黄紙

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平8年(西暦736年)7月1日付

記事

寫疏所解 申請布施事
合奉寫薬師経廿一巻
 用紙二百七十九張[二百三十四張 黄紙四十張 色紙 ]
 校紙二百七十九張[並二校 五百五十八張 ]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(1頁~4頁の内1頁)(『正倉院文書』小杉本絵仏師外3)

「装■所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741年)12月3日

記事

装〓≪さんずい+黄≫所謹解 申造紙事
  合紙二百十五巻之中[一切経五十九巻千手経百五十六巻]
一切経黄紙上 九月内上四巻 十月上廿三巻
十二月上三十二巻
千手経料白紙上
九月内上紙廿九巻 十月上六十八巻
十一月上五十九巻
    造物録状、謹以解、
           天平十三年十二月三日秦大床

出典

『大日本古文書』2(308頁)(『正倉院文書』続修別集30)

 

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)10月17日付

記事

寫疏所解 申五箇月行事事
請筆十六箇[一箇新十五箇古]
 墨六廷              墨頭廿頂
 凡紙八張[下纏并敷紙料]      韓櫃三合[並着鎖子]
 机十前              研八口
 圓座八枚
 紙二千五百三十一張[自装〓≪さんずい+黄≫許所受]
  一千二百五十八張黄紙
  一千二百七十三張白紙
 所用二千三百九張
  一千七十三張黄紙[九百七十七張常寫疏正用料 七張空用 八十一張間寫起信論疏料 八張破]
  一千二百三十六張白紙[一千二百廿一張寫疏正用料 四張空用 十一張破]
 所残二百廿二張
  一百八十五張黄紙
  卅七張白紙
合所寫律集疏四十四巻[廿四巻一切経内廿巻間寫]
 毘尼律二巻[未了部]        用黄紙百七十二張
 法花玄賛二巻[部未了]      用黄紙百廿張
 法花攝釋一部四巻         用黄紙二百九十一張
 小乗集十六巻[雑帙未了]      用黄紙三百九十四張
  右常寫一切経内者
 起信論疏二巻[上下]        用黄紙八十一張
 四分律十二巻[一分寫畢二部未了] 用白紙八百四十三張
 毘尼律一部四巻          用白紙二百三十三張
 法花玄賛三巻[第一、第四、第五] 用白紙百四十五張
  右間所寫之者
  校紙三千五百五十四張[一千八百七十四張常 一千六百八十張間]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(343頁~347頁の内343頁~345頁)(『正倉院文書』続修別集25)

「寫経所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)12月29日付

記事

寫経所解 申且奉寫律論集傳并用紙事
合五十一巻
  廿六巻一切経内
  廿五巻外寫
 用紙二千四百八十八枚[一千五十八一切経内巳黄紙 一千四百三十間寫 百五十九黄 四十八五色 一千二百廿三白]
(中略)
   已上一切経内[並黄紙
四分律抄一部六巻[用紙白三百九十九枚]又六巻[第四二通用<白>紙百六十九枚 第五二通用<白>紙百五十枚]
 [第六二通用<白>紙百廿七枚]   法花玄賛二巻[第一用四十八 第四用四十九 第五用四十八 合用白紙百四十五]
毘尼律一部三巻[用白紙二百三十三]  辨中邊論一部三巻[用五色紙四十八枚]
起信論疏一部二巻[用黄紙八十一枚]  梵網経疏一部二巻[用黄紙七十八枚]
   已上外寫
以前、従天平十五年五月一日至于十二月十七日、奉寫律論疏并用紙、顕注
如前、以申
           天平十五年十二月廿九日阿刀酒主
                     辛國人成

出典

『大日本古文書』2(348頁~349頁)(『正倉院文書』正集13裏書)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744年)12月

記事

(前略)
合〓≪よんじゅう≫四枚[正用廿九枚、破四枚、返上十三枚、]已上樞要下之未料廿八日[廿枚黄]八月三日[廿枚黄]
九日[廿枚黄]十日一面神呪心経義疏一巻料[充黄廿四枚]已用十一日[充十五枚]
又二枚[破一 以上十七枚]花厳疏(元暁師)第五巻料十八日[黄廿枚又一枚]合受黄紙八十一張
[正用六十九張返上十枚][空用一枚已上花厳論料]廿四日[充黄廿枚]廿九日[充黄廿張]合受黄紙四十張
[正用三十二張返上八枚]已上〓≪石+又+聿≫論疏料九月二日[充白中紙廿張]用白紙廿枚[正用二張返上十八枚]已
上順正理論疏料十二月一日[白廿枚]九日[白廿枚]十五日[白廿枚]
[「*給十二月」]
(後略)

出典

『大日本古文書』2(365頁~387頁の内370頁)(『正倉院文書』正集37裏書)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745年)5月11日

記事

寫経所解 申奉寫律論疏并用紙事
合七十一巻
 六十五巻一切経内
 六貫外寫
用紙三千四百廿張
 三千六十二張一切経内
 三百五十八張外寫
 法花玄讃七巻[第一二三五六七八用黄紙四百廿張空二] 四分律抄三巻[第二三四用白紙二百六張]
 楞枷経疏第四巻[用白紙卅九枚空一]           入楞枷経疏二巻[第九用白紙五十五張十二用五十四張]
 弥勒菩薩経述讃一部三巻[用白紙一百卅二張]       仁王般若経疏上巻[用白紙五十七張]
理趣匁述讃一部三巻[用黄紙一百七張]           金剛般若経讃二巻[第三用黄紙卅張第四用卅二張]
 法花統略一部六巻[用白紙二百卅七張]          楞枷経抄下巻[用白紙卅九張]
 涅槃経疏十四巻[用白紙七百【五十五張】二張五十五張 且第二三四五六七八九十十一十二十三十四十五] 法花経義疏【一部】九巻[用白紙二百五十七張欠五]
 成實論疏上〓≪りっしんべん+失≫四巻[第四八九六用白紙百八十九張] 下〓≪りっしんべん+失≫三巻[第二四五用白紙百五十六張]
 顯揚論疏四巻[第二四五九用白紙二百〓≪よんじゅう≫一張]大乗法〓≪草冠+宛≫林章第一巻[用白紙五十三張]
 楞枷経開題上巻[用黄紙〓≪よんじゅう≫二張]
     已上一切経内
 四匁律抄四巻[第三第四五六用黄紙三百九張]       最勝王経料顯文一巻[用黄紙十一枚]
 理趣経疏一巻[用白紙〓≪よんじゅう≫八張]
     已上外寫
以前、従天平十七年壬正月十四日至于四月卅日、奉寫律論疏并用紙等、顯
注如前、謹解、   
             天平十七年五月十一日阿刀
                      辛國人成

出典

『大日本古文書』2(436頁~438頁の内437頁)(『正倉院文書』正集13裏書)

「寫経所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745年)5月11日

記事

(紙端)
送紙事
合三千四百二張 [四百十八張黄紙 二千九百八十四張白紙]
 三千十四張一切経内 [百五十張黄紙 二千八百六十四張白紙]
 三百八十八張外■ [二百六十八張黄紙 百二十張白紙]
惣充三千九百十三張[二千四百二張今見送紙 五百十一張先遺紙]
 用紙三千四百二十張九 [空用二枚 破七張 見用紙三千四百廿枚]
 残紙四百八十四張
以前、従天平十七年正月二日迄五月十一日、用紙并料物等、申送如前、以申、
            天平十七年五月十一日辛國人成
                      阿刀酒主
(紙端)

出典

『大日本古文書』2(438頁~439頁)(『正倉院文書』正集13裏書)

「装〓≪さんずい+黄≫造紙解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)6月29日付

記事

謹解 申玉祖君万呂造紙事
 白紙継一千一百帳(張) 黄紙界一千六百帳
 白紙界一千九百十四帳 造了一千九百五帳
          合七千七三帳 之中 表五十八帳
            天平十八年六月廿九日

出典

『大日本古文書』2(518頁~519頁)(『正倉院文書』続修31)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)10月27日付

記事

十八年十月廿七日 自犬養夫人所到黄紙二百三十張 [入楞伽経十巻寫料]
    充伊福部乙万呂  受装〓≪さんずい+黄≫玉屋公万呂
          天平十八年十月廿七日知志斐万呂

出典

『大日本古文書』2(551頁)(『正倉院文書』大橋本7)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)7月28日

記事

(前略)
法花玄論第二巻[黄紙]用卅六[一校泰奥嶋 二校漢浄万呂]
〓≪石+又+聿≫論一巻[黄紙]用〓≪よんじゅう≫二[一校村山首万呂 二校弓削若万呂]
観所縁ゝ論一巻[黄紙]用三張[一校大伴〓≪草冠+衣≫万呂 二校若万呂]
以前、従正月一日迄八月卅日、校紙三千四百九十張料物、顕注申送巳訖、
            天平十九年七月廿八日志斐万呂
(紙端)

出典

『大日本古文書』2(675頁~677頁のうち677頁)(『正倉院文書』正集2裏書)

「能登忍人解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)8月14日付

記事

能登忍人謹解 申装〓≪さんずい+黄≫間紙事
 合三万五千四百六張
  一千六百七十五張三遍造[二百張紫紙 【五十張一】]
  一千【八】五百七十一張一遍造[七十一張表紙]
  理趣経七巻[用黄紙百四十]観世音経百巻[用色紙六百五十八張]
  説無垢称経十二巻[用紫紙二百張] 又表料紫紙四十張[観世音経料三十四張 無垢称経料六張]
  三巻鈔料黄紙二百十張   又黄紙七張[三巻鈔料三張 理趣経料四張] 
  六巻鈔料斐(嶋院者)紙四百六十七張[嶋院御書料 表紙三張]已上並三遍造
  又六巻鈔九部之内端切紙一千【八百】「*五百」張[表廿一張]已上一遍造
     天平十九年八月十四日能登忍人

出典

『大日本古文書』2(678頁)(『正倉院文書』続修30)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月7日付

記事

 黄麻廿張[打界端切了] 寫令直回明論料者
  右、依十九年七月四日高屋令史宣、進上如件、
              同月五日他田水主
                  志斐
 又黄紙七張 先紙欠料 以同月十六日、付【小月】舎人犬甘進上如前、
               知伊福部男依  他田水主
 又一張 先紙欠料 以同月十七日、付舎人火道引進上、
               知伊福部男依  他田水主
 白薄紙十二張 寫卅二相八十種好料[造仏長官所仰一通 為宮二通 ]
          十九年十二月七日知志斐万呂 他田水主

出典

『大日本古文書』2(719頁~720頁)(『正倉院文書』正集1裏書)

「寫經請本帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)1月13日付

記事

(紙端)
  以天平廿年正月十三日自金明寺奉請法花経本経四部
  一部者、紫表紙、依毘染紙、花軸、泥題、
  一部者、[欠第一巻]黄表紙、黄紙、漆軸、
  二部者、各橡表紙、黄麻紙、梨木軸、「(別筆)返送了受智憬師」
                  請 使 荒 田 井 鳥 甘
                       丸 部 嶋 守
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(31頁)(『正倉院文書』續修2裏書)

「寫疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)1月24日付

記事

(前略)
成唯識論測法師疏紙充[黄紙者]
 辛鍛冶廣濵[廿年二月一日充〓≪よんじゅう≫]二月八日[〓≪よんじゅう≫]合八十張[正用七十八 返二]已上第四巻本料
 茨田兄万呂[廿年正月廿七日充〓≪よんじゅう≫]二月六日[廿]合六十張[正用〓≪よんじゅう≫九 空一返十]已上第三本料二月
 七日充十八日[〓≪よんじゅう≫]合五十張[正用卅八 返上十二]已上第三卷未料天平廿一年二月廿四日[充廿]已上第
 一巻合料又二月廿七日[卅][又廿八]合〓≪よんじゅう≫八張[正用〓≪よんじゅう≫七 返一]已上第七巻料
 穂積三立[廿年正月廿七日〓≪よんじゅう≫]二月三日[廿]十一日[廿]合八十(一)張[正用六十八 破三 返十]已上第一巻未
  料
 臺万呂[十九年十二月十四日充〓≪よんじゅう≫]二月十日[廿]十三日[十二]合七十二張[正用六十二 返十]已上
  第二巻本料
 田邊秋上[廿年二月九日充〓≪よんじゅう≫]廿三日[廿]廿七日[廿]合八十(三)張[正用七十七 破一 返五]已上第五巻本
  料
 日置蓑万呂 廿年四月廿九日[〓≪よんじゅう≫]五月八日[〓≪よんじゅう≫]七月十日[〓≪よんじゅう≫]
 山下咋万呂 廿一年二月廿五日充[卅六]三月十一日[十六]二日[廿]十九日[十八]合八十五張
 [正用八十三張 破一 返一]已上第六巻本料
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(32頁~34頁の内33頁~34頁)(『正倉院文書』續修7裏書)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)6月27日

記事

(前略)
救護身命経一百巻料紙充
 丸部嶋守八十張  爪工家万呂卅張  采女国嶋〓≪よんじゅう≫張
 賀陽田主一百張  大鳥祖足〓≪よんじゅう≫五張  大鳥髙人十張
 馬道足十張    古能善十五張   志紀久比万呂〓≪よんじゅう≫張
 蓑原人万呂廿張  山邊諸公五十五張 忍海廣次十五張 
 錦部公万呂十張  杖部子虫廿五張
            天平廿年六月廿七日他田水主
仏説灌頂梵天神策経一卷料紙黄紙廿一張[一張破]
  充大鳥祖足          志紀久比万呂[已上各一卷]
                  八月二日 他田水主
年料多心経 合七百七十張[二張破]

出典

『大日本古文書』3(104頁~105頁)(『正倉院文書』正集18裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)

記事

(紙端)
  廿年二月六日奉請疏本[市原宮本者]白紙无表緒 荒紙者
(中略)
  法花經吉蔵師疏一部[十二卷 漆軸白紙黄表綺緒]四匁戒本一卷[朱軸黄紙表綺緒]
   大安寺本者[使子部公万呂]
   右、以天平十九年九月十五日奉請、以廿年二月十一日返奉如前、使他
   田水主、大伴蓑万呂、           知他田水主
                         志斐
  勝鬘経疏三卷[白紙黄表漆軸无緒   花嚴講師敬俊師書者]
   右、以十九年十一月廿八日奉請、以廿年二月廿四日返奉如前、使壬生
   君長、
                             他田水主
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(161頁~163頁)(『正倉院文書』続修8裏書)

「寫経充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)

記事

(紙端)
  依田邉史生宣寫六卷鈔一部六卷[來本六卷〔黄紙表綺緒花軸〕]
   料紙先來三百卅二張[丈部曽祢万呂界百五十四張 玉祖公万呂界百七十六張] 二月十五日來紙(廿日上百張 曽祢万呂)百五十
    張[充十五日 曽祢万呂]
(中略)
  本一卷[黄紙及綺漆軸 漆小函]
         以同月六日、奉請其家已了、使其家優婆塞、
  花嚴傳一卷[復一卷]白紙黄表梨軸[表者先一切経料使用寫日置蓑万呂]題諸公〓≪さんずい+黄≫忍人
  右、依佐伯次官宣、所奉寫、以天平廿年六月廿九日、奉請橘寺、差心尼公
  之所、使田〓≪しんにょう+鳥の近似≫次益、國濵書之、
  維城典訓下帙十卷第一[土師東人]二[加陽田主]三[鳥取國鷹(志斐)]四[子部多夜〓≪さんずい+頁≫]五[辛国廣
  濵]六[大友廣國]七[民長万呂]八[岡屋石足]九[山部針間万呂]十[鬼室小東人]
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(191頁~193頁)(『正倉院文書』続修8裏書)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平21年(西暦749年)2月24日

記事

寫疏所解 申應請紙事
可奉寫唯識論測法師疏一部廿卷料可用紙合一千二百〓≪よんじゅう≫張
 黄紙一千二百張[六百張先請了 六百張更所請]
  一千百九十張見所寫料     十張表紙料[以一張着二卷]
 凡紙〓≪よんじゅう≫張[更所請料者]
 卅張端継料[以一張着二卷]    六張〓≪果+衣≫紙料[以一張〓≪果+衣≫打一百張]
 四張式并敷紙料
            天平廿一年二月廿四日他田水主
                      伊福部男依
                      肖奈廣山

出典

『大日本古文書』3(199頁~200頁)(『正倉院文書』小杉本雜4)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)付

記事

(前略)
目録二卷[一卷新黄紙 一卷故白紙]  並大乗者
 右、為定六宗布施法、奉請於寺三綱所、使寂雲師、
       天平勝寳三年五月三日他田水主
  「(別筆)以同月九日返送了 収水主 呉原生人」
(後略)

出典

『大日本古文書』3(542頁~558頁の内548頁)(『正倉院文書』續修後集47 )

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)付

記事

(紙端)
弥勒経一部三卷[黄紙表〓≪草冠+ユ+ハ≫紫縁并緒花軸]
  右、依小僧都宣、即奉請御室如前、[使田部乙成、]
              天平勝寳三年七月六日他田
      「(別筆)返来了」
(紙端)

出典

『大日本古文書』3(542頁~558頁の内558頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日付

記事

如法経
合壹拾貳部貳伯参拾巻[黄紙及表〓≪木偏+聖≫軸紫緒萩〓≪竹冠+處の異体字≫帙紅深染 裏紫縁並紵者]
 花厳経二部[一部六十六巻 一部八十巻]
 法華経八部[六十四巻]
 最勝王経二部[廿巻]
荘厳物合十七種
 墟三具[並彩色]
 蓋三覆[並表紫裏緋別副二條]
 経覆六條[三條表紫裏紅 三條紅]
 敷布六條[並紅]
 経櫃三合[並塗黒漆]
 小幡十〓≪「施」の也が「流」の旁≫ [並紅]
以前 以天平勝寳四年五月十五日 従珎努宮奉請如前
           天平勝寳四年五月十六日主典
次官正五位兼行下総員外介佐伯宿祢 判官正六位上勲十二等大蔵伊美吉
                 判官従六位下阿倍朝臣
                 主典従七位下美努連
                 主典従七位下紀朝臣

出典

『大日本古文書』3(574頁~576頁)(『正倉院文書』続々修15帙第8巻)

「經紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶4年(西暦752年)

記事

四月十四日納黄紙一千九百張[大僧都所]
    十九日納金塵緑紙肆拾陸張[辛浄足奉寫花嚴料者]
                       知上馬養

出典

『大日本古文書』3(594頁~616頁の内605頁)(『正倉院文書』小杉本紙筆外2)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)3月27日

記事

 造東大寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部 之中拾參部請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺緑表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙十七枚[並緋裏錦縁綴組帶 納漆塗小辛櫃一合並机敷布一條]
   右、依今日牒旨、<令>奉請如前、
               天平勝寳五年三月廿七日 上馬養
                           呉原

出典

『大日本古文書』3(621頁~622頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)3月27日

記事

 造東寺司牒 僧綱務所
   奉請仁王経壹佰部[二百巻]之中拾參部<便>請留東大寺
   見奉請捌拾漆部[五十一部黄紙及表綺緒朱軸 六部黄紙及表綺緒
   九部白紙及表綺緒 七部紅紙縹表綺緒 六部縹紙淺縁(緑カ)表綺緒
   三部胡桃紙縹表綺緒 以上卅一部丹軸 三部黄紙及表綺緒漆塗軸
   一部黄紙及表綺緒紫檀軸  一部黄紙及表綺緒梨軸]

 竹綵帙拾漆枚[並緋裏錦縁綴組帶]
   右、依今日牒旨、奉請如前、
                  天平勝寳五年三月廿七日 
次官正五位上兼行下総員外介佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』3(622頁~623頁)(『正倉院文書』大橋本1)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)4月13日

記事

 造東大寺司
奉請法華経十部[一部蘇芳軸 十五部丹軸]
  无量義経十六卷[一卷蘇芳軸 十五卷丹軸]並黄紙及表綺緒
   右、以今月十三日奉請如前、
               天平勝寳五年四月十三日判官上毛野君

出典

『大日本古文書』3(626頁)(『正倉院文書』續修42)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)9月4日

記事

「(又別筆)合參拾貳<肆>卷
  花嚴論□□(長方形抜け)帙十卷[黄紙及表綺(紫)緒赤木軸]十地論十(二)卷 疏七卷(已上黄紙及緒帶紫檀軸)
  十地論□七卷
  花嚴□□(長方形抜け)五卷[間寫]已上白紙黄表梨軸緒綺
  □□□(長方形抜け)[並 二枚緋綾裏組帶 一枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦帶] 牙籤二枚
   右、依阿刀主典五年九月九日牒、付便使沙養満枕、令奉請如前、
                     呉原生人 

出典

『大日本古文書』3(630頁~631頁)(『正倉院文書』續修50)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

謹奉請
注維摩詰経六卷[韋〓≪言偏+念≫注]
維摩詰経二卷
大方等頂王経一卷[一名維摩詰子問経 已上三部九卷経以六年五月十七日便請留外嶋院]

 已上玖卷並黄紙及表綺緒紫檀軸无帙[十]

維摩経四部<疏二部八卷>[請欝多羅疏四卷 林法師疏二卷 請遠法師疏三<四>卷
             無名疏五卷 元暁疏三巻]

 已上疏貳部八卷並白紙黄表紫緒梨軸

  右、件之経及疏欲請、

合見<請>拾漆卷[経九卷 疏八卷]並付便使沙養戒慈
                   天平勝寳五年九月三日使沙弥戒慈
                       慈訓

「(別筆)司判依請
次官佐伯宿祢 今 毛 人         判官石川朝臣 豊麻呂
                      主典阿刀連酒主」
「(又別筆)依政所宣合如前               知呉原生人」

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内642頁~643頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

北家謹牒 東大寺政所
合返請経論壹伯肆拾參卷
   注大品経五十卷[黄紙及表綺緒朱軸紙帙帛結緒] 文殊師利現寳蔵経二卷
   提謂経二卷                 善臂菩薩経二卷
   毘羅三昧経二卷[已上五十八卷水主親王宮之経者黄紙及表綺緒漆軸紙帙]
   花嚴論〓≪よんじゅう≫八卷                顯宗論卅七卷[已上八十五卷自寺家奉請者]
(中略)
以前、経律論等、返請并奉請如件、仍養資人川原堅魚充使、謹牒、
               天平勝寳六年二月廿三日
  正六位上行家令大田臣廣人

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内647頁~648頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

遺教経論一卷
   右、依次官佐伯宿祢天平勝寳六年四月五日宣、奉請唐和上(鑑真)所、使ユ石主
                            上馬甘呉原
経論疏合壹伯貳拾卷   綵帙捌枚[並緋緩裏錦縁之中 二枚紫緒七枚拾組帶]
起信論疏二卷      温室経疏一卷[已上黄紙及表紫緒梨軸]
(中略)
弥勒経述賛三卷[已上並白紙黄表紫緒梨軸]
「(別筆)右、以七歳五月六日、返送已訖、」
五門實相論五卷[審詳師書]   馬鳴論疏一卷[已上白紙未装〓≪さんずい+黄≫]
  右、依判官上毛野君天平勝寳六年八月十二日宣、令奉請大納言藤原家、[付高橋朝臣八雲、髙丘三重万呂、]

「(別筆)上件二部疏、以二年五月七日返納如件、  収上馬養
                呉原生人
  涅槃経疏貳部貳拾伍卷
   一部十五卷[法寳師撰]一部十卷[遠法師撰 以廿二日返了] 並白紙黄表梨軸紫緒
   綵帙壹枚[並錦縁緋緩裏拾組帶]
(継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内650頁~652頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

成實章貳拾參卷[黄紙及表綺緒梨軸 第二卷下端二所小破] 綵帙貳枚[緋緩裏錦並拾組帶]
  「(別筆)八歳八月十六日返了」
   右、依判官(石川)朝臣天平勝寳六年八月廿二日宣、奉請成實宗、[付僧憬寵、]
                        知呉原生人

 慈恩三蔵法師傳一部十卷[黄紙及表綺緒赤木軸綵帙緋緩裏錦紫帶 牙籤]
   右、依次官佐伯宿祢天平勝寳六年十月廿三日宣、令請脩多羅宗所、使僧花敏、
「(別筆)以七歳十二月十六日返納如件 収上馬甘」
                       上 馬 甘

 涅槃経疏廿卷[吉蔵師]     最勝王経疏八卷[勝荘師]
  掌珎論疏二卷[已上並白紙黄表紫緒梨軸] 綵帙參枚[二枚各錦縁緋緩裏組帶
                          一枚錦縁緋裏紫帶]
   右、依判官大蔵伊養吉天平勝寳六年十月廿九(日)宣、令請大納言藤原家、[付韓國形見、]
  「(別筆)已上以八歳六月四日返納如件」         上 馬 養

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内652頁~653頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)

記事

合論疏并參拾貳卷
  花嚴経疏十二卷[恵遠師 白紙及表  第一三四五六八十十二十三十四十五十六卷者]  入大乘論二卷[黄紙及表漆軸]
  中邊分別論疏四卷[元暁師  已上更出者 白紙]
  地持義記五卷[恵遠師 白紙及表]  世親攝論疏四卷[元暁師白紙 已上  審詳師書  本 先 請]
  五門實相論疏五卷[白紙无表新寫者]
   右、依次官佐伯宿祢天平勝寳六年十一月十六日宣、令奉請花嚴宗所、[付教輪師、]
「(別筆)七歳五月卅日収納已訖[知上馬甘]」       上馬養
                          呉原生人

十地経論一部[十二卷帙一枚 「(別筆)七歳八日廿七日返上了]」  十住毘婆娑論一部[十四卷 已上並黄紙及表綺 「(別筆)以九歳八月十八日返納了]」
  緒紫檀軸綵帙[二枚 牙籤一]
大乗義林章一部十二卷[白紙黄表綺緒梨軸綵帙 已上並一切経内者]
大乗義記一部十五卷[白紙黄表无緒軸帙間寫者 「(別筆)以九歳八月十八日返納了]」
合伍拾參卷
   右、依長官佐伯大夫天平勝寳七歳二月十九日宣、奉請教輪師所、[即使、]
                      呉原 生人

出典

『大日本古文書』3(642頁~656頁の内653頁~655頁)(『正倉院文書』塵芥30裏書)

「寫經請本状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754)7月28日

記事

外嶋院
  梵網経九卷
   一部黄紙 黑黄〓≪衣偏+票≫ 緋綺帶 黑漆軸
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 綵綺帶 白檀軸
   一部[上卷黄紙及縹 緑淡綺帶 赤漆軸 故 下卷黄紙及縹 紫淡綺帶 朱頂軸 新]
   一部黄紙及〓≪衣偏+票≫ 紫淡綺帶 黑漆軸
   一下卷白紙 黄〓≪衣偏+票≫ 綺帶 〓≪木偏+聖≫軸
以前経、付工石主、令奉請如件、
             天平勝寳六年七月廿八日上毛野君 粟 守 

出典

『大日本古文書』4(14頁)(『正倉院文書』続修42)

「圖書寮移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)12月13日

記事

圖書寮移 造東大寺司 
  藥師経玖拾卷[〓≪よんじゅう≫卷白紙縹表紫檀軸綺緒 五十卷黄紙及表梨軸綺緒]綵帙玖拾枚[緋裏錦縁紫帶]納明櫃一合
   右、件経、依板野命婦宣、奉請如件、故移、
         天平勝寳六年十二月十三日従七位上行少属土師宿祢 國 勝
  又奩貳拾口 返上

出典

『大日本古文書』4(32頁)(『正倉院文書』続修16)

「寫經雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)3月1日

記事

(継目)
大灌頂経一部[十二卷 黄紙及表綺紫檀軸 綵帙緋縁紫緒]
  右、依上毛野判官天平勝寳七歳三月一日、<宣>奉請故茨田大夫家、付使古麻
  呂、
                        呉原 生 人
(後略)

出典

『大日本古文書』4(33頁~48頁の内37頁)(『正倉院文書』塵芥35 裏書)

「寫経雜物出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)

記事

(継目)
造東大寺司 牒藤原夫人家務所
合経律集傳漆拾陸卷      綵帙陸枚[並綾緋裏錦縁二枚組帶四枚紫帶 牙籤四枚 五枚繍帙 一枚縫物]
  注涅槃経卅卷        注維摩経八卷
  慧印経一卷         異出菩薩本起経一卷
  優婆塞戒経一卷[已上黄紙及表綺緒紫檀柚(軸)]
(紙端)

出典

『大日本古文書』4(33頁~38頁の内38頁)(『正倉院文書』塵芥35 裏書)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)5月27日

記事

造東大寺司 牒大安寺三綱務所
合経参伯貳拾壹卷
  帙肆拾陸枚 牙籤拾漆枚
   廿八枚綵帙
    廿枚繍[十一枚緋綾裏錦縁組帶 九枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁之中七枚紫綾帶二枚組帶]
    八枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫綾帶]
   十八枚麁帙[之中二枚緋綾裏錦縁紫帶 一枚白綾裏錦縁帛帶 十五枚緑綾裏紫綾縁組帶]
(中略) 
   右四経十卷同帙[已(上)黄紙及表綺緒紫檀軸]
    合経壹伯伍卷[臺一切経内者]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪経十卷[一帙紙] 大乗悲分陀利経八卷[一帙]
  正法華経十卷[一帙]      十住経四卷[已上並黄紙及表紫斑緒朱軸 紙帙]
  金光明経八卷[黄紙及表紫緒朱軸 一帙] 大哀経八卷[黄紙及淺緑斑緒朱頂軸漢手 一帙]
  維摩経三卷[黄紙縹綾表淺緑斑緒水精軸唐手 紙帙]
  十輪経八卷[黄紙及表橡緒朱軸 一帙] 已上圖書寮[経并帙大唐者]
以前、依今月廿六日牒、付迴使少内記正八位下林連廣野、令奉請如件、以
牒、[又僧等鏡、]
         天平勝寳七歳五月廿七日主典正七位上葛井連
             判官正六位上兼下野員外掾上毛野君

出典

『大日本古文書』4(61頁~66頁)(『正倉院文書』続修別集43)

「外島院返抄」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)8月18日

記事

外嶋院
  合奉還経二卷
   弥勒菩薩所問本願經一卷[黄紙及表綺緒朱軸]
   弥勒来時經一卷[黄紙及表綺緒紫檀花軸]
    納白木函一合
   右、今月十一日差舎人都保大人所請、今奉還如件、
              天平勝寳七歳八月十八日 丸 馬 主
                         日置 蓑 麿

出典

『大日本古文書』4(73頁~74頁)(『正倉院文書』続修42)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
雜集論一部十六卷[黄紙同表綺緒紫檀軸綵帙錦縁緋綾裏組帶牙籤 「(別筆)八歳八月十六旨返送了」]
藥師経疏一卷[白紙黄表綺緒梨軸 靖邁師] 又雜集論疏一部十三卷[霊〓≪隹+乃≫師白紙黄表 綺緒梨輪(軸)以綵帙]
  右、依長官佐伯宿祢七歳四月十九日宣、令請明一師所、[御使、]
                      上 馬 養
                      呉原 生 人
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内85頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
【成實論一部十六卷[黄紙及表]
  右、依長官佐伯宿祢七歳四月廿八日】宣、令請大脩多羅宗所、[使、]
花嚴経壹部捌拾卷[黄紙及表綺緒紫檀軸織帙緋綾裏錦縁拾組帶牙籤 納韓櫃漆一合圖書寮]
  右、依次官大蔵伊美吉并判官石川朝臣天平勝寳七歳五月二日宣、令請
  奉延慶師所、[使石角万呂、]
                     上 馬 甘
                     呉原
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内86頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
合拾卷
大方等善住意天子所問経四卷  迦葉経三卷
郁伽長者所問経一卷      无畏徳女経一卷
大寳積経一卷[已上並黄紙及表綺緒紫檀軸]
  右、依来牒者(旨カ)、付便使大隈公足、令奉請勘大寳積所、
                        五月廿一日 上 馬 養
法花経疏一部八卷[玄範師撰 白紙黄表梨軸繍綵帙綾裏組帶]
                           阿刀 史 生  (継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内87頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
涅槃経疏一部廿卷[吉蔵師 白紙黄表綺緒梨軸 宮一切経内者]
   右、依次官佐伯宿祢天平勝寳五年二月十三日宣、以十七日奉請宣教
   師所、[使公石主、]
「(別筆)以六月十六日奉返了[収呉原生人 上馬甘]」 知呉原 生 人
(中略)
大槃若経一部六百卷[黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙錦縁組帶牙籤]
   右、依次官佐伯宿祢判官上毛野君天平勝寳五年五月六日宣、付資人
   下毛野君加志麻呂、令奉請故大納言巨勢卿(奈〓≪氏+一≫麻呂)宅者、
「(別筆) 奉返如先員[収生人]」    知上 馬 甘
(中略)
如意輪陀羅尼経一卷[黄紙及表紫檀軸綺緒 宮一切経内者]
   右、依伊豆内侍天平勝寳五年六月四日宣、奉請神榮師所、[使斐陀益君、]
                      知呉原 生 人
奉宣次官佐伯宿祢
  「(別筆)以六月廿七日奉返了[収生人]」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内93頁~95頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
六字神咒王経一巻[黄紙及表綺緒紫檀軸 「(別筆)以五年十二月廿二日返了」]
   右、以次官佐伯宿弥判官大蔵伊美吉天平勝寶五年六(月脱カ)廿一日宣、為
   奉請大納言藤原卿(仲麻呂)家、令請三綱所、付使僧朗賢、
                         知上馬甘
(後略)
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内95頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)

法華寺牒 造東大寺司務所
奉請大般若経壹部事[宮一切経黄紙及表綺緒紫檀軸釆帙牙籤 付廻使葛木石敷納漆櫃二合又榻栩二前敷布]
   右、依例為奉讀秋分、奉請如前、今録状、以牒、
              天平勝寳五年八月五日都維那尼 光 延
大鎮法師 慶 俊                上座尼 願 稱
少鎮僧[暇]
「(別筆)依 請
                   判官上毛野君 真 人
次官佐伯宿祢 今 毛 人 」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内96頁~97頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)
(前略)
         「(別筆)請以七歳五月六日返来八月廿七日返了 請黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙廿枚各着牙无」
  大毘婆娑論一部  起信論一部  世親佛性論一部
          欠陀羅尼經經第二<宮一切経内>
牒、件論、為寫家裏、奉請如前、乞察此趣、牒至准状、与所分之、仍差使資人紀
東人、以状故牒、
         天平勝寳五年八月十日従七位下行大書吏徳[暇]
家令正六位下古賴比 得 萬 侶 従六位下行家従調使首 難 波 万 呂
「(別筆)令 奉 請 前 件 三 部 書
  判            次官佐伯宿祢 今 毛 人
               判官石川朝臣 豊 麻 呂
                主典阿刀連 酒 主  」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内97頁~98頁)(『正倉院文書』塵芥28裏書)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7歳(西暦755年)

記事

(継目)

合経拾漆卷
  帙伍枚
   三枚繍[並緋綾裏錦縁組帶]
   二枚麁帙[一枚深緑綾裏赤紫縁組帶 一枚緋綾裏黒紫縁組帶]
  勝思惟梵天所問経六卷  阿惟越致経三卷
  大乗問性経二卷     縁生初勝□□(長方形後半抜け)
   右四部十三卷[並黄紙及表綺緒朱軸]
  楞伽阿跋多羅寳経四卷[黄紙及表綺緒漆軸]
  前、依次官大蔵伊美吉天平勝寳七□□□□(長方形抜け)七日宣、今奉請元興寺如件、[付]
   [使□□(長方形抜け)
          天平勝寳七歳四月廿七日呉□ □ □(原 生 人)
  □□□(長方形抜け)
   「(別筆)大蔵伊美吉□□□(長方形抜け)       主典美努連□□□(長方形抜け)」
(継目)

出典

『大日本古文書』4(85頁~106頁の内99頁~100頁)(『正倉院文書』塵芥25裏書)

「東大寺獻物帳」(『正倉院御物』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)6月21日

記事

「(附箋)除物」平城宮御宇  後太上天皇禮聘藤原皇后之日相贈信幣之物一箱[封]
   書法廿卷
    搨晉右将軍王羲之草書卷第一[廿五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第二[五十行 蘇芳紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第三[〓≪よんじゅう≫行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第四[五十四行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第五[卅行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第六[〓≪よんじゅう≫一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第七[〓≪よんじゅう≫六行 白紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第八[〓≪よんじゅう≫四行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第九[〓≪よんじゅう≫五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之草書卷第十[廿五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之書卷第五十一[真草千字文二百三行 淺黄紙 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶 「(附箋)紫檀軸」]
    同羲之書卷第五十二[卅七行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之書卷第五十三[廿一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之書卷第五十四[廿一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之書卷第五十五[廿五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之行書卷第五十六[〓≪よんじゅう≫一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之書卷第五十八[卅五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之書卷第五十九[廿五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之行書卷第六十[卅七行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    同羲之扇書一卷[廿行 黄紙 紫檀花軸 碧地錦〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    〓≪王+夕+王≫衣香三袋[一袋小一斤七兩一分 一袋小一斤十三兩 一袋八兩二分]
     右、並納銀平脱箱、箱亦納髙麗錦袋、

出典

『大日本古文書』4(121頁~171頁の内124頁~126頁)(『正倉院御物』)

「雙倉北雜物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)10月

記事

天應元年八月十二日出
大小王真跡書一卷[黄紙半張表裏書両端黏青褐紙 納白葛筥一合]
  「(別筆)八月十八日旦返納十二卷」
書法廿卷[納平脱箱一合 其装具及紙行數詳於獻入帳]
  「(別筆)八月十八日返納了」
又時々御製書四卷[其装具及紙行數詳於獻入帳 納白黒葛筥一合]
   右、進於内裏、
檢校使藤原朝臣 家 依
    健部朝臣 人 上
               造寺司次官桑原公 足 床
                  大判官佐伯宿祢 福 都 理
                  少判官林忌寸 稻 麻 呂
                  少判官大伴宿祢 水 通
                  主 典 多 朝 臣 鷹 養
三綱
  上座大法師           大都那恵瑤
  寺主 善 季

出典

『大日本古文書』4(186頁~205頁の内199頁~200頁)(『正倉院文書』御物目録)

「雙倉北雑物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)10月

記事

天應元年八月十八日返納物
雜集一卷[白麻紙紫檀軸 紫羅〓≪衣偏+票≫綺帶 右平城宮御宇 後太上天皇御書]
孝経一卷[麻紙瑪瑙軸 滅紫紙〓≪衣偏+票≫綺帶 右平城宮御宇 中太上天皇御書]
頭陀寺碑文并樂毅論杜家立成一卷[麻紙紫檀軸 紫羅〓≪衣偏+票≫綺帶]
樂毅論一卷[白麻紙瑪瑙軸 紫紙〓≪衣偏+票≫綺帶 右二卷 皇太后御書]
  〓≪鍋蓋+邑+衣≫衣香二袋[一重六両二分 一重十一両一分]
    右、並納白葛箱、
  書法壹拾貳卷
   搨晉右将軍王羲之草書卷第一[廿五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之草書卷第二[五十三行 蘓芳紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之草書卷第三[〓≪よんじゅう≫行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之草書卷第六[〓≪よんじゅう≫一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之草書卷第九[〓≪よんじゅう≫五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之草書卷第十[□(廿)五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之書卷第五十一[真草千字文二百三行 淺黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之書卷第五十二[卅七行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之書卷第五十四[廿一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之書卷第五十□[□五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之書卷第六十[卅七行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   同羲之扇書一卷[廿行黄紙 紫檀花軸 碧地錦〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
    〓≪鍋蓋+邑+衣≫衣香三袋[一袋小一斤七両一分 一袋小十三両 一袋八両二分]
     右、並納銀平脱箱、々亦納高麗錦袋、
(後略)

出典

『大日本古文書』4(186頁~205頁の内200頁~203頁)(『正倉院文書』御物目録)

「雙倉北雑物出用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8歳(西暦756年)10月3日

記事

延暦三年三月廿九日返納
  羲之書法捌卷
   一卷[五十四行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   一卷[□□□(長方形抜け) □紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   一卷[卅六行 白紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   一卷[卅四行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   一卷[廿一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   一卷□□□(長方形後半抜け)
   一卷[卅五行 黄紙 紫檀紙 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
   一卷[廿五行 黄紙 紫檀紙 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帶]
使藤原朝臣 家 依

出典

『大日本古文書』4(186頁~205頁の内204頁~205頁)(『正倉院文書』御物目録)

「藥師寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)8月9日

記事

藥師寺三綱 牒造東寺司務所
  所請千手千眼経伍拾卷[黄紙黄表綺帶朱頂軸 並斐紙]
   右、件経依所請數、領納如前、仍録事状、故牒、
                 天平寳字二年八月九日都維那 永 仁
上座
寺主 穎 教

出典

『大日本古文書』4(286頁~287頁)(『正倉院文書』続修別集3)

「山階寺返抄」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)8月19日

記事

山階寺
  金剛般若経一百二十卷
    五十卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
    七十卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫帶綺朱頂軸]
  上件之経、具如来數収納已畢、今注此状、以附使還、故牒、
             天平寳字二年八月十九日大都維那僧 守 護
上坐法師 永 興
寺主法師 延 豊

出典

『大日本古文書』4(289頁~290頁)(『正倉院文書』正集45)

「山階寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)9月10日

記事

山階□□(寺三)綱  牒造東大寺司務所
  金剛般若経壹伯捌拾卷[一百卅卷黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帶朱頂軸 五十卷黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   右、依數檢納如件、以牒、
           天平寳字二年九月十日都維那僧 守 護
上坐法師 永 興
寺主法師 延 豊

出典

『大日本古文書』4(312頁~313頁)(『正倉院文書』続々修18帙6裏書)

「東寺寫經所解」(『松岡調所蔵文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758年)11月14日

記事

東寺寫経所解 申奉寫経事
合金剛般若経一千二百卷[並麻紙]
  一百卅六卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺緒梨軸]
  卅八卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫梨軸無緒]
  一千廿六卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫無緒軸]
以前、依坤宮官少疏従六位上池原君栗守去八月十六日宣奉寫経、具件如前、謹解、
   天平寳字二年十一月十四日造東寺司主典正八位上安都宿禰 雄 足
次官従五位下高麗朝臣 大 山

出典

『大日本古文書』4(348頁)(『松岡調所蔵文書』)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772)12月30日

記事

(前略)
  錦二丈八尺
  頭料錦卅二条[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  縁料錦二条[長各五尺九寸]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺七<「*五」>寸 廣各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺二寸]
  緋糸五兩
   用盡[丸組九丈三尺料]
  生糸六兩[已上七種去月殘 縫帙料]
  捺揩綿衣一兩[充経師一人浄衣料 請月中]
  袴十腰[月中請]
   一腰帛【合】綿袴   九腰緑合<「*袷」>袴
   用盡[充経師十人浄衣袴料]
  白橡〓≪あしぎぬ≫四匹三丈
   用盡[綿袴縫十一腰料即充経師十一人袴料]
(中略)
  庸并黒綿二百五十八屯
   用六十一屯
    経師装〓≪さんずい+黄≫校生領等六十一人綿袴六十一腰料[腰別一屯]
   殘一百九十七屯
  紺布端一條[長二丈五尺 代在調布二丈五尺]
  調布三端
(中略)
  黄紙卅七万五千八百卅一張
    廿<「*卅」>【七】万九<「*二」>千九「<*八」>百五十一張請経所[且用]
    九<「*七」>万九<「*二」>千八<「*九」>百八十張殘正倉
     右自〓≪あしぎぬ≫迄于黄紙十種自先奉寫一切経司請来
  〓≪糸偏+竒≫五百六十八丈五尺[【不動】]
    三百九十六丈五尺去月殘  一百七十二丈買月中
   用三百丈          殘二百六十八丈五尺
  丸組〓≪よんじゅう≫六丈[緋]
    卅六丈七尺去月殘     九丈三尺組月中
  帙一千四百九十三枚[去月殘]
    九百七十枚縫畢<「*三百三枚未縫」>  二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
  白木籤二千六百九十二枚[去月殘 不動]
(中略)
  墨五百九十二廷
   用一百七十七廷       殘四百十五廷
  膠三斤三両一分[太]
   用一斤[依政所料充四王彩色所]
   殘二斤三両一分
(中略)
  辛櫃一百六合
    〓≪よんじゅう≫五合漆塗        六十一合白木
    八十四合請経所      廿二合収正倉
  折櫃一百十七合
    十合請経所        一百七合収
(後略)

出典

『大日本古文書』6(446頁~463頁の内448頁~457頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「僧綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月13日付

記事

僧綱 牒東大寺三綱
 奉請經事
法華經四部[便奉請在彼寺者][尤]最勝王經四部[寶字四年自之中者内裏奉請■部]
右件經等 有 内裏可奉被讀 仍■曵間奉請如前 三綱耒知 牒到准状
故牒、
           天平寳字七年四月十三日史生僧 仙勝
少僧都賢太法師 慈訓
(別筆) 「行          判官葛井蓮根道
           主典安都宿祢
  令奉請法華經四部[三部水主官之中 一部黄紙及 一部黄紙及表綺緒朱軸
           一部黄紙及表綺緒漆軸 一部審詳師第二■黄紙及表綺緒木繪軸漢手]
      惣在印
上件經四部 以五月一日返納如件
又同日 令請法華經四部卅二巻 [並黄紙及表間之 ]上馬養

出典

『大日本古文書』5(432頁~433頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「僧綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月13日

記事

 僧綱 牒東大寺三綱
     奉請經事
  法華經四部[便奉請在彼寺者]<尤>最勝王經四部[寶字四年自之中者内裏奉請〓≪よんじゅう≫部]
   右件經等、有 内裏可奉被讀、仍〓≪さんずい+頁≫曵間奉請如前、三綱耒知、牒到准状、
   故牒、
          天平寶字七年四月十三日史生僧 仙勝
  少僧都賢太法師 慈訓
「(別筆)行      判官葛井蓮根道
              主典安都宿祢
   令奉請法華經四部[三部水主官之中 一部黄紙及 一部黄紙及表綺緒朱軸
   一部黄紙及表綺緒漆軸 一部審詳師第二櫃黄紙及表綺緒木繪軸漢手]
     惣在印
  上件經四部、以五月一日返納如件、
  又同日、令請法華經四部卅二巻、[並黄紙及表間之、]上馬養」

出典

『大日本古文書』5(432頁~433頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月13日

記事

 奉寫  御執經所
    「(別筆)充」浴像功徳經一巻[寶思惟譯]
    「(別筆)充」灌洗佛形像經一巻[亦云四月八日灌經]
    「(別筆)充」南海傳五巻
            右、被弓削禪師今月十二日宣〓≪人偏+采の木が井≫、件經并傳、奉請於
            東大寺者、仍老内豎八清水連城守充使、奉請如前、
              天平寶字七年四月十三日朝政官史生因幡国造田作
   「(別筆)行       判官葛井蓮根道
                主典阿刀連 酒主
   令奉請二巻[一巻浴像功徳經 一巻灌洗仏形像經]並黄紙及表綺緒紫檀軸
    並宮一切經之内第五櫃付内竪八清水連城守
    以五月一日令請南海傳一部四巻[黄紙及表綺帯赤木軸坤宮一切經内之]」
  

出典

『大日本古文書』5(433頁~434頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所解請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)5月25日

記事

 御執經所
  奉請長阿含經一部廿二巻 <請>増一阿含經一部五十巻
  中阿含經一部六十巻[請 【欠牙四帙二】]<請>新阿含經一部五十巻
    右、被勝延尼師宣云、上件經等、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪
    岐子松充使、令奉請如前、
          天平寶字七年五月廿五日乾政官吏生因幡国造田作
「(別筆)行
       大僧都法師    主典志斐連麻呂
   上件四部<百>八十二巻[並黄紙及表緒帯朱軸在印綵帙錦縁緋綾裏但帯 可當東寺内堂經内之]
     納赤染辛櫃一合[寮乙八之]敷帛袷帳一条[四塩朱] 上馬養 」

『大日本古文書』5(442頁~443頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)8月12日

記事

 奉寫  御執經所
  請般若理趣經拾卷
   右、少僧都并弓(削脱カ)禪師宣云、件經、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪林
   大梶宛使、令請如前、
              天平寶字七年八月十二日〓≪様の旁の近似文字≫宣日置 浄足
  「(別筆)行       主典阿刀連
   令奉請壱巻[黄紙黄表及綺帯朱軸 水主宮第四櫃 雜第一〓≪衣偏+失≫〔在捺印〕 景雲二年八月十三日返]
   又壱巻[三綱所]
                    付使即林大梶」

出典

『大日本古文書』5(456頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)10月5日

記事

奉寫  御執經所
請无垢稱經三部
  右、定戒尼師宣云、件經、従東大寺、奉請内裏者、今依宣置、内竪六人部嶋
  継宛使、令請如前、
            天平寶字七年十月五日乾政史生因幡田作
「(別筆)行        主典志斐連 麻呂
  上件經三部[以景雲二年十月十二日返了 一部黄紙及表綺帯朱軸 一部白紙未装〓≪さんずい+黄≫ 一部漢手黄紙及表綺帯白檀軸審詳師經内 己上水主内親王經並有印      ]
 

出典

『大日本古文書』5(459頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)11月24日

記事


奉寫  御執經所
堤違經
  右、被錦部命婦(宣脱カ)稱、件經、速請於東大寺山階等者、仍老内竪清水城守、
  令奉請如件、事【含】依勅旨、不可退緩、
            天平寶字七年十一月廿四日乾政官史生因幡国造田作
「(別筆)行       主典志斐連 麻呂
   令奉請堤謂經二巻[上下 水主宮黄紙綺緒 漆塗軸]
     付即使八清水城守、
            出健部廣兄        」
 

出典

『大日本古文書』5(462頁)(『正倉院文書』續修別集4)

「奉寫御執經所移」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)4月24日

記事

 奉寫 御執經所移造東大寺司并三綱所
  奉請大般若經一部[水主内親王者]信行師音義一部
   右依内裏宣、為勘經證本、所奉請如件、以移、
      天平神護三年四月廿四日圖書少属従八位上大隅忌寸   公足
                 正六位上行大允三嶋縣主 崇麻呂
「(別筆)司判許                    判官美努連 奥麿
                             主典阿刀造 与佐弥
  上件、依請、令奉請如件、[並黄紙及表綺帯朱有印、]
   以景雲二年八月十一日、奉請四百巻、[自第廿帙迄第五十帙]
                   使六人部嶋継
   以同月十二日、請一百七十九巻、欠十一巻[初帙■■(長方形塗りつぶし)又五十八帙第八]
                   行 上馬養          」

出典

『大日本古文書』5(659頁~660頁)(『正倉院文書』續修別修3)

「經疏出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)2月19日

記事

奉寫一切經司牒造東大寺司
   奉請成唯識論掌中枢要一部[四巻]
牒、件論、為須證本、差田邊廣吉使充、奉請如前、以牒、
       神護景雲二年六月九日別當圖書少属従七位上大隅忌寸公兄
  次官従五位以下 若江王
「(別筆)司判行         少判官志斐連 麻呂
                   主典小稿公 石正
「*可」上件枢要一部四巻[黄紙及表綺帯梨軸坤宮一切經内]
     右、以同月十三日、便令請玄愷師、
                   案朱上馬養」

出典

『大日本古文書』5(693頁~699頁のうち696頁)(『正倉院文書』續修別修2)

 

「奉寫一切經料紙墨納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年(西暦770年)5月12日

記事

 十四日納黄紙陸万玖仟陸佰貳拾伍張[納辛十六合] [「(別筆)以二年十二月十四日返上一合」白木十二合 漆塗四合]
    軸肆仟伍佰肆拾參枝    布綱拾參條[「(別筆)二年十二月十四日返上了」]
      一千五百〓≪よんじゅう≫三枝塗胡粉[納白木辛櫃一合]
      一千伍五百枝塗丹  一千五百枝塗白縁
   右自一切経司所請如件  使案主上 馬 養
少鎮大法師 實 忠        案主上 馬 養  味酒廣成
               別當大判官美努連
                  法師

出典

『大日本古文書』6(2頁~6頁の内5頁)(『正倉院文書』續修後集18)

「奉寫一切經料紙墨納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年(西暦770年)5月12日

記事

寳龜二年八月
  廿二日納黄紙貳仟張
                 案主上 馬 養
               別當大判官美努連
                  法師 奉 榮

出典

『大日本古文書』6(2頁~6頁の内5頁~6頁)(『正倉院文書』續修後集18)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年(西暦770年)6月13日

記事

  三日下黄紙捌張[〓≪果+衣≫紙料下充禾田五百足]

出典

『大日本古文書』6(21~41頁の内39頁)(『正倉院文書』續修後集13)

「奉寫一切經所紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)1月21日

記事

 (題籤表)自政所□    (同裏)寳龜三年
       納帳
(紙端)
寳龜三年正月
   廿一日請黄紙伍萬貳仟玖伯伍拾張[三万二百張打継 二万二千七百五十張荒]
    納辛櫃壹拾合[六合塗漆 四合白木]
     右奉寫四部一切經料且請納如件
                 案主上 馬 養
              大判官義努連

出典

『大日本古文書』6(249頁~250頁のうち249頁)(『正倉院文書』大學本5)

