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2019年度の研究会

平成31年度(2019)
【第1回】
4月23日

黒川公二(佐倉市立美術館)
「美術評論家 鷹見明彦の活動とその資料について」

2011(平成23)年、55歳の若さで急逝した美術評論家の鷹見明彦(1955~2011)。1987(昭和62)年、中国出身の作家・蔡國強(Cai Guo Qiang|1957~)と出会い、その活動を数年にわたって援助したことをきっかけに現代美術と関わり始める。以後『美術手帖』等で多くの評論を手掛けるだけでなく、企画者として自ら展覧会を立ち上げ、多くの若手作家の創作活動を援助した。鷹見の活動について概略を紹介すると共に、彼が遺した原稿や作家と交わした手紙等の関連資料について報告する。

令和元年度(2019)
【第2回】
5月31日

津田徹英(青山学院大学)
「資料紹介 東京文化財研究所架蔵 平子鐸嶺自筆ノート類について―その収載内容とノート類のもつ意義―」

新海竹太郎(1868~1927)関連資料がご遺族より東京文化財研究所に寄贈になり、そのことが東京文化財研究所の活動報告において簡報がなされたのは2013年11月のことであった。また、2015年には改めて田中修二氏によってその概要が『美術研究』416号に紹介を兼ねて執筆がなされた(同「研究資料「新海竹太郎資料」について」)。とくに田中修二氏の文章のなかで、資料群のなかに新海竹太郎が生前、交友のあった平子鐸嶺(1877~1911)の自筆ノート類数点が含まれることは既に言及がなされるところである。ただし、その全容についてはいまだ整理の途上にあり、広く知られるところではない。 かの平子鐸嶺は明治時代の美術史家と今日では位置付けられているが、ことにその名が後世にまで記憶される所以は、仏教考古遺跡・遺物の実査と、そこで得た金石文収集にあり、今日の仏教美術史に留まらず仏教史の実証研究に果たした役割は非常に大きいといっても過言でない。この鐸嶺自筆ノート類は、まさしく平子鐸嶺が現場において自らの眼で確認し、その手で写し取った現場ノート三冊と、金石文をまとめて自ら「巧藝史叢」と名付けた和綴の帳面が中心をなしている。前者には不慮の事故で失われてしまった高野山旧金堂安置の菩薩坐像や石山寺の銅造菩薩立像の頭部と思われる非常に的確なスケッチも含まれており、今日でもそのノートが持ち得る価値と意義は失われていないように考える。また、後者に関しては、発表者が数年前に解体修理に際して銘文が知られた東京都内の14世紀の在銘木造聖徳太子像の紹介を兼ね、雑文をまとめることがあったが、それをはるかに遡って、平子鐸嶺がその銘文を実見し、全文を記録していたことを知るに至って、びっくりした次第である。 そこで、今回の発表では、いまだその全容が明らかになっていない、平子鐸嶺の自筆ノート三冊と「巧藝史叢」と名付けられた金石文集に収載されたその内容を明かにすることを目的とし、あわせて、このノート類がどのような意義を持ち、どのような公開の仕方が望ましいかについて及んでみたいと思う。

【第3回】
6月25日

三島大暉(東京文化財研究所)
「 Linked Dataを用いた地域文化遺産情報の集約 」

Webの創始者であるTim Berners-Leeが2006年に提唱したLinked Data(LD)は、データのWebを意味するSemantic Webを実現する技術として使用されてきたが、今やEuropeana Data Model(EDM)やジャパンサーチ利活用フォーマットなど文化遺産情報の集約や利活用に利用される技術ともなっている。LDはRDFというグラフ構造をなし、URIという識別子を用いることで、データ間の関係を理論上無限に表現していくことができる。実際に、LD、特にWeb上で誰でも利用可能なLinked Open Data(LOD)は、Web上で巨大なデータベースのようなものを構築しており、WikipediaをもとにしたDBpediaや、バーチャル国際典拠ファイル(VIAF)など語彙のデータセットもLODとして利用が可能である。
本発表では、これから活用が期待されている地域文化遺産について、地方公共団体がWeb上で公開する指定文化財等の一覧を例としてLDを用いて実験的に集約し、地域文化遺産情報の集約に焦点をあてたメタデータモデルの整備の必要性や課題について言及したい。
【第4回】
7月23日

