「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

 (前略)
    木綿肆拾捌斤
    竹帙肆拾枚
    經軸肆伯弐箇
    經紙陸仟捌伯玖拾玖張
    雜紙肆仟捌伯陸拾玖張
    筆壱伯陸拾捌箇
    墨壱伯陸拾弐挺
    膠壱拾伍斤壱兩参分
    壱斛陸斗肆舛壱合
    金壱合
    胡麻油陸斗弐舛陸合
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内556頁~557頁)(『正倉院文書』續修32)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
   薫陸小八兩[雌黄和合料]
   〓≪人偏+フ内にス≫沙小五兩一分[染蘇芳調度]
   鐵精小二分[鏡磬宝調度]
   臈蜜小三兩[珊瑚〓≪王偏+車≫〓≪王+巨+木≫等油料]
   鐵一斤九兩
   四合八勺
   黄糸七兩三分[玉緒料]
   雌黄小七兩[玉緒糸端等固料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内561頁~562頁)(『正倉院文書』續修33)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事


 練金小七両二分         銀二両一分
寳蓋二箇[各六角 裏径九尺一寸 以金銀繪 ]
 用六斗七升七合       掃墨一斗八升四合
 則細布四端一丈[上総細布]小麦粉四升[則染料]
 練金小十四両三分       銀二両三分二銖
寳蓋柱十二枚[各長九尺六寸 径二寸三分 以金銀繪 ]
 用一斗四合          掃墨五升一合
 練金小十二両三分       銀一両三分四銖
大床二箇[各高二尺 方七尺六寸 ]
 用一斗五升四合       掃墨六升二合
登二箇[各高四尺九寸 廣三尺八寸 ]
 用一斗二升八合       掃墨四升九合
高座前几二箇[各長四尺一寸 廣一尺六寸 高三尺三寸 ]
 用三升六合          掃墨一升二合
(中略)
 用六升五合二勺       掃墨二升三合
高座寳蓋幡十二首[首別長五尺]
 用幡頭裁銅十二枚[各高二寸七分廣六寸] 料銅三斤五両四銖
(中略)

出典

『大日本古文書』1(560~571頁の内561~564頁)(『正倉院文書』続修33)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
     和炭四千四百六斛
  雜用銭
  買廿斛九斗一舛[十二斛二斗六舛 ゝ別二百文
           八斛六斗五舛、ゝ別一百九十文]
   置銭四百九貫五百五十文
  買生銅九百十四斤[五百七十斤 ゝ別五十四文 三百〓≪よんじゅう≫四斤
            別卅六文、]
   置銭〓≪よんじゅう≫三貫一百六十四文
  買黑鉛一千一百卅七斤[二百卅五斤 ゝ別十八文 四百七十七斤
             ゝ別十五文 三百廿九斤 ゝ別十二文
             九十六斤 ゝ別九文 ] 
   置銭十六貫一百九十七文
  買胡粉小卅四斤七兩[廿斤一兩 斤別二百文 十四斤六兩
            斤別一百八十文]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(560~571頁の内566頁)(『正倉院文書』続修33)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
   胡麻油一舛[香印并高座等塗調度]
   〓≪あしぎぬ≫二尺[絞料]
   帛一丈一尺[雜用巾料]
   調綿五兩三分[絞料]
   上総細布六尺[香印則料]
   調布三丈二尺[絞并銅下雜巾料]
   炭一百廿八斤[金塗料]
   和炭一百卅六斛[銅作料]
   銭卅一貫四百八十四文[銅工庸料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内567頁~568頁)(『正倉院文書』續修33)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
     紙四千三百五十張
     筆八十六箇
     墨六十一挺
     膠六斤五兩二分
    二舛
     胡麻油二斗二舛七合
     猪脂六合
     掃墨一舛八合
     石灰六斛一斗二舛
(後略)

出典

『大日本古文書』1(551頁~581頁の内570頁~571頁)(『正倉院文書』續修33)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

用黒鉛九百八十三斤[熬得丹小一千一百五十八斤]
 朱沙小八両[赤玉料]
 緑青小十七斤九両[青玉并黒玉料]
 麒麟皿小七両一分[赤刺玉染料]
 九合[黒刺玉染料]
 胡麻油一升[刺玉形土作調度]
 猪脂九升三合[鉛熬調度]
 塩一斗三升五合[鉛〓≪月+昔≫料]
 墨六十四廷[刺玉形泥料]
(後略)

出典

『大日本古文書』1(571~581頁の内571~572頁)(『正倉院文書』続修34)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
 鐵八兩[足固轄廿四隻料]
白銅奩〓≪よんじゅう≫四合[各口径三寸]
 料銅八十八金六兩
 白鑞十六斤八兩[三兩合銅一斤]
白銅鍋十合[火取]
 料銅廿一斤七兩
 白鑞四斤[三兩合銅一斤]
 鐵廿三斤九兩[柄并足等料十八斤二兩 火鉗十隻料五斤七兩]
火爐机四箇[各六足、廣三尺]
 用一斗一舛
 掃墨一舛三合
 上総細布一丈三尺[足則料]
 小麦粉二舛[則布料]
 鐵二斤六兩[足固釘〓≪よんじゅう≫八隻料二斤三兩 板裏固釘廿隻料三兩]
香印四枚[各径一尺二寸]
 用一升四合六夕
 掃墨四合
(後略)

出典

『大日本古文書』1(571~581頁の内578~580頁)(『正倉院文書』続修34)

「造佛所作物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日付

記事

(前略)
  白鑞二斤二兩[三兩合銅一斤]
  白銅火爐四口[各六足、口径一尺七寸]
   料銅一百廿五斤四兩
   白鑞廿三斤七兩[三兩合銅一斤]
   銀一兩[足瑕補料]
   小麦粉一合六勺[則布料]
  香印盤〓≪よんじゅう≫枚[各径一尺三寸]
   用一斗三舛二合四勺
   掃墨四舛一合
   上総細布四丈[則料]
   小麦粉一舛七合四勺[則布料]
  三寳布施〓櫃料花形釘并後塞等三枚[櫃廿合料]
   用鐵五斤八兩[手取固釘二百〓≪よんじゅう≫隻料]
   銅十七斤二兩[花形釘二千三百六十隻 手取釘二百隻 後塞一百六十枚 □□□(長方形後半抜け) 六十枚鑄造料]
   水銀小一斤三兩一分三兩[金滅塗料]
   練金小三兩四鉢[花形釘并手取釘後塞等塗料]
  講讀師坐床二箇[各長七尺五寸 廣四尺、高一尺三寸、]
   用鐵二斤八兩[釘卅六隻料、一斤二兩、隔鐵八枚料、一斤六兩]
   膠一兩三分

出典

『大日本古文書』1(571頁~581頁の内580頁~581頁)(『正倉院文書』続修34)

「左京職符」(『正倉院文書』)

撰述日

天平7(西暦756年)11月5日

記事

職符 東市司
   〓≪金偏+巣≫一具[正倉料]
右、従彼市平價進上、依用可令塗下、至今日不上、此今可用、知状進送、待
来之日、将給價置、符到奉行、
               少属衣縫連人君
                 天平七年十一月五日

出典

『大日本古文書』1(631頁)(『正倉院文書』続修42)

「布施受物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平9年(西暦737年)3月13日

記事

天平九年九月廿日始受物
(中略)
手巾六條 辛櫃一合 練帶九條 木覆五十足 経蔵辛櫃九[三 六白]
悵六條[二各九幅 四各四幅]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(30頁)(『正倉院文書』小杉本雜3)

「但馬國正税帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平9年(西暦737年)

記事

(前略)
  緋〓≪あしぎぬ≫一廷貳丈捌尺[以六丈 為一廷]置稲玖拾捌束[一匹充六十八束]
  綿壹拾肆斤捌両[小]直稲漆拾貳束[斤別五束]
  絲肆拾玖斤[小]直稲肆伯玖拾束[斤別十束]
  布肆端[端別四丈]直稲壹伯束[端別廿五束]
  金塗〓≪木偏+豆≫甲壹拾参領
   貳領[各用緋八尺八寸 糸四斤十一兩 鹿皮三張]
   參領[各用緋七尺六寸 糸三斤十四兩 鹿皮三]
   參領[各用緋八尺 糸三斤九兩 布一丈二尺 鹿皮三張 綿十三兩]
   參領[各用緋四尺七寸 糸三斤六兩 鹿皮二張 布一丈一尺五寸 綿十三兩]
   壹領[用緋四尺八寸 糸三斤六兩 鹿皮二張 布九尺七寸 綿十三兩 馬皮長二尺六寸廣一尺八寸 ]
   壹領无膊覆行縢[用緋四尺七寸 糸二斤十四兩 布九尺五寸 鹿皮一張 綿十三兩 馬皮二尺一寸廣一尺]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(55頁~66頁の内59頁)(『正倉院文書』正集29)

「周防國正税帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738年)

記事

(前略)
   造年料兵器伍種[桂甲二領、大刀五口、弓廿張、矢廿具、胡禄廿具、]料用類稲参伯陸束壹把貳分
    用度物
    鐵肆伯肆拾斤[熟損二百廿斤、々別八両、得二百廿斤、]価稲壹伯参拾貳束[以三束充十斤]
    絲壹斤拾貳両分肆銖価稲伍拾捌束[以二束充一両]
    綿貳屯価稲壹拾貳束[以六束充一屯]
    〓≪あしぎぬ≫陸尺価稲陸束[以一束充一尺]
    布貳丈捌尺価稲貳拾束[以一束充一尺四寸]
    壹升伍合伍夕価稲肆拾陸束伍把[以卅束充一升]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(130頁~146頁の内140頁)(『正倉院文書』正集35・36)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
  合綵色物壹拾参種
   佛分弐種[同黄九両 丹四両]
   通三宝分二種[朱砂十三両二分 緑青卅三両]
   塔分陸種[朱砂六十二両一分 胡粉ニ百八十両一分 黄卅五両二分
       丹ニ百八両 烟子一百〓≪よんじゅう≫八枚 雌黄卅七両]
   通分参種[丹五百五十五両 朱砂六百二分 緑青三千ニ百九十六一分]
  合泥机伍足
   佛分一足
   法分三足
   聖僧分一足
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
(下略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内603頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「法隆寺伽藍縁起并流記資材帳」(『徴古雑抄』)

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
  合〓≪木+聖≫筥捌拾貳合
   丈六分白筥貳合
    右、天平八年歳次丙子十二月廿二日、納賜平城宮 皇后宮者、
    佛分泥筥参合
   法分泥(筥脱カ)漆拾漆合[廿合、寺造者、]
    伍合
    右、養老六年歳次壬戌十二月四日、納賜平城宮御宇 天皇者、
    弐合
    右、天平元年歳次己巳仁王會、納賜平城宮御宇 天皇者、
    伍拾合
    右、天平六年歳次甲戌三月、納賜平城宮 皇后宮者、
(下略)

出典

『大日本古文書』2(578頁~624頁の内603頁~604頁)(『徴古雑抄』文学博士小杉榲村所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
泥圓牒子壹合 [壷二口 之中一瑪瑙、 一瑠璃 入白玉四丸如椹實 佛物]
(下略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち641頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「大安寺伽藍縁起并流記資材帳」

撰述日

天平19年(西暦747年)2月11日

記事

(前略)
合鎧参具[一具泥]
(下略)

出典

『大日本古文書』2(624頁~662頁のうち645頁)(大和國添上郡菩提山村正暦寺所蔵)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)10月9日

記事

(前略)
(紙端)
 天地□□(長方形後半抜け)       観□□(長方形後半抜け)
 明三階仏法二巻[上下无軸]       略名「*明」法界衆生根機浅深法一巻[信行マ无軸]
 仏性論四巻[天親菩薩造]        維摩疏六巻[白表无軸少ゝ破]
 菩提資粮論六巻[无軸雑(龍カ)樹菩薩]  寶性論四巻[〓≪草冠+獣偏+「温」の旁≫流支譯]
 廣百論十巻[白紙无軸]         中邊分別論二巻
 十地経論十二巻           「*重」十二因縁経疏一巻[實十二因縁論]
 [*重]妙法蓮華経優婆提全一巻     法集経五巻[白紙方一五六 二巻无題]
 百字論一巻准中論義入大般若波羅蜜経初亦法門翻之記二巻[白紙]
 无相思塵論一巻[无軸]         入大乗論三号[白紙无軸]
 大業攝論十巻             三法度二巻[白紙]
 登論十五巻              无相礼仏文一巻[白]
 一切経抄三巻[白紙軸无緒]      曇无徳鞨摩一巻[无軸少ゝ破 入律所]

 沙弥〓≪さんずい+底≫部論二巻[上下白] 随相論一局[白]  「*可寫」
 赦弟子傅一巻[白紙漆軸]        請濱頭慮法一巻[白紙檜軸]
 傅論一巻[白]             涅槃五種仏性義一巻[白]
 優婆夷浄行法門一巻[白朱軸]      大論疏十一巻[白]
 [*重」勝鬘経疏三巻[白 上宮王製]   大方等如来蔵経疏二□
 分別功徳論一巻[白]          仏跡図一巻[一条紅袋一条□□(長方形後半抜け) 一条錦袋]
 管一合[着
従禅院寺奉請疏論寺、歴名如件、
            天平十九年十月九日知他水主
 伹自仏説正〓(齋)経至雑集論十六巻者、皆収納於阿刀縄万呂所也、又□此
 疏論等中、以丹點□□(長方形後半抜け)
(紙端)

出典

『大日本古文書』2(707頁~711頁の内709頁~710頁)(『正倉院文書』正集2裏書・正集1裏書)

「寫経請本帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)正月13日付

記事

(紙端)
  以天平廿年正月十三日自金明寺奉請法花経本経四部
  一部者、紫表紙、依毘染紙、花軸、泥題、
  一部者、[欠第一巻]黄表紙、黄紙、軸、
  二部者、各橡表紙、黄麻紙、梨木軸、「(別筆)返送了受智憬師」
                  請 使 荒 田 井 鳥 甘
                       丸 部 嶋 守
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(31頁)(『正倉院文書』續集2裏書)

「寫經料紙筆墨納充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)付

記事

以天平廿年二月廿三日自宮来花軸廿一枝[充治田石万呂]軸七[即用奉請内裏藥師経料]

出典

『大日本古文書』3(143頁~146頁の内143頁)(『正倉院文書』正集18裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)

記事

(紙端)
  廿年二月六日奉請疏本[市原宮本者]白紙无表緒 荒紙者
(中略)
  法花經吉蔵師疏一部[十二卷 軸白紙黄表綺緒]四匁戒本一卷[朱軸黄紙表綺緒]
   大安寺本者[使子部公万呂]
   右、以天平十九年九月十五日奉請、以廿年二月十一日返奉如前、使他
   田水主、大伴蓑万呂、           知他田水主
                         志斐
  勝鬘経疏三卷[白紙黄表軸无緒   花嚴講師敬俊師書者]
   右、以十九年十一月廿八日奉請、以廿年二月廿四日返奉如前、使壬生
   君長、
                       他田水主
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(161頁~163頁)(『正倉院文書』續修8裏書)

「寫経充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)

記事

(紙端)
  依田邉史生宣寫六卷鈔一部六卷[來本六卷〔黄紙表綺緒花軸〕]
   料紙先來三百卅二張[丈部曽祢万呂界百五十四張 玉祖公万呂界百七十六張] 二月十五日來紙(廿日上百張 曽祢万呂)百五十
    張[充十五日 曽祢万呂]
(中略)
  本一卷[黄紙及綺軸 小函]
         以同月六日、奉請其家已了、使其家優婆塞、
  花嚴傳一卷[復一卷]白紙黄表梨軸[表者先一切経料使用寫日置蓑万呂]題諸公〓≪さんずい+黄≫忍人
  右、依佐伯次官宣、所奉寫、以天平廿年六月廿九日、奉請橘寺、差心尼公
  之所、使田〓≪しんにょう+鳥の近似≫次益、國濵書之、
  維城典訓下帙十卷第一[土師東人]二[加陽田主]三[鳥取國鷹(志斐)]四[子部多夜〓≪さんずい+頁≫]五[辛国廣
  濵]六[大友廣國]七[民長万呂]八[岡屋石足]九[山部針間万呂]十[鬼室小東人]
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(191頁~193頁)(『正倉院文書』続修8裏書)

「造東大寺司解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)5月16日

記事

如法経
合壹拾貳部貳伯參拾卷[黄紙及表〓≪木偏+聖≫軸紫緒萩〓≪竹冠+處の異体字≫帙紅深染 裏紫縁並紵者]
(中略)
荘嚴物合十七種
 墟三具 [並彩色]
 盖三覆 [並表紫裏緋別副二條]
 經覆六條 [三條表紫裏紅 三條紅]
 敷布六條 [並紅]
 経櫃三合 [並塗黒]
 小幡十〓≪「施」の也が「流」の旁≫ [並紅]
以前、以天平勝寳四年五月十五日、従珎努宮奉請如前、
          天平勝寳四年五月十六日主典従七位上阿刀連
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢 判官正六位上勲十二等大蔵伊美吉
                  判官従六位下阿倍朝臣
                  主典従七位下美努連
                  主典従七位下紀朝臣

出典

『大日本古文書』3(574頁~576頁のうち575頁~576頁)(『正倉院文書』續々修第15帙第8卷)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)6月12日

記事

(紙端)
法花玄賛貳拾卷
塗文欟小辛櫃壹合[褐綾複覆一條 着塗銅〓≪金偏+巣≫子]
白木榻壹枝
 右、件玄賛、自内裏奉請善心尼師所、其事畢者、可還奉請内裏、
              天平勝寳四年六月十二日付使糸井谷万呂
                  造寺東司次官佐伯宿祢今毛人
                      判官上毛野君真人
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(578頁)(『正倉院文書』續修42)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

 十月廿一日納敷金緑紙貳伯玖拾伍張 納辛櫃着足无〓≪金偏+巣≫
       右奉寫六十花嚴経料如前[先請之類者]
                      収呉原生人
      辛櫃一合[着足]
      右依上毛野判官阿刀主典宣付紫微(中脱カ)臺舎人山老万呂進納如
      前
                十一月十九日他田水主
                     呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内596頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

 十一月十日納波和良紙肆仟玖伯玖拾貳張 凡紙伯拾伍張 納辛櫃
    二合[者布 綱公]
     右奉寫 太皇太后御願十部花嚴経料紙納如件
                         上馬養

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内607頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

 廿二日納白麻紙參仟張 凡紙參伯張
       納韓櫃一合[着〓≪金偏+巣≫但无匙]
        右為奉寫大唐(鑑真)和上所願八十花嚴経一部 大集経一部 大
        品経一部自大納言藤原(仲麻呂)家来
                          呉原生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内607~608頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

天平勝寶七歳
  正月廿三日納杜中紙六千張[欠四張]納韓櫃一合[着〓≪金偏+巣≫并匙]
       右太皇太后 御願六十花嚴経五部料表紙料百五十張不用
       可返上
                      収呉原伊美吉生人

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内608頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)

記事

造東大寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部 之中拾參部請留東大寺
   見奉請捌拾部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺緑表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙十七枚[並緋裏錦縁綴組帶 納塗小辛櫃一合並机敷布一條]
   右、依今日牒旨、<令>奉請如前、
               天平勝寳五年三月廿七日 上馬養
                           呉原

出典

『大日本古文書』3(621頁~622頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)3月27日

記事

造東寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部[二百巻]之中拾參部<便>請留東大寺
   見奉請捌拾部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺縁(緑カ)表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙拾枚[並緋裏錦縁綴組帶]
   右、依今日牒旨、奉請如前、
                  天平勝寳五年三月廿七日 
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(622頁~623頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

北家謹牒 東大寺政所
合返請経論壹伯肆拾參卷
   注大品経五十卷[黄紙及表綺緒朱軸紙帙帛結緒] 文殊師利現寳蔵経二卷
   提謂経二卷                 善臂菩薩経二卷
   毘羅三昧経二卷[已上五十八卷水主親王宮之経者黄紙及表綺緒軸紙帙]
   花嚴論〓≪よんじゅう≫八卷                顯宗論卅七卷[已上八十五卷自寺家奉請者]
(中略)
以前、経律論等、返請并奉請如件、仍養資人川原堅魚充使、謹牒、
               天平勝寳六年二月廿三日
  正六位上行家令大田臣廣人

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内647頁~648頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

合論疏并參拾貳卷
  花嚴経疏十二卷[恵遠師 白紙及表  第一三四五六八十十二十三十四十五十六卷者]  入大乘論二卷[黄紙及表軸]
  中邊分別論疏四卷[元暁師  已上更出者 白紙]
  地持義記五卷[恵遠師 白紙及表]  世親攝論疏四卷[元暁師白紙 已上  審詳師書  本 先 請]
  五門實相論疏五卷[白紙无表新寫者]
   右、依次官佐伯宿祢天平勝寳六年十一月十六日宣、令奉請花嚴宗所、[付教輪師、]
「(別筆)七歳五月卅日収納已訖[知上馬甘]」       上馬養
                          呉原生人

十地経論一部[十二卷帙一枚 「(別筆)七歳八日廿七日返上了]」  十住毘婆娑論一部[十四卷 已上並黄紙及表綺 「(別筆)以九歳八月十八日返納了]」
  緒紫檀軸綵帙[二枚 牙籤一]
大乗義林章一部十二卷[白紙黄表綺緒梨軸綵帙 已上並一切経内者]
大乗義記一部十五卷[白紙黄表无緒軸帙間寫者 「(別筆)以九歳八月十八日返納了]」
合伍拾參卷
   右、依長官佐伯大夫天平勝寳七歳二月十九日宣、奉請教輪師所、[即使、]
                      呉原 生人

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内653頁~655頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「寫經請本状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)7月28日

記事

外嶋院
  梵網経九卷
   一部黄紙 黑黄〓≪衣偏+票≫ 緋綺帶 黑
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 綵綺帶 白檀軸
   一部[上卷黄紙及縹 緑淡綺帶 赤軸 故 下卷黄紙及縹 紫淡綺帶 朱頂軸 新]
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 紫淡綺帶 黑
   一下卷白紙 黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 〓≪木偏+聖≫軸
以前経、付工石主、令奉請如件、
             天平勝寳六年七月廿八日上毛野君 粟 守 

出典

『大日本古文書』4(14頁)(『正倉院文書』続修42)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)

記事

(紙端)
紫微中臺  牒造東大寺司
合経拾部 貳伯貳拾陸卷 貳拾貳帙[納韓櫃一合布敷 皂覆壹條榻足壹前]
  花嚴経一部六十卷[六帙]
  大寳積経一部一百廿卷[十二帙]
  寳星陀羅尼経一部十卷[一帙无籤]
  楞伽阿跋多羅寳経四卷
  大乗密嚴経三卷
  入楞伽経一部十卷[一帙]  注入楞伽経一部七卷[一帙]
  菩薩善戒経一部九卷[一帙]  梵網経一部二卷
  无量壽経一卷[已上並先奉請一切経類者]
   右、依所奉請數、且領納如件、以牒、
       天平勝寳六年五月十五日従六位下行少疏兼美濃員外少目髙丘連 比 良 麻 呂
(継目)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内39頁~40頁)(『正倉院文書』塵芥10 裏書)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)6月13日

記事

(継目)
伊吉寺三□□□□□(長方形抜け)申以先日請進経今受勘事
  大槃若経一部[六百卷 无帙六枚]納櫃三合[裹紺]
右、依本數勘納已訖、今以状解、
             天平勝寳六年六月十三日 堂達僧□□(長方形抜け)
(後略)
(継目)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内43頁)(『正倉院文書』塵芥10 裏書)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)

記事

(継目)
【成實論一部十六卷[黄紙及表]
  右、依長官佐伯宿祢七歳四月廿八日】宣、令請大脩多羅宗所、[使、]
花嚴経壹部捌拾卷[黄紙及表綺緒紫檀軸織帙緋綾裏錦縁拾組帶牙籤 納韓櫃一合圖書寮]
  右、依次官大蔵伊美吉并判官石川朝臣天平勝寳七歳五月二日宣、令請
  奉延慶師所、[使石角万呂、]
                     上 馬 甘
                     呉原
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内86頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755)

記事

(継目)
善見毘婆沙十八巻[(別筆)七月六日返] 毘尼摩得勒伽一部十巻[(別筆)七月六日返]
(中略)
不空羂索神咒心経二卷[上下] 一切経内者 納皮筥
   右、依少僧都良弁天平勝寳五年正月廿八日宣、奉請安寛師所、[使沙弥法貴]
   判官上毛野君           知呉原 生 人
(後略)
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内91頁~92頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)

法華寺牒 造東大寺司務所
奉請大般若経壹部事[宮一切経黄紙及表綺緒紫檀軸釆帙牙籤 付廻使葛木石敷納櫃二合又榻栩二前敷布]
   右、依例為奉讀秋分、奉請如前、今録状、以牒、
              天平勝寳五年八月五日都維那尼 光 延
大鎮法師 慶 俊                上座尼 願 稱
少鎮僧[暇]
「(別筆)依 請
                   判官上毛野君 真 人
次官佐伯宿祢 今 毛 人 」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内96頁~97頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)

合経拾
  帙伍枚
   三枚繍[並緋綾裏錦縁組帶]
   二枚麁帙[一枚深緑綾裏赤紫縁組帶 一枚緋綾裏黒紫縁組帶]
  勝思惟梵天所問経六卷  阿惟越致経三卷
  大乗問性経二卷     縁生初勝□□(長方形後半抜け)
   右四部十三卷[並黄紙及表綺緒朱軸]
  楞伽阿跋多羅寳経四卷[黄紙及表綺緒軸]
  前、依次官大蔵伊美吉天平勝寳七□□□□(長方形抜け)七日宣、今奉請元興寺如件、[付]
   [使□□(長方形抜け)
          天平勝寳七歳四月廿七日呉□ □ □(原 生 人)
  □□□(長方形抜け)
   「(別筆)大蔵伊美吉□□□(長方形抜け)       主典美努連□□□(長方形抜け)」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(98頁~106頁の内99頁~100頁)(『正倉院文書』塵芥25裏書)

「佛像雜具請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(紙端)
  佛像一百鋪[別二副 鋪別裹帛〓≪あしぎぬ≫一條]納辛櫃二合[一合繪黒柿色 一合白木]
   右、仁王會時奉造、并自寺々奉請御像者、
  毘盧舎那仏一躯[屏風者] 〓≪木偏+聖≫臺一基〓≪木偏+聖≫榻足机一前[敷紫綾褥]
   紫羅盖一覆 納枌厨子一基
   右、天平勝寳七歳十一月廿六日、自外嶋院請来、
  觀世音菩薩像一躯[同黄像三副] 仏臺一基  白盖一覆[二副]
   帛袷褥一條[二副]  敷布三條    緑糸丸組二條 
   右、天平勝寳八歳四月廿三日、自中嶋院請来、
  純金觀世音菩薩像一躯[自座至御頂髙一寸六分半 有居身光] 御座二階[一階琥碧 一階水精]
   納殿五重[一重琥碧 一重白檀一重沈 一重白檀 一重雕交白檀] 納珠縄嚢一口[以金糸堺]
   着紫丸組緒以眞珠瑪瑙及紫石造鎖納玉數惣四百十六丸[三百九十六丸]
   [真珠 十四丸瑪瑙 六丸紫石]
   納黒葛筥一合  紫細布袷袋一口
    右、自 御陵所請来、
  牙籤       緋系丸組
   納草筥一合
    右、臺一切経料、
  銀銘三枚[一枚充常陸國 一枚充武藏國 見一枚]
  繪函四具[別二重 一具充常陸国 一具充武藏國見二具之中一具繪了一具繪始未畢]
  白銅小佐良九口[一口依判官上毛野君去天平勝寳五年三月廿八日宣、進政所、付他田水主 一口納金墨以天平勝寳七歳六月十七日進政所、使呉原生人檢納判官石川朝臣]
   見七口
  綵帙〓≪よんじゅう≫枚

厨 子 覆
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(106頁~108頁)(『正倉院文書』続修後集6裏書)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)6月21日

記事

  厨子壹口[赤文欟木古様作金銅作鉸具] 
    右件厨子、是飛鳥浄御原宮御宇
    天皇傳賜藤原宮御宇
    太上天皇、天皇傳賜藤原宮御宇
    太行天皇、天皇傳賜平城宮御宇
    中太上天皇、天皇七月七日傳賜平城宮御宇
    後太上天皇、天皇傳賜
    今上、今上謹獻
    盧舎那佛、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内123頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)6月21日

記事

獻  盧舎那佛
   御袈裟合玖領
    九條刺納樹皮色袈裟一領[碧綾裏皂絹縁]
    七條褐色紬袈裟一領[金剛智三蔵袈裟]
    七條織成樹皮色袈裟一領[紺綾裏皂綾縁]
    七條刺納樹皮色袈裟六領[二領碧綾裏皂絹縁 二領紺絹裏皂絹縁 一領紺綾裏皂綾縁 一領紺〓≪あしぎぬ≫裏皂綾縁]
     右、納皮箱三合、箱別納以碧綾〓≪巾+「僕」の旁≫袷裹三領、箱亦納有緑﨟纈
     袋「(附箋)惣納櫃一合着鎖」

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内122頁~123頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)6月21日

記事

  斑貝〓≪革+吉≫〓≪革+莫≫御帶一條
   十合鞘御刀子一口[黒柿把刀子六之中五者金銅口一者銀口 黒柿把錯一金銅口 紫檀把錯一金銅口]
           [黒柿把鉈一金銅口 紫檀把鑚一金銅口]
   三合鞘御刀子一口[棗木把刀子一銀口 黒柿把刀子一金銅口 黒柿把鉈一金銅口]
   赤紫黒紫絛綬御帶一條
   紅地錦御袋一口[黒紫組係 納麝香并袋稱九兩二分]
   三合鞘御刀子一口[斑犀把刀子一金銅口鏤刃本 紫檀把刀子一金銅口鏤刃本]
           [沈香把刀子一金銅口鏤刃本 赤紫組係]
   小三合水角鞘御刀子一口[白犀把刀子二金銅口 烏犀把刀子 一金銅口 赤紫組係]
   水角鞘御刀子一口[斑犀把金銅口]
   犀角鞘御刀子一口[白犀把金銀口金銀約鞘口 赤紫組係]
    右御刀子御袋者、並繋者絛綬御帶、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内126頁~127頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  金銅作唐刀子一口[玉石把 鞘水角口 吉膜係]
   唐刀子一口[濵鐵刃金銅〓≪草冠+捕≫陶文裁寳鈿莊鞘吉膜金銅莊 懸]
「(附箋)无實疑重載」十合合歡刀子鞘一口[刀子六口 加奈一口 木錯一口 並黒柿把 木錯一口 錐子一口 並紫檀把]
「(附箋)无實疑重載」三合合歡刀子鞘一口[刀子一口 鉈一口 並黒柿把 刀子一口棗木把]
   百索縷一卷[畫軸]
   玉尺八一管
   尺八一管
   樺纏尺八一管
   刻彫尺八一管

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内129頁~130頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  赤欟木厨子一口
    右、百濟國王義慈進於内太臣(鎌足)、
   納物
「(附箋)見大四斤十四兩一分」犀角一具[重大五斤 二角連底 一角長一尺三寸 一角長六寸]
「(附箋)見大六斤十兩二分」白犀角一枚[重大六斤八兩 長三尺一寸七分 本径五寸五分]
    犀角一枚[重大三斤六兩 長二尺 本径五寸七分]
    斑犀角一枚[重大一斤十三兩二分 長七寸 本径五寸]
    白石鎮子十六箇[師子形八 牛形六 兔形二]
    銀平脱合子四合[各納棊子]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内130頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  檜木倭琴二張[頭尾枕脚並着赤木 上面着縹紙記 五言詩 並納臈纈袋緑裏]
   銀平文琴一張[軫足並象牙 腹内有司兵韋家造此琴字 納紫綾袋緋綾裏]
   琴一張[紫檀軫 牛角足 腹内有〓≪山偏+「澤」の旁≫山之岫幽人所玩等字 納紫綾袋緋綾裏]
「(附箋)紅牙撥鏤撥」螺鈿紫檀琵琶一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   紫檀琵琶一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋緋綾裏]
   螺鈿紫檀五絃琵琶一面[龜甲鈿捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   螺鈿紫檀阮咸一面[緑地畫捍撥 納紫綾袋淺緑臈纈(裏脱カ)]
   桐木箏一張[木畫兼玳瑁 納臈纈袋緑裏]
「(附箋)无絃」楸木瑟一張[木畫兼玳瑁 上足紫檀 下足黒柿 納臈纈袋緑裏]
   甘竹簫一口[楸木帶 納紫綾袋緋綾裏]
   呉竹笙一口[〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋淺緑臈纈裏]
   呉竹竿一口[〓≪月偏+素≫壷 納紫綾袋緋綾裏]
   雕石横笛一口[納髙麗錦袋淺緑臈纈裏]
   雕石尺八一口[納髙麗錦袋淺緑綾裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並染木 緑地畫月形 納臈纈袋緑裏]
   金鏤新羅琴一張[枕尾並桐木 緋地畫月形 納紫地錦袋緋裏]
   木畫紫檀棊局一具[牙界花形眼牙床脚局兩邊着環局内 蔵納棊子龜形器納金銀龜甲龕]
   木畫紫檀雙六局一具[牙床脚 納縁縁〓≪竹冠+遽≫龕々裏悉]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内130頁~132頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