「奉寫一切經所紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)1月21日

記事

(紙端)
    納白木辛櫃陸合
                 案主上 馬 養
                主典葛井連
  三月
   廿一日収納黄紙貳萬伍仟肆拾伍張
     納辛櫃七合[二合漆 五合白木]
  右奉寫一切経五部之願文料自先奉寫一切経司請来如件
                 案主上 馬 養
                主典葛井連
(紙端)

出典

『大日本古文書』6(251頁)(『正倉院文書』正集44裏書)

「奉寫一切經所請用注文」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(紙端)
  四匹五丈三尺二寸端〓≪よんじゅう≫三條積
   三丈七尺三寸調〓≪あしぎぬ≫廿四條積[長八尺以下四寸以上]
   四匹一丈五尺九寸東〓≪あしぎぬ≫端十九條積[長四尺以下一尺以上]
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五〓≪暇の旁≫
商布廿〓≪暇の旁≫          黄紙卅万四千二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚緑青地 八百二枚白緑地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地]
   [六百七十七枚丹地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三兩一分[太]
木綿二斤          調布單衣二領
同布袴三腰         温帳四條
布綱〓≪よんじゅう≫四條         熟麻一斤
鍬一十四口         米一十四石[白七石 黒七石]
醤三斛二斗七升[悪]     酢四斛一斗二升[交糟]
滑海藻七百十四斤      大豆四斛七斗
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[廿八<〓≪よんじゅう≫五>合漆塗 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
折櫃一百十七合       長折櫃廿六口
大笥八十八口        小明櫃〓≪よんじゅう≫一合
水麻笥廿四口[九口太 十五口小] 枚麻笥八口[一口破]
(中略)
  右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如前、
           寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
(紙端)

出典

『大日本古文書』6(252頁~254頁)(『正倉院文書』史館本6)

「奉寫一切經所解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜3年(西暦772年)8月11日

記事

「*自本司元来錢十四貫二百十六文」
奉寫一切経所解 申請用雜物等事
合新錢貳拾壹貫漆伯拾伍文[雜物賣直]
   一十三貫〓≪あしぎぬ≫十五匹直[十匹別九百文 五匹別八百文]
   五貫八百文庸并黒綿一百屯直[屯別五十八文]
   一貫九百十五文庸布十〓≪暇の旁≫直[七〓≪暇の旁≫別二百文 一〓≪暇の旁≫百七十五文 二〓≪暇の旁≫別一百七十文]
   一貫文商布八〓≪暇の旁≫直[〓≪暇の旁≫別一百廿五文]
  用盡[人々月借料]
「*合」〓≪あしぎぬ≫六匹端廿四條[長八尺已下五寸已上]
   用六匹八尺
    六匹賣料    八尺篩料
   殘端廿三條
「*合」東〓≪あしぎぬ≫九匹端十六條[長四丈已下三丈三尺已上]
   用九匹三丈四尺
    九匹賣料
    三丈四尺校生一人浄衣料
     二丈二尺汗〓≪衣偏+久≫一領料 一丈二尺褌一腰料
   殘端十四條
「*合」庸并黒綿二百五十八屯[【欠一屯】]
   用一百屯[賣料]
   殘一百五十八屯
「*合」紺布端一條[長二丈五尺代有調布二丈五尺]
「*合」調布三端[殘]
「*合」又同布端四條[別長二丈殘]
(中略)
「*合」商布廿〓≪暇の旁≫
   用十〓≪暇の旁≫[賣料]
   殘十〓≪暇の旁≫
「*合」又同布端一條[殘 長一丈]
「*合」黄紙卅七万五千八百卅一張
   廿七万五千九百五十一張請経所[用且]
   九万九千八百八十張収正倉
「*合」軸二万三千二百九十九枚
    六千二百五十九枚請経所[用且]
    一万七千〓≪よんじゅう≫枚収正倉
「*合」墨五百九十二廷
   用一百廿七廷
   殘四百六十五廷
「*合」膠三斤三兩一分[太] 「(別筆)奉 寫」
   用一斤[依政所判充四王彩色所]
   殘二斤三兩一分[太]
「*合」木綿二斤
   用盡[奉帙経料]
(中略)
「*問」小豆二石六斗四合
   二石見小豆収〓≪厨の寸がりっとう≫(「*即充≪厨の寸がりっとう≫」) 六斗四合黒米六斗四合之代[請経所]
「*合」辛櫃一百六合[〓≪よんじゅう≫五合漆塗 六十一合白木]
   八十四合請経所     廿二合収正倉
「*合」折櫃一百十七合
   十合請経所       一百七合収正倉
「*合」長折櫃廿六合
   廿口請経所       六口<*「収」>正倉
「*合」大笥≪よんじゅう≫六合
   廿合請経所       廿六合収正倉
「*合」小明櫃≪よんじゅう≫一合
   十合請経所       卅一合収正倉
「*合」水麻笥廿五口
   十口請経所       十五口収正倉
「*合」枚麻笥八口[一口破請経所]
(後略)

出典

『大日本古文書』6(379頁~389頁の内379頁~386頁)(『正倉院文書』續修別集12)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)1月29日

記事

奉寫一切經所解 申正月朔事
合奉寫一切經陸仟玖伯肆拾漆卷
    三千七百廿三卷先奉寫一切経司
    三千二百廿四卷奉寫寺家[自去寳龜三年二月十五日 迄于今年正月廿九日]
  錢陸貫参伯【陸拾漆文】<*「七十文」>[殘]
    一貫三百【六十七文】<*「七十文」>去月殘 五貫月中請
  綿(錦カ)二丈八尺      頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺五寸]
  生糸六両[已上去月殘 縫帙料] 〓≪あしぎぬ≫端卅七條[廿三条〓≪糸偏+ム+貝≫[「*〓≪あしぎぬ≫」]四条東[「*〓≪あしぎぬ≫」]]
  庸并黒綿一百九十七屯[殘]   紺布端一條[長二丈五尺 「*代有調布内」]
  調布一端一丈二尺       同布端四条[長各二丈]
  庸布十二段          同布端廿八条
  商布十九(段脱カ)[「*已上去月殘」]
  黄紙卅七万五千八百卅一張
    【廿七万九千九百五十一】<*「卅万二千八百五十一」>張請經所[且用]
    九<「*七」>万九<「*二」>千八<「*九」>百八十張殘正倉
  〓≪糸偏+竒≫二百六十八丈五尺[「*殘」]  緋丸組〓≪よんじゅう≫六丈[「*殘」]
  帙一千四百九十三枚[「*殘」]
    九百七十枚畢縫      二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
    三百三枚未縫
  白木籤二千六百九十二枚[不動]
  軸二万三千二百九十九枚
    六千二百五十九枚請經所[且用]
    一万七千〓≪よんじゅう≫枚収正倉
  墨四百十五廷
  膠二斤三両一分        布綱〓≪よんじゅう≫四條
  鍬十四口           米五斗
(後略)

出典

『大日本古文書』6(469頁~473頁の内469頁~471頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)2月30日

記事

奉寫一切經所解 申正月朔事
合奉寫一切經陸仟玖伯肆拾漆卷
    三千七百廿三卷先奉寫一切経司
    三千二百廿四卷奉寫寺家[自去寳龜三年二月十五日 迄于今年正月廿九日]
  錢陸貫参伯【陸拾漆文】<*「七十文」>[殘]
    一貫三百【六十七文】<*「七十文」>去月殘 五貫月中請
  綿(錦カ)二丈八尺      頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  裏料纈〓≪あしぎぬ≫四條[長各一尺九寸 廣各一尺五寸]
  生糸六両[已上去月殘 縫帙料] 〓≪あしぎぬ≫端卅七條[廿三条〓≪糸偏+ム+貝≫[「*〓≪あしぎぬ≫」]四条東[「*〓≪あしぎぬ≫」]]
  庸并黒綿一百九十七屯[殘]   紺布端一條[長二丈五尺 「*代有調布内」]
  調布一端一丈二尺       同布端四条[長各二丈]
  庸布十二段          同布端廿八条
  商布十九(段脱カ)[「*已上去月殘」]
 紙卅七万五千八百卅一張
    【廿七万九千九百五十一】<*「卅万二千八百五十一」>張請經所[且用]
    九<「*七」>万九<「*二」>千八<「*九」>百八十張殘正倉
  〓≪糸偏+竒≫二百六十八丈五尺[「*殘」]  緋丸組〓≪よんじゅう≫六丈[「*殘」]
  帙一千四百九十三枚[「*殘」]
    九百七十枚畢縫      二百廿枚未表〓≪糸偏+刃≫着
    三百三枚未縫
  白木籤二千六百九十二枚[不動]
  軸二万三千二百九十九枚
    六千二百五十九枚請經所[且用]
    一万七千〓≪よんじゅう≫枚収正倉
  墨四百十五廷
  膠二斤三両一分        布綱〓≪よんじゅう≫四條
  鍬十四口           米五斗
(後略)

出典

『大日本古文書』6(476頁~484頁の内476頁~480頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「奉寫一切經所告朔解」(『正倉院文書』)

撰述日

寶龜4年(西暦773年)3月30日

記事

奉寫一切経所解 申三月朔告事
合奉寫一切経漆仟漆伯拾<「*卅二」>卷
   三千七百廿三卷先奉寫一切司
   四千【三百八十七】<「*九」>卷奉寫寺家[自去年二月十五日 迄于今年三月卅日]
(中略)
  錦貳丈捌尺縁料錦二條[長各五尺九寸 廣各一寸五分]
  頭料錦卅二條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  頭裏料緋〓≪あしぎぬ≫一百八十條[長各一尺五寸 廣各一寸五分]
  裏料纈四條[長各一尺九寸 廣各一尺五【分】寸]
  糸六両
   用三両[帙着一百九十二枚表帶料]
   殘三両[已上縫帙料]
  〓≪あしぎぬ≫端廿七條[廿三條〓≪糸偏+ム+貝≫〓≪あしぎぬ≫ 四條東〓≪あしぎぬ≫]
  庸并黒綿一百九十七屯[殘]
  紺布端一條[長各二丈五尺 代在調布之中]
  細布衾五領[月中請]
   用盡[経(師脱カ)四人校生一人并五人料]
  調布一端一丈二尺[殘]
  同布端四尺[殘]
  庸布十段一丈二尺[殘]
  商布十段一丈八尺[殘]
  庸布端廿八條[殘]
  黄紙一十二万八千七十張
    五万九十張
     二万五千〓≪よんじゅう≫五張[去二月十三日請]
     二万五千〓≪よんじゅう≫五張[月中請]
      右奉寫十部一切經願文料自先奉寫一切經司請来
    七万二千九百八十張[自正倉請月中]
  納辛櫃廿六合
    十三合自先奉寫一切経司請[二合漆塗 十一合白木]
    十三合自正倉請[並白木]
  凡紙五百張
    三百五十張去二月十三日請
    一百五十張請月中
   用盡
    経紙二万張端継料
  〓≪糸偏+竒≫三百〓≪よんじゅう≫五丈五尺[殘]
    一百八丈五尺去月殘
    二百卅七丈買月中
  緋丸組〓≪よんじゅう≫六丈[去月殘]
(中略)
  白木籤二千六百九十二枚[去月殘]
  雜色軸一万七千〓≪よんじゅう≫枝[自正倉請月中]
  納白木辛櫃六合
  墨三百七十七廷
   用【盡】廿三廷
   殘三百五十四廷
「*問」菟毛筆〓≪よんじゅう≫管        【廿八管】
    廿八管去月殘
    十二管請月中
   用盡奉寫二部一切経料
  膠二斤三両一分[去月殘]
  布綱〓≪よんじゅう≫<四>條[去月殘]
  鍬十四口[去月殘]
  米五斗[去月殘 「*可進納味酒廣成」]
(中略)
  葛野蓆三枚
  葉薦八枚[已上二種用盡経師等宿所料]
  竹十株
   用盡[奉着二部一切経標紙料]
  釘一百七十四隻[五十隻長各<五>寸 一百廿四隻長各四寸]
  〓≪竹冠+青≫子廿七村        〓≪木偏+若≫〓≪よんじゅう≫荷
  針繩卅五了        榲榑五<十>村
  歩板二枚         藁七十圍
  黒葛一了         瓦四百七十枚[四百廿枚筒瓦 五十枚々瓦]
    已上九種用盡廁一宇作料
(後略)

出典

『大日本古文書』6(498頁~508頁の内498頁~506頁)(『正倉院文書』續修別集12裏書)

「寶經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731年)8月10日

記事

   天平五年正月始
    藥師經七巻[本願三巻 新翻四巻 皆色紙同〓≪衣偏+票≫綺□(帯)赤□(木)軸]
    阿(弥)陀經十巻[色紙〓≪衣偏+票≫綺帯赤木軸 用紙五張]
    随願往生經十巻[黄紙黄〓≪衣偏+票≫綺帯赤木軸]
    阿弥陀經二百卅巻[黄色(紙カ)黄色〓≪衣偏+票≫赤木軸]寫

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内5頁~6頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731年)8月10日

記事

(前略)
    藥師經七巻[本願三巻 新翻四巻 皆色紙同■綺□(帯)赤□(木)軸]
    阿(弥)陀經十巻[色紙色■綺帯赤木軸 用紙五張]
    随願往生經十巻[黄紙黄■綺帯赤木軸]
    阿弥陀經二百卅巻[黄色(紙カ)黄色■赤木軸]
       二月卅日 内堂進納
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内5頁~6頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寶經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731年)8月10日

記事

   大方等大集經六帙[六十巻白色及〓≪衣偏+票≫綺緒紫檀軸竹帙秘錦縁紫裏
             唐【紙】短麻紙  今用紙一千一百八十七]
  [(異筆以下同ジ)「合」]大品般若經〓≪よんじゅう≫帙[〓≪よんじゅう≫巻白色及〓≪よんじゅう≫綺緒紫檀軸竹帙【秘】錦縁紫裏
              唐長紙     今用紙六百〓≪よんじゅう≫]
  [「合」]大威徳經二帙[廿巻黄色及〓≪衣偏+票≫綺緒紫檀軸竹帙【秘】紫縁錦裏
              朽布紙     用紙二百七十八張]
  [「合」]大法矩陀羅(尼脱カ)經二帙[廿巻黄色及〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫錦裏
              朽布紙     用紙三百十二張]
  [「合」]見實三昧經一帙[十四巻紫檀軸綺羅〓≪衣偏+票≫竹帙錦裏紫縁
              呉桃紙     用紙二百六十]
  [「合」]賢刧經一帙[十三巻羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
              呉桃紙     用紙一百九十二]
  [「合」]悲華經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
             呉桃紙         用紙一百九十五]
  [「合」]菩薩瓔珞經二帙[十六巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙【紫】錦縁【錦】紫裏
             呉桃紙         用紙三百〓≪よんじゅう≫]
  [「合」]解深蜜經五巻[朽布黄色及〓≪衣偏+票≫紫檀軸綺竹帙紫縁錦裏
             紙           用紙七十三<今六十一>張]
  [「合」]大灌頂經一帙[十二巻白色及〓≪衣偏+票≫紫檀軸綺竹帙紫錦裏
             【朽布紙】         用紙一百十五]
  [「合」]薩遮尼乾子經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦裏紫縁
             呉桃紙         用紙一百五十]
  [「合」]十住断結經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫【縁】裏【錦】紫縁
             呉桃          用紙二百五十五]
  [「合」]入楞伽經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
             呉桃          用紙一百七十一]
  [「合」]華手經一帙[十巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺緒〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦裏紫縁
             呉桃紙         用紙二百〓≪よんじゅう≫五]
  [「合」]大菩薩藏經二帙[廿巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
               呉桃         用紙四百卅五]
  [「合」]大方廣佛花嚴經八十巻[呉桃漆紙紫〓≪衣偏+票≫<羅>綺〓≪さんずい+冗≫軸竹帙【秘】錦縁紫裏
                           千五百卅]
  [「合」]大般涅槃經四帙[〓≪よんじゅう≫二巻紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙【秘】錦縁紫裏
               呉桃染紙       用紙七百十五]
       正法華經一部[十巻黄紙黄〓≪衣偏+票≫赤木軸綺帯
              納進     大進   用紙一百九十二]
         法華疏四巻[色黄同〓≪衣偏+票≫漆軸綺帯   用紙一百卅五]
         維摩經疏三巻[色黄同〓≪衣偏+票≫漆軸綺帯  用紙八十五張]
         弁中辨論三巻[黄紙黄〓≪衣偏+票≫朱頂軸 
                綺帯内進五年四月七日 用紙〓≪よんじゅう≫張]
         又弁中論三巻[呉桃染紙      用〓≪よんじゅう≫一張]
  [「合」]大【方】乗【廣】十輪經十巻[胡桃紙紫羅〓≪衣偏+票≫綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
                             用紙百八十]
       楞伽經四巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫            用紙九十四]
         [心經抄一巻 黄紙朱頂軸綺帯 五年八月廿八内進 用廿
          七巻章
          仏名經一巻 用紙八張 七倶胝仏母心經一巻 紙四
                     八名經一巻 紙二
          六時行道一巻 紙卅  八月内進大進]
  以前經部巻數、專所 御願訖、[廐坂寺僧四百口
                 講説 斎會]

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内7頁~8頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

(前略)
[「合」]大方[乗]廣十輪經十巻[胡桃紙紫羅■綺紫檀軸竹帙紫縁錦裏
用紙百八十]
楞伽經四巻[黄紙及■            用紙九十四]
[心經抄一巻 黄紙朱頂軸綺帯 五年八月廿八内進 用廿
七巻章
仏名經一巻 用紙八張 七倶胝仏母心經一巻 紙四
八名經一巻 紙二
六時行道一巻 紙卅  八月内進大進]
以前經部巻數、專所 御願訖、[廐坂寺僧四百口
講説 斎會]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内8頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

   大乗十一面經一巻            用十五
     无垢稱經六巻[滅紅紙     内進] 用九十一
     七倶胝仏母心經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯漆軸]用四
     八名普蜜陀羅尼經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯漆軸]用二
     仏名經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯漆軸]    用七
      梵網經二巻[胡桃紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸] 用〓≪よんじゅう≫張
     仁王經二巻梵網經二巻无垢稱經六巻[已上十巻複為一巻白〓≪衣偏+票≫綺帯〓≪さんずい+冗≫軸
                      唐麻紙寫注廿八張]

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内19頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

(前略)
   [天平六年三月]
     最勝王經十巻用<白>唐麻紙注廿六張複為一巻[白〓≪衣偏+票≫綺帯〓≪さんずい+冗≫軸]
     法華經八巻用<白>唐麻紙注廿八張複為一巻[白〓≪衣偏+票≫綺帯〓≪さんずい+冗≫軸]
     最勝王經十部一百巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫]
         [六月一日始七月十日了]
     随求即得陀羅尼 大仏頂經陀羅尼二巻[複一巻 白紙及〓≪衣偏+票≫綺帯〓≪さんずい+冗≫軸]
     合四巻寫[一巻黄紙用三巻白紙竹幕]裏在仏像
         [四月十九日]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内20頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事


  六年【四】六月
    最勝王經十无一百巻[黄紙及綺帯木畫軸]
    法華經十五部一百廿巻[十二月角院讀 黄麻紙及〓≪衣偏+票≫紫綺水精軸竹帙鹿錦縁緋裏]
        右件經、宮 八月二日、 即七年六月七日飛鳥寺斎會、
    无垢稱經六巻[黄麻紙及紫綺赤木軸]
    注維摩經六巻[黄麻紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]
    理趣經一巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]
        右經、宮院 進御所、七年三月大進

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内20頁~21頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

二月卅日、内堂進納、
(前略)
    七年三月寫宮經四部
     海龍王經四巻[唐色紙及〓≪衣偏+票≫紫綺水清<赤檀>(精)軸]    用九十四
     最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百六十八
     金光明經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤檀軸]          用百卅一
     千手千眼經七巻[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫紫綺【赤】水清(精)軸]   用 [一巻百]
       右件經、大宮寫貢、四月大進
[宮院]最勝王經一部[比佐木紙及〓≪衣偏+票≫〓≪さんずい+冗≫水軸紫綺帯 右宮院御]    用一百七十
[内親王御]最勝王經一部[紅紙及〓≪衣偏+票≫班(斑)綺赤木軸]       用百七十
[后御]唯識論十巻[胡桃紙及〓≪衣偏+票≫赤木軸紫綺帯]           用百九十六
       [右件御所]
     大灌頂經十二巻[穀紙及〓≪衣偏+票≫朱軸 右件眞咋寫<未>給]    用一百廿七
     法花經疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫漆軸緑綺]             用
     【[又法華疏十巻 〔比佐木紙〕]】
  疏廿巻尼等房進 七月十四日付大伴部勇人[大進用万赤呂]
   又廿巻 右安宿家佐弥等所給
    【法華疏〓≪よんじゅう≫巻[白紙黄〓≪衣偏+票≫緑綺漆]】
    御法花疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯赤木軸(八年正月十五日内進)]
    无垢稱經疏六巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫緑綺漆軸 未進
            天平九年十月卅日内進納 大属大藏赤万呂]   用二百九十八
    疏抄一巻[白紙]                       用十七
    圓弘章四巻[縹紙及〓≪衣偏+票≫紫綺赤木軸]               用百〓≪よんじゅう≫
     右件書、【王御】沙弥御進、六月八日大進
    法花疏十巻[黄麻紙及〓≪衣偏+票≫綺<帯>赤木軸]            用五百〓≪よんじゅう≫一
     右書<為>、宮院御進、六月六日大進
    [千手千眼經一巻]
    因明論六巻[三黄 三白]【疏】    
    因明論疏三巻[白紙及〓≪衣偏+票≫緑綺]          用一百卅五
    彌勒疏二巻[白紙]               用〓≪よんじゅう≫ゝ
    維摩宗要一巻[白紙]              用七
    五薀論一巻[黄紙]               用十五
     右書、安宿宅佐弥等寫給、
   法華疏十巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯赤木軸 用]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内22頁~23頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「寫經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平3年(西暦731)8月10日

記事

(前略)
  八年三月<廿五日>右件書、沙弥御所進、[付丈部宮足、]即僧等施給、
    圓弘章四巻[穀紙]七巻章七巻[赤万呂]
    弁中論疏三巻[穀紙黄]
    右書、安宿殿沙弥等所進、
               [九年十月卅日内進納 尼信勝 大属大藏赤万呂]
   唯識疏廿巻[法苑林章十四巻    未進
          四月廿九日付大原大依内進]
     右書、人給料、
  金剛般若一巻[〓≪さんずい+黄≫麻紙及〓≪衣偏+票≫紫綺帯 大進 赤木軸]    用十三[赤万呂]
     右<為>件書、宮御所寫進納、[【丈部宮足 赤万呂】]
            四月廿五日付丈部宮足 赤万呂
    金剛般若經一巻[黄紙及〓≪衣偏+黄≫綺帯赤木軸]           用十三
      右件書、親王御寫、[未進]
    藥師經一巻[白紙 五月]                 用十二
    千手經一巻[白紙]                    用十六
      右件書、親王御所寫宣、即井[【未進】]上王施、
   大寶積經十二帙一百廿巻[黄紙及〓≪衣偏+票≫]             用二千二百卅二
    右經、宮一切經内寫、
   法花疏十巻[黄紙
     右件疏、親王 御書、[自内施靈智師施、]
    新翻藥(師脱カ)經四巻[二色 紙二黄]本願藥師經三巻[二色 一黄]
    [皆朱頂軸紫綺四巻緑〓≪衣偏+票≫三黄〓≪衣偏+票≫]
     右、奉為 大上天皇(元正天皇)御寫敬、
            八月十三日大進宣[廿日山寺<房>請 知秦万呂]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(5頁~32頁の内23~25頁)(『正倉院文書』(續々修12帙3)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

甲櫃
   涅槃經一部〓≪よんじゅう≫二巻[二巻後分 呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 紫綾裏]
   法華經十一部八十八巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 町形綵帙 緑綾裏]
    丁香二袋 青木一袋 草香二袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内197~198頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

乙櫃
   大法炬陀羅經一部廿巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏]
   大品般若經一部〓≪よんじゅう≫巻[白麻紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 紫(綾)裏]
   華手經一部十巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 〓≪さんずい+冗≫水軸 竹帙 紫綾縁 錦裏]
   大威徳經一部廿巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏]
   大菩薩藏[經]一部廿巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏]
   悲華經一部十巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏]
   十住断結經一部十巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 紫綾裏]
   大灌頂經一部十二巻[白麻紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏]
   見實三昧經一部十四巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内198頁~199頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丙櫃
  涅槃經一部〓≪よんじゅう≫二巻[二巻後分 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 緋綾裏]
   又一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 紫綾縁 緑裏]
   又卅六巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹帙 紫綾縁 緑裏]
  法華經一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦裏 緋綾裏]
   又一部八巻[白麻紙 緑表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏]
   又廿九部[各八巻 黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦緋綾裏]
    丁香二袋 草香一袋
(後略)

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内199頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

丁櫃
  金光明經一部八巻[白麻紙 〓≪衣偏+票≫表 綺緒 白檀軸 无帙]
   又一部八巻[黄紙橡表 綺緒 紫檀軸 印 无帙]
   又一部四巻[黄紙橡表 綺緒 漆軸]
   又一部四巻[黄紙及表 印 无緒軸]
  華嚴經一部八十巻[欠第七帙 黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹綵帙 錦裏 錦綾裏 印]
   大乗十輪經一部十巻[黄紙及綺緒 白檀軸 竹帙綵 綾裏 印]
   佛名經一部十三巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁 緋綾裏 印]
   維摩詰經一部三巻[黄紙 紫表 綺緒 花軸 金字題 印]
    又一部三巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印 无帙]
    又一部三巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 漆軸]
  維摩詰經一部十巻[欠第六巻 橡麻紙及表 紫綾緒 朱頂軸 竹帙 錦縁 綾裏 印]
  虚空孕菩薩經一部二巻[一巻无軸 黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  摩登伽經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  思益經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   又一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  虚空藏經八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  僧伽咤經一部四巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  禪秘要經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  摩訶般若波羅蜜呪一部二巻[欠一巻 白紙橡表 綺緒 漆軸 印]
  孔雀王經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  佛頂尊勝陀羅尼經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 馬脳軸 金泥字 印]
   又三巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  理趣經一巻[白麻紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
  金剛般若經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  金剛般若注序一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  文殊般若一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
  藥師經一巻[色紙黄表 綺緒 漆軸 印]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
   又一巻[上同但无軸印]
   又三巻[上同但朱軸印]
  子注多心經一巻[上同]
  心經十四巻[色紙及表 綺緒 十巻朱頂軸 一巻朱軸 一巻白檀軸 二巻漆軸 皆印]
  大方等如來藏經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  温室經一巻[白麻紙 黄表 綺緒 玉軸 印]
  十一面經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸 印]
  仏名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  光讃般若經十五巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印 无帙]
  弥勒上生經一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  无畏徳女經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  随願往生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  疾病經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
  千手千眼經〓≪よんじゅう≫九巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  遺敎敎一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 印]
  觀世音經十一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 印]
  寶結菩薩經二巻[黄紙及表 緋緒 朱頂軸 印 上下]
  梵網經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  般若波羅蜜多大心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   丁香一袋 生木香一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内200頁~203頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 戊櫃
   法華經一部八巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙綵 錦縁 緋綾裏 印]
    又二部十六巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹綵帙 錦縁 緋綾裏 印]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸 竹帙 錦縁 緋綾裏]
    又三部廿四巻[白紙 黄表 緑綺緒 朱軸]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸 竹帙 錦縁 緋裏]
    又一部八巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 黑柿花軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
    又一部七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    正法華經一部十巻[黄紙及表 綺緒赤木軸]
   最勝王經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 穀皮紙帙]
   仁王經一部二巻[上下黄紙及表 綺緒 朱軸]
   金剛般若經五十四巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又五巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 紫緒 花軸]
    又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
    又一巻[白紙 呉桃表 綺緒 白檀軸]
    又二巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 一巻 印]
   觀佛三昧經一部十巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   大灌頂經一部十二巻[欠八巻 黄紙 橡表 紫綺緒 朱軸]
    又一巻[〓≪衣偏+票≫紙及表 綺緒 白檀軸 金泥字]
    又三巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   灌頂經一部十二巻[欠第五七八九十十二 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又五巻[並第九巻 黄紙及表 綺緒漆軸]
    又三巻[第五七八 黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 漆軸 印]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   藥師經卅七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又六十九巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
    又一巻[黄紙 橡表 綺緒 朱軸 印]
    又一巻[白紙 黄表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 紫綺緒 白檀軸]
    又一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   新藥師經二部四巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
    又三部六巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 朱軸]
    又一巻[黄紙及表 綺緒 馬脳軸]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内204頁~207頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
  能断般若經百巻[黄紙及表 緑綺緒 〓≪木偏+聖≫軸]
  不空羂索經九巻[呉桃紙及表 紫綺緒 朱頂軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
   又一巻[白麻紙及表 緑綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩陀羅尼經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  觀世音經百廿二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又廿一巻[白紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[呉桃紙 紫羅表 紫綺緒 〓≪さんずい+冗≫水軸]
   又一巻[赤紙呉桃紙表 綺緒 花軸 銀泥字]
   又一巻[呉桃紙及表 綺緒 赤木軸]
   又一巻[橡〓≪あしぎぬ≫ 紫羅表 綺緒 漆軸]
   又一巻[白麻紙 黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  觀世音菩薩受記經一巻[白麻紙 橡表 綺緒 紫檀軸]
  請觀世音經二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  十一面神呪心經二巻[黄紙及表 緑綺緒朱軸]
   又一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
   又一巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  高王觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸]
  千手千眼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 花軸]
   又二巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  无垢稱經一部六巻[欠第一巻 呉桃紙 橡表 紫綺緒 赤木軸]
  海龍王經一部四巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  維摩詰經一部三巻[黄紙及表 紫綺緒 牙軸]
  大通方廣經三部九巻[黄紙及表 緑綺緒 朱軸]
  无量義經一部二巻[黄紙及表 緑綺緒 黑柿軸]
  理趣經一巻[黄紙及表 緑綺緒 漆軸]
  弥勒經六部十八巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  弥勒成佛經一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又二巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒下生經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  弥勒上生經三巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   又一巻[白紙黄表 綺緒 漆軸]
   又一巻[黄紙及表 綺緒 紫檀軸]
  又弥勒成佛經二巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  又弥勒下生經六巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
  弥勒菩薩所問本願經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  最无比經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  右繞佛塔經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  摩訶摩耶經一巻[色紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  灌佛經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  甚希有經一巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 紫檀軸]
  造立形像福報經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  浄飯王般若經一巻[呉桃紙及表 綺緒 紫檀軸]
  天請問經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  四天王經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
  随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  金光明經并喩伽論抄一巻[黄紙及表 紫綺緒 赤木軸]
  呪〓≪女偏+屓≫經一巻[白紙 黄表 綺緒 花軸]
  无常經一巻[縹紙 紺表 紫檀軸 金泥字]
  雜呪一巻[黄紙 緑羅表 紫緒 紫檀軸]
  神符經一巻[縹紙 紫表 綺緒 朱軸 金銀交字]
  出家功徳經一巻[縹紙 紫檀軸 金字]
  觀藥王上佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 印]
  地藏菩薩經一部二巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  佛名經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  十无盡戒經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  七倶胝母佛心經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  六門陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
  度世經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸頂]
  護諸童子經六巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  八名普蜜陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
  金光明懺悔品一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
  心經廿七巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又五巻[黄紙及表 綺緒 漆軸]
   又四巻[色紙及表 綺緒 朱頂軸]
   又二巻[白麻紙及表 綺緒 漆軸]
   又一巻[色紙及表 綺緒 朱軸]
  壽延經八十七巻[白麻紙及表 緑綺緒 朱軸]
   丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内207頁~212頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 庚櫃
   喩伽論百巻[黄紙及表 紫綺緒 朱軸 竹帙 紫綾縁 緋裏 緑拾組帯]
   大智度論百巻[黄紙及表 緋緒 朱頂軸 錦縁]
   唯識論十巻[欠第一巻 黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹綵帙 錦縁]
   唯識述義二巻[白紙及表 无緒軸]
   大般涅槃經疏二巻[白紙及表 无緒軸]
    又十五巻[白紙 黄表 緑綺緒 漆軸]
   成唯識論疏十三巻[白紙及表 无緒軸]
   願文一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸]
   又雜願文一巻[白紙及表 无軸緒]
   二諦義一巻[白紙]
   供養文一巻[白紙]
   佛印一巻[白紙黄表 綺緒 赤木軸 印]
   維摩經一巻[黄紙及表 无軸緒]
    丁香一袋 青木一袋 草香一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内212頁~213頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

辛櫃
  喩伽論百巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹帙 緋縁 緋裏 緋帯]
  廣百論十巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  佛地論七巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 竹綵帙 錦縁 緋裏]
  成唯識論七巻[白紙 无緒軸]
  金剛般若論四巻[白紙 无緒軸]
  大乗起信論一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
  大乗五薀論一巻[白紙及表 竹軸]
  一切經音義十一巻[白紙及表 无緒軸]
   又十二巻[六黄紙及表 六白紙及表]
  -五明論一巻[白紙及表 朱頂軸]
  -法華玄讃四巻[白紙及表 无緒軸]
  解讃阿弥陀經一巻[黄紙及表 綺緒 金泥軸 印]
  彌勒成佛下生論疏一巻[白紙及表 漆軸]
  羯磨文一巻[黄紙及表 綺緒 无軸]
  大般涅槃經疏一巻[白紙及表 无軸緒 印]
   丁香一袋 草香一袋 青木一袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 壬櫃
   随求即得陀羅尼經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   多心經七十巻[黄紙及表 綺緒 六十三巻漆軸 七巻朱軸]
   大雲經一巻[黄紙及表 綺緒 朱軸 印]
   大吉義呪經四巻[白紙及表并无軸緒 印]
   法華經卅(巻)[黄紙及表 朱頂軸 班綵帙 緋綾裏]
   海龍王經四巻[黄紙及表 赤木軸 无緒]
    丁香三袋

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内215頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 〓≪さんずい+冗≫厨子
   十論經十巻[呉桃紙 紫羅表 綺緒 紫檀軸 竹帙 紫綾縁 錦裏 拾組帯]
   華嚴經八十巻[欠第一巻 又四帙第卅四卅五卅六卅七卅八卅九 呉桃紙 紫羅表 綺緒 〓≪さんずい+冗≫軸 竹帙 錦縁 紫綾裏 拾組帯]
   法華經八巻[紫紺錦表 綺緒 以玉錺軸 竹帙 錦縁 緋綾裏 金字題]
    又八巻[紫紙 紫羅表 綺緒 琥珀軸 金字題]
   稱讚浄土經一巻[紫紙 紫羅表 綺緒 以金錺軸 金字]
   最勝王經一巻[複 黄紙 紺表 綺緒 花軸 金字題]
    又一部十巻[白麻紙 白綾表 白綺緒 水精軸 无帙]
   能〓≪米偏+斤≫(断)金剛般若經一巻那伽室利般若經一巻
   曼殊室利般若經上巻 又下
   不空羂索神呪心經一巻[已上並呉桃紙及表 緑綺緒 朱軸]
   理趣經一巻[黄紙及表 綺緒 赤木軸]
   千手千眼觀世音經一巻[黄紙及表 綺緒 花軸]
   觀普賢菩薩行法經一巻[色紙及表 綺緒 赤木軸]
   佛頂尊勝陀羅尼經一巻

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内216頁~217頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 乙櫃
(中略)
   解深蜜經一部五巻[黄紙及表 紫檀軸 竹帙 黑紫綾縁 十五年二月廿四日請敎勝所 万里(呂カ)]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内217頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 丙櫃
(中略)
   法華經八巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 竹帙綵 錦縁 緋裏 十五年二月廿四日奉請敎勝所万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内218頁~219頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 丁櫃
(中略)
   法華經八巻[漢手黄紙及表 綺緒 白檀軸 无帙]
   最勝王經十巻[白麻紙 呉桃紙 綺緒 白檀軸 无帙]
   楞伽經四巻[黄紙及表 朱軸]
   維摩經三巻[黄紙及表 朱軸]
   藥師經一巻[黄紙及表 綺緒 白檀軸
         十五年二月廿四日請敎勝所万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内218頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「經巻納櫃帳」『正倉院文書』

撰述日

天平10年(西暦738)

記事

 己櫃
   弥勒經一部三巻[花軸 十年十四月(日カ)為本經請高屋赤万呂 果安(マヽ)]
   請觀世音經一巻[白紙黄表 紫綺緒 紫檀軸 十年五月廿六日借請中宅大道藤原大夫 万呂]
(中略)
   法華經一部八巻[黄紙及表 紫檀軸 竹帙 錦縁 請東宮御所付延信尼十二年四月廿三日善人]
   金剛般若經一巻奉出[十二年十月四日付秦岡万呂 添万呂]
   无垢稱經一部六巻[黄紙及表 綺緒 朱頂軸 无帙]
   勝鬘經一巻[黄紙滅紫表 綺緒 金字題 花軸]
   弥勒經一部三巻[黄紙及表 緑緒 朱軸 已上三經請敎勝所 十五年二月廿四日万呂]

出典

『大日本古文書』7(197頁~221頁の内219~220頁)(『正倉院文書』(續修後集23)

「寫經司告朔帳解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)4月1日

記事

 人成請充千手經料紙七月百六巻一千八百七十七枚
  八月充五十八巻一千七十三枚合百六十四巻二千九百五十枚
  七月充黄紙五十二巻一千〓≪よんじゅう≫枚 八月十二(日)巻二百〓≪よんじゅう≫枚
  一切經料      天平十三年八月廿九日勘人成
  装〓≪さんずい+黄≫等送黄紙一千二百八十枚[既充]
(紙継目)
[「(異筆)未進      七月八月兩月人成」]
  七月八月<合>兩月充<黄紙>一千五百廿三枚

出典

『大日本古文書』7(225頁~239頁の内226頁~227頁)(『正倉院文書』續々修35帙1裏書)

「寫經司告朔帳解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)4月1日

記事

 寫經司解 申七月行事事
(中略)
   所請物合伍種[「壹萬貳伯参」]
    一切經料紙壹萬貳伯参拾張【之中】[一万〓≪よんじゅう≫張黄紙 一百五十張<端>断料 〓≪よんじゅう≫張式并敷紙料]
    銭貳仟壹伯捌拾文
     用一貫七百六十文
「(異筆)十三年 自七月至十二月七日千巻十三 黄五十九」
     残四百廿文
   「(異筆)建部卅四巻 志紀卅四巻 山部十巻」
    買墨壹拾廷  直銭一百八十文[廷別十八文]
(中略)
   「(異筆)茨田久治万呂十三卷 六人部ニ卷 錦部ニ卷」
    浄衣参拾貳領[廿八領紅四領楷衣]
(後略) 

出典

『大日本古文書』7(225頁~239頁の内228頁~229頁)(『正倉院文書』續々修35帙1裏書)

「東院寫一切經所受物帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平11年(西暦739)6月3日

記事

(題籤表)
  受物案文
(同裏)
  天平十一年六月三日
【[天平十一年]】
  東院寫一切經所受物
(中略)
  七月九日紅浄衣廿領[五日釘卅隻受海秋万呂]汗衫廿領 布袴廿腰 褌廿腰
    水褌廿腰 布〓≪糸偏+蔑≫廿足 湯帳一條
     上件七種物受 阿刀酒主
    十日古紅浄衣四領 麻袴四腰 衾十覆 布一匹[湯帳料反 使鴨庭万呂]
(中略)
    十二日古紅浄衣四領[受鴨庭万呂]
     紙〓≪よんじゅう≫張[式并敷紙料] 受海秋万呂
(中略)
    十六日銭二千文 右菜并薪直料 受塩万呂
    同日銭一百八十文右墨十廷直料 受塩万呂
    十九日一切經料紙四千【一百】〓≪よんじゅう≫張 受秦大床
     又端継紙百五十張 受大床
     階浄衣四領    受凡國足
    十六日反上筆直残銭一貫四百〓≪よんじゅう≫六文秦万呂[少属出雲]
    廿五日紙六千張[右一切經料]受土師宅 秦大床
   [廿六日黄紙八十枚 右為方廣經寫料]
    廿九日紙四張[告朔料] 受 少属出雲 赤万呂
  八月二日墨廿廷 紙〓≪よんじゅう≫張[式並敷紙料]受海秋万呂
(中略)
   十八日返上墨十二廷 受秦倉人
(中略)
   廿二日墨廿廷[受土師宅良]
(中略)
  十月 五日油二升 六日筆廿箇直銭六百文
(中略)
   十【七】八日受銭四貫九百五十二文[赤万呂]
    色紙八十張 黄紙八十枚
     右為春宮 御書雜經寫料
           少出雲
   調紙三百廿枚
     右為法華經二部寫料装〓≪さんずい+黄≫白紙
         光信尼宣
(中略)
   八日墨廿廷[受土師宅良 宅良 赤万呂]
(中略)
  二月十日受銭一貫二百文 筆廿箇墨廿廷料
(中略)
  天平十三年正月廿三日黄紙一万<〓≪衣偏+票≫紙>六百十五枚[一切經大床 赤万呂]
(後略)

出典

『大日本古文書』7(263頁~270頁)(『正倉院文書』續々修3帙1)

「装〓≪さんずい+黄≫等送紙帳」『正倉院文書』

撰述日

天平13年(西暦741年)閏3月29日

記事

 始天平十三年閏三月廿九日装〓≪さんずい+黄≫等送上黄紙<一切經>
     合三千二百廿枚[二千六百八十枚充 五百〓≪よんじゅう≫枚遺]
(中略)
  起十四年二月五日至廿九日送黄紙
    合六百〓≪よんじゅう≫枚[充四百八十枚 遺百六十枚]
(中略)
   自十五年三月十二日至五月廿八日送黄紙十二巻[充了]

出典

『大日本古文書』7(501頁~503頁)(『正倉院文書』續々修28帙3)

「經師校生等手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)7月1日

記事

 杖部子虫受寫千手經六巻 毘喩經一巻
   受紙百廿一枚[之中黄紙廿三 白紙九十八枚返上一枚 「合」]
          現用百廿<九十七>枚 「讀戸」
   三巻十七枚 <「*合」>二巻十五 一巻十六
   「(七月■入)奮雜毘喩經一巻用廿三枚」      
          天平十三年九月卅日「(異筆)勘人成」「(異筆)讀戸」

出典

『大日本古文書』7(542頁~560頁の内556頁)(『正倉院文書』續々修7帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

[「(端裏書)始天平十三年八月一日至十四年四月廿九日
        紙
白紙充即了                     」]
  天平十三年八月一日充黄紙并白紙
  安曇廣万呂二日白紙二巻四日十一巻十九三巻十合【五十四】八十五枚三巻
  九月十一日十六枚十二日

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内561頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

(前略)
     [八月二日]
  建部廣足白紙一巻四日白一巻十日十一巻廿一日白一枚合五十四三巻九月廿日千十四枚
  九月廿九日二巻[卅四枚]十月一日十七枚三日十七枚五日十七枚七日十六枚又一枚
  自九月至十月七日合充百十六枚[返上]十九日十五枚廿一日十七枚廿二日十七枚廿四日十七
  廿四日一切經料受黄紙廿四枚十一月二日白十七枚五日黄廿三枚
(紙継目)
  八日黄二巻十日白十七枚十三日黄二巻七枚已上法花料
  廿二日白十七枚廿三日十七枚又黄二巻[又六枚]廿六日卅四枚十二月[寫始置]五日十七枚
  【合充白五巻數十五枚黄八十三枚】
(紙継目)
  合充白紙[四巻十月料 六巻十一月料]枚百〓≪よんじゅう≫一<八十五>黄百卅<三>枚[廿四枚十月料 ■■■(長方形塗りつぶし)十一月料百九枚]
  始天平十四年二月五日白紙十七枚法花料始充<白紙>六日十七枚七日十七枚
  八日白紙十七枚十五日十七枚十六日十七枚十七日返上三枚
(後略)

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内562頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 丸部麻呂<八月>二日白紙一巻五日千一巻七日千一巻廿一日千一巻廿六日千一巻廿八日千
  一巻九月一日十六枚合百二枚六巻
  [坂合部文万呂]
  始天平十四年二月五日充白<紙>十七枚藥師經<一巻>料充白紙十二枚更充千手經料
  九日【紙十六枚】(黄廿枚)十六日黄一巻合充紙六十九[廿九日十二藥師經料十八千手料 〓≪よんじゅう≫一枚黄]
  四月一日黄一巻四日十七五日十七
  自四月一日至廿九日受黄紙八十九枚[返三空一 破]用八十四

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内563頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 漢浄麻呂<八月>三日白紙一巻五日千一巻合卅六二巻【五】十月一日十六枚二日十七枚
  三日十六枚四日十六枚又一枚五日十七枚又二枚六日一枚<九日>十七枚十三日十七枚
  至十月十三日合充百廿[反三]十一月二日白二巻[卅四]五日白十七枚七日黄一巻
  十六日白十七枚十七日十七枚十八日白十七枚十九日白十七枚廿一日白十二<七>
  始天平十四年二月六日充白紙十七枚觀世音一巻【阿彌陀一巻料】[充白紙■四枚]
  八日白紙十七枚九日黄紙【十六枚】廿枚十二日十七枚十三日十七枚
  十五日十七枚十八日十六枚廿二日十七枚廿四日十七枚廿九日十七枚
  合充紙百七十六枚[百五十六白四枚觀世音料百五十二千手料 廿四枚黄紙]
  三月二日充黄一巻五日十七枚六日黄二巻九日黄一巻又黄一枚
  十九日十七枚廿一日十七廿五日十七廿七日十七合充百六十六[白八十五 黄八十一]
  四月一日一巻[白]■二日黄卅一枚四日廿九枚
(紙継目)
  自四月一日至廿九日受黄百卅一枚[返空一 破一]見用百廿四
(後略)

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内563頁~564頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 雀部島足九月一日十八十月七日十七枚九日十七枚又四枚十三日十七枚
  自九月一日至十月九日合充紙五十六枚<反三>十七日十七枚【[返上]】廿八日黄七枚廿九日<黄>十二枚
  十一月二日白十七枚五日黄卅枚七日白二巻[卅四<三>枚]又黄廿四枚
  十六日黄一<法>巻十五日黄二巻<反十枚>返上三百法花料廿一日黄一巻廿三日十六枚
  黄又五枚廿八日白十七枚十二日白十七枚又黄
  合充紙[十月一巻 十一月四<六>巻]枚百十七枚黄〓≪よんじゅう≫五[廿枚十月料 廿五枚十一月料]【自四月一日至廿九日百廿四【[既用]】
  始天平十四年二月五日充黄紙一巻法花經料始充白紙十七枚七日白紙十七枚
  十日十七枚十三日十七枚十五日三枚已上七十一枚法花料用即了更充千手料
  十七日十七枚合充紙百八枚[八十八白七十一法花料十七千手料 廿枚黄]【四】三月一日十七
  黄廿枚十日十七合充五十四[卅四白 廿黄未上依五日料勘納]
  自四月一日至廿九日受白紙卅四即用
(後略)

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内564頁~565頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 山部花八月十日千一巻十月十四日十七枚十七日十七枚十八日十七廿八日黄七枚
  十一月二日白十七枚十八日黄二巻廿一日黄二巻廿二日黄一巻又黄
  五枚合充白紙[一巻八月料三巻十月料 一巻十一月料]枚七十五<欠六枚>黄百七枚[十一月料]
  始天平十四年二月五日充<白紙>十七枚七日黄紙一巻<又白紙五枚>九日黄一巻又白十七枚
  十八日黄一巻廿三日十六枚廿五日黄一巻廿八日黄一巻合充百五十五[五十【四】五白五枚彌陀用〓≪よんじゅう≫千手用百黄]
  三月一日黄一巻六日黄一巻七日黄二巻十日十七枚又黄<反>三枚十九日黄一巻
  廿四日十七廿五日十七廿七日十七合充百六十八[六十八白 百黄]四月
  一日十七三日黄一巻
  自四月一日至廿九日受黄白紙百五十六[十七日 百卅九[黄]返一]見用百五十五
(紙継目)

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内565頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 忍坂成万呂八月十九日白一巻<十七枚>九月十八日十六枚十八日<【又十六枚】>黄一巻廿六日<又五枚>十七枚廿九日十六
  枚十月【二】<一>日十六枚四日十七枚又四枚六日十六枚九日十六<四>■■■(長方形塗りつぶし)
  自九月至十月九日合充紙百五十八[廿五黄 百卅三白]十九日十七枚返上白紙六枚廿一日十六枚又四枚
  十一月二日自十七枚五日黄廿三日七日白十七枚十三日白十七枚又黄二枚
  十六日十七枚十九日白十七枚廿一日白十七枚廿三日十七枚廿六日黄廿一枚
  合充白紙[二巻十月料 七巻十一月料]枚百卅<五十>五黄〓≪よんじゅう≫【五】<六>枚十一月料
  始天平十四年二月六日充白紙十七枚法花經料始充白紙十七枚
  八日十七枚十日十七枚十三日十七枚十五日十七枚返上四枚
  已上八十一枚法花料用即了更充千手料廿二日十七枚廿七日十<七>枚
  合充百卅六即白紙[八十五法花用 五十一千手用返上四]三月二日黄一巻四日黄一巻六日黄一白十七枚
  ■■■(長方形塗りつぶし)十日黄一巻又黄三枚十六日黄一巻又黄一巻廿一日[呉原充]黄一巻
  廿一五日十七■■■(長方形塗りつぶし)合充百六十七[百廿三黄 卅四白]四月一日十七又黄一巻
  自四月一日至廿九日受白黄紙百九十五[卅四白 百六十一黄返三]見用百九十二

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内566頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 丈部子虫八月十日千一巻廿二日千一巻廿五日千■■■(長方形塗りつぶし)一巻廿九日千一巻
  九月四日十六枚合六十五枚【廿六枚■】四巻十一日十六枚十八日黄一巻又三枚廿九日
  十六枚十月一日十六枚又一枚六日十六枚七日十七枚十四日十六枚十九日十六
  ■■■(長方形塗りつぶし)<自九月四日至十月七日充紙>百廿一廿三黄廿八日黄〓≪よんじゅう≫枚十一月五日黄十七枚七日十七枚<白五十一 三巻>
  八日黄五枚十二日白[白三百]五十一枚十八日白十七枚廿八日十七枚十二月五日十六
  合充白紙五巻[十一月料]枚【廿六】[百五十二枚]黄【〓≪よんじゅう≫】六十二枚[廿枚十月料 卅二枚十一月料]
  始天平十四年二月廿七日充白紙十七枚黄紙廿九日充<黄>十九枚合充<未上>五十六[十七千手用十九黄]
  三月六日十七枚九日十七枚黄八枚十二日黄二巻十四日十七枚十五日黄一巻
  十六日十七枚十八日十七枚又十七枚廿日十七返黄六枚廿五日十七
  合充二百廿[六十七黄 百卅六枚白]四月一日二巻[卅四]又黄一巻
  四日黄一巻

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内566頁~567頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 葛野安万呂九月一日<千>十八六日千十七枚九日十七枚一切經易枚充黄紙一枚十二日黄一巻
  <黄>十四日一巻<黄>十八日二巻廿八日黄二巻廿九日十【六】八枚十月九日十七枚十三日十七枚
  <自>九月一日至九日十月合充<紙>二百七枚[百廿枚 黄反廿 八十七枚 白紙反]十七日十七枚十九日十七廿二日十七廿四日十六[合六十六]
   十一月二日白十七枚五日黄廿枚七日白十六枚[十日十七十五日十八 廿七日白十七枚十二月五日]
[黄十四枚 合八十四枚] 合充白紙[三巻九月料 三巻十一月料]枚百【■】五十二枚 [反三枚 黄卅四枚 ■■■(長方形塗りつぶし)十一月料]
(紙継目)
   始天平十四年二月五日充白紙十七枚法花料始充白紙十七枚七日五枚
   八日十七枚十日十七枚十三日十七枚已上七十枚法花用即了
   合充七十三即法花用
   三月一日黄一巻[欠一]五日十七枚黄二巻九日黄一巻又十二枚十二日黄一巻
   十二日黄一巻十六日黄一巻十八日黄一巻廿日黄一巻廿一日黄一巻
   又十一枚廿四日黄一巻廿六日十六廿七日十七合充二百九十二[五十日 二百〓≪よんじゅう≫二黄]

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内567頁~568頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 志紀人成<八月>四日白紙一巻十九日一巻廿一日白四枚廿一日千一巻廿五日千一巻九月四日十六<四巻合八十五枚>
  十日十六枚廿九日十六枚廿九日十六枚十月一日十七枚又一枚三日十七枚四日十七枚六日十七枚黄一巻[依葛野]
  十三日十七枚十四日十七枚合自九月至十月六日合受百十七枚[一枚易枚]十九日十七枚廿二日
  十七廿四日一切經料受黄紙廿三枚廿八日黄卅四枚十一月<合卅四黄卅七>二日白卅四枚<二巻>
  六日黄六枚七日白十七枚【六】十四日卅<二巻>六枚十八日黄二巻廿六日白十七枚又十枚
  十二月二日黄二巻四日十七枚合充白紙[二巻十月料五巻十一月料 一巻十二月料]枚百【廿五】六十二黄百〓≪よんじゅう≫三枚 [五十七枚十月料 六十六枚十一月料]
  始天平十四年二月五日充白紙十七枚法花經料始充白紙十七枚七日白紙四枚
  八日十六枚十一日十一枚十六日十七枚又六枚又四枚【返上一枚】
  已上七十三枚法花料用即了又更充黄紙十九日一巻又白十七枚
  廿九日黄十【九】五枚合充百〓≪よんじゅう≫四[一巻八白七十四法花用卅四枚千手用卅六黄]三月一日十七枚二日黄十七枚四日白十七
  又同日黄一巻六日黄一巻九日黄一巻十八日十七枚廿日十七
  廿五日黄一巻廿七日黄一巻又十七合充二百二[百十七黄 八十五白]四月
  一日十七二日十七六日十七
  自四月一日至廿九日受黄白紙四百二枚[二巻黄返廿一空一破一 二巻二白返四]用紙三百七十五

