平成15年度(2003) |
|
5月7日
林洋子(京都造形芸術大学)
「移動する作品、旅する画家:藤田嗣治をめぐって」
本発表は、「移動」という視点で画家・藤田嗣治(1886-1968)の画業を読み直す試みである。彼はまれなる「移動者」であり、とくに戦前期の移動距離と移動先は突出しており、中央アジアやアフリカ中南部を除き、ほとんど世界中を巡っている。さらに本人とともに作品や「もの」(日用品やコレクション)も動き、それらを受け止めるコンテクストも変化した。彼の「移動」をたどることにより、従来日仏二国間交流のなかで検討されてきた藤田研究にあらたに「アメリカ」という視座を導入する必要性を見出した。国籍を問わず、1880年代以降の生まれの美術家たちの大半がこの「美術新興国」のアメリカとなんらかのかたちで直面したのであり、日本近代美術研究の上でも今後欠くことのできない視点と考える。
|
|
6月25日
臺信祐爾(東京国立博物館)
「東京国立博物館保管黒田資料について 日記および手紙控えを中心に」
小山ブリジット(武蔵大学)
「黒田清輝宛仏語書簡について」
|
|
7月23日
津田徹英(美術部)
「横浜・龍華寺 菩薩半跏踏み下げ像 新出の天平脱活乾漆像をめぐって」
本像は、平成10年6月に龍華寺(横浜市金沢区)の土蔵内で偶然見つかり、新聞紙面において東日本で初めての天平仏の発見と大きく取り上げられたものである。その後、同10月には横浜市指定有形文化財となるとともに、平成12年より2年がかりで財団法人美術院において修復がなされ、平成14年4月に造立当初の姿に甦った。発表者は土蔵においての第一発見者であり、修理以前の本像と深くかかわり、その状況をよく知るものの責務として、本発表において、本像の基礎データ、技法等の報告を行うとともに、現存作例が極めて限られる天平時代の脱活乾漆像のなかにあって本像が、彫刻史上、どのような位置に置かれ得るかについて若干の私見を述べるものである。なお、本発表については所蔵者である龍華寺御住職、ならびに、保管等について指導的立場にある横浜市教育委員会文化財課の了承を得て行ったものであることを付記しておく。
村上博哉(愛知県美術館)
「松本竣介《画家の像》、《立てる像》、《五人》《三人》の包括的解釈」
松本竣介が1941・42年の二科展にそれぞれ出品した《画家の像》と《立てる像》は、彼の没後「反ファシズムの絵画」と言われ、多くの議論がなされてきた。一方、1943年の《五人》と《三人》は、やはり二科展のために描かれた百号の大作でありながら、単に戦時下の家族像と見なされ、作品の意味を問う試みはほとんど行われていない。
今回の発表では、準備デッサンの調査と、個々のモチーフやディテールに関する考察に基づき、さらに古代ギリシャから近代までの西洋美術のさまざまな作品から構図やモチーフが引用されていることに注目しながら、これら4枚の絵についての新たな包括的解釈を示す。《画家の像》、《立てる像》、そして二枚組で一点の《五人》《三人》は、「自己」という主題を弁証法的に展開した「三部作」である。すなわち、《画家の像》が「理想の自己」であるのに対し、《立てる像》はこうありたくないという「否定的な自己」であり、両者は矛盾するが、その矛盾は《五人》《三人》の「現在の自己」と「新たな理想の自己」によって解消する。松本がこの三部作を描いた動機は彼自身の内面の根本的な問題に取り組むことであり、三部作の完成によって彼はその問題を自ら解決したのである。
|
|
9月24日
津田徹英(美術部)
「法然上人像(隆信御影)について」
岡田健(国際文化財保存修復協力センター)
「東寺観智院蔵木造五大虚空蔵菩薩像の調査とその成果」
|
|
11月26日
中野照男(美術部)
「バーミヤン石窟壁画の意義と現状」
|
|
12月24日
鈴木廣之(美術部)
「明治10年代における欧米人の日本国内旅行と日本美術史の形成」
「美術」がファインアートやボザールの訳語として登場した事実は、日本美術史の形成課程で欧米人が果たした役割の重要性を想像させる。なかでも来日欧米人は豊富な知見が得られる有利な立場にあった。明治7年(1874)には、幕末以来制限されていた外国人の国内旅行が可能になった。この規制緩和により欧米人の旅行が盛んになるにつれ、京都、奈良など関西方面の旅行は、美術への知識欲と収集熱を満足させる貴重な体験になった。明治14年(1881)に刊行されたアーネスト・サトウとホーズの『中央部及び北部日本旅行案内』も貴重な情報源になった。
最初期の例に、明治12年(1879)5月から4ヶ月を費やした大蔵省印刷局長得能良介とキヨソネらによる宝物調査の大旅行、同年11、12月のサトウとW・アンダーソンによる奈良の寺を探訪した関西旅行、80年夏のフェノロサ最初の関西旅行、82年の7、8月のフェノロサ、モース、ビゲローによる関西方面の収集旅行がある。これらの体験は彼らの知識と収集品を充実させ、日本美術に関する言説を生産する重要な契機になった。
