敷金

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

(前略)
 九月十四日納色(金敷)紙参拾張[自内裏来]
      右依小僧都良弁師宣奉寫薬王菩薩本事品観世音菩薩普門品
      安楽行品  如来壽量品料
                  知呉原生人
   十九日納敷金緑紙壹伯玖拾漆張
      右依飯高命婦宣奉寫六十花厳経一部且納如前
        奉宣判官大蔵伊美吉
                     検納他田水主
   廿二日納白布紙拾張[白紙法花経料所欠]
 十月廿一日納敷金緑紙貳伯玖拾伍張 納漆辛櫃着足无鎖
      右奉寫六十花厳料如前[先請之類者]
                     収呉原生人
     漆辛櫃一合[足着]
      右依上毛野判官阿刀主典宣付紫微臺(中脱カ)舎人山老万呂進納如前
               十一月十九日他田水主
                    呉原生人
 十一月廿七日納敷金緑紙貳伯陸拾張[六十花厳経料]
 十二月十一日納檀紙壹仟伯陸拾張[納明櫃一合之中四百五十四張位十二日進返内 裏便納其櫃 ■七百六張]
      右依飯高内侍宣奉寫薬師経四十九巻料
                      収呉原生人
   廿二日納縹紙参拾張[薬師経四十九巻表紙料]
                      収上馬甘
   廿八日納敷金緑紙貳伯玖拾張[六十花厳経料]
                      収上馬甘
(後略)

出典

『大日本古文書』3(594~612頁の内595~597)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

(前略)
天平勝寳五年
 正月十二日納敷金縹紙拾張[七部内最勝王経表紙料]
                      収上馬甘
 二月八日納色(敷金)紙肆伯伍拾捌張[三百十八張青褐 百四十張滅紫]
       右依飯高笠目天平勝寳五年二月七宣奉寫最勝王経一部
       仁王経一部 解深密経一部之料
                      収呉原生人
                      上馬甘
 以二月廿日進返内裏色(敷金)紙壹伯伍拾張[九十八張青褐 五十二張滅紫]
       右依次官佐伯宿祢宣進返如前[付秦原守工石主]
                      知呉原生人
   廿四日納色紙貳伯伍拾参張
     深緑十一張 深縹廿張  浅縹廿張  浅緑廿張
     蘇芳廿張  深紅廿張  浅紅廿二張 白廿張
     浅皮自四十張 深苅安廿張 浅苅安廿張 胡桃廿張
      右奉寫種々(依善光尼師宣)観世音経廿一巻判者
                      受呉原生人
    又納深紅(金敷)紙壹伯拾伍張
      右依錦部内侍天平勝寳五年二月七日宣奉寫楞伽
                     収上馬甘
(後略)

出典

『大日本古文書』3(594~612頁の内597~599頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

