「筑後國正税帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738年)

記事

(上略)
   依太政官天平十年七月十一日符、買白玉壹伯壹拾参枚、直稲漆拾壹
    束壹把分
    紺玉漆伯壹枚 直稲肆拾壹束壹把捌分
    玉玖伯参拾参枚 直稲肆拾漆束漆把捌分
    緑玉肆拾貳枚 直稲参束壹把漆分
    赤勾玉漆枚 直稲壹拾陸束捌把
    丸玉壹枚 直稲壹把貳分、
    竹玉貳枚 直稲参把肆分、
    勾縹玉壹枚 直稲壹束捌把、
(紙端)

出典

『大日本古文書』2(146頁~149頁の内147頁~149頁)(『正倉院文書』正集43)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
 合袈裟壹拾壹領 陰脊肆領
   裳壹腰 坐具玖枚
  丈六分袈裟貳領 一領綿納
   壹領白牒[高五尺 廣八尺三寸 蘇比色、大唐玄奘三蔵者、]
  佛分袈裟伍領[一領、麻七條、一領、赤色、 一領、紫羅綾、 二領、橡七條、]
   陰脊壹領 坐具参枚[二枚、紫結幡、一枚、赤錦、]
  弥勒佛分麻納袈裟一領
  聖僧分坐具貳枚[一枚、紫綾、 一枚、表緑綾、裏赤綾、]
  通分坐具貳枚[一枚、表碁磐科子錦、裏赤錦、 一枚表雲幡、裏、]
  木叉分坐具貳枚[二領、黄褐、 一領、青褐七條、]
   陰脊参領[一領、黄褐、 一領、紫羅綾 一領、青褐、]
   裳壹腰[鳩染色]
   坐具貳枚[一枚、橡、在中氈、一枚、紅染]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内596頁~597頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
  合布單帳漆拾陸張
(中略)
   法分花香具陸具 帳肆張 褥貳枚
    黒紫沙(紗)花覆貳張[長各九尺 廣五幅半]
    赤紫紗花覆貳張[長各八尺九寸 廣五幅]
    机敷貳張[長各七尺 廣三幅]
    机敷貳張[長各七尺 廣三幅](一行衍カ)
    右、養老五年歳次辛酉、寺造者、
    黄帳壹帳[長九尺六寸 廣二幅半]
    緑帳壹張[長九尺八寸 廣 幅]
        [長八尺三寸 廣二幅]
    右、癸巳年十月廿六日仁王會、納賜飛鳥宮御宇 天皇者、
    紫沙(花脱カ)覆壹張[長八尺四寸 廣三幅]
    浅緑沙机敷壹張[長七尺五寸 廣二幅半]
    右、天平元年歳次己巳、為仁王會、納賜平城宮御宇 天皇者、
    香机褥壹枚[表秘錦 裏緋花形綾]
    経机褥壹枚[表科子錦 裏緋葛形綾]
    紫羅[長一丈 高□□]
    紫羅綾花覆帳[一長九尺七寸 廣三幅 一長八尺 廣二幅]
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(後略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内598頁~601頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合机帯貳拾條 [佛物二條緑 法物十八條 之中十二緑 二紫 二 二帛]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁の内640頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日付

記事

(前略)
合雑物貳拾捌種
 全金玉参丸[重二両]             銀玉玖丸
 銀鎖壹條 [長一尺三寸]           銀爵壹枚
 餝銀壹文                   銀髪刺参
 銀烏敏壹                   銀墨研壹
 玉兊曲参口                  金泥杖壹枝
 金泥鐃陸枝                  鏡臺肆足
 画亀甲枕壹                  浅香礒形壹[在白鑞鳥三重一斤六両]
 牙口脂壷貳拾壹合               牙爵拾枚     
 位冠貳拾捌 [赤]              鏡懸絲壹拾参條
 赤糸組壹條 [長四丈六尺]          水精玉壹佰貳拾壹丸
 白玉壹佰参拾伍丸[一如椹實]         白玉水精青王(玉カ)琥等玉壹〓≪果+衣≫
 玉貳貫[一全金白玉水精紺玉等 一白玉紺玉等] 青玉玖佰壹拾伍丸[以上佛物」
 紺玉肆佰肆丸[佛物八丸 通物三百九十六丸]  玉壹〓≪果+衣≫[重五両二分]
 又玉伍佰丸 [以上通物]宍色菩薩天冠銅貳枚
(後略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち645頁~646頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

 十ニ月十一日納壇紙壹仟伯陸拾張[納明櫃一合之中四百五十四張以十ニ日進返内 裏便納其櫃 〓七百六張]
      右依飯高内侍宣奉寫薬師経〓≪よんじゅう≫九巻料
                            収呉原生人

    廿二日納紙參拾張[藥師経〓≪よんじゅう≫九卷表紙料]
                            収上馬甘

     廿八日納敷金緑紙貳伯玖拾張[六十花嚴料]
                            収上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内597頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

(前略)
天平勝寳五年
 正月十二日納敷金紙拾張[七部内最勝王経表紙料]
                      収上馬甘
 二月八日納色(敷金)紙肆伯伍拾捌張[三百十八張青褐 百四十張滅紫]
       右依飯高笠目天平勝寳五年二月七宣奉寫最勝王経一部
       仁王経一部 解深密経一部之料
                      収呉原生人
                      上馬甘
 以二月廿日進返内裏色(敷金)紙壹伯伍拾張[九十八張青褐 五十二張滅紫]
       右依次官佐伯宿祢宣進返如前[付秦原守工石主]
                      知呉原生人
   廿四日納色紙貳伯伍拾参張
     深緑十一張 深廿張  浅廿張  浅緑廿張
     蘇芳廿張  深紅廿張  浅紅廿二張 白廿張
     浅皮自四十張 深苅安廿張 浅苅安廿張 胡桃廿張
      右奉寫種々(依善光尼師宣)観世音経廿一巻判者
                      受呉原生人
    又納深紅(金敷)紙壹伯拾伍張
      右依錦部内侍天平勝寳五年二月七日宣奉寫楞伽
                      収上馬甘
(後略)

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内597頁~599頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

三月十二日納色紙玖伯壹張
     淺九十九張  深百五十四張 白百廿九張
     朱芳百張  深紅百一張 淺紅百張  深胡桃百二張
     淺胡桃九十六張  中胡桃廿張

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内599頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

六月三日納敷金紙參拾張
      右大原魚次奉寫花嚴経表紙料
                        収上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内600頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

 十六日納色紙壹仟伯張[五十張表紙料]
      藍色百張  深百張  白百張  深紅百張  中紅百張
      淺紅百張  深橡百張  淺波自百張 深波自百張
      淺苅安百張 淺緑百張  凡紙九十八張[端継等料]
       右依奉寫觀世音経一百卷料
                     収呉原生人 上馬甘

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内600頁~601頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

二月廿四日納色紙貳伯伍拾參張
  深緑十一張 深廿張  淺廿張  淺緑廿張
  蘇芳廿張  深紅廿張  淺紅廿二張 白廿張
  淺波自〓≪よんじゅう≫張 深刈安廿張 淺刈安廿張 胡桃廿張
   右種々觀世音経廿一卷料
             受呉原生人 

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内612頁~613頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外3)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

七月
     廿五日納色紙參伯參拾陸張
       二百卅六張[二百廿九敷金 七張敷銀]
       靑褐一百張
       穀紙參仟玖佰伍張 外凡紙參伯玖張
        右奉為 太皇太后依飯髙命婦宣奉寫梵網経一百部料収納
        如件
                        上馬養
                        呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内605頁~606頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

五年三月十二日自紫微中臺来色紙玖伯壹<千八十八>張
  淺紙九十九張   深紙百五十四張  白紙百廿九<二百五十九>張
  蘇芳紙百張     深紅紙百一張    淺紅紙百<卅七>張
  深胡<桃>紙百二張  中胡桃紙廿張    淺胡桃紙九十六張
   右依飯高笠目天平勝寳五年三月十一日宣奉寫仁王経六十四卷之料
                      納呉原 上馬養

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内613頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

十六日納色紙壹仟伯張[一千十張見寫料  五十張表紙料 〓≪よんじゅう≫張儲料]
  藍色百張 深百張 白百張 深紅百張 中紅百張
  淺紅百張 深橡百張 淺波自百張 深波自百張
  淺刈安百張 淺緑百張 凡紙九十八張[式敷紙下纒等料]
  右奉寫觀世音経一百卷料
            七月十六日上馬甘
               呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内614頁~615頁)(『正倉院文書』小杉本繪佛外3)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)3月27日

記事

造東大寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部 之中拾參部請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙表綺緒 六部紙淺緑表綺緒
   三部胡桃紙表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙十七枚[並緋裏錦縁綴組帶 納漆塗小辛櫃一合並机敷布一條]
   右、依今日牒旨、<令>奉請如前、
               天平勝寳五年三月廿七日 上馬養
                           呉原

出典

『大日本古文書』3(621頁~622頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月27日付

記事

造東寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部[二百巻]之中拾參部<便>請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙表綺緒 六部紙淺縁(緑カ)表綺緒
   三部胡桃紙表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙拾漆枚[並緋裏錦縁綴組帶]
   右、依今日牒旨、奉請如前、
                  天平勝寳五年三月廿七日 
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(622頁~623頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「寫經請本状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)7月28日

記事

外嶋院
  梵網経九卷
   一部黄紙 黑黄〓≪衣偏+票≫ 緋綺帶 黑漆軸
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 綵綺帶 白檀軸
   一部[上卷黄紙及 緑淡綺帶 赤漆軸 故 下卷黄紙及 紫淡綺帶 朱頂軸 新]
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 紫淡綺帶 黑漆軸
   一下卷白紙 黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 〓≪木偏+聖≫軸
以前経、付工石主、令奉請如件、
             天平勝寳六年七月廿八日上毛野君 粟 守 

出典

『大日本古文書』4(14頁)(『正倉院文書』続修42)

「大安寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)8月9日

記事

大安寺三綱  牒造東大寺司
  梵網経一部二卷[銀塵紙及表綺緒繪軸綵帙緋綾裏錦縁拾組帶]
   右、依奉請數、檢納如件、仍録事状牒、
             天平勝寳六年八月九日小都維那 常 孝
上座 玄 景                大都維那 平 燭
寺主 玄 蔵                小寺主 玄 融

出典

『大日本古文書』4(27頁~28頁)(『正倉院文書』続修別集10)

「下野寺鎮三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)8月9日付

記事

下野寺鎮三綱牒  造東大寺司務所
 梵網経一部[二巻 銀塵紙及表綺緒繪軸綵帙緋綾裏錦縁拾組帶]
右 件経 以今月九日 奉請已訖 仍即附還使 返抄如前 具録事状 以牒
             天平勝寳六年八月九日都維那僧 □ □
                       寺主僧 善 達
                       上坐僧 信 應
                       大 鎭 法 慧
                       少 鎭 永 覺

出典

『大日本古文書』4(28頁)(『正倉院文書』続修別集10)

「圖書寮移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)12月13日

記事

圖書寮移 造東大寺司 
  藥師経玖拾卷[〓≪よんじゅう≫卷白紙表紫檀軸綺緒 五十卷黄紙及表梨軸綺緒]綵帙玖拾枚[緋裏錦縁紫帶]納明櫃一合
   右、件経、依板野命婦宣、奉請如件、故移、
         天平勝寳六年十二月十三日従七位上行少属土師宿祢 國 勝
  又奩貳拾口 返上

出典

『大日本古文書』4(32頁)(『正倉院文書』続修16)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)5月27日

記事

造東大寺司 牒大安寺三綱務所
合経参伯貳拾壹卷
  帙肆拾陸枚 牙籤拾漆枚
   廿八枚綵帙
    廿枚繍[十一枚緋綾裏錦縁組帶 九枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁之中七枚紫綾帶二枚組帶]
    八枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫綾帶]
   十八枚麁帙[之中二枚緋綾裏錦縁紫帶 一枚白綾裏錦縁帛帶 十五枚緑綾裏紫綾縁組帶]
(中略) 
   右四経十卷同帙[已(上)黄紙及表綺緒紫檀軸]
    合経壹伯伍卷[臺一切経内者]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪経十卷[一帙紙] 大乗悲分陀利経八卷[一帙]
  正法華経十卷[一帙]      十住経四卷[已上並黄紙及表紫斑緒朱軸 紙帙]
  金光明経八卷[黄紙及表紫緒朱軸 一帙] 大哀経八卷[黄紙及淺緑斑緒朱頂軸漢手 一帙]
  維摩経三卷[黄紙綾表淺緑斑緒水精軸唐手 紙帙]
  十輪経八卷[黄紙及表橡緒朱軸 一帙] 已上圖書寮[経并帙大唐者]
以前、依今月廿六日牒、付迴使少内記正八位下林連廣野、令奉請如件、以
牒、[又僧等鏡、]
         天平勝寳七歳五月廿七日主典正七位上葛井連
             判官正六位上兼下野員外掾上毛野君

