋院寮経内之]
  一部黄紙及表綺帯梨軸[葛木寺了]
  一部黄紙及表綺帯紫檀軸[坤宮一切経内]
   右件経 除先奉請之外 司中随見在員 附廻使舎人今木稻持 令奉請如件
           天平神護二年四月六日上馬養
               主典他田
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁のうち441頁~442頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
合令奉請経廿巻
  曼殊室利菩薩咒蔵中一字(咒脱カ)経一巻
  大陀羅尼末法中一字心咒経一巻[已上二巻黄紙及表綺帯紫檀軸 宮一切経内之]
  法華経一部八巻[黄紙及表綺帯水精軸竹麁帙錦縁裏綾牙籤 可請嶋院寮経内之 「*返上了」]
  最勝王経一部十巻[黄紙及表綺帯梨軸綵帙錦縁綾裏黄楊籤 百部内之 「(追筆)以景雲二年八月十三日返了」]
   右 依今日宣旨 附廻使内竪葛木立人 奉請如件
          天平寶字八年八月廿二日行上馬養
                判官弥努連

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁のうち468頁~469頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
御執経所
奉請大佛頂首楞嚴経一部「*无」
「*請」 大方等大雲経一部[「*六巻黄紙及表綺帯朱軸有印 綵帙一枚錦縁綾裏拾組帯]内堂」
   大方等修多羅了義一部「*无」
    右 被少僧都(道鏡)今日宣 〓≪人偏+尓の異体字≫ 件経従東大寺速奉請内裏者 仍依宣旨 差内竪葛木黒山充使 令奉請如件
            天平寳字八年四月十八日信部史生日置 浄足
「(異筆) 司判行             判官弥努連 「(自署)奥麻呂」
                        主典志斐連 「(自署)麻呂」
                        領上」「(自署)馬養」 

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁のうち470頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
十一月
  □七日下帛汗衫陸領[反五領【未一領[知]】 合袍壹領[白橡﨟纈緑裏]
   〓≪巾偏+業≫子[呉桃染 反]    綿袴奴貳具[裏 反]
   勅吐巾貳条[於帛裏 反]    鈴参口[反(マヽ)  布襪拾漆具
   〓≪革偏+吉≫〓≪革偏+莫≫帯拾伍条[大一条 小十四条之中赤皮二条 反十四條 【未反小赤皮壹條知】]
    右 借充中鎮所 付僧勝行師
               造寺司主典雄橋公「(自署)石正」
               案主建部廣足 倉人呉服「(自署)息人」
「(満殖筆)中鎮         目代僧満殖」「(自署)勝行」
「(異筆)上件未返帛汗衫一<壹>領 小赤皮帯一<壹>条 知 史生秦盆倉 倉人呉服」「(自署)息人」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち568頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