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内568頁~569頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 阿刀息人戸令貴充十月十六日十七廿日十七廿四日一切經料受黄紙
  十四枚廿八日十七<白紙五十一枚已上十月料>廿九日<黄>二枚十一月二日十七枚五日黄紙  十八枚七日黄二枚
  十日黄〓≪よんじゅう≫五枚十三日十七枚十六日〓≪よんじゅう≫一枚十六日<白紙三巻料>黄十枚廿一日黄二巻
  廿六日白十七枚廿六日反上黄■<三>枚十二月二日黄一巻
  始天平十四年二月十三日充白紙十七枚十六日十七枚十八日十七枚
  廿日十七枚廿二日十七枚廿五日十七枚廿七日十七枚合充百十九即[千手用]
  三月三日黄八枚四日黄一巻六日黄一巻九日黄一巻十日黄一巻
  十二日黄一巻十四日黄一巻十七日黄二枚又由十七枚十八日黄二枚
  廿日十七枚廿二日十七廿四日十七合充百九十五[八十五日 百十黄]
  四月一日黄一巻四日黄一巻
(紙継目)
  自四月一日至廿九日受黄白紙百〓≪よんじゅう≫九[百十五黄返四破一空一 卅四白返一]用紙百〓≪よんじゅう≫二

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内572頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 呉原生人始天平十四年二月八日充白紙十七枚十四日十七枚
  十六日黄一巻廿日黄一巻廿二日黄<白>一巻<十七枚>廿五日白十七枚
  合充百八[六十八白千手用 〓≪よんじゅう≫黄]四月一日黄一巻四日黄二巻
  自四月一日至廿九日<受>黄紙八十四[即用]

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内574頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 古来小僧八月廿六日白紙一巻廿九日千一巻<二巻>【合七十八枚】九月十一日十六枚[合八月九日受紙六十九枚]
  廿六日十七<八>枚十一月十六枚四日十七枚又一枚六日十六枚七日十七枚十三日十七
  合八十四枚<至十月十三日充紙 反三>十七日十七枚十一月二日白十七枚七日<白>十六枚八日黄一巻十二日黄二
  巻一枚已上二巻一枚法花經料廿六日黄三枚十二月二日黄一巻
  合充白紙[一巻十月料二巻十一月料 枚五十]黄八十三枚[六十三枚十一月料 廿枚十二月料]欠廿
  始(天脱)平十四年二月五日充黄紙一巻法花經料始充白紙十八枚七日白十六
  十日十七枚十三日十七枚十五日十七枚返上六枚已上八十六枚返上六枚
  法花料用即了更充廿一日黄一巻廿三日黄一巻廿七日黄一巻卅日三巻又二枚
  合充二百廿八[八十六白法花用返六 百〓≪よんじゅう≫二黄]
  六人部大島充八月廿七日白紙一巻[又十六枚三巻 廿九日千一巻 ■■■(長方形塗りつぶし)]<合【四】五十枚>九月六日千【一巻】十七枚
  ■■■(長方形塗りつぶし)

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内574頁~575頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「寫經充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)8月1日

記事

 辛國人成受黄紙百〓≪よんじゅう≫一張 [十二月料]
  始天平十四年二月五日充白紙十七枚廿九日充白十六枚
  三月一日十七十日十七廿九日十七合充八十四枚
  自四月一日至廿九日受白紙九十九[即用]

出典

『大日本古文書』7(561頁~577頁の内575頁)(『正倉院文書』續々修35帙1)

「經師等手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平13年(西暦741)9月30日

記事

 忍坂成麻呂受寫雜經六巻       「讀□□(長方形抜け)」
   受黄紙〓≪よんじゅう≫六枚 [【失紙三枚】]現用〓≪よんじゅう≫六枚之中□□(長方形後半抜け)
   浄飯王經用紙七<八>枚[文一] 佛説[【五】]返復經三枚□□(長方形後半抜け)
   佛説滅度後棺經四枚       額多和耆[(多脱)]經三枚□□(長方形後半抜け)
   四自侵經六枚          摩登伽經下巻用廿二枚[文]□□(長方形後半抜け)
    「*〓≪よんじゅう≫六枚[三枚文
         廿迄 ]」天平十三年十一月廿九日「(異筆)勘人成」

出典

『大日本古文書』7(588頁~598頁の内590頁~591頁)(『正倉院文書』塵芥20)

「寫一切經經生校生等手實案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742)2月 日欠

記事

(紙継)
杖部子虫請寫一切經五卷 合請黄紙六十七張[空二 返上十九張]
  現用〓≪よんじゅう≫六張[之中文二]
    普法義經用十[空一] 波斯匿王太后崩塵土〓≪土偏+分≫身經用五[文一]
    七佛經用五枚[文一] 縁起經上卷用十二[空一]
    縁起經下卷用十四張
「*合〓≪よんじゅう≫六枚 二枚文 充二百廿四文」
          天平十四年三月廿九日「(異筆)讀川原勘人成」
            「*卷五」
(紙継)

出典

『大日本古文書』8(1頁~18頁の内11頁)(『正倉院文書』續々修1帙1)

「寫一切經經生校生等手實案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742)2月 日欠

記事

(紙継)
「【誤】」
茨田久治万呂受雜合三卷[時非時經[用紙三枚] 瑠璃王經[用九枚]] 梵摩瑜經[用十二 文一]
        「*充百十七文  巻三」
合受<黄>紙廿六張[返上二] 見用紙廿四枚[文一] 「勘人成 讀田邊」
「*合廿四枚[一文]」  天平十四年三月廿九日
(紙継)

出典

『大日本古文書』8(1頁~18頁の内12頁)(『正倉院文書』續々修1帙1)

「寫一切經經生校生等手實案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742)2月 日欠

記事

(紙継)
戸令貴  受寫一切經合七卷 大雲經六卷[寫了五卷 未寫一卷] 孔雀經一卷
  受黄紙百十五枚[返上四枚 破一枚 空一]現用百九枚<「*九十四」>[文三枚]
大雲經第一巻用廿枚[文] 第二巻用十九[空一] 第三巻廿枚
                                        「*已不入」
  第四巻十八枚[文] 第五巻十七[文破一]孔雀王呪經上卷用廿三枚[八枚三嶋寫 十五令貴寫]
       「*合」   「已上六卷」
          天平十四年四月廿九日
(紙継)

出典

『大日本古文書』8(1頁~18頁の内12頁)(『正倉院文書』續々修1帙1)

「韓國人成装〓≪さんずい+黄≫紙注文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742年)3月29日

記事

始天平十四年二月五日至于廿九日装〓≪さんずい+黄≫等送紙事
  合一百〓≪よんじゅう≫四卷[白百十二卷■■■(長方形塗りつぶし)  黄卅二卷]
   枚一千七百〓≪よんじゅう≫七[千百三枚千手經料 六百〓≪よんじゅう≫四雜經卅五卷料]已上白紙
   黄六百〓≪≫枚
三月送一百六十卷[八十三卷白■■■(長方形塗りつぶし) 七十七卷黄]
  白紙一千四百十一枚[既千手經料]
  黄紙一千五百〓≪よんじゅう≫枚[一切經料]
   右、件充黄白紙状、具顯注如前、以申、
             天平十四年三月廿九日韓國人成
「(異筆)四月送黄并白紙一百三卷[〓≪よんじゅう≫九卷卷(マゝ)黄 五十四卷白]
              四月廿九日勘人成
                    知川原」

出典

『大日本古文書』8(53頁~54頁)(『正倉院文書』續々修27帙4)

「大石廣万呂寫經手實」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742年)4月17日

記事

大石廣麻呂 寫最勝王經一部[十卷] 〓≪草冠+さんずい+井の近似文字≫沙王經一卷
受<縹>紙百九十七張 見用<「*合」>百七十七<六>枚 反上十三張[空紙二枚 破紙五枚 失紙一枚]
第一卷十八 第二卷十八 第三卷十五 第四卷十七 第五卷十七
第六卷十八 第(マゝ)卷十七 第八卷十八 第九卷十九 第十卷十九
黄紙廿張 見用<「*合」>九張[空一]反上十張 〓≪草冠+さんずい+井の近似文字≫沙王經用九枚
        「(異筆)已上十一卷」
            天平十四年四月十七日大石廣万呂「*巻四」
「*建廣足法花四巻 用八十二枚[外法花白 充四百十文]」

出典

『大日本古文書』8(54~55頁)(『正倉院文書』續々修23帙4)

「寫一切經經生等手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742年)5月 日欠

記事

(紙継)
戸令貴解  受寫一切經合九卷
  受黄紙百五十七枚[破二枚 返上三枚]現用百五十二枚[文四枚] 「*納給四月」
別譯雜阿含經第十一卷用十七枚 第十二卷用十六枚[文]第十三卷用十二枚
第十七卷用廿二枚[文]第十八卷用十七枚[文]第十九卷用廿二枚[破一]
大雲經第六卷用十六枚[文 破一枚]波羅門避死經一卷用二枚 高僧傳第四卷用廿八枚
        五月卅日「(異筆)檢人成」
(紙継)

出典

『大日本古文書』8(55~60頁の内56~57頁)(『正倉院文書』續々修1帙1)

「寫一切經經生等手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742年)5月 日欠

記事

(紙継)
角惠麻呂解  申受寫一切經合七卷 「*納了四月」
黄紙百〓≪よんじゅう≫九枚[空一返上二枚]現用百〓≪よんじゅう≫六枚[文三枚]
梵網經上卷廿二枚[空一]下卷廿一枚 高僧傳第十卷十三枚[文]
第六卷廿九 勝思惟所間經第四卷廿一[文]第五卷廿枚
賢愚經二帙第三卷廿枚[文]
         (十脱)四年五月卅日「(異筆)勘人成」
(紙継)

出典

『大日本古文書』8(55頁~60頁の内58頁~59頁)(『正倉院文書』續々修1帙1)

「一切經本充并納紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)4月1日~天平19年10月1日

記事

(前略)
十八年正月
(前略)
「(異筆)十一月廿九日十卷[凡紙] 受川原人成    秦」
十二月七日上凡紙廿卷麻紙四卷[付仕丁鴨部乙万呂]
  十五日上麻紙十卷[付川原]
「(異筆)自十一月廿九日、至十二月十五日、合送上白紙〓≪よんじゅう≫四卷、[八百八十枚]
                十二月卅日勘置秦犬 人成」
                          【犬】
  右、從四月一日、迄十二月十五日、送上官紙都合
  一万三千九百八十張、    秦犬
十八年正月
十二日送白紙[二千張 受志斐]   廿四日送白紙一百卷[付粟田船守]
廿日度白紙一百卷[用二千張 付荒田井牛甘]三月十八日送白紙[二百張 受鴨道長]
廿日送白紙〓≪よんじゅう≫張[付鴨道長]「(異筆)送白<紙>二千張之中[一千六百張凡紙 四百張麻紙]
                        三月廿三日受鴨道長」
送白紙二千張[四月十一日受鴨道張(長)]
四月廿八日送紙卅卷[並注界付使下道主 充秦小廣 合受荒田井牛養]
                         [用紙万八百〓≪よんじゅう≫張]
        「(異筆)合五百〓≪よんじゅう≫二卷 勘秦小廣 能登」
十八年  【五月】四月廿八日送白紙一千張之中二百張麻紙
八百張凡紙[受荒井鳥万呂]
五月九日送白紙一千張受荒田井鳥甘
五月十一日送枚我部紙廿枚鴨道長受
五月十四日送紙白五卷員百枚鴨道長受
十六日送白紙一千張之中[四百張麻紙 六百張凡紙]受鴨道長
            天平十八年五月十八日充小廣
五月十九日注界〓≪よんじゅう≫張送鴨道長
廿二日送白紙二百枚受鴨道長注
廿六日送白紙二百〓≪よんじゅう≫枚受鴨道長注
六月内送一千九百廿張之中[八百張麻紙 一千一百廿張凡紙]六月三日受鴨「道長」
              充小廣 鴨道長
十三日送白紙四百張 受荒田井鳥甘
              充小廣
六月十五<日>南送白紙二千張 受荒田井鳥甘
                    忍人
右、從正月十二日、迄六月十五日、充送紙壹萬玖阡伍佰陸拾張、三千七百
〓≪よんじゅう≫張南記文不注、今可檢勘、
      天平十八年七月【一】三日    檢定酒主
                        能登忍人
[一万八千七百六十[之中麻紙千八百 凡紙万六千九百六十]]  
                        秦 男廣
八月 十八日送白紙[一百廿張 受]「(異筆)鴨道長」
廿七日送[白紙六百張 麻紙四百張]合千張納丸部嶋守受
卅日送注紙十八卷[之中十四卷麻紙 四卷白紙]合三百六十帳(張)[受丸部嶋守]
九月十四日
送白紙千張 [受丸部嶋守]九月十九日送注紙二百帳[白紙 受丸部嶋守]
[潤]【十】九月二日送紙二千[之中麻紙三百八十張 白一千六百廿張]受荒田井鳥甘
十月一日受【五十】六十卷[十卷麻紙 五十卷白紙] 知荒田井鳥甘[合一千二百張]
十八年十月十四日受納紙一百卷[五十卷麻紙 五十卷梶紙]勘受阿刀足嶋
十一月十六日送[白紙一千張]受阿刀足嶋
十二月二日送一千張[梶【九】八百張 麻二百張]受阿刀足嶋
十二月十一日納紙千四百枚[白紙千二百枚 麻紙二百枚]勘受丸部嶋守[一万一千【二】一百八十<〓≪よんじゅう≫之中> 凡紙八千六百廿 二千【六】五百廿麻]
天平十九年正月廿六日受納紙一千二百張[之中一千梶 二百麻紙]受阿刀嶋足
(中略)
六月六日納〓≪穀+木≫紙百五張 受丸部嶋守 「(異筆)天平勝寶二年」
八日納紙三百<六十>張[百八十張麻紙 百八十張穀]受丸部嶋守
九日納紙百六十張[穀] 受丸部嶋守
廿日納紙三百廿張  受丸部嶋守
廿五日納紙四百張受丸部嶋守廿七日納紙麻[八百張]受丸部嶋守[万三千【九】二百【八十一】卅 中麻紙四千九百八十 凡紙八千二百五十]
七月十六日納穀紙[百六十張]受丸部嶋守十九日納黄麻紙[二百張]受丸部嶋守
廿二日納紙六百張[四百張黄麻紙 二百張常麻紙]受丸部嶋守廿八日納紙四百張[二百張黄 二百張常麻紙]受嶋守
八月三日納黄紙五百張受丸部嶋守十一日納黄麻紙二百八十張[受阿刀足嶋]
十三日納紙四百張[二百張黄 二百張常麻紙]受丸部嶋守十八日納黄<麻>紙二百張[勘受阿刀足嶋]
九月十七日納黄紙廿卷[四百張]受嶋守廿二日納麻紙十卷[二百張]受嶋守
十月一日納黄麻紙二百八十張[二百張 八十張常麻紙]勘受阿刀足嶋
(紙端)
(後略)

出典

『大日本古文書』8(171頁~178頁の内174頁~178頁)(『正倉院文書』續々修2帙2)

「律論疏集傳等本收納并返送帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)5月1日~天平17年4月5日

記事

(前略)
天平十六年
(中略)
五月
  十日納花嚴經疏一部廿卷[並白紙皆无軸緒表紙但一卷漆軸納明櫃一合 法藏師選者]
    右從信樂宮給出使舎人茨田久治万呂 受酒主
  廿七日納摩訶衍起信論別記一卷[白紙无軸已草也 以十六年七月十一日依長官宮宣借令請善 攝師所知人成同月十二日返已訖知人成 元曉師選者 以十六年八月四日還送受使御弟子善戒師〔使人成 判進膳 令史〕]
    右依 令旨從審祥大徳所請來 使安寛師 受酒主 令史
六月[訓]
  <反慈師所>十一日納花嚴經疏二卷[第八第十並元曉師撰者]又第一[此別帙内者 白紙无軸緒]
   右從平攝師御所 受酒主
  <反>同日吼(孔)目四卷[第一二三四並眞聖師選者 以十六年八月廿五日返送平攝師所〔受慈訓師 使人成〕]
    右慈訓師御書從平攝師御手受酒主
  同日納金剛三昧經一卷[黄麻紙并表朽<木>軸无緒 以十六年六月廿三日借請平攝師受敎演沙弥 判長官宮 知酒主]
    右從慈訓師所返請 受酒主[但未知其來由并本主]
  <反>卅日納金剛三昧經論一卷[中 白紙草也无緒軸 納漆函一合]又千奉請二卷[上下]受人成
   以八月十一日依長官宮宣[本所返 ■■]送書四卷[■新寫二卷 本二卷並上中]知人成
    右慈訓師御書 受酒主
   又以九月九日返送下卷[右依長官宣慈訓師所送件書如前 使人成 上中下本所送已訖]
七月
  <反來>十二日納盂蘭盆經四卷[二卷宮一切經内黄麻紙及表紫檀軸斑綺緒 一巻山階寺黄紙及表斑綺緒紙木會(繪カ)軸]
   [一卷【黄】紙黄表漆軸綺辛國堂 納黑〓≪木偏+本≫(柿カ)櫃一合象牙足 着金塗釘]
    右進借甲加宮 茨田少進宣 使上丁宇万呂
               判 進膳令史
  十六返送盂蘭盆經四卷[不來■納黑〓≪木偏+本≫櫃一合 右依先奉請收納如件]使宇万呂 受人成
  廿二日納起信論二卷[上下]白紙薄墨斑表紙梨軸[元緒]<十七年>八月廿三日奉返受專宮進酒主
    右長官(市原王)宮御書 受酒主
  廿九日納花嚴疏第一卷[法藏師撰 濫色表紙白紙漆軸青綺緒]
    右慈訓師御書 受酒主
八月
  十日納十一面神咒心經義疏一卷[白紙及表漆軸无綺緒 並合寫一卷 以十六年八月廿九日付【平攝師】(高向太万呂) 進納甲加宮 人成]
    右從信樂宮給出使阿刀酒主 受人成 判進膳令史
  廿三日納辨中邊論一部[三卷]
    右從装〓≪さんずい+黄≫等御櫃辛受納如件 受人成
   又肇論一卷
    右本主藏令史書  受人成
  廿四日納書五卷[起信論疏二卷 肇論疏三卷]
    右本主藏令史書  受人成
  廿五日返送【書】花嚴疏四卷[元曉師撰 第一 五 七 十]
    右依慈訓師口状返送如件[受使平攝師] 人成
九月
  九日納花嚴論第一卷
    右慈訓師所<御>書也[以十七年五月十五日返送如前受使用壹沙弥 受人成]
  廿日納理趣經疏一卷[白中紙无緒軸 以十七年六月三日借受善攝師長官宮宣 使沙弥證明 人成 以七月廿八日返納已訖 受人成]
    右自【慈訓】法永師所受[人成]十八年二月廿四日返上本所[使阿刀宅足]
  廿七日納八卷金光明經疏一部[八卷][以十七年四月十二日借請慈訓師所長官宮宣 入白木書函一合是則主藏令史之函者付使佐都麻 知人成]
  以天平十八年【六】五月【廿七日】一日返送岡寺上座所 使仕丁鵜甘子君 知酒主
    右岡寺本者[使宇治部小廣] 受人成
十月
  廿一日納疏本九十六卷     帙十三枚
   右本者、元興寺一切經内者、受人成 檜前万呂
  卅日納新翻藥師經四卷[二卷宮一切經内黄紙及表无緒 着赤木軸 二卷外黄紙及表紫緒 黑〓≪木偏+本≫(柿カ)軸  納染小(書)櫃一合]
   [十六年十二月一日返納已訖受人成 黄麻紙二百枚] 納明櫃一合
   右、依 甲加宮宣、奉請本經并紙等如件、使凡海石足
               判進膳令史 田邊足万呂 人成
(後略)

出典

『大日本古文書』8(185頁~193頁の内189頁~193頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「寫疏間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)5月

記事

間紙充帳    天平十五年五月
大鳥祖足  十一月十八日[充黄紙〓≪よんじゅう≫張]廿三日[充廿張]廿五日[充廿枚]
合充<黄>紙二百廿張[正用二百一張 空用二 破五枚 【反上十枚 山邊千足用五張】 不用二]成唯識論一部料
檢酒主六月十日充花嚴經疏料白紙【三】四張又充廿張 又充□□□(長方形抜け)<【十七張】>合【〓≪よんじゅう≫】廿一張充[廿四枚寫大鳥祖足十七枚寫丈部子虫第一帙]
[【第一卷料】]更充十三日[白紙十九張 反上二張]「*都合受二百六十<三>張[正用二百〓≪よんじゅう≫二枚檢酒主 空用二破五不用二反上十二]」
「*七月給」

出典

『大日本古文書』8(199頁)(『正倉院文書』續修32裏書)

「一切經間校帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)5月

記事

 一日校辨中邊論三卷 用紙黄〓≪よんじゅう≫七張                                         一校[已]田邊正成  一卷用紙十七張[校檜前万呂]二卷用卅張[校生寸五百國]
十月
  十三日起信一卷[舊]用<黄>紙卅二枚一校秦小廣 二校檜前万呂
   疏二部[四卷]用紙百〓≪よんじゅう≫七枚已一校檜前万呂
   一部之二校秦小廣  一部之二校主寸五百國
  八卷金光明經疏且充四卷[第二三五六]用<黄>紙百〓≪よんじゅう≫二枚[一校秦小廣 二校檜前万呂]                 廿日同經【三】四卷[第四七八一] 用紙百卅九枚[一校秦小廣 二校檜前万呂]
梵網經疏二卷  用紙白七十二枚 一校檜前万呂 二校道主

出典

『大日本古文書』8(199頁~216頁の内203頁)(『正倉院文書』續々修26帙5)

「一切經間校帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)5月

記事

十二月
八日 成唯識論一部[十卷] 用黄紙二百九枚 破二
  第一[用廿]二[用廿]三[用廿二]四[用廿一]已上四卷一校道主但第三卷第二卷校道主<「*副二校充八十六枚」>
  第一[用廿]四[用廿一]已上二卷二校万呂 第五[用廿一]二校余馬甘
  第五[用廿一]六[用廿一]七[用廿]八[用廿三]九[用廿二]十[用十九]已上六卷用紙百廿六
   枚校川原人成
  自第六至第十卷合五卷<用百五枚>校紀少鯖万呂
以前、起十六年七月廿三日、迄十二月卅日、校紙料物申送已訖、
           天平十六年十二月卅日辛國人成

出典

『大日本古文書』8(199頁~216頁の内203頁~204頁)(『正倉院文書』續々修26帙5)

「一切經間校帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)5月

記事

九月十日起信論別記上巻黄紙廿七張[一校万呂 二校石村]下巻用廿四張[一校万呂 二校石村]

出典

『大日本古文書』8(199頁~216頁の内204頁)(『正倉院文書』續々修26帙5)

「一切經間校帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)5月

記事

七月三日大乘四論玄義記第五用紙七十張[一校万呂 二校石寸]第九用六十七枚[一校忍人 二校万呂]
  法苑林章第一用五十四[一校万呂 二校石寸]十二門論疏下卷用〓≪よんじゅう≫三[一校忍人 二校男鯖万呂]
  法花玄第十用黄紙五十四[一校石寸 二校万呂]

出典

『大日本古文書』8(199頁~216頁の内210頁)(『正倉院文書』續々修26帙5)

「一切經間校帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)5月

記事

十二月九日
  四分律抄下本用白紙六十七[一校酒主 二校石村]成實論疏第十一用白紙五十七[一校息嶋 二校万呂]
  大乘四論<玄義記>第四用白紙〓≪よんじゅう≫九[一校万呂 二校少鯖万呂]中論義疏第三用白紙六十四[一校息嶋 二校万呂]
  心經疏用白紙廿五[一校万呂 二石村]顯揚論疏第一[用白紙六十六 一校石寸 二校万呂]心經疏用白紙十三[一校万呂 二校息嶋]
大乘四論玄義記第十用白紙六十五[一校忍人 二校少鯖万呂]大乘義林第二用白紙〓≪よんじゅう≫七[一校宅足 二校息嶋]
法花玄論第一用黄紙卅七張[一校小廣 二校宅足]
「*以前、從六月十日、迄十二月九日、校紙料物、顯注申送已迄、
             天平十七年十二月十五日阿刀酒主
                        志斐  」

出典

『大日本古文書』8(199頁~216頁の内210頁~211頁)(『正倉院文書』續々修26帙5)

「一切經經師幷校生手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)7月

記事

「(端裏書)常手實[十五年十二月以往]」
〓≪木偏+楽≫井馬養  受本一巻[攝釋第三巻黄色紙]
  受紙百張<「*合」>[見用八十二枚 破二返上十六枚]  「 (異筆)常 檢酒主」
                    天平十五年十二月十五日
  【二校正了】

出典

『大日本古文書』8(256頁~272頁のうち257頁)(『正倉院文書』続々修13帙)

「一切經經師幷校生手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)7月

記事

「(端裏書)宮疏手實[經師九月月以往
   二交(校)正了      」
大友小田次請寫集惣三巻[宗法師章第四用紙廿八張 宗法師章第三用紙廿八枚空一]
法花玄賛第四用紙五十九枚[之中十九枚寫呉原生人   〓≪よんじゅう≫枚寫大友小田次]
  合受黄紙一百廿枚 「*合」見用一百十五枚[外空一反上四]
       天平十五年九月廿九日
         「(異筆)常      檢酒主」

出典

『大日本古文書』8(256頁~272頁のうち258頁)(『正倉院文書』続々修13帙)

「一切經經師幷校生手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)7月

記事

石村鷹麿解  申校【三巻抄】疏等事
   毘尼【合】律三巻[上中下白紙]用紙ニ百卅三張<起信論ニ巻[上下黄紙]用八十一張]>
   「(異筆)弁中辨論ニ巻[上巻十八枚 下巻十四枚」
  右、校前件、<如>謹解、  「*宮間寫」
           天平十五年十月十四日  「(異筆)勘酒主」
「(異筆)合三百〓≪よんじゅう≫録張」

石村鷹万呂解  申校疏事
  法花玄賛第五[用紙〓≪よんじゅう≫八張]六巻抄用紙百【十七】七十張[依紙放(数カ)寫而不云巻数]
  合【百六十八張】二百十八張 「(異筆)白紙」
            天平十五年十月十四日         
              「(異筆)宮間寫 檢酒主」
  「*合千三百卅五枚 充三百卅ニ文」

出典

『大日本古文書』8(256頁~272頁のうち270頁)(『正倉院文書』続々修13帙)

「一切經經師幷校生手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)7月

記事

己知蟻石 <八月十日>充黄紙ニ巻 <大床所充>廿三日一巻 九月七日一巻□□□(長方形後半抜け)
合受紙百卅六張[見用【八】百張 残八枚〔未上〕] 九月廿九日勘酒主「*先給了」
十二月四日六巻抄料充黄紙一巻十日一巻十五日ニ巻 出間張「*【此抄者未了】」
自十六年二月中受紙七十八張[正用七十七張 空用一] 人成「*七月給」

出典

『大日本古文書』8(272頁~283頁のうち272頁)(『正倉院文書』続修33裏書)

「寫集論疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月1日~天平16年11月13日

記事

余馬甘十五年八月一日[充黄卅三枚充犬所]廿ニ日[充黄廿四枚又一枚]九月十一日
[黄廿張]合受黄紙七十八枚[見用七十一枚破一返五枚]已上小乗集四巻料廿九日勘酒主[先給了]
十六年五月廿七日[充黄廿六枚]六月三日[充黄廿枚]七月十八日[充黄廿枚]合受黄
紙六十六枚[正用六十五枚空用一]檢酒主<七月給了>(七月給ト墨書セル上ニ白緑ニテ書ス)廿ニ日[充黄廿枚]廿四日[充黄廿枚]廿九日[充黄廿枚]廿九日[充黄廿枚]八
月三日[充黄廿枚]合受黄紙八十枚[正用五十五枚返廿五枚]今求无紙十一枚(白緑抹ノ上墨書)[<已上花嚴論料><給十二月>]

丸部嶋守十六年十月三日[充白紙十七枚]七日[白廿板〔又二枚〕]合受白紙卅七<九>枚[正用廿三枚空一返十五枚]已
上順正論疏料<「*給十二月」>「(異筆)【十三日[充黄廿枚反上]】」

弓消佐人十六年十一月六日[充白紙廿枚]十三日[白廿枚]

出典

『大日本古文書』8(284頁)(『正倉院文書』続修33裏書)

「寫集論疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月9日~天平18年4月9日

記事

十月
十三日充起信論一巻[用紙卅ニ枚]疏ニ部[四巻]料用黄紙百〓≪よんじゅう≫七枚
  空一破三
  八巻金光明經疏且充四巻[第ニ三五六]料用黄紙百〓≪よんじゅう≫ニ張 空二枚
合九巻    用紙三百廿一張    空用三枚 破用三枚
             受秦犬      充人成

出典

『大日本古文書』8(304頁~310頁のうち307頁)(『正倉院文書』続々修28帙6)

「雑書充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月9日~天平18年4月9日

記事

十二月
八日 充成唯識論一部[十巻]用黄紙二百九枚 破ニ
               受薗部廣公     充人成

出典

『大日本古文書』8(304頁~310頁のうち308頁)(『正倉院文書』続々修28帙6)

「雑書充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月9日~天平18年4月9日

記事

天平十七年四月<「*十日」>充最勝王經料顕一巻[用黄紙十一枚受忍人]人成

出典

『大日本古文書』8(304頁~310頁のうち308頁)(『正倉院文書』続々修28帙6)

「雑書充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月9日~天平18年4月9日

記事

七月
廿八日四分律抄第一[用六十四] 第三[用八十枚] 第四[用七十八]
  右三巻用黄紙ニ百廿ニ張      受忍人  充人成

出典

『大日本古文書』8(304頁~310頁のうち308頁)(『正倉院文書』続々修28帙6)

「雑書充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月9日~天平18年4月9日

記事

九月十日充起信論別記ニ巻[上下] 用黄紙五十一張 受秦小廣 充酒主

出典

『大日本古文書』8(304頁~310頁のうち308頁)(『正倉院文書』続々修28帙6)

「雑書充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月9日~天平18年4月9日

記事

天平十八年二月四日充四分律鈔三巻[第ニ五六]用黄紙二百十四張[十五年寫者]

出典

『大日本古文書』8(304頁~310頁のうち310頁)(『正倉院文書』続々修28帙6)

「雑書充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(743)8月9日~天平18年4月9日

記事

(前略)
九月
一日廿張[受人成]四日八十張[受人成]七日百廿張[受人成]十二日百廿張[受人成]
合三百〓≪よんじゅう≫張
   合年中受黄紙五百八十張
(後略)

出典

『大日本古文書』8(313頁~317頁のうち313頁)(『正倉院文書』正集19裏書)

「經師等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(742)5月~天平15年10月8日

記事

装〓≪さんずい+黄≫等送紙
十五年三月十ニ日十卷 十七日十四卷 廿日九卷 廿【ニ】一日十卷 廿四日ニ卷
廿五日六卷 廿六日四卷 廿七日十ニ卷 廿九日四卷 又【黄ニ卷】 卅日五卷
又三卷 合七十九卷
四月二日四卷 三日五卷 四日七卷 六日三卷 十一日八<六>卷[【五卷黄黄六卷白】]又四卷
十三日六卷 十【三】ニ日十一卷 十五日十卷 十七日十卷 十九日十四卷 廿
五日六卷又三卷 廿八日【十四】六卷[六卷白【八卷黄】五月廿八日【黄一卷】
(中略)
  十【四】【四】三年四月廿六日<用>黄紙五十三枚[觀世音經十卷料]知田次万呂 人成
  【廿七日】廿七日用白紙百五十七[法花經一部料]
    右、依犬甘少命婦宣、【奉寫】用紙如前、知田次万呂 鹽万呂 人成
八月六日<用>白紙九枚[観世音一卷阿弥陀一卷料]
九月十八日用白紙八枚[観世音ニ卷料 已上二【用】知田次万呂 人成]
廿七日白紙五十四枚[弥勒經三卷千手經一卷料]
      右紙、借用藏人秦万呂如前、知田次万呂 鹽万呂
十五年四月十八日用白<紙>五十<三>枚[薬師經三卷千手經一卷料]知田次万呂 人成
二月五日外寫雜經卅五卷料用<白紙>六百【卅四】六十八枚<【白】>[法花四部 阿弥陀一卷 觀世音一卷 薬師一卷]
     右經、依田<史生>次万呂<宣>奉寫如前、 勘人成
               十五年十月八日

出典

『大日本古文書』8(321~337頁のうち335~337頁)(『正倉院文書』続々修35帙2)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

九月
  十五日充花嚴論第四帙[今見充第四七十卷]用紙黄八十ニ張
   第ニ帙[今見充第一【八五七】 用紙黄八十二張
   第三帙[今見充【第七十四八三二】用黄紙百五十八枚
(後略)

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち342頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

卅日一切經要集第一帙[且充六卷未第ニ三四五卷]合六卷用紙百八十八枚[已用更<加>三枚]
(中略)
合十四卷  合用黄紙四百七枚 受秦犬 充人成

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち343頁~344頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

十一月
  三日 充一切經要集第一帙第四[用卅四]三[用卅一]合六十五枚
(中略)
合七卷  都合用黄紙ニ百廿八枚  受秦犬  充道主人成
  又更充 筆論疏中卷[用〓≪よんじゅう≫四枚]   受秦小廣  充人成 

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち344頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

十二月
  八日 充一切經要集第一帙且充ニ卷[第ニ五]用黄紙六十五枚
   第ニ帙且充六卷[第一ニ四八十五] 用黄紙百九十九枚
   第三帙充五卷[第三四五一八] 用黄紙百五十一枚
  入楞伽經疏且充六卷[第一ニ三五八十] 用白紙三百卅三枚
都合十九卷 用紙七百〓≪よんじゅう≫八枚[四百十五枚白紙三百卅三枚黄色紙]受秦犬 充人成
  順正論疏上帙且充[第ニ三<未>五六七<未>八九四]用白紙上百廿ニ枚
都合十ニ卷 用白紙三百五十枚 受秦小廣 充人成
  能斷般若疏ニ卷[上下] 用白紙七十六枚 破一
  肇論疏下巻 用黄紙卅ニ
  成實論義章第廿卷  用黄紙廿一枚
都合四卷  用紙百廿九枚[七十六枚白紙五十三枚黄紙]
                   受薗部廣公 充人成

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち344頁~345頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

十一日 且充楞伽疏三卷[第ニ三五] 用白紙百八十一枚
  入楞伽疏且充三卷[第四第十三七] 【第】用白紙百卅四枚
  花嚴論第十四卷[用廿三枚] 用黄紙廿三枚
都合七卷  用紙三百卅八枚 受薗部廣公 充人成
  右、從去八月十七日迄十二月十一日、合充一百卅五卷料用紙五千三百八十八枚料
  物給十二月如前、          十二月廿日檢人成

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち345頁~346頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

十七日大乘法〓≪草冠+宛≫林章第ニ[用白紙六十枚]第三[用〓≪よんじゅう≫九枚]第四[用卅六枚空一]
  因明入正理論義疏上卷[白〓≪よんじゅう≫三]中卷[〓≪よんじゅう≫六空一]下卷[卅八]成實論疏第十六[用白紙五十五」
  涅槃經疏第七[用白紙〓≪よんじゅう≫四枚 根本律攝第十七[用黄紙十五枚]
     右九卷三百八十六張[空ニ] 充能登忍人 充酒主

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち349頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

廿八日成實論疏第十三[用五十六]法花統略下卷[〓≪よんじゅう≫一]掌珎論疏第三[用卅八]
  十二門論疏上卷[用〓≪よんじゅう≫七]因明論疏第一[卅]根本律攝第十八[用十五]第廿[用十六
  右七卷用白紙ニ百十ニ 黄紙卅一并ニ百〓≪よんじゅう≫三張 充秦犬 勘充酒主

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち349頁~350頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「常疏充装〓≪さんずい+黄≫等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月10日~天平17年7月6日

記事

七月大乘四論玄義記第四用白紙七十張[空一] 第九用六十七 法〓≪草冠+宛≫林章                       
第一[用五十四張] 十ニ門論疏下卷[用〓≪よんじゅう≫三] 法花玄第十[用黄紙五十四張空一]
     右五卷用紙ニ百八十八張[空ニ枚] 受能登忍人 充酒主
六日大乘四論玄義記第一[用白紙卅五] 第八[五十一空一] 第十ニ[六十五]

出典

『大日本古文書』8(338頁~350頁のうち350頁)(『正倉院文書』続々修28帙5)

「間寫書料紙収納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)10月~天平16年6月5日

記事

<(異筆)抄寫但未校>
間寫書料紙収納帳   天平十五年十月
四分律抄料紙者<所>充装〓≪さんずい+黄≫大床等所 其員如左
從十五年五月迄十月從装〓≪さんずい+黄≫所受納白紙一千五百廿張
(中略)
十二月三日黄紙四卷四日一卷十日八卷十六日十一卷[次一枚]自十一月十七日迄十
二月廿一日來紙黄卅九卷[七百八十張]十二月五日來縹紙五十七張[檢酒主]
天平十六年三月一日納黄麻紙三百廿六枚
   右、依令旨、理趣經十六巻料用如件、   檢人成
四月九日百廿張[十一面經七卷料受人成]
五月十三日納白紙十巻[ニ百張受酒主]十八日七卷[百〓≪よんじゅう≫張受酒主]十九日三卷[六十張受酒主]廿一日
百六十張[受酒主]廿三日八十張[受酒主]廿四日ニ百張[受酒主]廿八日八巻[百六張受石村]
六月
五日ニ百張[受酒主]

出典

『大日本古文書』8(357頁~358頁)(『正倉院文書』続修32裏書)

「寫疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)11月10日

記事

林浄道七月廿ニ日<合>充白紙八十張[見用七十一枚反上九枚]已上僧正法花攝釋料【更充黄紙〓≪よんじゅう≫張[見用卅一]】
[■■■■【已上】■■■■■■【料]更充黄紙■界ニ卷】

檜前家万呂十二月充黄紙廿枚

王廣万呂七月廿ニ日充白紙五十七張[見用〓≪よんじゅう≫四<三>枚空一【空一】反十三枚]已上僧正法花攝釋料

檜前家万呂[充九月四日黄紙一卷十月【六】八日一卷]兩名
(中略)
余馬甘[七月廿ニ日充白紙六十九枚〔見用六十八空一〕已上僧正法花攝釋

出典

『大日本古文書』8(360頁~361頁)(『正倉院文書』続々修11帙1)

「寫經論疏充本用紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)11月17日

記事

第五   許知蟻石
第六   達沙牛甘
(中略)
  右依良弁大徳宣奉寫經幷用黄紙等顕注如件
    <良弁師>
   判足万呂    天平十六年三月九日勘人成
合奉寫經九巻[七巻十一面觀世音神咒經ニ卷仏頂尊勝陀羅尼經]料用黄紙九十七枚外空<幷破>四枚
(中略)
唯識論二部廿卷
  一部[用<黄>紙ニ百一張第一]  寫大鳥祖足[第一十六〔空一〕第ニ〔十九空一〕三廿 四廿一 五廿一 六廿一〔破ニ〕七廿〔破ニ〕八廿三 九廿一 十十九<破一> 寫了<不用ニ>]
樞要一部四巻[【覆四巻】] 寫茨田久治万呂 用<黄>紙百〓≪よんじゅう≫<三>張[正用百〓≪よんじゅう≫破三]
(中略)
最勝王經一部[十巻並縹紙]  充大鳥高人
   右依 張宮宣、所寫如件、
                十二月六日人成
最勝王經一部[十巻並縹紙]充大石廣万呂
                已上上如状 施給了
四分律抄一部[六巻] 用黄紙
(後略)

出典

『大日本古文書』8(365頁~370頁のうち365頁~368頁)(『正倉院文書』続修32裏書)

「寫經論疏充本用紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)11月17日

記事

法花玄賛 三卷 寫建部廣足
  用紙百〓≪よんじゅう≫五張[第五 白紙 第一〓≪よんじゅう≫八 第四〓≪よんじゅう≫九 第五〓≪よんじゅう≫八]
右、依 令旨所寫如件、[「(異筆)九月廿日酒主」茨田■■宣] 給

毘<入告朔>尼律【三】一部三卷 寫雀部嶋足
   用紙ニ百卅三張[【黄】白紙]給
(中略)
<入>起信論疏ニ卷[用【九】八十【ニ】一枚黄紙載<九月>告朔申送已訖] <上卷五十>寫雀部嶋足<下卷卅一> 給
(後略)

出典

『大日本古文書』8(365頁~370頁のうち369頁~370頁)(『正倉院文書』続修32裏書)

「寫疏所見在雜物申送文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月24日

記事

<(端裏紙)刑部廣國 天平十五年三月>
疏所見在雑物   申送案文
甲櫃納物
弁中辨(マヽ)論一部三卷[色紙] 起信論疏一部ニ卷[黄紙]
毘尼律ニ卷[上下紙黄]   <梵網経疏ニ卷[黄紙]>玄讃ニ卷[第四第九黄紙]
觀無量壽經一卷[紙黄]   <【寫始三卷一樞要一毘尼心一法花玄第一】>  已上并今寫
又寫始三具[一樞要〔并本四巻〕] 一法花玄[并本]一毘尼心[筆三本一卷墨半廷]肇筆疏三卷
(中略)
古筆廿五箇 墨三廷 又頭五頂[并一〓≪果+衣≫]五色紙〓≪よんじゅう≫五張[五枚破〓≪よんじゅう≫ 金]
乙櫃
下纒五<七>[并敷敷在] 【王廣万呂一紙一紙】王[筆一墨半式敷] 息人[筆一墨三分之ニ]
  廣次一[紙ニ式一經紙一]阿閇一[筆一墨半式敷各一枚]己知一[筆一墨三分二式敷 高市反筆一墨半廷〔小〕
  阿閇一[筆一墨半廷式敷紙]二[各式敷紙須充筆墨又式ニ枚〓≪≫(在カ)]香水覆布尺 手巾四尺
  紙
  百五十五張黄紙 〓≪よんじゅう≫張採(彩カ)色紙 十三枚白紙 ■十四枚[黄]
  古筆廿五箇   墨五廷[各小用始]又頭五頂   〓≪石偏+并≫十三口
丙櫃 唐唯識論一【帙】部[九巻唐 一卷紙卷緒]今寫十六巻[黄紙]又寫始一卷[筆一墨一]
四分律抄【四】七卷[五卷本ニ卷今寫]又寫紙三卷 毘尼心一卷寫始一卷[筆三墨半本在]
法花玄讃寫始一[本并筆墨无]樞要一卷寫始[本在筆墨充]觀(無脱)量壽經一卷
山階寺西堂經目録一卷 天平十五年十二月廿四日阿刀酒主

出典

『大日本古文書』8(376頁~378頁)(『正倉院文書』続々修44帙10)

「寫疏論集常校帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

十二月
  八日  充一切經要集第一帙且校【三】ニ卷 [用<黄>紙九十八<六十五>枚 破一]
   第ニ卷[用卅三] 第五[用卅ニ]<■■[■■■]>一校檜前万呂 ニ校道主
  第ニ帙且校六卷[用黄紙百九十九枚]
(中略)
  第三帙且校四<五>卷[用黄紙百廿九<五十一>枚  
(中略)
入楞伽經疏且校六卷[第一ニ三五八十] 用白紙三百卅三枚
  第一[用五十五]五[用六十二]二[用五十六]十[用六十八]三[用〓≪よんじゅう≫八]<「*已上四副ニ校四百八十二」>八[用〓≪よんじゅう≫四 合二百八十一 校道主〔但四卷〕ニ校道主]
  第三[用〓≪よんじゅう≫八校] 第八[用〓≪よんじゅう≫四枚]校檜前万呂
順正論疏上帙且校七卷[用白紙ニ百廿八枚]已一校檜前万呂<【但第四卷ニ校万呂】>第ニ卷[用卅ニ]ニ校五百國
  【第ニ[用卅ニ]】三[用卅三]五[用卅九]六[用〓≪よんじゅう≫ニ]七[用卅八]八[用〓≪よんじゅう≫一]<第九用〓≪よんじゅう≫一>已上六卷<ニ>校道主
下帙且校五卷[用白紙百廿ニ枚]已一校檜前万呂
(中略)
能斷般若疏ニ卷[上下] 用白紙七十六枚[破一] 副ニ校田邊道主<「*充百五十二[四巻]」>
肇論疏下巻 用黄紙卅ニ枚 一校五百國 ニ校道主
成實論義章第廿卷 用<黄>廿一枚 一校万呂 ニ校余馬甘
都合四卷  用紙百廿九枚[七十六白紙五十三黄紙]【受薗部廣公 充人成】
十一日 且校楞伽疏三卷  用白紙百八十一枚
  第ニ卷[用〓≪よんじゅう≫ニ]第三[用〓≪よんじゅう≫七]第五[用卅九]合一<一百廿八>一校道主 ニ校万呂
入楞伽疏且校三卷  用白紙百卅四枚
(後略)

出典

『大日本古文書』8(378頁~389頁のうち385頁~387頁)(『正倉院文書』続々修26帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

余馬甘[八月一日充黄紙卅三枚廿ニ日<大床所充>充廿四枚十日一張十一日一卷合受紙七十八枚]
[見用七十一枚破一枚反上五枚]已上【雜】小条集四巻用料九月廿七日勘酒主<「*先給了」>五月十七日充[十六張毘尼心料]廿日充[廿張]
廿三日[充廿張]廿七日[充廿張]兩名
廿七日充毘尼律中卷料黄紙廿五<六>張六月三日[充廿張]七月十八日[充黄廿枚]合受六十六枚[正用六十五空用一]
  檢酒主「*七月給」廿ニ日[充黄廿枚]廿四日[充廿枚]廿九枚[充廿張]八月三日[充廿張]
  合八十枚[已用六十四<五十五>枚返十ニ枚]今求无十一枚 已上花嚴論料
切可除寫名ニ

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち389頁~390頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

高市老人十二月四日六卷抄料充黄紙一卷十六日ニ卷[「*未了」]
「(黄抹ノ上墨書)十六年二月中受紙百廿九張[正用百廿一張破一]」檢人成[「*此者七月給」]

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち390頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

茨田久治万呂十六年十一月十七日[充黄廿枚]廿日[充黄廿枚]廿七日[充黄廿枚]廿九日[充黄廿枚]
十二月三日[充黄六十三枚]合受黄紙百〓≪よんじゅう≫三枚[正用百〓≪よんじゅう≫枚破三枚]已上樞要四卷料[檢酒主]<「*七月給」>【七月給了】
「(白緑抹ノ上墨書)八月十日充黄廿八枚[已用]已上成唯識論料」又更充廿四日[黄七枚]廿六日[黄廿枚]合廿七枚[十八枚正用九枚返]
已上起<信>論料「*給十二月」
「(白緑)自八月十日迄廿六日合受紙五十五枚[正用〓≪よんじゅう≫六返上九]十二月廿四日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち390頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

丸部石敷[充黄紙六十三枚]<已用>已上四分律抄第ニ卷料
    「(白緑)今■七月給了」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち390頁~391頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

山邊千足<自>十五年十一月廿四日迄今年十二月廿八日充黄紙合百八十三枚[正用百八十一枚破ニ]已上成
唯識論料 <「*十六年十二月給」>十六年三月一日充黄紙〓≪よんじゅう≫三枚[正用〓≪よんじゅう≫枚破三枚]已上理趣經ニ卷料「(白緑)七月給了」
「(白緑)十五年
自十一月廿四日迄今年十二月廿八日合受紙百八十三[正用百八十一破ニ]十二月廿四日檢人成」
十七年五月廿五日充黄廿枚六月一日黄廿枚七日[黄廿枚]十四日[黄廿]合八十張[正用七十枚破一 反上
九張]金剛三昧經論記料[本末上卷]十七日[充九枚黄]十八枚[充廿枚黄]廿ニ日[黄廿張]廿七日一卷[黄]合受六十九枚[正用六十八破一]
   金剛三昧經【論記中卷料】[為本末]七月四日充[黄廿]移入新張

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち391頁~392頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

依網國堅十六年九月廿六日[充黄三枚又廿枚]合用黄紙廿三枚[正用十三枚返上十枚]已上起信論疏料
廿七日[充黄十枚又廿枚]廿九日[充黄十九枚]卅日[黄廿枚]十月一日[充黄十九枚]二日[充黄廿枚]
合受黄紙百八枚[正用百四枚空用ニ破ニ]已上八卷金光明疏料「*給十二月」
「(白緑)自九月廿六日迄十月二日合受紙百卅一[正用百十七空ニ破ニ返上十]十二月廿四日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち392頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

大鳥高人十月十七日充五色九十四張[正用〓≪よんじゅう≫八張空用一破五 反上〓≪よんじゅう≫張]弁中辨(邊)論一部料 檢酒主
   「*已上先給了」
   十二月六日[充縹紙廿枚 反上三枚在大床所]又充〓≪よんじゅう≫枚「*未了」
  八月十一日充黄廿枚十三日[充七枚]十八日[充一枚【反】]<黄紙>合廿八枚十一面神咒心經義疏一卷料
廿三日[黄廿枚]合廿枚[正用十五枚反上 五枚]已上辨中邊論料「*給十二月」
「(白緑)自八月一日迄廿三日合受紙〓≪よんじゅう≫八[正用〓≪よんじゅう≫三返五]十二月廿四日人成」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち393頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

檜前家万呂[九月四日充黄紙八十七(五カ)張[正用七十八張空用一反上破六]梵網経疏ニ卷料檢酒主
  「*已上先給了」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち393頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

建部廣足五月十ニ日充白紙百六十張[正用百〓≪よんじゅう≫五張反上十五張]法花玄讃三卷料[第一四五]檢酒主<「*已上先給了」>
十六年五月廿一日充花嚴疏料白紙廿張 廿四日[充廿一張又一枚]合受〓≪よんじゅう≫ニ張[正用卅張反上十ニ枚]檢酒主
「*七月給」
十七年六月廿ニ日黄[充黄紙廿張]七月四日[充廿張]六日[黄廿張]合用黄紙六十張[正用五十一張返上給張]已上起信別料

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち394頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

雀部嶋足 五月十二日充白紙二百五十二張[正用ニ百卅三張破十七反二枚]毘尼律一部料 檢酒主
  九月四日充黄紙九十三張[正用八十一空用一反上十一張]起信論疏一部料檢酒主「*已上先度給了」
十六年三月一日黄〓≪よんじゅう≫枚[正用料]已上理趣經ニ卷料檢人成
  四月九日充黄廿ニ枚[既用]已上十一面經ニ卷料勘(人脱)成「*已上ニ經料受紙六十二張[已正用]檢酒主七月給」]

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち395頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

高市老人自十二月二日迄廿ニ日受黄紙八十張[正用六十六張殘十四張返上]四分律抄第四卷料酒主「*未寫了 十七年五月給」
十六年三月一日充黄〓≪よんじゅう≫ニ枚[【既】正用〓≪よんじゅう≫破ニ]已上理趣經ニ卷料「*十六年七月」檢人成「*勘酒主七月」
十七年七月十ニ日黄紙十三張

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち395頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

己知蟻石十二月廿一日[充黄紙七十六張]廿ニ日一枚[四分律料知國益]十六年七月【用】給物未入 兩名

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち396頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

阿閇葦人十二月廿ニ日充黄紙六十四張[已用]四分律抄第一料 檢酒主「*七月給」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち397頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

逹沙牛甘【十二月】十日充黄紙廿枚未【勘】「*冩了」
十六年四月九日充黄十一枚[正用]已上十一面經一巻料 檢人成
五月廿六日充花嚴疏料白紙廿張[正用十六枚反四枚] 檢酒主[替充王]
六月五日充黄紙百八十一張[正用百七十四張法花經空用一破一反上五張] 檢酒主[一部料] 七月三日[充白紙廿<ニ>張反上]十六日[充廿枚正用十反十]
「*都合受ニ百五十四張[正用二百十一空用一破一反上〓≪よんじゅう≫一] 檢酒主七月給」 十九日[廿張]廿二日[充白紙廿枚]
合受〓≪よんじゅう≫張[正用廿八孔目第二反上十二] 「*給十二月」「(白緑)廿四日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち397頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