研究会「戦後日本美術アーカイブズの研究活用に向けて―松澤宥アーカイブを例に」

松澤宥(1922-2006)は、「日本のコンセプチュアル・アートの創始者」といわれる作家で、プサイの部屋(長野県諏訪郡下諏訪町の自宅)を拠点にして、様々な表現方法で国内外に芸術を発信し続けた。大学で建築を学んだのち、その作家活動の端緒を詩におき、その後、絵画、メール・アートやコンセプチュアル・アート、パフォーマンスなど幅広い手法で表現活動を行った松澤は、その間にジャンルを越えた多くの人物と交友をしたことでも知られ、その表現や思考の痕跡を、作品のほかに原稿、書簡、写真、8mmフィルム、カセットテープといった多様なメディアにとどめた。この〈松澤アーカイブ〉は、作家自身の活動・思考のみならず、作家が関わった同時代の表現分野、とりわけ前衛芸術家の共同体の動向を知りうる貴重な資料体といえる。近年、ご遺族をはじめ、作家ゆかりのグループや個人によって記録・整理され、その成果は展覧会、シンポジウムなどさまざまなかたちで発表されているところである。
本研究会では、〈松澤宥アーカイブ〉の記録・整理に携わってきた専門家、あるいはその資料に新たな価値を見出す研究者に、それぞれのご発表をいただき、その後、同アーカイブの特徴を確認し、資料整理や研究資料としての利活用のあり方についてディスカッションを行なう。

橘川 英規 (東京文化財研究所)
「1950年代、60年代の松澤宥宛書簡―その整理と活用」
木内 真由美 (長野県信濃美術館)
「松澤宥アトリエ「プサイの部屋」の調査・記録報告」
宮田有香(国立国際美術館)
「松澤宥アーカイブ(東京文化財研究所一時預かり資料)—内科画廊関連資料を通じて考える利用の可能性」
細谷修平(美術・メディア研究者、映像作家)
「映像メディアのデジタイズと保存—松澤資料を例に」
ディスカッション、質疑応答
木内・宮田・細谷・橘川各氏、司会:塩谷純氏(文化財情報資料部長 兼 近・現代視覚芸術研究室長)
【第5回】
8月26日

野城今日子(東京文化財研究所)
「彫刻家 小室達 基礎研究」

宮城県槻木町(現柴田町)出身の彫刻家・小室達(こむろ とおる、1899-1953)は、1919年に東京美術学校彫刻科を卒業した後に官展で作品を発表し、東京で作家活動を展開した彫刻家のひとりであるが、その活動の全容はほとんど知られていない。
本発表では第1部、第2部に分け、多角的に小室の制作活動を検証する。第1部では、出身地であるしばたの郷土館所蔵の小室達資料と、団体展への出品歴や肖像彫刻の制作歴を整理して紹介する。第2部では小室の作品の中でも、宮城県の仙台城址に設置された《伊達政宗騎馬像》をピックアップし、銅像の制作者としての小室の姿を明らかにする。 これらを通し、小室が「中央」と「地方」でどのように活動を展開させたのかが明らかになるとともに、小室が個人の表現を追及しつつも当時の時代性に適応した銅像を制作した彫刻家であったことが検証されよう。そしてそのあり様は、明治時代に導入された「彫刻」という制度が「中央」と「地方」でどのように受容され広がりを見せたのか、という問題を考える上で有効な事例になると考えられる。
【第6回】
9月24日

小林公治(東京文化財研究所)
「南蛮漆器成立の経緯とその年代―キリスト教聖龕を中心とする検討―」

17世紀前半を中心として京都で制作され、欧米に向けて多数が輸出された南蛮漆器の成立経緯や開始時期については、文献史料からの類推によって1580年代という説をはじめとするいくつかの考え方が出されているものの、いまだ確定的な見解は得られていない。
発表者は隠れキリシタン村として知られる茨木市千提寺・下音羽地区に由来し、ヤコブ丹羽作という「救世主像」が収められていた黒漆聖龕(東大総合図書館蔵)など、古式な様相を持つ国内向け聖龕が、蒔絵棚といった伝統的国内調度類と構造や金具などが類似することを知った。またさらに、こうした特徴は東博蔵桔梗蝶桐鹿蒔絵螺鈿聖龕や太平洋セメント蔵聖者像蒔絵螺鈿聖龕といった現存の最古と見られる南蛮漆器聖龕にも認めることができる。そしてこれら古式聖龕群には、高台寺蒔絵文様と南蛮漆器文様とが共存し、慶長元年(1595)から慶長10年(1605)の作と限定される岬町理智院蔵豊臣秀吉像蒔絵螺鈿厨子などから、17世紀当初前後の年代を与えることが可能と思われる。
本発表では、この検討の過程について報告し、さまざまな観点からの議論を行いたい。
【第7回】
12月10日