 (前略)
   □(汗カ)衫□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け) 〓≪糸偏≫□□□(長方形抜け)
                      □□□(長方形抜け)「(自署)勝行」
   単袍貳拾□□(長方形抜け) □□(長方形抜け)伍拾枝[借充鋳所付春日安万呂]
   施綱貳□[□□□(長方形抜け)无頭八口 □□□(長方形後半抜け)] 付史生大和〓≪「虫」上に点≫万呂
    □□□(長方形抜け)春日安□□(万呂)
   納辛櫃壹□(合) □□□(長方形抜け) 納白木辛櫃壹合[已上□□(長方形後半抜け) 日安□□(長方形後半抜け)]
   □□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け)要[着鈴十口] 付史生大和〓≪「虫」上に点≫万呂
   玉□□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け) □□□(長方形抜け)貳枚返上 □□□(長方形抜け)肆具
   □□□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形前半抜け)座金銅枚花陸枚 緑吹玉参□(丸カ)
              已上 借充少鎮實忠師
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち572頁~573頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
   金銅昿金□(捌カ)□□□(長方形抜け)貳□□(長方形抜け)花臺
   蟹目釘壹佰拾参隻<返上分六隻> 金銅栽物貳枚[作炎形]
   銀□鏡形肆面[各有<金銅>順并坐 □□□(長方形抜け)] 青吹玉参丸□□(長方形後半抜け)
   青地﨟纈四□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形後半抜け)
   帯肆條[細如檢定帳 大床〓≪「虫」上に点+也≫舌壹條細如檢定帳
   緑〓≪あしぎぬ≫捌條[一長一丈一尺 七長八尺以下六尺以上] 白羅幌貳條[長各五尺四寸 二幅]
   擧幌黒赤紫帯肆條 障〓≪泥+土≫板黒紫綾漆條
    右 充経輿装束所 餝寳車料[付文智師圓智師廣〓師 □人]
   □□鏡形貳枚[各有<金銅>順并坐] 金銅□形貳枚[各□□(長方形後半抜け)]
    右 □□□(長方形抜け)料□(付カ) 沙弥□常
   大寳幢壹具 香幢壹具 並充六人部荒炭所[付木工□□(丸部カ)子公]
   香〓褥壹枚[錦表裏 聞智師所上]   主典葛井連
                             史生秦盆倉
                             蔵人田邊「(自署)田道」呉服「(自署)息人」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち575頁~576頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
□月
  □日□(下)□□□(長方形抜け)貳拾領欠□□□(長方形抜け)
   半臂貳拾領[一頭白地綾錦表裏□□地﨟纈羅襴
   三領白地錦表帛裏千納襴 一領黄地両表<身>裏﨟□□(纈欄カ) 一領白橡﨟纈(両面)表裏﨟纈襴 一領縹地両表<身>表雲間欄
   二領縹□□□(長方形抜け)裏﨟纈襴
                 □□□(史生大)和〓≪「虫」上に点≫麻呂倉人尾張眞□□(長方形後半抜け)]
                 □(僧)「(自署)勝行」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち577頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
□月
□日□(下)□□□□□貳拾領欠□□□
半臂貳拾領[一頭白地綾錦表裏□□地﨟纈羅襴
三領白地錦表帛裏千納襴 一領黄地両表〈身〉裏雲間襴
二領縹□□□□□裏﨟纈襴
□□□(史生大)和■《「虫」縦線上に点》麻呂倉人尾張眞□□
□(僧)「勝行」
六日下香臺貳具[一具錦盖少合纈帳同結上縹帯四条 紫毛甲在] 羅□□
右 為八日会用 下充造物所 付高橋盆□(占)
(神護景雲二年)五月【一日下紫盖貳具[並備■]紫糸幡捌疏(■《方偏+「流」の旁》カ)□□
右 二日忌日 御斎会装束□
□□□□
史生秦盆倉 倉人秦□□(息成)
僧「勝行」
潤六月
【十三日下瓷鉢参拾陸口 納白木辛櫃壹合 敷布壹□】
右 為奉供養三界圖像〈借〉 下充□□(如件カ) 付上馬甘
□□(史生)大和□□□(安万呂)
案主若櫻部
倉人呉服「息人」
本三綱少都維那法師「聞崇」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち577頁~578頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
八月
  □□日下□□(長方形後半抜け)[□□(長方形前半抜け)紫綾五領 入同色生合(マヽ)□ □□(長方形前半抜け)〓≪あしぎぬ≫合六領 生〓≪あしぎぬ≫合□]
[□□(長方形抜け)六具 白衫合纈四領〔之中二紫綾袖繼〕半臂参拾腰[地錦身 十三腰]
白地錦身五腰 縹地両面身一腰 呉桃染□(地カ)両面身一〓腰
緑地錦身二腰 浅緑地錦一腰 緑地鹿形両面身□腰
白綾縫物地一腰 黄地両面身一腰
縹地両面□□(長方形抜け) □□(長方形抜け)地錦身一腰 帛<合>□貳拾伍
□□□(長方形抜け)革帯貳拾□□(長方形抜け)
□□貳面各□□(長方形抜け)〓≪巾偏+「蝶」の旁≫笠貳口〓≪巾偏+「蝶」の旁≫子□口[梨大〔金口〕之中一条在牒世布]
皷伍面[大二 小三] 懸緒伍条 白子壹〓≪巾偏+「蝶」の旁≫
白盤壹口 作頭壹口 靴拾両[各在□□(長方形抜け) 又花帯一条]
横笛壹□(枝) □筝壹面 琵□(琶)壹面[紫檀]
□□□(長方形抜け)両 布襪□□(長方形後半抜け)
黒□(漆)辛櫃壹合
  右 以月二日 自隅寺奉請仏 粟津寺供奉料下充 <付>僧勝行 文廣前 魚主 小菅万呂 野長
又下小幡捌〓≪方偏+「流」の旁≫[付春日安万呂]
         主典建部廣足 倉人呉服「(自署)息人」
        本三綱少都維那僧「(自署)聞崇」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち580頁~581頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
十二月二日下□壹□□(長方形抜け)貳具来纈盖四角押□□(長方形抜け)墨
   □□□(長方形抜け) 枚綱貳條
     □□□(長方形後半抜け)
               史生六人部炭(マヽ) 倉人秦
               少寺主「(自署)等貴」
  紫□幡捌〓≪方偏+「流」の旁≫ 枚綱貳条
               主典建部
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち582頁~583頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
   九日下□□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形抜け)料 下充□□(長方形後半抜け)
□□(長方形抜け)日下□□□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形抜け) 帛□肆腰 半臂肆領[一領鹿形錦 一領地錦]
   一領浅緑地錦 一領来纈紗身 袍肆領[一領紫紗二領来纈紗 一領来纈羅□□(長方形抜け)頭]
     右 □□(長方形抜け)■所 付正耀師
         史生六人部炭(マヽ) 倉人田邊「田道」
         □□□□□(史生六人部)炭(マヽ) 倉□□(人田)邊「田道」
             □□(長方形前半抜け)僧「勝行」□□(長方形後半抜け)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち586頁~587頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
□□□(長方形前半抜け)新九□□□(長方形抜け)拾玖□□□(長方形抜け)拾領
□□□(長方形抜け)肆拾壹領[二領紫綾袷 四領紫單臂 □□(拾壹カ)領紫羅 一領臈纈 十九領臈纈〓≪あしぎぬ≫ 四領黄臈纈生〓≪あしぎぬ≫]
襖子拾領[四領浅緑綾 六領浅緑〓≪あしぎぬ≫]金銅銭革帯拾捌条[四条在〓≪巾偏+蝶の旁≫(マヽ)攝 十三条无牒攝 小一条木銭押金薄]
【綾冠□□(長方形抜け) 〓≪巾偏+蝶の旁≫笠貳頭 帽子冠飾肆頭 止利冠参頭 作頭貳口】
  補襠□□(長方形後半抜け)
【督幡□□(長方形抜け)[□□(長方形抜け)四足 勒肚巾四条 □□□(長方形抜け)壹条】靴拾<玖>両[□付九月 □□□(長方形抜け)]
              本三綱目代□(僧)「勝行」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち587頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
□□□(長方形前半抜け)新九□□□(長方形抜け)拾玖□□□(長方形抜け)拾領
□□□(長方形抜け)肆拾壹領[二領紫綾袷 四領紫單臂 □□(拾壹カ)領紫羅 一領臈纈 十九領緋臈纈〓≪あしぎぬ≫ 四領黄臈纈生〓≪あしぎぬ≫]
襖子拾領[四領浅緑綾 六領浅緑〓≪あしぎぬ≫]金銅銭革帯拾捌条[四条在〓≪巾偏+蝶の旁≫(マヽ)攝 十三条无牒攝 小一条木銭押金薄]
【綾冠□□(長方形抜け) 〓≪巾偏+蝶の旁≫笠貳頭 帽子冠飾肆頭 止利冠参頭 作頭貳口】
  補襠□□(長方形後半抜け)
【督幡□□(長方形抜け)[□□(長方形抜け)四足 勒肚巾四条 □□□(長方形抜け)壹条】靴拾<玖>両[□付九月 □□□(長方形抜け)]
              本三綱目代□(僧)「勝行」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち587頁)(『正倉院文書』続々修44帙10)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
   十□□□(長方形抜け)肆〓≪方偏+流の旁≫ 枚綱□□(長方形後半抜け)
     □□□(長方形抜け)曳付玉作子綿
        少寺「(自署)承天」(マヽ)  史生六人部炭(マヽ)  倉人呉服□□(息人)
   廿七日下織物御形座料紫袷帳貳條 枚綱玖條 丸綱□□(長方形後半抜け)
       右 奉請羅服羅御輦装束料 下充<下>(マヽ)如件 □□(長方形後半抜け)
   □□□(長方形抜け)臺貳基[□両面□各一枚 又経机地錦〓≪示偏+必≫錦縁]付竹田□
                      史生凡判万里 倉人呉服「(自署)息人」
                      僧「(自署)勝行」
七月
  □□(長方形抜け)白幡拾〓≪方偏+流の旁≫□□(長方形後半抜け)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち590頁~591頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
寳龜三年
正月四日下紫羅歩垣捌條[□□□□ 二条□□八□]袍拾領
右 為用新薬師寺建給日借下□□付僧□□□
僧「勝行」  史生小治田年足 倉人丹比宮繼
十三日□(下) 枚綱貳拾條[各長二丈七尺]
右 為□奉請□□□□鳥取國麻□(呂) □(日)置船守廿貳人 下充如件
僧「勝行」史生土師諸土 倉人丹比宮繼
四月七日下□□□前 紫糸□幡肆■《方偏+「流」の旁》[□付高 橋盆占]
枚綱貳条[付日置船守]
僧「勝行」  史生六人部炭(マヽ) 倉人志斐枚□□(万呂)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち591頁~592頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
  十三日(下)枚綱貳拾條[各長二丈七尺]
   右 為□奉請□□□(長方形抜け)鳥取國麻□(呂) □(日)置船守廿貳人 下充如件
        僧「(自署)勝行」史生土師諸土 倉人丹比宮繼