【檪井馬甘 十二月十日充黄紙[廿張]十九日[充廿枚]】「*未了」
十二月十日[充黄廿枚]十二日[黄廿枚]十六日[黄廿六枚]合受黄紙七十六枚[正用七十四枚返上二枚]
已上四分律<抄>第六巻料【未給】<「*十七」>「*年五月給」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち398頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「寫疏集論等充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743)12月~天平17年5月

記事

志紀久比万呂十六年三月一日充黄六十枚[既用]已上理趣經三巻料<「*七月給」>檢人成
六月五日充花嚴疏料白紙廿張「*已反上」八月廿三日[充黄廿枚]合受黄紙廿枚[正用十七張返上三張]已上
辧中邊論中巻料 九月廿一日[充黄廿枚]廿三日[充黄廿枚]合受黄紙〓≪よんじゅう≫枚[正用廿枚返廿枚]已上起信
論疏料「*給十二月」
「(白緑)自八月廿三日迄九月廿三日合受紙六十枚[正用卅七返廿三]十二月廿四日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(389頁~399頁のうち398頁)(『正倉院文書』続々修35帙3)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

既母辛建万呂[十六年二月中受紙八十四帳〔已正用〕五月七日充花嚴論料廿張十日充廿帳「*未了」]勘人成<「*七月給」>六月十一日更<充>花嚴經疏料黄紙廿張 十四日[廿枚]合〓≪よんじゅう≫張[正用卅ニ張反八張]檢酒主「*七月給」
「(白緑抹)■■■(長方形塗りつぶし)」七月九日[廿枚]八月十二日[充廿枚]合「(白緑抹)八十枚」<〓≪よんじゅう≫枚>[正用「(白緑抹)六十五枚」<廿五枚>返上十五枚]
已上花嚴論料 十一月六日[充白紙廿枚]十二月二日[返上白十枚]合受白廿枚
[正用十枚返十枚]已上楞伽疏料「*給十二月」
「(白緑)自七月九日迄十二月二日合受紙一百枚[正用七十五枚反上廿五枚]十二月廿日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち403頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

志貴久比万呂(中略)
八月九日[廿枚]廿二日[三枚]合受黄紙八十四枚[正用八十三枚破一]已上花嚴論三巻料 
廿六日[充黄廿張]               「(白緑抹)順正料」廿七日[白中紙廿張]
九月十三日[充白紙廿張]十八日[白廿枚又一枚]廿二日[白廿張]合受白紙八十一枚[正用六十三枚返上十七枚]
已上順正論疏料[給十二月]
「(白緑)自五月七日迄九月廿二日合受紙一百六十五枚[正用百〓≪よんじゅう≫六破ニ返上十七]十二月廿四日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち404頁~405頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

建部廣足五月七日充花嚴論料廿枚九日〓≪よんじゅう≫張[「*未了」]八月九日[廿枚]合受紙八十
枚[正用〓≪よんじゅう≫九枚返上卅一枚]「(白緑抹ノ上ニ書ス)已上花嚴論疏料紙■■■(長方形塗りつぶし)合受白紙廿八枚[正用十枚返上十八枚]順正
(白緑)■■■(長方形塗りつぶし)[黄廿枚■■■(長方形塗りつぶし)]」廿七日[黄廿枚]廿九日[黄六枚]又[黄六枚]
合受黄紙七十二枚[已用]已上一切經要集料■■■(長方形塗りつぶし)[白廿枚■■■(長方形塗りつぶし)■■■(長方形塗りつぶし)]廿一日
[充白廿枚]廿四日[白廿枚]廿八日[白廿枚]「*給十二月」卅日[白廿枚]十二月二日[白廿枚]五日[白五枚]又
充白十六枚合受白紙百卅六枚[正用百卅枚返上六枚]已上入楞伽疏料七日[充紙六枚]又廿枚
十二日[白廿枚]十三日[白廿枚]合受白紙六十六枚<料未了>[正用五十一枚返上九枚]已上四分律抄料
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち405頁~406頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

角惠万呂十六年九月十二日[充黄紙]【廿】十五日[黄廿]十七日[黄廿]廿日[黄廿]廿三日[黄廿]廿七日[黄(廿脱)]合受黄紙百廿枚[正用百十九破一]已上花嚴論料 十月一日[白廿]五日[白廿]八日[白廿]十一日[白廿]合受白紙八十枚[正用五十九空一返上廿枚]已上順正論疏料 十二日[黄廿]十四日[黄廿]十七日[黄廿]廿日[黄廿]廿一日[黄十八]廿六日[黄廿]卅日[黄廿]又<黄>十六枚
合受黄紙百〓≪よんじゅう≫九枚[正用百〓≪よんじゅう≫八破一]已上一切經要集料 十一月六日[白十九]九日[白廿]合受白紙卅九枚[已用]已上楞伽經疏料 十二日[白廿]十六日[白廿]廿一日[白廿]廿三日[白廿]廿五日[白廿]十二月八日[白十九]合受白紙百十九枚[正用百十七返上二枚]已上入楞伽經疏料 十一日[黄廿]十二日[黄廿九]十四日[黄十五]又[黄三]合受黄紙六十八(七)枚[正用六十四空一破ニ]已上般若義疏料
「(白緑)自九月十二日迄十二月十四日合受紙五百七十五枚[正用五百〓≪よんじゅう≫六空三破四返廿ニ]十二月廿四(日脱)人成」
十六日[白廿]十七日[白廿]廿日[白廿]廿二日[白十五]又[白六枚]合受白紙八十一枚[正用七十九返ニ]
已上四分律第四巻料 兩名

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち406頁~407頁)(『正倉院文書』正修34裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

委文公万呂八月廿二日充集料黄紙一巻廿三日充一巻合〓≪よんじゅう≫張[用紙卅五張反上十張]已上
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち407頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

忍坂成万呂(中略)
十六年十二月八日[充黄紙廿枚]十一日[充白紙廿枚]合受紙〓≪よんじゅう≫枚[正用卅一枚返上九枚]已上起信
論下巻料未充「*依余未給布施」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち408頁~409頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

古乎万呂廿六年三月一日[充]十張仏頂經一巻料檢酒主
九月廿二日「(白緑抹)充黄紙廿枚[□□□(長方形抜け)返上十六枚]」已上起信論疏料「*給十二月」<「*七月給」>「(白緑)廿四日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち409頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

己知蟻石十六年十二月<廿一日>充黄紙七十七張[已用]四分律抄第五巻料「*十七年五月給」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち409頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

鬼室小東人十六年十二月七日[黄十四枚]九日[黄廿枚]十二日[黄廿枚]合受黄紙
十四枚[已用] 已上四分律抄第三巻料

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち410頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

林浄道十六年九月廿六日[充黄廿枚]廿九日[充黄廿枚]□(合)受黄紙〓≪よんじゅう≫枚[正用廿ニ返十八]
已上起信論疏料「*給十二月」「(白緑)廿四日檢人成」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち410頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

古能善十七年四月廿一日[充黄紙廿一枚 已用最勝王經料顯文料]

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち410頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

角惠万呂十六年九月卅日[充黄十二枚見用九枚空一返二枚]已上起信論疏□□□(長方形後半抜け)
十一月廿九日[白紙廿枚又廿枚〔先〕]
         合受白紙〓≪よんじゅう≫枚[正用卅六枚返上【四】五枚]已上梵網經疏料「*給七□(月)」
「(白緑)自九月卅日迄十一月廿九日合受紙五十二枚[正用〓≪よんじゅう≫五枚空一返上六枚]十二月廿四日人成」
九月廿七日[充黄一枚又黄廿枚]合受黄紙廿一枚[正用十枚返十一枚]已上起信論疏料 廿九
日更充[黄廿枚又充黄十一枚]十月一日[充黄廿枚]三日[充黄【十枚】廿張]五日[充黄二枚]合受黄紙
七十三枚[正用七十一枚空用一枚返上一枚]已上八巻金光明經疏料「*給十二月」
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち410頁~411頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

阿刀息人十六年九月廿四日[充黄廿枚]廿七日[充黄三枚]合受黄廿三枚[既用]已上
起信論疏料 同日充更[黄廿枚]廿九日[充黄廿枚]十月一日[充黄廿枚]二日[充黄廿枚]合
黄紙「(白緑)【十八】九十」枚[正用八十一枚返上五枚]<破三空一>已上八巻金光明經疏料「*給十二月」
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち411頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

錦部大名七月廿二日充黄紙十九張觀无量寿經一巻料此者可<入>上記書但紙用此間
八月十三日[充黄廿枚]十四日[充廿枚]十七日[充四枚]十八日[廿枚又一枚]十九日[廿枚]合
黄紙八十五枚[正用七十【四】「*五」枚 見返上【九】「*八」枚失二枚]已上花嚴論料「*給十二月」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち412頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

雀<【誤】>部嶋足自十六年二月迄三月受紙百〓≪よんじゅう≫一張[已正用]檢人成「七月給」
十月七日[充黄紙廿枚]十三日[充黄廿枚]十九日[黄廿枚正用三枚返上廿【六】「*四」枚][「*合受黄紙六十枚用卅六返廿四」已上一切經要集料「*給十二月」]
十一月一日[充白紙十六枚已用]已上順正論疏料「*給十二月」
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち413頁~414頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

茨田久治万呂十六年十二月十五日[充黄廿枚]廿日[黄廿枚]合受黄紙〓≪よんじゅう≫枚[正用廿四枚返十六枚]
已上【入楞伽經疏料】理趣經疏上巻 「(異筆)兩名」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち414頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

逹沙牛甘<十五年十二月四日充黄紙廿枚「*未了」>十六年二月中受紙百卅四張已正用之中[八張者古頼冩成實論義章第十九巻内]
  勘人成「*七月給」 更充花嚴論料十六年七月廿四日黄紙[廿枚]
八月二日[廿枚]六日[充黄廿枚]十日[廿枚返上十四枚]合八十張[正用六十六張返上十四張]已上花嚴論料
廿七日更充[白中紙廿張] 合「(白緑茶ノ上ニ書ス)受白紙廿枚[■■■(長方形塗りつぶし)■■■(長方形塗りつぶし)]」[三枚十七枚]已上順正論疏料十月廿一日[充黄廿枚]
                         「(白緑抹)十月廿一日充黄廿枚」
廿四日[黄廿枚]廿七日[黄廿枚]廿九日[黄【十六】八枚]十一月二日[黄廿枚]合受黄紙八十
八枚[已正用]已上一切經要集料論十三日[白紙廿枚]十六日[白廿枚]廿一日[充白廿枚]廿
四日[白廿枚]廿六日[白廿枚]廿九日[返白紙十一枚]卅日[白廿枚]十二月三日[白十七枚]又白紙
八枚四日[白十二枚]合受白紙百五十七枚[返上十一空用一]用紙百〓≪よんじゅう≫五枚[卅二枚能斷般若疏料百十三枚入楞伽疏料]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち414頁~415頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

安曇廣万呂十六年七月十一日充黄紙廿張廿日[充廿張]合〓≪よんじゅう≫張[正用卅五張樞要巻返上五枚「*疏界」]<下之未料>
廿七日[充廿枚]八月十四日[充三枚]十八日[充廿枚]又[九枚]十九日[充一枚]廿五日[充黄九張]
合受黄紙六十二張[已用]已上花嚴論料「*給十二月」【廿四日[充黄廿枚]九月十八日[黄十六枚]】
「(白緑)自七月十一日迄八月廿五日合受紙一百二枚[用九十七枚返上五枚]十二月廿四日檢人成」
【十月廿二日黄紙廿張】

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち415頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

既母辛建万呂十六年四月九日充黄紙十一枚[正用]已上十一面經一巻經 人成
五月廿七日充花嚴經疏料白紙廿張六月二日[充廿張]【七日[充四張]】合受<已正用第二<二帙>巻料>紙〓≪よんじゅう≫【四】張 檢酒主
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち416頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

鬼人小東人十六年十月八日[充黄廿枚]十【四】二日[宛<黄>十五枚]十四日[黄廿枚]十七日[黄廿枚]
十九日[充黄廿枚]廿二日[黄廿枚]廿八日[黄廿枚]卅日[黄八枚又三枚]十一月一日[黄廿枚]四日[黄十枚]
合用黄紙百七十六枚[■■■(長方形塗りつぶし)枚正用一枚破]已上一切經要集料六日[白紙廿枚]七日[白廿枚]
十日[白廿枚]合受白紙六十枚[正用〓≪よんじゅう≫二枚破一<「*反上五枚」>可返紙十【八】七枚]已上楞伽經疏料「*給十二月」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち417頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

阿刀息人自十六年潤正月十八日迄二月八日受黄紙八十三張[檢充人成]五月十
七日[黄廿枚]廿日[黄廿張]廿三日[黄廿張]廿七日[黄廿一張]合八十一張已上毘尼心一巻料
已用了 七月十一日[黄七枚]十二日[黄二張]合百七十三張[已正用]檢酒主人成[(白緑)七月給了]
更充十六日[黄卅五張〔正用卅三破二〕]已上孔目第一巻料十八日[黄廿張]廿四日[黄廿三張]合〓≪よんじゅう≫
三張[已用]已上樞要上之末料廿八日[黄廿張]八月十九日[黄【三】七張]廿一日[黄廿張]廿二
日[黄廿張又七枚]合<七十三<四>>五十【三】七張[正用「(白緑ノ上ニ書ス)七十一枚」返上三張]<已上花嚴論料>廿四日[黄廿張]廿七日[黄廿張]廿九日[四張]
合受<黄>紙〓≪よんじゅう≫四張[正用〓≪よんじゅう≫三枚破一]肇論疏中巻料九月一日[充白中紙廿枚]十月七日[充白紙廿枚]
又[白卅三枚]合受白「(白緑抹)紙卅」<七十三>枚[正用「(白緑抹)卅九枚」<七十三枚>破二空一枚]已上順正論疏料十五日[充黄廿枚]廿五日
[黄廿枚]廿八日[黄廿枚]又[黄八枚]合受黄紙六十八枚[正用六十七枚破一]已上一切經要集料
「(白緑ノ上ニ書ス)十一月十二日[白紙十八]十七日[白廿]廿八日[白十]合受白紙〓≪よんじゅう≫八枚[已用]已上入楞伽
經疏料」十二月一日[白三枚]二日[白卅枚]七日[白廿枚]合受白紙五十三枚[正用卅七返十六枚]已
上楞伽疏料「*給十二月」十二月八日[白十三枚]十二日[白廿枚]十三日[白廿枚]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち417頁~418頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

丈部子虫閏正月十八日充花嚴疏料黄紙一巻廿三日一巻廿七日九枚□(以カ)上疏
料〓≪よんじゅう≫九枚[充已訖]更九日充<惠遠師>起信論疏黄紙一巻十一日十七枚合卅七枚[正用卅六空一枚]
已上起信料十四日更充成實論義章料黄一巻■■■(長方形塗りつぶし)又二枚合廿二枚[正用]
以上義章料 廿四日更充鏡中集料黄十九枚[既正用]自<閏>正月十一日迄二月廿八
日冩紙合百廿六枚

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち419頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

既母辛建万呂二月六日花嚴疏料充黄紙一卷十五日一卷十八日八枚十九日
四枚又【二】一枚合五十三枚[正用]以上花嚴疏料十九日更充鏡中集料黄【一卷】十五枚[正用]以
上中集料廿三日更充根本律攝料黄【一卷】十六枚[正用]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち419頁~420頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

丸部石敷閏正月十四日花嚴疏料充黄紙一卷十五日■■■(長方形塗りつぶし)<十九枚合卅九枚既用花嚴疏料>
又更充<廿八日>六卷抄第二卷料黄紙二卷一枚卅日一卷又二枚以上六十三枚六卷抄
第二巻料<更充花嚴疏料>二月六日【一卷七枚】十【七】一枚九日一卷合卅一枚[正用]十三日更充成實
論義章料黄紙一卷十七日一卷又一枚又五枚合〓≪よんじゅう≫六枚[正用]以上義章料 廿
三日更充根本律攝料黄【一卷】十四枚[正用]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち420頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

既母辛白万呂自十六年潤正月廿九日盡三月卅日受黄紙百卅張[正用百廿九張空用一]
勘人成「(白緑)七月給了」五月七日[黄廿枚]六月十日[黄廿張]七月廿八日[黄廿張]八月十二日[黄廿張]合
受紙八十張[正用七十一張破一返上八張]已上衆經要集料[七巻之内也論界]更充十七日[黄廿張]十九
日[黄廿張]廿二日[黄廿張]合六十張[正用廿七張返上卅三張]已上花嚴論料九月一日[充黄廿張]十九
日[黄廿張]廿一日[充黄【廿枚】十九枚]又一枚
廿九日反黄紙[十【二】一枚]合受黄六十枚[正用〓≪よんじゅう≫九枚返上十一枚]已上一切經要集料論界「*給十二月」
(後略)

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち420頁~421頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

志紀久比万呂閏正月十四日花嚴疏料充黄紙一卷十七日一卷十八日一卷廿
一日一卷廿三日一卷廿五日一卷廿九日一卷 合壹伯肆拾張[既用]
二月一日充一卷四日一卷六日一卷以上貳伯張[既用]花嚴疏料 <九日>更充成實論
義章料黄紙一卷十一日一卷又一卷十五日一卷十八日三枚  合八十三枚[正用八十一枚空二枚]
以上義章料廿二日更充鏡中集料黄【一卷】十五枚[並正用]以上中集料 廿三
日更充根本律攝料黄紙【一卷】十六[正用]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち421頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

漢浄万呂閏正月廿三日花嚴疏料充黄紙一卷廿八日一卷卅日一卷【合六枚】
二月十日一卷合八十[六十五枚正用十五枚遺紙]
<九日>更充惠遠師起信論疏料黄紙一卷十二日一卷十七日四枚■■■合〓≪よんじゅう≫四枚[正用]
以上起信論料 十七日更充義章料黄一卷又六枚合廿五<六>枚[廿五正用【一枚空】]
廿三日更充根本律攝料黄廿■■六枚[正用]以上律攝料
廿四日更充花嚴疏教分料黄一卷廿八日【一卷】十九枚合卅九枚
(後略)

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち421頁~422頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

葛野安万呂閏正月十四日花嚴疏料充黄紙一卷廿日一卷廿三日一卷廿八日
一卷二月一日充廿枚十三日【一卷】七枚百七枚[正用]更充成實論義章料十四日黄
紙十【五】八枚十五日一卷【十七日一卷】合卅八[正用]十七日更充鏡中集料十九枚[正用]
自閏月十四日迄二月廿八日冩紙合百六十四枚

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち422頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

山部花閏正月十四日花嚴疏料充黄紙一卷十七日一卷廿一日一卷廿四日二
卷[又十三枚]合【百十三枚】一百廿八[既正用十五枚雀部始冩之内也■■■(長方形塗りつぶし)十五日成實論義章料充
黄紙一卷又五枚■■■(長方形塗りつぶし)卷 合廿五枚[正用]以上義章料
更充起信論疏十八日黄紙一卷■■■【卷】又十一枚合卅一枚[正用以上■■料]
廿四日更充花嚴疏教分料黄一卷【十一】八枚合【卅一】廿八枚[正用]
  自閏月十四日至二月廿九日冩紙合二百十二枚[正用]

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち423頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

阿刀息人閏正月十八日花嚴疏料充黄紙一卷廿日一卷廿九日一卷 二月一
日充一卷八日一卷又四枚
自閏月十八日迄二月八日充紙合一百四枚

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち423頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

既母辛白万呂閏月廿三日花嚴疏料充黄紙一卷廿八日一卷「(黄抹)二月四日一卷<又十五枚>」
「(黄抹ノ上ニ書ス)合五十」五枚[正用]以上花嚴疏料二月十二日更充成實論義章料黄【一卷】十枚又七枚
合十七枚[正用]以上章料(ママ)料十九日更充鏡中集料黄【廿七】十一枚[十枚正用一枚空一]廿三日更充
根本律攝料黄十三枚[正用]以上律攝料廿四日更充花嚴孔目料黄紙一卷又十
四枚合卅四[正用]
  自閏月廿三日至三月七日冩紙合百廿九枚復檢无紙一枚

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち423頁~424頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

【難万君二月十三日成實論義章料充黄紙一卷十四日十六枚】

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち424頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

逹沙牛甘閏正月十四日花嚴疏料充黄紙一卷十八日一卷廿一日一卷廿三日
一卷【廿五日一卷又四枚】又二枚以上八十二枚花嚴疏料■■■(長方形塗りつぶし)更充起信論
疏料黄紙〓≪よんじゅう≫【八】四枚[既正用]【十三日一卷】十三日更充成實論義章料黄紙八枚[正用]
自閏月十四日迄三月八日充紙合一百卅四枚

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち424頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

建部廣足閏正月廿八日花嚴疏料充黄紙一卷廿九日一卷卅日一卷二月一日
充一卷【以上】又五枚■■■(長方形塗りつぶし)【卷】合八十五枚[正用]花疏料 【二日】■
更充成實論義章料黄紙十一日一卷十二日一卷十五日一卷十七日十一枚合
七十一枚[正用]以上義章料廿一日更充鏡中集料黄十六枚[既用]以上中集料廿
三日更充根本律攝料黄紙十五枚[正用]以上攝料
花嚴孔目第四卷料充黄一卷又一卷又二枚合〓≪よんじゅう≫二枚[正用]
自閏月廿八日至三月七日冩紙合二百廿九枚[二百廿八正用一枚空]

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち424頁~425頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

【古頼小僧二月十三日成實論義章料充黄紙二卷十五日一卷】

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち425頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

大石廣万呂閏正月廿八日花嚴疏料充黄紙一卷又一卷二月七日【一卷】十八(九カ)合五十
九枚[既用五十八一枚破]

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち425頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

「*此紙間書」茨田久治万呂閏正月廿九日樞要三卷料充黄紙二卷二月廿日一卷廿八日一
卷廿九日一卷三月六日一卷又五枚
  自閏月廿九日迄二月廿九日充紙合一百枚<廿五枚 破二枚>「*未勘紙事」

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち425頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

呉原生人十六年二月三日花嚴疏料充黄紙一卷七日【一卷】十四枚以上卅四枚花嚴
疏料充已訖 【更充<惠遠>起信論疏下卷料黄紙一卷】
<十六日>成實論義章料充黄紙【一卷】十八枚
自二月三日至干三月八日充紙合五十【四】二枚[五十一枚正用一枚空一(ママ)]

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち425頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

古頼小僧十六年二月十一日成實論義章料充黄紙一卷十五日「(黄抹ノ上ニ書ス)一卷十九日十
四枚合五十四枚〔正用〕」以上義章料廿日更充中鏡集料黄一卷又九枚合廿九枚
[正用]以上中集料廿三日更充根本律攝料黄【一卷】十五枚廿四日更充成實論義章料黄
十二枚自二月十日至廿八日冩<紙>合百十枚

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち426頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

已知蟻石二月十一日成實論義章料充黄紙一卷又三枚合廿三枚[正用]以上義
章料十九日更充鏡中集料黄【一卷】十九枚[既正用]以上中集料 廿三日更充根本律攝料
黄【一卷】十五枚[正用]廿四日更充花嚴疏一乗教分科黄一卷又一枚合廿一枚[正用]自二月
十一日至廿八日冩紙合七十八枚[七十七枚一枚空]

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち426頁~427頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

難万君二月十一日成實論義章料黄紙一卷
十五日一卷又六枚又七枚合五十三枚[正用五十二空一]以上義章料廿三日更充根本
律攝料黄一卷又七枚合廿七枚[正用廿六破一]
自二月十一日迄廿九日冩紙合八十枚[七十八正用空一破一]

出典

『大日本古文書』8(419頁~427頁のうち427頁)(『正倉院文書』正集33裏書)

「經師等行事手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

「*合」大鳥祖足奉<論疏十一卷>冩唯識論一部[十卷]
(中略)
花嚴經傳記五卷[用黄紙五十七張已上冩申加宮者]十二月廿日合定正用二百九十九張

出典

『大日本古文書』8(437頁~450頁のうち438頁)(『正倉院文書』続々修19帙4)

「經師等行事手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)閏1月~3月

記事

西宮奉請大般若經本三百卷[自初至卅帙帙卅枚]大般若寺經者
  黄紙黄表朱漆軸綺緒竹帙紫縁紫帯緋裏
(後略)

出典

『大日本古文書』8(458頁~459頁)(『正倉院文書』続々修19帙4)

「装〓≪さんずい+黄≫等送紙受納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)7月29日~12月23日

記事

装〓≪さんずい+黄≫等紙送進■帳 自天平十六年潤正月十四日迄七月廿五日送紙事
都合六千七百九十六枚[四千八百九十六枚黄紙 一千九百枚白紙]
  四千二百六十九枚常[已黄麻紙]
  二千五百廿七枚間[六百廿七枚黄紙 一千九百枚幡磨<白>中紙]
(中略)
都合四千六百廿七張[二千四百六十六枚黄紙 二千一百六十一枚白紙]
  四千一百廿四枚常[二千〓≪よんじゅう≫三枚黄紙 二千八十一枚白紙]
  五百三枚間[四百廿三枚黄紙 八十枚白紙]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(488頁~490頁)(『正倉院文書』続々修27帙4)

「装〓≪さんずい+黄≫等送紙受納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)7月29日~12月23日

記事

七月 
  十六日[黄二百枚 受人成]廿二日[黄三枚 受人成]廿五日[黄四枚 受人成]
合貳伯漆枚
   右、從天平十六年潤正月十四日、盡七月廿五日、送紙四千二百六十九
   枚[并]料物等、申送如件、
八月
  九日納[黄紙二百枚 受人万呂]又[黄八十二枚 受人成]十一日[黄二百枚 受人成]十四日[黄二百枚 受人成]
  十九日[黄二百枚 受人万呂]廿三日[黄廿一枚 受人成]廿【六】七日[黄六十枚 受人成]又[黄百廿枚 受人成]廿九日[黄〓≪よんじゅう≫枚 受人成]
合壹仟壹佰貳拾參枚
九月
  四日[白紙二百八十枚 受人成]廿一日[白紙二百枚 受人成]
合肆伯捌拾枚
十月
  五日[白紙百枚 受人成]十四日[黄〓≪よんじゅう≫枚 受人成]十五日[黄廿枚 受人成]十七日[黄百八十枚 受人成]廿日[黄百枚 受人成]
  廿三日[黄八十枚 受人成]廿四日[黄百枚 受人成]廿七日[黄八十枚 受人成]廿八日[黄八十枚 受人成]
合漆伯捌拾枚[百枚白紙 六百八十枚黄紙
十一月
  一日[黄百枚 受人成]四日[百枚欠一 受人成]自七日至十二日送紙百卅九枚[受人成]
  十六日[白紙百枚 受人成]十九日[黄廿枚 受人成]廿三日[白紙百枚 受道主]廿四日[黄〓≪よんじゅう≫枚 受人成]廿八日[白紙百枚 受道主]
  卅日[白紙百枚 受人成]又[黄廿枚 受人成]
合玖(ママ)伯貳枚[百八十枚黄紙 七百廿二枚白紙]
十二月
  二日[白紙六十枚 受人成]五日[白紙百〓≪よんじゅう≫枚 受人成]八日[白紙卅九枚 受人成]九日[白紙百廿枚 受人成]
  十二日[白紙百廿枚 受人成]十三日[白紙百枚 受人成]又[黄廿枚 受人成]十五日[白紙〓≪よんじゅう≫枚 受人成]又[白紙〓≪よんじゅう≫枚 受人成]
  十六日[<白紙>八十枚 受人成]廿日八十枚[〓≪よんじゅう≫枚黄紙 〓≪よんじゅう≫枚白紙]受人成
合捌伯參拾玖枚[六十枚黄紙 七百七十九枚白紙]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(490頁~492頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「装〓≪さんずい+黄≫等送紙受納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)6月5日~天平17年11月11日

記事

六月 
  五日納[白二百張 受酒主]又納[黄紙百八十一張 受酒主]十四日[白六十張 受人成]廿六(日脱カ)納[白紙二百八十張 受酒主]
  合月中受黄并白紙七百廿(一脱カ)張[百八十一張黄麻紙 五百〓≪よんじゅう≫張白中紙]
□(七)月
  十六日納[白紙三百廿張 受人成]廿二日納[白紙卅(〓≪よんじゅう≫カ)張 受酒主] 合三百六十張[已白紙]
   合□□(從去)潤正月十四日迄七月廿二日<送>紙筆如件<并料物申送>、
八月
  □□□(長方形抜け)廿四日納[白中紙卅張 受人成]  合月中受紙百廿
九月
  廿二日納[黄八十枚□□□(長方形抜け)]廿九日納[黄〓≪よんじゅう≫枚 受人成]卅日納[黄〓≪よんじゅう≫枚 受人成]又[黄〓≪よんじゅう≫枚 受人成]
  合受黄紙二百枚
十月
  □□□(長方形抜け)【十一月廿八日[黄□□□(長方形抜け)枚 受道主]廿九日納】□□□(長方形抜け)
十一月
  □□□(長方形抜け)〔受二枚〕]廿九日納[白紙〓≪よんじゅう≫枚]  合月中受紙□□□(長方形後半抜け)
(中略)
   □□□(長方形抜け)〔十枚〕]又[白紙八十枚]
二月
   廿三日[黄百八枚]
(中略)
□□(五月)
  廿五日[黄六十枚] 六月十四日[黄廿張]十七日[黄廿枚]廿一日[黄廿枚]
  廿二日[黄卅張] 七月四日[黄三巻六十張]十二日納[黄五十三張]
    十九日納[□紙百廿張]廿日納[黄廿張]廿四日[黄紙□□□(長方形抜け)]
八月七日納[黄紙廿張]九日納[黄紙二百張]九日納[黄紙二百張]廿三日納[百廿枚黄 知國盆]
  十日納黄紙百張十四日納黄紙六十張[知息人]又二百〓≪よんじゅう≫張[黄]十九日□□□(長方形抜け)
十月一日[納黄四枚]二日[納黄〓≪よんじゅう≫枚]廿一日[納黄〓≪よんじゅう≫枚]十一月十一日[納黄廿枚]
  □□(合自)五月廿五日迄十一月十一日納紙一千五百十七張[千三百□□□□□ 百廿張白紙]
都合年中納間料<紙>一千九百五張[一千六百六十五張黄紙 二百〓≪よんじゅう≫張白紙]檢酒主
□□□十一日納黄紙六十六張[從二月十一日至四月一日納心經料黄紙]
(中略)
□(同カ)日納黄紙

出典

『大日本古文書』8(492頁~495頁)(『正倉院文書』塵芥1)

「装〓≪さんずい+黄≫造紙受納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月11日~天平18年3月26日

記事

(前略)
  十五日[白紙二百張]廿三日[白紙二百張]廿八日[白紙百六十枚]又[白廿枚]
   合
六月 一日[白紙二百張 黄紙〓≪よんじゅう≫張]七日[白紙二百枚]九日[白紙二百張]十七日[黄紙廿張]
七月廿二日納[白紙二百張] 八月一日納[白紙六十張]又[百六十張]
  九日納[白紙二百〓≪よんじゅう≫張]廿二日[白紙百〓≪よんじゅう≫張治田万呂進 受國盆]
九月
  十四日受[白二百張〓≪よんじゅう≫]廿日[納白二百枚]廿六日[納〓≪よんじゅう≫枚黄]廿八日[納白二百枚]
十月七日[納白百枚] 八日[収納黄八十枚]十月十七日[納黄六十枚]
十月廿九日[納白二百廿枚]
從五月十五日、迄十二月廿五日、納紙三千一百六十張、[二百廿張黄紙 二千九百〓≪よんじゅう≫張白紙]
  都合年中納常料紙六千一百七十四張[三百七十張黄紙 五千八百四張白紙]十二月廿五日檢酒主
天平十八年正月廿日納黄紙百十張 廿四日納百張 廿八日納白紙百張[秦小廣]
二月四日白紙廿張又五巻[百張]八日百張 十日二百張 十九日白紙二百張廿
七日百張[秦秋廷]廿九日白紙一<二>百張[玉祖君万呂]卅日二百張[玉祖公万呂]三月五
日納白紙四百張[玉屋公万呂]三月十三日納白紙三百廿張[玉屋公万呂]又黄紙
十張[玉屋公万呂]十七日納白紙四百張[玉屋公万呂]又黄紙〓≪よんじゅう≫張[玉祖公万呂]十九日
納白紙二百張[玉屋公万呂]又黄紙七十九張[玉屋公万呂]廿一日納白紙四百張[玉屋公万呂]
廿三日納黄紙〓≪よんじゅう≫張 白紙六十張[玉屋公万呂]廿四日納白紙廿張[玉屋君万呂]廿六
日依市原宮宣而獻納宮内黄紙四百張[玉屋公万呂]

        從正月上旬、迄四月上旬、造紙申送訖

出典

『大日本古文書』8(557頁~559頁)(『正倉院文書』正集20裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

間紙充帳    天平十七年五月廿五日
山邊千足十七年五月廿五日[充黄廿張]六月一日[黄廿張]七日[黄廿張]十四日[黄廿張]
合受黄紙八十張[正用七十張 破一返上九張]已上金剛三昧論記料[本末 下巻]十七日[記九張]十八日[黄廿張]
廿二日[黄廿張]廿七日[黄廿張]廿七日[黄廿張]合受黄紙六十九張[正用六十八 破一]已上同論記料[本末 中巻]七
月四日[黄廿]十一日[黄廿]廿四日[黄廿張]又[黄四張]合受黄紙六十四張[正用五十破一 返上十三]
已上同論疏上巻料<右八十八張入考>[本末]【七】八月【卅】一日[充黄紙廿]三日[黄廿]合受黄紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿六破一空一返上十二]
已上法門名義集一巻料十月一日[充黄四枚]以上名義集一巻<枚易>料十月廿一日[充黄廿]
合受黄廿[見用十七返上三破三]以上千譬(臂)千眼經料十一月十三日[充<白紙>六十枚 正用五十四返上六]
已上花嚴經疏第一巻料

出典

『大日本古文書』8(560頁~564頁のうち560頁~561頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

建部廣足十七年六月廿二日[充黄廿]七月四日[黄廿]六日[黄廿]合受黄紙六十張[正用五十一 返上九]
已上起信論別記料 十一月十三日[充白紙六十 正用五十九返一]已上花嚴經疏第七巻料

出典

『大日本古文書』8(560頁~564頁のうち561頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

古能善十七年八月廿三日[充廿黄紙]廿六日[充廿]合黄紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅三張 反上七張]六巻抄四料[始]

出典

『大日本古文書』8(560頁~564頁のうち561頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

古乎万呂十七年八月十二日[充黄紙廿張]廿九日[充廿張]九月十一日[充廿]十四
日[充廿]合<受>黄八十張[正用六十七張 返上十一張破二]六巻鈔第五巻料

出典

『大日本古文書』8(560~564頁のうち561~562頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

忍海廣次十七年八月十一日[充黄紙廿張]廿四日[廿張]合受黄紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿二張 反十八張]六
巻抄第【四】六料[充黄廿三枚]合受紙廿二(三カ)枚[正廿二枚 破一]六巻鈔第六巻料十一月十三日充
白紙六十張[正用五十九 返一]已上花嚴經疏第二巻料

出典

『大日本古文書』8(560頁~564頁のうち562頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

難万君十七年八月九日[黄紙廿]十七日[廿枚黄]廿一日[廿枚黄又廿]合受黄紙八十
張[正用七十三張 破一 反上六]六巻抄第一科九月廿日[充黄三枚鈔六(ママ)巻枚易料]十一月十三日充[白紙〓≪よんじゅう≫張正用廿九返十一]
已上花嚴疏第十四巻料

出典

『大日本古文書』8(560頁~564頁のうち563頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

忍海新次十七年八月九日[黄廿張]十七日[廿枚黄]合黄紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅九張 破一]六巻抄
第二料

出典

『大日本古文書』8(560頁~564頁のうち563頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「冩經疏集間紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)5月25日~11月13日

記事

茨田久治万呂十七年八月十日充廿張[黄]十八日[充黄紙廿]廿三日[廿張]九月三
日[廿枚]六日[廿枚]合受黄紙百張[正用九十三張 破一返六張]六巻抄第三巻料十一月十三日[充白紙〓≪よんじゅう≫枚 正用卅返十]
已上花嚴疏第十二巻料

出典

『大日本古文書』8(560頁~564頁のうち564頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

志起久比万呂十七年九月八日[充黄紙廿七張]十日[充廿張]十三日[充十四枚 又三張]合受黄紙
六十四[既正用]六巻抄第四科 九月廿六日[充十六枚]十一月十三日[充白紙八十枚 正用六十九返十一]
已上花嚴經疏第十六第廿巻并二巻料

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち573頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

丸部嶋守十七年九月十一日[充黄紙廿張]十七日[黄紙廿張]十九日[十八枚黄]合受黄
五十八枚[正用〓≪よんじゅう≫八枚返上十枚]以上六巻■<鈔>第六【卷料】卷料 十一月十一日廿枚[黄]又二枚合廿二
枚[正用十九破三]梵網經下巻料[今冩一切經料]十八年二月八日充黄紙卅合心經料受黄紙
三百九十張[正用三百八十四張破六]心經三百八十四卷料

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち574頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

阿刀息人十七年九月十二日[充黄紙廿張]合受黄紙廿張[既正用]六巻鈔<第>五卷料

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち574頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

揚廣足十八年二月八日充黄紙卅張合受黄紙三百八十五張[正用三百八十四張破一]心經三百八十四卷料

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち574頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

〓≪虫偏+逢≫(蜂)田在人[十七年九月十日〔充黄廿張〕十四日〔充廿張〕合黄紙〓≪よんじゅう≫張〔正用卅三張反上七張〕六巻抄第二料十一月十三日充白紙六十張〔正用五十八返二〕以上花嚴疏第八巻料]

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち574頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

既母辛建万呂
十七年十月廿一日[充黄紙廿張]合受黄廿張[正用十三破七枚]以上千譬(臂)千眼經下卷料■

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち574頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

尾張々人十七年十一月十一日充黄紙廿二張[正用廿破二]梵網經下卷料

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち575頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

占部浄嶋[十八年二月十日充黄紙廿張十四日四張十五日二張]合受紙廿六張
(後略)

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち575頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

大友廣國[二月十日充黄紙十六張十三日充廿張十六日廿張十八日廿張合七十六張〔正用七十張返上六張〕已上尊勝琳林(珠林カ)序之料]

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち575頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「經師充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)9月8日~天平18年3月16日

記事

日置〓≪草冠+衣≫万呂[十八年二月廿八日充黄紙廿張卅日充六枚合受紙廿六張已上十一面經疏一卷料三月三日充黄紙廿張七日充廿枚十六日充廿張【廿日充■紙■張】]

出典

『大日本古文書』8(573頁~575頁のうち575頁)(『正倉院文書』正集25裏書)

「櫃納經疏道具目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17(西暦745)年9月

記事

(前略)
乙櫃
紙二百廿二張[百五十五張黄紙 〓≪よんじゅう≫張採(彩)色紙 十三張白紙 十四張破黄紙]
古筆廿五箇 墨五廷[各小用]「(異筆)合」又頭五頂[已上一〓≪果+衣≫付]
「(異筆)合」下〓≪糸偏+厘≫(纏)七巻[各式敷紙在五在筆墨]又筆一墨八「(異筆)合」香水覆布二尺 〓≪石偏+并≫十四口

出典

『大日本古文書』8(576頁~577頁)(『正倉院文書』続々修35 6裏書)

「櫃納經疏道具目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17(西暦745)年9月

記事

丙櫃
(中略)
「(異筆)合」唯識論本一部[九卷唐帙在一卷養德山寺僧書]今冩十六卷[黄紙]冩始一卷[筆一墨一]
「(異筆)合」四分律抄七卷[五卷本二巻今「(異筆)合」冩]又冩始三巻 毘尼心一卷[筆三墨三本在]
「(異筆)合」法花玄一卷冩始  樞要一卷冩始[本在筆墨无]

出典

『大日本古文書』8(576頁~577頁のうち577頁)(『正倉院文書』続々修35 6裏書)

「題疏勘定帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)12月15日

記事

題疏勘定帳              天平十七年五月
廿一日題二百五十八卷「*之中〔五巻間〕」
一切經要集一部[卅一卷黄紙]     鏡中集一部十卷[黄紙
入楞伽經疏一部十三卷[末第十三白紙] 成唯識論樞要二部八巻[一部四巻間并(並カ)黄紙
根本律攝上帙十卷[黄紙]        下帙[且題第一二三四五六九]
成實論義章一部廿三卷[黄紙]      成實論疏上帙[且題第四六八九]
下帙六卷[且題第二四白紙]       大般若理趣分述讚一部三卷[黄紙]
順正理論疏上帙十卷[且了九卷欠第六]  下帙 [且了八巻未第三八]
衆經要集一部七卷[黄]         法花經玄贊一部十巻[未第二十黄]
大般涅槃經疏一部十五卷[未第一三七白] 法花經義疏一部十卷[未五白]
三障懺悔經二卷[上下黄]        大毘婆沙論文義次第一卷[黄]
僧施文一卷[黄]            結道塲文[黄]
淸凉山傳二巻[上下黄]         通行二巻[上下黄]
略明開矇初學坐禪止觀要門一卷     毘尼録一巻[黄]
抄小乗論一巻[黄]           毘尼心一卷[黄]
西方法事讚文一巻[黄]         四分律鈔六卷[且了第二三四白]
「*間」肇論一巻[白]疏三巻[黄]   法花統略六巻[且了第二三六白]
宗法師章一部四卷[黄]         楞伽經抄下巻[未上巻白]
仁王般若經疏上巻[白]        能斷金剛般若經疏二巻[上下白]
金剛般若義疏[且了大三四黄]     華嚴經論第一帙十卷[黄]
第二帙十卷第三帙[欠第一九]     第四帙十卷第五帙十卷
楞伽經疏五卷[未第一]        楞伽宗要論一卷
十一面神咒心經義疏一巻[黄]     弥勒經述贊一部三巻[白]
毘尼律一部三卷[黄]
(後略)

出典

『大日本古文書』8(584頁~588頁)(『正倉院文書』正集20裏書)

「冩疏論集受充勘檢帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)12月15日~天平18年2月16日

記事

(前略)
攝大乗論疏第三[用【黄】紙七十七]第七[五十五]大乗法〓≪草冠+宛≫林章第四[〓≪よんじゅう≫九空一]第十二[〓≪よんじゅう≫九]
(中略)
二月四日圓弘章第三[黄紙五十空一]第四[廿六空一]毘尼討要卷上本[白廿八]中末[〓≪よんじゅう≫一空一]
下本[卅一]法花玄論第四[黄廿八]第八[卅]第十[廿五破一]仏地經論述記第三[白卅三]第
四[卅八]攝大乗論疏第五[白七十四]中論疏第五[白六十五]海印三昧論[黄七枚]抄
大乗論[黄十枚]
正理門論記巻上[白<紙>〓≪よんじゅう≫八]右十四<五>巻用四百八十六<五百卅四>張空三破一受秦小廣 充酒主
(後略)

出典

『大日本古文書』8(588頁~590頁)(『正倉院文書』正集20裏書)

「冩疏充紙手實案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745)12月

記事

漢浄麻呂  受冩疏合五卷
  見用百八十九枚  成實論疏三卷[用六十五白紙]
  楞伽經開題文下卷[用卅四黄紙]十二門論疏下巻[用〓≪よんじゅう≫三白紙]
  因明入正理論義疏下卷[用十八白紙]法花玄論五卷[用廿九黄紙
         天平十七(年脱)十二月九日「*檢酒主」

出典

『大日本古文書』8(601頁~615頁のうち602頁)(『正倉院文書』続々集19帙5)

「冩疏充紙帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744)1月

記事

安曇廣万呂十六年六月廿日充花嚴<疏>料白紙廿枚 廿四日[廿枚]廿七日[廿枚]
七月三日[充廿枚]「*合受八拾張[正用七十五空用ニ反三]檢酒主七月給」
廿三日「(白緑抹ノ上ニ書ス)充白紙十三枚已用」以上十三枚起信論上巻料 九月廿一日[充黄廿枚]廿四日[充黄廿返上十枚]合受黄紙〓≪よんじゅう≫枚[正用卅枚返十枚]已上起信論疏料「*給十二月」「(白緑抹)廿四日檢人成」
「(白緑)自七月廿三日迄九月廿一日合受紙五十三枚[正用〓≪よんじゅう≫三反十]十二月廿四日人成」

出典

『大日本古文書』8(403頁~419頁のうち408頁)(『正倉院文書』正修9裏書)

「後寫一切經雜案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月13日

記事

(紙継目)
後一切經検受雜物
筆卅箇[廿三充了見七]墨卅廷[充了十五見十五]凡紙七十五張[充了六十八見七十張]經机廿六前[二装〓≪さんずい+黄≫三漆廿一白木]
研六十口 筆漬坏六十口 經紙四百八十七張 辛櫃四合[一着鑞]
大般若經一部六百勺[黄紙及表赤木軸]帙六十枚 疊廿一枚[敷堂即者]
布巾四條 由加一口 杓二柄
   右件物等 從阿刀酒主 志斐万呂等之手 檢受(受)如前
                     天平十八年二月廿一日阿刀酒主
(後略)
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(1頁~7頁の内2頁~3頁)(『正倉院文書』續々修2帙4)

「後寫一切經紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月24日

記事

(前略)
天平十八年二月廿三日仁王經<寫>料黄紙記案
装〓≪さんずい+黄≫所來黄紙二百卅七張[三巻各二十枚 四卷各十八枚 七卷各十五枚]秦家主
鹿一張[一尺五分]注一張[一尺四寸]枚一枚[四分]装〓≪さんずい+黄≫一張[□寸半分]

出典

『大日本古文書』9(8頁~13頁の内12頁)(『正倉院文書』續修10裏書

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

(紙端)
穂積三立 十八年二月十四日充紙廿枚十八日[廿枚]廿二日[廿枚]合受紙六十張返上八枚
        已上辨中邊論上巻料二月廿六日充白紙廿張廿九日充廿張
三月十九日充白紙廿帳廿二日充廿張合受紙八十張[正用七十三返上六枚空一]已上者成唯
識論疏第五巻料「四月上旬給」

十八年四月十七日充黄紙廿張卅日充黄紙廿張合受紙〓≪よんじゅう≫[正用卅二返上七枚破一]已上
攝大乗論第二卷料六月四日充白紙廿張九日白紙廿張十【八】七日充白紙廿張合
受紙六十張[正用〓≪よんじゅう≫四返上十六]已上佛地經論疏第五巻料六月十八日充白紙廿張廿一日
充白紙廿張廿七日充白紙廿張同上充十一張合受紙七十一張[正用七十一同上]已上「*七月上旬給」
具舎論疏第五巻料

十八年七月五日充白紙〓≪よんじゅう≫張八月十八日充白紙廿張八月廿五日充五枚合受
紙六十五張[正用六十三返一破一]已上解深密經疏第二卷料八月廿八日白紙廿張卅日充
廿枚合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅七返三]已上華嚴經疏第十卷料九月十日充白紙廿張九月十
二日充白紙〓≪よんじゅう≫張合受紙六十張[正用如上]已上瑜伽論抄記第廿四卷料潤九月十二
日充白紙〓≪よんじゅう≫張十二月三日充紙廿張四日充紙廿張合受紙八十張[正用七十二返八]已
上瑜伽論抄記第十九巻料十二月八日充紙〓≪よんじゅう≫張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅九返一]已上瑜伽
抄第六卷料十九年正月廿六日紙〓≪よんじゅう≫張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿八返十二]已上瑜伽論抄第廿二
卷料正月廿九日紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿七返十三已上瑜伽論抄第廿五卷料] 
                                   *「十九年三月六日給了」
「*旬給」

十九年八月十四日充黄紙廿張[正用十三返上]已上名僧傳第廿四卷料【十七日充紙〓≪≫《よんじゅう》
張】十一月廿二日充六十張[正用五十四六張者自先欠]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内13頁~14頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

茨田兄万呂 十八年三月十二日充白紙廿張十八日充廿張
          合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿四枚返上十六枚]已上成實論第十三巻料三月十九日充紙
廿張廿一日充紙廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿二張返上十八張]已上成實論第九卷料廿一日充十
八枚廿三日充廿三日充廿張合受紙卅八張[正用廿四返上十四]已上成實論第七卷料「*四月上旬給」

四月十四日充黄紙廿枚十六日黄紙廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅後返上五]已上阿育王經第
四卷料五月廿二日充白紙廿張廿七日充白紙廿張廿八日充白紙廿張卅日充
白紙廿張合受紙八十張[正用七十六張返上四枚]已上涅槃經疏第九卷料六月一日充白紙
廿張四日充廿張七日充白紙廿張合受紙六十張[正用五十四張空一返上五枚]已上倶舎論疏第
十四卷料六月十一日充白紙廿張廿日充白紙廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅八返上二枚]已上佛
地經論疏第三巻料六月廿一日充白紙廿張廿三日充廿張廿四日充卅張合受「*七月上旬給」
紙七十張[正用六十六張返四張]已上倶舎論疏第三巻料廿七日充十張

                                    十八年七月五日
充白紙〓≪よんじゅう≫張八月十八日充白紙廿張合受紙六十張[正用五十五返上五枚]已上解深密經疏
第四卷料八月廿二日充白紙廿張八月廿五日充白紙廿張八月廿八日充廿張
合受紙六十張[使用〓≪よんじゅう≫九返上一]已上華嚴經疏第三巻料八月廿九日充白紙廿枚八月卅
日充白紙廿枚九月四日充四枚合受紙〓≪よんじゅう≫四張[正用同上]已上華嚴經疏第十一巻料
九月五日充廿張九月七日白紙〓≪よんじゅう≫張合受紙六十張[正〓≪よんじゅう≫四返十六]已上華嚴經疏第十六
卷料九月十二日充白紙〓≪よんじゅう≫張九月十七日充〓≪よんじゅう≫張合受紙八十張[正用七十二返七空一]已上
瑜伽論抄記第一卷料十八年十月十九日充六十張合受紙六十張[正用〓≪よんじゅう≫五返十五]已上
唯識論羲燈第三巻料十一月廿二日充紙六十張十一月卅日充廿張合受紙八
十張[正用七十六枚返上四枚]已上倶舎論記第八卷料十二月八日充紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅六返三空一]已上瑜伽
論抄第八卷料十二月十三日充紙〓≪よんじゅう≫一張十二月十八日三枚十二月廿日充白
紙七張合受紙五十張(一脱カ)[正用〓≪よんじゅう≫返十一]已上瑜伽論<抄>第十二卷料
            「*十九年三月六日給了」
(後略)

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内15頁~16頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

倭人足 十八年三月十二日充白紙廿張十六日充廿<二>張合受紙〓≪よんじゅう≫二張[正用廿三張返上十九張]
       以上成實論卷第十四料十八日充廿張廿一日充廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用
廿五返上十五]已上者成實論第十二卷料三月廿二日充白紙廿張廿四日充六枚合受
紙廿六張[正用廿【五】四返上一枚]已上者成實論第五巻料[「*四月上旬給」]

                   四月廿一日充黄紙廿
張卅日充黄紙廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅枚返上九枚空一]已上攝大乗論第後卷料【廿】五月一
日廿黄紙九張二日廿張合受紙廿九張[正用廿七返上二枚]已上攝大乗論釋論第四料(卷脱カ)五月
廿二日充白紙廿張廿五日充白紙廿張廿七日充廿張卅日充白紙廿張合受紙
八十張[正用七十七張返上二枚破一]已上涅槃經疏第六卷料六月六日白紙廿張九日充白紙廿
張合受紙〓≪よんじゅう≫二張[正用「(擦消)如上」〓≪よんじゅう≫一張破一]已上佛地經論疏第四卷料十八日充白紙廿張廿一
日充白紙廿張廿三日充白紙廿張合受紙六十張[正用五十三枚返六枚空一]已上倶舎論疏第
六卷料「*七月上旬給」

十八年七月九日充白紙〓≪よんじゅう≫二張八月十八日白紙廿張合受紙六十二張[正用如上]已
上解深蜜(密)經疏第七巻料八月廿二日充白紙廿張八月廿五日充白紙廿張八月
廿八日白紙廿張八月卅日充白紙廿枚合受紙八十張[正用六十二 返上十八]已上華嚴疏
第四卷料九月四日充白(紙脱カ)廿枚九月七日白紙〓≪よんじゅう≫張合受紙六十張[正用卅九 返廿枚空(一脱カ)]已上華
嚴經疏第十三卷料九月十日充白紙廿張九月十一日充白紙十一張九月十四
日充白紙廿六枚九月十七日充白紙十一張合受紙六十八張[正用六十四 返【四】三枚]已上瑜
伽論抄記第廿三巻料九月十八日充白紙廿張九月十九日充白紙廿張(此間誤脱アラン)合受紙
六十張[正用五十五返五枚之中ニ破空三]已上華嚴經疏第七巻料九月廿三日充白紙六十張九月廿
八日充白紙廿張合受紙八十張[正用七十 返九空一]已上瑜伽論抄記第四卷料潤九月十日
充白紙〓≪よんじゅう≫張「十月十六日充白紙〓≪よんじゅう≫張合受紙八十張[正用七十八返二枚]已上瑜伽論抄記
第十七巻料十月廿七日充白紙〓≪よんじゅう≫張十一月十六日充〓≪よんじゅう≫張合受紙八十張[正用五十二
返上廿八枚]已上唯識論羲燈第六卷十一月十八日受紙六十張[正用卅ニ返廿九]已上瑜伽論
抄記第十五卷料[半者評宅足寫半者倭人足寫]十一月廿六日充紙六十張正月廿九日充白紙廿張
      「*十九年已上三月六日給了」
                 受紙八十七張[正用八十四返三]已上倶舎論記第十一巻

