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2013年度の研究会

平成25年度(2013)
【第1回】
4月30日

「華族たちの写真同人誌『華影』と黒田清輝宛小川一真書簡」

斎藤洋一(松戸市戸定歴史館)
「華族写真同人誌『華影』考」

徳川慶喜、昭武をはじめとする旧大名たち、すなわち明治の華族たちによる写真同人誌『華影(はなのかげ)』(明治36年から41年頃に刊行)があった。これまでの調査にもとづく同誌の概要と、当時の華族たちの写真愛好という流行についての報告。


田中淳(企画情報部)
「黒田清輝の写真観」

斎藤氏の調査によれば、『華影』は年に4冊刊行されていたと推察され、中でも明治40年3月から翌年3月の間に刊行された5誌において、投稿された写真に対する黒田清輝、小川一真(1860-1929)による「印画評」(評価)が掲載されていた。この「印画評」などをもとに、黒田の写真観について報告。


岡塚章子(東京都江戸東京博物館)
「黒田清輝宛小川一真書簡について」

当研究所が保管する黒田清輝宛書簡のなかから小川一真の書簡(7件)をもとに、黒田と小川の関係について、小川一真側からの報告。
【第2回】
5月28日

土屋貴裕(東京国立博物館)・村松加奈子(龍谷ミュージアム)・※米倉迪夫(東京文化財研究所名誉研究員)
「四天王寺所蔵六幅本聖徳太子絵伝をめぐる諸問題」

中世聖徳太子信仰の中心的な場のひとつであった四天王寺には、太子信仰に関わる多くの寺宝が伝わる。その中でも、全六幅に60有余の場面を描く六幅本聖徳太子絵伝は、多くの中世聖徳太子絵伝の中でもきわめて重要な位置を占める。というのも、肌裏に付された墨書により、元亨三年(1323)、井田別所の住僧定意阿闍梨の発願により、遠江法橋なる人物によって描かれたことが知られるためである。
このたび、御所蔵者のご高配により、本図を詳しく調査する機会を得た。本発表では、調査報告を兼ね、この六幅本聖徳太子絵伝の系譜的位置、成立年代などを再検討してみたい。はじめに、本図の基本情報を提示した上で、中世聖徳太子絵伝における本図の系譜的位置と図様構成の特色を考察する。その上で、現在肌裏から剝がされ、別置保存されている墨書銘を、関連資料とともに再検討する。こ れらを踏まえ、元亨三年(1323)という成立年代とその様式史的位置を改めてとらえなおし、聖徳太子絵伝諸本のみならず、中世絵画史における本図の重要性について議論を共有したい。

※米倉氏の発表は、代読となります。
【第3回】スタンレー・アベ氏講演会
6月5日

スタンレー・アベ(米国、デューク大学教授)
「「中国彫刻」を想像する」

中国では古くから様々な造像が行われてきたが、それらを「彫刻」「彫塑」と呼ぶようになったのは近代になってからであり、しかもその呼称は日本語に翻訳された後、中国に外来語としてもたらされた。中国では古くから書画が高く評価され、立体物についてもそこに付された書が研究対象となったが、造像そのものにはほとんど興味を持たれなかった。
本発表では、はじめに、現在、西洋近代的な意味で「中国彫刻」とされている物が、1900年以前に中国の好古家、収集家、および日本や欧米から訪中した人々によってどのように理解されていたのかを検証する。拓本、骨董、芸術、玩具、装飾品、尊像といった様々な分類がなされ、そのいずれとして名づけるかで、想像される物が異なっていたことを見ていきたい。
次に、欧米の美術館・博物館に所蔵される「中国彫刻」がどのような経緯でコレクションされるに至ったかを跡づける。中国の造形物は1870年頃には市場に出るようになっていたが、それらを美術品として評価し始めたのは日本の学者や収集家たちであった。欧米の美術館・博物館のコレクションとなっている「中国彫刻」の多くは、日本人を介して収蔵されている。たとえば、1893年に初めて中国に渡り北京、上海のほか白馬寺、龍門石窟などを訪れた岡倉天心と早崎稉吉は、その後も幾度か大陸に渡ってボストン美術館のための作品収集も行った。こうした物の移動をとおして、「中国彫刻」イメージが形成されていく過程を跡づける。それによって、造像を「彫刻」とする見方が、多様なとらえ方の中のひとつに過ぎないことを明らかにするよう試みる。
【第4回】
7月30日