出典

『大日本古文書』4(61頁~66頁)(『正倉院文書』続修別集43)

「東大寺政所符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)7月12日

記事

政所符 寫経所領呉原生人等
合玉軸漆伯枚
  白百枚 黒百枚 浅縹百枚 深緑百枚 赤百枚
  浅緑百枚深五十枚 黄五十枚 紺卅枚
   右、奉着中宮省 御願十部花嚴経料、充遣如件、故符、
                判官上毛野君
                  石川朝臣 豊 万 呂
          天平勝寳七歳七月十二日 即 付 生 人

出典

『大日本古文書』4(69頁)(『正倉院文書』続修別集47裏書)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  檜木倭琴二張[頭尾枕脚並着赤木 上面着紙記 五言詩 並納臈纈袋緑裏]
   銀平文琴一張[軫足並象牙 腹内有司兵韋家造此琴字 納紫綾袋緋綾裏]
   漆琴一張[紫檀軫 牛角足 腹内有〓≪山偏+「澤」の旁≫山之岫幽人所玩等字 納紫綾袋緋綾裏]
「(附箋)紅牙撥鏤撥」螺鈿紫檀琵琶一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   紫檀琵琶一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋緋綾裏]
   螺鈿紫檀五絃琵琶一面[龜甲鈿捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   螺鈿紫檀阮咸一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈(裏脱カ)]
   桐木箏一張[木畫兼玳瑁 納臈纈袋緑裏]
「(附箋)无絃」楸木瑟一張[木畫兼玳瑁 上足紫檀 下足黒柿 納臈纈袋緑裏]
   甘竹簫一口[楸木帶 納紫綾袋緋綾裏]
   呉竹笙一口[漆〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   呉竹竿一口[漆〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋緋綾裏]
   雕石横笛一口[納髙麗錦袋淺緑臈纈裏]
   雕石尺八一口[納髙麗錦袋淺緑綾裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並染木 緑地畫月形 納臈纈袋緑裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並桐木 緋地畫月形 納紫地錦袋緋裏]
   木畫紫檀棊局一具[牙界花形眼牙床脚局兩邊着環局内 蔵納棊子龜形器納金銀龜甲龕]
   木畫紫檀雙六局一具[牙床脚 納漆縁縁〓≪竹冠+遽≫龕々裏悉漆]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内130頁~132頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一張[長七尺二寸七分 鹿毛漆 末弭継銅 目刺 紫皮纒弓把 名金<「(附箋)銅」>弭 錦袋緋綾裏]
     一張[長七尺四寸 色白 紫皮纒弓把 名佐伯 紫紬袋纈綾裏]
     一張[長七尺二寸 黒漆纒系 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸一分 黒漆 処々樺<「(附箋)籐」>纒 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺一寸二分 背黒漆 腹赤漆 末曲 本曲節 黒紫組纒弓把]
     二張[長七尺三寸三分 一背黒腹赤洗皮纒弓把 一赤漆紫皮纒弓把]
     一張[長七尺九分 背黒 腹鹿毛漆 目刺 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸二分 背黒 腹赤 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺五<「(附箋)七」>分 赤漆 本末纒樺 処々節 黒紫組纒弓把]
     一張[長七尺三寸 赤漆 紫皮纒弓把]
     二張[長七尺二寸四分 赤漆 紫皮纒弓把]
     三張[長七尺三寸一分 赤漆 一黄皮纒弓把 二紫皮纒弓把]
     一張[長七尺三寸四分 赤漆 黄皮纒弓把]
     二張[長七尺二寸五分 赤漆 一紫皮纒弓把 一黄皮纒弓把]
     一張[長六尺七寸九分 赤漆 末節 紫皮纒弓把]
      已上、納第三櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内144頁~146頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[地錦領緋〓≪あしぎぬ≫縁]
     一領[紫地雲幡錦領紫皮縁]
     一領[黄地錦領縁]
     一領[黄地錦領<「(附箋)*黄」>白地錦縁]
     三領[並龜甲錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地小花錦領縁]
     一領[黄地古錦領緋地錦縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁 已上並白磨白線組貫緋〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第四櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内153頁~154頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    二領[並白地錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地錦領物口錦縁]
     一領[疑鳥錦領縁]
     二領[並物口錦領縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地田次形錦領縁]
     一領[並縹地錦領縁]
     一領[地堕目形錦領物口錦縁 已上並白磨白線組貫緋〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第五櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内154頁~155頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[地錦領〓≪糸偏+熏≫地錦縁]
     二領[並龜甲錦領縁]
     三領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁 但一領緋皮縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地錦領縁帛裹<「(附箋)*裏」>]
     二領[並物口錦領縁]
     一領[黒地錦領縁 已上並白磨白線組緋〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第六櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内155頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[地錦領〓≪糸偏+熏≫地錦縁]
     二領[並龜甲錦領縁]
     三領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁 但一領緋皮縁]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地錦領縁帛裹<「(附箋)*裏」>]
     二領[並物口錦領縁]
     一領[黒地錦領縁 已上並白磨白線組緋〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第六櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内155頁~156頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[龜甲錦領緋〓≪あしぎぬ≫縁]
     二領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁]
     三領[並物口錦領縁]
     一領[白地錦領縁]
     一領[地錦領〓≪糸偏+熏≫地錦縁]
     一領[疑鳥錦領縁]
     一領[黒地錦領縁 已上並白磨白線組緋〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第八櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内156頁~157頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[白地葛形錦領縁黄糸組<「(附箋)緋〓≪あしぎぬ≫裏」> 白磨]
     一領[龜甲錦領白地錦縁<「(附箋)緋〓≪あしぎぬ≫裏」>]
     一領[緋地錦領紫地織成縁<「(附箋)緋綾裏」> 已上白磨白線組]
     四領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏橡線組]
     一領[疑鳥錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏 白線組]
     一領[紺<「(附箋)」>地錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏 橡線組]
     一領[龜甲錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組 已上並金漆塗 紺布袋帛裏]
      右、納第九櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内157頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[地錦領縁白〓≪あしぎぬ≫裏 白線縄貫]
     二領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏 橡線組]
     二領[並深緋地錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組]
     一領[緋地錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏緋〓≪あしぎぬ≫縁白線縄]
     一領[地錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 洗皮縁 橡線組]
     二領[並龜甲錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組]
     一領[龜甲錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏白線縄 已上並金漆塗 紺布袋帛裏]
      右、納第十櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内157頁~158頁)(『正倉院御物』)

「寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字元年(西暦757年)10月14日

記事

寫經所解 申奉寫經事
合一千廿五卷[並繪軸綺帶]
  金剛壽命陀羅尼經六百廿五卷
   六百卷波和良紙[同表]十卷雜色紙[表]十五巻長麻紙[波和良表]
  諸仏集會陀羅尼經四百卷
   二百九十二卷緑紙[表]  一百八卷波和良紙[同表]
以前、起去九月廿三日盡今月十一日奉寫經、具件前如、謹解、
      天平寳字元年十月十四日 紫微史生正八位上葛井連
  治部大輔正五位下  王  造東大寺司主典従六位上阿刀連

出典

『大日本古文書』4(242頁)(『正倉院文書』続々修18帙5)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761)10月1日

記事

 壹足綾槻[長五尺九寸 廣一尺七寸 髙四尺九寸 若金泥鎖子一具并床子一足錦〓≪≫一枚]
   裹衾壹領[表赤紫 裏緋綾角別秘錦 領以綺為界]
   鈎納革箱壹合[長六寸一分 廣三寸四分 深一寸三分 納錦袋内在白綾〓≪≫]
  壹足枌[長三尺三寸 廣一尺九寸 髙三尺一寸五分]
合経副香參種[一〓≪≫香一斤十兩一甘松香二斤十三兩 一苓〓≪≫香九斤二兩納袋六口并表赤紫羅裏赤
合白木高座貮具[并机橋礼盤二足]
合高座寳頂貮具[身黑紫綾秘錦領地古錦交錺頂木金 塗鏤銅錺着小鏡二面]
合寳頂懸木錦袋貮口[二〓≪≫秘錦 長各一丈三尺]
合高座〓≪≫肆枚[二表紺花錦裏〓≪≫緑綾 紫花錦領二席錦領]
合高座〓≪≫貮枚[並表白錦 裏緑綾 紫錦領]
合高座橋〓≪≫肆枚[並表錦裏]
合礼盤〓≪≫肆枚[二表紫二科錦裏緑綾 二席錦領]
合高座茵貮枚[黑紫綾領]
合礼盤茵貮枚[赤紫綾領]
合糸交幡陸拾貳流
合白綾綱貮條[一長十四丈 一長八丈]
合佛座地代帳貮條[並表薄朱二科綾裏淺緑長二丈九尺 廣各四幅一條]
合漆塗机參足[一経(徑)三尺八寸 廣一尺八寸 髙二尺五寸]
    [一香長三尺廣一尺五寸五分髙三尺寸一香長各三尺 三寸廣一尺六寸五分髙三尺一寸五分]
合机〓≪≫參枚[一秘錦領兩面錦一赤紫都牟岐白錦領 一赤紫綾並裏緑綾]
合黒紫羅花覆貮條[長各九尺二寸 廣各三幅以金黑繪]
合赤紫綾帶貮條
合経覆壹條[表赤紫羅裏赤蜂子指長七尺五寸]
合漆塗香水器壹具[并手洗移二口]
合韓櫃參合[一長三尺廣二尺(脱字アルカ)寸一長三尺寸 廣二尺六分一長三尺四寸廣二尺]
    右、天平十四年歳次壬午二月十六日、正三位橘夫人宅奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内514頁~516頁)(大和国法隆寺所蔵)

「東大寺政所牒」『正倉院文書』

撰述日

天平寶字6年(西暦726年)7月9日

記事

改所 牒石山院
一阿弥(陀脱カ)浄土一鋪[〓≪果+衣≫帛一匹 緋枚縄一条 細布二丈一尺 〓≪あしぎぬ≫三丈]
      擔夫六人[四人着浄衣] 部領四人[己知帯成長屋波多 采女山守 波多稲持]
       右、為坤宮官七七 御斎宮會所奉造也、
       今依牒状、奉請者、唯仏室者、依不載文留置、若有可用者、早
       速報知、
一白鑞小一斤直百六十文[此去年四五月之間買價也 自〓≪玄+玄≫以後司申無買]
一鉄生直者、由来無買、仍不得不章、
一銭壱拾貫[且] 黒葛百了 末醤六斗
     右、便附回使、
以前、依今月八日牒、施行如件、故牒、
                  天平寶字六年七月九日卯時主典阿刀連酒主
                                 判官葛井蓮根道
一新工人等食禄異法、頃者之使皆是新工、冝更不可然、
     

出典

『大日本古文書』5(243頁~244頁)(『正倉院文書』正集5)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦727年)4月15日

記事

奉寫  御執經所
仁王波若經五十部[一百巻]
  右、被弓削禪師宣稱、夏安居間、為奉轉讀内裏、奉請於東大寺者、
  仍老内裏葛木毘登立人、奉請如件、
                天平寶字七年四月十四日朝政官吏生因幡国造田作
  「(別筆)行       判官葛井蓮根道
               主典阿刀連酒主
  令奉請仁王經参拾部[六十巻丹地檜軸]並帙六枚[竹鹿帙緋綾裏錦緑紫綾帯]
    六部紙黄表 <見ニ部 「*未四部」七卷>五部黄紙及表 <見四部【又上卷】一>三部呉桃紙
    七部紅紙表[見四部 又下「*未三部」]九部檀紙及表[白 見七部 又上卷「*未三(二ヵ)部」] 納明櫃一合
                付内竪葛木毘登立人           」