十九年四月五日充紙七張六日充廿張十一日〓≪よんじゅう≫張廿三日充廿張五月八日六
張受紙八十六張[正用八十五返一]已上唯識論述記第八卷料十九年五月九日充紙廿
張十三日廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅三 返六破一]已上冣勝王經疏<第>六卷十九年五月十六日
充〓≪よんじゅう≫張[正用十七
返三]已上名僧傳第三巻料【七】八月十三日充黄紙廿張合受紙廿張[正用十五枚返上五]已上名
僧傳第廿二卷料八月廿四日充白紙〓≪よんじゅう≫張九月廿二日二張[已上〓≪よんじゅう≫一空一
已上]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内17頁~18頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

大伴蓑麿 十八年五月廿<ニ>日充白紙廿張[正用十五枚 返上五枚]已上百法論玄賛一卷料五
        月廿七日充白紙廿張卅日充白張(紙)廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿四張 返上十六枚]已上
大般若籍目一卷料也六月一日充白紙廿張十四日充廿張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅八 返上二枚]
已上經佛地經論疏第六卷料六月十六日充白紙廿張廿日充白紙廿張(此間誤脱アラン)廿三日充
廿張廿四日充廿張廿六日充廿張合受紙六十張[正用〓≪よんじゅう≫九張 返十一張]已上倶舎論疏第九
卷料<「*七月上旬給>十八年七月九日充白紙〓≪よんじゅう≫張八月十四日充白紙廿一張合受紙六十一張
[正用如上]已上解深蜜經疏第八卷料十八年八月廿日充白紙〓≪よんじゅう≫張八月廿五日充白
紙廿張合受紙六十張[正用五十五 返上五]已上華嚴經疏第二卷料八月廿八日充白紙〓≪よんじゅう≫
張八月卅日充白紙廿枚合受紙六十張[正用五十一 返九]已上華嚴經疏第八卷料九月
四日充廿張九月七日白紙〓≪よんじゅう≫張六十張[正用五十一 返八]已上華嚴經疏第十五
卷料九月十一日充白紙〓≪よんじゅう≫張九月十七日充白紙〓≪よんじゅう≫張九月廿一日充白紙【卅】五十ニ張合受紙五十<ニ>[正用如上]已
上解深密經疏第五巻料潤九月十二日充白紙八十張[正用七十二 返八]已上瑜伽論抄
記第十八卷料十八年十一月四日充紙六十張十一月四日充紙六十張十一月廿二日充紙六十張十二月十
八日充白紙十五張合受紙七十五張合受紙七十五張[正用七十四 返一]已上倶舎論記第十三卷料十九
年正月廿六日紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅ニ 返七破]已上瑜伽抄第廿一卷料「*三月六日給了」
十九年四月廿五日〓≪よんじゅう≫長合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅六 返上三空(一脱カ)]已上最勝王經(疏脱カ)第一卷料十九年五
月十一日充紙〓≪よんじゅう≫張[正用【卅七】 返三]卅七之中七張者秋上已上最勝王經疏第七巻料六
月十二日黄紙六枚[正用三 返三]已上觀所縁々論料十九年七月廿七日充白紙八十
張[正用六十七 返十三]已上顯楊論憧興述賛第四卷料八月十一日充〓≪よんじゅう≫張[正用廿七 返十二欠一]已上
藥師(經脱カ)疏料廿六日充〓≪よんじゅう≫張十月十四日廿張十一月十日廿張合受紙八十張[正用六十
四破一 返十五]已上四分律疏第二卷料廿年正月八日[廿七]廿四日[十九]
合〓≪よんじゅう≫張[正用廿五空一 返十四]已上菩薩
藏興疏第一卷料十六日[廿]十九日[廿]合〓≪よんじゅう≫[正用廿四 返十六]已上涅槃經疏第十四卷料
天平勝寶元年十一月十一日充黄紙十五張十六日[廿三又四]已上一切經之内雜
經六卷料

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内21頁~23頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

(前略)
阿刀弟人 十八年六月十日充白紙廿張十三日充白紙廿張十六日充白紙廿張
               合受紙六十張[正用五十七張 返上三張]已上倶舎論疏第十一卷料六月十八日充
白紙廿張廿一日充白紙廿張廿四日充白紙廿張廿七日充白紙廿張合受紙八
十張[正用如此]已上倶舎論疏第四卷料[「*七月上旬給」]十八年七月五日充白紙〓≪よんじゅう≫張八月十四日充
白紙廿張八月十八日充白紙廿張合受紙八十張[正用七十二 破ニ返上六]已上解深蜜經疏第
六卷料八月廿ニ日充白紙廿張八月廿五日充白紙廿張九月七日充
白紙〓≪よんじゅう≫張合六十張[正用五十二 返八枚]已上華嚴經疏第十四卷料九月十四日充白紙〓≪よんじゅう≫
張九月十九日充白紙〓≪よんじゅう≫張合受紙八十張[正用七十一 返八空一]已上瑜伽論抄記第七料(マゝ)九
月廿五日白紙〓≪よんじゅう≫張潤九月十二日充白紙八十張合受紙八十張[正用七十五 返五枚]
(中略)
                  十九年二月二日充紙廿七張九日受紙六張合受紙卅三張[正用卅ニ反一]已上瑜伽抄第廿
九巻料三月一日充白紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅五返上五]已上瑜伽抄第卅卷料三月廿七日充紙〓≪よんじゅう≫
張四月五日充紙廿張合受紙六十張[正用卅五空一返十四]已上瑜伽抄第卅五卷料四月七
日充十四張十一日充紙(誤脱アラン)【廿】五<四>日廿張卅日〓≪よんじゅう≫張合受紙六十張[正用〓≪よんじゅう≫九返十一]已上
最勝王經疏第二卷料十九年五月八日充紙〓≪よんじゅう≫張廿六日五枚合〓≪よんじゅう≫五[正用〓≪よんじゅう≫四返一]已
上勝荘師冣勝王經疏第五巻料七月廿八日充黄紙十九張[正用十六返ニ空一]已上名僧傳
第六卷料八月一日充十六張[正用十四返ニ]已上名<僧>傳第七巻料八月五日充十九張[正用
如上]已上名傳僧(僧傳)第十四卷料八日充黄紙十町十一日充七張十三日充黄紙廿張
合[正用廿三返十四](受卅七)已上名僧傳第十七巻料【十五日充十四張】十五日充廿張[正用七返十三<上名僧傳第廿七巻料>十七日
充十三張廿二日充十一張合受紙廿四張[正用廿一返三]已上名僧傳第廿五卷料八月
廿四日白紙〓≪よんじゅう≫張九月三日充廿張合受紙六十張[正用〓≪よんじゅう≫九 返十一]已上法花羲疏第八卷料[吉
藏師]十九年九月九日白紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅六 空(一脱カ)返三]已上法花經吉藏師疏十二卷料
(後略)

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内23頁~26頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

(前略)
阿倍麻呂 天平廿年正月廿二日充紙廿七日[廿]合〓≪よんじゅう≫張[正用卅八空一返【ニ】一]已上法花經
玄〓≪草冠+軌≫師疏第八卷料天平廿年二月四日[十]十二日[〓≪よんじゅう≫]廿日[廿]合七十張[正用六十ニ破五返三]
<已上冣勝王經惠沼師疏第四卷料>
七日黄紙[十七]正用十六[返一]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内29頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

他田水主
(中略)
十九年三月九日充白紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅三返上七]已上瑜伽抄第卅一卷料四月五日充廿張
十四日〓≪よんじゅう≫張廿五日〓≪よんじゅう≫長合百張[正用八十九返十一]已上唯識論第五巻料五月四日充〓≪よんじゅう≫
張六月十六日廿張合受紙六十張[正用五十八返十一]已上冣勝王經憬興部(師)撰第五巻料
七月廿七日充廿張[正用十二空一返七]已上法句經料八月三日充<黄紙>廿張[正用十七返三]已上名
僧傳第十三卷料十一月廿二日充黄紙廿張廿六日廿張合〓≪よんじゅう≫張[正用廿七返十三]已上四
分戒本一卷料廿六日充黄紙廿張[正用如上]已上唯識論第一卷料<廿年>六月廿一日廿九
[正用十四返十五]已上觀經玄羲文第一卷料廿五日[卅ニ]

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内31頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

田邉秋上 十八年十二月三日充〓≪よんじゅう≫張[傳阿刀乙人]合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿八枚返十二]已上瑜
伽論抄第三巻料十二月十日充紙〓≪よんじゅう≫張合受紙〓≪よんじゅう≫張[用卅七返三]已上瑜伽
抄第九卷(料脱カ)十九年正月廿六日充紙〓≪よんじゅう≫張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿七返十]已上瑜伽抄第十
九卷料 「*三月六日給了」
(中略)
傳充田邊秋上[正用〓≪よんじゅう≫六返上]已上【倶舎】唯識論<述>記第九卷料十九年七月廿七日充白紙廿張
[正用如上]已上五百弟子自説本起料八月三日充紙廿張八日六張合受紙廿六張[正用如<上脱カ>]
已上名僧傳第十卷料九日充紙廿張十三日廿張[正用廿三 返十七]已上名僧傳第廿卷料
十四日充十七張[正用十三 返四]已上名僧傳第廿六卷料十七日充黄紙廿張[用如(マヽ)]已上
名僧傳第廿八卷料八月廿七日充〓≪よんじゅう≫張十月十九日〓≪よんじゅう≫張合八十張[正用六十六張 返十三欠一]
已上四分立疏第三巻料天平廿年四月十六日[廿]四月廿七日充白紙[九張]合廿
九張[正用廿四 返五]已上涅槃經疏第廿卷料廿年五月二日[廿]十三日[廿]廿一日[十一]天
平勝寶二年七月二日[廿]合【六十】七十一張[正用五十六張 返上十五]已上倶舎論疏第一卷料

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内32頁~33頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

子部乙麿 十九年三月廿三日充紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅六返四]已上瑜伽抄第卅三巻料三月
        廿九日充〓≪よんじゅう≫張四月六日充廿張四月廿日充〓≪よんじゅう≫張合受紙百張
(中略)
已上唯識論述記第一卷料十九年七月廿八日黄紙廿張[正用返十一]已上名僧傳第四
卷料八月一日充十一張三日充十<三>張合受紙廿四[正用廿ニ空一破一]已上名僧傳第八卷料
五日充<黄>紙十五枚[正用十二空一返ニ]已上名僧傳第十五(卷脱カ)料八日充<黄>紙十四張[正用十三空一]已上名
僧傳第一卷料九日充紙十三枚[正用十空一返ニ]已上名僧傳第十九卷料

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内33頁~34頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

大弓削部若万呂 十九年七月廿八日充黄紙廿張[正用十三破空一破一返五]已上名僧傳第五
巻料八月三日充十四張五日充六張合受紙廿張[正用如上]已上名僧傳第九卷料八
日充黄紙十張十五日充八張合受紙十八張[正用十七返一]已上名僧傳第十六卷料十
七日充黄紙十張[正用八返一破一]已上名僧傳第卅卷料廿三日充〓≪よんじゅう≫張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿ニ
返十六空一破一]已上法花羲疏第六卷料[吉藏師]十月五日充紙〓≪よんじゅう≫張十二月三日充廿張
合六十張[正用五十七空一返ニ已上十輪經抄下卷料]十二月廿三日[黄紙八枚正用如上]已上<又三張>
                                             已上温室經疏一卷料廿年正
月十五日[〓≪よんじゅう≫]二月九日[十三]合五十三張[正用五十返三]已上法花經玄〓≪草冠+軌≫師疏第四卷料
(後略)

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内34頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

韓鍛冶廣濵 十九年八月十三日充黄紙十四張十五日廿張合受紙十五張[正用如(マヽ)]
已上名僧傳第廿三巻料十七日充黄紙【廿】十張[正用九 返一]已上名僧傳第廿九卷料 廿
三日充〓≪よんじゅう≫張合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅九返一]已上法花經吉藏師疏第三巻料[吉藏師]十九年九月一
日充白紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅八空一返一]已上法花経吉藏師疏第十一卷料十二月十四日[〓≪よんじゅう≫]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内34頁)(『正倉院文書』續々修35帙6)

「經師等寫疏紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)1月27日

記事

阿刀宅足 十八年正月廿七日充黄紙廿枚[正用十三反七]已上注觀世經料二月五日
        廿白紙廿枚七日白紙廿枚十日白紙廿枚合受紙六十張[正用五十一返九]已
上唯識論集第十三卷料十四日充白紙廿枚十七日充白紙〓≪よんじゅう≫枚合受紙六十張
[正用五十二返八]已上唯識論集第十四卷料二月十九日充白紙廿枚廿日白紙廿枚廿
二日白紙廿枚廿五日白紙廿枚合受紙八十張[正用六十四返十六]已上百論疏下卷料廿
七日白紙〓≪よんじゅう≫枚廿九日白紙十七枚三月二日充白紙廿枚合受紙七十七張[正用六十
九返八]已上成唯識論疏第六卷料三月七日充白紙廿枚十二日充白紙廿枚合受
紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅七返三]已上成唯識論第九卷料[即丹治比道成合寫]三月十八日充白紙廿枚廿四
日白紙廿枚合受紙〓≪よんじゅう≫張[正用廿四返十四破ニ]已上成實論第十一巻料  右四月上旬施給已了
四月四日充白紙廿一枚十五日充白紙廿枚五月一日白紙廿枚合受紙六十一
張[正用〓≪よんじゅう≫五返十六]已上无垢稱經疏第一卷料五月廿二日充白紙廿枚廿九日白紙廿枚
六月三日充白紙廿枚七日充白紙廿枚合受紙八十張[正用七十二返八]已上涅槃經疏
第五巻料
           右七月上旬布施給已訖
天平勝寳二年正月六日卅張

出典

『大日本古文書』9(13頁~50頁の内47頁~48頁)(『正倉院文書』續々修35帙6

「經疏料紙受納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)2月8日~天平20年3月24日

記事

十八年二月受仁王經六十一部料黄紙三千張[三百【八十】六十六張法花經二部料]
天平十八年二月八日從中納言藤原(豐成)宅來染穀紙一千六百【〓≪よんじゅう≫】八十張[知阿刀酒主(法花經十部料)]
                                    志斐
  同日黄紙七百八十一張[心經七百六十八卷料充所未審]受秦小廣
十八年二月廿八日黄紙廿六張[依市原宮宣奉寫十一面經疏一卷便用疏料紙]知志斐万呂 又一枚表料
三月三日黄紙七十四張[依市原宮宣奉寫尊勝珠林一卷料便用疏料黄紙]知志斐万呂 又一枚表料
三月四日黄紙二千十三張[既見用又破廿六張御願奉寫仁王經六十一部料本請員未檢立令可探求耳]阿刀酒主
三月七日黄紙百張[依市原宮宣奉寫仁王經義疏二卷料便用疏料黄紙]知志斐万呂 又一枚表料
三月九日黄紙百四張[依市原宮<宣>奉寫起信論疏四卷料便用疏料黄紙]知志斐万呂 又一枚表料
    十六日黄紙三百六十六張[依市原王宣為良弁大徳奉寫法花經二部料用宮一切經内紙但布施來自寺來 知志斐万呂]
八月十九日白紙五十張[依市原宮宣奉寫法花遊意二卷料便用疏料白紙 知志斐万呂]
           「(異筆)入常疏剰」
天平十八年潤九月八日白紙一千八百九十張[依紀少進宣奉寫理趣經百卷料依市原宮宣便用先一切經料紙]
                知志斐万呂 爪工家万呂 能登忍人
九月十日從<金>光明寺三綱所來白麻紙 受玉祖公万呂
四月三日黄紙<疏料>四百張[依市原宮<宣>進納於宮内〔納漆塗革筥一合{長二<尺>潤一尺四寸}〕
                                       知伊福部男依阿刀宅足志斐万呂受川村縄万呂葛野長万呂]
七月十五日白紙三百張[依田邊史生宣為<寫>高丘王所願經借用後一切經内料紙彼代報了]
                     知志斐万呂 爪工家万呂 阿刀宅足 能登忍人
五月八日從宮來白紙二百卅長[文選上帙料判田邊史 「(異筆)受能登忍人知志斐万呂」]
五月十八日黄紙三百張[依市原宮<宣>奉寫 八敬六念并四分戒本料 借用疏所黄紙
                知葛野長万呂志斐万呂爪工家万呂]
五月廿一日黄紙二百五十二張[依中納(豐成)言尊宣奉寫藥師經廿【八】一卷料便借用疏料黄紙者]
   同日從宮來色紙〓≪よんじゅう≫五張[藥師經料]知田邊史生 志斐万呂 爪工万呂
十月十五日黄紙一千百八十張[千百張現用料〓≪よんじゅう≫張表紙料〔欠〕〓≪よんじゅう≫枚儲料]
   右、依市原宮宣、奉寫法花經十部料 [便用疏料黄紙者]
              [充田邊史生 受秦秋庭 知志斐万呂]
同月十九日依紙欠自疏櫃出充黄紙六十張[受爪工家万呂]
同月廿六日黄紙〓≪よんじゅう≫張[為<用>彼十部法花經表紙<欠>料用者 受秦秋庭  充田邊史生  知志斐万呂]
十九年正月十八日自【宮】嶋院來肥紙四百五十張[依大養德國少允佐伯 若子宣奉寫六卷〔抄〕一部料]
[表紙料紙七枚]   又一百張[依欠更請如件]
      【受阿刀酒主】 受能登忍人 知酒主
正月廿七日自宮來肥紙三千二百五十張【未到紙五百五十張】
    右、依(大脱カ)養德國小(少)允佐伯若子宣、奉寫六卷鈔九部料者、[充佐伯若子]
                   受玉祖公万呂 志斐万呂
二月十八日黄紙一千五百九十四張[依養德國小允佐伯若<子>宣為用奉寫四分
                        律六十卷料者 允佐伯若子借用疏料紙]
   [納辛櫃一合〔着鑞子〕]
       【受阿刀酒主】  玉祖公万呂[十一日更充能登忍人]知志斐万呂
二月廿八日自宮來斐紙一千五百五十張[一千張更可寫六卷鈔二部料 五百五十張先九部六卷鈔紙所欠料]
                   受玉屋公万呂  知阿刀「(自著)酒主」
三月三日更充筑紫薄紙六百張[依先充紙不用更充者受玉祖公万呂田邊史六卷抄料「*二部料者」]
四月九日從來黄紙一百五十張[依良弁大德宣為奉(奉為カ) 天皇奉寫理趣經七巻料]
              受能登忍人 知田邊史 阿刀酒主
十四日從宮來彩色紙六百六十張[卅張白長麻紙長三尺]下紙廿五張[端繼料使用下司] 
   右、依犬甘命婦宣、奉寫无垢称經二部料、
             受能登忍人 知田邊史 阿刀酒主志斐「(自著)麻呂」
廿一日自宮來紫紙二百十九張[端繼并〓≪果+衣≫紙六張]
  <又卅長觀世音經表紙料>
   右、依犬甘命婦宣、奉寫无垢称經二部料、
            受能登忍人 充田邊史 知志斐万呂[他田水主]
十九年八月五日自宮來白紙三百張[端繼八張]瑜伽菩薩地十一巻藥師經疏一卷法花論一卷料
   右、依佐伯掾宣、即充装〓≪さんずい+黄≫玉祖公万呂、
[又天平廿年三月廿四日自下政所受紙百六十張 即充丈部曾祢万呂]
                       知阿刀 他田水主
八月十六日自宮來紙三千三百十張[一千八百五十張檀紙一千四百六十張短麻紙]
    右、依出雲少進宣、奉寫觀世音經一千卷料、[受能登忍人]
「(異筆)端繼等料請紙六十八張」[知伊福部「男依」 志斐万呂 阿刀酒主]
(紙端)

出典

『大日本古文書』9(64頁~69頁)(『正倉院文書』續々修37帙2)

「寫常疏料紙納并充装〓≪さんずい+黄≫帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)2月12日

記事

「(題籤〔表裏同文〕)常疏料紙納帳」
常【間】料納并充装〓≪さんずい+黄≫帳 天平十八年二月十二日
十二日<納>黄紙參仟張[即受秦小廣]凡紙壹伯伍張[端繼料七十五張返上七張〓≪果+衣≫紙料卅張] 後一切経料[借充者] 
          [出充葛野古万呂]  知酒主
廿四日納黄紙三千張[欠十二張]凡紙九十五張[端繼料七張返上便<充>受秦秋庭]知阿刀宅足
               行葛野古万呂
十九年三月廿六日來肥紙四千張<百卅六> 【阿刀宅足】<為寫常疏料者也>[百卅六張者端繼等料一千張者所加也]
                           [三千張者先返上三千張之替也]
     充田邊史生 受玉屋公万呂 受志斐万呂 他田水主
(紙繼目)
                 [播摩(磨)國中紙者]
  【寫疏所疏料白荒紙三千張
    右、依田邊生史宣、返送於宮、
       十九年正月廿日知志斐麻呂】
     「*依兩名不用」
(後略)

出典

『大日本古文書』9(69頁~71頁の内69頁~70頁)(『正倉院文書』續々修28帙8)

「間寫疏目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)2月28日~3月9日

記事

間寫疏
十一面經疏一卷[十八年二月廿八日充日置蓑万呂]
尊勝珠林序一卷[十八年三月三日宛日置蓑万呂用黄紙七十五張 返上十五張 【未】]
仁王經疏二卷[十八年三月七日宛山邊千足用紙【八】九十【五】五枚黄紙]
起信論疏四卷[十八年三月九日 宛建部廣足  未  黄<紙>用百四枚]

出典

『大日本古文書』9(75頁~76頁)(『正倉院文書』續々修26帙10裏書)

「寫疏経師手實帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)3月20日

記事

玉屋公麻呂謹解 申造作紙事
  繼白紙一千【四】五百【八十】卅十張[「(異筆)常」]
  繼黄紙一千八百卅四張[「(異筆)間」]
  界紙黄白合五千九百【五十】〓≪よんじゅう≫三張
右、疏用紙造作如件、以解、
             天平十八年三月廿四日「(異筆)合九千三百七張」
     三千三百六十四張 今可改事者捴五千九百〓≪よんじゅう≫三張
「(裏書〔「継白紙」ノアタリ)一貫二百五十文」
「(裏書〔「継黄紙」ノアタリ〕)二百五十」

出典

『大日本古文書』9(142頁~165頁の内152頁)(『正倉院文書』續々修41帙4)

「寫經料錢經師布施等注文案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)4月15日

記事

(紙繼目)
十八年十月廿七日自犬養夫人所到黄紙二百卅張[入楞伽經十卷寫料]
         宛伊福部乙万呂 受装〓≪さんずい+黄≫玉屋公万呂
               天平十八年十月廿七日知志斐万呂
(紙繼目)

出典

『大日本古文書』9(191頁~199頁の内198頁)(『正倉院文書』續々修11帙5)

「僧安寛請紙及經師状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)5月22日

記事

請 紙貳拾(マヽ)
   經師一口 紙廿枚[且「(異筆)九日充疏黄紙廿張知志斐万呂」]
   右、爲四分律欠處寫續、仍注状請處分如件、
                 天平十八年六月八日安寛
令持黄、其手相似人令參、[余馬甘所、]眞人

出典

『大日本古文書』9(214頁)(『正倉院文書』續々修40帙4裏書)

「寫疏經師装〓≪さんずい+黄≫等手實帳」『正倉院文書』

撰述日

天平18年(西暦746年)6月25日

記事

伊福部阿都麿  申疏紙打事
     合一千四百張[黄紙六百張白紙八百張]
             天平十八年六月廿八日

出典

『大日本古文書』9(231頁~236頁の内232頁)(『正倉院文書』續々修23帙4)

「寫疏經師装〓≪さんずい+黄≫等手實帳」『正倉院文書』

撰述日

天平18年(西暦746年)6月25日

記事

六人部身万呂解 申疏紙打事
   合二千一百八十(張脱カ)[之中黄紙五百廿張白紙一千六百六十張]
               天平十八年六月廿九日

出典

『大日本古文書』9(231頁~236頁のうち232頁)(『正倉院文書』續々修27帙3)

「寫疏所解案」『正倉院文書』

撰述日

天平18年(西暦746年)6月29日

記事

 用紙二百七十六張[黄紙]
  校紙二百七十六張[並二校五百五十二張]
  装〓≪さんずい+黄≫二百七十六張
  應給布施錢二貫二百九十六文
(後略)

出典

『大日本古文書』9(241頁~244頁の内241頁~242頁)(『正倉院文書』續々修41帙4裏書)

「寫疏所解」『正倉院文書』

撰述日

天平18年(西暦746年)7月1日

記事

寫疏所解 申請布施事
合奉寫藥師經廿一卷
   用紙二百七十九張[二百卅四張黄紙]
   校紙二百七十九張[並二校五百五十八張]
   装〓≪さんずい+黄≫紙二百七十九張
   應給布施錢一貫七百七文
(後略)

出典

『大日本古文書』9(246頁~249頁の内246頁)(『正倉院文書』續々修41帙4裏書)

「疏紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平18年(西暦746年)閏9月1日~天平勝寳6年10月30日

記事

以天平十八年潤九月一日始疏紙充粧(装)〓≪さんずい+黄≫帳
潤九月一日白鹿紙一千張[受玉屋公万呂更充端繼料廿五枚]八日更充一千張[受玉屋公万呂]
廿三日充一千十張[受玉屋公万呂十帳者端繼料]十一月四日充一千張[受玉屋公万呂]
(中略)
【十一月十九日丈部曾屋万呂充黄紙六百張[先一切經料便用間]】

天平廿年二月十一日受紙四千百五十張[二千五十張斐紙二千百張白厚紙]凡紙百〓≪よんじゅう≫四張[端繼〓≪果+衣≫紙料]
                    同日充装〓≪さんずい+黄≫丈部曾祢万呂
                       知他田水主
二月廿九日充黄表紙六十張[受丈部曾祢万呂]自玉祖公万呂之手撿受者
四月九日充五百六十四張[黄紙二百十二張三百五十二張白薄紙]自玉祖公万呂之手校受者[受丈部曾祢万呂]
天平勝寶二年五月三日納肥紙三千八百張 凡紙百卅三張[端繼等料]
                   検知史生
                      他田水主
三年五月廿一日納黄麻紙六百張[自政所請來撿欠十張]
   右、先奉宮一切經料紙所欠之料所請者、
                       検受他田水主
                           呉原生人
(後略)

出典

『大日本古文書』9(271頁~274頁)(『正倉院文書』續々修28帙8)

「常疏寫納并櫃乗次第帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)3月7日

記事

(前略)
公文第五櫃[法花經牧賛(枚替カ)分充九張受爪工家万呂四月六日又肇論料〓≪よんじゅう≫五枚他田水主]
黄紙打卅六卷[別廿枚繼] 黄破紙一〓≪果+衣≫[封]
白打紙不用一裹[封] l高僧傳二卷 法顯傳一卷
(中略)
銅盤三【合】[以十九年七月十一日高屋令史受取了]白打紙八卷[百六十枚常疏了]黄表紙[十枚各着竹并題]
鑞子十四[納白小筥并練袋此者一切經〓≪≫鑞子]古筆五十三筒(箇)[一者丹筆曹司下]<以十九年五月六日返送下政所知他田水主>
膠少々[少一寸者下政所用]雌黄二分[少一寸者下政所用]墨頭十[一者曹司用半廷者秦在石充]【雜】新筆三[一者充水主一者充秦在石]
常疏充装〓≪さんずい+黄≫文 常疏〓≪手偏+交≫文 荒紙充装〓≪さんずい+黄≫文
勘題文 筆墨納并用文 常疏料紙納文
雜物外借用文 以筆墨寫定紙并更請文
(中略)
間本借置第六櫃
  一切經要集卅一卷[廣瀬寺知阿刀縄万呂志斐万呂]唯識論九卷[唐本也竹帙着占也藤原寺書 以十九年七月十日高屋令史受取了]
法花經八卷[唐本竹帙着占也藤原寺書也【以十九年七月十日高屋令史受取了 知阿刀縄 志斐万呂】] 觀無量<壽>經一卷[白紙黄<紅>表紙以天平十九年五月四日奉請南堂知志斐水主受阿刀酒主]
(中略)
花嚴經疏廿卷[白紙也未知主也遺三卷者置校櫃内]未校了飛鳥寺疏本十九卷
一切經音議(義)十卷[五者<卷>黄唐本也五卷今所寫也]
(中略)
間新寫納第七櫃
大鳥高人寫始最勝王經四卷[縹紙] 最勝王經十卷[此又縹紙大石廣万呂寫]
唯識論樞要四卷 十一面經疏一卷 尊勝称珠林序一卷
起信論一卷 肇論一卷[已上二卷者高屋令史書]又黄紙尊勝珠林序一卷
金光明經疏八卷 四分律鈔六卷
             天平十九年三月七日校授志斐麻呂
                           校験【授】受他田水主

出典

『大日本古文書』9(343頁~348頁の内345頁)(『正倉院文書』續々修12帙4)

「寫疏論集納受帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月25日~天平20年3月10日

記事

(前略)
八月【五】三日納金光明最王(勝脱カ)略賛一部五卷[无帙]
     右元興寺書也、受使辛國人成[以同月五日進納宮裏受藏人信勝尼後所養德御勝使辛國人成]
    五日納六卷[白紙橡表无軸]納革箱一合[以同月進(内裏)納寫并本十二卷使長官王]
     右、自信勝尼御所給出者[受辛國人成]
(中略)
十九年十一月廿七日納勝鬘經疏三卷[寶窟 白紙 漆軸黄表无緒]
     右書本、自敬俊師所來[使聖端師受他田水主]
   廿五日納成唯(識脱カ)論第一卷[黄紙黄表漆軸 又温室經疏一卷〔白紙軸緒无〕]
     右本 聖諦師書者[使主君長]
   廿三日納止觀法門一卷[白荒紙]
     右本、敬俊大德書者[受使他田水主]
   已上三卷書以廿年正月廿四日付使舎生王若長返送如前
                           他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(365頁~367頁の内365頁~366頁)(『正倉院文書』正集21裏書)

「間紙檢定并便用帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月28日~29日

記事

十一面經【十】一卷[黄紙廿六張]尊勝【林】珠林序一卷料黄紙七十四張
仁王經義疏二卷料黄紙九十八張 起信論疏四卷料黄紙百四張
   右四書料、受黄紙三百四<八>張[見用三百三張空一四張表紙]疏所便用
          装〓≪さんずい+黄≫能登忍人
                 天平十九年五月廿九日阿刀酒主

出典

『大日本古文書』9(367頁~370頁の内368頁)(『正倉院文書』續々修28帙7)

「間紙檢定并便用帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月28日~29日

記事

八敬六念〓≪よんじゅう≫卷 或本一卷料黄紙三百張[疏所便用]
   用二百九十張[二百七十六正用破五枚十張表料可返五知玉祖公万呂]
                       十九年五月廿九日阿刀酒主
                        伊福部        志斐

出典

『大日本古文書』9(367頁~370頁の内369頁)(『正倉院文書』續々修28帙7)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

仁王經六十一部料<受>黄紙二千六百卅四張 疏所借用
   用二千七十四張[二千十三張正用六十一表料]破廿七張
   殘五百卅<三>張[四百三張借用先一切經料受酒主] 装〓≪さんずい+黄≫秋庭
                  十九年五月廿九日 阿刀酒主 
                                  志斐

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内370頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

法花經二部料受黄紙三百六十張[疏所便用]
   即用[三百五十六正用八張表紙二張空] 装〓≪さんずい+黄≫秋庭
               十九年五月廿九日 酒主
                            志斐

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内372頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

千手經廿一卷料受黄紙四百廿張[先一切經料便用者]
    三百七十八張正用 空七破五殘卅張[十五張見返上十五張自經師手未検出]
              天平廿年三月十二日 他田水主

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内375頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

同年六月廿六日納色紙八十九張[救護身命經一百巻料且來者]
又七月二日納麻紙三百七十張 又自宮來松紙十張[表料]
黄紙〓≪よんじゅう≫張 又〓≪よんじゅう≫五張[已上八十六張充一切經殘便用]
   合五百五十四張[五百張正用五十張表紙四張破]
                         廿年七月十六日他田水主

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内377頁~378頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

摩訶摩耶經一卷淨飯王經一卷料納黄紙〓≪よんじゅう≫張[寺自政所來]
   正用[摩訶經廿七淨飯王經七張]遺六張[表紙者先一切經殘便用]
                         天平感寶元年五月十四日他田水主

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内378頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

理趣經一卷料充黄紙廿一張半[先一切經殘便用]廿張正用一張破 半表
                        天平廿年十月五日 水主

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内379頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

十一面經料充黄紙百八十張[先一切經殘便用]
   正用百卅三張

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内379頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

右遶仏塔功徳經二卷 浴像功徳經二卷 温室經二卷 盂蘭飯經二卷
   合八卷黄紙卅四卷[先一切經殘便用]
   正用廿四張

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内379頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「寫一切經紙檢定帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)5月29日~天平感寳元年閏5月12日

記事

法花經一部料黄紙一百九十五張[皇后宮一切經殘者]
   正用百六十九張 空八 残十八張[即返上]
    但表紙 用先一切經殘表紙
             天平廿<一>年三月廿日他田水主

出典

『大日本古文書』9(370頁~380頁の内380頁)(『正倉院文書』正集40裏書)

「装〓≪さんずい+黄≫六人部身麻呂手實」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)8月14日

記事

六人部身麿謹解 申打紙事
合漆仟肆伯漆拾伍張
(中略)
   理趣經黄紙一百〓≪よんじゅう≫張
   觀世音經色紙六百五十八張
   无垢勝經紫紙二百枚「(異筆)入能登忍人名」
   三卷抄紙二百十枚
   嶋宮四分律<抄>紙【五】<四>百六十七枚
                 天平十九年八月十四日

出典

『大日本古文書』9(437頁~438頁)(『正倉院文書』續々修35帙6裏書)

「寫後書所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)9月27日

記事

(紙端)
八月廿五日請麻紙一千<百>九十張 端繼料〓≪よんじゅう≫二張
    右觀世音經一千卷之内料 請加如前[受能登忍人知阿刀酒主]
装〓≪さんずい+黄≫所解 申請紙事
    合二万五百張[凡紙一万七千五百張三千張]納<辛>櫃三合
         天平十九年九月廿七日治田石万呂
                           伊福部厚麿
(中略)
「(異筆)又請凡紙漆伯陸拾參張」
     五百十三張端繼料[以一張着二巻]
     二百五張〓≪果+衣≫紙料[以一張〓≪果実+衣≫一百張]
  大豆三升[胡(糊カ)料且]
  絹三尺[蒒料]
      <又凡紙百廿張[式并敷紙料]
   右花嚴經之紙装〓≪さんずい+黄≫料、所請如件、
廿年三月十二日黄紙六百〓≪さんずい+黄≫張[六百張六十花嚴經一千二卷表料受他田水主五月十日充百卅三張〔受春日虫万呂〕
                     先一切經料表使用料八月十一日充百十七張半〔受春日虫万呂〕
                     以四月十九日充百五十二張半〔受能登忍人〕厳張八十花嚴八十巻表料 
                     即充丈部曾祢万呂 知阿刀爪工五百足充廿張〔四月三日〕]
(紙端)
(紙端)
十一月十九日黄紙六百張[先一切經料紙便用端繼等料者即先請加充]
廿一年二月廿三日自先經所受黄紙四張[且着表料受秦東人]又同日四張[三張先經所七月十六日二張一張六十花(嚴脱カ)料便用     万呂]
   又自政所納黄紙四百張
   右依十九年十一月十九日【眞深女宣】回幡中村奉寫唯識論疏二部料受丈部曾屋(禰カ)万呂
                                         知他田水主
                                        伊福部男依
                                         使金人珎努伊加保
千手經廿一卷用紙三百七十八張[黄麻紙先一切經料紙便用]
             天平十九年【八】七月廿六日受能登忍人
                                      充他田水主
天平廿年三月十二日請黄紙十一張[表料者]即充能登忍人
                                     伊福部「(自署)男依」
            出充田邊史生 知阿刀  水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(450頁~453頁)(『正倉院文書』續々修37帙2)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

 「(題籤表裏同文)充間紙装〓≪さんずい+黄≫帳」
間紙上事  二部唯識論疏料紙者
  十九年十二月十三日上[三百張黄紙]丈部曾祢万呂 天平廿年二月八日上解紙四百張
  丈部曾祢万呂 充如員上了
  又同料四百張造曾祢万呂打者
(中略)
華嚴經一部八十巻料紙上[先六十花嚴經料紙便用麻紙用者]
  廿年正月廿四日六百張[能登忍人]大二百張[伊福部厚万呂]廿七日二百張[能登忍人]
  廿九日二百帳[上春日虫万呂]又同日二百張[能登忍人]二月二日二百張[春日虫万呂]三日二百張[上春日虫万呂]
                 合千八百張
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内515頁~516頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
大品義疏<料>紙三百張
  天平勝寶元年八月廿五日上十卷[二百帳久米家足]同日上五卷[百張久米家足]
   九月六日上四卷[七十張春日虫万呂]
  三年五月十四日上紙二百〓≪よんじゅう≫張[上春日虫万呂収水主]梵網經疏料者
  五月十五日上紫紙七百〓≪よんじゅう≫八張 収他田水主
  十九日六百〓≪よんじゅう≫六張 廿八日五十一張 六月二日卅張[已上並呉原生人]

三年五月十八日充黄紙一千張[受春日虫万呂]法花玄賛料者
    造上六月七日[打繼界者] 収水主
   六月廿日充白布紙二百廿五張[受能登忍人知鴨筆]梵網經疏料者
    以廿一日返上二百廿六張[収水主]
   同月廿一日充四尺麻紙二百〓≪よんじゅう≫張[受能登忍人充水主]梵網經疏料者
         七月廿三日上二百張[繼打染界者]収水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内517頁~518頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
    四月六日打界上廿卷[春日虫万呂]収生人 又同日上五十二卷[春日虫万呂]収上馬甘
     又同日充九十五張  受春日虫万呂  上馬甘
     以八日打界上了[収馬甘]
     同日充黄紙七十二張[十六部法花經表紙料]受春日虫万呂 呉原生人
   七月九日金薄敷紫紙伍張[綠紙花嚴表紙料] 受能登忍人 檢充呉原生人
    十一日紫紙二張[心經表紙料] 受能登忍人  呉原生人
    十六日色紙八十張[觀世音經料] 受川原繼万呂 呉原生人
    十七(日脱)色紙八十張[觀世音經料]受小治田人君 山部針間万呂
   八月七日靑褐紙壹伯陸拾張[法花經一部料] 受能登忍人
    十七日充靑褐紙〓≪よんじゅう≫張[受能登忍人] 呉原生人 上馬養
    以十九日繼打界上了[収上馬甘]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内522頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「寫經疏間紙充装〓≪さんずい+黄≫帳」『正倉院文書』

撰述日

天平19年(西暦747年)12月2日~天平勝寳7年12月15日

記事

(前略)
能登忍人
(中略)
四月七日<充>一千四百五十張
  十五日充金塵<緑>【靑褐】紙百五十張[花嚴料]又十九日充緑紙肆拾漆張[花嚴料上五月十四日]
  十六日充黄紙一千九百張[少僧都花嚴經二部料
[「(異筆)以天平勝寶七歳正月十九日造上一千四百張上馬甘廿日上五百張収生人]」
  廿二日充表紙<二>百張
五月十八日充百七十張[廿六日上了]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(515頁~536頁の内526頁~527頁)(『正倉院文書』續々修28帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日付

記事

「(題籖)(表)間本納返帳
      (裏)間本納并返帳」
天平十九年十二月六日自内裏奉請唯識論疏十五巻[因測師撰者]
[「(異筆)黄紙黄表无緒室木柚(軸)納漆塗机筥一合]第二三七八九合五巻者具本末第【一】四五六十合【五】四巻者无
未有本 第一巻者有未无本
(中略)
又同日自宮來唯識論疏第二巻上一巻[白紙塞材]為求同書
             「(異筆)以同月七日奉請内裏如前[使即高屋古令史]
                         知志斐
                         水主       」
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内599頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

(前略)
大僧頭「(自署)行信」
「(異筆)七月十三日奉請四巻[第三四五六者]使飽田石足」

「无量義經一巻[黄紙及表朱漆軸綺緒]大安寺經者」
   右為用本經、先奉請、今依了、以天平勝寶三年正月廿三日返奉使散位少初位
下飽田史石足、
                         知  他田水主
                             下道主
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内601頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

(前略)
十一面經十巻[黄紙及表紫綺緒]以箪筆香墨奉
   右、為本、自寺奉請、使村山首万呂、忍坂友依、
          天平勝寶二年七月廿四日他田水主
   「(異筆)以同年八月六日、付舎人田部乙成、返送如前、」
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内602頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

(前略)
(紙継目)
奉請金剛三昧本性清浄不壊不滅經一巻[黄紙及表 畫軸者]
   右為本經、差散位飽田石足、奉請已訖、
              勝寶三年正月廿三日道主 他田水主
[「(異筆)以同年二月廿三日奉返已訖【飽田石足】 小竹原乙万呂 長田浄濱」]
花嚴傳一部五巻[白紙橡表漆朱頂軸綺緒]
  右先<自>政所奉請、寫了、以天平勝寶三年二月四日、付舎人大伴宿祢蓑万呂
   返送了、
                         他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内602頁~603頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日

記事

六字呪王經一巻[黄紙及表檜木軸納漆小函一合]
   右、為用依大徳宣奉寫經本、自法花寺奉請、使村山首万呂、
                 天平勝寶三年四月四日収他田水主
                   知史生阿刀「(自署)酒主」

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内603頁~604頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日付

記事

法花玄賛十六巻[黄紙及黄表紫緒梨柚(軸)]
  右、以天平勝寶三年六月十九日、自内裏奉請如件、[自内裏請本也]
                      知鴨筆 使常世人足

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内606頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)12月6日付

記事

  [「(異筆)返送了但返抄者其失送書乞來之」]
花嚴經一部[六十巻]黄紙及表 朱軸 綺緒 漢手 竹帙六枚
(中略)
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内607頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

自内裏奉請
   辨中邊論疏一部三卷[玄範師撰 白紙黄表漆塗軸緑綺緒]
   理趣經疏一部三卷[基法師撰 黄紙及表中紫邊小白綺緒黒柿繼軸 並納小漆塗筥一合 以七月二日納新寫送返]
以前、依飯高笠目天平勝寳四年四月廿五日宣、爲用本、奉寫所奉請如前、
   奉宣次官佐伯宿祢(今毛人)   檢三嶋宗麿
                        他田水主
前件疏本并新寫以七月二日奉請内裏納櫃如前[使次官佐伯宿祢]
                         知大鳥高人
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内608頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

阿弥陀咒經一卷[黄紙及表綺帶无軸
                       納漆軸小函一合裏白檀以銀繪花并鳥形者]
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内608頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

八十花嚴經第二帙[十巻黄紙及表紫檀軸紫班綺緒竹簫(繍)帙黒紫黒錦緑緋緑裏緋緒]
   納塗赤漆小着足櫃一合[先納胡桃染紙自内裏來櫃者]
  右爲<用>今奉寫八十花嚴經第二帙様所謂如前、
             天平勝寳四年八月廿四日他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内609頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

(紙継目)
自内裏奉請經三巻
  十二仏名經一巻[黄紙及表室木軸无緒初坐阿弥陀仏像]
  鼓音聲陀羅尼經一巻[黄紙及表木繪軸綺緒已上二]
  花嚴修慈分一巻[黄紙【及表】紫羅裏浅緑羅表白檀軸无緒]
   右為用本經、依善光尼師宣奉請、[使大藏判官、]
           天平勝寶四年九月廿四日納他田水主

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内610頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

舊花嚴經一部[黄紙黄表紙綺緒漆軸帙紙「(異筆)以四月五日奉返第一二六帙使僧常好知呉原上馬甘」]
   右、為本證本、以天平勝寶五年正月卅日、自慈訓師之所奉請、
  「(異筆)以五月十三日奉返已訖[付丈部石穂 上馬甘]使飽田石足
                           検納呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内610頁~611頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

仁王經一部[黄紙及表綺緒朱軸]已上二巻本自内裏請[使阿刀小足工石主]
不空羂索經一巻           千手千眼經一巻
觀世音如意輪含藥品一巻請觀世音經一巻 請觀世音經一巻
觀世音如意陀羅尼經一巻[已上並黄紙及綺緒木繪軸]
  右五巻、為本、自山階寺奉請、[使上馬甘、「(異筆)以八歳二月八日奉返如件、使上馬甘」、]

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内611頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

觀世音三昧經一巻[黄紙及表銀軸无緒]十一面經一巻[黄紙及表紫緒朱軸]
觀自在菩薩如意心陀羅尼咒經一巻
觀世音<菩薩>受記經一巻[已上三巻黄紙及緑緒朱軸]
  右、為證本、金光明寺奉請、使呉原生人、
                        五年二月十日

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内612頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

解深密經一部五巻[黄紙及表木繪軸无緒竹綵帙緋裏]
   右、為用本、従智憬師之所、請來如前、
                 五年二月廿七日呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内612頁~613頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

大般若經六百巻<一部>[黄紙及表綺緒繪軸竹綵帙各着染箋]
  右、以天平勝寶六年三月十八日、為本自山階寺奉請、使上馬甘、
  「(異筆)前伴大般若經、以六年九月六日、奉返已訖、[使工石主知呉原生人、]

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内613頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

花嚴經一部八十巻[黄紙及表綺緒白檀軸竹綵帙牙箋一軸端折辛手者]
  右、為用本、自慈訓師之所、奉請如前、[使工石主、]
                    天平勝寶六年三月廿四日上馬養
「(異筆)前伴花嚴經以閏十月五日奉返[使丹波宿奈万呂]」呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内613頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

大般若經一部六百巻[黄紙及表綺緒白檀軸竹綵緋錦緑組帯 无帙六枚辛手者四帙第一巻初枚墨穢十四帙表并題異卅六帙第五巻落一張]
納漆辛櫃三合[〓≪果+衣≫布紺囊]布綱三條
   右、為用本、自河内雪寺、奉請如前、[使志紀賣良万呂、]
           天平勝寶六年三月廿六日上馬養
                         呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内613頁~614頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

八十花嚴經廿巻[第二帙【即】第三帙者黄紙及表綺緒白檀軸綵帙牙軸]
又新寫十六巻[第一帙十巻第二帙六巻自第一巻至第六巻者]「(異筆)返送了」
   右、自大唐和上(鑑真)所、為用本請來、但新寫為書造請來者、
                  六十一月廿六<日>呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内614頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

八十花嚴經第一帙[九巻欠第四巻此自初留外嶋院黄紙及表綺緒白檀軸綵帙牙箋]業行師經者
   右、付奴東人、令奉請外嶋院、
                  知呉原生人

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内614頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

諸經要集一部廿卷[黄紙錦表綺緒紫檀軸綵帙錦縁浅緑裏緋羅帯之中一枚軸端折]
   右、自大唐法進師請來、
                  七歳六月廿五日上馬養
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内615頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月6日

記事

四分律一部六十巻[黄紙及表【綺緒】无帯漆軸]
    右、為用本、自元興寺<且>所請如件、
「(異筆)以五年八月十一日返送但誤云[請時書未合者]二年二月廿九日上馬養
                    「(異筆)使上馬甘 秦家主」
(紙継目)

出典

『大日本古文書』9(598頁~617頁の内616頁)(『正倉院文書』續々修15帙9)

「寫疏所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747)12月11日

記事

寫疏所解 申応寫疏事
  成唯識論疏二部[一部基法師撰十巻一部園測師撰廿卷]
  合応用紙二千六百九十<七十>張[黄紙一千九百【廿】〔【九十】卅〕張正用料廿張表紙〔黄紙〕六十張儲料凡紙六十張端【繼】纒紙等料]
    廿卷料紙一千【四百〓≪よんじゅう≫】七十張[一千【三百八十】張正用料十張表紙料【廿】卅張儲料凡紙【卅張】
    十巻料紙一千【二百五十】<【七十】>[【一千百九十】九百卅張正用料十張表紙料【廿】卅張儲料【卅張凡紙】]
以前二部疏可用紙等、顯注如前、謹解、
              天平十九年十二月十一日志斐「(自著麿」

出典

『大日本古文書』9(624頁)(『正倉院文書』正集43裏書)

「間寫經本納返帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)2月23日~天平勝宝(西暦749年)1年8月5日

記事

先一切經料黄荒紙借用帳
先一切經料黄荒紙借用帳[天平廿年二月廿三日以來用者]
二月廿三日出黄紙七張[二張着間弥勒經表紙料 五張着間唯識論疏表紙料]並受他田水主
知伊福部
三月廿四日出〈黄紙〉十一張[二張先一切經目録表料(紙脱下同じ)九張先一切經表料]  知上馬甘
同日〈白紙〉六十張[先一切經目録料]               知上馬甘
四月五日黄紙一張[先一切經表料]
十一月十一日出黄紙廿七張[進宮薬師所使下道主]
知上馬甘
廿九日出黄紙百八十張[返上卅九張 破一] 受他田水主
右、依良弁大德宣、奉寫十一面經十一卷料             知上馬甘
先一切經殘使便用合卅四枚
造仏塔功〈徳〉經二卷 溶像功徳經二卷 温室經二卷 孟蘭飯經二卷料
天平廿年十一月卅日他田水主
史生志斐
十二月廿日出眞弓紙廿
右、依政所宣、奉充安宿宮奉寫法花料、
知伊福部 下道主
黄紙六枚[二枚者内裏着唯識論 四枚田邊(眞人)測法師疏料 判官弥勒經料] 
天平勝寳元年七月十六日知鴨筆
他田水主
七月廿二日出黄紙五枚[依阿刀史生宣充大友廣國]
知鴨筆
閏五月十八日上黄紙十張[先一切經枚改料]       知酒主
以八月五日所定紙合二百■帳[六十張表紙者 百八十張黄荒紙者]
天平勝寳元年八月五日勘定

出典

『大日本古文書』10(120~122頁)(『正倉院文書』續々修2帙2)

「寫一切經所装〓≪さんずい+黄≫紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)5月2日~勝寶3年(西暦751年)5月13日

記事

六月廿六日納色紙八十九張[救護身命經百卷且來所]
  又自宮來松染紙十張[表料]
  又七月二日納麻紙三百七十張 又黄紙〓《よんじゅう》張
  又〓《よんじゅう》五張[表料 【自政所來十張】]已上【〓《よんじゅう》五】八十六張先一切經料便用
   右、廿年六月廿七日 依大倭少掾佐伯(今毛人)宿祢宣 所奉寫料
                     即充裝〓《さんずい+黄の旧字》能登忍人
                              知伊福部「(自著)男依」
                               他田水主
                              志斐「(自著)万呂」
(後略)

出典

『大日本古文書』10(266頁~270頁の内268頁~269頁)(『正倉院文書』續々修37帙4)

寫一切經所装〓≪さんずい+黄≫紙充帳

撰述日

天平20年(西暦748年)5月2日~勝寶3年(西暦751年)5月13日

記事

八月二日充裝〓《さんずい+黄の旧字》黄紙廿一張[先一切經料便用 並正用]外表紙一張[先一切經殘便用]
  右、依造寺次(官脱カ)佐伯宿祢八月二日宣 奉寫灌頂梵神策經二卷料
                            裝〓《さんずい+黄の旧字》能登忍人
(後略)

出典

『大日本古文書』10(266頁~270頁の内269頁)(『正倉院文書』續々修37帙4)

「寫一切經所装〓≪さんずい+黄≫紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)5月2日~勝寶3年(西暦751年)5月13日

記事

十一月廿日自内(裏脱カ)給出斐紙百卅張 寫因明論疏料
                           充裝〓《さんずい+黄の旧字》春日虫万呂 知他田水主
十一面經十一卷料黄紙百八十張[先一切經殘便用]
  右、依良弁大徳【今日】廿年十一月廿九日宣、奉寫料所前、充裝〓《さんずい+黄の旧字》能登忍人、
                           知史生志斐  他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』10(266頁~270頁の内270頁)(『正倉院文書』續々修37帙4)

「寫一切經所装〓≪さんずい+黄≫紙充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)5月2日~勝寶3年(西暦751年)5月13日

記事

卅日充黄紙卅四張先一切經殘便用者[依天平廿年十一月卅日<良弁大徳>宣所奉寫]
   寫間仰給 右遶仏塔功徳二卷 浴像功徳經二卷 温室經二卷
   盂蘭飯經二卷料如前受上同忍人
                           知史生史斐
                                     他田水主
(後略)

出典

『大日本古文書』10(266~270頁の内270頁)(『正倉院文書』續々修37帙4)