(前略)
 四月八日納紙壹伯漆拾貳張[表紙料黄麻紙七十二張 十六部法花経料所欠料百張]
                     上馬甘
   十二日納白紙陸拾捌張[善光尼師雑経料]
                     収呉原生人
 六月三日納敷金縹紙参拾張
      右大原魚次奉寫花厳経表紙料
                     収上馬甘
 七月六日納敷金紫紙参拾貮張[三十張緑紙花厳経表紙料 二張心経二巻料]
                     収呉原生人
   十一日納敷金紫紙貮張[心経表紙并後継題料]
                     収呉原生人
   十六日納色紙壹仟伯張[五十張表紙料]
     藍色百張  深縹百張  白百張  真紅百張  中紅百張
     浅紅百張  深橡百張  浅皮自百張  深波自百張
     浅苅安百張 浅緑百張  凡紙九十八張[端継等料]
      右依奉寫観世音経一百巻料
                     収呉原生人 上馬甘
 八月五日納穀紙貮仟参伯張[之中百張表紙料]自珎努宮所進
     以八月八日為■如法経恵尊師口状出拾張
     以九月廿二日為奉寫陀羅尼集経依次官宣出伯貮拾張
                     知呉原生人
   七日納青褐紙壹伯陸十張[敷金
      右奉寫法花経一部料
                     収上馬甘
   十七日納敷金青褐紙肆拾張[忍海廣次寫法花料所欠料]
                     収上馬甘
   廿八日納穀紙壹仟伍佰伍拾張[之中凡紙五十張]
      右依飯高命婦宣為大尼師奉寫花厳経料
                     収呉原生人 上馬甘
 九月二日納紅紙肆拾張[敷銀]
      右依気太命婦宣(五年九月二日)奉寫理趣経一巻料
                     受呉原生人 上馬甘
合十月四日納敷金滅紫壹伯伍拾参張[欠四]
      右依錦(部脱カ)命婦宣奉寫寶星陀羅尼経一部料
    又白紙伍張[敷金
      右七部内法花経并理趣経等表紙料
                     収呉原生人
合   又納敷金紫紙貮拾肆[二張六十花厳表紙料進内裏之代 廿二張今帝 御願雑経表紙料]
                     収呉原生人 上馬甘
合十二月七日納穀紙参伯漆拾伍張   凡紙参拾張[端継等料]
    右依犬甘命婦天平勝寶五年十二月三日宣将奉寫法花経一部  梵網経二部  観无量壽経一巻  无量義経一巻  浄飯王経一巻  摩訶摩耶経一巻之料者
                 十二月七日呉原生人
(後略)

出典

『大日本古文書』3(594~612頁の内600~603頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「経紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

(前略)
天平勝寶六年
合正月六日納敷金白橡紙肆拾参張
      右依犬甘命婦宣奉寫梵網経一部料
                    呉原生人 
合  廿日納敷金紫紙壹張
      右白橡紙梵網経之表紙料者
                    呉原生人
 二月五日納紅紙十七張[敷銀薄]
      右七部之内十輪経所欠料者
                     上馬甘
 三月四日納黄褐紙伯伍拾張[並敷金 自■来]不知其料
      右依山田命婦天平勝宝寶六年三月四日宣検納已訖
      右以同月廿一日依高丘枚万呂宣進返了上馬甘
                      呉原生人
   十六日納穀紙壹萬肆仟参伯貮拾漆張
      右奉寫大般若経一部花厳経二部料[一部八十巻 一部六十巻]
                      呉原生人
合   同日敷金滅紙玖張
       右寶星陀羅経料所欠料者
                      呉原生人
合  廿一日納敷金青(緑)褐紙壹伯伍拾張[辛浄足之奉寫花厳料 自紫微中臺来]
                      知上馬養
                      呉原生人
 四月十四日納黄紙一千九百張[大僧都所]
   十九日納金塵緑紙肆拾陸張[辛浄足奉寫花厳料者]
                        知上馬養
   廿六日納播磨薄紙壹伯張[用六十張残四十張以廿八日返上政所]
      右南貮壇殿御窓料
                        呉原生人
 六月
   二日納金塵緑紙参伯参拾捌張[辛浄足奉寫花厳料]
 七月
   廿五日納色紙参伯参拾陸張
     縹二百三十六張[二百廿九敷金 七張敷銀]
     青褐一百張
     穀紙参仟玖伯伍張 外凡紙参伯玖張
      右奉為 太皇太后依飯高命婦宣奉寫梵網経一百部料収納如件
                     上馬養
                     呉原生人
(後略)

出典

『大日本古文書』3(594~612頁の内603~606頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「寫經料紙送進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)3月4日

記事

奉送白橡麻紙壹伯伍拾張[並敷金]
  右、依山田命婦宣、奉送如前、
            天平勝寳六年三月四日髙橋蓑万呂

出典

『大日本古文書』4(1頁)(『正倉院文書』続修42)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)4月20日

