平成28年度(2016) |
【第1回】 |
4月21日
角田拓朗(神奈川県立歴史博物館)
「黒田清輝宛五姓田義松書簡を読む―作家像、東京美術学校、明治洋画史―」
本発表は、東京文化財研究所に所蔵される黒田清輝宛五姓田義松書簡の内容を解析し、五姓田義松の晩年期を具体化することを目的とする。同書簡は25通を数え、うち3通を除き明治41年から同43年に集中している。その内容は、主に義松の旧作を東京美術学校に売却しようと黒田に仲介を頼むものである。そのやりとりの経緯や文面などから、五姓田義松という作家像を立ち上がらせ、従来像への若干の修正を促したい。さらに、義松旧作を含めて収集活動をおこなっていた東京美術学校に注目し、明治洋画史形成の営みについて検討を加えたい。以上を通じて、義松と黒田の関係性を考察しよう。 |
【第2回】 |
5月31日
西木政統(東京国立博物館)
「滋賀・鶏足寺七仏薬師如来像の造像をめぐる一考察」
滋賀県長浜市木之本町の鶏足寺境内に建てられた己高閣に安置される七仏薬師如来像(以下、本像)は、七躯を造立する七仏薬師の貴重な遺例として、ひろく知られている。また、七仏薬師法は「天台の四箇大法」のひとつであるため、湖北の天台文化を代表するものとしても、何度も紹介がなされてきた。しかし、複数の作者が関わったとみられるため、制作時期が定まっていないことにくわえ、その図像についても十分な検討はなされていない。このたび、幸い作品を実査する機会に恵まれたため、本発表ではその概要を報告するとともに、制作年代と図像的特質について考察をおこない、諸史料にみえる造像例もふまえつつ、あらためて天台系七仏薬師としての位置づけを明らかにしたい。 |
【第3回】 |
6月28日
田所泰(東京文化財研究所)
「栗原玉葉に関する基礎研究―その生涯と作品について―」
コメンテーター:五味俊晶(長崎歴史文化博物館)
日本画家・栗原玉葉(1883―1922)は、大正期に官展を中心に活躍し、晩年には東京画壇一の女性画家と目され、しばしば京都の上村松園とも対比された。女性の姿を描いた絵、いわゆる「美人画」を主に制作しており、とりわけ十歳前後の幼い少女を題材に多くの作品を描いている。また、多くの弟子を抱えて後進の指導にも努め、東京で活動していた女性画家をまとめて新たな日本画団体・月耀会を結成するなど、当時の東京女性画壇を牽引する存在でもあった。しかしながら、現在その知名度はきわめて低く、研究もほとんどされていない。本発表では栗原玉葉に関する基礎研究として、その生涯と作品を概観し、大正期日本画壇における玉葉の位置付けについて考えてみたい。 |
【第4回】 |
8月30日
田中潤(東京文化財研究所)
「黒田清輝宛、養母黒田貞子書簡の翻刻と解題」
東京文化財研究所で保存されている黒田清輝関係資料には、養父母・実父など家族との往復書簡が含まれている。一度目の留学中の清輝は、日本の養父母に求められたこともあり、まめに手紙を送っている。一方、清輝の手元に日本から届けられた養母貞子の返信の大半は、養父清綱を差出とする封筒に納められた形で残されている。貞子に読みやすいようにと、仮名で書かれた清輝の書簡の内容を貞子は清綱へ伝え、それに応えるように、貞子は仮名書きの長文で家族の近況や、清綱の意向を清輝に伝えるなど、母子間の文通は、父子間の潤滑油の役割を果たしていた。この報告では、清輝が絵に親しみ、画学の道を歩みだす姿を温かく歓迎している清綱や貞子、そして親族の様子などを、70余通の清輝宛の黒田貞子書簡を通じて紹介するものである。 |
【第5回】 |
10月3日
山村みどり(日本学術振興会特別研究員)
「広島で地球を針治療する――ロベルト・ヴィリャヌエヴァ、キャリア最後の エコ・アート」