小林達朗(東京文化財研究所企画情報部主任研究員)
「東京国立博物館蔵国宝本・千手観音像の表現」

東京国立文化財研究所企画情報部では、東京国立博物館との共同調査として、東博所蔵の平安仏画について城野誠治氏による高精細画像の撮影を行い、ディテールの把握を主たる目的とした調査を行っている。一昨年度の国宝本・虚空蔵菩薩像に続いて昨年度には国宝本・千手観音像の画像調査を行った。今回はこの千手観音像について得られた画像の紹介を行いつつ、細部の技法が絵画的表現の指向に重要な関連をもっているであろうこと、そこから見直すことのできる美術史的な問題があるであろうこと、高精細画像というメディアによって「見る」ことの意義の可能性などについても、言及したい。
【第5回】
9月24日

植野健造(福岡大学人文学部教授)
「新出資料紹介 『第八回白馬会展覧会出品目録』」

黒田清輝を中心とした明治期の洋風美術団体・白馬会の結成100年記念展が平成9年(1996)に開催されてからすでに20年近くが過ぎようとしている。今回の発表では、同展開催以後の白馬会研究の進展内容を確認し、発表者がえることができた追加情報について報告する。とくに2013年3月に熊本県天草市で発見された『第八回白馬会展覧会出品目録』、精華書院、1903年10月、の紹介を中心とする。その際に、これまで詳細が不明であった明治36年(1903)白馬会第8回展において白馬賞を受賞した青木繁の出品作品についても考察を試みる。
【第6回】
11月26日

染谷香理(東京芸術大学大学院美術研究科文化財保存学保存修復日本画)
「〔板本〕桓齊著『画傳幼学繒具彩色獨稽古』及び〔写本〕『彩色童喩』について」

『画傳幼学繒具彩色獨稽古』は東都の絵師桓齊によって著され、文刻堂によって天保5年に出版されている。凡例を著している鹿田孝清を国書総目録で検索すると、他に『彩色童喩』があり、記述内容が『画傳幼学繒具彩色獨稽古』と多少の文言が変わる程度で殆ど差異がないため『画傳幼学繒具彩色獨稽古』の写しであると考えられる。内容は最初に彩色絵具とその使用法を説き、後半で礬水の製法とその割合を紙の種類ごとに非常に細かく説くいている珍しい絵画技法書である。本発表でその紹介をする。
【第7回】
12月6日

佐藤全敏(信州大学准教授)
「観心寺如意輪観音像 再考」

平安時代前期の承和年間(840年代)に制作されたとみられる一連の彫像は、大きさ・技法・構造を異にしながら、その面貌や肉どりをはじめとする諸表現において、著しい近似が認められている。本報告は、そのうち観心寺の如意輪観音像をとりあげ、その制作年と造像背景について、文献史学の手法にもとづいて検討を行おうとするものである。本像については、60年以上前の西川新次氏の卓論が存する。本報告は、西川氏の議論に学びつつ、文献史料の精読によっていま少し前に進もうとする試みである。
【第8回】
2月25日

アートアーカイヴの諸相

第1部(各発表 30分)

1)加治屋健司(広島市立大学芸術学部准教授)
「美術アーカイヴのなかの美術史」

アメリカ美術史の研究者として利用してきたアメリカの美術アーカイヴ(スミソニアン協会のアメリカ美術アーカイヴ、ニューヨーク近代美術館アーカイヴ、ゲッティ研究所特別コレクション等)を紹介しつつ、アメリカの現代美術史研究におけるアーカイヴ資料の役割について考察する。そして、代表を務める日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴの活動を紹介しつつ、戦後日本美術研究において必要とされる美術アーカイヴについて、運営者と利用者の双方の視点から検討する。