クリストフ・マルケ(フランス国立東洋言語文化研究所)
「明治後期に滞日した仏人エマニュエル・トロンコワと日本の洋画壇」
『日本帝国美術略史稿』の翻訳者として知られているフランス人の日本学者エマニュエル・トロンコワEmmanuel Tronquois(1855-1918)に関する新たな資料を最近発見することができ、彼の全体像が浮かび上がってきた。今回は洋画家たちとの交流についてわかったことを資料に基づいて紹介する。
明治27年、日本美術の研究を深めるために来日したトロンコワは、古美術の研究に留まらず、画家ラファエル・コランに紹介された洋画家の黒田清輝、久米桂一郎、版画家の合田清等と交友を持ち、日仏美術交流に貢献した日本の文化人・芸術家との交流を盛んに行った。外国人としては珍しく日本の洋画家たちの活動を積極的に支援し、明治美術会展(第七回展)の展評を書いた。また、黒田清輝の《朝妝》をめぐる 「裸体画問題」が生じると、黒田の立場を弁護した。さらに、明治28年、東京美術学校で「欧洲に於ける美術教育の組織及精神」という講演をしたり、美術行政、美術教育についても指導的な意見を述べたりした。
ディスカッション コメンテーター:馬渕明子(日本女子大学) 司会:田中淳(美術部)
|
|
1月20日
洪善杓(梨花女子大学大学院・韓国美術研究所)
「江戸時代における朝鮮画の接触と求得の意図-朝鮮通信使を中心に」
江戸時代の通信使随行画員と別画員など、詩書画を兼ね備えた使行員の絵画活動とその作品に注目し、彼らが江戸時代における韓国絵画の受容にはたした役割と、受容を促したものについて考えてみたい。
通信使行員の紀行録には、江戸時代、日本人の韓国画に対する関心と反応は極めて高く熱かったと一様に記載されている。こうした韓国絵画に対する江戸時代の過熱現象の背景をなすものは、一般民衆と、儒者や文士、南画家など新知識人とでは異なっており、それぞれの別個の関心と追求するところに起因していたのではないかという視点から、江戸時代の韓国絵画受容の類型と方法を考察してみたい。
司会:鈴木廣之(美術部)
|
|
2月17日
石守謙(国立故宮博物院)
「テキストvsイメージ 夏文彦『図絵宝鑑』と14、15世紀における中国絵画に対する日本の反応に関する諸問題」
日本の美術史にとって、中国や朝鮮・西洋などの美術の受容が極めて重要であることはいうまでもありません。この問題については、様々な時代やジャンルについて語られていますが、受容や影響の語のもとに一面化されるきらいがあり、また無前提に設定された語りの枠組みが視野を狭め、問題の広がりとその解明を阻害していることもあるようです。
この研究では、美術に見られる異文化受容にかかわる諸現象と、それについての語りの枠組みを点検・整理しながら、時代やジャンルにおける差異と共通性を明らかにし、全体の見取り図を描くことを考えています。具体的には、1)時代別の受容の実態とそれについての言説の問題点を横軸に、2)時代を通じて現れる事象、例えば異文化を伝えたメディアや異文化接触の場、異文化イメージとメタ受容などの問題を縦軸として、共時的分析と通時的分析を綴り合わせ、3)さらに異文化受容の特異点ともいえる事象を加えて研究を進めています。
この研究会では、台湾から石守謙氏(國立故宮博物院副院長・台湾大学教授)をお迎えし、ご発表いただきました。石氏は、異文化受容に重要な役割を果たすものとしてイメージとテクストがあり、その双方が偏りなく考察の対象とされるべきであるという観点から、請来された作品のみならず舶載された書物に注目することの大切さを指摘しておいでです。本発表では、特に夏文彦の『図絵宝鑑』が14、15世紀の日本における中国絵画受容に果たした役割を主題とし、13世紀以降の中国における芸術書出版の展開に述べられた後、そうした背景から生まれてきた『図絵宝鑑』が提示した画系とその波及、また、同書において言及されている「雲山図」について論及し、最後に雪舟の同書の関係について考察をしていただきました。
司会:井手誠之輔(情報調整室)
|
|
3月17日
閔丙勲(韓国国立中央博物館)
「韓国における中央アジア考古美術の研究現況」
現在、東京文化財研究所美術部では研究プロジェクト「中国壁画の研究」を進めており、その一環として毎年、中国壁画をテーマとする研究会を開催しております。
今回の研究会では、韓国国立中央博物館東洋部学芸研究官 閔 丙 勲 氏をお招きし、ご発表いただきました。
閔 丙 勲 氏は、昨年12月16日から今年2月1日まで韓国国立中央博物館で開催された西域美術展を企画された方です。今回のご発表でも、韓国が所有する大谷探検隊のコレクションや韓国における西域研究の動向などについてお話を伺いました。
中野照男(美術部)
「東京文化財研究所における近年の中央アジア美術研究」
|
|
3月24日
井手誠之輔・城野誠治(情報調整室)
「高麗仏画における北宋理解―鏡神社所蔵水月観音像にみられる補陀洛山の視覚表現―」
|