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2025年度の研究会

令和7年度(2025)
【第1回】
4月17日

小山田智寛(東京文化財研究所文化財情報資料部 主任研究員)、山永尚美(同部 アソシエイトフェロー)、田良島哲(同部 客員研究員)
「文化財(美術工芸品)の修理記録および修理記録データベースの公開について」

文化財(美術工芸品)の修理や修復の記録は作品の状態、材料、構造などにかかわる重要な情報であるにも関わらず、1897年(明治30年)に制定された古社寺保存法以来、その記録を一元的に整理・公開している機関や刊行物はない。そこで、この度、文化庁補助事業「美術工芸品修理のための用具・原材料と生産技術の保護・育成等促進事業」内のプロジェクトとして、過去の修理記録の収集ならびにその統一的な整理手法の検討を目的に作業を行い、2024年度末にウェブデータベースとして公開した。本発表では、当プロジェクトで判明した修理記録の現状について報告し、修理記録やそのデータベースに求められる内容や機能について検討したい。

【第2回】
5月21日

Tim T. Zhang(メトロポリタン美術館アジア美術部リサーチ・アソシエート(研究員))
「没倫紹等(墨斎)筆《葡萄図》について」

メトロポリタン美術館で現在開催中の特別展『三絶:日本の詩書画』では、コウルズ・コレクションに所蔵される平安時代から現代に至る書画が展示されている。展覧会および図録の調査過程において、一休宗純の高弟である没倫紹等(墨斎)筆の葡萄図から、落款にある逆さまの捺印と葡萄に押された指紋が初めて確認された。この指紋は、現存する水墨画における指を用いた表現の最古の作例とする。本研究では、これらの表現と画賛に着目し、本作および東京国立博物館所蔵の没倫筆葡萄図を、同じく唐起源の「酔墨」の系譜に属する雪舟等楊筆破墨山水図よりも数年先行する作品として位置づける。さらに、五山文学の文脈および一休没後に大徳寺で周縁化されたその会下の実態を背景とした没倫の宗教的声明として論じる。

【第3回】
6月5日

黒﨑夏央(東京文化財研究所文化財情報資料部アソシエイトフェロー)
「『日本美術年鑑』の現状と課題」

『日本美術年鑑』(以下、『年鑑』)は日本国内における一年間の美術界の動向を一冊にまとめたデータブックであり、昭和11年(1936)に当研究所の前身である帝国美術院附属美術研究所で初めて刊行されて以来、現在も刊行が続けられている。『年鑑』は長らく「美術界年史」「美術展覧会」「美術文献目録」「物故者」の四項目で構成されてきたが、2025年1月刊行の令和四年版からは、「美術文献目録」のうち、雑誌や新聞等に掲載された美術文献の一覧である「定期刊行物所載文献」の項目を掲載しないという大幅なリニューアルを行った。同項目に相当するデータについてはこれまで通りに収集を続け、「東文研総合検索」と呼ばれるデータベース上で、従来よりも時期を早めて公開することにした。さらに現行の「東文研総合検索」では拾うことが難しいデータにもアクセスができるよう、独自のデータベースの作成を検討している。本発表では、『年鑑』の構成や編集体制の現状と、令和四年版でのリニューアルについて報告し、今後の『年鑑』が目指す在り方について検討したい。

【第4回】
7月17日

呉景欣 [ウー・ジンシン](米・ラトガース大学アソシエート・ティーチング・プロフェッサー、東京文化財研究所来訪研究員)
「近代日本画家の台湾における活動と画業の発展-木下静涯と同時代の日本画家たちの渡台前後の作品を中心に」

1895年に台湾が日本の植民地になると、日本画家が台湾を訪ねることが増えた。彼らの台湾における経験は、自らの絵画に新たな刺激と影響を与えた。1918年から1945年まで台湾で過ごした木下静涯は、日本画家の中でも最も長く台湾に住み、現地の美術活動と非常に深い関わりを持った。静涯は村瀬玉田画塾や竹内栖鳳の竹杖会などで絵を学び、渡台後、台湾日本画協会を設立し、台湾美術展覧会の審査員を務めた。本発表では、四条派における静涯の画業の背景と創作活動、渡台後の画題や画風における変化について考察する。また近年発見された静涯の四条派を学んだ時期の画稿、粉本を紹介し、最近公開された郷原古統の『南薫綽約』を検討し、同時代の日本画家たちが植民地政策や台湾の自然環境などにあわせて変化しながら、日本画のスタイルを継承し、変容した過程についても考察する。

森川もなみ(山梨県立美術館学芸員)
「三水公平の南方従軍スケッチ―戦時下における日本の占領地・植民地の記録」

本発表では、戦前戦中期に独立美術協会や美術文化協会に出品した油彩画家・三水公平(1904~1997)による従軍スケッチを紹介する。これまで三水が戦時期に描いた現存作品はほとんど確認されておらず、画業の全貌は明らかにされていないが、発表者は1941(昭和16)年から1943(昭和18)年に三水が描いた700点以上のスケッチを遺族宅にて調査する機会を得た。スケッチはインドネシアを中心に、シンガポール、台湾、満洲などで制作され、風景、動植物、人物など多様な主題を含む。本資料群は三水の画業を再評価する上で重要であると同時に、戦時下の日本人画家の活動記録として、また日本の占領地の様子を視覚的に伝える歴史資料としての価値を有すると考えられる。本発表を通じてスケッチの存在を共有し、今後の研究への一助となれば幸いである。