 御大刀壹佰口
「(附箋)除物」陽寳劔一口
「(附箋)除物」陰寳劔一口[並刃長二尺六寸九分 鋒者偏刃 各銘寳劔字 紫檀把頭 鮫皮裏把 眼并鞘口帶執及鞘尾把押縫]
             [皆用純金莊帶執鞘尾以金塗金上 紫組懸 紫皮帶執 黒紫綾帶 紅地錦袋緋綾裏]
    金銅莊唐大刀八口[並刃長二丈六寸 鋒者偏刃 鮫皮裹把作山形 葛形裁文 白皮懸 四口赤紫組帶執 赤紫羅帶]
            [三口黒紫組帶執黒紫羅帶 一口黒紫組帶執 赤紫羅帶 並緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銀鈿莊唐大刀一口[刃長二尺六寸四分 鋒者兩刃 鮫皮把作山形 葛形裁文 鞘上未金鏤作 白皮懸 紫皮帶執]
             [黒紫羅帶 緋地髙麗錦袋淺緑綾裏]
    金銅鈿莊唐大刀一口[刃長二尺四寸三分 鋒者兩刃 偃尾 鮫皮裹把 作山形葛形裁文 白皮懸 紫皮帶執]
             [赤紫羅帶 緋地錦袋緋綾裏]
    銀莊鈿作大刀一口[上 刃長二尺六寸二分 金塗刃 鋒者兩刃 鮫皮裹把 白皮懸 籐纏鞘 銀作山形葛形]
            [文 紫皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銀鈿作唐様大刀一口[刃長二尺九寸四分 鋒者兩刃 銀鏤雲龍星形 鮫皮裹把 銀作山形葛]
              [形獸草形平文 白皮懸 吉〓≪革+莫≫帶執 黒紫綾帶 緑地髙麗錦袋緋綾裹]
    銀莊鈿作唐様大刀一口[刃長二尺五寸七分 鋒者兩刃 銀鏤龍星形 鮫皮裹把 銀作山形葛形]
              [獸形平文 白皮懸 臈油皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裹]
    金銀鈿作唐大刀一口[刃長二尺九寸五分 鋒者兩刃 銀鏤龍星形 鮫皮裹把 金銀作山形葛獸形平]
             [文 白皮懸 白皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裏]
「(附箋)白皮懸」金銀莊唐大刀一口[刃長二尺七寸二分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形龍鱗葛形平文 白皮帶執 黒紫]
                  [綾帶 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅莊唐大刀一口[刃長二尺八寸五分 鋒者兩刃 偃尾 鮫皮裹把 金銀作山形龍鱗葛形平文 白皮懸]
             [白皮帶執 黒紫綾帶 白地髙麗錦袋緋綾裹]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内132頁~133頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金銀荘唐様大刀一口[刃長二尺三寸 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形葛形裁文 白皮懸]
             [紫皮帯執 黒紫綾帯 白地高麗錦袋淺緑綾纈裏]
    金銀荘唐様大刀一口[刃長二尺二寸九分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金銀作山形葛形裁文 白皮懸]
             [紫皮帯執 黒紫綾帯 緋地秘錦袋緋綾裏]
    銀荘唐様大刀一口[刃長二尺四寸 鋒者偏刃 鮫皮裹把 銀作山形葛形裁文 白皮懸 黒皮帯執]
            [黒紫綾帯 緋地秘錦袋緋綾裏]
    銀荘髙麗様大刀一口[刃長二尺五分 鋒者偏刃 銀作環頭 玳瑁裹把 銀作葛形纒把 又作山形龍鱗荘]
             [鞘 白皮帯執 黒紫綾帯 緑地高麗錦袋緋綾裏]
    金銅荘唐様大刀一口[刃長二尺六寸 鋒者兩刃 鮫皮裹把 金作山形葛形裁文 但鞘尾及約以金塗]
             [銅 白皮懸 黒皮帯執 黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏 新乙治四]
    金漆銅作大刀一口[刃長二尺二寸六分 鋒者偏刃 有溝 洗皮懸 鮫皮裹把 扼闊有窓 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 緑地髙麗錦「(附箋)袋」緋綾裏]
    銀荘髙麗様大刀一口[刃長二尺七分 鋒者兩刃 鮫皮裹把 環頭 銀作山形葛形平文 洗皮帯執]
             [黒紫綾帯 紫系絡結袋]
    金銅荘劔一口[刃長二尺八寸二分 兩刃刃中兩溝 銀線纒把 但頭及帯執鞘尾並以金塗 紫皮懸 紫皮帯]
          [執 黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺三寸八分 鋒者偏刃 銀線纒把 但頭及帯執鞘尾並以金塗 紫皮懸 紫皮帯執]
           [黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金漆銅作大刀一口[刃長三尺二寸二分 鋒者偏刃 線纒漆把 金塗銅作山形 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    銀銅作大刀一口[刃長二尺三寸一分 鋒者兩刃 紫檀把 銀銅作山形 紫組懸 紫皮帯執 赤紫綾帯]
           [緋地錦袋緋綾裏]
    銀銅作大刀一口[刃長二尺五寸二分 鋒者偏刃 牟久木把 眼及目約扼下約並用銅金塗 餘並用銀]
           [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 白地髙麗錦 袋緋綾裏 新乙治十二]
    銀作大刀一口[刃長二尺二寸五分 鋒者偏刃 有溝 木根把 樺纒 鞘纒籐 紫皮懸 紫皮帯執 黒紫綾帯]
          [緑地髙麗錦袋緋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内134頁~135頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   銀銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 有二溝 牟久木把 眼及目約扼下約鞘尾並用銅以金塗]
           [餘並用銀 紫組懸 紫皮帯執 黒紫綾帯 緑地高麗錦袋緋綾裏 新乙治七]
    銀作大刀一口[刃長二尺六寸三分 鋒者偏刃 鮫皮裹把 銀目但以金塗扼 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
           [緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    銅金作大刀一口[刃長二尺六寸一分 有雙溝 鋒者偏刃 赤檀把 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    銅金作大刀一口[刃長二尺三寸七分 鋒者鏤刃 金鏤日月 星龍雲形 牟久木把 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銀銅作大刀一口[刃長二尺六寸七分 鋒者偏刃 黒柿把 銀眼及約 餘並用銅以金塗 紫組懸]
             [洗皮帯執 區斑織帯 白地高麗錦袋緋綾裏 新乙治二 「(附箋)金塗者」]
    金銅作大刀一口[刃長二尺二寸六分 鋒者兩刃 赤木把纒樺 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺三寸七分 鋒者偏刃 牟久木杷 撥鏤扼 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺四寸三分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 鞘纒籐樺 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯]
            [白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺三寸一分 鋒者兩刃 赤木把纒樺 撥鏤扼 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 有一溝 赤木把 撥鏤扼 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾]
            [又以銅作葛形裹之 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緋地錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 牟久木把 紫組懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地髙麗]
            [錦袋緋綾裏 新乙治三]
    金銅作大刀一口[刃長二尺一寸八分 鋒者偏刃 木根把 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作葛形裹之]
            [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地高麗錦袋緋綾裹]
    金銅作大刀一口[刃長二尺一寸八刃 鋒者偏刃 木根把樺纒 撥鏤扼 鞘纒籐 洗皮懸 洗皮帯執]
            [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内136頁~137頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作葛形裹之]
            [洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 白地高麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 撥鏤扼 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作]
            [葛形裹之 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緋地綿袋緋綾裏]
    黒作大刀一口[刃長二尺七寸 鋒者偏刃 牟久木把 但眼及目約并扼並用銅以金塗之 洗皮懸 洗皮帯執]
          [黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作大刀一口[刃長二尺二寸二分 鋒者偏刃 有溝 金銀鏤作日月星雲形符 赤檀把 洗皮懸]
            [洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内138頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   金銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作葛形裹之]
[洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 白地高麗錦袋緋綾裏]
銅作大刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 赤木把樺纒 撥鏤扼 鞘纒籐 但以銀裹鞘尾 又以銅作]
[葛形裹之 洗皮懸 洗皮帯執 黒紫綾帯 緋地綿袋緋綾裏]
黒作大刀一口[刃長二尺七寸 鋒者偏刃 牟久木把 但眼及目約并扼並用銅以金塗之 洗皮懸 洗皮帯執]
[黒紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]
銅作大刀一口[刃長二尺二寸二分 鋒者偏刃 有溝 金銀鏤作日月星雲形符 赤檀把 洗皮懸]
[洗皮帯執 黒紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内138頁~139 頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   寳荘懸佩刀一口[刃長一尺四寸五分 鋒者偏刃刃右 邊有溝 鮫皮裹把 紫檀頭]
           [玳琩鞘 眼及扼鞘尾用銀作 又以緑琉璃覆其上 緋紫板絛懸 赤紫綾帯]
           [緑地錦袋淺緑綾裏]
    金銅作懸佩刀一口[刃長二尺一寸九分 鋒者偏刃 鮫皮裹把其上又 以紫皮縫裹鞘]
            [身 紫組懸 紫皮帯執 赤紫綾帯 緋地錦袋緋綾裏]
    金銀作懸珮刀一口[刃長一尺八寸四分 鋒者偏刃 金鏤龍星雲形 金銀線纒把]
            [獣頭鼻 紫皮帯執 紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    銀作懸珮刀一口[刃長二尺四分 鋒者偏刃 金鏤龍星雲形 鮫皮裹把以緑琉璃鈿之 銀裹]
           [頭以金塗之 紫板絛懸 紫皮帯執 赤紫綾帯 緑地髙麗錦袋緋綾裏 二列]
    銀作懸佩刀一口[刃長二尺八分 鋒者偏刃 鮫皮裹把紫檀頭 紫皮懸 紫皮帯執 赤紫綾帯]
           [緑地髙麗錦袋緋綾裏]
    金銅作懸佩刀一口[刃長一尺八寸一分 鋒者偏刃 牟久木把 緋組懸 紫皮帯執]
             [黒紫綾帯 但帯執環及鞘尾約以銀作之 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
             [新乙治八]
    金銅作懸珮刀一口[刃長二尺一寸七分 鋒者偏刃 有溝 牟久木把 緋組懸 紫皮帯執]
             [赤紫綾帯 緋地綿袋緋綾裏]
    金銀作懸佩刀一口[刃長一尺八寸 鋒者偏「(附箋)兩」刃 金鏤星龍形 木皮裹把 紫檀頭 紫皮懸]
            [紫皮帯執 赤紫綾帯 白地髙麗錦袋緋綾裏]
     右、納第一櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内139頁~140 頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   杖刀一口[刃長一尺九寸 鋒者偏刃 鮫皮杷金銀線押縫 以牙作頭以塗鞘 以鐵裹鞘尾 銀鏤其上]
        [長四尺六分 黒紫紬袋 緋綾裏以紫皮裹袋尾]
    杖刀一口[刃長二尺一寸六分 鋒者偏刃 金鏤星雲形 紫檀樺纒 眼及把並用銀 紫組懸 呉竹鞘樺纒 長五尺]
        [三寸四分 口盖尾並用鹿角作 又以鐵接尾端 緑地髙麗錦袋緋綾裏]
     右、納第三細櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内140頁~141頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御弓壹佰張
    梓御弓八十四張
     一張[長六尺九寸]
     一張[長六尺九寸七分]
     二張[長七尺二寸三分]
     二張[長七尺一寸八分]
     二張[長七尺一寸七分]
     三張[長六尺九寸一分 一末少曲]
     一張[長七尺一寸九分]
     一張[長七尺二寸六分 末節]
     一張[長七尺一寸五分]
     一張[長七尺五分]
     一張[長七尺六分]
     一張[長七尺一寸四分 末節]
     一張[長七尺三寸二分]
     一張[長七尺二寸]
     一張[長七尺三寸]
      右廿張、並赤樺纒黒紫組纒弓把、以羽莖捍箭十五張、紫袋緋
      綾裏、<「(附箋)五」>十張紫袋緑絹裏、  已上、納第一櫃、 

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内141頁~142頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一張[長七尺一寸三分 末少曲]
     一張[長七尺五分]
     二張[長七尺一寸]
     一張[長七尺二寸九分 末少曲]
     二張[長七尺一寸九分]
     一張[長七尺一寸二分]
     一張[長七尺四寸五分]
     一張[長七尺四寸一分]
     一張[長七尺三寸二分]
     一張[長七尺三寸六分]
     一張[長七尺二寸七分 末少曲]
     一張[長七尺二寸五分]
     一張[長七尺三寸八分]
     一張[長七尺三寸三分]
     一張[長七尺二寸]
     一張[長七尺三寸]
     一張[長七尺一寸二分 末三所曲]
     一張[長七尺一寸六分]
      右廿張、並黒樺纒赤紫組纒弓把、以羽莖捍箭、紫袋緋綾裏、
      已上、納第二櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内142頁~144頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一張[長七尺二寸七分 鹿毛 末弭継銅 目刺 紫皮纒弓把 名金<「(附箋)銅」>弭 錦袋緋綾裏]
     一張[長七尺四寸 色白 紫皮纒弓把 名佐伯 紫紬袋縹纈綾裏]
     一張[長七尺二寸 黒纒系 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸一分 黒漆 処々樺<「(附箋)籐」>纒 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺一寸二分 背黒 腹赤 末曲 本曲節 黒紫組纒弓把]
     二張[長七尺三寸三分 一背黒腹赤洗皮纒弓把 一赤紫皮纒弓把]
     一張[長七尺九分 背黒 腹鹿毛 目刺 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸二分 背黒 腹赤 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺五<「(附箋)七」>分 赤 本末纒樺 処々節 黒紫組纒弓把]
     一張[長七尺三寸 赤 紫皮纒弓把]
     二張[長七尺二寸四分 赤 紫皮纒弓把]
     三張[長七尺三寸一分 赤 一黄皮纒弓把 二紫皮纒弓把]
     一張[長七尺三寸四分 赤 黄皮纒弓把]
     二張[長七尺二寸五分 赤 一紫皮纒弓把 一黄皮纒弓把]
     一張[長六尺七寸九分 赤 末節 紫皮纒弓把]
      已上、納第三櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内144頁~145頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    二張[長七尺三寸五分 赤 一紫皮纒弓把 一黄皮纒弓把]
     二張[長六尺七寸七分 赤 一本 紫皮纒弓把]
     三張[長七尺四寸六分 一赤紫皮纒弓把 一赤黄皮纒弓把 一背黒腹赤緑組纒弓把]
     一張[長七尺五寸 赤 黄皮纒弓把]
     一張[長七尺五寸四分 赤 黄皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸九分 赤 黄皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸七分 赤 黄皮纒弓把]
     三張[長七尺四寸八分 一赤 一鹿毛並目刺紫皮纒弓把 一赤黄皮纒弓把]
     一張[長六尺八寸七分 赤鮎皮斑 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸 鹿毛 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺三寸六分 鮎皮斑 目刺 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸 赤 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺四寸五分 鹿毛 紫皮纒弓把]
     一張[長七尺五寸七分 赤 洗皮纒弓把]
      已上、納第四櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内145頁~146頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)6月21日

記事

    一張[長六尺九寸一分 赤 処々纒糸 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺九寸七分 黒斑 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺一寸 赤微彫如纒絃 腹斑 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二守三分 赤纒樺籐 紫皮纒弓把]
      右〓≪よんじゅう≫二張、並臈纈袋緑絹裏、 

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内146頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   槻御弓六張
     一張[長六尺六寸六分 纒樺籐 末曲 紫皮纒弓把 黄紬袋緋綾裏 大伴淡等]
     一張[長七尺 黒鮎皮斑 洗皮纒弓把]
     二張[長六尺九寸八分 一鹿毛鮎皮斑 一赤<「(附箋)見長七尺五分」>洗皮纒弓把]
     一張[長六尺五寸五分 赤 腹削 洗皮纒弓把]
     一張[長七尺二寸 黒 既纒糸 紫皮纒弓把 佐伯清麻呂]
      右五張、並臈纈袋緑絹裏、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内147頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

阿恵御弓一張[長七尺五分 鹿毛 鮫皮斑 洗皮纒弓把 臈纈袋緑絹裏]
    檀御弓八張
     一張[長六尺三寸五分 赤 処々纒樺 緑組纒弓把]
     一張[長六尺八寸 赤鮎皮斑 洗皮纒弓把 坂上犬養]
     一張[長七尺三寸 赤鮎皮斑 紫皮纒弓把]
     一張[長六尺四寸六分 背黒 腹赤 処々纒樺 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺三寸 赤斑 末二俣 布細縫纒弓把]
     一張[長七尺五分 黒 既纒糸 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺八寸四分 赤 洗皮纒弓把]
     一張[長六尺五寸五分 黒斑 弓把上節三 紫皮纒弓把 大伴淡等]
      右八張、並臈纈袋緑絹裏、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内147頁~148頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   肥美御弓一張[長五尺九寸 赤漆鮎皮斑 弓把上纒筋 臈纈袋緑絹裏]
   別色御弓參張
    蘇芳御弓一張[長七尺二寸五分 腹小白 紫皮纒弓把 錦袋緋〓≪あしぎぬ≫裏]
    水牛純角御弓一張[長三尺九寸 无弓把 「(附箋)帛錦袋」 「(附箋)紫袋帛裏」]
    小檀御弓一張[長四尺七寸五分 赤二処纒絲 末二俣 洗皮纒弓把]
      <「(附箋)以上納第五櫃」>

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内148頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御箭壹佰具
    烏靫一具[頭<「(附箋)口」>並着鯨鬚背着金銅作環兩具洗皮帶執絛綬帶 納鵰羽麻利箭五十隻 鏃鋒小爪懸]
    赤桐木靫一具[頭口並着鯨鬚背着金銅作環兩具 紫皮帶執絛綬帶 納鴈羽麻利箭五十隻]
    烏靫一具[頭着鯨鬚上作牙鼠形口着黒柿木畫背着銀環兩具紫皮帶執絛綬帶 納白黒交羽骨鏃箭〓≪よんじゅう≫隻]
    白阿蘇胡禄四具[着洗皮帶各納上野箭五十隻鏃鋒並少爪懸 二具括碧 一具括赤 一具括白]
    白播磨胡禄四具[並着洗皮帶各納上野箭五十隻 鏃鋒二具小爪懸 二具蟇口]
    播磨胡禄九具[並着紫皮帶 一具納上野箭五十隻 <「(附箋)欠二隻」> 鏃鋒蟇口 一具納白羽箭五十隻鏃鋒小爪懸]
           [七具各納黒羽箭五十隻鏃鋒並蟇口]
    播磨胡禄八具[並着洗皮帶各納雉尾羽箭五十隻鏃鋒並蟇口 <「(附箋)欠四隻」>]
    白播磨胡禄七具[並着洗皮帶 一具納白羽箭五十隻鏃鋒小爪懸 一具納鵰羽箭五十隻鏃鋒三〓≪木偏+麦≫小爪懸]
           [二具各納黒羽箭五十隻鏃鋒並蟇口 一具納雉尾羽箭五十隻鏃鋒鑿箭]
           [一具納雉尾羽箭五十隻鏃鋒蟇口 一具納山鳥羽箭五十隻鏃鋒蟇口]
    阿蘇胡禄三具[並着洗皮帶二具各納白羽箭五十隻<「(附箋)欠一」>鏃鋒並蟇口 一具納雉羽箭五十隻鏃鋒小爪懸]
    白阿蘇胡禄六具[並着洗皮帶 三具各納鵰羽箭五十隻鏃鋒並小爪懸 一具納鵰羽箭五十隻鏃鋒蟇口]
           [一具納雉羽麻利箭五十隻<「(附箋)欠十」>一具納山鳥尾羽箭五十隻鏃鋒小爪懸]
     右靫三具、胡禄〓≪よんじゅう≫一具、納第一櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内148頁~149頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   白阿蘇胡禄二具[並着洗皮帶 各納黒羽箭五十隻鏃鋒蟇口 堪射楯]
    錦胡禄一具[着紫皮帶 納黒羽箭五十隻<「(附箋)欠十一」>括赤 鏃鋒偏鋭]
    播磨胡禄二具[着洗皮帶 各納玉虫飾雉尾羽箭五十隻鏃乎比多祢]
    籐阿蘇胡禄一具[着洗皮帶 各納玉虫餝雉羽箭五十隻鏃鋒小爪懸]
    白阿蘇胡禄十四具[十三具並着洗皮帶 一具着紫皮帶 二具各納鵰尾羽筑紫加理麻多箭十隻牛角]
            [〓≪口+孝の近似文字≫白括 二具各納鷹羽筑紫加理麻多箭十隻牛角〓≪口+孝の近似文字≫ 二具各納鵠羽筑紫加理麻]
            [多箭十隻牛角〓≪口+孝の近似文字≫ 二具各納鵰羽筑紫加理麻多箭十隻鹿角〓≪口+孝の近似文字≫括白]
            [一具納鵰羽筑紫加理麻多箭十隻鹿角〓≪口+孝の近似文字≫ 鷹羽筑紫加理麻多箭十隻牛角〓≪口+孝の近似文字≫]
            [雉羽伊多都伎七隻 一具納鵰羽筑紫加理麻多箭十隻鹿角〓≪口+孝の近似文字≫]
            [鷹羽鹿角伊多都伎五隻 一具納鵰尾羽筑紫加理麻多箭十隻鹿角]
            [〓≪口+孝の近似文字≫ 鵰羽木〓≪口+孝の近似文字≫一隻 白羽木〓≪口+孝の近似文字≫一隻 雉羽鹿角〓≪口+孝の近似文字≫一隻 一具納鵰尾羽筑紫]
            [加理麻多箭十隻鹿角〓≪口+孝の近似文字≫ 一具納染鵰尾羽筑紫加理麻多箭八隻鹿角撥鏤]
            [〓≪口+孝の近似文字≫鏃鏤之 鵰尾羽鹿角久琉理一隻 一具納染鵰尾羽筑紫加理麻多箭十隻「(附箋)欠四」]
            [鹿角撥鏤〓≪口+孝の近似文字≫鏃鏤之 鵰尾羽小腋深箭十隻]
    漆阿蘇胡禄一具[着紫皮帶 納玉虫餝鵰尾羽筑紫加理麻多箭十隻 鹿角括 牛角〓≪口+孝の近似文字≫鹿角眼]
           [鵰羽田加理麻多箭二隻 鹿角括 箭尾羽久流理二隻 鹿角括 鷹羽紅鶴羽]
           [交鹿角伊多都伎二隻 白括 雉羽麻々伎二隻 鹿角括]
    漆阿蘇胡禄三具[並着洗皮帶 一具納鵰尾羽保居箭九隻 一具納鵰尾羽斧箭十隻]
           [一具納鵰尾羽保居箭十隻]
    樺阿蘇胡禄一具[着紫皮帶 有金銅作着帶 納鵰羽加理麻多箭廿隻 鹿角〓≪口+孝の近似文字≫ 鹿角括]
     右胡禄廿五具、納第二櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内150頁~151頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   烏靫一具[外形作東琴 一邊上下有金銅作環納鵰羽麻利箭五十隻鏃鋒小爪懸]
     右靫一具、納第四櫃、

出典

『大日本古文書』4(121~171頁の内151~152頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   挂甲九十領
     二領[並龜甲錦領縁]
     一領[疑鳥錦領紫皮縁]
     一領[町形錦領白皮縁]
     一領[車訓<「(附箋)*菱形」>錦領縁]
     一領[車訓<「(附箋)*菱形」>錦領緋皮縁]
     一領[物口錦領縁]
     一領[白地葛形錦領縁]
「(附箋)除物」 一領[紫地錦領紫皮縁納帛袋又納小櫃]
     一領[〓≪糸偏+熏≫地花形錦領縁 已上並白磨白線組貫緋〓≪あしぎぬ≫裏 紺布袋帛裏]
      右、納第三櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内153頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[白地葛形錦領縁黄糸組<「(附箋)緋〓≪あしぎぬ≫裏」> 白磨]
     一領[龜甲錦領白地錦縁<「(附箋)緋〓≪あしぎぬ≫裏」>]
     一領[緋地錦領紫地織成縁<「(附箋)緋綾裏」> 已上白磨白線組]
     四領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏橡線組]
     一領[疑鳥錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏 白線組]
     一領[紺<「(附箋)縹」>地錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏 橡線組]
     一領[龜甲錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組 已上並金塗 紺布袋帛裏]
      右、納第九櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内157頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    一領[縹地錦領縁白〓≪あしぎぬ≫裏 白線縄貫]
     二領[並〓≪糸偏+熏≫地菱形錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏 橡線組]
     二領[並深緋地錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組]
     一領[緋地錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏緋〓≪あしぎぬ≫縁白線縄]
     一領[縹地錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 洗皮縁 橡線組]
     二領[並龜甲錦領緋〓≪あしぎぬ≫裏 皂皮縁 橡線組]
     一領[龜甲錦領縁緋〓≪あしぎぬ≫裏白線縄 已上並金塗 紺布袋帛裏]
      右、納第十櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内157頁~158頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

    圓鏡一面重大七斤五兩[径一尺二寸九<「(附箋)五」>分 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大六斤一兩[径一尺二寸五<「(附箋)六」>分 背金銀平脱 緋〓≪あしぎぬ≫帶木匣緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大五斤一兩[径一尺一寸 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤三兩[径一尺平螺鈿背 紅羅繍帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大三斤十三兩[径九寸一分 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋<「(附箋)綾〓≪口+親≫盛」>]
    圓鏡一面重大三斤八「(附箋)七」兩[径九寸 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大三斤十二兩[径九寸一分 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤二<「(附箋)一」>兩[径九寸六分 <「(附箋)*箱暫留借盛緑綾<〓≪口+親≫>箱」> 漆背 金銀平脱 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
     右、納第二櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内159頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   八角鏡一面重大三斤四兩[径九寸二分 平螺鈿背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大五斤十三兩[径一尺一寸三分 花鳥背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大六斤五兩[径一尺七分 花鳥背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大六斤一分[径一尺七分 槃龍背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大五斤一兩二分[径一尺一分花鳥背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    八角鏡一面重大四斤七兩一分[径一尺二分 鳥獣花背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大四斤十二兩[径九寸三分 花<「(附箋)雲」>鳥背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    圓鏡一面重大四斤十五兩[径九寸二分 山水花虫背 緋〓≪あしぎぬ≫帶 皮箱緋綾〓≪口+親≫盛]
    胡瓶一口[銀平脱花鳥形銀細鎖連繋鳥頭盖 受三升半]
      右、納第三櫃、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内159頁~160頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

  御屏風壹佰疊[盡屏風廿一疊 鳥毛屏風三疊 鳥畫屏風一疊 夾纈六十五疊 臈纈十疊]
    山水畫屏風一具兩疊十二扇[並髙七尺二寸 闊二尺三寸半 赤紫綾縁以檜木假作斑]
     [竹帖鐵釘黒碧〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    國圖屏風六扇[髙六尺 廣二尺二<「(附箋)一」>寸 紫綾縁 前面及 兩端碧牙撥鏤帖 金銅隠起釘 上頭縁木]
     [帖金銅浮〓≪さんずい+「謳」の旁≫釘 下頭縁木帖黒釘 背後紅牙撥鏤帖]
     [金銅浮〓≪さんずい+「謳」の旁≫釘 碧綾背紫皮<「(附箋)〓≪あしぎぬ≫」>接扇 縁綾〓≪巾+「僕」の旁≫淺縁<「(附箋)緑」>裏]
    大唐勤政樓前觀樂圖屏風六扇[装束及〓≪巾+「僕」の旁≫並同前國圖屏風]
    大唐古様宮殿畫屏風[髙五尺四寸五分 廣一尺七寸五分 緋地錦縁 漆木]
     [帖前後金銅釘 碧綾背 緋皮接扇 揩布袋]
    大唐古様宮殿畫宮殿畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 装束与前同]
    古様山水畫屏風六扇[髙五尺八分 廣一尺九寸 緋地錦縁 木帖金銅釘 碧綾背 緋皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    古様本草畫屏風一具兩疊十二扇[一髙五尺三寸 一髙五尺二寸]
     [緋地錦縁木帖金銅釘 碧綾背 緋皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛裏 <「(附箋)但五尺二寸碧地錦縁碧〓≪あしぎぬ≫背」>]
「(附箋)可謂古様宮殿騎獵」子女畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 緋地錦縁 漆木帖 金銅釘 碧綾背]
     [緋皮接扇 揩布袋]
    古人畫屏風一具兩疊八扇[並髙五尺三寸 廣一尺九寸 緋<「(附箋)碧」>地錦縁]
     [木帖 金銅釘 碧〓≪あしぎぬ≫<「(附箋)綾」>背 紫皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋 帛〓≪あしぎぬ≫裏]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内160頁~161頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

舞馬屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 金銅釘 木帖 碧綾背 緋皮]
     [接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋<「(附箋)帛〓≪あしぎぬ≫」>白練裏]
    子女屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 木帖 金銅釘 碧綾背 緋皮接扇]
     [揩布袋]
    古様宮殿畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫地錦縁 木帖 金銅釘 碧綾背]
     [緋皮接扇 揩布袋]
    素畫夜遊屏風一具兩疊十二扇[並髙五尺 廣一尺八寸二分 紫綾縁]
     [赤木帖 黒釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    鳥毛篆書屏風六扇[髙五尺 廣一尺八寸 紫綾縁 赤木帖 黒釘 碧〓≪あしぎぬ≫背]
     [<「(附箋)紅臈」> 夾纈〓≪あしぎぬ≫接扇 揩布袋]
    鳥毛立女屏風六[髙四尺六寸 廣一尺九寸一分 緋紗縁 <「(附箋)臈」> 以木假作斑竹帖 黒釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 緋夾]
     [纈接扇 揩布袋]
    山水畫屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 紫綾縁 白帖木 金銅釘 紫皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋] 
     [帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    鳥毛帖成攵書屏風六扇[髙五尺 廣一尺九寸 紫綾縁 木假作斑竹帖]
     [黒釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 黄臈纈接扇 揩布袋]
    鳥書屏風六扇[髙四尺一寸 廣一尺六寸七分 紫緋縁 木帖前面 金銅釘 上頭下頭]
     [背後並黒釘 碧〓≪あしぎぬ≫背 緋〓≪あしぎぬ≫接扇 緑〓≪あしぎぬ≫袋 帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    百濟畫屏風六扇[髙四尺七寸 廣一尺七寸 緋地錦縁 木帖 金銅釘 碧綾背]
     [緋皮接扇 黄〓≪あしぎぬ≫袋帛〓≪あしぎぬ≫裏]
    古人宮殿屏風六扇[髙五尺一寸 廣一尺八寸 紫綾縁 白木帖 金銅釘 碧]
     [〓≪あしぎぬ≫背 紫皮接扇 揩布袋]
    古人畫屏風六扇[髙五尺一寸 廣一尺八寸五分 紫綾縁 白木帖 金銅釘 碧〓≪≫背 紫皮]
     [接扇 揩布袋]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内162頁~163頁)(『正倉院御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

   臈纈屏風十疊[各六扇 髙五尺五寸 廣一尺九寸 碧〓≪あしぎぬ≫背 染木畫帖 鐵打揩布袋]
     一疊[面背紅<「(附箋)白橡」>臈纈縁紫山納接扇]
     二疊[並面背紅臈纈縁紫山納接扇]
     一疊[面紅臈纈縁背青<「(附箋)褐」>臈纈縁紫山納接扇]
     一疊[面背青臈纈<「(附箋)面白橡臈纈背靑褐臈纈」>縁紫山納接扇(五字付紙)]
     一疊[面背緋臈纈縁紅臈纈接扇]
     二疊[並面背緋臈纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面紫臈纈縁背青<「(附箋)褐」>臈纈縁紅臈纈接扇]
     一疊[面背□<(付紙)><「(附箋)白橡」>臈纈縁<「(附箋)紅臈纈」>接扇]
     白練綾大枕一枚[着夾纈羅帶三條]

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内169頁~170頁)(『正倉院御物』)