フィリピンのアーティスト、ロベルト・ヴィリャヌエヴァ(1947−95)は、 土着コンセプトに基づいた、 自然界から素材を借り受け地域の人々とワークショップ形式で作品を作って最後は自然に帰すという、エコロジカルな意味合いの強い、 自身が「Ephemeral art」 (束の間の美術)と呼んだ作品形式でその生前、国際的な注目を集めた。しかし、95年に白血病で早逝してからは作品が残存しないこともあって忘れられつつある存在となっている。
本発表では、没後有志によって広島で実現された、巨大な針で爆心地を治癒しようという彼の生前に考案された最後の作品「聖域」を、その作家活動の中に位置づけ、冷戦後に変化した日本の文化状況との関連や、エコ・アートとしての意義、また作家不在の中で行われた「参加型アート」をどう捉えるか、という問題について、言説や参加者へのインタビューなども交えて検証する。
なお、本発表の内容は、Cambridge Scholars Publishingから出版されるアンソロジー『Mountains and Rivers (without) End: An Anthology of Eco–Art History in Asia』への演者寄稿文の一端である。 |
【第6回】 |
10月25日
小林公治(東京文化財研究所文化財情報資料部)
慶長期後半から寛永期前半にかけて流行した漆器文様・技法―絵画資料と伝世漆器との対話―
京都で造られ欧米に向けて多数が輸出された南蛮漆器には、紀年銘を持つ作例がまったく知られていない。このため、ヨーロッパに残る伝承記録を間接的に援用することにより、その制作年代は桃山時代から江戸時代初め、1580年前後から1640年頃にかけての間であったという見方が定説となっている。
本発表では、17世紀前半、特に慶長期後半から寛永期初め頃にかけて制作され、当時の人々の姿や生活を詳細に描く喜多院本系職人尽絵の諸本や、「歌舞伎図巻」、「邸内遊楽図(相応寺屛風)」(徳川美術館蔵)といった近世初期風俗画について、諸点からその描画内容や景観年代を確認する。その上で、描かれている漆器の文様や技法と、南蛮漆器を始めとするこの時期の伝世漆器の文様や技法とを比較し、これら風俗画には当時の生活実態がかなり克明に描かれていること、また逆に、こうした絵画資料の景観年代から、特定の文様・技法を持つ南蛮漆器が、慶長期後半から寛永期前半(1610~30年代初め頃)にかけて制作されたものである蓋然性が高いことを示したい。この作業によって、これまで把握が困難となっていた南蛮漆器制作年代の一端が具体的に捉えられ、その歴史性検討の一助となることが期待されよう。 |
【第7回】 |
12月8日
椎野晃史(福井県立美術館学芸員)
黒田清輝宛山本芳翠書簡 翻刻と解題
東京文化財研究所には、山本芳翠が黒田清輝に宛てた14通の書簡が保管されている。その半数以上は「浦島図」を発表した明治28年(1896)の消印を持つ書簡であり、日清戦争の従軍から帰朝した頃の様子を伝える内容となっている。書簡は黒田との親密な関係性を示すともに、裸体画論争の火種となった「朝妝」について触れるなど、当時の洋画壇をめぐる問題についても言及しており、その有用性は山本個人に限らず広く認められる。
本発表では書簡の翻刻とその内容の紹介を中心に、書簡から読み取れる山本の活動、交流範囲、そして黒田との関係についても検討を加える事としたい。そして明治28年という作家研究において重要な時期に注目し、山本の画壇における立ち位置あるいはその制作について試論を重ねてみたい。 |
【第8回】 |
1月12日
小山田智寛(東京文化財研究所)