【第5回】
9月16日

水野裕史 (筑波大学芸術系准教授)
「探幽様式としての孔子像―図像の規範化をめぐって」

狩野探幽が確立した様式は、近世絵画において高い規範性を持ち、特に山水画において広く受容されてきた。しかし、道釈人物画における探幽様式の影響については、従来十分に論じられてこなかった。人物画は描かれる人物の身分や性格を反映した多様な様式があり、規範化が困難であったためである。しかし、孔子像の事例においては、その意義を看過できない。中世にはすでに孔子像の基本像容が成立していたが、探幽はこれを整理、簡略化し、粉本として再構築した。そして、この様式は狩野派を通じて諸藩の孔子廟や藩校に広く流布し、礼制空間にふさわしい「標準図像」として定着したのである。天保15年(1844)の『公用日記』に記される孔子像制作の詳細は、その図様が制度的基準として扱われていたことを示す。また、諸藩に伝来した孔子像には、探幽様式を踏まえつつ独自の解釈や装飾的要素が加えられており、規範の継承と変容の実態が浮かび上がる。一方、近世後期には唐代の呉道玄の様式や中世的要素を参照する動きも強まり、探幽様式は唯一絶対の規範ではなかった。本発表では、儒教の祖たる孔子を例に、探幽様式がどのように受容され、規範性を獲得したのかを考えてみたい。

小野真由美(文化財情報資料部日本東洋美術史研究室長)
「狩野常信の詠歌活動に関する一考察」

狩野常信(1636~1713)は木挽町狩野家当主であると同時に、優れた歌人としても活動した。常信は中院通茂(1631~1710)に詠歌を学び、『古画備考』などに多数の和歌が収録されている。さらに、歌人として名高い蒔絵師・山本春正(1610~1682)にも学んだ。とくに寛文5年(1665)の松永貞徳十三回忌追福歌会に、春正門下の15名の歌人の一人として参席した事実は、その才能と地位を示す重要な証左である。その後も貞徳十七回忌や岡本宗好の月次歌会に継続的に参加し、『露底軒月次会』に記録された常信の詠歌は450首以上に及ぶ。これらは歌人としての活動を裏付けるものである。また、常信は叔父の狩野探幽(1602~1674)の指導を受けながら、和歌で培った感性を絵画にも反映させた。「後嵯峨院御製行路柳図」(東京富士美術館)や「和歌十躰」(個人蔵)などの歌意図作品、「糸桜図簾屏風」(皇居三の丸尚蔵館)、「半月白鷺図」(東京国立博物館)などは、その和歌的感性を体現する代表例である。常信の詠歌活動は、大名や文化人との人脈形成を促し、木挽町狩野家の基盤や後の地位向上にもつながったと考えられる。本発表では、常信の詠歌活動を画業との関わりから検討し、絵師であり歌人でもあった常信像の再評価を試みたい。

【第6回】

9月25日

江村知子 (東京文化財研究所文化財情報資料部長)
「山崎架橋図の光学調査について」

令和6(2024)年1月に和泉市教育委員会と東京文化財研究所は共同研究の覚書を締結し、和泉市久保惣記念美術館の作品調査を共同して実施している。同館所蔵「山崎架橋図」は京都の宝積寺にかつて伝来し、宝積寺の本尊十一面観音像が老翁に化身して現れ山崎橋を架けたという霊験を絵画化したもので、鎌倉時代の制作とされている。宝積寺と山崎橋の縁起絵であると同時に、人々や土木工事の風俗表現、写実的な風景表現が特徴的な作品で、また画面下部に縁起文を伴うことでも注目されてきた。このたびの共同研究の光学調査により、肉眼では識別することが難しかった縁起文の文字の可視化を進めることができたほか、制作工程を知る下描き線の存在や画中の微細な表現を記録することができた。本作品の研究史にふれ、光学調査で得られた知見について紹介する。

コメンテーター:河田昌之 (和泉市久保惣記念美術館館長・大阪芸術大学教授)

【第7回】

10月9日

「美術市場のメカニズムを知る」

発表者(1):川島公之(東京美術商協同組合 理事長、繭山龍泉堂 代表取締役社長)
「売立、交換会について」

発表者(2):山口桂(クリスティーズジャパン 代表取締役社長)
「オークションについて」

多くの研究者が、作品の来歴調査などにあたって売立目録やオークションカタログなどの資料を日々参照しているが、その背景にある作品移動の力学、例えば入札方式や仲介のメカニズムは、あまり知られていない。また日本の美術市場は、欧米とは異なる独自の取引形態で発展・展開してきた点に特徴があるが、日本型の売立や交換会が欧米型のオークションと混同されて語られる例も少なくない。そのような現状を踏まえ、研究者が美術市場(日本型、欧米型)のメカニズムを知り、美術市場資料に対する理解を深める機会として本研究会を企画した。

司会進行:田代裕一朗(東京文化財研究所文化財情報資料部研究員)