「奉盧舎那佛種々藥帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

奉 盧舎那仏種々藥
合六十種 盛櫃廿一合
  麝香〓≪よんじゅう≫劑[重〓≪よんじゅう≫二兩并袋及裹小已下並同]
  犀角三箇[一重二斤十二兩一分 一重一斤九兩二分 一重一斤十四兩]
  犀角一袋[重六斤十三兩并袋]
  犀角器一口[重九兩三分]
  朴消七斤[并袋]          〓≪草冠+麦+玉≫核五斤[并袋]
  小草二斤四兩[并袋]        畢撥三斤十五兩[并袋]
  胡椒三斤九兩[并袋]        寒水石十八斤八兩[并袋]
  阿麻勒九兩三分[并袋]       奄麻羅十五兩[并袋]
  黒黄連三斤[并袋]         元靑一管[重四兩二分]
  青箱草一斤十四兩[并袋]      白皮九斤六兩[并袋]
  理石五斤七兩[并袋]        禹餘粮一斤九兩二分[并袋]
  大一禹餘粮二斤十二兩[并袋]    龍骨五斤十兩[并袋]
  五色龍骨七斤十一兩[并袋]     白龍骨五斤[并袋]
  龍角十斤[并袋]          五色龍齒廿四斤[并袋]
  似龍骨石廿七斤[并袋]       雷丸八斤四兩[并袋]
  鬼臼十二兩三分[并袋]       靑石脂六兩[并袋]
  紫鑛六十斤[并袋]         赤石脂七斤二兩[并袋]
   右、納第一櫃、

出典

『大日本古文書』4(171頁~175頁の内171頁~173頁)(『正倉院御物』)

「法隆寺獻物帳」(『御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)7月8日

記事

 「(表題)□□寺獻物帳」
獻法隆寺
  御帶壹條[緊膜斑犀角金銅裏鉸具以碧〓≪あしぎぬ≫纒]
  御刀子壹口[大沈香把斑竹鞘金銀荘口及鞘口尾以金鏤口邊刃赤紫黒紫繝絛係]
  御刀子壹口[犀角把白牙鞘金銀荘口及鞘口尾以金鏤口邊刃白組係]
  御刀子壹口[犀角把金銀荘口水牛角鞘白組係]
  青木香貳拾節
   右並盛革箱又盛紅緑繝地髙麗錦淺緑臈纈裏袋又緑地髙麗錦緑纈
   裏〓≪巾+巴≫敷机又羅夾纈單〓≪巾+巴≫覆[二幅 長六尺八寸]緑綾帶貳條結束[帶長一丈]
奉今月八日  勅、前件、並是
先帝翫弄之珎、内司供擬之物、各分數種、
謹獻金光明等十八寺、冝令常置
佛前、長為供養、所願、用此善因、奉資冥助、早遊十聖、普濟三途、然後鳴鑾花
蔵之宮、住蹕涅槃之岸、
       天平勝寳八歳七月八日
      従二位行大納言兼紫微令中衛大将近江守藤原朝臣 仲 麻 呂
      従三位行中務卿兼左京大夫侍従藤原朝臣 永 手
      従四位上行紫微少弼兼武蔵守巨萬朝臣 福 信
      紫微大忠正五位下兼行左兵衛率左右馬監賀茂朝臣 角 足
      従五位上行紫微少忠葛木連 戸 主

出典

『大日本古文書』4(176頁~177頁)(『御物』)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)7月26日

記事

 「(表題)東大寺献物帳」
献東大寺
  屏風一具十二扇[並髙四尺八寸半 廣一尺七寸半 白碧牋紙歐陽詢真跡皂綾縁白絹背烏銅葉帖角]
   [其下端八寸半無物但 木骨耳白<「(附箋)皂」>綾接扇]
  屏風一具十二扇[並髙四尺八寸廣一尺八寸半黄白碧緑等絹臨王義之緒帖書碧綾縁白紙背烏]
   [木<「(附箋)帖」>金銅釘葉帖角紫皮接扇其下端六寸半塗胡粉別録書傳]
  花氈陸拾床[一床舞〓≪しんにょう+竹+衣近似文字≫方一丈三尺 二床各長九尺三寸 廣四尺六寸 〓≪よんじゅう≫七床各長八尺廣四尺 七床各方四]
   [尺 三床各長四尺廣一尺四寸]
  繍線鞋捌兩
  紫糸結鞋壹兩
  緋糸刺納鞋壹兩
  銀薫爐壹合
  銀平脱梳箱壹合盛[阮咸絃四條 琴絃十四條 箏絃十三條 琵琶絃四條 五絃琵琶絃]
   [五條中絃五條 小絃五條]
  瑁瑰箸兩雙[盛黒柿筒]
  靑斑鎮石拾廷
右件、今月十七日奉   勅、献納東大寺、具如前件、
      天平勝寳八歳七月廿六日
(後略)

出典

『大日本古文書』4(177頁~179頁)(『正倉院御物』)

「雙倉北雜物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756)10月

記事

九月
十一日下御大刀肆拾捌口  黒作大刀肆拾口
  御弓壹伯參枝[梓八十四枝 槻六枚 阿恵一枝 檀九枝 肥美一枝 蘓芳一枝 水牛角弓一枝]
  甲壹伯領[挂甲九十領 短甲十領]
  靫參具[納矢二百〓≪よんじゅう≫隻]   背琴靫壹具[納矢五十隻]
  胡禄玖拾陸具[各納矢]
   納櫃貳拾貳合[弓櫃五合 韓櫃十六合 矢櫃一合]並着鎖子布綱二条
以前、依安寛法師今日宣、献内裏如件、即付安寛師、
              天平寳字八年九月十一日
                  造寺司判官佐伯宿祢 真 守
                     主典志斐連 麻 呂
                  使法師 安 寛
大僧都賢太法師 
                  三綱
                  可信 洞 真

出典

『大日本古文書』4(186頁~205頁の内194頁~195頁)(『正倉院文書』御物目録)

「奉寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字元年(西暦757年)9月26日

記事

奉寫經所解  申請應繪軸用度事
合軸一千枚[之中二百枚繪畢 八百枚未繪]
  應用 紫土二斤[小]     雌黄二兩
    金二合      阿膠三斤[小]
  畫師三人 工一人   瑩生一人
   惣單捌拾貳人
    五十四人畫師[人別畫軸十五枚]
    八人工[人別塗軸一百枚]
    廿人瑩生[人別瑩軸〓≪よんじゅう≫枚]
  浄衣五具
    三具畫師三人料    一具漆工一人料
    一具瑩生一人料[未]
以前、應繪軸用度之雜物、顯注如件、謹解、
  【請胡麻油一斗四】六【升】七合二夕
  【一斗四升七合二夕経師装〓≪さんずい+黄≫單七百卅六人料[人別二夕]
   二升燈堂料】
               
           天平寳字元年九月廿六日
                治部大輔正五位下 王(市原王)

出典

『大日本古文書』4(240頁~241頁)(『正倉院文書』続々修18帙5)

「東大寺經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字元年(西暦757)10月15日

記事

經所解 申中台食口事
合單捌伯伍拾壹人[五百〓≪よんじゅう≫一人別二升 廿四人別一升六合 七十八人別一升四合 一百〓≪よんじゅう≫九人別一升二合 五十九人別八合]
  廿二人別當         十七人史生[已上別一升四合]
  四百十三人経師       五十三人畫師[卅三人畫師 八人工 十二人瑩生]
  〓≪よんじゅう≫二人装〓≪さんずい+黄≫[已上別二升]  五十七人校生[卅三人別二升 廿四人別一升六合]
  五十八人雜使        九十一人仕丁[已上別一升二合]
  卅九人自進[別一升四合]  五十九人従[別八合]
以前、起去九月廿一日、盡今月十五日、食口如件、以解、
                  天平寳(字脱カ)元年十月十五日上 馬 養

出典

『大日本古文書』4(242頁~243頁)(『正倉院文書』史館本7)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)10月1日

記事

獻東大寺
   書屏風貳帖[十二扇并高四尺六寸五分廣一尺九寸五分面五色紙有真草雜書碧綾背緋地花錦縁班竹帖金銅釘金銅鏤葉帖角紫韋接扇盛赤櫃着鎖]
  右件屏風書者、是 先考正一位太政太臣藤原公(不比等)之真跡也、妾之珎財、莫過於此、仰以奉獻盧舎那佛、願因妙善、奉薫冥資、早遊花蔵之界、恒對芳閣之尊、
          天平寳字二年十月一日
          太保従二位兼行鎮国太尉藤原恵美 朝 臣(押勝)
          参議従三位行武部卿兼坤宮大弼侍従下総守巨勢朝臣 關 麿

出典

『大日本古文書』4(337頁)(『正倉院御物』)

「東大寺經所雜物注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)12月25日

記事

經所雜物見
  錢四百九十五文[【置】儲] 〓≪糸偏+竒≫十四丈五尺[附百部最勝王経見]
  布浄衣九領[三領細布整儲置用 一領祖布其所用道守]  五領調布[一領道守用 四領遣■■(長方形塗りつぶし)]
  篩料〓≪あしぎぬ≫二尺四寸[儲置用]    刀子七柄
  祖布一段[雜用道守]      祖布袴一腰[上同]
  黒柿五材[■給遣]       古手巾四条[装横手料]
  布綱四条[返上學所]      調綿三屯[二屯■■(長方形塗りつぶし) 一屯用道具]
  芥子袋一口[雜用]       鎖子一具[着■返上嶋院]
  糸十兩[置■■(長方形塗りつぶし)]        圖書寮櫃二合[一合道守 一合■■]
            二年十二月廿五日上 馬 養

出典

『大日本古文書』4(351頁)(『正倉院文書』續々修18帙5)

「獻物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字3年(西暦759年)12月26日

記事

天平寳字三年十二月廿六日出
金鏤寳劔貳口[一口名次田 一口名大小咋]
陽寳劔壹口        陰寳劔壹口
銀荘御大刀壹口[已上五口納赤金銅釘櫃一合]
大僧都 良 弁           僧 安 寛
小僧都 慈 訓           可信
              坤宮大忠葛木宿祢 戸 主
               少疏池原公 禾 守
              内史助日置造 蓑 麻 呂
                 造寺司長官坂上忌寸 犬 養
                  次官髙麗朝臣 大 山
                  主典阿刀連 酒 主
(後略)

出典

『大日本古文書』4(393頁~396頁の内393頁~394頁)(『正倉院文書』御物目録)

「獻物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字3年(西暦759年)12月26日

記事

文欟厨子[古様]
天平寳字三年十二月廿六日出
封箱壹合[平城宮御宇 後太上天皇禮聘藤原皇后之日相 贈信弊物]
犀角奩壹合
  納物 純金念珠一具 白銀念珠一具 瑪瑙念珠一具 水精念珠二具
  虎魄念珠二具 真珠念珠一具 紫瑠璃念珠二具 碧瑠璃念珠一具
大僧都 良 弁             僧 安 寛
少僧都 慈 訓             可信 光暁
                 坤宮大忠葛木宿祢 戸 主
                  小疏池原公 禾 守
                 内史助日置造 蓑麻呂
                 造寺司長官坂上忌寸 犬 養
                 次官高麗朝臣 大 山
                 主典阿刀連 酒 主

出典

『大日本古文書』4(393頁~396頁の内395頁~396頁)(『正倉院文書』御物目録)

「東寺寫經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)1月15日

記事

東寺寫経所解 申請應奉寫経用度物事
合経壹伯參拾伍部[四百五十卷]
(中略)
  菟毛筆六拾四管[以一管寫紙百五十張]
  墨參拾貳廷[以一廷寫紙三百張]
  〓≪≫料鹿毛筆拾管
  〓≪≫八十丈一尺
   七十二丈九尺 法花経三百六十卷 理趣経〓≪≫五卷料[卷別一尺八寸]
   七丈二尺金剛般若経〓≪≫五卷料[卷別一尺六寸]
  帙五十四枚[各長一尺七寸]
  軸肆伯伍拾枚
  黄蘖貳伯肆拾伍斤[以一斤染紙〓≪≫張]
  橡壹斗伍升[以一升表紙十五張]
  荒炭六十八斛[卅四斛堂料日別五斗 卅四斛料理供養料日別五斗]
  薪參伯肆拾荷[百卅六荷湯沸料日別二荷 二百四荷料理供養料日別三荷]
  錢壹拾七貫五伯〓≪≫六文[且八貫以三月五日請八千五百〓≪≫六文]
   二千五百六十文 菟毛筆六十四管直[管別〓≪≫文]
   九百六十文 墨卅二廷直[廷別卅文]
   十文〓≪≫料 鹿毛筆十管直
   六貫八百七十六文 生菜直
    四貫二百〓≪≫文経師装〓≪≫一千五百六十人料[人別四文]
    六百〓≪≫六文 校生三百十八人料[人別二文]
   三貫六十文 荒炭六十八斛直[斛別〓≪≫五文]
   四貫八十文 薪三百〓≪≫荷直[荷別十二文]
(後略)

出典

『大日本古文書』4(399頁~407頁の内399頁~402頁)(『正倉院文書』續修後集5)

「奉造丈六觀世音菩薩料雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)6月25日

記事

奉造一丈六尺観世音菩薩料雜物等自諸司請来事
合參拾壹種
  〓≪あしぎぬ≫一百匹[八十匹讃岐調 廿匹甲斐調] 調布一百端[武蔵]
  鐵〓≪よんじゅう≫廷           伊豫砥三果
  蘗五連           木賊一把
  綿一百十七         細布六端
  糸三〓≪糸偏+勹中にム≫           庸布九段
  祖布廿五段         斛八斗
    右十二種、自節部省請来、
  錢五十貫
    右物、自左平準署請、
  白米一百斛         糯米四斗
  小麦五斗
    右三種、自大炊司請、
  塩三斛           海藻三百六十斤
  滑海藻三百六十斤
    右三種、自大膳職請来、
  末醤三斛六升五合      醤三斛六升五合
  酢一斛五斗三升二合五夕
    右三種、自醤司請、
  紙一百張          本古紙九百廿五張
  掃墨一斗
    右三種、自内史局請来、
  油六斗九升三合
    右、自油司請来、
  麻紙八十張         朱沙一分
  胡粉一分          薫陸一分
  雌黄一分
    右五種、自内裏請来、
(後略)

出典

『大日本古文書』4(420頁~425頁の内420頁~422頁)(『正倉院文書』正集5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760年)

記事

    五百七十屯賣料奉送丹波宅[寳字三年中]
      一百屯[筑紫調]十一月廿九日
      二百〓≪よんじゅう≫屯但馬庸[二百屯十一月八日 〓≪よんじゅう≫屯同月十九日]
      二百卅屯因幡庸[百屯十一月廿九日 百卅屯十二月二日]
     四百卅八屯院中賣  價錢廿六貫九百八十八文
      百七十八屯因幡庸 直錢十一貫七百〓≪よんじゅう≫八文[屯別六十六文]
      卅六屯但馬庸   直錢二貫三百〓≪よんじゅう≫文[屯別六十五文]
      百屯筑紫調    直錢六貫七百文[屯別六十七文]
      百廿四屯因幡商  直錢六貫二百文[斤(屯カ)別五十文]
    五百五十屯雜用料[国交]
     四百卅七屯雜工等衣服料
      六十八屯朝服料
      三百六十九屯衣服料[三四年<冬>衣服]
     廿二屯仕丁十一人養料[人別二屯]
     三屯堂天井倒蓮花々枚二百廿八枚押金薄料
     廿四屯絞二石八斗六升四合料
     一屯八兩天井鏡三面磨料
     一屯八兩塞雜鑄物温口料
     八屯桴工八人頓給料
     五十三屯山作所司工五十三人頓給料
    殘六屯[越中]在院中檜皮葺正蔵

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内467頁~468頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760)

記事

 租交易四百卅二段
(中略)
   用四百廿六段
    三段一丈七尺六寸絞二石八斗六升四合料
    二段一丈二尺雜工六十二人手衣料[人別一尺]
    四段一丈二尺二寸土裁五十一條料[条別二尺四寸]
    一丈九<尺>五寸瓦衣十三領料[条別一尺五寸]
    一段六尺銅物等杼収裁十三條料[別二尺四寸]
    一段一丈七寸雜篩料
    二段廝仕丁□(等カ)前裳十七條料[条別三尺]
    二段二丈二尺雜工廿四人物作冠廿四條料[条別三尺]
    十四段廝仕丁浄衣十四具料[具別[單]衣袴]
    一段院中鎮祭陰陽師浄衣料[單衣袴]
    三段桴工三人頓給[衣袴料]
    九段山作木工九人頓給料[衣袴]
    三百八十<段>賣料 直錢卅九貫八十文
     二百段[々別一百文]
     百八十段[々別百十文]
   殘六段[縫帳二条□□(長方形後半抜け)   在院檢□□□(長方形抜け)倉]

出典

『大日本古文書』4(459頁~483頁の内472頁~474頁)(『正倉院文書』続々修45帙5)

「雜物請用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字4年(西暦760)

記事

造物所 検収錢事
合貳拾肆貫
   右、去年西院借用捌斗價、依員来借収置如件、
           天平寳字五年正月十四日史生賀陽 田 主

出典

『大日本古文書』4(485頁~486頁)(『正倉院文書』続々修18帙1)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)10月1日

記事

 新様錫杖壹枝[奉納法隆寺僧延豊]
  鍮石香爐壹具[花形錦坐具一枚〓≪草冠+褥≫一枚表科子錦裏 緋綾奉納講法花経料大僧都行信]
合経櫃肆合
  壹合淺合[長一尺一分 凡廻六寸六分]
  壹合赤檀[長一尺五寸 廣一尺二寸三分 髙身并足八寸二分打金 泥釘角別打泥樓時金着金泥鎖子一具内敷白綾〓≪草冠+褥≫一枚]
  櫃納丁子香壹袋[一領表裏帛 一領表秘錦裏緋綾]
  櫃裹衾貮領
  櫃覆貮條[一條表緑綾裏淺緑綾長六尺三寸廣三副 一條表黑紫二科綾裏赤紫花形綾長六尺三寸廣三副]
  櫃座机貮足[一長一尺八寸五分廣一尺四寸髙一尺五寸 敷錦〓≪草冠+褥≫一枚一長二尺八寸廣一尺六寸]
  櫃鈎□□□(長方形抜け)[髙二尺七寸 敷秘錦〓≪草冠+褥≫一枚]
  櫃鈎納革箱壹合[長六寸廣二寸八分深一寸]
    右、爲敬重坐上宮聖徳法王御持物法花経、天平九年歳次丁丑二月
    廿日、藤原氏皇后宮奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内511頁~512頁)(大和国法隆寺所蔵)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)10月1日

記事

合獸貮枚
  壹枚泥[茎呉竹形端銀継并櫃一合表泥裏丹泥]
    右、上宮聖徳法皇御持物者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内513頁)(大和国法隆寺所蔵)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)10月1日

記事

合獸尾貮枚
  壹枚深泥[茎呉竹形端銀継并櫃一合表泥裏丹泥]
    右、上宮聖徳法皇御持物者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内513頁)(大和国法隆寺所蔵)

「法隆寺縁起資財帳」(『法隆寺東院縁起佛經并資財條』所収)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)10月1日

記事

 壹足綾槻[長五尺九寸 廣一尺七寸 髙四尺九寸 若金泥鎖子一具并床子一足錦〓≪≫一枚]
   裹衾壹領[表赤紫 裏緋綾角別秘錦 領以綺為界]
   鈎納革箱壹合[長六寸一分 廣三寸四分 深一寸三分 納錦袋内在白綾〓≪≫]
  壹足枌[長三尺三寸 廣一尺九寸 髙三尺一寸五分]
合経副香參種[一〓≪≫香一斤十兩一甘松香二斤十三兩 一苓〓≪≫香九斤二兩納袋六口并表赤紫羅裏赤
合白木高座貮具[并机橋礼盤二足]
合高座寳頂貮具[身黑紫綾秘錦領地古錦交錺頂木金 塗鏤銅錺着小鏡二面]
合寳頂懸木錦袋貮口[二〓≪≫秘錦 長各一丈三尺]
合高座〓≪≫肆枚[二表紺花錦裏〓≪≫緑綾 紫花錦領二席錦領]
合高座〓≪≫貮枚[並表白錦 裏緑綾 紫錦領]
合高座橋〓≪≫肆枚[並表縹錦裏]
合礼盤〓≪≫肆枚[二表紫二科錦裏緑綾 二席錦領]
合高座茵貮枚[黑紫綾領]
合礼盤茵貮枚[赤紫綾領]
合糸交幡陸拾貳流
合白綾綱貮條[一長十四丈 一長八丈]
合佛座地代帳貮條[並表薄朱二科綾裏淺緑長二丈九尺 廣各四幅一條]
塗机參足[一経(徑)三尺八寸 廣一尺八寸 髙二尺五寸]
    [一香長三尺廣一尺五寸五分髙三尺寸一香長各三尺 三寸廣一尺六寸五分髙三尺一寸五分]
合机〓≪≫參枚[一秘錦領兩面錦一赤紫都牟岐白錦領 一赤紫綾並裏緑綾]
合黒紫羅花覆貮條[長各九尺二寸 廣各三幅以金黑繪]
合赤紫綾帶貮條
合経覆壹條[表赤紫羅裏赤蜂子指長七尺五寸]
塗香水器壹具[并手洗移二口]
合韓櫃參合[一長三尺廣二尺(脱字アルカ)寸一長三尺寸 廣二尺六分一長三尺四寸廣二尺]
    右、天平十四年歳次壬午二月十六日、正三位橘夫人宅奉納賜者、

出典

『大日本古文書』4(510頁~519頁の内514頁~516頁)(大和国法隆寺所蔵)

「造寺料錢用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字5年(西暦761年)

記事

 (題籤)造寺料
      錢用帳
  錢用帳[造寺料者]         天平寳字五六年
(中略)
  二月卅日下錢玖貫貳伯漆拾捌文
    二貫九百六十二文雇工百八十二人功[卅人別廿文 〓≪よんじゅう≫人別十七文 四人別十二文 十四人別十六文 九十四人別十五文]
    六貫三百一文雇夫五百六十六人功[十一人別十三文 二百八十人別十二文 百廿四人別十一文 百八人別十文]
     [廿人別九文 十八人別八文 五人別六文]
    十五文雇女三人功[別五文]
   又下錢壹貫玖伯伍拾文
     右、買絞(校カ)倉一宇歩板十三枚桁一枝直如件、
   又下錢玖伯肆拾參文四升一合直[升別二百卅文]
     右、買上寺菩薩料進上如(件脱カ)、[但其替可来、]
(後略)

出典

『大日本古文書』4(532頁~537頁の内534頁~535頁)(『正倉院文書』史館本6)

「六人部荒角解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)1月7日

記事

六人部荒角解
  謹解 申進上物事
  鉄拾廷   鍬拾口  
     右、依牒旨進上如件、
  一買四斗 
  一陸奥殿者、価四百五十文、自此者一文<不>減者、
  一司中政天異、又御曹司令守舍人一人
                   天平寶字六年正月七日六人マ 荒角             

出典

『大日本古文書』5(2頁~3頁)(『正倉院文書』)

「六人部荒角解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)1月14日

記事

六人部荒角解
  謹解 申進上物事
  鉄拾廷   鍬拾口  
     右、依牒旨進上如件、
  一買四斗 
  一陸奥殿者、価四百五十文、自此者一文<不>減者、
  一司中政天異、又御曹司令守舍人一人
                   天平寶字六年正月七日六人マ 荒角

出典

『大日本古文書』5(4頁~5頁)(『正倉院文書』続修26)

「造石山寺所公文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)1月15日

記事


(題箋)
解移牒符案
(中略)
  造石山寺所解  申請借銭事
  合銭貳拾貫             「(別筆)如員請来自上寺」
     右、為買、借所請如件、以解、
                   天平寶字六年正月十六日領下  主典安都宿祢
(中略)
  造寺所解  申請銭事
  合壹拾貫              「(別筆)如員請来<自>上寺」
     右、為買、所請如件、以解、
                    天平寶字六年正月廿日下  主典安都宿祢
(後略)

出典

『大日本古文書』5(34頁~38頁)(『正倉院文書』続々修18帙3)

「買漆銭用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)1月15日

記事

自石山寺來銭壱拾壱貫
   用捌貫壱伯捌拾文
     三貫一百八十文買一斗二舛宜[舛別二百六十五文]
     五貫充遺甲賀山作所[付橘守金弓]
   残弐貫捌伯弐拾文
                 六年正月十六日上馬養
                           猪名部 枚虫
            主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』5(59頁~60頁)(『正倉院文書』続修41)

「造東大寺司告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)4月1日類収

記事


造東大寺司解  申四月中作物并散〓≪人偏+口+又≫事
合単口七什玖伯捌拾伍人[五百廿五人将領 一千三百十二人仕丁 三千八百八十六人雑工 一千二百六十二人雇夫]
   造仏所別当弐人[主典正六位上志靡連麻呂 史生正七位下川原藏人人成]
     単口壱什陸伯壱拾陸人[九十三人将領 二百廿二人仕丁 一千二百九十二人雑工 九人雇夫]
作物
   合作大千手菩薩御手           功廿二人
   雕作同菩薩御手并継           功七十六人
   着弥勒仏光玉              功六人
   磨塗同仏座甕形并花寶        功五十一人
   磨塗同仏光并綾           功五十三人
   磨塗同仏座花寶            功〓≪よんじゅう≫九人
   平畳同仏光并座            功廿五人
   塞同仏侠侍菩薩座花寶         功卅一人
   磨塗同菩薩座大床并花寶土    功卅九人
   作同菩薩座大床并花寶         功八十四人
   作同菩薩座甕形              功卅九人
   打後観世菩薩座肬金堺并魚子     功〓≪よんじゅう≫六人
   錯作同菩薩座肬金蟹目釘        功八人
   捻四王御身               功二百七十六人
   切同四王土藁并打?捻土      功一百十九人
   春同四王捻土并自椎坂堀運     功八十人
   雕同四王寶冠飛炎           功廿八人
   作同四王迴麻柱            功〓≪よんじゅう≫九人
   修理灌仏神王             功四人
   雕穿大仏光               功一百〓≪よんじゅう≫七人
   捻御鏡背文               功七人
   奉請於石山寺阿弥陀仏并太子像  功十三人
   供奉礼仏并充於式堂受式所     功六十七人
   作新鉄物三百廿三物[長八尺二寸己下四尺五寸己上] 功六十六人
   治熟生銅                 功八人
(中略)
  木工所別当二人[判官正六位上葛井連根道 主典正六位上弥努連奥麿]
    単口壱什玖伯伍拾四人[一百九十三人将領 二百卅二人仕丁 九百七十一人雑工 五百五十七人雇夫]
  作物
    搆作食亭近廊新材三百〓≪よんじゅう≫五物   功五百五十八人
    作僧房略壁木并塗壁         功二百卅一人
    作客房院〓≪片+庸≫掃浄院内         功〓≪よんじゅう≫四人
    遷竪唐院屋               功六十人
    修理食堂院板屋            功十四人
    荒作泉津新材并上収         功一百廿七人
    塗南之西門白土赤土         功七十五人
    搆新鉄物并修理刃器二千五百八十物[九寸己下三寸己上新釘并刃器等類者] 功一百〓≪よんじゅう≫二人
    〓≪券の刀が旧≫?白土赤土              功五十人
    自瓦屋運瓦一千五百枚        功卅人
    採〓≪手偏+黄≫闊木九十枝〓≪木偏+若≫      功廿八人
    積収散材                 功卅三人

出典

『大日本古文書』5(195頁~201頁)(『正倉院文書』續修32)

「石山院解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)12月15日

記事

石山院
令奉請大般若六百巻 又理趣経一巻[後奉寫者]
  納辛櫃三合[二合 白木一合] 並在封道 布縄三條
一奉経一櫃 残紙等一櫃[己上依無擔夫、不得奉令請]
一私御持経残紙同櫃奉坐、在上案主封、仍是度[不奉令請]
一残海藻十一古 滑海藻十古 吉醤一斗 悪醤四斗六舛
   未醤一斗八舛 白米十二斛[愛智郡進内]
     右、残物等、略勘注申上如件、但?布銭等類、上案主共勘知参上、
     然自余物者、道主将参上時、勘注可参上、
以前物等、略勘注申上、但道主板寫公未了、加以新散殿々物等、一殿収置、十日以来将参上、以解、
                   天平寶字六年十二月十五日申時下道主
一為板寫公文読合并経所食口抜出、二箇日、阿刀乙万呂所請如件、
加以行事可大在、

出典

『大日本古文書』5(289頁~290頁)(『正倉院文書』史館本7)

「造石山院所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)12月29日

記事

(前略)
土工壱伯七拾人[司工九十四人 雇工七十六人]
   塗殿六宇
    仏堂一宇[木間下塗中塗 壁十四間内外中塗] 工六十四人
    僧房四宇
      一宇[木間下塗 壁七間内外下塗]       工四「*七」人
      三宇[木間下塗 壁十九間内外下塗]     工七十八「*五」人
    経蔵一宇[木間下塗 上下階壁廿六間内外中塗] 工十五人
  仏堂南宇木間七間塗白土  工二人
  白土取遺滋賀郡真野村   工六人[三箇日単]
  事畢奈良返向         工一人
(中略)
仏工伍拾捌人[院三綱所遷受以来役単]
   捻菩薩并神王御座[長三丈 廣一丈二尺]
   捻神王二躯[各高六尺]
   画工壱伯陸拾四人[司工九十三人 雇工七十一人]
     奉彩色捻観世音菩薩一躯[高一丈六尺] 工九十四人
     彩色神王二躯[各高六尺]
     彩色菩薩并神王御座着礒形一條[長三丈 廣一丈五尺]
   押金薄工陸人[雇工]
     奉押金薄菩薩宝冠一具
   工壱人[雇工]
     花塗同宝冠一具
   散役壱萬弐參仟「*貳千玖伯」【貳伯拾貳人】【「*拾參」】「*參拾貳人」
     不役二百廿二人
      木工卅三人[十四人病 八人同心假 十一人請衣服向奈良]
      鉄工六人[五人病 一人請衣服向奈良]
      仕丁一百八十三人[廿人田上山作所 三人甲賀山作所
                   百六十人兄庭作所 並病]
   見役一万二千九百【九】「*七」百【九】【「*五」】十【「*一」】人
     僧一百八十人[依大僧都宣信楽買板殿二宇料材自筑紫藤原殿運夜〓≪さんずい+頁≫潮夫等領    「*本所」]
              [「*右依僧大僧都宣信楽買板殿二宇料自筑紫先師藤原殿運漕夜?潮夫等領」]
     官人一百廿一人
     長上一百十五人
     案主一百九十九人
     舎人一千一百〓≪よんじゅう≫三人
(中略)
     土工一百七十人[司工九十四人 雇工七十六人]
       六十四人塗仏堂一宇  二人仏堂塗南宇木間白土
       十五人塗経蔵一宇    八十二人塗僧房四宇
       六人滋賀郡真野村白土取遺[三箇日単]
       一人事畢返向奈良
     鉄工一百廿一人
       〓≪よんじゅう≫五人作新釘二千六百〓≪よんじゅう≫二隻 五十七人作鉄物二百六物
       十九人修理新刃器等
     仏工五十六人
       〓≪よんじゅう≫八人〓≪土偏+念≫礒坐
     畫師一百六十四人[司工九十三人 雇工七十一人]
       九十四人奉彩色菩薩像  〓≪よんじゅう≫六人彩色神王
       十四人彩色磯
    押金薄工六人[雇工] 押菩薩寶冠金薄
   工一人[雇工] 塗同寶冠花
    堂童子五十六人[奉彩色菩薩所新使]
(中略)
       三千五百九十六人兄挺作夫[仕丁九百廿七人 御輿四人 雇夫二千六百六十五人]
         三百九十二人作仏堂一宇
            九十三人堂所土堀平并北方塀堀土運捨
            廿八人壁桟  九人麻柱作
            一百卅三人壁料土作運并壁下塗
            卅人中塗料黄土自瓦(屋脱カ)以南運院川津
            六十七人同黄土自川津運并作打
            十八人白土十三石取遺滋賀郡真野村[三箇日単]
            四人白土春〓≪草冠+師≫作
            十人赤土春〓≪草冠+師≫作
(中略)
         六十四人作信楽買五丈一宇[廿六人柱穴堀 卅八人運肌倚枝等]
         五十三人作国師奉入三丈板殿一宇[五人麻柱 〓≪よんじゅう≫八人運衣倚枝]
         卅二人作五丈黒木借板屋三宇[柱穴堀地平壁并]
         九十四人古板屋八間遷竪并地平[七宇院中竪 一宇庄中]
         廿二人修理板古屋等
         六百十一人仏堂北岸土堀運捨
         九人壇殿一宇壊収
         十三人屏政所廻垣百五十丈[人別十一丈]
         五十九人焼和炭七十八斛七斗[廿三人々別一石三斗四升 卅六人々別一石三斗三升]
         二百卅五人作院北山川副道一條[長五百七十八丈 廣六尺人別二丈五尺]
         一百卅八人採黒木六百十六物[柱桁古万比間度等類]
(中略)
以前、起天平寶字五年十二月十四日、畫六年八月五日、請用新物并作物及
散役等如件、以解、
             天平寶字六年閏十二月廿九日案主下
                             別當主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』5(335頁~354頁)(『正倉院文書』續修後集43裏書)