「經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748)5月27日

記事

大寶積經一部百廿卷
大集經一部卅卷[並黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙緋裏錦縁組帯牙籖十四枚 大集經第三帙无籖宮一切經者]
  納漆韓櫃一合敷布一條 又一經机一前 敷布二條[政所者]
   右、納少僧都良弁師天平勝寳五年四月十六日宣、奉請内裏[使上馬養、]

放光般若經一部[卅卷]大品般若經一部[〓《よんじゅう》卷]光讃般若經一部[十五巻]
又光讃般若經一部[十巻]摩訶般若鈔經一部[五卷]
道行般若經一部[十巻]小品般若經一部[十巻]勝天王般若經一部[七卷]
花嚴經一部[八十卷]已上黄紙及表綺緒紫檀軸竹繍帙緋裏錦縁組帶牙籖
花嚴經一部[六十卷]黄紙及表綺緒梨軸竹綵帙緋裏錦縁組帶
  納漆塗韓櫃二合敷布四條一切經机一前
   右、依少(良辨)僧都天平勝寳五年四月十八日宣、奉請内裏、
   使飽田石足 壹志豐人   知上馬甘

出典

『大日本古文書』10(275頁~284頁の内280頁~281頁)(『正倉院文書』續々修15帙5)

「一切經散帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年12月7日~天平21年3月3日

記事

成唯識論九巻[第一局常欠] [具帙占黄紙白檀軸]
       唐書者]
  右書以十九年十二月七日、内裏奉請如前、使高屋古令史(赤麻呂)、
                知田邊史生
                 志斐
                  他田水主
廿年正月十八日來六巻鈔三巻[第一][第三] [第二]又後來三巻[第四五六 白紙黄表(表黄カ)花軸綺緒]
  右為本奉請、使即田邊史生、[以四月三日返奉了、知田邊史生
                      納小櫃一合 白筥一合
                       又白折櫃一合]
                知伊福部  阿刀  受水主[使沙弥]
  六巻鈔一部[十九巻]  [唐道宣師者]   先使奉家主
       黄紙表朱軸綺緒]

 右以十九年三月奉(請)、以廿年二月十二日返奉如前、使他田水主、
                天平廿年二月十二日他田水主
                        志斐
  又一之二一巻 右書、為図奉請、以天平廿一年三月三日返送、使他田水主、
   専受納慧雲師[即彼所書司者]

出典

『大日本古文書』10(553頁~554頁)(『正倉院文書』正集一裏書)

「經師等紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平21年(749)3月27日~天平勝寳7年(755)2月28日 

記事

 <紙継目>
「(異筆充)」法花玄贊紙
   忍海廣次[三年六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿四日〔廿〕廿五日〔筆〕廿六日〔廿二〕
  廿八日〔廿〕廿九日〔廿〕朱沙一両七月二日一両七月四日〔廿 筆〕六日〔廿〕十日〔廿〕十一
    日〔廿二〕十九日〔廿廿 十廿〕七日朱沙三分一銖 合請紙二百廿四張之中〔見用 二十四反上十〕]
   建部廣足[六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿三日〔廿〕十五日〔廿 筆〕七月一日〔廿二〕]
    八日〔廿 筆又鹿毛一〕五日〔廿〕七日〔廿〕十二日〔廿〕十三日〔廿〕十五日〔廿〕廿一日〔廿〕廿二日〔廿〕廿五
    日〔廿〕合請紙二百八十張之中〔見用二百六十四張 反上十四張 空二張〕]
   志紀久比万呂[六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿三日〔廿〕廿四〔廿七張〕廿五日〔筆〕朱
     沙先充〔二分〕次〔二分筆〕七月十一日〔十九〕十二日〔廿〕十三日〔廿〕十四日〔廿〕十六日〔廿一〕
     又〔廿〕十八日〔廿〕廿一日〔廿〕廿八日〔七十〕合請紙二百〓≪よんじゅう≫五〔見寫用二百二十五<六> 破八 空二 反上十〕]
   鴨筆[六月廿一日充黄紙〔廿 筆一墨一廷〕廿三日〔廿〕廿五日〔九張〕廿七日〔廿〕筆又鹿毛一
    七月五日〔廿二〕十日〔廿〕十二日〔廿〕十九日〔十四〕卅日〔六〕]

     天平勝宝三年五月九日依善光尼公宣所奉寫料者
                      他田水主

出典

『大日本古文書』10(554頁~588頁の内558頁~559頁)(『正倉院文書』続々修三十四帙六)

「經師等紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平21年(749)3月27日~天平勝寳7年(755)2月28日 

記事

梵網經〓≪足偏+流の旁≫紙充
   忍海廣次充黄表紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅四 返上六]已上第一巻料上了
   建部廣足充黄紙廿張[長]八月六日[廿正用卅七 返上三]已上下巻本料
   志紀昨万呂充黄紙廿張[長]
   大原魚次充廿張[長]

出典

『大日本古文書』10(554頁~588頁の内559頁)(『正倉院文書』続々修三十四帙六)

「寫經所經疏紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)7月16日

記事

七月廿二日出黄紙五枚[依阿刀史生口状充大友廣國已訖]
                        鴨書手

出典

『大日本古文書』11(1頁~2頁の内2頁)(『正倉院文書』續々修37帙9)

「寫經所經疏紙出納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)7月16日

記事

先一切經遺白紙合千三百八十五張[二百廿未打 之中令繼四百五十五張]
  黄紙百六十三張[令繼]
  破三百五十張
           天平勝寳元年八月五日勘校常世
                      史生阿(刀)

出典

『大日本古文書』11(1頁~2頁の内2頁)(『正倉院文書』續々修37帙9)

「請處々疏本帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月17日

記事

大乘義記一部十五卷[慶記師書者 黄紙白表漆塗軸无緒]
  「(異筆)天平勝寳二年九月廿四日、付僧敬備送遣已訖、[知賀茂筆]」
                天平勝寳元(年)九月三日知史生阿刀
                            村山首万呂

出典

『大日本古文書』11(39頁~42頁の内41頁)(『正倉院文書』續々修十五帙七)

「檢定經并雜物等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶元年(西暦749年)8月19日

記事

(紙継目)
(前略)
依間仰給奉寫經納櫃
  多心經七百六十八卷[複廿六卷 天平廿一年料] 法花經十部
  千手經廿一卷                又法花經一部[唐本者]
  理趣經一卷                 新翻藥師經二卷[不知本□(主カ)]
  圖書寮經一【卷】帙[卅一卷]          浴像功德經二卷
  盂蘭飯經二卷                温室經二卷
  最勝王經二部[並未寫了 十四卷緑紙]     樞要四卷
  一切經音義二部十卷[一部唐本 一部今寫]   十輪經一部十卷[胡桃染紙帙□(占カ)具]
  唯識論測法師疏二卷             金光明經疏八卷[元暁師撰]
  三卷鈔三卷[一卷上 二卷下]         六卷鈔一部六卷
  十一面經疏一卷               尊勝琳(珠)林序二卷[一卷未装〓≪さんずい+黄≫]
  四分律鈔第二卷
(中略)
又雜經納經[第二者]
  雜經十二帙[百卅三卷 无表卅四卷 表破卅卷] 雜寳藏經十卷
  賢愚經十七卷                因果經五卷
  普耀經八卷[已上胡桃染紙者]         六門陀羅尼經十卷
  高王觀世音經十卷              多心經十卷
  无常經十卷                 千手經二卷[緑紙]
  法花經三部[欠一卷第三卷者]         增一阿含經二卷[重寫者未装]
  金剛般若經一卷[无緒軸]
  法花經一部八卷               摩訶摩耶經一卷
  千手經一卷                 淨飯王經一卷
(中略)
多心經遺紙納櫃             緑紙五十七張[黄表紙五十三張]
  合一千三百九張[此心經料]        白紙二百十六枚[放捨表百九十六枚]
                     宮一切經料黄紙九百八枚 胡桃染紙廿張

(中略)
間經遺紙納櫃
  最勝王殘一千百五十七(マヽ)張[三百五十七張未繼 百〓≪よんじゅう≫三張借用田邊判官]
  又打紙百廿六張[〓≪よんじゅう≫三張黄紙]      紫紙十五張
  軸六枚[梨]              廿一部花嚴經表料黄紙百六十八張
雜物納櫃
  厨子覆六【合】領[二領黑紫 二領練綿入 二領橡子綿入]  練帳一条[三副]
  布四条[一条長二丈五尺 一条長一丈七尺 二条各長一丈三尺] 布綱四条[長五尺]
  染塗軸二百五十枚         疏軸二百六十四枚
  經軸三百廿五枚          綺緒二百七十七丈二尺[十一丈一尺緑綺]
  占一百枚             帙三枚[一枚占在]
(後略)

出典

『大日本古文書』11(42頁~49頁の内43頁~47頁)(『正倉院文書』續々修十四帙八)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶二年(西暦750年)2月28日

記事

(前略)
  天平十九年十二月五日受黄麻紙六百張[唯識論測法師疏料 他田水主 充丈部曾祢万呂]
  自政所來黄紙四百張[唯識論疏料者 宛曾祢万呂]天平勝寳元年九月八日村山首万呂
  自政所受來紙八百五十五張[八百張者經師 五十五張者凡紙]海龍王經料者
    右、依天平勝寳二年二月廿七日玄蕃頭市原王宣、奉寫料、
             天平勝寳二年二月廿八日賀茂書手
(後略)

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内157頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶二年(西暦750年)2月28日

記事

(前略)
  无量義經一百卷料納貳仟伯拾肆張[經紙并空破料 乘百十六張[先巾員外]之中凡九百八張端繼等料]
   黄紙六十張[表紙料]  受丹比眞公
               天平勝寳二年九月十二日他田水主
     布施物充了              知史生阿刀
              同月十六日充装〓≪さんずい+黄≫能登忍人
                       治田石万呂
(後略)

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内158頁~159頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「装〓≪さんずい+黄≫受紙墨軸等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)2月28日

記事

 天平勝寳四年  (紙継目)
   縹紙廿張  黄紙廿張[納漆不塗黒葛筥并足別卑机以三日 納奉寫經奉進内裏]
    右仏頂尊勝陀羅尼經二卷料[用廿破五殘十五枚 即奉進内裏]
     依少僧都(良辨)宣所奉寫者 充装〓≪さんずい+黄≫春日虫万呂
                天平勝寳四年正月一日他田
                        三嶋
                        鴨
                      「(自著)知呉原生人」

出典

『大日本古文書』11(156頁~169頁の内166頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)3月3日

記事

「(端裏書)千部用仁王疏反上」
  造東大寺司  牒岡本寺
   奉請法花經壹佰玖拾部[千部之内者 橡表【黄】紙漆塗軸]納〓≪木+貴≫六合<无〓≪金+巣≫>
    帙【壹】佰玖拾枚[【百卅二枚千部内 五十八枚以宮一切經料借用】]
     竹帙百卅二枚千部内[ 錦縁緋裏八十六枚拾組緒卅六枚紫緒]
     繍帙五十八枚一【二】切經料借着[錦縁緋<裏>紫緒]
  牒、依紫微中臺今月二日牒旨、奉請如前、故牒、
           天平勝寳二年三月三日主典從八位下美努連(奥麻呂)
                    判官正七位下田邊史(眞人)
(後略)

出典

『大日本古文書』11(176頁~177頁)(『正倉院文書』續々修十六帙三)

「寫書所紙軸緒装〓≪さんずい+黄≫充納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)5月3日

記事

(前略)
  同月廿一日充黄紙五百七十張[宮一切經所欠料者 充能登忍人]
  打春日虫万呂五月廿五日界上二百張[忍人 収水主]廿七日界上三百六十九張[之中〓≪よんじゅう≫[張収水主 収生人]
(後略)

出典

『大日本古文書』11(236頁~241頁の内237頁)(『正倉院文書』續々修廿八帙十三)

「寫書所紙軸緒装〓≪さんずい+黄≫充納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)5月3日

記事

  七歳八月五日充黄表紙四張又一張[常疏料]
    十二月廿二日充黄紙十張[諸經要集表紙料]

出典

『大日本古文書』11(236頁~241頁の内240頁~241頁)(『正倉院文書』續々修廿八帙十三)

「紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月1日

記事

(第一紙)
小長谷金村
天平勝寳二年七月一日[廿又二]五日[廿]<筆墨半廷>十八日[廿]廿一日[廿]廿五日[廿]七月廿
八日[〓≪よんじゅう≫又十七]三年正月六日[卅]四月十四日[廿 墨半廷]五月九日[廿]十四日[廿 筆]十九
日[廿]合八十張[正用七十返十]已上十地論疏第二卷料
(中略)
              八日[廿四]十日[廿]合〓≪よんじゅう≫四張[正用〓≪よんじゅう≫一張 破二返上一]已上四分
律疏第五卷料十三日[廿一正用廿一張筆]已上一乘教分記中卷料[墨三分之一]七月六
日[廿]間人道嶋受〓≪よんじゅう≫合六十張[五十一張正用 破七返上二]已上四分律疏第十六卷料 七
月九日[廿]廿七日[廿二又廿一]合六十三張[既正用]已上入楞伽經疏第二卷料 
八月二日[卅七]十二日廣成受[廿]合五十七張[正用〓≪よんじゅう≫張 返上十二]已上楞伽經疏第三卷料
八月十七日[廿]廿三日[廿墨一廷]九月二日[廿]合六十張[正用〓≪よんじゅう≫五 返上十五]已上梵網經
疏上卷料四日[廿筆]廿四日[廿]十月十一日黄紙[廿]十一月四日[廿]七日[廿]十五
日大般涅槃述賛紙[廿]十七日[墨一廷小]合受紙百廿張[五十七張僧祇律二卷正用 五十一張大般若槃經述賛十二卷正用]
(中略)
三月五日[廿]十五日[廿]廿日紙[廿墨一廷小筆]閏三月廿<四>日合六十四枚[用六十七 乘紙三]
已上大智度論第三卷料廿一日[廿]四月十七日[廿]廿一日[筆墨半□(廷)]合〓≪よんじゅう≫
張[正用卅四 返六]已上四分律疏第七卷料 五月七日[廿]已上四分律抄記第十卷
料 六月四日[廿]十日[廿]合〓≪よんじゅう≫張[用正卅二 空一破一 返上六]廿四日[〓≪よんじゅう≫正(用)卅一 返上九]廿七
日[廿]七月六日[充 墨三分之二筆紙廿]合〓≪よんじゅう≫張[正用卅三 返上七]已上顯揚論疏第三卷末料 八
月廿五日 十一月十三日[廿又四]合廿四張[正用廿一 返上七]已上禪祕要法一卷料 十一月
十八日[廿]十二月七日[廿]十三日[廿]已上維摩第卷[用六十]十八日[廿]〓≪よんじゅう≫張[用卅二張 反上八]
上廿八日 同日[廿] 
(中略)
五年正月七日[筆]十日[十五]十四日[七]已上金剛般若論本下卷[用卅七 空一 返上四]十
四日黄紙六廿八日[廿]二月四日[廿二]〓≪よんじゅう≫二張[用卅八張 反上四張]已上金(光脱)明經纂決二卷料
七日[廿]十六日<已上中觀記一卷料>[廿]十九日[十五]廿一日[廿]廿二日[筆 用十八張一 返上二破]已上安樂集下
卷料 上三月六日 五月廿一日[廿]六月廿日[墨三分一] 合〓≪よんじゅう≫三張[用卅六張 破七]廿三
日[十三]廿六日[廿]合卅三[用廿八(マヽ)空一 返五]七月一日[廿枚]五日[廿]十三日[廿]合〓≪よんじゅう≫[用卅二張 空一返上七]八
月十日[廿]廿四日[廿]用〓≪よんじゅう≫六張[返上八]
(後略)

出典

『大日本古文書』11(300頁~323頁の内300頁~303頁)(『正倉院文書』續々修三十六帙ニ)

「紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月1日

記事

(第四紙)
高野廣成
天平勝寳三年正月廿二日[廿]廿九日[廿一]二月四日[廿]三月廿三日[廿]四月十二
日[廿]十七日[廿]廿九日[廿]五月四日[廿]九日[十二]上五月十一日[正用卅九張]已上无
量義經<疏>第三卷料十五日[廿筆]廿日[廿 墨半廷]正用卅五[返上五]已上仁王(經脱)疏下卷料
六月六日[廿]十一日[廿]十五日[九]合〓≪よんじゅう≫九[正用五十四 空一返五]已上入楞(伽脱)經疏第五【帙】卷料廿七日[廿四]
八月二日[廿]八日[廿]十二日[「(擦消)廿」 墨一廷]合六十四張[正用五十八(マヽ) 破一 返上七]已上法華疏第二卷料
          合五十枚[正用〓≪よんじゅう≫七 破二]已上法華疏第卷(マヽ)料
八月廿一日[七]廿二日[〓≪よんじゅう≫]九月五日[充]梵網經疏紙[廿]十一日[廿]廿四日上用卅九
張[空一]十月十一日黄紙[廿]廿五日[十七]廿六日[廿]廿九日[廿]十一月五日[廿]上
廿七日[正用八十九張 返上五 破三]已上僧祇律第五二九卷料
(後略)

出典

『大日本古文書』11(300頁~323頁の内306頁)(『正倉院文書』續々修三十六帙ニ)

「紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月1日

記事

(第六紙)
【若犬甘木積】 阿刀宅足
【天平勝寳三年五月九日紙[廿]】
天平勝寳三年五月十七日[筆]十九日[廿 已上他人名入者]廿五日[廿]廿八日[九]
六月一日[廿墨小]合〓≪よんじゅう≫九張[正用卅八 返上十[見上二 未九可檢]已上四分疏第十三卷料]十二月九日
[【廿】十 古筆墨一寸]十一日[廿]四年正月廿五日[廿]合五十張已上涅槃經抄  (マヽ)料 十
二月一日[廿 墨半廷]十二日[廿]合〓≪よんじゅう≫張[用紙廿七張 反上十二 破一]已上維摩經疏第四卷料 十
四日[廿]金剛般若経疏[用十八 反上二]上十八日 同日[〓≪よんじゅう≫]合〓≪よんじゅう≫張[用廿九 反上十一] 已上金剛
般若経疏上卷料上廿四日同日[充廿]五年正月五日[廿]合〓≪よんじゅう≫張[用卅九張 空一]已上金
剛般若經疏中卷料 廿一日[三]合十二張[用十一張 反上一]已上兩卷經剛目料上廿六
日同日[充廿]二月二日[廿]用〓≪よんじゅう≫張[光金明纂決第一卷料 上二月八日]同日[充【廿】九]十二日[廿]用十七
枚[明(マヽ)大乘理一卷料 返上十二枚同日充廿二]十八日[十三]合卅(三脱カ)張[用廿五張 反上八]已上六十一見章一卷上
十九日同日[黄紙【廿五】十一]廿日[五]廿四日[十五]合〓≪よんじゅう≫張[用卅三張 破三反上五]已上法花論一卷料
上廿五日同日[六]

出典

『大日本古文書』11(300頁~323頁の内308頁~309頁)(『正倉院文書』續々修三十六帙ニ)

「紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月1日

記事

(第十紙)
□(三)嶋岡万呂
天平勝寳三年五月三日[廿]十九日[廿]十九日[廿]廿三日[四]用〓≪よんじゅう≫二張[返上二]已上
无量義疏第二卷料廿七日黄紙[廿]【廿八日】「*卅日」[「*廿」又二]用〓≪よんじゅう≫張[破二]已上悲華經<二卷>料第
六廿七廿
(中略)(前略)
二月十二日充紙廿枚十四日[上]合八十張[第五卷正用卅張六卷用〓≪よんじゅう≫二張 反上八張]五月十
七日[廿]廿一日[廿]廿六日[廿]六月三日[廿]合八十張[用六十二 返十八]六月四日[十八]合卅
張[用廿八反上一 空一]廿日[廿]廿七日[十三]<未勘>廿八日[廿]卅日墨端[又十八合卅八張[用廿七 返上]
七月十一日[廿]十七日[筆觀世料]廿六日[疏廿]合五十三張[用卅八 返上十五]廿七日[十六]
六年九月廿七日[廿]十月十六日[廿]閏十月六日[廿]同月廿四日[廿]十一月九日[廿]
(後略)

出典

『大日本古文書』11(300頁~323頁の内312頁~313頁)(『正倉院文書』續々修三十六帙ニ)

「紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月1日

記事

(第十一紙)
若倭部益國
天平勝寳三年六月三日紙[廿]五日[廿]用卅四張已上四分律第二卷料[返上六
黄紙十八 上合正用者[以上悲華經第十卷料]
天平勝寳四年閏三月十九日[廿]四月十二日[十五]廿一日[廿 已上六卷抄料 反上十四即充]
廿六日[廿]五月三日[廿]九日[廿]

出典

『大日本古文書』11(300頁~323頁の内313頁~314頁)(『正倉院文書』續々修三十六帙ニ)

「紙筆墨充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月1日

記事

(前略)
(第十七紙)
敦賀石川
天平勝寳三年五月十八日紙[廿 墨半廷]廿六日[【廿三】五]同〓≪よんじゅう≫一張[岡大津十七空一 石川廿四返上一 已上
花嚴苑恵師疏第二卷料]卅日[黄紙廿]上合正用十九[反上一]已上悲華經第九卷
料十一月廿日大般涅槃疏紙[廿 墨小]正月廿五日[〓≪よんじゅう≫]合受紙六十張[用五十八張 反上二張]上二
月十二日同日[廿]三月十七日[廿]四月十七日充墨半 八月廿二日[廿]九月廿九
日[廿]合受紙〓≪よんじゅう≫張[用卅五 反上五]已上顯揚論疏料十一月廿三日[廿]「(擦消)筆■一」墨半廷十
二月一日[廿]合五十九張[用五十三張 反上六張]五年正月廿六日[廿]七月廿七日[筆墨端]八
月二日[廿]十一月十二日[廿]用廿八張[反上十]十六日[廿]廿五日[廿]合〓≪よんじゅう≫張[用卅一 反上九]
已上起信論疏下卷料
(後略)

出典

『大日本古文書』11(300頁~323頁の内319頁~320頁)(『正倉院文書』續々修三十六帙ニ)

「經紙并表紙用張」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月18日

記事


  用經紙并表紙事
   八月廿九日二枚<黄表紙>[以阿刀史生状用者 受大宅家長]廿三日四枚[橡 着間法花]又阿刀史生一枚半[橡]又着番(蕃)玄宮(市原王)御書一枚[橡]九月八日四枚[橡着雀部案主經者]九月二日五枚[橡着基法(師)疏者]又九月十日廿八張[黄紙着疏表紙受村山]十四日二枚[黄紙者]【之中二枚破半員矣】又二枚[橡着目録者]又六枚[經黄紙田邊(眞人)判官救護經料者]

出典

『大日本古文書』11(330頁~331頁の内330頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙九)

「經紙并表紙用張」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月18日

記事

 黄表紙五張[右依十月四日田邊判官宣知寺<此寺之>所進上如件]
  經黄紙二枚[衛士苻(府)河内者寫心經用者]後一切經所欠寫二枚[經紙黄者]

出典

『大日本古文書』11(330頁~331頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙九)

「經紙并表紙用張」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月18日

記事

 二年七月十八日一丈五尺[右着阿刀史生私經用者 筆]
  九月一日出黄麻紙六張[着間唯識論圓測師疏六卷料]他田水主
   四日出橡表紙十五張[着〓≪卅上下≫(涅槃)義記疏十五卷]鴨筆
  十二月廿【八】七日出黄紙十張[宮一切經表紙料便用]他田水主

出典

『大日本古文書』11(330頁~331頁の内331頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙九)

「經紙并表紙用張」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月18日

記事

 天平勝寳三年二月廿日出黄紙廿一張[着常疏〓≪よんじゅう≫三卷料]
                     受久米家足
  三月廿一日出黄紙五張[着常疏便用受丹比眞公]知他田水主[充他田水主 下道主]  

出典

『大日本古文書』11(330頁~331頁の内331頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙九)

「本經論返送注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)7月29日

記事

 合四百冊【一】三卷[以外目録一卷]
  花嚴經七帙[七十卷漢手黄紙及表【繍帙】竹綵帙緋<綾>裏錦縁紫檀軸<綺帶>新譯
   又五帙[五十卷漢手黄紙及表竹帙二枚緋裏朱頂軸] 舊譯
   又六帙[六十卷漢手黄紙及表竹帙<綺帶>錦縁緋裏朱軸  舊譯
  法花經一部[八卷漢手黄紙及表竹帙錦縁緋<綾>裏白檀軸綺帶]
  十輪經一帙[十卷漢手黄紙及表【繍】竹綵帙白檀軸綺帯]
  新翻藥師經二卷[黄紙及表紫綺緒黒柿軸]
  心經一卷[白紙及表漆軸 故兵部卿(大伴牛養)手]
 
  雜經四卷[藥師經一卷 大仏頂經一卷 觀世經一卷 並漆軸 觀世經一卷 朱軸]
  遺敎經一卷[漢手黄紙及表〓≪あしぎぬ≫帶朱頂軸]
  順正理論八帙[【七十九卷】漢手黄紙及表竹<綺帶>縫帙錦縁三枚緋裏【四】五枚縁裏花軸金字題 欠四帙第六卷 牙占]

 顯宗論四帙[【卅七卷】漢手黄紙及表竹帙錦縁三枚緋<綾>裏一枚縁裏花軸金字題牙占 欠一帙第三九十卷]

 大智度論十帙[百卷漢手黄紙及表【繍帙】綺帶竹綵帙錦縁緋<綾>裏白檀軸帙<牙占>一枚无占]
  梵網經一卷[漢手黄紙及表白(マヽ)檀軸綺帶印]
  内裏經
  花嚴經第一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒沈軸竹帙錦縁紫裏紫(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 十輪經一帙[十卷胡桃紙紫羅表綺緒紫檀軸竹帙紫縁錦裏(〓≪手偏+畷の旁≫)組帶

 經論目録一卷[白紙无表及緒軸]「(追筆)已上納櫃一合」

 以前、為將用本、奉請件經、今依先數、奉返如前、
            天平勝寳二年七月廿九日

出典

『大日本古文書』11(353頁~354頁)(『正倉院文書』續々修十六帙四)

「經本并納紙檢定帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)8月15日

記事

(前略)
  天平勝寳三年正月廿九日自政所納黄紙六十張[依佐味命婦宣奉寫法花玄賛第一卷料者]
    五十一張正用  一張表紙  一張空  三張破  遺四張

 梵網經二卷<觀>无量壽經一卷料紫紙六十七張[佐伯次官私經料者]
    正用六十張 二張表紙 一張破 遺四枚[以三年四月四日奉進内裏一張]

(後略)

出典

『大日本古文書』11(363頁~366頁の内365頁)(『正倉院文書』續々修三十七帙四)

「造東寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)9月29日

記事

造東寺司 牒 笠山寺三綱所
奉請陀羅尼集經之第十一卷[紫微中臺御願一切經内者 黄紙及表綺帶紫檀軸]
  右、得舍人物部益万呂<ロ>状云、上件經先奉請【宮中】於内裏、彼今探覓【官】宮中、都无所得、
  望請便借寺家經者<期日尤近欲奉請>、司依申状、令奉請如前<即付万益呂>、乞察【事】此趣、事畢早速【即付益万
  呂】還令請之、以牒、
   判ノ美努(奥麻呂)主典     九月廿九日

出典

『大日本古文書』11(418頁~419頁)(『正倉院文書』續々修十六帙三)

「寫疏裝〓≪さんずい+黄≫造紙上帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶2年(西暦750年)11月13日

記事

(紙端)
□□□(長方形抜け)部□(廿)卷[用紙□□□(長方形後半抜け)]
倶舍論疏十七卷[用紙七百九十五張]明三階仏法二卷[上下 用八十三枚]
十因四縁五果章一卷[用卅三]顯揚論疏一卷[用十五] 略<説>教誡經疏一卷[用十八]
天請問經疏一卷[用十三]問答一卷[用廿六]成業論疏一卷[用〓≪よんじゅう≫七]
末那四或聊以八重分別一卷[用十張]中有一卷[用十六]
   已上〓≪よんじゅう≫【六】七卷受小治田人君 合用紙千六百卅二張[上二年二月三日 収水主]
(中略)
右、<依>件疏表紙不足、借用千部法花料黄紙廿八枚、又間所仰給唯識論疏料
三張、     天平勝寳元年九月五日  村山首万呂
                      知常世
(後略) 

出典

『大日本古文書』11(422頁~427頁の内422頁~424頁)(『正倉院文書』續々修二十八帙十三)

「寫經奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)3月13日

記事

奉請經合壹伯玖卷[帙十一枚各着占 納漆塗辛櫃一合 敷布一条]
   法華經十一部八十八卷[十部八十卷黄紙百部之内 一部八卷紫紙以銀墨奉寫者]
   无量義經廿一卷[廿卷黄紙百部之内 一卷紫紙以銀墨奉寫]
             天平勝寳三年三月十三日

出典

『大日本古文書』11(499頁~500頁)(『正倉院文書』續々修十六帙九)

「經疏奉請檢受帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)3月25日

記事

 自光藏師所奉請論并疏五卷
   十二因縁論一卷[内在三卷論 黄紙及表紫檀軸赤綺緒]
   大乗菩薩入道三種觀一卷[白紙黄表綺緒无軸]
   成唯(識脱カ)論貶量三卷[第一 十四 廿三卷者 白紙及表无緒軸]
            天平勝寳三年三月廿九日檢受他田水主                                                 田部乙成
                         倭人足

出典

『大日本古文書』11(503頁~504頁)(『正倉院文書』續々修16帙6)

「造東寺司請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)5月22日

記事

造東寺司
  雜阿含經一部五十卷[黄紙及表緑緒朱軸]紙帙
   納漆塗箱一合   帛巾一條[並岡寺]
    右、以大德宣、奉請如前、
         天平勝寳三年五月廿二日
             次官正五位上兼行大倭介佐伯宿祢「(自著)今毛人」
(後略) 

出典

『大日本古文書』11(556頁~557頁)(『正倉院文書』續々修四十二帙五裏)

「呉原生人藥師經奉請文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年)6月8日

記事

藥師經百卷[〓《よんじゅう》巻花軸六十卷梨軸並黄紙及表〓《糸+六+可》緒[十巻新翻者]]
  綵帙十枚[町方錦縁地赤着緋裏]
以前依次官佐伯宿祢勝寶三年六月八日宣奉請如前[付臺舎人沼江道足并敦賀石川等]
                天平勝寶三年六月八日呉原生人
          「(異筆)判令請主典紀朝臣(池主)」
  「(又異筆)同日奉返了」                         

出典

『大日本古文書』12(1頁~2頁の内2頁)(『正倉院文書』)

「借奉請經疏目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶3年(西暦751年付)8月3日

記事

借奉請經             
                                            「(異筆)竹帙一[錦縁緋綾裏]」「(異筆)奏了」
維摩<詰>經十卷[欠第六見九  「*九櫃」黄紙及表綺帶朱頂軸]十无盡〓經一卷[第□□□(長方形後半抜け)朱□□□(長方形後半抜け)]
仏説神符經一卷[紺紙金銀字赤紫綾表黑縁綾裏黄帶□□□(長方形後半抜け)「(異筆)奏了」       「(異筆)十櫃」]
子注般若經一卷[黄紙及綺帶朱軸「*十櫃」]
涅槃經〓《足+流の旁》二卷[竺道生 在印白紙无軸第十二]又仏性章一卷[□□□(長方形後半抜け)□□□(長方形後半抜け)]
弥勒成仏<下生>經〓《足偏+流の旁》一卷[在印白紙漆軸十二櫃]摩訶般若波羅蜜□□□(長方形後半抜け)
                            天平勝寶三年八月三日他田□□(水主)
      玄蕃頭王(市原王)                         阿□(刀)□□

出典

『大日本古文書』12(39頁~40頁(『正倉院文書』續々修16帙4)

「装〓《さんずい+黄》春日虫麻呂手實」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝3年(西暦751年)10月22日

記事

春日虫麻呂解 造間疏用紙事
合三千九百八十<五>張[法花玄贊疏久木<紙三>千張 造繼打界三度 梵網經疏四卷用紙二百六十五張端切一度]
五月十四日梵網經疏用紙七百廿張[成繼打界三度]

春日虫万呂解 造宮一切經黄紙
  合一千六十張[繼四百九十張打五百七十張]
又更佐保判師法花經〈紙〉六百八十張[六百張打界二度成八十張六人部荒炭相一部文造]
                   天平勝寶三年十月廿二日

出典

『大日本古文書』12(172頁~173頁の内173頁)(『正倉院文書』續々修27帙3)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

「(題籖表裏同文)自所々請來經帳」
如法經
合壹拾貳部貳佰參拾卷[黄紙及表〓《木偏+聖》軸紫緒〓《竹冠+秋》〓《竹冠+處の異体字》帙紅深染裏紫縁並紵者]
  花嚴經二部[一部六十六卷 一部八十卷]
  法華經八部[六十四卷]
  最勝王經二部[廿卷]
荘嚴物合十七種
  墟三具[並彩色]
  盖三覆[並表紫裏緋別副二條]
  經覆六條[三條表紫裏紅 三條紅]
  敷布六條[並紅]
  經櫃三合[並塗黑漆]
  覆明櫃三口
  小幡十旒[並紅]
以前以天平勝寳四年五月十五日從珎努宮奉請如前
         天平勝寳四年五月十六日主典從七位上阿刀連(酒主)
次官正五位上兼行下總員外介佐伯宿祢(今毛人) 判官正六位上勲十二等大藏伊美吉(萬里)
                判官從六位下阿倍朝臣(眞道)
                主典從七位下美努連(奥麿)
                主典從七位下紀朝臣(池主)
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内287頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
法花經一部八卷[黄紙及表綺緒紫檀軸〈木繪〉竹帙淺緑裏及帶錦縁]
梵網經一卷 頭陀經一卷[並縹絹外淺紫錦表及綺牙軸用銀墨寫 表裏坐仏像]
  右以天平勝寳四年六月廿二日新羅國使人等所奉請者
             六月廿二日呉原生人

(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内288頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
(紙繼目)
注大品經五十卷[黄紙及表綺緒朱軸紙帙帛結緒]
文殊師利現寳藏經二卷  提謂經二卷
善辟〓《ボサツ》經二卷  毘羅三昧經二卷[黄紙及表綺緒漆軸紙帙已上水主親王宮經者]
  右以天平勝寳六年二月廿三日從藤原北家請來
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内289頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

法華經一部  最勝王經二部廿卷[並黄紙及表綺緒紫〈檀〉軸麁帙緋裏縁錦]
薩遮尼乾子經一部十卷[黄紙及表綺緒朱軸綵帙緋綾裏錦縁]
  右以二月廿七日自圖書寮請來[安置花嚴厨子]
             已上並收納呉原生人
(紙繼目)
(後略)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内290頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「自所々請來經帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)5月16日

記事

(前略)
「(忍人筆)灌頂經一部十二卷[黄紙及表綺帶木繪軸]
   綵帙壹枚[緋地臈纈裏紫縁及結緒]
    右以六月廿一日奉請如件
            願主越前國足羽郡江下郷生江臣家道女
  以前經并論等依來數検納如件
                   上村主「(自署)馬養」
                   能登忍人
             判官川内畫師(祖足)

出典

『大日本古文書』12(286頁~293頁の内291頁~293頁)(『正倉院文書』續々修15帙8)

「經紙并軸緒納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)7月12日

記事

(前略)


四月八日納百七十二張[黄紙七十二張表紙料 麻紙百張十六部法花經空破料]
                     上馬養
十二日白麻紙六十八張
  右善光尼師雜經料
                    呉原生人

(後略)

出典

『大日本古文書』12(333頁~342頁のうち337頁~339頁)(『正倉院文書』續々修37帙5)

「寫書所經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)12月26日

記事

木患(〓《木+患》)子經一卷[黄紙及表表綺緒紫檀軸 宮一切(經脱)之内納漆塗小函一合]
  右依次官佐伯宿祢(今毛人)判官石川朝臣(豊麿)之天平勝寳五年四月二日宣奉請紫微中臺付舍人雲宅道
                   知上馬養

出典

『大日本古文書』12(386頁~391頁の内389頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫書所經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)12月26日

記事

大般若經壹部[六百卷 黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙錦縁組帶牙籤納漆辛櫃二合敷布二條]
  右依次官佐伯宿祢判官上毛野君天平勝寳五年五月六日宣付資人下
  毛野君加志万呂令奉請故大納言巨勢卿(奈氏麿)宅者
                   知上馬養

出典

『大日本古文書』12(386頁~391頁の内390頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫書所經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)12月26日

記事

倶舍論一部[卅卷之中下帙第六卷欠 黄紙及表綺緒赤木軸竹<帙>牙籤]
又疏二部卅卷[一部十五卷光法師 白紙黄表綺緒梨軸竹繍帙 一部十五卷法寳師 白紙黄表綺緒梨軸竹繍帙]
  右以天平勝寳五年五月十四日<令>請智憬師並敎輪師所付僧勝光
                 呉原
                 上馬甘

出典

『大日本古文書』12(386頁~391頁の内390頁~391頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫書所經疏奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳4年(西暦752年)12月26日

記事

如意輪陀羅尼經一卷[黄紙及表紫檀軸綺緒 一切經内者]
  右依伊豆内侍天平勝寳五年六月四日宣奉請神榮師所[使斐陀益君]
                   知呉原生人
  奉宣次官佐伯宿祢

出典

『大日本古文書』12(386頁~391頁の内391頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「仁王經奉請檢受注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月12日

記事

仁王經卅七部[卅六六部並黄紙及表綺緒朱軸一部黄紙及表綺緒无軸]
  竹綵帙十三枚[並緋裏錦縁〓《手+畷の旁》組帶]
   右自藥師寺奉請如前
              三月十二日検受呉原生人
「(馬養筆)仁王經一部[二卷]
  右以五年四月廿七日令<奉>請下毛寺付僧神裕 知上馬養」

出典

『大日本古文書』12(425頁)(『正倉院文書』續々修16帙6)

「呉原生人仁王經注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月22日

記事

仁王經十部廿卷[黄紙及表綺緒朱軸]又九部十七卷
  [十卷黄紙及表朱軸綺緒 七卷黄紙及表漆軸之中二卷□(紅カ)緒四卷綺緒]
            三月廿二日呉原生□(人)

出典

『大日本古文書』12(426頁~427頁の内427頁)(『正倉院文書』續々修14帙7)

「仁王經散帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)3月23日

記事

仁王經散帳
仁王經一部二卷[黄紙及表綺緒漆軸内堂]疏二部[一部元(玄)範師撰白紙黄表綺緒梨軸]
  [一部慧靜師撰白紙未裝〓《さんずい+黄》]
   右以三月廿三日奉請仁王講師山階寺僧善珠師所受阿刀主典
仁王經十三部[内部]
  右奉請金光明寺講師等所
                呉原生人

出典

『大日本古文書』12(427頁~428頁の内427頁)(『正倉院文書』續々修9帙9)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

放光般若経一部[卅卷]      大品般若經一部[□□□(長方形抜け)]
光讚般若經一部[十五卷]     又光讚般若經一部[□□□(長方形抜け)]
摩訶般若鈔經一部[五卷]     道行般若經一部[十卷]
小品般若經一部[十卷]      勝天王般若經一部[七卷]
花嚴經一部[八十卷 已上黄紙及表綺緒紫檀軸竹繍帙緋裏錦縁組帶牙籤]
  「*右以廿一日奉返如前[收馬甘]」
花嚴經一部[六十卷黄紙及表綺緒梨軸竹綵帙緋裏錦縁組帶]
  納漆韓櫃二合敷布四條[政所者] 一切經机一前
   右依少僧都天平勝寳五年四月十八日(宣脱カ)奉請内裏[付飽田石足一志豊人]
                     知上馬甘

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内432頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

大灌頂經一部[十二卷 黄紙及表綺緒紫檀軸竹綵帙緋裏錦縁紫帶牙籤 納小明櫃一合足別机一前敷布一條〔政所者〕]
  右依次官佐伯宿祢(今毛人)主典阿刀連(酒主)天平勝寳五年四月廿日宣奉請内裏[付大伴〓《草冠+衣》万呂]
                      上馬□(甘)

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内432頁~433頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

仏本行集經一部[六十卷 黄紙及表綺緒竹繍帙錦縁紫檀軸牙籤]
  納明櫃一合足別机布敷
   右依次官佐伯宿祢天平勝寳五年五月十一日宣奉請内裏
                     上馬甘

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内433頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

造東大寺司 牒〓《圖の国がまえなし》書寮
最勝王經拾部[一百卷【別部在帙】「(追筆)黄紙及表梨軸綺緒」]
觀世音經壹伯卷[並黄紙及表]【帙五枚】[【三枚着牙占】]
   八十卷漆塗軸      廿卷朱軸
    「(追筆)〓《果+衣》帙拾五枚三枚別在占 辛櫃一合布敷坐机<搨足>布綱二条」
以前依今日牒旨奉請如前以牒々至准状故牒[付從七位上阿世久人足]
          天平勝寳五年五月十三日主典阿刀(酒主)
次官佐伯宿祢(今毛人)         判官上毛野君(眞人)

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内433頁~434頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)4月16日

記事

仁王經十部廿卷[黄紙及表綺緒朱軸綵帙二枚緋裏組帶納明櫃一合又足別机一前 内堂經者]
  右依判官上毛野君主典阿刀連天平勝寳五年五月廿五日宣奉<請>〓《圖の国がまえなし》書寮
[使其寮仕丁守部荒國]
                    呉原生人
                    上「(自署)馬甘」
「(馬養筆)以已上六月十七日奉返了   收呉原      上馬養」

出典

『大日本古文書』12(431頁~434頁の内434頁)(『正倉院文書』續々修16帙5)

「寫經奉請牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

  稱揚諸佛功徳經三卷    沫眞天子經三卷
   摩訶摩耶經一卷      除恐〓《うかんむり+火》患經一卷
   孛經一卷          觀世音菩薩受記經一卷
    右六經十卷同帙[〓《よんじゅう》二帙]
   海龍王經四卷       首楞嚴三昧經三卷
   觀普賢菩薩行法經一卷    不思議光菩薩所問經一卷
   觀藥王藥上二菩薩經一卷[已上並黄紙及表綺緒紫檀軸]
    右五經十卷同〓《帙の異体字》(帙)[〓《よんじゅう》三帙]
   縁起聖道經一卷       稻芋經一卷
   自誓三昧經一卷       如来獨證自誓三昧經一卷
   龍施女經一卷        八吉祥神咒經一卷
   八陽神咒經一卷      八佛名号經一卷
   孔雀王咒經一卷[「一帙」]       咒五首經一卷
   七倶胝佛大心准提陀羅尼經一卷 無量門微密持經一卷
   舎利弗悔過經一卷      一向出生菩薩經一卷
   勝幢辟印陀羅尼經一卷     無崖際持法門經一卷
    「*右十五經十五卷同帙[紙帙]」
   金剛塲陀羅尼經一卷      華聚陀羅尼咒經一卷
   如來方便善巧咒經一卷     沫賴經一卷
   善巧方便陀羅尼咒經一卷   内藏百寳經一卷
   四不可得經一卷       温室洗浴衆僧經一卷
   私訶三昧經一卷       梵女首意經一卷
   寳網經一卷         菩薩修行經一卷
   諸德福田經一卷       大方等如來藏經一卷
    「*右十四經十四卷同帙[紙帙]」
   佛語經一卷         金色王經一卷
   〓《さんずい+うかんむり+ハ+田+ハ》道俗業經一卷       抹眞天子經二卷[「*一帙」]
   除恐〓《うかんむり+火》患經一卷       不思議光菩薩所問經一卷
   十住斷結經十卷[「*一帙」]     諸佛要集經二卷[「*一帙」]
   未曾有因縁經二卷[「*一帙」]     超日明三昧經二卷[「*一帙」]
   菩薩瓔珞經十六卷[「*二帙」]    大法炬陀羅尼經二十卷[「*二帙」]
   大威德陀羅尼経二十巻[「*二帙」]  東方最勝燈王如来經一卷
                           「*已上六經六卷同帙」
    已上黄紙及表綺緒[朱軸]
    灌洗佛形像經一卷[白紙黑紫羅表深綠綾裏綺緒白檀軸]報恩奉盆經一卷[黄紙及表銀軸]
    大金色孔雀王咒病結界文一卷[黄紙及表朱頂軸]佛頂尊勝陀羅尼經一卷[黄紙及表綺緖木黄檜(繪カ)軸]
    摩訶摩邪經一卷[黄紙及表朱頂軸綺緖]首楞嚴三昧經三卷[黄紙及表朱頂軸竹麁帙「*一帙」錦縁]
    觀藥王藥上菩薩(經脱)一巻[黄紙及表綺緖漆軸]賢劫經十三卷[黄紙及表朱頂軸紫緒竹麁帙「*一帙」錦縁破]
      「*右六經六卷同[紙帙]」
以前依今月十七日牒付便使膳大岡令奉請如件以牒

出典

『大日本古文書』12(470頁~473頁の内471頁~473頁)(『正倉院文書』續々修12帙2裏)

「大乘經納櫃目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寳5年(西暦753年)5月7日類收

記事

大乘經
                「*黄紙及表朱軸綺帶」
放光般若波羅蜜經二部六十卷[【並綵】「*織」帙緋【綾】裏錦縁組帶 【可求第二帙】「*【一部唐手】 一部決【第】中【一】帙【一】」]
摩訶般若波羅蜜經【三】四部百廿<四>卷
  二部八十卷[並<「*黄紙」>綵帙緋【綾】裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[麁帙淺縁【綾】裏錦縁漆軸帛帶]
  一部四卷注[麁帙黄【綾】裏錦縁組帶]
又【第二帙】十卷[第二帙【綵】「織」帙緋【綾】裏錦縁組帶]
光讃般若波羅蜜經三部〓《よんじゅう》卷
  二部卅卷[並綵帙緋綾錦縁組帶「*【又音義一巻白紙无軸】]
  一部十卷[麁帙黄綾裏錦縁朱頂軸黄綾帶]
道行般若波羅蜜經【三】二部廿<【七】>卷[【二部廿卷 一部七卷无帙】【並】「*各」綵帙緋綾裏錦縁組帶]
小品般若波羅蜜經【三】「*四」部【廿七】「*卅四」卷
大明度無極經一部四卷无帙
  二部廿卷[並綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  【一】「*二」部七卷[「*一」麁帙緋綾裏錦縁組帶「*一无帙」]
勝天王般若波羅蜜經二部十四卷[並<「*各」>綵帙緋綾裏組帶<「*錦縁」>]
   「*已上第一櫃[敷帛<袷>帳一条四副]」
「*文殊般若經一巻  文殊所説般若經一巻已上二巻同帙麁帙紫縁緑裏組帶
濡首菩薩無上清浄淨分衛經一部二卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  「*百九十【七】「*八」巻舍衛國三巻婆伽婆〔之中二卷紫檀軸一朱軸〕」
金剛般若波羅蜜經二百部二百<一>卷[【並】麁帙【深】廿枚緑綾<裏>紫綾縁及帶漆軸]
「(擦消)【文殊般若經一巻」文殊所説般若經一巻】
能斷金剛般若波羅蜜<多>經廿部廿<一>巻[並麁帙緋綾裏錦縁組帶]
仁王護國般若波羅蜜經卅【一】五部六十<【三】五>卷[綵帙三枚緋綾裏錦縁組帶之中【二】四部漆軸一卷白木軸一卷朱軸]
  【廿九部朱軸】
  【二部漆軸】
般若波羅蜜多經理趣分【八】九十部【八】九十卷[麁帙八枚緋綾裏錦縁組帶]
   「*已上二櫃帛帳」
般若波羅蜜多心經三千七百卷[麁帙一枚緋綾裏錦縁]
大寳積經一部一百廿卷[无帙]
   「*已上三櫃」
大方廣三戒經一部三卷[綵帙]无量清淨平等覺經二卷[麁帙縁綾裏紫綾帶組]
无量壽經一部二卷[綵帙]  觀无量壽經九卷[麁帙]又二卷[銀軸无帙]
又四卷[一卷白紙无軸一卷白檀軸一卷朱頂軸]
阿〓≪門+人人人≫仏國經一部二卷[綵帙]
發覺浄心經一部二卷[綵<鹿>帙緑綾裏紫綾緑組帯]
[聖善住意佳意天子所問經三巻綵帙]
毘邪婆問經一部二卷[綵帙【已上緋綾裏錦縁組帯】]
大方等大集經二部百巻[【並】綵帙十枚【緋綾裏錦縁組帯】已上緋綾裏錦縁組帯]
大集【月】日藏經一部十巻[无帙]
大集月藏經一部十巻[无帙]
大乗大集地蔵十輪經十<二部廿>巻[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯「一部无帙」]
大方廣十輪經【三】四部【廿四】卅二巻
[一部八巻]
一部八巻[綵帙緋<上二部並>綾裏錦縁組帯]
一部八巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
一部八巻[欠第八巻 鹿帙黄綾裏錦縁 銀軸]
(中略)
寳星陀羅尼經二【十】部<十>廿巻[大方等大集菩薩念仏三昧經十巻〔无帙〕大哀經二部十六巻 奮迅王問經二卷〔綵帙〕]
   一部十巻[鹿帙黄綾裏破]    一部八巻[綵帙]  一部八巻[綵帙]
                      「*佛説无言菩薩一巻」
   一部十巻[帙形未詳]
(中略)
大般若涅槃經【〓《よんじゅう》卷】七部二百九十八卷
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第三帙第五卷白紙及表銀軸綵帙縹綾裏紫綾縁及帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻綵帙緋綾裏錦縁組帶金塗頂安靑玉軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[白檀軸綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[綵帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻鹿帙緋綾裏錦縁組帶漆軸]
  一部〓《よんじゅう》卷[欠第四帙第七八九十巻无帙]
(中略)
大般泥〓≪さんずい+亘≫經二部十二卷
  一部六卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帶]
  一部六卷[无帙]
方等般泥洹經一部二巻[鹿帙緑綾裏紫綾緑組帶]
  四童子三昧(經脱)一部三卷[綵帙]
  大悲經一部五巻[綵帙]
  普曜經一部八卷[綵帙]
「妙」法<蓮>華經十七<八>部百【百六】卅四卷
  七巻法華經五部
    一部七巻[綵帙錦緑緋裏白玉軸]
    一部七巻[綵帙白橡〓《あしぎぬ》縁淺縁<緑>綾裏白玉軸]
    一部七巻[白檀軸綵帙錦縁緋綾裏]
    二部十四卷[綵帙錦縁緋綾裏]
觀世音經二百〓《よんじゅう》四卷[鹿帙八枚緋〓《あしぎぬ》裏錦縁紫〓《あしぎぬ》帶]
(中略)
  八部六十四卷[水精軸鹿帙牙籖]
   一部八卷[金鏤軸天人并獸形繍帙緋綾裏錦縁]
   一部八卷[繍帙緋□]
   一部八卷[鹿帙錦縁緋綾裏]
   一部八卷[梨軸无帙]
   一部八卷[紫檀軸鹿帙緋綾裏錦緑組帶]
正法花經二部廿卷[帙二枚 一枚鹿帙]
【維摩詰所説經三卷【≪二部六≫[【鹿帙緋綾裏錦縁組帶】一部黄【紙】縹綾表水精軸 鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
【注維摩詰經无垢称經六卷】[「*二部十二卷无帙」【无帙】] 大方等頂王經六卷[鹿帙(錦脱カ)縁綾裏紫綾縁組帶]
「(附紙[維摩詰所説經云々ノ上])
維摩詰所説經三分九卷[一部黄紙縹綾表水精軸一金塗銅軸<鹿帙緋綾裏錦縁組帶>〔无帙〕]
注維摩詰經二部十四卷[一部八卷欠一二三四卷一部六卷欠第一二三卷並朱頂軸无帙]
諸无垢称經二部十二卷[並无帙]
(中略)
金光明最勝王經四部〓《よんじゅう》卷
  二部廿卷[並紫檀軸鹿帙緋綾裏錦組帶]
  一部十卷[鹿帙緋綾裏錦縁組帶]
  一部十卷[无帙]
   「*已上第六櫃[帛帳]」
【金】合部金光明經【卅九】〓《よんじゅう》部三百【十二】廿卷[十九部漆軸綵帙一枚鹿帙卅九枚緑綾裏紫綾縁組帶]
金光明最勝王經懺悔品六十卷[五十二卷漆軸鹿帙五枚之中四枚緑綾裏紫綾縁一枚緋綾裏錦縁]
金光明經〓《よんじゅう》部百六十卷[廿部漆軸鹿帙〓《よんじゅう》枚緑綾裏紫綾組帶「*出別生所」]
    「*已上七櫃[帛帙]」
(中略)
道神足無極變化經四卷[綵帙]「(追筆)又二巻[靑玉軸无帙]」
寳雨經【五】十卷[欠第一六四三七巻 无帙]
寳雲經七巻[綵帙□]
阿惟越致經三卷[綵帙]
不退転法輪經【四卷】二部八卷[【无帙】一部四卷无帙 【鹿帙一帙】一部四卷鹿帙]
廣博嚴淨不退転法輪經六卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁組帶]
集一切福德三昧經三卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶]
持心梵天所問經四卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾組帶一部无帙]
思益梵天所問經四卷[綵帙「鹿帙黄綾裏錦縁組帶」]
勝思惟梵天所問經<二部十>【六】二卷[无帙一部鹿帙深緑綾裏紫縁組帶]
(中略)
分別縁起初勝法門經二卷[鹿帙紫綾縁組帯]
楞伽阿跋多羅寳經四巻[鹿帙紫綾縁緋綾裏組帯]
入楞伽經三部廿八巻「(擦消)綵帙」[一部<十巻>綵帙一部十巻朱頂軸鹿帙緋綾裏錦縁組帯一部八巻鹿帙緋〓《あしぎぬ》裏錦縁无帯]
(中略)
大方等大雲經二部十二卷[鹿帙]
  一部六巻[綵帙]
  一部六巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯朱頂軸]
(中略)
灌頂經八巻[鹿帙黄綾裏錦縁細組帯朱頂軸]
又第八巻廿卷[鹿帙二枚緋綾裏錦縁組帯]
藥師瑠璃光如来本願功徳經八十巻[鹿帙八枚緋綾裏錦<縁>組帯]
藥師瑠璃光【如来】七仏本願功徳經十八部卅六巻[三部漆軸鹿帙四枚緋綾裏錦縁組帯]
又三巻[二卷紫檀軸一巻漆軸无帙]
阿闍世王經二卷[鹿帙紫綾縁深縁(緑)綾組帯]
(中略)
【无量壽經二卷】[【銀軸无帙】]
弥勒下生經十巻[塗金軸端坐<靑>玉綵帙]
順權方便經二卷[鹿帙深縁(緑)綾裏紫綾縁帯組]
「*六度集經八巻[綵帙]文殊師利菩薩問菩薩經一巻」「*伽那頂經一巻」
無上依經二卷[綵帙]「*仏説乳光經一巻[朱頂軸]」
「*文殊師利問法身經一巻 文殊戸利菩薩行經一巻 佛説八陽經一巻」
千手千眼觀世音菩薩廣大圓満無碍大悲心陀羅尼經十<一>巻[鹿帙緋綾裏錦縁組帯「十一部」]
孔雀王咒經二卷[綵帙]「(追筆)又二卷[〓(朱カ)頂軸无帙]」
十一面神咒心經(「五十部」)五十巻[卅卷漆軸十巻紫檀軸鹿帙五枚二枚深縁(緑)綾裏錦縁組帯三枚緋綾裏錦縁組帯]
「*文殊師利菩薩六字咒功能法經一巻[无帙]」
仏頂尊勝陀羅尼經八十【六】「九」巻[木繪軸鹿帙九枚縁(緑)綾裏紫綾縁組帯「*八十九部」]
(中略)
仏名經三部卅六巻
  二部廿四巻[【並】綵帙二枚]
  一部十二巻[鹿帙黄綾裏錦縁无帯]
三劫三千仏名經三巻[綵帙]「*又二部二卷<以三巻複為二卷>又四巻[之中一巻无軸并賢劫者]」
五千五百仏名經八巻[綵帙]「(追筆)不思議功徳經二卷[无軸及帙]又不思議功徳經二卷[鹿帙緑綾裏紫綾縁組帯]」
(中略)
又仏名經廿巻<二部(卷カ)>
  一部十巻[无帙鹿帙緋綾裏錦縁組帯]
  一部十<【六】>巻[无帙] 【一部十六巻[无帙]】
又仏名經十二巻[紫紙金字經紫羅表繪軸綵帙緋綾糸]
(中略)
大吉義神咒經四巻[綵帙]已上綵帙緋綾裏錦縁組帯
(後略)