(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち591頁~592頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

四月七日下□□□(長方形抜け)前 紫糸□幡肆〓≪方偏+流の旁≫[□付高 橋盆占]
   枚綱貳条[付日置船守]
        僧「(自署)勝行」  史生六人部炭(マヽ) 倉人志斐枚□□(万呂)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁のうち592頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
六月
  □日下縁緋糸□□(長方形後半抜け)
    右 □像料 下充了 付僧[□□(長方形抜け) 奉□]
        本三□□□(網目代カ)僧「(自署)勝行」 史生凡判万呂 倉人志斐□□□(枚万呂)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566~593頁のうち592頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
寳龜四年
   □□□(長方形抜け)慈賀寺仏像時□□(長方形後半抜け)
  □□□(長方形抜け)  □□(長方形抜け)
   右□□(長方形後半抜け)
 布綱壹條<□□(長方形抜け)七尺>□奉請慈賀寺<十□□(長方形後半抜け)>仏像時□□(長方形後半抜け)
              僧「聞崇」  史生凡判□□(長方形後半抜け)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566~593頁のうち592~593頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日収

記事

(前略)
十二月
  十日下衣拾領[「(異筆)寳龜八年六月四日依員返」□□□(長方形後半抜け)]
    右 為用時々請説幡装束□□ 充三綱□□□(長方形抜け)
         小寺主法師「(自署)承天」  史□□□(長方形抜け)倉人呉服
  □□(長方形抜け)下單【衣肆拾領<且返卅四□(領)> 白】□□肆拾領】[□□□(長方形抜け)]
  □□□(長方形抜け)奴肆拾腰[西端]「(異筆)如員返」□□(長方形後半抜け)
     □(右カ) 大仏像雑工等浄衣料下充 付【史生土師】□□(長方形後半抜け)
  □□□(長方形前半抜け)(單カ)袍壹伯領[□□(長方形抜け)大仏□□□(長方形抜け)宣政所]
              僧「(自署)恵瑤」 史生凡判万呂 倉人□□(長方形後半抜け)
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566~593頁のうち593頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

 

「花會唐樂所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)4月6日付

記事

花會唐<樂>所解 申餘并欠物事
  合弐種[餘臈纈袍一領 欠白練袷袴一腰]
       
   右件物、<四月五日下史生秦益倉之内>餘下并欠下二種、勘注申送如件、以解、
         天平神護三年四月六日散位社下月足
                     倉人田邊
                     舎人村主「(樂書)村主田主」

出典

『大日本古文書』17(71頁~72頁)(『正倉院文書』続々修44帙10)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司牒 奉寫一切經司
合論疏章「(異筆)四百六十二巻[帙卅枚 白木籤一枚]」
  智度論一部一百巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 竹帙 錦縁 朱芳裏]
  涅槃論一部五十三巻[黄紙 及表 帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 裏]
  倶舎論一部卅巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 竹帙 錦縁 裏]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち125頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
  摂論一部十五巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 斑帙 縁 縹裏]
  无性摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 白檀軸 竹帙 錦縁 裏]
  世親摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 裏]
  地持論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 紫縁 縹裏]
  菩薩地持<論>一部八巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 裏]
  无依无得大乗四論一部十二巻[白紙 黄表 帛帯 白木軸 无帙]
  釋迦譜一部五巻[黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 裏]
  成實論一部十六巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 紫皮帙]
  雑阿毘曇心一部十一巻[漢手 黄紙及表 帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 裏]
  立世阿毘曇論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 裏]
  法花經義疏一部十三巻[之中十二巻 百斎手 白紙 綺帯 无軸 吉蔵師 一巻 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸]
  法花經疏一部七巻[新羅手 白紙 无帯 漆軸]
  新摂大乗論疏一部十一巻[白紙 紫帯 无軸 神廓師]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち126頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月15日付

記事

(前略)
  倶舎論疏一部廿六巻[白紙 无帯 漆軸 泰法師 「*欠中帙第四巻」]
  成實論議一部廿三巻[二帙 漢手 黄紙 綺帯 朱頂軸 紫縁 縹裏]
  阿毘曇論章一部十五巻[白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  雑阿毘曇章一部七巻[漢手 白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  毘曇章一部五巻[白紙 无帙]
  阿毘曇心一部四巻[呉手 黄紙及表 綺帯 漆軸]
  唱礼文八巻[白紙 綺帯 漆軸 五色〓≪あしぎぬ≫帙]
   右四百九巻、圖書寮經内之、
  大乗廣百論釋論一部十巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗荘厳經一部十三巻[黄紙及表 綺帯 朱軸]
  十佳毘婆沙論一巻[白紙未装〓≪さんずい+黄≫]
  因明入正理論一巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗百法明門論本事品中略録名數一巻[複大乗五〓≪草かんむり+温≫論]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち127頁)(『正倉院文書』続々修17帙13)

 

「帙請用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

合<見>請帙三百八十四枚
  用三百廿七枚
  遺五十七枚[〓≪よんじゅう≫八枚一色錦縁 三枚紺地錦縁 六枚紫小綾縁]並裏紫緒

出典

『大日本古文書』20(333頁)(『正倉院文書』續々修44帙10)

「帙値注文」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

帙二枚 應用縁【黒】深紫大綾五尺七寸 価銭一百□十文
一尺別卅文裏小綾三尺四寸 価銭六十八文章<一尺>[別廿文]

 帙二枚[【別】各長一尺七寸 広一尺二分]縁広一寸五分   帯長四尺[広 一寸五分]
  應用縁深紫五尺七寸<并帯料> 直銭百七十<一>文[一寸別 三文]
  裏小綾三尺四【尺】寸  価銭六十八文[一【尺】寸別二文]
      合直銭二百卅九文


出典

『大日本古文書』20(333~334頁)(『正倉院文書』續々修37帙9裏)