「僧綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月13日

記事

 僧綱 牒東大寺三綱
     奉請經事
  法華經四部[便奉請在彼寺者]<尤>最勝王經四部[寶字四年自之中者内裏奉請〓≪よんじゅう≫部]
   右件經等、有 内裏可奉被讀、仍〓≪さんずい+頁≫曵間奉請如前、三綱耒知、牒到准状、
   故牒、
          天平寶字七年四月十三日史生僧 仙勝
  少僧都賢太法師 慈訓
「(別筆)行      判官葛井蓮根道
              主典安都宿祢
   令奉請法華經四部[三部水主官之中 一部黄紙及 一部黄紙及表綺緒朱軸
   一部黄紙及表綺緒軸 一部審詳師第二櫃黄紙及表綺緒木繪軸漢手]
     惣在印
  上件經四部、以五月一日返納如件、
  又同日、令請法華經四部卅二巻、[並黄紙及表間之、]上馬養」

出典

『大日本古文書』5(432頁~433頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)11月24日

記事


奉寫  御執經所
堤違經
  右、被錦部命婦(宣脱カ)稱、件經、速請於東大寺山階等者、仍老内竪清水城守、
  令奉請如件、事【含】依勅旨、不可退緩、
            天平寶字七年十一月廿四日乾政官史生因幡国造田作
「(別筆)行       主典志斐連 麻呂
   令奉請堤謂經二巻[上下 水主宮黄紙綺緒 塗軸]
     付即使八清水城守、
            出健部廣兄        」
 

出典

『大日本古文書』5(462頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「綵帙下用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)12月8日

記事

 寶字七年十二月
     八日<下>綵帙四枚
       右、依葛井判官宣、借用上山寺悔過所、
                             上馬養
        經臺一前
            右、

出典

『大日本古文書』5(463頁)(『正倉院文書』續修別集38裏書)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)10月14日

記事

造東大寺司牒  図書寮
合經律論二千九百卅五巻 目録二巻
  大乗經一千九十八巻 律卅四巻 論二百〓≪よんじゅう≫一巻
  小乗經五百廿五巻  律三百廿二巻 論七百十五巻
  納辛櫃八合[別居白木机各着布綱二条]〓≪金偏+巣≫子六具[各匙]
以前、今右大臣(豊成)任大宰員外帥時、以天平勝寶九歳八月四日、件經等厭内裏、
乃中務省依三位中納言藤原朝臣(永手)同月五日宣、以同日令奉請於聖證尼所之也、以同日得返抄云<此寺然依仲万呂天平寳字三年九月十八日宣以十九奉]、故京職宅返抄、其返抄署隠岐国目従六位下日下
部乙万呂、今依寮今月十四日牒、顕注如件、故牒、
              天平寶字八年十月十四日主典志斐連
                   判官外従五位下美努連

出典

『大日本古文書』5(496頁~497頁)(『正倉院文書』續修別集38)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

阿弥陀院寶物目録    神護景雲元年[無印正文]
阿弥陀悔過□□(長方形後半抜け)
   寶殿一基        □□(長方形後半抜け)
   阿弥陀仏像一躯   □□(長方形後半抜け)
   音聲菩薩十躯     □□(長方形後半抜け)
   檀像観音菩薩一躯  □□(長方形後半抜け)  
   花厳經一部[八十巻] 法花經□□(長方形後半抜け)
   阿弥陀經九十六巻  觀无量□□(長方形後半抜け)
   叟觀无量壽經二巻  梵網經二巻
   随願藥師經一巻  十一面經一巻
   花厳經疏一部[本末廿四巻] 法花經疏一部[十巻]
   最勝王經疏一部[六巻]    經嚢一口
(中略)
   香櫃一合   香印坐花二?
   褥九<「*七」>枚     覆八條
   帯八條     出墻二條
   緑?七條   縹?七條
   縹綱六條   緑綱五條
   帛衾十六領  布単衣七領
   敷布卅枚    布枚綱六<「*二」>枚
   韓櫃一合  白木韓櫃二合
   畳廿三枚    願文一巻
   巻文一巻[載田卅四町]
       以上目録
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち671頁~673頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
阿弥陀浄土變一鋪
  寶殿一基[ 八角 高一丈六尺三寸]
  蓋[頂居金花形一〓≪手偏+求≫ 八角居金凰形八口 各作雑玉幡 裏着大蓮花形一枚 並以金銀墨畫飛菩薩鳥雲花等形]
  柱八枝[並以金銀墨畫鳥花等形]
  基二階[上階池礒敷瑠琉(璃カ)地邊着金銅鏤辟金并畫飛井等形 下階在連子着金銅鏤辟端〓≪果+衣≫等高欄上居金花八〓≪手偏+求≫]
  阿弥陀仏像一躯
  觀世音菩薩一躯
  得大勢菩薩像一躯[以上二并在雑玉寶冠]
     右三坐仏菩薩、並塞金色、
  音聲菩薩像十躯[並在雑玉寶冠各持楽器]
  羅漢像二躯[各持香炉]
     右十二菩薩等、塞宍色、
  阿弥陀經卅八巻
  觀无量壽經二巻[以上白紙 紫表 赤木軸]
   [「*失」]納黒櫃一合  [「*失」]机一前[]失物
   [「*失」]褥一枚[表錦 裏淺緑纈]       失物
   [「*失」]香印坐花二〓≪手偏+求≫              失物
   [「*堂」]白銅火爐一口 
   [「*堂」]白銅〓≪金偏+林≫二合       机二前[
         褥二枚[並表白綾 裏淺緑纈]
   [「*堂」]白銅磬一枚  磬基花木二枚[金銅]
        灌頂四具[二紫繍身 二緋繍身 並雑色兄 各在小幡四首]
   [「*堂」]堂幡廿七首[十四白綾身 十三雑色身 並繍]
        小幡〓≪よんじゅう≫四首[廿二赤紫身 廿二黑紫身 並繍]
        緑綱六條[五条各長六丈 一条長二丈五尺]
        緑悵二條[一條七副 一條八副 長二丈二尺三寸]
        緑〓≪あしぎぬ≫端二條[一条五副 一条六副]
        布悵三條[二条各八副 長二丈一尺七寸 一条四副 長三丈二尺]
        布端一條[五副長四尺] 納韓櫃一合[白木]
        琴一面[純金目]     納錦〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[裏緋]
        筝一面[桐和作]     [「*堂」]納黒紫櫃一口[裏緋 着柱〓≪人偏+戓の口が巾≫]
    [「*堂」]琵琶一面[桐面 後漢 紫檀橿并輪手及頚 ?伏手横返手 大唐]
                  納赤紫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[裏淺緑甲纈]
    [「*堂」]新羅琴一面[桐畫「以金塗 在〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 表黑紫綾 裏綾緑纈]
         和琴三面之中[一面桐 納緑〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 一面檜 一面気美納緑斑〓≪人偏+戓の口が巾≫一口]
    [「*失」]合笙一管[斑竹 長一尺七寸 「失」納沙合纈〓≪人偏+戓の口が巾≫一口 長四尺]失物
    [「*失」]横笛一管[唐長一尺三寸]
                 [「*失」]納紫交縫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[長三尺三寸]失物
    [「*堂」]床二前[各以胡粉畫水形 裏浅緑 緑錦]
         貫〓≪竹冠+青≫二枚
         覆二條[各申纈沙 三副 長各八尺五寸 一見在一失物]
       聖僧榻一前[作以水精并金塗花形釘 高一尺二寸二五分 廣四尺一寸 長四尺六寸]
    [「*堂」]褥一枚[表臈纈 裏淺緑纈]
    [「*堂」]貫〓≪竹冠+青≫一枚
    [「*堂」]覆一條[表合纈羅 裏淺緑纈]
    [「*堂」]道師榻一前[作以水精并金塗花形釘 高一尺二寸二分 廣四尺一寸 長四尺五寸八分]
         褥一枚[表紫綾 緑黑紫綾 四角貴錦 裏臈纈]
    [「*堂」]短畳一枚[錦錦]      [「*堂」]貫〓≪竹冠+青≫一枚
          右、以天平十三年三月造作畢、安置浄土并來集物等如件、
(後略)   
      

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち673頁~677頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
觀无量壽經一巻[金字紫紙及表 水精軸 綺紐]
阿弥陀經〓≪よんじゅう≫八巻[色紙及表 石軸 綺紐]
經嚢一口[江地繍 餝以雑玉等]
小幡〓≪よんじゅう≫四首[繍身畫兄] 納白木韓櫃一合
[「*堂」]花机二前[ 各在白綾褥 合纈羅覆 紫羅複帯]
[「*堂」]佛供机二前[ 各纈羅覆 紫羅複帯 各在白綾褥]
  布衣七領[四深染 三赤染]
        右、以天平寶字六年三月會時奉納、
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち677頁~678頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

(前略)
  花厳經一部[八十巻石軸] 帙八枚[雑綵]
  法花經一部[八巻金字 紫紙水精軸] 帙一枚[表畫山水形]
  梵網經二巻[色紙石軸]
  随願藥師經一巻[色紙沈軸]
  十一面經一巻[色紙琥碧軸] 以上〓≪果+衣≫帛一条
  華厳經疏一部[本末廿四巻 慧苑師] 帙二枚[雑綵]
  法花疏一部[十巻基法師] 帙一枚[受使沙弥戒兄]
  最勝王經疏一部[慧照師 六巻] 帙一枚[雑綵]
  薫香四〓≪人偏+戓の口が巾≫[一衣香一霍香 一甘松香]
  [「*堂」]厨子二基[並 各高二尺 長二尺五寸 廣一尺三寸]
          表畫山水鳥獣等 作以金銅辟金釘 各着鉄
          裏丹畫菩薩并花等 在紫褥二枚
        〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表錦 裏紫纈] 榻一前[敷紫褥]
      檀像観音菩薩一躯[金蓮花坐 基紫檀 臺上在礒]
  [「*堂」]水精塔二基[各餝金雑玉等 基黑柿 臺上在沈磯]
  [「*堂」]厨子一基[ 高二尺三寸 長二尺三寸 廣一尺三寸]
          表畫山水着金銅辟金釘等 裏胡粉在願文
          扇畫帝釈二像、 在錦褥
       〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[表紫地錦 裏緋臈纈]、榻一前[ 在紫褥]
    琥碧念珠一貫[水精即]、納草箱一合[小]樸子二條[表合纈 裏淺緑]
    錫杖一柄[白銅長五尺二寸五分]、在錦褥
  机一前[] 褥一枚[表錦 裏淺緑纈]
    覆一條[合纈 長八尺六寸「*二副」] 
    牙水角一口[ゝ径三寸五分 長一尺六寸] 納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[紫繍組緒]
     [「別筆」「以寶亀九年十二月四日、依法花寺上座宣、稲人内親王官奉入、」
    畫木箱一合[表紫檀裏白檀 高五寸八分 廣長各五寸]
     納〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[繍]
    願文一巻  納草箱一合  僕(?)子一條[表緑裏浅緑合纈]
    香水器二具[] 納布〓≪人偏+戓の口が巾≫二合[「*居白木榻兄二前]
    楊花箱〓≪よんじゅう≫口[ 欠二口] 
    韓櫃一合[長三尺一寸形釘在鉄 廣二尺五分 深一尺三寸五分 着金銅花]
     覆一枚[紫綾]    居白木榻
    出墻二條[交副赤黒紫合纈 裏浅緑 長二丈九尺五寸 高七尺]
     白木柱八枝之中[柱弐枝 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫四條[各二副長各二丈 以景雲三年八月六日受使帳内多枝国兄相知愧連師]
    緑〓≪あしぎぬ≫端七條之中[六条各三丈 一條一丈]
    縹綱端七條[六條長各三丈 【一條一丈】 「*各長三丈」]
    縹綱六條[二各長六丈 四各長四丈]  帛<「*佐」>衾十六領
    敷布卅條[「*見廿<条」]   布枚綱六條[各長一丈二尺ヽ在見二条 四条欠物]
      右、以時ヽ従家奉納、
(後略)

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち678頁~681頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「阿彌陀悔過料資材帳」(『東大寺文書』號外)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)8月30日

記事

  失物
    水精念珠一貫[以天平十七年三月所盗申送沙弥道隆]
    横笛一管[大唐]  納紫〓≪人偏+戓の口が巾≫一口[以天平十八年七月廿八日所盗]
    合笙一管[班竹長一尺七寸]
     納沙合纈〓≪人偏+戓の口が巾≫一合[長四尺 以寶亀四年所盗]
    机一前[]  褥一枚[表錦 裏浅緑纈]以天平十七年三月廿三日所盗
    褥一枚[表白綾 裏淺纈] 古破
    香印坐花二〓≪手偏+求≫  黒柿櫃一合
    布枚綱四條    以上四種時ヽ所矢
    堂幡一首     小幡一首[以上二種天平寶字六年三月 為用様奉入家之]
      右悔過料資材見物、并所矢状、注顕如件、
            神護景雲元年八月卅日別當僧 聞崇
               事知大法師 平瑩

出典

『大日本古文書』5(671頁~683頁のうち683頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「奉寫一切經料紙墨納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年(西暦770年)5月12日

記事

 十三日納須岐染紙二万帳(張)「*以七月九日返上紙八千張[使上馬養 物部太能」]
    納韓櫃四合[二合塗 二合白木之中一合着鎖子]
    布綱十條[長四条 短六条] 莒形四具
     右自同司所請如件  使[上馬養 甚目真長]
少鎮修学進守大法師 實 忠  大判官美努宿祢 奥 麿
                 散位上 馬 養

出典

『大日本古文書』6(2~6頁の内3頁)(『正倉院文書』續修後集18)

「奉寫一切經料紙墨納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年(西暦770年)5月12日

記事

 十四日納黄紙陸万玖仟陸佰貳拾伍張[納辛十六合] [「(別筆)以二年十二月十四日返上一合」白木十二合 塗四合]
    軸肆仟伍佰肆拾參枝    布綱拾參條[「(別筆)二年十二月十四日返上了」]
      一千五百〓≪よんじゅう≫三枝塗胡粉[納白木辛櫃一合]
      一千伍五百枝塗丹  一千五百枝塗白縁
   右自一切経司所請如件  使案主上 馬 養
少鎮大法師 實 忠        案主上 馬 養  味酒廣成
               別當大判官美努連
                  法師

出典

『大日本古文書』6(2頁~6頁の内5頁)(『正倉院文書』續修後集18)

「物部道成請暇解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜2年(西暦771年)閏3月6日

記事

物部道成解  申請暇事
合參箇日
  右、為奉知識悔過、請如件之、仍注状、以解、
             寳龜二年潤三月六日
「(別筆)謹獻
  履一兩
   【右】        寳龜二年七月三日上」

出典

『大日本古文書』6(161頁~162頁)(『正倉院文書』續々修39帙2)

「奉寫一切經所紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)1月21日

記事

 (題籤表)自政所□    (同裏)寳龜三年
       納帳
(紙端)
寳龜三年正月
   廿一日請黄紙伍萬貳仟玖伯伍拾張[三万二百張打継 二万二千七百五十張荒]
    納辛櫃壹拾合[六合塗 四合白木]
     右奉寫四部一切經料且請納如件
                 案主上 馬 養
              大判官義努連

出典

『大日本古文書』6(249頁~250頁のうち249頁)(『正倉院文書』大學本5)

「奉寫一切經所紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)1月21日

記事

(紙端)
    納白木辛櫃陸合
                 案主上 馬 養
                主典葛井連
  三月
   廿一日収納黄紙貳萬伍仟肆拾伍張
     納辛櫃七合[二合 五合白木]
  右奉寫一切経五部之願文料自先奉寫一切経司請来如件
                 案主上 馬 養
                主典葛井連
(紙端)

出典

『大日本古文書』6(251頁)(『正倉院文書』正集44裏書)

「奉寫一切經所請用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(紙端)
  四匹五丈三尺二寸端〓≪よんじゅう≫三條積
   三丈七尺三寸調〓≪あしぎぬ≫廿四條積[長八尺以下四寸以上]
   四匹一丈五尺九寸東〓≪あしぎぬ≫端十九條積[長四尺以下一尺以上]
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五〓≪暇の旁≫
商布廿〓≪暇の旁≫          黄紙卅万四千二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚緑青地 八百二枚白緑地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地]
   [六百七十七枚丹地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三兩一分[太]
木綿二斤          調布單衣二領
同布袴三腰         温帳四條
布綱〓≪よんじゅう≫四條         熟麻一斤
鍬一十四口         米一十四石[白七石 黒七石]
醤三斛二斗七升[悪]     酢四斛一斗二升[交糟]
滑海藻七百十四斤      大豆四斛七斗
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[廿八<〓≪よんじゅう≫五>合塗 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
折櫃一百十七合       長折櫃廿六口
大笥八十八口        小明櫃〓≪よんじゅう≫一合
水麻笥廿四口[九口太 十五口小] 枚麻笥八口[一口破]
(中略)
  右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如前、
           寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
(紙端)

出典

『大日本古文書』6(252頁~254頁)(『正倉院文書』史館本6)

「奉寫一切經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)8月11日

記事

「*自本司元来錢十四貫二百十六文」
奉寫一切経所解 申請用雜物等事
合新錢貳拾壹貫漆伯拾伍文[雜物賣直]
   一十三貫〓≪あしぎぬ≫十五匹直[十匹別九百文 五匹別八百文]
   五貫八百文庸并黒綿一百屯直[屯別五十八文]
   一貫九百十五文庸布十〓≪暇の旁≫直[七〓≪暇の旁≫別二百文 一〓≪暇の旁≫百七十五文 二〓≪暇の旁≫別一百七十文]
   一貫文商布八〓≪暇の旁≫直[〓≪暇の旁≫別一百廿五文]
  用盡[人々月借料]
「*合」〓≪あしぎぬ≫六匹端廿四條[長八尺已下五寸已上]
   用六匹八尺
    六匹賣料    八尺篩料
   殘端廿三條
「*合」東〓≪あしぎぬ≫九匹端十六條[長四丈已下三丈三尺已上]
   用九匹三丈四尺
    九匹賣料
    三丈四尺校生一人浄衣料
     二丈二尺汗〓≪衣偏+久≫一領料 一丈二尺褌一腰料
   殘端十四條
「*合」庸并黒綿二百五十八屯[【欠一屯】]
   用一百屯[賣料]
   殘一百五十八屯
「*合」紺布端一條[長二丈五尺代有調布二丈五尺]
「*合」調布三端[殘]
「*合」又同布端四條[別長二丈殘]
(中略)
「*合」商布廿〓≪暇の旁≫
   用十〓≪暇の旁≫[賣料]
   殘十〓≪暇の旁≫
「*合」又同布端一條[殘 長一丈]
「*合」黄紙卅七万五千八百卅一張
   廿七万五千九百五十一張請経所[用且]
   九万九千八百八十張収正倉
「*合」軸二万三千二百九十九枚
    六千二百五十九枚請経所[用且]
    一万七千〓≪よんじゅう≫枚収正倉
「*合」墨五百九十二廷
   用一百廿七廷
   殘四百六十五廷
「*合」膠三斤三兩一分[太] 「(別筆)奉 寫」
   用一斤[依政所判充四王彩色所]
   殘二斤三兩一分[太]
「*合」木綿二斤
   用盡[奉帙経料]
(中略)
「*問」小豆二石六斗四合
   二石見小豆収〓≪厨の寸がりっとう≫(「*即充≪厨の寸がりっとう≫」) 六斗四合黒米六斗四合之代[請経所]
「*合」辛櫃一百六合[〓≪よんじゅう≫五合塗 六十一合白木]
   八十四合請経所     廿二合収正倉
「*合」折櫃一百十七合
   十合請経所       一百七合収正倉
「*合」長折櫃廿六合
   廿口請経所       六口<*「収」>正倉
「*合」大笥≪よんじゅう≫六合
   廿合請経所       廿六合収正倉
「*合」小明櫃≪よんじゅう≫一合
   十合請経所       卅一合収正倉
「*合」水麻笥廿五口
   十口請経所       十五口収正倉
「*合」枚麻笥八口[一口破請経所]
(後略)

出典

『大日本古文書』6(379頁~389頁の内379頁~386頁)(『正倉院文書』續修別集12)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)12月30日

記事

(前略)
  錦二丈八尺
  頭料錦卅二条[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  縁料錦二条[長各五尺九寸]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺七<「*五」>寸 廣各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺二寸]
  緋糸五兩
   用盡[丸組九丈三尺料]
  生糸六兩[已上七種去月殘 縫帙料]
  捺揩綿衣一兩[充経師一人浄衣料 請月中]
  袴十腰[月中請]
   一腰帛【合】綿袴   九腰緑合<「*袷」>袴
   用盡[充経師十人浄衣袴料]
  白橡〓≪あしぎぬ≫四匹三丈
   用盡[綿袴縫十一腰料即充経師十一人袴料]
(中略)
  庸并黒綿二百五十八屯
   用六十一屯
    経師装〓≪さんずい+黄≫校生領等六十一人綿袴六十一腰料[腰別一屯]
   殘一百九十七屯
  紺布端一條[長二丈五尺 代在調布二丈五尺]
  調布三端
(中略)
  黄紙卅七万五千八百卅一張
    廿<「*卅」>【七】万九<「*二」>千九「<*八」>百五十一張請経所[且用]
    九<「*七」>万九<「*二」>千八<「*九」>百八十張殘正倉
     右自〓≪あしぎぬ≫迄于黄紙十種自先奉寫一切経司請来
  〓≪糸偏+竒≫五百六十八丈五尺[【不動】]
    三百九十六丈五尺去月殘  一百七十二丈買月中
   用三百丈          殘二百六十八丈五尺
  丸組〓≪よんじゅう≫六丈[緋]
    卅六丈七尺去月殘     九丈三尺組月中
  帙一千四百九十三枚[去月殘]
    九百七十枚縫畢<「*三百三枚未縫」>  二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
  白木籤二千六百九十二枚[去月殘 不動]
(中略)
  墨五百九十二廷
   用一百七十七廷       殘四百十五廷
  膠三斤三両一分[太]
   用一斤[依政所料充四王彩色所]
   殘二斤三両一分
(中略)
  辛櫃一百六合
    〓≪よんじゅう≫五合塗        六十一合白木
    八十四合請経所      廿二合収正倉
  折櫃一百十七合
    十合請経所        一百七合収
(後略)

出典

『大日本古文書』6(446頁~463頁の内448頁~457頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「倉代四端雜物下用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)1月7日

記事

 (題籤表)倉代西端     (同裏)寳龜四年
(紙端)
倉代西端     寳龜四年
正月
七日下緋端疊參拾枚 「(別筆)以同月廿一日返上」
  右為用吉祥悔過所借下付別當僧徳意
     僧 恵 〓≪王偏+揺の旁≫      史生小治田年足 倉人志斐枚万呂
廿八日下緋端疊拾枚 〓≪あしぎぬ≫紺帳伍條[別五副 緋裏]
       「(別筆)四月廿一日返上了」
  右件二種物為用上十一面悔過衆僧座料下充付法師實忠[見使参林師]
可信  本三綱 恵 〓≪王偏+揺の旁≫ 目代僧    [造寺史生大和虫麻呂 倉人志斐枚万呂]
二月二日下疊壹伯枚[緋端五十枚 大仏殿下充[付徳懿師 奉願師] 臈纈五十枚 歩廊下充[付鳥取国万呂 又同石狩]]
  紺帳<布袷>伍條[別四副 付鳥取国麻呂同石狩] [「(別筆)以四月廿七日且返〓≪よんじゅう≫九枚 未返一枚可進石狩」]
   右物者且三綱見度如件但未勘損破
寺主 玄 愷
可信 璟 〓≪りっしんべん+豈≫      造寺司
本三綱恵〓≪金偏+固≫       大判官美努連 奥 麻 呂
             主典葛井連 荒 海
             史生土師諸土 倉人志斐枚万呂
(紙端)
(後略) 

出典

『大日本古文書』6(465頁~468頁の内466頁~468頁)(『正倉院文書』續修後集49)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)3月30日

記事

奉寫一切経所解 申三月朔告事
合奉寫一切経伯拾<「*卅二」>卷
   三千七百廿三卷先奉寫一切司
   四千【三百八十七】<「*九」>卷奉寫寺家[自去年二月十五日 迄于今年三月卅日]
(中略)
  錦貳丈捌尺縁料錦二條[長各五尺九寸 廣各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  裏料纈四條[長各一尺九寸 廣各一尺五【分】寸]
  糸六両
   用三両[帙着一百九十二枚表帶料]
   殘三両[已上縫帙料]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸偏+ム+貝≫〓≪あしぎぬ≫ 四條東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯[殘]
  紺布端一條[長各二丈五尺 代在調布之中]
  細布衾五領[月中請]
   用盡[経(師脱カ)四人校生一人并五人料]
  調布一端一丈二尺[殘]
  同布端四尺[殘]
  庸布十段一丈二尺[殘]
  商布十段一丈八尺[殘]
  庸布端廿八條[殘]
  黄紙一十二万八千七十張
    五万九十張
     二万五千〓≪よんじゅう≫五張[去二月十三日請]
     二万五千〓≪よんじゅう≫五張[月中請]
      右奉寫十部一切經願文料自先奉寫一切經司請来
    七万二千九百八十張[自正倉請月中]
  納辛櫃廿六合
    十三合自先奉寫一切経司請[二合塗 十一合白木]
    十三合自正倉請[並白木]
  凡紙五百張
    三百五十張去二月十三日請
    一百五十張請月中
   用盡
    経紙二万張端継料
  〓≪糸偏+竒≫三百〓≪よんじゅう≫五丈五尺[殘]
    一百八丈五尺去月殘
    二百卅七丈買月中
  緋丸組〓≪よんじゅう≫六丈[去月殘]
(中略)
  白木籤二千六百九十二枚[去月殘]
  雜色軸一万七千〓≪よんじゅう≫枝[自正倉請月中]
  納白木辛櫃六合
  墨三百七十七廷
   用【盡】廿三廷
   殘三百五十四廷
「*問」菟毛筆〓≪よんじゅう≫管        【廿八管】
    廿八管去月殘
    十二管請月中
   用盡奉寫二部一切経料
  膠二斤三両一分[去月殘]
  布綱〓≪よんじゅう≫<四>條[去月殘]
  鍬十四口[去月殘]
  米五斗[去月殘 「*可進納味酒廣成」]
(中略)
  葛野蓆三枚
  葉薦八枚[已上二種用盡経師等宿所料]
  竹十株
   用盡[奉着二部一切経標紙料]
  釘一百七十四隻[五十隻長各<五>寸 一百廿四隻長各四寸]
  〓≪竹冠+青≫子廿七村        〓≪木偏+若≫〓≪よんじゅう≫荷
  針繩卅五了        榲榑五<十>村
  歩板二枚         藁七十圍
  黒葛一了         瓦四百七十枚[四百廿枚筒瓦 五十枚々瓦]
    已上九種用盡廁一宇作料
(後略)

出典

『大日本古文書』6(498頁~508頁の内498頁~506頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

   大方等大集經六帙[六十巻白色及〓≪衣偏+票≫綺緒紫檀軸竹帙秘錦縁紫裏
             唐【紙】短麻紙  今用紙一千一百八十七]
  [(異筆以下同ジ)「合」]大品般若經〓≪よんじゅう≫帙[〓≪よんじゅう≫巻白色及〓≪よんじゅう≫綺緒紫檀軸竹帙【秘】錦縁紫裏
              唐長紙     今用紙六百〓≪よんじゅう≫]
  [「合」]大威徳經二帙[廿巻黄色及〓≪衣偏+票≫綺緒紫檀軸竹帙【秘】紫縁錦裏
              朽布紙     用紙二百七十八張]
  [「合」]大法矩陀羅(尼脱カ)經二帙[廿巻黄色及〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫錦裏
              朽布紙     用紙三百十二張]
  [「合」]見實三昧經一帙[十四巻紫檀軸綺羅〓≪衣偏+票≫竹帙錦裏紫縁
              呉桃紙     用紙二百六十]
  [「合」]賢刧經一帙[十三巻羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
              呉桃紙     用紙一百九十二]
  [「合」]悲華經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
             呉桃紙         用紙一百九十五]
  [「合」]菩薩瓔珞經二帙[十六巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙【紫】錦縁【錦】紫裏
             呉桃紙         用紙三百〓≪よんじゅう≫]
  [「合」]解深蜜經五巻[朽布黄色及〓≪衣偏+票≫紫檀軸綺竹帙紫縁錦裏
             紙           用紙七十三<今六十一>張]
  [「合」]大灌頂經一帙[十二巻白色及〓≪衣偏+票≫紫檀軸綺竹帙紫錦裏
             【朽布紙】         用紙一百十五]
  [「合」]薩遮尼乾子經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦裏紫縁
             呉桃紙         用紙一百五十]
  [「合」]十住断結經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫【縁】裏【錦】紫縁
             呉桃          用紙二百五十五]
  [「合」]入楞伽經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
             呉桃          用紙一百七十一]
  [「合」]華手經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺緒〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦裏紫縁
             呉桃紙         用紙二百〓≪よんじゅう≫五]
  [「合」]大菩薩藏經二帙[廿巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
               呉桃         用紙四百卅五]
  [「合」]大方廣佛花嚴經八十巻[呉桃紙紫〓≪衣偏+票≫<羅>綺〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦縁紫裏
                           千五百卅]
  [「合」]大般涅槃經四帙[〓≪よんじゅう≫二巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙【秘】錦縁紫裏
               呉桃染紙       用紙七百十五]
       正法華經一部[十巻黄紙黄〓≪衣偏+票≫赤木軸綺帯
              納進     大進   用紙一百九十二]
         法華疏四巻[色黄同〓≪衣偏+票≫軸綺帯   用紙一百卅五]
         維摩經疏三巻[色黄同〓≪衣偏+票≫軸綺帯  用紙八十五張]
         弁中辨論三巻[黄紙黄〓≪衣偏+票≫朱頂軸 
                綺帯内進五年四月七日 用紙〓≪よんじゅう≫張]
         又弁中論三巻[呉桃染紙      用〓≪よんじゅう≫一張]
  [「合」]大【方】乗【廣】十輪經十巻[胡桃紙紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
                             用紙百八十]
       楞伽經四巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫            用紙九十四]
         [心經抄一巻 黄紙朱頂軸綺帯 五年八月廿八内進 用廿
          七巻章
          仏名經一巻 用紙八張 七倶胝仏母心經一巻 紙四
                     八名經一巻 紙二
          六時行道一巻 紙卅  八月内進大進]
  以前經部巻數、專所 御願訖、[廐坂寺僧四百口
                 講説 斎會]

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内6頁~8頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

   大乗十一面經一巻            用十五
     无垢稱經六巻[滅紅紙     内進] 用九十一
     七倶胝仏母心經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯軸]用四
     八名普蜜陀羅尼經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯軸]用二
     仏名經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯軸]    用七
      梵網經二巻[胡桃紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸] 用〓≪よんじゅう≫張
     仁王經二巻梵網經二巻无垢稱經六巻[已上十巻複為一巻白〓≪衣偏+票≫綺帯〓≪さんずい+冗≫軸
                      唐麻紙寫注廿八張]

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内19頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