塩谷純(東京文化財研究所)・伊藤史湖(久米美術館)
「黒田清輝・久米桂一郎の書簡を読む」

洋画家の久米桂一郎(1866-1934)は黒田清輝(1866-1924)とともにフランスでラファエル・コランに師事し、帰国後も白馬会の創設や東京美術学校での指導など、黒田と活動を共にした人物である。平成28年度より、久米と黒田の資料を所蔵する久米美術館と東京文化財研究所で共同研究を開始し、その交流をうかがう資料の調査を進めている。なかでも久米と黒田の間で交わされた書簡の数々は、公私にわたり親交のあった彼らの息吹を伝える資料として貴重である。本発表では、塩谷が久米宛黒田の書簡について、伊藤が黒田宛久米の書簡について報告する。
【第8回】
12月24日

林佳美(東海大学)
「日本中世のガラスを探る—2018・2019年度の調査をもとに— 」

発表者は2018年度より日本において出土・伝世する13世紀から16世紀のガラス製品の集成と実見調査に取り組んでいる。当該時期のガラス製品は現存作例の乏しさゆえに従来ほとんど注目されず、日本ガラス工芸研究史上の空白期になっていた。しかし近年、平安時代後期や戦国時代のガラス製品および生産遺跡の調査研究が進展したことにともない、ガラス生産技術における国内的な連続性/非連続性を考えるうえで、両者の中間に位置する13世紀から16世紀のガラスをめぐる様相を解明することの重要性を再認識するに至った。
本発表では2018・2019年度の集成をもとに日本で出土・伝世する13世紀から16世紀のガラス製品に認められる特徴について初歩的な検討を加えるとともに、実見調査から得られた知見を紹介したい。
【第9回】
1月21日

依田徹(遠山記念館)
「明治文化と井上馨」

井上馨(号・世外)は鹿鳴館外交を主導したことから、西洋文化愛好家の印象が強い。しかし私人としての井上は「十一面観音像」(奈良国立博物館蔵)、伝徽宗「桃鳩図」(個人蔵)など、現在国宝指定の作品を所蔵した当時を代表する美術コレクターであり、また茶道史においては「近代数寄者」と呼ばれている財界人茶人のリーダーとして君臨していた。明治20年4月の鳥居坂井上邸への明治天皇の行幸では、茶室披露と同時に演劇改良運動の成果として市川團十郎や尾上菊五郎による歌舞伎の上演も行い、茶道史、歌舞伎史における重大な転換点となっている。本発表では、明治期の文化史における井上の存在意義について考察する。
【第10回】
2月25日

研究会「売立目録デジタルアーカイブの公開と今後の展望―売立目録の新たな活用を目指して―」

売立目録とは、名家や個人の所蔵品などを、決まった期日の売立会で売却するために作成・配布された冊子で、売却される作品の名称、作者、形態、写真などが掲載され、その伝来や流通を知る重要な資料です。東京文化財研究所では、明治から昭和に発行された約2500冊の売立目録を所蔵しており、公的な機関としては最大のコレクションとなっています。弊所では、従来から、これらの売立目録を閲覧に供してきましたが、保存状態が悪い目録も多かったため、戦前の目録についてのみ、2015年から東京美術倶楽部と共同でデジタル化をおこない、2019年の5月に売立目録デジタルアーカイブとして公開を始めました。その公開から約10か月。売立目録デジタルアーカイブは、どのような研究に有益で、今後、どのような活用が可能になるのか。これまでの閲覧による利用と、何が変わるのか。この研究会では、さまざまな分野における売立目録デジタルアーカイブの活用事例をご紹介することを通して、デジタル化された売立目録と日本美術史研究の未来を、ともに考えていければと思います。

山口隆介(奈良国立博物館)
「仏像研究における売立目録の活用と公開の意義」
山下真由美(細見美術館)
「土方稲嶺展(於鳥取県立博物館)での売立目録の活用と展開」
月村紀乃(ふくやま美術館)
「工芸研究における売立目録デジタルアーカイブの活用方法とその事例」
安永拓世(東京文化財研究所)
「売立目録デジタルアーカイブから浮かび上がる近世絵画の諸問題」