「倉代西端雜物出入帳(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)正月7日~3月16日

記事

倉代西端   宝亀四年
正月
  七日下端畳参拾枚「(異筆)以同月廿一日返上」
   右、為用吉〓≪禾+羊≫(祥)悔過所借下、付別当僧徳意、
        僧「(自署下同ジ)恵瑤」   史生小治田年足 倉人志斐「(自署)枚万呂」

出典

『大日本古文書』21(234頁~238頁のうち234頁~235頁)(『正倉院文書』續修後集40)

「倉代西端雜物出入帳(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)正月7日~3月16日

記事

 廿八日下端畳漆拾枚<「(異筆)四月廿一日返上了」> 〓≪あしぎぬ≫紺帳伍條[別五副 〓≪果+衣≫]
   右件二種物、為用上十一面悔過衆僧座料下充、
   不法実忠 見使参林師
  可信  本三綱「(自署)恵瑤」目代僧  造寺史生大和虫麻呂
                     倉人志斐「(自署)枚万呂」

出典

『大日本古文書』21(234頁~238頁のうち235頁)(『正倉院文書』續修後集40)

「倉代西端雜物出入帳(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)正月7日~3月16日

記事

二月二日下畳一伯枚[端五十枚 大仏殿下充〔付徳懿師 奉願師〕 﨟纈端五十枚 歩廊下充〔付鳥取国万呂 又同石持〕
<布給>紺帳伍條[別四副 付鳥取国麻呂同石持] 「(異筆)以四月廿七日且返〓≪よんじゅう≫九枚 未返一枚可進石持」
   右物者、且三綱見度如件、但未勘損破、
寺主「(自署)玄愷」
可信「(自署)璟鈿」     造寺司
本三綱「(自署)恵瑤」     大伴官美努連「(自署)奥麻呂」
                 主典葛井連「(自署)荒海」
                 史生土師諸土 倉人志斐「(自署)枚万呂」

出典

『大日本古文書』21(234頁~238頁のうち235頁~236頁)(『正倉院文書』續修後集40)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申四月告朔事
合奉写一切経捌仟捌拾捌巻
   三千七百廿三巻先奉写一切<経>司
   四千三百六十五巻奉写寺家[四千九巻去月所定 三百五十六巻奉写月中]
   錢一伯漆拾<「*七」>肆文[去月残]
   錦二丈八尺
   緑料錦卅二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
   頭料錦卅二條[長各一寸五分 広各一寸五分]
   頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五寸]
  生糸三両[已上六種去月残 縫帙料]
  生〓≪あしぎぬ≫端三尺[月中請]
   用尽[胡〓≪草冠+師≫料]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 四條東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯[残]
  紺布端一條長二丈五尺[代在調布【之中】]
  庸布十段一丈二尺[残]
  同布端廿八條[残]
  商布十段一丈六尺[残]
  凡紙六百九十張[端継并雑用料自上経堂謂下 奉写時々御願経<之>残内]
「*間」綺三百〓≪よんじゅう≫五丈五尺[去月残]
  緋丸組〓≪よんじゅう≫六丈[去月残]
  綵帙一千四百九十三枚
   一千一百六十枚縫畢
   廿七枚未着表帯
   三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[去月残]
  墨三百五十四廷(梃 下同ジ)
   用廿廷     残三百卅四廷
   〓≪草冠+兔≫毛筆五十一菅[請月中]
   用尽[奉写二部一部切経料]
   膠二斤三両一分[去月残]
   〓≪秋+金≫十四口[去月残]
   米五斗[去月残]
   陶枚坏<【可進】>八十二口[残]
   陶盤ニ百廿口[去月残]
    用十ニ口     残ニ百八口
    土〓≪土偏+宛≫十ニ合[去月残]
土壺五口[去月残]
    土手洗五口[去月残]
    土枚坏六百八十口
    用卅口      残六百五十口
   土窪<坏>一百五十口[去月残]
   土鋺形一百六十口[去月残]
   小豆三斗二升
    用五升[澡豆料]
   大豆四升[月中請]
    用尽[経紙継并文作料]
   胡麻油二升[月中請]
    用尽[経師等曹司炬料]
   竹十株[月中請]
    用尽[奉着二部一切経標紙料]
   木綿一斤[太 月中請]
    用尽[奉(着脱カ)帙一切経料]
   杓二柄[月中請]
    用尽[経堂料]
   菲六十八両[月中請]
    用尽[経師装〓≪さんずい+黄≫校生等料]
   〓≪木偏+若≫五十荷[月中請]
    用尽
    卅荷塗紙屋料   廿荷塗温屋料
    針縄廿一了[月中請]
    用尽[紙屋料]
   黒葛一斤[月中請]
用尽[編縣(懸カ)経堂辺板料]
   藁六十六囲[月中請]
    用尽
     〓≪よんじゅう≫六囲塗紙屋料  廿為塗温(屋脱カ)料
   薪十四荷[採仕丁等]
  惣単口一千六百七十六人
    廿五人案主[別一升二合]
    一千〓≪よんじゅう≫四人経師[一千卅六人別一升六合 八人別八合]
    九十九人装〓≪さんずい+黄≫[別一升二合]
    一百卅八人校生[別一升二合]
    一百人雑使[別八合]
    〓≪よんじゅう≫七人自進[別一升]
    ニ百卅一人仕丁[別一升二合]
   散
    廿五人案主     一千〓≪よんじゅう≫四人経師
    九十九人装〓≪さんずい+黄≫    一百卅人校生
    一百人雑使     〓≪よんじゅう≫七人自進[打紙]
    ニ百六十六人仕丁[ニ百卅一人所 卅四人足廷之]
      八十七人打紙  一百十六人経師等廝
      十四院仏温   十四人採薪
      卅四人塗紙屋  一人不仕
以前、起今月一日、尽廿九日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年【五】四月廿九日案主上(馬養)
                主典葛井連(荒海)