二月卅日、内堂進納、
(前略)
    七年三月寫宮經四部
     海龍王經四巻[唐色紙及〓≪衣偏+票≫紫綺水清<赤檀>(精)軸]    用九十四
     最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百六十八
     金光明經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百卅一
     千手千眼經七巻[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺【赤】水清(精)軸]   用 [一巻百]
       右件經、大宮寫貢、四月大進
[宮院]最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫〓≪さんずい+冗≫水軸紫綺帯 右宮院御]    用一百七十
[内親王御]最勝王經一部[紅紙及〓≪衣偏+票≫班(斑)綺赤木軸]       用百七十
[后御]唯識論十巻[胡桃紙及〓≪衣偏+票≫赤木軸紫綺帯]           用百九十六
       [右件御所]
     大灌頂經十二巻[穀紙及〓≪衣偏+票≫朱軸 右件眞咋寫<未>給]    用一百廿七
     法花經疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫軸緑綺]             用
     【[又法華疏十巻 〔比佐木紙〕]】
  疏廿巻尼等房進 七月十四日付大伴部勇人[大進用万赤呂]
   又廿巻 右安宿家佐弥等所給
    【法華疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫緑綺]】
    御法花疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯赤木軸(八年正月十五日内進)]
    无垢稱經疏六巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫緑綺軸 未進
            天平九年十月卅日内進納 大属大藏赤万呂]   用二百九十八
    疏抄一巻[白紙]                       用十七
    圓弘章四巻[縹紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]               用百〓≪よんじゅう≫
     右件書、【王御】沙弥御進、六月八日大進
    法花疏十巻[黄麻紙及〓≪衣偏+票≫綺<帯>赤木軸]            用五百〓≪よんじゅう≫一
     右書<為>、宮院御進、六月六日大進
    [千手千眼經一巻]
    因明論六巻[三黄 三白]【疏】    
    因明論疏三巻[白紙及〓≪衣偏+票≫緑綺]          用一百卅五
    彌勒疏二巻[白紙]               用〓≪よんじゅう≫ゝ
    維摩宗要一巻[白紙]              用七
    五薀論一巻[黄紙]               用十五
     右書、安宿宅佐弥等寫給、
   法華疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯赤木軸 用]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内21頁~22頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丁櫃
  金光明經一部八巻[白麻紙 〓≪衣偏+票≫表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部八巻[黄紙橡表 綺緒 紫檀軸 印 无帙]
   又一部四巻[黄紙橡表 綺緒 軸]
   又一部四巻[黄紙及表 印 无緒軸]
  華嚴經一部八十巻[欠第七帙 黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹綵帙 錦裏 錦綾裏 印]
   大乗十輪經一部十巻[黄紙及綺緒 白檀軸 竹帙綵 綾裏 印]
   佛名經一部十三巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁 緋綾裏 印]
   維摩詰經一部三巻[黄紙 紫表 綺緒 花軸 金字題 印]
    又一部三巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印 无帙]
    又一部三巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 軸]
  維摩詰經一部十巻[欠第六巻 橡麻紙及表 紫綾緒 朱頂軸 竹帙 錦縁 綾裏 印]
  虚空孕菩薩經一部二巻[一巻无軸 黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  摩登伽經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  思益經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   又一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  虚空藏經八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  僧伽咤經一部四巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  禪秘要經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  摩訶般若波羅蜜呪一部二巻[欠一巻 白紙橡表 綺緒 軸 印]
  孔雀王經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  佛頂尊勝陀羅尼經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 馬脳軸 金泥字 印]
   又三巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  理趣經一巻[白麻紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
  金剛般若經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  金剛般若注序一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  文殊般若一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  藥師經一巻[色紙黄表 綺緒 軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
   又一巻[上同但无軸印]
   又三巻[上同但朱軸印]
  子注多心經一巻[上同]
  心經十四巻[色紙及表 綺緒 十巻朱頂軸 一巻朱軸 一巻白檀軸 二巻軸 皆印]
  大方等如來藏經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  温室經一巻[白麻紙 黄表 綺緒 玉軸 印]
  十一面經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
  仏名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  光讃般若經十五巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印 无帙]
  弥勒上生經一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  无畏徳女經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  随願往生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  疾病經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  千手千眼經〓≪よんじゅう≫九巻[黄紙及表 綺緒 軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  遺敎敎一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  觀世音經十一巻[黄紙及表 綺緒 軸 印]
  寶結菩薩經二巻[黄紙及表 緋緒 朱頂軸 印 上下]
  梵網經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  般若波羅蜜多大心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   丁香一袋 生木香一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内200頁~203頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 戊櫃
   法華經一部八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙綵 錦縁 緋綾裏 印]
    又二部十六巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏]
    又三部廿四巻[白紙 黄表 緑綺緒 朱軸]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 軸 竹帙 錦縁 緋裏]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 黑柿花軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    正法華經一部十巻[黄紙及表 綺緒赤木軸]
   最勝王經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 穀皮紙帙]
   仁王經一部二巻[上下黄紙及表 綺緒 朱軸]
   金剛般若經五十四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又五巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 軸]
    又一巻[黄紙 橡表 紫緒 花軸]
    又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
    又一巻[白紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
    又二巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 一巻 印]
   觀佛三昧經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   大灌頂經一部十二巻[欠八巻 黄紙 橡表 紫綺緒 朱軸]
    又一巻[〓≪衣偏+票≫紙及表 綺緒 白檀軸 金泥字]
    又三巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   灌頂經一部十二巻[欠第五七八九十十二 黄紙及表 綺緒 軸]
    又五巻[並第九巻 黄紙及表 綺緒軸]
    又三巻[第五七八 黄紙及表 綺緒 軸]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 軸 印]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
   藥師經卅七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又六十九巻[黄紙及表 綺緒 軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 朱軸 印]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸]
    又一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   新藥師經二部四巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
    又三部六巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 馬脳軸]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内204頁~207頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

 

「經巻納■帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

(前略)
己■
(中略)
十一面神呪心經二巻[黄紙及表 緑綺緒朱軸]
又一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
又一巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
高王觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
千手千眼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 花軸]
又二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
无垢稱經一部六巻[欠第一巻 呉桃紙 橡表 紫綺緒 赤木軸]
海龍王經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
維摩詰經一部三巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
大通方廣經三部九巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
无量義經一部二巻[黄紙及表 緑綺緒 黑柿軸]
理趣經一巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
弥勒經六部十八巻[黄紙及表 綺緒 軸]
弥勒成佛經一巻[白紙黄表 綺緒 軸]
又二巻[黄紙及表 綺緒 軸]
又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内208頁~209頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納■帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

(前略)
己■
(中略)
弥勒下生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
弥勒上生經三巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
又一巻[白紙黄表 綺緒 軸]
又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
又弥勒成佛經二巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
又弥勒下生經六巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
弥勒菩薩所問本願經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
最无比經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
右繞佛塔經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
摩訶摩耶經一巻[色紙及表 紫綺緒 赤木軸]
灌佛經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
甚希有經一巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 紫檀軸]
造立形像福報經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
浄飯王般若經一巻[呉桃紙及表 綺緒 紫檀軸]
天請問經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
四天王經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内209頁~210頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納■帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

(前略)
己■
(中略)
随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
金光明經并喩伽論抄一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
呪■經一巻[白紙 黄表 綺緒 花軸]
无常經一巻[縹紙 紺表 紫檀軸 金泥字]
雜呪一巻[黄紙 緑羅表 紫緒 紫檀軸]
神符經一巻[縹紙 紫表 綺緒 朱軸 金銀交字]
出家功徳經一巻[縹紙 紫檀軸 金字]
觀藥王上佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
地藏菩薩經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
十无盡戒經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
七倶胝母佛心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
六門陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内211頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
  能断般若經百巻[黄紙及表 緑綺緒 〓≪木偏+聖≫軸]
  不空羂索經九巻[呉桃紙及表 紫綺緒 朱頂軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
   又一巻[白麻紙及表 緑綺緒 軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩陀羅尼經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  觀世音經百廿二巻[黄紙及表 綺緒 軸]
   又廿一巻[白紙及表 綺緒 軸]
   又一巻[呉桃紙 紫羅表 紫綺緒 〓≪さんずい+冗≫水軸]
   又一巻[赤紙呉桃紙表 綺緒 花軸 銀泥字]
   又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
   又一巻[橡〓≪あしぎぬ≫ 紫羅表 綺緒 軸]
   又一巻[白麻紙 黄表 綺緒 軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩受記經一巻[白麻紙 橡表 綺緒 紫檀軸]
  請觀世音經二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  十一面神呪心經二巻[黄紙及表 緑綺緒朱軸]
   又一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  高王觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  千手千眼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 花軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  无垢稱經一部六巻[欠第一巻 呉桃紙 橡表 紫綺緒 赤木軸]
  海龍王經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  維摩詰經一部三巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  大通方廣經三部九巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  无量義經一部二巻[黄紙及表 緑綺緒 黑柿軸]
  理趣經一巻[黄紙及表 緑綺緒 軸]
  弥勒經六部十八巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  弥勒成佛經一巻[白紙黄表 綺緒 軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒下生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒上生經三巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   又一巻[白紙黄表 綺緒 軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  又弥勒成佛經二巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  又弥勒下生經六巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  弥勒菩薩所問本願經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  最无比經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  右繞佛塔經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  摩訶摩耶經一巻[色紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  灌佛經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  甚希有經一巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 紫檀軸]
  造立形像福報經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  浄飯王般若經一巻[呉桃紙及表 綺緒 紫檀軸]
  天請問經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  四天王經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  金光明經并喩伽論抄一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  呪〓≪女偏+屓≫經一巻[白紙 黄表 綺緒 花軸]
  无常經一巻[縹紙 紺表 紫檀軸 金泥字]
  雜呪一巻[黄紙 緑羅表 紫緒 紫檀軸]
  神符經一巻[縹紙 紫表 綺緒 朱軸 金銀交字]
  出家功徳經一巻[縹紙 紫檀軸 金字]
  觀藥王上佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  地藏菩薩經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  十无盡戒經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  七倶胝母佛心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  六門陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 軸]
  度世經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸頂]
  護諸童子經六巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  八名普蜜陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  金光明懺悔品一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  心經廿七巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又五巻[黄紙及表 綺緒 軸]
   又四巻[色紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又二巻[白麻紙及表 綺緒 軸]
   又一巻[色紙及表 綺緒 朱軸]
  壽延經八十七巻[白麻紙及表 緑綺緒 朱軸]
   丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内207頁~212頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 庚櫃
   喩伽論百巻[黄紙及表 紫綺緒 朱軸 竹帙 紫綾縁 緋裏 緑拾組帯]
   大智度論百巻[黄紙及表 緋緒 朱頂軸 錦縁]
   唯識論十巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁]
   唯識述義二巻[白紙及表 无緒軸]
   大般涅槃經疏二巻[白紙及表 无緒軸]
    又十五巻[白紙 黄表 緑綺緒 軸]
   成唯識論疏十三巻[白紙及表 无緒軸]
   願文一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
   又雜願文一巻[白紙及表 无軸緒]
   二諦義一巻[白紙]
   供養文一巻[白紙]
   佛印一巻[白紙黄表 綺緒 赤木軸 印]
   維摩經一巻[黄紙及表 无軸緒]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内212頁~213頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

辛櫃
  喩伽論百巻[黄紙及表 

綺緒 朱軸 竹帙 緋縁 緋裏 緋帯]
  廣百論十巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  佛地論七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹綵帙 錦縁 緋裏]
  成唯識論七巻[白紙 无緒軸]
  金剛般若論四巻[白紙 无緒軸]
  大乗起信論一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
  大乗五薀論一巻[白紙及表 竹軸]
  一切經音義十一巻[白紙及表 无緒軸]
   又十二巻[六黄紙及表 六白紙及表]
  -五明論一巻[白紙及表 朱頂軸]
  -法華玄讃四巻[白紙及表 无緒軸]
  解讃阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 金泥軸 印]
  彌勒成佛下生論疏一巻[白紙及表  軸]
  羯磨文一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  大般涅槃經疏一巻[白紙及表 无軸緒 印]
   丁香一袋 草香一袋 青木一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内214頁~215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 壬櫃
   随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   多心經七十巻[黄紙及表 綺緒 六十三巻軸 七巻朱軸]
   大雲經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   大吉義呪經四巻[白紙及表并无軸緒 印]
   法華經卅(巻)[黄紙及表 朱頂軸 班綵帙 緋綾裏]
   海龍王經四巻[黄紙及表 赤木軸 无緒]
    丁香三袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「寫經所大般若經檢納啓」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)4月30日

記事

寫經所啓
  奉請大般若經五十六帙[无四帙 第〓≪よんじゅう≫帙欠三巻]受泥辛櫃二合[白布綱四條]
   右、縁奉請數、検納如件、以啓、
        天平十一年四月卅日五百井「(自署)小宗」

出典

『大日本古文書』7(255頁)(『正倉院文書』續々修4帙20)

「寫經司解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)4月

記事

寫經司解 申奉請法華經所請用物事
惣所請物貳拾種
  紙壹萬仟肆伯貳張
   一万六千一百(張)白紙
   一百【七十】六十六張紫紙
   四百張 黄麻紙
   五百卅六張調紙
  筆<貳伯>壹拾箇
  墨陸拾玖廷
  金泥捌兩壹分
  銭陸貫
  朱頂軸捌伯枝
(中略)
  黄蘗壹伯陸拾捌斤[大]
  炭伍斛伍豆
(中略)
  机玖拾壹前
    四前
    八十七前白木
[用物 請紙壹萬仟伯陸張]
寫法華經壹伯部[八百巻]
   九十九部白紙
   一部紫紙
[紙壹萬]
  用紙壹萬伍仟玖伯陸拾張
   一万五千七百九十六張白紙
   一百六十四張紫紙
  破并空紙貳伯陸拾陸張
   二百六十四張白紙
   二張紫紙
(中略)
  請筆壹拾箇
  合用筆壹伯拾箇
   一百箇五十部別二箇[料充一部]
   五十箇五十部別一箇[料充一部]
   廿箇鹿毛[書堺料]
   墨陸拾玖廷
   用墨陸拾肆廷
  朱頂軸捌伯枝[即用]
(中略)
   残物[黄蘗壹伯陸拾捌斤 大 紙壹萬伍仟伯玖拾陸張 〔以大一斤染 紙九十六張〕]
   紙肆拾張[白紙 炭伍斛伍豆燥紙壹萬伍仟七百九十六張 以炭一斗燥紙二百八十七張]
    金泥壹兩壹分 薪壹拾束[黄蘗煮料]
    【銭】筆肆拾箇
    墨伍廷
(中略)
   机玖拾壹前
    四前
    八十七前白木
  以前、所請調度并用遺物等、具状如件、以解、
             天平十一年四月 史生大初位下高屋連
                      大初位上小野朝臣
                      舎人

出典

『大日本古文書』7(255頁~262頁(『正倉院文書』續々修17帙3)

「律論疏集傳等本收納并返送帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)5月1日~天平17年4月5日

記事

(前略)
天平十六年
(中略)
五月
  十日納花嚴經疏一部廿卷[並白紙皆无軸緒表紙但一卷軸納明櫃一合 法藏師選者]
    右從信樂宮給出使舎人茨田久治万呂 受酒主
  廿七日納摩訶衍起信論別記一卷[白紙无軸已草也 以十六年七月十一日依長官宮宣借令請善 攝師所知人成同月十二日返已訖知人成 元曉師選者 以十六年八月四日還送受使御弟子善戒師〔使人成 判進膳 令史〕]
    右依 令旨從審祥大徳所請來 使安寛師 受酒主 令史
六月[訓]
  <反慈師所>十一日納花嚴經疏二卷[第八第十並元曉師撰者]又第一[此別帙内者 白紙无軸緒]
   右從平攝師御所 受酒主
  <反>同日吼(孔)目四卷[第一二三四並眞聖師選者 以十六年八月廿五日返送平攝師所〔受慈訓師 使人成〕]
    右慈訓師御書從平攝師御手受酒主
  同日納金剛三昧經一卷[黄麻紙并表朽<木>軸无緒 以十六年六月廿三日借請平攝師受敎演沙弥 判長官宮 知酒主]
    右從慈訓師所返請 受酒主[但未知其來由并本主]
  <反>卅日納金剛三昧經論一卷[中 白紙草也无緒軸 納函一合]又千奉請二卷[上下]受人成
   以八月十一日依長官宮宣[本所返 ■■]送書四卷[■新寫二卷 本二卷並上中]知人成
    右慈訓師御書 受酒主
   又以九月九日返送下卷[右依長官宣慈訓師所送件書如前 使人成 上中下本所送已訖]
七月
  <反來>十二日納盂蘭盆經四卷[二卷宮一切經内黄麻紙及表紫檀軸斑綺緒 一巻山階寺黄紙及表斑綺緒紙木會(繪カ)軸]
   [一卷【黄】紙黄表軸綺辛國堂 納黑〓≪木偏+本≫(柿カ)櫃一合象牙足 着金塗釘]
    右進借甲加宮 茨田少進宣 使上丁宇万呂
               判 進膳令史
  十六返送盂蘭盆經四卷[不來■納黑〓≪木偏+本≫櫃一合 右依先奉請收納如件]使宇万呂 受人成
  廿二日納起信論二卷[上下]白紙薄墨斑表紙梨軸[元緒]<十七年>八月廿三日奉返受專宮進酒主
    右長官(市原王)宮御書 受酒主
  廿九日納花嚴疏第一卷[法藏師撰 濫色表紙白紙軸青綺緒]
    右慈訓師御書 受酒主
八月
  十日納十一面神咒心經義疏一卷[白紙及表軸无綺緒 並合寫一卷 以十六年八月廿九日付【平攝師】(高向太万呂) 進納甲加宮 人成]
    右從信樂宮給出使阿刀酒主 受人成 判進膳令史
  廿三日納辨中邊論一部[三卷]
    右從装〓≪さんずい+黄≫等御櫃辛受納如件 受人成
   又肇論一卷
    右本主藏令史書  受人成
  廿四日納書五卷[起信論疏二卷 肇論疏三卷]
    右本主藏令史書  受人成
  廿五日返送【書】花嚴疏四卷[元曉師撰 第一 五 七 十]
    右依慈訓師口状返送如件[受使平攝師] 人成
九月
  九日納花嚴論第一卷
    右慈訓師所<御>書也[以十七年五月十五日返送如前受使用壹沙弥 受人成]
  廿日納理趣經疏一卷[白中紙无緒軸 以十七年六月三日借受善攝師長官宮宣 使沙弥證明 人成 以七月廿八日返納已訖 受人成]
    右自【慈訓】法永師所受[人成]十八年二月廿四日返上本所[使阿刀宅足]
  廿七日納八卷金光明經疏一部[八卷][以十七年四月十二日借請慈訓師所長官宮宣 入白木書函一合是則主藏令史之函者付使佐都麻 知人成]
  以天平十八年【六】五月【廿七日】一日返送岡寺上座所 使仕丁鵜甘子君 知酒主
    右岡寺本者[使宇治部小廣] 受人成
十月
  廿一日納疏本九十六卷     帙十三枚
   右本者、元興寺一切經内者、受人成 檜前万呂
  卅日納新翻藥師經四卷[二卷宮一切經内黄紙及表无緒 着赤木軸 二卷外黄紙及表紫緒 黑〓≪木偏+本≫(柿カ)軸  納染小(書)櫃一合]
   [十六年十二月一日返納已訖受人成 黄麻紙二百枚] 納明櫃一合
   右、依 甲加宮宣、奉請本經并紙等如件、使凡海石足
               判進膳令史 田邊足万呂 人成
(後略)

出典

『大日本古文書』8(185頁~193頁の内189頁~193頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「律論疏集傳等本收納并返送帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)5月

記事

(紙端)
律論疏集傳等本收納并返送帳 天平十五年五月
(中略)
天平十六年閏正月十四日納花嚴疏中卷[第二帙]平永師所[受使辛國人成 四月十五日返送審祥師所]
(中略)
五月十日納花嚴<經>疏<【第】>廿卷[第一帙第二帙並白紙皆无軸緒表紙但一卷軸 納明櫃一合]
  右、從信樂宮給出、使舎人茨田久治万呂、檢受酒主
廿七日納摩訶衍起信論別記一巻[白紙无軸 巳草也 元曉師撰]
  右、依 令旨、【請來】從審祥大徳所請來、使安寛師 檢酒主
     抄寫了、但在可見之、
(紙端)

出典

『大日本古文書』8(193頁~196頁)(『正倉院文書』續修34裏書)

「冩經所大般若經本奉請分」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)4月16日~天平18年4月19日

記事

西宮奉請大般若經本三百卷[自初至卅帙帙卅枚]大般若寺經者
  黄紙黄表朱軸綺緒竹帙紫縁紫帯緋裏
(後略)

出典

『大日本古文書』8(458頁~459頁)(『正倉院文書』続々修19帙4)

「後寫一切經雜案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月13日

記事

(紙継目)
後一切經検受雜物
筆卅箇[廿三充了見七]墨卅廷[充了十五見十五]凡紙七十五張[充了六十八見七十張]經机廿六前[二装〓≪さんずい+黄≫三廿一白木]
研六十口 筆漬坏六十口 經紙四百八十七張 辛櫃四合[一着鑞]
大般若經一部六百勺[黄紙及表赤木軸]帙六十枚 疊廿一枚[敷堂即者]
布巾四條 由加一口 杓二柄
   右件物等 從阿刀酒主 志斐万呂等之手 檢受(受)如前
                     天平十八年二月廿一日阿刀酒主
(後略)
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(1頁~7頁の内2頁~3頁)(『正倉院文書』續々修2帙4)

「經疏料紙受納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)2月8日~天平20年3月24日

記事

十八年二月受仁王經六十一部料黄紙三千張[三百【八十】六十六張法花經二部料]
天平十八年二月八日從中納言藤原(豐成)宅來染穀紙一千六百【〓≪よんじゅう≫】八十張[知阿刀酒主(法花經十部料)]
                                    志斐
  同日黄紙七百八十一張[心經七百六十八卷料充所未審]受秦小廣
十八年二月廿八日黄紙廿六張[依市原宮宣奉寫十一面經疏一卷便用疏料紙]知志斐万呂 又一枚表料
三月三日黄紙七十四張[依市原宮宣奉寫尊勝珠林一卷料便用疏料黄紙]知志斐万呂 又一枚表料
三月四日黄紙二千十三張[既見用又破廿六張御願奉寫仁王經六十一部料本請員未檢立令可探求耳]阿刀酒主
三月七日黄紙百張[依市原宮宣奉寫仁王經義疏二卷料便用疏料黄紙]知志斐万呂 又一枚表料
三月九日黄紙百四張[依市原宮<宣>奉寫起信論疏四卷料便用疏料黄紙]知志斐万呂 又一枚表料
    十六日黄紙三百六十六張[依市原王宣為良弁大徳奉寫法花經二部料用宮一切經内紙但布施來自寺來 知志斐万呂]
八月十九日白紙五十張[依市原宮宣奉寫法花遊意二卷料便用疏料白紙 知志斐万呂]
           「(異筆)入常疏剰」
天平十八年潤九月八日白紙一千八百九十張[依紀少進宣奉寫理趣經百卷料依市原宮宣便用先一切經料紙]
                知志斐万呂 爪工家万呂 能登忍人
九月十日從<金>光明寺三綱所來白麻紙 受玉祖公万呂
四月三日黄紙<疏料>四百張[依市原宮<宣>進納於宮内〔納塗革筥一合{長二<尺>潤一尺四寸}〕
                                       知伊福部男依阿刀宅足志斐万呂受川村縄万呂葛野長万呂]
七月十五日白紙三百張[依田邊史生宣為<寫>高丘王所願經借用後一切經内料紙彼代報了]
                     知志斐万呂 爪工家万呂 阿刀宅足 能登忍人
五月八日從宮來白紙二百卅長[文選上帙料判田邊史 「(異筆)受能登忍人知志斐万呂」]
五月十八日黄紙三百張[依市原宮<宣>奉寫 八敬六念并四分戒本料 借用疏所黄紙
                知葛野長万呂志斐万呂爪工家万呂]
五月廿一日黄紙二百五十二張[依中納(豐成)言尊宣奉寫藥師經廿【八】一卷料便借用疏料黄紙者]
   同日從宮來色紙〓≪よんじゅう≫五張[藥師經料]知田邊史生 志斐万呂 爪工万呂
十月十五日黄紙一千百八十張[千百張現用料〓≪よんじゅう≫張表紙料〔欠〕〓≪よんじゅう≫枚儲料]
   右、依市原宮宣、奉寫法花經十部料 [便用疏料黄紙者]
              [充田邊史生 受秦秋庭 知志斐万呂]
同月十九日依紙欠自疏櫃出充黄紙六十張[受爪工家万呂]
同月廿六日黄紙〓≪よんじゅう≫張[為<用>彼十部法花經表紙<欠>料用者 受秦秋庭  充田邊史生  知志斐万呂]
十九年正月十八日自【宮】嶋院來肥紙四百五十張[依大養德國少允佐伯 若子宣奉寫六卷〔抄〕一部料]
[表紙料紙七枚]   又一百張[依欠更請如件]
      【受阿刀酒主】 受能登忍人 知酒主
正月廿七日自宮來肥紙三千二百五十張【未到紙五百五十張】
    右、依(大脱カ)養德國小(少)允佐伯若子宣、奉寫六卷鈔九部料者、[充佐伯若子]
                   受玉祖公万呂 志斐万呂
二月十八日黄紙一千五百九十四張[依養德國小允佐伯若<子>宣為用奉寫四分
                        律六十卷料者 允佐伯若子借用疏料紙]
   [納辛櫃一合〔着鑞子〕]
       【受阿刀酒主】  玉祖公万呂[十一日更充能登忍人]知志斐万呂
二月廿八日自宮來斐紙一千五百五十張[一千張更可寫六卷鈔二部料 五百五十張先九部六卷鈔紙所欠料]
                   受玉屋公万呂  知阿刀「(自著)酒主」
三月三日更充筑紫薄紙六百張[依先充紙不用更充者受玉祖公万呂田邊史六卷抄料「*二部料者」]
四月九日從來黄紙一百五十張[依良弁大德宣為奉(奉為カ) 天皇奉寫理趣經七巻料]
              受能登忍人 知田邊史 阿刀酒主
十四日從宮來彩色紙六百六十張[卅張白長麻紙長三尺]下紙廿五張[端繼料使用下司] 
   右、依犬甘命婦宣、奉寫无垢称經二部料、
             受能登忍人 知田邊史 阿刀酒主志斐「(自著)麻呂」
廿一日自宮來紫紙二百十九張[端繼并〓≪果+衣≫紙六張]
  <又卅長觀世音經表紙料>
   右、依犬甘命婦宣、奉寫无垢称經二部料、
            受能登忍人 充田邊史 知志斐万呂[他田水主]
十九年八月五日自宮來白紙三百張[端繼八張]瑜伽菩薩地十一巻藥師經疏一卷法花論一卷料
   右、依佐伯掾宣、即充装〓≪さんずい+黄≫玉祖公万呂、
[又天平廿年三月廿四日自下政所受紙百六十張 即充丈部曾祢万呂]
                       知阿刀 他田水主
八月十六日自宮來紙三千三百十張[一千八百五十張檀紙一千四百六十張短麻紙]
    右、依出雲少進宣、奉寫觀世音經一千卷料、[受能登忍人]
「(異筆)端繼等料請紙六十八張」[知伊福部「男依」 志斐万呂 阿刀酒主]
(紙端)

出典

『大日本古文書』9(64頁~69頁)(『正倉院文書』續々修37帙2)

「寫疏論集納受帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)5月25日~天平20年3月10日

記事

(前略)
八月【五】三日納金光明最王(勝脱カ)略賛一部五卷[无帙]
     右元興寺書也、受使辛國人成[以同月五日進納宮裏受藏人信勝尼後所養德御勝使辛國人成]
    五日納六卷[白紙橡表无軸]納革箱一合[以同月進(内裏)納寫并本十二卷使長官王]
     右、自信勝尼御所給出者[受辛國人成]
(中略)
十九年十一月廿七日納勝鬘經疏三卷[寶窟 白紙 軸黄表无緒]
     右書本、自敬俊師所來[使聖端師受他田水主]
   廿五日納成唯(識脱カ)論第一卷[黄紙黄表軸 又温室經疏一卷〔白紙軸緒无〕]
     右本 聖諦師書者[使主君長]
   廿三日納止觀法門一卷[白荒紙]
     右本、敬俊大德書者[受使他田水主]
   已上三卷書以廿年正月廿四日付使舎生王若長返送如前
                           他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(365頁~367頁の内365頁~366頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「寫疏論集納受帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)5月25日付

記事

(前略)
十九年十一月廿七日納勝鬘經疏三卷[寶窟 白紙 軸黄表无緒]
右書本 自敬俊師所來[使聖端師受他田水主]
廿五日納成唯(識脱カ)論第一卷[黄紙黄表軸 又温室經疏一卷〔白紙軸緒无〕]
右本 聖諦師書者[使主君長]
廿三日納止觀法門一卷[白荒紙]
右本 敬俊大德書者[受使他田水主]
已上三卷書以廿年正月廿四日付使舎生王若長返送如前
他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(365頁~367頁の内365頁~366頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「間寫經本納返帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

「(題籖)(表)間本納返帳
      (裏)間本納并返帳」
天平十九年十二月六日自内裏奉請唯識論疏十五巻[因測師撰者]
[「(異筆)黄紙黄表无緒室木柚(軸)納塗机筥一合]第二三七八九合五巻者具本末第【一】四五六十合【五】四巻者无
未有本 第一巻者有未无本
(中略)
又同日自宮來唯識論疏第二巻上一巻[白紙塞材]為求同書
             「(異筆)以同月七日奉請内裏如前[使即高屋古令史]
                         知志斐
                         水主       」
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内598頁~599頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

六字呪王經一巻[黄紙及表檜木軸納小函一合]
   右、為用依大徳宣奉寫經本、自法花寺奉請、使村山首万呂、
                 天平勝寶三年四月四日収他田水主
                   知史生阿刀「(自署)酒主」

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内603頁~604頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

「(異筆)同月廿三日付[【阿刀雄足返送了】村山首万呂返送了]」
自内裏奉請梵網經疏三巻 私記二卷 合五巻
    即【黄】白紙黄表松梠軸(マヽ)専紫緒[竹秩一枚着黄楊占裏浅緑紫緑及緒]
塗木筥一合
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内604頁~605頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

法花玄賛四巻[黄麻紙及表梨軸紫緒]以朱沙并墨交寫
    納黑葛筥一合塗 机<足別>一前 第一巻本末 第二卷本末
  右、以天平勝寶三年五月十六日、自内裏奉請政所、使糸井谷万呂、
「(異筆)以六月十六日返納了」 納他田水主
                               呉原

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内605頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

自内裏奉請
   辨中邊論疏一部三卷[玄範師撰 白紙黄表塗軸緑綺緒]
   理趣經疏一部三卷[基法師撰 黄紙及表中紫邊小白綺緒黒柿繼軸 並納小塗筥一合 以七月二日納新寫送返]
以前、依飯高笠目天平勝寳四年四月廿五日宣、爲用本、奉寫所奉請如前、
   奉宣次官佐伯宿祢(今毛人)   檢三嶋宗麿
                        他田水主
前件疏本并新寫以七月二日奉請内裏納櫃如前[使次官佐伯宿祢]
                         知大鳥高人
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内608頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

阿弥陀咒經一卷[黄紙及表綺帶无軸
                       納軸小函一合裏白檀以銀繪花并鳥形者]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内608頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

八十花嚴經第二帙[十巻黄紙及表紫檀軸紫班綺緒竹簫(繍)帙黒紫黒錦緑緋緑裏緋緒]
   納塗赤小着足櫃一合[先納胡桃染紙自内裏來櫃者]
  右爲<用>今奉寫八十花嚴經第二帙様所謂如前、
             天平勝寳四年八月廿四日他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内609頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

舊花嚴經一部[黄紙黄表紙綺緒軸帙紙「(異筆)以四月五日奉返第一二六帙使僧常好知呉原上馬甘」]
   右、為本證本、以天平勝寶五年正月卅日、自慈訓師之所奉請、
  「(異筆)以五月十三日奉返已訖[付丈部石穂 上馬甘]使飽田石足
                           検納呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内611頁~612頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

大般若經一部六百巻[黄紙及表綺緒白檀軸竹綵緋錦緑組帯 无帙六枚辛手者四帙第一巻初枚墨穢十四帙表并題異卅六帙第五巻落一張]
辛櫃三合[〓≪果+衣≫布紺囊]布綱三條
   右、為用本、自河内雪寺、奉請如前、[使志紀賣良万呂、]
           天平勝寶六年三月廿六日上馬養
                         呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内613頁~614頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

四分律一部六十巻[黄紙及表【綺緒】无帯軸]
    右、為用本、自元興寺<且>所請如件、
「(異筆)以五年八月十一日返送但誤云[請時書未合者]二年二月廿九日上馬養
                    「(異筆)使上馬甘 秦家主」
(紙継目) 

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内616頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

請千部法華經筆墨帳(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)1月11日

記事

寫書所解 申請千部法花筆墨事  返上<古>筆筒 墨<殘>肆【廷】頭 
  合筆玖筒 墨肆<伍>廷[如數來]應充書生壹拾壹<貳>人[七人々別筆一 二人々別筆一 三人々別筆一] 
    物部足人 他田水主 大鳥春人 
    丈部子虫 錦部大名[已上五人以先筆寫百八十七張]
    阿刀足嶋 山部針間麻呂[已上二人寫百八十五張]
    大鳥祖足[寫百八十張以先墨寫四百張]余乙虫[寫百八十張以先墨(大)寫四百張]
    坂上建麻呂[以先墨<大>寫四百張]角惠麻呂[寫四百張 墨太]
    万昆多知古能善[寫百八十五枚以先墨寫四百枚]
    萬昆多知[寫四百張 墨太] 天平感寳元年五月廿五日鴨筆
                        肖奈「(自署)廣山」 
                       史生志斐     