記事

(継目)
外嶋院 牒東大寺寫経所
  敷金緑紙壹伯伍拾張 舊花嚴経第五帙第二卷
   右、依来員、檢納已訖、
更合奉請<舊>花嚴経第<五>帙之第三四并二卷[付使奉度如前]
又葉藁紙參伯肆拾張 不過今日欲請
  以前三條事、具状如件、故牒、
             天平勝寳六年四月廿日田口 兄 人
(継目)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内35頁)(『正倉院文書』塵芥35 裏書)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)10月4日

記事

符  寫經所
  敷金滅紫紙壹伯伍拾参張[白表紙伍張綺伍丈陸尺]
   右 附彼領呉原生人 充如前
次官佐伯宿祢「今毛人」
            天平勝寳五年十月四日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内4頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753)10月4日

記事

政所符 寫經所案主等
  紫紙貳拾肆張[並敷金塵]
   廿二張經■四卷表紙料
   二張 依定■尼公宣 進内裏 [付丸馬主]
   右物 充如件 符到奉行
次官佐伯宿祢         判官上毛野君「眞人」
            天平勝寳五年十月四日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内4頁~5頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)1月6日

記事

政所符  呉原生人等
白橡紙肆拾參張[敷金
    右 爲奉寫梵網經一部 充經所如前
次官佐伯宿祢「今毛人」     判官大藏伊美吉「萬里」
            天平勝寳六年正月六日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内7頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)3月26日

記事

政所符  寫■(經)所領呉原生人等
  合棗軸六十三枚
     右 着奉寫敷金銀色 御願[■]十二部料 即附生人 充如件
             天平勝寳六年三月廿【七】六日
                 次官佐伯今毛人

出典

『大日本古文書』13(1~18頁の内9頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)7月25日

記事

充經所 
  色紙參伯参拾陸張
   縹二百卅六張[二百廿九張敷金 七張敷銀]
   靑褐一百張[不敷金銀]  
穀紙参仟玖伯伍張 凡紙参伯玖張
  右 奉爲 太皇太后(藤原宮子娘) 依飯高命婦宣 奉寫梵網經一百部料 充如件     
                判官上毛野君
                   石川朝臣「豊麻呂」 
             天平勝寳六年七月廿五日付上馬甘

出典

『大日本古文書』13(1~18頁の内10~11頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「寫經料紙用殘帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753)8月24日~6年(西暦754)7月30日

記事

(前略)
六年
梵網經一部料白橡敷金紙肆拾参張
  用■二張[■二張正用 「一張破」(擦消)] 殘一張
                      正月十一<日>呉原「生人」
(後略)

出典

『大日本古文書』13(23~28頁)(『正倉院文書』続々修26帙7裏)

「華嚴經紙并軸宮進帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)2月18日

記事

敷金青褐紙四卷[八十張 並打界了]
  右 依臺今月十八日牒 付便使舎人舎人(マヽ)遨 進上如前
                  天平勝寶六年二月十八日上馬養
                                 呉原「生人」(自著)

出典

『大日本古文書』13(45~50頁の内46頁)(『正倉院文書』続々修16帙14)

「華嚴經紙并軸宮進帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)2月24日

記事

造東寺司
花嚴経一部[六十巻]
  應用縁(緑)紙壹仟伍伯漆拾陸張[敷金
   一千五百■四張見寫料
   卅二張見儲料
  先請一千■二張
   用七百七十六張[七百■張見所寫 五張用十二仏名經表紙 二張用法華經品 七張空着後題 廿二張破]
   残二百六十【二】六張
    今月六日進■一張
    十八日進八十張
    廿四日進一百■五張
     右 依請員盡進訖
  今請五百卅四張[未請] 
              天平勝寳六年二月廿四日
               次官佐伯宿祢
                  「■出呉原伊美吉生人」(自著)

出典

『大日本古文書』13(45~50頁の内47~48頁)(『正倉院文書』続々修16帙14)