出典

『大日本古文書』21(484~524頁のうち484~491頁)(『正倉院文書』續々修3帙10)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申五月告朔事
合奉写一切経八千六百七十五巻[「(擦消)三千七百廿三巻先奉写一切経司 四千九百五十ニ卷奉写月中」]
   三千七百廿三巻先奉写一切経司
   四千九百五十ニ巻奉写寺家[四千三百六十五巻去月所定 五百八十七巻奉写月中]
  錢一百七十七文
   用廿文[堺料鹿毛筆十菅直]
   残一百五十七文
   錦二丈八尺     緑料錦二条[長各五尺九寸 広各一寸五分]
   頭料錦卅二条[長各一尺五寸 広各一寸五分]
   頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十条[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四条[長各一尺九寸 広各一尺五分]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三条〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 四条東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯[残]
  紺布端一条長二丈五尺[代在調布]
  庸布十段一丈二尺[残]   同布端廿八條[残]
  商布十段一丈八尺
   用一丈八尺[打紙石拭料]
   残十段
  浄衣六十六具[月中請]
   用五十九具[領一人経師〓≪よんじゅう≫八人校生六人装〓≪さんずい+黄≫四人并五十九人料]
   残七具
  綺五百八十五丈五尺[三百〓≪よんじゅう≫五文五尺去月残 ニ百〓≪よんじゅう≫文月中請]
   用ニ百五丈五尺    残三百八十文
  綵丸組〓≪よんじゅう≫六文[去月残]
  又帙一千四百九十三枚[去月残]
   一千一百六十枚縫畢
   廿七枚未着表帯
   三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[去月残]
  墨三百卅四廷(梃)[去月残]
用〓≪よんじゅう≫四廷(梃)   [残ニ百九十廷(梃)]
  〓≪草冠+兔≫毛筆六十一菅[請月中]
   用尽[奉写二部一部一切経料]
  膠二斤三両一分
  布綱〓≪よんじゅう≫四条      〓≪秋+金≫十四口
  米五斗               陶枚八十ニ口
  陶盤ニ百八口
   用十四口            残一百九十四口
  土〓≪こざとへん+宛≫十ニ合
  土壺五口              土手洗五口
  土枚坏六百五(十脱)口
   用十口             残六百〓≪よんじゅう≫口
  土窪坏一百五十口[去月残]
  土鋺形一百六十口[去月残]
  小豆二斗七升[已上十三種去月残]
   用五升            残二斗二升[【已上十三種去月残】]
  大豆八升[月中請]
   用尽[経紙継并文作料]
  胡麻油二升[月中請]
   用尽[経師等曹司炬料]
  竹五十七株[月中請]
   用三株            残五十四枚
  薪十五荷[採仕丁等]
   用尽[仏温料]
惣単口二千五十三人
   卅人案主[別一升二合]
   一千三百十六人経師[一千三百八人別一升六合 八人別八合]
   一百十七人装〓≪さんずい+黄≫[一百十五人別一升六合 二人別八合]
   一百七十八人校生[一百七十七人別一升二合 一人六合]
   【一百】 
   一百十六人雑使[別八合]
   五十六人自進[別一升]
   ニ百〓≪よんじゅう≫人仕丁[別一升二合]
  散
   卅人案主
   一千三百十六人経師
   一百十七人装〓≪さんずい+黄≫      一百七十八人校生
   一百十六人雑使      五十六人自進[打紙]
   ニ百〓≪よんじゅう≫仕丁 九十人打紙
   一百廿人経師等廝     十五人仏温
   十五人採薪
以前、起今月一日、尽卅日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年五月卅日案主上
               主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484~524頁のうち491~497頁)(『正倉院文書』續々修3帙10)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申六月告朔事
合奉写一切経二部九千ニ百十八巻[依員奉写畢 部別四千六百九巻]
   三千七百廿三巻先奉写一切経司
   五千四百九十五巻奉写寺家[四千九百五十二巻去月<所>定 五百〓≪よんじゅう≫三巻奉写月中]
  錢一百五十七文[去月残]
   用〓≪よんじゅう≫四文
   廿文堺料鹿毛筆十菅直[菅別二文]
   廿四文雇女三人巧[人別八文]
   残一百十三文
  錦二丈八尺      緑料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五分]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三条〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 四条東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯
「*間」紺布端一條長二丈五尺[代在調布]
「*間」庸布十段一丈二尺
  同布端廿八條
  商布十段[已上六種去月残]
  浄衣七具[去月残]
   用尽
    六具経師六人料
    一具依政所判宛綵色大仏殿柱所
  綺三百八十文
  綵丸組〓≪よんじゅう≫六文
  綵帙一千四百九十三枚
    一千一百六十(三脱カ)枚縫畢
   
    廿七枚未着表帯
    三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[已上四種去月残]
  墨二百九十廷(梃)[去月残]
用十廷(梃)          残ニ百八十廷(梃)
  〓≪草冠+兔≫毛筆十ニ菅[月中請]
   用尽[奉写二部一部切経料]
  鹿毛筆十菅[買月中]       用尽[奉写二部一部切経料(マヽ)紙界]
  膠二斤三両一分         布綱四十四條
  〓≪秋+金≫十四口       米五斗[已上四種去月残]
  陶枚坏八十ニ口[去月残]
   用廿口            残六十二口
  陶盤一百九十四口[去月残] 
   用廿口            残一百七十四口
  土〓≪こざとへん+宛≫十ニ合      土壺五口
  土手洗五口[已上三種去月残]
  土枚坏六百〓≪よんじゅう≫口[去月残]
   用【六百廿口】廿口
  土窪坏一百五十口[去月残]
用【廿】卅口         残一百【卅】廿口
  土鋺形一百六十口[去月残]
   用十口            残一百五十口

  用五升            残一斗七升
  大豆七升[請月中]
   用尽[経紙継并文作料]
竹五十四株[去月残]
   用六株            残〓≪よんじゅう≫八株
  鋺四荷             間度木六枝
  藁十囲[已上三種請月中]
   用尽[塗温屋料]
  薪十四荷[採仕丁等]
   用尽[仏温料]
惣単口一千七百九十人
   廿九人案主[別一升二合]
   一千廿三人経師[一千十八人別一升六合 五人別八合]
   一百〓≪よんじゅう≫一人装〓≪さんずい+黄≫[別一升六合]
   一百八十八人校生[別一升二合]
   一百十四人雑使[別八合]
   六十人自進[別一升]
   ニ百卅二人仕丁[ニ百廿八人別一升二合 四人別八合]
   三人雇女[別一升]
  散
   廿九人案主           一千廿三人経師
   一百〓≪よんじゅう≫一人装〓≪さんずい+黄≫  一百八十八人校生
   一百十四人雑使         六十人自進[打紙]
   ニ百卅二人仕丁
    一百十六人打紙
    八十七人経師等廝
    十五人仏温          十【四】人採薪[四人病]
    三人雇女[洗経師等返上浄衣衾]
以前、起今月一日、尽廿九日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年六月廿九日案主上
                主典葛井連