出典

『大日本古文書』10(10頁~51頁のうち22頁~23頁)(『正倉院文書』續々修5帙6)

「寫一切經所装〓≪さんずい+黄≫紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)5月2日~勝寶3年(西暦751年)5月13日

記事

自内裏奉充踰伽論料色紙百卷[二【百】千七百〓≪よんじゅう≫二張]
  納着辛櫃貳合[着鏁]白木机貳前
                 天平廿一年二月廿六日 

出典

『大日本古文書』10(266頁~270頁の内270頁)(『正倉院文書』續々修37帙4)

「經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)5月27日

記事

大寶積經一部百廿卷
大集經一部卅卷[並黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙緋裏錦縁組帯牙籖十四枚 大集經第三帙无籖宮一切經者]
  納韓櫃一合敷布一條 又一經机一前 敷布二條[政所者]
   右、納少僧都良弁師天平勝寳五年四月十六日宣、奉請内裏[使上馬養、]

放光般若經一部[卅卷]大品般若經一部[〓《よんじゅう》卷]光讃般若經一部[十五巻]
又光讃般若經一部[十巻]摩訶般若鈔經一部[五卷]
道行般若經一部[十巻]小品般若經一部[十巻]勝天王般若經一部[七卷]
花嚴經一部[八十卷]已上黄紙及表綺緒紫檀軸竹繍帙緋裏錦縁組帶牙籖
花嚴經一部[六十卷]黄紙及表綺緒梨軸竹綵帙緋裏錦縁組帶
  納塗韓櫃二合敷布四條一切經机一前
   右、依少(良辨)僧都天平勝寳五年四月十八日宣、奉請内裏、
   使飽田石足 壹志豐人   知上馬甘

出典

『大日本古文書』10(275頁~284頁の内280頁~281頁)(『正倉院文書』續々修15帙5)

「請處々疏本帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月17日

記事

大乘義記一部十五卷[慶記師書者 黄紙白表塗軸无緒]
  「(異筆)天平勝寳二年九月廿四日、付僧敬備送遣已訖、[知賀茂筆]」
                天平勝寳元(年)九月三日知史生阿刀
                            村山首万呂

出典

『大日本古文書』11(39頁~42頁の内41頁)(『正倉院文書』續々修十五帙七)

「常疏并間疏等用緒軸帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月30日

記事

塗軸二百五十枚
  右、依阿刀史生天平勝寳元年九月八日宣、千部法花料出送進下官已訖、
                     村山首万呂
              知史生阿刀「*酒主」

出典

『大日本古文書』11(68頁~69頁の内69頁)(『正倉院文書』續々修二十八帙十二)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

(前略)
(紙継目)
  十月十三日納胡桃紙一千七百五十張之中[淺白紙百五十張 漾進一張]
    凡紙五十張 納〓≪泥+土≫小辛櫃一合[无〓≪金+巣≫]
      右六十花嚴經一部料所請
   十四日充一千二百張[受能登忍人]殘紙五百五十張
  九月二日上七百廿張   天平勝寳三年十月十四日賀茂書手
                        三嶋「(自筆)宗麻呂」
                        呉原「(自筆)生人」
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内165頁~166頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

 天平勝寳四年  (紙継目)
   縹紙廿張  黄紙廿張[納不塗黒葛筥并足別卑机以三日 納奉寫經奉進内裏]
    右仏頂尊勝陀羅尼經二卷料[用廿破五殘十五枚 即奉進内裏]
     依少僧都(良辨)宣所奉寫者 充装〓≪さんずい+黄≫春日虫万呂
                天平勝寳四年正月一日他田
                        三嶋
                        鴨
                      「(自著)知呉原生人」

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)3月3日

記事

「(端裏書)千部用仁王疏反上」
  造東大寺司  牒岡本寺
   奉請法花經壹佰玖拾部[千部之内者 橡表【黄】紙塗軸]納〓≪木+貴≫六合<无〓≪金+巣≫>
    帙【壹】佰玖拾枚[【百卅二枚千部内 五十八枚以宮一切經料借用】]
     竹帙百卅二枚千部内[ 錦縁緋裏八十六枚拾組緒卅六枚紫緒]
     繍帙五十八枚一【二】切經料借着[錦縁緋<裏>紫緒]
  牒、依紫微中臺今月二日牒旨、奉請如前、故牒、
           天平勝寳二年三月三日主典從八位下美努連(奥麻呂)
                    判官正七位下田邊史(眞人)
(後略)

出典

『大日本古文書』11(176頁~177頁)(『正倉院文書』續々修十六帙三)

「經疏櫃帙等借用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)6月16日

記事

(紙端)
□□□(長方形抜け)枚賛紙用百部[三枚又一 六月十一日道主]以六月十六日借用千部料二部[百部者]
以七(月脱)廿一日請反起信論疏一卷[上卷者]右附舎人糸井谷万呂反、判官上毛野、
  □()塗經櫃一合[以金墨畫 納小赤櫃一合]
          右依長官王(市原王)宣即宮舎人付闇智東人進送  六月十六日
教輪師借帙一枚[雲間緋裏 〓≪金+截≫縁拾組緒]右爲樣差寳進沙弥令請如件<以七月廿日反上已訖使寳進沙弥>[七月十三日]
  政所進下塗辛櫃一合[無〓≪金+巣≫者]
右依勝寳二年六月十四日次官佐伯(今毛人)大夫宣【差】付舎人長谷部馬甘進下如前[【八月七日借用百部料端繼紙六十一張】]
八月七日爲帙一切經借用百部料凡紙六十一張 阿含紙〓≪よんじゅう≫張伊(加脱カ)万呂所在
七月廿一日充唯識論疏六卷[受丈部]七月廿四日十一面經料借用百部料(從來報納)端繼紙卅三張
(紙端)

出典

『大日本古文書』11(255頁)(『正倉院文書』續々修四十二帙四裏)

「經疏請返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)6月18日

記事

(前略)
(紙繼目)
□□□(長方形抜け)經疏一部七卷[白紙及表塗軸綺緒
                大寺敬俊師者]
  右、以天平勝寳三年二月廿二日、爲用本奉請、使村國益人
   以四月七日、付舎人上毛野家繼返送了、 納他田水主
□□□(長方形抜け)略疏一部五卷[白紙黄表綺緒无緒軸紙帙
                  智嚴師撰]
□□□(長方形抜け)論一卷[白紙及表无緒軸帙 元暁師撰「(異筆)以四月七日反上了」]已上並无軸緒帙
  □□□□□(右以天平勝)寳三年三月廿六日、爲用本奉請□□(長方形後半抜け)
     五月七日付田部乙成           知水主
(紙端)
(後略)

出典

『大日本古文書』11(256頁~262頁の内259頁~260頁)(『正倉院文書』塵芥二十一裏)

「本經論返送注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月29日

記事

 合四百冊【一】三卷[以外目録一卷]
  花嚴經七帙[七十卷漢手黄紙及表【繍帙】竹綵帙緋<綾>裏錦縁紫檀軸<綺帶>新譯
   又五帙[五十卷漢手黄紙及表竹帙二枚緋裏朱頂軸] 舊譯
   又六帙[六十卷漢手黄紙及表竹帙<綺帶>錦縁緋裏朱軸  舊譯
  法花經一部[八卷漢手黄紙及表竹帙錦縁緋<綾>裏白檀軸綺帶]
  十輪經一帙[十卷漢手黄紙及表【繍】竹綵帙白檀軸綺帯]
  新翻藥師經二卷[黄紙及表紫綺緒黒柿軸]
  心經一卷[白紙及表軸 故兵部卿(大伴牛養)手]
 
  雜經四卷[藥師經一卷 大仏頂經一卷 觀世經一卷 並軸 觀世經一卷 朱軸]
  遺敎經一卷[漢手黄紙及表〓≪あしぎぬ≫帶朱頂軸]
  順正理論八帙[【七十九卷】漢手黄紙及表竹<綺帶>縫帙錦縁三枚緋裏【四】五枚縁裏花軸金字題 欠四帙第六卷 牙占]

 顯宗論四帙[【卅七卷】漢手黄紙及表竹帙錦縁三枚緋<綾>裏一枚縁裏花軸金字題牙占 欠一帙第三九十卷]

 大智度論十帙[百卷漢手黄紙及表【繍帙】綺帶竹綵帙錦縁緋<綾>裏白檀軸帙<牙占>一枚无占]
  梵網經一卷[漢手黄紙及表白(マヽ)檀軸綺帶印]
  内裏經
  花嚴經第一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒沈軸竹帙錦縁紫裏紫(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 十輪經一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒紫檀軸竹帙紫縁錦裏(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 經論目録一卷[白紙无表及緒軸]「(追筆)已上納櫃一合」

 以前、為將用本、奉請件經、今依先數、奉返如前、
            天平勝寳二年七月廿九日

出典

『大日本古文書』11(353頁~354頁)(『正倉院文書』續々修十六帙四)

「寫經所紙筆軸等納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月10日

記事

(前略)
(紙端)
                      上馬甘
                      呉原「(自著)生人」
  九月八日納牀六前
    右、自造物所齋來如前、
                   収呉原生人
   廿四日納朱沙三兩 金靑四兩 白靑一兩 丹四兩 同黄一分
    白緑一兩 胡粉十兩 紫土五兩 膠廿兩 烟子四枚[中]
     右、爲奉造七仏藥師像、納如前、
                 受呉原    上馬甘
   廿五日納緑靑十兩 金薄壹伯枚 銀薄伍拾枚
                   受呉原生人
   廿六日納丹二兩 白靑一兩 白緑一兩
                   受呉原生人
   廿七日納金薄廿枚
               受呉原生人 上「(自著)馬甘」
   廿八日納金薄貳拾枚
                   受上馬甘
   廿九日納烟子六枚[小]
                   受上馬甘

出典

『大日本古文書』11(387頁~392頁の内390頁~392頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙七)

「寫私雜書帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)2月5日

記事

(前略)
五月十八日來葛井(根道)主典紙一百張[梵網經疏二卷料]
  梵網經本二卷[白紙]橡色軸綺緒
   第一卷[充間人道嶋]第二卷[阿刀宅足 鬼室小東人 充春日虫万呂]
                                 水主
(後略)

出典

『大日本古文書』11(471頁~475頁の内474頁)(『正倉院文書』續々修十一帙七)

「寫經奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)3月13日

記事

奉請經合壹伯玖卷[帙十一枚各着占 納塗辛櫃一合 敷布一条]
   法華經十一部八十八卷[十部八十卷黄紙百部之内 一部八卷紫紙以銀墨奉寫者]
   无量義經廿一卷[廿卷黄紙百部之内 一卷紫紙以銀墨奉寫]
             天平勝寳三年三月十三日

出典

『大日本古文書』11(499頁~500頁)(『正倉院文書』續々修十六帙九)

「經疏奉請檢受帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)3月25日

記事

  理敎師御室書者
  【弁】中邊<分別>論疏一部四卷[元暁師撰 白紙軸又白表无緒 題於印]
     右疏、以天平勝寳三年三月廿五日奉請、使他田水主、

出典

『大日本古文書』11(503頁~504頁の内503頁)(『正倉院文書』續々修十六帙六)

「造東寺司請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)5月22日

記事

造東寺司
  雜阿含經一部五十卷[黄紙及表緑緒朱軸]紙帙
   納塗箱一合   帛巾一條[並岡寺]
    右、以大德宣、奉請如前、
         天平勝寳三年五月廿二日
             次官正五位上兼行大倭介佐伯宿祢「(自著)今毛人」
(後略)

出典

『大日本古文書』11(556頁~557頁)(『正倉院文書』續々修四十二帙五裏)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乘經
                「*黄紙及表朱軸綺帶」
放光般若波羅蜜經二部六十卷[【並綵】「*織」帙緋【綾】裏錦縁組帶 【可求第二帙】「*【一部唐手】 一部決【第】中【一】帙【一】」]
摩訶般若波羅蜜經【三】四部百廿<四>卷
  二部八十卷[並<「*黄紙」>綵帙緋【綾】裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[麁帙淺縁【綾】裏錦縁軸帛帶]
  一部四卷注[麁帙黄【綾】裏錦縁組帶]
又【第二帙】十卷[第二帙【綵】「織」帙緋【綾】裏錦縁組帶]
光讃般若波羅蜜經三部〓《よんじゅう》卷
  二部卅卷[並綵帙緋綾錦縁組帶「*【又音義一巻白紙无軸】]
  一部十卷[麁帙黄綾裏錦縁朱頂軸黄綾帶]
道行般若波羅蜜經【三】二部廿<【七】>卷[【二部廿卷 一部七卷无帙】【並】「*各」綵帙緋綾裏錦縁組帶]
小品般若波羅蜜經【三】「*四」部【廿七】「*卅四」卷
大明度無極經一部四卷无帙
  二部廿卷[並綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  【一】「*二」部七卷[「*一」麁帙緋綾裏錦縁組帶「*一无帙」]
勝天王般若波羅蜜經二部十四卷[並<「*各」>綵帙緋綾裏組帶<「*錦縁」>]
   「*已上第一櫃[敷帛<袷>帳一条四副]」
「*文殊般若經一巻  文殊所説般若經一巻已上二巻同帙麁帙紫縁緑裏組帶
濡首菩薩無上清浄淨分衛經一部二卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  「*百九十【七】「*八」巻舍衛國三巻婆伽婆〔之中二卷紫檀軸一朱軸〕」
金剛般若波羅蜜經二百部二百<一>卷[【並】麁帙【深】廿枚緑綾<裏>紫綾縁及帶軸]
「(擦消)【文殊般若經一巻」文殊所説般若經一巻】
能斷金剛般若波羅蜜<多>經廿部廿<一>巻[並麁帙緋綾裏錦縁組帶]
仁王護國般若波羅蜜經卅【一】五部六十<【三】五>卷[綵帙三枚緋綾裏錦縁組帶之中【二】四部軸一卷白木軸一卷朱軸]
  【廿九部朱軸】
  【二部軸】
般若波羅蜜多經理趣分【八】九十部【八】九十卷[麁帙八枚緋綾裏錦縁組帶]
   「*已上二櫃帛帳」
般若波羅蜜多心經三千七百卷[麁帙一枚緋綾裏錦縁]
大寳積經一部一百廿卷[无帙]
   「*已上三櫃」
大方廣三戒經一部三卷[綵帙]无量清淨平等覺經二卷[麁帙縁綾裏紫綾帶組]
无量壽經一部二卷[綵帙]  觀无量壽經九卷[麁帙]又二卷[銀軸无帙]
又四卷[一卷白紙无軸一卷白檀軸一卷朱頂軸]
阿〓≪門+人人人≫仏國經一部二卷[綵帙]
發覺浄心經一部二卷[綵<鹿>帙緑綾裏紫綾緑組帯]
[聖善住意佳意天子所問經三巻綵帙]
毘邪婆問經一部二卷[綵帙【已上緋綾裏錦縁組帯】]
大方等大集經二部百巻[【並】綵帙十枚【緋綾裏錦縁組帯】已上緋綾裏錦縁組帯]
大集【月】日藏經一部十巻[无帙]
大集月藏經一部十巻[无帙]
大乗大集地蔵十輪經十<二部廿>巻[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯「一部无帙」]
大方廣十輪經【三】四部【廿四】卅二巻
[一部八巻]
一部八巻[綵帙緋<上二部並>綾裏錦縁組帯]
一部八巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
一部八巻[欠第八巻 鹿帙黄綾裏錦縁 銀軸]
(中略)
寳星陀羅尼經二【十】部<十>廿巻[大方等大集菩薩念仏三昧經十巻〔无帙〕大哀經二部十六巻 奮迅王問經二卷〔綵帙〕]
   一部十巻[鹿帙黄綾裏破]    一部八巻[綵帙]  一部八巻[綵帙]
                      「*佛説无言菩薩一巻」
   一部十巻[帙形未詳]
(中略)
大般若涅槃經【〓《よんじゅう》卷】七部二百九十八卷
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第三帙第五卷白紙及表銀軸綵帙縹綾裏紫綾縁及帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻綵帙緋綾裏錦縁組帶金塗頂安靑玉軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[白檀軸綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻鹿帙緋綾裏錦縁組帶軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻无帙]
(中略)
大般泥〓≪さんずい+亘≫經二部十二卷
  一部六卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帶]
  一部六卷[无帙]
方等般泥洹經一部二巻[鹿帙緑綾裏紫綾緑組帶]
  四童子三昧(經脱)一部三卷[綵帙]
  大悲經一部五巻[綵帙]
  普曜經一部八卷[綵帙]
「妙」法<蓮>華經十七<八>部百【百六】卅四卷
  七巻法華經五部
    一部七巻[綵帙錦緑緋裏白玉軸]
    一部七巻[綵帙白橡〓《あしぎぬ》縁淺縁<緑>綾裏白玉軸]
    一部七巻[白檀軸綵帙錦縁緋綾裏]
    二部十四卷[綵帙錦縁緋綾裏]
觀世音經二百〓《よんじゅう》四卷[鹿帙八枚緋〓《あしぎぬ》裏錦縁紫〓《あしぎぬ》帶]
(中略)
  八部六十四卷[水精軸鹿帙牙籖]
   一部八卷[金鏤軸天人并獸形繍帙緋綾裏錦縁]
   一部八卷[繍帙緋□]
   一部八卷[鹿帙錦縁緋綾裏]
   一部八卷[梨軸无帙]
   一部八卷[紫檀軸鹿帙緋綾裏錦緑組帶]
正法花經二部廿卷[帙二枚 一枚鹿帙]
【維摩詰所説經三卷【≪二部六≫[【鹿帙緋綾裏錦縁組帶】一部黄【紙】縹綾表水精軸 鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
【注維摩詰經无垢称經六卷】[「*二部十二卷无帙」【无帙】] 大方等頂王經六卷[鹿帙(錦脱カ)縁綾裏紫綾縁組帶]
「(附紙[維摩詰所説經云々ノ上])
維摩詰所説經三分九卷[一部黄紙縹綾表水精軸一金塗銅軸<鹿帙緋綾裏錦縁組帶>〔无帙〕]
注維摩詰經二部十四卷[一部八卷欠一二三四卷一部六卷欠第一二三卷並朱頂軸无帙]
諸无垢称經二部十二卷[並无帙]
(中略)
金光明最勝王經四部〓《よんじゅう》卷
  二部廿卷[並紫檀軸鹿帙緋綾裏錦組帶]
  一部十卷[鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部十卷[无帙]
   「*已上第六櫃[帛帳]」
【金】合部金光明經【卅九】〓《よんじゅう》部三百【十二】廿卷[十九部軸綵帙一枚鹿帙卅九枚緑綾裏紫綾縁組帶]
金光明最勝王經懺悔品六十卷[五十二卷軸鹿帙五枚之中四枚緑綾裏紫綾縁一枚緋綾裏錦縁]
金光明經〓《よんじゅう》部百六十卷[廿部軸鹿帙〓《よんじゅう》枚緑綾裏紫綾組帶「*出別生所」]
    「*已上七櫃[帛帙]」
(中略)
道神足無極變化經四卷[綵帙]「(追筆)又二巻[靑玉軸无帙]」
寳雨經【五】十卷[欠第一六四三七巻 无帙]
寳雲經七巻[綵帙□]
阿惟越致經三卷[綵帙]
不退転法輪經【四卷】二部八卷[【无帙】一部四卷无帙 【鹿帙一帙】一部四卷鹿帙]
廣博嚴淨不退転法輪經六卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁組帶]
集一切福德三昧經三卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶]
持心梵天所問經四卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶一部无帙]
思益梵天所問經四卷[綵帙「鹿帙黄綾裏錦縁組帶」]
勝思惟梵天所問經<二部十>【六】二卷[无帙一部鹿帙深緑綾裏紫縁組帶]
(中略)
分別縁起初勝法門經二卷[鹿帙紫綾縁組帯]
楞伽阿跋多羅寳經四巻[鹿帙紫綾縁緋綾裏組帯]
入楞伽經三部廿八巻「(擦消)綵帙」[一部<十巻>綵帙一部十巻朱頂軸鹿帙緋綾裏錦縁組帯一部八巻鹿帙緋〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
(中略)
大方等大雲經二部十二卷[鹿帙]
  一部六巻[綵帙]
  一部六巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]
(中略)
灌頂經八巻[鹿帙黄綾裏錦縁細組帯朱頂軸]
又第八巻廿卷[鹿帙二枚緋綾裏錦縁組帯]
藥師瑠璃光如来本願功徳經八十巻[鹿帙八枚緋綾裏錦<縁>組帯]
藥師瑠璃光【如来】七仏本願功徳經十八部卅六巻[三部軸鹿帙四枚緋綾裏錦縁組帯]
又三巻[二卷紫檀軸一巻軸无帙]
阿闍世王經二卷[鹿帙紫綾縁深縁(緑)綾組帯]
(中略)
【无量壽經二卷】[【銀軸无帙】]
弥勒下生經十巻[塗金軸端坐<靑>玉綵帙]
順權方便經二卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁帯組]
「*六度集經八巻[綵帙]文殊師利菩薩問菩薩經一巻」「*伽那頂經一巻」
無上依經二卷[綵帙]「*仏説乳光經一巻[朱頂軸]」
「*文殊師利問法身經一巻 文殊戸利菩薩行經一巻 佛説八陽經一巻」
千手千眼觀世音菩薩廣大圓満無碍大悲心陀羅尼經十<一>巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯「十一部」]
孔雀王咒經二卷[綵帙]「(追筆)又二卷[〓(朱カ)頂軸无帙]」
十一面神咒心經(「五十部」)五十巻[卅卷軸十巻紫檀軸鹿帙五枚二枚深縁(緑)綾裏錦縁組帯三枚緋綾裏錦縁組帯]
「*文殊師利菩薩六字咒功能法經一巻[无帙]」
仏頂尊勝陀羅尼經八十【六】「九」巻[木繪軸鹿帙九枚縁(緑)綾裏紫綾縁組帯「*八十九部」]
(中略)
仏名經三部卅六巻
  二部廿四巻[【並】綵帙二枚]
  一部十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁无帯]
三劫三千仏名經三巻[綵帙]「*又二部二卷<以三巻複為二卷>又四巻[之中一巻无軸并賢劫者]」
五千五百仏名經八巻[綵帙]「(追筆)不思議功徳經二卷[无軸及帙]又不思議功徳經二卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯]」
(中略)
又仏名經廿巻<二部(卷カ)>
  一部十巻[无帙鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
  一部十<【六】>巻[无帙] 【一部十六巻[无帙]】
又仏名經十二巻[紫紙金字經紫羅表繪軸綵帙緋綾糸]
(中略)
大吉義神咒經四巻[綵帙]已上綵帙緋綾裏錦縁組帯
(後略)

出典

『大日本古文書』12(473頁~489頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乗經雜
(中略)
胞胎經一巻   法鏡鏡【二】三巻[一巻軸]
(中略)
太子和休經一巻  慧上菩薩問(大脱カ)善權經二卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯]
(中略)
无量義經一巻[白玉軸]  大方等頂王經一巻
(中略)
大雲請雨經一巻[无軸]  諸法无行經<二>卷[軸]
(中略)
徳護長者經二卷[鹿帙縁(緑)綾裏紫縁組帯] 伽耶頂經一巻
(中略)
犢子經一巻[黄表朱頂軸]  乳光佛經一巻
(中略)
不空羂索咒經【二】三巻[一巻軸]  不空羂索<神>咒心經【二】三巻
(中略)
尊勝菩薩所問一切諸法門經【一巻】四<三>巻銀軸  金剛上味陀羅尼經一巻
(中略)
温室經一巻[黄表白金軸]  〓≪さんずい+頁≫頼經一巻
菩薩生地經一巻         菩薩縁身五十事經一巻
大方等如來藏經一巻[白金軸] 百仏名經一巻
(中略)
【大寳積經一帙十巻[大乗經二寫]】
「*一」大乗律
菩薩持地經三部廿六巻[二部十六巻鹿帙二枚緑綾裏紫綾縁組帯一枚表綾裏及帯紫綾縁]
菩薩善戒經九巻[綵帙]  浄業鄣經二卷
優婆塞戒經二部十四巻
  一部七巻[綵帙]  一部七巻[鹿帙黄綾裏錦縁朱頂軸]
梵網經二巻[綵帙]  又二卷[綵帙]
菩薩瓔珞本業三部六巻  又一部二卷[朱頂軸无帙]
  一部二卷[綵帙]
  一部二卷[白紙及表靑玉軸鹿帙黄綾裏錦縁組帯]
  一部二卷[无帙]
(中略)
文殊師利浄律經一巻  清浄毘尼方廣經二巻[一巻朱頂軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(489頁~497頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

          「以上九櫃」(○コノ朱書左半ヲ存ス)
【大】大乗論
大智度論一百巻[鹿帙十枚緋〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
十地論十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁組帯]
金剛般若波羅蜜經論三巻[无帙朱頂軸]「(追筆)法華論一巻[軸]」
涅槃論〓《よんじゅう》<五十>卷[鹿帙<五枚>[緋綾裏錦縁綺帯]「*涅槃經本有今無偈論一巻」
瑜伽師地論一百巻[鹿帙<十枚>緋綾裏錦縁組帯]「(追筆)又瑜伽論第二帙十巻[无帙]」「*又四巻[第卅一卅二卅三卅四者]」
大乗阿毘達磨雜集論十六巻[綵帙染軸]「(追筆)中論五巻[靑玉軸]」「*中觀論一部五巻[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
十二門論一巻[靑玉軸] 「*又一部[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
顕楊聖教論廿卷[欠上帙无帙]「*又一部二卷[白紙及表廣一尺五寸檜軸无帯]」
百論二卷[靑玉軸]   「(追筆)又一部十巻[綵帙]」
百法門明論一巻
大荘嚴論十巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]「(追筆)又十三巻[无帙]」
順中論二卷[靑玉軸]
攝大乗論釋十五巻[綵帙紺〓《あしぎぬ》裏緋綾縁无帯]「(追筆)又一部十五巻[无帙朱頂軸]」
攝大乗論釋十巻[綵帙 世親]
攝大乗論釋十巻[鹿帙緋綾裏錦縁帯組白檀軸无性]「(追筆)又十巻[无性 染軸无帙]」
究竟一乗寳性論四巻[鹿帙緋綾裏錦縁朱頂軸]
攝大乗論廿卷[一部帙性白檀軸一部隠大業■並无【性】帙]
因明入正理論二卷
唯識論一巻[朱頂軸]
  【唯】唯識論<二部>廿卷[一部十巻綵帙紫檀軸一部十巻鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
  起信論一巻[朱頂軸]
「*一」右【九】十一論十七巻同帙[鹿帙綾〓≪糸+表≫(マヽ)裏紫綾縁〓≪糸+表≫(マヽ)綾帶]
「(追筆)大乗阿毘達磨集雜論十六巻[无帙]」
        「*【已上第十櫃[帛帷]】」
大乗成業論一巻 唯識廿論一巻 大乗五蘊論一巻
發菩提心論一巻[綵帙]
    「*以上二十櫃」

出典

『大日本古文書』12(498頁~499頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
「(異筆)二」右同帙[綵帙]
(中略)
【四諦】轉法輪經【三】「*一」卷[【一巻軸】]  八正道經<「*二部」>二巻
(中略)
「(異筆)四」右同帙[綵帙]
「*太子本起經二卷」
過去見在因果經五巻[綵帙]        「*四十二章經一巻」
盡因果經二部十六巻[一部八巻鹿帙緋綾裏錦縁組帯 一部八卷无帙「*是不<列>可此次」]
捺女耆城國經一巻[「*依縁云是<不>正經仍出除」] 罪業応報教化地獄經二巻<「*二部」>[「(異筆)一巻出」]
(中略)
「(異筆)五」右同帙
(中略)
業報差別經一巻      陰持經二[(卷脱カ)綵帙緑綾裏紫綾縁組帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内502頁~504頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「小乗經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

(前略)
三 以上三巻同帙[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯] 一部十八巻[无帙]
  毘二母經二部十六巻[一部八巻鹿帙縁(緑)綾裏紫綾縁裏組帯一部八巻无帙]
阿毘達磨發智論廿卷[二帙无帙]
阿毘達磨大毘沙論二部四百巻[一部二百巻无帙軸一部二百巻欠第三十二十三廿卷无帙]
        「*已上第十二櫃」
阿毘達磨倶舎論卅卷[鹿帙三枚緋綾裏錦縁組帯]
阿毘達磨顕宗論〓《よんじゅう》卷[四帙軸无帙]
        「*【已上第十二卷】」
雜阿毘曇心論三部廿六巻[一部十一巻鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸一部十一巻欠第二卷无表軸及帙白紙一部四巻軸无帙]
阿毘達磨順正理論八十巻[八帙漆軸无帙]
成實論十六巻[紫【皮】革朱頂軸]
立世阿毘曇論十巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]
  「*部執異論一巻」
(後略)

出典

『大日本古文書』12(500頁~512頁の内510頁)(『正倉院文書』續々修12帙10)

「造東寺司紙筆墨軸等充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)11月10日

記事

政所符  寫經所領等
合紙伍阡伯陸拾漆張之中[波和良紙四千九百九十二張 凡紙百七十五張]納辛櫃貳合[塗]布綱捌條
  右 奉寫  太皇太后  御願十部花嚴經料紙 付上馬甘 且充遣如件 故符    
             判官石川朝臣豊麻呂
         天平勝寳六年十一月十日

出典

『大日本古文書』13(1頁~18頁の内12頁~13頁)(『正倉院文書』続々修37帙7)

「呉原生人請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)3月18日

記事

               「(異筆)大唐」
花嚴經一部六十巻[黄紙及表綺緒紫土軸竹綵帙廿一部之内者]
大集經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表綺緒朱軸竹綵帙]
大品經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表軸竹綵帙]已上並面書寮者
  右 依少僧都(良辨)并次官佐伯宿祢(今毛人)天平勝寳六年三月十八日宣 令奉請鑒眞師所
                       知上馬養
                        呉原「(自署) 生人」

出典

『大日本古文書』13(63頁~64頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

東大寺
奉請大般若經一部六百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]麁帙六十枚
  納辛櫃三合[別敷三副帛袷帳 又緑三副半袷覆]別居榻(足脱カ)机 「(異筆)返請」
           天平勝寳九歳正月廿三日工石主
「已上以月廿八日奉返如件」      上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿四日奉請大乗經二部二百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]紙帙
  納辛櫃一合[敷三副<袷>帛帳 又皀三副袷覆 乙一櫃] 居榻足机
                         使工石主
「已上以二月四日奉返如件」     上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿六日奉請大乗經壹百八十三部壹千九十七巻[並黄紙及表朱軸綺帯]紙帙
  納辛櫃六合[別敷三副<袷>帛帳 乙二 丙一 丙二 丁一 皀三副袷覆一條 丁二 戊一櫃者]各居榻足机
                   使工石主
                    上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿八日奉請大并小乗經三百六十四部六百五十四部[並黄紙及表綺緒朱軸 紙帙]
  納<〓≪泥+土≫>辛櫃三合[二合別敷三副帛袷帳 別居榻足机 皀三副袷覆二條 又足別机一前 戊二己一櫃 无名櫃]
「(異筆)返請」           使上馬養
                    勝繼人

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

二月四日奉請<大>小乗經二百十<二>部四百廿【六】八巻[並黄紙及<表>綺帯朱軸]紙帙
  納〓≪泥+土≫辛櫃二合[別敷三副帛袷帳 巳二 庚一櫃者] 別居榻足机
                         使工石主
                          上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内209頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

東大寺令奉請經
九歳正月廿三日 大般若經一部六百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]麁帙六十枚
  納〓≪泥+土≫辛櫃三合[別敷三副袷帛帳 又緑三副半袷覆]別居榻足机 
             「(自署)上坐尼敬稱」 「(自署)都維那尼善第」           
「(異筆)已上以月廿八日奉返如件  収」 「(自署)寺主善光尼」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿四日奉請大乗經二部二百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]紙帙「(異筆)返請」
  納辛櫃一合[敷三副袷帛帳 又皀三副袷覆] 乙一櫃者 居榻足机
      「(自署)上坐尼敬稱」 「(自署)都維那尼善第」
「(自署)已上以二月四日奉返如件 検納」「(自署)上坐尼敬稱」「(自署)寺主尼善光」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿六日奉請大乗經一百八十三部一千九十七巻[並黄紙及表綺帯朱軸 紙帙]
   納〓≪泥+土≫辛櫃六合[別敷三副袷帛帳 皀三副袷覆一条 乙二 丙一 丙二 丁二 代(戊)一櫃者]
  別居〓≪泥+土≫榻足机
                  「(自署)上坐尼敬稱」
                  「(自署)都維那尼善第」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁~211頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿八日奉請大小乗經三百六十四部六百五十四部[並黄紙及表綺緒朱軸 並紙帙]
  納〓≪泥+土≫辛櫃三合[二合戊二己一別敷三副帛帳各居榻足机 一合无名又皀<袷>覆二條三副足別机一前]
「(追筆)以二月四日奉返注經四部八十六巻   上坐尼「(自署)敬稱」 
            勘納都維那尼     寺主尼「(自署)善光」  
             「(自署)寺主尼善光」都維那尼「(自署)善第」
             「(自署)上坐尼敬稱」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内211頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