出典

『大日本古文書』5(434頁~435頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

阿弥陀院寶物目録    神護景雲元年[無印正文]
阿弥陀悔過□□(長方形後半抜け)
   寶殿一基        □□(長方形後半抜け)
   阿弥陀仏像一躯   □□(長方形後半抜け)
   音聲菩薩十躯     □□(長方形後半抜け)
   檀像観音菩薩一躯  □□(長方形後半抜け)  
   花厳經一部[八十巻] 法花經□□(長方形後半抜け)
   阿弥陀經九十六巻  觀无量□□(長方形後半抜け)
   叟觀无量壽經二巻  梵網經二巻
   随願藥師經一巻  十一面經一巻
   花厳經疏一部[本末廿四巻] 法花經疏一部[十巻]
   最勝王經疏一部[六巻]    經嚢一口
(中略)
   香櫃一合   香印坐花二?
   褥九<「*七」>枚     覆八條
   帯八條     出墻二條
   緑?七條   ?七條
   綱六條   緑綱五條
   帛衾十六領  布単衣七領
   敷布卅枚    布枚綱六<「*二」>枚
   漆韓櫃一合  白木韓櫃二合
   畳廿三枚    願文一巻
   巻文一巻[載田卅四町]
       以上目録
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち671頁~673頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
  花厳經一部[八十巻石軸] 帙八枚[雑綵]
  法花經一部[八巻金字 紫紙水精軸] 帙一枚[表畫山水形]
  梵網經二巻[色紙石軸]
  随願藥師經一巻[色紙沈軸]
  十一面經一巻[色紙琥碧軸] 以上〓≪果+衣≫帛一条
  華厳經疏一部[本末廿四巻 慧苑師] 帙二枚[雑綵]
  法花疏一部[十巻基法師] 帙一枚[受使沙弥戒兄]
  最勝王經疏一部[慧照師 六巻] 帙一枚[雑綵]
  薫香四〓≪人偏+戓の口が巾≫[一衣香一霍香 一甘松香]
  [「*堂」]厨子二基[並漆 各高二尺 長二尺五寸 廣一尺三寸]
          表畫山水鳥獣等 作以金銅辟金釘 各着鉄
          裏丹畫菩薩并花等 在紫褥二枚
        〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表錦 裏紫纈] 榻一前[漆敷紫褥]
      檀像観音菩薩一躯[金蓮花坐 基紫檀 臺上在礒]
  [「*堂」]水精塔二基[各餝金雑玉等 基黑柿 臺上在沈磯]
  [「*堂」]厨子一基[漆 高二尺三寸 長二尺三寸 廣一尺三寸]
          表畫山水着金銅辟金釘等 裏胡粉在願文
          扇畫帝釈二像、 在錦褥
       〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表紫地錦 裏緋臈纈]、榻一前[漆 在紫褥]
    琥碧念珠一貫[水精即]、納草箱一合[小]樸子二條[表合纈 裏淺緑]
    錫杖一柄[白銅長五尺二寸五分]、在錦褥
  机一前[漆] 褥一枚[表錦 裏淺緑纈]
    覆一條[合纈 長八尺六寸「*二副」] 
    牙水角一口[ゝ径三寸五分 長一尺六寸] 納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[紫繍組緒]
     [「別筆」「以寶亀九年十二月四日、依法花寺上座宣、稲人内親王官奉入、」
    畫木箱一合[表紫檀裏白檀 高五寸八分 廣長各五寸]
     納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[繍]
    願文一巻  納草箱一合  僕(?)子一條[表緑裏浅緑合纈]
    香水器二具[漆] 納布〓≪人偏+戓の口が巾≫二合[「*居白木榻兄二前]
    楊花箱〓≪よんじゅう≫口[漆 欠二口] 
    漆韓櫃一合[長三尺一寸形釘在鉄 廣二尺五分 深一尺三寸五分 着金銅花]
     覆一枚[紫綾]    居白木榻
    出墻二條[交副赤黒紫合纈 裏浅緑 長二丈九尺五寸 高七尺]
     白木柱八枝之中[柱弐枝 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫四條[各二副長各二丈 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫端七條之中[六条各三丈 一條一丈]
   綱端七條[六條長各三丈 【一條一丈】 「*各長三丈」]
    綱六條[二各長六丈 四各長四丈]  帛<「*佐」>衾十六領
    敷布卅條[「*見廿<条」]   布枚綱六條[各長一丈二尺ヽ在見二条 四条欠物]
      右、以時ヽ従家奉納、
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち678頁~681頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日付

記事

阿弥陀院寶物目録    神護景雲元年[無印正文]
阿弥陀悔過□
(中略)

    願文一巻  納草箱一合  僕子一條[表緑裏浅緑合纈]
     香水器二具[漆] 納布袋二合[「居白木榻兄二前]
     楊花箱■口[漆 欠二口] 
     漆韓■一合[長三尺一寸形釘在鉄 廣二尺五分 深一尺三寸五分 着金銅花]
       覆一枚[紫綾]    居白木榻
     出墻二條[交副赤黒紫合纈 裏浅緑 長二丈九尺五寸 高七尺]
       白木柱八枝之中[柱弐枝 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
     緑■四條[各二副長各二丈 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
     緑■端七條之中[六条各三丈 一條一丈]
     ■端七條[六條長各三丈 一條一丈 「各長三丈」]
     綱六條[二各長六丈 四各長四丈]  帛衾十六領
     敷布卅條[「見廿条」]   布枚綱六條[各長一丈二尺ヽ在見二条 四条欠物]
          右 以時ヽ従家奉納
(後略)  

出典

『大日本古文書』5(680頁~681頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)10月29日

記事

(前略)
  菟毛筆卅五管[買月中]
   用盡[奉寫二部一切経料且]
  帙一千二百九十五枚
    一千一百九十五枚去月殘
    一百枚月中請
     七百廿枚縫畢     二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
     二<三>百五十五枚未縫
  白木籤一千七百五十一枚[不動]
    九百廿一枚去月殘    八百卅枚月中請
  細布被四領[月中請]
   用盡[経師四人料]
  緋糸一斤[丸組卅六丈七尺料籤緒]
   用十一兩
   殘五兩
  生糸二〓≪糸偏+匂≫
   用一〓≪糸偏+匂≫六兩[縫帙三百五十枚料]
   殘六兩
  帛糸四兩
   用盡[縫畫師等浄衣料]
  錦五匹[匹別五丈]
   用四匹二丈二尺
    三匹二丈二尺二尺<九寸>縁三百五十二條料[三百五十条見用 二条殘]
     九十條長各六尺一寸  一百廿條長各五尺九寸
     一百卅條長各五尺七寸 十條長各五尺五寸[已上廣各一尺五寸]
   四丈九尺八寸<殘二條六尺>頭三百八十二條料[三百五十条見用 卅二條殘]
  紫綾〓≪あしぎぬ≫五匹[欠九尺 見四匹五丈一尺]
   用盡[表帶三百五十條料 長各四尺 廣各三寸六寸<分>]
  雜色〓≪あしぎぬ≫七十三匹四丈九尺
    七匹緑纈綾〓≪あしぎぬ≫      一匹纈綾〓≪あしぎぬ≫
    六匹緋〓≪あしぎぬ≫[欠一丈一尺 見五匹四丈九尺]
    廿匹緑東〓≪あしぎぬ≫
    十匹中緑〓≪あしぎぬ≫
    卅匹白橡〓≪あしぎぬ≫
   用盡
    八匹一丈裏三百五十四條料[廣各一尺二寸]
  <用三百五十条  殘四条>
     九十條長各二尺    二百五十條長各一尺九寸
     十條長各一尺八寸
    四匹三丈裏結緒三百五十條料[長各三尺八寸 廣各三寸]
    一匹九尺頭裏五百卅條料[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  <用三百五十条 殘一百八十条>
    六十匹経師装〓≪さんずい+黄≫校生等并六十人浄衣六十領料[領別一匹]
  庸綿一百廿屯
   用盡
    経師装〓≪さんずい+黄≫校生領等并六十人浄衣六十領料[領別二屯]
  細布一端二丈八尺
   用盡[縫帙單浄衣五領料領別一丈四尺]
  紅花十兩
   用盡[縫帙料糸染料]
  糯米五升[大炊]
  小麦三升[〓≪厨の寸がりっとう≫]
   用盡[已上〓≪りっしんべん+塞≫帙三百五十枚裏紙料]
(後略)

出典

『大日本古文書』6(407頁~415頁の内407頁~412頁)(『正倉院文書』續修別集13)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

  小乗經雜帙
(中略)
    第三帙八師經一巻[合廿巻紙八十三紅紙]      用四
(中略)
    第四帙長者子懊惚三處經一巻[合十九巻紙五十六赤紫紙]用三
(中略)
    第五帙大魚事經一巻[合廿三巻紙〓≪よんじゅう≫二]      用二
(中略)
     義足經壱帙[二巻白紙]            用〓≪よんじゅう≫四
     坐禪三昧經一帙[二巻紙]          用五十二
     禪法秘要經一帙[三巻]            用九十一
     毘邪婆問經一帙[二巻淺緑紙]         用卅五
     中本起經一帙二巻[【淺紫紙】]          用〓≪よんじゅう≫八
     摩登伽經一帙[【二巻黑紫紙】]          用卅四
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内8頁~19頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

二月卅日、内堂進納、
(前略)
    七年三月寫宮經四部
     海龍王經四巻[唐色紙及〓≪衣偏+票≫紫綺水清<赤檀>(精)軸]    用九十四
     最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百六十八
     金光明經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百卅一
     千手千眼經七巻[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺【赤】水清(精)軸]   用 [一巻百]
       右件經、大宮寫貢、四月大進
[宮院]最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫〓≪さんずい+冗≫水軸紫綺帯 右宮院御]    用一百七十
[内親王御]最勝王經一部[紅紙及〓≪衣偏+票≫班(斑)綺赤木軸]       用百七十
[后御]唯識論十巻[胡桃紙及〓≪衣偏+票≫赤木軸紫綺帯]           用百九十六
       [右件御所]
     大灌頂經十二巻[穀紙及〓≪衣偏+票≫朱軸 右件眞咋寫<未>給]    用一百廿七
     法花經疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫漆軸緑綺]             用
     【[又法華疏十巻 〔比佐木紙〕]】
  疏廿巻尼等房進 七月十四日付大伴部勇人[大進用万赤呂]
   又廿巻 右安宿家佐弥等所給
    【法華疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫緑綺漆]】
    御法花疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯赤木軸(八年正月十五日内進)]
    无垢稱經疏六巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫緑綺漆軸 未進
            天平九年十月卅日内進納 大属大藏赤万呂]   用二百九十八
    疏抄一巻[白紙]                       用十七
    圓弘章四巻[紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]               用百〓≪よんじゅう≫
     右件書、【王御】沙弥御進、六月八日大進
    法花疏十巻[黄麻紙及〓≪衣偏+票≫綺<帯>赤木軸]            用五百〓≪よんじゅう≫一
     右書<為>、宮院御進、六月六日大進
    [千手千眼經一巻]
    因明論六巻[三黄 三白]【疏】    
    因明論疏三巻[白紙及〓≪衣偏+票≫緑綺]          用一百卅五
    彌勒疏二巻[白紙]               用〓≪よんじゅう≫ゝ
    維摩宗要一巻[白紙]              用七
    五薀論一巻[黄紙]               用十五
     右書、安宿宅佐弥等寫給、
   法華疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯赤木軸 用]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内22頁~23頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
  能断般若經百巻[黄紙及表 緑綺緒 〓≪木偏+聖≫軸]
  不空羂索經九巻[呉桃紙及表 紫綺緒 朱頂軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
   又一巻[白麻紙及表 緑綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩陀羅尼經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  觀世音經百廿二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又廿一巻[白紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[呉桃紙 紫羅表 紫綺緒 〓≪さんずい+冗≫水軸]
   又一巻[赤紙呉桃紙表 綺緒 花軸 銀泥字]
   又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
   又一巻[橡〓≪あしぎぬ≫ 紫羅表 綺緒 漆軸]
   又一巻[白麻紙 黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩受記經一巻[白麻紙 橡表 綺緒 紫檀軸]
  請觀世音經二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  十一面神呪心經二巻[黄紙及表 緑綺緒朱軸]
   又一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  高王觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  千手千眼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 花軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  无垢稱經一部六巻[欠第一巻 呉桃紙 橡表 紫綺緒 赤木軸]
  海龍王經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  維摩詰經一部三巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  大通方廣經三部九巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  无量義經一部二巻[黄紙及表 緑綺緒 黑柿軸]
  理趣經一巻[黄紙及表 緑綺緒 漆軸]
  弥勒經六部十八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  弥勒成佛經一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒下生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒上生經三巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   又一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  又弥勒成佛經二巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  又弥勒下生經六巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  弥勒菩薩所問本願經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  最无比經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  右繞佛塔經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  摩訶摩耶經一巻[色紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  灌佛經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  甚希有經一巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 紫檀軸]
  造立形像福報經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  浄飯王般若經一巻[呉桃紙及表 綺緒 紫檀軸]
  天請問經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  四天王經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  金光明經并喩伽論抄一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  呪〓≪女偏+屓≫經一巻[白紙 黄表 綺緒 花軸]
  无常經一巻[紙 紺表 紫檀軸 金泥字]
  雜呪一巻[黄紙 緑羅表 紫緒 紫檀軸]
  神符經一巻[紙 紫表 綺緒 朱軸 金銀交字]
  出家功徳經一巻[紙 紫檀軸 金字]
  觀藥王上佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  地藏菩薩經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  十无盡戒經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  七倶胝母佛心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  六門陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  度世經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸頂]
  護諸童子經六巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  八名普蜜陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  金光明懺悔品一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  心經廿七巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又五巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又四巻[色紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又二巻[白麻紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[色紙及表 綺緒 朱軸]
  壽延經八十七巻[白麻紙及表 緑綺緒 朱軸]
   丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内207頁~212頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「寫一切經經生校生等手實案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742)2月 日欠