出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち497頁~503頁)(『正倉院文書』續々修3帙10・續修別集5裏)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申七月告朔事
応奉写一切経一部四千六百九巻
    四百〓≪よんじゅう≫三巻月中写
    四千一百六十六巻未写
  錢一百十三文
  錦二丈六尺
  緑料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭裏料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈絶四條[長各一尺九寸 広各一尺五寸]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 積二丈九尺三寸 四條東〓≪あしぎぬ≫ 積四丈五尺九寸]
  庸并黒綿一百九十七屯[去月残]
  紺布端一條長二丈五尺[代在調布]
   用尽[経師浄衣一具]
    一丈八尺単衣一領料
    七尺袴一腰料
  庸布十段一丈二尺[去月残]
   用六段一丈八尺[経師四人校生一人并五人浄衣料]
    三段一丈一尺単衣五領料[領別一丈九尺]
    一段七尺単袴五腰領[腰別七尺]
    二段温帳四條料[條別一丈四尺]
   残三段二丈二尺 [「*一〓≪暇の旁≫校生一人浄衣」]
  同布端廿八條[去月残 長四尺五寸已下五寸已上]
  商布十段
  綺三百八十文
  綵丸組卅六文
  綵帙一千四百九十三枚
    一千一百六十枚縫畢
    廿七枚未着表帯
    三百三枚未縫
  白木籖二千六百九十ニ枚[已上五種去月残]
  墨二百八十廷(梃)
用卅廷(梃)
   残ニ百五十廷(梃)
  〓≪草冠+兔≫毛筆〓≪よんじゅう≫ニ菅[請月中]
   用尽[奉写一部一切経料]
  膠二斤三両一分
  布綱〓≪よんじゅう≫四條
  〓≪秋+金≫十四口
  米五斗[已上四種去月残]
  陶枚坏六十ニ口[去月残]
  陶盤一百七十四口[去月残] 
   用廿口[備経師等供養料]
   残一百五十四口
  土〓≪土偏+宛≫十ニ合
  土壺五口
  土手洗五口[已上三種去月残]
  土枚坏六百廿口[去月残]
   用十口[備経師等供養料]
   残六百十口
  土窪坏一百廿口[去月残]
用十口[備経師供養料]
   残一百十口
  土鋺形一百五十口[去月残]
  小豆一斗七升[去月残]
用五升[澡豆料]
   残一斗二升
  胡麻油一升[請月中]
   用尽[経師等曹司炬料]
竹〓≪よんじゅう≫八株[去月残]
  小明櫃一合[請月中 充経師一人]
葉薦六枚[請月中]
   用尽[経師等宿所料]
  薪十荷[採仕丁等]
   用尽[温仏料]
惣単口一千七百〓≪よんじゅう≫二人
    廿六人案主[別一升二合]
    一千六十一人経師[一千廿九人別一升六合 卅二人別八合]
    一百十人装〓≪さんずい+黄≫[一百六人別一升六合 四人別八合]
    九十八人校生[九十三人別一升二合 五人別六合]
    一百廿人雑使[別八合]
    八十七人自進[別一升]
    ニ百〓≪よんじゅう≫人仕丁[ニ百卅四人別一升二合 六人別八合]
  散
    廿六人案主
    一千六十一人経師
    一百十人装〓≪さんずい+黄≫
    九十八人校生
    一百廿人雑使
    八十七人自進[紙打]
    ニ百〓≪よんじゅう≫人仕丁    一百廿人打紙
    八十四人経師等厮
    十五人仏温
    十人薪採
    五人掃浄廁
     六人病
以前、起今月一日、尽卅日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年七月廿卅日案主上
                主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484~524頁のうち503~510頁)(『正倉院文書』續々修3帙10)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申八月告朔事
奉写一切経一部四千六百九巻
    八百九十八巻見写[四百〓≪よんじゅう≫【二】「*三」二巻去月所定 四百五十五巻月中写]
    三千七百十一巻未写
  錢一百十三文
   用尽
    廿文鹿毛筆十管直[菅別二文]
    九十三文小明櫃五合直[三合別十九文 二合別十八文]
  錦二丈八尺
  緑料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭〓≪果+衣≫料〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五分]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 積二丈九尺三寸 四條東〓≪あしぎぬ≫ 積四丈五尺九寸]
  庸并黒綿一百九十七屯[去月残]
  庸布三段二丈二尺
   用一段[経師一人浄衣<「*一具」>料]
   残二段二丈二尺
  同布端廿八條[去月残 長四尺五寸已下 五寸已上]
  商布十段
   残一百〓≪よんじゅう≫九口

(中略) 

以前、起今月一日、尽廿九日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年【九】八<「*八」>月廿九日案主上
                   主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち511頁~516頁)(『正倉院文書』續々修3帙10・續々修42帙5)

「奉写一切経所告朔解案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)4月29日

記事

奉写一切経所解 申九月告朔事
奉写一切経一部四千六百九巻
    一千ニ百九十五巻見写[八百九十八巻去月所定 三百九十七巻月中写]
    三千三百十四巻未写
  錦二丈八尺
  緑料錦二條[長各五尺九寸 広各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 広各一寸五分]
裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 広各一尺五寸]
  生糸三両[已上六種縫帙料去月残]
  「*右[依]六種政所今月九日判、充縫帙所、」
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸編+ム+員≫〓≪あしぎぬ≫ 積二丈九尺三寸 四條東〓≪あしぎぬ≫ 積四丈五尺九寸]
  庸并黒綿百九十七屯[去月残]
  庸布二段二丈二尺[去月残]
  同布端廿八條[去月残 長四尺五寸已下五寸已上]
  商布十段[去(マヽ)]
  綺四百七十丈
   用五十六丈
   残四百十四丈
  丸組〓≪よんじゅう≫六丈
  綵帙一千四百九十三枚
    一千一百六十<三>枚縫畢「*以十月九日、為用様、進上政所一枚、」
    廿七枚未着表帯
    三百三枚未縫[「*以十月九日、<「*充縫帙所」>【返上於政所】、]
 
  白木籖二千六百九十二枚[已上【四】五種去月残]
  墨ニ百十七廷
   用廿廷[奉写一切<経>料]
   残一百九十七廷
   膠二斤三両一分
   布綱〓≪よんじゅう≫四條
   〓≪秋+金≫十四口
「*間」米五斗[已上五種去月残]
   〓≪草冠+兔≫毛筆五十八管[請月中]
   用尽[奉写一部一切経料]

(中略)

以前、起今月一日、尽卅日、請用雑物及食口<等、>顕注如件、以解、
           宝亀四年九月卅日案主上 馬養
                  主典葛井連

以前、起今月一日、尽廿九日、請用雑物并残等及食口、顕注如件、以解、
           宝亀四年【九】八<「*八」>月廿九日案主上
                主典葛井連

出典

『大日本古文書』21(484頁~524頁のうち516頁~524頁)(『正倉院文書』續々修3帙10・續々修16帙5裏・續修26裏)