WordPressを利用した動的ウェブサイトの構築と効果:ウェブ版「物故者記事」および「美術界年史(彙報)」を事例として
東京文化財研究所では1936年より毎年、美術界の動向をまとめた『日本美術年鑑』を発行している。内容はその年の美術界の出来事をまとめた「年史」、その年に開催された美術展覧会の一覧である「美術展覧会」、その年に公開された美術に関係する文献リストの「美術文献目録」、そしてその年に亡くなった美術関係者の略歴を記した「物故者記事」である。このうち「年史」は2012年1月、「物故者記事」は2010年3月より、静的ウェブサイトの形式で全文が公開されていたが、2014年4月に双方ともWordPressを利用した動的ウェブサイトとしてリニューアル公開され、アクセス件数が大きく増えるなどの効果が認められた。
本報告では、リニューアル前後の公開形式の違いを比較し、新たに実装された機能について確認する。次にアクセスログの解析結果を示すことで、その具体的な効果を明らかにする。
田所泰(東京文化財研究所)
栗原玉葉の画業におけるキリスト教画題作品の意義
大正期に東京画壇の女性画家として、官展を中心に活躍した栗原玉葉(1883―1922)は、敬虔なクリスチャンであったものの、制作においてキリスト教画題を取り上げた例は数えるほどしかなく、また描かれた時期も大正7年から9年の間に集中している。玉葉が大正7年の第12回文展へ出品した《朝妻桜》は、そのなかでも最初期の作品である。禁教令下の江戸時代、吉原の遊女・朝妻がキリスト教を信仰した廉で捕らえられ、処刑が決まったものの、最期に桜の咲くのを見てから死にたいと願い、そのとおり満開の桜花の下で刑に処されたという話をもとに描かれた本作には、満開の桜と竹矢来を背景に、首からロザリオを下げて佇む女性が描かれている。本発表では《朝妻桜》における制作意図や玉葉の画業における位置づけに関する考察をとおして、栗原玉葉の画業において、キリスト教画題作品がいかなる意義をもつものであるのかを考えてみたい。 |
【第9回】 |
1月31日
河合大介(東京文化財研究所)
《模型千円札》をめぐる赤瀬川原平の理論形成に関する予備的考察
赤瀬川原平(1937-2014)は、1963年に千円札の図様を印刷した作品を制作した。それらは様々な場面で使用され、一部は現実の貨幣のように周囲のひとびとのあいだに流布していった。結果、当時の偽札事件「チ-37号事件」を追っていった官憲の目に留まり、1965年に起訴される。1970年に上告が棄却され、有罪が確定するまで、このいわゆる「千円札裁判」は、多くの美術関係者の関心を引き、巻き込んでいった。赤瀬川自身、この裁判がきっかけとなり芸術について考えるようになったと述べており、文章を執筆する機会が増えていったのだが、この時期に書かれたものの多くは、後年のエッセイ風の軽やかな文章ではなく、芸術に関する理論的な文章だった。そこでは、起訴容疑の「通貨及証券模造取締法」違反にみられる「模造」に対して、「模型」という概念を持ち出すことで、自らの制作物を芸術作品として歴史的・理論的に正当化しようとする試みがなされた。
本発表では、赤瀬川のこれらのテキストの分析を中心に、周辺の評論家・作家たちの文章も参照しながら、赤瀬川の「模型」という概念がどのように形成されていったかを明らかにしたい。また、彼は裁判をつうじて芸術について熟考することになったにもかかわらず、その後はアート・ワールドから距離をおいた活動を行なうようになったのだが、それらの活動においても、「模型」概念に含意されている特徴を見て取ることができることも示したい。 |
【第10回】 |
2月24日