記事

「(端裏書)始天平十四年二月五日至四月廿九日一切經々生等手實案文」
     「*二百卅三「*【二】」巻[百【七】「*【八】」十一巻一切經 〓≪よんじゅう≫二巻外寫雜經]」
  都合寫經一百九十一卷[十卷外寫最勝王經紙]
   「*用三千九百九十一枚之中七百八十九枚 外紙」
    見用紙三千三百【三】六十九張
      「*三千二百二枚一切經」
(紙継)

出典

『大日本古文書』8(1頁~18頁の内1頁)(『正倉院文書』續々修1帙1)

「寫一切經經生校生等手實案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742)2月 日欠

記事

(紙継)
大石廣万呂受寫經合五卷 仏説力士移山經一卷[用七張]
仏説七知經一卷[用紙三張] 不自守意經[用紙二張] <空一枚> 麻鄧女解形中經[用紙四張]
仏説梵志波羅延問種尊經[用紙八張] 請紙合廿八張 見用廿四張[反上三 空一]
        「(異筆)已上五巻一切經」
「*兩月合貳佰玖枚[卅三枚一切經 百七十六枚外最勝經紙]」
        天平十四年二月卅日「(異筆)勘人成讀河原」
  「*充一千四十五文  巻十五[十外]」
(紙継)

出典

『大日本古文書』8(1頁~18頁の内4頁)(『正倉院文書』續々修1帙1)

「大石廣万呂寫經手實」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742年)4月17日

記事

大石廣麻呂 寫最勝王經一部[十卷] 〓≪草冠+さんずい+井の近似文字≫沙王經一卷
受<>紙百九十七張 見用<「*合」>百七十七<六>枚 反上十三張[空紙二枚 破紙五枚 失紙一枚]
第一卷十八 第二卷十八 第三卷十五 第四卷十七 第五卷十七
第六卷十八 第(マゝ)卷十七 第八卷十八 第九卷十九 第十卷十九
受黄紙廿張 見用<「*合」>九張[空一]反上十張 〓≪草冠+さんずい+井の近似文字≫沙王經用九枚
        「(異筆)已上十一卷」
            天平十四年四月十七日大石廣万呂「*巻四」
「*建廣足法花四巻 用八十二枚[外法花白 充四百十文]」

出典

『大日本古文書』8(54頁~55頁)(『正倉院文書』續々修23帙4)

「間寫書料紙収納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月~天平16年6月5日

記事

<(異筆)抄寫但未校>
間寫書料紙収納帳   天平十五年十月
四分律抄料紙者<所>充装〓≪さんずい+黄≫大床等所 其員如左
從十五年五月迄十月從装〓≪さんずい+黄≫所受納白紙一千五百廿張
(中略)
十二月三日黄紙四卷四日一卷十日八卷十六日十一卷[次一枚]自十一月十七日迄十
二月廿一日來紙黄卅九卷[七百八十張]十二月五日來紙五十七張[檢酒主]
天平十六年三月一日納黄麻紙三百廿六枚
   右、依令旨、理趣經十六巻料用如件、   檢人成
四月九日百廿張[十一面經七卷料受人成]
五月十三日納白紙十巻[ニ百張受酒主]十八日七卷[百〓≪よんじゅう≫張受酒主]十九日三卷[六十張受酒主]廿一日
百六十張[受酒主]廿三日八十張[受酒主]廿四日ニ百張[受酒主]廿八日八巻[百六張受石村]
六月
五日ニ百張[受酒主]

出典

『大日本古文書』8(357頁~358頁)(『正倉院文書』続修32裏書)

「寫經論疏充本用紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)11月17日

記事

第五   許知蟻石
第六   達沙牛甘
(中略)
  右依良弁大徳宣奉寫經?用黄紙等顕注如件
    <良弁師>
   判足万呂    天平十六年三月九日勘人成
合奉寫經九巻[七巻十一面觀世音神咒經ニ卷仏頂尊勝陀羅尼經]料用黄紙九十七枚外空<?破>四枚
(中略)
唯識論二部廿卷
  一部[用<黄>紙ニ百一張第一]  寫大鳥祖足[第一十六〔空一〕第ニ〔十九空一〕三廿 四廿一 五廿一 六廿一〔破ニ〕七廿〔破ニ〕八廿三 九廿一 十十九<破一> 寫了<不用ニ>]
樞要一部四巻[【覆四巻】] 寫茨田久治万呂 用<黄>紙百〓≪よんじゅう≫<三>張[正用百〓≪よんじゅう≫破三]
(中略)
最勝王經一部[十巻並紙]  充大鳥高人
   右依 張宮宣、所寫如件、
                十二月六日人成
最勝王經一部[十巻並紙]充大石廣万呂
                已上上如状 施給了
四分律抄一部[六巻] 用黄紙
(後略)

出典

『大日本古文書』8(365頁~370頁のうち365頁~368頁)(『正倉院文書』続修32裏書)

「間寫經疏目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)11月17日~天平勝寳2年(西暦750)3月1日

記事

間奉寫經并疏未奉請
最勝王經ニ部[紙 一部既了 一部未寫了 依春宮坊政所天平十六年九月十日宣所奉寫使高屋赤万呂]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(370頁~371頁)(『正倉院文書』続々修16帙1)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

大鳥高人十月十七日充五色九十四張[正用〓≪よんじゅう≫八張空用一破五 反上〓≪よんじゅう≫張]弁中辨(邊)論一部料 檢酒主
   「*已上先給了」
   十二月六日[充紙廿枚 反上三枚在大床所]又充〓≪よんじゅう≫枚「*未了」
  八月十一日充黄廿枚十三日[充七枚]十八日[充一枚【反】]<黄紙>合廿八枚十一面神咒心經義疏一卷料
廿三日[黄廿枚]合廿枚[正用十五枚反上 五枚]已上辨中邊論料「*給十二月」
「(白緑)自八月一日迄廿三日合受紙〓≪よんじゅう≫八[正用〓≪よんじゅう≫三返五]十二月廿四日人成」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち393頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「常疏寫納并櫃乗次第帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)3月7日

記事

(前略)
公文第五櫃[法花經牧賛(枚替カ)分充九張受爪工家万呂四月六日又肇論料〓≪よんじゅう≫五枚他田水主]
黄紙打卅六卷[別廿枚繼] 黄破紙一〓≪果+衣≫[封]
白打紙不用一裹[封] l高僧傳二卷 法顯傳一卷
(中略)
銅盤三【合】[以十九年七月十一日高屋令史受取了]白打紙八卷[百六十枚常疏了]黄表紙[十枚各着竹并題]
鑞子十四[納白小筥并練袋此者一切經〓≪≫鑞子]古筆五十三筒(箇)[一者丹筆曹司下]<以十九年五月六日返送下政所知他田水主>
膠少々[少一寸者下政所用]雌黄二分[少一寸者下政所用]墨頭十[一者曹司用半廷者秦在石充]【雜】新筆三[一者充水主一者充秦在石]
常疏充装〓≪さんずい+黄≫文 常疏〓≪手偏+交≫文 荒紙充装〓≪さんずい+黄≫文
勘題文 筆墨納并用文 常疏料紙納文
雜物外借用文 以筆墨寫定紙并更請文
(中略)
間本借置第六櫃
  一切經要集卅一卷[廣瀬寺知阿刀縄万呂志斐万呂]唯識論九卷[唐本也竹帙着占也藤原寺書 以十九年七月十日高屋令史受取了]
法花經八卷[唐本竹帙着占也藤原寺書也【以十九年七月十日高屋令史受取了 知阿刀縄 志斐万呂】] 觀無量<壽>經一卷[白紙黄<紅>表紙以天平十九年五月四日奉請南堂知志斐水主受阿刀酒主]
(中略)
花嚴經疏廿卷[白紙也未知主也遺三卷者置校櫃内]未校了飛鳥寺疏本十九卷
一切經音議(義)十卷[五者<卷>黄唐本也五卷今所寫也]
(中略)
間新寫納第七櫃
大鳥高人寫始最勝王經四卷[紙] 最勝王經十卷[此又紙大石廣万呂寫]
唯識論樞要四卷 十一面經疏一卷 尊勝称珠林序一卷
起信論一卷 肇論一卷[已上二卷者高屋令史書]又黄紙尊勝珠林序一卷
金光明經疏八卷 四分律鈔六卷
             天平十九年三月七日校授志斐麻呂
                           校験【授】受他田水主

出典

『大日本古文書』9(343頁~348頁の内347頁~348頁)(『正倉院文書』續々修12帙4)

「造東大寺司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)9月7日

記事

(前略)
勝寶三年十月十四日胡桃紙一千二百張 充能登忍人
四年九月二日上七百張[収呉原生人]
 十月十二日上四百張[収生人]
五年五月廿七<九>日上六十七張[欠十三収馬甘]
 (中略)
 八月十二日紙五張[六十花嚴經初帙表紙料] 受能登忍人
  十九日紅紙二百張[「七部」]滅紫紙百七十九張[並受春日虫万呂「七部」]
 以九月六日上如先員[収生人]
 九月十五日紙五張[六十花嚴經初帙表紙料] 受能登忍人
  十六日色紙卅張[先繼了雜經三卷料者]     受能登忍人
                                知水主
以五年二月十二<一>日上如先員[収員人]
  廿日金敷綠紙一百九十七張[六十花嚴經料者] 受能登忍人
                                知水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(343頁~348頁の内347頁~348頁)(『正倉院文書』續々修12帙4)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
勝寶三年十月十四日胡桃紙一千二百張 充能登忍人
四年九月二日上七百張[収呉原生人]
  十月十二日上四百張[収生人]
五年五月廿【七】九日上六十七張[欠十三収馬甘]
  六月十二日胡桃上一千張        充能登忍人
  九月二日上四百張[収生人]
  十月十二(日脱)上六百張[収生人]
  八月廿四日充上三百六十張[二百張檀] 受能登忍人
  以九月二日上二百張[檀紙] 又十月一日上一百六十張[収水主]
  八月十日充靑褐紙百〓≪よんじゅう≫七張[「*七部」]白紙二百九張[「*七部」]受能登忍人
  九月二日造上
  八月十二日紙五張[六十花嚴經初帙表紙料] 受能登忍人
   十九日紅紙二百張[「*七部」]滅紫紙百七十九張[並受春日虫万呂「*七部」]
  以九月六日上如先員[収生人]
  九月十五日紙五張[六十花嚴經初帙表紙料] 受能登忍人
   十六日色紙卅張[先繼了雜經三卷料者]     受能登忍人
                                 知水主
以五年二月十【二】一日上如先員[収員人]
   廿日金敷綠紙一百九十七張[六十花嚴經料者] 受能登忍人
                                 知水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内518頁~519頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
   十月一日上了[収水主]
    廿八日充淺綠金敷紙八十八張[寫十二仏名經等類三卷料]受忍人[収水主]
  十月十二日胡桃紙一千[受能登忍人] 出充生人
[「(異筆)以五年十一月八日繼打界上 収呉原生人」]
     金薄敷綠紙三張[充忍人 六十花嚴料者依大藏判官宣用]
      右、十二仏名經等表紙料 且充如前、   知生人
     金敷綠紙二張[六十花嚴料]
      右、依大藏判官宣 爲十二仏名經等表紙 所如前、
                     十一月廿八日他田
     金敷綠紙五百五十張[六十花嚴料] 受忍人
五年五月廿九日上二百張[収生人] 十二月九日呉原生人
     檀紙六百八十六張[〓≪よんじゅう≫九卷藥師經料] 受能登忍人
                     十二月十八日呉原生人
     銀薄敷淺綠紙〓≪よんじゅう≫張[弥勒經三卷「*七部」藥師經一卷「*七部」]受能登忍人
                     十二月十八日呉原生人
    紙廿五張[〓≪よんじゅう≫九卷之藥師經表紙料] 受能登忍人
                     十二月廿三日上馬甘