二月四日奉請<大>小乗經二百十<二>部四百廿六<八>巻[並黄紙及表綺帯朱軸 紙帙]
  納〓≪泥+土≫辛櫃二合[別居〓≪泥+土≫榻足机 敷三副帛袷帳 巳二 庚一櫃者] 
                       都維那尼(善第)
上坐尼「(自署)敬稱」
寺主尼「(自署)善光」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内211頁~212頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「大小乗論奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)1月19日

記事

合大小乗論漆拾陸部 陸伯貳拾捌巻[並黄<紙>及表綺帯紫檀軸]
  七十四部五百廿六部巻大乗論
  二部二百十二巻小乗論
   綵帙陸拾壹枚[並錦縁緋裏組帯 〓≪よんじゅう≫八枚別着牙籖]
    納韓櫃貳合[一合塗 一合白木]並敷布
以前 依少僧都(慈訓)今月十八日宣 付便使 令奉請如件
               天平寳字二年正月十九日

出典

『大日本古文書』13(233頁)(『正倉院文書』続々修16帙6)

「御願經奉寫等雜文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)8月2日

記事

(前略)
  東大寺奉寫經所牒 大和國寫經所
  合【奉】稱讃淨土經壹拾卷
    一卷[白紙 白〓≪衣偏+票≫破壊 塗軸 紫斑【緒】帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 朱軸 彩綺帯] 一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 靑綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 漆軸 靑綺帯] 二卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 軸 綺帯 以九月廿九日収了]
    一卷[黄黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 朱軸 綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 軸 紫組帯] 一卷[白紙靑〓≪衣偏+票≫ 朱軸 靑綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 朱軸 紫綺帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(399頁~400頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六)

「造石山寺所公文案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字6年(西暦762)1月15日

記事

造石山寺所解 申請借錢事
合錢貳拾貫      「(異筆)如員請来自上寺」
   右 爲買 借所請如件 以解
       天平寳字六年正月十六日領下
                主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』15(137頁~140頁の内138頁)(『正倉院文書』続々修十八帙三)

「造石山寺所公文案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字6年(西暦762)1月15日

記事

造寺所解 申請錢事
合壹拾貫        「如員請来<自>上寺」
   右 爲買 所請如件 以解
       天平寳字六年正月二十日下
                主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』15(137頁~140頁の内139頁)(『正倉院文書』続々修十八帙三)

「造石山院所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字6年(西暦762)1月15日

記事

造石(山脱)院所解 申可障作物事
一進上銭壱伯文 伍夕許并墨縄等可買價
    右、為塗雑、不得此市買求、仍令買、進上如件、
(後略)

出典

『大日本古文書』15(219頁~220頁の内219頁)(『正倉院文書』続々修18帙3)

「造石山寺所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)1月16日

記事

造石山院所解 申請借銭事
合弐拾貫
   右 為買 借所請如件 位解
   [天平寶字六年正月十六日領下]
           [主典安都宿祢]
(紙端)

出典

『大日本古文書』15(289頁~290頁の内290頁)(『正倉院文書』続修22)

「造石山寺所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)1月24日~7月27日

記事

四日下壱合 又下縄参條[木工等付勾猪万呂秦九月]
    右塗雑釘□(料カ)付□(沸)眞時

出典

『大日本古文書』15(314頁~342頁の内334頁)(『正倉院文書』続々修44帙6)

「造物所漆検納文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)1月29日

記事

造物所
伍斗弐合
   右依來員之 検納如件
     天平寶字六年正月廿六日六人部荒角
又奉送銅釜一口[嶋院釜者]

出典

『大日本古文書』15(342頁)(『正倉院文書』続々修44帙10)

「私部得麻呂漆工貢進文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)12月16日

記事

貢上
  私部酒主[年廿]但馬國氣多郡餘部郷戸主私部意嶋戸口
   知塗
         天平寶字六年十二月十六日
          貢上人右大舎人少初位上私部得麻呂

出典

『大日本古文書』16(58頁~59頁)(『正倉院文書』続々修46帙9)

「造石山院所用度帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)

記事

(前略)

合貳斛<「*九」>捌〓≪豆偏+斗≫陸<「*二」>升肆<「*六」>合
  一石二斗一<「*八」>升八合堂柱十四根塗料[柱別八升七合]
   七斗二<「*五」>升八合<「*九」>合〓≪土偏+塞≫料[柱別五升二合]
   四<「*五」>斗九<「*二」>升<「*一合」>土料[柱別三升五合]
  一斗二<「*三」>升六合高坐二基塗料[基別六升三合]
   五升二<「*七」>合二度土料[基別六二升六合]
   七合四<「*九」>合三度墨料[別三升七合]
  七<「*八」>升六<「*四」>合<「*四夕」>高坐橋二基塗料
   三<「*四」>升六合二度土料[基別一升八合]
   四升<「*四合四夕」>三度墨料[基別二升]
  一斗七<「*八」>升塗高坐大床二基 漆料[別八升五合]
   九升<「*五合」>塗二基二度土料[別四升五合]
   八升<「*五合」>塗二基二度墨料[別四升]
  三升八合盖柱八枝塗料[枝別八合]
   二升二度土料[枝別二合五夕] 一升八合三度墨料[枝別二合二夕五抄]
  一升<「*二合」>四夕盖柱本坐八輪塗三度墨料[輪別一合五夕]
  八合盖葛形八枝塗一度土料[枝別一合]
  三斗六<「*七」>升高坐盖二覆塗料
   一斗五<「*六」>升盖二覆〓≪土偏+塞≫料
    九升一<「*五合」>盖三重〓≪土偏+塞≫料[重別三升]
    六升一<「*五合」>盖二重〓≪土偏+塞≫料[重別三升]
   九升二盖裏於一度土料[盖別四升五合]
   五升二盖枚桁丸桁垂木并多々理形及波佐目等【塗二度土】塗二度土料[盖別二升五合]
   七升二盖枚桁丸桁垂<「*木」>多々理波佐目等塗三度墨料[盖別 三升五合]
  五<「*六」>升高座前机二前塗土并墨料[別二升五合]
   二升<「*五合」>前机二前二度土塗料[前別一升]
   三升<「*五合」>前机二前二度塗墨料[前別一升五合]
  五<「*六」>升礼盤二前塗土并墨料[別二升五合]
   二升<「*五合」>二度土料[別一升]
   三升<「*五合」>三度塗墨料[別一升五合]
  四升四合二夕塗箜篌四具料
   二升二合篌四隻琴上下〓≪土偏+塞≫料
  一合堂飛炎木後釘千六百七十二隻焼塗料
  一合醜逼四面眼塗土
  一升六合〓≪さんずい+崔≫(灌)頂笠根二具土
  五升三<「*四」>合三<「*一」>夕四抄<「*六撮」>丈六仏御坐花廿四枚塗料
   二升一<「*二」>夕六<「*四」>抄丈仏御座花八枚料
   四合〓≪土偏+塞≫料枚別五夕   五合六夕土料枚別七夕
   七合二夕墨料別九夕 二夕六<「*四」>抄佐目料別三抄
   三合二夕花塗料別四夕
   三升三合一<「*九」>夕二抄菩薩御坐花枚十六枚塗料
    五<「*六」>合六<「*四」>夕〓≪土偏+塞≫塗料[別四夕]
    九合六夕土塗料
    一升二合八夕墨塗料[別八夕]
    三夕二抄佐目塗料[別二抄]
    四合八夕塗花塗料[別三夕]
  倒花十九房[大五房面徑二尺高一尺 小十四房面徑一尺七寸高九寸]
  所用六<「*五」>斗四<「*七」>升【六抄】<「*三夕」>
   一斗六升五合五夕花實十九房〓≪土偏+塞≫并土塗
    四升六合五夕大花實五房料[房別九合三夕]
     二升二合五夕≪土偏+塞≫料房別四合五夕
     二升四合土料房別四合八夕
    一斗三<「*一」>升<「*九合」>小花實十四房料別八合五夕
     五升六合≪土偏+塞≫料房別四合
     六升三合土料房別四合五夕
  四斗七<「*一」>升四<「*三」>合五<「*八」>夕【六抄】花枚二百廿八枚料
   一斗二升七合二夕大花枚六十枚料[別二合一夕二抄]
    二升四合〓≪土偏+塞≫料枚別四夕 三升六合土料枚別六夕
    四升八合墨三度料枚別八夕
    一合二夕佐目塗料枚別二抄
    一升八合塗花料枚別三夕
   三<「*二」>斗四<「*八」>升七<「*六」>合三<「*六」>夕【六抄】小花枚百六十八枚料別一合七夕二抄
   五升四夕〓≪土偏+塞≫料別三夕  八升四合塗土料枚別五夕
   一斗七<「*一」>升六<「*五」>合<「*二夕」>塗墨<「*四撮」>三度料[別七夕]
   三合三夕六抄佐目塗料枚別二抄
   三升三合六夕塗花料[別二夕]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(253頁~275頁の内266頁~271頁)(『正倉院文書』続々修38帙9裏)

「造金堂所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字6年(西暦762年)

記事

(前略)
造金堂所解 申請用銭并雜物等
合銭一千六百十二<「*〓≪よんじゅう≫九」>貫九<「*七」>百五<「*十」>十四<「*三」>文
(中略)
  八貫八百文買三斗七升五合直[「*上中(品カ)一斗七升五合〔一斗二升別二百〓≪よんじゅう≫文 五升五合別二百〓≪よんじゅう≫五文〕 中品二斗升別二百卅文」]
(後略)

出典

『大日本古文書』16(290頁~305頁の内301頁)(『正倉院文書』続修35)

「東大寺奉寫大般若経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)5月13日

記事

東大寺
灌頂経十二局[黄紙及<綺緒>表胡粉塗〓≪木+聖≫軸葛形繍帙浅緑綾裏錦縁紫綾緒 黄楊籤納小櫃居白木猫足机覆并敷洗布]
  今奉請八部
  寺家奉留四部
   右 依今月十二日宣 奉請如件 於内裏[使主典安都宿祢]
       天平寳字七年五月十三日安都
(後略)

出典

『大日本古文書』16(382頁~384頁)(『正倉院文書』続々修47帙7裏)

「大般若経本奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)9月1~15日

記事

大般若経二百巻[波和良紙縹表綺帯胡粉地銀墨絵軸 自初百迄二百巻] 
  納辛櫃一合[敷布一条 布綱二条 朸一枝]
   右 以七年九月一日 奉請内裏[使主典安都宿祢]

出典

『大日本古文書』16(420頁)(『正倉院文書』続々修4帙20裏)

「大般若経本奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)9月1~15日

記事

大般若経二百巻
  一百〓≪よんじゅう≫巻[波和良紙縹緒表綺帯胡粉地金墨絵軸]納辛櫃一合[布敷]
  六十巻[波和良紙縹表綺帯胡粉地銀墨以絵軸]
   右 以同月九日 奉請内裏 使主典安都宿祢]

出典

『大日本古文書』16(420頁~421頁)(『正倉院文書』続々修4帙20裏)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
仁王経卅【三】四部六十五<七>巻[之中一部副 見五十六巻 欠二箇巻 並下巻]
  廿九部黄紙及表綺帯朱軸 一部黄紙及表緑帯
  一部黄紙及表蘇芳〓≪あしぎぬ≫帯軸[未上]
  一部黄紙及表緋〓≪あしぎぬ≫帯軸[已上可請嶋院寮経内之]
  一部黄紙及表綺帯梨軸[葛木寺了]
  一部黄紙及表綺帯紫檀軸[坤宮一切経内]
   右件経 除先奉請之外 司中随見在員 附廻使舎人今木稻持 令奉請如件
           天平神護二年四月六日上馬養
               主典他田
(後略)      

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内441頁~442頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
造東大寺司移 御執経奉寫所
   十二灌頂経貳巻[第一三巻 水主内親王経之内 黄紙黄表紙綺帯軸有印]
    右 依彼今日移<文> 奉請送如件 仍附廻使下浄足 故移
           天平神護元年八月四日主典雄橋公 「(自署)石正」
                 判官美努連 「(自署)奥麻呂」
(後略)    

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内445頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「*无量壽経二巻[黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮一切経内]
觀无量壽佛経一巻[黄紙及表綺帯軸 可請嶋院寮経内]
   右 依來牒旨 附返使日奉人嶋 令請如件
               上馬養」
(後略)    

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内447頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事


(前略)
「(又異筆)令奉請貳巻[一巻黄紙黄表綺帯軸在印水主宮第五櫃 一巻黄紙黄表綺帯朱軸在印内堂第五櫃]
  右 付即使内竪葛木黒山
               出建部廣足」        

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内455頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)菩薩念仏三昧経六巻[黄紙及表綺<帯>軸有印 水主宮之]
恵印三昧経一巻[黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮一切経内]
  右 依今日宣旨 附内竪岐子松 令奉請如件
              上馬養」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内466頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
(前略)
十一月
  □七日下帛汗衫陸領[反五領【未一領[知]】 合袍壹領[白橡﨟纈緑裏]
   〓≪巾偏+業≫子[呉桃染 反]    綿袴奴貳具[緋裏 反]
   勅吐巾貳条[緋於帛裏 反]    鈴参口[反(マヽ)  布襪拾
   〓≪革偏+吉≫〓≪革偏+莫≫帯拾伍条[大一条 小十四条之中赤皮二条 反十四條 【未反小赤皮壹條知】]
    右 借充中鎮所 付僧勝行師
               造寺司主典雄橋公「(自署)石正」
               案主建部廣足 倉人呉服「(自署)息人」
「(満殖筆)中鎮         目代僧満殖」「(自署)勝行」
「(異筆)上件未返帛汗衫一<壹>領 小赤皮帯一<壹>条 知 史生秦盆倉 倉人呉服」「(自署)息人」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内568頁)(『正倉院文書』続々修44帙10)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
   金銅昿金□(捌カ)□□□(長方形抜け)貳□□(長方形抜け)花臺
   蟹目釘壹佰拾参隻<返上分六隻> 金銅栽物貳枚[作炎形]
   銀□鏡形肆面[各有<金銅>順并坐 □□□(長方形抜け)] 青吹玉参丸□□(長方形後半抜け)
   青地﨟纈四□□(長方形後半抜け)
    □□□(長方形後半抜け)
   帯肆條[細如檢定帳 大床〓≪「虫」上に点+也≫舌壹條細如檢定帳
   緑〓≪あしぎぬ≫捌條[一長一丈一尺 七長八尺以下六尺以上] 白羅幌貳條[長各五尺四寸 二幅]
   擧幌黒赤紫帯肆條 障〓≪泥+土≫板黒紫綾
    右 充経輿装束所 餝寳車料[付文智師圓智師廣〓師 □人]
   □□鏡形貳枚[各有<金銅>順并坐] 金銅□形貳枚[各□□(長方形後半抜け)]
    右 □□□(長方形抜け)料□(付カ) 沙弥□常
   大寳幢壹具 香幢壹具 並充六人部荒炭所[付木工□□(丸部カ)子公]
   香〓褥壹枚[錦表裏緋 聞智師所上]   主典葛井連
                             史生秦盆倉
                             蔵人田邊「(自署)田道」呉服「(自署)息人」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内575頁~576頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

「北倉代中間下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)~寶亀8年(西暦777年)6月4日

記事

(前略)
八月
  □□日下□□(長方形後半抜け)[□□(長方形前半抜け)紫綾五領 入同色生合(マヽ)□ □□(長方形前半抜け)〓≪あしぎぬ≫合六領 緋生〓≪あしぎぬ≫合□]
[緋□□(長方形抜け)六具 白衫合纈四領〔之中二紫綾袖繼〕半臂参拾腰[緋地錦身 十三腰]
白地錦身五腰 縹地両面身一腰 呉桃染□(地カ)両面身一〓腰
緑地錦身二腰 浅緑地錦一腰 緑地鹿形両面身□腰
白綾縫物地一腰 黄地両面身一腰
縹地両面□□(長方形抜け) □□(長方形抜け)地錦身一腰 帛<合>□貳拾伍
□□□(長方形抜け)革帯貳拾□□(長方形抜け)
□□貳面各□□(長方形抜け)〓≪巾偏+「蝶」の旁≫笠貳口〓≪巾偏+「蝶」の旁≫子□口[梨大〔金口〕之中一条在牒世布]
皷伍面[大二 小三] 懸緒伍条 白子壹〓≪巾偏+「蝶」の旁≫
白盤壹口 作頭壹口 靴拾両[各在□□(長方形抜け) 又花帯一条]
横笛壹□(枝) □筝壹面 琵□(琶)壹面[紫檀]
□□□(長方形抜け)両 布襪□□(長方形後半抜け)
黒□()辛櫃壹合
  右 以月二日 自隅寺奉請仏 粟津寺供奉料下充 <付>僧勝行 文廣前 魚主 小菅万呂 野長
又下小幡捌〓≪方偏+「流」の旁≫[付春日安万呂]
         主典建部廣足 倉人呉服「(自署)息人」
        本三綱少都維那僧「(自署)聞崇」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(566頁~593頁の内580頁~581頁)(『正倉院文書』続々修44帙9)

 

「造東寺司移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)2月8日付

記事

造東寺司移  御執經所
【合大小乗經律論及聖集傳別生僞疑】
合大乗經六百七十八巻[彩帙八十七枚 籤八十七枚] 納赤「(異筆)辛櫃四合[各敷布居榻足机坤宮官一切經之]」
(後略)

出典

『大日本古文書』17(24頁~34頁のうち24頁)(『正倉院文書』続々修17帙6)

 

「造東寺司移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)2月22日付

記事

造東寺司移  御執經所
合大<小>乗經律論集傳等惣帙一千八百十七巻 彩帙二百九十一枚 牙籤百六十枚 納辛櫃九合之中[六合塗赤 三合白木]
並敷布居白木榻足机「*坤宮官一切經之内」
(後略)

出典

『大日本古文書』17(34頁~48頁のうち34頁)(『正倉院文書』続々修17帙6)

 

「造東寺司移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)2月22日付

記事

造東寺司移 御執經所
(中略)
大乗經阿比達磨集論七巻[已上第四帙无籤]
  右二百廿八巻納第七櫃[塗赤漆 敷布 居白木榻足机 (異筆下同ジ)「帙廿四枚 籤廿二枚」]
(中略)
破外道小乗四宗論一巻 破外道小乗涅槃論一巻[已上第十一巻无籤]
   右「一百廿四巻納第八櫃[塗赤漆敷布 居白木榻足机]」
(後略)

出典

『大日本古文書』17(34頁~48頁のうち35頁~37頁)(『正倉院文書』続々修17帙6)

 

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
仏性義一巻[白紙黄表紫帯塗軸]
發菩提心義遊心法界記<并>一巻[白紙]
百法論疏一巻[無初題表軸 両面]
法界无差別論疏一巻[法蔵師 白紙無帯軸]
観行問答一巻[第二巻 白紙無帯軸]
往生論一巻[白紙無表軸]
上六巻雑第五帙
已上八十一巻審詳師經内
以前、依去正月卅日牒 附廻使堤宿奈麻呂、令請如件、
神護景雲二年二月三日主典建部
判官美努連
案主上馬養
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁のうち108頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

 

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
仏性義一巻[白紙黄表紫帯塗軸]
發菩提心義遊心法界記<并>一巻[白紙無帶竹軸]
百法論疏一巻[無初題表軸 両面]
法界无差別論疏一巻[法蔵師 白紙無帯軸]
観行問答一巻[第二巻 白紙無帯軸]
往生論記一巻[白紙無表軸]
    上六巻雑第五帙
  以上八十【一】巻審詳師經内
以前、依去正月卅日牒 附廻使堤宿奈麻呂、令請如件、
             神護景雲二年二月三日主典建部
                     判官美努連
                     案主上馬養
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁のうち108~109頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
  摂論一部十五巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 斑帙 緋縁 縹裏]
  无性摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 白檀軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  世親摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  地持論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 紫縁 縹裏]
  菩薩地持<論>一部八巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  无依无得大乗四論一部十二巻[白紙 黄表 帛帯 白木軸 无帙]
  釋迦譜一部五巻[黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  成實論一部十六巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 紫皮帙]
  雑阿毘曇心一部十一巻[漢手 黄紙及表 緋帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  立世阿毘曇論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  法花經義疏一部十三巻[之中十二巻 百斎手 白紙 綺帯 无軸 吉蔵師 一巻 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸]
  法花經疏一部七巻[新羅手 白紙 无帯 軸]
  新摂大乗論疏一部十一巻[白紙 紫帯 无軸 神廓師]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち126頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

 

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)11月12日付

記事

(前略)
  倶舎論疏一部廿六巻[白紙 无帯 軸 泰法師 「*欠中帙第四巻」]
  成實論議一部廿三巻[二帙 漢手 黄紙 緋綺帯 朱頂軸 紫縁 縹裏]
  阿毘曇論章一部十五巻[白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  雑阿毘曇章一部七巻[漢手 白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  毘曇章一部五巻[白紙 无帙]
  阿毘曇心一部四巻[呉手 黄紙及表 綺帯 軸]
  唱礼文八巻[白紙 綺帯 軸 五色〓≪あしぎぬ≫帙]
   右四百九巻、圖書寮經内之、
  大乗廣百論釋論一部十巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗荘厳經一部十三巻[黄紙及表 綺帯 朱軸]
  十佳毘婆沙論一巻[白紙未装〓≪さんずい+黄≫]
  因明入正理論一巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗百法明門論本事品中略録名數一巻[複大乗五〓≪草かんむり+温≫論]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁のうち127頁)(『正倉院文書』続々修17帙10)

 

「奉寫一切經料紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年5月20日付(西暦770年)

記事

(前略)
二年正月
    十一日下黄紙肆仟捌張[之中八張裹紙料 又五百廿張表紙 納白木辛櫃一合 着布綱一條]
    右繼料、下充氏部小勝「(追筆)依員繼了」
少鎮大法師            案主上馬養
                  別當法師「(自署)奉榮」
    廿三日下黄紙弐仟弐伯伍拾張
     右繼料、下充氏部小勝、
少鎮大法師            案主上馬養
                  別當法師「(自署)奉榮」
    廿九日下黄紙肆仟張[納辛櫃一合 着布綱一條 二月十五日上了]
     右繼料、下充八木宮主、
                  案主上馬養
                  別當法師
(後略)   

出典

『大日本古文書』17(154頁~160頁のうち156頁~157頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)

 

「奉寫一切經料紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年5月20日付(西暦770年)

記事

(前略)
    二月
     十五日下充黄紙仟張[納辛櫃一合<白木> 着布綱一条 「*打料充禾田五百足〔即依員打上了〕」]
      右繼料、充八木宮主
                 案上馬養
                 別(當)法師
   廿七日下充黄紙伍仟張[四千充(マヽ)上毛野眞依「以三月二日繼上 一千張八木宮主」]
    納辛櫃一合[着布綱一条 付眞依]
                 案主上馬養
                 別當法師「(自署)奉榮」
     三月四日下充紙伍仟張[黄「(追筆)以十一日繼了]
       右繼料、充上毛野眞依
                 案主上馬養
                 別當法師「(自署)奉榮」
     十九日下黄紙仟張[繼料下充上毛野眞依 「*以廿日繼畢」 納白木辛櫃一合着布綱一条]
                 案主上馬養
                 別當法師「(自署)奉榮」
     廿八日下黄紙伍仟張[繼料充上毛野眞依 「*以閏三月八日繼上了欠七張」 納辛櫃一合布綱一条]
                 案主上馬養
                 別當法師「(自署)奉榮」
    閏三月
     九日下黄紙伍仟張[繼料充上毛野眞依 納辛櫃一合布綱一条 「(追筆)「以四月七日繼上了」]
                 案主上馬養
                 別當法師「(自署)奉榮」
(後略)

出典

『大日本古文書』17(154頁~160頁のうち157頁~158頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)

 

「奉寫一切經料紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年5月20日付(西暦770年)

記事

(前略)
    四月
     一日下黄紙玖仟枚[繼料充氏男勝「*五月七日上了」納辛櫃二合布綱二條〔一合泥 一合白〕]                          案主上馬養
                別當法師「(自署)奉榮」
    七日下充黄紙伍仟張[繼料充上毛野眞依 納辛櫃一合布綱一條「*五月十六日上了」]
  
七月
    九日下充黄紙参仟伍伯張[繼了充氏男勝「*繼了」 納辛櫃一合布綱一條]
                案主上馬養
               別當法師「(自署)奉榮」
    八月
     廿三日【収納】下充黄紙弐仟(マヽ)[繼料充丈部廣嶋]
                案主上馬養
                別當法師
(後略)

出典

『大日本古文書』17(154頁~160頁のうち158頁~160頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)

 

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寳亀4年2月13日

記事

(前略)
収納黄紙貳萬参仟張 盛辛櫃肆合[三合 一合白木]
         寳龜二年十二月廿四日勘案主上「(自署下同ジ)馬養」
                史生小治田宿祢年足
司判収
              大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち124頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
寳龜三年
正月五日収納黄紙壹萬参仟参佰捌拾張 納辛櫃参合[二合塗 一合白木] 
               勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司収          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             小判官志斐連「(自署)麻呂」
             主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち127頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
九日収納黄紙壹萬陸仟陸佰捌拾捌張 納辛櫃肆合[二合塗 二合白木]
                勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち128頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
十四日収納黄紙壹萬仟肆佰張 納辛櫃肆合[一合塗 三合白木] 
               勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検 納         大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123~131頁のうち129頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
廿日収納黄紙貳萬参仟壹佰貳張 納辛櫃陸合[四合塗 二合白木]
               勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納         大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             小判官志斐連「(自署)麻呂」
             主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち129頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
廿一日収納黄紙伍萬貳千玖伯伍拾張
[三万二百張打繼 二万二千七百五十張荒]納辛櫃壹拾合[六合塗 四合白木並即充奉寫一切経所]
              勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納         大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             小判官志斐連
             主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち130頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
二月四日収納黄紙玖佰肆拾陸張 納白木辛櫃壹合
勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納         大判官美努連
小判官志斐連「(自署)麻呂」
主典葛井連「(自署)荒海」
「*都合黄紙卅万四千二百六張[経所請廿万四千三百廿六(張脱カ) 正倉在<九万>九千八百八十張]
軸一万八千七百廿四枚[経所請一千六百八十四枚 正倉在一万七千〓≪よんじゅう≫枚]
辛櫃六十四合[経所〓≪よんじゅう≫二合請 十八合塗 廿四合白木 正倉在廿二合]
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち130頁~131頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

寳龜三年正月
廿一日請黄紙伍萬貳仟玖佰伍拾張[三万二百張打繼 二万二千七百五十張荒]
納辛櫃壹拾合[六合塗 四合白木]
右、奉寫四部一切経料 且請納如件
案主上「(自署下同ジ)馬養」
大判官美努連(奥麻呂)

出典

『大日本古文書』19(144頁~145頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

「(異筆)八日納黄紙貳萬壹仟壹伯拾貳張
        盛辛櫃伍合[三合塗 二合白木]
         右件紙、且所請如件、
                     案主上馬養    
                  別當大判官美努連」

出典

『大日本古文書』19(146頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

 十八日納黄紙三万三百九十張[八千四百張打 二万一千九百九十張荒 「*欠五百卅」]
    納辛櫃六合[二合 四合白木]
                案主上「(自署)馬養」
             別當大判官美努連
               主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(147頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

  廿六日納黄紙参萬壹仟壹伯張 納辛櫃七合[六合白木 一合]
                 案主上「(自署)馬用」
                主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(147頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

  六月
   廿五日納黄紙参萬壹仟漆伯捌拾捌張
    納辛櫃捌合[四合 四合白木]
                 案主上「(自署)馬養」
                主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(147頁~148頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

 八月
   三日納凡紙肆伯張[雜用料]
                       案主上「(自署)馬養」
   又納黄紙参萬陸仟肆拾張
    盛辛櫃陸合[二合塗 四合白木]布綱五條
                       案主上「(自署)馬養」
                      主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(148頁~149頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

 十六日納黄紙貳萬陸仟玖伯張[「*欠五十張」]
    盛辛櫃肆合[一合塗 三合白木]布綱肆條
                       案主上「(自署)馬養」
                      主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(149頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

「(異筆)三月
      十八日収納黄紙七万二千九百八十張
       納辛櫃十三合[白木]又軸一万七千〓≪よんじゅう≫枚[納白木辛 櫃六合]
       凡紙一百五十張
                    案主上馬養
                   主典葛井連」

出典

『大日本古文書』19(150頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

 

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

(前略)
寳龜三年正月
  廿一日請黄紙伍萬貳仟玖佰伍拾張[三万二百張打繼 二万二千七百五十張荒]
   納辛櫃壹拾合[六合塗 四合白木]
    右 奉寫四部一切経料 且請納如件
                案主上「馬養」(自著下同ジ)
               大判官美努連(奥麻呂)
(中略)
二月
  四日納黄紙玖伯肆拾陸張[請政所]
                案主上
             別當大判官美努連
(中略)
(異筆)八日納黄紙貳萬壹仟壹伯拾貳張
    盛辛櫃伍合[三合塗 二合白木]
     右件紙 且所請如件
                案主上馬養    
             別當大判官美努連
三月
  九日納凡紙貳伯張
                案主上「馬養」
  十八日納黄紙三万三百九十張[八千四百張打 二万一千九百九十張荒 「欠五百卅」
   納辛櫃六合[二合 四合白木]
                案主上「馬養」
             別當大判官美努連
               主典葛井連
(中略)
  廿六日納黄紙参萬壹仟壹伯張 納辛櫃七合[六合白木 一合]
                案主上「馬用」
               主典葛井連
(中略)
六月
  廿五日納黄紙参萬壹仟伯捌拾捌張
   納辛櫃捌合[四合 四合白木]
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(中略)
八月
  三日納凡紙肆伯張[雜用料]
                案主上「馬養」
  又納黄紙参萬陸仟肆拾張
   盛辛櫃陸合[二合塗 四合白木]布綱五條
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(中略)
  十六日納黄紙貳萬陸仟玖伯張[欠五十張]
   盛辛櫃肆合[一合塗 三合白木]布綱肆條
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(中略)
(異筆)寳龜四年二月
  十三日納凡紙参伯伍拾張[三百張端繼料「買入告朔」 五十張障子張料]
                案主上馬養
               主典葛井連
廿三日収納凡紙二百五十張[「入告朔」]
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(異筆)三月
  十八日収納黄紙七万二千九百八十張
   納辛櫃十三合[白木]又軸一万七千〓≪よんじゅう≫枚[納白木辛 櫃六合]
   凡紙一百五十張
                案主上馬養
               主典葛井連
(後略)

出典

『大日本古文書』19(144頁~151頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所請物文案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(前略)
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五段
商布廿段          黄紙卅万四千【三】二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚緑青地 八百二枚白緑地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地 六百七十七枚丹地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三両一分[太]
(中略)
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[【十八】〓≪よんじゅう≫五合塗] 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
(中略)
石四顆           標(縹)紙料竹卅五株
(中略)
   右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如件、
               寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
                     □□□□(大判官外)従五位美努連

出典

『大日本古文書』19(244頁~247頁)(『正倉院文書』続々修43帙24裏)

「奉写一切経解案」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀3年(西暦772年)8月11日付

記事

残四百六十五〓≪しんにょう+手≫(挺)
膠三斤三両一分[太]
用一斤[依政所判充四王彩色所]
残二斤三両一分[太]
(中略)
小豆二石六斗四合
二石見小豆収厨 六斗四合黒米六斗四合之代[請経所]
辛櫃一百六合[四十五合塗 六十一合白木]
八十四合請経所 廿二合収正倉
折櫃一百十七合
十合請経所 一百七合収正倉
長折櫃廿六口
廿口請経所 六口収正倉
大笥四十六合

出典

『大日本古文書』20(222~225頁)(『正倉院文書』續々修34帙13裏)

「倉代西端雜物出入帳(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀4年(西暦773年)正月7日~3月16日