出典

『大日本古文書』12(473頁~489頁)(『正倉院文書』續々修12帙2)

「呉原生人論疏奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶5年(西暦753年)9月9日

記事

合論并疏参拾肆卷 綵帙参枚[二枚緋綾裏錦緑組帯 一枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦帯牙籖二]
  花嚴論初帙十卷[黄紙及表赤木軸紫綺緖]
  十地論十<二>卷[黄紙及表斑緖綺]
  花嚴傳五卷  十地論疏七卷[已上並白紙黄表梨軸]
   右 依今日牒旨 付便使令奉請如前 但除今奉請外 更不有異種 仍不勘作者名
          天平勝寶五年九月九日呉原伊美吉生人

出典

『大日本古文書』13(38頁~39頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「僧善基請經状」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)2月23日

記事

(前略)
「(呉原生人筆)无量義經一巻[黄紙及表梨軸綺緒]
   右 付田邊國持 奉請善基師所
                 二月廿三日呉原生人
            (裏封)「ノ丅」        」

出典

『大日本古文書』13(61頁~62頁の内62頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「呉原生人請經文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)3月18日

記事

               「(異筆)大唐」
花嚴經一部六十巻[黄紙及表綺緒紫土軸竹綵帙廿一部之内者]
大集經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表綺緒朱軸竹綵帙]
大品經一部〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表漆軸竹綵帙]已上並面書寮者
  右 依少僧都(良辨)并次官佐伯宿祢(今毛人)天平勝寳六年三月十八日宣 令奉請鑒眞師所
                       知上馬養
                        呉原「(自署) 生人」

出典

『大日本古文書』13(63頁~64頁)(『正倉院文書』続々修16帙7)

「東大寺政所瑜伽論帙籖奉請文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶6年(西暦754年)11月26日

記事

「(端裏書)紫檀并屑在東公文櫃[北者]」
令奉請瑜伽論漆拾巻[第一二三四六八九帙者並黄紙及表綺緒紫檀軸]納明櫃一合
  織帙漆枚[並錦縁緋綾裏拾組帯]牙籖漆枚
   右 付大伴小伯 令奉請如件
           【天平勝寳六歳(マヽ)十一月廿六日】
              判官上毛野君【「(自署)眞人」】
              主典阿刀連【「(自署)酒主」】

出典

『大日本古文書』13(114頁~115頁)(『正倉院文書』続々修16帙4)

「造東寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7年(西暦755年)5月27日

記事

  十八枚麁帙[十五枚緑綺裏紫綾縁組帯]
(中略)
  大乗大集地蔵十輪經十巻[紙帙「*无帙」]<已上並黄紙及表綺緒朱軸*「並漢手」>  大乗悲分陀利經七<「*八」>巻[「*一帙」]
  正法華經十巻[「*一帙」]  十往經四巻[已上並黄紙及表紫斑緒緒朱軸 「*无帙」]
  金光明經八巻[黄紙及表紫緒朱軸 *「一帙」]  大哀經八巻[黄紙及表浅緑斑緒朱頂軸*「漢手」「*一帙」]
  唯(維)摩經三巻[黄紙縹綾〓≪あしぎぬ≫表浅緑斑緒水精軸「*漢手」「*无帙」]
「*十輪經八巻黄紙及表橡緒朱軸一帙已上面書寮[經并帙大唐者]」
(後略)

出典

『大日本古文書』13(142頁~144頁)(『正倉院文書』続々修38帙6裏)

「寫經所論集等奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶7年(西暦755年)9月6日

記事

  右 依次官大蔵伊美吉(萬里)天平勝寳七歳九月四日判 令請仙基師所 [付僧徳仙]
                      呉原生人
大〓≪にすい+庄≫嚴論一部[十巻]  分別功徳論一部[五巻已上並黄紙及表 綺緒紫檀軸]
付法蔵集一部[六巻黄紙及表綺緒繪軸 「(異筆)以九月十六日返送了」]  綵帙壹枚[着牙籖]
  右 依次官大蔵伊美吉七歳九月六日宣 令請大唐法進師所 [付慧雲]
                  上馬養

出典

『大日本古文書』13(155頁)(『正倉院文書』続々修16帙6)

「圖書寮經散集」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756年)7月2日

記事

(前略)
  法花經十七部
   八巻法花經□□□(十二部)
    八部並黄紙及表綺□(緒)□軸□牙籖
    一部黄紙紺(マヽ)□表綺緒□□鏤軸天人并獣形繍帙緋綾裏錦縁
    一部黄紙及表綾緒朱軸□□緋錦裏
    一部黄紙及表朱軸麁帙錦縁緋綾裏
    一部黄紙及表綺緒梨軸綵帙緋綾裏錦縁籖牙
   七巻法花經五部
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙錦縁緋裏
    一部黄紙及表綺緒白玉軸綵帙白橡〓≪あしぎぬ≫縁浅緑綾裏
    一部黄紙及表綺緒白檀軸綵帙錦縁緋綾裏
    二部並黄紙及表綺緒朱軸綵帙錦縁緋綾裏
以前 依廿七日牒旨 付筆生大戸園万呂 令請図書寮
  七仏所説神咒經一部四巻[黄紙及表綺緒朱軸綵帙緋綾裏錦縁組帯]
   右 依定戒尼師七歳四月廿二日宣 令請因幡宮 [付畠賢達]
  密跡金剛力士經一部八巻[黄紙及表綺緒朱軸]麁帙[赤紫綾縁深緑綾裏組帯]
   右 依來牒旨  付便使大隅公足 令請寳積經勘所
  善臂〓〓≪草冠二つ 菩薩≫(菩薩下同ジ)經二巻  護國〓〓≪菩薩≫所問經二巻
  寳梁經二巻[已上並黄紙及表綺緒朱軸綵帙]
   右 付舎人大隅公足 令請寳積經勘所 [【付】]
                七歳五月六日
(中略)
阿含正行經一巻 阿含口解十二因縁經一巻 泥犁經一巻[已上並黄紙及表綺帯朱軸]
(中略)
密嚴經三巻[已上並黄紙及表綺緒朱軸]菩薩地持經八巻
(中略)
解密經一部五巻[黄紙及表紫綺緒紫檀軸]
(中略)
大品般若經〓≪よんじゅう≫巻[黄紙及表朱軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(172頁~178頁)(『正倉院文書』続々修12帙6)

「圖書寮經目録」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756)7月2日類収

記事

 縁起聖道經一巻      稻芋經一巻
(中略)
  已上黄紙及表綺緒朱軸(以下九字擦消)
灌洗佛形像經一巻[白紙黒紫羅表深緑綾裏綺緒白檀軸] 報恩奉盆經一巻[黄紙及表銀軸无緒]
大金色孔雀王咒經一巻<「*病結界文」>[黄紙及表朱頂軸] 佛頂尊勝陀羅尼經一巻[黄紙及表綺緒木繪軸]
摩訶摩邪經一巻[黄紙及表朱頂軸綵緒經] 首楞嚴三昧經三巻[黄紙及表朱頂軸无緒「*一帙」]
觀薬王上菩薩<經>一巻[黄紙及表綺緒漆軸] 賢刧經十三巻[黄紙及表朱頂軸紫緒竹「*一帙」]
  已上一百卅四巻図書寮經者[經并帙大唐者]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(178頁~192頁の内178頁~181頁)(『正倉院文書』続々修12帙7)

「經疏帙籖等奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶8年(西暦756年)7月

記事

 中論疏六巻
    右 依大倭少掾佐伯宿祢(今毛人)去天平十九年十月廿九日宣 奉請内裏
    使山口沙美万呂
(中略)
  最勝王經疏六巻[慧浄師撰 白紙黄表綺帯梨軸綵帙]
(中略)
  菩薩藏經疏十巻[白紙黄表綺帯梨軸綵帙錦縁緋裏牙籖]
(中略)
  大周刊定衆經目録一部一五卷[欠第十五卷 黄紙及表綺帯赤木軸 綵帙牙籖]
(中略)
  无畏徳女經一巻  大寳<積>經一巻[並黄紙及表綺帯紫檀軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』13(192頁~201頁の内192頁~197頁)(『正倉院文書』続々修15帙4)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

東大寺
奉請大般若經一部六百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]麁帙六十枚
  納漆辛櫃三合[別敷三副帛袷帳 又緑三副半袷覆]別居榻(足脱カ)机 「(異筆)返請」
           天平勝寳九歳正月廿三日工石主
「已上以月廿八日奉返如件」      上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿四日奉請大乗經二部二百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]紙帙
  納漆辛櫃一合[敷三副<袷>帛帳 又皀三副袷覆 乙一櫃] 居榻足机
                         使工石主
「已上以二月四日奉返如件」     上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿六日奉請大乗經壹百八十三部壹千九十七巻[並黄紙及表朱軸綺帯]紙帙
  納漆辛櫃六合[別敷三副<袷>帛帳 乙二 丙一 丙二 丁一 皀三副袷覆一條 丁二 戊一櫃者]各居榻足机
                   使工石主
                    上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内208頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿八日奉請大并小乗經三百六十四部六百五十四部[並黄紙及表綺緒朱軸 紙帙]
  納漆<〓≪泥+土≫>辛櫃三合[二合別敷三副帛袷帳 別居榻足机 皀三副袷覆二條 又足別机一前 戊二己一櫃 无名櫃]
「(異筆)返請」           使上馬養
                    勝繼人

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内209頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

二月四日奉請<大>小乗經二百十<二>部四百廿【六】八巻[並黄紙及<表>綺帯朱軸]紙帙
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃二合[別敷三副帛袷帳 巳二 庚一櫃者] 別居榻足机
                         使工石主
                          上馬養

出典

『大日本古文書』13(207頁~209頁の内209頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

東大寺令奉請經
九歳正月廿三日 大般若經一部六百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]麁帙六十枚
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃三合[別敷三副袷帛帳 又緑三副半袷覆]別居榻足机 
             「(自署)上坐尼敬稱」 「(自署)都維那尼善第」           
「(異筆)已上以月廿八日奉返如件  収」 「(自署)寺主善光尼」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿四日奉請大乗經二部二百巻[並黄紙及表綺帯朱軸]紙帙「(異筆)返請」
  納漆辛櫃一合[敷三副袷帛帳 又皀三副袷覆] 乙一櫃者 居榻足机
      「(自署)上坐尼敬稱」 「(自署)都維那尼善第」
「(自署)已上以二月四日奉返如件 検納」「(自署)上坐尼敬稱」「(自署)寺主尼善光」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿六日奉請大乗經一百八十三部一千九十七巻[並黄紙及表綺帯朱軸 紙帙]
   納漆〓≪泥+土≫辛櫃六合[別敷三副袷帛帳 皀三副袷覆一条 乙二 丙一 丙二 丁二 代(戊)一櫃者]
  別居漆〓≪泥+土≫榻足机
                  「(自署)上坐尼敬稱」
                  「(自署)都維那尼善第」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内210頁~211頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

廿八日奉請大小乗經三百六十四部六百五十四部[並黄紙及表綺緒朱軸 並紙帙]
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃三合[二合戊二己一別敷三副帛帳各居榻足机 一合无名又皀<袷>覆二條三副足別机一前]
「(追筆)以二月四日奉返注經四部八十六巻   上坐尼「(自署)敬稱」 
            勘納都維那尼     寺主尼「(自署)善光」  
             「(自署)寺主尼善光」都維那尼「(自署)善第」
             「(自署)上坐尼敬稱」

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内211頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「東大寺寫經奉請帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝寶9年(西暦757)1月23日

記事

二月四日奉請<大>小乗經二百十<二>部四百廿六<八>巻[並黄紙及表綺帯朱軸 紙帙]
  納漆〓≪泥+土≫辛櫃二合[別居漆〓≪泥+土≫榻足机 敷三副帛袷帳 巳二 庚一櫃者] 
                       都維那尼(善第)
上坐尼「(自署)敬稱」
寺主尼「(自署)善光」

天平勝寳九歳二月十日奉返一切經七百六十二部二千九百□□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』13(210頁~212頁の内211頁~212頁)(『正倉院文書』続々修16帙5)

「大小乗論奉請注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)1月19日

記事

合大小乗論漆拾陸部 陸伯貳拾捌巻[並黄<紙>及表綺帯紫檀軸]
  七十四部五百廿六部巻大乗論
  二部二百十二巻小乗論
   綵帙陸拾壹枚[並錦縁緋裏組帯 〓≪よんじゅう≫八枚別着牙籖]
    納韓櫃貳合[一合塗漆 一合白木]並敷布
以前 依少僧都(慈訓)今月十八日宣 付便使 令奉請如件
               天平寳字二年正月十九日

出典

『大日本古文書』13(233頁)(『正倉院文書』続々修16帙6)

「金剛般若經等料紙納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)6月26日~8月3日

記事

(前略)
合自嶋院納紙一万五千五十[三千七百張尾張三千八百五十陸常 五千八百遠江 一千七百伊賀]
六月廿六日納紙七千二百五十[波和良四千九百九十二 杜中八百〓≪よんじゅう≫六 黄紙五百 穀紙九百九十二]
  右 依内相(仲麻呂)今月十九日宣 以廿一日納紙一万五千五十張之内 用<所>殘相賛(マヽ) 収納如件
    已上 金剛般若寫料
(後略)

出典

『大日本古文書』13(332頁~334頁の内332頁)(『正倉院文書』続々修37帙9)

「元興寺三綱牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)8月9日

記事

元興寺三綱牒  造東大寺司
  千手千眼經伍拾卷[黄紙黄表綺帯朱頂軸並斐紙]
   右件經 依來數領納已訖 今具事状 以牒
         天平寳字二年八月九日少都維那「徳勝」(自著同ジ)
上〓「〓敎」
寺主「了行」

出典

『大日本古文書』13(483頁~484頁)(『正倉院文書』続々修39帙3裏)

「造東寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)8月17日

記事

造東寺司 牒菅原寺三綱務所
  千手千眼<經>伍拾卷[黄紙黄漂(マヽ)綺帯朱頂軸]
   右 得佐官平榮師今月八日口状云 被少僧都慈訓同日宣〓 件經寫轉讀千手千眼悔過所奉請者 今依宣旨 奉請如件 故牒
     天平寳字二年八月十七日主典正八位上安都宿祢「(自署)雄足」
次官從五位下高麗朝臣(大山)

出典

『大日本古文書』13(485頁~486頁)(『正倉院文書』続々修3帙8裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(西暦758)9月

記事

造東寺司
合奉寫經二千四百卷
  金剛般若經一千卷
   五十卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶繪軸]
   六十<二>卷[社(杜)中紙縹〓≪衣偏+票≫綺帶黑柿軸]
   二百九十<五>卷[波和良紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   二百卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
   四百<三百九十三>卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶朱頂軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(182頁~183頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙五裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758)9月

記事

(前略)
  新羂索經一十部二百八十卷
   五部一百〓≪よんじゅう≫卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶黒柿軸]
   五部一百〓≪よんじゅう≫卷[黄紙同〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
  藥師經一百廿卷
   一百卷[染麻紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶朱頂軸]
   廿卷[染麻紙黄〓≪衣偏+票≫綺帶梨軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(183頁~184頁)(『正倉院文書』續々修四十四帙五裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758)11月14日

記事

 東寺寫經所解 申奉寫經事
  合金剛般若經一千二百卷[並麻紙]
   一百卅六卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫綺緒梨軸]
   卅八卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫【綺】梨軸無軸(緒)]
   一千廿六卷[黄紙及〓≪衣偏+票≫無緒軸]
  以前、依坤宮官少疏從六位上池原□(君)粟守去八月十六日宣、奉寫經、具件□(如)前、謹解、
          天平寳字二年十一月十四日造東寺司主典安都□□(宿禰)
  次官從五位下高麗朝臣

出典

『大日本古文書』14(246頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「造東寺司寫經目録案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字2年(758)11月15日

記事

 造東寺司
  合奉寫經三千六百卷
   金剛般若經一千卷
    三百〓≪よんじゅう≫五卷[波和良紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    六十二卷[杜中紙【縹〓≪衣偏+票≫】]
    五百九十三卷[黄紙【及<黄>〓≪衣偏+票≫】]
     右、一千卷、依去六月十六日宣、所奉寫、
   千手千眼經一千卷
    廿卷[波和良紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    六百〓≪よんじゅう≫八卷[黄紙【同<黄>〓≪衣偏+票≫】]
    三百卅二卷[斐紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
   新羂索經十部二百八十卷[【並】黄紙【同<黄>〓≪衣偏+票≫】]
   藥師經一百廿卷[【染】黄麻紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    右、一千四百卷、依去七月四日宣、所奉寫、
   金剛般若經一千<二百>卷[【並染】黄麻紙【黄〓≪衣偏+票≫】]
    右、一千<二百>卷、依去八月十六日宣、所奉寫、
  以前、依大保<從二位藤原>惠美朝臣宣奉寫、(顕脱カ)注如【件】<前>、
                 天平寳字二年十一月十五日主典安都宿祢

出典

『大日本古文書』14(257頁~258頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「上馬養雜紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字3年(759)10月24日

記事

 合紙二千二百【五十】六十二張
   五百廿九張界[絶々在]
   □□□□(二百十四カ)張麻紙[之中百六十張繼 〓≪よんじゅう≫四卷]
   穀紙一千五百張[之中一千張買 五百張自先殘]
   楸紙五張 縹紙三張 十一張黄紙
           三年十月廿四日上馬□(養)

出典

『大日本古文書』14(284頁~285頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六裏)

「御願經奉寫等雜文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)8月2日

記事

(前略)
   法花經一部[黄紙〓≪衣偏+票≫(縹カ)表]
    右、以潤四月九日、奉請内裏、使主典安都宿祢、
                     舎人伊賀石足
                        上馬養
(後略)

出典

『大日本古文書』14(390頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六)

「御願經奉寫等雜文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字四年(760)8月2日

記事

(前略)
  東大寺奉寫經所牒 大和國寫經所
  合【奉】稱讃淨土經壹拾卷
    一卷[白紙 白〓≪衣偏+票≫破壊 漆塗軸 紫斑【緒】帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 朱軸 彩綺帯] 一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 靑綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 漆軸 靑綺帯] 二卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 漆軸 綺帯 以九月廿九日収了]
    一卷[黄黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 朱軸 綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 漆軸 紫組帯] 一卷[白紙靑〓≪衣偏+票≫ 朱軸 靑綺帯]
    一卷[黄紙 黄〓≪衣偏+票≫ 朱軸 紫綺帯]
(後略)

出典

『大日本古文書』14(399頁~400頁)(『正倉院文書』續々修十八帙六)

「奉寫一切經所解牒案等帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761年)1月6日

記事

(前略)
(紙継目)
奉寫一切經所
  合奉請經六卷[並黄紙及〓≪衣偏+票」≫綺帶]
   浄業障經一卷[朱軸内堂一切經内]
   菩薩戒本一卷   菩薩善戒經一卷
   菩薩内戒經一卷
   金剛三昧本性清浄不壞不滅經一卷
   虚空藏菩薩能滿諸願最勝心陀羅尼求聞持法一卷[已上五卷紫檀軸坤宮一切經内]
     右依昨日宣奉請如前[使山邊久沫万呂]
          天平寳字五年二月四日坤宮舎人他田水主
                史生下道朝臣
奉寫一切經所 申請銭事
合應奉寫經五千二百八十二卷
  用紙十万一千三百五十八張
   可請筆<菟毛>六百七十三管[六百七十二管々別寫紙百五十張一管寫紙五十八張]
(後略)

出典

『大日本古文書』15(7頁~8頁の内8頁)(『正倉院文書』續修20裏)

「奉寫忌日御齋會一切經所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寳字5年(西暦761)1月6日類収

記事

(前略)
  布施<料>布參仟貳拾壹端參丈【貳】肆尺
   二千五百十六(端脱)二丈【經師】料<一尺九万九千百廿張<見寫紙>>
    麁經 以一端充〓≪よんじゅう≫張<九万四千五百張> 料<布>二千三百六十二端二丈一尺
    注經 以一端充卅張<四千六百廿張> 料<布>百五十四端
   一百九十八端一丈〓≪手偏+交≫生料[以一端充【黄紙】一千張]
    【右】<九万九千百廿張>【卅七端三丈三尺】再〓≪手偏+交≫二度料
   二百<【六】>五十四端一丈六尺裝〓≪さんずい+黄≫料[以一端充造【黄紙】四百張]
   <右見寫紙>■九万九千百廿張〓≪衣偏+票≫紙二千六百卅六張并十万一千七百五十六張料
   五十二端二丈【八】九尺題師料[以一端充【題經】一百卷]
   右五千二百七十一卷料
(後略)

出典

『大日本古文書』15(65頁)(『正倉院文書』続々修十帙七裏)

「東大寺奉寫大般若経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)4月23日

記事

東大寺奉寫大般若経所解 申請用雜物事
合奉寫大般若経貳部壹仟貳佰巻[黄紙及表綺緒朱頂軸]
  繍帙一百廿枚[浅縁(緑)裏紫綾縁及帯 各着黄楊籖]
  奉納白木辛櫃六合[敷布各一條 居各白木楊足机]
請綿壹萬陸仟肆拾屯
  〓≪果+衣≫祖(租)布八十段
  納辛櫃卅五合
賣得價銭壹仟参拾伍貫漆伯壹拾参文
(中略)
     九貫二百廿文紫綾〓≪あしぎぬ≫二匹三丈直
     四貫七百卅文浅縁(緑)綾〓≪あしぎぬ≫二匹三丈五尺直
     二百文紫緑糸三両直
(中略)
残銭七貫五百文
  辛櫃七貫五百文
  紙四百五十張
  黄檗廿七斤[太]
  大豆一斛
  小麦一斛
(後略)

出典

『大日本古文書』16(376頁~382頁)(『正倉院文書』続々修4帙12)

「東大寺寫経所灌頂経奉請案帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)5月13日

記事

東大寺
灌頂経十二局[黄紙及<綺緒>表胡粉塗〓≪木+聖≫軸葛形繍帙浅緑綾裏錦縁紫綾緒 黄楊籤納漆小櫃居白木猫足机覆并敷洗布]
  今奉請八部
  寺家奉留四部
   右 依今月十二日宣 奉請如件 於内裏[使主典安都宿祢]
       天平寳字七年五月十三日安都
(後略)

出典

『大日本古文書』16(382頁~384頁)(『正倉院文書』続々修47帙7裏)

「奉寫経所請疏文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字7年(西暦763年)7月5日

記事

「*奈良」
合令請疏壹佰陸拾陸巻[之中四巻黄紙及表无帯軸 十巻黄紙及表綺帯<梨>軸 百五十二巻白紙黄表 綺帯梨軸 宮一切経内之]
(中略)
「(追筆)
合疏卅巻[並白紙黄表綺帯梨軸]「*前山」」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(415頁~418頁)(『正倉院文書』続々修3帙10裏)

「奉寫経所本経論奉請并借充帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)1月16日

記事

        八年正月十六日行上馬養
陀羅尼集経一部十二巻[黄紙及表綺帯紫檀軸先坤宮一切経内 「*返上」]
  右件経、〓≪さんずい+頁≫曳間令奉請上山寺悔過所 附僧瓊師
         八年三月九日出充上馬養
八十花嚴経初帙十巻[黄紙及表綺帯朱軸有印寮一切経内]
  右 令請元興寺僧満惠師所 [即付]
         八年三月十一日上馬養
真言要決六巻[黄紙及表朱軸綺帯有印竹麁帙一枚牙籤一枚 審詳師書之 「*返上」]
  右 令請佐伯判官曹司
         八年三月十三日上馬養
最勝王経七部七十巻[綵帙七枚 一百部内之 「*返了」]
  右 奉請南吉祥悔過所
         八年三月十六日上馬養
般若燈論一部十五巻[帙占 形如常]
廣百論一部十巻[帙]
  右 依三綱并造寺司判 借充智度講師洞眞師所 付僧隆歓
      天平寳字八年五月廿七日出充他田水主
一経臺一基借充洞□□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』16(433頁~434頁)(『正倉院文書』続々修17帙7裏)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

「(題箋)(表)奉請一切経
(裏)御執経所下巻」

奉寫 御執経所移造東大寺司并山階寺三綱所
奉請阿弥陀経一部二巻[大]
  无量壽経一巻[已上並黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮 宮一切経内之]
   右 蒙基完師宣〓≪人偏+尓の異体字≫ 件経速奉内裏者 今依宣旨 所請如件 以移
     天平神護三年正月廿四日圖書少屬従八位上大隅忌寸(公足)
                 正八位上守少充日置 「(自著)浄足」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内435頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(異筆)行   判官美努連  主典建部廣足」
「(又異筆)續高僧傳十巻[上中下帙 黄紙及表綺緒赤木軸〔之中下帙 二巻折〕並在帙三枚]
高僧傳十巻[黄紙黄表綺緒赤木軸 但无帙]
    已上 自第十五櫃出
以前 付廻使舎人下浄野」
奉寫 御執経所<移>造東大寺司
奉請最勝王経拾部[去寳字八年九月十日所奉請申者]
  右 依今日移文 付還使 且奉請如件 以移
      天平神護二年十二月卅日圖所少屬従八位上大隅忌寸
                正八位上守少充日置 「(自署)浄足」  

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内436頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

奉寫 御執経所移造東大寺司
奉請不空羂索陀羅尼自在王咒経三巻[上中下]
  十一面神咒心経一巻
   右 為用本経 奉請如件 以移
      天平神護二年十月四日〓≪圖の国がまえなし≫書少屬大隅公足
                  充日置 
「(異筆)判許        判官佐伯宿祢(眞守)
                 主典土師宿祢」 「(自署)名道」
「(又異筆)上件経二部四巻[黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮一切経内之]
                      出充上馬養」
                      「(自著)使内竪觀(欟)本久度万呂」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内437頁~438頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

奉寫 御執経所移造東大寺司
奉請八十花嚴経一部
  右 為證本 奉請如件 以移
      天平神護二年八月廿二日図書少屬従八位下大隈忌寸公足
                  正八位下守少充日置 
「(異筆)上件経一部[黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮一切経内之]
   綵帙八枚[各著牙籤]
                  行主典建部廣足
                   土師
                    領上馬養」
                      「(自著)使内竪伊福部高嶋」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内438頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

奉寫 御執経所移造東大寺司
奉請大雲請雨経一巻 大雲輪請雨経二巻
  右 依少律師今日宣旨 所奉請如件 以移
     天平神護二年五月卅日図書少屬従八位下大隅忌寸
           正八位下守充少日置 「(自署)浄足」
「(異筆)    
            主典阿刀造」「(自署)与佐弥」
「(又異筆)大雲輪請雨経二巻[黄紙及表綺紫檀軸坤宮一切経内之
付使内竪錦部万呂]
              出充上馬養」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内440頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
仁王経卅【三】四部六十五<七>巻[之中一部副 見五十六巻 欠二箇巻 並下巻]
  廿九部黄紙及表綺帯朱軸 一部黄紙及表緑帯漆軸
  一部黄紙及表蘇芳〓≪あしぎぬ≫帯漆軸[未上]
  一部黄紙及表緋〓≪あしぎぬ≫帯漆軸[已上可請嶋院寮経内之]
  一部黄紙及表綺帯梨軸[葛木寺了]
  一部黄紙及表綺帯紫檀軸[坤宮一切経内]
   右件経 除先奉請之外 司中随見在員 附廻使舎人今木稻持 令奉請如件
           天平神護二年四月六日上馬養
               主典他田
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内441頁~442頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)金剛般若経二百巻[黄紙及表綺帯〓≪木偏+聖≫軸間寫七百卅三巻内 納白木辛櫃一合自殖欟寺来之]
               行上馬養」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内442頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)上件三巻経 令奉請如件[附今城稻持 黄紙及表綺帯紫檀軸]
            出充史生赤染人足」
(後略)  

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内444頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)以九月廿九日 令請大仏頂経尊勝(陀脱)羅尼経一巻如件[付内竪六人部嶋繼]
  黄紙及表綺帯[倭手 紫檀軸]
            出充史生赤染人足」  
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内445頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
造東大寺司移 御執経奉寫所
   十二灌頂経貳巻[第一三巻 水主内親王経之内 黄紙黄表紙綺帯漆軸有印]
    右 依彼今日移<文> 奉請送如件 仍附廻使下浄足 故移
           天平神護元年八月四日主典雄橋公 「(自署)石正」
                 判官美努連 「(自署)奥麻呂」
(後略)  

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内445頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)大般若経一部六百巻[黄紙表綺帯紫檀軸綵帙牙籤納漆辛櫃一合 敷布一条]   行上馬養」
(後略)    

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内446頁~447頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護元年(西暦766年)6月8日

記事

(前略)
「*无量壽経二巻[黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮一切経内]
觀无量壽佛経一巻[黄紙及表綺帯漆軸 可請嶋院寮経内]
   右 依來牒旨 附返使日奉人嶋 令請如件
               上馬養」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内447頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)大孔雀咒王経三巻[黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮一切経内之]
   右 仕丁附字治部若万呂 令奉請如件  
                上馬養」
(後略)     

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内448頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)如員充 並宮一切経之内[黄紙黄表緒綺紫檀軸 付即還使礒部廣山]
                出建部廣足」
(後略)  

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内450頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)令請二巻[宮一切経之内 自第五櫃出黄紙黄表綺帯紫檀軸]
   付使礒部廣山    出建部廣足」
(後略)    

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内451頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「*法花経一部八巻[黄紙及表綺帯朱軸綵帙有印 内堂経内之]
   右 依來牒旨 附便使六人部嶋繼 令奉請如件
             元年三月廿日行上馬養」
(後略) 

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内451頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)大灌頂経一部十二巻[黄紙及表綺帯朱軸有印綵帙一枚 内堂経]
薬師経六十巻[黄紙及表綺帯朱軸可請嶋院寮経内之 血帙六枚見【十四】〓≪よんじゅう≫八巻帙六枚 欠十二巻]
   右 附阿〓≪さんずい+頁≫波人長 令請如件
            行上馬養」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434~473頁のうち452頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(異筆)百仏名経一巻 賢却経十三巻 十二仏名神咒経一巻
  右 三部十五巻 坤宮一切経内[黄紙及表綺帯紫檀軸在帙占]
三千仏名経三巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」 八仏名号経一巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」
  右 二部四巻 寮一切経内[黄紙及表綺帯朱軸有印]
五千五百仏名経八巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」 仏名経十二巻「(追筆)同日返了」
諸仏要集経二巻「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」
  右 三部廿二巻 水主内親王経内[黄紙及表綺帯有印]
施燈功徳経一巻[黄紙及表綺帯朱軸有印 返了]
  右 一部一巻 内堂経内之
            行上馬養
            使内竪葛木黒山」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内454頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)令奉請貳巻[一巻黄紙黄表綺帯漆軸在印水主宮第五櫃 一巻黄紙黄表綺帯朱軸在印内堂第五櫃]
  右 付即使内竪葛木黒山
               出建部廣足」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内455頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(異筆)判令奉請[付不破犬甘 宮一切経之内者黄紙及表紫檀軸綺帯无帙占]
大僧都(良弁)
造寺司         判官弥努連」 「(自署)奥麻呂」
(後略)

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内456頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(異筆)最勝王経【廿】十部二<「*一」>百巻[黄紙及表綺帯梨軸綵帙黄楊籤]百部之内 「(追筆)以神護二年十二月卅日返納十部一百巻」]
金剛般若経三百巻<黄紙及表綺帯梨軸无帙 並納絵辛櫃二合] 七百卅巻内之
  右 依今日宣 附内竪葛木吉万呂 令奉請如件
                上馬養  」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内459頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(異筆)勝天王般若経一部七巻[黄紙及表綺帯紫檀軸綵帙牙籤 付返使葛木立人]
                案主上馬養   」    

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内460頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(追筆一)開元釋教録一部十九巻[黄紙及表綺帯朱軸寮経内之]「(追筆二)以景雲二年八月十三日返了」]
  右 依今月廿六日宣 奉請如件
              寳字八年八月廿七日行上馬養」    

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内465頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)菩薩念仏三昧経六巻[黄紙及表綺<帯>漆軸有印 水主宮之]
恵印三昧経一巻[黄紙及表綺帯紫檀軸坤宮一切経内]
  右 依今日宣旨 附内竪岐子松 令奉請如件
              上馬養」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内466頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
奉寫 御執経所
奉還法華経一部[竹鹿麁帙牙籤 黄紙及〓≪衣偏+票」≫水精軸]以昨日 所奉請
[「*請」]
又更奉請最勝王経一部十巻
  右 依少僧都(道鏡)宣 奉還并更所奉請経 差内竪八清水城守 令奉請如件
               天平寶字八年八月廿三日信部史生大隅公足
「(異筆)判許
                  判官弥努連」 「(自署)奥万呂」
「(又異筆)最勝王経一部十巻[黄紙及〓≪衣偏+票」≫綺帯梨軸綵帙黄楊籤 「(追筆)以景雲二年八月十三日返了」 百部内之]
  右 依今日牒旨 附内竪八浄水城守 令奉請如件
                  行上馬養」         

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内467頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
奉寫 御執経所
奉還法華経一部[竹鹿麁帙牙籤 黄紙及〓≪衣偏+票」≫水精軸]以昨日 所奉請
[「*請」]
又更奉請最勝王経一部十巻
  右 依少僧都(道鏡)宣 奉還并更所奉請経 差内竪八清水城守 令奉請如件
               天平寶字八年八月廿三日信部史生大隅公足
「(異筆)判許
                  判官弥努連」 「(自署)奥万呂」
「(又異筆)最勝王経一部十巻[黄紙及〓≪衣偏+票」≫綺帯梨軸綵帙黄楊籤 「(追筆)以景雲二年八月十三日返了」 百部内之]
  右 依今日牒旨 附内竪八浄水城守 令奉請如件
                  行上馬養」         

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内468頁~469頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
御執経所
奉請賢愚経一部[十七巻 黄紙及表綺帯朱軸自聞智師所 便奉請内裏即付掃守弟足 自第六櫃出内堂之経者納小明櫃一合]
  右 被少僧都(道鏡)宣云 先所奉請経下帙第一巻欠也 仍更奉請件経 今依宣旨 差内竪掃守弟足 令奉請如前
            天平寶字八年五月三日信部史生日置 浄足
「(異筆)行                    判官弥努連 「(自署)奥万呂」
                       主典志斐連 「(自署)麻呂」
                       案主建部 「(自署)廣足」」

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内469頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
御執経所
奉請大佛頂首楞嚴経一部「*无」
「*請」 大方等大雲経一部[「*六巻黄紙及表綺帯朱軸有印 綵帙一枚錦縁緋綾裏拾組帯]内堂」
   大方等修多羅了義一部「*无」
    右 被少僧都(道鏡)今日宣 〓≪人偏+尓の異体字≫ 件経従東大寺速奉請内裏者 仍依宣旨 差内竪葛木黒山充使 令奉請如件
            天平寳字八年四月十八日信部史生日置 浄足
「(異筆) 司判行             判官弥努連 「(自署)奥麻呂」
                        主典志斐連 「(自署)麻呂」
                        領上」「(自署)馬養」        

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内470頁)(『正倉院文書』続々修17帙4)

「奉寫御執経所等奉請経繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)2月2日

記事

(前略)
「(又異筆)以同日令請阿差末経一部五巻[黄紙及表綺帯朱軸有印 東寺可留寮経内麁帙一枚]
   即付廻使建部人成 「(追筆)以景雲二年八月十二日返了」
                     出上馬養
又一部七巻[黄紙及表綺帯紫檀軸綵帙一枚着牙籤一枚 宮一切経内之]
           四月四日使大隅公足
                     行上馬養」     

出典

『大日本古文書』16(434頁~473頁の内471頁~472頁)(『正倉院文書』続々修17帙5)

「奉寫御執経所奉請文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平寶字8年(西暦764年)8月25日

記事

奉寫 御執経所
請開元釋教録一部[之中第十九 第廿 先請来]
  右 以同月二日 依少僧都(道鏡)宣 差六人部嶋継所請 迄今不来 更自内裏依明軌尼師宣 差建部人成令奉請如件 可有 御覧 勿廻日時
           天平寳字八年八月廿五日信部史生大隈公足
開元釋教録二巻[第十九 廿巻 自愷玄師所且返上者 黄紙及〓≪衣偏+票≫綺帯朱軸寮経内之]
  右 依今日宣旨 附尾張月足 令奉請如件
               行上馬養
判許      判官弥努連

出典

『大日本古文書』16(552頁~553頁)(『正倉院文書』続々修17帙5)

「奉寫一切經巻數注文案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護3年(西暦767年)2月22日類収 年月日欠

記事

(前略)
見寫壱千阡捌伯伍拾陸巻[先寫五百十四巻【胡桃紙寫一百七十九巻 黄紙寫三百卅五巻】 今年二月廿日始寫千三百〓≪よんじゅう≫二巻【並黄紙】並黄紙]
先寫五百十四巻[胡桃紙寫一百七十九巻 黄紙<マヽ>三百卅五巻]
(中略)
  小乗經肆伯弐拾巻<先寫>一百【七十九】〓≪よんじゅう≫七巻<並>胡桃紙 <今年寫>二百【〓≪よんじゅう≫一巻黄紙】七十三巻
(中略)
  賢聖<集>傳壱伯玖巻[先寫卅二巻胡桃紙 今年寫七十七巻]
<下>切端壱阡壱伯肆拾参巻[【胡桃紙】一百七十九巻胡桃紙 九百六十四巻黄紙]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(50頁~53頁の内51頁~52頁)(『正倉院文書』続々修1帙6)

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)9月21日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司移奉寫一切經司
<「*可」>合論疏一百卅二巻[彩帙十四枚 牙籤二枚 宮一切經之内]
  大庄嚴論十巻[黄紙及表基綺帯紫檀軸 在帙一占一]
  法花經玄賛十巻[黄紙及表綺帯紫檀軸 在帙一 基法師]
  涅槃經疏十巻[法寶師 在帙一 「*寶亀二年<閏>三月十二日且返上一巻」] 又同經文抄六巻[在帙一占一]
  瑜伽論抄記廿五巻[眞空師 在帙三]
  又同論抄卅六巻[憬興師 在帙四] 雑集論疏十三巻[霊〓≪「携」の旁≫師 在帙一]
  顕揚論述賛十六巻[憬興師 在帙二] 又同論抄一巻[已上<自>涅槃經疏至胡晉于此 抄白紙黄表綺帯梨軸]
  景雲二年九月廿一日主典建部
                      小橋公
                   案主村主馬養
(紙継目)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁の内80頁~81頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司移奉寫一切經司
<「*可」>合大小乗經律等疏<廿部>一百十四巻[彩帙十三枚 牙籤二枚 宮一切經之内]
  法花經疏一部八巻[白紙黄表綺帯梨軸 彩帙一枚 玄範師]
  法花經要略一巻[元暁師]
   右、二部九巻、大乗經疏、
(中略)
  毘尼討要一部六巻基撰[已上自法花經疏迄比丘尼討要白紙黄表 綺帯梨軸]
  婆羅提木叉戒經一巻[黄紙黄表綺帯梨軸]
  毘尼心一巻[已上三部八巻雑一巻 黄紙黄表綺帯梨軸]
   右、七部五十四巻、小乗律疏、
  倶舎論疏二部卅五巻[並白紙黄表綺帯梨軸]
   右、二部卅五巻、小乗論疏、
以前、依今月廿日移文、附廻使田邊廣吉、<且>令奉請如件、以移、
          神護景雲二年八月廿一日主典正六位上建部
                大判官上毛野公<(眞人)>
                    「(自署)案<(主脱カ)>上村主馬養」
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁の内86頁~88頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司移奉寫一切經司
<「*可」>合經論疏八十一<「*卅」>巻[帙四枚 牙籤一枚]
(中略)
  最勝王經六十巻「(異筆)以景雲二年八月十二日返五部」
   二部水主内親王經内[一部黄紙及表綺帯花軸 一部黄紙及表綺帯朱軸]並有印
   一部審詳師經内[漢手黄紙及表綺帯白檀軸織帙紫縁 浅緑綾裏有印]
   一部圖書寮一切經内[黄紙及表綺帯朱軸有印]
「*可」一部所請嶋<(院脱)>寮經内[黄紙及表綺帯紫檀軸]
   一部間寫[黄紙及表綺帯朱頂軸]
    右、依今月二日移文、随在司中令請如件、
  最勝王經慧沿師疏六巻
    右、以去天平廿一年二月八日、奉請内裏
以前經論疏等、附廻使舎人海犬甘連廣主、令奉請如件、以移、
        神護景雲二年潤六月三日主典阿刀造<(與美佐)>
                  少判官志斐連
                  案主上村主馬養
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁のうち88頁~90頁)(『正倉院文書』続々修17帙11)

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲元年(西暦767年)9月27日付

記事

<「*可」>造東大寺司牒奉寫一切經司
合大乗經疏八十三巻[帙十一枚 牙籤三枚 並宮一切經内之]
法花摂釋四巻[黄紙及表无帯軸]
  法花經玄義一巻      法花經料〓≪草冠+間≫一巻[義〓師]
  法花經義記一巻[已上三巻白紙黄表綺帯梨軸]
(中略)
以前、依今日牒、附廻使内竪六人部嶋繼、令請如件、以移、
            神護景雲二年三月廿八日
                  主典葛井連
                    案主上 馬養
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁の内96頁~97頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
「*可」(紙継目)
合一百五十二巻
「*欠【二】一」
華厳経疏一部[无暁師 黄紙梨軸帙籤具] 華厳傳一部[五巻 法蔵師 白紙表黄梨木軸無籤]
      上二帙十五巻宮一切經内
摂大乗論議章一部[十四巻白紙黄表白帯 白木軸無帙 「*第三局欠」]
摂大乗論<疏>一部[三巻白紙黄表白帯白木軸无帙 神廓師]
摂大乗論議章一部[三巻 景法師 白紙 黄表無帯軸]
金剛般若論疏一部[三巻 白紙 黄表白帯無帙]
无依无得大乗四論玄義記一部[三巻 白紙黄表帛帯白木軸無帙]
因明論疏一部[二巻 白紙黄表帛帯無軸帙 文軌師]
中論疏一部[三巻 白紙<及>表無軸帯帙]
三論廣章一部[十二巻 皆白紙無軸]
般若經義疏一部[四巻 白紙黄表無軸帛帯]
大乗法界無差別論疏一巻<上〓≪よんじゅう≫七巻 圖書寮疏>[法蔵師 白紙無軸]
金剛般若論疏一部[四巻 〓法師〓≪王偏+賛≫述 白紙黄表 無帙]
瑜伽義林一部[五巻 義営師 白紙無表]
    上十巻水主内親王宮疏
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁の内105頁~106頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

「一切經奉請文書繼文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)9月26日付

記事

(前略)
(紙継目)
合經十四巻
  注維摩詰經六巻 注楞伽經七巻[已上並黄紙及表 綺帯朱軸有印]
    右十三巻、寮一切經之内、 [「(追筆)以二年正月十一日返了」]
  温室經一巻[黄紙及表綺帯紫檀軸]
    右經、坤宮一切經之内、
以前、依今日牒旨、奉請且如件、
             景雲元年九月廿六日上馬養
                    判官美努連
                    主典建部
(後略)

出典

『大日本古文書』17(78頁~110頁の内109頁~110頁)(『正倉院文書』続々修17帙7)

「僧満松請經解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲1年(西暦767年)10月10日付

記事

謹解
  奉請維摩經壱部[三巻]
   右、七日之間、奉請如件、謹解、
              景雲元年十月十日僧満松
維摩經一部三巻[漢手黄紙及表綺帯白檀軸在印 審祥<(マヽ)>師經内之即奉請内裏]

出典

『大日本古文書』17(111頁)(『正倉院文書』続々修17帙7裏)

「造東大寺司牒」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲2年(西暦768年)10月9日付

記事

造東大寺司牒 奉寫一切經司
合目録玖箇卷
  一卷内堂經    二卷寮一切經録[上下]
  四卷図書寮經録[一卷論疏之]
牒、件目録等、依今月五日牒旨、附廻使田<邊>廣吉、令請件如件、故牒
           神護景雲二年十月九日主典正六位上建部廣足
                少判官正六位上志斐連「(自署)麻呂」
       
件録等有軸无帙[審詳師録 水主内親王〔已上黄紙黄〓≪あしぎぬ≫白木花軸〕 圖書目録四巻 三巻□(朱)頂軸 一巻□□□(長方形後半抜け)]    

出典

『大日本古文書』17(116頁~117頁)(『正倉院文書』続々修17帙8裏)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
(紙継目)
造東大寺司牒 奉寫一切經司
合論疏章「(異筆)四百六十二巻[帙卅枚 白木籤一枚]」
  智度論一部一百巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 竹帙 錦縁 朱芳裏]
  涅槃論一部五十三巻[黄紙 及表 緋帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  倶舎論一部卅巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 竹帙 錦縁 緋裏]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁の内125頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲2年(西暦768年)11月10日付

記事

(前略)
  摂論一部十五巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱軸 斑帙 緋縁 縹裏]
  无性摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 白檀軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  世親摂論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  地持論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 紫縁 縹裏]
  菩薩地持<論>一部八巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 斑帙 錦縁 緋裏]
  无依无得大乗四論一部十二巻[白紙 黄表 帛帯 白木軸 无帙]
  釋迦譜一部五巻[黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  成實論一部十六巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 紫皮帙]
  雑阿毘曇心一部十一巻[漢手 黄紙及表 緋帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  立世阿毘曇論一部十巻[漢手 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸 竹帙 錦縁 緋裏]
  法花經義疏一部十三巻[之中十二巻 百斎手 白紙 綺帯 无軸 吉蔵師 一巻 黄紙 及表 綺帯 朱頂軸]
  法花經疏一部七巻[新羅手 白紙 无帯 漆軸]
  新摂大乗論疏一部十一巻[白紙 紫帯 无軸 神廓師]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁の内126頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲2年(西暦768年)11月14日付

記事

(前略)
  倶舎論疏一部廿六巻[白紙 无帯 漆軸 泰法師 「*欠中帙第四巻」]
  成實論議一部廿三巻[二帙 漢手 黄紙 緋綺帯 朱頂軸 紫縁 縹裏]
  阿毘曇論章一部十五巻[白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  雑阿毘曇章一部七巻[漢手 白紙 黄表 白帯 軸 无帙]
  毘曇章一部五巻[白紙 无帙]
  阿毘曇心一部四巻[呉手 黄紙及表 綺帯 漆軸]
  唱礼文八巻[白紙 綺帯 漆軸 五色〓≪あしぎぬ≫帙]
   右四百九巻、圖書寮經内之、
  大乗廣百論釋論一部十巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗荘厳經一部十三巻[黄紙及表 綺帯 朱軸]
  十佳毘婆沙論一巻[白紙未装〓≪さんずい+黄≫]
  因明入正理論一巻[漢手 黄紙及表 綺帯 朱軸]
  大乗百法明門論本事品中略録名數一巻[複大乗五〓≪草かんむり+温≫論]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁の内127頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

「造東大寺司牒案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平神護景雲2年(西暦768年)11月10日

記事

(前略)
  金剛仙論十巻[複五巻 白紙及表 綺帯 无軸]
  華厳方軌四巻[第二三四五也 白紙 无表軸]
  維摩經疏一部四巻[白紙 无表軸 慧遠師]
  大灌頂經疏一部二巻[白紙黄表 无帯軸]
  顴无量壽經佛疏一部四巻[黄紙及表 綺帯 无軸]
  論日无量壽經優婆舎願生偈一部二巻[白紙及表 无帯軸]
  浄飯王經疏一巻 白紙及表 无帯軸
   右五十三巻 水主内親王經之内
以前、依今月二日牒旨、附便使田邊廣吉、且令如請件、故牒、
          景雲二年十二月廿日主典【正六位】上建部
                   少判官志斐連
                      案主上村主馬養
(紙継目)
(後略)

出典

『大日本古文書』17(117頁~142頁の内128頁)(『正倉院文書』続々修17帙8)

「造東大寺司移(?)」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲2年(西暦768年)収  年月日欠

記事

(紙端)
大般若經述讃三巻[黄紙及表 第一帙在籤]
金剛般若經<疏>三巻[白紙黄表 无暁師]
金剛般若經義疏四巻[黄紙及表 吉蔵師 已上二部第二帙在籤]
仁王經疏三部六巻[並白紙黄表]
  一部二巻靖邁師<「*吉蔵師」> 一部二巻玄範師
  一部二巻恵静師
般若心經疏一巻[圓測師 已上四部第三帙在籤]
勝鬘經疏三巻[吉蔵師]  勝鬘經疏二巻[元暁師]
勝鬘經疏二巻[无名]   勝鬘經義疏一巻[上宮王]
十論經抄二巻
般若三昧經略記一巻[无暁師 已上並白紙黄表 第四帙在籤]
花嚴經孔目四巻[黄紙及表眞諦師] 遊心法界記一巻
開脉義記一巻        發菩提心義記一巻[已上三箇巻白紙黄表 已上第五帙无籤]
(後略)

出典

『大日本古文書』17(142頁~145頁の内143頁)(『正倉院文書』続修別集1裏)

「奉寫一切經料紙充装■《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年5月20日付(西暦770年)

記事

(題籤)
  (表)〓≪鍋蓋+タヒ≫奨〓≪さんずい+黄≫紙帳
(裏)神護景雲四年五月
奉寫一切經料紙充装〓≪さんずい+黄≫帳[神護景雲四年]
  長江田越麻呂
   五月廿日充經料黄染紙伍仟張[「*給了」]
少鎮大法師(實忠)      案主上馬養
   六月十日充紙黄壱萬張[「給了」]
少鎮大法師           案主上馬養
   上毛野眞依
  六月三日充經料黄紙伍仟張[「*給了」]
少鎮大法師          案主上馬養
  七月十三日充黄紙弐仟張[「*給了」]
少鎮大法師          案主上馬養 味酒「(自署)廣成」
  刑部廣濱
  七月十三日充黄紙参仟張[「*依眞依給了」]
少鎮大法師          案主上馬養 味酒「(自署)廣成」
寶亀元年十二月十九日下黄紙捌仟壱拾陸張[之中十六張裹料]
   【八】四千八張充刑部廣濱<「*千二百繼廣濱 五十欠所」>[納辛櫃一合 布綱一条 「*一千七百五十張〔以正月廿日更充氏部小勝〕」]
    四千八張<充>陽枳宮王[納辛櫃一合 布綱一条並白木 之中一千張表紙料「*依員繼了」]
                案主上馬陽 味酒「(自署)廣成」
                別當法師「(自署)奉榮」 
(後略)