(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内519頁~520頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
  十一月八日充綠紙二百十八張[六十花嚴料]受能登忍人
以六年二月三日上了[収上馬甘 又枚替紙十張]知呉原 上馬甘
   廿一日充紙伍張[大原魚次寫花嚴表紙者]受能登忍人
                                検出呉原生人
   廿二日刀子貳柄[充能登忍人]
                                  呉原生人
  十二月七日充穀紙三百七十五張 凡紙十張[已上受能登忍人]
    右八部經之料者
                                  呉原生人
(後略)
                      

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内523頁~524頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「造東大寺司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)9月7日

記事

(前略)
最勝王經二部廿卷[依【坊政所】高屋赤麻呂十六年九月十日宣所奉寫 一部寫了<未装>一部未寫六卷寫了四卷
  其料<>紙等所在不知但疑高屋赤麻呂所 可着三丈二尺〔別一尺六寸〕軸廿枚]
(後略) 

出典

『大日本古文書』10(374頁~377頁の内375頁)(『正倉院文書』續々修16帙1)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶二年(西暦750年)2月28日

記事

(前略)
   三年二月廿一日自政(所脱カ)來表紙二張[使川邊次益 充装〓≪さんずい+黄≫治田石麻呂 収水主]

(後略)

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内160頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

 天平勝寳四年  (紙継目)
   紙廿張  黄紙廿張[納漆不塗黒葛筥并足別卑机以三日 納奉寫經奉進内裏]
    右仏頂尊勝陀羅尼經二卷料[用廿破五殘十五枚 即奉進内裏]
     依少僧都(良辨)宣所奉寫者 充装〓≪さんずい+黄≫春日虫万呂
                天平勝寳四年正月一日他田
                        三嶋
                        鴨
                      「(自著)知呉原生人」

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

「(異筆)合」二月二日納紙<銀敷>貳伯玖拾陸張[五十張着瑜伽論表紙 知生人]
                        凡紙十二張
   右、依錦部稲敷同月一日宣、奉寫最勝王經一部仁王經一部料者、
                    檢受他田水主
                     知三嶋「(自著)宗万呂」
   同日且充二百廿張 受装〓≪さんずい+黄≫能登忍人[凡紙六張]

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内166頁~167頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

  三月十六日納紙伍拾張[瑜伽論表紙料自大納言【殿】藤原宅來者依色惡不用]
                     檢他田水主
                      三嶋「(自著)宗麻呂」
                      呉原「(自著)生人」

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内168頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「間寫經疏注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)3月1日

記事

八卷金光明經疏一部[八卷 元暁師撰] [右依令旨所寫如前式部卿(鹿鈴王)天平十六年九月廿七日宣]
  十一面經疏一卷[右依 令旨奉寫如件天平十六年八月十日長官王(市原王)宣]
  最勝王經二部[紙 右依 春宮坊政所天平十六年九月十日宣所奉寫 奉宣高屋赤万呂[一部既了 一部未了]
(後略)

出典

『大日本古文書』11(170頁)(『正倉院文書』續々修十六帙一)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

 八月十二日紙五張充忍人[六十花嚴初帙料[表紙]]

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修28帙13)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

 九月十五日充能登忍人紙五張[六十花嚴表紙料]

出典

『大日本古文書』12(165頁~166頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修28帙13)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

紙廿五張[〓《よんじゅう》九卷之藥師<經>表紙料]      受能登忍人
                            廿三日充上馬甘

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内168頁)(『正倉院文書』)

「裝〓《さんずい+黄》紙納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月14日

記事

五年正月十三日充金敷紙五張[最勝王經一部之表紙料]受能登忍人
                                  上馬甘

出典

『大日本古文書』12(165頁~172頁の内168頁)(『正倉院文書』)

「寫書所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)12月24日

記事

(前略)
「(紙背)廿二日自内裏來紙卅張  綺緒八丈五尺

 正月六百廿四張  六百卅七  空破并〓《よんじゅう》八」(紙背)

出典

『大日本古文書』12(200頁~201頁の内201頁)(『正倉院文書』續々修42帙4)

「寫經所請經文」(『徴古雜抄〔阿波〕』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)4月2日

記事

奉請
自外嶋堂奉請〈金字〉大般若經一部六百卷[紫紙及表綺緒第一二帙馬瑙軸自第三帙于至(至于カ)六十帙紫檀軸]
   右以天平勝寳四年四月六日奉請[宣内侍勝玉虫]
   「*以前大般若經以七歳十月七日奉返〈於〉法花寺[長官宣] 使他田水主大伴〓《草冠+衣》万呂
自松本宮奉請花嚴經一部八十卷[白紙表水精軸竹繍帙錦縁]
  納厨子二間[一間漆塗 一間以雜玉錺] 覆一條[錦] 白木机一前
   香五嚢[三袋甘松香之中一袋一斤三兩〔小〕 一袋十四兩〔小〕 二零凌香之中一袋七兩一分〔小〕 一袋七両〔小〕]
   右以同月七日奉請[宣板野采女國造粟直若子]
以前爲供養大曾日奉請如前
                   使他田水主
                    下道主
                    村山首万呂
「(異筆)以同年八月一日奉返中宮 御在所使他田水主 上馬甘 大原魚次」
                   検知
   「(異筆)佐伯諸上 專收納板野命婦〔成尼者 爲〈同月〉三日訖〕」
                       三嶋
                    呉原生人
                    鴨

出典

『大日本古文書』12(264頁~266頁の内265頁)(『寫經所請經文』[徴古雜抄〔阿波〕])

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
法花經一部八卷[黄紙及表綺緒紫檀軸〈木繪〉竹帙淺緑裏及帶錦縁]
梵網經一卷 頭陀經一卷[並絹外淺紫錦表及綺牙軸用銀墨寫 表裏坐仏像]
  右以天平勝寳四年六月廿二日新羅國使人等所奉請者
             六月廿二日呉原生人
法花經疏十卷[白紙黄表綺緒漆軸]基法師
  右依定戒尼宣自日置〓《草冠+衣》万呂所請收納間櫃
           五年十一月廿六日呉原生人
前件疏以十一月廿八日付小塞弓張奉請内裏
                  呉原生人
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内288頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
灌頂經一部十二卷[靑褐紙淺表綺緒繪軸]綵帙一枚[淺緑綾裏錦緑拾組帶]
  納漆函一合[敷白綾褥] 漆机一前  敷褥一床[袷纈表 細布裏]
  白羅印文覆一條[二副]   五色丸組四條
   右以天平勝寳八歳五月六日自内裏請來
                收納上馬養
(紙繼目)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内290頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「寫經料紙用殘帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

最勝王經一部仁王經一部料紙二百九十六張
  用二百卅三張[最百七十五 仁卅三「(追筆)六張表紙」]
  空三張 破六十六張
  殘六十六張[五十一張着瑜伽論表紙三張破 見定十五張「(擦消)表紙六枚」]
理趣經疏一部[三卷] 辨中邊論疏一部[三卷]料〈【用】〉薄斐紙合二百五十張[【二百五十張自内裏所請】〈自内裏所請〉]
  正用二百〓《よんじゅう》一張 破五張 殘四張
            四年七月二日呉原生人

出典

『大日本古文書』12(315頁~316頁)(『正倉院文書』續々修37帙9)

「間經并疏文造充裝〓《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月2日

記事

  廿八日充花嚴經二帙[一帙葉藁紙一帙綠紙]並第三帙者[用紙四百卅二張布施給了受能登忍人]
     又紙伍張[葉藁經表紙料]         検充呉原生人

出典

『大日本古文書』12(319頁~332頁の内323頁)(『正倉院文書』續々修28帙16)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

 十二日納紙卅張
   右三嶋宗万呂奉寫六十花嚴經一部表紙料從内裏所請者
                  收呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内333頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

廿二日自内裏來紙卅張[藥師經〓《よんじゅう》九卷之表紙料]
                   納上馬甘

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内336頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

五年正月十二日自政所受金薄敷〈紙〉十張[七部雜經等表紙料且納者]
                     收上馬甘
「(裏書)尼乾子料百七十八張    〓《木偏+曼》(楞)伽料百十五張」

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内336頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

二月廿四日納色紙貳伯伍拾參張
  深緑十一張 深廿張  淺縹廿張  淺緑廿張
  蘇芳廿張  深紅廿張  淺紅廿〈二〉張  白廿張
  淺波自〓《よんじゅう》張 深苅安廿張 淺苅安廿張 胡桃廿張
   右種々觀世音經廿一卷料
                  受呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内337頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

三月十二日納色紙九百一張
  淺九十九張    深縹百五十四張    白百廿九張
  蘇芳百張     深紅百一張     淺紅百張
  深胡〈桃〉百二張    淺胡桃九十六張    中胡桃廿張

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内337頁~338頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

六月三日自政所納金〈薄〉敷紙卅張[大原魚次奉寫花嚴經料表紙]
                    呉原  上馬養

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内337頁~339頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

十六日納色紙壹仟伯張[一千十張見寫料 五十張表紙料〓《よんじゅう》張儲料]
  藍色百張  深百張  白百張  深紅百張  中紅百張
  淺紅百張  深橡百張  淺波自百張  深波自百張
  淺苅安百張 淺緑百張 凡紙九十八張[式敷紙下纏等料]
   右奉寫觀世音經一百卷料
              七月十六日上馬甘
                  呉原生人

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁の内339頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「七部經色紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)8月7日

記事

合色紙八百六十張
  金薄敷靑紙百〓《よんじゅう》七張
   右可用八卷金光明經一部料
  金薄敷白紙□□□(長方形抜け)張
   右可用法花經一部理趣經一卷料
  金薄敷滅紫紙百七十九張
   右可用最勝王經一部料
  銀薄敷紅紙□□□(長方形抜け)
   右可用十輪經一部料
  銀薄敷淺緑紙〓《よんじゅう》六張
   右可用弥勒經一部藥師經一卷料
可遺百八十二張
  靑褐紙百八十張[卅八張敷金銀薄 卅三張敷銀薄 百九張无敷物]
  紙二張[敷銀薄]
           天平勝寳四年八月七日

出典

『大日本古文書』12(350頁~351頁)(『正倉院文書』續々修38帙3裏)

「奉寫經并請雜物注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)2月20日類收

記事

楞伽經一部四卷[深紅紙]解深密經一部五卷[滅紫紙見寫三卷]
仁王經一部二卷[靑褐紙寫訖] 已上奉寫山邊諸公
法花經一部八卷[白紙] 最勝王經一部十卷[滅紫紙奉請内]
理趣經一卷[白紙] 藥師經一卷弥勒經三卷[靑褐紙已上寫訖]
十輪經一部十卷[深紅紙見寫九卷]八卷金光明經一部[靑褐紙見寫二卷]
  已上奉寫筑紫常人
應請表紙軸又深紅紙廿張[先請水精軸十枚最勝王經料又先請敷金紙十枚 着五張最勝王經表紙]
法花經一部[靑褐紙敷金見寫五卷]奉寫忍海廣次
應請綺緖軸并表紙

出典

『大日本古文書』12(416頁~418頁)(『正倉院文書』續々修27帙4)

「納仁王經紙并装〓《さんずい+黄》充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月9日類收

記事

五年三月十二日自紫微中臺來色紙玖佰【壹】<千八十八>張
  淺紙九十九張 深紙百五十四張 白紙百廿九<二百五十九>張
  蘇芳紙百張   深紅紙百一張   淺紅紙百<卅七>張
  深胡<桃>紙百二張  中胡桃紙廿張  淺胡桃紙九十六張
   右依飯高笠目天平勝寳五年三月十一日宣奉寫仁王經六十四卷之料
                  納呉原 上馬養