記事

十三日下﨟纈端畳伍拾枚 﨟纈端短<畳>肆枚[二枚充鑄□(所カ) 二枚充□]
  屏風参拾帖[各有布衣「(異筆、下同ジ)且返□帖] 花机褥弐枚[「(異筆)且返一枚」] □□□(長方形抜け)弐條[各五幅 「(異筆)且返一条」]
  緑綾帯肆條[「(異筆)且返二条」] 聖僧褥□枚□□□(長方形抜け)□□□褥弐枚[□□□(長方形後半抜け) 「(異筆)且□□□(長方形抜け)」
  高座前机褥弐枚<「(異筆)且返一枚」> 覆弐條[各二幅半 「(異筆)且返一條」] 中火爐褥弐□□□(長方形後半抜け)
  経厨子蓋弐條<「(異筆)且返一条」> 帳弐條<「(異筆)且返一条」> 幌弐條<「(異筆)且返二条」> □□帯拾弐條[且返六□(条)]
  花筥陸拾合[□□□(長方形抜け)] 納墨□□□(長方形抜け)肆具[「(異筆)□(且)返上二具」
  塗中取弐前<「(異筆)且返上五合> 塗樽拾合 羅小幡捌〓≪方+流の旁≫[「(異筆)且返□□□(長方形抜け)」]
   右、為用月十四日花厳会、借下充、付[日置船守 矢田部□□]
都維那僧「(自署)寂雲」    □□□(長方形抜け)呂
可信「(自署)宝業」      史生呉服息人 倉人志斐連「(自署)枚万□(呂)」
本三綱「(自署)承天」

出典

『大日本古文書』21(234頁~238頁のうち236頁~237頁)(『正倉院文書』續修後集40)

「雑経目録」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

「(端裏)雑経六帙」
別生経
  密迹金剛力士経三部十一巻[一部二巻綵帙 一部二巻无軸及帙 一部七巻无帙]
  菩薩夢経二部四巻[一部二巻綵帙 一部二巻无帙軸]
  法界体性無分別経二巻[綵帙]
  大菩薩蔵経二部〓≪よんじゅう≫巻[一部廿巻〓≪夕+鹿≫帙緑綾裏紫綾縁組帯 一部廿巻无帙]
  菩薩見実三昧経十四巻[綵帙一]    郁伽長者所問経二部二巻
  迦葉経二部四巻[一部二巻綵帙 一部二巻无帙]    无畏徳女経一巻
  大乗方便経二巻[綵帙]    移識経二巻[綵帙]
  大宝積経一巻    宝髻菩薩所問経二巻[无帙]
   右十二経、並編入大宝積経蔵中、故無別本、
  金光明経〓≪よんじゅう≫部百六十巻[廿部八十巻軸 廿部八十巻朱軸]並〓≪夕+鹿≫帙紫綾縁緑綾裏組帯
   右一経、与蔵中、八巻者文勾不異、其八巻本品数〓≪人+各の口が田≫足、故留入蔵、此一本皆〓≪門+報≫、故除不載、[其八巻本有廿四品 此四巻本有十八品]
  新道行経七巻[无帙]      阿耨達龍王経二巻[无帙]
  哀泣経三巻[綵帙]       鹿子経一巻
  転輪五道経一巻       眞偽沙門経一巻
   右六経、或是一経両名、或所時無正本、故存一経、重者不録、
  虚空蔵経八巻[无帙]      虚空蔵問持経得幾福経一巻
  一切施王所行檀波羅密経一巻 如来性起経二巻[綵帙]増一阿含経一巻
  行七行現報経一巻 十二因縁経一巻、戒相應法経二部二巻
比丘問佛多優婆塞命終経二部二巻
   右【五】九経、既従大経流出、是<即>別生、准衆経録、別生之経不〓≪さんずい+頁≫抄写、故入蔵録除不載、
  浄度三昧経二巻[綵帙]      法社経二巻
  盆意経一巻          救護身命経十部十巻[〓≪夕+鹿≫帙]
  観世音三昧経三部三巻[一巻漆軸 一巻<色紙>紫綾表] 清浄法行経一巻
  高王観世音経二部二巻
   右七経、並是古旧録中偽疑之経、周録雖編入、正文理並渉人謀、故此録
   中除之不載、

出典

『大日本古文書』23(125~127頁)(『正倉院文書』續々修12帙11)

「造仏所作物帳(?)断簡(首中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平6年(西暦734年)5月1日

記事

    猪脂一斗一升参合
    小麦粉捌升玖合
    木屎参升弐合
    掃墨肆斗玖升漆合
    赤土伍斗参升
(中略)
  「(楽書、下同ジ)胡桃皮陸仟参伯拾伍斤木芙蓉壱伯肆」
    胡桃皮陸仟参佰拾伍斤
「(楽書)胡皮桃葉壱」
    胡桃葉壱伯肆拾斤  「(楽書)方 明 明 明 明 」
(中略)
    白革壱拾弐張
    鹿毛弐両
    馬髪弐拾捌斤
    土弐仟肆伯壱拾斤[二千五十斤肩野郡土 三百六十斤石川郡土]
    白石弐伯玖拾斤
    温石一拾斤
    〓≪石偏+弖≫参顆
    破〓≪石偏+弖≫玖拾弐顆
    青〓≪石偏+弖≫弐拾弐顆
    荒〓≪石偏+弖≫参拾一顆
(中略)
   写経四百ニ巻
    一百十二巻[唐麻紙]
    〓≪よんじゅう≫五巻
    ニ百〓≪よんじゅう≫五巻[胡桃紙]
   用唐麻紙一千五百卅張[長ニ百廿八張 短一千三百二張]
    布紙六百五十一張
    胡桃紙四千七百十八張[已上経紙六千八百九十九張]
    端継紙ニ百八十四張
    〓≪衣偏+票≫則紫紙一百廿二張
    □□紫羅十二丈二尺[墨紫十一丈一尺表料 □□□(長方形後半抜け)]

(蜂須家侯爵家所蔵)
]
    □□□(長方形抜け)
    蘇芳<木>五両
    象牙二枚
    膠三両一分
    (中略)
    青〓≪石偏+弖≫三顆[磬磨料]
    桐六枚[各長三尺八寸径四寸 凰形作料]
   灌頂蓋宗木四箇[各長七寸径四寸 以楠作塗漆]
    用三合                     掃墨一合二夕
    上下環銅八口[各径二寸]              料銅二斤一両[合銀一分]
    塗練金小二銖                   水銀小一分四銖
    環〓≪草冠+巫≫銅四隻[各長一尺 不塗金]     料銅四斤一両
    環位銅八枚[各径二寸四分]             料銅六両一分
    塗練金小二銖                   水銀小一部四銖
    架穴位銅十六枚[各方一寸半]            料銅四両一分
    塗練金小一銖                   水銀小五銖
   蓋架十六枚[各長二尺七寸 以欟作漆塗]
    用六合四夕                   掃墨二合五夕
   幡横木四枚[各長五尺四寸広□ 厚八分以檪作塗漆]
    用五合六夕                   掃墨二合三夕
   蓋表裁銅十六枚[各高三寸七分 広八寸]        料銅一斤十四両
    塗練金小二分                   水銀小二両三分
   大鋪ニ百五十六枚[各径四寸 料銅廿三斤]       [蓋四具各用錦鋪十ニ枚 大幡四條各用鋪五十二枚]
    塗練金小六両                   水銀小二斤二両一分
   大鈴ニ百五十六口[各周四寸 所用如鋪]        料銅十ニ斤六両
    合白鑞二両                    子〓≪金+截≫四斤三両
    塗練金□(小カ)五両                水銀十一斤十三両
   □□形院百五十六枚[各径三寸]            料銅二斤四両一分
    塗練金小四両二分                 水銀小一斤八両二分
   小鋪三百六十八枚[各径三寸 料銅十六斤]       [小幡八條各 用鋪〓≪よんじゅう≫六枚]
    塗練金小三両一分                 水銀小一斤二両三分
   小鈴三百六十八口[各周三寸 所用如鋪]        料銅六斤九両一分
    合白鑞一両三分                  子〓≪金+截≫三斤十二両
    塗練金小四両一分                 水銀小一斤九両一分
   鈴位花形三百六十八枚[各径二寸]           料銅二斤三両
    塗練金小三両二分                 水銀小一斤二両二分
   鋪鈴等固銅糸一百八縷[々別長三尺]          料銅五斤一両二分
    黄糸六両[鋪固料]
   小幡頂凰形八枚[各長一尺六寸 広一尺二寸]      料銅廿九斤二両
    塗練金小八両二分                 水銀小三斤一分三銖
   幡鎮四箇[以緋毛作]
    用表銅四口[各径一尺一寸]             料銅七斤三分
    塗練金小三両                   水銀小一斤二分
    裏銅四口[各径七寸 不塗金]            料銅三斤十両一分
    内輪銅四[各径七寸 不塗金]            料銅一斤六両二分
    内鈴卅二口[八口各周八寸廿四口各 周三寸並塗金漆] 料銅二斤十一両
    鈴合白〓≪金+葛≫一分三銖            鈴子〓≪金+截≫九両三分
    表花形四枚[各径七寸半]              料銅一斤十三両
    塗練金小二分                   水銀小二両三分
    □□□(長方形抜け)[各径二寸蓋長五寸]       料銅一斤十四両三分[合銀二分]
    塗練金小二銖                   水銀小一分四銖
   鎮毛〓≪よんじゅう≫八編[々別長四尺]        料白馬髪廿八斤[染緋]
    用生糸九両二分[編毛料]              練糸七両
    緋糸八両                     緋〓≪あしぎぬ≫三丈
   幢未横木四枚[各長九尺六寸径三寸 以檜作塗漆]
    用二升三合                   掃墨一升二合
    端銅八口[各長三寸半径三寸]            料銅五斤六両一分[合銀二両]
    塗練金小一両                   水銀小五両二分

(続々修三十五帙三)

    □□□(長方形後半抜け)           □□八十両二分
    端環八具[各径二寸径長六寸]         料銅六斤二両三分[合銀二分]
    塗練金小一分                水銀小一両一分
    中銅八口[各長四寸■(半カ)径三寸■(半カ)]  料銅五斤四両二分[合銀一両二分]
    打立環八口[各径一寸八部 座長五寸]     料銀三斤十二両
      右件灌頂四具料用練斤小四□(両)二分一銖
     銀四両三分
     水銀小十四斤四両三分二銖
     白鑞四両三銖
     銅百〓≪よんじゅう≫四斤六両一分
     〓≪金+截≫八斤八両三分
     鋪六百廿四枚


出典

『大日本古文書』24(24頁~34頁)(『正倉院文書』續々修35帙3裏・續々修35帙3)

「造仏所作物帳(?)断簡(首尾闕)」(『蜂須賀侯爵家所蔵』)

撰述日

天平6年(西暦734年)(類収・年月日闕)

記事

   二升三合
   掃墨四合
   笶三百八十箇[簀二枚料]
   練糸六両一分[簀緒料]
     「*白銅鉢已下料」
     右件、用練金小三両四銖、
     水銀小一斤三両一分三銖
     銀一両
     白鑞〓≪よんじゅう≫六斤一両
     銅ニ百六十三斤九両
     〓≪金+截≫卅四斤七両
     膠一両三分
     二斗八升
     掃墨六升二合
     小麦粉三升九合
     上総細布一端一丈五尺
     練糸六両一分
     笶三百八十箇
   銅〓≪金+截≫工所用物
    □(布カ)四丈一尺[金塗物巾并火爐等磨調度]
    糸一両二分[吹皮等縫料]
    調布一端三丈二尺[冠巾等料]
    商布三段七尺[銅下并雑巾等料]
    調綿一斤十両[火爐等営料]
    苧一斤十四両[雑用料]
    〓≪金+截≫精小五両三分[火爐等営料]
    白沙小三分[火爐足修理料]
    胡麻油五升九合[火爐等磨并夜作物所燈営料]
    猪脂六合
    白革七張[銅工搆并鈴釘等塗調度]
    破〓≪石偏+弖≫五十一顆[雑物磨料]
    青〓≪石偏+弖≫六顆[雑物磨料]

出典

『大日本古文書』24(35頁~38頁)

「写一切経司本経返送文(尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)9月14日

記事

「(端裏)不用」
     「(異筆、下同ジ)写一切経司」
返送薬師寺本経惣十八部三百【三】四巻 帙卅一枚
大品般若経〓≪よんじゅう≫巻[帙【三】四枚]    光讃般若(経脱カ)十五巻[帙一枚]
放光般若経卅巻[帙一枚]              勝天<王>般若経七巻[帙一枚]
小品般若経十巻[帙一枚]              道行般若経十巻[帙一枚]
大威徳陀羅尼経廿巻[帙二枚]            大法炉陀羅尼経廿巻[帙二枚]
大集経六十巻[帙六枚]               瓔珞経十六巻[帙二枚]
華手経十巻[帙一枚]                十住断【経】結十巻[帙一枚]
悲華卿十巻[帙一枚]                観仏三昧経八巻[帙一枚]
宝星陀羅尼経十巻[帙一枚] 菩薩念仏三昧経六巻[帙一枚]
十二仏名経一部[十二巻 帙一枚]          入楞伽経一部【九】十巻[次第一巻留宮「返納已了」【承前所欠】]
 右、以天平十五年九月十四日所奉請、受使辛国人成料、
僧祇律第三帙[十巻 帙一枚]            大乗方弁経二巻[帙一枚]
般若三昧経[帙一枚]                宝雨経五巻[無帙 二巻朱軸三巻軸]

出典

『大日本古文書』24(221頁~223頁)(『正倉院文書』(續々修16帙6)

「写経雑物収納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)2月5日~5月 日

記事

(天平十八年)
二月五日受畳卅六枚
 十二日請辛櫃八合[一着〓≪金偏+巣≫] 折薦十八枚 席十八枚 筆洗坏廿口
 着机一前                  受酒主
三月<十三日>綺緒三丈二尺[法花経二部料]
  右、従金光明寺三綱所充送、         収酒主
十四日受四筆箇 墨二廷[多心経七百六十八巻料]
  右、従下司充送、                収酒主
五日受綺緒廿四丈[<従>仁王会司充送者、]    収酒主
麻被一條[細布三副 以天平十八年三月廿七日、返上已訖者、己知蟻羽之被、]
              志斐万呂
又己知蟻石黄生染単衣一領[在宅部花許、]
           天平十八年三月廿七日志斐万呂
五月十八日納<紫>綺緒〓≪よんじゅう≫九丈八尺五寸
  布、八敬六念<卅巻>并律一巻、心経七百六十【四】八巻料、自余般若経料、
             充即登能忍人  収酒主
    
    「(裏封 志斐磨ノ一字)志」                                  (紙継目)

 十八年十二月十二日自下務所受経緒六十丈[十七丈今写理趣経百巻料 〓≪よんじゅう≫三丈去年冬写般若三百巻料]
          充田辺(真人)史生    受志斐万呂
           天平十十(衍)十八年十二月十四日
  三月六日納梨軸五十四枝[六巻鈔九部料 受能登忍人]   知酒主

□(十)九年二月廿二日紫緒一丈二尺[六巻鈔一部料] 黄表紙七張[六巻鈔一部料]
□□□(長方形抜け)自宮給出五色綺□(緒カ)五丈 □□□(長方形抜け)軸七枝[並理趣経七巻料 受能□□(登忍)人]
                                         (男依)
                                      知伊□□(福部)
                                      志斐
                                      阿刀酒主
□□□(長方形抜け)納赤木軸一百枚[観世音経百巻料 受能登忍人]
                                    知伊福部
                                      志斐
                                      阿刀酒主


出典

『大日本古文書』24(327頁~331頁)(『正倉院文書』(續々集正集44帙10)

 

「写経所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)10月9日~

記事

「(端裏)白禅院寺奉請疏論□□□(等歴名カ)
  仏説正斎経一巻、                   薩婆多論八巻、
  十ニ明了論一巻、                   三階律周部九巻[無緒軸装]、
  禅経三巻、                      治禅病秘要法一巻[白紙無軸 「*可写」]、
  秘要法二巻[第二三 白紙]、              婆羅木叉一巻[白紙 「*可写」]、
  比丘尼木叉一巻[白紙無緒軸]、             布薩文一巻[白紙無緒軸]、
  選比丘伝一巻[白(紙脱カ)無緒軸 「*可写」]、      禅要経一巻、
  菩薩木叉一巻[軸]、                 雑集論十六巻[白紙無軸 「(異筆)已上経所納」]、
  梵天経<論>四巻、                  四宗論一巻[副涅槃論]、
【登】発智論廿巻、                    六度集八巻 
                             往生礼賛一巻[白紙]、
  讃釈迦弥勒二聖因果行一巻[白]、            本有今無偈一巻[「*可写」]、
  法花經疏二部廿巻[慧蔵師撰 白紙無軸「*一部重」]、  菩薩蔵経疏十巻[靖邁師撰 白紙無軸]、
  大品経疏五巻[白紙無軸 伝法師撰]、          天請問経疏一巻[白紙無軸 文備師]、
  略説経誡経疏一巻[白]、                倶舎論疏廿巻[白紙無軸少々破 神秦師疏]、
  唯識論疏十巻[白紙無軸 基法師]、           集論疏十三巻[白紙無軸 霊携師]
  摂大乗論疏十一巻[白紙無軸 神廓師]又五巻[白紙 無軸]、
  智度論疏五巻[白紙無軸 〓≪人偏+品≫法師]      観所縁々論疏二巻[神廓師 「*一巻重」]、
  又述本記一巻[並白紙]                 成業論疏一巻[白]、
  顕揚論抄一巻[白紙無軸]、               雑羯磨抄一巻[白紙]、
  六巻抄六巻[宣律師撰 白紙]、             花厳抄五巻[白少々破 「*依誤不写」]
  二障義一巻[白紙]                   大乗四善根章一巻[白紙]、
  大乗五法章一巻
  十ニ縁起義一巻[白]、                 中有章一巻[白]、
  雑(々脱カ)設難章一巻[白]、              六現観章一巻[白]、
  菩薩十章一巻[白]、                  末那四或(惑カ)章一巻[白]、
  道品章一巻[白]、                   五種衆生義一巻[白]、
  大乗三性義章一巻[白]、                五果章一巻[内有十因義四縁義 白]、
  大乗章一巻[白]、                   法花音義二巻[白]、
  大乗集論疏二巻[白 実大乗十論経疏二巻也、]       涅槃経疏〓≪よんじゅう≫巻[廿巻吉蔵師 白「*一巻重」]
  無垢称経疏六巻[白 基師]               觀経正宗不定善義四巻[黄 無軸]

(正集一裏)

 明三階仏法二巻[上下無軸]                略<「*明」>名法界衆生根機浅深法一巻[信行 無軸]
  仏性論四巻[天親菩薩造]                維摩疏六巻[白表無軸少々破]
  菩提資粮論六巻[無軸 龍樹菩薩]            宝性論四巻[蘊流支訳]
  広百論十巻[白紙 無軸]                中辺分別論ニ巻
  十地経論十ニ巻                  「*【重】」十二因縁経疏一巻[実十二因縁論]、
「*重」妙法蓮花経優婆提<「*可写」>全一巻        法集経五巻[白紙方一五六 二巻無題]
「*【重】」百字論一巻「*【重】」 <「*順」>准中論義入大般若波羅蜜経初品法門秘飜之記二巻[白紙]
  無明思塵論一巻[無軸]、                入大乗論三巻[白紙無軸]
  大業摂論十巻                     三法度二巻[白紙]
  登論十五巻                      無相礼文一巻[白]、
【在】一切経抄三巻[白紙軸無緒]             曇無徳羯磨一巻[無軸少々破 入律所]
  沙弥〓≪さんずい+底≫部論二巻[上下 白]       随相論一巻[白]
  赦弟子伝一巻[白紙軸]                請賓頭盧法一巻<「*可写」>[白紙檜軸]
  伝論一巻[白]                     涅槃五種仏性義一巻[白]
  優婆夷浄行法門一巻[白朱軸]              大論疏十一巻[白]
「*【重】」勝鬘経疏三巻[白 上宮王製]          大方等如来蔵経疏二□(巻)
  分別功徳論一巻[白]                   仏跡 一巻[一条紅袋 一条白袋]
  [一条錦袋]管一合[着]
従禅院寺奉請疏論等、歴名如件、
          天平十九年十月九日知他田水主
  但、自仏説正斎経至雑集論十六巻者、皆収納於阿刀縄万呂所也、又□(准カ)
  此疏論等中、以丹点(続々集四十七帙三)「(異筆)記件上者、亦収納於縄万呂所也、」


出典

『大日本古文書』24(443頁~447頁)(『正倉院文書』正集2裏・正集一裏・続々集47帙3)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

□□□[長方形抜け]経疏四巻[霊燿師] 白紙黄表、軸、
  以正月廿三日奉請、自承教師所
                   検納他田水主
                   呉原

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち515頁~516頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

自理教師所奉請中辺分別論疏四巻[白紙及表軸無緒□□□(長方形後半抜け)]
  以三年三月廿七日奉請、使他田水主、田部乙成、
  「(異筆)六月十日、付田部乙成返送了、」

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち511頁~512頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

敬俊師所
 十地論疏一部七巻[恵遠師撰 白紙及表、軸、緑緒、留第□□□(長方形後半抜け)]
      以三年三月廿八日奉請、使田部乙成
「(異筆)右、以五月廿七日僧付明戒奉返 唯第七巻者、依未?留、請追将返、留第
  七巻、以廿八日奉返已訖、
                  知生人」

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち512頁~513頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

 金剛三昧論一部三巻[白紙及表、緑緒、軸、] 無量義経疏一部三巻[白紙□(及カ) 黄表 無緒軸、内外題上印]

  右、自智憬師所、以天平勝宝三年四月七日奉請、使上馬甘
     六月七日、付田部乙成返送、[水主] 検受他田水主

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち513頁~514頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「櫃納経巻注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751)(類収・年月日闕)

記事

合八百廿三巻
 帙八十【三】二枚 籖八十二枚 塗唐櫃三合並座机
 敷布一條

出典

『大日本古文書』25(39頁)(『正倉院文書』続修後30裏)

「経巻出入請軸等文書継文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月27日

記事

合経拾漆巻
帙五枚
  三枚繍(帙脱カ)[並緋綾裏、錦縁、組帯、]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[一枚深緑綾裏、赤紫縁、組帯、一枚緋綾裏、黒紫縁、組帯、]
勝思惟梵天所問経六巻 阿惟越致経三巻
大乗問性経二巻  縁生初勝□(分)法□□□□(経二巻)
 右、四部十三巻、[並黄紙及表、綺緒、朱軸、]
楞伽阿跋多羅宝経四巻[黄紙及表、綺緒、軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(178頁~179頁)(『正倉院文書』塵芥25裏)

「造東大寺司牒」(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月21日

記事

「(端裏)請山階<寺>帳」
造東大寺司 牒興福寺三綱務所
合経弐伯参拾巻
 帙弐拾壹枚  
  十九枚綵帙
   十七枚繍[之中十二枚緋綾裏錦縁組帯 五枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
   二枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[並黄〓≪あしぎぬ≫裏錦縁 一枚組帯 一枚錦帯]
(中略)
観薬王薬上二菩薩経一巻[已上並黄紙及表、綺緒、紫檀軸、]
(中略)
灌洗仏形像経一巻[白紙黒紫羅表 深緑(線)綾裏綺緒白檀軸] 報恩奉盆経一巻[黄紙及表銀軸無緒]
大金色孔雀王呪病結界文一巻[黄紙及表朱 頂軸無緒] 佛頂尊勝陀羅尼経一巻[黄紙及表綺 緒木絵軸]
摩訶摩邪経一巻[黄紙及表朱 頂軸綺緒] 観薬王薬上菩薩経一巻[黄紙及表綺 緒軸]
  右六経六巻同帙[紙帙]
首楞厳三昧経三巻[黄紙及表朱頂 軸 一帙] 賢劫経十三巻[黄紙及表朱頂 軸紫緒]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(185頁~193頁)(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

「奉写一切経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀3年(772)8月18日

記事

 残四百六十五廷
膠三斤三両一分[太]
 用一斤[依政所判、充四王彩色所]
 残二斤三両一分[太]
(中略)
辛櫃一百六合[〓≪よんじゅう≫五合塗 六十一合白木]
 八十四合請経所  廿二合収正倉
折櫃一百十七合
 十合請経所    一百七合収正倉
長折櫃廿六口
 廿口請経所    六口収正倉
大笥〓≪よんじゅう≫六合

出典

『大日本古文書』25(354頁~357頁)(『正倉院文書』続々修34 13裏)

「双倉北雑物出入継文」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦18年(799)11月11日~弘仁5年(814)6月17日

記事

(紙継)
以延暦十八年十一月十一日下 、大黄弐伯斤 [□(、カ)]甘草弐□□<拾斤>[□□](並大カ)
  、小草弐斤肆両 、檳榔子漆拾肆丸 、桂心捌□(拾)斤
  、呵梨勒弐伯顆 麝香伍剤 已上物、納泥韓(櫃脱カ)弐合、
右物、依今月八日官符旨、進上如件、
              三綱上座法師
                 寺主法師「(自署)修哲」
                 都維那住位僧「(自署)伍浄」
勅使宮内卿正四位下石上朝臣「(自署)家成」
  中監物正六位上穂積朝臣「(自署)道長」
  侍医正六位上吉水連「(自署)唐」
「(異筆1)以延暦廿一年十一月廿一日下 、大黄弐拾斤 、甘草弐拾斤[並大]
  、人心一斤[小] 、呵梨勒一<伯>顆 、宍継容一拾肆[小]
右物、依今月十八日官符旨、進上如件、
            三綱上座主満位僧
              寺主大法師「(自署)修哲」
              都維那住位僧「(自署)伍浄」
勅使左京大夫従四位下藤原朝臣「(自署)大継」
        小監持紀朝臣「(自署)大足」
「(異筆2)以延暦廿二年正月廿三日下、大黄弐斤[大]」
(紙継)

出典

『大日本古文書』25附録(1頁~8頁の内2頁~4頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦6年(787)6月26日

記事

「(表題)延暦六年廿六日珍財帳 一巻」
(紙端)
   □(呉カ)竹□□□(笙一口カ)    □□□□□(呉竹竿一口カ)
   彫石□□□□(横笛一口カ)     彫石尺八一口[□]
   □□□(長方形抜け)振[金鏤]  木画紫檀碁局一具[局裏蔵 碁子壺]
   □□□(木画紫カ)檀雙六局一具
   御大刀九十六口
    □□□(長方形抜け)唐[九金銅荘 一金銅鈿 二□□(長方形抜け)鈿]
    □口[銀鈿]           □□(口カ)金銀鈿
    □□(長方形後半抜け)      □□(長方形後半抜け)
    □□(口)[金銀荘]        三口[銀荘]
    二口[□□(金銅カ)荘]      十八口[金銅作]
    二口[金銅作]          三口[銀銅作]
    三口[銀作]           二口[金銀□(作カ)]
    □□(一口カ)[金銀銅作]    □□(長方形後半抜け)
    卅一口[黒作]
  勘倉出帳
   天平宝字三年十二月廿六日出一口
   天平宝字八年九月十一日、附安寛法師進 内裏、八十八口、
   五口
    右、宝亀七年九月廿一日、勅使従四位下□(行)右衛士督藤原朝臣
    小黒麻呂、刑部少輔従五位下紀朝臣難波麻呂所勘定、

出典

『大日本古文書』25附録(11頁~33頁の内11頁~12頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
   金銅作唐刀子二口             金作小刀一口
   金銀荘刀子六口              十合鞘刀子一口
   三合鞘刀子三口              水角鞘刀子一口
   犀角鞘刀子一口              斑犀偃鼠皮帯一條
   斑貝〓≪革+吉≫〓≪革+莫≫帯一條    赤紫黒紫稲綬帯一條
   錦袋一口[納麝香九両 二分、]       袋一口[盛呵梨勒卅六顆 雑玉〓≪よんじゅう≫丸]
   笏三枚[一牙 一通天牙 一大魚骨]     尺六枚[二紅牙撥鏤 二緑牙撥鏤 二白牙]
   木画紫檀碁局一具[局裏蔵 碁子壺]
   碁子六百枚[納銀平脱合 子三合]      木画紫檀雙六局一具
   雙六頭一百十七具一隻           雑玉雙六子一百六十九枚
   紅牙撥鏤〓≪竹冠+下≫子一百枚       紫檀琵琶二面[一螺鈿]
   紫檀五絃琵琶一面             紫檀阮咸一面[螺鈿]
   桐木箏一面[木画]             楸木瑟一面[木画]
   新羅琴二面[金鏤]             琴二面[一銀平文 一]
   檜木倭琴二面               銀平脱梳箱一合[納琴箏琵 琶等絃、]
   甘竹簫一口[虫喫]             呉竹笙一口
   呉竹〓≪竹冠+于≫             彫石横笛一口
   尺八四口[一玉 一竹 一種樺 一刻彫]   彫石尺八一口[析(折)]
   白石鎮子十六箇[師(獅)子兔牛等形]     青斑鎮石十廷
   銀薫爐一合                貝〓≪王偏+夬≫拾二箇
   漆胡瓶一口[銀平脱]        百索鏤一巻
   御鏡廿面[径二尺一寸七分已下九寸二分已上] 杖刀二口
   屏風一百四帖[廿一雑画 四書 三鳥毛 一鳥形 六十五〓≪狭の旁≫纈 十﨟纈]
   繍線鞋八両                紫糸結鞋一両
   合香二斤十二両[大 納帛袋一口、]     緋糸〓≪狭いの旁+りっとう≫納鞋一両
   〓≪鍋蓋+邑+衣≫衣香五斤十五両二分[小并袋五口]

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・36頁~37頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第一赤綾欟厨子収納
    御書廿五巻[雑集一巻 孝経一巻 頭陀寺碑文并 
         楽毅論杜家一巻 楽毅論一巻 大小王書共半紙背面書一巻
         王義之書法廿巻]
    金作小刀一口                 斑犀偃鼠皮御帯一條
    御刀子六口[金銀荘]              御袋一口[盛呵梨勒卅六顆 雑小玉〓≪よんじゅう≫丸、]
    斑貝〓≪革偏+吉≫〓≪革偏+莫≫御帯一條    十合鞘御刀子一口
    赤〓≪糸偏+蹈の旁≫綬御帯一條
    三合鞘音刀子三口               水角鞘御刀子一口
    犀角鞘御刀子一口               錦御袋一口[納麝香九両二分]
    〓≪鍋蓋+邑+衣≫衣香五袋[重五斤十五 両二分] 笏三枚[一牙 一通天牙 一大魚骨]
    尺六枚[二紅牙撥鏤 二緑牙撥鏤 二白牙]    紅牙撥鏤〓≪竹冠+下≫子一百枚
    犀角坏二口                  雙六頭一百十七具一隻
    雑玉雙六子一百六十九枚            念珠四具[一水精 一虎魄 一紫瑠璃 一碧瑠璃]
    貝〓≪王偏+夬≫拾二箇             金銅作唐刀子二口
    百索縷一巻                   尺八四箇[一玉 一竹 一樺纒 一刻雕]

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・40頁~41頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第廿六櫃収納
    礼服御冠二箇
     [一箇皂羅金銀寶珠飾、着黒紫組櫻二條、納赤八角小櫃一合、敷帛帳一條、布帳一條、緋地錦〓≪雨冠+覆≫一條、緋綱一條、]
    一箇 以純金鳳并金銀葛形寶珠荘 著白線組緒二條 納赤六角
    小櫃一合 帛綾褥一枚 帛袷〓≪雨冠+覆≫一條 鐡鎖子二隻

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・49頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第廿七櫃収納
    礼服御冠二箇[礼冠一箇、有?、以雑玉飾、凡冠一箇、以雑玉飾] 納赤小櫃一合、[敷帛帳一條、]
     布帳一條 緋綱二條 居机

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・49頁)(『正倉院御物出納文書』)

「東大寺使解」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦12年(793)6月11日

記事

「(表題)曝涼目録」
東大寺使解  申曝涼香薬等事
合壹伯肆拾伍種 納厨子弐口韓櫃三拾合[収納廰院西雙蔵北端]
(中略)
  第廿八櫃収納
   帛袷袍一領         襖子二領[一〓≪加+糸≫綿 一袷]
   汗衫一領          褶一腰[羅襴]
   袴一腰[〓≪加+糸≫綿]   御帯一條
   袷〓≪巾+業≫二條[各二個] 帛綾褶一腰[羅襴]
   単〓≪巾+業≫子一條[二幅] 合香二斤十二両[太 納帛袋]
    納赤文欟木小櫃一合[牙床脚 着銀鎖子] 緋地錦〓≪雨冠+覆≫一條
    敷帛帳一條  布帳一條  緋〓≪あしぎぬ≫綱一條

出典

『大日本古文書』25附録(34頁~54頁の内34頁・49頁~50頁)(『正倉院御物出納文書』)