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2021年度の研究会

令和3年度(2021)
【第1回】
4月27日

梅沢恵(神奈川県立金沢文庫)
「「辟邪絵」の主題についての復元的考察」

「辟邪絵」(奈良国立博物館所蔵)は後白河法皇によって制作された「地獄草紙」「病草紙」などとともに一連の六道絵巻に含まれていた絵巻の断簡であると考えられている。益田鈍翁旧蔵の二種の地獄草紙のうち、僧侶が堕ちる地獄を描いた「沙門地獄草紙」を甲巻、「辟邪絵」の五図が含まれる巻を益田家本乙巻と称したが、小林太市郎氏が乙巻を中国の辟邪(悪鬼払い)の図であるとされて以来、本絵巻は人にさまざまな害をなす悪鬼、疫神から守護する善神を主題とする絵巻とするのが定説となっている。
これまで、小林太市郎氏、宮島新一氏らにより各幅の図像が詳細に検討されてきた。発表者は、[毘沙門天図]の「矢を矧ぐ」と特殊な図像に注目し、比叡山ゆかりの兜跋毘沙門天像との関わりについて論じた。また、関連の絵巻の断簡として注目されながら、「辟邪」という枠組みでは収まらない「勘当の鬼」(福岡市博物館)について、絵巻の全体の主題を「鬼神にとっての地獄」として再考することで解決する見通しをたてた(梅沢2014)。
近年、一連の絵巻の詞書の一部とみられる新出史料が紹介された。さらに、山本聡美氏が拙論を踏まえながら、六道ではなく、五道説に基づき「阿修羅道を含意する鬼神道」を主題とする絵巻であることを提案された。 本報告では、各幅の図様を再検討し、新出の断簡の問題を含め、本絵巻の構想について再度検討したい。

【第2回】
5月25日

江村知子(東京文化財研究所文化財アーカイブズ研究室長)
「新出の住吉廣行筆「酒呑童子絵巻」(ライプツィヒ民族学博物館蔵)について」

ドイツのライプツィヒ民族学博物館(GRASSI Museum für Völkerkunde zu Leipzig)には、明治10〜15年(1877〜82)に来日していたお雇い外国人医師のショイベ(Heinrich Botho Scheube, 1853~1923)が蒐集、寄贈した日本美術作品が所蔵されている。これまでドイツやヨーロッパでもこの日本美術コレクションについてはあまり知られていなかったが、今回紹介する住吉廣行(1754〜1811)筆「酒呑童子絵巻」(絹本着色・全6巻)についても、つい最近までその存在すら知られてこなかった。
今回の発表では、この新出本を紹介し、制作背景についての考察をおこなう。現時点の推測では、本絵巻が天明6年(1786)に徳川家第10代将軍・家治の養女であった種姫(1765〜94、実父は田安徳川家宗武、実兄は松平定信)が、紀州徳川家第10代藩主・治宝(1771〜1853)に嫁いだ際の嫁入り道具として、他の絵巻物などとともに住吉廣行が描いたものである可能性が考えられる。なお本絵巻の後半の構成や図様は、天下の名品として知られる狩野元信筆「酒伝童子絵巻」(サントリー美術館蔵)に類似する部分もあり、幕府の右筆・森尹祥(1740〜1798)が両者をつないだ可能性が考えられる。さらに根津美術館が所蔵する、住吉弘尚(1781〜1828、廣行の長男)筆「酒呑童子絵巻」(全8巻)は、本絵巻と図様や構成が類似する部分が多く、その表現を比較参照することで、作品の位置付けが浮かび上がるものと思われる。
住吉廣行は松平定信(1759〜1829)のもとで幕府の重要な仕事や古社寺の宝物調査にたずさわり、古典に触れる機会も多かったことが知られており、本絵巻も数々の問題を考えることのできる重要な作品と考えられるが、まずは壮烈な鬼退治の物語を堪能するところから始めたい。