出典

『大日本古文書』12(421頁~423頁の内422頁~423頁)(『正倉院文書』續々修9帙6)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乘經
                「*黄紙及表朱軸綺帶」
放光般若波羅蜜經二部六十卷[【並綵】「*織」帙緋【綾】裏錦縁組帶 【可求第二帙】「*【一部唐手】 一部決【第】中【一】帙【一】」]
摩訶般若波羅蜜經【三】四部百廿<四>卷
  二部八十卷[並<「*黄紙」>綵帙緋【綾】裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[麁帙淺縁【綾】裏錦縁漆軸帛帶]
  一部四卷注[麁帙黄【綾】裏錦縁組帶]
又【第二帙】十卷[第二帙【綵】「織」帙緋【綾】裏錦縁組帶]
光讃般若波羅蜜經三部〓《よんじゅう》卷
  二部卅卷[並綵帙緋綾錦縁組帶「*【又音義一巻白紙无軸】]
  一部十卷[麁帙黄綾裏錦縁朱頂軸黄綾帶]
道行般若波羅蜜經【三】二部廿<【七】>卷[【二部廿卷 一部七卷无帙】【並】「*各」綵帙緋綾裏錦縁組帶]
小品般若波羅蜜經【三】「*四」部【廿七】「*卅四」卷
大明度無極經一部四卷无帙
  二部廿卷[並綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  【一】「*二」部七卷[「*一」麁帙緋綾裏錦縁組帶「*一无帙」]
勝天王般若波羅蜜經二部十四卷[並<「*各」>綵帙緋綾裏組帶<「*錦縁」>]
   「*已上第一櫃[敷帛<袷>帳一条四副]」
「*文殊般若經一巻  文殊所説般若經一巻已上二巻同帙麁帙紫縁緑裏組帶
濡首菩薩無上清浄淨分衛經一部二卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  「*百九十【七】「*八」巻舍衛國三巻婆伽婆〔之中二卷紫檀軸一朱軸〕」
金剛般若波羅蜜經二百部二百<一>卷[【並】麁帙【深】廿枚緑綾<裏>紫綾縁及帶漆軸]
「(擦消)【文殊般若經一巻」文殊所説般若經一巻】
能斷金剛般若波羅蜜<多>經廿部廿<一>巻[並麁帙緋綾裏錦縁組帶]
仁王護國般若波羅蜜經卅【一】五部六十<【三】五>卷[綵帙三枚緋綾裏錦縁組帶之中【二】四部漆軸一卷白木軸一卷朱軸]
  【廿九部朱軸】
  【二部漆軸】
般若波羅蜜多經理趣分【八】九十部【八】九十卷[麁帙八枚緋綾裏錦縁組帶]
   「*已上二櫃帛帳」
般若波羅蜜多心經三千七百卷[麁帙一枚緋綾裏錦縁]
大寳積經一部一百廿卷[无帙]
   「*已上三櫃」
大方廣三戒經一部三卷[綵帙]无量清淨平等覺經二卷[麁帙縁綾裏紫綾帶組]
无量壽經一部二卷[綵帙]  觀无量壽經九卷[麁帙]又二卷[銀軸无帙]
又四卷[一卷白紙无軸一卷白檀軸一卷朱頂軸]
阿〓≪門+人人人≫仏國經一部二卷[綵帙]
發覺浄心經一部二卷[綵<鹿>帙緑綾裏紫綾緑組帯]
[聖善住意佳意天子所問經三巻綵帙]
毘邪婆問經一部二卷[綵帙【已上緋綾裏錦縁組帯】]
大方等大集經二部百巻[【並】綵帙十枚【緋綾裏錦縁組帯】已上緋綾裏錦縁組帯]
大集【月】日藏經一部十巻[无帙]
大集月藏經一部十巻[无帙]
大乗大集地蔵十輪經十<二部廿>巻[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯「一部无帙」]
大方廣十輪經【三】四部【廿四】卅二巻
[一部八巻]
一部八巻[綵帙緋<上二部並>綾裏錦縁組帯]
一部八巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
一部八巻[欠第八巻 鹿帙黄綾裏錦縁 銀軸]
(中略)
寳星陀羅尼經二【十】部<十>廿巻[大方等大集菩薩念仏三昧經十巻〔无帙〕大哀經二部十六巻 奮迅王問經二卷〔綵帙〕]
   一部十巻[鹿帙黄綾裏破]    一部八巻[綵帙]  一部八巻[綵帙]
                      「*佛説无言菩薩一巻」
   一部十巻[帙形未詳]
(中略)
大般若涅槃經【〓《よんじゅう》卷】七部二百九十八卷
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第三帙第五卷白紙及表銀軸綵帙綾裏紫綾縁及帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻綵帙緋綾裏錦縁組帶金塗頂安靑玉軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[白檀軸綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻鹿帙緋綾裏錦縁組帶漆軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻无帙]
(中略)
大般泥〓≪さんずい+亘≫經二部十二卷
  一部六卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帶]
  一部六卷[无帙]
方等般泥洹經一部二巻[鹿帙緑綾裏紫綾緑組帶]
  四童子三昧(經脱)一部三卷[綵帙]
  大悲經一部五巻[綵帙]
  普曜經一部八卷[綵帙]
「妙」法<蓮>華經十七<八>部百【百六】卅四卷
  七巻法華經五部
    一部七巻[綵帙錦緑緋裏白玉軸]
    一部七巻[綵帙白橡〓《あしぎぬ》縁淺縁<緑>綾裏白玉軸]
    一部七巻[白檀軸綵帙錦縁緋綾裏]
    二部十四卷[綵帙錦縁緋綾裏]
觀世音經二百〓《よんじゅう》四卷[鹿帙八枚緋〓《あしぎぬ》裏錦縁紫〓《あしぎぬ》帶]
(中略)
  八部六十四卷[水精軸鹿帙牙籖]
   一部八卷[金鏤軸天人并獸形繍帙緋綾裏錦縁]
   一部八卷[繍帙緋□]
   一部八卷[鹿帙錦縁緋綾裏]
   一部八卷[梨軸无帙]
   一部八卷[紫檀軸鹿帙緋綾裏錦緑組帶]
正法花經二部廿卷[帙二枚 一枚鹿帙]
【維摩詰所説經三卷【≪二部六≫[【鹿帙緋綾裏錦縁組帶】一部黄【紙】綾表水精軸 鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
【注維摩詰經无垢称經六卷】[「*二部十二卷无帙」【无帙】] 大方等頂王經六卷[鹿帙(錦脱カ)縁綾裏紫綾縁組帶]
「(附紙[維摩詰所説經云々ノ上])
維摩詰所説經三分九卷[一部黄紙綾表水精軸一金塗銅軸<鹿帙緋綾裏錦縁組帶>〔无帙〕]
注維摩詰經二部十四卷[一部八卷欠一二三四卷一部六卷欠第一二三卷並朱頂軸无帙]
諸无垢称經二部十二卷[並无帙]
(中略)
金光明最勝王經四部〓《よんじゅう》卷
  二部廿卷[並紫檀軸鹿帙緋綾裏錦組帶]
  一部十卷[鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部十卷[无帙]
   「*已上第六櫃[帛帳]」
【金】合部金光明經【卅九】〓《よんじゅう》部三百【十二】廿卷[十九部漆軸綵帙一枚鹿帙卅九枚緑綾裏紫綾縁組帶]
金光明最勝王經懺悔品六十卷[五十二卷漆軸鹿帙五枚之中四枚緑綾裏紫綾縁一枚緋綾裏錦縁]
金光明經〓《よんじゅう》部百六十卷[廿部漆軸鹿帙〓《よんじゅう》枚緑綾裏紫綾組帶「*出別生所」]
    「*已上七櫃[帛帙]」
(中略)
道神足無極變化經四卷[綵帙]「(追筆)又二巻[靑玉軸无帙]」
寳雨經【五】十卷[欠第一六四三七巻 无帙]
寳雲經七巻[綵帙□]
阿惟越致經三卷[綵帙]
不退転法輪經【四卷】二部八卷[【无帙】一部四卷无帙 【鹿帙一帙】一部四卷鹿帙]
廣博嚴淨不退転法輪經六卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁組帶]
集一切福德三昧經三卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶]
持心梵天所問經四卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶一部无帙]
思益梵天所問經四卷[綵帙「鹿帙黄綾裏錦縁組帶」]
勝思惟梵天所問經<二部十>【六】二卷[无帙一部鹿帙深緑綾裏紫縁組帶]
(中略)
分別縁起初勝法門經二卷[鹿帙紫綾縁組帯]
楞伽阿跋多羅寳經四巻[鹿帙紫綾縁緋綾裏組帯]
入楞伽經三部廿八巻「(擦消)綵帙」[一部<十巻>綵帙一部十巻朱頂軸鹿帙緋綾裏錦縁組帯一部八巻鹿帙緋〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
(中略)
大方等大雲經二部十二卷[鹿帙]
  一部六巻[綵帙]
  一部六巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]
(中略)
灌頂經八巻[鹿帙黄綾裏錦縁細組帯朱頂軸]
又第八巻廿卷[鹿帙二枚緋綾裏錦縁組帯]
藥師瑠璃光如来本願功徳經八十巻[鹿帙八枚緋綾裏錦<縁>組帯]
藥師瑠璃光【如来】七仏本願功徳經十八部卅六巻[三部漆軸鹿帙四枚緋綾裏錦縁組帯]
又三巻[二卷紫檀軸一巻漆軸无帙]
阿闍世王經二卷[鹿帙紫綾縁深縁(緑)綾組帯]
(中略)
【无量壽經二卷】[【銀軸无帙】]
弥勒下生經十巻[塗金軸端坐<靑>玉綵帙]
順權方便經二卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁帯組]
「*六度集經八巻[綵帙]文殊師利菩薩問菩薩經一巻」「*伽那頂經一巻」
無上依經二卷[綵帙]「*仏説乳光經一巻[朱頂軸]」
「*文殊師利問法身經一巻 文殊戸利菩薩行經一巻 佛説八陽經一巻」
千手千眼觀世音菩薩廣大圓満無碍大悲心陀羅尼經十<一>巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯「十一部」]
孔雀王咒經二卷[綵帙]「(追筆)又二卷[〓(朱カ)頂軸无帙]」
十一面神咒心經(「五十部」)五十巻[卅卷漆軸十巻紫檀軸鹿帙五枚二枚深縁(緑)綾裏錦縁組帯三枚緋綾裏錦縁組帯]
「*文殊師利菩薩六字咒功能法經一巻[无帙]」
仏頂尊勝陀羅尼經八十【六】「九」巻[木繪軸鹿帙九枚縁(緑)綾裏紫綾縁組帯「*八十九部」]
(中略)
仏名經三部卅六巻
  二部廿四巻[【並】綵帙二枚]
  一部十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁无帯]
三劫三千仏名經三巻[綵帙]「*又二部二卷<以三巻複為二卷>又四巻[之中一巻无軸并賢劫者]」
五千五百仏名經八巻[綵帙]「(追筆)不思議功徳經二卷[无軸及帙]又不思議功徳經二卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯]」
(中略)
又仏名經廿巻<二部(卷カ)>
  一部十巻[无帙鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
  一部十<【六】>巻[无帙] 【一部十六巻[无帙]】
又仏名經十二巻[紫紙金字經紫羅表繪軸綵帙緋綾糸]
(中略)
大吉義神咒經四巻[綵帙]已上綵帙緋綾裏錦縁組帯
(後略)

出典

『大日本古文書』12(473頁~489頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)7月25日

記事

充經所 
  色紙參伯参拾陸張
   二百卅六張[二百廿九張敷金 七張敷銀]
   靑褐一百張[不敷金銀]  
穀紙参仟玖伯伍張 凡紙参伯玖張
  右 奉爲 太皇太后(藤原宮子娘) 依飯高命婦宣 奉寫梵網經一百部料 充如件     
                判官上毛野君
                   石川朝臣「(自署)豊麻呂」 
         天平勝寳六年七月廿五日付上馬甘

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内10頁~11頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「敷金銀塵雜色紙用殘注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753)8月24日類収