2)上崎千(慶應義塾大学アート・センター所員)
「アーカイヴと前衛―表現の非永続性 ephemerality と資料体」

前衛における芸術のアーカイヴ的な在り方(芸術作品がアーカイヴを模倣すること)について。かつての前衛はいま、それぞれが過去の特定の出来事 event と分かち難く結びついている。作品の生を出来事の構成要素(出来事内存在)として捉えるならば、そのような生、その表現、その「思考」もまた出来事と同じく非永続的 ephemeral であり、始まった以上は終わるべきものとして運命づけられるのだろうか。また、この問いの延長線上でいま、「エフェメラ」というこの奇妙な語彙によって名指されている品々の生が、作品そのものではなく、作品の生(そして死)に隣接する存在(アーカイヴ)であることについて。前衛芸術を扱うデータ ベースの設計・構築プロセスや、各種資料体の物理的編成プロセスに触れつつ、アーカイヴを形成する思考/アーカイヴに内在する思考としてのいわば 「アーカイヴ的思考」について、とりわけそのような「思考」の未来について考察する。


3)橘川英規(東京文化財研究所企画情報部アソシエイトフェロー)
「中村宏氏作成ノートに残された記録と資料―観光芸術研究所、東京芸術柱展を中心に」

東京文化財研究所が所蔵している中村宏氏作成ノートは、同氏が1965年から68年まで使用したと思われる前衛美術会の会務、活動を記録したノー トである。同会が主催した東京芸術柱展、東京芸術会議展などに関する資料(会議議事録、出品規定、展示風景写真など)が時系列で残されているほ か、観光芸術研究所に関する資料も一部収録されている。本発表ではこのノートが作成された時代背景に即して、収録されている記録・資料の発生を追いながら、研究資源としての意義の一端を紹介する。


第2部(ディスカッション 60分)
【第9回】
3月25日

津田徹英(企画情報部)
丸川雄三(国立民族学博物館先端人類科学研究部・准教授)
橘川英規(企画情報部)
中村佳史(国立情報学研究所・特任助教)
吉崎真弓(国立情報学研究所・特任技術専門員)
「美術史料のデジタル公開を念頭に置いたWeb版『みづゑ』の研究と開発」

『みづゑ』は、明治38年に創刊された。その後、平成4年に一時休刊し、平成13年の復刊を経て、平成19年に再び休刊した美術雑誌である。約1世紀にわたって刊行され続けた美術雑誌であり、近代日本の美術界に与えた影響は多大で、その資料的価値は、ことに海外の日本美術史研究者の間にあって高い。しかも明治期刊行分90号までは、入手が困難なうえに、これをまとめて所蔵するところが少なく、東京文化財研究所でも貴重書に準じる扱いとなっている。
本研究では著作権が既に消滅している『みづゑ』明治期刊行分90号分の公開を見据えつつ、創刊号から50号までを対象にし、文字情報が主となる文化財情報の発信に関して、ひとつの規範を示すことを念頭において、東京文化財研究所と国立情報学研究所のそれぞれが蓄積するノウハウを持ち寄ってWebでの公開のための『みづゑ』研究・開発を行った。
その際、全文のテキスト化に取り組むとともに、Web公開に際して透明化した全文テキストを『みづゑ』の各ページの画像に貼り付け、語彙や固有名詞検索を行うためのベースとなるようにした。課題となったのは旧字、異体字の識字率の向上であり、検索インデックスを作成する際にも、旧字と新字、異体字と新字の検索に「ユレ」が生じないよう、辞書機能の研究と開発に取り組んだことである。
あわせて、全文テキストや検索インデックスを収録するテータベースの基本設計も実施した。これは、『みづゑ』に収められた記事、作品図版、執筆者、あるいは冊子や紙そのものを、調査・分析し、それを物理層、データ層、論理層、記事層、知識層で捉え直し記録するもので、書籍アーカイブにまつわる多様な情報の発信を可能にするものである。すなわち、それは図書館を含む関係機関が、雑誌・書籍等を広く公開する機会が増える風潮にあって、これを文化資源としての文字情報の塊と捉えることで、どのように情報を切り取り、様々な目的をもったユーザーの利用ニーズに応えるかということを念頭に置いてのWeb上での公開であり、これまでPDFやマイクロ写真版を用い、それらの画像を単にWeb上で公開してよしとするあり方と一線を画した点に大きな意義が認められるといえよう。