【第3回】
6月29日

小山田智寛(文化財情報資料部研究員)
「東京文化財研究所の文化財データベースシステムの開発と運用について」

東京文化財研究所では複数のオンラインデータベースを運用している。このうち一般公開システムである「総合検索」および所内で情報の蓄積を担う「刊行物アーカイブシステム」については、『美術研究419号(2016年6月)』に、開発と運用を担当したアソシエイトフェローの福永八朗が、その開発の経緯を研究ノート「東京文化財研究所の文化財データベース ―刊行物アーカイブを中心とした、アーカイブ・データベースの目的要件およびその実現の方法について―」としてまとめている。
同研究ノートにおいて福永は、東京文化財研究所の情報発信が様々な事情で個別の発信に留まっている現状を指摘する。そして、その解消のために情報を一元管理するための「刊行物アーカイブシステム」と、それらの情報を一体的に公開するための「総合検索」という二つのシステムが開発されたことを説明し、両システムの課題と展望を挙げる。
2021年6月現在、両システムの開発と運用は発表者に引き継がれ、「刊行物アーカイブシステム」は2016年当時より約100万件、「総合検索」は約50万件のデータが追加されるなどして稼働を続けている。本発表では両システムの現状を報告し、福永が挙げた課題と展望を検討するとともに、改めて現在の課題と展望を共有したい。

【第4回】
7月16日

小林公治 (文化財情報資料部広領域研究室長)
「近現代日本における「南蛮漆器」の出現と変容―その言説をめぐって―」

現在、「南蛮」という語はごく日常的に使われる言葉の一つであるが、そうした状況は明治末から昭和初期にかけての日本社会に広がった「南蛮」流行を背景としている。またこうした歴史的流れの中で「南蛮漆器」という概念が現れ、昨今、各地でたびたび開催される展覧会や漆工史研究においてごく一般的に使われる語彙となっているが、大正から現代にいたるその歴史を顧みれば、この名称のみならず、その指し示す内容も大きく変化してきたことが明らかとなる。
本発表では戦前から戦後にかけて記された諸氏の言説により、「南蛮漆器」の出現から現代にいたるまでの認識や分類の変容、所蔵者とコレクションの形成や変動を確認すると共に、「南蛮漆器」をめぐる社会的な意識や価値変化の動きをたどることにより評価の相対化とその位置づけをはかり、今後の「南蛮漆器」研究を内省的に進めるための一助としたい。

【第5回】
9月24日

中村茉貴(神奈川県立歴史博物館非常勤(会計年度職員)・東京経済大学図書館史料室臨時職員)
「「創造美育協会」の活動記録にみる戦後日本の美術教育―島﨑清海資料を手掛かりに」

このたび「創造美育協会」(略称創美)の本部事務局長を長年務めた島﨑清海(美術教師:1923-2015)の資料調査を行いました。
創美は1952年に北川民次、瑛九、久保貞次郎等が設立した美術教育運動を行う民間団体で、全国に支部を構えるほど発展しました。
島﨑が遺した資料には、機関紙、参加者名簿、記録映像、創美会員並びに美術家の書簡等があり、それらを調査することで、美術教師をはじめ、美術評論家や美術家等がどのように会に関わっていたのか、浮かび上がってきます。
創美による国や地域、職種、年齢、性別の垣根を越えた人的な交流を生みだす活動が、結果的に日本の美術教育ないしは版画史、美術史に影響を及ぼすことに繋がったと考えています。