記事

請敷金銀<塵>雜色紙用并殘數事
合参仟参伯【捌拾参張】七十九張<欠四>[九十九張表紙料 之中五十三張金紫紙 六張銀塵紙 〓≪よんじゅう≫張金塵縹紙 三千二百【八】七十九張見寫料]
    用三千【八】百〓≪よんじゅう≫【九】【七】三張[二千六百【卅四】【五十三】五十三張見所寫 九十一張用表紙 八十八張破 十【四】五張空 二百九十六張進慈訓師所之中【三】卅張表紙料]
    殘【五百卅四】二百卅五張
   紙三百【卅】六張<二百九十六張銀塵>[〓≪よんじゅう≫<十四>張金塵「(追筆)表」]
   金塵滅紫紙四百廿九張
   金塵靑褐紙一千八百五十七張
   【銀】「*金」塵白紙二百六張
   銀塵靑褐紙〓≪よんじゅう≫六張
   銀塵紅紙二百十七張
   金塵深紅紙一百十五張
   金塵白橡紙〓≪よんじゅう≫三張
   銀塵淺緑紙六張[表紙料]  
   金塵【表】紙卅張[表紙料]
金塵【紫】紙五十三張[表紙料]
   金塵色紙卅張
   銀塵淺蘇芳紙〓≪よんじゅう≫張
   九十九張表紙料[六張銀塵浅綠 卅張金塵紙 五十三張金塵紫紙十張金塵綠]
合奉寫經廿六部一百卅【九】八卷
   用<紙>二千八百〓≪よんじゅう≫七張[二千六百五十三張見所寫 九十一<「*六」>張用表紙 十五張空 八十八張破]
   最勝王經一部 仁王經一部料銀塵紙二百九十六張
    用二百八十七張[一百七十七張最勝王經料 卅三張仁王經料 六張表紙 【一張用勝】 一張用勝鬘經表紙 一張用法花品 五十一張用瑜伽表紙 四張用法花經表紙 十四張破]
   殘九張
  法花品四篇料金塵色紙卅八張[卅張自内裏来 八張花嚴(「*法花」) 薬師 金<光>明経等料]
   卅五張見所寫[三張破]
  最勝王經一部料金塵紫紙一百七十<九>張[七十七張見所寫]
  [百]七十七張見所寫[二張破]
  十ニ仏明經三巻 華嚴脩慈分三巻 〓[壹+皮]音聲陁羅尼經三卷料【金】
   金塵綠紙九十八張
   用八十五張[八十四張見所寫 一張用勝鬘經表紙 五張破]
   残八張
  法花經一部 理趣經一巻料金塵白紙二百六張
   用二百【五】【六】五 [一百七十〔(擦消)九〕八張法花經一部料 廿張理趣經一卷料 七張破]
   殘一張[用法花品]
  薬師經一卷 弥勒經三卷料銀塵靑褐紙〓≪よんじゅう≫六張
   用〓≪よんじゅう≫五張[〓≪よんじゅう≫張見所寫 二張依定戒尼師宣進慈訓師所 一張用法花品 二張破]
   殘一張
  八卷金光明經料金塵靑褐紙一百〓≪よんじゅう≫張
  十輪經一部料銀塵紅紙二百十七張
   用二百十二張[一百九十一張見所寫 二張進山田命婦所 十五張破 四張空]
   殘五張
  法花經一部料金塵靑褐紙ニ百張
   用一百八十張[一百七<十>八張見所寫 二張破]殘廿張
  解深經蜜一部料金塵烕【】(マゝ)紫紙八十八張
   用八十六張[八十五張見所寫 一張用法花品]殘二張 
  楞伽經一部料金塵深紅紙一百十五張
   用一百十一張[一百九張見所寫 二張破]
(以下紙背連書)
   殘四張
  最勝王經一部 仁王經一部料金塵靑褐紙ニ百廿張
   用ニ百十七張[一百七十七張最勝王經一部料卅三張仁王經一部料 三張空 四張破]
   殘三張
  寶星陁羅尼經一部料金塵滅紫紙一百六十二張[欠四張]
   用一百五十【七】八張[一百五十四張見所寫 【三】張破]
   【殘一張】
  梵網經一部料白橡紙〓≪よんじゅう≫三張
   用〓≪よんじゅう≫【三】二[〓≪よんじゅう≫一張見所寫 一張破]
   殘一張
  六十花嚴經一部料金塵靑褐紙一千ニ百九十二張<廿二張〈九十二張〉>
   用七百七十六<一千五十七>張[七百〓≪よんじゅう≫張見所寫 五張十二仏【明】名經表紙 二張用法花品 廿二張破 七張空 ニ百八十一張【進】慈訓師所 【之中十五張表紙】]
   殘四百十六<一百五十>張[ニ百六十六張進慈訓師所 【留一百五十張】]
  表紙料九十九張[六張銀塵淺綠 卅張金塵 五十三張金塵紫 十張金塵綠]
   用五十八<八十八>張[紫紙<十五張>辛浄足寫花嚴經卅卷 又十六張着筑紫常人寫雑經等 一張着梵網經 浅綠紙五張着最勝王經表紙<十五張着大原魚次寫花嚴經卅卷> 紙六張着最勝王經一部 仁王經一部 【十五】卅張慈訓師所]
   殘【〓≪よんじゅう≫一張】十<五浅緑>[【紫紙十五】六【張】 【紙十五張進慈訓師】所 【留十一張緑五張】]
  一百五十張[九十八張金塵靑褐紙 五十二張金塵滅紙(マゝ)]
   右<依>薩遮尼乾子經料【依】欠 【少進返<【内〓≪鍋蓋+冂+一≫】内裏>如件

「(追筆)合殘金塵紙漆拾捌張」

出典

『大日本古文書』13(28頁~34頁)(『正倉院文書』続修31裏)

「華嚴經紙并軸宮進帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)2月6日

記事

華嚴紙并軸宮進帳
紫微中臺牒  造東大寺司
  留本經卅卷[六十花嚴經第四帙 第五帙 第六帙 審詳師]
  寫未装經七巻
  紙七百廿一張
   打波和良紙六百卅六張
   打靑褐紙〓≪よんじゅう≫一張
   〓≪衣偏+票≫料金敷紫紙十五張
   〓≪衣偏+票≫料紙廿九張[就中十五張金敷]
  蘇芳軸七十枚
  繪辛櫃一合[布敷]
  白木机一前
以前 所留本經并紙軸如前 故牒
           天平勝寶六年二月六日
              「(自署)少疏高丘連比良麻呂」 

出典

『大日本古文書』13(45頁~50頁の内45頁~46頁)(『正倉院文書』続々修16帙14)

「薬師寺三鋼牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)8月9日

記事

梵網經一部二巻[銀塵紙及表綺緒繪軸綵帙緋綾裏錦縁拾組帯]
  牒 依今月九日牒旨 領納已訖 仍録事状 以牒
         天平勝寳六年八月九日都維那僧光俊牒
           寺主法師「(自署)弘耀」
           上坐法師「(自署)理鏡」

出典

『大日本古文書』13(100頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「寫千卷經所銭并衣紙等下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)6月21日~9月19日

記事

(前略)
廿四日下紙五百六十五張[百六十張經 五張端繼<佐伯 相賛麻紙百六十枚> 四百張染料料(マヽ)
  又下紙十張[端繼料 付宍人百村]
  又下錢一貫六百六十九文[廿四文薪二荷直 五百七十文靑〓一千九十四果直]
   八十文〓≪就+火≫〓五十五果 一百五十文賀茂〓十八果直
   五百文藥五斗八升直 一百九十文茄子九斗七升直
   十五文茶卅七把直 一百〓≪よんじゅう≫文自臺供養料米等運
   雇車三兩賃
                       主典安都宿祢
                       案主建部廣足
                        佐伯
(後略)

出典

『大日本古文書』13(257頁~284頁の内280頁)(『正倉院文書』続々修43帙6)

「金剛般若經等料紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)6月26日~8月3日

記事

(前略)
八月三日収納一万一千張[之中七十 八百廿麻紙 八千四百廿一【穀】紙屋 一千六百八十九穀]
  堂請紙一万四千【六百六十】九百九十
   波和良四千九百十二 杜中八百〓≪よんじゅう≫六 穀紙七千九百九十二

<表>七百廿凡紙[之中三百【表紙料】五十穀紙 三百黄 七十]
  雜用料五百廿張          已上金剛般若料
又請紙【二万三千九百六十五】【七千五百〓≪よんじゅう≫四】三千九百六十五
  一万【九】八千一百十九穀紙 五千五百斐 一千八百廿麻紙
  七百四黄紙<表>又四百穀[表料] 一千一張凡紙
又請紙二万七千【五】四百卅[千手索藥師經料]
  二万五千四<三>百〓≪よんじゅう≫經紙
   五千五百斐 一千【八百廿麻紙】六百六十麻紙 一万八千廿<百八十>穀紙
  一千百七十四<表>張[七百七十四張黄 四百張穀]
  九百十六張[式并下〓≪糸偏+厘≫敷紙雜用料]
  凡紙一千一張

出典

『大日本古文書』13(332頁~334頁の内332頁)(『正倉院文書』続々修37帙9)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)9月

記事

造東寺司
合奉寫經二千四百卷
  金剛般若經一千卷
   五十卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶繪軸]
   六十<二>卷[社(杜)中紙〓≪衣偏+票≫綺帶黑柿軸]
   二百九十<五>卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   二百卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   四百<三百九十三>卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶朱頂軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(182頁~183頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙五裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)11月14日

記事

 東寺寫經所解 申奉寫經事
  合請紙六万七百〓≪よんじゅう≫七張
   一万五千五張自内史局請[並穀紙]
   二万四千三百五十四張自嶋院請
    五千五百張斐紙
    一万八千<八百>五十四張麻紙
   一千三百〓≪よんじゅう≫七張自坤宮官請[並穀紙]
   一万九千九百九十六張時々奉寫寺家經殘紙使用
    四千九百十二張波和良紙
    八百〓≪よんじゅう≫六張杜中紙
    一万二千九十三張穀紙
    八百廿一張麻紙
    一千一百廿四張色紙[千五十四張黄 七十張]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(248頁~249頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)11月14日

記事

(前略)
  用紙五万八千九百卅六張
   五万二千六百廿張[已用]
    四千八百〓≪よんじゅう≫五張波和良紙
    八百六張杜中紙
    一万八千三百六十張麻紙
    五千三百十二張斐紙
    二万三千二百九十七張穀紙
   一千八百張〓≪衣偏+票≫紙
    一千五十四張黄麻紙
    七十張
    六百七十六張橡染紙
(後略)

出典

『大日本古文書』14(250頁~251頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「千手千眼經料等受紙用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)11月14日類収

記事

(前略)
(紙継目)
  受穀紙七千九百〓≪よんじゅう≫二張
  寫經五百九十三卷[用紙七千七百九枚 【遺紙二百卅三張】] 又俵紙料受穀紙三百五十枚
     端繼料受紙百五十枚又端紙次用二百張「(抹消)【俵紙料】」
  又式紙料<受>五十枚
  裏紙料受五十枚又裏紙次廿枚用「(抹消)俵紙料」
  [千手經廿卷帙九枚用 政所用廿九枚] 破百〓≪よんじゅう≫枚 空八十九枚
  余遺<紙>五十四枚   花〓≪よんじゅう≫五枝
  受標(カ)俵七十枚[用六<十>二枚 遺八枚]黄麻紙卅枚[即充廿張川内隅田 又受小刀二枝]
 
(後略)

出典

『大日本古文書』14(256頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)11月15日

記事

 造東寺司
  合奉寫經三千六百卷
   金剛般若經一千卷
    三百〓≪よんじゅう≫五卷[波和良紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    六十二卷[杜中紙【〓≪衣偏+票≫】]
    五百九十三卷[黄紙【及<黄>〓≪衣偏+票≫】]
     右、一千卷、依去六月十六日宣、所奉寫、
   千手千眼經一千卷
    廿卷[波和良紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    六百〓≪よんじゅう≫八卷[黄紙【同<黄>〓≪衣偏+票≫】]
    三百卅二卷[斐紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
   新羂索經十部二百八十卷[【並】黄紙【同<黄>〓≪衣偏+票≫】]
   藥師經一百廿卷[【染】黄麻紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    右、一千四百卷、依去七月四日宣、所奉寫、
   金剛般若經一千<二百>卷[【並染】黄麻紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    右、一千<二百>卷、依去八月十六日宣、所奉寫、
  以前、依大保<從二位藤原>惠美朝臣宣奉寫、(顕脱カ)注如【件】<前>、
                 天平寳字二年十一月十五日主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』14(257頁~258頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「上馬養雜紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字3年(759)10月24日

記事

 合紙二千二百【五十】六十二張
   五百廿九張界[絶々在]
   □□□□(二百十四カ)張麻紙[之中百六十張繼 〓≪よんじゅう≫四卷]
   穀紙一千五百張[之中一千張買 五百張自先殘]
   楸紙五張 紙三張 十一張黄紙
           三年十月廿四日上馬□(養)

出典

『大日本古文書』14(284頁~285頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「御願經奉寫等雜文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)8月2日

記事

(前略)
   法花經一部[黄紙〓≪衣偏+票≫(カ)表]
    右、以潤四月九日、奉請内裏、使主典安都宿祢、
                     舎人伊賀石足
                        上馬養
(後略)

出典

『大日本古文書』14(390頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六)

「後一切經料雜物納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(760年)8月3日~天平寶字5年5月