「造仏所作物帳(?)断簡(首中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日

記事

    猪脂一斗一升参合
    小麦粉捌升玖合
    木屎参升弐合
    掃墨肆斗玖升漆合
    赤土伍斗参升
(中略)
  「(楽書、下同ジ)胡桃皮陸仟参伯拾伍斤木芙蓉壱伯肆」
    胡桃皮陸仟参佰拾伍斤
「(楽書)胡皮桃葉壱」
    胡桃葉壱伯肆拾斤  「(楽書)方 明 明 明 明 」
(中略)
    白革壱拾弐張
    鹿毛弐両
    馬髪弐拾捌斤
    土弐仟肆伯壱拾斤[二千五十斤肩野郡土 三百六十斤石川郡土]
    白石弐伯玖拾斤
    温石一拾斤
    〓≪石偏+弖≫参顆
    破〓≪石偏+弖≫玖拾弐顆
    青〓≪石偏+弖≫弐拾弐顆
    荒〓≪石偏+弖≫参拾一顆
(中略)
   写経四百ニ巻
    一百十二巻[唐麻紙]
    〓≪よんじゅう≫五巻
    ニ百〓≪よんじゅう≫五巻[胡桃紙]
   用唐麻紙一千五百卅張[長ニ百廿八張 短一千三百二張]
    布紙六百五十一張
    胡桃紙四千七百十八張[已上経紙六千八百九十九張]
    端継紙ニ百八十四張
    〓≪衣偏+票≫則紫紙一百廿二張
    □□紫羅十二丈二尺[墨紫十一丈一尺表料 □□□(長方形後半抜け)]

(蜂須家侯爵家所蔵)

    □□□(長方形抜け)
    蘇芳<木>五両
    象牙二枚
    膠三両一分
    (中略)
    青〓≪石偏+弖≫三顆[磬磨料]
    桐六枚[各長三尺八寸径四寸 凰形作料]
   灌頂蓋宗木四箇[各長七寸径四寸 以楠作塗漆]
    用漆三合                     掃墨一合二夕
    上下環銅八口[各径二寸]              料銅二斤一両[合銀一分]
    塗練金小二銖                   水銀小一分四銖
    環〓≪草冠+巫≫銅四隻[各長一尺 不塗金]     料銅四斤一両
    環位銅八枚[各径二寸四分]             料銅六両一分
    塗練金小二銖                   水銀小一部四銖
    架穴位銅十六枚[各方一寸半]            料銅四両一分
    塗練金小一銖                   水銀小五銖
   蓋架十六枚[各長二尺七寸 以欟作漆塗]
    用漆六合四夕                   掃墨二合五夕
   幡横木四枚[各長五尺四寸広□ 厚八分以檪作塗漆]
    用漆五合六夕                   掃墨二合三夕
   蓋表裁銅十六枚[各高三寸七分 広八寸]        料銅一斤十四両
    塗練金小二分                   水銀小二両三分
   大鋪ニ百五十六枚[各径四寸 料銅廿三斤]       [蓋四具各用錦鋪十ニ枚 大幡四條各用鋪五十二枚]
    塗練金小六両                   水銀小二斤二両一分
   大鈴ニ百五十六口[各周四寸 所用如鋪]        料銅十ニ斤六両
    合白鑞二両                    子〓≪金+截≫四斤三両
    塗練金□(小カ)五両                水銀十一斤十三両
   □□形院百五十六枚[各径三寸]            料銅二斤四両一分
    塗練金小四両二分                 水銀小一斤八両二分
   小鋪三百六十八枚[各径三寸 料銅十六斤]       [小幡八條各 用鋪〓≪よんじゅう≫六枚]
    塗練金小三両一分                 水銀小一斤二両三分
   小鈴三百六十八口[各周三寸 所用如鋪]        料銅六斤九両一分
    合白鑞一両三分                  子〓≪金+截≫三斤十二両
    塗練金小四両一分                 水銀小一斤九両一分
   鈴位花形三百六十八枚[各径二寸]           料銅二斤三両
    塗練金小三両二分                 水銀小一斤二両二分
   鋪鈴等固銅糸一百八縷[々別長三尺]          料銅五斤一両二分
    黄糸六両[鋪固料]
   小幡頂凰形八枚[各長一尺六寸 広一尺二寸]      料銅廿九斤二両
    塗練金小八両二分                 水銀小三斤一分三銖
   幡鎮四箇[以緋毛作]
    用表銅四口[各径一尺一寸]             料銅七斤三分
    塗練金小三両                   水銀小一斤二分
    裏銅四口[各径七寸 不塗金]            料銅三斤十両一分
    内輪銅四[各径七寸 不塗金]            料銅一斤六両二分
    内鈴卅二口[八口各周八寸廿四口各 周三寸並塗金漆] 料銅二斤十一両
    鈴合白鑞一分三銖                 鈴子〓≪金+截≫九両三分
    表花形四枚[各径七寸半]              料銅一斤十三両
    塗練金小二分                   水銀小二両三分
    □□□(長方形抜け)[各径二寸蓋長五寸]       料銅一斤十四両三分[合銀二分]
    塗練金小二銖                   水銀小一分四銖
   鎮毛〓≪よんじゅう≫八編[々別長四尺]        料白馬髪廿八斤[染緋]
    用生糸九両二分[編毛料]              練糸七両
    糸八両                     〓≪あしぎぬ≫三丈
   幢未横木四枚[各長九尺六寸径三寸 以檜作塗漆]
    用漆二升三合                   掃墨一升二合
    端銅八口[各長三寸半径三寸]            料銅五斤六両一分[合銀二両]
    塗練金小一両                   水銀小五両二分

(続々修三十五帙三)

    □□□(長方形後半抜け)           □□八十両二分
    端環八具[各径二寸径長六寸]         料銅六斤二両三分[合銀二分]
    塗練金小一分                水銀小一両一分
    中銅八口[各長四寸■(半カ)径三寸■(半カ)]  料銅五斤四両二分[合銀一両二分]
    打立環八口[各径一寸八部 座長五寸]     料銀三斤十二両
      右件灌頂四具料用練斤小四□(両)二分一銖
     銀四両三分
     水銀小十四斤四両三分二銖
     白鑞四両三銖
     銅百〓≪よんじゅう≫四斤六両一分
     〓≪金+截≫八斤八両三分
     鋪六百廿四枚

出典

『大日本古文書』24(24頁~34頁)(『正倉院文書』續々修35帙3裏・續々修35帙3)

「写経所仏像等収受注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)3月25日

記事

「(異筆)仏合五十七鋪」
帛帳一條[四副長八尺二寸] 敷布三條[長六尺 一長六尺六寸又一條五尺五寸]紫絞帳卅三條之中【四】五條羅
帳[十八條<>合結裏 又十條緑裏 又二條水橡裏 又一條浅黄裏 又一條蘇芳結幡裏 又一條浅緑裏 各副三納辛櫃二合 又仏櫃三合]
               (天平勝宝五年)三月廿五日使船連田主
                            受上「(自署)馬養」
「(裏)帛〓≪あしぎぬ≫四條」