小林公治(文化財情報資料部広領域研究室)・永井晃子(甲賀市教育委員会)・末兼俊彦(東京国立博物館)・池田素子(京都国立博物館)・原田一敏(東京芸術大学)
甲賀市藤栄神社所蔵の十字形洋剣に対する検討
滋賀県甲賀市水口の藤栄神社には、豊臣秀吉が戦国武将加藤嘉明に下賜したという伝承を持つ西洋式の細形長剣、レイピア (Rapier)一振が伝えられている。この剣の存在は地元関係者の間では知られていたが、これまでほとんど注目されることなく甲賀市水口歴史民俗資料館で保管されてきた。
この剣は、柄・剣身・黒漆塗り鞘と鞘金具から構成されるが、鉄製の棒を複雑に折り曲げて造られた柄部分の構成や、身と柄の構造、また薄く細長い直線状の剣身とその表裏面に表されている幾何学文など、その形状は16世紀から17世紀代にヨーロッパで制作された同類品と比較してもまったく遜色がないほどの優れた出来栄えであると思われる。しかしその一方で、柄や鞘金具の全面には日本系の魚々子を地文とする文様が表されているなど、その制作地や制作者・技術系統などの理解は容易でない。
発表者は、おそらく国内唯一の伝世作例と見られる本十字形洋剣に対し、これまでその歴史的な経緯、刀剣史・金工史的検討や関連遺物の探索、そしてCTスキャニング・蛍光X線などの科学的分析を進めてきたが、本研究会でその検討結果の一端を報告し、不明点が多いこの謎めいた洋剣に対する今後の本格的研究に向けた一助としたい。 |
【第11回】 |
3月28日
津田徹英(東京文化財研究所)・本多康子(渥美国際交流財団)・井並林太郎(京都国立博物館)・遠山元浩(遊行寺宝物館)・梅沢恵(神奈川県立金沢文庫)
遊行上人縁起絵の諸相
・津田徹英(東京文化財研究所)「詞書の筆跡からみた遊行上人縁起絵―伝世諸本の位相―」
・本多康子(渥美国際交流財団)「金蓮寺本 遊行上人縁起絵について」
・井並林太郎(京都国立博物館)「遊行上人縁起絵諸本の絵相について」
・遠山元浩(遊行寺宝物館)「遊行上人縁起絵に描かれた真教と情景の一考察」
・梅沢恵(神奈川県立金沢文庫)「一遍聖絵と遊行上人縁起絵における図様の共有」
時宗に伝来した高僧伝絵というとき、一遍聖絵が著名ですが、今回の研究会でとりあげるのは、一遍(1239-89)と時宗二祖である他阿真教(1237-1319)の行実を描いた遊行上人縁起絵(全10巻)の方です。この遊行上人縁起絵は、徳治2年(1307)に原本(逸亡)が成立しましたが、その後、これをもとに中世において相当数に及んで制作されたようです。現存作例としては、京都・金蓮寺本、神奈川・清浄光寺(遊行寺)本ほか、いくつかが知られています。これらは絵相の比較から、いずれも原本を忠実に転写するに留まることなく、独自の表現を加味して展開していたことがうかがえます。そのため、遊行上人縁起絵の全体像を考えてゆくためには、中世に遡る現存諸本を詞書・絵相の双方において把握するとともに、それら相互の関係性に留意する必要があります。そして、そのことはおのずと14世紀後半のやまと絵の展開にも再考を促すことに繋がってゆくように考えます。
たまたま、それぞれの関心から個別に遊行上人縁起絵に向き合うに至った研究者たちが、一昨年末の遊行寺宝物館・神奈川県立金沢文庫・神奈川県立歴史博物館における「国宝 一遍聖絵」の一挙公開を機に語らい、一年を年限として結集し研究助成を得て共同研究「遊行上人縁起絵の調査・研究―神奈川・清浄光寺(遊行寺)本を中心に―」(代表:津田徹英)を立ち上げました。その調査・研究は清浄光寺本にとどまらず、広く中世に制作が遡る現存諸本の熟覧に及ぶことができました。
そこで今回の研究会では、諸本の熟覧を通じて得た新知見を中心に調査・研究の報告を行うことを目的として標記の研究会を開催いたします。 |