記事

 五月六日収納揩衣伍拾玖領[〓≪よんじゅう≫八領擔經櫃夫料  八領長料 二領擔香水夫料   一領□人料]
     右請於宮
   常陸調布貳拾肆端[八端綱料 十六端帯袴料]
     右請於内裏 「已上以六月十五日返上於□□(長方形抜け)」
    右、奉請經日可用之物、■請来検納、使物部塩浪、
          主典安都宿祢
          史生下道   領他田水主 小治田□□(年足)
(後略)

出典

『大日本古文書』14(441頁)(『正倉院文書』續々修二帙六)

「奉寫灌頂経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)閏12月21日

記事

用紙一千四百□(五)十二張
〓≪手偏+交≫紙二千九百四張[〓≪手偏+交≫二度]
装〓≪さんずい+黄≫紙一千五百廿四張[之中七十二張〓≪手偏+票≫(カ)紙
題経一百〓≪よんじゅう≫四巻
(後略)

出典

『大日本古文書』16(172頁~174頁の内172頁)(『正倉院文書』続々修10帙8)

「奉寫二部法華經料雜物納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)2月26日

記事

(前略)
廿八日収納銭陸伯文[帙二枚直]紙捌枚[表紙料]
   右 自寺正倉請如件
又綺貳丈捌尺[自内裏請如件]
           上馬養

出典

『大日本古文書』16(336頁~339頁の内339頁)(『正倉院文書』続々修5帙12)

「奉寫四十巻経料雜物納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)7月2日

記事

「(題箋)(表)雜物納帳
(裏)七年七月〓≪よんじゅう≫巻経」
合収納紙八百九十九張
   八百十張色紙[廿張 二百卅六張蘇芳 二百卅七張中紅 三百十九張白紙]
(中略)
   銭六百廿二文
    四百文菟(兎)毛筆十管直[管別〓≪よんじゅう≫}文]
    一百廿文墨四廷直[廷別卅文]
(中略)
   右 依弓削禪師(道鏡)去六月卅日宣 可奉寫大金色孔雀王咒経一巻 仏説大金色孔雀王咒経一巻 孔雀王咒経二巻 大孔雀王咒経三巻 十一面観音世神咒経一巻 十一面神咒心経卅巻 陀羅尼集経第四第九巻并〓≪よんじゅう≫巻経々師等淨衣并紙筆墨直 檢納如件
           七年七月二日上馬養
五日収納蘇芳<軸>〓≪よんじゅう≫枚[之中十枚四分律料所請内之]

出典

『大日本古文書』16(412頁~414頁)(『正倉院文書』続々修10帙28)

「大般若経本奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)9月1~15日

記事

大般若経二百巻[波和良紙表綺帯胡粉地銀墨絵軸 自初百迄二百巻] 
  納漆辛櫃一合[敷布一条 布綱二条 朸一枝]
   右 以七年九月一日 奉請内裏[使主典安都宿祢]

出典

『大日本古文書』16(420頁)(『正倉院文書』続々修4帙20裏)

「大般若経本奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)9月1~15日

記事

大般若経二百巻
  一百〓≪よんじゅう≫巻[波和良紙緒表綺帯胡粉地金墨絵軸]納辛櫃一合[漆布敷]
  六十巻[波和良紙表綺帯胡粉地銀墨以絵軸]
   右 以同月九日 奉請内裏 使主典安都宿祢]

出典

『大日本古文書』16(420頁~421頁)(『正倉院文書』続々修4帙20裏)

「大般若経本奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)9月1~15日

記事

大般若経二百巻[波和良紙表綺帯金墨軸]納辛櫃一合[白木]
   右 同月十五日 奉請内裏[使主典安都宿祢]

出典

『大日本古文書』16(421頁)(『正倉院文書』続々修4帙20裏)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
□月
  □日□(下)□□□(長方形抜け)貳拾領欠□□□(長方形抜け)
   半臂貳拾領[一頭白地綾錦表緋裏□□地﨟纈羅襴
   三領白地錦表帛裏千納襴 一領黄地両表<身>緋裏﨟□□(纈欄カ) 一領白橡﨟纈(両面)表緋裏﨟纈襴 一領地両表<身>表雲間欄
   二領□□□(長方形抜け)裏﨟纈襴
                 □□□(史生大)和〓≪「虫」上に点≫麻呂倉人尾張眞□□(長方形後半抜け)]
                 □(僧)「(自署)勝行」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内577頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
  六日下香臺貳具[一具錦盖少合纈帳同結上帯四条 紫毛甲在] 羅□□(長方形後半抜け)
     右 為八日会用 下充造物所 付高橋盆□(占)

(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内578頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
八月
  □□日下□□(長方形後半抜け)[□□(長方形前半抜け)紫綾五領 入同色生合(マヽ)□ □□(長方形前半抜け)〓≪あしぎぬ≫合六領 緋生〓≪あしぎぬ≫合□]
[緋□□(長方形抜け)六具 白衫合纈四領〔之中二紫綾袖繼〕半臂参拾腰[緋地錦身 十三腰]
白地錦身五腰 地両面身一腰 呉桃染□(地カ)両面身一〓腰
緑地錦身二腰 浅緑地錦一腰 緑地鹿形両面身□腰
白綾縫物地一腰 黄地両面身一腰
地両面□□(長方形抜け) □□(長方形抜け)地錦身一腰 帛<合>□貳拾伍
□□□(長方形抜け)革帯貳拾□□(長方形抜け)
□□貳面各□□(長方形抜け)〓≪巾偏+「蝶」の旁≫笠貳口〓≪巾偏+「蝶」の旁≫子□口[梨大〔金口〕之中一条在牒世布]
皷伍面[大二 小三] 懸緒伍条 白子壹〓≪巾偏+「蝶」の旁≫
白盤壹口 作頭壹口 靴拾両[各在□□(長方形抜け) 又花帯一条]
横笛壹□(枝) □筝壹面 琵□(琶)壹面[紫檀]
□□□(長方形抜け)両 布襪□□(長方形後半抜け)
黒□(漆)辛櫃壹合
  右 以月二日 自隅寺奉請仏 粟津寺供奉料下充 <付>僧勝行 文廣前 魚主 小菅万呂 野長
又下小幡捌〓≪方偏+「流」の旁≫[付春日安万呂]
         主典建部廣足 倉人呉服「(自署)息人」
        本三綱少都維那僧「(自署)聞崇」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内580頁~581頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
  摂論一部十五巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 斑帙 緋縁 裏]
  无性摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 白檀軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  世親摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  地持論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 紫縁 裏]
  菩薩地持<論>一部八巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  无依无得大乗四論一部十二巻[白紙 黄表 帛帯 白木軸 无帙]
  釋迦譜一部五巻[黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  成實論一部十六巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 紫皮帙]
  雑阿毘曇心一部十一巻[漢手 黄紙及表 緋帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  立世阿毘曇論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  法花經義疏一部十三巻[之中十二巻 百斎手 白紙 綺帯 无軸 吉蔵師 一巻 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸]
  法花經疏一部七巻[新羅手 白紙 无帯 漆軸]
  新摂大乗論疏一部十一巻[白紙 紫帯 无軸 神廓師]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち126頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月18日付

記事

(前略)
  倶舎論疏一部廿六巻[白紙 无帯 漆軸 泰法師 「*欠中帙第四巻」]
  成實論議一部廿三巻[二帙 漢手 黄紙 緋綺帯 朱頂軸 紫縁 裏]
  阿毘曇論章一部十五巻[白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  雑阿毘曇章一部七巻[漢手 白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  毘曇章一部五巻[白紙 无帙]
  阿毘曇心一部四巻[呉手 黄紙及表 綺帯 漆軸]
  唱礼文八巻[白紙 綺帯 漆軸 五色〓≪あしぎぬ≫帙]
   右四百九巻、圖書寮經内之、
  大乗廣百論釋論一部十巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗荘厳經一部十三巻[黄紙及表 綺帯 朱軸]
  十佳毘婆沙論一巻[白紙未装〓≪さんずい+黄≫]
  因明入正理論一巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗百法明門論本事品中略録名數一巻[複大乗五〓≪草かんむり+温≫論]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち127頁)(『正倉院文書』続々修17帙16)

 

「奉寫一切経所墨下充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(前略)
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五段
商布廿段          黄紙卅万四千【三】二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚緑青地 八百二枚白緑地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地 六百七十七枚丹地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三両一分[太]
(中略)
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[【十八】〓≪よんじゅう≫五合漆塗] 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
(中略)
石四顆           標()紙料竹卅五株
(中略)
   右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如件、
               寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
                     □□□□(大判官外)従五位美努連

出典

『大日本古文書』19(244頁~247頁)(『正倉院文書』続々修43帙25裏)

「氏名闕請経啓(尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

謹啓
令奉請本経一帙[綵帙一枚 納函一合、返遣先明櫃奉坐、]
   紙四枚
右、挨(族)中男女共申入口状云、己等穢家内、敢難久清、今望二三日之間欲奉畢
者、乞昭悉此状、奉始之日宣遣之、以来廿三日、必将奉供養、毎時結了男女所
願、更不得延日、同時還々亦々申上、勿責々々、誠恐謹啓、

出典

『大日本古文書』22(56頁~57頁)(『正倉院文書』續々修40帙4裏)

「経疏本紙充紙帳(尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744年)7月 日

記事

唯識論二部[廿巻]    料用黄紙
 一部<正>[用紙ニ百一張 破五空用三] 充大鳥租足 写了、並(天平)十六年<七月入>給物例給了、
[未]一部 充山辺千足[写第十巻用十九 九用廿二 八用廿三 破一枚 七用廿 六用【廿二】廿一]
 又更充三巻[第一 二 三  四用   未 写茨田久治万呂]
樞(樞)要一部[四巻] 写茨田久治万呂 料用紙百〓≪よんじゅう≫五枚[正用百〓≪よんじゅう≫枚 〔七月〕破五 空三 給了、]
 右、依 令旨、所写如件、
          判王 <進膳令史>高屋(赤麻呂)令史[十五年十一月十七日阿刀酒主]
最勝王經二部[廿巻 紙]
 一部  写大石広万呂 用紙   [十二月給【了七月給】了、]
 一部  写大島高人  用紙                [未]
 右、依 春宮坊政所宣、所写如件、
               判進膳令史、十四年九月十日人成
四分律抄一部[六巻]           料用黄紙
 第一[充阿閇葦人 用紙六十四張]    第二[充]
 第三[充檪井馬廿]           第四[充高市老人]

出典

『大日本古文書』24(271頁~272頁)(『正倉院文書』(續々集35帙7)

「造物所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744年)10月30日

記事

造物所解
 新翻薬師経四巻[二巻黄紙及表、赤木軸、無緒、 二巻黄紙及表、紫緒、黒柿軸、] 納漆函一合
 打黄紙ニ百張[十巻] 納明櫃一合
  右、付舎人凡海部百足進送如前、以解、
            (天平十六年)十月卅日史生田辺史「(自署)真人」
                     令史高屋連「(自署)赤麻呂」
「(異筆)更解、紙異無色、至紙中宜可用、」

出典

『大日本古文書』24(275頁~276頁)(『正倉院文書』(續集30)

「大小乗経律見蔵録注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751)(類収・年月日闕)

記事

経律見蔵録上[此直列経名取標()紙数自餘曲緒悉如廣録]ム年歳次
 合大小乗経律見入蔵惣二千四百部3400六百巻廿帙[大乗経律為録上 小乗経律并別生為録下]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(32頁~33頁の内32頁)(『正倉院文書』続々修14帙6)

「色紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝5年(西暦753)月日?

記事

□□□(長方形抜け)桃廿張 浅□(胡カ)桃七張 □□□(長方形後半抜け)
□□□(長方形抜け)  □□□(長方形抜け)
□□□(長方形抜け) 深[胡□(桃カ)] 浅[紅表] 白 深胡桃[□]
□浅胡桃[已上縹表]

出典

『大日本古文書』25(170頁)(『正倉院文書』塵芥27)

「奉写四十巻経料色紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平宝字7年(西暦763)月日

記事

蘇芳紙二百〓≪よんじゅう≫六[可写十一面経十三巻 残十五]紅紙二百卅七[可写十一面経十三巻 残十六]
白紙三百九[可写経四部 残紙【八十六】八十六]

白紙三百十九  紅四百七十一[蘇芳二百卅六 廿 紅中二百廿七]
合七百九十二張【中】之中[蘇芳紙二百卅六張 紅中<紙>二百卅七張 白紙三百十九張〔可用二百卅三 残八十六〕]
紙廿張[波奈太]凡七十九張
十一面経卅巻[可用五百十]
        十日返上廿一[紅十二 白十九 又紅七]


出典

『大日本古文書』25(340頁~341頁)(『正倉院文書』続々修37 9帙)