出典

『大日本古文書』25(61頁~62頁)(『正倉院文書』続々修46帙4)

「経巻出入請軸等文書継文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月27日

記事

合経拾漆巻
帙五枚
  三枚繍(帙脱カ)[並綾裏、錦縁、組帯、]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[一枚深緑綾裏、赤紫縁、組帯、一枚綾裏、黒紫縁、組帯、]
勝思惟梵天所問経六巻 阿惟越致経三巻
大乗問性経二巻  縁生初勝□(分)法□□□□(経二巻)
 右、四部十三巻、[並黄紙及表、綺緒、朱軸、]
楞伽阿跋多羅宝経四巻[黄紙及表、綺緒、漆軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(178頁~179頁)(『正倉院文書』塵芥25裏)

「造東大寺司牒」(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月21日

記事

「(端裏)請山階<寺>帳」
造東大寺司 牒興福寺三綱務所
合経貳伯参拾巻
  帙貳拾壹枚  
   十九枚綵帙
    十七枚繍[之中十二枚綾裏錦縁組帯 五枚〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
    二枚織[並〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
   二枚〓≪夕+鹿≫帙[並黄〓≪あしぎぬ≫裏錦縁 一枚組帯 一枚錦帯]
(中略)
観薬王薬上二菩薩経一巻[已上並黄紙及表、綺緒、紫檀軸、]
(中略)
灌洗仏形像経一巻[白紙黒紫羅表 深緑(線)綾裏綺緒白檀軸] 報恩奉盆経一巻[黄紙及表銀軸無緒]
大金色孔雀王呪病結界文一巻[黄紙及表朱 頂軸无緒] 佛頂尊勝陀羅尼経一巻[黄紙及表綺 緒木絵軸]
摩訶摩邪経一巻[黄紙及表朱 頂軸綺緒] 観薬王薬上菩薩経一巻[黄紙及表綺 緒漆軸]
  右六経六巻同帙[紙帙]
首楞厳三昧経三巻[黄紙及表朱頂 軸 一帙] 賢劫経十三巻[黄紙及表朱頂 軸紫緒]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(185頁~193頁)(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦6年(787)6月26日

記事

銅鉢四口[元盛沙金、今空]
屏風二帖[謳揚春真跡書]           又二帖[王義之諸牒書]
花氈六十七枚[天平宝字三年四月廿九日、装束御齋曾堂料出]
繍線鞋八両                 紫糸結鞋一両
糸〓≪狭の旁を偏に+りっとう≫納鞋一両  銀薫爐一合
銀平脱〓≪木偏+流の旁≫箱一合[盛琴笙琵琶等絃、]
〓≪王偏+毎≫瑰箸二雙           青斑鎮石十廷
金薄綵絵木鞘大刀子一口

出典

『大日本古文書』25附録(11頁~33頁の内31頁~32頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
   金銅作唐刀子二口             金作小刀一口
   金銀荘刀子六口              十合鞘刀子一口
   三合鞘刀子三口              水角鞘刀子一口
   犀角鞘刀子一口              斑犀偃鼠皮帯一條
   斑貝〓≪革+吉≫〓≪革+莫≫帯一條    赤紫黒紫稲綬帯一條
   錦袋一口[納麝香九両 二分、]       袋一口[盛呵梨勒卅六顆 雑玉〓≪よんじゅう≫丸]
   笏三枚[一牙 一通天牙 一大魚骨]     尺六枚[二紅牙撥鏤 二緑牙撥鏤 二白牙]
   木画紫檀碁局一具[局裏蔵 碁子壺]
   碁子六百枚[納銀平脱合 子三合]      木画紫檀雙六局一具
   雙六頭一百十七具一隻           雑玉雙六子一百六十九枚
   紅牙撥鏤〓≪竹冠+下≫子一百枚       紫檀琵琶二面[一螺鈿]
   紫檀五絃琵琶一面             紫檀阮咸一面[螺鈿]
   桐木箏一面[木画]             楸木瑟一面[木画]
   新羅琴二面[金鏤]             琴二面[一銀平文 一漆]
   檜木倭琴二面               銀平脱梳箱一合[納琴箏琵 琶等絃、]
   甘竹簫一口[虫喫]             呉竹笙一口
   呉竹〓≪竹冠+于≫             彫石横笛一口
   尺八四口[一玉 一竹 一種樺 一刻彫]   彫石尺八一口[析(折)]
   白石鎮子十六箇[師(獅)子兔牛等形]     青斑鎮石十廷
   銀薫爐一合                貝〓≪王偏+夬≫拾二箇
   漆胡瓶一口[銀平脱]             百索鏤一巻
   御鏡廿面[径二尺一寸七分已下九寸二分已上] 杖刀二口
   屏風一百四帖[廿一雑画 四書 三鳥毛 一鳥形 六十五〓≪狭の旁≫纈 十﨟纈]
   繍線鞋八両                紫糸結鞋一両
   合香二斤十二両[大 納帛袋一口、]     糸〓≪狭いの旁+りっとう≫納鞋一両
   〓≪鍋蓋+邑+衣≫衣香五斤十五両二分[小并袋五口]

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・36頁~37頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第廿六櫃収納
    礼服御冠二箇
     [一箇皂羅金銀寶珠飾、着黒紫組櫻二條、納赤漆八角小櫃一合、敷帛帳一條、布帳一條、地錦〓≪雨冠+覆≫一條、綱一條、]
    一箇 以純金鳳并金銀葛形寶珠荘 著白線組緒二條 納赤漆六角
    小櫃一合 帛綾褥一枚 帛袷〓≪雨冠+覆≫一條 鐡鎖子二隻

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・49頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第廿七櫃収納
    礼服御冠二箇[礼冠一箇、有?、以雑玉飾、凡冠一箇、以雑玉飾] 納赤漆小櫃一合、[敷帛帳一條、]
     布帳一條 綱二條 居机

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・49頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第廿八櫃収納
   帛袷袍一領         襖子二領[一〓≪加+糸≫綿 一袷]
   汗衫一領          褶一腰[羅襴]
   袴一腰[〓≪加+糸≫綿]   御帯一條
   袷〓≪巾+業≫二條[各二個] 帛綾褶一腰[羅襴]
   単〓≪巾+業≫子一條[二幅] 合香二斤十二両[太 納帛袋]
    納赤漆文欟木小櫃一合[牙床脚 着銀鎖子] 地錦〓≪雨冠+覆≫一條
    敷帛帳一條  布帳一條  〓≪あしぎぬ≫綱一條

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・49頁~50頁)(『正倉院御物出納文書』)