出典

『大日本古文書』17(154頁~160頁の内154頁~155頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)

「奉寫一切經料紙充装■《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年5月20日付(西暦770年)

記事

(前略)
二年正月
    十一日下黄紙肆仟捌張[之中八張裹紙料 又五百廿張表紙 納白木辛櫃一合 着布綱一條]
    右繼料、下充氏部小勝「(追筆)依員繼了」
少鎮大法師            案主上馬養
                  別當法師「(自署)奉榮」
    廿三日下黄紙弐仟弐伯伍拾張
     右繼料、下充氏部小勝、
少鎮大法師            案主上馬養
                  別當法師「(自署)奉榮」
    廿九日下黄紙肆仟張[納辛漆櫃一合 着布綱一條 二月二十五日上了]
     右繼料、下充八木宮主、
                  案主上馬養
                  別當法師
(後略)

出典

『大日本古文書』17(154頁~160頁の内156頁~157頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)

「奉寫一切經料紙充装■《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年5月20日付(西暦770年)

記事

(前略)
    四月
     一日下黄紙玖仟枚[繼料充氏男勝「*五月七日上了」納辛櫃二合布綱二條〔一合漆泥 一合白〕]                          案主上馬養
                別當法師「(自署)奉榮」
    七日下充黄紙伍仟張[繼料充上毛野眞依 納辛櫃一合布綱一條「*五月十六日上了」]
  
七月
    九日下充黄紙参仟伍伯張[繼了充氏男勝「*繼了」 納辛櫃一合布綱一條]
                案主上馬養
               別當法師「(自署)奉榮」
    八月
     廿三日【収納】下充黄紙弐仟(マヽ)[繼料充丈部廣嶋]
                案主上馬養
                別當法師
(後略)

出典

『大日本古文書』17(154頁~160頁の内158頁~160頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)

「奉寫一切經料紙充装■《さんずい+黄》帳」(『正倉院文書』)

撰述日

神護景雲4年5月20日付(西暦770年)

記事

(前略)
    四月
     一日下黄紙玖仟枚[繼料充氏男勝「五月七日上了」納辛■《木偏+貴》二合布綱二條【一合漆泥 一合白】]                     
                           案主上馬養
                           別當法師「奉榮」
    七日下充黄紙伍仟張[繼料充上毛野眞依 納辛■《木偏+貴》一合布綱一條「五月十六日上了」]
   七月
    九日下充黄紙参仟伍伯張[繼了充氏男勝「繼了」納辛■《木偏+貴》一合布綱一條]
                           案主上馬養
                           別當法師「奉榮」
   八月
    廿三日<下>収納充黄紙弐仟[<マヽ>繼料充丈部廣嶋]
                           案主上馬養
                           別當法師
(後略)

出典

『大日本古文書』17(154頁~160頁のうち158頁~160頁)(『正倉院文書』続々修2帙7)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月2日付

記事

(紙端)
又刀子一柄[充氏小勝]
<寳龜二年四月>
二日墨一挺[充土師公守] 
案主上馬養
四日下墨一挺[充別家足]
五日下墨一挺[一挺充丸公成 一石(マヽ)川宮衣]
六日下墨一挺[充答他虫万呂]
七日下墨一挺[充他田建足「五月廿四日返上三分之一」赤染之]
八日下墨一挺[充田中倉人<追筆>「五月十四日返上四文之三其代更充一挺」]
案主上馬養
又下凡紙十八張[堂雑用料付寛万呂]
又下凡紙一百<五十>張[五千張端繼料充上毛野眞依]
九日下刀子一柄[充上毛野眞依返上]
十日下六挺[充刑部眞主 白壁三田万呂〔和〕小長谷眞國 物部道成〔和〕矢田部忍男〔和〕常乙足〔和〕「五月廿四日返上半」]
并六人各一挺
又下一挺[雜用料]
案主上馬養
又下黄紙八枚[裹紙充禾田五百足]
十一日下凡紙五十張[卅張堂雜用料 廿張雜公文作料]
十三日下墨三挺[充占部忍男 金月足 并三人各一挺 和 工清成]
案主上馬養
十四日下墨二挺[充民豊川 物部鷹主并二人 和十七日下墨一挺充物部千山「五月廿四日返上半」]
廿二日下凡紙一百張[八十張充四千張端繼料氏小勝廿張雜用料]
案主上馬養
廿五日下凡紙十二張[充■《手偏+交》従僧等雜用料]
案主上馬養
廿六日下墨一挺[充三嶋子公]
案主上馬養
廿八日凡紙廿張[雜用料下如件]
案主上馬養
又下墨一挺[充刑部和万呂 和]
廿九日下充墨二挺[充岡屋黒縄 忍海氷魚万呂]
案主上馬養
卅日下凡紙卅張[雜公文作料]
案主上馬養
(後略)

出典

大日本古文書18巻(448頁~458頁のうち448頁~451頁)(『正倉院文書』続々修34帙10)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月2日~10月3日

記事

(前略)
   十日下六(墨脱カ)挺[充刑部眞主 白壁三田万呂〔和〕小長谷眞國 物部道成〔和〕【矢田部忍男〔和〕】常乙足〔和〕「*五月廿四日返上半」]
                 并六人各一挺
   又下一挺[雜用料]
                 案主上馬養
   又下黄紙八枚[裹紙充禾田五百足]
(後略)

出典

大日本古文書18巻(448頁~458頁のうち449頁)(『正倉院文書』続々修34帙10)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月2日付

記事

(前略)
五月
四日下凡紙五十張[雜用料]
案主上馬養
六日墨一挺[充秦林万呂 和]
案主上馬養
七日下墨二挺[并三津廣前 小長谷嶋主 和]
案主上馬養
九日墨二【一】挺[充山部針間万呂返上足奈公万呂 和]
案主上馬養
十四日下墨二挺[充酒波家万呂 山部諸公 和]
案主上馬養
又下凡紙五十張[充五十張端繼上毛野眞依]
十五日下充墨一挺[矢作廣益]
案主上馬養
十六日下墨三【四】挺[充錦部人成 丈部新成 大友路万呂 丸部太人]
十七日下墨一挺[充依羅浄川]
案主上馬養
十八日下墨一挺[充秦公足]
又下黄紙八張[充裹紙料禾田五百足]
又下墨一挺[充葛木豊足 和]
廿日下凡紙五十張[卅張堂雜用料付寛万呂 廿政所<張脱カ>雜用料]
案主上馬養
廿一日下凡紙十五張[充■《手偏+交》經所付慈窓]
廿六日下墨一挺[充勘小足]
上馬養
廿八日下墨一挺[雜用料]
又墨一挺[充中室浄人]  上馬養
廿九日墨一挺[充他田嶋万呂] 上馬養
又下墨半挺[充凡海豊成 白壁三田万呂返上]
(後略)

出典

大日本古文書18巻(448頁~458頁のうち451頁~453頁)(『正倉院文書』続々修34帙10)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月2日~10月3日

記事

(前略)
    十八日下墨一挺[充秦公足]
    又下黄紙八張[充裹紙料禾田五百足]
    又下墨一挺[充葛木豊足 和]
   
(後略)
 

出典

大日本古文書18巻(448頁~458頁のうち452頁)(『正倉院文書』続々修34帙10)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月2日付

記事

(前略)
七月
一日下凡紙廿二張[式敷等料下充寛万呂]
四日下刀子一柄[充矢田部眞道]
五日下墨半<マヽ>[充香山久須万呂]
案主上馬養
六日下墨一挺[充物部白万呂]
十一日下凡紙廿八張[三千五百張端繼料且充氏小勝]
上馬養
十三日下凡紙卅二張[三千五百張端繼料且充小勝]
上馬養
「十四日墨半挺[壬生二十足之]」
十六日下凡紙十張[三千五百張端繼料充氏部小勝]
上馬養
十七日下墨半挺[充酒波家万呂]
十八日下黄紙八張[裹紙料下充禾田五百足]
上馬養

八月
六日下凡紙卅二張[雜用下如件]
上馬養
廿三日下凡紙■《よんじゅう》張[二千張端繼料充丈部廣嶋]
上馬養
廿七日下凡紙廿張[雜用料]
上馬養

 九月
八日下刀子一柄[充大伴眞依]
上馬養
十日下凡紙廿二張[雜用料]
上馬養
廿五日下黄紙六張[表紙料充内親(王脱カ)禅師御院付刑部廣濱]
上馬養

 十月
三日下凡紙六張[雜用料]
上馬養
<異筆>
「新案」

出典

大日本古文書18巻(448頁~458頁のうち455頁~458頁)(『正倉院文書』続々修34帙10)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月2日~10月3日

記事

十八日下黄紙八張[裹紙料下充禾田五百足]
上馬養

出典

大日本古文書18巻(448頁~458頁のうち456頁)(『正倉院文書』続々修34帙10)

「奉寫一切經料墨紙筆用帳案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月2日~10月3日

記事

九月
  (中略)
   廿五日下黄紙六張[表紙料充内親(王脱カ)禅師御院付刑部廣濱]
          上馬養
  (後略)

出典

大日本古文書18巻(448頁~458頁のうち457頁)(『正倉院文書』続々修34帙10)

「奉寫一切經所出經文」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜2年(西暦771年)4月9日付

記事

【菩薩善戒經一部九巻[黄紙及表綺帯朱軸有印无帙内堂經之内]
佛地経一巻[黄紙及表綺帯白木軸有印水主内親王經之内]】
                        四月九日案主上馬養
                          僧「(自署)廣寂」
【寳積經論四巻[黄紙及表綺帯紫檀軸无帙宮一切經内]】

出典

大日本古文書18巻(462頁)(『正倉院文書』続々修40帙3裏)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
収納黄紙貳萬参仟張 盛辛櫃肆合[三合漆 一合白木]
         寳龜二年十二月廿四日勘案主上「(自署下同ジ)馬養」
                史生小治田宿祢年足
司判収
              大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち124頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
十二月廿五日収納黄紙貳萬捌仟玖伯陸拾張
    [八千四百張打繼 二万五百六十張荒]納白木辛櫃伍合[勘史生小治田]年足
                               案主上「(自署)馬養」
司収          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち124頁~125頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
廿六日収納黄紙壹萬貳仟肆佰陸拾肆張
    納白木辛櫃壹合  勘史生小治田「(自署)年足」    
                案主上「(自署)馬養」
司収          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             小判官志斐連「(自署)麻呂」
             主典葛井連「(自署)荒海」
              阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち125頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
廿七日収納黄紙壹萬捌仟玖佰漆拾張  納白木辛櫃参合
  軸貳仟貳百枚[白緑塗五百枚 金青二百枚 緑青二百枚  丹三百枚]〓≪果+衣≫〓≪席の近似文字≫貳枚
                 [(自署)史生小治田「(自署)年足」]

                      案主上「(自署)馬養」
司収           大判官美努連
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち125頁~126頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
廿八日収黄紙肆萬貳仟捌佰壹拾張 納白木辛櫃漆合
  軸伍仟玖佰捌拾参枚[金青塗八枚 白緑二百九十九枚 胡粉十枚 丹一百七十七枚 白木五千四百八十九枚]
                勘[史生小治田「(自署)年足」 案主上「(自署)馬養」]
司収           大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち126頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
寳龜三年
正月五日収納黄紙壹萬参仟参佰捌拾張 納辛櫃参合[二合塗漆 一合白木] 
               勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司収          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             小判官志斐連「(自署)麻呂」
             主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち127頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
六日収納黄紙壹萬玖仟貳佰伍拾張 納辛櫃肆合[一合塗漆 三合白木]
                勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち127頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
九日収納黄紙壹萬陸仟陸佰捌拾捌張 納辛櫃肆合[二合塗漆 二合白木]
                勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち128頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
十日収納黄紙貳萬貳仟捌佰張  納白木辛櫃伍合
                勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち128頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
十三日収納黄紙壹萬壹仟肆佰漆拾陸張 納白木辛櫃参合  
                勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納          大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち128頁~129頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
十四日収納黄紙壹萬漆仟肆佰張 納辛櫃肆合[一合塗漆 三合白木] 
               勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検 納         大判官美努連「(自署)奥麻呂」
              小判官志斐連「(自署)麻呂」
              主典葛井連「(自署)荒海」
               阿刀宿祢「(自署)与参」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち129頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
廿日収納黄紙貳萬参仟壹佰貳張 納辛櫃陸合[四合塗漆 二合白木]
               勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納         大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             小判官志斐連「(自署)麻呂」
             主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち129頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
廿一日収納黄紙伍萬貳千玖伯伍拾張
[三万二百張打繼 二万二千七百五十張荒]納辛櫃壹拾合[六合塗漆 四合白木並即充奉寫一切経所]
              勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納         大判官美努連「(自署)奥麻呂」
             小判官志斐連
             主典葛井連「(自署)荒海」
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち130頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
二月四日収納黄紙玖佰肆拾陸張 納白木辛櫃壹合
               勘[史生小治田年足 案主上「(自署)馬養」]
司検納         大判官美努連
             小判官志斐連「(自署)麻呂」
             主典葛井連「(自署)荒海」
「*都合黄紙卅万四千二百六張[経所請廿万四千三百廿六(張脱カ) 正倉在<九万>九千八百八十張]
  軸一万八千七百廿四枚[経所請一千六百八十四枚 正倉在一万七千〓≪よんじゅう≫枚]
  辛櫃六十四合[経所〓≪よんじゅう≫二合請 十八合漆塗 廿四合白木 正倉在廿二合]
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち130頁~131頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「正倉紙収帳」(『正倉院文書』)

撰述日

寶亀2年(西暦771年)12月24日~寶亀4年(西暦773年)2月13日

記事

(前略)
寳龜四年二月
十三日納黄紙貳萬伍仟肆拾伍張[「*願文寫料自先 奉寫一切経司請」]
(後略)

出典

『大日本古文書』19(123頁~131頁のうち131頁)(『正倉院文書』続々修37秩8)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

寳龜三年正月
廿一日請黄紙伍萬貳仟玖佰伍拾張[三万二百張打繼 二万二千七百五十張荒]
納辛櫃壹拾合[六合塗漆 四合白木]
右、奉寫四部一切経料 且請納如件
案主上「(自署下同ジ)馬養」
大判官美努連(奥麻呂)

出典

『大日本古文書』19(144頁~145頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

 二月
四日納黄紙玖伯肆拾陸張[請政所]
案主上
別當大判官美努連

出典

『大日本古文書』19(145頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

 「(異筆)八日納黄紙貳萬壹仟壹伯拾貳張
盛辛櫃伍合[三合漆塗 二合白木]
右件紙、且所請如件、
案主上馬養    
別當大判官美努連」

出典

『大日本古文書』19(146頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

十八日納黄紙三万三百九十張[八千四百張打 二万一千九百九十張荒 「*欠五百卅」]
納辛櫃六合[二合漆 四合白木]
案主上「(自署)馬養」
別當大判官美努連
主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(147頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

廿六日納黄紙参萬壹仟壹伯張 納辛櫃七合[六合白木 一合漆]
案主上「(自署)馬用」
主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(147頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

六月
廿五日納黄紙参萬壹仟漆伯捌拾捌張
納辛櫃捌合[四合漆 四合白木]
案主上「(自署)馬養」
主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(147頁~148頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

 八月
三日納凡紙肆伯張[雜用料]
案主上「(自署)馬養」
又納黄紙参萬陸仟肆拾張
盛辛櫃陸合[二合漆塗 四合白木]布綱五條
案主上「(自署)馬養」
主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(148頁~149頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

  十六日納黄紙貳萬陸仟玖伯張[「*欠五十張」]
盛辛櫃肆合[一合漆塗 三合白木]布綱肆條
案主上「(自署)馬養」
主典葛井連

出典

『大日本古文書』19(149頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

  「(異筆)三月
      十八日収納黄紙七万二千九百八十張
       納辛櫃十三合[白木]又軸一万七千〓≪よんじゅう≫枚[納白木辛 櫃六合]
       凡紙一百五十張
                    案主上馬養
                   主典葛井連」

出典

『大日本古文書』19(150頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

 

「奉寫一切経所紙納帳」(『大口鯛二氏所蔵』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)正月21日~寶亀4年(西暦773年)4月23日

記事

(前略)
寳龜三年正月
  廿一日請黄紙伍萬貳仟玖佰伍拾張[三万二百張打繼 二万二千七百五十張荒]
   納辛櫃壹拾合[六合塗漆 四合白木]
    右 奉寫四部一切経料 且請納如件
                案主上「馬養」(自著下同ジ)
               大判官美努連(奥麻呂)
(中略)
二月
  四日納黄紙玖伯肆拾陸張[請政所]
                案主上
             別當大判官美努連
(中略)
(異筆)八日納黄紙貳萬壹仟壹伯拾貳張
    盛辛櫃伍合[三合漆塗 二合白木]
     右件紙 且所請如件
                案主上馬養    
             別當大判官美努連
三月
  九日納凡紙貳伯張
                案主上「馬養」
  十八日納黄紙三万三百九十張[八千四百張打 二万一千九百九十張荒 「欠五百卅」
   納辛櫃六合[二合漆 四合白木]
                案主上「馬養」
             別當大判官美努連
               主典葛井連
(中略)
  廿六日納黄紙参萬壹仟壹伯張 納辛櫃七合[六合白木 一合漆]
                案主上「馬用」
               主典葛井連
(中略)
六月
  廿五日納黄紙参萬壹仟漆伯捌拾捌張
   納辛櫃捌合[四合漆 四合白木]
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(中略)
八月
  三日納凡紙肆伯張[雜用料]
                案主上「馬養」
  又納黄紙参萬陸仟肆拾張
   盛辛櫃陸合[二合漆塗 四合白木]布綱五條
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(中略)
  十六日納黄紙貳萬陸仟玖伯張[欠五十張]
   盛辛櫃肆合[一合漆塗 三合白木]布綱肆條
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(中略)
(異筆)寳龜四年二月
  十三日納凡紙参伯伍拾張[三百張端繼料「買入告朔」 五十張障子張料]
                案主上馬養
               主典葛井連
廿三日収納凡紙二百五十張[「入告朔」]
                案主上「馬養」
               主典葛井連
(異筆)三月
  十八日収納黄紙七万二千九百八十張
   納辛櫃十三合[白木]又軸一万七千■《よんじゅう》枚[納白木辛 櫃六合]
   凡紙一百五十張
                案主上馬養
               主典葛井連
(後略)

出典

『大日本古文書』19(144~151頁)(『大口鯛二氏所蔵』)

「奉寫一切経所請物文案」(『正倉院文書』)

撰述日

寳龜3年(西暦772年)2月6日

記事

(前略)
庸并黒綿二百五十八屯
調布三端一丈六尺      庸布一十五段
商布廿段          黄紙卅万四千【三】二百六張
軸一万八千七百五十一枚[三百七十枚金青地 二百十四枚緑青地 八百二枚白緑地 四百〓≪よんじゅう≫五枚胡粉地 六百七十七枚丹地 一万六千二百〓≪よんじゅう≫三枚素木]
墨五百九十二廷       膠三斤三両一分[太]
(中略)
小豆二斛          韓櫃六十一<一百六>合[【十八】〓≪よんじゅう≫五合漆塗] 〓≪よんじゅう≫三<六十一>合白木]
(中略)
石四顆           標(縹)紙料竹卅五株
(中略)
   右<件>雜物等、従奉寫一切経司、所請如件、
               寳龜三年二月六日主典正六位上葛井連
                     □□□□(大判官外)従五位美努連

出典

『大日本古文書』19(244頁~247頁)(『正倉院文書』続々修43帙21裏)

「奉写一切雑物勘納并下帳」(『正倉院文書』)

撰述日

宝亀3年(西暦772年)10月24日付

記事

(宝亀三年)以十月廿四日勘納雑物等
   合錦一匹 波和良紙四十三張 黄紙一千一百張[「*間」]
    凡紙五百卅張之中[卅<張>奏料]
木綿一斤[太] 白木軸卅枝 継凡紙一百張
[案主上]「*馬養」[布師千尋]
十一月
二日下凡紙五十張[雑用料]
[案主上    布師千尋]

十四日下波和良紙十二張「(追筆)以卅日下四張」
[案主上    布師千尋]
十五日白木軸二枝

出典

『大日本古文書』20(225~227頁)(『正倉院文書』續々修40帙2裏)

「奉写一切経所雑物納帳」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年闕)6月2~20日

記事

鎹三勾[已上紙屋料] 「(追筆)汗衫  木沓一足」
「(抹消)六月二日」納浄衣二具[一具汗衫褌布袍袴装〓≪さんずい+黄≫上毛野眞依之料 一具布袍袴雑使足羽宅成之料]
案主上馬養
三日納紙五千張   菲十八両   木沓四両
案主上馬養
五日納「*以十八日返上了」[上院借請]
案主上馬養
十二日納調布浄衣一具  凡紙廿「*以十八日返上了」張  〓≪木偏+聖≫木一村
黄紙一万張  案主上馬養
(後略)

出典

『大日本古文書』20(321頁)(『正倉院文書』續々修39帙4裏)

「雑経目録」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

【仏説菩薩身〓≪食+卜≫餓虎塔虎起因縁一巻】[无 ■] <无>摩訶摩耶経一巻
【請観世音菩薩消伏毒害陀羅】 一巻<无>
               「*不受」
【佛説一切施王所行檀波羅密経一巻】 仏説菩薩投身〓≪食+卜≫餓因縁経一巻
【大輪雲請雨経二巻「(異筆)在」[【白紙未装〓≪さんずい+黄≫】]   又一部[黄紙軸具 既【无】]「(異筆)在」[白紙未装〓≪さんずい+黄≫]【无】
(後略)

出典

『大日本古文書』23(153~154頁)(『正倉院文書』續々修14帙7)

「写一切経装黄受紙注文(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

(類収・年月日闕)

記事

(天平)十四年二月五日受黄紙一巻 [廿一日一巻 廿三日一巻 廿九日一巻 三月一日〔一巻 充小広〕
三月五日一巻 七日一巻 九日二張]
十四年五月一日受紙白[十六 又十七 二日十六 八日十七 十日十六又一 十一日〔十六 又一〕
  十四日十七 十六日十七 十七日十七 廿二日十七 廿三日十七 廿四日十七 廿八日十七]

出典

『大日本古文書』24(150頁)(『正倉院文書』續々修37帙9)

「納櫃本経検定并出入帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平14年(西暦742年)7月13日

記事

(以下紙背連書)

(中略)

七月二日出<摂大乗>【経】摂大乗論二部[一部十巻無性菩薩造 一部十巻大業訳 皇后宮一切経内者、黄紙及表、紫檀軸、綺緒、〔一部無緒 又無帖占〕]
           天平廿年七月二日他田水主

(後略)


出典

『大日本古文書』24(163頁~200頁のうち191頁~194頁)(『正倉院文書』續々修15帙2)

「写集論疏充紙帳(首尾闕)」(蜂須賀侯爵家所蔵)

撰述日

天平15年(西暦743年)8月1日~天平16年(西暦744年)12月24日

記事

王広万呂八月廿一日充法花摂釈料<黄紙>一巻[反上【三】二枚] 大鳥祖足所受二巻 合六十枚
[見用五十七枚 破一 反上【三】二枚] 九月廿九日酒主<「*先給了」十六年>五月七日充華厳経論料一巻[廿枚] 九日充廿枚 十日充廿張
六月七日充【廿張】十九張[未了] 「(朱抹白線抹重畳ノ上二墨書)九日[黄枚〓≪よんじゅう≫]十一日[黄廿枚]十三日[黄〓≪よんじゅう≫枚]又[黄十枚]合受黄紙百八十九枚
[正用百八十八枚 破一]已上華厳論料」
七月一日孔目第三巻料[充廿枚]三日[廿枚]五日[充二張] 合【〓≪よんじゅう≫】受紙〓≪よんじゅう≫二<五>枚[【既用】〓≪よんじゅう≫二用 三破]已上孔目料
更六日[充黄廿枚「*未了」] 廿五日[五枚]合廿五枚[正用廿二 破三] 已上花厳疏第一巻料[元暁師也、]
八月十四日[充廿枚]十六日[充廿枚]十八日[充二枚]又[十三枚] 十九日[充廿枚]廿日[廿枚]廿二日[十六枚]合受黄
紙百九十張[正用百八十八張 【又】破二] 已上花厳論料 廿四日[黄廿枚] 廿七日[黄廿張]合〓≪よんじゅう≫張[正用卅五枚 返上五張]
已上肇論疏料 「*給十二月」 廿八日充[白中紙廿張] 九月四日[充<白>九張]五日[白廿張]
合受白紙<〓≪よんじゅう≫九>[正用卅八枚 返上十一枚] 已上順正論疏料「*給十二月一(マヽ)」
(白緑抹ノ上ニ墨書)自五月七日迄九月五日合受紙三百〓≪よんじゅう≫九枚[正用三百廿五枚 破一 返上十六]十二月廿四日検人成」

出典

『大日本古文書』24(215頁~220頁のうち215頁)(『正倉院文書』續々修15帙2)

「写集論疏充紙帳(首尾闕)」(蜂須賀侯爵家所蔵)

撰述日

天平15年(西暦743年)8月1日~天平16年(西暦744年)12月24日

記事

林浄道<十五年>八月一日充黄紙〓≪よんじゅう≫一張[見用廿二枚 反十九]法花玄賛料更充注界二巻<大床所充>廿一<三>日充一巻合
黄紙六十張[見用五十六張 返上四張]通行二巻料 更充廿四日注堺一巻
都合充紙百廿一張[見用七十八枚 反上廿三枚残廿枚]九月廿九日酒主<「*先給了」>五月十七日反上十六張
十六年九月廿六日[充白廿枚]十月三日[充白紙廿枚] 五日[充黄二枚] 合受白紙〓≪よんじゅう≫九枚[「(白緑抹ノ上ニ墨書)正用卅八枚 返十一枚」]
已上順正論疏料「*給十二月」「(白線)廿四日検人成」

出典

『大日本古文書』24(215頁~220頁のうち216頁)

「写集論疏充紙帳(首尾闕)」(蜂須賀侯爵家所蔵)

撰述日

天平15年(西暦743年)8月1日~天平16年(西暦744年)12月24日

記事

檪井馬甘 七月廿二日充黄紙百張[見用八十二 破二<一枚未上>返上十六] 大床所充九月廿九日酒主「*先給了」
十二月三日
六巻料充黄紙一巻[「*未了」]

出典

『大日本古文書』24(215頁~220頁のうち216頁)

「写集論疏充紙帳(首尾闕)」(蜂須賀侯爵家所蔵)

撰述日

天平15年(西暦743年)8月1日~天平16年(西暦744年)12月24日

記事

大友小田次 八月十三日充黄紙二巻合〓≪よんじゅう≫張<大床所充>以上法花玄(マヽ)第四巻料 更充九月四日一巻
七日一巻九日一巻 合受紙百張[見用九十六枚[五十六枚集料〓≪よんじゅう≫枚法花玄料]【十】九月<廿>九日酒主
                                                  「*先給了」

出典

『大日本古文書』24(215頁~220頁のうち217頁)

「写集論疏充紙帳(首尾闕)」(蜂須賀侯爵家所蔵)

撰述日

天平15年(西暦743年)8月1日~天平16年(西暦744年)12月24日

記事

民屯万呂 七月廿二日充黄紙百張[見用八十六枚 破一 反十三枚] 毘尼律下巻料[大床所充]九月廿九日酒主
「*先給了」十六年九月二日[充白中紙廿張]五日[白廿張] 十五日[白七張] 十八日[白廿張] 合受白紙六十七
枚[正用六十三枚 空用(マヽ)一 破三]已上順正論疏料「*給十二月」「(白線)廿四日検人成」

出典

『大日本古文書』24(215頁~220頁のうち218頁)

「写集論疏充紙帳(首尾闕)」(蜂須賀侯爵家所蔵)

撰述日

天平15年(西暦743年)8月1日~天平16年(西暦744年)12月24日

記事

大鳥祖足 七月廿二日充黄紙二巻[写始即充王広万呂 法花摂釈料「*先給了」] 奉大得所充 九月廿九日酒主

出典

『大日本古文書』24(215頁~220頁のうち218頁)

「写集論疏充紙帳(首尾闕)」(蜂須賀侯爵家所蔵)

撰述日

天平15年(西暦743年)8月1日~天平16年(西暦744年)12月24日

記事

合〓≪よんじゅう≫四枚[正用廿九枚破四枚 返上十三枚]已上樞要下之未料廿八日[廿枚黄]八月三日[廿枚黄]九日[廿枚黄]
十日十一面神呪心経義疏料<一巻>[充黄廿四枚]已用十一日[充十五枚]又二枚
[破一 以上十七枚]<元暁師>花厳第五巻料十八日[黄]廿枚又一枚 合受黄紙八十一張
[正用六十九張 空用一枚 返上十枚 ■■■(長方形塗りつぶし)已上華厳論料]廿四日[充黄廿枚]廿九日[充黄廿張]合受黄紙〓≪よんじゅう≫張[正用卅二張 返上八張]
已上肇論琉料 九月二日[充白中紙廿張]用白紙廿枚[正用二枚 返上十八枚]已上順正理論疏料
                                    「*給十二月」
十二月一日[白廿枚]九日[白廿枚]十五日[白廿枚]

出典

『大日本古文書』24(215頁~220頁のうち219頁~220頁)(『正倉院文書』正集37裏)

「写疏所紙筆墨充帳(首闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)9月5日~16日

記事

 (大友)
  小田次反上
□(九ヵ)月十五日宛雀部紙十一枚之中[四枚林浄道上返]又十六日充一巻[筆<廿>一充己知]<(天平十五年カ)【九月五日充万呂黄紙一巻一巻七日装〓≪さんずい+黄≫所 自受黄紙六巻即宛大友一巻雀部一巻】>

出典

『大日本古文書』24(221頁)(『正倉院文書』(續々修34帙1裏)

「大友小田次写疏手実案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)10月9日

記事

大友小田次受写<集>疏惣四巻[一巻法花摂釈〔用五十九{空一}〕一巻成実論主記〔用廿八張〕 一巻法花玄賛〔用五十九〕一巻宗法師章廿八〔空一〕]
受白紙六十張<合受黄紙黄紙一百<廿>張合一百六十張[見用百十五張 空一反上四枚]
 見用紙一百五十五張[外空二 反上三]
          天平十五年十月九日

出典

『大日本古文書』24(232頁)(『正倉院文書』(續々修11帙2裏)

「写経所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

天平15年(西暦743年)10月15日

記事

(題籖)
  「(表)告〓(朔)案帳」
  「(裏)告朔案」
「(端裏書)五箇月告朔案[九月以往]」
写硫所解  申五箇月行事事
請筆十六箇[一箇新 十五箇古]
 墨六廷
 墨頭廿頂
 <凡>紙八張[下纒并敷紙料]
 韓櫃三合[並着鎖子]
 机十前
 研八口
 円座八枚
【白装〓≪さんずい+黄≫】五百卅一張[白装〓≪さんずい+黄≫許所受]
  一千二百五十八張黄紙
  一千二百七十三張白紙
 所用二千三百九張
  一千七十三張黄紙[九百「(擦消)□七」十「(擦消)□七」張常写疏正用料 七張空用 八十「(擦消)□一」張間写起信論疏料   八張破]
  一千二百卅六張白紙[一千二百廿一張間写疏正用料 四張空  十一張破]
 所残二百廿二張[一百八十五張黄 卅七張白]
合所写律集疏〓≪よんじゅう≫四巻[廿四巻一切経内 廿巻間]
  比尼律二巻[未帙了]       用紙黄百七十二張
  法花玄賛二巻[未帙了]      用黄紙百廿張
  法花摂釈一部四巻        用黄紙二百九十一張
  小乗集十六巻[雑帙未了]     用黄紙三百九十四張
   右宮写一切経内
  起信論疏二巻          用黄紙八十一張
  六巻抄十二巻[未了]       用紙白八百〓≪よんじゅう≫三張
  比尼律一部三巻         用白紙二百卅三張
  法花玄賛三巻[第一 第四 第五] 用白紙百〓≪よんじゅう≫五張
   右、間所写之、
   校紙三千【四】五百【六】五十【七】四張[一千八百七十四張常 一千六百八十張間]
  書生卅四人
  (中略)
  校生七人
  (中略)
以前、従去五月一日、迄九月廿九日、行事如件、以解、     
          天平十五年十月十五日阿刀酒主

出典

『大日本古文書』24(233頁~238頁)(『正倉院文書』續集後集9)

「写一切経所解説解案(尾闕)」(『蜂須賀侯爵家所蔵』)

撰述日

(天平15年(西暦743年)月日)

記事

写<一切経>疏所解   申請布施物事
合写<経>律論<并>疏五十一<六十四>巻[【廿六】卅九巻【常】一切経 廿五巻【間】外写]
 用紙二千【四百五】七百三張
  【九百七十七】一千ニ百七十五張宮一切経内[ニ百九十八張経并音義 九百七十七張律并集疏]
  一千四百廿八張間写
  八百〓≪よんじゅう≫三張白紙四分律十ニ巻料  <【三百<卅七>八十枚】><一切>経>〓≪よんじゅう≫八張【五】色紙弁中弁(マヽ)論一部三巻料
   ニ百【〓≪よんじゅう≫】卅三張白紙四分律十ニ巻料 一百〓≪よんじゅう≫五張白紙法花玄(讃脱)三巻料[第一第四 第五]
   八十一張黄紙起信論疏一部二巻料       七十八張黄紙梵網経疏一部二巻料
  校紙三千四百九十三張 (中略)

出典

『大日本古文書』24(245頁~248頁)(『正倉院文書』(續々集後42帙5)

「経疏本紙充紙帳(尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744年)7月 日

記事

唯識論二部[廿巻]    料用黄紙
 一部<正>[用紙ニ百一張 破五空用三] 充大鳥租足 写了、並(天平)十六年<七月入>給物例給了、
[未]一部 充山辺千足[写第十巻用十九 九用廿二 八用廿三 破一枚 七用廿 六用【廿二】廿一]
 又更充三巻[第一 二 三  四用   未 写茨田久治万呂]
樞(樞)要一部[四巻] 写茨田久治万呂 料用紙百〓≪よんじゅう≫五枚[正用百〓≪よんじゅう≫枚 〔七月〕破五 空三 給了、]
 右、依 令旨、所写如件、
          判王 <進膳令史>高屋(赤麻呂)令史[十五年十一月十七日阿刀酒主]
最勝王經二部[廿巻 縹紙]
 一部  写大石広万呂 用縹紙   [十二月給【了七月給】了、]
 一部  写大島高人  用縹紙                [未]
 右、依 春宮坊政所宣、所写如件、
              判進膳令史、十四年九月十日人成
四分律抄一部[六巻]           料用黄紙
 第一[充阿閇葦人 用紙六十四張]    第二[充]
 第三[充檪井馬廿]           第四[充高市老人]

出典

『大日本古文書』24(271頁~272頁)(『正倉院文書』(續々集35帙7)

「造物所解」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744年)10月30日

記事

造物所解
 新翻薬師経四巻[二巻黄紙及表、赤木軸、無緒、 二巻黄紙及表、紫緒、黒柿軸、] 納漆函一合
 打黄紙ニ百張[十巻] 納明櫃一合
  右、付舎人凡海部百足進送如前、以解、
            (天平十六年)十月卅日史生田辺史「(自署)真人」
                     令史高屋連「(自署)赤麻呂」
「(異筆)更解、縹紙異無色、至紙中宜可用、」

出典

『大日本古文書』24(275頁~276頁)(『正倉院文書』(續集30)

「間本経充舊帳(首中闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744年)10月 日天平16年(西暦744年)10月 日

記事

  合【二】一部廿巻用紙八百六十【七】八張 空用一

(中略)

   合一帙用紙四百〓≪よんじゅう≫一張

(中略)

花厳経孔目四巻[真聖師撰]

(中略)

大乗起信論ニ巻[上下 馬鳴菩薩造]
  上卷[充七月廿三日安曇広万呂 写紙十三枚]    下巻[充七月廿三日難万君 写紙十一枚]
   合<受白紙>廿四枚
  右、依 令旨、所写如前、長官(市原主)宮宣、
十一面神呪心義疏一巻
  一巻[充八月十一日大鳥高人 用紙黄廿八枚]
  右、依 令旨、所写如件、長官宮宣、使阿刀酒主、
最勝王経一部[十巻]料用黄麻紙百八十張[正用百五十四張 破【五】二張 【三枚法花破】 反上廿四枚 即受秦小広 充大石広万呂 九月一日充人成 一校主寸五百国 二校檜万呂]
弁中辺論一部[三巻]
  上卷[充八月廿三日大島高入 用<十五張] 中巻[充八月廿三日志紀久比万呂 用紙十七張] 下巻[充八月廿四日蜂田在人 用紙十五張]
   合用紙〓≪よんじゅう≫七張[已用]
肇論一巻[用薄白紙卅四張]  玄錦部大名[八月廿四日充]
  右四巻書、依長官宮宣、所写如件、
大乗起信論二部[二巻 旧]    料用黄紙
  一巻[九月廿日充忍海広次写十一枚破二更充廿四日茨田写十八 合用紙黄廿九枚] 一巻[九月廿六日林浄道 用紙卅三枚]
又疏<二部>四巻[元暁師者]   料用紙黄一百〓≪よんじゅう≫七枚
  上巻[九月廿二日充安曇卅枚更充廿四日民屯万呂写五枚 更充葛野安万呂写十枚 合用紙〓≪よんじゅう≫五枚〔破一〕] 下巻[九月廿二日充古乎万呂写四枚更成写十六 更充角恵万呂写九枚 合用紙廿九枚]
  上卷[九月廿二日充志紀久比万万写廿枚更<充>廿四日阿刀息人写廿三枚 合用黄紙〓≪よんじゅう≫三枚〔空一〕〔破二〕] 下巻[九月廿二日充山部写十七枚九月廿六日 依網写十三枚 合用紙卅枚]
    右、依  令旨、所写如件、(鈴鹿主)式部尊宣、判足万呂
八巻金光明経疏一部[八巻 元暁師者]「(楽書)篇」 「(楽書)凰 儀 巻」
(中略)
「(異筆)間本経充旧帳」

出典

『大日本古文書』24(276頁~280頁)(『正倉院文書』(續集30)

「先経師等充紙并筆墨帳」(『正倉院文書』)

撰述日

天平16年(西暦744年)11月28日 12月3日

記事

               「(裏)法華経紙  法花二枚」
十一月廿八日(安曇)広万呂収納白紙五巻

十一月廿日八以山辺(千足)受書継黄紙二枚

十一月廿八日建部(広足)受白紙一巻 鳥取(益麻呂)受白紙一巻 呉原(生人)白紙一巻
十二月三日達沙(牛甘)受白紙十七枚

                   「*二月廿九□□□(長方形抜け)(日)」
受紙合百六十張[用百五十七 空二反上一]二月廿四日上同日[充一二三]

                            岡石足[墨]

「(奥書)先経師等充紙并筆墨帳」

出典

『大日本古文書』24(280頁~281頁)(『正倉院文書』(続々集37帙9)

「写疏論集充装〓≪さんずい+黄≫帳(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平17年(西暦745年)8月25日~12月15日

記事

  大乗法苑林章第五[用卅六] 因明入正理論玄義記中巻[廿九] 下巻[廿九]
    [右六 用白紙ニ百〓≪よんじゅう≫五張空一受秦犬――充酒主]
  法花統略中巻<白>[廿六] 仁王般若経疏下巻[用白六十 空三] 入楞伽経抄上巻[用白卅]
  顕揚論疏第十[五十六]
    右四巻用白紙一百七十二張空一受能登忍人 充酒主
(天平十七年八月)
廿五日涅槃経疏第一[用五十二] 第三[六十四] 四分律抄第六[六十六] 第一[五十八]
  顕揚論疏第六[五十九 空一] 大乗四論玄記義第二[廿八 空一] 大乗法苑林章第七[卅八]
   右七巻用白紙三百六十五張 空二 受能登忍人 充人成
廿八日大乗四論玄義記第三[用五十 空一] 第十一[用六十三] 第七[用七十四] 顕揚論疏第五[用六 十二 ■]
  成実論疏第七[用五十二 破二] 掌珎論疏巻上[用五十二]
  法花統略第一[用〓≪よんじゅう≫七] 法苑林章第六[用廿二]
   右八巻用白紙四百廿二張 破二 空一 受忍人[充人成]
又同日充楞伽経科文巻下[用【〓≪よんじゅう≫】卅四張] 受忍人 充人成
 又同書巻上[用〓≪よんじゅう≫二] 受忍人    充人成
九月十日充成実論疏第三巻[用白紙六十五] 第五[用五十張] 顕揚論疏第七[用白紙 五十三]
 称賛浄土経疏第一[用白紙廿三] 【右】
  右四巻用紙百九十【二】一張受秦小広 充酒主
十二月九日四分律抄下之本[用白紙六十七] 成実論疏第十一[用白紙五十七]
 大乗四論玄義記第四[用白紙〓≪よんじゅう≫九] 心経疏一巻[用白紙廿五] 中論義疏第三[用白紙六十四]
  合ニ百六十二張 造能登忍人          酒主
同日
 顕揚論疏第一[用白紙六十六] 心経疏[用白紙十三] 大乗義林第二[白紙〓≪よんじゅう≫七]
 大乗四論第十[白紙六十五] 法花玄論第一[黄紙卅七]
  合ニ百廿八張 受秦小広                    酒主
 十五日充顕揚論疏第三[五十]第八[〓≪よんじゅう≫五] 成実論疏第十[五十八] 第十五[五十三 □□□(長方形後半抜け)]

出典

『大日本古文書』24(312頁~314頁)(『正倉院文書』正集21裏)

「写経紙経師充帳(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)3月7日~5月20日

記事

「(志斐磨筆下同ジ)志」 (紙継目)
廿四日黄紙廿張

山辺千足[十八年三月七日充黄紙廿枚十一日充卅三張廿日充廿張 廿四日充黄紙四枚]


出典

『大日本古文書』24(352頁~353頁のうち352頁)(『正倉院文書』(續修別集46裏)

「写経紙経師充帳(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)3月7日~5月20日

記事

建部広足[十八年三月九日充黄紙八十張十七日充【八十】〓≪よんじゅう≫一張 合受紙一百廿一張〔用百四枚 返上十七枚〕已上起信論疏四巻料]


出典

『大日本古文書』24(352頁~353頁のうち352頁)(『正倉院文書』(續修別集46裏)

「写経紙経師充帳(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)3月7日~5月20日

記事

爪工家万呂[十八年四月廿二日充黄紙廿張廿五日充廿張廿七日廿張廿九日〓≪よんじゅう≫張卅日六十張五月一日充六十張二日自装漢充八十張八日充黄紙五張十一日充黄紙五張十ニ日充卅一張、已上八敬六年并四分戒本〓≪よんじゅう≫一巻之料也、廿日充黄紙ニ百五十二張、已上者
薬師経十八巻料也、


出典

『大日本古文書』24(352頁~353頁のうち352頁)(『正倉院文書』(續修別集46裏)

「写経紙経師充帳(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)3月7日~5月20日

記事

余馬甘[十八年五月九日充黄紙廿張十一日充黄紙廿張]

「(志斐磨筆)志」 (紙継目)


出典

『大日本古文書』24(352頁~353頁のうち353頁)(『正倉院文書』(續修別集46裏)

「後経所装〓≪さんずい+黄≫納紙帳(首尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平18年(西暦746年)3月7日~5月20日

記事

(天平十八年)
四月五日納黄紙百張[玉屋公万呂] 六日納白紙【六】五百張[玉屋公万呂]
廿二日納黄紙百張[玉租公万呂] 廿四日納黄紙三百張[玉屋公万呂]
五月二日納黄紙八十張[充玉租公万呂 知爪工家万呂阿刀宅足] 三日納黄紙廿張[充玉租公万呂 知爪工家阿刀宅足]
四日納黄紙廿張[充玉租公万呂 知爪工家阿刀宅足] 八日納黄紙廿張[充玉租公万呂 知爪工家阿刀宅]
九日納白紙一千張[充玉租公万呂] 十一日黄紙廿一張[充玉租公万呂] 十ニ日納黄紙
八枚[玉(マヽ)屋租公万呂 知爪工家万呂] 十三日納黄紙六枚[玉屋公万呂 受爪工家万呂] 五月
十九日納黄紙ニ百五十二張[玉屋公万呂 受爪工家万呂] 廿二日納黄紙三枚[玉屋公万呂 薬師経牧(枚)換料用] 廿
五日納黄紙五張[玉屋公万呂 間仰給唯識論〓≪衣偏+票≫紙料] 廿七日納白紙一千二百張[玉屋公万呂]
六月八日納黄紙三百<二>張[玉屋公万呂] 八月十ニ日納白紙一千四百<廿>張[玉屋公万呂]
八月廿八日納廿張[玉屋公] 九月廿三日<納>紙ニ百〓≪よんじゅう≫張[納玉屋公万呂] 潤九月八日
納紙ニ百張[玉屋公万呂] 潤九月十ニ日納紙ニ百張[玉屋公万呂] 十月
十ニ日納紙四百張[玉屋公万呂] 十月十九日納紙四百張[玉屋公万呂] 十一月三日
納〓≪よんじゅう≫八張[玉屋公万呂] 十一月十七日納紙百六十張[玉屋公万呂] 十一月廿二日納紙
六百張[玉祖公万呂] 十二月一日納白紙四百張[玉租公万呂] 十二月三日納紙〓≪よんじゅう≫張
十二月四日納紙百六十張[玉祖公万呂]
十九年正月廿六日納紙四百張[玉屋公万呂] 二月廿四日納紙百張□□□(長方形後半抜け)
□□□(長方形前半抜け)日納紙一百張[玉屋公万呂] 三月廿二日三百張[玉屋公万呂]□□□(長方形後半抜け)

出典

『大日本古文書』24(358頁~359頁)(『正倉院文書』(正集14裏)

「写疏所解案」(『正倉院文書』)

撰述日

「写疏所解案」(『正倉院文書』)

記事

写疏所解  申請布施事
 合奉写薬師経廿一巻
  用紙二百七十九張[二百卅四張黄紙 〓≪よんじゅう≫五張色紙]
(後略)

出典

『大日本古文書』24(376頁)(『正倉院文書』(続修42裏)

「他田水主充紙注文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平19年(西暦747年)8月4日

記事

千手経紙充 合四百廿張[先一切経料黄紙便用者   未返廿五張 正用三百七十八張 空七 破五 返上十五張]
(後略)

出典

『大日本古文書』24(419頁)(『正倉院文書』正集4裏)

「経疏本出入帳案(中尾闕)」(『正倉院文書』)

撰述日

天平20年(西暦748年)7月9日~勝宝3年10月日

記事

 右、以廿年十月十日、自寺政所奉請如□□□(長方形後半抜け)
                   知 他田水主
  「(異筆)以廿一年三月一日、返送了、[受宣教師] 知長□□□(長方形抜け) 他田□□(水主カ)」
解深密経疏一部十巻[永金師書者 使犬甘木積万呂 天平勝宝元年□(九カ)月(長方形後半抜け)
  「(異筆)以天平勝宝三年三月五日返送、使左京七條二坊丹比古勇万呂 知葛野人足 舎人伊香家成 史生阿刀 池田水主」
自元興寺奉請四分律■一部[六十巻 黄紙赤木軸赤表綺緒無帙占]
  右、依宮一切経之内律誤、為計会、以天平勝宝二年五月四日奉請、使舎
  人飽田石足、
  「(異筆)天平勝宝五年十一月十六日、付舎人大伴〓≪草冠+衣≫万呂返了、[史生阿刀 検納他田水主 知上馬甘]」
楞伽経疏一部八巻[社(社)行楷撰] 白紙朱頂軸緑緒
  右疏、自教輪師之所奉請、使村山首万呂、
              天平勝宝二年六月十七日納他田水主
  「(異筆)同年九月七日、付飽田石足返送如前、 池田水主」
□□(解深)密経範法師疏二巻
  右、以天平勝宝二年七月三日、<借>奉請仙徳師自所、
  「(異筆)以同年十ニ月二日返了、使聞訓師、 納他田水主」
成実論疏第一巻、以勝宝二年十一月【十】九日返上、使即
             十二月十ニ日返送第二巻使即「(自署)覆」

出典

『大日本古文書』24(509頁~516頁のうち510頁~511頁)(『正倉院文書』塵芥24裏)

「経巻出入請軸等文書継文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月16・26日

記事

文殊師利仏土厳浄経二巻 毘耶沙問経二巻[在帙]、決定毘尼経一巻
大方廣三戒経三巻[在帙]、已上経、充宝積経校所、
                          (天平勝宝七歳)四月十六日上馬養
宝梁経一部二巻[黄紙、同表 綺緒、朱軸、綵帙、]
 充宝積経校所、 
                      四月廿六日上馬養

出典

『大日本古文書』25(178頁)(『正倉院文書』塵芥25裏)

「経巻出入請軸等文書継文」(『正倉院文書』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月27日

記事

合経拾漆巻
帙五枚
  三枚繍(帙脱カ)[並緋綾裏、錦縁、組帯、]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[一枚深緑綾裏、赤紫縁、組帯、一枚緋綾裏、黒紫縁、組帯、]
勝思惟梵天所問経六巻 阿惟越致経三巻
大乗問性経二巻  縁生初勝□(分)法□□□□(経二巻)
 右、四部十三巻、[並黄紙及表、綺緒、朱軸、]
楞伽阿跋多羅宝経四巻[黄紙及表、綺緒、漆軸]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(178頁~179頁)(『正倉院文書』塵芥25裏)

「造東大寺司牒」(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

撰述日

天平勝宝7年(西暦755)4月21日

記事

「(端裏)請山階<寺>帳」
造東大寺司 牒興福寺三綱務所
合経弐伯参拾巻
 帙弐拾壹枚  
  十九枚綵帙
   十七枚繍[之中十二枚緋綾裏錦縁組帯 五枚緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
   二枚織[並緋〓≪あしぎぬ≫裏錦縁紫帯]
  二枚〓≪夕+鹿≫帙[並黄〓≪あしぎぬ≫裏錦縁 一枚組帯 一枚錦帯]
(中略)
観薬王薬上二菩薩経一巻[已上並黄紙及表、綺緒、紫檀軸、]
(中略)
灌洗仏形像経一巻[白紙黒紫羅表 深緑(線)綾裏綺緒白檀軸] 報恩奉盆経一巻[黄紙及表銀軸無緒]
大金色孔雀王呪病結界文一巻[黄紙及表朱 頂軸無緒] 佛頂尊勝陀羅尼経一巻[黄紙及表綺 緒木絵軸]
摩訶摩邪経一巻[黄紙及表朱 頂軸綺緒] 観薬王薬上菩薩経一巻[黄紙及表綺 緒漆軸]
  右六経六巻同帙[紙帙]
首楞厳三昧経三巻[黄紙及表朱頂 軸 一帙] 賢劫経十三巻[黄紙及表朱頂 軸紫緒]
(後略)

出典

『大日本古文書』25(185頁~193頁)(『横濱中村房次郎氏所蔵』)

「法師道鏡牒」(『正倉院文書』)

撰述日

(天平宝字年中)(西暦757年~764年))5月22日

記事

牒  寺司所「(楽書)寺寺作田部臣万呂 寺寺寺司司」
大般若経三帙[第一 第二 第六十帙]
 右件経、上山寺僧瑞〓≪王偏+ク+内+目+冬≫等可奉請、故牒
             五月廿二日
            法師道鏡
「(異筆)判行       判官葛井連」「(自署)根道」
             主典志斐連」「(自署)麻呂」
「(又異筆)上件、以坤宮官一切経内令請如件、[黄紙及表綺帯紫檀軸在帙籖 返]
                             上馬養     」

出典

『大日本古文書』25(346頁~347頁)(『正倉院文書』続修5 10)

「造東大寺司王義之書法返納注文案」(『正倉院御物出納文書』)

撰述日

延暦3年(784)3月29日

記事

「(表題)王義之書法返納文書 一巻」
□(造)東大寺司      案
  義之
   書法捌巻
    一巻[五十四行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
    一巻[卅 行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
    一巻[卅六行 白紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
    一巻[〓≪よんじゅう≫四行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
    一巻[廿一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
    一巻[〓≪よんじゅう≫一行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
    一巻[卅五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
    一巻[廿五行 黄紙 紫檀軸 紺綾〓≪衣偏+票≫ 綺帯]
右、返納本倉已〓≪言偏+迄≫、
       延暦三年三月廿九日主典正六位上大野我孫
                少判官正六位上下道臣
                三綱
                上座
                可信

出典

『大日本古文書』25附録(9頁~10頁)(『正倉院御物出納文書』)