【第6回】

11月30日

二神葉子(文化財情報資料部 文化財情報研究室長)
「世界遺産条約の履行に関する最近の国内外の動向」

世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約(以下、世界遺産条約)は2022年に成立から50年を迎える。現在、世界遺産条約の締約国は194ヶ国で、ユネスコの条約の中でも最も成功したものの一つとも言われている。現在、世界遺産一覧表(以下、一覧表)に記載された資産は1154件(167ヶ国)を数え、ひとたび一覧表に記載されれば知名度の向上とそれに伴う来訪者の増加、経済効果をはじめとした地域の活性化が期待されることから、各国で記載に向けた取り組みが行われている。
一覧表に記載されるには、当該資産が顕著な普遍的価値(Outstanding Universal Value、OUV)を有しなければならない。OUVを構成する要素は比較分析や評価基準、真正性や完全性のほか、「保全」が加わるなど次第に変化している。また、文化的景観や産業遺産など一覧表記載資産は多様化し、様々な文化遺産・自然遺産を世界の多くの人々が認識できるようになった。しかし、類似資産が存在するとして記載が不適当と判断されたり、最近の紛争に関連した資産について、専門的な見地から世界遺産委員会に助言を与える諮問機関が判断を保留するなど、推薦国の希望が満たされるとは限らない。一方で、諮問機関が記載を勧告しなかったにもかかわらず、世界遺産委員会が一覧表への記載を記載することも問題となっている。特に、拡大第44回世界遺産委員会(2021年、福州(中国)/オンライン会合)では、一覧表への記載が決議されなかったのはわずか1件(審議延期決議1件、及び自主的な取り下げを除く)で、直前に関係締約国が脱退して構成資産が大きく変化した推薦が記載を決議されるなど、OUVの有無の判断に関して、世界遺産委員会の信頼性が損なわれたともとらえられかねない。
国内に目を転じれば、記憶に新しい「北海道・北東北の縄文遺跡群」を含め、一覧表に記載された文化遺産は20件となり、一覧表への記載推薦の必要条件となる、暫定一覧表に記載されている資産は5件に減少、自治体などの関係者からは新たな世界遺産候補も待望されている。この暫定一覧表記載資産の減少その他の状況に鑑み、国内における推薦や一覧表記載後の保護といった、世界遺産条約の履行の取り組みのあり方について、2020年から文化審議会世界文化遺産部会での検討が続けられている。
研究会では、上記に例示される世界遺産条約の履行に関する最近の国内外の動向について、OUVを主なキーワードとして、拡大第44回世界遺産委員会での議論、及び文化審議会世界文化遺産部会関連のウェブ公開資料の情報を主に用いて報告したい。世界遺産は自国資産の記載にばかり着目されがちで、その裏返しとして文化財の専門家からは冷淡に扱われることも多いが、文化財保護における様々な課題が凝縮されている面もある。世界遺産にまつわる様々な事象に目を向けることの意義がご理解いただけるような内容としたい。

【第7回】

1月25日

米沢玲(東京文化財研究所 文化財情報資料部 研究員)
「カナダ・モントリオール美術館所蔵の熊野曼荼羅図について」

カナダで最も古い歴史を持つモントリオール美術館は、アジアからヨーロッパの広範囲にわたる所蔵作品を有しているが、そこに日本美術の優品が含まれていることはほとんど知られていない。
今回紹介する熊野曼荼羅図は当研究所の「在外日本古美術品保存修復協力事業」による調査で見出され、今年度から修理が開始された。
モントリオール本は、八葉蓮華の構図を持つ熊野曼荼羅図で制作は鎌倉時代に遡る貴重な作例と考えられる。
本発表ではその構図や作風を詳しく紹介し、これまでに知られていなかった本図の位置づけを提示したい。

山本聡美(早稲田大学文学学術院 教授)
「中世六道絵における阿修羅図像の成立」

『往生要集』において、阿修羅道についてはごく簡単な記述しかなされておらず、その苦しみの諸相も不明瞭である。ところが、承久本「北野天神縁起絵巻」、そして聖衆来迎寺本「六道絵」を皮切りに、中世六道絵においては阿修羅道の表現が、帝釈天との戦に負ける苦しみの図像に収斂し、定型化してゆく。ここでは、中世六道絵において闘う阿修羅図像が焦点化する淵源を、同時代の軍記物語や合戦図との関りから検討する。

阿部美香(名古屋大学人文学研究科附属人類文化遺産テクスト学研究センター 共同研究員)
「六道釈から読み解く聖衆来迎寺本六道絵」

聖衆来迎寺本六道絵は、いかなる儀礼の場において、どのような詞とともに機能するものであったのだろうか。それは、六道絵の構成や宗教空間とも深く関わる問いである。
本報告では、これを鎌倉時代における二十五三昧の勤修において用いられた六道釈諸伝本に着目し、分析することから考えてみたい。

【第8回】

2月24日

吉田暁子(東京文化財研究所 文化財情報資料部 研究員)
「岸田劉生による「手」という図像―静物画を中心に―」

岸田劉生が1918年に発表した油彩画である《静物(手を描き入れし静物)》には、題名の通り「手」が描き入れられている。発表当時、二科展への落選という形で画壇から退けられたこの作品は、彼自身の画業の中心からも、近代絵画の主流からも外れた「異端的」試みであると位置づけられてきた。近年では展覧会への出品が増えるなど再評価のきざしがあるものの、具体的な研究が進んでいるとは言い難い。その理由として、そもそも「手」を描き入れた静物画に類例が少ないことに加え、この「手」が後に消されてしまったという事情が関わっていると考えられる。
発表者はこれまでに、《静物(手を描き入れし静物)》を含む複数の静物画が、後に「内なる美」として岸田が発表する芸術論の成立と深く関わっていること、中でもこの作品は作者自身によって「想像の美」という観念と関連づけられていたことを指摘し、「手」というモティーフについて検討してきた。本発表では、これまで主たる検討対象としてきた油彩による静物画以外の作品(技法としての素描、水彩、画題としての人物画、また書籍の装丁など)にも視野を広げ、「手」という図像の登場と展開について検討を進める。また、《静物(手を描き入れし静物)》を自信のある作品として発表したものの、代表的な自作リストから消すに至るという岸田の態度の変化にも注目し、変化していく「手」の意味について考察したい。

【第9回】

3月17日

松澤宥アーカイブズに関する研究会

木内真由美、古家満葉(長野県立美術館)
「生誕100年松澤宥展:美術館による調査研究から展覧会開催まで」

長野県立美術館(旧・長野県信濃美術館)では、2016年に下諏訪町にある松澤宥邸に調査を開始して以降、継続的に松澤宥資料を調査し、2022年2月2日から生誕100年展を開催することとなった。本発表では、調査研究が展覧会としてどのように活用されたかについて報告したい。まずは、資料群ごとに、調査から展示への反映の手法と課題を概観する。特に、「言語による美術」と松澤が呼称した言葉を用いた印刷物については、整理した作品の一部を紹介すると共に、カタロギング作業における課題を考察したい。

井上絵美子(ニューヨーク市立大学ハンターカレッジ校、オンラインでの参加)
「松澤宥とラテン・アメリカ美術の交流についてーCAyC(Centro de Arte y Comunicación / 芸術とコミュニケーションのセンター)資料を中心に」

松澤宥は、日本ではヨーロッパや北アメリカの美術の紹介が主流となっていた1970年代当時、異例なことにラテン・アメリカ諸国の美術家たちとの交流を積極的に行った。なかでも特筆すべきなのが松澤が1974年と1977年に展示を行った、アルゼンチンのCAyCである。CAyCは自身の芸術思想を広める実践のひとつとして頻繁に発行していたガセティラ(ニュース・レター)を定期的に松澤に送付していた。このガセティラは松澤のアーカイヴの中でも一定の割合を占める貴重資料となっている。本発表ではCAyCの活動を紹介しながら、この資料の分析を通じて松澤とCAyCとの接点について探ってみたい。また、アルゼンチンの他、ブラジルやチリなどからの資料にも触れ、松澤とラテン・アメリカ美術の交流の実相の一部を明らかにする。

橘川英規(東京文化財研究所)
「松澤宥によるアーカイブ・プロジェクトData Center for Contemporary Art (DCCA) について」

発表者は、松澤宥が生成・収集した資料群(松澤宥アーカイブズ)に基づき、表現者たちの人的ネットワークに関する研究を進めている。松澤は、1970年代にアーカイブ・プロジェクト「Data Center for Contemporary Art (DCCA)」に取り組み、同時代の西欧、東欧、北米、南米などを活動拠点とするアーティスト、あるいはアーティスト・グループによるメール・アート、刊行物などを数多く収集した。DCCAにより編成されたこの資料群は、現代においても、日本国内では類例のないアーカイブズといえる。本発表では、DCCA資料の概要といくつかの個別の資料を紹介するとともに、松澤のDCCA構想とこれに至る経緯、そしてこれらから見いだせる、当時の表現活動のありようについて考察したい。